ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

5 アルビオンの長い夜 後編

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匿名ユーザー

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 フーケが造ったという浴場は、他の民家と同じような外見の建物の中にあった。
 家を新築して、中身を完全に風呂場として設計したらしい。広い脱衣所には鏡台や洗面台のようなものまであり、どこの王侯貴族が使うのかと疑問を抱いてしまうほどだった。
 流石に造ってばかりとあって材木からは木の香りが強く、少しだけ鼻につくが不快になるほどではない。むしろ、心地よい感覚を提供してくれた。
 感嘆の息を漏らすエルザに、フーケは自慢げに胸を張って前に進むと、格子状に区切られた棚の一つから籠を取り出す。
 脱いだ衣服はや着替えは、そこに入れるらしい。
 早速とばかりにフーケは最初に首の後ろで縛っていた輪ゴムを外すと、着たままだったエプロンを脱いで、その下にある緑を基調とした衣服に手をかけた。性格や外見から予想したものとは違い、下着は白で細かなレースが編まれたものだ。
 ティファニアも同じように太ももまで伸びるソックスや上腕の中ほどまで隠すロンググローブを外すと、若草色の服を脱ぎ始める。キャミソールの類は着ていないらしい。布一枚であの豊満な胸を支えていたようで、下はフーケと同じ色のパンツが秘所を隠しているだけだった。残念ながら、せっかくの大きな胸は髪に隠れて見えなかったが。
 なんというか、ずるい。とエルザは思った。
 アルビオン人の特徴なのかは分からないが、フーケにしてもティファニアにしても、体付きが妙に色っぽい。エルザの記憶にある女は誰も彼もが貧相な体つきをしていた。最近やっと見かけたキュルケはゲルマニアの出身で、ガリアとは関係ない。
 一応ガリア出身であるエルザは、慣れた様子で服を脱ぐ二人から隠れるようにドレスを籠に入れると、自分の体を見て深い溜息をついた。
 これ、大きくなるのかしら?
 両手で胸や腰、尻の辺りをそっと撫でて、首を捻る。
 そんなことをしている間にフーケとティファニアは入浴準備を終えて、湯浴み用の布で体を覆っていた。
「ほら、早く準備しな。それとも、わざわざ脱がしてもらわないとダメかい?」
 からかうような言い方に、エルザは少しだけムッとなる。
「あら、フー……じゃなくって、マチルダったら、女の子を脱がすのが趣味なのかしら」
 そうなの?とティファニアが純粋無垢な視線を投げかけてきて、フーケは頬を引き攣らせた。
「ば、バカ言うんじゃないよ!アタシは至ってノーマルなんだ!同性愛に走るほど落ちぶれちゃ居ないし、男にだって飢えちゃいない!変な事言ってないで、さっさと脱ぎな!」
「はいはい、そんなに必死になってると逆に怪しまれるわよ」
「こっ、このガキィ……!!」
 拳を握り締め肩を震わせるフーケに、最後の下着を脱いだエルザはペロッと舌を見せると、ティファニアから渡された布を手にして浴場へ向かった。
 家の中は木製の扉を境に三等分されている。一つは脱衣場、一つは浴場、一つはサウナだ。建物の外には浴場にお湯を送り込むための釜が設置され、そこでは今頃、地下水が薪に火をつけて湯を沸かしているはずだった。
 扉を開けて浴場に姿を現したエルザは、てっきり脱衣所と同じように木で作られているかと思った浴場が表面の粗い陶器に覆われているのを見て、目を丸くした。
 ちょろちょろと部屋の端に置かれた小さな女神像が担ぐ瓶からお湯が流れ出て、大きな浴槽に湯を注いでいる。瓶は外にある釜に繋がっているらしい。正確な構造までは説明されていないが、多くもなく、少なくも無い量のお湯が常に供給される仕組みのようだ。
「ねえ、なんで陶器なの?木のほうが香りがあっていいのに……」
 後ろから続いて入って来たフーケに尋ねると、腰に手を当ててきっぱりと言った。
「掃除が楽だからさ!」
 体に巻いた布の下で、二つの大きな膨らみが弾んだ。
 木は長く水に当てると腐る。カビも生え易く、手入れが難しいのだ。
 その点、陶器は表面を洗ってしまえば大抵の汚れは何とかなるし、木と違って錬金で簡単に補修が出来る。滑り止めのために多少の工夫を入れるのも、魔法を使えば簡単だ。
「……少し熱いかしら?」
 フーケとエルザの横を通り過ぎたティファニアが、子供達が入った後で少しだけ汚れている浴槽の湯に指を入れて温度を測った。
「地下水!氷作って、氷!」
 浴場に一つだけある四角い小さな窓に向けて、エルザが叫んだ。
 すぐに気の抜けたような返事が返ってきて、窓の隙間から大量の氷が降ってくる。浴槽に入った氷はすぐに溶けて消えていった。
「なんだい、あのナイフ。水系統が使えるのかい。なら、沸かし直しても良かったかもしれないねえ」
「メインは風だから、お湯を沸かすのは苦手だと思うわ。火の系統のメイジがいれば一瞬なんだろうけど」
 空気中の水分を集めて水を作り出せるメイジと高熱を操る火のメイジが居れば、わざわざ薪を使って湯を沸かすまでも無い。だが、そう都合よくは行かないようだ。土系統のメイジであるフーケは、一点に特化していて土以外は苦手だし、エルザの場合はそもそも魔法の仕組み自体が違う。
「そういえば、ティファニアはなんの系統なの?エルフの血が入ってるなら魔力が無い訳じゃないだろうし、かと言って精霊の声が聞こえるわけでもないみたいだし」
 先住魔法を使うには、精霊との交信が必要不可欠だ。ただ、魔力があれば良いというものでもない。メイジの始祖ブリミルから続く系統魔法を覚えれば精霊は力を貸してはくれないだろうし、逆もまた然りだ。
 そんなエルザの言葉に、ティファニアは視線を斜め上に向けて人差し指を顎に当てた。
「それが、よく分からなくて。コモン・マジック以外は一つしか魔法を使えないし、その魔法もなんの系統なのか、調べても見つからないの」
 魔法学院の学院長付きの秘書が身近にいるのに、分からないとはどういうことだろうか。
 エルザが視線をフーケに向けるが、フーケのほうも首を振って肩を竦めていた。
「アタシも聞いたことの無い詠唱でね。学院の図書館に何度か足を運んだけど、結局分からず仕舞いさ。先住魔法って訳でも無さそうだし、お手上げさね」
「……ふーん」
 少し考える仕草をしたエルザは、特に興味を抱かなかったのか、そのままティファニアの元に寄って浴槽に手を突っ込んだ。
 暖かい。ちょうど良い湯加減のようだ。
「ま、わかんないことは仕方ないし。さっさと入りましょ」
 体に巻いた布を脱いだエルザが白い肌を晒す。湯船に浸かるときは邪魔なものは取っ払う主義らしい。
「あ、ちょっとまった。湯の掃除がまだだよ」
 それをフーケが手で押し止め、一度脱衣所に戻ったかと思うと、杖を持って再び浴場へと入ってきた。
 短くルーンを呟くと、錬金という言葉と共に杖を一振りする。
 だが、特に変化らしいものは見られなかった。
「……なにをしたの?」
 系統魔法にそれほど詳しいわけではないエルザが怪訝な表情でフーケを見た。
 魔法に失敗したのか?と言いたそうな顔をしている。
 そんな視線にフーケは眉を潜めると、杖を浴場の隅に重ねられた桶の一つに放り込んで浴槽の湯の表面を覗き見た。
「湯全体に錬金をかけたんだよ。汚れだけを選んで除去なんて出来はしないからね。全部水に変えてしまえば、汚れなんて消えてなくなるだろ?」
 そう言って、指を浴槽に伸ばして温度を確かめる。
 魔法はイメージが重要だ。温度なんて曖昧なものを正確にイメージするのは火の系統に類する才能が要る。だが、温度をそのままに錬金するなら火系統以外のドットクラスのメイジにだってできる。
 そんな系統魔法の理屈がいまいち分からず、エルザはフーケの仕草に従って浴槽に満たされたお湯に目を向けた。
 確かに、先程まで浮かんでいた小さなゴミが消えている。
「系統魔法って便利ねえ。わたしの魔法じゃ、こうはいかないわ」
 ティファニアには気にするなとは言ったが、エルザも女の子だ。汚れた水で体を洗うのには抵抗がある。汚れた水が綺麗になったのを見て、少しホッとしていた。
「先住魔法は、こういうことは出来ないのかい?」
 空いた桶で浴槽から湯を取り出したフーケが尋ねると、エルザは少しだけ頭を傾げた。
「うーん、わかんない。わたしが知ってる魔法はあんまり多くないし……。そこにあるものをそのまま操る、っていうのは出来ると思うけど、物を別の物に変えちゃうのは系統魔法の特権じゃないかしら?」
 先住魔法のエキスパートであるビダーシャルがここに居れば、細かい説明も出来るのだろう。だが、エルザは全てを学ぶ前に両親を失っているし、吸血鬼自体、高度な先住魔法が使えるわけでもない。エルザには判断のつかない領域だ。
「そんなもんかねえ」
 腰を下ろしたフーケが、桶に掬ったお湯で髪を梳かし始める。ティファニアも同じようにお湯を取り、金色の長い髪を洗い始めた。
 血の繋がった姉妹ではないが、こうして同じことをしてると強い絆のようなものを感じさせる。今までサウナの風呂しか使ったことの無いティファニアがフーケの真似をしているだけなのかもしれないが、それでも、細かい仕草まで似ているのはなんとなく微笑ましいと感じられた。
 だが、そんな感情もすぐにエルザの表情から消えて、嫉妬や憎悪といった暗いものが浮かび上がってくる。
 血の繋がった姉妹ではないが、胸はどちらも大きい。体に巻いた布から覗く肌は、エルザのように日光から完全に隠れているために病的なまでに白いものではなく、日の光に僅かに焼けて健康的な色を保っていた。
 髪を梳かすたび、腕の動きに合わせてぷるんと揺れる胸。
 見下ろしたところにある起伏の無い平原と比べる度、エルザの平らな胸の中に黒い感情が渦巻いた。
 だが、一つだけ希望がある。
 胸の大きさ、張り、艶は今の自分には勝てるものではない。だが、それらを一瞬で台無しにし得るものがある。
 おっぱいの先端についた、さくらんぼだ。
 これの形が悪ければ、おっぱいの価値は激減。夢も希望も歪になるというもの。
 そんなわけの分からない一抹の望みに賭けて、エルザの体は動いた。
「女同士で恥ずかしがってんじゃないわよ!こんなの、取っちゃえ!」
「え、きゃああぁぁぁ!?」
「な、なんだいっ!?なにすんだい、このガキ!!」
 布を剥ぎ取る適当な理由をつけてエルザの両手がフーケとティファニアの体を覆う布にかけられ、勢い良く奪い取った。すぐに体を隠すティファニアとフーケに、エルザは鋭く視線を這わせてニヤリと口元を歪める。
「恥ずかしがるんじゃないわよ。それともなに?自分の体に自信が無いのかしら?」
 明らかな挑発だ。ティファニアはエルザの言葉に激しく首を立てに振ったが、フーケは挑発をそのまま受け取り、ふん、と鼻をならして体を隠していた腕を放した。
 二つの大きな膨らみがエルザの前に晒され、この場の誰よりも日に焼けているのに白く見える健康的な肌が惜しげもなく見せ付けられる。
「は、はんっ!これでも体には自信があるんだ。丸太と大して変わらない体つきのガキにあれこれ言われる筋合いは無いね」
 そう言って胸を張ったフーケに、エルザは、ぐふ、と声を漏らして床に膝をついた。
 完敗だった。いろんな意味で完敗だった。
 仮初の希望だとは思っていたが、現実は非情だ。目の前にある肌は、女のエルザですらむしゃぶりつきたくなる色香を放っている。
 先端がグロければ大きなおっぱいは台無し?バカな、ならばその部分のデザインが最高なら価値は倍じゃないか。いや、三倍だ!
 そして、目の前で見せ付けるかのように揺らされた夢と希望の膨らみは、その三倍の価値を見出させるものだ。
「ま、まだよ!まだ戦いは終わってはいない!そっちの小娘が残ってるわ!」
「無駄な足掻きだと思うけどねえ」
 浴場の隅に隠れるように体を小さくしているティファニアに鋭く視線を向けて、エルザは両手をわきわきと動かしながらにじり寄る。
「ヒッ!?こ、来ないで!いやっ……姉さん!助けて!!」
 縋りつくような視線をフーケに向けるティファニアだった。だが、無情にもフーケは首を振って、諦めろ、というような表情を見せ、体を洗い始めてしまう。
 徐々に近付くエルザをティファニアは恐怖に染まった瞳で見つめる。
 そして、運命の瞬間は訪れた。
「でええええいっ!」
「いやあああぁぁぁぁぁあ!」
 若い娘を襲う習性を持つ吸血鬼の本領を発揮し、エルザの両手がティファニアの両腕を掴んで無理矢理に開かせる。
 無理に体を開かされたティファニアが悲鳴を上げ、首を振って助けを乞うが、好奇心と僅かな希望に全てを賭けた幼い少女の視線は容赦なくその大きな果実を凝視した。
 時間が、凍った。
 夢と希望に詰まった胸は、やはり夢と希望がいっぱいだったようだ。
 固まっているエルザをフーケはケラケラと笑い、ティファニアは早く手を放して欲しいと訴える。
「う、ウソよ……こんなの、ありえない……」
 やっと動き始めたエルザが、瞳に映る光景を前に声を漏らした。
 フーケのものが三倍なら、こっちは五倍か十倍か。完敗なんて言葉も消え失せてしまう。
 新しい宗教でも生まれそうな感じだ。それも、世界を席巻しそうな巨大宗教だ。
「こんな、こんなことが……」
「あの、エルザちゃん?そんなに見られると、恥ずかしいんだけど……」
 顔を真っ赤にしてティファニアが訴えるも、身を捩るたびに弾む奇跡の物体を希望と絶望の両方に染まった目で見るだけで、エルザはピクリとも動こうとはしなかった。
 やがてフーケが体を洗い終え、いつの間にか浴槽に注がれるお湯が熱くなっていることに気が付いて外にいる地下水に文句を言い始める頃、全身をわなわなと震わせたエルザが動き出した。
「なによこれ!なんなのよこれ!ちょっと、わたしにも分けなさいよ!半分とは言わないわ!三割、いいえ、二割で良いわ!あなた一人で独占するなんてズルイわよ!!」
「そ、そんなこと言われても!あっ、ちょっ、エルザちゃん!?そんなふうに触っちゃだめよ!ああっ!」
 飛びかかって二つの胸を弄ぶエルザをティファニアは必死に引き剥がそうとするが、腕力の強さに差があるのか、思うように行かず、二人は浴場の床を縺れ合いながら転がった。
 フーケは再び地下水に氷を作らせてちょうど良い湯加減になった浴槽に膝下を沈め、縁に腰掛けてその様子を笑いながら眺める。
 静かに風呂にも入れないのか、なんて無粋なことを言ったりはしない。同世代の友人の居ないティファニアには、こうやって無理矢理にでも遊びに引っ張っていくような人間が傍に必要だと、フーケはずっと思っていたのだ。
 エルザでは少々教育に悪いが、こんな小さな村に閉じ込めて孤児の相手ばかりをさせているよりは良いだろう。貴重なイベントと思えば、少しは気分転換になるかもしれない。
 そんなことを思いつつ、久し振りに盛大に笑ったフーケはぐっと腕を上に伸ばした。背筋が伸びる感覚が心地良い。
「ほら、あんたらもその辺にして、体を洗いな。夏が近いって言っても、裸で居たら流石に冷えるからね。風邪引いちまうよ」
 腰に手を当て、言い含めるように告げるフーケに、エルザはティファニアから離れて残念そうに間延びした返事をする。
「まあ、いいわ。今日はこのくらいにしてあげる。十分堪能したしね」
「ううう、子供達にもこんなことされたこと無いのに……。姉さん、酷い」
 呆然とするティファニアを置いて、一人立ち上がったエルザは両手を腰に当ててフーケと同じポーズで満足気に鼻を鳴らした。床に転がるティファニアは、助けてくれなかったフーケに向かって恨めしげに手を伸ばす。
 そんなとき、フーケたちの耳に奇妙な足音が聞こえてきた。
 夜中に孤児院の子供達が歩き回る、ということも少なくは無いが、それなら外にいる地下水の姿を見て悲鳴の一つも上げるだろう。そして、外部からの侵入者なら地下水が最初に警告を発するはずだ。
 なら、この足音の主は、子供でもなければ侵入者でもない。
 つまり。
「オレも混ぜろ!!」
 素っ裸のホル・ホースだった。
「きゃあぁああぁあ!?」
「お兄ちゃん、いらっしゃーい!」
「なに入って来てんだい!このエロ狸!!」
 勢い良く扉を開けて現れた男の姿に三者三様の反応を見せる女性陣。ティファニアは体を隠し、エルザは飛びつき、フーケは咄嗟に湯船から飛び出して桶の中に放った杖を手にして魔法を詠唱する。
 得意の引き攣った笑みを浮かべたホル・ホースは、目の前の桃源郷をしっかりと目に焼き付けると、高らかに叫んだ。
「オレは天国に辿り着いたぞ!!」
 それが、どっかの神父に先駆けてある種の極みに到達した男の、最後の言葉だった。

「よお、地下水」
「なんだ?ホル・ホースの旦那」
 血と痣で歪に歪んだ顔のホル・ホースの呼びかけに、地下水は面倒臭そうに聞き返した。
「見て減るもんじゃねえから、別に良いと思わねえか?」
 フーケたちが入っていた浴場に突撃した件だろう。
 今、ちょうど二人はその現場に並んで座り、目の粗い布にフーケが学院から盗んできた石鹸を擦り付けて体を洗っているところである。放り込まれた、といったほうが正しいかもしれない。
 本体が錆びる!と嫌がった地下水は、フーケに“固定化”の魔法をかけられて心配をなくした。傷もつきにくくなって、ちょっとご満悦である。
 そのため、今の地下水はフーケたちの味方であった。
「脳味噌が膿んでるな」
 容赦の無い冷たい返答に、ホル・ホースはガクリと首を曲げた。
「……まあ、いいか。目の保養にはなったし」
 そう呟いて、首筋に恐る恐る石鹸の染みこんだ布を当てる。
 声にならない悲鳴が響いた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。大丈夫だ。これくらいの痛み、大したことねえよ」
 心配そうな声にあまり力の入ってない言葉で返すと、ホル・ホースはもう一度布を首筋に当てて、今度は歯を食い縛って走る痛みに耐える。
 エルザの吸血行為に傷口を塞ぐ力は無い。そのため、何度も噛まれている場所は傷が塞がらずに奇妙な傷跡になって残っているのだ。
 そこに石鹸が沁みるのである。
「っくああ!痛ってえええぇぇぇ……。なあ、地下水。テメエ、治癒は使えねえのか?」
 ガリアに居たときは定期的にエルザの噛み跡をシャルロットに治してもらっていたのだが、別れてからは秘薬屋で買った傷薬を使うだけに止まっている。ラ・ロシェールで再会した際に治療を頼むのを忘れていたことを、ホル・ホースは今更ながらに後悔していた。
「残念だが無理だな。俺、攻撃専門だもん。というか、前に言ってなかったっけ?」
「記憶にねえよ」
 ぷいと顔を逸らして、体を洗うのを再開させる。
 なぜ、男二人で風呂に入らなければならないのか。そんな疑問を抱きつつ、二人は無言で体を洗う。
 泡だらけになった体を桶に取った湯で流すと、ホル・ホースはぐったりと肩を落とした。
「フーケの姉ちゃんだけでいいから、一緒に入ってくれねえかなあ。こんなむさ苦しいヤツと湯船を一緒にするなんて、勘弁して欲しいぜ、まったく」
 そう呟いて隣を見ると、ホル・ホースは更に気を落とした。
 髪はぼさぼさ、髭もぼさぼさ、褐色の肌に服の上からでは分からなかった鍛え上げられた筋肉。ガチムチ過ぎる。せっかく目に焼きついたピンク色の情景が空の彼方に消えてしまいそうだった。
 王子って格好かよ。と突っ込みを入れたくなる姿だ。
「……ん?」
 あまり見たくはなかったが、なにやら奇妙なことに気が付いたホル・ホースは地下水の操るウェールズの体をじっと睨みつけるように眺めて、手を伸ばした。
「なんだこりゃ?」
 もみ上げと髭が繋がっている部分で、肌がべろりと剥がれていた。いや、髭を生やした肌のイミテーションだ。
 何をしているのかと目を向ける地下水を無視して、垂れ下がる肌色の何かを剥がし取ると、見事に顔を覆っていた髭が外れた。
「付け髭か?」
「……みたいだな」
 地下水の問いに、ホル・ホースは頷いた。
 良く見れば、ボサボサの髪もずれて、下から金色の髪が覗いている。石鹸で洗われた肌も褐色とは程遠く、何かを塗りつけて色を誤魔化していたらしい。つけていた眼帯も見せ掛けだけで、下には傷一つ無い正常な目が隠れていた。
「ほほー、変装してたのか。なるほどね。どう見ても王子様には見えなかったから、どういうことかと思ってたら、こういうことだったのかよ」
 体を隅々まで洗って変装を完全に除去すると、凛々しい金髪の青年の姿が現れた。
 これが本来のウェールズの姿なのだろう。王子と名乗って不遜のない、立派な青年の姿を見せている。
「そうなると……こっちも偽者なのか?」
 ホル・ホースと地下水の視線が、下に向かった。
 そこにあるのは象ではない。鋭い剣や大振りの槍と例えるのも愚かしいだろう。
 自分では大きいほうだと思っているホル・ホースの股間のエンペラーが、まるで子供の玩具に見えるほどの巨大な大砲が、そこには鎮座していた。
 ズボンの上から分からなかったのが世界七不思議の一つに入りそうなくらいだ。
「だな。流石にこれは偽者だろ」
「ありえねえよ。ティファニアの嬢ちゃんに匹敵するくらいにありえねえ。よし、確かめてみろ地下水」
 自分で触るのなんて絶対にしたくないホル・ホースの指示に従って、地下水はウェールズの股間に手を伸ばした。
 意識化で何度も悲鳴を上げているウェールズ本人のことなんてお構い無しである。
 掴み。引っ張り。そして、捻る。
 どこかでウェールズ本人の意識が死に掛けた。
「こ、これは……本物だと!?」
「バカな!こんなデカいのが、まだデカくなるって言うのか!?クソッ!アルビオンの男は化け物か!!?」
 弄っているうちに血液が集まってきたらしい。別にそんな意図はないのだが、期せずして本物であることが証明されたようだ。
 大砲は戦艦の主砲へ、そして大陸間弾道ミサイルと成長を遂げ、ついには核兵器を搭載するに至った。最早、ハルケギニアに敵は無いだろう。
 敵だけでなく、味方をも滅ぼす最悪の兵器だ。こんなものを受け入れられるような人物がこの世に存在するとは思えなかった。
「馬鹿が……デカけりゃ良いってもんじゃねえことに、なんで気付かねえ!」
「そういうもんなのか?俺はてっきり、男のこれは女のものと一緒で、デカければデカいほど良いものだと思ってたんだが」
 そんな地下水の言葉を、ホル・ホースは腕を振って否定した。
「それは甘い考えだぜ、地下水!ティファニアの嬢ちゃんのヤツはギリギリのバランスの上に成り立った芸術品だ!だが、こいつのものは違う!硬さやら持続性やらを調べる気にはまったくこれっぽちもなれねえが、もしも平均的な硬さを備えていたとしたら、受け入れる側の女は間違いなく内臓がずれる!大きくなり過ぎたんだよ!!」
 ホル・ホースの脳裏には、ウェールズが将来迎えるであろう未来の妻がベッドの上で聞くに堪えない悲鳴を上げている姿が映っている。
 最悪な光景だ。せっかく洗った体には、脂汗がびっしりと浮かび、顔も見たことのない女の姿から無意識に視線を逸らしてしまいたくなる。
「悪だ……こいつは、自分が悪であることに気付いていない、最悪の悪だ!……出来ることなら、この場で殺してしまうべきだぜ……。こいつは王子だ。王党派ってヤツが負ければどうなるかわからねえが、いつか女を迎える。正室だけじゃねえ、血筋を残すために側室だって取るかも知れねえ……いや、これを受け入れられる女が現れるまで、何度も女を不幸にするはずだっ!」
 右手にスタンドの方のエンペラーを構えたホル・ホースに、地下水は刀身をカタカタと鳴らして冗談は止めろと訴える。
 だが、ホル・ホースの目は本気だった。
 エンペラーの引き金に人差し指が置かれ、照準がウェールズの頭部に向けられる。
「うおおおおおい!?勘弁してくれよ!!」
「動くんじゃねえ!狙いが逸れるだろうが!!」
 せっかくの体を殺されては堪らないと暴れる地下水に合わせてホル・ホースも動き出す。
 相手の動きを封じようと、拳が、蹴りが、頭突きが飛び出してお互いを傷つける。ナイフと拳銃の戦いは、長きに渡り、二人がほぼ同時に床に転がっていた石鹸に足を滑らせて後頭部を打ち付けるまで続いたのだった。

 茹った顔を湿ったタオルで拭き、体温で温まった息を吐く。
 後頭部がジンジンと痛むのを耐え、ゆっくりと視線を後ろに向けると、こちらを警戒する地下水の姿に溜息を漏らした。
「だから、悪かったって言ってるだろうが。あんな化け物を見させられたら、誰だって戸惑うだろうぜ」
「……信用できねえ。あのときの旦那の目はマジだった」
 そう言って、地下水はじろりと据わった目を向ける。
 エルザと違って着替えがあるわけでもないホル・ホースと地下水は、洗った体に汚れた衣服を身に着け、フーケたちが待っている家に向かって歩いているところだ。
 流石にエンペラーを出したのは不味かったのか。スタンドが見えないとはいえ、殺気まで感じ取れないわけではないだろう。
 地下水はホル・ホースに対して警戒心を抱いてしまったようだった。
 こうなると暫くはどうにもなら無いだろう。
 放っておくが吉と考えて、ホル・ホースは溜息混じりに後頭部をぼりぼりとかいた。
 窓から明かりの零れる家の裏口、その取っ手に手をかけて、ホル・ホースは地下水をもう一度だけ見る。
 フーケたちは驚くだろうか。
 空賊の頭としか紹介していなかったから、地下水の操る体がこの国の王子のものだとは知らないはずだ。まさか、あのむさ苦しい男が現在の姿に変わるとは思っていないだろう。
 そう考えてみると、なんとなく楽しみでもある。
 森の中から流れる冷たい風が、火照った体を適度に冷やしていった。
 長く止まれば風邪を引くだろう。
 ホル・ホースは、フーケたちの反応を楽しみにしつつ、かけた取っ手を捻った。
「戻ったぜ」
「お帰り、お兄ちゃん!」
 早速とばかりに飛びついたエルザを腕に抱いて、ホル・ホースは冷たい視線を突き刺してくる一人の女に意識を向けた。その途中でティファニアと目が合い、真っ赤になって顔を俯かせる姿にヒヒと笑う。
「ここにアンタの寝床は無いよ」
 どういうことだ、と聞くまでもなく、フーケの指が玄関口に向けられて言葉の意味を示していた。
 少しだけ空いた扉の向こうに藁の塊が用意されている。
 アレがホル・ホースの寝床らしい。外で寝ろ、ということだろう。
「自業自得よね。今回はガマンよ、お兄ちゃん!」
「マジかよ……」
 帽子を押さえてタラリと冷や汗を溢す。もう、温まった体は冷え切っていた。
 浴場に突撃したことを内心でエルザも怒っていたらしく、助け舟は出してくれる様子も無かった。今夜は、本当に夜風に吹かれながらの睡眠を強制されるようだ。
「体が乾くまではここに居るんだね。そのままで放り出すほど、アタシも鬼じゃないさ」
「そいつはありがたいね。嬉しくって涙が出てきそうだぜ、チクショウ」
 流石に肌が濡れた状態で外に放り出されたら体が冷え切ってしまう。凍死するということまではないだろうが、風邪を引くのは避けられない。体が乾いた後でも、寝藁で上手く暖を取れなければ一緒のことなのだが。
 まあ、それでも覗きの罰としては軽いほうだろう。アレを覗きと言って良いのかどうかは微妙なところだが、多少なりとも嫌な思いをさせてしまったのなら素直に受け入れるしかない。
 首筋に顔を埋めて肌を擦り付けているエルザの頭を撫で付けたホル・ホースは、ヒヒといつものように笑った後に後ろで待っている人物を紹介しなければならないことを思い出した。
 裏口の扉の前から移動すると、待っていた地下水が家の中に入ってくる。
 ぽかん、とフーケもティファニアもエルザも、目を丸くしてその姿を見つめていた。
「紹介するぜ。海賊の頭ことアルビオン王国第一王子、だったっけ?」
 ホル・ホースが地下水に尋ね、地下水が言葉を返すよりも早く、答えが意外なところから返ってきた。
「……第一王子ウェールズ・テューダー」
「知ってるのか?って、まあ、知ってるわな」
 声を発したのは、フーケだった。
 アルビオン生まれなら王子の顔を見ていてもおかしくは無いだろう。わざわざ紹介するまでも無かったかと、ホル・ホースが自嘲気味に笑ったところで、家の中に漂い始めた不穏な空気に気が付いた。
 フーケが冷たく、苛立ちを隠せない瞳でウェールズを睨みつけていた。
「アルビオンの王子がナイフの持ち物になってるのかい……。いい気味だねえ」
 歪んだ笑みに、ティファニアが小さく悲鳴を上げる。
 フーケとウェールズの間に何があったのか。いや、そもそも盗賊と王子にどんな関係が生まれるというのか。こんな辺境に孤児院を開いた理由や、ティファニアという人間とエルフのハーフを妹と呼ぶ理由。そして、フーケの本名らしい、マチルダという名前。
 面倒事は嫌いだが、聞かないわけにもいかないだろう。
 既にティファニアは何かを悟ったようで、ウェールズとフーケに視線を向けて思いつめたような表情を浮かべている。
 エルザを下ろしたホル・ホースは、地下水を連れてテーブルについた。
 水を人数分運んで来て欲しいとエルザに頼み、すっと息を吸う。
 夜は、まだ終わらない。


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