ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

7 平穏な村の最後の朝 後編

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匿名ユーザー

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 朝食には少々重い食事は、子供達に好評を得て終わりを迎えた。
 肉タップリが良かったようだ。作り置きのパンを小さく千切ってソースに絡めて食べる方法も効いたらしい。栄養バランスが悪いのだが、その辺りは気にしてはいけないのだろう。
 余所者の存在を子供達が最初どのように思っていたかは定かではないが、ホル・ホースもエルザも地下水も、無事にウェストウッド村に受け入れられたようである。
 腹は膨れたものの、血液が胃に持っていかれて眠くなっていたホル・ホースが欠伸をする中、エルザとフーケが食事場となっていた庭の片づけを行い、家の中では地下水が皿洗いを、ティファニアは子供達の衣服の洗濯を始めていた。
 お腹を膨らました子供達は年長組が幼い子供の遊び相手をする傍ら、畑や果樹園や家畜の世話をしている。森の奥では果物も取れるようで、長い棒を持って森に入っていく子供を何人か見かけた。野生動物に襲われそうだと思うのだが、腰に下げている小さな袋に詰められた花の匂いが肉食の獣を遠ざけるらしい。猛獣の代わりに蝿が寄ってくるが、命と邪魔臭さを天秤にかければどちらに傾くかは考えなくても分かる。
 それらを眺めつつ、ホル・ホースは村の端にある切り株の上で空を見上げて退屈な時間を過ごす。
 眠気に身を任せ、考えることを少しだけ休む時間。
 それは、何物にも変え難い最高の贅沢だった。
「いっその事、ここを根城にでもするかなあ」
 ホームシックになったわけではない。だが、定期的に帰ってくる家くらいは欲しいと思う。
 ハルケギニアという故郷とは隔絶された世界に来ているせいか、そんな気持ちを以前より強く感じていた。
 ウェストウッド村は環境だけは悪くない。大部分を自給自足出来るし、訪問者も少ないようだから面倒も少ないだろう。厄介なことと言えばガキが多い事だが、それも、ティファニアやフーケといった目の保養になる女がついてくると考えれば、我慢できなくもない。
 ただ、食事の最中にフーケに聞いてみた所、ここはもう人里から離れた場所とは言い難いようだ。
 内戦の影響によって都市部で発生した難民が地方に散らばり、その集団がウェストウッド村の近隣にも迫っているらしい。場合によっては、その難民がこの村に滞在するようになるかもしれない。そうなると、必然的にフーケは近付き難くなり、ティファニアは正体を隠したまま生活することは出来なくなるだろう。昨晩のフーケが語った引越しの話は、必然なのかもしれない。
 今感じていられる平和な時間も、長くは続かないようだ。
「なにはともあれ、今は金を稼ぐことを考えねえとな……」
 行動を起こそうにも、財布の中身は見事に空だった。
 後先考えずに無駄に出費を重ねた為なのだが、今更過ぎたことを言っても金が戻ってくるわけではない。かといって、収入に当てがあるわけでもない。
 儲け話が転がってる酒場に行こうにも、賞金首という事実が足を引っ張る。というか、現在進行形でロサイスの軍に追われているだから、不用意に町に近付くことも出来ない。
 ウェストウッド村も、いずれ追っ手に見つかるだろう。そうなれば、ホル・ホースたちは出て行く必要がある。いや、その場合はフーケたちも道連れになるだろう。そこらの平民が尋ねてくるだけならともかく、軍に知られて良い意場所ではない。
 ティファニアはエルフということもあるが、王族の血縁でもあるのだ。それを知っている人間が少ないために知られる可能性は限りなく低いが、ゼロとは言いきれないだろう。
「やれやれ」
 と呟き、深く溜息を吐くと、ホル・ホースはまだ気だるさを感じる体を無理矢理立たせて周囲を見渡した。
 いつかは失われる長閑な風景だが、ホル・ホースたちが滞在していれば、その分早く終わりを迎えることになる。
 こんなことを気にする性質ではないが、幾らなんでもこの村には子供が多過ぎる。迷惑をかけるのは大人としてのプライドが許さない。
「仕方ねえ、今日中に出て行くか」
 村を離れて少しだけ追っ手に姿を見せれば、ウェストウッド村には敵は近付かないだろう。「ああ、そういえば」
 フーケが言っていた隠れ家のことをまったく話し合っていないことに気付いたホル・ホースは、首を振って考えるのを止めた。
 どうせ、まともな土地は提供できないのだ。
 最終候補に脳裏に浮かんだ場所は、フーケがロケットランチャーを誤射して焼いた森だ。
 あそこには適度に開けた場所があるし、魔法学院とも遠くは無い。オスマンの協力が得られればある程度の庇護も得られる。問題は、住むには家や畑などを一から作り直す必要があることだが、それもフーケの技能があれば何とかなるだろう。
 一から村を作る気力があるのなら候補のリストに入れても良いんじゃないか、と提案するつもりだったが、今考えてみると、もっと重大な問題があった。
 協力者になりそうなオスマン自身だ。
 借りを作るのが気に入らない、というのも勿論あるが、セクハラ爺は間違いなくティファニアに目をつけるのが想像できる。エロ根性を出して自らの立場をかなぐり捨ててでもあの胸を触るためにセクハラ禁止令を破る恐れがある以上、フーケとしてはオスマンをティファニアに近づけたくないと思っているに違いない。
 そうなると、ホル・ホースが提案できるものは一つも無くなる。完全にお手上げ状態だ。
 提供できるものがない以上、居候を決め込むわけにも行かない。
 なら、長居は無用だろう。
「クソッ、まだふらつきやがる」
 旅の連れに村を出ることを告げなければならないが、足が言うことを聞いてくれなかった。
 エルザに吸われた血液はすぐには戻らない。ティファニアの治療も、一時的な効果でしかないようだ。一週間か、二週間。エルザに吸血禁止を言い渡しておかなければ、失血死しかねない状態だった。
 やはり、もう少し滞在して調子が戻るのを待つべきか?
 固まった決意を早速揺るがせたホル・ホースがそんなことを考えると、唐突に自分の体を何かの影が覆った。
 子供たちがそれぞれに頭上を指差し、皿洗いが終わったらしい地下水と片づけを終えたエルザが何かを見上げている。
 嫌な予感が全身を襲った。だからと言って、それを見ないわけにも行かないだろう。
 帽子を押さえてヒヒと力なく笑ったホル・ホースが視線を上に向けると、案の定、一番見たくない存在がそこに居た。
「手配書にあったホル・ホースだな!ようやく見つけたぞ!!」
 騎士が三人、それぞれに大きな翼を持った竜の背に乗ってこちらに杖を向けていた。
 子供たちが悲鳴をあげ、地下水とエルザが心なしか表情を青褪めさせ、騒ぎが聞こえたらしいフーケとティファニアが家の扉からそっと顔を覗かせている。
 どうやら、物事は思った通りには進まないらしい。それが良い方向ならともかく、基本的には悪い方向に軌道修正されるようだ。
 勘弁してくれよ、まったく。
 あまりに早い面倒ごとの登場に悪態を吐きながら、ホル・ホースはエンペラーを構えた。
 悪戯好きの運命の女神は、ハルケギニアに訪れた異邦人を絶えず見守っているらしい。

 スタンドは生命エネルギーが作り出す像である。
 元となる生命力やスタンドの持ち主の精神力がスタンドの力となり、一般人からは超常現象にしか見えない効果を伴って現実に干渉する。
 つまり、使い手の生命力と精神力のどちらか、あるいは、両方が欠けている状態では十分な力を発揮できないのである。逆もまた然り。使い手の状態が万全ならスタンドは強大な力を振るうだけでなく、精神の成長によって新しい力に目覚める事だってある。
 そして、ホル・ホースは長期間の女断ちによるストレスとエルザの吸血による極度の貧血によって万全とは言い難い状態。
 ここから導き出される答えが何かと言えば、実にシンプルである。
 ホル・ホースたちは、追っ手を撃退し切れなかったのだ。
「アンタ、もうちょっと真面目に走りな!」
「ば、バカヤロウ!どこをどう見たらサボってるように見えるんだコラァ!必死だろうが!これ以上ないくらいに!!」
 怒号を飛ばすフーケの遥か後方で、子供を一人抱えたホル・ホースが汗だくになりながら言葉を返した。
 走っているのはフーケとホル・ホースだけではない。そして、ホル・ホースが抱えているのもエルザではない。
 杖を手に大量のゴーレムを呼び出して走るフーケを先頭に、村で一番小さな子供を抱えたエルザが続き、ティファニアを背負った地下水と両腕に子供を抱えたゴーレムの集団がその後方を走っている。ホル・ホースはそれを追う形で、一歩遅れてフラフラと駆けていた。
 ウェストウッド村の住人が一斉に移動を始めているのだ。
 原因は、勿論ホル・ホースを追ってきた竜騎兵たちである。
 空中で素早く動く敵を相手に土の系統であるフーケはなす術もなく、ホル・ホースも本体が弱り過ぎていてエンペラーが豆鉄砲と化していた。直接戦う力の強くないエルザや戦いの経験などないティファニアは論外だ。
 唯一戦える地下水が何とか二騎の竜騎兵を撃退したものの、一騎を逃したことで、増援を呼ばれる恐れが一気に強まった。
 一時間もしないうちに、敵軍がウェストウッド村に総攻撃をかけてくるだろう。
 こうなれば、逃げるしかない。
 散らばった子供達を大慌てで集め、点呼を終えると、フーケたちは厄介事を運んできた元凶であるホル・ホースたちを執拗に責めながら予定よりも早い引越しを決意したのである。
 そして、増援として派遣されるであろう追っ手から逃れての大移動となったわけだ。
「敵影なーし!まだまだ行けるよー!」
「なんとか、あと少しの間だけ、敵に見つからずに進めますようにー!」
 軽い口調のエルザに、地下水が信じてもいない神に向けて祈りを叫ぶ。
 もう少しで目的の場所に着く。そうなれば、追っ手もこちらを発見するのは今より難しくなるだろう。それまでに敵がこちらを発見出来なければ、この引越しを伴った逃亡劇は勝利に終わる。
 目的地は、シティ・オブ・サウスゴータだ。
「フーケの姐さんよ!難民に紛れてやりすごすって手は悪くはないと思うんだが、そんなに大量に難民なんて出てくるのか?もう内戦は終結間近なんだろ?」
 そんな地下水の言葉に、フーケがふっと笑う。
 逃走先を選んだのはフーケだった。子供達を集め、魔法で大量に精製した土のゴーレム十数体を指揮する彼女は迷いも無く、シティ・オブ・サウスゴータを逃亡先に選んだのだ。
「出てくるさ、間違いなくね。貴族派と王党派、どっちが国民の支持をされているかと聞かれれば、腹立たしいことに負け続きの王党派なのさ。貴族派の筆頭はどいつも悪名高い貴族たちだからね。掲げる大儀こそ夢物語だが、その内側に腐ったもんを抱え込んでるのが透かして見えてる。民衆だって馬鹿じゃない。この内戦がおかしいことくらい、薄々感づいてるさ」
 信用できない者達が国の頂点に立てば、当然、それを受け入れられない人間は反乱を起こすか逃げるかのどちらかだ。しかし、ハルケギニアでは平民は貴族に勝つことはできないことは常識となっている。反乱よりも、逃亡を選択するだろう。
 これまでにも難民は多く出ているが、今回のものは内戦の結果を様子見をしていた層だ。規模は小さくとも、千人近い数が動くと思われる。
 実際に貴族派が王権を獲得すれば、国外に逃亡する国民を止めに入るだろう。それを予期して早く行動を起こす集団があるはずだった。
 フーケたちは、その集団に便乗して国外脱出を図るのだ。
「ふーん。なるほどねえ」
 自分で聞いておきながら気のない相槌を打つ地下水に、フーケが少しムッとなる。
 とはいえ、この場で口論を広げても意味はない。声を荒げれば、その分敵に見つかる恐れが強まるのだから。
 ぐっと杖を杖を握る手に力を篭めて堪えたフーケが視線を前に向け、森の切れ目を見つける。
 そこを抜ければ、目的地が直接見えるはずだった。
「後ちょっとだ、頑張りな!」
 フーケの激励に反応してエルザと地下水が返事を返す。ホル・ホースは聞こえていないのか、抱えている小さな女の子に励まされながら必死に足を動かしていた。
 森の切れ目の向こうは、小高い丘になっている。位置関係からシティ・オブ・サウスゴータを一望することが出来る場所だ。
 ずっと昔、両親がこの土地を治めていた時代に訪れたことのあるフーケにとっては思い出の地でもあった。
 懐かしい景色を思い出し、自然と足が速まる。
 それを止めたのはエルザだった。
「待って!敵がいる!!」
 白いシーツの中から手を出し、フーケの服を掴んで引き止める。
 加速したところを無理矢理止められたフーケは、転びそうになるのをなんとか耐えて、杖を軽く振った。
 後方から着いて来たゴーレムたちが動きを止める。
「ヒィ……ヒィ……、なんだ、どうしたんだ?」
 全員が止まったお陰で、遅れていたホル・ホースも追いたらしい。だが、エルザの言葉までは届いていなかったようで、状況が分からずに呆けていた。
 地下水が休むように伝えると、ホル・ホースは抱えていた子供を下ろして座り込む。貧血の後に走ったせいで、常人よりも疲れるのが早いのだろう。滝のように流れ出る汗を抱えていた子供に拭われていた。
 そんなホル・ホースを尻目に、エルザとフーケが木陰から森の向こうの様子を窺った。
「1、2、3……、5人ね。竜に乗ってるから、奇襲が通じる可能性は低そうだわ」
「こっちには気付いてないみたいだけど、最悪だね」
 既に地下水は先の戦闘で魔力を使い果たしているし、フーケも子供達を運ぶためにゴーレムを使役するので手一杯となっている。残った魔力では竜騎兵五人を相手にするのは無理だろう。
 ある種の対人兵器であるホル・ホースも、今は使い物にならない。
 戦力が極端に少ない現状で戦うのは、少々難しい相談だ。
 だが、一つだけ戦いを避けられない手段がないこともない。
 エルザは自分が使える魔法の中にこういう状況に役に立つものに思い当たると、指を口に銜えて唾で濡らした。
 その先端を風に晒す。森の冷えた空気の中に、少しだけ暖かい風が正面から流れ込んでくるのが分かった。
「あちゃあ……、ここって風下なのね。そうなると、眠りの風も効果は期待できないか」
「眠りの魔法かい?風の系統魔法にもそういうのはあるけど、アレは風の影響なんて受けないはずじゃ……」
 ガッカリした様子で呟くエルザに、フーケが疑問を呈した。
「それも系統魔法の便利なところよ。先住魔法ってのは自然の力に沿ったものだから、周囲の環境にかなり影響を受けるの。強力と言えば強力かもしれないだけど、状況が合わないと使い勝手は悪いわね」
 困ったものよ。と肩を竦めるエルザを見て、フーケは先日の風呂場での会話を思い出す。
 自然界の力を使うがために自然界の力に縛られる。
 一般的に言われているほど、先住魔法とは強力なものでもないらしい。エルフが恐れられているのは、使い勝手の悪い先住魔法を十分に扱える知識と技量、そして、強大な魔力を保有しているからなのだろう。
 先住民族だからと言って、なにもかもを恐れるのは筋違いなのかもしれない。人々が先住民族を敵とするのは、やはり無知から来る恐怖であるところが大きいようだ。
 ふと、地下水に背負われたティファニアを見て、フーケはそんなことを思った。
「で、どうしようかしら。待っていても何処かへ消えてはくれなさそうだし」
 かと言って、突然消えてもらっても困る。姿を消したかと思ったら空を飛んでいただけでした。なんて状況は笑えないのだ。
 敵の位置は、森から出て少し歩いた場所である。フーケたちが森から出てくるのを待っているのだろう。偶然にも、こちらが先に相手を発見できたのは、幸運とも言えた。
 だが、取れる作戦がないのが痛いところだ。
「あ、あの……、わたしの魔法なら、なんとかなると思うんですけど」
 地下水の背中から下りていたティファニアが手を上げて小さく声を上げた。
 視線が自分に集まって恥ずかしそうに身を小さくしたティファニアを見て、エルザは昨日のことを思い出す。
「そういえば昨日、なにか魔法が使えるって言ってたわね」
 浴場での何気ない会話だったはずだが、自分でも良く覚えていたものだと感心する。
 文献にも載っていないような特殊な魔法ということだったが、興味が無かったため、エルザも詳細は聞いていなかった。
 この状況を変えられる魔法というと、囮としての遍在やエルザが使おうとしていた眠りの魔法が考え付く。もしかしたら、シャルロットが得意とするようなウィンディ・アイシクルのような強力な攻撃魔法かもしれないが、ティファニアの性格とは合わない気がした。
 だが、考え付くようなものなら、大抵の場合は通常の魔法として存在しているだろう。魔法の種類は多様でありながら汎用性がある。エルザは直接学んだことがあるわけではないから魔法がどれくらいの種類が存在しているかはまでは分からないが、想像できる範囲内のものはリスクや制限はあるものの、大抵実現されている気がしていた。
「この距離でも、なんとかなりそうかい?」
 自分の杖を取り出したティファニアに、フーケが心配そうに尋ねる。
 ティファニアがしっかりと頷いた。
「大丈夫よ、姉さん。顔が見えるくらいの距離なら、ちゃんと効果があるわ」
「なら、もう少し近付かないと」
 顔が見える範囲なら森の中から出る必要はないが、今の位置では竜の顔は認識できても人間の顔までははっきりと見えない。
 いくらか接近する必要がありそうだった。
 護衛としてエルザが前に出て万が一に備え、その後ろにティファニアが続く。
 もし失敗したら、エルザがすぐに眠りの魔法で周辺一帯に罠を張る予定だ。風に流されてしまうと瞬時に眠らせるほどの効果は得られないが、眠気を感じさせて動きを鈍くさせるくらいは何とかなる。再び森の中に身を隠す時間は稼げるだろう。
 慎重に、地面に落ちた枯れ枝を踏まないように進む。この距離で音が聞こえるとは思えないが、人間はともかく、竜なんかは意外と五感が鋭い。用心に越したことはないはずだ。
 一歩。また一歩と進み、時に木の幹に隠れて様子を窺う。
 竜騎兵たちは空に顔を向けて何かを見ているようだ。話し声が聞こえる距離ではないから何を見ているかまではわからないが、注意が逸れているのはありがたい。
 だが、やはり動く気配はなかった。
 それを確認するとまた接近を開始して、やっとティファニアがこの距離ならと思える位置に辿り着いたとき、エルザが前を譲る。
「大丈夫。成功するわ」
「……うん」
 慎重に体を入れ替える途中、震えながら杖を握る手にエルザが自分の重ねて励ますと、ティファニアは口元を引き締めて答えた。
 深呼吸をして意識を集中させたティファニアが、祈るように両手で杖を握り締める。
 やがて零れだした歌声のような詠唱に、エルザは思わず耳を塞いだ。
―――ナウシド・イサ・エイワーズ……
 精霊が震え、魔力の流れに悲鳴を上げている。
―――ハガラズ・ユグ・ベルグ……
 系統魔法が使われるときに似た、奇妙な違和感。
―――ニード・イス・アルジーズ……
 世界が作り変えられる。そんな不思議な感覚。
 それは、精霊たちの痛みとなって、先住魔法の使い手であるエルザの心を締め付けた。
―――ベルカナ・マン・ラグー……
 その魔法から感じるものは、嫌悪だ。
 大いなる意思を正面からねじ伏せようとする、強大な力。
 系統魔法が使われるたびに感じる、不快な印象。いつもなら薄いそれが、今は恐ろしく強いものに思えた。精霊達が悲痛に訴えているような気さえする。
 この魔法は、先住の敵なのだと。
 振り下ろされた杖の先で、周囲を警戒していた竜騎兵たちの様子がおかしくなる。良く見れば、竜騎兵たちの周囲の空気が歪んでいるように見えた。
 あれが、ティファニアの魔法らしい。
「成功したわ」
 ティファニアの言葉を聞いたエルザが、身振りで後方で待つフーケたちに作戦の成功を伝えた。
 どんな魔法なのか。
 それを聞こうとしたエルザの前でティファニアが走り出した。
「ちょ、ちょっと、どこ行くの!?」
「わたしの魔法はこれで終わりじゃないの。すぐ済むわ」
 森を抜けるティファニアを追って、エルザも走り、後方から追いついてきたフーケたちも同じように森を抜けた。
 天井が森の緑から空の青に変わり、足元の地面も背の低い草の色に染まる。
 小高い丘の上の最も見晴らしのいい場所に竜騎兵たちは立っていたようだ。頭をフラフラとさせている竜騎兵たちに何かを告げているティファニアの横に並ぶと、眼前に大きな町と無数の人の集まりから出来た黒い塊が見えた。
 黒い塊は、貴族派の軍勢だった。
「……探している人たちは向こうに逃げたわ。貴方達はそれを報告しに戻る途中なのよ」
「ああ、わかった。情報提供に感謝する」
 ティファニアの言葉に頷いた竜騎兵の一人が竜を操って空に飛び上がると、他の竜騎兵たちもそれを追う様に空へと舞い上がった。
 振り返りもせずに遠く去っていく竜騎兵たちを視線で追って、エルザは眉を潜めた。
「あれが、貴女の魔法?」
「ええ。記憶を消して、消えた分の記憶をちょっとだけ誤魔化せるの。村に悪い人たちが来たときも、この魔法で追い払っていたのよ」
 ティファニアの魔法は、記憶の消去らしい。それを利用して、竜騎兵たちに間違った情報を植えつけたようだ。もしかしたら、探している相手の情報そのものまで変えてしまっているのかもしれない。
 なるほど、と呟いて、エルザは詠唱の最中に感じた不快感の意味に気付いた。
 記憶というものは曖昧で、重要なことを忘れたりどうでもいい事を覚えたり、時には無意識のうちにありもしない出来事を捏造したりもする。
 だが、ティファニアの魔法は、本来なら記憶の保有者だけが許される意識の改竄を他人が行える力を有しているのだ。
 その気になれば、相手にまったく別の人格すら植えつけられる、精神の蹂躙とも言える魔法。
 秩序を重んじる精霊達が嫌がるわけだ。
「軍艦数隻に万単位の軍隊。今夜か明日辺り決戦かい?都合が良いねえ」
 エルザとティファニアに追いついたフーケが丘の上から見える光景を見て、そんな言葉を洩らした。同じように追いついた地下水が頷く。
 いざ戦いが始まれば、自然と戦場に近い場所では混乱が起きる。追っ手の動きも鈍くなることが予想できた。
 人の群れはゆっくりと、街道に沿って移動を始めている。王党派が陣を構えるニューカッスルまではそう遠くない。日が暮れる前に到着するだろう。
 仰々しく行進する軍隊を見て、同じように到着した子供達が楽しそうに歓声を上げている。
 フーケにはゴーレムを維持する魔力は、もう残っていないらしい。いつの間にか、子供達は自分の足で地面に立って好きなように動いていた。
 一人姿の視えないホル・ホースは、まだ休憩中のようだ。目を凝らすと、森の奥で心配いらないと告げるように帽子を振っているのが見える。立ち上がるほどの力は、まだ戻っていないらしい。
「町の外にテントが随分とあるみたいだが、あれはなんだ?」
 フーケは地下水がナイフで指した先を見て、思案するように顎先に指を添える。
 シティ・オブ・サウスゴータの周囲に集まるテントの数は、百や二百ではない。難民がこんなところに止まっているとも思えないから、軍の一部であることは確かだろう。
「貴族派の軍隊だと思うけど、あっちの街道を進む列には参加していないねえ。あの街道は多分、ニューカッスル方面のはずだから本隊だと思うんだけど。兵を遊ばせておけるほど、貴族派は資金が潤沢ってわけじゃないだろうし、かと言って輜重部隊にしては規模が大き過ぎる気もする。……なにか、事情がありそうだね」
 シティ・オブ・サウスゴータとニューカッスルはほぼ隣接してると言って良い。
 そんな短距離を攻めるのに兵糧は多くは必要ないし、そもそも戦争をしているだけで金がかかるのだから、長期間にわたって戦いはしない。戦力差は歴然なのだ。仮に、戦いが長引くとしても、一週間もかからないだろう。
「傭兵を雇う金が無かったりしてな!」
 過去に雇い主が破産して突然解雇された経験でもあったのか、そんなことを地下水がおどけて言うと、それにフーケは笑うことも無く至極真面目に頷いた。
「なるほどねえ。そう考えると辻褄が合わないでもないか。雇っている間は金がかかり続けるし、元々アルビオンだって裕福な国ってわけじゃないんだ。国を半分に割って戦争すれば、内にある金も半分。傭兵達に金を払い続けたら流石に金も無くなるさ。一応、背後で支援してる連中が居るって話だけど、不都合でも出てきたのかねえ」
 戦場に出さなければ傭兵を雇い続ける金も多少は節約できる。王党派が粘りを見せている現状で傭兵を手放し軍を縮小すれば、一部の貴族が王党派側に寝返る可能性も出てこないとは言い切れない。
 兵を維持しつつも戦線に投入しないのは、貴族派にとって苦肉の策に思えた。
「まあ、どうでもこといいさ。傭兵連中も雇われている間は大人しいから、その辺にだけは礼でも言っておこうかね」
 戦いに参加するわけではないのだ。こんなところで推測していても意味はない。
「とはいえ、あのテントの山を抜けて町の中に入るのは難しそうだ。傭兵の中には人攫いなんて厄介な連中も当たり前に混じってるからね。今夜は森で夜を明かして、明日に備えるよ。難民が町から出てくるのは、傭兵達が眠り扱けてる明け方頃のはずさ」 
 ティファニアの魔法のお陰で、追っ手も見当違いの方向を探し始めるはずだ。明日以降のことまではわからなくとも、今日一日は安全が確保できたと言って良い。
 突然の移動で疲れた体を休めるには、ちょうど良い時間だった。
「しばらく休憩して魔力が戻ったら適当に屋根くらいは作ってやるから、その間にガキ共は匂い袋を寝床の周りに設置して獣が近付かないようにしな。エルザと地下水は腹の足しになる食い物を集めてくること。頑張ったティファニアは休憩して良し。ほら、わかったらさっさと行動する!」
「はい、センセー!あそこで倒れてる人はどうすんの?」
 子供の一人が手を上げて森に向けて指を差した。その先には、休憩を終えて立とうとしたところで貧血を起こしでもしたのか、うつ伏せに倒れているホル・ホースがいた。
「見なかったことにしな」
「はーい」
 田舎育ちのお陰か、元気で素直な返事が返ってくる。
 引越し先はまだ決まっていないが、この分ならなんとかなるだろう。
 不安があるとすれば厄介事の塊ともいえる連中を連れていることなのだが、馬鹿であることを除けば頼りにならなくもない。
 一先ず、アルビオンを脱出することだけを考えよう。
 そうフーケが思ったところで、食料を求めて森に入ろうとしていた地下水が悲鳴を上げた。「うわああああああぁぁぁ!?なんだこいつうぅぅ!?」
「デカいモグラだー!」
「すげー!」
 厄介事の塊は厄介でしかないらしい。
 地面の中から出てきたモグラに押し倒された地下水とそれに群がる子供達を見て、フーケは楽観主義を掲げる物事を深く考えない人種を、今日だけは心底羨ましいと思った。


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