ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

2 望まぬ結婚 前編

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匿名ユーザー

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2 望まぬ結婚

 女性なら一度はその純白の衣装を身に纏うことを夢見るものだろう。
 愛した者の隣に並び、誓いの言葉を甘く響かせて幸せな将来を夢見る。その瞬間こそが女として生まれてきた者にとっての絶頂期であると、子供の頃から何処かの誰かに言い聞かされたのではないだろうか。
 トリステイン王宮にある自らの居室で、侍女や召使たちに囲まれて式に纏うドレスの仮縫いを行っているアンリエッタは、他人事のように進む作業を眺めながら夢も希望も無い現実に思いを馳せていた。
 奪われたはずの手紙は公表されず、ゲルマニア皇帝との政略結婚の準備は順調に進められている。
 それ自体は、悪いことではない。
 トリステインの未来を考えれば、レコン・キスタ側の意図がどうであれ、ゲルマニアとの軍事同盟が成されるのは喜ぶべきことだ。神聖アルビオン共和国と名を改めたアルビオン王国との不可侵条約が締結されたとはいえ、戦争の火種は未だ燻っている。である以上、より強力な戦力を有することが出来るのであれば、それに越したことは無い。
 しかし、望まぬ結婚を強いられた立場であるアンリエッタにとっては、あまり良い結果とは言えなかった。
 未だ心に残る恋心は、手紙が敵の手に渡ったことをどこかで喜んでいた。結婚が破談になれば、少なくとも、想い焦がれた相手に操を立てることが出来る。王族としての宿命を理解してはいても、純潔を想い人に捧げたいという気持ちは、市井の娘と変わることは無いのだ。
 だが、王の血族として生まれた者として、それは考えてはいけないことだとは分かっている。
 それでも、焦がれる想いは押さえ切れなかった。
 従兄弟であり恋人でもある男の名前を心の中で呟いて、はあ、とアンリエッタが溜め息を溢すと、ドレスの腰の位置が合っているかどうかを尋ねていた縫い子が、何か粗相をしたのかと顔を青くさせる。
 慌ててなんでもないと告げてドレスの調整を終えさせたアンリエッタは、視線を窓の外に向けて再び物思いに耽った。
 恋心は罪深い。親友に血を流させてなお、静まる様子を見せないのだから。
 深い自己嫌悪に陥りながらも、捨てきることの出来ない想いをどう扱っていいのか、アンリエッタはここ数日、ずっと悩み続けていたのだった。

「愛しい娘や。元気が無いようですね」
 仮縫いを終えたウェディングドレスを携えた縫い子達を下がらせて、部屋の片隅で様子を見ていたマリアンヌ妃がアンリエッタに声をかけた。
「いいえ、そんなことはありませんわ。母さま」
 首を振り、精一杯の笑顔を作って対面する。
 王女としての、作り物の笑顔だった。
 母親にまで素顔を隠すような行為であることは自覚していたが、それ以外の表情はどうしても酷くなりそうで見せられなかったのだ。
 そんなアンリエッタの髪を、マリアンヌはそっと撫で付けた。
「誤魔化しても母にはわかります。あなたは感情を隠すのが下手なのですから、無理をしなくても良いのですよ」
「……はい」
 やはり、生み育ててくれた母には適わないらしい。
 石膏で固めたかのような、感情の篭らない笑顔を消したアンリエッタは、柳眉を曲げて母の胸に頬を寄せた。
 悲しげな表情を浮かべる娘の頭を、マリアンヌは幼子にするように優しく撫で付ける。
 王女の唇から、暖かい吐息が漏れた。
「想い人が、いるのですね?」
 率直な言葉に、アンリエッタは暫くの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「生きているかどうかも知れぬ相手です。ですが、どうしても忘れられないのです。私の気持ちのために血を流した友さえいるというのに。想いを諦めようとする度に、心が悲鳴を上げるのです」
 ただの恋心なら熱病だと思って忘れるように、と伝えるつもりだったマリアンヌは、心情を吐露するアンリエッタに表情を少しだけ硬くした。
「あなたは王女なのです。忘れなければならないものは、忘れなければなりませんよ」
 こう言っても、忘れることなど出来はしないだろう。
 母子とはいえ、同じ女。同じような想いに囚われたことは、マリアンヌにもあった。
 一人の女として愛した男が、過去にはいた。
 自分のそれは、良き夫と時間が癒してくれたが、アンリエッタにそれを求めることは難しいのかもしれない。

 政略結婚の相手であるゲルマニア皇帝は、血縁にも容赦の無い男だ。政治のために娶った妻を心身共に愛するとは、とても思えない。
 愛情を感じることも出来ずに長い時間を過ごせば、アンリエッタの想いは、かつて愛情に溢れた時代に囚われる事だろう。このままでは、そうなる可能性が高い。
 マリアンヌは、十分な教育を受ける間も得られず、心から信頼できる臣下にも恵まれず、生まれた国が弱国ゆえに戦乱に飲まれようとしている娘の不幸を、心の底で嘆いた。
「わかっています。わたくしはトリステインの可憐な花。常に咲き誇っていなければ、民を不安にさせてしまいますものね」
 街で囁かれる自身の愛称を思って、アンリエッタは精一杯の笑顔を作る。
 酷くぎこちないそれでも、元々の美しさのお陰で見れないことは無い。だが、それは民を魅了した花ではなく、香りも命の息吹も無い、造花の美しさだった。


 零式艦上戦闘機。タルブでは“竜の羽衣”と呼ばれるそれは、数十年前、ジェシカの曽祖父に当たる人物がどこからから運んできたものだ。
 東から来たというジェシカの曽祖父は、竜の羽衣は空を飛ぶ道具だと語った。
 ハルケギニアで空を飛ぶものといえば、メイジと、幻獣と、風石を積んだ船を指す。少なくとも、金属の塊ともいえる竜の羽衣が空を飛ぶ姿は想像の範疇には無い。そのため、当時の村の住人は、その事実を肯定できず、実際に目の前で飛んでみろとジェシカの曽祖父に証明を求めた。
 だが、ジェシカの曽祖父はいくつかの言い訳の後、もう飛べない、と言って首を横に振ったらしい。
 証明が出来ないのであれば、法螺話と言われても仕方が無い。
 ジェシカの曽祖父は気の触れた人間だと噂され、一時は迫害を受けたこともあったという。
 だが、素性や竜の羽衣のことを除けば、働き者の気のいい人物だったこともあり、程無くして村の人々にも受け入れられ、妻を娶り、子を残して骨をこの地に埋めた。
「で、当時から執心してた竜の羽衣はここに安置して、稼いだ金で貴族に頼んで“固定化”をかけて貰い、今まで保存されてるわけよ」
 昔はいざ知らず、今では村の御神体として老人が拝みに来る。そんな偶像の役割までもったゼロ戦の姿を見上げて、ジェシカはホル・ホースたちを見やった。

「ガスだ!ガス欠だ!間違いねえ!燃料入れれば飛べるぞコイツ!給油口を探せえぇっ!」
「なによ突然。というか、きゅーゆこうってなに?燃料って、薪のこと?」
「薪っていうと、暖炉か?でも、レンガで造ってあるようには見えねえよなあ」
 ジェシカの話を聞くなりゼロ戦を調べ始めたホル・ホースを、呆気に取られた様子でエルザたちが眺める。
 なにをそんなに興奮しているのかと、一人暴走するホル・ホースにジェシカが声をかけた。
「あんた、これがなにか知ってるの?」
 トリスタニアで長く飲食店、というか、ある種如何わしい店を開いて多くの人間の話を聞いてきたジェシカも、竜の羽衣が他に見ないほどに珍しいものであることは理解している。タルブの住民くらいしか見たことない竜の羽衣。その正体を、どこから来たのかも分からない人間が知っているかもしれないという事実は、どうにも見過ごせない。
 ゼロ戦の周囲を駆け回っても目的のものが見つからなかったのか、寺院の端に立てかけられていた梯子を使ってゼロ戦の上に乗ったホル・ホースが、そんなジェシカの問いかけにヒヒと笑って答えた。
「名前までは知らねえが、どういうものかぐらいは分かるぜ。俺の国の農場じゃ、こいつの親戚みたいなのが農薬を積んでブンブン飛んでいるからな」
 手を飛行機に見立て、まるで子供のようにエンジン音を口ずさみながら手を宙に舞わせる。
 どう考えてもそんな飛び方はしないだろうというような錐揉み回転や、角度の鋭い宙返りなどを披露しつつ、ホル・ホースはゼロ戦の上を歩き回り、やがて足元に窪みのようなものを見つけてしゃがみこむ。
 唐突だが、目的の物を見つけたらしい。
「こいつは、本当に飛ぶのかい?」
 エルザと地下水がホル・ホースを追って梯子を上っている様子を眺めながら、何かを弄っているらしいホル・ホースに問いかけると、ホル・ホースは首を軽く横に振った。
「万全なら飛ぶ筈だが、確証はねえな。とは言っても、売るわけでもなく高い金を払って保存したって事は、なにか理由があるはずだ。オレが考えて分かる範囲じゃ、好事家相手に売ろうとしても買い手が付かなかったか、なんかのジンクスか、あるいは……」
 コイツの価値が、まだ失われていないか。
 その言葉が終わると同時に、ホル・ホースの手元で何かが動いた。
「お、開いた」

 何が、とは聞かずに、ジェシカもエルザや地下水に倣って梯子からゼロ戦の上を目指す。
 緑色に塗装された金属質な表面は、埃によって灰色に染まっている。固定化の魔法でも、埃が積もることまでは防げないのだ。魔法というものは便利なようで、肝心の痒いところには手が届かないらしい。
 指先に付着するそれを払い、ジェシカは先に到着したエルザと地下水の間に並んで膝を曲げた。
「暗くて奥までは見えねえが、多分、空っぽだ。燃料切れだな。故障してたらお手上げだったが、コレならなんとかならなくもねえかな?」
 羽の上にある小さな穴を覗き込んだホル・ホースが呟くと、エルザや地下水にも穴の中を覗き込ませ、ジェシカにも中を見てみろと手招きする。
 羽に開いた穴の中は空洞になっていて、何かが入っていたと思われる痕跡がある。入り口の大きさに比べて中が広いということは、中身となるのは液体だろう。ただ、実際に何が入っていたかまでは分からず、ジェシカは問いかけるような視線をホル・ホースに向けた。
「ここがさっき言った給油口だ。入れるのは燃料……って言ってもわからねえか。要するに油だな。スゲェ燃え易い油を入れて、そいつを燃やして竜の羽衣ってヤツは動くのさ」
 そう言って、ホル・ホースは給油口の縁を指で擦り、指に付いた光るものをジェシカに見せた。
 乾燥してしまっているために滓にしか見えないそれは、油といわれても、実感できるものではなかった。臭いらしい臭いも、まったくしていない。
「何十年も経ってるから全部気化しちまったのか、変質しちまったのか。とりあえず、原型は留めてねえみてえだ」
 指に付着したものの臭いを自分でも嗅ぎ取り、それがもはや油としての性質を失っていることを確認すると、ホル・ホースはガックリと肩を落とす。
 期待していたものと違う結果が出たといった感じだ。
 中身が残っていたらどうだったのだろうか、とジェシカが疑問に思ったところで、地下水が声を上げた。
「いや、まだ中身はちょっと残ってるぜ。固定化の影響で油が気化してねえから分かり辛いかも知れねえけど、魔法を解除すれば油の臭いも戻るんじゃねえかな」
 給油口の中に本体であるナイフを突っ込み、“明かり”の魔法で中を照らした地下水が中の様子を確認してホル・ホースに報告する。

 “明かり”の魔法を解除し、地下水は代わりにレビテーションを唱えると、給油口の中から手の平に収まる程度の量の液体が球状になって浮かび上がってきた。これが、ホル・ホースのいう燃え易い液体、燃料なのだろう。
「コレだけか……、まあ、無いよりはマシか」
 宙に浮かぶ球体を人差し指の先で突付き、ホル・ホースは指に付着した分を親指で擦って質を確かめる。
 油特有の肌に張り付くような感触が、指全体に広がった。
「後は、コイツを増やす方法があれば最高なんだが……」
 問題は、ハルケギニアでは石油を一切扱っていないことだろう。石油が湧き出す場所は探せばあるのかもしれないが、ガソリンに精製する技術があるとは思えない。醸造した効能殿アルコールで代用が効く、なんて話をホル・ホースはどこかで聞いたような気がしたが、せっかく見つけた飛行機をそれでダメにしては元も子もない。
 ホル・ホースとしては、この飛行機を自分のものにして砂漠を渡る足にしたいのだ。
 砂漠の熱波も水の問題も、圧倒的な移動速度と照り返しの無い高高度を移動していれば関係ない。かつて一度渡ったときの苦痛は、もう二度と体験したくない。そんな本音が心の中に渦巻いていた。
 なんとしてでも燃料を補給し、使える状態にまで持っていきたい。
 そんなホル・ホースの思いに、エルザが答えた。
「錬金じゃだめなの?前、フーケのお姉ちゃんが小さいゴミを水に変えてたのを見たことがあるんだけど……」
 ウェストウッド村で風呂を借りたとき、フーケが風呂の汚れを錬金の魔法で水に変化させていた姿をエルザは見ている。なら逆に、水を別の物質に変えられないこともないだろう。まさか、油だけが例外ということも無いはずだ。
 ホル・ホースもエルザも、当然平民であるジェシカも、魔法に関しては詳しくはない。自然と魔法を使える地下水に視線が集まり、真偽を問いかけるような状態になった。
 地下水は集まる視線に期待の色を見てうっと息を漏らすと、誤魔化すように頬を指で掻いて曖昧に頷いた。
「ま、出来ないってことはねえだろうけど……、確証は持てねえなぁ。そもそも、錬金は土のメイジの専売特許だ。俺も使えないわけじゃあないが、どこまで可能なのかってのを語る自信はねえってのが正直なところだ」

 地下水に出来る錬金といえば、せいぜいちっぽけな土人形を作るか、壁に穴を掘る程度である。専門分野が違えば、持つべき感覚がまるっきり変化して応用が利かないのだ。
 魔法というもの自体が個人の技量に頼る面が強いために、自分が得意としない他の分野の知識が薄いのは、ある意味仕方の無いことと言えた。
 それでも、そんな事情など知ったことではない非メイジのホル・ホースたちは、地下水の無知に冷たい視線を投げかけ、使えねえ、と目で訴える。
 優秀な魔法の使い手はハルケギニアでは尊敬の対象になる。しかし、必要な場で役に立たなければ役立たず扱いというのは、なんとも世知辛い話だった。
 扱いの悪さに落ち込んだ地下水を余所に、土のメイジなら何とかなるかもという情報を手に入れたホル・ホースは、見事に該当する人物を脳裏に浮かべて面倒臭そうに腰を上げる。
「土のメイジといえば、フーケだよな。なら、シャルロットの嬢ちゃんが通ってる学院か」
「ちょっと遠くない?馬車でのんびり移動してたら、到着なんて明日になるわよ」
 今は昼食を間近にした時間帯。個人で馬を使うならともかく、寄り合い馬車は途中にある村にも立ち寄るため、思いのほか進むのが遅い。それに、トリステイン魔法学院は特殊な場所であるため、立ち寄る馬車そのものが少ないのだ。今から馬車を拾っていたのでは、エルザの言うように翌日の朝日を拝むことになるだろう。
 それもちょっと面倒臭いなあと言った顔になったホル・ホースは、ふとジェシカに視線を向けて記憶の片隅の残っている言葉を思い出した。
「確か、朝一番の馬車に乗ってここに来た、って言ってたよな?」
 “緑の苔”亭で作ってもらったグリフォンの串焼きを食べながらだったから、はっきりとは覚えていないが、そんなことを言っていたことを思い出しつつホル・ホースが尋ねると、ジェシカは表情を微妙に照れくさそうに変えて頷いた。
「聞いてるとは思わなかったけど……、そうだよ。確かに、あたしは朝一番に出発するの馬車に乗った。ま、朝一って言っても、昨日の朝一だけどね。村の様子を見てれば分かるだろうけど、この時期は人の移動が激しいから、早く走る馬車も少なくないのさ。でも、多分、ここじゃ捕まらないと思うよ」
 なんで、とエルザが訊くと、ジェシカは肩を竦めてみせる。
「出発点がトリスタニアだったからだよ。この時期、行商人なんかは一分一秒の戦いになるからね。特急便が偶に出るのさ。あたしはそれに乗ったってわけ。逆に、麦の刈り入れが終わるまで行商人はここを離れないから、そういう早いヤツはタルブからは出ないんだ」
「えー?」
「いや、えー、ってあたしに言われても……」
 不満そうに声を上げるエルザに、ジェシカは困ったように眉を寄せる。
「金があるなら、無茶を聞いてもらうって事も出来るだろうけど。あんたたち、どう見ても貧乏人だよね?」
「間違いねえな。最下層だぜ」
 ぐっと拳を握って堂々と自分が貧乏人だと言い放つホル・ホース。財布の中の4ドニエは伊達ではないようだ。
 しかし、4ドニエでは普通の馬車にも乗ることは出来ない。それをホル・ホースもエルザも分かっているのか、取り出されたホル・ホースの財布をじっと見つめて深く溜め息を吐いた。
 しかしながら、今は、今だけは予備の財布がある。
 ホル・ホースたちの視線が地下水に、いや、財布の入った懐に向けられた。
「カステルモールの財布なら、1000エキューは堅いな」
 本人の了承を得ていない財布が計算に入れられた。
「馬車を借りるなんてケチ臭い事いわず、いっそのこと馬を買いましょうよ。豪華な荷馬車つきで!」
「あ、それなら、ママの店の改装費とかも出してくれない?それと、出来ればあたしの馬車の運賃も出してくれたら嬉しいわ。言い値で乗ったからお金がかかっちゃって……、あたしの財布の中も結構寂しいのよね」
 勝手に人の財布の中身の使い道を相談するホル・ホースとエルザに便乗して、ジェシカもついでとばかりに意見を挟む。地下水は特に欲しいものは無いのか、ぼーっと天井を見上げて相談が終わるのを待っていた。
 やがて話の展開が、ホル・ホースたちのボロ小屋の建て替えや宴会の相談、ジェシカの巧みな誘導による“魅惑の妖精”亭での散財へと発展していったところで、耐え切れなくなった人物が悲鳴を上げた。
「おーい、旦那。なんか、カステルモールが良い年してシャレにならない泣き方してるぞ」
 地下水の意識下で話を聞いていたらしい。
「だからどうした!お前の金は俺の金、オレの金もオレの金だ!」
 剛田主義ことジャイアニズムを掲げるホル・ホース。
 短い期間ではあるが、ボロ小屋での貧乏生活がそれなりに堪えているらしい。サバイバル生活での野宿とは感じるストレスが違うようだ。

 普段なら人を追い詰めるまではしないのだが、今回の暴走は止まりそうに無かった。
 しかし、流石に不味いと思ったのか、流れに乗ってしまったことを反省した幼女が、金の亡者と化したホル・ホースの背後に忍び寄る。

 がぶ ちうぅぅぅぅ……

「……ぐふ」
 首筋に噛み付いたエルザが血を吸ってホル・ホースの体力を奪い取る。エルザが吸血鬼であることを知らないジェシカが不審に思わないように、犯行は一瞬で行われた。
 口元から垂れる一筋の血を親指の腹で拭い取り、倒れるホル・ホースをエルザが素知らぬ顔で支える。勿論、表情には少しだけ心配そうな様子を浮かべることを忘れはしなかった。
「な、なに?突然倒れちゃったけど、どうしたのよ」
「ああ、大丈夫よ。こう見えて貧血持ちだから、時々こうやって倒れるの。……うーん、でもちょっと薄味よねぇ。吸い過ぎかしら?」
 言葉の後半は小さく聞こえない程度に声量を絞り、口の中の血液をワインを味わうかのように舌の上で転がす。
 吸血鬼特有の味覚はそれを美味しいと思わせてくれるが、以前はもっと濃厚な味だった気がした。本来、地の提供は月に一回の約束だが、三日に一回か二日に一回のペースで吸っている
せいで血の生産が追いついていないのだろう。
 最近、ホル・ホースは大量出血をしている。その後に風邪も引いているし、完治しているとはいえないのかもしれない。
 暫く、吸血は自重しよう。
 そうエルザは心に決めて、地下水に向き直った。
「で、お金が提供できないなら、なにか代わりになるものがあるんでしょうね?」
 あくまでもジャイアニズムは崩さない方向らしい。
 不遜に構えたエルザの前で、地下水がカステルモールに体の制御を明け渡す。
 暗い世界に閉じ込められていたカステルモールの意識が浮上し、やがて、何処か虚ろだった目に意志の光が灯った。
「わ、私の全財産……、路頭に迷うなど騎士として余りに不甲斐なく……、シャルロット様にもあわせる顔が……、ん、あれ?戻った、のか」

 やっと自分の体を取り戻したことに気付いたカステルモールは、生気の宿った目からボロボロと零れ落ちる涙を拭い、一つ咳をして何事も無かったように取り戻した自分の肉体の感覚を確かめようと、手足を揺らして調子を見る。その際に、まだナイフを握っている右手を見て眉を顰めた。
 完全に自由というわけではないらしい。手枷を嵌められているような気分だった。
「ほら、さっさと言ってよ。でないと、この財布が自動的にわたしの物になるわよ」
 ふらふらと、重い布袋を手にぶら下げてエルザがニヤリと笑う。カステルモールの懐からいつの間にか盗み取っていたようだ。
「か、返せ!私の財布だぞ!!」
「でも、今はわたしのよ。ちゃんとこっちが納得する交換条件を提示できたら、返してあげるわ。その間は安全地帯にポイッとね」
 袋の中に期待通りの額が入っていることを確かめたエルザは、それをジェシカの胸の谷間に押し込み、カステルモールに奪われないようにする。
 女性の胸に手を突っ込む、なんてことがカステルモールに出来るはずも無く、ぐっと歯を食い縛って恨めし気にエルザを睨み付けた。
「な、なんたる破廉恥な妨害手段を……!」
 絶句するカステルモールの前に、布袋の口がジェシカの白くて大きな果実に挟まれて顔を出している。指で摘んで引っ張り出せば、柔らかい脂肪の塊は大きく形を変えて金貨の入った袋を生み出すだろう。そして、袋を生み終えたところで弾けるように揺れるのだ。
 ぷるん、と。
 その情景が想像できたのか、カステルモールの頬が薄く赤らんだ。
「オホホホホ、お堅い騎士様じゃ絶対に手が出せない、女だけの秘密のポケットですわ。女だけの……、女だけ?おんな……」
 ぺたぺたと自分の胸を触って、そこに女性の象徴たる脂肪の膨らみが無いことに気が付いた時、エルザは自分で自分の首を絞めていたことを心で理解した。
 見下ろした先にあるのは、地平線の果てまで広がる不毛の荒野。何かを隠すような亀裂や盛り上がりなど存在せず、ただ平坦な大地が広がっている。
 環境に強いジャガイモなんかは良く育つのではないだろうか。
 勝手に傷ついたエルザがその場に跪き、貧血で死にかけているホル・ホースの頬を恨めし気に引っ張って八つ当たりする。白目を剥いた男の顔が変形する姿は、微妙に気持ち悪かった。

「金の変わりに風竜で学院まで送ろうかと思っていたのだが……、中止か?」
「そんなもん、もうどうでもいいわ。好きにしなさいよ」
 カステルモールの言葉に手をひらひらと振ってやる気の無さを伝えたエルザは、そのまま鼻を啜って不貞寝の体勢に入った。ここに酒があったら飲んだ暮れていそうな雰囲気だ。
 元々油をどうこうと言い出していたホル・ホースが脱落しているため、話など進むはずが無い。結局振り回されただけか、と呆れ気味に肩を落としたカステルモールは、財布を返してもらおうとジェシカに手を伸ばす。
 だが、その手を見たジェシカは、申し訳なさそうに苦笑いして両手を祈るように合わせた。
「ごめん。良く考えたら、あたしも学院に用があるのを忘れてたわ。あと、トリスタニアにも寄りたいんだけど……、送ってくれない?」
 思わぬ伏兵の登場に、カステルモールの顎がガクリと落ちる。
 カタカタと、地下水が刀身を揺らして笑っていた。

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