ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

2 スヴェルの夜 前編

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匿名ユーザー

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 “女神の杵”亭の二階。ギーシュとの相部屋の窓際に座り込んだ才人は、何もしないでずっと夜空を見上げていた。
 普段は離れている赤と青の月が重なり、白い光を映している。
 明日の朝、暫く出航を見合わせていた船の運行が再開されるらしい。なんでも、月が重なるスヴェルの後は、アルビオンがラ・ロシェールに一番近づく日なのだとかなんとか。
 目的地が近づいてくるというのは、どういうことなのか。良く分からないまま、才人はそんな説明を淡々と受け入れていた。
 見上げた空に浮かんでいる月の姿は、自分の記憶にある一つだけの月に良く似ている。
 何時にも増して夜の世界が明るく照らされているように見えるのは、恐らく錯覚なのだろう。重なった月が放つ光の量は、二つの時の半分程度しかないはずなのだから。
「ああ、そうか」
 そう呟いて、才人は町が明るく見える理由に気が付いた。
 月の光に隠れていた星空が、今日はいつもよりもずっと強く輝いているのだ。これなら、夜中でも明るく見えて当然だろう。
 唐突に、ポロリと才人の目から涙が落ちた。
 こんな夜空も、こんな明るい夜も、記憶の中には無い。
 才人の記憶にあるのは、人工の光で閉ざされた黒い空と、塗り潰された様な暗い夜道だ。
 そのことに、やはりここは異世界なのだと、思い知らされる。
 故郷が恋しい。
 学院で起こした決闘騒ぎを境に、ルイズとの関係もそれなりに良好になった気がしていた。
 まったく聞く耳持たずだったルイズが、自分の話に耳を傾け、時には気にかけてくれるようにもなった。
 だが、それも今日までだ。
 ワルドが現れてからルイズはよそよそしくなり、自分を遠ざけている。婚約者の前で他の男と一緒に居る姿を見られたくないのだろう。
 いずれ、二人は結婚するのかもしれない。
 今朝の決闘を思い返してみると、自分がここに居てはいけない気分になる。
 ワルドは、自分を痛めつける目的で決闘を挑んできたようにも見えた。婚約者につく悪い虫。そう思われたに違いない。
 このままルイズの傍にいることが、才人にはどうにも辛くて仕方がなかった。


 可愛い女の子との同居生活は、あまり女性に免疫の無かった才人に恋心を芽生えさせるには十分な環境だ。
 飛び切りに可愛い女の子との生活。正常な男なら、惚れないほうがどうかしているとさえ思う。
 だからこそ、今の才人の気持ちは失恋したばかりの心境に近かった。
 胸が締め付けられるような苦しみに表情を歪ませて、才人は呟く。
「家に、帰りたい」
 見知らぬ土地で頑張れたのは、淡い恋心のお陰だ。その絆が断たれて、才人は今更ながらのホームシックにかかっていた。
 件のワルドが既にルイズの心を裏切っていることを、才人だけが知らない。
 自分の後に行われた決闘騒ぎの顛末を、才人は結局聞かずに時間を過ごしていたのだ。
 はあ、と溜息を洩らす才人の頭上で、幼い声が響いた。
「ねえ、あなた、確かサイトって言ったわよね?」
 夜空に向けていた視線を、更に上に向ける。すると、白い何かが才人の視界を覆った。
 軽い身のこなしで窓際に降り立った少女に見覚えが無かった才人は、名前を聞こうと口を開きかけて、それが誰なのかを思い出した。
 今朝、タバサとワルドの決闘の見物に来ていた三人組の一人。エルザだ。
 布で全身を覆っている姿しか見ていなかったから、それが同一人物であることに気付くのに時間がかかってしまった。
 肌が弱いため、布で日光から身を隠しているのだと聞いていた才人は、エルザの真っ白な肌を見て思わず納得した。
 月明かりを浴びた肌が、暗い背景に浮かび上がっている。こんなにも真っ白な肌を、才人は一度として見たことは無かった。
 恐らく、一度も太陽の光を浴びたことなんて無いのだろう。そう思わせる白さだ。
「なんか、用か?」
 目元が濡れていることに気が付いて、袖で乱暴に拭いながら、才人は尋ねる。
 窓の縁に腰をかけて才人に背中を見せたエルザは、小さく首を傾げた。
「うん。ちょっと聞きたいことがあって」
 先程の才人と同じように、エルザは夜空を見上げる。
 ちょうど真上の階で、ホル・ホースと地下水が眠りについている。夜通し歩き通したために疲労が溜まっているのだ。
 特にビダーシャルの肉体に溜まった疲労は相当なものらしく、出来れば二日か三日、地下水は休養に徹したいと言っている。
 それに反して、エルザは時折ホル・ホースに抱えられて短い休憩を挟んでいたために、疲れは少なく、目を覚ますのも早かった。
「聞きたいこと?」
 幼い少女の外見に似合わず、妙にはっきりと言葉を話すエルザに、才人は異世界の不自然さを感じずにはられなかった。
 再び、疎外感が身を包む。
 そんな才人に、エルザは重なった月を見詰めながら質問を投げかけた。
「サイトって、もしかしてハルケギニアの外から来た人?」
 その言葉の意味に、才人は戸惑いながらも、小さく頷いた。
「ああ、そうだよ。東にある、ロバ・アル・なんとかってところから……」
「ウソ」
 振り返ったエルザが才人の言葉を遮る。
 顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいるが、目には真剣な光が宿っている。だが、それを見詰め返す力も無い才人は、視線を逸らして言葉を濁した。
「ウソなんかじゃ……」
 語尾が小さくなり、聞き取れなくなる。それにも構わず、エルザは窓枠から下りて才人の足元に歩み寄った。
 手が才人の着ているパーカーに伸びて、その表面を撫でる。
 綿に似ているが、どこか違う感触がエルザの指先に伝わった。
「やっぱり。お兄ちゃんの服の素材に似てる……」
 その呟きに、才人は息を呑んだ。
 自分の服はハルケギニアには無い素材が使われている。綿とポリエステル。綿はともかく、ポリエステルなんて合成繊維は、この世界には存在しないはずだ。
 それなのに、同じような素材で出来た服を着ている人物がいる。
 才人は朝方に会った砂色の人物が、目の前の少女から“お兄ちゃん”と呼ばれていることを思い出して、まさかと呟く。
「ねえ、あめりか、って知ってる?ゆーえすえー、とか」
 エルザの言葉に、才人の心臓が強く高鳴った。
 拭ったはずの涙が、目元から再び零れ始めたことにも気付かずに、才人はエルザの両肩を掴んで、膝を折る。
 望郷の念が一気に強まり、鼻と目の奥が熱くなった。
 ハルケギニアに来てから聞くことの無かった名前。故郷とは位置が違うが、その名前を知っているのは、自分と同じ世界に生きている人間だけだ。
 ハルケギニアの文化なんて碌に知らないから、ただの勘違いだと思っていた。
 だが、勘違いなんかではない。あのホル・ホースという人物の格好は、間違いなく西部劇なんかで見る、ガンマンの格好に似せたものだったのだ。
「ああ、知ってる……知ってるよ……。俺の故郷の、隣の国の名前だ」
 床に膝をついてボロボロと涙を流しながら答える才人を見て、エルザの頬が引き攣った。
 まさか、こんなことで泣くとは思わなかったのだ。
 いつも能天気に笑って自分勝手に生きているホル・ホースは、普通に自分の故郷のことをぺらぺらと話す。
 帰りたい、なんて言葉を口にすることは滅多に無いが、時折、故郷のタバコや酒が恋しいと愚痴を溢すことはあった。
 つい最近も、面倒ごとが増えてきたから帰るかなあ、なんて言っていた。だから、多分普通に帰れる場所なのだと、エルザは思い込んでいたのだ。
 だから、聞いてしまった。
「ねえ、サイト。あめりかって、どこにあるの?」
 その言葉に、才人は次々と零れる涙を袖で拭って、首を横に振った。
 場所が分からないのだろうか。
 そう思ったエルザに、才人は少しずつ言葉を捜しながら喋り始める。
「あめりかっていうのは、ハルケギニアとは全然違う場所なんだ。俺の故郷と同じ地球の上にあるんだけど、月は一つしかないし、魔法だって存在してない。代わりに科学ってのが発達しててさ、空を飛行機が飛んでたり、馬車の代わりに車が走ってる。異世界、って言えばいいのかな?よく分かんねえけど、とにかく遠いところなんだ……」
 喋っている才人に分からないことがエルザに分かるはずも無い。
 だが、なんとなくだが、エルザは才人の故郷とホル・ホースの故郷が同じ場所で、簡単に行ったり来たりが出来ない所なのだと理解した。
 そんな遠い場所に、ついこの間までホル・ホースは帰る方法を探そうとしていた。それはどういう意味だろうか。
 少年が、故郷を思って泣いてしまうほど遠い場所。そんなところへ、ホル・ホースは自分を連れて行ってくれるのだろうか。
 胸の奥に芽生えた小さな不安を感じて、エルザは才人の服の袖を掴むと、部屋の扉に向かって歩き出した。
 幼い少女の体のどこにそんな力があるのかと思うほど強い力で引っ張られた才人は、急にどうしたのかと声を上げた。

 焦点の合わない瞳が振り返って才人を見る。
「お兄ちゃんに、確認しなきゃ。エルフの町に、帰る方法があるって言ってたもん。ちゃんと確認しないと、お兄ちゃん、わたしを置いて……」
 エルザの声が震えて、少しずつ目が涙で滲み始めていた。
 今にも大声で泣き出しそうな予感がして、才人はその場で右往左往した後、何も無い場所で転んだ。
 再び歩き出したエルザに袖を引っ張られたのだ。
「おい、ちょっと、待てって!」
 体を引き摺られた才人が叫びを上げても、エルザは足を止めようとはしなかった。
 扉の取っ手に手がかけられ、押し開かれる。
 エルザと才人の前に、ピンク色の髪が踊った。
 開かれた扉の前に、目を赤く腫らしたルイズが立っていたのだ。
 何時から居たのか分からないが、会話を聞き取っていたらしい。
 パクパクと口を動かしているものの、結局何も言えずにいるルイズに才人は言い表せない不安を抱いて顔を逸らした。
「どいて」
 冷たく言い放ってルイズを押し退けようとするエルザに、ルイズは声をかける。
「待って。……その、一つ聞かせて」
 足を止めたエルザを確認して、ルイズは深呼吸をした。 
 才人に少しだけ視線を送ってから、口を開く。
「……才人は、帰れるの?」
 ルイズの言葉に才人は顔を上げた。
 春先に行われた召喚の儀式。それによってハルケギニアとは無関係の人間を呼び出してしまったことを、ルイズは僅かなりとも気に留めていたのだ。
 才人が異世界の人間だなんて、ルイズは信じてはいなかった。だが、ここにこうして才人の故郷を知っているらしい人間が居る。才人と面識が無い人間が、話を合わせられないはずの人物が、才人の知らない何かを知っている。
 全てを信じられるわけではないが、何もかも否定するには難しい状況であることくらい、ルイズにだって理解できた。
 信じるしかないのだろう。才人が異世界の住人であることを。そして、故郷に帰りたいと思っていることを。

 また一人、泣きそうな表情を浮かべた人物が増えて、静かな時間が流れる。
 足を止めていたエルザは、体を小さく震わせると、ルイズを見て首を横に振った。
「分からない。分からないから、聞きに行くの」
 目にいっぱいの涙を溜め込んだエルザを見て、ルイズは手を強く握り締める。
 ワルドの自分への想いは嘘だった。それは、既に証明されている。朝方にワルドの口から飛び出した言葉は、もしかしたら、その場の流れで言うしかなかったことなのかもしれない。
 だが、弁明の言葉も無いということは、本心だったということだろう。
 あの場から逃げ出した自分をすぐに追って誤解であると謝罪してくれれば、ルイズはそのままワルドを許していたかもしれない。しかし、ワルドが選んだのは、自身の誇りだけだった。
 結局、ルイズはワルドの持つ下らないプライド以下の存在でしかなかったわけだ。
 一人部屋に引き篭もり泣き疲れて眠った後、ルイズが一階の食堂に屯していた仲間達に迎えられて感じたのは、ワルドとの関係が終わったという事実だけだった。
 それ以外に、特に感じたことは無い。
 憧れや、仄かに抱いた恋心も何処かへ消えていたし、ワルドがタバサとの決闘に敗北したことを聞いたときは、胸がスッとしたくらいだ。
 新規で取った部屋のベッドの上で、今頃ワルドは唸り声を上げていることだろう。
 医者を呼んで傷の治療はしたが、完治するまでにはまだ暫く時間がかかる。
 そのことをいい気味だと笑い、そのワルドに負けてしまった自分の使い魔のことを思い出して、ここへ来た。
 才人とエルザの話が本当なら、自分は随分と傲慢に才人を振り回していたことになる。
 お調子者で、気が利かず、すぐに文句を垂れる役に立たない使い魔だが、一人の人間であることに変わりはない。
 家族や友人、故郷から引き離した挙句、自分の使い魔として一生を捧げろ?
 なんて自分勝手な言い分だ。
 ワルドという婚約者の登場で心を動かされ、才人のことを蔑ろにしていなかったか。
 才人の意思を尊重したことが、今までに一度としてあっただろうか。才人の言葉を幾度と無く聞き流していなかったか。
 考えれば考えるほど、自分が嫌になっていく。
 言い訳なら幾らでも出来る。しかし、使い魔が帰ることを切望しているのなら、貴族として、ラ・ヴァリエール家の三女として、ルイズという人間として、それに答えなければならないだろう。


 自分はやはり、ゼロのルイズなのだ。使い魔に信頼されるどころか、初めから使い魔を信頼することすら出来ない、心の広さまでゼロなのだ。
 だから、せめてラ・ヴァリエールの一員としての誇りまでゼロにならないために、この使い魔の願いを聞き届けよう。
 まだ芽を出してばかりの恋の病から目を覚ました少女は、その勢いで必要以上に頭を冷やして、エルザに袖を掴まれている少年を元の世界に帰す決意をしていた。
「わたしも、行く」
「……ルイズ?」
 様子がおかしいことに気付いた才人が少女の名前を口にしても、ルイズは視線すら向けなかった。
 ルイズに頷いて返したエルザが歩き出すと、その後ろにルイズも並ぶ。
 才人は依然エルザに引き摺られたまま、本格的にルイズに嫌われたのだと勘違いをしていた。
 元の世界に帰れるかもしれない。そんな希望が無ければ、部屋の隅に蹲ってモグラの真似でもしてしまいそうなテンションだ。
 普段明るいエルザは口を開かず、ルイズも黙ったまま。
 そんな三人の耳に階下の騒ぎが伝わったのは、エルザが三階に繋がる階段に足をかけたときだった。
「……なんだ?」
 引き摺られたままの格好だった才人が、背中に伝わる振動に気が付いて声を洩らした。
 エルザやルイズも足を止めて、耳を澄ませる。
 悲鳴や怒声に混じって、聞き慣れた人間の叫び声が鼓膜を震わせた。
「この声は……ギーシュ?」
 どこか間の抜けた音程から人物を割り出したルイズが、スカートのポケットに入れられた杖に手を伸ばす。
 駆け出そうとして、僅かな迷いに足を止めた。
 才人を故郷に返す方法探さなければならない。
 もし、今聞きそびれてしまえば、流れ者の傭兵なんて、次にいつ会えるかなんて分からないからだ。
 だが、ルイズにとって王女殿下から託された任務は、それと同じか、それ以上に大事なことでもあった。
 下唇を噛んで、階下へと駆け出す。

 下りの階段は上りの階段と隣り合っている。目の前の階段を下りれば、すぐにキュルケたちと合流できるだろう。
「待った!俺も行く!」
 エルザの手を振り払って立ち上がったサイトも、ルイズの後を追った。
 ルイズほどに任務の重要さを感じていない才人だが、仲間の危機を見捨てて自分勝手な行動を取れるほど、冷徹な人間でもないのだ。
 あっという間に姿の見えなくなった二人の後姿を見送ったエルザは、その場に少しだけ止まると、首を振って歩き出した。
 階段を上る。
 ルイズや才人が仲間や任務を優先したように、エルザもまた、ホル・ホースに真意を確かめることを優先したのだ。
 だが、足取りを重くさせる何かを感じる。
 その正体をエルザは理解していたが、それでも不愉快な感覚を消す方法は無い。
 出来ることなら、このまま膝を抱えて眠りにつきたい。
 そんな衝動に駆られながら、エルザは必死で足を動かしていた。

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