ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

仮面のルイズ-65

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「難あり、か」

トリステイン王宮の一室、報告書に目を通したウェールズ・テューダーが、ため息と共に呟いた。
報告書を持参した初老の男性は、アルビオンの紋章の入ったマントを着けており、年の頃は五十ぐらい、黒に近い緑色の髪の毛には白髪が多く交じっている。
眉間の深い皺は、彼の顔を見た多くの人に”不機嫌だ”という印象を与えるが、別に不機嫌なわけではない。
「陛下、志願兵の練度にご満足頂けぬのでしたら、今すぐにでも訓練内容を見直し…」
「エリック。僕が気にしているのは戦力としての練度ではないよ、規律のことだ。アルビオンの貴族がトリステインの首都で問題を起こしたとあれば、いい笑いものだ。それに陛下はやめてくれ、僕は正式に戴冠式をしていないのだから」
エリックと呼ばれた初老の男性は、うっ、と息を飲み込み黙ってしまった。
執務に使っているテーブルを挟み、ウェールズとエリックの間で鋭い視線の応酬が行われた、時間にしてほんの一瞬、一秒程度のことであったが、緊張感に満ちた時間でもあった。
「我ら王党派は、トリステインにとっては厄介者だった。幸運なことにタルブ戦で我々は勝利し、厄介者であるという印象を覆すことができた…しかしそれは奇跡に等しい」
「………」
「始祖のお導きだとか、正義の鉄槌などと呼んで、王党派の勝利を己の喜びとするのは心情としては当然だろう。しかし勝利に酔いしれ、喜びが傲慢に変わっては意味がない」
「仰るとおりです」

ウェールズは背もたれに体重を預け、背中を軽く伸ばそうとした。
ぎぃ、と音を立てて、樹齢500年の木から切り出された焦げ茶色の骨組みが軋んだ。

「パリーは、言いにくそうに…そうだ、とても言いづらそうにしていたな。かつてアルビオンは大火に見舞われ、首都ロンディニウムは壊滅的な被害を被った。たが、それを期に火災を防ぐため石造りの家屋にするべしと、王が勅命を下したのだ。この話は知っているな?」
「はい」
「建築に使われるはずだった木材は、そのまま軍艦へと転用された、おかげでアルビオンはハルケギニア最強の艦隊を保有するに至った……が、ここからが問題だ」

ウェールズは椅子を下げて、ゆっくりと立ち上がると、壁に掛けられたハルケギニアの鳥瞰図に目をやった。
「パリーはな、本当に言いにくそうに…しかしはっきりと僕に言ったよ「アルビオンは豊穣な大地を見下すようになってしまいました」とね」
「………」
エリックは無言のまま、ウェールズの横顔を見た。
タルブ戦以後、厄介者から英雄へと180度その立場を変えられてしまったウェールズは、将来の利権をむさぼるために貸しを作ろうとする貴族の相手に疲れていた。
成り上がりのゲルマニア、無能王のガリアはともかく、トリステインは水の精霊と古くから名薬を買わしており、始祖ブリミルより続く貴族の本流を自負していたが、それがアルビオンには気に入らない。
アルビオンには、始祖ブリミルがハルケギニアで最初に興したとされる都市、サウスゴータがある。

結局のところアルビオンとトリステインは似たもの同士で、しかも同族嫌悪じみた争いを続けていたのだ。
どうにかしてその愚かしい歴史に終止符を打たねばならない……そのために尽力し、執務に励むウェールズの頬は、ほんの少しこけている気がした。

「アルビオンから亡命した貴族の中に、この期に及んでまだトリステインを見下す者がいる。その驕りを作ったのは皮肉にも祖国の歴史だ。私はその責任を取らなければならない」
「殿下のお考えには感服致しました。現在、トリスタニアの練兵場を借りて訓練を行っていますが、練兵場の手入れに力を入れさせます。トリステインの兵士達が驚くほど、練兵場を清掃させましょう」
「清掃?その作業に志願兵が納得するのか?」
「最初は不満も多いでしょう、しかし愛着を持たせるにはうってつけです。私はガーゴイルの研究のためガリアに留学しておりました。工房では初心の者がまず清掃に力を入れます。
それによって愛着を育て、工房での仕事に自負を与えるのです。職人を育てるための知恵ですが、軍にも役立ちましょう」
「…わかった。しかしそれを見て、トリステインの将軍達は何と言う?」
「トリステインもアルビオンと変わりませぬ、空の上では貴族か否かで階級が分かれるのではありません、トリステインも平民の先輩が貴族の後輩に鉄拳で序列を教え込んでいるそうです。
地上にも少なからずその風習はあるはずです。互いに清掃を心がけさせて、トリステインとアルビオン、どちらの統率が上なのかを競わせましょう」
「なるほど…よし、タルブ戦で捕虜にした者達の中には、レキシントンを指揮していたポーウッドがいたはずだ。彼を使おう」
「ミスタ・ポーウッドを彼を?よろしいのですか」
「彼はきわめて真面目だ。おかげで上官に命じられるまま叛徒となったが…まあ、相談を持ちかけるぐらいはいいさ。自由に使ってくれ」
「畏まりました。…それと今週末から、トリステイン魔法学院の貴族子弟にも訓練が課せられるそうです、戦争を知らぬ彼らにとって、捕虜はすなわち敵兵です。
トリステイン側は有能ならば捕虜でも軍に抜擢するそうですが…正直なところ、混乱を招くでしょうな」
エリックの話を聞いたウェールズは、うぅむと小さくうなった。
「確かに…。予防策はあるか?」
「こればかりは、トリステインの貴族師弟が物わかりの良い者達であって欲しいとしか言いようがありません。ミスタ・ポーウッドが歴戦の船乗りであると聞き及んでおりますが、彼の技術や経験をトリステイン側に認めさせることができれば…
欲を言えばトリステインのエリートに認めさせることが出来れば、その腰巾着からポーウッドの噂は広まりましょう」
「……わかった。すべて任せる。報告は怠らぬように。……それと、腰巾着などと人前で言うなよ」
エリックは自分の口の悪さを知っていた、またそれがなかなか直らぬ事もよく理解していた。
だが他人から指摘される機会にはあまり恵まれなかったのか、恥ずかしそうに顔を俯かせて「あ、いや…申し訳ありません」と小声で呟くのみであった。
こほん、と咳払いをして、ピンと背筋をただし、敬礼をした、そして踵を返しウェールズの執務室を出て行った。
彼はアルビオンの北方に大きな領地を持つ大貴族であったが、六男という微妙な位置のせいか、権力や富への欲が少なく、また軍務も好きではなかった。
風系統の魔法に優れており、軍人として出世するべきだと家族からも言われていたが……皮肉なことにエリックの趣味はガーゴイル技術へと傾いていた。
エリックはガリアが誇るガーゴイルの技術と運用を学ぶために、ガリアの魔法学院に留学し、腕の良いメイジの元へ弟子入りしていた。

そもそも彼がガーゴイルに惹かれたのは、食料の生産高を交渉に用いた、古い貴族の話を家庭教師から聞いたときだった。
アルビオンの食糧自給率は低い、食料の輸出入が規制されれば、一年と持たずに飢餓を迎える可能性すらある。
また、土系統のメイジも食糧事情の改善より、軍用の大砲を手がけた方が良いとされていた。
そんな体制に危機感を覚えたエリックは、どの系統のメイジが精神力を注ぎ込んでも、その能力を発揮してくれるガーゴイルに注目し、食糧事情の改善に利用できないかと考え始めたのだ。

ガリアでの学問は有意義だった、いや、むしろガリアに骨を埋める気すらあった。
だが自身の老いを感じたとき…ふと、自分がガーゴイルを学び始めたときのことを思い出したのだ。
そんな中、アルビオンがレコン・キスタの手に落ち、故郷の家族が皆戦死したという風の噂を耳にし……彼は悩んだ。
タルブ戦の時、居ても立っても居られなくなった彼は、飛び入りの義勇兵としてトリステインに味方すべくタルブ村へ向かい、そこでウェールズとアンリエッタのヘクサゴン・スペルを目の当たりにしたのだ。

それ以来、彼はアルビオン王党派の政権に加わりウェールズを補佐している。

エリックは、トリステインの宮殿から出て練兵場に向かった。
空を見上げると、遠くの空に巨大な雲が見える、おそらくアルビオンから流れ落ちる大量の水が、雲を形作っているのだろう。
「ガリアに骨を埋める気で居たのに、今になって、ここまで故郷に執着するとは……。私は結局アルビオンの人間なのだな」
自嘲気味に笑うと、彼は悠然と石畳の上を歩き出した。




舞台は移り、ハヴィランド宮殿。
古くは王と大臣が集まり、アルビオンという国の舵取りを行う場所であった。
アルビオンの首都ロンディニウムから見て南側に位置する、荘厳で巨大な宮殿は、形こそそのままであったが、回廊の両脇に掲げられた旗は今や神聖アルビオン共和国のものであった。
白一色に塗られた十六本の柱と壁面が、外から入り込む太陽の明かりを柔らかく反射させ、宮殿内を明るく保っている。
壁面や床はまるで鏡のように磨かれているが、反射する光はどれも眩しすぎず、暗くない、綿密な計算の元に作られた、アルビオンの誇る荘厳な空間であった。

ホールの中心には巨大な岩盤で作られた円卓がしつらえられており、それを囲むようにして神聖アルビオン共和国の閣僚、将軍たちが集まっていた。
彼らは、反乱によって…いや、”革命戦争”によって王政府から国を取り上げ、皇帝を祭り上げた。
かつては地方の一司教にすぎなかった男、ここに居る誰よりも、扉の前に控えた衛士よりも身分の低かった男の登場を、彼らは今か今かと待ちわびていた。

重厚なホールの扉が、二人の衛士によって音もなく開けられた、床に敷かれた緋毛氈を踏みしめるファサ、ファサというわずかな音がホールを支配する。
「神聖アルビオン共和国政府貴族議会議長、サー、オリヴァー…」
ホールに入ってきたのは、アルビオンの皇帝を名乗るクロムウェルであった、彼は掌を見せて、名前を呼ぶのを遮った。
「サ、サー?」
「無駄な慣習ははぶこうではないか。なに、ここに集まった諸君で、余のことを知らぬものはいないはずだろう」
クロムウェルの背後には、秘書のシェフィールドと、幾人かの旧アルビオン魔法衛士隊の面々が立ち並ぶ。
クロムウェルは上座へと座り、その背後にはシェフィールドが影のように寄り添った。
顔色の青白い幾人かの魔法衛士隊は、杖を胸の前に捧げるとホールから退場していく。

議長を兼ねる初代皇帝が席につく、歴戦の将軍と名高いホーキンス将軍が挙手をした、整えられた白髪と白髭、眉間に刻まれた深い皺が彼の厳しさを物語っている。
かつて司教だった男、クロムウェル皇帝に向かい、ホーキンスはきつい目を向けた。
クロムウェルが「うむ」と呟くと、ホーキンスは立ち上がって口を開いた。
「閣下にお尋ねしたい」
「なんなりと質問したまえ」

こうして、神聖アルビオン共和国の独裁的な会議が、始まりを告げた。
「厳重ね……近づけそうにないわ」
『だろうなあ』
ハヴィランド宮殿から約400メイル離れた、二階建ての空き家に、喋る剣を携えた女が隠れていた。
「デルフ、偵察するのにいい案は無い?できれば変装するなりして乗り込みたいんだけど…」
『ディティクトマジックを使われたら厄介だぜ、一発でメイジだとバレちまう』
「そうよねえ」

デルフという呼び名から分かるとおり、剣の正体はデルフリンガー、女の正体はルイズであった。
しかし髪の毛は短く、乱雑に切られており、しっとりとして艶やかだった髪の毛は、膠混じりの強力な染料で紺色に染められている。
身長は手足に埋め込んだ骨により170cmほどまで延長され、体も華奢な少女とはとても思えぬ程筋張っており、色も浅黒く、一目では決してルイズとは分からない。
肌の色が浅黒くなっているのは、体内に埋め込んだ吸血馬の骨が原因であった、両手足と腰に埋め込んだ骨は、ルイズの体内で黒銀の毛を伸ばし、筋肉の強度を劇的に引き上げた。
何度かその感覚を確かめているうちに、毛を肌の表面近くに浮き上がらせることで、肌の色を変えられることに気がついたのだ。
今やルイズは、フェイス・チェンジを使いこなすスクエアのメイジよりも、変装が上手いだろうと自負していた。

ふたりは今、クロムウェルをはじめとする神聖アルビオン共和国の重鎮が集まるハヴィランド宮殿を眺めていた。
略奪が行われたのであろう、この空き家は、家具はそこらじゅうに散乱し食品類は一切残されていない、貴金属類も無ければ血痕も無かった。
おそらく疎開した後で、レコン・キスタによって略奪され荒らされたのであろう。
壁にはヒビも入っており、物置とおぼしき部屋は無惨にも崩れていた。
そんな、いつ崩れるかもしれない空き家の突き上げ窓をほんの少し開けて、ルイズとデルフリンガーは遠くに見えるハヴィランド宮殿を見つめていた。

「デルフ、読唇術ってできる?」
『…唇の動きまで読むのは酷だなあ』
「いいわ。クロムウェルは諦めましょう。戦力が分からない以上むやみに突撃も出来ないしね」
『諦めるのか?』
「そうよ?…何か言いたそうね、疑問があるなら言っていいわよ」
ルイズは背負っていたデルフリンガーを手に持ち、柄を眼前に持ってくると、肩をすくめた。
『いや、おめえ魔法を使わずに洗脳みたいなのやってたろ?髪の毛を頭に埋め込む奴、あれはやらねえのかなと思ってさ』
「……たぶん、無理よ。あれはそこまで強く洗脳できる訳じゃないの、ほんのちょっと私の言うことに逆らえなくなるだけよ。アンドバリの指輪がそれを上回る効果を持っていたら徒労に終わるどころか、私の正体を探られてしまうわ。 それに……」
『わかった、まあ無理すんな』
「ありがと。私ね、デルフの物わかりのいいところが好きよ。……ん?」

ルイズが宮殿の近くに何かを見つけ、眉間に皺を寄せた。
目をこらしてじっと窓の外を見つめていたが、デルフにはそれがなんなのか分からない、声をかけることもできず、小さな砂時計が落ちきるほどの時間が経過した。

「デルフ、ここから離れるわよ。汚水路も使うわ、汚れるけど我慢して」
『後で洗ってくれるなら文句は言わねーけど、どうしたんだよ?』
「気づかれたかもしれないわ。宮殿前の通りからこっちを見てた!」
『この距離でか?風龍でもいたのかよ』
「違うわ、メイジよ、あたしをみて笑ったわ!久しぶりにゾッとしたわよ!」

そう言うとルイズは、空に竜騎兵がいないかを確認した、空に何者も居ないとわかると、一辺2メイルはありそうな正方形の石蓋を片手で跳ね上げ、汚物の混じる汚水路の中に飛び込んだ。
「ククッ…」
「隊長?どうしやしたか」
隊長と呼ばれた男は、馬上で唇を愉悦にゆがめた。
白髪を角刈りのように切りそろえているのと、深い顔の皺で、歳は四十ほどに見えたが、鍛え抜かれた筋肉と浅黒い肌は年齢を感じさせない。
マントを着けてはいるが、その内に着ている服は剣士のような皮当てを使い、動きやすいラフな出で立ちをしている。
腰から下げた金属製の杖は、まるで棍棒のようで、一目では彼がメイジであると分からぬほど殺伐とした気配を漂わせている。
額の真ん中から左目を通り、頬へと流れる火傷の痕も、その印象に一役買っているのだろう、先ほどから何人もの衛兵がこの男の姿を見ては、眉をひそめていた。。

「女か、死人のように体温の低い女だったか? ああ、それも剃刀みたいな奴だ…いい臭いがするんだろうな」
「…隊長?」
「なあ、吸血鬼と翼人を一度に焼いたことがあったな」
隊長と呼ばれた男は、楽しげに呟いた。
「は? …その件には携わっておりやせんです」
「そうか!あれはなかなかいい臭いだった、膿のようだ、汚くてどろどろとした肉が、脂と違う臭いがあって、陰湿でいい臭いだ」
「はあ…」
「今度のは違うぞ、剃刀のようだ、鉄のようだ、鋼のようだ!脂をしたためた処刑台のギロチンが焼けるようないい臭いがするぞ、きっとな!」

隊長と呼ばれた男は肉の焼ける臭いを楽しそうに語ると、はははと高笑いをした。
男は、笑みをたたえたまま、ハヴィランド宮殿へと歩いていった。

その頃、魔法学院では、シエスタが厨房の勝手口で跪いていた。
よく見るとシエスタの隣にはメイドが居て、シエスタはメイドの足に手を当てて何かをしている。
「まだ痛みは残るけど、ほとんどカサブタになっているから大丈夫。傷跡も目立たない程度には綺麗になると思うわ」
「ホント?シエスタ、ありがとう!」
「いいの。それより気をつけてね、これ以上火傷が酷かったら、私一人じゃとても治せないから」
「うん、それじゃ夕食の仕込みがあるから、またね」
「気をつけてね」
かつてシエスタの同僚だったメイドは、笑顔で手を振り、勝手口の中へと入っていった。
シエスタもその中に入りたい衝動に駆られたが…シュヴァリエを賜って以来、厨房ではシエスタは平民上がりの英雄のような扱いを受けている、それが一種の疎外感となってシエスタを戸惑わせた。
それでも、シエスタは魔法学院の厨房で働き始めた時のことを忘れられない。
子供の頃に怪我をして、片足を悪くしたシエスタは、見栄えが悪いと言われて人前には出させて貰えなかった。
しかし、同僚達はジャガイモの皮むきから鍋物の温度管理を徹底的に仕込んでくれた、それはとても厳しかったが、厳しかったからこそデザート類を任せられるまでに料理の腕を上達させることができたのだろう。

今日は、同僚だったメイドが、何かの拍子に熱い油を零してしまった、そのせいで足に掌ほどの火傷を作ってしまったが、話を聞いたシエスタが治癒のために駆けつけたのだ。
平民と貴族、その中間にあるシュヴァリエ、存外に不安定で、どっちつかずの不便な立ち位置なのだなと、シエスタは思った。


キュルケとタバサは、がらんとしてしまったアウストリの広場から、シエスタの様子を遠巻きに見ていた。
シエスタは、花壇の脇にあるベンチに二人の姿を見つけた、よく見るとキュルケが手を振って合図をしている、シエスタは小走りで二人の元に駆け寄った。
いつもなら生徒たちで賑わう休み時間なのだが、今アウストリの広場に居るのは女子生徒ばかりであった、騒ぎを起こす男子生徒も、それを遠巻きに見る男子生徒も、全くといっていいほど見かけられない。
暇をもてあました女子生徒たちは、それぞれグループで集まり、恋人や友人または家族が無事でやっているのかを噂しあっているようだった。

世論は、タルブ戦での勝利を期に、一気に戦争肯定に傾いていった。
また、虚無を騙るクロムウェルを裁くべく、アルビオンに攻め込むべしと、聖堂教会からも非公式の声が上がっている。
そんなわけで、魔法学院に勤める男の教師は、ミスタ・ギトーも含めてほとんどが出征、あるいはその準備に追われ、その数を著しく減らしていたのだった。
シエスタがキュルケの元に近づくと、キュルケはにこりと笑って呟いた。
「なあに、あのメイド怪我でもしてたの?」
「はい、火傷してしまったみたいです」
「火傷ねえ…それって男?」
「へ? ……ちちち違いますよ!もう、キュルケさんったらどうしてそんな方向に話を持って行くんですか!」
からかうようなキュルケの言葉に、シエスタが顔を真っ赤にして反論した。
それを見てキュルケがふふふと笑いだす、隣に座っていたタバサは一言「病気」と呟いたが、いつものことなので二人とも特に気にしていなかった。

「ねえシエスタ、あなたってモンモランシーと一緒に、この間の戦で治癒の功績を挙げたんでしょ?次はどうするの?」
キュルケは周囲を見渡して、両手を広げてシエスタに言った。
シエスタもキュルケと同じように周囲を見渡す、男子生徒のほとんど居ない魔法学院は、女生徒ばかりであった、男子生徒のほとんどが王軍へと志願したのである。
モンモランシーの恋人ギーシュ、そして臆病者と言われ皆から罵られたマリコルヌですら、志願したと言う。
彼らは今ごろ、トリステイン各地の錬兵場に分かれて、即席の士官教育を受けていることだろう。

そんな中、タルブ戦で功績を挙げたシエスタは、なぜか居残り組であった。
そもそもシュヴァリエを賜ったシエスタに何のアクションもないというのはおかしい、オールド・オスマンが手を回したのかもしれないが、とにかくシエスタは魔法学院で待機するようにと言いつけられているのだ。
「私は…今回、戦争には関わらないことになるみたいです。アルビオンとの戦争はいつ始まるか分からないと言われていますけど、すぐには始まらないだろうと、オールド・オスマンが仰っていました」
「でも、シュヴァリエ、持ってるんでしょ?それなら格付けの好きなトリステインが放っておかないでしょうに」
「うーん……すみません、分からないです」
シエスタは恥ずかしそうに顔を俯かせた。

タバサは二人のやりとりを聞いて、ヴァリエール家のことを思い出した。
シエスタはトリステインの公爵、ヴァリエール家からの依頼を受けている。
まだ父母が健在だった頃にも、何度か話を聞いたことのある大貴族であり、伝説的なメイジ”烈風カリン”もヴァリエール家の者だ。
だとしたら、シエスタとモンモランシーが治癒を施したという娘のために、治癒のメイジを前線に出させぬよう政治工作を行っているのではないだろうか。
そこまで考えてふと、母の姿を思い出した。
シエスタの波紋を受けてから、色あせていた母の髪の毛も、痩せこけた頬も、老人のような皺だらけの腕も、少しずつ以前の健康的な身体に近づいている。

(戦争に行って欲しくないのは…シエスタを危険な目に遭わせたくないのは、私も同じ……)

いつもならトリステインとアルビオンの戦争など他人事だと切り捨てていたタバサだが、今度ばかりはシエスタのために、戦争が激化しないことを祈っていた。

「そういえば」
シエスタの呟きで、タバサの意識が現実に引き戻される。
ふと横を見ると、タバサの隣に座るキュルケの、そのまた隣にシエスタが座っていた。
「キュルケさんは、戦争で何か…あるんですか? その、確かゲルマニアとトリステインは同盟を組んでいると聞いたので」
「もう、それよそれ!聞いてよ、私だって暴れようと思ったのに、女だからって却下されたのよ!”烈風カリン”だって女なのに、なんで私は蹴られたのかしら」
「え、ええと、やっぱりキュルケさんに怪我して欲しくないんじゃ…」
額に冷や汗を浮かばせながら、熱弁するキュルケをなだめようとしたが、どうやら逆効果だったようで、キュルケはシエスタに向き直ると肩をガシッと掴んだ。
「…実家にいるとね、お見合いお見合いお見合いお見合い、私の事なんてこれっっっっっっぽっちも考えちゃ居ないわよ。いい?本当の幸せはね、お膳立てされるものじゃないの、自分で手に入れるのよ?私の二つ名は”微熱”でしょ、焦がれる愛じゃなきゃ駄目なの」
悪戯をする子供のように、しかしどここか熱っぽく語るキュルケに、シエスタは思わず腰が引けてしまった。
ちらりとタバサの方に視線を向けると、タバサは本に視線を戻しつつ「病気」と呟くだけだった。


「つまんないわねえ」
キュルケがそう呟いて、ベンチに背を預けた。
自由になったシエスタは苦笑いを浮かべたが、内心では戦争がいつ起こるのか、どんな規模になるのかと疑問だらけになっていた。
そんな時、シエスタはふと視線を感じて本塔の方を向いた。
すると本塔の正門前に立っていたモンモランシーと視線が合った、だがすぐに視線をはずして、そのままモンモランシーは本塔の前を通り過ぎ、ヴェストリの広場へと歩いていってしまった。

「…?」
どうしたんだろう、と首をかしげたシエスタに、キュルケが耳打ちする。
「あれはたぶん、何かあったわね」
「そう…かもしれません。キュルケさん、私ちょっと行ってきます」
シエスタはそう言って立ち上がり、小走りでモンモランシーの後を追っていった、さりげなく足音と気配を消しているのに気づいて、タバサはまたもや呟いた。
「職業病」




「はあ…」
モンモランシーは、ヴェストリの広場を囲む外壁の上に腰掛けて、じっ…とトリスタニアの方角を見つめていた。
「バカ」
誰に言うわけでもなく、呟く。
「バカギーシュ…」
名前を口に出すと、途端に寂しさが襲いかかってくる。
体育座りのように足を抱いて、モンモランシーは寂しそうに目を細めた。

「モンモランシーさん」
ふと、後ろかえら声が聞こえてきた、振り向いてみたが誰もいない、もしやと思って下を見ると、そこにシエスタの顔があった。
シエスタは指先とつま先を壁に当てて、そこにハシゴでもあるかのように壁を上って近づいていたのだ。
モンモランシーは視線をトリスタニアの方角に戻すと、ふぅとため息をついた。
「あの、モンモランシーさん、どうかしたんですか?」
シエスタが隣に座りつつ、そう語りかける。
顔を上げたモンモランシーがシエスタを見つめた、じっ…とたっぷり一分は見つめていただろうか、今度は顔を俯かせてため息をついた。
「何でもないの。気にしないで」
「………そう、ですか」
シエスタは自分の胸元に手を置いて、かける言葉が見つからないのか、少したじろいでいた。
理由は分からないが、一人にしておいが方が良いのではないかと思い、シエスタは上ってきた壁を降りようとしたが、それをモンモランシーが呼び止めた。
「ねえ、シエスタ」
「はい?」
「タルブ村、戦場になったわよね。あのとき…報せを聞いたとき、どんな気持ちだった?」
一呼吸置いてシエスタが答える。
「…わかりません。考える前に身体が動いてましたから。後から考えると、怖かったんだと思います。たぶん」
「怖かった?怖いのに戦場に行こうとしたの?」
「はい」

小声だが、シエスタの口調には淀みがなかった。

「あっ」
不意にモンモランシーが声を上げた、目を見開き、口を半開きにしている。
「そっか…うん、怖いから、怖いからよね。そっか……」

モンモランシーの脳裏には、タルブ戦で重傷を負った兵士達の姿が浮かんでいた。
ギーシュが同じような目に遭うのではないか、最悪の場合、死んでしまうのではないか、もう二度と会えなくなってしまうのではないかと想像しているのだ。
「ギーシュの馬鹿、トリステインを守るって、そんなこと言って、志願しちゃったのよ。何よ、何よ……私を守るナイトになるって言ってくれたのに、私を置いていくなんて酷いじゃない」

「あら、『いなくなってせいせいするわ』ぐらい言うかと思ったのに、けっこう寂しがり屋じゃない」
いつのまにか近づいていたキュルケが、ふわりとモンモランシーの足下から顔を見せた。
どうやら『フライ』の魔法でわざわざ外壁の外側からモンモランシーの顔を見に来たらしい。
「ツェルプストーまで…もう、やめてよ。私をからかいに来たの?」
「あら、からかって欲しいって顔に書いてあるわよ?」
キュルケはモンモランシーの右隣に降りると、そこに腰掛けた。
「はあ……もう、いいわよ、なんかしんみりしてるのが馬鹿らしくなって来ちゃったわ。あのお調子ものってば、臆病なくせに無理しちゃって、あたしが寂しいって思ってるのに側にいないなんてひどいと思わない?」
キュルケはモンモランシーの肩を、ぽんぽんと叩いて言った。
「ま、始祖ブリミルの降臨祭までには帰ってくるわよ。親愛なるあなたのお国の女王陛下や、偉大なるわが国の皇帝陛下は、もし戦争をしても簡単な勝ち戦になるって言ってたじゃない」
キュルケは『親愛』と『偉大』に皮肉な調子を込めていた、ゲルマニア貴族は諸侯が利害損得で寄り集まってできた国なので、キュルケにも(ある程度は)自分さえよければいいという気風はあったのだ。
「そうだと、いいんだけどね」
モンモランシーは呟いて、また、ため息をついた。

「あの、モンモランシーさん。その…私だって、見知った人が怪我をするのは嫌です。でも、怪我をしたときのために私たちがいるんですから、だから、ええと、すぐに助けに行けるようにするとか」
シエスタが口を開くが、その内容が突拍子もないものだったので、モンモランシーは顔をしかめた。
「はい? 何言ってるのよ」
「ですから、ポーションを作ったりして、治癒のためにとか理由をつけて、ギーシュさんに付き添っていけば良いんじゃないかなーって…」
「………」
ぽかーんと口を開け、呆れた顔でシエスタを見つめるモンモランシー。
しかし彼女はきゅっと口を結ぶと、両手を眼前で強く握りしめた。
「そうよ! 私ちょっと実家に言ってくる!」
ものすごい勢いで立ち上がったかと思うと、モンモランシーはフライの呪文を唱え、一目散に寮塔へと飛び去っていった。


「…あれだけ熱中できるって、ちょっと羨ましいわね」
キュルケの呟きに、シエスタはどう答えて良いか分からず、とりあえず苦笑いを浮かべてみた。

さてモンモランシーが飛び去っていった後、シエスタ、キュルケ、タバサの三人はコルベールの研究室前までやってきていた。
火の塔のとなりにあるコルベールの研究室では、タルブ村で見た『龍の羽衣』の素材を再現すべく、様々な合金のサンプルが並べられていた。
立て付けの悪い扉は、事故でもあったのか粉々になっており、蝶番に木片がかろうじて残っているのみだった。
カーテンがかけられた入り口からちらりとのぞき込むと、コルベールは精密な天秤を使い、金属類の比重を確かめているようだった。

「おお?ミス・シエスタにミス・ツェルプストー、それにミス・タバサも」
気配で察したのか、コルベールが振り向いて三人の姿を確認した。
振り向いて声をかけたコルベールの笑顔が、キュルケを少し不機嫌にさせた。
男の教師はほとんど出征したというのに、コルベールは相変わらず研究に没頭している、戦争にはまったく興味なさそうで、それがまたキュルケには気に入らない。
「お忙しそうですわね」
 キュルケは、そんなコルベールにイヤミの混じった声で言ったが、それに対してコルベールは「ん?」と笑うだけだった。
「おお、そういえば……また新しい道具を思いついたんだ、明日試作品の材料がそろうから、ミス・シエスタに意見を聞きたいのだが…どうかね、二人も見てみないか?”火”は破壊ばかりではないと分かって…」

キュルケは不快感を顔に浮かべて、コルベールの言葉を遮った。
「ミスタ。あなたは王軍に志願なさいませんでしたのね」
「ん? ああ……。戦は嫌いでね」
コルベールはキュルケから顔をそむけると、恥ずかしそうに頭を掻いた。
キュルケは表情に軽蔑の色を浮かべて、ふんと鼻を鳴らした。
どの系統よりも戦いに向いた火の系統でありながら、炎蛇という大層な二つ名を持ちながらも、この教師は戦いが嫌いだというのだ。
「同じ”火”の使い手として、恥ずかしいですわ」
キュルケがそう言い放つと、コルベールは口をきゅっと結んでしばらく顔を伏せていたが、ふと顔を上げてキュルケを見た。
「火の見せ場は戦いだけではないよ、いいかね、火は……」
「聞き飽きましたわ、ミスタのお言葉は、臆病者のたわごとにしか聞こえませんわ」
キュルケはぷいっと顔をそらし、シエスタとタバサを促して歩き去っていく。

「あっ、あの…ええと、すみません」
シエスタが謝ろうとするが、コルベールは「いいんだ」と言って、早くキュルケの後を追うように促した。
コルベールは立ち去っていく三人の背を見守りながら、寂しそうに…辛そうにため息を漏らした。



「………」
「………」
「………」
シエスタはキュルケの後を追いながら、ちらりとコルベールの研究室に振り向いた。
「やめときなさい、臆病者の話を聞いたってろくな事にはならないわよ」
不機嫌さを隠そうともせずキュルケが言い放つ。
「そうでしょうか…」
「なに?」
火の系統を馬鹿にされたと思っているのか、それともただ不機嫌なだけなのか、キュルケがいつになく強い口調でシエスタに聞き返した。
しかしシエスタはそれに怯むことなく、決して大きな声ではないが、よく通る覚悟を決めた声で、こう呟いた。

「私、波紋で吸血鬼と戦うために、ミスタ・コルベール、ミスタ・ギトー、ミス・ロングビル、オールド・オスマン……
他にも何人かの先生に協力をいただいています。
その中で、コルベール先生だけが違うんです。
……あの先生だけです。『肺を焼け』とか、『効率が良い』とか『これなら一度に何体殲滅できる』とか。
あの先生だけなんです。効率よく殺す方法を、真剣に考えているのは」

夜。
アルビオンの首都ロンディニウムでは、いくつかの酒場に傭兵達の姿があった。
その多くは野党や人さらいで、戦争がある時だけ傭兵となり、軍の名を借りて好き勝手な騒ぎをやらかすのだ。

以前は、こうではなかった。
旧アルビオンの国王ジェームス一世は、自分と他人に厳しい、威厳が服を着て歩いているような国王であった。
その分反発も多かったが、間違いなく今よりも治安は良かったのだ。
市民達は自らの安全のために、家や店を厳重に閉じた、そして街道や路地から聞こえてくる罵声に怯え、ただひたすらに朝が来るのを待っていた。

「あら坊や、こんな所を歩いていたら、身ぐるみを剥がされるわよ」
「……はぁ」
一人の娼婦が、酒場の裏手を歩いていた細身の剣士に声をかけた。
腰に長さ80サントほどの剣を下げ、フードを被った剣士は、ハァとため息をついた。
「どう、この通りは即席の娼館街だけど、その分部屋は広いわ、ねえ助けると思って上がっておくれよ、よくしてあげるからさぁ」
剣士に声をかけた娼婦は、茶褐色の髪の毛を後ろで纏め、ポニーテールにしていた。
化粧が濃くて年齢がわかりにくいが、手の甲に浮いた皺の具合からして、25といったところだろう。
頬の骨が少し張っており、笑みを浮かべると、彫りの深い顔にくっきりとした陰影が浮かぶ。
そんな女が、一軒家の扉の前に立って、肌の透けるワンピースのような(ベビードールとか言うらしい)服を着て、剣士を招いている。

「あのね、わたしは…」
うんざりとした口調で剣士が何かを言おうとしたが、突然街道の方から聞こえてきた怒声に遮られてしまった。

「あの野郎どこに行きやがった!」
「クソガキが!おい、おまえはあっちを探せ!」
「ぶっ殺してやる!」

怒声の正体は、酒場で暴れていたごろつきであった、なぜか顔には青タンやたんこぶが出来ている、どうやら誰かにぶちのめされ、その報復に走り回っているらしい。

「げっ…」
あから様に嫌そうな顔をする剣士に、娼婦が言った。
「匿ってあげるわよ」
にこりと笑う娼婦、それを見た剣士はため息をつきつつも、素早く娼婦を抱きしめて建物中に入っていってしまった。
「きゃっ、細身なのに逞しいのね。ねえ剣士さん、私のことはアネリって呼んでね。貴方のお名前は?」
「……ロイズよ」
「え?女みたいな名前ね…あら?……もしかして、あんた、まさか、女!?」
「匿ってくれるって言ったのはそっちじゃない、ちゃんとお金は払うわよ、ああもう…何度目かしら」
ロイズと名乗った女は、娼婦をお姫様だっこの形で抱きしめたまま、何度男に間違えられたのかを思い出して……深く、ふかーくため息をついた。



ルイズが娼婦の元に匿われた頃、ロンディニウムに繋がる街道脇の森で、一人の男が何かを探していた。
『こっちだ、こっち』
男は突然聞こえてきた声に、眉をひそめたが、すぐに声の主に思い当たって安堵のため息を吐いた。
手に持った短剣状の杖に意識を傾け、短く何かを唱えると、木の上にぶら下がっていた剣が、鞘に収められた状態でゆっくりと降りてきた。
『いやあ困ったぜ、俺は目立つから駄目だとか言われちまったよ』
「まあ、おまえの形状は目立つからな。ルイズは?」
『昼間見かけた、気になる連中を調べて、今頃酒場に潜り込んでるぜ。あの嬢ちゃんが震えるなんてデルフ驚いちゃったねえ』
「…ルイズが、震える?」
『ああ、顔に火傷のある、白髪の男で、鍛えられた体格をしてる、年の頃は四十頃と言ってたぜ』
「…………そいつは、もしかして傭兵か?」
『かもしれね、嬢ちゃんはいまそれを調べてんだ』
「そうか…とりあえず、フーケと合流するぞ、すぐに移動する」
『あいよ』
「火傷の跡か…まさか、いや、まさか白炎では…だとしたら…」

ワルドの呟きは、一抹の不安を残して、闇夜へと消えていった。




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