ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

8 皇帝崩御 後編

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匿名ユーザー

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 杖に魔力を通し、コモン・マジックと呼ばれる魔法を発動させる。長ったらしい詠唱など必要ない。爆発が起こることは決まっているのだから、あとは篭められた魔力の分だけ被害を拡大させてやればいい。それを煙幕に逃げ出し、助けを呼ぶのだ。

「バカな女だ」

 構えたレイピアを動かそうともしないで、ワルドは冷たい目をルイズに向けたまま蔑む様に呟いた。執務室の中に爆発が巻き起こる。爆風と粉塵が部屋を満たし、視界を覆う。これでも足りないと、ルイズはさらにアンロックの魔法を唱え続けた。二度、三度、四度と爆発が続き、視界に広がる闇が濃くなる。目を殺す壁は生まれた。後は、逃げるだけだ。
 そう思ったルイズは、足元に転がった包みに手を伸ばそうとして、首筋に当たる冷たい感触に息を呑んだ。まだ暗い視界の中で、しっかりと、冷たいものが押し付けられている。
 ワルドのレイピアだ。
 この暗闇でも、ワルドは正確にこちらの居場所を探知し、動きを見切っているらしい。首筋に突きつけられたレイピアに動きを止められたルイズは、煙幕が晴れるまでの間、その場に留まるしかなかった。やがて、煙が空気に溶け込み、視界がはっきりするようになると、ワルドが先ほどと変わらない位置でレイピアを構えている姿が目に映る。
 どうして。という言葉は、口にしなかった。

「碌に目標に当てられない魔法など、怖くもなんともない。どれほど短い詠唱で魔法が唱えられても、目的を果たせないのであれば、やはり失敗なのだよ。ルイズ」

 狙いが外れると分かっていれば、動く必要など無い。煙幕で目が見えなくとも、ルイズがどのように動くのかなど理解できるのだろう。
 後は、その場に立って、ルイズが向かいそうな方向にレイピアを突き出していればいい。それだけで、ルイズは勝手にレイピアに触れて身動きが出来なくなるのだから。

「出来れば殺したくは無い。だが、聞き分けの無い子供にはお仕置きが必要だ。そうは思わないかい?僕のルイズ」

 サディスティックな笑みを見せるワルドに、ルイズは嫌悪感と吐き気を覚えた。
 昔は、こんな人ではなかったのに。
 過去のワルドが思い出されるたび、今のワルドに対する気持ち悪さが強くなる。もしかしたら、子供の頃に婚約だなんだと話し初めた頃からこうだったのかもしれない。

「変態ね」

 思わず出た言葉だったが、ワルドは否定する様子を見せなかった。むしろ、張り付いた笑みは楽しんでいるかのように深まる。

「ふむ、そうかもしれない。僕はそんな趣味を持った覚えは無いけど、なんだか気分が高揚するんだ。今回の旅の間に、散々煮え湯を飲まされてきたからね。少々人生観が変わったとしても、別に不思議じゃないさ」

 ワルドのレイピアが、ルイズの腹部に向けられる。

「ウィンド・ブレイク」

 風の魔法がほとんど密着した状態で、しかも、事前動作もなく放たれた。魔法に耐えようと体に力を入れることも出来ず、ルイズの小さな体が魔法によって生み出された風の衝撃波によって吹き飛ばされ、執務室の壁に叩き付けられる。床に倒れ、胸を押さえて咳き込むルイズを、ワルドは目を細めて見ていた。

「ふむ。なかなか悪くない気分だ。だが、思ったほどではない。手加減をし過ぎたかな?」

 不満そうに呟いたワルドは、ジェームズとパリーの遺体を意図して踏みつけ、血に汚れた靴で絨毯を汚しながらルイズに近づく。

「おっと、忘れるところだった。これは頂いて行くよ」

 伸ばされた手が、まだ呼吸が整わず力の入らないルイズの襟元の隙間に入り込み、二通の手紙を取り出す。

「か、かえして……」

 取り返そうとルイズは震える手を伸ばすが、指の先すら触れられないまま、手紙はワルドの服の胸ポケットに仕舞われた。手紙の代わりに差し出されたレイピアの先端が、今度はルイズの頭に近づけられる。

「次は、死ぬか死なないかのギリギリのところを試してみよう」

 口から零れる詠唱は、風の鎚を生み出す魔法。エア・ハンマーだ。杖を握り締め、ルイズは最後の抵抗をしようと立ち上がって魔法を放とうとする。だが、それよりも早くワルドの魔法が完成した。大気が圧縮され、突き出された杖ごとルイズの体が巨大な何かに体当たりをされたかのように、再び吹き飛んだ。 赤い滴が宙に散る。
 再び壁に背中を打ちつけたルイズの肌は内出血で赤く染まり、杖を握っていた指は歪な形に変形していた。小さな呼吸は耳を澄ましてやっと聞こえる程度で、今にも消えてしまいそうだ。だが、それでもルイズは立ち上がった。揺れる頭を気合で固定し、口の端から流れる血を乱暴に袖で拭う。使えなくなった右手の代わりに左手で傍らに落ちた杖を拾い、魔法を詠唱した。

「ファイアーボール!」

 長い詠唱を果たしても、結局は爆発が起きるだけだ。
 まるで警戒する様子も無く近づいてくるワルドの背後で、狙いの外れた爆発が壁を崩し、夜空の姿を映し出す。自分で生み出した爆発に煽られたルイズは、その場に倒れこんで咳をした。口元に当てた手に血の染みが生まれている。肺が傷ついているのかもしれない。
 だが、今戦わなければ、肺どころか心臓だって危ないのだ。
 もう一度杖をを握り、ワルドに向かおうとしたところで、ルイズは自分の足が動かないことに気がついた。ガタガタと、冬の夜空の下に放り出されたかのように震えている。力も、まるで入らない。それでも何とかしようと、ルイズは動かない足を杖を握った手で殴りつけた。

「動け!動きなさい!動けったら!!」

 だが、足は震えるばかりで、立ち上がろうとはしてくれなかった。
 気合が足りないのだ。そうに違いない。
 自分の使い魔が言いそうな言葉を頭の中で繰り返し、息を吸い込む。そして、お腹に力を入れて、立ち上がろうとした。しかし、それが逆に頭痛を誘発し、体から力を奪い去る。杖が、床に転がった。慌てて伸ばした手は、もう届かない。絨毯を踏みしめる足音が伸ばした手の先に向かい、杖を踏み砕いた。顔を上げた先で、ワルドが崩れた壁の向こうから覗く二つの月を背負ってルイズを見下ろしていた。

「さて、そろそろ終りにしよう。異変に気づいた兵たちが集まって来ては面倒だからね」

 イーグル号の出港時間もある。ルイズとワルドが戻ってこないことを知れば、誰かが呼びに来る可能性もあるだろう。だが、未だ開け放たれた扉の向こうから現れる人影は無く、血の海だけが広がっている。廊下の向こうから流れ込んできているらしい冷たい風が、絶望を色濃くさせた。

「さようなら、ルイズ」

 ワルドの杖に雷光が帯びる。人を一撃で死に至らしめる魔法、ライトニング・クラウドの魔法が発動したのだ。視界に広がる青く、白い光。あまりにも冷たいその光に、ルイズは目を閉じ、口を開く。
 助けて。
 その言葉を口にする間もなく、ルイズの体は青白い光に包まれた。

 暖かい光に目を覚ますと、ルイズはそこが見慣れた場所であることに気がついた。生まれ故郷の、ラ・ヴァリエール家の屋敷。その中庭にある、広い池に浮かぶ小船の上だ。池の周囲には季節の花々が咲き乱れ、小鳥の集う石のトーチとベンチがある。小船は、そんな池の中央にある、小さな島のほとりに浮いていた。
 ルイズは小さい頃、なにかいやなことがあると決まってこの小船に逃げ込んでいた。人目につき難い場所にあるこの小船は、格好の逃げ場だったのだ。

「どうして、わたし、こんなところに……?」

 わざわざ持ち込んだ毛布に包まり、熟睡していたようだ。髪や衣服が、目も当てられないくらいに乱れていた。それどころか、煤のようなものまでついている。何かを溢したような赤い染みなんて、もう取れそうに無かった。
 しかし、わたしってこんなに寝相が悪かったっけ?
 クシャクシャになった髪を手櫛で梳かし、服の乱れを整えると、ルイズは不安定な小船の上で立ち上がった。何度も乗り込んだ船であるために、バランスのとり方は慣れたものだ。強い風が吹いたとしても倒れない自信もある。特に自慢する相手もいないが。

「さて」

 と呟いて、ルイズは腕を組んだ。
 当面の疑問は、なぜ自分がここにいるのか、だ。こういうときは一番新しい記憶を掘り起こしてみるのが近道だと思い、ルイズは首を傾げた。
 はて?そういえば、自分は何をしていたのだろうか。
 真新しい記憶を思い出そうとしても、霧に包まれてまるで思い出せない。
 楽しかったのか、辛かったのか、なんて感情も記憶に無い。ただ、この場所に居るということは、あまりいいことは無かったのだろうと、それだけは確信を持てた。なにせ、ここはルイズが辛いことがあったときに逃げ込む場所。いやなことが無い限り、ここには近づかないのだ。では、一体どんなことだっただろうかと、再び首を捻る。
 やはり、思い出せなかった。

「困ったわね」

 何が困ったのかも分からないほど困っていた。うーんと唸り、右へ左へと首を傾けたルイズは、どれだけ考えても答えが出てこないことに溜め息を零す。自分が誰だったのかも、だんだん分からなくなってきたのだ。そんな時、ルイズを呼ぶ声が池の向こうから聞こえてきた。

「ルイズ。僕の小さなルイズ」

 羽帽子で顔を隠した青年が、ゆっくりと近づいてくる。まるで、そこに地面があるかのように池の上を歩いてきた青年は、ルイズの前まで進むと、手を差し伸べて来た。真っ白な手袋に包まれた、大きな手。それに自分の手を伸ばしながら、ルイズは尋ねた。

「貴方は、一体どなたかしら?お会いしたことはあった?」

 青年の手が止まり、ゆっくりと戻されていく。大げさにショックを受けた様子を見せて、青年の口元に笑みが浮かんだ。

「そんな、ルイズ、酷いじゃないか。僕だよ。君のお父様とあの約束を交わした」

 そこまで聞いて、ルイズはやっと思い出した。

「子爵さま?」
「そう」

 言い当てられたことが嬉しかったのか、青年はまた大げさに動いて喜びを示した。子爵様って、こんな人だったかしら?
もっと優雅で、慎ましく、一つ一つの動作に洗練された美を感じさせる、そんな人物だった気がして、ルイズはまた首を傾げた。

「子爵様、帽子をお取り下さいな。そのままでは、お顔が分かりませんわ」

 直接顔を見れば思い出すだろう。そう思っての発言だったが、青年は帽子を押さえてプルプルと震えたかと思うと、こちらの様子を窺うようにちらりと視線を向けた。

「そんなに、見たいのかい?」

 見られたくない、というよりは、もったいぶっている様子だ。

「え、ええ」

 多少戸惑いながらルイズが頷くと、青年はやれやれと首を振って肩をすくめた。

「そこまで言うなら、仕方ないな。見せてやろうじゃないか」
「えー、っと?」

 こんな物言いをする人物だっただろうか。
 増えた疑問に、ルイズはしつこく首を傾げた。

「よーっく目に焼き付けろよ?」

 なんでそんなに強調するのかまったく理解できず、ルイズは適当に首を縦に振った。
 青年の手が帽子のつばにかけられ、ぐっと、力が込めらた。

「これが俺のハンサム顔だっ!!」
「……あーっ!?」

 羽帽子が放り投げられ、下から見慣れた少年の姿が現れた。異国の顔立ちをした、黒い目と同色の髪の少年を見て、ルイズは叫ぶ。

「サイト!あんた、なに馬鹿なことやってるのよ!!」

 先ほどまでの青年は貴族らしい格好をしていたが、いつの間にか、才人は普段の青と白に彩られたパーカーの格好に戻って間抜けな顔を晒していた。

「婚約者に向かって、馬鹿とはなんだよ!」

 拗ねた様に唇を尖らせる使い魔に、ルイズは普段の調子で言葉をぶつける。

「だ、だだだ、誰が婚約者よ!脳みそ腐ってんじゃないの!?」

 不埒な使い魔を教育しようと、ルイズは杖を取り出し、魔法の詠唱を始めた。ここでいつもなら、バカな使い魔は言い訳をしながら爆発に巻き込まれて倒れ、自分は手を払って肩を怒らせながら去っていくのだ。
 だが、今日の使い魔は一味違っていた。
 魔法を放とうとしたルイズの手を掴み取って引き寄せたのだ。自然と体が才人の方に倒れ、ルイズの体が才人の腕の中に収まる。

「はは、お転婆だな、ルイズは」
「な、な、なな、何なのよ!あんた、いつにも増しておかしくなってるじゃない!!」

 跳ね除けるように才人を突き飛ばし、ルイズは小船の上で仁王立ちする。手に握られた杖には、既に紫電が纏い、魔法の発動準備が整っていることを告げていた。

「お、おい、待てよ。まさか、婚約者相手に、そんなもん振り下ろそうなんて……」
「誰が婚約者よ!この、バカ犬ー!!」
「うぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」

 盛大な爆発が才人の体を宙に吹き飛ばし、血糊をいっぱいにぶちまけて池に落下した。結局はいつも通りのようだ。肩で息をして水面に浮かぶ才人を睨み付けるルイズに、頭上から女性の声がかけられた。

「あら?ヴァリエール家って婚約者にこんな仕打ちをするのね。これじゃあ、家のご先祖様に伴侶を寝取られても仕方ないんじゃない?」
「屈折した愛情表現。……ユニーク」

 シルフィードの背に乗ったキュルケとタバサが、なぜか白衣姿で池に浮かんでいたはずの才人を治療している。世にも珍しい人間の使い魔は、その治療に身を任せながらデレデレしていた。

「あの、エロ犬うぅぅ!!また性懲りも無く鼻の下を伸ばしてえええ!!」

 杖を再び構え、魔法の詠唱を始めたルイズを見て、タバサが杖を振る。それに答えるようにシルフィードが鳴き声を上げて空の上を目指して翼を動かした。

「コラー!戻ってきなさーい!!」
「じゃあね、ルイズ。また会いましょう」

 遠ざかるシルフィードを追い立てて、ルイズは中庭を駆ける。だが、地平線の先まで途方も無く続く庭は、どれだけ走っても一向に前に進まなかった。
 やがて息を切らしたルイズがその場に倒れこみ、呼吸を整えていると、背後で誰かの悲鳴が聞こえてきた。
 振り返った先で、ギーシュらしき影が幽霊のように消える。それと同時に、地面に大きな丸い穴が開いた。
 あまりに一瞬で、それがギーシュだったのかも確証が持てないが、多分、あの悲鳴の上げ方はギーシュだろうと、勝手に決め付けておく。
 落とし穴だろうか?
 そう思って、ルイズは穴の中を覗き込むが、ギーシュらしい姿は見当たらない。それどころか、綺麗な断面の穴は果てしなく、どこまでも続いているかのようだった。
 落とし穴ではない。もっと別の、そう、何かが通った穴。
 そんな風に見える穴に気を向けていると、少し離れた場所から声が聞こえてきた。

「うおー!どこだここは!?一面のお花畑って、シャレになんねえぞ!エルザ!地下水!いねえのか!?って、誰だ!オレに向かって手招きしてる奴は!!ブ男と犬……?何処かで見たような、いや、ジョースターの仲間の……、いや待て、それ以上になんか嫌な気配が……!」

 なんとも騒がしい声に思わず視線を向けると、砂色の服の男があたりを不安そうに見回している姿が目に入る。
 その後ろに浮き上がるように現れた長身の男が、砂色の服の男の肩に手をかけた。

「久しぶりだな、ホル・ホース。DIO様の命も果たせず、未だにのうのうと生きているそうじゃないか」
「げ、げーっ!?ヴァニラの旦那!あいつらが居るから、もしかしてとは思ったけど……、地獄に落ちたんじゃねえのかよ!」
「ふん。地獄の門など、このヴァニラ・アイスには意味など無い。派手に風穴を開けてやったわ!」

 尊大な口調で長身の男が言うと、砂色の服の男はカタカタと歯を鳴らしてゆっくりと後退し始めた。
 長身の男の手がゆっくりと上げられ、何かを掴むような動作を取る。
 少しだけ、足が浮いているように見えた。

「ええ!?どういうこと!?何でオレに殺気を向けるんだよ!あ、いや、そりゃあ、途中でリタイアしたのは事実だけどよ、ちゃんと戦ったぜ?仲間内じゃあ、かなりいいとこまで行っただろ?待て、待てって!」
「黙れ!ジョースターたちの一人すら葬れず、この俺に腑抜けた面を見せおって。安心するがいい、先ほどウォーミングアップを終えたところだ。痛みも無く、一瞬で飲み込んでやる」

 長身の男の体が宙で一回転し、何かに溶け込んで姿を消す。悲鳴を上げて逃げ出した砂色の服の男の姿が、少し間を置いて虚空に消えた。

「え?」

 あまりにもあっけなく、影も形もなくなってしまったことにルイズは戸惑う。
 長身の男になにかをされたのだろう、ということまでは分かったが、実際に何をされたのかまでは分からない。
 また地面に穴が開いているため、もしかしたらギーシュもあれにやられたのかもと、推測を立てるしかなかった。
 とりあえず、危険な雰囲気がバリバリしていたから、ルイズはこの場から逃げようと、音を立てないようにそっと振り返って走り出そうとする。
 だが、振り返った先には、既に長身の男がすごい形相を浮かべて立っていた。

「このヴァニラ・アイスから黙って逃げようというのか、ド畜生が!!貴様も亜空間にばら撒いてやる!!」
「い、いやあああああぁあぁぁぁああぁぁあ!!」

 悲鳴を上げても、もう遅かった。
 長身の男は砂色の服の男を消し去る前のように何かにもぐりこんだかと思うと、まったく姿が見えなくなる。
 次の瞬間、ルイズの存在は奇妙な音と共に消えてしまったのだった。



「ルイズ!」

 冷たい意識の向こう側で、誰かが自分の名前を呼んでいる。
 しかし、目を開けることも、口を動かすことも、今のルイズには出来なかった。
 全身が痺れたような感覚に襲われて、まったく動かせなかったのだ。
 暗い世界に捕らわれ、また意識が消えてしまいそうになるのを恐れて、ルイズは手を伸ばした。

「……さ、いと」

 虫の鳴き声よりも小さな声を発しただけで、体は限界を迎える。
 力なく、手が床に落ちた。

「クソッ!このタイミングで貴様らが現れるとは!」

 吐き捨てるようにワルドが叫び、崩れた壁の先を見る。
 赤と青の重なった月に照らされて青い鱗を白く染め上げたシルフィードの背中に、デルフリンガーを握った才人と杖を構えたキュルケたちの姿があった。

「間一髪」

 タバサの掲げた杖の周囲が白く濁っている。強い冷気に晒された跡だ。
 それは、既に魔法が放たれた証拠である。
 部屋の端に倒れるルイズの体を覆うように突き立ったウィンディ・アイシクルの氷の柱。それが、ワルドの放ったライトニング・クラウドの盾となったのだ。

「まさか、お前が裏切り者だったなんてな」

 最初に執務室に降り立った才人の言葉に、ワルドは声を低くして笑う。そのまま両腕を広げると、握ったレイピアを揺らして視線を部屋のあちこちに向けた。

「ふん。何のことかな?僕は襲撃者からルイズを守っていただけだよ。根拠のない言いがかりはやめてもらいたいものだね。そう、根拠の無い言いがかりはね」

 すっと目を細めて、ワルドは才人に続いて降りてきたタバサを見る。
 ラ・ロシェールでロリコン呼ばわりされたことを、未だに根に持っているようだ。陰湿といえば陰湿だが、その後の決闘に敗北したことが屈辱の決定打となったのだろう。あのときに勝利を収めていれば、そこまで固執はしていなかったかもしれない。
 だが、そんなことは関係ないとばかりに、タバサは杖を構えて魔法の詠唱を始めていた。

「なんだ、僕を攻撃するのか?証拠も無いのに?」
「証拠ならあるさ」

 デルフリンガーの柄をしっかりと握り締めた才人が、ルーンの刻まれた左手で自身の左目を軽くこすった。

「しっかり見てたぜ!テメエがルイズから手紙を奪い取った瞬間をな!」

 その言葉に、ワルドが憎々しげに舌打ちした。

「そうか。そういえば、貴様はルイズの使い魔だったな。視覚の共有が出来ても、不思議ではないか」

 ポケットに仕舞った手紙は、本来はルイズが管理しているもの。それを自分が手にしている以上、言い逃れは出来ないだろう。
 どうせ、無実と言っても聞きはしない。そして、無実ではない以上、知った相手をただで済ますわけには行かなかった。
 ワルドがレイピアを構えるのを見て、才人と、後ろに降り立ったキュルケとギーシュが、杖を構えた。

「ぶっ殺す!!」
「来い、ガキ共!!」

 才人とワルドの掛け声に合わせて、戦闘が始まった。
 一番最初に攻撃を行ったのは、既に魔法の詠唱を終えていたタバサだ。
 冷たい氷の弾丸を無数に作り出したそれは、もっとも得意とするウィンディ・アイシクルの魔法。だが、今回のそれは、氷の矢が普段よりもずっと小さく、指先ほどしかない。威力は元の半分以下だろうが、その分だけ数が多かった。

「殺しはしない。けど、痛めつける」

 冷たい風とともに打ち出された小さな氷の粒が一気に加速され、銃弾のように打ち出される。
 ワルドは、それを前にして表情を歪めた。

「チィッ!やはり貴様が一番厄介だな!!」

 小さい氷の粒は、一つ一つを打ち落とすには小さ過ぎる。かといって、回避しようにも張られた弾幕に隙間は無い。
 ワルドはそれに対して魔法で風の結界を作り出し、守りに入るしかなかった。
 出鼻を挫かれたことに、ワルドは歯噛みした。
 人数に差がある以上、相手をこちらのペースに引き込む必要があるというのに、最初からそれを防がれた形だ。戦いの基本を押さえた人物が一人居るだけで、戦い辛さが何倍にも跳ね上がっている。子供の集団だと舐めてかかれば、その瞬間に敗北が確定するだろう。
 氷の弾丸を弾いている間に、自由に動ける才人とギーシュが間合いを詰める。才人はデルフリンガーを、ギーシュは青銅のゴーレムを七体作り出し、突撃の体勢をとっていた。
 氷の弾丸が撃ち尽くされると同時に突っ込んでくるつもりだろう。一人や二人が相手ならともかく、異常に動きの早い才人と数の多いギーシュのゴーレムを同時に相手にするのは、少々厳しいものがある。
 視線を動かし、部屋に使えそうなものが無いかと探しているワルドをどう見たのか、才人がデルフリンガーを構えたまま声を張り上げた。

「どうした!やる気あんのかコラ!!」
「おう、言ってやれ相棒!」
「ふ、君たちは威勢だけはいいねえ」

 才人とデルフリンガーが意気を高める横で、ワルキューレと自身で名づけた青銅のゴーレムに囲まれたギーシュがバラの造花を鼻元に寄せる。造花に匂いなど存在しないから、明らかな格好付けだ。

「ちょっと、真面目にやりなさいよ!相手はワルドだけど、一応スクウェアクラスなのよ!」
「その言い方も酷いと思う」

 キュルケの言葉に、杖をワルドに向けていたタバサが突っ込んだ。
 緊張感の無いやり取りだが、部屋の一部は血に塗れている。ここは間違いなく、命のやり取りをする戦いの場なのだ。ふざけていていいはずが無い。
 それでもこうしているのは、それを考えると動けなくなるからだ。死に慣れていない人間が血の臭いが充満する場所で戦うには、気を紛らわせる何かが必要なのである。
 才人たちは、状況をあえて無視することで、膝が震えるのを誤魔化すしかないのだ。
 その中で唯一の救いは、敵であるワルドが心理的に弱っている才人たちの心を読みきれていないことだった。

「どこまでも虚仮にしおって!」

 ワルドがこめかみに青筋を浮かべ、怒りを才人たちにぶつける。
 ウィンディ・アイシクルが作り出した氷の矢が全て撃ち尽くされ、それでもワルドの防御を突破できなかったのを見た才人とギーシュが、攻撃に転じた。

「ルイズの仇だ!」
「まだ相棒のご主人様は死んでねえぞ!」

 ワルキューレよりも動きの早い才人が、氷の弾丸を防ぎきったワルドに側面から切りかかる。
 冷たい風の余韻が未だに残るため、ワルドはすぐに動けない体を無理矢理捻ってレイピアを突き出した。

「雑魚は引っ込んでいろ!」

 体勢の整わない一撃だが、才人の乱暴な振り下ろしを逸らすことくらいは出来たようだ。
 勢い余って床に突き立ったデルフリンガーを抜こうと動きを止めた才人を、ワルドは容赦なく攻撃する。
 だが、それも背後から突撃してきたワルキューレの小隊に阻まれた。

「ええい、邪魔だ!」
「当たり前さ。邪魔をしているんだからね!」

 ギーシュが造花の杖を振り、ワルキューレの動きを制御する。才人から一歩遠ざかったワルドを追撃するように、青銅の戦乙女が槍を突き出した。

「ドット風情がいい気になるな!」

 ワルドの二つ名である閃光に相応しい剣技が、近づくワルキューレの一つをスクラップに変えた。
 単純に剣を振るうだけでは、青銅のゴーレムを切ることは出来ない。
 容易く切り裂いた理由は、いつの間にかレイピアに宿っている青白い光にあった。武器に風の刃を付加して切れ味を倍増させる、エア・ニードルの魔法だ。
 更にレイピアが振られ、ワルキューレがもう一体ガラクタに変わった。
 ギーシュの表情に青味が差す。
 魔力の関係上、ゴーレムはたった七体しか作れないのに、もう二体目が破壊されてしまったのだ。これでは、早々に戦力外となってしまう。

「さらにもう一体!」

 戸惑うギーシュに手心を加えることなく、ワルドがレイピアを近づくワルキューレに向けた。

「あたしも忘れないでよね!」

 キュルケが杖を振り、頭上に生み出した炎の塊を投げつける。
 破壊しようとしたワルキューレごとワルドに襲い掛かる炎の塊が、床を赤く染め、火の粉を撒き散らした。
 ギリギリでレイピアにかけられたエア・ニードルの魔法を解き、ワルドは圧縮状態から開放された風を使って炎に炙られるのを防いだ。足元に、溶けた青銅が飛び散る。
 一撃の威力に限定すれば、キュルケはこの中でも間違いなくトップクラスに当てはまる。迂闊な対応をとれば即座に黒焦げになるだろうと、ワルドは警戒を強めた。

「あー!僕のワルキューレがあぁぁ!?」
「文句言わない!」

 七体中の三体が早くも失われてしまったことに、ギーシュが悲鳴を上げる。それを、三体目を撃破した張本人であるキュルケが叱り付けた。
 ワルドはこの隙に距離を取り、衛兵たちと王とパリーの血を背後にして、呪文を唱える。

「一人では少々辛いか。ならば、ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 聞こえてくる言葉に、タバサが眉を動かした。

「風の遍在?させない」

 高速で紡がれる呪文が、一つの魔法を作り出す。
 連携を利用して魔力の消耗を抑えようとタイミングを計っていたために、出遅れている。先に詠唱を始めたワルドよりも早く魔法を使うには、本来は戦い向きではない魔法でも少々強引に使う必要があるだろう。 
 一瞬にして考えを巡らせたタバサが選んだ魔法は、風の初級魔法だった。

「フライ!」

 短い詠唱で発動するそれが、ワルドの背後にあるものを動かす。
 衛兵が握っていた重苦しい金属の杖だ。
 勢いを持ってぶつければ十分な破壊力があるそれを、詠唱を終えようとするワルドに向けて飛ばす。

「また貴様か!」

 金属の杖が激突するよりも一歩早く、ワルドが魔法を完成させた。
 ワルドの体が一瞬揺らいだかと思うと、その場でワルドが五人に増える。その一人が、タバサが動かした杖を受けて消滅した。

「一人消えたか。だが、これで同数。勝てると思うな!」

 デルフリンガーを構え直した才人に一人、崩れた壁の傍に固まっているタバサとキュルケに二人、ワルキューレに囲まれているギーシュの元に一人。一人に一人ずつの配分で、ワルドが攻撃態勢に入った。
 戦力に足らない目障りな雑魚、即ち、才人とギーシュを先に撃破し、その後でタバサとキュルケを潰す。そういう作戦のようだ。

「前回の借りを返させてもらうぜ!」
「ふふ、面白くなってきたじゃない」
「一掃する」
「僕、帰っていいかなあ?」

 増えたワルドを相手に勢いを強める三人を置いて、ギーシュが一人、頼りなさそうに声を上げていた。

「死ね、ガキ共!」

 弱気になっても容赦してくれる様子などかけらも無いワルドが、レイピアを手に襲い掛かる。
 金属の重なる音が響き渡った。
 突撃した才人が他よりも一歩早くワルドにぶつかり、デルフリンガーの刃をワルドのレイピアにぶつける。それに続いて響いた金属音で、ギーシュのワルキューレがまた一つ、ガラクタに変わった。

「少しは学習したようだな」
「うるせえ!」

 剣を打ち合わせ、拙い動きを補助するために蹴りを繰り出す。そんな才人の動きを見て、ワルドがあざ笑うかのように褒め言葉を口にした。
 ラ・ロシェールでの決闘で戦い方について散々詰られた経験は、才人を一歩成長させたらしい。正面からぶつかる癖は直っていないが、身体能力の高さを利用した肉弾戦を剣を振るのに交えて行うようになっていた。
 しかし、たったそれだけではワルドには勝てない。
 才人の攻撃を右へ左へとかわしながらレイピアを突き出し、その動作の中で詠唱された魔法が襲い掛かる。
 風の魔法に打ち付けられて才人の体が吹き飛ばされるまで、時間はそうかからなかった。

「ぐ、は!」

 背中から床に叩き付けられたことで、肺の中の空気が一気に吐き出される。悶える才人に向けて、ワルドは素早くレイピアを突き出した。
 心臓に直進する銀の刃。
 それが、氷の刃に逸らされた。

「何!?」

 一人目を仕留めようとした所を邪魔されたワルドが、氷の使い手に視線を向ける。
 月を背にした二人の少女が、正面に立っていた二人のワルドを相手に一方的な戦いを繰り広げている姿が映った。
 タバサとキュルケを守るように展開された氷の嵐の中心で、キュルケが炎の弾丸を放ち、それに紛れてタバサが嵐の中から氷の矢を放つ。
 攻防一体となった戦法だ。対面する二人のワルドも応戦しようと魔法を放つが、元々魔力量の大きいタバサの嵐の結界を破ることが出来ないでいる。
 タバサも、キュルケも、集中こそしているが、余裕の表情を浮かべていた。

「遍在で分身を作り出せば、魔力も分身の数だけ散らばる。対処は難しくない」
「数を相手にするだけならともかく、実力のある相手には遍在なんて無意味ってことを教えてあげるわ!」

 手の平に乗る程度の炎の玉をいくつも作り出して、キュルケが杖を振った。
 タバサが氷の嵐に小さな隙間を作り、その穴から炎を打ち出す。二人の連携は的確で攻める隙が無い。嵐の隙間をワルドが見つけたときには、既にキュルケが炎を打ち出して穴を塞いでいるのだ。
 キュルケの攻撃の手は、正面の二人のワルドだけでなく、苦戦を強いられているギーシュの方向にも向けられていた。
 いつの間にかギーシュのワルキューレは二体にまで減っていたが、数が減って逆に操りやすくなったのか、キュルケの援護だけで何とかワルドとやりあっているようだ。悲鳴と鼻水を垂らしながら造花を振るっていなければ、それなりの武勇伝となっただろう。
 やはり数の差が埋め切れていない。状況はワルドに不利だった。
 戦い方を変えなければ、押し切られる。
 戦術を敵戦力の確固撃破に切り替え、才人に向かっていたワルドが一番仕留めやすそうなギーシュに向かった。
 ギーシュを倒せば、遍在が一人自由になる。そうすれば、才人を倒すのも容易くなり、才人を倒せば四人でキュルケとタバサの二人を相手に出来る。
 そう思っての行動だったが、計算が甘過ぎた。

「余所見をしてていいのかよ!」
「な……!?」

 立ち直った才人が、デルフリンガーをワルドの背中から突き立てたのだ。

「き、さま……!?」

 憎しみに染まった視線を受け、才人は更に剣を押し込める。
 手に伝わる感触が、異常に生々しく、今にも吐き出しそうになった。
 自分は今、人を殺しているのだと、その感触が伝えている。
 最低で最悪な気分を奥歯を噛み締めて耐え、才人は傷口を抉るように手首を捻った。
 断末魔のような呻き声が上がったかと思うと、ワルドの体が唐突に消えていく。
 倒したワルドは、遍在だったのだ。

「ナイス、ダーリン!」

 歓声を上げたキュルケに軽く手を振って、才人は次のワルドに向かう。
 敵の数が三人になったことで、才人たちの数が一人多くなった。つまり、戦力の天秤が、一気に才人たちに傾いたのだ。
 一番の危機に瀕しているギーシュと対峙しているワルドに背後から切りかかり、その胴をなぎ払う。殺し合いをしているという事実に対して、今の才人に迷いは無かった。
 空気に溶け込むようにワルドの姿が消えていく。
 これも、遍在だったようだ。

「はぁ、はぁ、助かったよ、サイト」
「礼はいい。それより、もうゴーレムは作れねえのか?」

 ちょうど才人が二人目のワルドを切ったところで、ギーシュの最期のワルキューレが使い物にならなくなっていた。
 もう少し才人の行動が遅ければ、ギーシュも血溜まりに倒れていたことだろう。あちこちに散らばっている青銅の金属片のように。

「あー、だめだね。小石一つすら青銅に変えられそうに無い。魔力切れだ」

 そう言って、ギーシュが造花を振る。まだ戦いは終わっていないのだが、その動作にはどこか眠たそうな雰囲気があった。
 魔力を生み出す精神力だけでなく、体力そのものも限界のようだ。

「じゃあ、お前はそこで待ってろ」
「そうさせてもらうよ」

 残る二人のワルドに向けて剣を構え、走り出した才人をギーシュが送り出す。
 一人脱落したが、人数の有利は変わっていない。勝負は既に見えていた。

「こっちもお仕舞いにしましょうか」

 キュルケの言葉にタバサが頷いて返す。
 杖を振り、炎が巻き起こる。
 これまでの小さな炎ではない、使用者であるキュルケさえ飲み込みそうな、巨大な炎だった。
 残る魔力を全て注ぎ込んだ炎の塊を杖を差し向け、振り下ろした。

「ファイアーボール!!」

 特大の炎が、タバサの作った氷の嵐を飲み込み、そのままワルドたちをも飲み込む。金属を容易く溶かす黄金色の炎は、勢いを余らせて床と壁を黒く焦がした。

「危ねえじゃねえか!もう少しで死ぬところだったぞ!!」
「ゴメンゴメン、わざとじゃないの。怒らないでよダーリン」

 ワルドたちに切りかかっていた才人が、寸でのところで炎を回避し、キュルケに抗議の声を上げる。それに相変わらず茶化すような声で謝るキュルケを横目に見つつタバサが魔法で冷気を作り出して部屋のあちこちに引火した炎を消していた。
 戦いの終わりを告げるように何かの鳴き声が響く。
 シルフィードが、崩れた壁の向こうで月に向かって吼えていた。

「……終わったのか?」
「そのはずだけど」

 どこかあっけない戦いの終わりに、才人とキュルケが肩の力を抜く。

「そうだ。ルイズ!」

 才人が部屋の隅に倒れるルイズに駆け寄り、それに続いてキュルケとギーシュが杖を懐に収めて近づいた。
 服は破れ、乱れた髪は一部が焦げている。ワルドのライトニング・クラウドを防ごうとタバサが氷の矢を放ったが、全てを防げたわけではないのだ。生々しい傷跡が、白い肌にしっかりと刻まれていた。

「手もそうだけど、肋骨も何本か折れてるわね」

 少しだけ医療の知識があったキュルケがルイズの体にそっと触れて、傷の具合を確かめる。
 命にかかわるような傷こそ無いが、早い段階に治療を施さなければ跡が残るだろう。
 同じ女として肌に傷跡を残すなんて許せないと、キュルケが炎に消えたワルドに恨み言を溢した。

「しまった」

 才人がルイズを抱き上げ、城に居る兵士たちを呼びに行こうとしたとき、タバサが燃え尽きた絨毯に手を触れて深刻そうな表情で呟いた。

「どうしたんだい?なにが、しまったって……」

 近い位置に居たギーシュが、タバサの手元を覗き込んで尋ねる。
 タバサが立ち上がって口笛を吹いた。
 控えていたシルフィードが崩れた壁の前に現れ、その背を向ける。

「ちょっと、タバサ!どこ行くのよ!?」
「ワルドを追う。わたしたちが戦っていたのは、全て遍在だった」

 え、と声を溢して、キュルケは最期に炎をぶつけた位置に目を向けた。
 強大な火力は人体を簡単に炭化させる。だが、果たして蒸発させるほどの威力が自分の魔法にあっただろうか。
 そのことに気がついたとき、キュルケは不自然さに気がついた。

「死体がない!?」
「全員、遍在だった……?いつの間に……、いやそれよりも、子爵は今どこに!?」

 タバサが、指を月に向ける。

「多分、貴族派の陣営がある方向。手紙を奪っていったから、それを渡すためにレコン・キスタの指導者が居る本部に向かっているはず。シルフィードの翼なら、まだ追いつける」

 確証は無いが、敵軍のほとんどが集まっていたシティ・オブ・サウスゴータに貴族派の指導者がいる可能性が高い。
 ここからなら、かなり距離がある。シルフィードとグリフォンでは速度に差がある以上、追いつくのは難しくは無いはずだった。

「あたしも行くわ」
「ダメ。あなたはもう魔力が切れている。空中戦になるから、ギーシュもサイトも無理」

 キュルケの言葉を否定し、同行を申し出るであろう男二人に釘を刺すことで止めたタバサが、シルフィードの背に飛び移った。

「わたしはこの子の翼でトリステインに戻る。貴方たちはイーグル号で先に脱出を。必ず追いつくから、信じて」

 珍しく饒舌なタバサに、キュルケがやれやれと首を振った。

「ちゃんと、戻ってきなさいよ」

 コクリと頷いたタバサが、杖を振ってシルフィードに出発の合図を出す。
 青い翼が羽ばたき、生まれた風が荒れた執務室の中をかき回すと、時間をかけることなくシルフィードの姿が景色の向こうに小さくなっていった。

「一人で大丈夫なのか?」
「遍在もそうだけど、ワルドは魔法も連発してたから、余力は無いはずよ。使えても、せいぜいドットスペルじゃないかしら?あの子の敵じゃないわ」

 心配する才人にキュルケは年相応の笑みを浮かべ、ふふ、と笑った。
 月の光に溶け込むように見えなくなる使い魔とその主を見送って、才人たちは部屋の惨状を見回して溜め息を吐く。
 犯人はワルドだが、城の人間がそれを信じるかどうかはわからないし、信じたとしても同行者だった才人たちをただで帰しはしないだろう。
 一足先に脱出したタバサに少々の恨み言を心の中で唱えつつ、才人たちは人を呼ぶために歩き出す。

「……サイト?」

 頭と膝の下に滑り込んだ腕に力強く抱えられたルイズが目を覚ましたのは、その直後だった。

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