ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

仮面のルイズ-64

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匿名ユーザー

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魔法学院の朝は静寂に包まれている。
食事の準備のため、厨房で働く平民が水を汲む音。
夜の警備を担当していた衛兵が、詰め所に戻って交替するなど、朝の物音などせいぜいその程度だった。

シエスタの朝は早い、魔法学院としてメイドで働いていた彼女は、朝食の準備が始まる前に一度目を覚ます。
早起きして体をほぐすと、日課となっている波紋の鍛錬をしたり、系統魔法の勉強などをする。
時々、二度寝をして布団の中でまどろみに包まれ、幸せを堪能している事もあるが、おおむね彼女は勤勉で働き者の「生徒」だった。

この日も、シエスタの朝は早い。
彼女は、ベッドの上に座り、朝日にに照らされながら、ボロボロの日記帳を読んでいる。
その日記は彼女の曾祖父、ササキタケオの残した日記だった。



シエスタは、曾祖母の血を最も濃く受け継いでいる。
曾祖母であるリサリサはハルケギニアの系統魔法とは違う、独自の技術、すなわち「波紋」の継承者だった。
オールド・オスマンは、吸血鬼に襲われた時、リサリサの波紋に助けられた、その時見た波紋の輝きはオスマンの脳裏に鮮明に焼き付いている。

命を助けられたオスマンは、東方から歩いてやって来たというリサリサと情報を交換し、互いの立場を明らかにした。
驚くべき事に、リサリサはハルケギニアでも東方でもない、まったく別の世界からやって来たのだと言う。
オスマンは、自身の立場を使ってリサリサの立場を保証する代わりに、「波紋」の技術を教授された。

そして一年後……タルブ村に、大きな鉄の塊で降り立った男性が居ると、風の噂を耳にした。
その男性はササキタケオといい、ニッポンという国の出身だと言う。
リサリサと同じ世界の出身だということは分かったが……リサリサと、ササキタケオの間には、十年以上の時間のずれがあったらしい。

元の世界に変える手がかりを掴むため、二人は情報を交換し合い、行動を共にするようになり……そしていつしか、二人は共に暮らすようになっていた。
同じ世界の出身だから二人は惹かれたのだろうか?

シエスタは日記を読みながら、曾祖父と曾祖母の二人が、どんな生活をしていたのか想像した。
曾祖母は人前では厳しい態度を崩さず、ハルケギニアの貴族に引けを取らないどころか、それを凌駕するような凛とした迫力を持っていた。
しかし曾祖父は、リサリサの時折見せる笑顔がとても可憐であったと日記に書き残している。
一方、リサリサもまんざらではなかったようで、時折曾祖父の仕事を手伝ったり、互いの故郷の話をしあい、笑いあい……
とにかく、二人は両思いだったらしい。

日記を読み進めていくと、何度もめくられ、縁はボロボロになり、水に濡れた跡が残るページがあった。
それは、リサリサが妊娠したと分かったときのページ。
リサリサは、波紋の影響か、五十代半ばを過ぎても二十代前半の若さを保っていた。
そのことを告白した時、曾祖父は『それでも貴方が欲しい』と言ったらしい。
そして二人は結ばれ、リサリサは妊娠し、10ヶ月後待望の赤子を授かった。

それからは幸せな生活だったのだろう、日記には赤ちゃんのこと、タルブ村で育てた葡萄畑のこと、他の村民との交流などが書かれている。

……だが、子供が生まれて一年も経たないうちに、リサリサの姿は消えてしまった。
それは突然だった、曾祖父とリサリサが、子供をタルブ草原で遊ばせていた時、大人がすっぽりと収まるほどの、大きな楕円形の鏡が現れた。

子供の間近に現れたそれを見て、リサリサは血相を変え、呟いた。
『ヴェネツィア…!』

狼狽えるリサリサの目の前で、子供がその鏡に手を出そうとした、いや、既に手を差し込んでいたかもしれない。
リサリサは慌てて子供に駈け寄り、鏡から引き離したが……まるで子供の身代わりになるように、リサリサの体は鏡へと吸い込まれ始めた。
曾祖父がリサリサの手を掴み、鏡から引っ張り出そうとするが、リサリサの体は鏡へと吸い込まれるばかりだった。

一分も経たぬうちにリサリサの体は首まで吸い込まれ、鏡もその大きさを半分以下にまで縮めていた。
最後の最後で、リサリサは、絞り出すような声で、必死の思いを乗せて叫んだ。
『私は、私の本当の名前は………』



「エリザベス・ジョースターか…」
ぱたん、と本を閉じる。
シエスタはそのまま本を枕元に置くと、窓から外を見た。
早朝の日差しは、澄んだ空気と相まって鋭さを感じさせていたが、朝食が近くなる頃には鋭さは影を潜めている、柔らかい印象を与えているとも言えよう。
シエスタは両腕を上に上げて背伸びをすると、制服へと着替えて部屋を出た。

ドアノブをひねると、ガチャリと音が立つ。
内向きに開く扉を引くと、扉の前に立っていた誰かがハッと息を呑むのが分かった。
「…キュルケさん?」
そこに居たのは、ラグドリアン湖で分かれた、キュルケだった。
「はぁい、シエスタ、元気だった?」
そう言ってキュルケは、ほんの少しだけ気まずそうに笑う。
自分の頬に右手を添えて、何かを誤魔化すように微笑んでいる。
シエスタはキュルケの仕草から、気まずそうな雰囲気を感じ取ると、どうぞと言って部屋へとキュルケを促した。

「キュルケさんは、いつ魔法学院に戻られたんですか?」
「昨日の夜よ。シエスタは?」
「私は一昨日でした」
屈託のない笑顔で答えるシエスタ、それとは対照的に、キュルケの表情は沈んでいた。
「ごめんなさいね、まさかラグドリアン湖にいるとは思わなかったし」
「いえ、いいんですよ。それよりキュルケさんに怪我が無くてほっとしました」
椅子に座ったキュルケと、ベッドに座ったシエスタが向き合う。
キュルケはラグドリアン湖でシエスタ達…実際にはカリーヌ・デジレとだが…と敵対し、水の精霊を襲撃しようとしていたのだ。
「ホントはね。貴族同士なら…まあ、特にツェルプストー家とヴァリエール家は昔から敵対してたから、戦うのは当たり前なんだけど……その後のことよ」
「その後、ですか?」
シエスタが首を傾げて、ラグドリアン湖での出来事を思い出そうとする、脳裏に浮かぶのはカリーヌによって拘束されたキュルケ・タバサ・シルフィードの姿。
むしろ自分がキュルケ達に謝るべきなのか、と思ったところで、キュルケが口を開いた。
「貴方、水の精霊に、タバサの母のこと聞いたでしょ? タバサも私もね、あれがショックだったわ」
「え…ッ」
思いがけない言葉にシエスタが口ごもった。
「ああ、誤解しないで。感謝してるのよ、でも、タバサがそれで自分を責めちゃって…」
「タバサさんが?」
「そうよ、敵対していたはずの水の精霊、それと交渉してまで、母を直す手だてを探そうとする貴方を見て……タバサが落ち込んじゃって」
「どうしてタバサさんが落ち込むんですか、だって、タバサさんは命令されて仕方なく水の精霊を退治しようとしたんでしょう?」
「私もそう思ったんだけど。でも、自分を心配してくれる人と敵対した事実が、どうしても許せないみたい」

シエスタの顔が自然と上を向いた。
何を言って良いのか、一瞬では思いつかない、十秒、二十秒、三十秒と時間が流れていく。
一分を過ぎたところで、ふと、キュルケがこの部屋に来た理由を思いついた。
「……私が怒ってないか、確かめに来たんですか?」
「それだけじゃないわ、タバサに会ってあげて欲しいの。それで、よかったら、怒ってないって直接言ってあげてくれる?」

キュルケの台詞が終わるやいなや、シエスタはベッドから立ち上がった。
「タバサさんの部屋ってどこでしたっけ」
「行ってくれるの?」
「はい!」
大切な友達だから当然だ、と言わんばかりのシエスタを見て、キュルケの顔にも自然と微笑みが浮かんだ。

 *

タバサは、ベッドの中で小さく丸まっていた。
普段のタバサならば、任務を終えた次の日でも疲れを見せることなく起床し、朝食を取り、授業に参加するのだが、今日ばかりは気分がすぐれず、ベッドから起き出すのが後れてしまった。
シルフィードに乗ってキュルケと共に帰ってきたタバサは、キュルケの心配する声にも答えず、じっと黙っていた。
原因は自分でも理解している、ラグドリアン湖でシエスタは、母を蝕んでいる毒を取り除く方法を探そうと、水の精霊に問いかけていた。
ガリアの北花壇騎士として困難な任務を与えられていたタバサは、かつて父を祭り上げていた一派を暗殺するという、悪趣味な任務をこなしたこともあった。
その時は相手がどんな気持ちで自分と相対したのか、よく理解していなかった。
何年も任務をこなすにつれて、タバサはいつしか『シャルロット』を取り巻く環境がどのようなものか、目の当たりにすることになる。

タバサにとって、無能と呼ばれた叔父は、父を謀殺し、母の意識を奪った許し難き人。
それだけのこと、それだけのことだ。

復讐したいという気持ちはある、けれども今更、復讐をしたところで父は帰ってこない、だから権力闘争などに首を突っ込むつもりはない。
タバサの願いはただ母のため、せめて母の意識だけでも治したい、子供の頃のように、『タバサ』でなく『シャルロット』に笑顔を向けて欲しい、その一心で今まで戦い続けてきた。
王権など眼中に無い、ただ母のため。
母の笑顔のためにタバサは戦い続けてきた。


それなのに周囲は、『シャルロット』がジョゼフを打倒することを期待している。


シエスタは、タバサを『シャルロット』としては見ない。
ただ一人の友人として接してくれる。
母を治すために、自らの体に多大な負担をかける深仙脈疾走(ディーパス・オーバードライブ)を使い、一瞬だけでも母の意識を取り戻してくれた。
何年もの間人形を娘だと思いこんでいる母、実の娘であるタバサを見ても政敵の刺客にしか見えぬ母、そんな母が一瞬でも笑いかけてくれたのは、シエスタのおかげだと理解している。

そんなシエスタと『敵対』してしまった後味の悪さが、タバサをベッドに縛り付けていた。

 *

コンコン、と扉を叩く音が聞こえる。
タバサはその音に気づき、びくりと体を震わせた。

返事をせずにベッドの中で丸まっていると、再度ノックの音が響く。

「タバサさーん」

ノックの次に聞こえてきたのは、シエスタの声。
タバサはゆっくりとベッドから体を起こすと、深呼吸して、寝ぼけ眼のまま扉へと近づいていった。

ガチャリと音を立てて扉が開くと、目の前には自分を見下ろすシエスタの姿があった。
「あっ、おはようございますタバサさん」
「……」

屈託のない笑顔で挨拶されると、かえって言葉に困ってしまう。
先ほどまでタバサは、シエスタに嫌われたのではないかと思いこみ、悩んでいた。
それなのに、シエスタはいつもと変わらない様子を見せている。

「あの……お怪我とか、ありませんでしたか?」
「…………」

その上自分の怪我の心配までしている。
タバサは、思いもがけないシエスタの言葉に戸惑っていたが、何とか一言絞り出すことができた。
「ごめん、なさい」

シエスタは、きょとんとした目でタバサを見つめた。

「ごめんなさい」

タバサの瞳から涙が溢れたのを見て、シエスタはタバサの部屋へと足を踏み入れた。
後ろ手で扉を閉めると、シエスタはほんの少し腰を落として、タバサの両肩にそっと触れた。
「あの……謝るのは、私の方です。タバサさんに与えられた任務を、私達が邪魔しちゃったんですから」

シエスタの言葉に、タバサは困惑した。
謝るべきなのは自分だ、シエスタが謝る事なんて無い、そう言おうとしたが言葉にならない。
ただ、嗚咽だけが漏れてくる。

シエスタはそんなタバサの肩をぐいと引っ張り、抱きしめた。
年の離れた妹を世話するときとそう変わらない、少し強引で、誰よりも優しい抱擁でタバサを包み込んだ。

両腕に軽く力を込めてタバサを抱きしめつつ、シエスタは思った。
タバサはどれだけ我慢してきたのだろう、感情を押し殺して、どれだけの任務を果たしてきたのだろうか。
今まで思い切り泣くことも出来ず、我慢し続けてきたに違いない。

リサリサも、どんな事情があって『リサリサ』と名乗っていたのか分からない。
本名を隠す必要がどこかにあったのだろうか、もしかしたら東方にはジョースターという家があり、そこから出奔してきたのかもしれない。
しかし最後にはちゃんと名前を曾祖父に告げてくれていた。

タバサも、シャルロットという名前を隠して、魔法学院で過ごしている。
そこにはどんな苦難があったのだろう、肉体的な辛さもだが、精神的な辛さは、シエスタの想像を超えている。

シエスタは生まれついての貴族ではない、波紋が使えても魔法は使えない、けれども抱きしめることはできる。

シエスタはタバサが泣きやむまで、優しく、その小さな体を抱きしめていた。

 *

オールド・オスマンの机の上には、何十枚の紙をつなぎ合わせて作られた地図らしきものが散らばっている。

椅子ごと体を浮かせて窓際に移すと、太陽の光が徹夜明けの瞳に差し込み、思わず目を細める。
「朝日が眩しいとは…」
朝日が特に眩しく感じられるのは、体が疲労している証拠である。ふとそんな言葉が頭をよぎった。
「ミス・ロングビルがいれば多少は楽なんじゃがのう」

ミス・ロングビルは今、吸血鬼に関する情報と、アルビオンに関する情報を集めるため学院を離れている。
その原因になった一枚のメモが、地図上に描かれたアルビオンの脇に貼り付けられており、そこには殴り書きで『鉄仮面』『巨馬を操る騎士』とだけ書かれていた。
アルビオンのニューカッスル落城の際、ウェールズ皇太子を連れて脱出した騎士がいると、巷で囁かれていた。

五万の大軍を単騎で駆け抜けたという、剛の騎士。

オスマンがその話を出入りの商人から耳にしたとき、そんなものが存在するはずはない、果敢に戦ったニューカッスル城のメイジ達を称えるために、故意に歪められた噂話だろうと思っていた。
しかし、その騎士は、俗にタルブ戦と呼ばれる戦争において、トリステインに味方し戦ったという。
三枚、いや七枚の翼を持った異形の竜を従えて、最強と呼ばれたアルビオンの竜騎士隊を屠り、戦艦に突入し敵の戦列を混乱させ、アンリエッタ王女とウェールズ皇太子の同時詠唱までの時間を稼いだが……
その騎士は落下する戦艦の爆発に巻き込まれ、死んだと言われている。


どう考えても、メイジの戦い方とは思えない。
泥臭い、あまりにも力任せなその戦い方は、魔法を主体とする貴族ではとても考えられぬ戦い方だと思えた、むしろミノタウロスやサイクロプスなどの亜人種の戦い方に近いだろう。
リサリサの言う『石仮面によって吸血鬼になった存在』ならば、そのような活躍も可能なのではないか……
確かめてみる価値はある、そう思ってオスマンは、ロングビルに『騎士』の調査を命じた。
ロングビルにとっても、アルビオンに住む親族の安否は気がかりだったので、この提案は渡りに船であった。



「うーむ…すこし休むかの」
オスマンはそう呟くと、大きく欠伸をした。
よいしょと声を上げて立ち上がると、杖を片手にぼそぼそと何かを呟く、すると机の上に置かれた地図やメモがひとりでに折りたたまれ、机の中に収納されていった。
机の引き出しに『ロック』をかけると、オスマンは椅子の背もたれを大きく後ろに倒し、そのまま目を閉じ、頭を休めようとしした。



折りたたまれた地図の上には、いくつものメモが貼り付けられている。
それらは吸血鬼、ミノタウロス、オーク鬼の群れなど、人間に害をなす存在の目撃情報や噂が書かれていたが、どれもオスマンが探している『石仮面による吸血鬼』とは異なっているように思えた。

しかし、ヴァリエール家からの依頼を終えて、魔法学院に戻ってきたシエスタは、一つの大きな手がかりを持ち帰ってきた。
トリスタニアの『魅惑の妖精亭』で回収されたブラシ。
そこには、染料で茶色く染められた髪の毛が数十本絡みついていたのだ。

シエスタがそのうち一本に波紋を流すと、髪の毛はジュウジュウと音を立てて溶け、霧散した。
オスマンはそれを見て血相を変えた、波紋を受けて溶解する髪の毛など、吸血鬼のものに他ならない。
『魅惑の妖精亭』の人間は、既に食屍鬼にされているのではないかと危惧するのは当然のこと、しかしシエスタは店員全員に声をかけ、波紋を流し、食屍鬼ではないと確かめたという。

オスマンは、学院長室から下へと降りる階段を踏みしめつつ、シエスタの言葉を思い出した。
『誰の血も吸わなかったんですね……よかった』

それは『魅惑の妖精亭』の人間が、食屍鬼にされなかったことへの安堵だろうか。
おそらく、違うだろう。

今回、ブラシに絡みついた髪の毛が発見されたことで、オスマンはルイズが吸血鬼であると確信を持つに至った。

その確信はオスマンに『危機感』を与えたが、シエスタには『安堵感』を与えていた。
シエスタはルイズに憧れを持っている、シエスタはルイズを尊敬している。
もし、シエスタがルイズを『無差別に人を襲わない誇り高い吸血鬼』だと認識したら、吸血鬼退治に支障をきたすことになるだろう。
その結果、吸血鬼の動きに遅れを取り、シエスタは殺され、食屍鬼の増殖を防ぐことができなくなる。


シエスタが、ルイズを殺すのを躊躇ったとしたら、それは人類にとって途方もない損失に繋がるだろう。

「吸血鬼が人を襲わなかったとしてもじゃ…吸血鬼の“血”をこの世界に存在させておくわけにはいかんのじゃよ……」


オスマンの呟きは、広い学院長室の中で、響くことなく消えていく。
使い魔のモートソグニルだけが、その言葉を聞いて、ちゅぅと鳴き声を上げた。

 *

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、不機嫌そうに顔を歪めていた。
ウェストウッド村の孤児院、その裏手で一人、ふぅとため息をついては空を見上げ、ハァとため息をついては目の前に置かれた薪を割っていた。

「随分不機嫌だねえ」
「別に僕は機嫌を悪くしているわけじゃない」
「そうやって反論するのが子供っぽいのさ」
「……フン」

切り株の椅子に座り、薪を割っていたワルドに声をかけたのは、マチルダだった。
魔法学院の秘書として働く時と異なり、ポニーテールにしていた髪の毛を降ろし、土くれのフーケとして好んで着用していた藍鼠色の服を着ている。

マチルダは、ふて腐れているワルドの顔を覗き込むように腰をかがめた。
「そんなに置いて行かれたのが不満かい?」
「不満? 悔しいが、確かにそれもあるさ。だけど僕が心配しているのはそんなことじゃない」
「へぇ」
「僕は顔を知られている、僕を連れて首都に潜入するのには、些(いささ)かの不安がある。それは仕方ない。だからといってルイズ単独で潜入するのは……」

ワルドの愚痴は、とどのつまりルイズの身を案じているだけであった。
気を取り直して傍らに積み上げられた薪を手に取り、直径30サント、厚さ15サントほどの切り株の上に立てる。
義手になった左手のリハビリを兼ねて、ルイズが帰ってくるまでの間、ワルドは手作業で薪割りを続けていた。

「アタシはレコン・キスタとやらが心配だけどねえ。あの娘ならアルビオンだって転覆できるんじゃないの。仲間(食屍鬼)を作ればね」
マチルダがそう呟いた途端、ワルドは閃光の二つ名に恥じぬ神速の呼吸で手斧を振り下ろした。
スコン、と軽い音がして薪が真っ二つに割れる。

手斧を握りしめたまま、ワルドはマチルダを睨む。
「二度とそんなことを言うな。この薪のようになりたいのか?」
「……冗談よ。悪かったわ。軽率だったよ」

ワルドはフンと鼻で息をし、視線を薪に戻した。
「ずいぶんと素直に謝るんだな。拍子抜けだ」
「あら、アンタはアタシのことどんな女だと思ってたのさ」
「トリステインで君がしていたことを聞く限りでは、てっきり毒婦かと思ったが、毒婦と呼ぶには色気が足りないな」
「ハッ、マザコンにそんなこと言われるなんて、そりゃ光栄だね」
「優しいお姉さんじゃないか」
「……………」

マチルダは呆気にとられたのか、ワルドに視線を向けたままきょとんとしてしまった。
ワルドはそれに構わず、薪を取ってはそれを割っていく。
「なっ、何を言い出すのさ、何を」
「君は僕を“マザコン”だと言っただろう?光栄だね。だから分かるのさ。ミス・ティファニアはこの孤児院の母親だ。君はそのお姉さんと言った感じだな」

マチルダはハァーと長いため息をついた、ワルドの言葉に呆れたのか、張っていた肩をがくんと落としている。
「マザコンって言われて、光栄だとか言う奴は初めて見たよ、あんたの年でさ」
「何、僕はマザコンだけじゃないぞ、ファザコンでもある。なにせ父に理想を教わり、母に固執した僕は、結果として一度トリステインを裏切ったのだからな」

喋りながらも、ワルドは左手に持ち替えた手斧を振り下ろす。
シュッ、と空気を斬る音がしたと同時に、薪は真っ二つに割れた。

マチルダはしばらく無言でそれを見続けた、時間にしてほんの五分だろうか、マチルダはワルドに向かって小声で、こう呟いた。
「なんで、トリステインでもなく、アルビオンでもなく、ルイズなんだい?」

「クロムウェルは、人の死を弄ぶ。ルイズは人の死を背負う。それだけだ」

「僕は父と母を尊敬している。もちろんルイズもだ。その人に仕えると決めたら、いちいち他人の評価など気にしていられん。
僕が子供の頃、魔法衛士隊に憧れたのは、栄誉のためじゃない。それが最強だと呼ばれるからこそ、主君を守る立場だからこそ憧れたんだ」

また一つ、薪に向かって手斧を振り下ろす。

「主君に仕えるとはそういうことだ」

必要最低限の力で振り下ろされた手斧は、吸い込まれるように薪に食い込む。
パコッと小気味の良い音を立て、薪は真っ二つに割れた。


 *


アルビオンの首都、ロンディニウムに繋がる街道を、数台の馬車が連なって走っていた。
馬車は幌もなければ座席もない、荷物を積むだけの荷馬車であったが、今は人間を運ぶために使われている。
頬や頭に傷を負った、いかにも荒事の得意そうな男達を乗せて、馬車は首都へと走っていく。

荷物を載せる馬車なので定員など決まっていないが、詰めれば八人まで乗れる馬車の上で、一人の女が下卑た視線を浴びていた。

その女性は身長は172サントほど、鎖帷子を着こみ、黒く短い髪の毛を風になびかせている。
童顔ではあるが、ほんの少し張った顎とエラ、そして厳しい視線が幼さを覆し、強い意志を感じさせていた。
隣に座るスキンヘッドの男は、女の姿を見てにやにやと笑みを浮かべた。

この馬車は、盗賊や犯罪者を、腕に覚えのある者を傭兵として集めるために、アルビオン中に手配されたものだった。
そのため、乗っている男達は9割以上がすねに傷を持った者達であり、中には女を襲うことばかり考えている者もいる。

女の隣に座っている男も、そのような考えを持っていたのか、女の体をじろじろと舐めまわすように見つめ、舌なめずりをした。

「なあ、おめえ、男か?女にしちゃ胸が薄いなぁ」

スキンヘッドの男は、隣に座る女に話しかけつつ、手首を握った。
その手首は、細さとは裏腹に、極限まで鍛えられた筋肉の力強さに満ちていた。
どんな仕事をしてきたのだろうか、細い指はカサカサに荒れ、ほんの少し茶色っぽく染まっている。
もしかしてこいつは、本当に男かも知れない、と思った。
「へへ、可愛い顔してるじゃないか。おめえの顔なら男でも慰み者になれるぜ」

スキンヘッドの男は、上玉なら男でも悪くないと思ったのか、手首から手を離して細い顎に手を添えようとした。

「……!?」

瞬間、全身に悪寒が走る。
今まで掴んでいた女の手が、自分の股間に伸びていたのだ。
ゆっくりと、じわりじわりと、粘度の高い液体が服に染みこむ如く、女の手が股間のモノを締め付け始めた。
「ま、待って、まって!」
女の腕力は思ったよりも遙かに強く、手を払おうとしてもビクともしない。

様子を見ていた他の傭兵達が、男のあわてふためく様子を見てニヤニヤと笑みを浮かべているが、当の本人はそれどころではなかった。
「た、助け」
スキンヘッドの男が助けを求めようとしたその時、股間を握る女は、恐ろしく冷たい声でたった一言だけ呟いた。

「黙れ」

男は、人さらいでもあった。
今まで何人もの女を浚い、時には男を使って欲望を吐き捨てることもあった。
さんざん好き勝手をやって来たのだ、その分危険な目にも逢い続けた。
商隊を襲って、返り討ちにあい、命からがら逃げ出したこともあるし、同業者に殺されそうになったこともある。

命の危機に陥ると、体は危険から離れようと足掻く。
悪あがきだと分かっていても、逃げるために必死で手足を動かす。



今回はそれが無かった。
ああ、俺はココで殺されるのかと納得し、意識はどこかへと飛んでいった。


男が自我を取り戻すのは、それから二時間は後のことだった。
ロンディニウムの前にたどり着いた時き、馬車から降りろと衛兵に言われ、呆けていた意識がやっと元に戻ったのだ。

スキンヘッドの男は、隣に座っていたはずの女がどうしたのか、とても気になったが……妙な詮索をして殺されるのは嫌なので、傭兵として登録される前に前に逃げ出した。




 *




夜、ロンディニウムの、とある安宿で、件の女傭兵はベッドの上に座っていた。
あぐらをかき、不機嫌そうに両手を握りしめると、万力のような拳で膝の上に置かれた剣をゴンゴンと叩いた。
「言うに事欠いて男ですって!? あたしが!? しかも人の胸じろじろ見て……ああもう、握りつぶしてやれば良かったわ」

『いっそ男だって事にすればいいじゃねえか』
ハハハ、と剣が楽しそうに笑う。

「……(ニコッ)」
『ヒィ!』

黒髪の女傭兵は、剣の柄と先端を握ると、ぐいぐいと力をかけていった。
「どこまで曲がるかしらね」
『ちょっ、待て、待てって』



その日以降、謎の悲鳴が聞こえる宿として、この宿はちょっとした人気が出たらしい。




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