ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

9 皇帝崩御下 前編

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9 皇帝崩御 下

「勘弁してくれよ、ヴァニラの旦那ぁ!」
 そんな悲鳴を上げて目を覚ました、森の入り口に放置されたままフーケたちに忘れ去られていたホル・ホースだった。
 悲鳴の理由は、夢に出てきたかつての同僚が原因だ。
 雇い主に熱を上げていた脳みそが少々アレな男は、スタンドの強力さにおいて仲間内でも頭一つ飛び抜けている人物でもあった。ただ、厄介なことに、彼は忠誠を誓った相手以外の人間の言葉に耳を傾けようとせず、性格も固過ぎてお遊びすら許してくれない、そんな人間だったのだ。
 正直、ホル・ホースにとっては苦手な相手である。
 そんな男が唐突に自分の夢に現れ、怒りのままに自分を殺しに来るのだ。夢の中で相手を本当に殺すことの出来るスタンド使いを知っているだけに、笑ってもいられない。
 夢の中なのにはっきりと感じられる殺気に逃げ出したものの、逃げ切るどころか数歩走った時点で殺されてしまったホル・ホースは、そのまま最悪な目覚めを迎えたのである。
 吹き出る汗を拭い、荒くなった呼吸を整えて、やっと自分のいる場所が夢の世界ではない現実であることに気が付いたとき、ホル・ホースは安心したように胸を撫で下ろした。
 昼間に倒れてから、それ以降の記憶が無い。今居る場所が、最後の記憶にある場所と同じように見えるので、恐らくはそのまま捨て置かれたのだろう。
 フーケたちがどこへ行ったのかさえ、今のホル・ホースには検討がつかなかった。

「放置プレイかよ。冷てえなあ」

 寝冷えしないようにという心遣いでかけられたらしい毛布の端を摘んで、ホル・ホースは溜め息を吐く。
 空を見上げれば、少し位置のずれた双子の月が重なった姿を晒している。かなり高い位置に来ているということは、夜もだいぶ更けているようだ。
 ちょうど昼時に倒れたはずだったから、12時間ほど経ったのだろうか。どうせならこのまま一晩中眠っていればいいものを、体はすっかり眠気と別れを告げていた。

「腹が減ったな」

 立ち上がった際に急に鳴き声を上げた腹の虫に、一人呟く。
 とりあえず食べるものはないかと、ホル・ホースは辺りを見回した。
 森と草原の境目には、動物の姿がまるで見られない。足元に生えている草はどれも食べられそうにないし、土を掘ったところでイモが出てくることも無いだろう。
 遠い景色の向こうには町があるが、故郷の大都会でもないのだから、夜中にやっている店など相当に限られている。どのみち、金など一銭も無いから買出しなんて不可能だ。
 狩りをしようにも、道も明かりも無いこの場所では遭難するのがオチだった。
「はぁ……」
 ひもじい思いに肩を落とし、ぺたんと草の絨毯に腰を下ろしたホル・ホースは、深い溜め息を溢した。
 腹は満たせない、起きてばかりで眠れもしない。散歩をする趣味も夜空を見上げて感慨に耽る感性も無い。
 ないない尽くしで、ホル・ホースは退屈を感じ始める。
 そんな時、背後の森から人の気配が近づいて来ることに気が付いた。
 藪を払い、木々の隙間を抜けて明るい話し声が聞こえてくる。
 気配の主は月明かりに姿を現すと、ホル・ホースの姿を見て表情を明るくさせた。

「あ、起きてる。なんか、動かしたら危なそうだったから放っておいたけど、よく眠れた?」
「こういう場合は、おはよう、と言うべきか?それとも、こんばんは?」
「えっと、どちらでもいいと思います」

 女性が二人、男が一人。日除けの布を上着にしたエルザと地下水、それに、夜中なのに帽子を被ったティファニアだった。
 ひらひらと手を振ってホル・ホースが三人を迎えると、その内の一人が当たり前のように駆け出して飛びついてくる。勿論、それはエルザだった。

「てっきり置いてきぼりにされたのかと思ったぜ。んで、どうした?こんな真夜中に起きてるなんて、なんかあったのか?」
「んー、特に何も。暇過ぎて昼寝したから、目が冴えちゃったみたい」

 慣れた動きでエルザを抱き止めて尋ねると、首筋の辺りに暖かい息をかけながらエルザが答えた。地下水とティファニアが、それに同意を示して頷く。
 村にいたときならともかく、今は隠れているだけしかやることが無い。子供たちも昼中に出会った巨大モグラと遊びまわっていたものの、環境の変化に疲れて日が暮れる前にはモグラを枕に寝入っていた。フーケのほうも魔法の使い過ぎで早いうちにダウンしたらしく、今朝も無理矢理起こされてあまり眠っていないこともあって、次に朝日が昇る頃まで起きる様子はないらしい。

「ま、そんなわけで暇だったからよ、ちょっと旦那の様子を見に来たのさ」

 そう言って、カタカタと刀身を震わせて地下水が笑った。
 ただの暇つぶしで姿を見せただけのようだ。
 たったそれだけかと息を吐いたホル・ホースは、視界の端で頬を赤く染めたティファニアが不自然に視線を逸らしていることに気が付いた。
 手で顔を隠しておきながら、指の隙間からこちらへチラチラと視線が送られる。見ていて恥ずかしい場面を前にしたような態度に、ホル・ホースは怪訝な目を向けた。

「なんだ?どうした、ティファニアの嬢ちゃん」

 その言葉が逆に意外だと言った様子で驚きながらも、ティファニアは耳まで真っ赤にした顔を俯かせる。
 そっと向けられた指が、何かを指していた。

「あん?」

 指の先を追って視線を向けると、そこにはエルザの後頭部があった。
 これの何が顔を赤くさせる理由なのかと思っても、首はそれ以上曲がらず、エルザの後頭部以外は視界に入らない。首の稼動範囲を邪魔するように、エルザの頭があるからだ。
 そんなホル・ホースよりも、先に状況を把握して納得した声を上げたのは、地下水だった。

「ああ、そういえばそうだな。旦那たちと会ってからずっとその調子で見慣れてたから分からなかったが、テファ嬢には少々刺激が強いか」

 カタカタと刀身を震わせて笑う地下水を、ホル・ホースの首筋から顔を上げたエルザが睨み付けた。

「なによ。なんか文句あるの?」
「いや、全然、まったく、これっぽっちも」

 視線を逸らせて誤魔化そうとする地下水をじーっと睨み付けるエルザに、ホル・ホースはやはり分からないと、首を傾けた。
 それに呆れた地下水は、エルザの視線から逃げつつティファニアが顔を赤くした原因を口にする。
 理由は、至極単純だった。

「公然とイチャついてるのが、見ていて恥ずかしいんだよ」

 誰が誰とイチャついているというのか。と反論しようとしたところで、ホル・ホースは首筋に当たる風が妙に冷たく感じることに気が付いた。
 エルザを抱えているのとは逆の手で冷えた部分に触れると、そこが僅かに湿っていることが分かる。
 べた付くような感触。
 最近、身近になりつつあるそれの正体を、ホル・ホースは良く知っていた。

「エルザ……、テメエ、オレを一回殺しかけておいて、まだ血を吸う気なのかコラ!」

 首筋に付いたものの正体は、エルザの唾液だ。
 血を吸う際や気紛れに首筋を舐められるために、ホル・ホースはすっかりその感触に慣れてしまい、言われないと気付けなくなっていたのである。
 だが、それにエルザは細く伸びた眉を怒らせた。

「誤解しないで!ただのマーキングよ!!テファちゃんがお兄ちゃんに指輪使ったら、つけておいた傷跡が綺麗に治っちゃってるんだもん!ちゃんと印つけ直しとかないと、誰のものかアピール出来ないでしょ!?」
「オレはどこの誰でもない、オレ自身のもんだ!なに勝手に所有権主張してんだ、オイ!?」
「むぅー、なんでよー?けちー!」

 ホル・ホースの剣幕に、エルザが頬を膨らませて不満そうに声を上げた。

「だーかーらー!オレはロリコンじゃねえって言ってんだろうが!!もうちょっと、これを見習って出直して来い!!」

 そう言ってホル・ホースが指を向けたのは、ティファニアの胸だった。
 突然の出番に驚き、脂肪の塊が大きく揺れる。

「なんでそんなに皆さん、わたしの胸ばかり気にするんですかあ!?」
「でかいからな」

 ティファニアの悲鳴に、地下水が冷静に答えた。

「おのれ、やはりそれか!それがわたしの邪魔をするのかー!」

 両手で自分の胸を隠したティファニアに、エルザの視線が向けられる。
 重力に逆らって、つんと先端を上に向ける大きな果実。確かにそれは、エルザには持っていないものの代表格であると同時に、手に入れたいと思う存在でもある。
 しかし、今の体にそれをくっつけたところで、違和感が大き過ぎることは明白。男を惑わす魅惑の林檎を胸に下げるには、そのほかの部分も成長しなければならないのだ。
 だが、ホル・ホースの言うロリコンの分類に当てはまらないだけの成長を果たすには、一体どれほどの時間を隔てなければならないのか。三十年かけても今のこれである。成長期が訪れればそれなりに成長速度は増すのだろうが、それでも十年や二十年ではきかないだろう。
 ホル・ホースが老人になってからでは遅いのだ。精力的に活動している今だからこそ、落とすのに楽しく、落とした後にも存分に楽しめる。主にエロい意味で。
 だからこそ、手に入れるには今しかない。女が近づく前に、自分という監視があるために発散できない肉体的な欲求不満を、自分に向けさせるのだ。
 既成事実さえ出来れば、あとはこっちのもの。煮て食うなり、焼いて食うなり、自由になるはずだった。
 だが、自身の想像以上に、性癖の壁は厚いようだ。
 ホル・ホースの意識は、エルザの体よりもティファニアの体に向けられている。
 見る価値無し。
 それが、エルザの体に対するホル・ホースの見解だった。

「お兄ちゃんは貧乳の良さに気付いてない!貧乳には貧乳の良さがあるのに!ほら、ものは試しだから、色々と弄んでみるといいと思うわ!具体的に言えば、わたしので!」
「テメエの場合は貧乳じゃなくて、ただの幼児だろうが!外見五歳児は黙ってろ!!」

 まったく取り付く島が無いホル・ホースに、ちっ、と舌打ちしてエルザは口を尖らせる。
 直球の誘惑は利かないらしい。しかし、何もせずに手を出してもらえるほど、匂い立つような色気が自分にあるわけでもない。
 意識改革の必要性があるようだ。

「なによ、ちょっと体が幼いだけじゃない!外見差別はんたーい!」
「事実だろ!体が幼い時点でアウトなんだよ!常識で判断しろ、常識で!!」
「ちょっと常識に外れてる方が、背徳感があって燃えるわよ!だから遠慮せずに、ほら!」

 胸を突き出し、ホル・ホースの両手を掴んでそれを自分の胸に当てようとする。普通ならそこで抵抗されるのだろうが、まったく意識の無いホル・ホースにしてみれば、それはただの板と同じ。というか、意識する方が間違っているのだが。
 手はあっさりとエルザの胸に触れ、ワキワキと動いた。

「あっ……、やぁん……」

 予想以上に簡単に触れてきたことで、ぴくりと肌を震わせる。
 そのついでに、意識してちょっと色っぽい声を出してみる。自分が女性であり、そういうものを受け入れられるのだと伝えなければならないからだ。
 ただ、そうしなくても、無骨な指に触れられている部分は熱を帯び、息が勝手に乱れて声が漏れそうなのだが、それを表に出すのが妙に恥ずかしく、エルザはあえて演技臭さを出していた。
 そんな体の反応を隠した行為は、ある種の色気のようなものを生み出していたが、やはり肉体的な劣勢を覆すには足りていないようだ。
 肉体年齢五歳の喘ぎ声に反応する男は、この場にはいなかった。

「あー……」

 哀れみを含んだ、がっかりしたような表情がホル・ホースの顔に浮かんでいた。
 手は未だに動いているが、感触がまったく楽しくないと断言されているかのようだ。
 熱っぽくなっていたエルザの頭が急速に冷え込み、頬が引き攣る。
 果てしなく屈辱的だった。

「なに。なんなのよ、その残念そうな顔は。喧嘩売ってるわけ?」
「いや、やっぱ常識って大事だな、と」

 小さな手に両の頬を引っ張られつつ、ホル・ホースがしみじみと呟いた。
 幼女に手を出すのはイケないこと。なんでかって?妄想ほどいいもんじゃないからだ。
 なんだか、唐突に誰かに馬鹿にされた気がして、エルザはそのままホル・ホースの頬を引き千切りたくなった。

「いだだだだだだだだ!?」
「ふーん、常識?わたしに手を出さないのは、常識があるからなんだ。そう。なら、わたしとあまり変わらない体型のおねえちゃんに手を出さないのは何で?15才なら、そろそろ結婚の話が出てきてもおかしくない年頃だわ。常識で考えるなら、手を出しても問題はないはずだと思うけど」

 脳裏にシャルロットの姿を思い描いて、エルザが言う。
 青い髪に物静かで、それでいて激情家の少女は、実に整った顔立ちをしている。口元は引き締まり、静かな目線は大人びた雰囲気と同時に、肉体的な幼さから奇妙な色香がある。
 十分に魅力的な女性だと、エルザは本気で思っていた。

「いや、幼児体型という意味じゃ特に変わってねえだろ」

 ホル・ホースとエルザのやり取りから真っ赤になって顔を逸らすティファニアの様子を眺めていた地下水が、唐突に切り込んだ。
 あまりに鋭い切り込みに、反論すら出来ないエルザは、冷たい視線を地下水に突き刺し、同時に底なし沼のようなドロドロした殺意をぶつける。
 地下水の動きが、凍ったように動かなくなった。
 頬の痛み流石に耐え切れなくなったのか、エルザの手を強引に引き剥がしたホル・ホースは赤く腫れた頬を撫でつつ視線を空に向ける。

「あー、こっちじゃ15才は結婚適齢期なのか。うへえ、シャルロットの嬢ちゃんがウェディングドレス着てる姿なんて、まったく想像出来ねえぞ」

 地球でも、15才なら結婚を許される国は少なくない。そのため、結婚年齢自体には特に驚くものは無かったが、シャルロットの外見で結婚と言うと、どうにもしっくりこなかった。
 白いベールに包まれ、神の前で愛を誓うシャルロット。
 可愛いとは思う。だが、大人のマネをして背伸びをした子供が、友達同士でごっこ遊びをしているような、そんなイメージしかホル・ホースには思い浮かばなかった。

「随分失礼なこと言ってるな、旦那。本人が聞いたら、ただじゃ済まないぜ」
「嬢ちゃんには言うなよ。アレで結構怒りっぽいからな」

 片方はヒヒと笑い、片方は金属音を鳴らして笑う。奇妙な声に釣られて、ティファニアも良く分からないまま笑顔を浮かべた。

「……こっち?」

 誰にも聞き取れないような小さな声で呟いて、エルザは瞳を揺らす。
 普段なら聞き流してしまう言葉なのに、なぜか今だけは耳に張り付いて残っていた。
 ほんの数日前に出会った、異国の少年の姿が浮かぶ。
 異世界。ハルケギニアとは隔絶された、奇跡でしか行き来の出来ない境界線を引かれた場所。
 こっち側と、あっち側。
 場所を示す言葉が頭の中でぐるぐると回り、呼吸の感覚が短くなる。
 聞きそびれたまま、聞かないままで過ごして来たものが色濃く思い出されて、忘れようとしても忘れられなくなっている。
 聞くことが出来なかったのだと自分に言い訳をして、このまま何も考えずに笑っていられればどれだけ幸せだっただろうか。
 聞きたくない言葉が返ってくる可能性は低くても、ゼロではない。有り得ないと言い切ってしまえるほど小さな可能性が、もし、目の前に突きつけられたら、正気でいられるとは思えなかった。
 自分は暖かさというものを知ってしまったのだ。何気ない日常に幸せを感じ、下らないやり取りに充実感を得て、この時間が永遠に続いて欲しいと願ってしまったのだ。
 でも、気にしてしまったら、もう後戻りは出来ない。
 答えが得られなければ、不安は延々と強まって、いつかは自分を押し潰してしまうからだ。
 最悪の答えが用意されている確率は、広大な草原の草一本にすら満たない。
 大丈夫。答えはきっと、自分の望んだものになるはずだから。
 そんな希望を胸に、エルザはホル・ホースの青い目を見ながら震える唇を動かした。

「おにいちゃ……」
「待て。何か近づいてくる」

 意を決して言葉を発しようとしたエルザの口を手で塞いで、ホル・ホースの目が鋭く闇夜に向けられた。
 また、聞きそびれてしまった。
 たった一言、故郷に帰るときには自分も連れて行って欲しい。そう言うだけなのに。
 せっかく搾り出した勇気が逃げ出してしまい、次また質問できるかどうか自信がなくなってしまう。
 一体、なにが自分を邪魔したというのだ。
 エルザはもどかしさを覆い隠すように生まれた苛立ちを視線に篭めて、ホル・ホースの見ている何かを視界に入れた。
 星の海を泳ぐように飛んでいる、翼を持った生き物。
 そこにいたのは、グリフォンだった。

「群れからはぐれたのか?人里になんて近づかないはずなのに、珍しいな」

 地下水が長い寿命の中で得た知識の一つと照らし合わせて呟くと、ホル・ホースとティファニアが、へえ、と感嘆の息を漏らした。
 グリフォンは、頭部が鳥だけあって夜間視力が非常に低い。夜の闇を見るには適していないため、ホル・ホースたちの近くを通り過ぎると思われるグリフォンは、右へ左へふらふらと安定しない飛行の仕方をしていた。
 その姿をぼうっと眺めたホル・ホースが、じゅるりと涎を飲み込んだ。

「グリフォンって、鳥だよな……?」
「……まさか、ホル・ホースの旦那。あれを食う気か?」

 確かに、遠目に見れば鳥に見えなくも無い。実際、頭と翼はサイズこそ大きいが、鳥のものと同じだ。
 ホル・ホースと同じようにグリフォンの姿を見ていたティファニアが、思いもよらない言葉を口にする。

「姉さんに聞いたんですけど。グリフォンの串焼きって、美味しいそうですよ?お祭りのときとかに、よく露天に並ぶそうです。えっと、確か食べ方は……」

 肉を食べやすい大きさに切り、串に通して炭火でじっくりと炙る。そんな料理についての豆知識に、ホル・ホースが先ほど飲み込んでばかりの涎を垂らした。

「よし。やっちまおう」

 迷いも無く、ホル・ホースが狩りの開始を宣言する。

「……なんというか、人間って凄いな」

 果ての無い食欲に畏怖と尊敬を抱きつつ、地下水はちょっとだけ生きた存在というものを羨ましく思った。

「……ねえ。今じゃないとだめ?」

 一人晴れない表情で、あまり気乗りしない様子のエルザが、ホル・ホースの腕を引っ張る。
 食べることよりも優先したいことがあるのに。
 聞きたいことがあるのだから、グリフォンなんて食べてないで自分を優先して欲しい。というのが、エルザの本音だった。
 だが、次の瞬間、エルザのお腹が軽快な音を鳴らす。
 小鳥の鳴き声のような腹の音に、エルザは少しだけ顔を赤くして、ホル・ホースの腕を放した。口から言い訳のような言葉が零れて落ちた。

「……ん、腹が減っては戦は出来ぬって言うし。味見くらいしてみてもいいか」
「素直じゃねえなあ」

 ヒヒと笑いを漏らしたホル・ホースの頬を引っ張りつつ、エルザは近づくグリフォンの姿を視界に捉える。
 あまり速くは無いが、高さがかなりありそうだった。

「あのグリフォン、かなり遠いけど、ちゃんと攻撃って届くの?」

 少なくとも、魔法の射程には入っていない。地下水も自信はないようで、言いだしっぺのホル・ホースに期待するような視線を向けていた。
 ガリアで竜騎兵を相手にしていたとき、ホル・ホースは100メートル前後の距離で相手を撃墜し続けている。それが必中の最大距離だとしたら、今回はそれ以上に遠いため、当てるのも威力を残すのも、難しいように思えた。

「距離は150ってところか。金属が相手じゃ弾かれるが、鳥を仕留めるくらいならなんとかなると思うぜ」

 エンペラーの有効射程は50前後で見積もっているが、弾丸を飛ばすだけなら実際は1000近くは飛んでいく。経験上、命中率や本体から離れることで失われるスタンドのパワーから、人を殺せるギリギリの距離がちょうど150だと、ホル・ホースは語った。
 だが、相手は鳥といっても、かなりの大物。一発で、というわけにはいかないだろう。
 狙いがある程度付けられる範囲内で、可能な限り連射をする必要がある。動きさえ止めてしまえば、止めを刺すのは難しくない。万が一仕留められなくても、傷つけられた怒りで襲い掛かってくるだろう。そうなれば、こっちのもの。
 この場合で問題視すべきなのは、中途半端に傷を負わせて逃げられることだ。
 エンペラーのスタンドを発現させたホル・ホースは、腰の辺りにそれを構えて、引き金に指を当てた。それと同時に、左手が撃鉄の上に添えられる。
 一撃で仕留めるか、怒らせてスタンドの力を十分に発揮できる距離まで近づいてもらうか。
 二つに一つの選択肢を前に、迷いは無かった。
 銃を取り出したのなら、獲物を一撃で仕留めるのがガンマンだ。
 目標の位置を確認し、グリフォンが自分の射程範囲内だと判断すると、迷い無く指先に力を入れて、左手を高速で動かす。

「くたばれ鶏肉ー!!」

 引きっ放しの引き金は撃鉄の動きを阻害することなく、左手の動きに合わせて銃弾を外界へと送り出した。
 計八発。
 刹那の間に撃ち出された生命と精神の弾丸は、風や重力をまるで無視して、遠く離れた場所を飛ぶ獣に襲い掛かった。
 確かな手応えと共に、劈く様な悲鳴が上がる。
 グリフォンが空中で苦痛に悶え、やがて力尽きたように落下を始めた。
 それを見てホル・ホースは首を傾げる。
 なんとなく、別のものに当たった気がしたのだ。

「気のせいか……?」

 弾丸もスタンドの一部とはいえ、その感覚が繋がっているわけではない。弾がなにに命中したのかを正確に把握するには、やはり目視での確認が必要なのだ。

「あれ?二つ落ちてくる」

 エルザが指差し、打ち落とされたグリフォンの影を追う。
 錐揉み回転で落下するグリフォンから、ゆっくりと何かの影が離れていく姿が見えた。
 グリフォンよりも二回り以上小さいそれは、人の形をしていた。

「おおっ!?もしかして、人が乗ってたのか?」
「まあ、そりゃあ、はぐれグリフォンなんて珍しいから、その方が可能性は高いよな」

 驚きの声を上げるホル・ホースに、地下水が改めて状況を分析して冷静な言葉を発した。
 面倒なことになったと、ホル・ホースは盛大な溜め息を吐く。
 ハルケギニアには、グリフォンを飼うような平民は存在しない。大方は、貴族か軍だ。
 どちらも、ハルケギニアにおいては支配階級の人間に当てはまる。敵に回すには面倒臭い相手だろう。ガリアでは王であるジョゼフに真っ向から喧嘩を売ったホル・ホースたちだが、むやみに争いごとを広めて恨みを買いたいわけではないだ。
 それ以前に、無関係な人間を打ち落としたことを気にするべきなのだが、ホル・ホースもエルザも、そして地下水も、そういう点に対するモラルは高くない。一人だけ真っ当な感性を持つティファニアだけが、落ちてくる影を見てオロオロとしていた。

「相手が誰かわからねえからなあ。死なせるのもヤバイか」

 一平卒の軍人や辺境貴族が相手ならこのまま逃げてもいいが、下手に重役だったりすると指名手配の紙があちこちに張られることになる。
 知らぬ存ぜぬで通したいところだが、情報と言うものはどこから漏れるか分からない。今の光景を、誰も見ていないとは限らないのだ。
 ラ・ロシェールでの経験上、もう面倒ごとを積み重ねるのは御免だった。

「ん。じゃあ、キャッチするね」

 エルザが両手を突き出し、小さく言葉を紡ぐ。風の精霊に呼びかけ、空気の塊をクッションにして落ちてくる人間を受け止めるのだ。

「当たり所が悪かったら、死んでるかもなあ」

 手違いで当たってしまったため、どういう状態なのかは分からない。もしかしたら、エルザの魔法も意味は無いかもしれなかった。
 ホル・ホースの呟きにティファニアがショックを受けた様子で、やはりオロオロとする。そんな様子を横目に、エルザが前に出した手を収めてホル・ホースの服を引っ張った。

「終わったよ。多分、生きてると思うけど」

 少し離れた場所に落ちた人影にちらりと視線を向けてエルザが言うと、ホル・ホースは腰のあたりまでしかないエルザの頭を乱暴に撫で付けてよくやったと褒める。
 嬉しそうに目を細めるエルザを抱きかかえ、人影の様子を見に歩き出したホル・ホースの後を、ティファニアと地下水が続いた。
 落下地点は、それほど離れてはいない。ほぼ目の前だ。
 少し歩くだけで目的のものはすぐに見つかった。ただ、それと同時に漂ってきた鼻につく嫌な臭いに、ホル・ホースは顔を顰めた。
 強烈な血の臭いが、じっとりと感覚に絡み付いてきたのだ。

「……ちょっと食欲が失せるなあ」
「そう?美味しそうじゃない」

 体の大きさから先に見つけたグリフォンの死体を目の当たりにして、ホル・ホースとエルザがまったく別の感想を漏らす。
 体の数箇所に穴を空け、そこから血を流しているグリフォンは、エンペラーの銃弾で死んだというよりは、それをきっかけに落下した衝撃で命を落としたようだ。四本の足は歪に折れ曲がり、部分的に欠けた嘴からは赤い泡がブクブクと湧いて出ていた。
 田舎暮らしが長いために生きた動物を捌くことも多いティファニアと、元々生き物の生死に共感なんて覚えない地下水は、特にこれといった感想は無いらしい。地下水はともかく、ティファニアも意外にタフなようだ。

「んで、こっちはどっかで見たような顔だなあ……」

 グリフォンから数歩離れた場所に、エルザの魔法によって軟着陸を果たした人影の姿を視界に入れたホル・ホースが、背格好が記憶のどこかに符合することに眉を寄せた。
 男は、どうやら気絶しているらしい。うつ伏せになっていた体を仰向けにして頬を軽く叩いてみるが、起きる気配はまるで無かった。

「あっ!あれよ!お姉ちゃんと一緒に居た、なんとか子爵」
「……おお!シャルロットの嬢ちゃんにボッコボコにされた、あのロリペド野郎か!」

 羽帽子に、豪華なマント。腰に下げたレイピア。そして、長い髪に整えられた髭面は、最近の記憶の中に確かにあった。
 だが、二人とも名前を覚えていないらしい。どんなやり取りがあったかは思い出せたのだが、具体的に目の前の人物がなんなのか、まったく記憶していなかった。
 かろうじて、ロリコンとペドフィリアという言葉が思い浮かんだだけだ。

「いや、ワルドだろ。覚えといてやれよ」

 一人だけ覚えていた地下水が口を挟んだが、ホル・ホースもエルザも聞いていなかった。

「まあ、いいや。ロリコン野郎なら心配することもねえだろ。なんでこんなところにいるかは知らねえけど、どこか抜けてるからな。このまま放置しとけば、夢遊病でふらふらと寝床を抜け出したとでも勘違いするんじゃねえか?」
「グリフォンにまで乗って出かけるなんて、どんな夢遊病者よ」

 少々呆れたようにホル・ホースのボケに突っ込んだエルザは、視線をロリコン子爵の胸元に向けた。
 落ちてきた原因と思われる誤射の跡は二箇所。脇腹と、太ももの辺りに存在した。太ももの傷跡はほとんど掠り傷だが、胸の辺りに広がる赤い染みを見るに、脇腹の方は直撃だったようだ。ワルドの息は乱れ、少しずつ小さくなっている。
 傷は内臓にまで到達しているようで、ホル・ホースの言ったとおりに放って置くと、朝を迎える前に死ぬだろう。流れ出る血液の量は、尋常ではなかった。

「あ、あの!その人、治療しないといけないんじゃ……!?」

 エルザと同じようにワルドの傷跡を見ていたティファニアが、両手を胸の前で組んで声を上げた。手にあるのは、朝方にホル・ホースの貧血を治療した指輪だ。かなり強力な治療用のマジックアイテムであるそれを、この場で使うつもりらしい。
 それを察して、エルザとホル・ホースが渋い顔をした。

「どうするよ。こいつ相手じゃ、もったいないんじゃねえか?」
「貴重な指輪なんでしょ?無制限に使えるってわけでもないだろうし」

 身内に甘く、他人に厳しい二人の意見に、ティファニアは悲しそうな表情を浮かべる。
 現実的快楽主義者なホル・ホースとエルザとは違い、ティファニアは博愛精神の旺盛な人物だ。食うために殺すことを割り切れるだけの意識はあるが、助けられる相手を自身の損のために助けないという選択肢を選べるタイプではない。
 止めても無駄だろうと、ホル・ホースとエルザは肩を竦めて首を振った。

「どうせ、助けても一銭の得にもならねえぜ?それでもいいなら、好きにしな。シャルロットの嬢ちゃんの知り合いを死なせるわけにもいかねえし」
「殺しかけたのはお兄ちゃんだけどね」

 ぐ、と詰まったホル・ホースにからかうような笑みを浮かべたエルザは、そのままティファニアが指輪を使いやすいように場所を譲った。
 入れ替わったティファニアが、ワルドの胸元に指輪を近づける。朝に聞いたものと同じ、不思議な旋律が辺りに響き渡った。
 指輪の放つ光が周囲を淡く照らし、幻想的な光景を作り出す。
 月明かりと比べれば遥かに儚い光が夜の闇に穴を開けている時間は、ずいぶんと短かった。
 もう少し見ていたい。そう思えるような暖かい光が消えて、ティファニアがワルドから離れると、代わりにエルザが近づいて傷口のあった場所を指で撫でる。

「治った、のかな?」

 穴らしいものは、もう存在していなかった。触れた部分が少し柔らかい気がするが、それは肌が生まれ変わってばかりで角質が硬化していないせいだろう。

「これで死んだりはしないと思いますけど。出来れば、お医者さんに見てもらった方が……」
「その必要は無い」

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