ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

2 スヴェルの夜 後編

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匿名ユーザー

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2 スヴェルの夜

 階段を駆け下りたルイズと才人が食堂に出ると、そこには床と一体化しているテーブルの足を折って盾にしたキュルケたちの姿があった。
 玄関先には数え切れないほどの傭兵が群がっている。アルビオンの内戦に参加するためにラ・ロシェールに集まっていた傭兵達が、この場に全員集まっているようだ。
 タバサとキュルケが魔法で傭兵達に応戦し、ギーシュは傷つくテーブルを補修して強度を維持している。
 小まめに攻撃してくるために、タバサもキュルケも形勢を逆転させるための大技を使うことが出来ないようだ。
 こそこそと体を屈めて、キュルケたちが盾にしているテーブルの影に混ざったルイズと才人は、そこで状況を聞く。
 傭兵達の攻撃は突然だったらしい。ここで飲んでいたキュルケたちや他の客達に見境無く攻撃を行ったようで、被害はかなり大きなものとなっている。
 視線を少し店内に這わせれば、あちらこちらで傭兵達が放った矢に倒れている人影が転がっていた。店員達も例外ではないらしく、カウンターの向こうで呻き声を洩らしている。
「どうやら、ここに来る途中で出会った盗賊は、ただの物盗りじゃなかったみたいね」

 キュルケの言葉に、ルイズは頷いた。
 ラ・ロシェールに向かう途中、崖を利用して隠れていた山賊に襲われている。
 その時の連中は、自分達をただの盗賊だと語っていたが、どうも、任務妨害のために何者かに雇われていたようだ。
 アンリエッタ王女の一存で進められている任務の情報が漏れているということは、任務を受けた場所であるトリステイン魔法学院の誰かか、仲間の誰かが情報を洩らした可能性がある。
 あまり考えたくない事実だが、こうして襲われているのだから、楽観視もしていられないだろう。
 こんなことなら、山賊たちにキツイ尋問をかけてやればよかった。
 ルイズはそう思いつつ、テーブルから少しだけ顔を覗かせて玄関を見る。
 すぐに自分の頭を狙って飛んで来た矢に気付いて顔を引っ込め、ドキドキと鳴る心臓を押さえ込んだ。
「なにやってるのよ、ルイズ」
「うるさいわね。ちょっと様子見よ」
 キュルケの突っ込みに乱暴に答えて、ルイズは顎に手を当てた。
 玄関先に居る傭兵の数は、10や20ではない。玄関や窓、破損した壁などから覗く姿を数えるだけでも、ぱっと見で100は下らないだろう。
 影で見えないだけで、その後ろから届く怒号に耳を傾ければ、三倍か四倍の数が控えていることも想像できた。
 明日から運行が再開されるアルビオン行きの船に合わせて集まっていたのだろうか。
 異常な数の傭兵が、ラ・ロシェールの町に潜んでいたらしい。
 ワルドを倒すほどのメイジであるタバサやトライアングルクラスのキュルケ、ドットでは強いほうに入るギーシュは居るが、戦力が足りているとはお世辞にもいえない。
 それに加えて、相手の傭兵達はメイジ相手の戦いに慣れているらしく、体力と集中力を削って魔法が使えないほど疲労するのを待つ戦法を取っているようだ。
 テーブルの影を狙った攻撃を逸らす為に、キュルケとタバサは先程から魔法を連射している。
 敵の狙い通りになっているが、それ以外に戦いようがないのだから仕方の無いことなのだろう。
 例え、ワルドが無事だったとしても、この数を相手にするのは無茶だ。表面上は無傷だが、芯に残ったダメージは完治していないのだから、役に立つとも思えない。

 アンリエッタが護衛にと同行させてくれたのに、まるで戦力にならないとはどういうことだろうか。
 ルイズと才人の仲違いの原因まで作っているのだから、最初から居ないほうがいくらかマシだったかもしれない。
「裏口は?そこから逃げられないのか?」
 才人が決闘を行った練兵場のことを思い出して発言すると、ギーシュが首を振った。
「ダメだ、完全に塞がれてる。錬金で扉と壁を一体化させたから、暫く時間は稼げるだろうけど……」
「傭兵の中にメイジも混じってるみたいだから、いつまで持つか怪しいところね」
 ギーシュの言葉にキュルケが続けて、二人同時に肩を竦めた。
 完全に包囲さてれているばかりか、戦力差まで大きく開いているらしい。これでは強行突破も無理だろう。
 仮に出来たとしても、ワルドを置いていくことになる。それは、イロイロと不味い。
 お荷物のグリフォン隊隊長殿に、才人とルイズの頭が少し痛くなった。
「ねえ、タバサ。上で寝てるあなたのお知り合いに、協力を頼めないかしら」
 キュルケの言葉にタバサは少しだけ考えて、懐を探った。
 手に取ったのは財布だ。中身は、あまり多くない。
 ガリアで花壇騎士をしていたときも、あまり多く報酬を貰えた訳ではないし、今はタルブの村で特に収入も無く生活をしている。
 無駄遣いしないように、持ち歩くお金は最小限に止めていた。
 逆さに振った財布の中からは、エキュー金貨が二枚。スゥ銀貨が十二枚。ドニエ銅貨が数えるほど。
 果たして、あの傭兵がこの金額で動いてくれるだろうか。微妙なところだ。
「なに?あの傭兵、知り合いでもお金を要求するの?」
 タバサの手元を見ていたキュルケが、呆れるように呟いた。
 こくりと頷くタバサに、キュルケは小さく溜息をついて自分の財布を取り出す。
 中身は、やはり多くない。以前、才人のために高級な剣を購入して、それから補充をしていなかったのだ。
 それでも、タバサの手持ちの10倍近いの金額が入っているというのは、成金と称されるゲルマニアの貴族だということだろう。
 両手いっぱいの金貨を目にして、貧乏貴族であるギーシュはゴクリと喉を鳴らし、ルイズは自分の財布がタバサよりも寂しいことに肩を落とす。才人は金の価値がいまいち分からずにぼうっとしていた。

「これで足りる?」
 そう尋ねたキュルケに、タバサは首を縦に振った。
 影に隠れて敵を攻撃するのは、ホル・ホースの得意分野だ。今居る位置を確保し続ければ、あの妙な力で表の傭兵達を薙ぎ倒してくれるだろう。
「じゃあ、俺が呼びに行く。デルフも置いてきちゃったし。取りに行くついでだ」
「そう?なら、お願い」
 キュルケの手から金の詰められた財布を受け取って、才人は階段へと向かう。
 その背中に少しだけ手を伸ばしたルイズは、不安そうに眉を寄せた。
 あの傭兵のところにいけば、才人は必ず故郷に帰る方法を聞くだろう。そしたら、自分に何も言わずに帰ってしまうのではないか。もしかしたら、ここでお別れかもしれない。
 そう思うと、離れていく才人を呼び止めずには居られなかった。
「サイト……!」
 張り上げた声に才人が振り向く。それとほぼ同時に、どこかで何かが派手に壊れる音が響き渡った。
 玄関先にいる傭兵達がどこかを指差して、慌てたように動き出している。
「なんだい?どうしたっていうのさ!?」
 ギーシュが杖を振り回しながら天井を見上げて騒ぎ立てた。
 音の発生源は、この宿だ。二階か三階かまでは分からないが、その辺りの壁が破られた音らしい。
 立てたテーブル越しに玄関を覗き込むと、砕けた壁の破片が傭兵達の頭上に降り注いでいるのが見えた。
 傭兵達の人垣の向こうに、砂色の人影が白い何かを抱えて下りてくるのが見える。大きな羽帽子を被った痩せた青年も一緒だ。
 誰だろうか。
 直接の面識の無いルイズの疑問に答えるように、タバサがテーブルからそっと顔を覗かせて溜息をつく。
「……逃げた」
「へ?」
 タバサの呟きにキュルケが変な声を出した。
 特徴的な姿だ。見間違えるはずも無い。
 キュルケやギーシュもテーブルから顔を出して遠ざかる人影を見詰める。
 間違いなく、それはホル・ホースと抱えられたエルザ、そして地下水の三人だった。
「ちょっと!頼みの味方が逃げちゃったわけ!?どうするのよ!」
 ルイズの叫びに、ギーシュや才人も首を縦に振って同意を示した。
 プルプルと首を振って自分の責任ではないと主張するタバサにルイズが詰め寄ったところで、キュルケが驚きの声を上げた。
「見て。敵が向こうに引っ張られていくわ。……これならいけるかも」
 キュルケの言葉に、ルイズとタバサがテーブルから顔を覗かせて玄関先に視線を向ける。
 表に集まっていた無数の傭兵達が数を減らしている。半分、いや、元の十分の一程度の人数しか残っていないらしい。
 こちらに加えられる攻撃も疎らになり、反撃の隙が生まれている。
 なぜ自分達ではなく、殆ど無関係の三人組を追いかけるのかは分からない。だが、これはチャンスだ。
 強力な魔法を詠唱する時間さえあれば、多少の数の差などどうにでもなる。
 それを証明するかのように、タバサが長い詠唱を始め、部屋の中に氷の矢が生まれ始めていた。
 キュルケも頭上に炎の塊を浮かべ、玄関先に向けて怪しい笑みを浮かべている。
 ルイズも援護をしようと、魔法の詠唱を行う。
 ギーシュと才人がそれを見つけて止める間も無く、杖は振られた。
「ファイアーボール!」
 振り下ろされた杖とまったく逆の方向で爆発が起こる。
 聞きなれない悲鳴を幾つも聞いて恐る恐るルイズが後ろを振り返ると、そこには突き出した握り拳から親指だけを伸ばした才人が笑顔を浮かべていた。
「ナイスだ、ルイズ!」
「へ?」
 狙いを大きく外した上に、望んだ魔法すら成功させられなかったのに、なぜ褒められるのだろうか。
 そう思って才人の後方を少し覗き込むと、裏口を突破したと思われる傭兵が数人、体を煤で汚して倒れ付していた。
 考えていた結果とは違ったが、なにやら良い方向へ事が運んだらしい。
「ま、まあ、当然よ!敵が後ろから来てることくらい、わ、分かってたんだから!」
 さも狙ってやりましたといった様子で胸を張ったルイズを、キュルケが横目に見て頬を緩ませた。
「無理しちゃって」
 上手く誤魔化したつもりだったが、しっかりとバレているらしい。


「う、ううう、うるさいわね!わたしのことより、ツェルプストーは前の敵を相手にしてていなさいよ!」
「はいはい、わかったわよ」
 顔を真っ赤に染めて怒鳴るルイズにキュルケは肩を竦めて体の向きを変えると、頭上で未だ燃え続ける炎を瞳に映した。
「ルイズと俺は裏口から来る敵を何とかするから、ここは頼む」
 後ろで倒れた傭兵の一人から剣を奪い取った才人が、魔法の詠唱を終えたキュルケとタバサに声をかける。
 裏口からは奇襲に失敗したために様子を窺っている傭兵の姿が何人か見えていた。
 放っておけば、また後ろから襲われる事になるだろう。
「任せて、ダーリン。ルイズはちょっと頼りないけど、後ろをお願いね」
「早めに片付ける。それまで持たせて」
 首を小さく縦に振った二人を見て、才人がルイズの手を握る。
「行くぞ、ルイズ!」
「……へ、あ、うん。行く」
 杖を握った手を包む一回り大きな手に視線を釘付けにしたルイズは、才人に引っ張られるままに裏口から店を出て行った。
 その後姿をギーシュが見守り、おもむろに振り向いて驚きに頬を引き攣らせた。
 キュルケの掲げる炎が巨大に成長して天井を焦がし始め、タバサの魔法で店内が凍りつきそうな冷たい風が吹き荒れている。
 青白く輝く氷と黄金色に輝く炎が、色鮮やかに夜を照らしていた。
 ある意味、幻想的な光景だ。だが、メイジの一人であるギーシュは、この光が恐ろしい魔力によって生まれているのものだとはっきり理解出来ている。
 自分には真似できない、圧倒的な魔力を乗せた魔法。
 これが才能の差なのか。
 つい先程まで親しげに酒を飲んでいた仲間の実力を見せ付けられて、さり気なく落ち込むギーシュだった。
「凄い魔力ね、タバサ。もしかして、スクウェアに成長した?」
「数日前。そっちも、以前よりもずっと強くなってる」
 肌で感じるお互いの魔力に、キュルケとタバサが視線を絡める。横で落ち込んでいるギーシュは意識の外に置かれていた。

「ありがとう。でも、ちょっと悔しいわ。前は同じくらいだったのに、いつの間にか差をつけられてるんだもの」
「ちょっとしたきっかけ。きっと、あなたにも同じような時が来る」
 炎と氷の嵐が店内に吹き乱れ、キュルケとタバサが杖を強く握り締めた。
 盛大な魔法の光に怯えた傭兵達が次々と店を離れ、武器を放り出していく。メイジの傭兵も実力差を感じたのか、仲間に混じって姿を消していた。
 詠唱など、当の昔に終わっている。後は放つだけだが、必要以上に被害を拡大させないために、ワザと派手にして傭兵達を追い払っているのだ。
 もう少し、傭兵達がしり込みして後退したら、思い切り魔法を周辺にぶちまける予定だった。
「あたしも、か。……本当に、変わったわね、タバサ。良い出会いをしたみたい。なんだ
か妬けちゃうわ」
 しなを作って茶化すキュルケに、少しだけ頬を赤く染めたタバサは杖を振り上げた。
 数十に及ぶ氷の矢の動きが、杖の合図に合わせて動きを変える。
「ふふ。じゃあ、お仕舞いにしましょうか!」
 キュルケもタバサに合わせて杖を振った。
 氷が奔り、玄関を含めた壁一面を一瞬で崩壊させると、その上に巨大な炎がぶつかって炎の海を作り出す。
 氷は一瞬で蒸発し、火は一瞬で冷やされて一度だけ高くオレンジ色の光を空に伸ばして姿を消した。
 花火のような一瞬の輝きが辺りを照らして、火の粉と氷の破片が舞い上がる。
 爆風に似た風に体を晒したキュルケとタバサが髪とマントを靡かせて、“女神の杵”亭の玄関だった場所を眺めた。
 傭兵達が一目散に逃げていく様が良く見える。どうやら、追い払うことには成功したらしい。
 死体らしいものも転がっていないようだ。
 テーブルの影から顔を出したギーシュも、傭兵達に勝利したことを知って胸を撫で下ろした。ただ、その目は少し不満そうでもある。
「僕の見せ場は、特には無し。と」
 生来の派手好きの性格上、どこかで目立ちたかったらしい。しかし、キュルケとタバサの前では明らかに実力不足であることは、自覚しているようで、はっきりと文句を言うわ
けでもなかった。
 そんな姿をからかうかのようにキュルケが笑い、ギーシュは顔を逸らして口をへの字に曲げる。

 なんのことはない、日常的なやり取りだ。
 そこにまた一つ、日常的になっている音が割り込んだ。
 店の裏手から聞こえる爆発音。ルイズが起こす失敗魔法の音だ。
「あら、いけない。忘れてたわ」
 キュルケが口元に手を当てて、体を店の裏口に向けた。
 表に居る傭兵は一掃しても、まだ裏に居る傭兵達は健在なのだ。ルイズと才人の二人が怪我をする前に加勢しなければならない。
「よし、先に行くよ!今度こそ僕の見せ場を作らないとね!」
「そうはいかないわよ。あたしだって、まだ暴れたり無いんだから!」
 ギーシュが張り切って走り出し、その後ろをキュルケが追う。
 既に形勢は逆転している。
 急ぐ必要も無いだろうと、タバサはマントの裏に隠した本を取り出そうとして、足元に落ちている一枚の紙切れに気が付いた。
 普通なら無視するところだが、良く見知った人物の顔の絵が描かれていたために、見過ごすことが出来なかったのだ。
 それを拾い上げて似顔絵と一緒に書かれている文字を読む。
「……はあ」
 そんなことだろうと思った。と心の中で呟き、タバサは頭を抱えて溜息をついた。
 ルイズが受けている任務の詳細は知らないが、誰かに狙われていることは魔法衛士隊の隊長が一緒に居ることで大体予想がついた。
 だから、傭兵達の襲撃もその関係だとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
 紙に書かれていた文字。それにはこう書いてあった。
『生死問わず、以下の者を捕らえてガリア王に献上せよ。彼の者は王の命を狙った悪逆非道の暗殺者である。賞金は100万エキュー。ガリアの名において、それを保証するものなり』
 ホル・ホースの似顔絵と一緒に書かれているそれは、賞金首の存在を知らせる張り紙だ。
 この賞金は既に取り下げられているのだが、トリステインの一部ではまだ回収しきれていなかったらしい。
 改めてホル・ホースの首に別の賞金がかけられたために、誰かが変な誤解をしたのだろう。
 賞金額が変わっていることに気付かずに、以前の褒賞金を餌にしてラ・ロシェールや近隣の町村から傭兵をかき集めたに違いない。
 ラ・ロシェールに集まっている傭兵の数が異常に多かった理由と、先程逃げていったホル・ホースたちを殆どの傭兵が追って行った理由を知って、タバサは急速に体から力が抜けていくのを感じてその場に座り込んだ。

 キュルケたちは派手に暴れているようで、ここからでも爆発音や金属音、風に運ばれてくる熱を感じることが出来る。
 ルイズの怒鳴り声、キュルケの笑い声、ギーシュの悲鳴なんかに混じって、才人の勇ましい雄叫びも聞こえていた。
 今回の襲撃事件が自分の知人を原因としたものだと知ったら、キュルケたちはどう思うだろうか。
 想像してみたらちょっと恐い結果に辿り着いてしまい、タバサは体を震わせた。
 せっかく誤解しているのだから、このまま放置しておこう。
 そう思って、タバサはマントの裏から取り出した本を開いた。

「うおおおおおおおおぉぉ!?追ってきやがったああ!!」
 ラ・ロシェールの町を横断するように駆け抜ける二つの影、その一つがずり落ちそうになる帽子を手で抑えながら叫び声を上げていた。
 後方には殺気立った傭兵の大群が迫っている。前方を走る一団が矢を放ち、時に魔法が夜の空を焦がす。
 宿を囲んでいた傭兵の殆どが追って来る姿は、ある意味盛観である。
 道幅に収まりきらない傭兵達は家を上り、道なき道を駆け抜け、メイジにいたっては魔法で空を飛ぶ。
 遠目に見ると、蟻の大群が移動を地面をしているようにも見えるその動きは、ちょっとばかり気持ち悪かったりする。
 そんな連中に追われるホル・ホースは、全身から汗をびっしりと流して頬を引き攣ったままにしていた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ!?今は忙しいから、後にしてくれ!!」
 小脇に抱えられたエルザの声に乱暴に答えて、ホル・ホースは一度背後を振り返る。
 鼻先を矢が通り過ぎ、薄皮が切られて血が滲んだ。
 傭兵達の中に足の速いヤツが何人かいるらしい。その連中が徐々に距離を詰めて、矢の狙いを正確にしているようだ。
 早い内に目的地である丘の上の港に辿り着く必要があるだろう。船に乗って陸を離れてしまえば、傭兵達の追撃はとりあえず凌ぐことが出来る。
 だが、それまでに追いつかれないなんて確証は無い。
「地下水!テメー、なんか足止めする方法はねえのか!?」
 ホル・ホースの必死な叫びを聞いて、隣を滑るように移動していた地下水が乾いた笑い声を上げた。


「無理言うなよ。こっちは足の遅さをカバーするためにフライ使ってるんだ。同時に二つも魔法が使えるほど、俺は器用じゃねえよ」
 ナイフの刀身をカタカタと鳴らして自嘲気味に笑う地下水をホル・ホースは切なそうに見詰めて、くはぁ、と息を吐いた。
「使えねえな、この野郎!」
「そんなことを言うなら、旦那も例の変な力でなんとかすればいいだろ?」
「走りながらで狙いが付けられるか!俺の力も万能じゃねえんだよ!」
「じゃあ、黙って走るしかねえじゃねえか」
 まったくその通りだな、と心の中で思わず同意してしまったホル・ホースは口を閉じて走ることに集中する。
 余計な会話で呼吸が乱れ、それが直接足の動きに作用していた。あまり長くは走れないだろう。
 全身の感覚が薄く、痺れたような状態になっている。
 クソッ、休みが足りてねえ。
 予定ではもう少しゆっくりできるはずだった。そのために夜通し歩き続け、こんなトリステインの端っこにまで来たのだ。
 だが、賞金稼ぎたちの動きは予想以上に早く、休憩する暇を与えてくれない。
 やっぱりあの時、ジョゼフを殺しておくべきだったなあ。なんて後悔しても、全ては後の祭りだ。
「お兄ちゃん」
 脇に抱えられたエルザが、再び口を開いた。
 抱えている状態の為に視線が合うことは無いが、その声には弱弱しさが感じられる。何か大切な用でもあるのだろうかと、ホル・ホースは止む無くその言葉に耳を傾けた。
「さっき、から、なんだ?」
 荒くなる呼吸の合間を縫うように声を出すホル・ホースに、エルザは少し迷った後、体を少しだけ捻って視線を無理矢理ホル・ホースの目に合わせた。
「あの、ね……?」
 言葉の途中で肌をピリピリと刺激する気配を感じたエルザは、ホル・ホースから視線を外す。
 丘の上にある世界樹を利用して作られた港、その根元が既に見えているのだが、そこに見知らぬ誰かが待ち構えていた。気配は、その人物から感じられるようだ。
 マスクで顔を隠した、長髪の青年。樹の陰が色濃く、その姿を正確に知ることは出来ないが、杖を構えていることからメイジであることだけは理解できた。

 どうやら、自分達を追う傭兵達の一人が先回りをしていたらしい。立ち上る魔力と殺気は他の傭兵達とは一線を画す実力の持ち主であることを物語っている。
 危険だ。油断をすれば、自分達でも危ない。
 警告をしようと、ホル・ホースを再び見上げたエルザは、その右手が既に持ち上げられていることに気が付いた。
 引き金が引かれて、待ち構えていた傭兵がその場に倒れ、姿を消す。
 どれほど待っていたかは知らないが、待ち伏せはあっさり破られた。
「これは、遍在だな」
 船を泊めるための桟橋に改造された枝。そこに繋がっている階段の前で地下水が立ち止まり、青年がいた場所を見て小さく呟いた。
 遍在は風の中でも強い力をもったメイジにしか使えない高等魔法だ。消えてしまったということは、本体がどこか別にいるということなのだろう。
 賞金稼ぎにはこんな実力者もいるのかと、エルザは僅かに戦慄すると同時に、そんな相手でも一撃必殺なホル・ホースに頼もしさを覚える。
「おい!アホみたいに棒立ちしてた的なんかに構ってねえで、さっさと行くぜ!」
 階段に足をかけたホル・ホースが地下水を急かした。首を動かして肯定した地下水がそれに続く。
 枯れた世界樹の根元を穿って作ったのか、中は吹き抜けになっていて、幾つもの階段が姿を見せていた。
 階段の上り口には鉄のプレートが張ってあり、それぞれに階段の行き先にある船がどこと行き来しているかを伝えている。
 現在、ホル・ホース達が昇っている入り口から最も近い階段のプレートには、トリステインのラ・ロシェールとアルビオンのスカボローの間を行き来する便であることが記されていた。
 ボロボロの手すりに片手をかけて、同じくらいボロボロの階段を駆け上る三人は、そのまま世界樹の太い枝の一つに辿り着いた。
 人が歩き易いように加工された枝の先には、頭上から伸びた幾本ものロープに吊るされた一艘の船の姿がある。
 船体から突き出るように伸びる羽を除けば、ただの帆船に見える。
 これが空を飛ぶというのだから、ファンタジーの世界というのは不思議なものだ。
 まだ船に乗ったことの無いホル・ホースはやや疑わしげな視線を向けたものの、後方から聞こえる傭兵達の声を聞いて慌てて走り出した。
 枝の上に繋がるように甲板から伸びるタラップを渡り、船上で眠っていた船員らしき人物を蹴り起こして胸倉を掴み上げる。


「おい、起きろ!この船の責任者は誰だ!早く言いやがれ!!」
 深い眠りについていた船員は突然のことに戸惑いの声を上げ、なんだか分からないうちに船長を呼びに走り出した。
 ホル・ホースたちを追う傭兵達が世界樹の幹から姿を見せ、船上にいる自分達の姿に気が付いたのを確認した地下水が時間が無いことをホル・ホースに伝える。
 もはや、一刻の猶予も無いことに焦るホル・ホースたちのところに船長らしき初老の男性が姿を見せると、ホル・ホースは先程の船員にしたのと同じように胸倉を掴みあげて怒声を上げた。
「出航だ!この船を出港させろ!早く!今すぐ!急いでやれ!!」
「な、なんなんだ手前らは!?突然現れたかと思ったら、勝手なことを言いやがって!」
「いいからやれ!でないと、テメーらも死ぬぞ!」
 反論してくる船長を甲板の端に引き寄せて、群れを成して近づいてくる傭兵達の姿を見せる。
 矢が射られ、魔法が飛び交い、船体が幾つも傷を追う姿を見て、船長が血相を変えた。
「な、なんだあ!?戦争か?こっちでも戦争が始まったのか!?」
「いいから、船を動かせ!そっちの暇そうな連中はタラップを上げろ!!連中が船に乗り込んでくるぞ!」
 ホル・ホースが騒ぎを聞きつけて起き出して来た船員達に勝手に指示を飛ばす。一応緊急事態だと判断したのか、よく訓練された船員達の動きは淀みなく、てきぱきと自らの仕事をこなし始めた。
「お、おい!俺はまだ船を動かすとは……」
 勝手に部下を動かされた船長が抗議の声を上げるが、胸元に放られた皮袋の中身をみて
態度を変えた。
「足りねえか?」
 そう尋ねるホル・ホースに、船長は眉を寄せて仕方無さそうに首を縦に振った。
「本音を言えば、あと一声欲しいところだ。だが、まあ、これで我慢しよう」
 無駄に欲を出して命を散らせるよりはマシだと考えた船長は、既に出航作業を始めている船員達に追加で指示を出し始めた。
 タラップが引き上げられ、頭上の別の枝から伸びたロープが船から外される。
 一瞬だけ空中に沈んだ船が、船内に積んだ風石の力で宙に浮かんだ。張られた帆が風を受けていっぱいに広がり、羽が僅かにしなる。


 船体が少しずつ前に進み、船員が帆の位置を調整して進路を変えているのが見えた。
 無事、とまではいえないが、とりあえず出航することは出来た。そのことに船長は胸を撫で下ろし、思い出したようにホル・ホースに声をかけた。
「それはそうと、風石が足りねえ。アルビオンまでは飛べねえぞ」
 まだ出航準備が整ってないことを明らかにした船長に、地下水が手を上げて答える。
「俺が風石の代わりをする。魔力量だけなら人一倍あるからな。その気になれば、アルビオンまで風石なしでも飛べるだろ」
 ナイフを振るって魔法の詠唱を行うと、船が風石のものよりも強い風に押されて速度を増した。徐々に世界樹の枝が離れ、傭兵達の姿が小さくなる。
 メイジの傭兵が何人かフライの魔法で飛び移ろうとしていたが、船の加速についていけずに枝の上に戻っていく様子が見えた。もう、彼らにはこの船に追いつく術は無いだろう。
 一息ついてエルザを下ろしたホル・ホースが甲板の片隅に腰を下ろすと、部下への指示を終えた船長が立派な帽子を頭に乗せて近づいてきた。
「随分と、凄腕のメイジが一緒みたいだな」
 船の後方で魔法を使う地下水に視線を向けて話しかけてくる船長に、ホル・ホースはヒヒと笑って答える。
「商売柄、いろんな客と会ってきたからな。俺も部下達も、細かいことでガタガタ言う気はねえ。だが、それなりに事情を話すか、無言でも納得できるだけの金はしっかり払ってもらうぜ」
 金貨の詰まった袋一つでは足りない、迷惑料を払え。そう言う船長に、ホル・ホースは懐を探って、もう一つ皮袋を取り出した。中身はエキュー金貨よりも少し価値の低い、新金貨だ。
 これを渡してしまえば、ホル・ホースたちの手持ちの金は銀貨以下の小銭しか残っていない。
 しかし、ここで出し渋って桟橋に船を戻されたら一巻の終わりだ。
 船を操舵する技術が無い以上、空の上では彼らの力に頼るしかない。
 中身を検めて、それが贋金ではないことを確認した船長は鼻を鳴らして背中を向けた。
「まあいいだろう。風石の節約も出来たことだしな。今回は大目に見るぜ」
「悪いな」
 去っていく船長の背中に言葉をかけて、まだ暗い夜の空をホル・ホースが見上げる。
 眠っている途中をエルザに起こされ、表の騒ぎを聞いて慌てて逃げ出したために、まだ眠気が強く残っていた。


 一つ息を吐く度に、体から力が抜けていく。
 傭兵達から逃れたことで緊張の糸が切れたホル・ホースは大きく欠伸をすると、そのまま体を床に横たえた。
 瞼を閉じて全身の力を抜くと、すぐに意識が真っ暗になる。
 隣にいたエルザの耳に、寝転がって十秒もしないうちに寝息が聞こえ始めた。
「お兄ちゃん……」
 隣に並ぶように寝そべったエルザが、名前を呼ぶ。
 風の中に消えてしまうほどの小さな声は、ホル・ホースの耳には届いていない。
 それを理解したうえで、エルザはホル・ホースに呼びかけていた。
 聞かなければならないことがある。自分にとってはとても重要で、その答え次第では生き方さえも変えなければならない。
 しかし、正面からはっきりと答えを聞くことに、エルザは恐怖を抱いていた。
 両親を失ったときの孤独感が甦り、どうしようもないほどの不安が胸の中を渦巻く。
 聞かなければならないのに、聞くことが出来ない。
 信じてはいる。ホル・ホースは自分を見捨てたりはしないと。
 きっと、故郷に帰るときに自分も連れて行って欲しいと言えば、連れて行ってくれるだろう。
 でも、自分を置いて行ってしまうのではないかという疑念が、頭から離れてくれないのだ。
 この男はいつも気まぐれで、何を考えているのか分からないところがある。そのせいで確信を持つことが出来ない。
 実直で単純な考え方の人間なら、こんなに悩むことなんて無かった。でも、こんな変な男だからこそ、自分は傍に居たいと思えるようになったのだ。
 消えない思いは冷たく広がり続ける。
「一人ぼっちは、もうイヤ……」
 眠るホル・ホースの胸に頬を寄せて抱きついたエルザは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟くと、目元を涙で濡らした。
 耳に聞こえてくる心臓の音が、少しだけ孤独を紛らわせてくれる。そのことが、エルザの小さな胸を更に強く締め付けていた。

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