ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

4 目的の迷宮 後編

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 杖はメイジの象徴だ。そして、ルイズたちの命綱でもある。
 魔法の触媒となる杖がなければ、メイジはその辺りにいる丸腰の平民と大して違わない。
 杖を要求するということは、無条件降伏を要求するのと同じなのだ。
「どうした。杖を寄越せって言ってるだろう?安心しろ、他には何も取らねえよ」
 不気味に笑うドノヴァンの顔は、それがウソであることを教えていた。
 杖を奪われれば、ルイスたちは傭兵達に抵抗する術を失う。
 そうなれば、本当に終わりだ。
 相手はもう、何も要求する必要は無い。何も言わずに奪うだけだ。
「ほら、早くしろ」
 急かす様にドノヴァンが手を差し出したところで、冷気がルイズたちの肌を粟立たせた。
 氷の塊が、ルイズたちを避けてドノヴァンの前に浮かび上がる。尖った先端は太陽の光りを浴びても溶け出すことなく、一層に研ぎ澄まされているかのようだった。
「ひっ……!」
 ドノヴァンが息を呑み、キュルケとルイズが振り向く。
 タバサが、杖を手に冷たい目を向けていた。
「……許さない」
 凍えるような声で呟いたタバサが、弓を引くように杖を振り上げる。
 氷で出来た矢が杖の動きに合わせて引き絞られる。凍った風が勢いを増していた。
「ダメよ、タバサ!!」
「うおりゃあああああああっ!!」
 声が同時に二つ上がった。
 キュルケが杖を振り下ろそうとしたタバサの体を押し倒し、氷の刃に怯えたドノヴァンを背負っていたデルフリンガーを抜いた才人が襲い掛かる。
 同じタイミングで鈍い音が響き、一人は倒れ、一人は抱き抱えられた。
「才人!アンタ、なんてことを!」
 ドノヴァンの頭部をデルフリンガーの峰で強かに打ちつけた才人に、ルイズが血相を変えて詰め寄った。
 これでもう、交渉は決裂だ。
 元々交渉らしい交渉ではなかったが、少なくとも、ドノヴァンが約束を守るという可能性に賭ける事は出来た。だがもう、ルイズたちが暗殺者と親しい関係にあると言いふらすことを止められはしないだろう。
 物陰に隠れていたらしいドノヴァンの仲間が、視界の端で慌てたように船室に向かうのが見えた。
「なに言ってんだ!こんなヤツに好きなようにされていいのかよ!それに、俺がやらなくてもタバサがやったんじゃないのか!」
「そ、それは……!」
 才人の言葉に言い返すことが出来ず、ルイズは床に落ちた氷の矢に囲まれて倒れるキュルケとタバサの姿を見る。
 体を起こして才人の行動の結果を確認したキュルケに、タバサは身動きもしないで問いかけた。
「なんで、止めたの?」
 タバサはドノヴァンを殺す気だった。
 友人を不幸にする相手を許せなかったし、なにより、自分とホル・ホースたちの出会いを否定された気がした。自分の努力も、気持ちも、何もかもを踏み躙られた気がしたのだ。
 それに、自分の実力なら傭兵達を皆殺しに出来る。そうすれば、ルイズたちは国を終われなくても済むのだ。
 しかし、そんなタバサの手にキュルケは自分の手を重ねると、優しく握って首を振った。
「手が、震えてるわよ」
 タバサの眉が少しだけ形を変えた。
「そんな気持ちで手を汚したら、一生後悔するわ。でも、あたし達を助けようとしてくれたんでしょ?……ありがとう、タバサ」
 そっとタバサを抱き寄せたキュルケは、胸の中で震える少女の頭を優しく撫でて深く息を吐いた。
 肌が少し湿っぽくなるのを感じつつ、倒れるドノヴァンに目を向ける。
「それで、どうするの?フライかレビテーションさえ使えれば、この高さにある船から飛び降りても無事でいられるわ。そう考えると、一人でも逃げられたら終わりよ」
「待って、今考えてるから」
 腕を組み、頭を捻るルイズを真似て、ギーシュや才人もうーんと唸り声を出した。
 そんな中で、最初に何かを閃いたのはギーシュだった。
「そうだ!誠心誠意謝ろう!」
 予想の斜め上を行く意見に、ルイズの拳が飛んだ。
「アンタ、真面目に考えなさいよ!どういう状況か分かってるわけ!?下手したら、わたし達全員牢獄に送られるだけじゃ済まないのよ!?」
 崩れ落ちるギーシュの襟首を掴んだルイズが、両手をそのままに激しく前後に揺さぶる。
 既にギーシュは気絶しているので、そんな言葉は届いていないのだが、ルイズには関係ないらしい。
 ガクガクと揺さぶり続けるルイズを止めようと才人が手を伸ばしたところで、低い声が横から飛び込んできた。
「その心配は無い」
 ルイズとキュルケと才人が、その声に反応して視線を移す。
 いつの間にか目を覚ましたワルドが、寝ている間に乱れた衣装を正して立っていた。
 思わず顔を逸らしたルイズを、ワルドは感情の窺えない目で静かに見つめると、底の厚いブーツで床を鳴らしながら歩き始める。
 才人とキュルケが見ている中、ワルドはルイズの後ろを横切って、倒れているドノヴァンの襟首に左手を伸ばすと、そのまま甲板の端まで引き摺って行く。
 腰に下げられたレイピア状の杖を右手で引き抜き、魔法の詠唱が始まった。
「ワルド……さま?」
 顔を上げたルイズが、その様子に声を漏らした。
 まさか、と思ったのも束の間。
 ワルドは全身で勢いをつけて左手に引き摺ったドノヴァンを船外に放り出すと、詠唱を終えた杖を宙に放り出されたドノヴァンに向けて、最後の言葉を放った。
「ライトニング・クラウド」
 杖の先端から迸る雷光が、一瞬にしてドノヴァンを黒く染め上げた。
 ルイズは顔を伏せ、才人は呆然と見つめ、キュルケは目を細めてその光景を記憶に焼き付ける。キュルケの胸に顔を埋めていたタバサは、下唇を噛んでいた。
 船の下に広がる雲海に消えていく黒い影を見送ったワルドは、杖を握ったまま小さく息を吐くと、未だ顔を伏せるルイズに視線を送る。
 感情の見えない瞳が、才人には少しだけ揺れたように見えた。
 才人の視線に気が付いたワルドは顔を逸らすと、ゆっくりと後部甲板から離れていく。
「これも、僕の仕事だ」
 そう言い残して船内に繋がる扉を開けて姿を消したワルドを、才人とキュルケはただ見守るしかなかった。

 夕暮れに染まる空を木々の隙間から見上げたホル・ホースは、そこに居て欲しくない影がいないことにホッと胸を撫で下ろしていた。
 一時間ほど前までは、頭上を何度も竜騎兵が横切っていたのだ。森という隠れ蓑がなければ、既に見つかっていただろう。軍港ロサイスから飛び立った彼らは、かれこれ三時間以上もホル・ホースたちの姿を探してあちこちを飛びまわっている。
 ウェールズの案内でロサイスから脱出することに成功したホル・ホースたちは、地下通路の出口を抜けて、見ず知らずの森の中を彷徨っていた。
 現在地は、今のところ不明である。辛うじて、太陽の位置から方向だけが分かっているだけだった。
「やっぱ、トロッコに乗ったのが不味かったなあ」
 地下通路は遥か昔に掘った風石を採掘するための坑道を再利用したものらしい。延々と延びる線路にトロッコが準備されていたため、ホル・ホースたちはそれを利用してロサイスから一気に距離を離したのだ。
 だが、それが不味かった。
 移動した距離や方向が良く分からなくなってしまったのだ。
「なあ、王子様よ。ホントに見覚えねえのか?地理が分かるのはテメエだけなんだぜ?」
 責めるようなホル・ホースの言葉に、ウェールズは周囲を見回して首を横に振る。
「ダメだね。見たことがあるような無いような、と言ったところさ。それに、隠し通路の位置を教えてもらったのは十年も前だ。その間に森も姿を変えたのかもしれない」
 記憶の光景と当て嵌めようとウェールズも必死らしい。視線は忙しなく動き、目印になりそうな大木や森の開けた場所を見つけると眉を寄せて睨みつけていた。
 唯一のナビゲーターがこの調子だ。初めてアルビオンの地を踏んだホル・ホースたちには成す術も無い。
 地面から突き出す木の根を乗り越え、進路を邪魔する木々の枝を掻き分けて進み続けているが、その方向が本当に正しいのかは誰にも分からなかった。
「クソ!せめて上から森の様子を確認できれば、進む方向くらいは判断できるのによ!」
 吐き捨てるように言うホル・ホースに隣を歩くエルザが苦笑いを向ける。
 もう何度も繰り返した台詞なのだ。
 森の上に出る方法はある。地下水の魔法やエルザの身体能力なら、木々を乗り越えるのは容易いことだ。
 だが、頭上を時々通り過ぎる竜騎兵がそれを邪魔していた。
 一度でも見つかれば、敵は仲間を呼び、容赦なく追いかけてくるだろう。迂闊に森の上に出るなんて事は出来なかった。
「お兄ちゃん、日が沈みそうだよ」
 空を見上げたエルザが、徐々に暗くなる空の様子を見てホル・ホースに伝える。
 夕暮れを迎えれば、太陽が沈むのはあっという間だ。そろそろ双子の月が姿を現して夜の訪れを告げるだろう。
 マリー・ガラント号の船室から盗んできたベッドシーツに身を包んだエルザを見て、ホル・ホースは歩きながら後方を振り返る。
 夜を迎えれば、森全体から薄く感じる気配が動き出す。
 夜行性の肉食獣だ。
 起きている間なら、獣の10や20など、ホル・ホースたちの敵ではない。だが、疲労を溜めた状態で眠っている場合は話が別だ。
 敵に見つかる恐れがあるために獣避けの火を熾すことも出来ない以上、野営をするという選択肢は無い。眠る必要の無い地下水が夜の番をすれば、一晩くらいは眠れるかもしれない。だが、それをすればウェールズが使い物にならなくなる可能性があった。
 今現在は役立たずでも、アルビオンで行動するにはやはり案内役が必要となる。路銀も何も無いホル・ホースたちにとって、彼の存在を欠かすのはイロイロと不味いのだ。
 そうこうしているうちに、森の中は少しずつ暗くなっていく。
 完全に暗くなってしまえば、フライで空に上がれるようになっても周囲の状況を把握出来なくなる。ついでに、今は隠れている獣達が近付いてくるはずだ。そうなると、どうしても戦いが避けられなくなる。
 派手にドンパチを始めれば、敵は間違いなくこちらの位置を特定するだろう。
 決断をするなら、今しかなかった。
「仕方ねえ。飛べ、地下水!上空から森を偵察するんだ!」
 自分が実行するわけではないため、ホル・ホースの口調はやや軽かった。
 当然、地下水が納得できるはずもない。下手に森を出れば竜騎兵に見つかり、真っ先に攻撃の的となってしまう。
 地下水はウェールズという体を手放したくはないし、竜が放つ炎のブレスを浴びて本体のナイフが無事でいられるという保証もない。
 それなのに森の上空に出ろというのは、死ねと言っているようなものだ。
「冗談じゃねえ!俺を殺す気か!!」
 もっともな抗議の言葉にウェールズも頷いた。
 状況が切羽詰っているとはいえ、ここに居るメンバーは誰一人として自己犠牲の精神に溢れているわけではない。進んで危険を冒すのは、気分がハイになっているときかヤバイ薬がキまっている時くらいだろう。
 ホル・ホースと地下水が言い合いを始めそうになるところで、空を見上げていたエルザが何かを思いついて声を上げた。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!わたし、いいこと考えた!」
 ナイフと睨み合っているホル・ホースに駆け寄ったエルザが、袖を引っ張って自分の言葉に耳を傾けるように急かす。
 にらみ合いを中断して、ホル・ホースがエルザに顔を向けると、エルザは星が瞬き始めた空を指差した。
「地下水よ!地下水の本体だけなら、きっと見つからないわ!ナイフ一本だけなら、木の葉や木の枝と間違えると思うのよ!」
 エルザの意見に、ホル・ホースと地下水が、なるほど、と言葉を漏らしたところで、一つ疑問が浮かび上がった。
「で、この王子様が地下水から開放されて逃げない保証はあるのか?」
 すっと、エルザとホル・ホースの視線がウェールズに集まる。
 ウェールズはマリー・ガラント号を襲撃した時から強制連行されている状態だ。脱出の手引きをしたとはいえ、それはロサイスに集まる軍が貴族派のもので、王党派の筆頭であるウェールズ自身が身の危険を感じてのことに過ぎない。
 この場に止まる理由は無いだろう。もしかすれば、この時の為にわざと森の中を迷った振りをしていた可能性もある。
 だが、そんな疑念はウェールズ本人の口から否定された。
「僕は逃げないよ。迷っているのは本当だし、こんな夜中に丸腰で放り出されたら僕自身の身が危ない。ただ……」
「ただ?」
 意味深に言葉を止めたウェールズに、エルザが聞き返す。
「ただ、僕はニューカッスルに戻って、父や王家と共に戦ってくれた者たちと最後まで一緒に居たいと思っている。ここ数日、貴族派を支援している組織が混乱しているらしくてね。王党派はそれを好機にニューカッスル一帯に陣地を敷くことに成功しているんだ。皆が頑張っている中で、僕だけが不参加でいるなんて我慢ならない」
 ホル・ホースたちの知らない内戦の動きを語ったウェールズは、逃げない条件を最後に付け足した。
「僕を王党派に引き渡すこと。それを約束してくれるなら僕は逃げないし、王党派と合流が済み次第、見返りとして金銭を支払おうと思う」
 どうだろう。と尋ねるウェールズに、ホル・ホースとエルザは顔を見合わせ、ウェールズの支配権を握っている地下水の本体に視線を向けた。
「却下だ」
「……だってよ?」
 一切の迷いなく否定の言葉を返した地下水に、ウェールズは頬を引き攣らせた。
「これ、俺の体だし。どうするかは俺の自由。お前がどう思うかなんて、俺の知ったことじゃねえの。分かる?」
 その理屈でビダーシャルを操ってきた地下水だ。横暴な台詞にウェールズが顔を顰めるのも関係なく、刀身をカタカタと鳴らして、まったく聞く耳を持とうとしなかった。
 そんな地下水に、はあ、と深く溜息をついたウェールズは、ならば仕方ない、と地下水の支配から逃れると同時に逃げることを明示した。
 どちらも引く気は無いらしい。
 ならば、ホル・ホースとエルザが取る選択肢は、自分達の命がかかっているほうだ。
「エルザ」
「任せて、お兄ちゃん!」
 ホル・ホースの声にエルザがビシッと敬礼をして、両腕をいっぱいに広げる。
「枝よ。伸びし森の枝よ。彼の者を捕らえたまえ」
 エルザの口から先住魔法を発動させる呪文が流れ出し、それに従って森の木々がざわめき、周囲の木から延びる枝がシュルシュルとヘビのように動き始めた。
「……なんとなくこうなると思ってたよ」
 泣き言にも聞こえるそんな呟きをウェールズが溢す。
 伸びてきた枝がウェールズの全身に絡みつき、その動きを完全に封じ込めた。
「これで逃げられねえな」
「うん。杖も無いしね」
 ほぼ死刑宣告なホル・ホースとエルザの言葉に、ウェールズは頭をカクンと落とした。
 周囲の状況把握は必須事項だ。ウェールズの我が侭に付き合っている時間は無い。
 肉体が確保されてご満悦になった地下水の本体をエルザが掴み、ウェールズから取り上げると、もう随分と暗くなってしまった空に向けて体を捻った。
「行くよ、地下水」
「おう、ドンと来い!」
 地下水が返事をしたのと同時に、エルザが捻った体を戻しながら腕を振り抜く。
 高速で宙に投げつけられた地下水はクルクルと回転をしながら空を舞い、木々よりも遥かに高い位置で少しだけ風に乗ると、上昇を終えて重力に引かれ始めた。
「お、落ちてくるぞ。気をつけろ」
 そう言いながら場所を移動するホル・ホースにエルザも付いて歩き、地下水を投げた位置の周囲には枝に捕まったウェールズだけが残った。
 ウェールズが不安そうに空を見上げる。
 まさかとは思うけど。なんて考えていると、案の定、地下水が自分に向かって落ちてくるのが見えた。
 直撃コースだ。
「うわあぁぁぁぁ!?」
 悲鳴を上げるアルビオン第一王子に容赦なく襲い掛かる一本のナイフ。
 ドキドキと胸を高鳴らせて見守るエルザとホル・ホースの視線の先で、森の中に高く響き渡る気持ちのいい音が鼓膜を震わせた。
 赤い液体が一つ、また一つと地面に落ちていく。
「危ない危ない。自分の体を自分で壊してしまうところだったぜ」
「じょ、冗談でもこういう悪戯は止めてくれないかな……」
 ウェールズの頬を薄く切った地下水が、伸びた枝に突き刺さっていた。荒く息をついて顔を真っ青にしているウェールズが、それを横目に見て冷えた汗を滝のように流す。
「狙ったわけじゃないわよ?たまたま、その辺りに落ちただけで、わたしはなにもしてないわ」
 近付いてきたエルザの言葉に、ウェールズは青かった顔色を更に青くした。
 狙ってやったわけでないのなら、あとほんの少し地下水が風に煽られれば、自分は死んでいたかもしれないということだ。
 最近、不幸が連続している気がして、ウェールズは頭を抱えて寝込みたくなった。
「じゃあ、またね。王子様」
 可愛らしくお辞儀をしたエルザが、木の枝に突き立った地下水を抜いてウェールズの右手に握らせた。
 一気に体の感覚が曖昧になり、ウェールズは再び体を乗っ取られたことを自覚する。今度は首から上も支配下に置かれているらしい。視線を変えることもできなかった。
「で、どうだった?」
 エルザが伸びた枝を戻し、肉体の自由を取り戻した地下水にホル・ホースが尋ねる。
 地下水の刀身がカタカタと鳴った。
「見つけた!あったぜ!村だ!明かりが見えたから、人もいるはずだぜ!月が見える方向に真っ直ぐ歩けば、一時間もしないうちに到着するはずだ!」
 そう言って、地下水が頭上を見て月の位置を確認する。
 まだ低い位置にある二つの月は森の中からは見ることが難しい。だが、大きく輝く姿は葉の隙間からでも目立っていた。
 同じようにしてホル・ホースとエルザも月の位置を確かめると、遠く聞こえてきた獣の遠吠えを聞いて薄く冷や汗を浮かべる。
「よし、場所は分かったんだ。さっさと行くぜ!」
「あ、待ってお兄ちゃん!」
「旦那!置いてかないでくれ!!」
 走り出したホル・ホースをエルザと地下水も追いかける。
 競争をするように走り続けるホル・ホースたちの背後で、僅かに残っていた太陽の光りが完全に失われ、森が黒く塗り潰された。
 スヴェルの翌日だけあって、まだ双子の月は重なったままだが、元々明るい月の光りは健在らしい。青と赤の二重の円が空の頂上へ向かい、アルビオン大陸を満遍なく照らし始めていた。
 熱い空気が薄いピンク色の唇を掻き分けて飛び出す。
 オレンジ色の光りを窓辺から溢す一軒の家を最初に見つけたのは、少し汚れたシーツを翻して太陽の無い世界に気分を高揚させたエルザだった。
「あった。あったよ、お兄ちゃん!」
 振り向いて声をかける間に、地下水がエルザの隣に並んで周囲を見回す。
 敵の姿はない。どこにいるかも分からない相手を待ち伏せできるほど、敵は戦力に余裕が無いようだ。内戦はまだ続いているし、ウェールズの話が本当なら、貴族派は勢いを取り戻そうとしている王党派に力を大きく割いているだろう。
 エルザの声を受けたホル・ホースが、足元をふら付かせながら木に寄りかかる。
「よーし。ちょっと待て、はぁ、息が整ったら、はぁ、そっちに行く」
 一番最初に走り出しはしたものの、夜の吸血鬼と疲れ知らずのインテリジェンス・ナイフを相手にするのは無茶だったようだ。あっさり追い抜かれて、ホル・ホースは追いかける立場に転落していた。
 ホル・ホースが休憩している間に、地下水が村の中に入り込み、他に家は無いかと探し始める。
 あまり大きな村ではないらしい。最初に見つけた家以外にも、幾つか民家の存在は確認できたが、それも両手で数える程度だった。
 他にはちっぽけな畑とささやかな果樹園があるくらいで、これと言って目に付くようなものは一つも見当たらない。
 森の中に隠れるように存在しているのには何か理由があるのかもしれないが、特に不穏な空気も感じないので、単純に田舎だというだけだろう。いや、隠れ里という表現のほうが相応しいかもしれない。
 村の中を一回りした地下水が元の場所に戻ってくる頃には、ホル・ホースも息を整えて村の様子を窺っていた。
「この村、なんにもねえよ」
 地下水に言葉に、ホル・ホースは走っているうちに位置のずれた帽子を被り直してヒヒと笑った。
「見りゃ分かる。だが、まあ、寝床さえ確保出来れば問題ねえ。行くぜ、エルザ」
「うん」
 傍らに居るエルザを抱き上げて歩き出す。
 金も何も無いため、情に訴えかけて寝床を貸してもらう予定だ。こういうとき、エルザの幼い外見は非常に役に立つ。
「いいか、エルザ。一晩でいい。一晩だけ良い子にしてろ」
 素直で明るく笑う子供を連れた人間を悪く見ることは中々出来るものではない。それに加えて、子供の為に寝床を貸してくれと言われたら、相当意志の強い人間でもなければ断るのは至難の業だろう。
 そして、エルザは可哀相な子供のふりをして人を騙すのが大の得意だ。ホル・ホースと出会った村でもそれを利用して生活していたのだから、プロと言ってもいい。
 だが、プロには必ず付いてくるものがある。
 報酬だ。
「一晩良い子にしてたら、なにかしてくれる?」
 既に演技モードに入ったエルザが、丸い目をホル・ホースに向けて小さく首を傾けた。
 金銭欲がある少女ではない。物欲も、手に入るなら欲しいなあ、という程度だ。
 エルザの喜びそうなものを考えて、すぐに思いつかなかったホル・ホースは、良く考えもせずに首を縦に振った。
「いいだろう。オレに出来る範囲内で、おめーの願いを聞いてやる」
 その答えに、満面の笑みを浮かべてたエルザは、思い切りホル・ホースに抱きついた。
「約束だからね!」
「ああ、約束だ。ただし、一息ついてからだぜ?」
「分かってる!」
 ホル・ホースの言葉に返事をて、エルザはホル・ホースの首筋に顔を埋めた。
 そんなやり取りの間に、ホル・ホースの前には最初に見つけた家の玄関が迫っていた。
「地下水。テメーは離れてろ。その格好はシャレにならねえ」
 唐突に振り返ったホル・ホースの物言いに、何のことだろうか、と地下水が自分の格好を見て、ああ、と呟く。
 ぼさぼさに伸びた黒髪を赤い布で纏めた髭面の男の姿は、どう見ても強盗か山賊の類にしか見えない。これで身なりが整っていれば、まだ見れただろうが、褐色の肌を隠しているシャツは真っ黒に汚れていた。
 そして、決定打は地下水の本体自身だ。
 ナイフを持ったむさ苦しい髭面のオッサンを見て、警戒を抱かない人間が居るだろうか。
 自分の姿を自覚した地下水は、この場に居ると交渉に邪魔になることに気が付いて、そろそろと物陰に隠れた。
 それを確認して、ホル・ホースは目の前にある扉を軽く握った拳で三度叩いた。
 すぐに家の住人らしい人物の声が聞こえてくる。
 夜の訪問者を快く思っていない声だ。愚痴っぽく、刺々しいものを感じた。
 気難しい人物らしい。交渉は難航しそうだった。
 しかし、どこかで聞いたことのある声だということに気が付いたホル・ホースは、一体どこで聞いただろうかと記憶を探る。
 女性の声だが、ある程度の年齢を感じさせる。少なくとも、十代ではないだろう。そう考えたところで、脳裏に緑色の長い髪が踊った。
「誰だい、こんな時間に!」
 開け放たれた扉の向こうから、エプロン姿の妙齢の美女が姿を現した。
 艶のある緑色の長い髪を首の後ろで束ねたその人物が、ヒヒ、と笑う男に指を向ける。
「あ、アンタ!ホル・ホースじゃないかい!」
 心底驚いた様子で目を丸くしたセクハラ学院長の秘書を見て、ホル・ホースは帽子を軽く掲げた。
「よう、久し振りだな、フーゲグモゴッ!?」
 挨拶をしようとしたホル・ホースの口がフーケの両手に塞がれた。
 一体なにをしているのだろうか、とエルザが首を傾げると、マチルダの背後で金色の細い髪が揺れるのが見えた。
「どうしたの、マチルダ姉さん。お客様?」
「あ、ああ、そうそう!仕事場で知り合った人さ!」
 奥から現れた長い金髪を大きな帽子で隠した少女に、慌てて取り繕うフーケの様子を見たホル・ホースは、聞いたことの無い名前を記憶に刻み込むと同時に、今晩の宿の心配がなくなったことを確信して笑みを浮かべた。
「やあ、美しいお嬢さん。始めましてこんばんは」
「あっ!勝手に入ってくるんじゃないよ!出てけ出てけ!!」
 玄関口を塞ぐフーケを押し退けて家の中に上がり込んだホル・ホースが、フーケに襟首を掴まれて、ぐえ、と声を上げた。
「お、おいおい、そう硬いこと言うなって。オレとお前の仲じゃねえか」
 襟を掴む手を外し、ホル・ホースがフーケの肩に手を回す。
「誰がいつアンタといい仲になったっていうんだい!いいから出てけ!!」
 ホル・ホースの手を払ったフーケが身構えると、今度は別の場所から言葉が飛んできた。
「この泥棒猫!!わたしのお兄ちゃんをいつの間に誑かしたのよ!?」
「あんたも訳わかんない事を言うんじゃないよ!ティファニアが誤解するだろ!!」
「ね、姉さん。もしかして、これが三角関係?」
「アンタも反応しない!!」
 やや混乱した様相の玄関口。
 その片隅から楽しそうな声に釣られて姿を見せた地下水にティファニアという少女が悲鳴をあげ、フーケが杖を振って部屋の中を土塗れにした頃、ホル・ホースたちは完全に家の中に入り込むことに成功し、それと同時にティファニアに隠しているらしいフーケの盗賊家業のことを盾にして、とてつもなく強引に宿を勝ち取ったのだった。
「ああもう!今日は厄日だよ!!」
 そう思ったのが自分だけではないことを、フーケは知る由も無い。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー