ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十一節~微熱は平静を遠ざける~(前編)

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匿名ユーザー

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 丈のある影がひとつ、深い青色をした朝もやの中を歩いている。両腕に洗濯道具一式を携えた、病み上がりのリキエルである。これからルイズの言いつけを謹直に守り、溜まった洗濯物を洗いに行こうというところだった。
 リキエルが決闘に敗れ、五日ぶりに目を覚ましたのはつい昨日のことである。いかに魔法での治療とはいえ、普通であればもうしばらくの安静が必要な怪我を負ったというのに、水汲み場を目指すリキエルの足取りはしゃくしゃくとしたものだった。ルイズの言うように奇跡でも起きたのか、それとも本人の回復力が異常だったのか、見た目には、とても死の淵から這い上がったばかりの男とは見られない。
 とはいえそんなリキエルも、昨日一日は終始体のだるさを抱えて過ごしている。それも五日分の寝疲れがあとを引いたらしい強烈なだるさで、起き抜けはそれほどでもなかったものが、午後を過ぎたころには指を動かすのにさえ気力を奪われる有様になっていた。そのために、洗濯も今日に回すことで免除してもらっている。
 またそのだるさが手伝ってか、食欲もまるで湧かなかった。シエスタの運んできた食事も、リキエルは水以外何も口にしていない。せっかく運んできてくれたものをと、心が痛まないではなかったが、入らないものはどうしようもなかった。作ってくれた人間にも悪いと思いつつ、結局手をつけられなかったのである。
 ルイズが洗濯を免除したのは、あるいはそんなリキエルの様子を目にしていたということもあるのかもしれなかった。少なくとも、リキエルにはそんな気がしている。
 辛辣な罵倒や食事抜きといったルイズの無体な行いは、率直に言えばしゃくに障るが、それらはルイズの、いわば質料のようなものだろうとリキエルは考えている。形相は誇り高く、そして心優しい面もある娘だと思っているのだった。そこに多分の贔屓目の入っていることをリキエルは自覚しているが、その目を抜きにしても、初めほどルイズに悪い印象はなかった。
 ただ何はともあれ、食事抜きの宣告は生きているので、リキエルは今日も水だけで過ごすことになりそうだった。つまり今日の仕事は全てただ働きになり、どうやら初日よりも悪い状況に立たされる羽目になっているのだが、
 ――水さえあれば、しばらく人間は生きていけるらしいからな、健康とか無視すりゃあよぉ。ならなんでもないはずだよな、一日ものを食わないぐらいはなァ~。
 当のリキエルは、そんなふうに思っている。
 楽観的すぎるんじゃあないか? というのはリキエルの常識的な部分が訴えていることだったが、感覚的な部分のほうが今は勝っているようだった。熱に浮かされたような感じは、日をまたいでも消えていなかった。
 リキエルは、ときどき足もとを確かめるように立ち止まった。朝露に濡れた青草で、足がとられやすくなっているのだ。単に歩くだけならばいいが、こんもりと衣類を盛ったタライを抱えていたのではいささか勝手が違ってくるようで、あるいは靴底のゴムが災いしてか、無意識に残した足は踏ん張りがきかず蹴り上げるようになり、意図せず差し出した足も急に勢い余った。
 足もとが見えず、腰の据え方が掴めないとこんなに歩きにくいものかと、リキエルは人体の不可思議を考えさせられる気分だった。それか、あまり合理的でないとされる直立二足歩行の、その欠点の一つを垣間見た気分である。
 ルイズの部屋を出てから、リキエルは二度ほど転びかけている。自分が転ぶだけならば別段かまわないのだが、リキエルは洗濯物をぶちまけるのは避けたかった。汚れが増えて、余計に時間がかかり面倒というのもあるが、それよりも、できるだけ完璧に仕事をこなしたい気持ちがある。
 その気持ちの中には無論、ルイズの心証をよくしようとする打算も含まれていたが、大部分は、ルイズのために働こうとする感情で埋まっていた。使い魔でも召使でも、感謝を行動で示せるのなら、いくらでも務めるという思いである。

 ――それに……。
 たいした仕事でもないのだ。掃除も洗濯も、朝ルイズを起こすことも日常生活の範ちゅうにあるもので、あるいはその延長線に沿ったものでしかない。
 着替えをさせたり顔を洗ってやったりにしても、ただの雑用より少し手間がかかる程度だろう。シエスタなどのように、この学院全体で働かなくてはならないわけでもないのだから、これらの仕事はむしろ楽と言っていい。そんな楽な仕事くらい、間違いの無いように片付けたかった。
 リキエルは何かに心を集中させれば、そのせいで何もできなくなる。だから大きなことは何もできないと自分で思っていた。
 だが今は、小さな作業を一つずつ少しずつ、コツコツとしゅくしゅくと成していけば、何かしらの結果が出せるのではないかとも思い始めていて、それが成長にも繋がっていく気がしていた。そんな平易なものではないのだろうが、遠い目で見れば何かができるようになることは、成長と言っても間違いではないはずだ。
 いつかまぶたが、自分の意志で上がるようになるかもしれない。パニックを起こすこともなくなるかもしれない。今は車の運転さえできない自分でも、いずれはなんの支障も無くそれができるようになれるかもしれない。そうなれればいいとリキエルは思うし、そうなろうと努力するつもりでもいる。ルイズに課せられた雑用が、その一歩というわけであった。
 頼りない足運びで水汲み場に着いたリキエルは、早速に水を汲み始めた。程無くしてタライの半ばまで水が張り、洗濯物がだいたいまでつかる。
 さて洗うかと、衣類の下敷きになっていた洗濯板を引っ張り出したところで、リキエルは動きを止めた。水の冷たさを意識したのである。夏もまだ遠い春先であることと、朝明前の今の空気の冷えを考えれば――もやが出て朝露が残っているほどだ――、水に手を入れることへの戸惑いも覚えようというものだった。
 腰を下ろしてしばしの逡巡の後、リキエルは思い切ってタライに手を突っ込んだ。
「……ッ、……ッ」
 案の定、指先を通り越して肘のあたりまで痺れるほどの、思わず罵声を浴びせかけたくなるような冷温である。わずかに残っていた眠気も一息に飛んだ。
 指先はかじかんでしまって意図した動きをせず、衣類を引っ掛けることもできない。洗濯板を支えるのがやっとだった。リキエルは仕方なしに、指が冷水に慣れるまで待つことにする。
 ほんの何度か体温を奪われるだけで、こんなに簡単に、人の筋肉は動きを鈍らせる。筋肉に限らず、体温を奪われた部位は血管が収縮し良い血がめぐらなくなり、また悪い血がたまるなどして機能が低下し、そこから病気になることさえある。
 ――細かいことは知らないが……たったの一度だ。体温が一度低下するだけで、基礎代謝は一割、免疫力は四割ほどもその働きが低下するのだ。そしてそれだけじゃあないぜ。成人の平熱を仮に三十六度とすると、一度下がれば三十五度だ。それは、がん細胞が最も活動しやすい温度ッ! ……暇なときに読んだ本の受け売りだがなぁ~。ん、そろそろよくなってきたぜ。
 再び、人体の不可思議についてつらつら思いを馳せている間に、指の感覚が戻ってきたようである。初日にシエスタから教わったことを念頭に置きながら、リキエルは洗濯を再開した。
衣類の大部分はやはりこの学院の制服で、白のブラウスとプリーツスカートの上下、そこに紺の膝上丈のソックスを含めた一組である。ブラウスはみな同じものだったが、スカートはねずみ色と
紺色のものが半々といったところだ。
 その組が、ざっと見積もっただけで七組ほどもあったが、時間は十分にあるので、ソックスもスカートも一枚一枚しっかりと洗う。布越しに伝わってくる洗濯板の感触が、汚れを落としていることを実感させるようで気味がいい。ブラウスは袖と襟を小さなブラシで擦らなければならず、地味につらい作業だったが、流れがつかめればあとは楽だった。

 残りは日数分の下着と数枚の寝巻きで、こちらは生地が華奢なせいで強くは扱えない。とにかく破らないようにとだけ気を張った。
 やがて、それらすべてを洗い終えたリキエルは、立ち上がって腰を伸ばした。
 ――うおぉすげーぜ。鳴ってるぞ、腰がバキボキと音をたててるぞ、慣れないことしたからだ。何せドラム式洗濯機に放り込むだけだからな、普段の洗濯といえばよぉ。この前は量が少なかったし、シエスタにも手伝ってもらったしよぉ~~。
 ぐちぐちと思ったが、不快な気分はなかった。それどころか一仕事終えた達成感と、わずかばかりの充足感も胸にあふれてきていて、リキエルは爽快な気分でもって空を仰いだ。明けに染められた長い棚雲が、日の方向から連連と続いている。リキエルの立つ場所からは壁にさえぎられてわからないが、きっと向こうの森の上まで、その尾を垂らしていることだろう。
 あたりの薄闇はとっくに晴れていて、もやもいつの間にか消えている。斜めに差し込んで青草を照らす暁光の赤みが消えれば、もう朝である。そのうち春の虫や鳥が、せわしなくそのあたりを行き来するようになる。
 リキエルに不満があるとすればそこだった。目標としては、この時間には洗濯物を干し終わっていたかったのである。ルイズを起こすまでにはまだだいぶ余裕があったが、目標の達成とはそれとこれだ。もっと手際よくならなくてはなと、リキエルは思った。
 タライの水を捨て、できる限りで洗濯物の水をはじき、それをまたタライに盛って抱え、リキエルは水汲み場を後にした。
 すると、すぐに見知った顔に行き会った。建物の壁に手のひらをあてて、思案気に眉根を寄せる顔が妙に艶っぽいそのひとは、ミス・ロングビルだった。
 ロングビルのほうもリキエルに気づき、そして一瞬驚いた顔になったのは、こんな時間にひとがいるとは思っていなかったからだろう。ロングビルは眼鏡を掛けなおす仕草のあと、冷静に戻った顔で声をかけて来た。
「おはようございます。お早いんですね、メイドたちでも、本格的な仕事が始まるまでにはまだ時間がありますよ」
「使い魔っぽい仕事ができないってんでよォ~、洗濯とかやらされてんスけど、それで早めに起きたんスよ。慣れてないんで、時間がかかるだろうってなァ~。……そうだ、ミス・ロングビル。オレを手当てしてくれたとか、ありがとうございます」
 そう言ってリキエルは頭を下げた。本当は昨日のうちにでもそうしたかったのだが、やはり立ち歩くことができず、かなわなかった。なるだけ早くと思っていたので、今ここで会えたのは運がいい。探す手間も省けたというものだ。
 リキエルは、ロングビルにはルイズの次か、あるいは同じくらいに感謝している。ロングビルの応急処置がなければ、確実に身体のどこかが動かなくなっていたというのは、ルイズの説教のなかで聞いた話しである。
 自分の怪我がいかほどのものか、実をいえばリキエルにはよくわかっていなかった。この傷は軽い、この傷はまずいといった漠然とした感覚なら持っていたのだが、実質それがどんな傷になっていたかはわからなかったのである。ルイズやシエスタの話を聞き、あらためてその辺りがつまびらかになると、ロングビルへの感謝の念も大きくなった。
 謝辞のあと、二言三言時候の挨拶のようなことばを交わして、リキエルはロングビルに、先ほどから気になっていることを聞いた。
「そういや、ミス・ロングビルは何してたんです? こんな時間に」
 ロングビルは、ほんのわずか目を細めた。
「……早くに目が覚めたものですから、散歩でもと」
 そう答えて、ロングビルはまた城壁に手を置いた。そうしてしばし口をつぐんだと思うと、出し抜けに言った。

「ご存知ですか? この学院内にある建物の壁や扉には、いたるところに『固定化』がかけられているんです。とても強力な、スクウェアクラスのね」
「固定化?」
「ええ、物の劣化を防いだり、錬金の魔法を防いだりする呪文です。宝物庫などは、盗賊に破られたりしないよう、特に強い固定化がかけられていますわ」
「……」
「固定化をかけたメイジよりも強力なメイジの唱えた錬金ならば、あるいは破ることも可能でしょうが、少なくともわたくし程度の呪文では無効でしょう」
「……」
「もっとも、固定化の他にもさまざまな魔法がかけてあるそうですから、破れるとすれば、それは虚無のメイジくらいかしらね」
 面白くもなさそうな顔で冗談を言うと、ロングビルは目を閉じて、風になびいた数本の前髪をかきあげ、鬢のほうへ持っていった。
 と、ぎゃりがりごりりと何かを削るような音がロングビルの耳にとまった。目を開けてそちらに目を向ければ、リキエルが座り込んで、そのあたりで拾ったらしいこぶし大の石を掴み、それを城壁に突き立てている。石と石壁の削れたカスがゆらゆらと舞い落ち、日の光を反射して、雪のように白く光った。
「なにをしてらっしゃるんです?」
「……ちょっとした、ほんとにちょっとした好奇心なんだがよォ――、そいつがムンムンわいてきちまったんスよ」
「好奇心、ですか?」
 ちらりとロングビルを一瞥して、リキエルはうなずいた。
「固定化なんていうからよォー、どんな感じなんだと思ったんだ。ダイヤモンドとか鋼玉みたいに、ひっかいても傷一つつかないのかって思ったんです。それでためしに、こうやって削ってみたわけなんスけど。あんまり変わらないんだな、ただの石とよォ。普通に削れていく」
「…………」
「ん? どうかしましたか」
 ロングビルが急に何も言わなくなったので、リキエルは石を捨てて立ち上がった。壁を傷つけたことで怒らせたかと思った。
 しかし、それはどうも違うようだった。黙りこくってしまったロングビルは、先ほどよりも険しい顔ではあったが、そのにらみつけるような視線は壁に向いていた。怒っているように見えなくもないが、どちらかといえば、深く考える風情である。
 そんなロングビルを、こういった顔もするんだなと思いながら、リキエルはぼんやりと眺めた。
リキエルの視線に気づいたのかどうかは知れないが、ロングビルははっとしたように目を丸くし、次いでその目をまた細め、リキエルを見返すとようやく言った。
「あ、すみませんお話中に。考え事をしてしまって」
「いや、それならオレのほうだ。先に話の腰を折ったのはこっちです」
「そうですか? それにしても……」
「え? なんですって?」
 後のほうが聞き取れず、リキエルは聞き返した。
「いえ、こちらの話です。お気になさらず」
 ロングビルはそれだけきっぱり言うと、挨拶も尻切れトンボにそそくさと歩いていってしまった。
こんなことが前にもあったなと思えば、一緒に昼食をとったときである。
 ――また厨房に行ってみるか。今日に限らず、空腹が抑えきれなくなったときによォ~~。それにしたって、たかりに行くようで気が引けるがな。

 リキエルはそう思った。食事抜きの命令には基本従うつもりであるが、さっきまで頭にあった楽観的な思考は、水に手を入れたときに飛んだ眠気とともにどこかへ行ってしまったようだった。それか、考えていたことの馬鹿さ加減に、いまさらながらに気づいたようでもある。食事を抜いても問題ないとは、心の余裕というにはどうも行き過ぎた感が否めない。
 ただ、それだけでもないのである。厨房に行ってみようかという考えには、ロングビルと食事をともにできるかもしれないという期待も含まれていた。
 なにしろロングビルは美人である。派手な顔立ちではないが目もとが綺麗で、薄く小さめの唇は形よい。顎から頬にかけてが、見ようによっては艶っぽくもあどけなくも見えて、それが一種怪しげな美しさに繋がっていた。一緒に食事をとってみたい程度には、リキエルの下心も頭をもたげる。
 ――運がよけりゃあってことだがな。
 いいわけめいたことをリキエルは考えた。厨房で食事することはあくまで仮の話で、事実それほど期待しているわけでもなかったが、しかしそんなふうに考えてみると、自分がそのことに執着を抱いていたようで、複雑な思いがする。
 なにか鼻白んでしまい、これ以上考えても興がさめていく一方な気がして、リキエルはさっさと仕事を終わらせようと思い直した。
 朝の仕事は洗濯だけではない。いま抱えている洗濯物を干したら、もう一度、ルイズの顔を洗うための水を汲みに来なくてはならない。それからルイズを起こし、顔を洗い、着替えをさせるのだ。
そうやって思考をそらせながら、リキエルは女子寮に戻ってきた。
 そして静かに寮に入り、階段までたどり着いたときである。ふと視線を感じて顔をあげると、虎ほどもある大トカゲにじっと見つめられていた。
「……」
 腹は白く背と四肢は赤い。ゆらゆらと揺れる尻尾の先には火が燈り、まだ薄暗い寮の廊下に、不気味な陰影を作り出している。縦に割れた瞳孔は、やはりこの薄暗い中では気味が悪い。この前の授業のときに見かけた、キュルケの使い魔と思しき火トカゲである。
 トカゲはひとしきりリキエルを注視すると、満足したのか、きゅるきゅると妙に愛らしい鳴き声を残して、のそりと体を返した。キュルケの使い魔というのが当たっているなら、主人の部屋へと帰ったのだろう。
 ――でかいと一瞬思ったが、そうでもないかもしれないな。世界一でかいトカゲはどれくらいだったかな。たしか五メートル近いんだったか……平均はもっと小さいんだっけ?
 どうでもいいことを考えながら、リキエルはトカゲを見送った。見送ってから、自分もルイズの部屋へ戻る途中だったのを思い出して、トカゲを追う形で階段を上がった。そう遅れたとも思えなかったが、トカゲは外見に似合わず俊敏だったようで、影も形もなくなっていた。
 足音を極力殺してルイズの部屋まで来ると、リキエルはこれも音がたたないよう、ドアノブを回してから扉を押し開いた。

◆ ◆ ◆

 その朝から、また数日がたっている。その数日は特に問題もなく、リキエルはやれと言われた仕事は実直にこなしたので、初日以降、丸一日食事抜きといった憂き目にはあっていない。少しずつ、ここでの生活にも慣れてきていた。
 洗濯以外の朝の仕事は、リキエルの考えていた以上に楽な仕事だった。
ルイズは低血圧のようで、朝起き上がってしばらくはぐにゃぐにゃとして生気が感じられないが、洗顔のためにリキエルが水を手にすくって差し出せば、緩慢ながらにちゃんと顔を突き出すので、一応目は覚めているらしかった。

 唯一の懸案だった着替えも、ショーツはルイズが自分でつけるので、さしたることもない。ただリキエルの驚いたことに、どうやらこの世界にはブラというものがないらしく、つまりは上半身裸体の若い娘にシャツやらを着せ、ボタンまで留めなくてはならないのだった。
 しかし終わってみれば、こちらもあっさりと済んだものである。ルイズの起伏に乏しい体は、肌の細やかさを勘定に入れても、白く可憐だと思えこそすれ、欲情できるような代物ではない。どのみち、ファウンデーションなどは必要としない体形だったというのが、リキエルの感想である。
 自分は召使ではなく本当に使い魔なのだなと、リキエルが感慨じみたことを思わされたのは、こちらに来て一週間にしてようやくありついた、最初の朝食のときだった。
 まず、床に座らされたことだ。
 ルイズの後ろについて入った食堂は相変わらず人が多く、リキエルはやはりどうしても辟易してしまうが、それはもう割り切るしかないことだと、憮然として椅子をひいた。そこにルイズを座らせ、自分も隣の席に腰掛けようとする。
 と、ルイズが咎めるように睨んでくる。なにかと思っていると、ルイズは視線を動かさずに床を差した。
「あんたは使い魔だから、床」
 さきの授業でも同じ扱いを受けたが、さすがに食事まで床というのはどうなのだとリキエルは思った。だがすぐに、まだ学校に通っていた頃、どんな人間が歩いたかもわからない、見た目にも綺麗とはいえない階段などに腰を下ろして、手掴みでサンドウィッチを食べることがあったのを思い出した。不承不承、リキエルは床に座り込んだ。
 そこにはルイズが用意させたのか、すでに食事が用意されていた。無論、貴族たちに出されるような豪勢なものではなく、一汁にパンともう一品といった具合の粗食である。見方を変えれば朝食としては十分な量だが、床で食べるということもあって、ことさらに粗末な感じがした。なるほど使い魔の食事だなと思った。
 他にもこの数日で、いろいろと勝手のわからないものに悪戦苦闘したり、小さな失敗を繰り返したりがあって、それでもなんだかんだこの世界に順応している自分に、リキエルはふとした拍子に気づくのである。
 それは部屋の掃除中、ベッドの下から、ルイズが魔法を失敗したらしい穴だらけの制服を見つけたときや、偶然に顔を会わせたシエスタと、歯を磨く時に上と下のどちらから手を出すかで話し込んでいるときだったりする。大抵が平和を感じるときで、そんな平和がいつまでも続けばいいとリキエルは思う。
 だがそういった願いがかなえられることは、往々にしてないものである。


「『我らの剣』が来たぞ!」
 厨房に入ったとたん響いたどら声に驚いて、リキエルは小心者のように身をこわばらせた。できればここの厄介にはなりたくなかったので、真実肩身の狭い思いもあった。まして今は、星の瞬く宵の過ぎだ。
 それでいて、なぜリキエルが厨房に来ているのかといえば、今朝方ルイズに食事抜きを宣告されたからである。その理由は単純といえば単純で、ルイズにあてられたらしい手紙を、偶然見てしまったからだった。
 日課になりつつある朝の洗濯から帰ってきたリキエルは、すでに起きて、ベッドに座って窓のほうを向いているルイズと、机の上の羊皮紙に目を留めた。羊皮紙は一見してそう新しいものではなく、幾度も読み返したあとも見て取れた。
 リキエルに気づき、その目が羊皮紙に注がれているのがわかると、ルイズは慌ててベッドから飛び降り、羊皮紙をしまった。リキエルが内容を気にする間もなかった。
 それからルイズは、青い顔でリキエルを見た。寝不足なのか、目は赤くなっていた。

「主人の手紙を勝手に読むような使い魔は、ご飯ヌキ!」
 朝食と昼食を我慢し、その後もルイズの部屋の掃除やそこらを歩き回ったりで気を紛らわせるリキエルだったが、日が落ちるころになって、急にひどい空腹に見舞われた。初めはそれにも耐えようと、ごまかしごまかし頑張ってみたのだが、逆にそれが悪かったのか、気づけば足がふらついて
いた。こりゃあまずいぜと、リキエルはその段になってようやく、厨房に食事しに行くことを決心したのである。
「おう! 『我らの剣』! お前が来るのをいまかいまかと待ってたんだ。どうした、腹が減ったか? そうなんだな? ええ、おい? いくらでも食わせてやるぞ、貴族連中に出してるのと同じものをな!」
 また聞くからに豪快な音声とともに、調理場の奥からコック長のマルトーが、その声に見合った太い体を揺すりながら顔を見せた。マルトーは貴族嫌い魔法嫌いで有名な男だが、それさえなければ普段は気のいいおやじである。その嫌い云々にしても、どうやら選り好みする向きがあった。
 リキエルは、マルトーと一度だけ顔を合わせている。この前の食事のときである。時間が昼食時だったから、当然マルトーも右へ左の忙しさの中にあって、ほんとうに顔を見合わせるだけであった。それでコック長とわかったのは、あとでシエスタにそう言われたからだ。つまり二人の間に、ちゃんとした面識はないのである。
 それというのに、マルトーの態度はどうも馴れ馴れしかった。
 マルトーは困惑しきりのリキエルをぐいぐいと引っ張って、この前と同じ席に座らせた。そして調理場に引っ返すと、またしばらくして戻ってきた。手にはシチューの皿とパンの乗った、銀のトレイがあった。シチューは野菜と鶏をふんだんに使ったもので、見た目はクリームシチューよりキャセロールに近い。
 それをリキエルの前に置くと、マルトーはリキエルの対面にどかりと座った。
「こんなおやじの給仕で悪いが、なに、そこを差っぴいても味は保障する。さあ食え!」
「いやしかし――」
「遠慮なんかいらんぞ、リキエル。お前は我らの剣なんだからな!」
「その……我らの剣ってのはいったいなんです? いや、それよりも名前だ。なんで知ってるんですか? お互い、自己紹介はなかったと思うんだが」
「うん? おうおう、まあそれは食いながらでも聞いてくれ」
 それもそうかなとリキエルは思い、シチューに手をつけた。我慢の限界だったというのもあった。
遠慮する気持ちは、とっくに空腹に白旗を揚げている。
 ――うまい……。
 のだろう。リキエルにはよくわからなかった。頭では理解できているのだが、体がついていかないのだ。舌が肥えすぎるとうまいものしか食えないというが、逆に貧弱だと、格別うまいものがわからないようである。とてもうまいのだという感覚だけがあった。
損した気分になりながら、リキエルは手を進め続けた。
 黙々と食べるリキエルを見て、マルトーは満足そうに笑った。
「『我らの剣』というのはだ、お前につけられたあだ名のこった。なにせお前は、この学院にいる平民の間じゃ有名人だ。貴族と渡り合った平民だってな!」
 リキエルは手を止めて言った。
「だがオレは負けたぜ。それに渡り合ったといってもあいつは、ギーシュはメイジの中じゃ力は弱いとも聞いた。ドットだってな。一番低いクラスらしいじゃあねーか」
「それにしたって、普通はやりあおうとも思わないだろうが。しかもお前、ゴーレムを切り裂いたんだろ? ボロボロの体でよ!」
「……」
「剣の腕前もそうだが、その根性は大したもんだ!」



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