ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

6 本当の犠牲者 前編

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6 本当の犠牲者
 しんと静まる部屋の中。フーケは酒を飲み、ティファニアは俯き、エルザは樽を小さくしたようなコップの中の水面を詰まらなさそうに見つめている。 
 そんな状態がどれくらいの時間続いたのか。
 退屈と眠気で重くなる瞼を半分下ろしたホル・ホースは盛大に欠伸をすると、隣に座る首から上を地下水から開放されたウェールズに視線を向けた。
「大体の事情はわかったけどよ、オレたちは別に関係ねえだろ?」
 そう言って再び欠伸をするホル・ホースにウェールズが困ったような表情を浮かべた。
 風呂上りから始まった話は、フーケが本名を隠して貴族専門の盗賊をしていた理由と、ティファニアがアルビオンの辺境で孤児院をしている原因となった事件を纏めたものだった。
 始まりは四年前。財務監督官を務めていたモード大公がエルフを妾にしているというスキャンダルが発覚したことから続く。
 発覚したと言っても、それが王宮の外へ出たわけではない。ウェールズの父親であるアルビオン王ジェームズ一世は、モード大公がエルフを妾にしているという事実を知ると、すぐに情報を封鎖し、事件の処理を始めたのだ。
 エルフは人類の共通の敵である、というのはハルケギニアの常識となっている。六千年も前から戦争ばかりしている上に勝率が半分を切っているのだから、それも仕方のないことだろう。
 そんなエルフを、国王の弟が傍に置いているのだ。問題にならないはずがない。ハルケギニアで広く信仰されている始祖ブリミルの言がエルフを敵として指定しているのだから、本当のエルフがどれほど平和主義でも関係はないのである。
 しかし、敵を国の中枢に引き込むような真似をしたとしても、モード大公はアルビオン王の弟であることに違いはない。そのため、ジェームズ一世は妾としたエルフと間に生まれた子供を国外追放すれば、今回の罪を帳消しにすると約束した。
 繰り返すが、エルフはハルケギニアでは敵だ。一度正体が知られれば、無知か相当に寛容な人間でもなければ対等な扱いなど望めないだろう。ビダーシャルのように強大な魔力を保有しており、先住魔法を用いて敵を排除できるのなら話は別だが。
 モード大公は、エルフの母子が自分の下から放り出されれば無事では済まない事を知っているため、ジェームズ一世の交換条件を一蹴した。
 そうなると、国の指導者たる王は決断をしなければならなくなる。たとえ弟と言えども、お目溢しを何度もするわけにはいかないのだ。
 ジェームズ一世はモード大公を投獄すると、すぐに母子の居場所を調べ上げ、兵を差し向けた。匿われていた場所は、モード大公の部下であり信頼も厚かったサウスゴータ家の所有していた、小さな家だ。エルフの母子は自分達の存在を知られた後、モード大公自身の手によって隠れていたのである。
 だが、それもほんの数日のこと。
 モード大公が投獄されたという情報を聞いた頃には、二人はもう隠れ家を兵に囲まれていたのだ。
 逃げ場も無く、行き場もない二人は敵こうすることも出来ずに命を落とすこととなった。
 その後、サウスゴータ家の人間はエルフを匿った罪と咎められて家名を剥奪され。投獄されたモード大公は母子の死を知った後、暫くして病で命を落とした。そして、それを追う様にサウスゴータ家の生き残りも、慣れない平民の生活に疲労を溜めて人生にピリオドを打ったのである。
 その時に命を落としたと思われていたエルフの子供がここに居るティファニアであり、家名を剥奪されたサウスゴータ家こそ、フーケの本名であるマチルダ・オブ・サウスゴータの生まれ育った家だった。
 つまり、フーケとティファニアにとってウェールズは、家族を奪った仇の息子というわけである。いや、王家という括りで見れば、仇の一人に違いない。
 しかし、冒頭で愚痴ったとおり、そのことはホル・ホースには何の関係も無かった。
 アルビオン人でもなければ、ハルケギニアの人間でもないし、人間とエルフの対立にも興味はない。それに、過去の出来事に関してどうこう言うような性格でもないのだ。こんなことを聞かされても困るだけである。
 事件が現在も進行中で手を出せるなら話は別だが、四年前ではどうにもできないのだ。
 だが、そんなことは話し手のウェールズもフーケも分かっているのだろう。ホル・ホースが大きく欠伸をして眠気に負けそうな目を擦っていても文句は言わなかった。
 問題は、それをホル・ホースに話す理由だった。
「関係ない、と言ってしまえばそれまでだけどね。しかし、僕をここの連れてきたのは君達だろう。その責任くらいは取ってくれても良いと思うが」
「責任?」
 ウェールズの言葉に、ホル・ホースが眉根を寄せる。
「そう、責任だ。憎き仇を前に彼女達が平静でいられるのは、僕が逃げられない状況であることを理解しているからだろう?彼女達次第では僕の命は風前の灯だからね。怨まれるのも王家の者の義務だから文句を言うつもりはないが、せめて立会人くらいは欲しい……」
「ちょ、ちょっと待ちなよ!」
 話の途中で慌てたようにフーケが割り込んだ。
「それは、アタシがアンタに復讐を考えてるって言いたいのかい!?」
 心外だと言いたそうにテーブルに拳を叩きつける。その音にティファニアとエルザがびくりと肩を震わせた。
「違うのかい?」
 フーケの怒鳴り声こそ意外だと言う様にウェールズが聞き返すと、フーケはこめかみに青筋を浮かべて部屋の片隅に置かれた杖を手に取り、振り上げた。
「一言謝罪なり何なりするかと期待してたけど……そんなに死にたければ殺してやるさ!」
「ね、姉さん!」
 魔法の発動に要するルーンの呟きが叫びと共に流れると、ティファニアが顔を真っ青にしてフーケに飛びかかり、杖を持つ手にしがみ付く。
「なんで邪魔をするのさ、ティファニア!今が絶好の機会なんだ!アンタの両親とアタシの家族の仇が首を差し出してるんだ!今を逃したら、次はないんだよ!!」
「でも、姉さんはこんなことを望んでないはずでしょ!?それに、この人はジェームズ叔父様じゃないわ!子供にも咎が及ぶなら、わたしこそ裁かれるべきよ!!」
 そんな言葉に、フーケは口を閉ざし魔法の詠唱を止める。
 エルフであることそのものが罪だというなら、ティファニアの言葉も嘘ではない。王家と立場で人括りにしてウェールズに恨みをぶつけると言うことは、ティファニアもまたエルフと言う枠に括られるべき存在となってしまう。
 この場でウェールズに怒りをぶつけるということは、フーケが四年前の事件が正しかったことを認めることになるのだ。
「……クソ!」
 どうしようもない怒りと共に口汚く吐き捨てたフーケは、杖を下げてウェールズを睨みつける。
「これで許してもらえたなんて思うんじゃないよ!アタシもティファニアも、ここで預かる子供達も、あんた達権力者のやり方の犠牲者だって事を覚えておくんだね!!」
 肩を怒らせての言葉に、ウェールズは目を閉じて頷いた。
「元より謝罪するつもりはないよ。許してもらおうとも思わない。君達のような存在を生み出さなければならないという業を背負うのもまた、王家に生まれた者の義務だからね」
 淡々とした口調にフーケは杖を力いっぱい握り締める。
 まるで、犠牲者が出て当然と言う口ぶりだった。そして、そんな犠牲者に対して何も感じていないかのような振る舞い。それが、フーケの怒りを更に強める。
 ティファニアがまだ手を握っていなければ、このまま殴りかかり、やもすれば絞め殺していただろう。だが、一番心に傷を負ったはずのティファニアが復讐を望まないのだから、今ここで自分が暴走するわけには行かない。
 血の繋がらない妹の存在だけが、今のフーケを押し止める唯一の鎖となっていた。
「地下水。馬鹿を引っ込めとけ」
「了解」
 火に油を注ぎ続けるウェールズが表に出ていても得はないだろうと、ホル・ホースが地下水に指示を出す。
 すぐにウェールズだった顔が無機質なものに変わり、少し時間を置いて王子らしくない粗雑な表情に変化した。
 それを確認すると、フーケも落ち着きを取り戻し、ティファニアも体を離した。
 それでも怒りが消えないのか、フーケは壁を乱暴に蹴り飛ばして鬱屈した感情をぶちまける。
「話は終わりだ。夜も更けたし、さっさと寝ようぜ」
 両手を叩いてホル・ホースが眠たそうな顔で言うと、今まで黙っていたエルザが気だるげに返事をした。
 エルザはティファニアと同室で眠るらしく、ティファニアに連れられて扉の向こうに消えていく。地下水は、珍しく気を利かせて外に出て行った。ウェールズの顔はここにはないほうが良いだろうといった配慮だ。
 残ったホル・ホースとフーケはテーブルの端に寄せられたワインの瓶に視線を移すと、少しだけ溜息をついて杯を手にした。
 特に合わせているつもりはないが、似たような気分を抱いていたのかもしれない。
 何気ない仕草が、何故か似ていた。
「悪いけど、少し付き合ってもらえるかい」
「美人の相手なら大歓迎だ」
 ホル・ホースの軽口をフーケは穏やかに笑う。怒りはとりあえず静まったらしい。
 先程までフーケが飲んでいたために、ワイン瓶の中身は半分ほど。二人なら二杯も注げば中身は空になるだろう。
 これだけでは寂しいとでも思ったのか、フーケはティファニアの部屋とは別の扉を開けて中に入ると、新しいワインの瓶を手にして戻ってきた。
「この村じゃ酒の相手をしてくれる奴が居ないんでね。せっかくだから、秘蔵のものを出してきたよ」
 自慢げにフーケはワインのラベルを見せて、貴重な品であることを伝える。
 元の世界ならともかく、ハルケギニアの常識で産地や製造年を語られてもホル・ホースにはそれがどれほどの価値があるのかまではわからない。
 そんなわけで、酒には余り詳しくない。
 素直にそんなことを口にすると、フーケは軽く笑って、意外だね、と呟いた。
 飲みかけのワインをお互いの杯に注ぎ合い、最初の一口で全てを飲み干す。喉の渇きを潤すための一杯だった。
 瓶の残りを空いた杯に注ぐと、中身のなくなった瓶を床に移動させる。
 邪魔は少ないほうが良い。
 視線が合い、苦笑いを浮かべて杯をぶつける。互いの杯の中身が飛び跳ねて混ざり合った。
「……親代わりってのは、なかなか大変そうじゃねえか」
 適当な話題がないものか、と考えてティファニアの部屋の扉を見つけたホル・ホースがそう言うと、フーケは自嘲気味に笑った。
「そうでもないさ。アタシがやってるのは、ただのパトロンだからね」
 酸味のある安物のワインに口をつける。これが不味ければ不味いほど、次の秘蔵品の味が引き立つのだから、不味いものも存外捨てたものではない。
「金を送っているだけで子供が勝手に育ってくれるなんて、こんなのは子育てじゃないよ」
 どこか不満そうな雰囲気を帯びた言葉に、ホル・ホースは目を円くした。
「子供は好きなのか?」
 不満の元が子供を直接育てられないことなら、フーケは相当な子供好きなのだろう。
 普段の態度や外見から抱く想像を考えると、意外としかいえない。
「嫌いだったら、こんな孤児院なんか開きゃしないさ。あんまり相手をしてやる気にはなれないけどね」
 そう言って、フーケは自分の手を見つめた。
 女性らしい、細く丸みを帯びた手だ。盗賊家業と言っても、荒っぽいことは全て杖を振るだけで何とかなる。節くれ立った太い指になるのは、平民の盗賊ばかりだ。
 だが、目には見えなくとも血の匂いが漂ってきている。この点だけは、平民もメイジも関係はない。
 溜息を吐きながら手で握ったり開いたりを繰り返すと、フーケは自分よりも血の匂いの強い男を見て自重するように笑った。
「アンタは……壁みたいなのを感じたことはないかい?手の綺麗なヤツと自分の間に」
 そんな問いかけに、ホル・ホースはヒヒと笑う。
「昔はあった。が、今はねえな。人間なんてのは、結局何かを犠牲にして生きてるもんだ。どこぞの傲慢な吸血鬼と出会ってからは、特にそんなふうに思うようになったぜ」
 脳裏に、不敵に笑う男の姿が過ぎる。
 あの男は犠牲という言葉の意味を料理の素材程度にしか考えていなかった。人間という意思の疎通を図れる相手を食料にしているのだから、命というものの価値観に大きな相違があったのは事実だろう。
 人を殺すようになる前と後とで人の命の重さに違いを感じるようになった事実だが、それが重さという概念で考えなくなったのは、あの男と出会ってからだろう。
 利害。今はそれだけが命の価値を決めている。
「……吸血鬼って言うからエルザのことかと思ったけど、そういうわけじゃないみたいだね」
「もう死んだやつのことだ。気にすることはねえよ」
 杯を傾け、あまり美味くないアルコールで喉を焼く。味わう気にもなれないためか、中身はすぐに空になった。
「普段肉として食ってる動物の命と人間の命。違いは何かといえば、文句を言うか言わないか程度でしかねえ。感情移入をしちまえば、蟻の命だって純金の塊より重くなるさ」
 結局は、感じ取るものの価値観だ。
 フーケが素直に子供達の相手を出来ないのは、自分が思っているよりも人の命を重く受け止めているからに他ならない。
 それが良いことなのか悪いことなのか、そこまではホル・ホースも口にする気は無かった。
 どうせ、答えの出ない問題だからだ。
「……あん、どうした?」
 口を開けてぼうっとこちらを見るフーケに気が付いて、ホル・ホースは声をかける。
「あ、いや、なんでもないよ。見た目と違って説教臭いことを口にするから、ちょっと意外だと思っただけさ」
 呆けていたのを誤魔化すようにフーケも杯を空にした。
 ちょうど二人とも杯を空けた状態になったことで、フーケは新しいワイン瓶に手を伸ばす。
 杖を振ると、あっという間に栓が抜けて甘い香りを漂わせた。上等のワインに似つかわしくない、下品で粗野な甘ったるい匂いだ。だが、不快なものではない。慣れれば、多分癖になるのだろう。
 黄色みを帯びた透明な液体が木杯に注がれ、安物の赤ワインと混ざってピンク色に変色するのを見て、フーケが眉を顰める。
 せっかくの秘蔵酒が安物と混じったのが気に食わないらしい。
 溜息をついてあまり大きくない棚から一つだけグラスを取り出すと、先に注いだピンク色になったワインをホル・ホースに突き出し、自分は透明色の液体がはっきり見えるガラスのグラスに瓶を傾けた。
「おいおい、オレは客じゃねえのかよ」
 先程までフーケが使っていた木杯を受け取ったホル・ホースの言葉に、フーケは片目を閉じて妖艶な笑みを浮かべる。
「間接キスのサービス付きなんだ。十分にもてなしてるだろ?」
「我が侭で押し付けただけじゃねえか」
 そうは言いつつも、ホル・ホースは意図的に受け取った杯でフーケが口をつけたであろう部分を探る。木のコップは液体を簡単に染み込ませて変色するため、すぐに位置は判明した。
 ちょうど自分の手前の位置だ。
 それを確認して、ヒヒ、と引き攣った笑い声を漏らす。
「まあそれでも、サービスだってんならタップリと堪能させてもらってもいいわけだよな」
 笑みを浮かべたままホル・ホースが見せ付けるように舌を見せて、フーケが口つけた部分を舐め取るような仕草をすると、フーケは厭そうに表情を歪めてワインの注ぎ終わったグラスの底でホル・ホースの頭を叩いた。
「バカなことするんじゃないよ」
「サービスだって言ったじゃねえか。ケチ臭え」
 中身が零れないように配慮してのグラスの一撃など痛くはなかった。だが、本当に嫌がられているようなので、フーケが口をつけた部分を避けてピンク色のワインに唇をつける。
 ワインというものは、色を楽しみ、香りを楽しみ、最後に舌で楽しむものらしい。早速とばかりに飲み始めてしまったホル・ホースをフーケは、風情の分からないやつだね、と評しておきながら自分もすぐにワインに口をつけた。
 自分のワインを先に楽しまれるのは嫌なようだ。
 ぐっと呷って口の中を液体で満たし、舌の上で転がす。
 味は、悪くは無かった。
「……秘蔵するほどのもんじゃねえな」
「エキュー金貨で30枚もする一品なのに……」
 悪くはない味だが、予想以上に甘かった。
 酒として飲むには向いていないのだろう。恐らく、ティータイムにクッキーやケーキと並べて婦女子が甘さを堪能するために作られたものなのだ。
 喉を焼くようなアルコールを求めていた二人には、まったく合わない代物だった。
 盗賊家業で見る目を磨いてきたはずのフーケがこんな失敗をすると言うことは、売る側の商人が相当なやり手だったに違いない。
 明らかにガッカリした様子のフーケを慰めるように肩に手を置くと、すぐに打ち払われて鋭い目を向けられた。
「不味くはないんだ!このまま飲み続けるよ!!」
 負けを認めたくないのだろう。フーケはグラスの中身を飲み干すと、次には瓶を手にしてそのままラッパ飲みを始める。
 ホル・ホースより一回り小さい身体のどこに入るのか。ワイン瓶の中身はどんどん減っていき、それが残り十分の一くらいになると、フーケは口を離して飲み残しをホル・ホースの杯に注いだ。
 最初の一本も加えれば、ほとんど瓶二本分を飲み干したようなものだ。流石に限界らしい。
「うえぇ、口の中が甘いいぃ」
 そのままテーブルに体を預けてぐったりとするフーケを眺め見て、ホル・ホースはヒヒと笑いを溢す。
 こうして見れば、稀代の大盗賊もただの女だ。手が血に汚れて子供達と接することに躊躇いがあるなんて悩みを抱えているようには見えない。
 杯を呷り、甘い味に顔を顰めたホル・ホースは、口に合わないそれを無理矢理喉の奥へと流し込む。これで、金貨30枚分の酒が五分も経たないうちに消費されたわけだ。その辺を歩いている平民が聞いたら卒倒しそうな話である。
 空になった杯が軽い音を立ててテーブルに置かれた。それを機に、フーケも欠伸をする。
 窓の外に目を向ければ、夜の空に少し白いものが混じっているように見えた。
 朝が近いのかもしれない。飲んでいるうちに時間が過ぎた、というよりは、ウェールズの話が長かっただけだろう。そうなると、明日は全員寝坊なんてことも考えられた。
「ねえ」
 その声に、ホル・ホースはチラリと視線を送る。フーケが、テーブルに乗せていた頭を上げてこちらを見ていた。
 瞳の奥が揺れ動いている。
「なんだ?」
 と聞くと、フーケは少し間を置いて再びテーブルに突っ伏した。
 言葉の続きはやってこない。
 何がしたいのか判らずにホル・ホースが首と捻ると、ぷっ、とフーケが噴出した。
「なんだ?ただの酔っ払いか」
 ケラケラと笑い始めるフーケを可哀相なものを見る目で眺める。
 味は甘くても、ワインはジュースではないということだろう。一気飲みしたツケが脳味噌に回ってきたということだ。
 だが、そんな笑い声もすぐに収まった。笑い上戸というわけでもないらしい。
 勢い良く身体を起こして椅子の背に体を預けたフーケは、大きく深呼吸をして、そのままずるずると体を滑らせていく。
「寝るならベッドに行け」
 赤くなった顔と体に力が入らない様子は、酔っ払いがいびきをかいて眠り始めるサインだ。
 徹夜をする気もないホル・ホースも、いい加減眠ってしまいたい事もあってそう言ったのだが、フーケは別の意味で捉えたらしい。
 抱えて欲しいという意思を示すときのエルザのように、ホル・ホースに両手を伸ばして来たのだ。
「お父様、抱っこ」
 普段の鋭い目が円く開かれてる。少し小首をかしげて言う姿は、子供の振りをするエルザに酷く似ていた。
「酔うと幼児退行を起こすのか、このアマ」
 虚ろな瞳には、一体何が映っているのか。
 自分とあまり変わらない年齢の女性に父親呼ばわりされたのは初めてだと呟きながら、面倒臭そうにホル・ホースは椅子からずり落ちたフーケを抱え上げた。
 エルザよりは重いが、腕に負担になるほどでもない。服の上からでは分からないが、見た目よりも細いのだ。風呂場に突撃したときの情景ではそんな印象が無かったから、骨格そのものが全体的に細いのかもしれない。
 ウェールズの語った四年前の事件から盗賊を始めたのなら、ちょうど体が完成する時期に貴族の温室育ちから苦難の日々に放り出されたことになる。今は健康でも、盗賊を始めた当初は酷い有様だったことが、なんとなく理解できた。
 だが、そんなことで同情なんてされたくはないだろう。
 苦難の日々は、彼女のプライドをより堅固な物にしたはずだ。どんな境遇かを知ったくらいで態度が変わるような相手に心を開いたりはしない。そういう女のはずだ。
「面倒な女だな、おい」
 抱えたフーケの鼻先を摘みながら独り言を呟いて、ホル・ホースはフーケが大ハズレだった秘蔵のワインを取ってきた部屋の扉を押し開く。そこは、やはり彼女の部屋だったようだ。
 長く滞在することもないためか、背の低い箪笥と大きくない鏡が一つ。それに、丸いテーブルと椅子が2脚。他には眠るためのベッドがあるだけだ。足元に少しだけ浮き上がった床板があるが、そこがワインの隠し場所なのだろう。足で押してやると、浮き上がった部分が閉じて他の床板と区別がつかなくなった。
 部屋を横切り、窓に沿うように置かれたベッドの上にフーケを下ろす。真っ白なシーツの端に畳まれた毛布を被せると、ついでとばかりにカーテンも閉めておく。だが、薄地のカーテンは月明かりすら通してしまい、光りを避ける役割は無さそうだった。
 窓の外の景色が少しずつ明るくなっている。
 朝が近い。家の外で寝るようにと言われはしたが、気を緩めるとあっという間に下りてくる瞼が寝藁の敷かれた場所までの道を妨害しそうだった。
 目の前のベッドに横になりたいという誘惑を振りきり、ホル・ホースが踵を返すと、眠ったと思っていた人物の声が聞こえてきた。
「……うぅん、あれ、アンタ、なんで」
 寝返りを打ったフーケが、薄く目を開く。
 体勢を入れ替えた拍子に意識が浮上したらしい。
「黙って寝てろ」
 起きている理由などないのだからとフーケの額を押さえつけると、意外にもフーケは大人しくそれに従って目を閉じた。
 だが、そのまま眠るというわけではないようだ。
「ホル・ホース」
 目を閉じたまま、フーケが呼びかける。
「なんだ?」
 いい加減に寝てくれないと、自分も眠れない。
 愚痴りたくなるのを抑えて聞き返すと、フーケは額に当てられた手に自分の手を添えて大きく息を吸った。
「アンタ、ここよりも安全そうな隠れ家を知らないかい?」
「……どういうことだ?」
 ここより。という言葉から察するに、恐らくティファニアたちを引越しさせるつもりなのだということは分かるが、辺境の地にあるウェストウッド村は十分に安全な隠れ家のように思える。これ以上の条件となると、アルビオン大陸を下りてハルケギニアの隅にでも行くしかない。
 そのくらいはフーケにも分かっているはずだ。なら、ホル・ホースに期待している場所は少し条件の違う場所ということになる。
 そんな予測は、どうやら当たっていたようだった。
「ここも何時までも安全じゃない。この村にも変な連中は時々やってくるからね。ティファニアの魔法は記憶を消すことが出来るけど、それで追い払っても何時かは矛盾が溜まって、ここがおかしいって気付くやつが出てくる。前から、引っ越すことは考えてたんだ……」
 人里から遠く離れているとはいえ、気まぐれな行商人やフーケが手紙を送る度に訪れる運び屋などは、この場所を覚え始める。ここに村があることが知られれば、興味本位で訪れる人間も出てくるだろう。それは、フーケにとってもティファニアにとっても、あまり良い事態とはいえない。
「アタシの職場が固定されると、なにかあったときにすぐに駆けつけたり出来なくなる。だからさ、魔法学院の近くか、あの子達を受け入れてもらえそうな土地がないかって、探してるんだよ」
 親でもないのに親らしい考え方に、ホル・ホースは苦笑いを浮かべた。
「ねえこともねえが……」
 候補として脳裏に浮かんだのは、ハルケギニアで最初に訪れた村であるエギンハイムだった。
 あそこならエルフと同じ先住民族である翼人との接点が強く、ちょうど融和を行っているところだ。人間と翼人の夫婦などは、先住民族と人類が分かり合えた証明ともいえるティファニアを盛大に歓迎するだろう。問題があるとすれば、魔法学院から遠いことか。
 次に思い浮かんだタルブの村は、ハーフエルフであるティファニアを受け入れてもらえるかどうかが分からない。エルフの毒で精神を病んでいるシャルロットの母親が居るからだ。それを考えると追い出される可能性のほうが高いように思える。
 だが、魔法学院の近くというなら、あの場所は悪くない。
 他に頼れそうな伝手はないかと考えて、ホル・ホースはハルケギニアに来て一年と少ししか経っていないことを改めて思い知った。知っている場所が、あまりにも少ないのだ。
 期待には答えられそうにない。そう言おうとしたところで、脳裏に一箇所だけ、条件が満たせそうな場所が過ぎった。
 村ではない。だが魔法学院からは間違いなく近いし、身を隠すには悪くない位置だ。ここのように森の中にあるというのも好条件。ついでに言えば、ジジイを一人説得することで安全確保も何とかなりそうだった。
 フーケも知っているその場所を話そうとして、咄嗟に口を閉じる。
 いつの間にか、フーケが寝息を立てていたのだ。
「人に尋ねといて自分は寝るのかよ」
 愚痴を溢すついでに一つ溜息を吐く。
 しかし、それほど急ぐ話でもないだろう。見たところ、引越しの準備をしていたという様子もない。これなら、一眠りしてからでも遅くはなさそうだった。
 もう眠りの淵はそこまで迫っている。耐え続けるにも限界だ。
 このまま倒れこみそうになるのを堪えて、せめて部屋くらいは出て行こうとすると、手が何かに押さえられていることに気が付いた。
 フーケの額に当てられた手が、しっかりと握られていたのだ。
 居間で両手を伸ばし、お父様、と自分を呼んでいたことを思い出してしまう。
 ティファニアのことばかり気にかけているようだが、フーケもまた、突然に両親を失った人間の一人だ。それでも、支えなければならない義妹が居たために弱音も吐けなかったのだろう。
 また一つ溜息を吐くと、ホル・ホースはその場に座ってフーケの寝顔を覗き見た。
 ハルケギニアの女はどいつもこいつも気が強い。なんて何時か思ったのは、そうでなければ生きていけない環境のせいだったのかもしれない。
 出会った女の誰もがなにかを背負って生きていた。それだけの話なのだろう。
 ホル・ホースの好みとしては、こんな力強い女ではなく、もっと単純で扱いやすいバカなやつが理想だった。そのほうが扱いが楽だし、捨てるときも未練が残らないからだ。
 逆に、こういう気の強い女を口説くと後で痛いしっぺ返しが来る。特に、自分のように複数の女に手を出すような人間は。
 なら一人だけを相手にすればいいのではないか、などと聞かれた経験もあるが、それは男の威信にかけて断じて認められなかった。両手に花どころか、年中花束いっぱい抱えたいのがホル・ホースという男なのである。
 ただ、ハルケギニアで出会った女達は、他の花と一緒にするとすぐに毒を吐きそうに見える。
 見る目麗しい女性が多いのに、その一点だけが悔やまれた。
「面倒な女ばかりだ」
 脳裏に浮かぶ幾つもの顔にそう吐き捨てて、ホル・ホースはさっきから踊り狂っている睡魔の饗宴にアルコールを抱えて参加を始めた。
 手の平にあるいつもとは違う温かみが、少しだけ眠りを深くしてくれそうな気がする。
 窓の向こうではもう、小鳥が鳴き始めていた。

 シルフィードの上から見下ろしたアルビオンの大地には、蟻の群れを連想させる黒い列が一箇所に向けて延々と伸びていた。
 それは、何百何千という人間の軍勢だった。
 あちこちから伸びる人間の列の中心にはシティ・オブ・サウスゴータの姿がある。街道の集結点にあるこの町は、今、王党派との決戦を控えた貴族派の拠点となっているのだ。
 とはいえ、全ての兵士が町の中に入れるわけではないのだろう。町の周囲を囲う背の低い石壁の前には無数のテントが並び、焚き火が起こす煙で大火事のように空が黒く染まっていた。
 シティ・オブ・サウスゴータの上空には戦艦らしき船が三隻浮かび、下から上ってくる煙で姿を隠しているのが見える。時折、陰に隠れて小さな船が飛び交っているが、それは恐らく燃料である風石や火薬などを運んでいる運搬船だろう。
 戦争の準備が進められていることは、素人目にも理解できる。
 シルフィードの上でその光景を見つめていたルイズたちは、肌にじっとりと汗が浮かぶのを感じつつ、視線を本来の目的地へと向けた。
「行きましょう」
 短くルイズが告げると、タバサが杖を軽く振ってシルフィードの進路を変える。
 敵情視察のつもりの寄り道だったが、見るべきではなかったかもしれない。話に聞く王党派の戦力は、多く見積もっても三千とのことだ。明らかに万を越える貴族派の軍勢の前には、風前の灯だろう。
 数字だけでなく、目でそれを確認してしまうと、より一層の絶望感に襲われる。
 そんな感覚を誤魔化すように、ルイズは懐に収めたアンリエッタの手紙を服の上から撫で付けた。
 王女の想い人は、まだ無事だろうか。戦死したという話は聞いていないが、この様子では情報の錯綜で事実が伝わっていないだけかも知れない。
 早くしなければと心ばかりが急かされ、しかし、見える風景は考えているほど早くは変わらない。移動手段としてはシルフィードが最も速いはずなのに、ルイズはそれ以上に速い移動手段を求めてしまう。だが、どれだけ周囲の風景に目を向けようとも、そんなものが存在するはずも無く、逸る気持ちばかりが強くなる。
 視線を後ろに向けて、ルイズはやり場のない感情を遠く見える一人と一匹に飛ばした。
 遠く見える位置に黒い豆粒のように見えるだけのそれは、グリフォンに乗ったワルドだ。
 たった一人遅れた形を取っているのは、わけがある。
 今朝のことだ。
 最初にそれに気が付いたのは、朝食の誘いにとワルドの部屋を訪ねたルイズだった。
 扉をノックしても、呼びかけても返事がない。まだ眠っているのか、なんて考えていたところで食事のために一階の酒場に出たところ、店の主人に言われたのである。
 昨晩、仕事明けのウェイトレスと酒を飲みに行ったきり帰ってこない、と。
 ルイズより少し遅れて起き出してきたキュルケたちと共に、捜索を始めて一時間。あまり大きくないはずの町を走り回って、ようやく深夜営業を主としている酒場から若い女性の肩を借りて千鳥足で戻ってくるワルドの姿を見つけたのである。
 このボンクラ隊長は、一晩中飲んでいたらしい。
 連れの女性は自分が無理に誘ったのだと弁解していたが、それを断れないのはワルドの責任だ。大事な任務があることは分かっているはずなのだから。
 今にも倒れそうなオッサンをギーシュがレビテーションで運び、酒が抜けるまで休ませたルイズたちは、予定を大幅に遅れて出発に至ったのである。
 つまり、ルイズが必要以上に気持ちを逸らせているのは、半分以上ワルドの責任なのだ。
 本人も二日酔いで痛む頭を更に痛めて不甲斐無さを理解し、今は大人しく後方に追従する形を取っている。シルフィードの背中にはルイズとタバサの他に、キュルケやギーシュ、才人も乗っているので、ワルドは孤独を満喫していることだろう。
 距離を離しているのも意図的である。
 空の色に溶け込むようなシルフィードの青い鱗はワルドからは酷く見難いはず。見失うか見失わないかのギリギリの距離だ。
 こちらを見失ってグリフォンの動きが変化したら、速度を落として姿を見せる。そんなことを何度も繰り返しているのは嫌がらせと言えば嫌がらせなのだが、置いていかないだけマシだと思って欲しい。本来ならルイズはワルドをトリステインに送り返したかったのだ。才人たちが必死に擁護しなければ、恐らく実行していただろう。
 前日に二度目のプロポーズをしておきながら、振られた途端に別の女と酒を飲みに行ったのだから、ルイズが怒るのも無理はない。
 この件ばかりはもう、お手上げだった。ワルドの行動があまりにも酷過ぎる。気が緩んでいるなんて言葉では片付けられない。
 少なくとも、この件はルイズの口からアンリエッタへ報告されるだろう。任務の終わりがワルドの魔法衛士隊隊長としての人生の終わりかもしれない。
 それくらい、ルイズは怒っていた。
 ギラギラとした目をワルドに向けて殺気立つルイズを、才人とギーシュが宥め、キュルケは自分がルイズの怒りを爆発させる導火線になりかねないことを自覚して大人しくする。
 そんな旅路の中、一人無関心なタバサが読んでいた本から顔を上げて声を発したのは、貴族派の軍が群がるシティ・オブ・サウスゴータを横切って一時間もしてからだった。
「見えた」
 全員の視線が集まり易いように、自分の節くれ立った大きな杖を指示棒代わりにして目的の場所を指し示す。
 シティ・オブ・サウスゴータで見たのと似ているテントが疎らに揃い、土のメイジが即興で作ったらしい岩の砦が目に付く。
 ニューカッスル地方に敷かれた王党派の陣地だ。
 だが、それが見えたというのに、ルイズたちの表情はあまり晴れたものではなかった。
 なぜなら、王党派の陣地にあるテントの数が明らかに貴族派のものと比べて見劣りしていたからだ。
「千も無いんじゃないかしら……」
 そんなキュルケの呟きに、ギーシュだけが頷いて返した。
 軍を構成する人員の大半は、雇われた傭兵か民兵だ。正規軍が一割を超えることは滅多にない。生きる土地がかかっている民兵ならともかく、自分の命を賭けに出して金を稼ぐ傭兵などは、負けの混んだ勢力からは次々と出て行ってしまう。王党派の軍は、恐らくは僅かな民兵と正規軍の混成だろう。
 錬度という意味ではどこよりも勝るが、絶対的な数が少ない。急ごしらえの砦も、役に立つとは思えなかった。
 王党派が負けることは、もう覆しようのない事実らしい。
 表情が暗くなるのを抑えきれず、ルイズは服の上からもう一度手紙を撫でる。
 目の前の光景がどれほど絶望的でも、任務は任務だ。
 手紙を届け、ウェールズ皇太子から過去にアンリエッタが贈ったという手紙を取り戻さなければならない。
 失敗すれば、目の前の光景がトリステインでも繰り返されるかもしれないのだから。
「サイト、アレの準備は出来てる?」
 ルイズが振り向いて尋ねると、才人が背中に背負ったデルフリンガーを鞘ごと持ち上げて先端をに括られたものを見せた。
 そこにあるのは、何の変哲もない白い布だ。風に吹かれて大きく広がっている以外は。
「出来てるなら良いわ。降下するから、ちゃんと掲げてなさいよ」
「分かってるよ」
 お忍びとは言え、仮にも軍に接触するのだから何の用意も無く接近すれば攻撃されかねない。
 才人が用意した白い布は白旗の代わりだった。これを掲げて大人しくしている限り、少なくとも攻撃される心配はないはずである。
 陣地に下りてしまえば、後は適当に偉そうな奴を捕まえて用件を伝えるだけでいい。
 旅の終わりは近かった。


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