「タルブの村が燃える……それをただ黙って見ているしかないとは」
空と大地が入り混じる地平線が夕焼けの如く朱に染まる。
その下に広がるのは火竜の息吹に焼き払われる村の無残な姿。
そこには、かつての穏やかな風景の名残さえない。
濛々と立ち上る煙に、手綱を握るアストン伯の拳が震える。
その下に広がるのは火竜の息吹に焼き払われる村の無残な姿。
そこには、かつての穏やかな風景の名残さえない。
濛々と立ち上る煙に、手綱を握るアストン伯の拳が震える。
「村はまた作り直せばいい。ですが二度と取り戻せない物もあるのですアストン伯」
彼の傍らに立つ騎士が心中を察し告げる。
悔しげにアストン伯は唇を噛み締める。
村を広げたのにどれだけの時間と労力を要したのか、
そこに刻まれた記憶や思い出とて掛け替えの無い物なのだ。
普段ならば無関係の人間だからこそ言える言葉と一笑に付しただろう。
しかし、その騎士の声には真実だけが持つ重みがあった。
悔しげにアストン伯は唇を噛み締める。
村を広げたのにどれだけの時間と労力を要したのか、
そこに刻まれた記憶や思い出とて掛け替えの無い物なのだ。
普段ならば無関係の人間だからこそ言える言葉と一笑に付しただろう。
しかし、その騎士の声には真実だけが持つ重みがあった。
「確かに。君達が言うのならばそうなのだろう」
蹄の音を響かせながらアストン伯は振り返った。
彼の背後に広がる森にはタルブから避難させた村人達がいる。
もし騎士達が事前に襲撃を知らせてくれなければ、
この中の何人かは確実に命が失われていただろう。
守るべきは領土だけではない、そこに住まう領民とて姫殿下より預かった物。
領主ならば命を賭して、それを守り抜かなければならない。
その為には一刻も早く姫殿下と合流する必要がある。
彼の背後に広がる森にはタルブから避難させた村人達がいる。
もし騎士達が事前に襲撃を知らせてくれなければ、
この中の何人かは確実に命が失われていただろう。
守るべきは領土だけではない、そこに住まう領民とて姫殿下より預かった物。
領主ならば命を賭して、それを守り抜かなければならない。
その為には一刻も早く姫殿下と合流する必要がある。
己が物であるかの如くアルビオンの竜がタルブの空を舞う。
屈辱的な光景を苛立たしげに見上げながらアストン伯は呟く。
屈辱的な光景を苛立たしげに見上げながらアストン伯は呟く。
「今に見ていろ。一匹残らず叩き落してくれる」
騎士の口元に思わず笑みが浮かぶ。
まるで昔を懐かしむように彼は思った。
もし隊長がいたならばきっと同じ事を言っただろうと。
まるで昔を懐かしむように彼は思った。
もし隊長がいたならばきっと同じ事を言っただろうと。
先頭に立つメイジに率いられ、騎乗した人の連なりが街道を往く。
その中に混じってギーシュとルイズは共に戦場へと向かっていた。
急遽集められた義勇軍はタルブへの道すがらで新たな兵を加え、次々と数を増やしていた。
だが、それでもアルビオンとの戦力差を埋めるには至らない。
ましてや、こちらは兵士でさえないのだ。
勝てる見込みどころか生きて帰れるのかも危うい。
溜息をつきながらギーシュは諦めにも似た境地に達した。
それでも“彼”が一緒だったなら微かな希望を抱けただろう。
……だけど、ここに彼はいない。
隣には俯いたまま馬を歩かせるルイズだけ。
その歩みは遅く、戦に息巻く者達が彼女に罵声を浴びせる。
それに睨みを効かせながらギーシュは彼女の傍に馬を寄せる。
その中に混じってギーシュとルイズは共に戦場へと向かっていた。
急遽集められた義勇軍はタルブへの道すがらで新たな兵を加え、次々と数を増やしていた。
だが、それでもアルビオンとの戦力差を埋めるには至らない。
ましてや、こちらは兵士でさえないのだ。
勝てる見込みどころか生きて帰れるのかも危うい。
溜息をつきながらギーシュは諦めにも似た境地に達した。
それでも“彼”が一緒だったなら微かな希望を抱けただろう。
……だけど、ここに彼はいない。
隣には俯いたまま馬を歩かせるルイズだけ。
その歩みは遅く、戦に息巻く者達が彼女に罵声を浴びせる。
それに睨みを効かせながらギーシュは彼女の傍に馬を寄せる。
「彼は連れてこなかったのかい?」
「………………」
「ヴェルダンデは付いてきてくれるって。
やっぱり僕の使い魔だけあって勇敢だと思わないかい?」
「………………」
「出立前にちゃんと手紙は出したよね?
僕が渡したら“君にはこんなに渡す相手がいるのかい?”って驚かれちゃってさ。
“ほとんどガールフレンド宛です”って言ったら呆れ顔で預かってくれたよ」
「………………」
「ヴェルダンデは付いてきてくれるって。
やっぱり僕の使い魔だけあって勇敢だと思わないかい?」
「………………」
「出立前にちゃんと手紙は出したよね?
僕が渡したら“君にはこんなに渡す相手がいるのかい?”って驚かれちゃってさ。
“ほとんどガールフレンド宛です”って言ったら呆れ顔で預かってくれたよ」
視線を上げず彼女はただ手綱を握り締めるのみ。
静寂に耐え切れずギーシュは矢継ぎ早に話し続ける。
それでも彼女の表情は窺えないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
互いが沈黙を保ちながらしばらくして徐にギーシュは口を開いた。
静寂に耐え切れずギーシュは矢継ぎ早に話し続ける。
それでも彼女の表情は窺えないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
互いが沈黙を保ちながらしばらくして徐にギーシュは口を開いた。
「モンモランシーには書かなかった……いや、書けなかったんだ」
器から水が溢れ出すように心の内から洩れた真実。
言葉の意味が理解できずルイズは顔を上げた。
見れば手綱を握るギーシュの腕も、鐙に掛けた脚も震えていた。
そしてルイズと視線を合わせる事なく続ける。
言葉の意味が理解できずルイズは顔を上げた。
見れば手綱を握るギーシュの腕も、鐙に掛けた脚も震えていた。
そしてルイズと視線を合わせる事なく続ける。
「書こうとしたら手が動かなくて……急に熱が冷めてくみたいに気付いたんだ。
今まで戦場に行くなんて頭では理解してても分からなかった。
だけど大切な人と別れるかもしれないと考えて……初めて実感したんだ、『怖い』って。
モンモランシーの顔が浮かぶ度に頭の中がグチャグチャになって、
誰に笑われても非難されてもいいから彼女と一緒に逃げようかとも考えた」
今まで戦場に行くなんて頭では理解してても分からなかった。
だけど大切な人と別れるかもしれないと考えて……初めて実感したんだ、『怖い』って。
モンモランシーの顔が浮かぶ度に頭の中がグチャグチャになって、
誰に笑われても非難されてもいいから彼女と一緒に逃げようかとも考えた」
先刻まで饒舌に喋っていた人物はそこにはいない。
紡がれるのではなく吐き出される言葉に彼女は耳を傾けた。
紡がれるのではなく吐き出される言葉に彼女は耳を傾けた。
「でも、そんな事をすればモンモランシーはきっと僕を許さない。
そしてトリステインが負ければ彼女が無事でいられる保証なんてない。
窮地に立たされて、ようやく彼女がかけがえのない存在だって気付いたんだ。
だから戦う。何もしないで失うよりは自分で未来を勝ち取りたい」
そしてトリステインが負ければ彼女が無事でいられる保証なんてない。
窮地に立たされて、ようやく彼女がかけがえのない存在だって気付いたんだ。
だから戦う。何もしないで失うよりは自分で未来を勝ち取りたい」
ガチガチと鳴る歯を噛み締めながらギーシュは前だけを向き続ける。
その先に続く戦場を、更に向こうに続くであろう未来を見つめるように。
その先に続く戦場を、更に向こうに続くであろう未来を見つめるように。
「……私は」
ぽつりとルイズは呟いた。
ギーシュの話は彼女に僅かな安堵を与えていた。
自分が抱える苦悩は自分だけの物ではない。
戦場に向かう誰もが持ち得る物だとギーシュが教えてくれた。
閉ざしていた心の扉をゆっくりと彼女は開く。
ギーシュの話は彼女に僅かな安堵を与えていた。
自分が抱える苦悩は自分だけの物ではない。
戦場に向かう誰もが持ち得る物だとギーシュが教えてくれた。
閉ざしていた心の扉をゆっくりと彼女は開く。
「アイツに戦って欲しくない。
嫌いなのに苦しいのにそれでもアイツは戦うもの。
私が危ないって知っているから必ず戦場に付いてくる。
きっと止めても言う事なんか聞かない」
嫌いなのに苦しいのにそれでもアイツは戦うもの。
私が危ないって知っているから必ず戦場に付いてくる。
きっと止めても言う事なんか聞かない」
彼が最初の誓いを守ると誓ったように、
ルイズも最初の誓いを守ろうとしていた。
今度こそ自分の手で彼を守る。
自分一人でも戦えるのだと見せなきゃいけない。
だから……安心して元の世界に戻っていいのだと。
ルイズも最初の誓いを守ろうとしていた。
今度こそ自分の手で彼を守る。
自分一人でも戦えるのだと見せなきゃいけない。
だから……安心して元の世界に戻っていいのだと。
「ちい姉さまに手紙を書いたの。
もし帰れなくても、ちゃんと面倒を見て貰えるように」
もし帰れなくても、ちゃんと面倒を見て貰えるように」
ぽろぽろとルイズの瞳から零れ落ちる大粒の涙。
目蓋を閉じようとも抑えきれずに頬を伝う。
溜め込んでいた感情を吐き出すみたいに彼女は泣き続けた。
目蓋を閉じようとも抑えきれずに頬を伝う。
溜め込んでいた感情を吐き出すみたいに彼女は泣き続けた。
「でも、そんな事しても許されるわけない。
私は裏切ったんだ、アイツは私を信用していたのに……」
私は裏切ったんだ、アイツは私を信用していたのに……」
それは自分を信じてくれた彼と、アンリエッタへの裏切り行為かもしれないのだ。
他人の目に触れぬようギーシュが自身のマントで彼女を覆い隠す。
他人の目に触れぬようギーシュが自身のマントで彼女を覆い隠す。
「きっと分かってくれるよ。二人ともルイズの事が大好きだから」
慰めにもなるかどうかも判らない言葉を掛けながら、
ギーシュは戦場へと向かう行列を眺める。
誰もが家族や友人といった大切な者を残して往く。
それはアルビオンの兵も同じなのだろう。
なら何故、僕達は争わなくてならないのか?
きっと答えが出ても、それでも人は争いを止められない。
僕達に出来るのは抗う事だけしかないのだ。
ギーシュは戦場へと向かう行列を眺める。
誰もが家族や友人といった大切な者を残して往く。
それはアルビオンの兵も同じなのだろう。
なら何故、僕達は争わなくてならないのか?
きっと答えが出ても、それでも人は争いを止められない。
僕達に出来るのは抗う事だけしかないのだ。
火竜が焼き払ったタルブの平原にアルビオンの地上部隊が降り立つ。
アルビオン側は軍艦から兵を降ろす為、
トリステイン側は義勇兵や諸侯軍の到着を待つ為に、
互いに緊張状態を維持しつつ両軍は布陣を敷いていく。
アルビオン側は軍艦から兵を降ろす為、
トリステイン側は義勇兵や諸侯軍の到着を待つ為に、
互いに緊張状態を維持しつつ両軍は布陣を敷いていく。
「敵の陣容をどう見るかね?」
「はっ! やや本陣の守りが厚いですが典型的な横陣でしょう。
如何にも戦知らずのトリステインらしい配置かと思われます」
「はっ! やや本陣の守りが厚いですが典型的な横陣でしょう。
如何にも戦知らずのトリステインらしい配置かと思われます」
頭上から両軍の様子を窺いながら指揮官である老士官の問いに、
年若い副官は明瞭に答えを返した。
しかし、それに彼は首を横に振った。
年若い副官は明瞭に答えを返した。
しかし、それに彼は首を横に振った。
「あれは鶴翼の陣だ、本陣を餌代わりにしてのな。
迂闊に本陣を狙って突き進めば右翼の魔法衛士隊がやわな脇腹を食い破る。
いやはやトリステインの姫君はお飾りとの噂だが中々大した度胸の持ち主だ」
迂闊に本陣を狙って突き進めば右翼の魔法衛士隊がやわな脇腹を食い破る。
いやはやトリステインの姫君はお飾りとの噂だが中々大した度胸の持ち主だ」
意地の悪そうな笑みを浮かべる上官に、副官はばつが悪そうに襟を正す。
型に嵌まった性格の持ち主である自分とは合わない人だと彼は直感していた。
型に嵌まった性格の持ち主である自分とは合わない人だと彼は直感していた。
「では、どうなさるおつもりですか?」
「簡単だ。自分より弱い敵と戦えばいい。
勝てない相手と戦うほど馬鹿げている事はない」
「簡単だ。自分より弱い敵と戦えばいい。
勝てない相手と戦うほど馬鹿げている事はない」
キッパリと言い放つ老士官を前に唖然と立ち尽くす。
こんな事を口にしていてよく今まで軍法会議にもかけられずにいたものだと、
ある意味、尊敬の念さえ感じてしまう。
こんな事を口にしていてよく今まで軍法会議にもかけられずにいたものだと、
ある意味、尊敬の念さえ感じてしまう。
「右翼に戦力を集中させた分、左翼は手薄だ。
恐らくは各地の義勇軍も加わるだろうが問題はない。
艦砲射撃の混乱で統制が失われれてしまえば数など関係なくなる。
左翼を突破した部隊は背後から迂回して本陣を叩く。
正面との部隊と合わせて挟撃すれば堅牢な本陣とて容易に崩壊する」
恐らくは各地の義勇軍も加わるだろうが問題はない。
艦砲射撃の混乱で統制が失われれてしまえば数など関係なくなる。
左翼を突破した部隊は背後から迂回して本陣を叩く。
正面との部隊と合わせて挟撃すれば堅牢な本陣とて容易に崩壊する」
そう言いながら老士官は眼下に映る光景を次々と指差す。
先程までとは打って変わった態度に副官は目を白黒させる。
しかし老士官はとても自慢げな気分には浸れなかった。
偉そうに講釈ぶっていても最初から勝負は付いている。
頭上を抑えた状態で数においても相手を圧倒しているのだ。
仮に敵の思惑通りに包囲が成功しても砲撃を止める事は出来ない。
先程までとは打って変わった態度に副官は目を白黒させる。
しかし老士官はとても自慢げな気分には浸れなかった。
偉そうに講釈ぶっていても最初から勝負は付いている。
頭上を抑えた状態で数においても相手を圧倒しているのだ。
仮に敵の思惑通りに包囲が成功しても砲撃を止める事は出来ない。
チェスでいうならば既にチェックメイトの見えた盤面。
後はどれだけ早く犠牲を出さずに終わらせるかだけだ。
それも味方だけではなく敵の犠牲を含めて。
後はどれだけ早く犠牲を出さずに終わらせるかだけだ。
それも味方だけではなく敵の犠牲を含めて。
靴音を立てながら老士官は甲板の縁まで足を運ぶ。
義勇軍といっても恐らくは徴兵される年にも及ばぬ子供や学生達、
とても戦力とは数えられぬ者達ばかりだろう。
艦の真下には未だ燻るタルブ村の焼け跡。
ここにも乳飲み子や幼子達が多く住んでいたに違いない。
義勇軍といっても恐らくは徴兵される年にも及ばぬ子供や学生達、
とても戦力とは数えられぬ者達ばかりだろう。
艦の真下には未だ燻るタルブ村の焼け跡。
ここにも乳飲み子や幼子達が多く住んでいたに違いない。
「……多くの若者達の未来を奪ってその先に何を掴めるというのだ?」
脳裏に浮かぶのはニューカッスル城内で出会った少年達の姿。
まるで間もなく始まる日食のようにハルケギニア全体が闇に閉ざされていく
そんな予感に近い錯覚を彼はその肌で感じていた……。
まるで間もなく始まる日食のようにハルケギニア全体が闇に閉ざされていく
そんな予感に近い錯覚を彼はその肌で感じていた……。