ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

5 アルビオンの長い夜 前編

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5 アルビオンの長い夜
 傭兵に絡まれながらもスカボローの港に辿り着いたルイズたち一行は、入国検査官に身分の証明を行い、それを経て町の一角にある宿に部屋を取っていた。
 貴族というのは便利なもので、普通の平民が検問で面倒な手続きをしなければならないところを身分の証明をするだけで通過できてしまう。ルイズたちの場合は、魔法学院の生徒を示す伍芒星が刻まれたタイ留めが証明に当たり、ワルドはグリフォンの刺繍が施されたくらい色のマントがそれだ。使い魔、という身分の才人は付き人と言ってしまえば検査官は首を縦に振る。
 お粗末な管理体制、といいたいところだが、国と国との間を行き来する人間をいちいち数えていたらきりが無い。国から出入国の制限が出されたり、スパイ容疑の欠けられた人物が近くに居るという情報でも流れない限り、大抵はこんなものだ。
 スカボローの町はあまり大きくは無い。
 アルビオンにおける通商交易の中心地と言えば聞こえはいいが、アルビオン自体が空中に存在していることから輸送費は膨大なものとなるため、交易自体が大規模化しないという問題を抱えている。
 トリステインの港町ラ・ロシェールと違って、岩を削って町が作られているというわけでもないため、観光要所があるわけでもない。そのため、スカボローは小ぢんまりとしたささやかな町としての姿を誕生当時から維持していた。
 僻地でもなければ大抵の場所にある貴族向けの宿は、そんな小さな町にも存在している。
 一級のメイジが三年の月日をかけて作り上げたという高級貴族の屋敷を思わせる巨大な建造物を本亭とした“最も高き空”亭は、創業120年を掲げ、このスカボローで唯一と言って憚らない高級旅館だった。
 とは言え、他の宿と同じように一階を酒場とする構造は変わらないようで、ルイズたちは情報収集や今後の予定を相談することも兼ねて一階の酒場に集結していた。
 大きなテーブルを囲うルイズたちの元に、一時席を離れていたワルドが戻ってくる。
「どうでしたか」
 そう尋ねたのはギーシュだった。
「思ったよりも王党派の状況は悪くないようだ。二、三日の内に決着が付くということは無さそうだよ。ニューカッスル地方に陣を敷いて貴族派と睨み合っているらしい」
 情報収集に最も長けているであろうワルドが、近辺の住人に聞き込みをして回っていたのだ。
 貴族の子女であるルイズたちは平民達に頭を下げたり、彼らから友好的な反応を得られるような話し方をすることは出来ない。軍か諸侯として治世の任に就けばそういう技能も身につくのだろうが、未だ学生の身であるルイズたちにそれを求めるのは酷だろう。一名ほど、処世術に長けた赤い髪の少女という例外はいるが。
「なら、明日はニューカッスルへ向かえばいいわね。ここからならタバサのシルフィードや子爵様のグリフォンで向かえるし、そう急ぐことも無さそうかしら」
 アルビオンへ渡るには人数の問題でシルフィードは使えなかったが、ここでなら何人かをグリフォンに乗せることで重量を散らすことが出来る。馬を使うよりもずっと早く目的地に到着することが出来るだろう。
 そう思ってのキュルケの発言に、ワルドも同意を示した。
「うむ。だが、のんびりとしてもいられないだろう。昼までには王党派と接触を持ちたいと思う。明日は朝食を取り次第出発するとしよう」
 ワルドの言葉に一同は頷いて返すと、席を立った。
 内戦中とあって客が少ないのか、空き部屋は多く、飛び込みでも部屋数を多く確保することが出来た。“女神の杵”亭ではワルドとルイズが相部屋となっていたが、今回はそれぞれが一部屋ずつ利用している。
 ただ、それが味気ないのか、キュルケはタバサを部屋に招き、それならとギーシュが部屋の中でテーブルゲームでもしないかと誘いをかけた。
「サイトもミス・ヴァリエールも来ないかい?」
「ああ、行くよ。けど、ルイズが……」
 足を止めたサイトが、席を立った状態で動かないルイズを見る。
 “女神の杵”亭で自分が元の世界に帰るという話をしていたときよりも、沈んだ表情をしていた。
 スカボローの港に到着する少し前から、ルイズはあの調子だった。
 傭兵達の一件が尾を引いているのだ。
 人の死を、いや、人が殺された瞬間を見るのは、才人は初めてだった。ルイズも、恐らくそうなのだろう。
 ルイズはそれを、自分達の迂闊な行動が招いた結果だと考えていた。
 どういう理由があるにしろ、王族殺しで指名手配されている人物と一緒に居るだなんてことは避けなければならなかった。たとえ、正体を知らなくても、だ。
 脅迫されたことは許せないし、相応の罰を与えるべきだとも思っていた。だが、殺すことはなかったのではないか、とも思う。
 ワルドはドノヴァンと名乗った傭兵を殺した後、船内に居た傭兵達を皆殺しにした。
 一人残らずだ。
 船長やスカボローに入港した後の船の検査に当たった検査官に金を握らせ、今回の一件を揉み消した。
 それは、それほど珍しいことではない。
 支配階級にある貴族を平民が脅した、というだけで重い罪状が加えられるし、ドノヴァンのように杖を奪おうとすれば、それは始祖ブリミルから与えられた魔法の力を踏みにじる行為として断罪される。
 裁判を挟むことなく、平民は貴族に無礼を働いたという理由で殺される。それが、ハルケギニアの常識だ。
 頭では理解していた現実。だが、ルイズはその当事者となったことで罪の意識から離れられないでいた。
 高いモラルを両親の厳しい指導で培ったルイズにとって、それは常識という枠に当て嵌めてしまうことで有耶無耶に出来る問題ではないのだ。
 殺さなければ、ドノヴァンはルイズたちを破滅の道に蹴り落としただろう。そんなことはルイズにも分かっている。だが、死という結末を迎えた後では、他に方法があったのではないかと考えてしまうのだ。
「ルイズ。少し、話がある」
 ワルドの言葉に、ルイズは俯かせていた顔を上げた。
 脱いだ羽帽子をテーブルの隅に置いたワルドが、いつかどこかで見たような懐かしい目をしてこちらを見ている。
「二人きりで話したい」
 “女神の杵”亭でも言われた言葉だ。
 関係をギクシャクとさせたルイズとワルドを二人きりにして良いものかと、才人は立ち止まってルイズに視線を向けた。
 ルイズは才人に力なく首を振ると、大丈夫、と言った。
 渋々といった様子で才人がキュルケたちと共に酒場を後にするのを見送って、ルイズはもう一度椅子に腰掛ける。
 テーブルの上にはワイン瓶が二つ。それと木杯が六人分。
 ワインの瓶は一つが空で、もう一つは栓も開けられていなかった。
 空気の漏れる音が響き、未開封のワインのコルクが抜かれる。
 ワルドは自分の木杯に半分ほど赤い液体を注ぐと、ルイズにも瓶を傾けた。
「いいわ。わたしはいらない」
「そうか」
 栓を閉め、ワルドが木杯に口をつける。
 少量のワインが喉を潤したところで、ワルドは息を吐いて天井を見上げた。
「聞きたいことが、あるんじゃないのかい?」
 ルイズの肩がびくりと震えた。
 少しの沈黙が訪れる。
 ワルドはワインを舐めるように飲み、ルイズはテーブルを見つめていた。
 息を漏らすような小さな声がワルドの耳に届いたのは、酒場の客の数が半分になった頃だった。
「ワルド。あなたは、人を殺すことに罪の意識を感じたことはある?」
 ルイズの脳裏にあるのは、ワルドの魔法で黒焦げになったドノヴァンの姿だ。
 悲鳴も上げず、自分が死んだことにも気付かないで、あの傭兵は命を落としたのだろう。
 人の死ぬということは、こんなにもあっけないものなのだろうか。もっと苦しくて、悲しくて、辛いことなのではなかったのか。
 少なくとも、ルイズは人の死が重いものだと学んできた。
 しかし、人の死は想像したものよりも軽く、胸に刺さる痛みは罪の意識よりも感情の揺らぎの小ささにこそ悲鳴を上げている。
 ワルドは、そんなルイズに視線を向けることなく少しだけ目を閉じた。
「ある。いや、あった、というべきかな」
 魔法衛士隊は国の中枢で動く特殊部隊だ。王宮の警備や外国からの賓客を向かえるのは表の仕事で、実際には血生臭いことが多い。
 戦争では真っ先に駆り出され、不穏分子の噂を聞きつければ排除に動き、王族を狙う暗殺者を相手にすることもある。
 人の死は、魔法衛士隊にとって当然のことだ。
 ワルドもこれまでに幾度となく人を殺めてきた。始めの頃は血の匂いに吐き、寝込む事だってあったし、もう嫌だと毛布に包まって夜を過ごしたこともある。
 だが、時間と経験がそんな感情を削いでいった。
 今のワルドには、人の命は大きな意味を持たない。金貨と天秤にかけて計算が出来るくらいだ。
「軍に在籍する以上、人の死は切って離す事の出来ないものだ。当たり前のように受け入れる必要があるし、出来なければ軍を抜けるしかない」
 そこで、やっとワルドはルイズに視線を合わせた。
「ルイズ。人は人の死に慣れるものだよ。ただ、例外もある」
「例外?」
 問い返すルイズに、ワルドは頷いた。
「身近な人の死、或いは、身近だと思う人の死だ。それだけは、何時まで経っても慣れる事が出来ない」
 身近な誰かが死んだのだろうか。そう思ったルイズは、ワルドの境遇を思い出した。
 ワルドの両親は共に亡くなっている。
 父親は戦争で、母親は病で。今のルイズと同じくらいの年齢で軍に入り、若くして魔法衛士隊の隊長に上り詰めた。
 ワルドほどの年齢で衛士隊の隊長を務めるというのは、中々出来ることではない。慢性的な人手不足に陥っているトリステインとはいえ、人選にはやはり経験の豊富な人材が好まれるのだから。
 両親との死別は、ワルドの心に強い傷を作ったのかもしれない。その痛みを誤魔化すために、がむしゃらに働いてきたのだろう。
 だから、今こうして衛士隊の隊長として、アンリエッタ王女の信任を受けているのだ。
 ルイズはワルドと同じような境遇に晒されたとして、ワルドのように必死に戦い続けられるだろうかと自問した。
 自信は無い。
 家族が全て居なくなってしまえば、残るのは“ゼロ”の蔑称を受ける自分しかいない。
 魔法が使えない自分では、ヴァリエール家を継ぐことなんて出来はしないだろう。出来たとしても、一体誰が認めてくれるというのだろうか。
 いや、それよりも、果たして自分は家族の死を乗り越えられるのだろうか。
 父が死んだらと思うと、悲しくなる。母が死んだと思うと、やはり悲しい。二人の姉のどちらが欠けても、自分は悲しみに何日も、何ヶ月も、もしかしたら何年も部屋の中に引き篭もってしまいそうだった。
 想像するだけでも、胸が締め付けられるような気持ちになる。鼻の奥が熱くなってきてしまう。耐えようとしても、指先が震えるのだ。
 そんなルイズの頭を撫で付けたワルドは、謝罪の言葉を口にして木杯を空にした。
「少し混乱させてしまったね」
 囁くようなワルドの言葉に、ルイズは首を横に振った。
 ワルドはワイン瓶を手に取り、その中身をルイズと自分の木杯に注いだ。
 差し出された木杯をルイズは受け取り、喉を鳴らして中身を飲み干す。
 息を吐く頃には、少し落ち着いたようだった。
「……取り乱して、ごめんなさい」
「いいさ。これでも懐は深いつもりだ」
 そう言って、ワルドは自分の木杯に口をつけた。
 舌に乗る程度の量を飲み、木杯をテーブルに置く。
「それよりも、君の聞きたいことはもっと別にあるんじゃないのかい」
 ルイズが、少し赤くなった目でワルドを見た。
 そして、また伏せる。
 ワルドはゆっくり話せばいいと言うかのように、ウェイトレスを呼んで少しアルコールの強い酒を注文すると、自分の木杯に瓶に残ったワインを注いだ。
 再び、沈黙が訪れる。 
 注文を受けたウェイトレスが、ワインを蒸留して作ったブランデーを運んでくる。値段は張るが、アルコールに酔いたいときにはワルドは好んでこれを飲んでいた。
 まだ木杯に残るワインを飲み干して、ワルドはブランデーと一緒に運ばれてきた新しい杯に琥珀色の液体を少量だけ注ぐ。すると、ワインよりも少しだけ強い香りが漂った。
 杯の中から立ち上る甘い香りを楽しむワルドに、ルイズは顔を上げた。
「わたし、平民を身近な人間だと認識していなかったのかしら」
「何故、そう思うんだい」
 木杯を少しだけ傾けて、唇を濡らす。
「……サイトを呼び出したとき、わたし、どこの誰かも分からない平民を呼び出したことに苛立ってばかりで、サイトこと、何も考えてなかった。サイトにも家族が居る。突然消えてしまったサイトを、才人の家族はきっと探してるわ。昼間の傭兵にも家族が居るはずよね?お父さんと、お母さんが居て、わたしたちは生まれてくるんだもの。きっと、突然消えてしまった子供を捜して泣いているわ」
 顔を覆うように両手を当てて声を震わせるルイズを、ワルドは杯を傾けながら見つめた。
「サイト君を呼び出すべきではなかった。昼間の傭兵を殺すべきではなかった。そう言いたいのかい?」
 ルイズは首を振った。
「違うわ。責任を持たなければならないということに気が付いたのよ。サイトのこともそうだけど、昼間の傭兵だけじゃない、わたしたちの身近に居る全てのことに、わたしたちは責任を負わなければならない。そのことに、わたしはなにも気付いてなかった」
 家に帰りたい。そう才人は最初から言っていた。なのに、自分は才人を拘束し、自分の都合のいいように“躾”と称して鞭を振るったのだ。
 衣食住の面倒を見るのは、才人から帰る家を奪った自分の責任だ。才人を使い魔として働かせるなら、彼の同意と相応の待遇を提供するのが当たり前の行為のはず。それすらも怠って、最低限責任を負わなければならないはずの部分を盾に才人を利用している。
 他の平民に対してだって同じだ。
 貴族という立場を利用して力ない平民達を好き勝手に扱っている。魔法学院で起きた才人とギーシュの決闘騒ぎも、そんな傲慢な考えから起きた騒動だった。
 騒ぎの発端となったメイドの少女に非は無い。彼女は、自分に出来ることをしたし、それは誰かから責められるような行為ではなかった。それを責めたのは、傲慢な思想そのものだったはず。
 そこまで考えたルイズに、ワルドは小さく笑った。
 何故笑われるのか、それを理解できずにルイズは目を丸くする。
「君は、貴族と平民の差について悩み始めているようだね。だが、考え違いを起こしてはいけないよ。確かに、平民と貴族には明確に立場の差がある。だが、それはこのハルケギニアの長い歴史の間で積み上げられてきた、れっきとした制度だ」
「でも……」
 言いよどむルイズに、ワルドは杯を置いて姿勢を正した。
「全てのことには責任が付きまとう。その考えを否定する気は無いよ。でも、君の考える対当な関係というのは、目先の対当さでしかない。僕達貴族は、普段から一定の責務を抱えることで君臨を許されているのは分かっているね。そして、それは、一種の権力として反映されてしかるべきものだ」
 ルイズは少しだけ考えて、頷いた。
 父が毎日のように領民のことを考え、より多くの人々が幸せに暮らせるように働いている姿を見てきている。もし、領内で問題が起きたとき、その責任を問われるのは領地を任されている父自身だ。ルイズも、教育を受ける過程で幾度となく権利と義務については教え込まれてきた。
 贅沢なら暮らしが許されるのは、家柄良いからではない。家柄を良く保つために努力を怠らず、国のため、民の為に身を粉にして働いてきたからだ。
「平民達は貴族から享受される平和と安定した生活の代償として、税を納め、貴族達に頭を垂らす。横暴な振る舞いすら許せとは言わないが、多少の我慢を強いるくらいは、貴族の権利と言えるのではないのかい」
 国は魔法によって成り立っている。それは、平民が金で貴族にゲルマニアでも変わりはしない。生活の基礎は勿論、ハルケギニアに存在する数多の獰猛な生物から人々を守るにはメイジの力が必要となる。
「ルイズ。君が言いたいのは、貴族と平民が同じ物差しを持つべきだ、ということなんだと思う。でも、測るべきものは貴族が血と汗を流して手に入れたものだ。同じ物差しを使えというのは、貴族に平民よりも抑圧された環境で生きていけというようなものだよ。それでは、貴族が痛い思いをするばかりだ。これは、対当とは言えないと思わないかな」
 ワルドは杯の底に揺らぐ琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
「権利や義務というのは、往々にして目に見えない形だからね。金貨のように数や重さで測ることは出来ない。そのせいで大きさを間違え易いのさ。君の悩みである平民と貴族の差についても、曖昧な部分が多い。だから、悩んで悩んで、悩み抜けばいいさ。君なりの答えがどこかにあるはずだからね」
「ワルドさま……」
 表情を少しだけ明るくしたルイズが、胸の前で両手を組んでぼうっとワルドを見つめた。
 いつか見た懐かしい眼差しに、ワルドは顔を背ける。
 空の木杯に、ブランデーが再び注がれた。
「君がこれからどうするかまで口を出す気は無いよ。でも、昼間のことは、もう忘れるべきだ。旅の間に起きた一切の責任は、僕と、任を与えた王女殿下が負う。今回の件は身を守るための不可抗力でもあるんだ。時折、今のように悩めば、それでいい」
「……はい」
 気が抜けたように椅子の背凭れに寄りかかったルイズを見て、ワルドは笑みを浮かべた。
 悩みが解決したわけではないが、胸の痞えは取れたのだろう。スカボローに着いてから見ることの出来なかった、普段のルイズの姿がそこにはあった。
 ワルドはブランデーの瓶をルイズの木杯に傾けて、少しだけ器を満たす。
 二人は琥珀色の液体を同時に飲み干した。
 喉の奥が熱くなる感覚に、ルイズが溜息を漏らす。仄かに頬が紅潮し、幼い少女に色香のようなものが漂っていた。
「君は賢い。多くの貴族が、享受するに相応しくないほど大きな物差しを持っていることを知っている。君も、自分が大き過ぎる物差しを持っていることに気付いた。なかなか出来ることじゃない」
「買い被りです……。この年になって、やっと貴族としてのスタートラインに立った気がするんです。父や母を思うと、まだまだ小娘だと感じますわ」
 緊張の糸が途切れてすぐにアルコールを飲んだため、早速酔ったらしい。ルイズの顔が徐々に赤くなり、時々宙を見つめて動かなくなる。
「君のご両親はハルケギニアでも有数の貴族だ。同じ場所に立つには、相応の年月が必要となる。急ぐことは無いさ。でも、その姿勢は賞賛に値する」
 ルイズと自分の杯に瓶に残った最後のブランデーを等分に注ぐと、ワルドはウェイトレスを呼んで追加を頼んだ。
 静かに、木杯を傾ける時間が過ぎる。
 杯の中の中身が無くなる頃、ワルドは唐突に切り出した。
「こんなことを言っても信じてはもらえないだろうが、“女神の杵”亭で語った僕の気持ちは本心だ」
 ルイズも杯の中身が無くなって手持ち無沙汰になったのか、ワルドの言葉に顔を上げて艶やかに微笑んだ。
「魅力が無いってこと?」
「茶化さないでくれ。アレがそういう意味じゃないことくらい、君にだって分かっているだろう」
 苦々しい記憶にワルドが顔を顰める傍らで、ルイズが笑い声を漏らした。
「プロポーズのことだよ。僕の気持ちはまだ変わっていない。誤解はあったし、大人気ないことをしたとも思う。だが、それで諦められるほど簡単な気持ちじゃあないんだ」
 テーブルの上に乗り出してルイズに近寄ったワルドの言葉に、ルイズは視線を下に向けて首を振った。
「あなたの気持ちは嬉しいけど、わたしにとってはやっぱり憧れみたいなものなの。好きか嫌いかって聞かれたら、好きって言えるけど、それ以上でもそれ以下でもないわ。だから、ごめんなさい」
 立ち上がったルイズは一度だけワルドに向かって頭を下げると、アルコールでおぼつかない足取りのまま奥の階段を上っていった。
 ワルドはその姿を見守ると、木杯を呷ってその中身が無いことに気が付いた。それを見計らったかのようにウェイトレスがトレイ片手に姿を現す。
「追加、おまちどうさま」
 追加のブランデーをテーブルに置いて、素朴な様相のウェイトレスは去って行ったルイズとワルドを交互に見て小さく笑った。
「振られたみたいですね」
「そのようだ」
 自嘲気味に笑ったワルドは、手に取ろうとしたブランデーの瓶を横から攫われて眉を潜めた。
 視線の先でウェイトレスがニコニコと笑っている。
「私、今日はこれでお仕事終わりなんです。よろしければ、ご一緒させてくださいな」
 魔法衛士隊の隊長となってからは、似たような誘い文句を幾度となくかけられてきた。
 普段なら断る場面だったが、今日だけはこのウェイトレスの少女の裏表の無い笑顔が心地よく感じられて、ワルドは思わず首を縦に振った。
 ルイズの座っていた席に腰を下ろしたウェイトレスは、ブランデーの瓶をワルドの杯に傾ける。そして、自分もルイズが使っていた木杯に琥珀色の液体を注ぐと、互いの杯をぶつけて、乾杯、と謳った。
 あっという間に、杯の中身を飲み干すウェイトレスを見て、ワルドも対抗するように杯を空ける。
「ぷはっ、んーおいしー!」
 貴族のような気取った飲み方をしない、本当に酒を美味そうに飲む少女だった。
 見ているだけで腹がいっぱいになりそうだが、悪い気分ではない。
 今夜は、深酒を避けられそうに無いな。
 そんなことを思って、ワルドは笑みを深めた。

 夜は更けていく。
 アルビオンの辺境の森に隠れるように存在するウェストウッド村も、深い闇に包まれて静けさに包まれつつあった。
 数えるほどしかない建物の中、その内の一つだけが明かりと共に幾人かの話し声を漏らしている。
 大人と子供の入り混じった声だった。
「やっぱりねえ。騎士なんてガラじゃないと思ったんだ。クビになって正解さ」
 そう言って、フーケが木杯に注がれたワインに口をつけた。
 家の大きさとは不釣合いな大きなテーブルと十を越える椅子の数。部屋数は少なく、玄関口と繋がるリビングルームを中心に二部屋といったところだろう。住んでいる人間の数よりも明らかに多い家具の備えは、村自体が一種の孤児院で、この家を子供達の集まる場所としているからだ。
 フーケの向かいに座っているのはエルザだった。
 同じようにワインに満ちた木杯を手に、剣呑な表情でちびちびと飲んでいる。
 視線の先には倒れ付したホル・ホースの姿があった。
「あれこれと世話を焼いてくれる使用人も多かったから、居心地は良かったけどね。その分制約も多かったし、性に合わなかったのよ。それに何より、変に活躍すると、このろくでなしがすぐ他の女に走るんだから!このっ!このっ!」
 小さな足で倒れたホル・ホースの頭を何度も踏みつける。それと同時に、フーケも足を伸ばして頭頂部を蹴り飛ばしていた。
「ま、マチルダ姉さんもエルザちゃんも、そこまでしなくても……」
 同じテーブルを囲んで果実を絞ったジュースを飲んでいたティファニアが、恐る恐る止めに入る。
 すぐに鋭く殺気の籠もった視線が返って来た。
「いいや!こいつはどうせ反省しないんだ!こういうときに痛い目に合わせないと、また同じことを繰り返すよ!」
「そうよ!ちょっと大きいからって、いきなり女の子の胸を鷲掴みにするなんて!頭がおかしいとしか思えないわ!そういうことする人じゃないと思ってたのに!!」
 そう言って、さらに蹴る力を強めていく。
 ホル・ホースが床に倒れ、非道な扱いを受けているのには訳があった。
 ティファニアの胸、である。
 大きいのだ。それも、普通の大きさではない。細い体に何故こんなものが乗っているのかと思うくらい大きい。エルザの頭くらいはある。いや、下手をすれば、もっとある。
 長い女断ちの期間で溜まっているものを我慢を続けているホル・ホースは、その大きな夢と希望の果実を見るや否や、自然な動作で鷲掴みにしたのだ。
 捏ね繰り回すように揉みしだいた時間、実に五秒。
 何をされているのか分からず呆然としていたティファニアが悲鳴を上げたのと、突然の事態に動きが止まっていたエルザとフーケが動き出したのは、ほぼ同時だった。
 両頬を挟むように繰り出された拳を頬にめり込ませ、しかし、それでも満足そうな笑みを浮かべたままホル・ホースは気絶したのである。
「馬鹿よ!大馬鹿よ!こんな脂肪の塊に誘われちゃってさ!こんな……こんなの……ただの脂肪じゃない!目の前でこれ見よがしに揺らしてんじゃないわよ!!」
「そんなつもりは……あうぅ」
 ホル・ホースとほぼ同じように両手でティファニアの胸を鷲掴みにしたエルザが、不満そうな顔で巨大な母性の象徴とも言われるものを乱暴に捏ねた。捏ね繰り回した。
「大きければいいとでも思ってんの!?こんな、張りがあって、形も良くて、色白で、吸い付くような肌で、感度も良くて、反応も初々しくて……舐めんじゃないわよ!!」
 先端の部分をギュッと摘んで力を入れる。ティファニアの頬が赤くなり、声にならない悲鳴を漏らした。
「こんなのでお兄ちゃんを誘惑するなんて……馬鹿にしてるわけ!?わたしのこの体を見て嘲笑ってるんでしょ!?悪かったわね!ほぼ円柱で!ごめんなさいね!膨らみもなにもなくて!これ、ちょっとわたしにもわけなさブヘッ!?」
 エルザの後頭部にフーケの鋭い拳が飛んだ。
「あんた、これで二回目じゃないかい!反省しないのはあんたも一緒か!?」
「……だって、三十年生きてるわたしがこの姿で、二十年も生きてないエルフのハーフがこれって、おかしくない?成長し過ぎよ」
 倒れ付すホル・ホースの上に転がったエルザが、殴られた頭を抑えて頬を膨らませた。
 ティファニアは母をエルフ、父を人間とした混血児だ。血が混じったことで寿命に変化が生まれたのか分からないが、成長は人間と同じようで、エルザのように寿命に見合った成長速度をしているわけではないらしい。
 そのことに、エルザは不満たらたらだった。
「不公平よ。わたし、単純計算で人間の六分の一くらいの成長ペースよ?成長期に入ったからこれからどうなるか分からないけど、このままだとコレになるまで100年近くかかることになるじゃない」
 再びティファニアの胸に手を置いて、おかしいわよ、と言うエルザに、フーケは知ったことかと木杯に残るワインを喉に流し込んだ。ついでにホル・ホースの頭を蹴り飛ばすのも忘れない。
 空になった木杯をテーブルに置いて、視線を部屋の隅に向ける。そこには、一心不乱にナイフを磨いている地下水の姿があった。むさ苦しい様相にフーケの眉が寄る。
「せっかくの一時帰郷なのに、なんであんた達みたいな疫病神と係わり合いになっちまうかねえ。なにやってたか知らないけど、汚いし、臭いし、変なの増えてるし」
「悪かったわね。ホントはラ・ロシェールでちょっと休むつもりだったのよ。服の代えも買う予定だったけど、賞金稼ぎに追い回されてそんなことも出来なかったし。ああ、ヴェルサルテイル宮殿のお風呂が懐かしいわ」
 両手を顔の横で組んで、エルザは記憶にある豪華絢爛な王族用の浴場を思い出した。
 百人近く同時に入れそうな巨大な浴槽に香木や香草を浮かべ、専用に調合された石鹸を上等の絹に染みこませて使用人たちに洗ってもらうのだ。どう考えても騎士の身分が得られる待遇ではないが、大抵イザベラと一緒に入っていたので、ついでに洗ってもらっていたのである。なお、イザベラの許可は貰っていない。強引に入り込んでいたのだ。
 そんな生活から離れたのは最近の事とはいえ、エルザの肌からはもう甘い香りは立ち込めないし、髪も手入れを怠っているので艶を無くしかけている。以前からの一張羅である白いドレスは所々解れ、汚れが染み付いていた。
 そろそろ、しっかりと体を洗いたい気分だ。
 そんなエルザを見て、ティファニアは手を叩いた。
「それなら、わたしたちのお風呂に入りませんか?貴族様が入るようなものほど立派じゃないけど、お湯に浸かるのはとっても気持ちいいですよ」
「ちょっと、ティファニア!?」
「いいじゃない、マチルダ姉さん。せっかく作ったんだから、使わなきゃ損よ」
 止めるフーケに、ティファニアは笑顔で返して裏口から出て行ってしまう。
 後姿を見送ったエルザはフーケに視線を送り、首を傾げた。
「ここ、お風呂があるの?サウナじゃなくて?」
 ハルケギニアで平民用の風呂といえば、狭い部屋に熱した石を用意し、水をかけて高温の蒸気を作り出すことで汗を浮かばせ、最後にタオルで体を拭くサウナ形式のものが一般的だ。それ以外に身を清める方法と言えば、濡れたタオルで体を拭くか、水浴びくらいのものである。
 しかし、ティファニアは湯船の存在があるようなことを言っている。つまり、貴族が使うようなお湯を用いた浴槽を用いた風呂があるということだ。
 フーケは少し赤く染まった顔で頬をかくと、テーブルのワインの瓶を木杯に傾けた。
「ああ、そうだよ。造ったのはつい先日さ。学院で暫く働くとなると、定期的に休みも取れるしね。長期休暇でここに戻ってきたときに、あったらいいな、と思って造ったのさ」
 トリステイン魔法学院にも風呂はある。使用人たちにはサウナが用意されているが、学院に通う貴族の子弟用に大浴場が地下に整備されているのだ。使う人数が多いため、その規模は王族のものと遜色ない。
 フーケも利用した経験があるのだろう。何度か使っている内に癖になって、故郷ともいえるこの場所に作っておきたくなったのかもしれない。幸いにして、土木建築に秀でた土系統のメイジであることも手伝って、実行に移してしまったのだ。
「石鹸は?体を洗うものが無いと、せっかくのお風呂も魅力半減よ?」
「心配要らないよ。学院のをちょろまかしてきた。向こうも数を使うからね、幾つか無くなっても気が付きゃしないさ」
 フーケの言葉にエルザが笑みを深めた。
 一度知ってしまった贅沢は中々止められない。ガリアを出てからというもの、水浴びやサウナで体を洗うのがちょっと苦痛に思っていたところだ。
 久し振りのお湯を使った風呂にエルザの胸が躍る。
 気を良くして部屋の中をチョロチョロと歩き回っているうちに、ティファニアが戻ってきて困ったような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。夕方に子供達を入れたからお湯が汚れちゃってて、沸かし直すと時間がかかりそうなんだけど、いいかしら?」
 湯の張替え、なんて贅沢なことをするのは珍しいことだ。水は貴重だし、近くに水源があったとしても風呂釜を満たすほどの水量を運ぶのは大変のはずだ。
 エルザたちを客人として迎えている証明なのだろうが、そこまで気を使ってもらうつもりはエルザにはなかった。
「水はまだ抜いてないわよね?なら、そのまま入っちゃうわ。手間をかけさせるつもりは無いし、体を洗えるだけでも御の字よ」
「でも、お誘いしたのはわたしなのに……」
 しゅんと縮こまるティファニアを見て、エルザは小さく溜息を漏らした。
 今時珍しいくらい純真で素直な良い子だ。自分のような存在が傍にいて良いのかと思うくらいに。
 だが、これでは将来苦労することになるだろう。この小さな村の中に閉じこもっている間は良いだろうが、外に出ると純真さが破滅を誘うことになる。
 すっと視線をフーケに向けると、似たような思いを抱いたことがあるのか、すぐにエルザの視線の意味に気付いて肩を竦めた。
 矯正しようとしたのかは分からないが、ティファニアの性格はそう簡単に変わるものでもないらしい。根っこの部分から良い子ちゃんなのだろう。
 そんなティファニアを守るためにフーケが居るのだと思えば、なんとなく納得もできた。
「なら、アタシも一緒に入るよ。多少の汚れは魔法で何とかなるからね。ティファニアも今日は入ってないだろう?なら、一緒に入っちまいな」
「でも、そうすると火の番が……」
 電子制御されたハルケギニアにはボイラーなんてものは無い。当然、釜に入れられる湯は人力で沸かすのだ。
 ティファニアは自分がその役目に就こうとしていたらしい。
 そんな懸念に、フーケは部屋の隅にいる人物に目を向けることで解消させた。
「地下水、だったっけ。インテリジェンス・ナイフのアンタなら、変な気は起こさないだろう?火の番を任されてくれないかい」
「……ん、了解したぜ」
 ちょうど本体の刀身を磨くのも終わったらしい。ゆっくりと立ち上がると、鏡のように光りを反射する本体の姿に見入って、ほう、と溜息をついていた。
 この様子なら女の体になんて興味はないだろう。
 立ち上がって自室と思われる部屋から下着の代えを用意したフーケが、ティファニアにも同じように着替えを用意させた。エルザには孤児院の子供のために用意してある予備の服を引っ張り出してきた。
 安物の生地だがなんとなく悪くない気がして、エルザは差し出された着替えを素直に受け取る。
「そういえば、ここのお風呂って三人も入れるの?」
 エルザの疑問をフーケは鼻で笑った。
「ここをどこだと思ってんだい。孤児院だよ。ガキの面倒を見るのに一人ずつ相手にしてたら日が暮れちまう。大人が五人は入れるように造ったから安心しな」
「ふーん」
 気の無い返事を返したエルザだったが、表情を見れば浮かれているのが良く分かる。
 話だけをすると相応の年齢を感じさせるが、表情や行動を見ていると子供が背伸びをしているようにしか見えない。
 そんなことに気が付いて、フーケは自然と笑みを浮かべた。
 それぞれに着替えを手にして、フーケたちが家から出て行く。
 風呂場は裏手にあるらしく、着替えはそこで出来るようだった。
 ティファニアの胸を直接見てやると意気込むエルザに、困った様子を見せるティファニア、暴走しかけるエルザを止めるフーケとその後ろで黙々と歩く地下水。
 どことなく、仲の良い家族を思わせる光景だった。
 だが、彼女達は忘れていた。
 今ここで、ケダモノが一匹聞き耳を立てていたことを。


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