ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

3 空の戦い 後編

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匿名ユーザー

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 マリー・ガラント号の後ろを追従する形で一定の距離を維持する黒い船の船首には、空賊が五人、ピクリとも動かずにホル・ホースの姿を常に睨みつけている。 
 握られた杖の先端は常にホル・ホースを捕らえ、チャンスがあればいつでも打ち倒せる状態を保っていた。
 人質から一定以上距離を置けば、その瞬間、幾つもの魔法がホル・ホースを襲い、命を奪うのだろう。
 船首に集まっている人影の奥を良く見ると、他にも何人かの人間が杖を構えて出番を待っているのが確認できる。
 そっちのほうは攻撃と同時にマリー・ガラント号に飛び移るための人員なのかもしれない。
 多過ぎず、少な過ぎずの役割分担が成され、時折人を入れ替えることで疲労の回復まで果たしている。
 およそ、荒くれ者の集まりであるはずの賊とは思えない動きだ。メイジの数が多いことを考えてみると、この空賊たちが軍人崩れであることも考えられた。
「しつこい野郎共だなあ。地下水、やっぱり、その体諦めねえか?」
 この分では、空だけでなく、地上に下りても追ってきそうな雰囲気だ。
 地上であの数に包囲されたまま行動するのは難しいし、土地勘の無いアルビオンでは空賊たちのほうに分があるだろう。罠にでも嵌められた場合、回避する手段は多くない。
 そんなわけで、港に到着するか、その直前辺りに人質を帰して縁を切ってしまいたいホル・ホースとしては、地下水の新しい体は酷く邪魔なのだった。
「嫌だね。旦那が俺の新しい体になってくれるなら許可するが、そうじゃないなら、この肉体は離さねえよ」
 どうやら、この新しい空賊の頭の肉体もそこそこ掘り出し物らしく、地下水はお気に入りのようだった。
 まさか、肉体のコレクションなんてしてねえだろうな。
 ちょっと恐い考えが頭に浮かんだホル・ホースは、背筋に走る冷気に体を震わて首を激しく横に振った。
「それこそご免だ。誰が好き好んで自分の体を他人の自由にさせるかよ。オレの体はオレだけのもんだ。勝手なことは誰にもさせねえぞ」
 だが、他人の体はどうでもいいらしい。ビダーシャルといい、今回の人質といい、地下水の肉体として好き勝手にしている回数が少しずつ増えている。
 多分、地下水の体がまた失われた場合、ホル・ホースはその辺りを歩いている通行人ですら地下水の生け贄に捧げるのだろう。
 他人の体を幾つも渡り歩いてきた地下水もびっくりなモラルの低さだ。自分勝手なんて言葉で片付けていいレベルでは無い気がする。

 その内、自分も捨て駒にされるのではないか、と考えた地下水は、そういえば自分は空賊が来たときにあっさり見捨てたなあ、と思い出して刀身をカタカタと揺らして笑った。
 同類相手にあれこれ悩んでいるのがバカバカしくなって、地下水は肩を竦める。
「んで、どうするんだ?俺がこの体を手放さないってことは、連中はいつまでたっても俺たちを追い続けてくるぜ。連中を撒こうにも、足の速さは相手のほうが上だ。このまま港まで移動しちまえば、本格的に打つ手が無くなる」
 空賊が港に近づけば軍の戦艦が動く可能性もあるが、それに頼るのはあまり考えられないことだった。
 アルビオンは内戦中だ。戦況によっては、軍が正常に機能していない可能性もある。港に到着してから軍がいないことに気付いていては遅過ぎるのだ。
 地上戦は地の利を取られている状況では不利。エンペラーのスタンドも、不意打ちや飽和攻撃を受ければ役には立たない。
 何とかして、敵の船を引き離す方法を考える必要がある。
 だが、その方法がまったく考え付かず、苛立ちに足を踏み鳴らしていると、後方から声が少し掠れた声が掛けられた。
「いい方法が無いわけでもねえぞ」
 振り返ると、そこにはあまり立派とはいえない帽子を被った船長が、ニヤニヤと張り付いた笑みを浮かべて立っていた。
「なんだ?いい方法ってのは」
 船長の笑みに気味の悪いものを感じつつ、ホル・ホースは話を促す。
「簡単だ。このまま軍港に向かえばいい。そこなら、確実に軍の船と鉢合わせする。そうなれば、空賊どもは蜂の巣にされるだろうさ」
 幸いにして、まだアルビオンまで距離があるため、針路を変えても明らかに方向が変化したとは気付き難い。
 完全に針路を軍港に向けるのではなく、哨戒範囲に入る位置まで辿り着けばいいのだと考えれば、不可能でもない作戦ではあった。
「だがよ、そんな簡単に行くのか?」
「大丈夫だ。元々、この辺りの空賊が活発になってるのは知られている。虫の息の王党派が苦し紛れに空賊行為をしているって噂もあるからな。貴族派の傘下に入った軍がかなり広い範囲で警戒をしているはずだぜ」
 軍港にわざわざ近づかなくても、もしかしたらこちらを見つけるかもしれない。それくらいに警戒は強くなっているらしい。

 分の悪い賭けではない。どうせこのままでは手詰まりなのだ。
「いいのか?こいつの話を信じちまって」
「他にいい考えがあるなら話は別だがな。今はこれに縋るしかねえだろ」
 地下水が警戒心を顕わにして注意を求めるが、ホル・ホースは首を横に振って船長の意見に賛同することを示した。
 空賊が憎いのは船長も同じだ。商品を根こそぎ奪われそうになったのだから、痛い目に合わせてやりたいとも思うだろう。
 それに、今ホル・ホースたちを罠に嵌めても、船長達に利は無い。捕まった時に何をされるか分からないのは、ホル・ホースに限ったことではないのだ。
「そうかい。それならいいんだがよ」
 リスクを背負っていることを自覚しているかどうかを確認するだけだったようで、地下水はすぐに引き下がって口を閉じた。
 選択肢が無いことは地下水にも分かっているのだ。
「よし、針路変更だ。ちょいと揺れるかもしれねえが、我慢してくれよ」
 そう言って船員に指示を出すために戻っていく船長の背を見送ったホル・ホースは、視線を船の後ろに付いて来ている空賊船に向けて溜息を吐いた。
「ありゃあ、なんか企んでやがるな」
「だろうな。分かり安過ぎるぜ」
 船長が最初に浮かべていた笑みの意味を推測したホル・ホースと地下水が、同じように声を潜めた。
 厄介事を運んできたホル・ホースたちに対する意趣返しも含んでの発案だったのかもしれない。そう考えると、そう呑気に構えてもいられないようだ。
「味方が少ねえなあ」
 四方八方敵ばかりの状況に嫌気が指したホル・ホースの呟きに、地下水が刀身をカタカタと揺らして笑い声上げた。
「人徳じゃねえか?宿でシャルロットの姐さんを見捨てたのが悪かったんだよ。大人しく一緒に居れば、傭兵連中だって返り討ちに出来ただろうによ」
「うるせえ。寝惚けててちょっと判断を間違えただけだ」
 とは言いつつ、意識がハッキリしていても多分逃げたであろうことは言わなかった。宿を取り囲む傭兵の数にびびったなんて言える筈が無い。
 こう見えて、それなりに見栄っ張りな所もあるのだ。


 話している間に、ぐらり、と船が揺れて体重が偏った。
 船が進路を変えたらしい。
 甲板を転がってしまわないようにバランスを取りつつ、ホル・ホースは周囲の空を見回して様子を窺う。
 朝日が昇って時間がたったため、随分と空の色は青さを増しているが、雲もそれに比例して厚みを増し、日の光を遮って濃い影を落としていた。
 この広大な空で艦船が姿を隠すとしたら雲以外にはありえない。軍のものと思われる船は、流石にまだ見当たらない。
 船長と会話をしていたことを見ていた空賊たちも、周囲への警戒を強めているように見える。
 こちらの動きをまったく予想していない、というわけではないのだろう。早々に針路が変えられたことに気付いたようだ。
「港まで持つと思うか?」
 ホル・ホースの言葉に、地下水が首を振った。
「無理だな。連中も無能じゃあねえだろ。そろそろ、人質を諦めて、大砲か何か持ち出してくる……って、言ってる傍から来やがった!!」
 地下水の悲鳴にホル・ホースもその姿を捉えた。
 移動式の大砲が車輪を回し、空賊の船の甲板を移動している。弾と火薬を持った人間が隣に並び、別の一人が定規のようなものを手にしてこちらとの距離を測っていた。
「ヤバイ!船長、敵が動いたぞ!大砲がこっちを狙ってやがる!」
 ホル・ホースの叫びに船員達がぎょっと目を凝らし、船長に視線を集めた。
「な、早すぎるぞ!?野郎共、全速前進だ!操舵手、蛇行して大砲の弾を受けないようにしろよ!マストが一本でも折れた日には、俺たちは全員あの世行きだぞ!!」
「アイ・アイ・サー!」
 船長の声に船員が声を揃えた指示の了解を伝えると、甲板は一気に慌しくなった。
 心なしか、風が強まり、船の速度が速くなる。だが、それ以上に後方に陣取っていた空賊の船は加速してマリー・ガラントの横に並ぼうと位置を変え始めていた。
 船側に並ぶ二十に及ぶ大砲。それを使うつもりなのだ。
 牽制代わりに移動式の大砲が三門、同時に火を噴いて、砲弾がマリー・ガラント号の上方を通過する。
「距離を確認するための一発だ!次は当ててくるぞ!高度を変えろ!!敵の上方について大砲の発射角から離れるんだ!」
 マストに張られた帆が奇妙に動き、船側から伸びた羽が大きくしなる。


 体にかかる重圧の変化に体勢を崩したホル・ホースが地下水と一緒に甲板を転がり、手すりの支えに背中を打ち付けて呻き声を出した。
「ぐへええ!?お、おいおいおい、ちょっと荒っぽ過ぎねえか!?このままじゃ、大砲食らう前に頭ぶつけて死にそうだぞ!」
 背中の痛みに頬を引き攣らせたホル・ホースが声を大きくして船長に文句を言うが、それに反応した船長は心底楽しそうに笑みを浮かべると、高笑いを上げる。
「その程度で泣き言を言っている様じゃ、空の男は務まらねえよ!旦那は大人しくその辺を転がってるんだな!」
 それだけ言うと、船長は今も忙しく動き回る船員達に向けて怒号を響かせる。
 完全に腹を括ったらしい。最初に空賊と出会ったときの様子はどこへ行ったのかと思えるほどに勇ましい、長年空で生きてきた男の姿を見せ付けている。
 ホル・ホースが人質を取ったときに切った啖呵から考えると、こっちが本性かもしれない。
 この勢いなら逃げ切れるかもしれない。なんて淡い期待を抱いてしまいそうな船長の姿だが、ちょっと視線を動かせば、それ以上の錬度で船を操る空賊の姿が見えた。
 高度を細かく変え、針路を一定させないマリー・ガラント号に対して、空賊たちは見事に併走状態を維持し、確実に大砲の位置を調節している。
 轟音が鳴り響く。それと同時に、マリーガラント号の甲板の一部が吹き飛んだ。
「野郎、やりやがった!!」
 大事な船を傷つけられた船長が悲鳴を上げる。
 直撃を確認できたのは、たった三発。それらはマストに近い位置を正確に抉っている。
「まさか……、連中まだ諦めてねえのか!?」
 マリー・ガラント号の動きを止めるつもりらしい一撃を見て、ホル・ホースが頬を引き攣らせて声を荒げた。
 船を沈める気なら、二十門の大砲を一斉掃射すれば片がついたはずだ。それなのにそれをやらなかったということは、人質を助ける気がまだあるという意味だろう。
 だが、同時に人質を見捨てる行為でもある。攻撃を加えた時点で、人質の命の保証は無いのだ。
 つまり、人質を生かすのではなく、人質が乱戦の中で生き残る可能性に掛けた、荒っぽい手段に打って出たわけだ。
 この状況で人質を殺せば、マリー・ガラント号は敵の一斉掃射を受けてあっという間にバラバラになる。
 だが、人質を生かしたままにしておいても結果はあまり変わらない。多少寿命が延びるくらいだろう。
 人質を帰さなければ、このまま人質ごと吹き飛ばす。


 その意思を見せ付ける空賊たちに、ホル・ホースは背筋を凍らせて、自分と同じように甲板に転がっている地下水に詰め寄った。
「テメエ、やっぱりその体諦めろ!今なら、命くらいは助けてくれるかも知れねえ!」
「無駄だって!旦那、滅茶苦茶恨み買ってるじゃねえか!今更開放したところで、旦那が死ぬことに変わりはねえよ!!」
「やってみなくちゃわからねえだろうが!一か八かだ!テメエ、ここからダイブして連中に拾ってもらえ!」
「俺を拾うのは、この船に大砲ぶち込んで沈めてからだろうよ!俺を見捨てて逃げるなんて考えるのは止めたほうが身のためだぜ、旦那!!」
 お互いに襟首を掴み、ガクガクと揺さぶりながら言い合う二人の耳に、更に轟音が届く。
 破壊された木材の破片が頬を叩き、火薬の匂いが鼻いっぱいに広がる。
 また一撃食らったらしい。
 もうだめか、と振り返ったホル・ホースは、炎上する黒い船を見て眼を丸くした。
「来た、来た、来たあぁぁ!!味方が来たぜ!連中の船が火を噴いてやがる!!」
 船長が頭上を見上げて高らかに声を上げている。それに合わせて、ホル・ホースと地下水も顔を上に向けて太陽を隠すように浮かぶ船を見つけた。
 三隻。空賊の船とほぼ同じ大きさの船が、雲の合間を縫って近づいてくるのが見える。
 未だ遠い場所にある船の船側から煙が幾つも生まれると、風を切る音に続いて空賊の船が破壊され、炎を巻き上げた。
 こちらへの攻撃の手が止まり、新たに現れた船に対して攻撃を始めた空賊たちが船の動きを少しずつ変えていく。
 この空域を離脱するつもりのようだ。
 それを追って二隻が移動し、残った一隻がマリー・ガラント号の隣に近寄って三色の横線が入った旗をマストに登らせた。
 良く見れば、いつの間にかマリー・ガラント号も四色の三角形を合わせた様な旗をマストに掲げている。
 損傷して速度の落ちたマリー・ガラント号の前に出た軍艦が、船尾からロープを幾つも伸ばし、それを船員が船体に引っ掛けていく。どうやら、牽引していくらしい。
 ロープの固定作業が終わると、船が動きを変えてガクリと揺れ、勢いを強めた。
 自身の船が一回り大きな船に力強く引っ張られる光景を見て、船長が満足げに頷く。
「よう、旦那。お疲れさん。あと一時間もすれば軍港ロサイスに到着するぜ」
 陽気に笑った船長の顔からは先程までの様子は消え、どこか穏やかなものになっている。


 それに頷いて返したホル・ホースは、九死に一生を得たことを遅く理解して、その場に体を投げ出した。
「た、助かった……」
 今頃になって全身から汗が浮かび、風に冷やされて身が凍えるようになる。
 一歩間違えば、いや、軍艦の介入が一秒でも遅ければ、マリー・ガラント号と一緒に粉微塵になっていた可能性もあると思うと、こういう危険すぎる橋は二度と渡りたくないとつくづく思う。
 ホル・ホースは生きている証を求めるように肺いっぱいに焦げた匂いのする空気を吸い込むと、体に溜まった疲れを吹き飛ばすように一気に吐き出した。
 若干酸欠になって目の前が暗くなるのも構わず、立ち上がって空を見渡す。
 空賊の船はもう遠く、点にしか見えない。速度差があるのか、追撃していた二隻は距離を離されて追うのを諦め、こちらに合流しようと戻ってきているようだ。
「ああ、そういえば、エルザはどうしたんだ?」
 唐突に、船内に放り込んでからまったく姿を見ていない事に気が付いた。
 あの好奇心旺盛な少女が、表でドンパチしていて姿を見せないはずが無い。日光という障害はあるが、適当に毛布をかっぱらって出てくるくらいの根性を見せるだろう。
 その後、勝手に毛布を持って行った件で揉め事が起きるとしても。
「寝てるんじゃねえか?あの嬢ちゃん、一度寝ると意外と起きないからな」
 とはいえ、大砲の音を聞けば幾らなんでも起きて来るだろう。それでも眠り続けるというのなら、なにかの病気かもしれないと疑うべきだ。
「じゃあ、様子でも見に行くか」
 ホル・ホースの言葉に地下水は小さく頷いて同意し、立ち上がった。
 甲板では既に補修作業が始まっている。応急処置のようなもので、大砲で破壊された穴を適当に塞ぎ、船の基本骨格である竜骨にダメージが蓄積しないようにするだけのものだ。
 場所によってはまだ火が燻り、黒い煙を上げている。海と違って、消火用の水がいつでも手に入るわけではないため、樽に溜めてある飲料水を使って消火作業を行っていた。
 水の量が少ないため、思うように消火出来ていないようだが、作業を続けていれば船が火に包まれることも無いだろう。
 後部甲板から中央甲板に移動し、一段低い位置に取り付けられた扉を前にして、唐突に地下水が口を開いた。
「なあ。可能性は低いとは思うんだが、もしも、だぜ?もしも……」


 そこで言葉を濁した地下水に怪訝な表情を浮かべたホル・ホースは、帽子に手を掛けて首を捻った。
「なんだ?続きを言えよ」
 操っている体なのに、妙に人間臭く視線を逸らし、口をもごもごと動かす。
 カタ、とナイフの刀身が揺れた。
「……もしも、エルザが空賊の大砲で怪我をしてたら……、いや、言わせてもらおう。
エルザが表に出てこなかったのは、空賊連中に何かされたか、大砲の弾そのものを食らったなんて考えられはしねえか?
それなら、あのお嬢ちゃんが姿を見せなかった理由に納得が出来る。旦那もそのことに気付いてたから、すぐにお嬢ちゃんの様子を見に行かなかったんじゃ……」
 昨夜から少し様子のおかしいエルザを思い起こし、地下水はそれが今回の事件を暗示していたのではないかと考えていた。
 不吉なことが起きる前というのは、大抵、その不吉の中心に立っている人間か、その周囲にいる誰かに予兆のような物が現れる。
 そんなものはただのまやかしだと、以前の地下水なら笑って否定するところだが、昨夜のエルザを見てから今回の状況を照らし合わせると、どうにも笑って済ませられないところがある。
 地下水の言葉にホル・ホースの瞳が揺らぎ、いつもの薄っぺらい笑みとは逆の表情が浮かび上がっていた。
 額から頬に向けて汗が一筋流れ落ちる。
 緊張に揺れるホル・ホースの瞳が地下水から船内に繋がる扉に向けられ、その手が木製の取っ手を握り、捻った。
 大砲の衝撃で立て付けが悪くなっているのか、扉は簡単には開かず、蝶番を蹴り飛ばすことでやっと軋みながら内部の姿をホル・ホースたちに見せ付けた。
 壁が剥がれ、床に木材の破片が幾つも散乱している。ハンモックの紐が千切れ飛び、船員の私物と思われる衣服がボロキレのようになっていた。
 奥に並べられてたであろう樽が扉の前にまで転がり、その一部が何か強い力によって引き裂かれてワインを溢している。

 ホル・ホースたちが気付かなかっただけで、後部甲板の真下を敵の砲弾が打ち抜いていたのだ。
 目の前の光景が、先程の地下水の言葉に現実味を帯びさせる。
 大砲によって開けられた穴から日の光が射し込む船内は吸血鬼であるエルザにとって過ごし易い場所とはいえない。
 こんな状態では、たとえ大砲の直撃を受けていなかったとしても、何かのショックで日光を浴びてしまっている可能性がある。


 全身を赤く染め上げた幼い少女の姿が脳裏に浮かぶ。嫌な光景だ。
 だが、もしかすれば、その姿を直視しなければならないということに、ホル・ホースは思わず表情を曇らせて舌打ちをした。
 太陽は随分と高くなっているため、直射日光が当たる場所よりも、日陰になっている場所のほうが多いのが心の救いか。
 ベッドの残骸のようなもので穴を塞ぎ、船内に日の光が入らないようにすると、地下水と一緒にエルザの姿を探すために歩き始める。
 幾つかの層に分かれた船内は、一番下を風石の貯蔵室、二層目を貨物室として、他は寝所か物置となっている。
 船長室と艦橋は、ホル・ホースたちがいる場所の上、甲板から顔を覗かせる小屋のような部分だ。
 今いる場所からも階段から艦橋に出ることは出来るが、上に行くということは日の光に近づくということだ。
 エルザがそんな場所に移動しているとは思えず、ホル・ホースたちは艦橋に繋がるものとは別の、下の層に繋がるもう一つの階段に足を掛けた。
 日の光が差し込まない薄暗い空間に目を向ける。白い小さな少女の姿は、そのときに見つかった。
「エルザ!」
 階段の下に転がるように、白いドレスに身を包んだ金髪の少女が、赤く染まった床の上に力なく倒れている。
 この場所は日光こそ当たっていないものの、損壊した船の破片があちこちに散らばっているところを見ると、大砲の影響は少なからず受けているようだ。
 階段を駆け下り、少女の体を抱き上げたホル・ホースはピンク色の薄い唇の端から赤い液体を垂らしている姿を見て頬を引き攣らせた。
「……え、マジか?俺の予想、的中?」
 空気を読まずに呟いた地下水を睨みつけて黙らせる。
 エルザのドレスはその半分近くが、白以外の色で斑に染まっていた。それらはまだ乾いてはいないようで、ホル・ホースの指に付着すると僅かに張り付くような感触を伝える。
 慌ててエルザの全身を薄暗い中で確認するが、外傷らしいものは見当たらなかった。手足が少々汚れているようだが、擦り傷一つ無い。心臓は動いているし、呼吸も整っていた。
 なら、この赤いものはなんだ。
 ホル・ホースはエルザの腹部に手を当て、服の上から傷の有無を確認すると、胃の辺りに触れたときに少女が表情を歪めたことに気が付いた。
「な、内臓か?」
 外傷が無く、口から吐いた血だけでこのような状況になるということは、胃か食道が大きく傷ついている可能性がある。
 呼吸が乱れていれば肺の可能性もあるが、エルザの息にはそういった様子は感じ取れない。


 こういう場合、地球であれば救急車を呼ぶところだが、ここは地球ではないし、しかも空の上だ。病院だって存在しない。
 内臓を傷つけているなら、早く治療をしなければならない。なのに、打てる手が思いつかずに、オロオロと何を探しているのかも分からずに視線をあちこちに彷徨わせながら、ホル・ホースと地下水が船内を駆け回る。
 二人の耳にその音が聞こえたのは、表に出て助けを呼ぶことを思いついた直後だった。
「……けぷ」
 エルザの口から、小さく息の塊が飛び出した。
 階段を駆け上がろうとしたホル・ホースと地下水がお互いに顔を見合わせ、視線をエルザに向けて、その口に耳を寄せる。
 もう一度、エルザが小さく息を吐いた。
「……けふっ」
 げっぷだ。
「んだと、コラ?」
 ホル・ホースのこめかみに青筋が浮かび、地下水の目が細まる。
 薄暗い船内では気が付かなかったが、良く見れば床の赤い染みも服を汚す赤みも、血とは思えないほど薄い色をしている。
 顔を寄せたときに鼻の奥に届いたアルコール臭と赤い水を足してみると、すぐにそれが赤ワインであることに気が付いた。
「このガキ、浴びるほどワイン飲んでぶっ倒れてたって言うのか?」
 首根っこを掴んで眠りこける幼女を吊り上げたホル・ホースは、腹の底から湧き上がる怒りに奥歯を噛み締めつつ、もう一つの手でエンペラーを発言させてエルザの額に銃口を当てた。
 これで、女で子供でなければ、このまま引き金を引いているところだ。だが、もう一度げっぷでもしたときには、人差し指がこのまま暴走する可能性は否定し切れなかった。
「ひう」
 まだ目を閉じて寝息を立てているエルザが、額の感触に小さく悲鳴を上げる。
 その様子に気付いた地下水が、ホル・ホースを止めてエルザの前髪をかき上げて、その下にあるものを覗き込んだ。
「あー、酒だけってわけでもないみたいだな。デカイたんこぶが出来てる。多分、最初の急停止のときに頭をぶつけたんじゃねえか?」
「はあ?」

 地下水の言葉に、ホル・ホースが変な声を出した。
 たんこぶは一つではないらしい。細く癖の無い金髪の上から頭を撫でてみると、そこかしこに膨らみの存在が確認できる。
 一番最初に頭をぶつけた際に気絶して、その後、船が揺れるたびにどこかに頭をぶつけていたのだろう。頭部の形状が酷いことになっていた。
「そういえばこのお嬢ちゃん、酒は飲めないはずだぜ。前にシャルロットの姐さんを助けに行った時、酷く気分が悪そうにしてたからな。嫌なことがあると酒に逃げるタイプってだけかも知れねえ」
 アーハンブラ城の傍にある宿場町で起こした宴会騒ぎを思い出した地下水は、そこでのエルザの態度を考えて推測を口にする。
 何が嫌なことなのか。そこまでは知らないが、大方、一人で船室に籠もっていなければならないことにストレスを感じたのだろう。
 そのことを話すと、ホル・ホースはヒヒと笑ってエルザを抱え直し、やれやれと呟いた。
「まあ、痛い思いはいっぱいしたみてえだし。今回は許してやるか」
 でこぼこになった幼女の頭を優しく撫で、息を吐いて階段に腰を下ろす。
 指先に感じるでこぼこは、触れるたびのその痛みを思い起こさせる。これ以上罰を与えるのも少々可哀相な気がする。
 そんなホル・ホースを見て、地下水がニヤニヤと厭らしく笑みを浮かべていた。
「旦那はお嬢ちゃんに甘いねえ。ロリコンか?」
 風がふと、地下水の本体を霞め、柄にある装飾を小さく削った。後方で木造の壁に穴があいて、そこから隙間風が吹き込む。
 ホル・ホースの右手がいつの間にか向けられていることに気が付いて、地下水がじっとりと背筋に冷や汗を浮かべた。
「OK、地下水。お前の遺言は聞き届けたぜ。空賊の頭のほうは俺に任せて、お前は一人で海にダイブでもしてやがれ」
 いつもの帽子の下には軽い笑みがあるが、目が笑っていない。やるといったらやる。そういう凄味を感じさせる何かがあった。危険な雰囲気が漂っている。
 カタカタカタカタカタ、といつもより激しく刀身を揺らした地下水は、首をぶるぶると横に振って誤魔化すように乾いた笑い声を上げた。
 どうにも触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。
「す、すまねえ、そんなに怒るとは思わなかったんだ。勘弁してくれよ、旦那あぁぁ」


 縋るような声に変わった地下水に、じーっと視線を固定したホル・ホースは、その情けない姿に目元を緩ませていつもの薄ら笑いに表情を戻した。
「よし。二度とオレをロリコン扱いするんじゃねえぞ。次は容赦なく塩水に沈めて錆びさせてやるからな」
「了解、肝……はねえから、刃の付け根に命じておくぜ」
 肩を竦め、少し頬を引き攣らせた地下水が誓いを立てる。まだどこか余裕があるようにも感じられるが、そんなところにいちいち気を止めるつもりのないホル・ホースは、帽子の位置を直してこれからのことを考え始めた。
 空賊は何とか追い払うことが出来た。だが、次はこの船、マリー・ガラント号の船長と軍を相手に逃げなければならない。
 船長の思惑がどんなものであれ、あまり歓迎できるものではないだろう。なにせ、軍港に向かう、なんて普通に言い切れるような人間だ。
 軍との関係は相当深いのだろう。
 ラ・ロシェールで狙われたことを思うと、ここでも似たような結果に辿り着く可能性が高い。
 そうでなくても、自分のような風来坊が軍と係わり合いになって良い結果が得られるとは思えなかった。
「また逃げ回るのか……、なんかオレ、こんなのばかりじゃねえか?」
 地下水がなんの話かと首を傾げるのにも構わず、深く溜息を吐いたホル・ホースは抱えた少女の体温を毛布代わりに目を閉じた。
 船が港に着くまでは、どの道動くことは出来ないのだ。この際、少し休憩を挟んでも悪くは無いだろう。
 地下水にも休むように言うと、ホル・ホースは階段の上に座ったまま壁に背中を預けて体から力を抜いた。地下水も階段の上に移動し、倒れた樽を背にして目を閉じる。
 ちらり、と目を開いて地下水の様子を確認したホル・ホースは、腕の中にいるエルザの頬を撫で、口元についたままになっているワインを指先で拭き取った。
 地下水の言う通り、自分がエルザに対して甘いことは自覚している。幼女に対して恋愛感情を抱くほど耄碌はしていないが、自身の年齢的に、人生の伴侶を無意識のうちに求め始めていることくらいは分かっていた。
 所詮自分も人間ということなのだろう。
 人の温もりから離れたままでは寂しさを覚えるし、生き甲斐というものを見失うようにもなる。
 ぶっちゃけて言えば、かつてないほど長い女断ちの期間に、精神的にも肉体的にも限界を迎えているということだ。人肌が下半身的な意味で恋しいのである。

 それが身近にいるエルザに対して、変則的な感情となってぶつかっているのだろう。
 そんなことを聞いたら、色ボケ幼女のエルザは喜んで身を捧げてくるかもしれない。いや、過去に一度暴走しかかったことがあることを考えると、逆に襲いかかってくる可能性もある。
 しかし、そんな性犯罪的な18禁世界は勘弁してもらいたいホル・ホースは、とりあえず腕の中に納まる温もりだけで滾る欲望を押さえつけるのだ。
「これで、もうちょっと抱き心地が良ければなあ……」
 腕の中にある物足りない柔らかさを思って呟いたホル・ホースは、最近増えてきた溜息の数をもう一つ増やし、首筋に走った痛みに悲鳴を上げた。
「痛でえっ!?またかこのガキ!いい加減にしやがれ!!」
 変わらず寝息を立てるエルザが首筋に噛み付いているのを感じ取り、ホル・ホースが腕を放してエルザを階段の上に転がす。
 段を一つずつ転がり落ちるたび、エルザの頭が段差に打ち付けられ、階段の下をコロコロと転がった。
 やがて、その小さな体がワインの染みの上で動かなくなったのを確認すると、ホル・ホースはやれやれと呟きながら息を吐いてエルザの体を抱え上げる。
 放置しても良かったが、胸の辺りが妙に寂しくなったのだ。なんだかんだで、この少女の温もりを覚えてしまっているのだろう。
 異世界の住人と、人の中では生きられない吸血鬼。
 中々に似合いのコンビではないか。
 そこまで考えて、帽子を深く被り、鼻で笑う。
「ガキを相手に、何を考えているんだか……」
 自重するように呟いたホル・ホースは、再び階段に腰を下ろして瞼を閉じた。
 ゆっくりと闇の中に意識が沈み、寝息が零れる。

「眠った振りも楽じゃねえなあ」
「……うるさいわね」
 階段の上で片目を開き、ニヤニヤと笑みを張り付かせた地下水の言葉に、ホル・ホースの腕の中でエルザが顔を赤くして消えそうな声で呟いた。
 ぷっ、と噴出して声を殺して笑い始めた地下水を頬を膨らませて睨みつける。
 だが、結局肌に感じる暖かさを手放すことが出来ず、マリー・ガラント号の船首から軍港ロサイスが見えるまでの間、エルザは笑われるままになっていたのだった。

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