ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

2 望まぬ結婚 後編

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匿名ユーザー

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「わたしが、姫様の結婚で詔を?」
 トリステイン魔法学院の最上階に置かれた学院長室で、ルイズはミス・ロングビルに始祖の祈祷書を手渡されながら聞き返した。
「ええ。アンリエッタ王女の御指名ですわ。来月のゲルマニア皇帝との結婚式の場で詔を読み上げる巫女に、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを、と」
 秘書席で右手にペンを持ったまま座り、書類の山を片付けながら王宮からの急使の言葉をそのままに伝えたロングビルは、ちらりと学院長の席に視線を送る。
 そこには歯も噛み合わず、熱い茶の入った湯飲みを震える手で持ち上げている今にも死にそうな老人の姿があった。
 セクハラという生き甲斐を奪われたオールド・オスマンの、晩年の姿である。
「本来なら、学院長から通達されるべきことなのですが、土くれのフーケの事件からあの調子で……。学院の業務や公務も、私が代行している有様ですわ」
 はぁ、と溜め息を吐いて優雅に憂いの表情を見せるロングビルを、ルイズは同情心の篭った目で眺めた。
 いろいろと苦労しているのだなあ、と。
「ああ、そうそう。大切なことを言い忘れていました」
「……?なんでしょうか」
 ペンを置いて向き直ったロングビルに問い返すと、ロングビルはルイズの手に収まっている始祖の祈祷書を手で指し示して、中身を見るように促した。
 始祖の祈祷書とは、その名の通り、始祖ブリミルが神への祈りの文を書き記したものだ。
 ただ、同じ名前の祈祷書が世界各地に存在しており、それぞれが自分が持つものこそ本物であると主張しているために、真に本物の場所は知られていない。
 ルイズに渡された祈祷書もまた、本物である可能性は低い。王宮から送られたものであれば本物であるようにも思えるが、学院にも祈祷書と銘打った本が何冊か図書館に紛れ込んでいる。
 王宮直下の機関である魔法学院でこれなのだから、王宮所有のものだって疑ってかかるべきだろう。
 結婚式で詠み上げる詔は自分で考えなければならないが、その多くは祈祷書に書かれた文面を抜き出して引用すれば良い。ただ、無数にある祈祷書の中には、通常の言葉としての意味を持たないルーン文字や、訳の分からない記号の羅列だったりするものもある。
 詔を考えるのに参考になるようなものでありますようにと祈りつつ、ルイズが祈祷書の表紙を開くと、ロングビルは申し訳なさそうに苦々しい笑みを浮かべ、ルイズは目を丸くして表情を固めた。
「ま、真っ白!?」
 祈祷書の中身は、全てが白紙だった。
 ぱらぱらと頁を捲ってみるが、そこには文字一つ書かれておらず、記号すらない。
 ロングビルはそのことを分かっていたのか、席の後ろに置かれた本棚からいくつかの書物を取り出すと、ルイズにそっと差し出した。
「見ての通り祈祷書は白紙でして、ミス・ヴァリエールには自力で詔を考えていただかなくてはなりません。最終的には王宮の方々が草案を推敲して下さるとはいえ、一人で考えるにも限界があるでしょうから、こちらで過去の詔を集めたものと、参考となりそうな偉人達の詩集を用意いたしました。余計なお世話とは思いましたが、宜しければお使い下さい」
「余計なお世話だなんて、そんな……、是非とも使わせていただきますわ」
 正直言って詩のことなど欠片も分からないルイズとしては、ロングビルの申し出は始祖ブリミルの助けとも思えるものだ。教養として詩の勉強もしていないわけではなかったが、厳格な母が匙を投げるほどに酷い結果を出して以来、欠片も接点を持っていない。魔法学院で詩の勉強が求められていたら、間違いなくルイズは魔法だけでなく勉学でもゼロ呼ばわりされたこと
だろう。

 差し出された本を始祖の祈祷書以上に大事に抱きしめたルイズは、ロングビルに深くお辞儀をして学院長室を退出した。
 大命を拝してしまった緊張で、胸がきゅっと苦しくなる。
 名誉なことだとは思うが、果たして期待に答えられるかどうか、ちょっと、いや、かなり心配だった。
 本当に詩は苦手なのだ。
 習い始めてばかりの頃に、魔法がまるで上達しないことを母や上の姉に叱られたとき、その心情を詩に綴ったことがある。だが、その詩を優しくて暖かくて、自分のことをなんでも受け入れてくれる笑顔を絶やさない下の姉に見せたところ、今までに身が事が無いほど微妙な顔をされた。
 しかし、今は過去とは違う。あれから世の中のことを一杯勉強したし、本も沢山読んだ。語録も増えたし、気の利いたこともいえるようになったと思う。
 詩の一つや二つ、作れないことは無いはずだ。
 アルビオンに乗り込んで手紙を回収するという任務に比べれば、楽なことではないか。
 そう思いつつ螺旋階段をゆっくりと下りて行く傍ら、祈祷書を抱える右手に視線を向ける。
 そこには水の魔法でも治しきれなかった小さな傷跡が、赤みを帯びた状態で薄く残っていた。
 アルビオンでワルドと戦ったときの怪我は既に治っている。優秀な水のメイジを派遣してくれたアンリエッタのお陰だ。だが、今もまだあのときの痛みを思い出すことがあった。
 ワルドのエア・ハンマーが右手の形をまったく別のものに変えてしまった瞬間。あの時は任務のことやワルドに対する怒りでそれほど痛く感じなかったが、やっと治療が受けられる状態になったとき、気絶してしまいそうな痛みが全身に走った。
 完治した筈の右手は、その時の痛みを思い出すとじわりと痺れたような感触を伝えてくる。
 この手を見る度に、良く生きていたものだとルイズは改めて思う。
「でも、おかしいわね。手紙は奪われたはずなのに……」
 結婚は予定通りに行われる。詔の巫女を指名されたということは、そういうことなのだろう。
 ワルドに奪われた手紙はどうしてか、ゲルマニア側には渡っていないようだ。逃げたワルドがどのような経緯を持って自陣に戻ったのか知る由も無いルイズには、そのことがどうしても不思議で仕方が無い。
 だが、それはもう考えても意味は無いのだろう。それよりも、もっと大切なことがある。
 女子寮の塔に戻ったルイズは、自分の部屋に才人の姿ないことを確認した後、学院長室で受け取った祈祷書と参考資料をテーブルの上に置くと、ベッドの下に潜り込んで何かを引っ張り出した。

 予備のマントに包まれたそれは、アルビオン王ジェームズ一世から託されたアルビオンの王権を移譲するのに必要なものだ。これがここにある限り、レコン・キスタはアルビオンの真の王にはなれない。
 でも、コレを使うときは来るのだろうか。
 そんな思いを胸に、ルイズはテーブルに置いた始祖の祈祷書に視線を移す。
 姫殿下とゲルマニア皇帝との結婚。しかし、アルビオン王はそれが成る前にレコン・キスタがトリステインの地を攻めるだろうと言っていた。
 それが真実なら、わたしの役目は詔を考えることではなくて、王宮の赴いて危険を知らせることではないのだろうか?いや、王宮も馬鹿ではない。レコン・キスタがトリステインを攻めると分かっているから政略結婚を考えたのだ。一歩時期を早くして、レコン・キスタが攻めてくる可能性くらい、考えていないはずが無い。
「やっぱり、起こるかどうかのことなんて考えないで、起こらなかったときのことを考えて行動しろって事かしら」
 包みをベッドの下に戻し、ルイズは祈祷書を抱えてベッドに横になる。
 自分が考えるようなことは、他の誰かも考えている。なら、心配するだけ無駄なのかもしれない。しかし、万が一のこともある。
 もしも、誰も対処していなかったら?
 自分が動くことで、救える人が居るかもしれない。助けれる命があるかもしれない。
「……うっ!?」
 突然込み上げて来た奇妙な吐き気に、ルイズは口持ちに手を当ててそれを押さえ込んだ。
 救う。
 そんな言葉から連想したのは、ワルドとの戦いの中で見た真っ赤な光景だった。
 血に沈む幾つもの死体。それを踏み躙るワルドの姿。圧倒的な力の差を見せ付けられ、無様に転がる自分。
 手が、また痺れ始める。
 自分にもっと力があれば。もっと気をつけていれば。あの惨劇は防げたかもしれない。
 でも、もう一度ワルドと戦えといわれて、戦えるだろうか。
 右手の痺れは広がり、脇腹や足の先まで痺れ始め、頭が割れるような酷い頭痛が考えることを放棄させる。襲い来る全ての感覚が恐ろしくなって、悲鳴を上げたくなった。
 震える喉を息を通して、必死に呼吸する。

 息苦しさが止まらない。空気が欲しい。
 強い恐怖だ。
 ワルドに対して、ルイズはどうしようもないほどの恐怖を抱いていた。
 実戦という意味では、ルイズはラ・ロシェールの宿襲撃事件で一度体験している。だが、そのときは頼りになる仲間がいたし、誰一人として怪我もしていない。それに、敵は平民だった。
 自分よりも強い力を持った存在と本当の意味で戦ったのは、ワルドが初めてだったのだ。
 運が悪い、としか言いようがない。
 一方は魔法もまともに成功させられない落ち零れのメイジ。一方は、歴戦の勇士であり、才能と努力によって大勢に認められるほどの戦士だった。
 あの時、ルイズが受けた重圧は、本来なら普通の人間が耐えられるようなものではない。
 目の前にちらつく死の気配は、逃げることも戦うことも許さないほど強いものだったのだ。
 生来の気の強さと、背負った責任の重さ、その二つが無ければ、何も出来ずにワルドに殺されていたことだろう。
 巨象に踏み潰される蟻の気分。そう言い表すことも出来る。
 生きていたことは奇跡なのだ。
 その事実を再認識するごとに、ルイズは全身が冷えるような感覚に襲われていた。
 助けて。寒い。ここは、怖い。
 なにかを求めるように左手を伸ばして、その先に浮かぶ黒髪の少年の姿に縋りつく。
 その少年だけは自分を裏切らない。自分のために戦ってくれる。自分と共に生きてくれる。
 そんな確信が少年に触れた部分から全身に伝わって、息苦しさがウソの消えていった。
 頭痛も、痺れも無くなって、心地よい感覚が全身を抱き締めるよう包む。
 母の胸の中のように、父の腕に抱かれているときのように、言いようの無い安らぎを感じる。
 自分の中の何かと少年の間に、見えない絆がある。
 もう、怖くない。
 そう思ったところで、ルイズはハッと目を開いた。
「……あれ、寝てた?」
 ふらふらと伸びた左手が、いつの間にか薄暗くなった部屋の中に浮かんでいる。
 学院長室に呼び出されて祈祷書を受け取ったのが昼頃だから、外が暗いところを見ると、もう六時間か七時間は経っているはずだ。夕食も食べ損ねたことになる。
 むっくりと体を起こして、ルイズは部屋の中を見回すと、そこに本来いるべき人間の姿が無いことに気が付いた。
「こんな時間まで、どこほっつき歩いてるのかしら。使い魔なら夕食の時間を見計らってご主人様を起こしなさいよ、もう」
 異世界から召喚した黒髪の少年の姿を脳裏に浮かべつつ、始祖の祈祷書をベッドの上に放り出して自分の使い魔を探しに出かけようとする。
 なにか酷い夢を見た気がしたが、なんとなく悪い夢でもなかったような、そんな不思議な感覚だけが残っていた。
内容はまるで思い出せない。
「一体、なんの夢だったのかしら」
 以前にも奇妙な夢を一度見た覚えはあるが、その内容までははっきりと記憶していない。ただ、そのときの夢はガオンッ!だった。自分でも意味が分からないが、それだけは確かだ。
 あと、キュルケやタバサも出てきた気がする。自分の使い魔の少年も、居たような、居ないような……。
「まあ、いっか」
 深く考えたところで、夢は夢。現実には何の影響も及ぼさないのだ。
 そう思い直して、ルイズは部屋の扉を開けるために左手を伸ばした。
 唐突にフラッシュバックする、黒髪の少年の姿。
 夢の内容が一気にルイズの頭の中に浮かび上がった。
「ああっ!あ、ああ、ひゃあああぁぁぁっ!ウソ!ウソよ!な、ななな、なんでわたしがあんな犬に助けを……!!あ、そういえば、ワルドと戦った後目が覚めたら、サイトの腕に抱かれてて……、ああでもそんな!違うのよおおおおぉぉぉぉ!!」
 夢の内容の、特に後半部分を強く思い出したルイズは、顔を真っ赤にして扉を両手で何度も思い切り叩き、大きな音を立てて冷静になれと自分に訴えかけた。
「違うわ!違うのよ!あんなやつ、なんとも思ってないんだから!!そ、そりゃあ、ちょっとはカッコイイかなって、思っちゃったことも無いわけじゃないけど……、いや、でもそんなあああああぁぁぁ!!」
 赤くなるだけでは足りず、熱まで持ち始めた頭を扉に打ち付け、何度も何度も否定の言葉を繰り返す。だが、否定する度に脳裏に浮かぶ少年の姿は色濃くなり、頭を扉に打ち付ける数に合わせて美化指数も上昇する。
 がん ごん どん ごっ がっ めき ドコ ゴシャ ミシ メリ グキャ
 様々な音を立てて確実に変形し始める扉の破損指数とルイズの中にある才人の美化指数が急上昇し、やがて両方のカウントが天井を突いてストップがかかった頃、やっと隣の住人が迷惑な音を聞きつけて現れた。

「なにやってんの、ルイズ」
「うひゃあぁぁっ!?え、き、キュルケ?あ、いや、なんでもないのよ!うん、なんでも」
 原型を留めなくなった扉の向こうから顔を出したキュルケに、ルイズの全身が跳ねる。誤魔化すように乾いた笑いを浮かべるものの、キュルケの目は不審な色に染まっていた。
「なんでもないって、あなた、頭突きで扉壊しといてなんでもないってことはないでしょ」
 キュルケの言葉でやっと気が付いたかのように、ルイズは自分の頭を打ち付けていた扉の状態に顔を青くさせる。
 キュルケの姿がはっきり見えているが、別に扉が開いているわけではない。ルイズが何度も頭を打ちつけて壊したせいで、大きな穴が開いているのだ。
 キュルケの姿は、その穴から見えていた。
「額から血が出てるけど、先生呼ぶ?」
「う、ううん、いいわ、本当になんでもないから!あ、あらイヤね、扉がちょっと老朽化してたみたい。職人を呼んで直さなくっちゃ。オ、オホホホホホホ」
 ルイズが手を放すと、扉はゆっくりと蝶番を巻き込んで部屋の外側へと倒れる。キュルケはそれをひょいと避けながら、さらに強くなった疑念の篭った視線をルイズに向けた。
「老朽化って、ありえないわよ?あなた、三日に一度はダーリンを爆発して、その勢いで扉も壊してるじゃない。多分、この学院で一番新品よ、コレ」
 と、見る影も無く廊下に倒れた扉を指差すキュルケ。
 だが、ルイズはそんな言葉も笑って誤魔化し、部屋を出て廊下を下りの階段のある方へと向かって歩き出した。
「きっと、アレよ。何度も替えてるから、不良品に当たっちゃったのよ。うん、そうに違いないわ。ちょっと業者に文句を言ってやらなきゃいけないから、わたしはこれで失礼させてもらうわね。ごきげんよう、ミス・ツェルプストー」
 また、オホホホホ、などという気味の悪い笑い声を上げながら階下に消えていくルイズの姿を見送ったキュルケは、先ほどまで眠っていたために乱れている髪を軽く撫で付けて、一体なんだったのかと、口を大きく開けてあくびをした。
「まあ、ルイズが変なのは今に始まったことじゃないか」
 かなり失礼ではあるが、あながち間違いでもないことを呟いて、キュルケは様子を見に現れたほかの生徒を適当にあしらいながら、寝直すために自分の部屋へと戻っていった。

 ハルケギニアの月は満ち欠けはあるのだろうか。自分が見たところ、二つの月は満月の形を変えていないように思える。
 そんなことを才人が思ったのは、久しぶりに湯船に浸かってゆっくり出来たからだろうか。
 平民は総じてサウナ風呂を使うのだが、才人は生まれ育った故郷の風呂が特に前触れも無く恋しくなり、厨房で働く料理長のマルトーから古くなった大釜を譲ってもらって、学院の中庭の隅に五右衛門風呂を造っていた。完成したのは、つい先ほどだ。
 ただ、湯船に入った状態では火の調節が出来ないため、釜の下の火は万が一のことを考えて弱火になっている。この火が消えて湯がぬるなってきたら上がり時だろう。
 冷めてしまう事を前提としていたために少し熱くしてあったお湯は、慣れない生活によって溜まった体の疲れを程よく吹き飛ばしてくれている。懐かしいからと作った風呂は、労力に見合った効果を上げているようだ。
 体に伝わる熱に心地良さを感じて両腕を空に向けていっぱいに伸ばした才人は、肺の中の空気を吐き出して、ぼんやりと空を眺めた。
「そういえば、あの人にきちんと聞かないとな」
「聞くって、なにをだ」
 鍔をかちゃかちゃと鳴らして、五右衛門風呂の傍の壁に立てかけられていたデルフリンガーが才人の呟きに問い返す。
「元の世界に帰る方法だよ。タバサの知り合い、っていうか、お尋ね者だったんだっけ?船の上で酷い目に遭った原因を作った人。名前は……、なんだったっけ」
「あの変なおっさんか。確か、ホル・ホースってんじゃなかったか?」
「そんな名前だったか」
 剣よりも記憶力が低いのはどうかと思わないでもないデルフリンガーだったが、相棒は元々人の話をあまり聞かないタイプだからどうせ今回も聞いていなかったのだろうと判断して、話を続ける。
「相棒は、故郷に帰りたいか?」
 聞かなくても分かる答えだが、聞いておいて損は無いだろう。
 帰りたいに決まっている。普通は誰だって、納得する理由も無く故郷から突然引き離されたら、恋しくなって当然だ。
 そう思っての言葉だったが、思いのほか答えが返ってくるのには時間がかかっていた。
 唸り声を溢して首を捻り、両腕を胸の前で組んだ才人が必死に普段使わない脳味噌を使って自分の気持ちを探る。だが、そこまでして出した答えは、要領の得ないものだった。
「帰りたい気もするし、帰っちゃいけない気もする。ルイズのことは放っておけないけど、向こうに残してきた家族にも連絡したいし……、よく分かんねえや」
 きっと家族は自分のことを心配しているだろう。いつものように出かけたと思ったら、突然居なくなったのだから、普通の親なら心配しないはずが無い。
 母ちゃん、泣いてるかな。
 そう思うと、今すぐにでも帰りたくなる。だが、そんな望郷の念に匹敵するくらい、才人にはこちら側に心配事が残っているのだ。
 意地っ張りで、我が侭で、それでいて泣き虫で……、それなのに諦めることを知らない可愛いご主人様のことが、どうしても放っておけないのである。
 自分が居なくなったら、ルイズはどう思うだろうか。
 人間の使い魔が居なくなって清清したと言うのだろうか。それとも、寂しくて泣いてしまうのだろうか。あるいは、どうでも良いと思うのだろうか。
 考えれば考えるほど、板挟みの感情に悩まされる。
 帰りたいと思う気持ちと帰れないと思う気持ちの二つが絶妙なバランスで才人の心に存在しているために、答えが出てこない。どれだけ思い悩んでも、天秤は水平を保ち続けていた。
 なら、あの人は、ホル・ホースって人はどうなのだろうか。
 やはり故郷に帰りたいと思っているのだろうか。それとも、こっちに残る決心をしているのだろうか。
 本人に聞いて見なければ分からない答えに、悶々と頭を悩ませる。あの時に交わした短い会話では、どう思っているかなんて分かるはずも無い。
 そこで唐突に、才人は疑問を抱いた。
「そうだ。そういえば、俺達はなんで言葉が通じるんだよ?あの人、どう見ても日本人じゃないのに……、普通に話せるなんておかしいじゃないか!」
 今更な疑問だが、思い返してみると確かに不思議だった。何故、今まで疑問に思わなかったのか。そっちの方が不思議なくらいだ。
 才人は日本語を喋っている。だが、ハルケギニアの人間はハルケギニアの言語で当たり前のように会話をしている。二つの間に何の問題も無く意思疎通が出来ていることは、どう考えても不自然だ。
 ハルケギニアの言葉が日本語と同じ、という可能性も無いとは言えないが、日本とはかかわりの薄そうなホル・ホースという人物が日本語をペラペラと喋るとは思えなかった。
「なんか問題でもあるのか?」
 そんなデルフリンガーの問いに、才人は立ち上がった。
「おかしいだろ!俺、“異世界”から来たんだぜ!?なのに、なんでお前たちの言葉がわかるんだよ!お前達も、なんで俺の言葉が分かるんだっての!?」
 才人から投げかけられた疑問の答えを探すべくデルフリンガーはしばし黙ると、鍔をカチャカチャと鳴らして心当たりを一つだけ示した。
「相棒は、どこを通ってハルケギニアに来たね?」
「どこって……、変な光ってるやつだよ。ゲートっていうのか?あれ」
「だとしたら、そのゲートに答えが隠されてるんだろうさ」
 デルフリンガーの曖昧な答えに不服なのか、才人はむっと口をへの字に曲げると腰に手を当てて声を荒げた。
「じゃあ、あのゲートはなんなんだよ!」
「そんなことをしがない剣でしかない俺に聞かれても、わかんねえよ」
 あっという間に放り出された問いの答えに気が抜けて、才人はそのまま空を見上げた。 
 ゲート。それを通ってハルケギニアに来た自分。なら、ホル・ホースもゲートを取ってこちらに来たのだろうか。
 なら、あの人も誰かの使い魔なのか?
 ラ・ロシェールの“女神の杵”亭で会った時は、確か布で体を隠した小さな女の子と、大きな羽根帽子を被ったひょろっとした男を連れていた。見た感じ、誰か上で誰が下という扱いでもなかったから、あの中には彼の“ご主人様”は居なかったのかも知れない。いや、国王を暗殺しかけた、なんて話からすると、主はもう処罰されて亡くなっていることも考えられる。
「行き場を失って、ああやって旅して回ってるのかな……」
 召喚されたときは自分と同じように理不尽な目に遭いつつも、頑張って生きていたのではないか。なんて、才人は見当違いも甚だしいことを考え、一人表情を暗くした。
「ああ、でも、そうか……」
 ホル・ホースの境遇に同情する一方で、自分には少し嬉しい事実を見つけた才人は、顔を上げて手を強く握った。
「俺だけじゃないんだ。こっちには、俺以外にも仲間がいるかもしれない。一人見つけたんだから、探せば、きっと他にも見つかるはずだ。それで、みんなで力を合わせれば、きっと元の世界に帰る方法も……」

 あるはずだ、と言いかけたところで、才人は肌寒さを感じて体を震わせた。
 夏が到来したとはいえ、夜は少々冷える。肌についた水滴は気化して体温を奪うし、そよ風も知らない間に全身を冷やしていくのだ。
 せっかくの風呂だというのに、風邪を引いては意味が無い。
 もう少し温まろうと思い、腰を屈めたその時、少し離れたところで何かが割れる音がした。
「わ、わわわ、ば、バレちゃう、バレちゃう!夢中になってて、傾いてたことに気付かないなんて……」
 外壁に沿って植えられた木の陰で、誰かが何かを拾っている姿が月夜に浮かぶ。その影の形と声から、才人はそれが誰なのかをすぐに理解した。
 学院で働く黒髪のメイド、シエスタだ。
「し、シエスタ?なんでそんなところに……、うわあぁぁ!って、あっちいいぃぃ!!」
 股間の部分が丸見えだったことに気付いた才人は、両手でそれを隠して湯の中に潜ろうとするが、その勢いで足の一部が底に敷いた木の板で覆われていない金属部分に触れてしまう。
 股間のブツを隠そうと湯の中に隠れては火傷をして、火傷をしては湯から出る。そんなことを何度も続けている様子に、シエスタは顔を赤くしながらも心配そうに駆け寄った。
「だ、大丈夫ですかサイトさん!」
「うわあ!こ、こっちに来ちゃだめだシエスタ!て、熱い!」
 風呂釜の中で踊るように飛び跳ねる才人を落ち着かせようと、シエスタは五右衛門風呂の縁に手をかけて身を乗り出す。だが、予想以上に熱かった金属部分に驚き、体勢を崩した。
「熱っ!き、きゃああぁぁぁっ!?」
 風呂釜からお湯が溢れ、飛び散った水がデルフリンガーに降り注ぐ。
 ただでさえ錆びてるのに、これ以上酷くなったらどうしてくれるんだ!という剣の抗議も届くことは無く、才人とシエスタは同じ風呂の中に絡まったような状態で沈んだ。 
 肺の中の空気を吐き出し、なんとか水面に顔を出そうとする才人。だが、腹の上にうつ伏せの状態のシエスタが乗っているために、上手く動けない。シエスタはシエスタで突然水の中に入ったせいで混乱していて、起き上がるという選択肢が頭に思い浮かばないようだった。
「ががぼ、がぼ、がぼぼぼっ!?」
 漏れ出る空気を押さえようとしても、シエスタの体で押さえられているために肺は小さくなるばかり。口から漏れる空気は留まらず、才人の体からは確実に酸素が失われている。 
 そんな時、ぐにゅ、と何かが自分の股間に押し付けられたことに才人は気が付いた。

「ご、ごばばあばばぁっっ!!」
 感触の位置を辿って向けられた視線の先には、黒髪の少女の頭がある。湯の温度のせいでシエスタの体温までは分からないが、間違いなくこれは触ってしまっているだろう。
 顔面直撃だ。セクハラというレベルではない。
 才人も年頃の若い男。可愛い女の子と接点を持てば色々と盛り上がってしまうこともある。
 だが、このままでは別の意味で盛り上がってしまう。
 とにかく抜け出さなければと、才人は全力で両腕を動かし、水を掻いて湯の中から脱出した。
「ぷはっ!し、シエスタ!そこはいろんな意味でマズいって!!」
 足りなくなった酸素を一息で補給し、股間の辺りに埋もれたシエスタを湯の中から引き摺りだす。メイド服がびしょびしょに濡れ、肌にぴったりと張り付いている。ピンク髪のご主人様には無い大きな膨らみがはっきりと浮かぶ姿は才人の脳髄に高圧電流を流していたが、ここで暴走するわけにも行かないため、その辺りは見ないようにして目を回しているシエスタの頬を叩いた。
「なにか、柔らかいものが頬に……、いや、硬いものだったような……」
「き、きき、気のせいだよ、シエスタ。ほら、目を覚まして!」
 ペチペチと頬を叩いている内に焦点の合わなかった目が少しずつ戻り、才人の姿を映し出す。
「あ、あれ、才人さん?なんで、わたし」
 自分の見に何が起きたのか分かっていないのか、迷子の子供のように周囲を見回したシエスタは、目の前の肌色を見つけてカッと頬を赤くした。
「あ、そ、その、ごめんなさい!覗き見るつもりは無かったんです!あ、でも、ちょっと得したなーとか、いいもの見ちゃったなー、とか思っちゃったのも確かなんですけど……」
 ハルケギニアに来て右も左も分からない才人を甲斐甲斐しく世話してくれた少女は、言わなくても言い事を口にして顔を下に向けた。
 なんともコメントし辛い台詞に、才人はどう反応すれば良いものかと悩みつつ、目の前の少女をじっと眺める。いや、正確には目が離せなくなっていた。
 普段つけているカチューシャは今は取り外され、湯で濡れた黒い髪は月明かりを受けて艶やかに輝いている。肌に張り付く服は、同年代の中でも発育の良いシエスタのボディラインを強調していて、妙に色っぽい。だが、それ以上に、羞恥に赤くした頬を隠そうと、顔を逸らす仕草が才人の男心を刺激していた。
 どきどきと高鳴る胸を押さえて、才人は自分に冷静になれと訴えかける。だが、お湯の熱が容赦なく体温を上げて脳を沸騰させ、なぜか寄り添ってくるシエスタの柔らかい肌の感触が興奮を高めていた。
 なんとかしてこの場を切り抜けなければ、なにかが危ない!
 このまま襲い掛かっても責める人間は極少数だろうが、逃げ道は確実に塞がれる。引き返せない場所に突撃するには、才人の覚悟はまだ十分ではなかった。
「そ、そそ、そうだ、シエスタ。シエスタは、な、なんであんなところに居たんだ?」
 適当な話で場を誤魔化す作戦に出た才人に、シエスタは下に向けて何かをじーっと見ていた顔を上げて、激しく狼狽した。
「あ、え?いや、別に何も見ては……、じゃなくて、そ、そうです!と、とても珍しい品を手に入れたものですから、是非ともご馳走しようと思って!今日、厨房でお出ししようと思ったんですけど、おいでになられないから……」
 姿の見えない才人を探して、直接渡そうと考えたらしい。
 視線をそっと先ほどまで隠れていた木陰に移したシエスタは、そこに転がるティーセットを見て、はぁ、と溜め息を吐いた。
「その……、粗相をしてしまいまして、中身を全部溢しちゃったんです。ああ、また叱られてしまいます……、くすん」
「珍しい品って、なんだったんだ?」
 ティーセットということは、珍しい品、というのは飲み物なのだろう。溢してしまったのは残念だが、せめて名前だけでも聞いてみようと思った才人に、シエスタは顎先に指を当てて名前を思い出そうとした。
「えっと、確か、“お茶”っていうそうです。淹れると、薄い黄緑色に色づいて綺麗なんですよ。少しだけ飲ませてもらったんですが、ちょっと青臭い気がしましたけど、不思議な香りがして美味しかったです」
 お茶のどこが珍しいのかと疑問を抱く才人だったが、シエスタの説明から思い浮かぶお茶の姿に、それが自分の良く知る緑茶の類であることに気が付いて、思わず目元を拭った。
 さっきも故郷のことを考えていたのに、ほんの少し故郷を思い出す材料が目の前をちらつくと、どうしようもなく恋しくなってしまう。
「だ、大丈夫ですか!?」
 突然目を潤ませた才人を見てシエスタが慌てるが、才人は大丈夫だというように笑って首を振った。
「い、いや、ちょっと懐かしくなっていただけだから。平気だよ、うん」
 風呂の中に女の子と一緒に入っている状況で、故郷を思い出して涙が出てくるなんて、奇妙な話だ。情けないやら、恥ずかしいやらと、居心地が悪くなってしまう。
「それより、シエスタ。その、言い難いんだけど、俺の格好がアレだからさ。出来れば風呂から出てくれない、かな?」
 適度に緊張も解れただろうと、才人は話を戻して事態の解決に乗り出した。
 シエスタも自分の状況がやっと分かったのか、両腕で胸元を隠して身を捩る。才人の目から体を隠そうという意図なのだろうが、水に濡れた服は体の動きに更に肌に密着し、より一層にエロティックな状態になっていた。
 鼻の奥の方に血が溜まってくる感覚を覚えた才人は、そんなシエスタの姿を見ないようにと目を手で隠して顔を逸らす。だが、ここからのシエスタの行動は、才人がまったく予測し得ない方向に向かっていた。
「これ、お風呂……、なんですよね?貴族様が使っているような。でしたら、服を着て入っているのは変じゃないですか?変、ですよね」
 何か一人で納得し始めたシエスタは、才人が止める間もなく着ているエプロンドレスに手をかけて、ボタンを外し始める。
 ぽんと、白い布が一枚湯船の外に放り投げられた。
「え、ちょっと、なにしてんのシエスタ!」
「服を脱ぐんです。ほら、服もびちょびちょになっちゃったし、このまま帰ったら部屋長に叱られてしまいますから。火で乾かせばすぐに乾くと思うし」
 そう言って、シエスタはブラウスのボタンやスカートのホックを外し、衣服を脱ぎ捨てていく。しかし、濡れた服は脱ぎ辛いのか、時折止まって困ったような声を漏らし、才人の耳を刺激していた。
 目を覆う手の隙間から、そっとその向こうを覗き見てしまう才人の気持ちは、青少年として正しいのかもしれない。湯船の中で脱衣する少女の姿は月の光と白い湯気で幻想的に浮かび上がり、湯の熱を受けて桜色に染まった肌は異性を積極的に誘惑している。
 耐えろ。耐えるんだ、才人!ここで暴走したら、俺はもう二度と故郷の土は踏めないぞ!
 やっと元の世界に帰る筋道が見えてきたというのに、このままでは行き着く先が暗い牢屋の中か、明るい家庭になってしまう。シエスタの性格からすれば、どちらかというと後者のほうが可能性は高い。
 しかし、それでも高鳴る鼓動は期待の強さを示している。肌と肌とが触れ合う光景を想像してしまい、どっくんどっくんと元気に流れる血液が股間に生える陸生哺乳類で最大の動物に似ている物体に熱膨張を起こさせていた。

 だって男の子だもん、下半身が元気でも仕方が無いさ。むしろ健康的で実によろしい。
 苦しい言い訳を自分に告げて、才人は下着にまで手をかけたシエスタの姿を指の間から凝視していた。
 だが、世の中そんなに甘くは無いようだ。
 視界の端に映るピンク色の何かが、どす黒い空気を纏っていたのである。
 恐る恐る目から手を離し、シエスタから距離を取る才人。突然様子がおかしくなったことに気付いたのか、シエスタは才人の視線の先を追って振り返った。
「……ヒッ!み、ミス・ヴァリエール!?い、いつからそこに……」
 吹き上がる闘気が髪を揺らし、般若の如く顔を憤怒で歪めたルイズが、その爛々と輝く瞳をシエスタに向ける。
 温かい湯に浸かっているというのに、シエスタはルイズに視線を向けられた瞬間、全身に氷水をかけられたような寒気を感じて身を震わせた。
「いつから、ですって?……ついさっきよ。だから、なにか事情があるのなら、わたしは聞いていないことになるわ。そうね……、このまま折檻したんじゃ、無実の者を痛めつけることになるかもしれないから、言い訳の機会をあげようかしら」
 ぱし、ぱし、と一定の間隔で右手に握った杖を左手の平に打ちつける。
 こめかみのあたりが痙攣しているところを見ると、ブチ切れる一歩手前といったところだろうか。ここで選択を間違えれば、即座に自慢の爆発魔法が飛ぶことだろう。
 言い包めるチャンスは、今しかない。
 説得するのに必要な材料は無いが、時間を遅らせればその分怒りは強くなるだろうと判断したシエスタが、ルイズの気を落ち着けさせるために口を開いた。
「ミス・ヴァリエール、これはわた……」
「はい、終了!言い訳する時間は上げたわ、五秒だけね……。十分でしょう?泥棒猫とエロ犬にくれてやる時間としては」
 五秒。何の宣言も無く決められた制限時間は、余りにも無慈悲だった。
 ルイズの口元には薄く笑みが浮かんでいるものの、目は一切笑っていない。その迫力に抗議の声を上げることも出来ず、シエスタは才人の傍に寄って、ただ閻魔の裁定が下されるのを待つしかなかった。
「ご主人様がこんなにも世の中のことで思い悩んでいるって言うのに……、その使い魔は鼻の下を伸ばしてメイドとお風呂?へ、へえぇ、い、いいい、良いご身分じゃないの!い、犬の分際で!」

 杖が振り上げられ、ルイズの全魔力が込められた雷光が夜の闇を照らす。口ずさむ詠唱は協力無比な炎の魔法。ファイアーボールだ。当然、その効果はルイズに限っては炎の玉を生み出すことではなく、爆発仕様となっている。
「ま、まま、待てルイズ!誤解……、じゃないけど、誤解なんだ!」
「才人さん、わたし怖い!」
「シエスタ!?いや、今くっついたら逆効果だよ!」
 怯えるように抱きついてきたシエスタを引き離そうとする理性。だが、本能に突き動かされた両腕は、彼女の肩を、腰を、しっかりと抱き締めていた。
「遠慮はいらないみたいね……!死んじゃえ、このエロ犬ううぅぅぅっ!!」
「う、うわああぁああぁああ!!?」
 振り下ろされた杖の先から膨大な魔力が迸り、風呂釜ごとシエスタと才人を吹き飛ばす。湯船に溜められたお湯は四方に散り、釜の下にあった焚き火も爆風に乗って空を舞った。シエスタの服と思しき布切れは焼け焦げてボロ布に成り果て、才人の衣服と共に木の上に引っかかる。
 余波を受けて弾き飛ばされたデルフリンガーは、理不尽過ぎる、と相棒とそのご主人様に心の中で愚痴を溢していた。
「今後、わたしの部屋への出入りは禁止するわ!二度と戻ってくるな!あんたなんて、そのへんで野宿でもしてればいいのよ!!」
 怒りに赤く染まった顔で頬を膨らませたルイズは、地面にぐしゃりと落ちた才人に向かってそう告げると、肩を怒らせてその場を去っていく。
 全身の痛みに耐えながらご主人様の後姿を見送った才人は、今回は自分が悪かったかもしれないと反省する。シエスタに押された形とはいえ、それを看過したのは自分なのだ。
 湯にのぼせたでもしたのか、珍しく自分の非を認めるというまともな思考回路を形成した才人は、ルイズのことは後でなんとかフォローしようと考え、近くに落ちた焚き火用の木片で股間を隠した後、もう一人落ちてくるべき人間が落ちてこないことに首を傾げた。
「シエスタ?シエスター!どこだ、シエスタ!」
 一応、下着まで脱ぎきっては居ないはずだが、それでも肌を晒していることには変わりない。
 下手に人目につく場所に落ちては大変だと、デルフリンガーを拾ってガンダールヴの力を解放した才人は、木の上に引っかかった自分とシエスタの服を回収しようと枝に飛び移る。その時、何かが派手に壊れる音が耳に届いた。
「きゃあああああぁぁぁぁぁっ!!」

「な、空から女の子ですと!?いや、その、ご、誤解だああぁぁぁ!!」
 シエスタのものと思われる悲鳴と少し年齢を感じさせる男の声が、魔法学院の周囲を囲うように立つ五つの塔の一つ、火の塔の方向から聞こえて来る。ついでに、何かを叩いたような乾いた音もしていた。
 恐れていたことが現実になったらしい。
 なんとか衣服を回収した才人は、とりあえずパンツとズボンを履いた後、声の聞こえてきた方向に向かって全速力で走る。誰かに見つからないように、と祈りながら。
 ただ、残念なことにその祈りは天には届かなかったようで、シエスタと合流するまでの間に数人の女生徒に発見され、翌日話題の的になってしまうのだが……、それはあくまでも余談である。

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