ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十節 ~人間は一場には変わらない~(後編)

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◆ ◆ ◆

 広場から、ロングビルらの姿が消えるのを見届けたオスマン氏は、杖の先をちょんと振った。すると『遠見の鏡』は広場の情景を消し、ただの鏡に戻った。そこに映ったコルベールの顔は、強い興奮で朱に染まっている。
 蟻の行列を眺める子供のように固まったまま、微動だにしないコルベールに、椅子に座ったオスマン氏は呆れつつ声をかけた。
「ミスタ・コルベール、いつまで未練たらしく眺めておる」
「……」
「失われたものは帰らぬ運命にあるのじゃ」
「……オールド・オスマン。見ましたか? あの平民の動きを。負けはしましたが、『ドットクラス』とはいえメイジを圧倒していた! それもあの負傷で! あんな平民見たことない! やはり彼は伝説の使い魔『ガンダールヴ』! さっそく王室に報告して、指示を仰がないことには――」
「君も大概に、こういう時は人の話を聞かんな。むろん見ておったよ、君の見たものは私も当然見ておった。じゃから――今日これを言うのは何度目になるかの――少し落ち着きたまえ」
 ふんと鼻を鳴らしながら、オスマン氏は冷ややかにコルベールの勢いを流した。
 気勢を削がれたコルベールは不服気に頷いたが、やはりまだ言いたいことはあるとばかり、オスマン氏に詰め寄って行った。オスマン氏はそれを、今度は杖で机をぴしゃりと打ち据えることで止めた。
 目をすがめて、オスマン氏は言った。
「落ち着きなさいと言ったのじゃ」
「どうしてですか? これは世紀の大発見ですよ!」
「じゃから少し落ち着こうというんじゃ」
「…………」
「ちゅうより、私が落ち着きたいんじゃ」
 無言で、コルベールは少しだけ腰を折った。オスマン氏はそれを受けると、ひらひらと手を振りながら、何も頭を下げんでもと言って軽く笑い、鼻毛を抜き始めた。
 腰を伸ばしたコルベールは、きれいな四角に折りたたまれたハンカチを取り出し、頭に浮いた汗を拭いた。そして、顔色をうかがうようにオスマン氏を見た。それなりに長い付き合いをしているコルベールは、オスマン氏の疲れに気がついている。
 普段から碌に仕事もせず、女性職員にセクハラをしかけて殴られたり、ノゾキの方法の思案に明け暮れたり、ふらりと街に繰り出しては酒場の女給の尻を撫でたりと、上級貴族の子弟を預かる魔法学院の教師として、それも学院長の職につく者としては、はなはだ遺憾な振る舞いばかりが目立つオスマン氏だが、それといってただ腐ってばかりの人物というわけでもない。
 時折、深く考え込む素振りを見せることがある。そういうときのオスマン氏は、傍目には無理やり隠居させられた老人か、もしくは痴呆の老人に見えた。頭の中の大事な部分が抜け落ちたかと思えるほど、覇気に乏しい無気力な顔をしている、それで鼻毛など抜いているというのが、周囲にそう思わせる理由だった。
 だが、コルベールにはなんとなくわかっている。オスマン氏が鼻毛を抜くのは、本当に暇なときか、何か心の琴線に触れたものについて考え込んでいるときの癖なのだ。今はきっと後者だなと、オスマン氏の横顔を眺めながらコルベールは思っていた。
 何せ事が事だった。
『ガンダールヴ』は始祖ブリミルが用いた使い魔の一人で、強大な呪文に伴う長い詠唱の間、身を守る存在であったらしい。その力は千人の軍隊を相手取り、これを破る苛烈さを秘めていたという。小手先のメイジでは、対峙するもままならない有様をさらしたという話も残っていた。その全てが不確かで、絵空事のような話だった。その上、姿かたちは伝わっていないのだから、文字通りの『伝説』である。
 ――それが、現代に甦ったのだ。
 オールド・オスマンの疲れも当然のことだとコルベールは思った。考えなければならないことは、いくらでもあるだろう。そしてそれは、自分も同じなのだとも思った。
 ただ単に、ルーンが一致しただけではなかった。剣を手にした途端、目覚しい動きを見せた平民の姿はまだ目に焼きついたまま消えていかない。それがコルベールの興奮を呼び起こしていた。すぐに血の上る頭をどうにかするのに、コルベールはだいぶ苦心している。それでも少しずつ頭が冷えてくると、落ち着いたものの見方ができるようになってきた。
 腕を組んで、コルベールは昨日のことを思い返した。
 初めにあの平民を見たときは、確かに正真正銘の平民だったのである。それが『ガンダールヴ』になったということは、召喚したミス・ヴァリエールが、ただの平民を『ガンダールヴ』にしたということだった。
 ――それがひっかかる。
 控え目に見ても、ミス・ヴァリエールは優秀なメイジとは言えなかった。座学こそ優秀な成績を収めていたが、肝心の魔法は失敗ばかりで成功したためしがない。はっきりと言ってしまえば無能の部類に入る。
 その無能なメイジが、平民を伝説の使い魔にした。これがいったいどういうことなのか、コルベールにはわからなかった。そして、そのよくわかりもしないものを、これといった調査もせず王室に報告するのは、どう考えても早計だということにも思い至った。
「むうううゥゥ」
 コルベールはうなった。いち早く情報整理に努め、大事であるかもしれない事件を冷静にとらえるオスマン氏に、重く感嘆したものである。
 腕を解いて、コルベールは言った。
「学院長の深謀には恐れ入ります」
「うむ。こういったことは、案外難しいところがあるでな」
「王室に報告というのは、いささか即断に過ぎました」
「……なんの話じゃ?」
「は?」
 不思議なものを見る目でコルベールをじろじろ眺め回しながら、オスマン氏は言った。
「私は最近たるんどる貴族どもから、ガッポリ学費を調達するンまぁ――い方法を考えとっただけなんじゃがな」
「…………」
「で、なんの話じゃ?」
 心のうちでコルベールはうなった。適当なことを言って、大事であるかもしれない事件を放ってどうでもいいことを考えるオスマン氏に、軽く失望したものである。
 ――いや、もともとこんな方だった。
 何も言わずに、コルベールは部屋を出て行った。


 ――相変わらず単純な男じゃな。
 荒々しく閉じられた扉に目を細めながら、オスマン氏は思った。
 普段はそれなりに冷静なコルベールだが、一度頭に血が上ると、ひとつの物事しか見えなくなるところがある。先ほども自分では気づいていないようだったが、伝説の使い魔にしか思考が行っていなかったのは明白だった。そういった意味でコルベールは、オスマン氏に言わせればまだまだである。
 長い付き合いをして来たのはコルベールだけではない。当然オスマン氏も、コルベールの性質というものを把握している。むしろ普段から飄々とした態度をとっているオスマン氏のほうが、冷静にコルベールの性格を見ていた。
 だから、少し煽っただけでコルベールが部屋を出て行くであろうことも、ちゃんとわかっていた。わかっていて追い出したのである。この件については、自分一人で預かるつもりだった。今はもう少し、手近なことも考えねばならない時だとオスマン氏は考えている。
「王室のことも確かにそうなんじゃがな。あのボンクラどもに伝説の使い魔のことなぞ吹き込めば、その主人ともどもオモチャにされて、戦のダシにされるのがオチじゃろうて。あの暇人どもめ、戦だけは喜び勇んで起こすからの」
 長いあご髭をなぜながら、オスマン氏は長い独り言を言った。それからしばし沈黙したかと思うと、不意に立ち上がって、窓辺に寄った。遠くの山々に大きな雲がかかっているのが見え、下に目を移せば小鳥が二羽、つがいなのか、絡み合いながら飛び交っていた。
 ――彼女は……。
 ミス・ヴァリエールは大丈夫じゃろうかと、オスマン氏にはそれが気がかりだった。どちらかといえば、伝説の使い魔がどうこうよりも、そちらの方に考えが行っているきらいもあった。
 幾重にも年輪を重ねたオスマン氏にとって、この学院の生徒たちの抱える悩みなどは、そのほとんどが取るに足らないものである。恋に勉強に家柄に、何かと懊悩することもあるだろうが、それはそういう年頃であるからで、一見深刻そうな悩みも、ふたを開けてみれば何のことはない思い込みだったりする。オスマン氏はそれを十分に理解していた。
 そのオスマン氏をして、ヴェストリの広場でのルイズの叫びは、抱えている悩みはそう軽くなさそうだと思わせるものがあった。学院長としての配慮より先に、老婆心を呼び起こされた。
「……ジジイが老婆とはこれいかに、じゃな」
 その呟きがため息混じりになったのは、我ながら面白くないと思ったのと、直接に手助けができるわけでもなしに、心配なぞしてもしょうがないと思ったからだった。
 伝説の使い魔、死にかけの使い魔、その主人、今日一日だけで増えた懸案に辟易しながら、それを表に出すことなく、オスマン氏は鼻毛を引っ張っている。
 オスマン氏の服の袖から寝ぼけたモートソグニルが落っこちて、きゅぐゃッと鳴いた。

◆ ◆ ◆

 窓は分厚いカーテンに覆われていて、部屋の中は薄暗かった。こもった湿気と陰鬱な空気が、ことさらに暗さを助長している。
 外は晴れなのか曇りなのか、はたまた雨なのかもわからず、朝なのか夜なのかさえ、いまいち判別がつけられなかったが、もともと日当たりの悪い部屋なので、特に気にはならなかった。部屋はもともと、廊下の突き当たりにある小さな納戸に少々の手を加えたもので、リキエルはそこに寝起きしている。その慣れもあった。
 それがいつの頃だったか、リキエルは覚えていない。ただ漠然と、小学校に上がる以前であろうことがわかるだけである。無理に思い出そうとすると、何やら嫌な気分が噴出してくるあたり、単純に記憶が薄れただけというわけでもないらしかった。
 その時のリキエルは、呆然とベッドの上に座り込んで、一枚の写真を眺めていた。今にして思えば、そのベッドは何の変哲もないベッドだったが、その時分はだいぶ広く思えた。やはり、かなり小さい頃の記憶であることは間違いないようである。
 写真は、闇の中に立つ一人の男を写している。
 男だという確信はあったが、何かそう思えない部分もあった。暗がりの中で人物の顔がよく見えなかったのと、記憶が曖昧なせいもあるが、その人物は写真の中だというのに、男とも女ともつかない、凄艶な『色気』のようなものをかもし出していたのである。十にもならないリキエルに、そんなことがわかるはずもなかったが、奇妙な印象として、その色気は記憶に残っていたのだった。
 リキエルが写真の人物を男だと確信していたのは、人物が自分の父親だという確信を持っていたからだった。男の左肩には、リキエルの左肩のものと同じ、『星型のアザ』があったのである。
 写真を見ていると、不思議と心が安らいだ。親のない悲しみや愛情を得られない身の不遇から、始終波立って精神を苛んでいた心が、平らかになった。心が満たされる気がして、どれだけ長く写真を眺めていても飽きなかった。
 男のことを考えると、幸福感に包まれた。周囲の大人が自分を見るときの、濁った視線がまるで気にならなくなり、暗い気持ちになったときも、それを乗り越える気になれた。誇り高い気持ちが胸に浮かんできて、それは生きる希望のようにも思えた。生きる目的を得たようで、子供心に頼もしかった。
 間もなくその写真は、家の人間に取り上げられ、破り捨てられてしまったが、誇り高い気持ちは消えなかった。
 しかしその気持ちも、長くは続かなかった。絶えず襲い掛かる絶望や失意に、リキエルの精神は耐え切れなかったのである。小さな希望は粉々になるまで削られて、わずかな誇りもしぼんで消えていった。無為な精神状態が、小学校に上がるまで続いた。写真のことも意識の中で次第に薄れ、思い出すこともなくなった。
 それらの記憶が、今甦ってきているようだった。辛くないと言えば嘘だが、リキエルは既に一度、過去と向き合っている。これくらいのことならば受け止めることができた。
 記憶がもう少しだけ掘り起こされて、写真の記憶もより鮮明になった。写真にはアルファベットが殴り書きされていた。それが父親の名前だった。
 父親は、『ディオ・ブランドー』といった。


 ――父親。DIO……ディオ・ブランドー。
 むくりとベッドから身を起こして、リキエルは思いを馳せた。夢の中で感じた満ち足りた幸福感はなかったが、パニックを起こす気配もないようだった。リキエルはそれを、自分が希望に近づいた証だと思った。
 いい気分だった。絶好調とまではいかないが、鬱屈して固まっていた大きな気持ちのひっかかりが、確かに一つ消えているのがわかる。片目が閉じたままなのは少し残念だったが、以前ほどそのことに失望はなかった。これから少しずつ、長い時間をかけて解決すればいいことだろうと、心にも余裕ができていた。
 ふと、ここはどこだろうと思い見回してみれば、ルイズの部屋である。リキエルからすると広めの部屋に、ずいぶんと大きなタンスがでんと目立つ。それから、こちらは小ぢんまりとしたものだったが、机と椅子がある。椅子は来客用か二脚あって、どちらも過剰にならない程度の装飾が、逆に技の妙を感じさせる一品だった。
 他に調度といえば、分厚い本が居並ぶ本棚くらいのもので、どこかさっぱりとした部屋だが、あまりゴテゴテとしすぎないところが、らしいといえばそうなのかもしれなかった。何がらしいのかはわからないが。
 リキエルは大きく伸びをした。上体の各部が音をたてて伸びるのが快く、つい調子に乗って背を反らせすぎてしまい、変な場所をつりそうになった。慌てて反るのをやめて背を曲げると、顔の横にまばゆい光を感じた。見れば全開の窓の向こうで、昇りかけの太陽が地を赤く染めている。色あざやかな朝焼けが目を焦がした。
 しばらくすると眩しさに耐え切れなくなった。左手で目を覆った。
 再びまぶたを開けると、腕に巻かれた包帯に目が行った。
 ――そういえば……。
 なんともないなとリキエルは思った。
 目潰しのために自分で切った、左手首に視線をやる。あの時はより多くの血を噴き出させるために、手の甲の側を切った。加減がわからず、する気にもならず、とにかく深くえぐっていた。間違いなく腱まで断ち切ったはずである。
「……」
だが、その傷も綺麗に消えていた。他にもあの決闘で、腕といわず脚といわず、とにかく全身に傷を負ったはずだが、伸びをした限りでは、腰から上は何の支障も無く動いた。
 脚のほうはどうかと、ベッドから降りて歩き回ってみた。やはり不自由は無いようである。思い切って軽いストレッチなどもしたが、だるい感じがあるだけで特に不具合はない。そのだるさも、長い間寝ていたからだと思われた。どのくらい眠っていたのかは分からないが、これだけ体が動くのであれば、そう長い間でもないだろう。
 あれだけの負傷が跡も無く、後遺症の一つも無く治るには、一月寝ても足りないはずだ。であれば、これは魔法の恩恵なのだなとリキエルには思い当たった。
 腕と足をブラブラさせて、リキエルが改めて魔法の力に感心していると、部屋の扉をノックする音が響き、次いで食事を持ったシエスタが入ってきた。シエスタは起き上がっているリキエルを見ると目を丸くし、「まぁ」と言って立ち尽くした。それからひとしきり目をしばたたかせて、もう一度まぁと言った。
「起きてらしたんですか。どこか、痛むところとかは?」
「特にないな、体が少しだるいだけだ」
 よかった、と言ってシエスタは笑った。その顔が心底安堵したものだったので、会って間もない相手に心配をかけたと、リキエルは心うちで苦った。
 その苦りを顔には出さず、リキエルは言った。
「心配をかけたみたいだな、ずいぶんとよぉー。すまなかった」
「いえ、そんな。でも、大変だったんですよ。ここにあなたを連れてくるときに、ミス・ロングビルが応急処置をしたそうなんですが、全然おいつかなくて、先生を呼んで、沢山の秘薬を使ったりして、ようやく治療したんです」
「…………」
「でも五日も起きないから、やっぱり心配でした」
「…………」
 苦りが顔に出た。存外に長い間、自分は眠っていたようである。しかも、かなり多くの人間に迷惑をかけたらしい。ミス・ロングビルだけでなく、自分を運んだ人間もいたはずで、自分が使い魔という立場にいる以上、主人のルイズにも迷惑をかけたろう。
 ――しかしそれだけ眠っていたとなると……。
「その間、もしかして看病を?」
「あ、いえ、私じゃなくてミス・ヴァリエールが」
「ルイズ。あいつがか?」
「はい。夜通しで、汗を拭いたり包帯を替えたり……。秘薬の代金も、ミス・ヴァリエールが出したんですよ」
 意外なことを聞いたとリキエルは思った。
 決闘は、原因こそ相手のギーシュにあったが、結果的に受けたのはリキエルで、ルイズの静止を振り切って、そのまま決闘を続けたのもリキエルだった。あずかり知らぬところで勝手に喧嘩など始め、勝手に怪我をするような人間など、打ち捨てられたところで文句は言えない。それでなくとも、ルイズはああいった性格をしているの。多く迷惑をかけた自分を、それほど献身的に面倒みてくれるとは、リキエルは正直に言って信じられなかった。
 そんなことを思っていると、ちょうどそのルイズが、暗い顔をして部屋に入ってきた。顔が暗いのは、目の下にできた大きな隈のせいである。夜通しの看病というのは、誇張ではないらしかった。眠たそうな半眼がリキエルに向いた。
「あら。起きたの。あんた」
「ああ、お前には迷惑をかけた」
「本当よ。決闘だなんて、いい迷惑だわ」
「すまなかったな、薬だとか包帯だとかよぉ。まあ他にもいろいろと、感謝している」
 感謝しているというのは、素直な気持ちを言ったものだが、看病してもらったことに対するものではなかった。そのことにも無論感謝の念はあるが、いまのリキエルは、『欠けた心』の一片が戻ってきたことに感謝している。
 父親のことを思い出せたのも、気分がすこぶる良いことも、それらの要因になっている、自分の過去と向き合えたということも、全てはルイズの存在あってのことだった。いろいろな意味で、ルイズには頭の下がる思いなのだ。
「当然よ! まったく、使い魔のくせに勝手なことばっかりして!」
 ルイズが怒鳴った。濃い隈のためか、なかなかに迫力があった。
「わかってるの!? あんた死ぬところだったんだからね! 『治癒』を使ってくださった先生も、あともう少し処置が遅いか、傷が熱でも持ったりしていたら危なかったって言ってたわ! なんの後遺症も残らなかったのなんてほとんど奇跡よ、奇跡!」
「あの、ミス・ヴァリエール。リキエルさんは病み上がりですから……」
「病み上がりですって? 立って歩けて話せれば治ったのと同じよ!」
 見かねて控えめに口を挟んだシエスタにも、ルイズは憤然と噛み付いた。噛み付かれたシエスタは、自分に矛先の向かない保障がないのを知って、「え、え~と。そういえば私、厨房でやることがあるんだった。失礼します!」と早々に逃げ出した。
 ――災難だったな、とばっちりなんか受けて。
 他人事のように思いながら、リキエルはシエスタを見送った。その間も、ルイズのがなりたてる声は耳に入ってくる。
「だいたいね! 怪我がひどすぎるのよ! 使った秘薬だって、平民には手が出せないくらい高価なものだったのよ! おかげでお小遣いのほとんどに羽が生えたわ! ……ああ、もう! あんたとりあえずそこに直りなさい! 首が疲れる!」
 リキエルは言うとおりに床に腰を下ろした。大の男が床に座らされ、年下の少女の小言を聞くというのは、構図としてはだいぶ情けないものだったが、リキエル自身は特に思うところもなく、それに甘んじている。叱責される筋合いならいくらでもあるので、素直に説教を聞くのが道理だった。
 それに、変に反発などしたところで、まるで得にならないことも自明の理である。あるいはそういった理由のほかに、溜飲の下がるまで、怒鳴りたいだけ怒鳴らせてやろうという気持ちもあるようだった。
 どうにも心が穏やかで、罵声も怒声も気にならなかった。ほとんど聞いていないのと同じである。頭の下がる思いではあっても、頭が上がらないわけではないのだった。
 そんなリキエルの意識を知るわけもないだろうが、ルイズは釘刺すように言った。 
「そういえば、あんたまたお前って言ったわね! 明日一日食事抜き! 溜まった洗濯物も洗っときなさいよ! 忘れないで、あんたは私の使い魔なんだからね!」
 リキエルは「ああ」「おお」と適当な返事をしながら、ちらと窓の外に目をやった。さっきまで赤味を残していた日の光は、もうすっかり黄金色に変わっている。このハルケギニアとかいうらしい異世界は、月は二つでも太陽はやはり一つなのだなと、リキエルは今さらそんなことを思った。


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