ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

1 憎しみの始まり 前編

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1 憎しみの始まり
 トリステインの南西にある港町ラ・ロシェールは、交易や軍港として現在まで発展を繰り返してきた。
 切り立った岩壁を刳り貫いて作られた町並みは、土の系統を得意とするメイジたちの技術の結晶ともいえる。建築物の基板は削った岩で構成され、その上に人々が家を建てて生活をしているのだ。
 最も高い丘の上には、驚くほど巨大な大木が聳え立っている。その胴回りを一周するのにどれほどの時間がかかるのか分からない巨木は、ハルケギニアでは世界樹と呼ばれ、この町ラ・ロシェールでは交易のための重要な施設として人の手が入れられていた。
 巨木の枝にぶら下がる様に浮かんでいるのは、船だ。胴体から翼を生やしている以外にはどこにでもありそうな帆船。それこそが、ハルケギニアで一般的に言われる船の外観なのだ。
 この船は風石と呼ばれる特殊な力を持った石を積み込み、その力で空を飛ぶ。帆で風を受けるのか、風石が生み出す風に乗るのか、平民達にはまったく理解できない原理で空を飛んでいるのだが、それを気にしている人間は多くない。日常的に見慣れてしまえば、それがそういうものなのだと納得してしまって、疑問を抱かなくなるのだ。
 だが、わけの分からない理屈で空を飛んだとしても、そこに交易路として確かに空路が存在し、空輸する手段があるのだから、それは立派に経済社会の一端を担うことが出来る。
 国同士での大きな商売のやり取りは、効率や利便性を考えて、大昔からこの船を利用したものが中心となっていた。
 運送路の発達した町というのは、当然の如く発展する。人が行き交い、物が行き交えば、そこに商売が生まれ、商売が生まれれば金が集まる。そして、金が集まるところには人が集まって、また物が集まる。
 そうやって、運輸能力の限界が訪れるまで、この町は発展し続けるのだろう。
 しかし、普段は人が賑わい、市場には活気が溢れるラ・ロシェールの町だが、ここ最近は景気のいい話ばかりでも無いらしい。
 隣国アルビオンが内戦を行っているのだ。
 最も近い位置にある港町だけあって、疎開する人間や難民が町に紛れ込み、戦争を食い物とする商人や傭兵達が闊歩するようになる。
 治安の悪化が経済を滞らせるのは、どこの場所も同じ。とにかく、アルビオンの内戦が終わらないことには、この町が再び元の活気を取り戻すのは難しいように思えた。
 二つの月が重なる、スヴェルの日。
 ある事情から船の便が数日間無かったお陰で落ち着いていた町並みも、明日の朝にはまた隣国から錆び付いた顔色の人間が訪れて、この町はさらに活気を失うことだろう
 気落ちする要因の訪れを感じているのか、朝日が昇ってからもう、この町は陰湿な雰囲気に包まれていた。
 そんなところへ、幾度もの迷走の果てにこの町に辿り着いた奇妙な三人組は、町の高い位置にある“女神の杵”とかいう貴族相手を専門とする酒場の前に居た。
 疲れた身体に安酒を染み込ませるのは悪酔いの元。そう思って、わざわざ高い店を選んだのだが、流れ者の三人を格式の高いお店の人間は良く思わなかったようだった。
「出てけ出てけ!テメエらのような貧相な平民を相手にするような商売は、ウチはやってねえんだよ!」
「んだと、このヤロウ!金はあるって言ってるだろうが!!上等の酒で旅の疲れを癒そうとするオレ達の気持ちを踏みにじろうってのか!殺すぞ!」
 恰幅の良い店の店員に蹴り出されたホル・ホースが、見えないので脅しにならない銃を突きつけて胸倉を掴み上げ、怒声を上げている。その後ろには、布で身を包んだ幼女とつばの広い羽帽子を被った痩せぎすの青年が退屈そうに欠伸をしていた。
 本来なら、ガリアの東に横たわる砂漠を越えてエルフの町に向かう予定の三人だったのだが、どうにも厄介な事情を抱え込んで身動きが取れないでいた。
 先日の一件でジョゼフの左耳を削り取ったホル・ホースは、シャルロットに係わらないようにと約束を取り付けたまでは良かったのだが、一番肝心なことを忘れていたのだ。
 自分達を追ってはならない。その一言が抜けていた。
 お陰で、ジョセフは意気揚々とホル・ホースの首に賞金をかけ、国のあちこちに伝令を飛ばして兵を動かしている。ガリア国内に安全地帯は失われていたのだ。
 ホル・ホースの首にかけられた賞金の額は10エキュー。
 かつてかけられた100万エキューの賞金はどこへ行ったのか。そう思わずにはいられない金額だった。
 しかし、なんとも微妙な金額が効果覿面。小遣い稼ぎの良い鴨と思われて、行く先々で賞金稼ぎと思われる連中に襲われるのだ。
 これを想定しての賞金だとしたら、ジョゼフのやり方も随分とせこくなったと言わざるを得ない。
 やってくる敵をエンペラーで出会い頭に瞬殺。次々と身包みを剥いでいるお陰で、懐は今までに無いくらい温まった。だが、気の休まる暇が無い。
 追っ手を撒くため、町を渡り、森を抜け、国境を越えて、やっと自分の情報が出回っていないらしい町に辿り着いて一息入れようとしたときに店を叩き出される。これでは、ホル・ホースでなくても怒りたくなるというものだ。
「チップだって弾んでやる!オラ!エキュー金貨の詰まった袋だ!これが目にはいらねえのか!ああん!?」
「金は問題じゃねえんだよ!!テメエの身分が問題だって言ってんだろうが!こんな、金貨見せびらかされても……ても……てもよぉ……」
 両手に余るくらいの大きな袋に入れられた金貨を見て、店員の顔色が少しずつ変わり始める。声が萎み、目が袋に釘付けになっていた。
「ほれ、ほれ。な?これがもしも、懐に入ったら、どうだ?考えても見ろ。一気に大金持ちだぜ?こんな岩ばっかの場所じゃなく、ゲルマニアにでも行けば小さい領土くらいは手に入るかもしれねえぜ?そしたら、テメエ、貴族の仲間入りじゃねえか。今まで散々頭下げてきたんだろ?今度は、お前が頭を下げさせる番だぜ。な?」
 耳元に聞こえる悪魔の囁きに、おうおう、と声にならない声を上げる店員。
 その反応からあと一息だと確信したホル・ホースは、懐から更にもう一つ、エキュー金貨の詰まった袋を取り出した。
 二つの袋を店員の両耳に当てて、ゆっくりと縦に振る。
 じゃら、じゃら、じゃら、じゃら。
「ふおおおおおおおおうっ!?」
 金貨の鳴る音に店員が奇声を上げた。
 洗脳完了の合図だ。
 優雅に店員が腰を折り、ホル・ホースたちを店内へと招き入れた。
「ごゆっくりお寛ぎくださいませ、ジェントルメン」
「おう、邪魔するぜ」
 そっと店員の懐に金貨の入った袋を詰め込んで、ホル・ホースはエルザと地下水を引き連れて店内に入った。
 “女神の杵”亭は貴族専門を謳うだけあって、そこかしこに無意味に豪華な調度品が飾られている。テーブルは床と同じ一枚岩からの削り出しでピカピカに磨き上げられ、淡い色合いの壁紙と合わさって、一種の調和を作り上げていた。
 今は、早朝というには少し遅いが、朝寝坊が当たり前の貴族が目を覚ますには早過ぎる時間。しかし、それでも起きている貴族の姿は少なくなく、それぞれにテーブルを囲んで楽しげに朝食を取っている姿が見かけられる。
 その中の一つに目を向けて、ホル・ホースは思わず声を出した。
「あ」
 向こうもこちらに気付いたのか、青い髪の少女がポカンと口を開けてこっちを見ている。
 傍らに居る赤い髪の女も、青い髪の少女の様子に振り向いて、あ、と声を上げた。
 なんで、こんなところに居るのだろう。
 お互いにまったく同じ疑問を浮かべたが、行動はホル・ホースが若干早かった。
「逃げるぜ!」
 クルリと踵を返し、ついて来ていたエルザと地下水に手をかけて、ホル・ホースは二人の身体を引っ張った。
 エルザと地下水が抗議の声を上げる間も無く、走り出す。
 ノンビリしている暇は無い。相手の足の速さや手段を問わない行動力は、過去の経験でしっかりと思い知らされているのだ。
 僅かな油断が死を招きかねない。
 汗を全身に浮かばせて店の外へと出たホル・ホースの背中に向けて、誰かが声を投げかけた。
「レビテーション」
 正確には声ではなく、魔法だったようだ。
 足が地面から離れて、ふわり、とホル・ホースの身体が宙に浮かび上がる。
「なんだ!?なんだこりゃ!おい、エルザ!地下水!助けろ!」
 手足をバタバタと動かして抵抗するホル・ホースを、エルザと地下水は少し困ったような表情を浮かべて見詰め、首を横に振った。
 相手が悪い。そう言いたそうな顔だ。
 玄関を塞ぐ形で立つ二人を掻き分けて、青い髪の少女が姿を現す。
「な、なんだよ。今回は特になにもしてねえだろうが」
 じっ、と冷たい視線を向けてくる少女に、ホル・ホースは冷や汗を顔いっぱいに浮かべて頬を引き攣らせた。
 そんな様子を気にかけるでもなく、青い髪の少女は杖を振る。その動きに比例して、ホル・ホースの身体が少女に引き寄せられていった。
 抵抗が無意味であると悟って観念したのか、なすがままとなったホル・ホースが少女の機嫌を伺うように薄っぺらい笑みを浮かべる。
 そんなホル・ホースの顔をじっと見詰めてから、少女は杖を振りかぶった。
「早過ぎる」
 何が?と聞く前に、脳天を鈍い音と衝撃が駆け抜ける。
「痛ってええええぇぇぇっ!なんだ、やっぱりなんか入ってるだろソレ!鉄か!?鉄だとしたら殺す気だったのか!?」
 かつて感じた痛みを思い出して騒ぎ出すホル・ホースに、青い髪の少女はエルザと地下水の見守る中、もう一度杖を振りかぶった。
「うるさい」
 鈍い音が再び響く。
 こうして、砂色の傭兵は完全に沈黙したのだった。

 砂色の帽子の下にたんこぶを二つ作ったホル・ホースが、不貞腐れた様子で木杯に注がれた真紅のワインを飲み干した。
 ぶはっ、と息を吐いてテーブルに倒れこむ。
「だーかーら!仕方なかったんだって!オレだって東には行きたかったよ?いい加減、故郷に帰る方法も探さにゃならんし。でもよ、あっちこっちでジョゼフのオッサンが放った私兵みたいなのがウロチョロしてるんだぜ?行く先々で目をギラギラさせた連中に追われる俺の身にもなってくれよ」
 愚痴るようにそう言って、ホル・ホースは酒の追加を頼んだ。
 テーブルを囲んでいるのは、ホル・ホースとエルザ、地下水とシャルロットにキュルケである。テーブルの上にはサラダの入ったボウルと軽食程度の食事が盛られた皿が数えるほど。それらは摘まみのようにしか見えない。
 シャルロットとキュルケの食事そのものは、もう終わっているらしい。ホル・ホースたちの分は注文してばかりで、腹を満たすにはまだ暫く時間がかかりそうだった。
「ねえねえ、ジョゼフってガリアの王様でしょ?なんで、あなたみたいな一介の騎士、と言っても、もう違うみたいだけど。直接面識があるなんて、ちょっと不自然じゃない?」
 なんで、なんで?と、好奇心に目を光らせるキュルケが身を乗り出してホル・ホースに迫る。その際に白いブラウスに包まれた褐色の胸がテーブルの上に乗って形を変え、自らのボリュームを主張していた。
 たゆん、と揺れる胸に視線を向けつつ、ホル・ホースはワザとらしく咳をする。
 以前、学院に顔を出したときにはガリアの騎士という肩書きで姿を見せたホル・ホースだったが、現在、そのシュヴァリエの称号は剥奪されていた。理由はどうあれ、王に楯突いたのだから当然の処置だ。
 そのことはとりあえず置いておくとしても、まさか、本当のことを話すわけにもいかないだろう。
 王様を暗殺しかけました。頭のおかしい王様に気に入られて騎士になりました。その状態で喧嘩売って、また殺しかけました。で、今逃げてる最中です。
 そんな話を信じてもらえるとは思えないし、信じられてもイロイロと困る。
 頬を膨らませて横腹を抓ってくるエルザの頭を撫でつつ、どう誤魔化したものか、と視線を彷徨わせると、サラダを貪っているシャルロットの青い髪を見つけて、ホル・ホースの脳裏に何かが閃いた。
「あー、うん、あれだ。シャルロットの叔父がガリアの王様なんだよ。その繋がり?というか、なんでそんな恐い目で見つめてるんだ、シャルロットの嬢ちゃん」
 じーっと睨んでくるシャルロットに気が付いて、ホル・ホースは額に冷たい汗を流す。
 なにか不味いことでも言ってしまったのだろうかと、無性に不安になった。
「え、え、どういうこと?シャルロットって、タバサのことよね?タバサ、あなた、ガリアの王族だったの?」
 幾ばくかの逡巡の後、シャルロットがコクリと頷いた。
 抱えている事情が事情であるため、周囲には内緒にしていたようだ。タバサなんて偽名まで使っているらしい。
 しかし、そうとは知らなかったホル・ホースは、キュルケの質問から自分の失態に気が付いて、針の筵状態に陥っていた。
 どうやら、先程の閃きは碌でもないものの類だったらしい。
「悪かったよ!知らなかったんだってば!ほら、オレ、嬢ちゃんの偽名なんて聞いてないし。な?そんな深刻なことなら、学院に寄った時に教えてくれればよかったじゃねえか」
 オレばかりが悪いわけじゃないと、罪の所在を誤魔化すホル・ホースに、シャルロットの視線は一層険しいものになる。
 ホル・ホースは思わず、この嬢ちゃん見た目に似合わず性格キツイよー。なんて叫びたくなった。
 そんなことは前から分かっているのだが、叫びたいものは叫びたいのだ。
「まあ、お兄ちゃんだし。しょうがないよ」
「だな。旦那はどこまでいっても旦那だ。そーゆーところに気が気かねえから、旦那はこんな性格になってるんだし」
 味方と思われた二人の同行者も、フォローに回る気は無いらしい。
 酷い言われようだが、この状況で反論すればシャルロットの視線がさらにキツくなりそうなため、ホル・ホースは口を閉ざすしかなかった。
 シャルロットとホル・ホースの視線が交わって、僅かな攻防が繰り広げられる。
 責める視線と逃げる視線。どう見ても一方的な戦いなのだが、意外にも、先に折れたのはシャルロットの方だった。
 はあ、と溜息が漏れる。
 この砂色の傭兵は反省はしても、同じ過ちを繰り返さないわけではない。怒るのは体力の無駄遣いだと悟ったのだ。
 責めるのもなんだかバカバカしくなって、シャルロットは手元のワインに口をつけた。
 場の雰囲気が少しだけ和んだことで、ホル・ホースもホッと胸を撫で下ろす。
「詳しい事情、後で聞かせなさいよ」
 小声でシャルロットに囁くキュルケをジロリと睨んで、シャルロットは諦めたようにもう一度溜息をついた。
 自分の周囲にはそっとしておいてくれる人はいないのだろうか。
 シャルロットは、ちょっと友人関係について考えたくなった。
「ぐぉ注文の品ぁ、おぅ待たせいたしましたあぁぁ!」
 玄関口でホル・ホースとやり合っていた店員が、ほのかに湯気を燻らせる皿を台車に乗せて現れた。妙に声が甲高い。ちょっと腹立たしいテンションの高さだ。
 テーブルの上に料理の盛られた大皿が並べられ、お好みで選べる数種類のパンが入れられたバスケットがテーブルの中央に置かれる。香ばしい匂いと見た目に、ホル・ホースの空っぽの腹が刺激されて、盛大な虫の音を響かせた。
 それぞれの前に、取り分けるための小皿が並ぶ。朝食ともあって、自分の好きな量を自分で調節して食べる方式のようだ。
 役目を終えた店員がちらちらと意味深に視線を送っているのを見つけて、一人食欲とは無縁な地下水が、懐から適当な大きさの袋を取り出して握らせる。雑費用に取っておいた銀貨や銅貨の詰まった財布だ。
 金貨ではないのだが、それでも十分だったらしく、店員は奇声を上げながら台車を押して店の奥に去って行く。
 店に入るための洗脳だったが、効き過ぎたのかもしれない。一見して、頭のおかしい人になっている。
 少しだけ哀れみの目を向けて、地下水はビダーシャルの身体に生まれる欲求を満たしてやろうと視線をテーブルに戻した。
 地下水に食事は必要なくとも、ビダーシャルの身体は食事を求めて腹の虫を鳴かせているのだ。
 だが、振り向いた先に料理は残されていなかった。
「てめえ、シャルロット!自分の皿に盛りすぎだろうが!メシはもう食ったんじゃねえのかよ!卑怯だぞ!」
「あなたも相当量確保している。問題は無い」
「あたし、成長期なのに……。あ、キュルケおねーちゃん、お塩取って」
「はいはい」
 自分の前に置かれた皿に肉や野菜、パスタの山を築いたシャルロットと一回り小さい山を気にして鼻息を荒くするホル・ホース。そして、身体に見合っているように見える量を前に寂しそうにするエルザが、あっという間に気を取り直して対面に座るキュルケに調味料を催促している。
 先程の店員が運んできた大皿は、全て空になっていた。
「……俺の分は?」
 食べるものが無いのは、それなりに困る。操っている立場とは言え、体の能力はやはり体自身が持っているものに限られるのだ。
 空腹では力が出ない。
 そんな地下水に一人気付いた人物が、チラリと視線だけを向ける。
「パンでも食ってろ」
 シャルロットと睨み合っていたホル・ホースが、片手間にバスケットから簡素な長いパンを放った。
 色も味気も無い、食欲をそそる様な匂いすらない、ただのパン。
 しかし、食に対する拘りはもちろん、味だってわからない地下水はそれで満足した。食べられれば、それでいいのだ。
 もしゃもしゃ、とビダーシャルの口がコッペパンに齧り付いて咀嚼する。水気の無いパンは口に入れる度に口の中の水分を奪っていくのだが、そんなことも地下水は気にしない。
 地下水の意識化で、ビダーシャルが悲鳴を上げた気がした。
「いっただきー!油断大敵よ、おねえちゃん」
「……殺す」
「良くやったエルザ!って、オレの分も減ってるじゃねえか!?」
 食事一つでここまで騒がしくなれるものなのか。そんな疑問を覚えるほど一つのテーブルの上で繰り広げられるバトルは加熱し続けている。買収された店員は厨房の前でニコニコしているだけで、注意をしに来たりはしなかった。
 タバサ、変わったわね。なんて心の中で呟くキュルケは、騒ぎに参加しない痩せた男に視線を向ける。
 食事中でも取らない大きな羽帽子。零れる長い金髪や時折覗く顔は間違いなく美形なのだが、何故ソレを隠しているのだろうか。隠すなんてもったいない。むしろ、もっと見せるべきだろう。それとも、テーブルに座る前に、タバサに一度殴られていたことに何か関係があるのだろうか。
 見たい。あの帽子の下の素顔が見たい。
 男好きなのか、恋愛好きなのか、自分でも良く分からない根性を引き出して、親友が起こしている騒ぎに乗じて大きな羽帽子に手を伸ばした。
 まさか、頭頂部がハゲてたりしないわよね。
 研究馬鹿だけど教育熱心な中年の教師を思い出して、キュルケはそっと伸ばした手に力を篭める。
 スルリ、と少しだけ帽子の位置を動かした下から、妙に長い耳が覗いた。
「え?」
「あっ」
 地下水と視線が合って、キュルケの額から汗が流れ落ちる。 
 え、エルフ?エルフよね?この長い耳って、たしかそうよね?なんでこんなところに居るの?っていうか、なんでそんなのがタバサの知り合いなわけ?あ、でも涼しげなお顔はハンサムだったわ。エルフって、皆こうなのかしら?
 頭の中を駆け巡る幾つもの疑問に固まるキュルケを不思議そうに見て、地下水は帽子にかけられた手をそっと放して元に戻した。
 ちょっとマズイかなあ。なんてことを思いつつ、コッペパンに齧り付く。危機感らしい危機感は抱いていない。
 だって、あのシャルロットの友人だ。多分、肝が据わっている。騒ぎ出したりはしないだろう。
 そんな根拠といえない根拠を基にした自信が、危機感を遠ざけていたのだ。
 歯を剥き出しにしてシャルロットとエルザを威嚇をするホル・ホースの背後を回り、そろそろと近寄ってくるキュルケを見て、やはり、この女もシャルロットの同類だと地下水は確信した。
 どこかネジが外れている。
 このテーブルを囲うメンバーの中で一番ネジが外れているのはホル・ホース、次点でエルザ、続いてシャルロットなのだが、地下水の中では全員ほぼ同ランクに位置づけされていた。どんぐりの背比べである。
 そんな中にキュルケを追加して、近づいてきた目的はなにかなと耳を寄せる。
「ねえ。あなた、情熱ってご存知?」
 背中に胸を当てて甘い吐息を吹きかけるキュルケに、地下水は思った。
 ピンク色方面でネジが外れたタイプか。
 極めて冷静な評価だった。
 使っている身体はともかく、本体はナイフの地下水にそんな誘いは通用しない。これが上等な研ぎ石や研磨剤、手入れ用のオイルだとか質のいい布の行商なら、ちょっとときめいたかも知れない。ナイフの手入れには欠かせない一品だ。
 まったく反応を示さずにコッペパンを貪る地下水に、エルフは色恋には興味がないのかしらと、勝手に納得したキュルケが自分の席に戻っていく。
 エルフであることは、もうどうでもいいらしい。
 さり気なく不能ではないかと疑われているのだが、そんなことも地下水には関係無い。
 疑惑の視線を地下水に向けながら席に戻る途中、キュルケが店の裏手の方からとぼとぼと歩いてくるピンク色の髪の少女を見つけて声をかけた。
「あら、ルイズじゃない。どうしたのよ」
 ルイズはそれに反応することもなく、肩を落としたまま階段を上っていく。キュルケの声には気付かなかったようだ。
 それほどまでに、気が滅入ることでもあったのだろうか。
 少し心配になったキュルケが事情を聞こうと席を立って階段へと向かうと、ルイズの後から現れた人物を見て黄色い声を上げた。
「ワルド様!?あ、いえ、ミス・ヴァリエールが落ち込んでいるようですけど……なにかあったのですか?」
 立派な髭と長い髪、そして鋭い目を称えた青年に、キュルケが畏まった口調で尋ねた。
 トリステインの魔法衛士隊の制服を着込み、立派なマントと羽帽子を身につけたワルドと呼ばれた青年は、優しげに微笑んで、なんでもない、と答えた。
 そんなはずは無いだろう。
 普段から気の強いルイズが、目に見えて落ち込むなんて、そうそう無いことだ。
 納得できず詰め寄ろうとするキュルケだったが、相手の鋭い目にそれ以上話す気が無いのだと悟って、一歩下がる。
 ワルドの視線がついと動いて、騒がしく食べ物を奪い合う奇妙なテーブルに向けられた。
「彼らはどなたかな?君の友人と楽しそうにしているようだが」
「え!?」
 それをあたしに聞かないで、とは言えず、キュルケは恐る恐る手を伸ばしてそれぞれの名前を告げていく。
「タバサと食べ物で喧嘩してるのは、元ガリア騎士のホル・ホースという方です。一緒になって騒いでいる小さい女の子は、その連れのエルザ。静かにパンを齧っているのは、地下水という名前の傭兵、だそうです。全部、タバサの友人だって聞きましたけど……」
 親友の知人であるために、正直良く分からない連中です、とは言えず、キュルケは言葉を止めた。
 ワルドの目が細まる。
 地下水という名前に聞き覚えがあったのだ。
 正体不明の凄腕の傭兵で、暗殺を得意とすると聞いていた。それが、ここでこうして騒がしい連中と一緒に食事などしている。
 偽者かとも思うが、中々どうして、食事中であるにも係わらず隙が無い。簡素なパンを食べているのも、必要以上に腹を膨らませないようにという、プロならではの技術が見え隠れしている。
 ワルドはホル・ホースという名前にも心当たりがある気がしたが、どれほど記憶を掘り起こしても思い出せなかった。忘れるくらいだ、さして重要な人物でもないのだろう。
 気を取り直してキュルケに向き直り、その耳元に口を近づける。
「彼らは、今回の任務についてくるのかい?」
 ワルド達はトリステインの王女アンリエッタから極秘の任務を受けて、ラ・ロシェールに来ている。船が動くようになり次第、アルビオンへと行く予定だった。
 大事な任務がある以上、余計な人員をこれ以上抱え込むことは出来ない。
 直接命を受けたのは、二階に上がって行ったピンク色の髪の少女ルイズと、その使い魔である才人という少年だ。キュルケやタバサは好奇心で付いてきただけで、本来は関係が無い。部外者の勝手な都合で、これ以上余計な同行者を増やすわけにもいかないだろう。
 だが、詳しい事情までは聞いていないキュルケは答えを濁して、さあ、と首を傾げた。
 そういったことは、シャルロットか本人達にでも聞いてもらうしかない。
「ふむ」
 ワルドが少し考えて、おもむろに騒ぎを起こしているテーブルへと向かう。
 意図的に足音を立てて自分の存在を主張するように歩いているようだが、食べ物に夢中になっている男女二人ずつの変なメンバーはまったく気付く様子は無かった。
 テーブルの横に立ち、盛大に咳をするまで視線一つくれないホル・ホースたちに、自分はこんなにも存在感が無かっただろうか、と思い悩みつつ、ワルドはタバサに顔を向けた。
「ミス・タバサ。よろしければ、僕に彼らを紹介して貰えないかな」
 一応、グループの年長者であるワルドは任務の中核を担っている。グループに見知らぬ人間が近づけば警戒くらいはするだろう。
 紹介ぐらいは済ませておいたほうがいいかもしれないと、料理の奪い合いの手を休めたシャルロットが口を開こうとする。しかし、それよりも早くエルザの辛辣な一言が飛んだ。
「誰?このオッサン」
 まったく人見知りをしない、肝の据わった幼女の言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
 僕はまだそんな風に呼ばれる年齢ではない!
 思わずそう叫びだしそうになるワルドだったが、幼い少女から見れば20過ぎは十分にオジサンか、と思い直して気を取り直す。
 手の付けられていないらしい木杯のワインに口につけて、気を落ち着かせた
 エルザの言葉に促されたシャルロットが、言葉を止められて出来た時間を使って肉の欠片を口に放り込み、咀嚼しながら紹介の続きを行う。
 行儀が悪い。とは誰も言わなかった。地下水以外、皆行儀が悪いからだ。
「トリステイン魔法衛士隊のグリフォン隊隊長。そして多分、ロリコン」
「ブフォッ!?」
 自分と対して変わらない貧相な体つきのルイズを思い出しつつ、シャルロットはまったく悪気無く紹介を果たした。
 肝の据わった少女は、一人ではなかったようだ。
 予想外の方向から訪れた攻撃を受けてワインを気管に入れてしまい、咽るワルド。しかし、追撃の手は緩まなかった。
「ペドフィリア?」
「かもしれない」
「変態ね」
「そう。変態」
 などというエルザとシャルロットのやり取りに、大きく咳をして喉の詰まりを取り除いたワルドは、声を大きくして勝手に広められそうな疑惑を否定した。
「僕はロリコンでもペドフィリアでもない!立派に成熟した女性が好きだ!」
 公共の場での女好き宣言に思わずエルザやシャルロットだけでなく、ホル・ホースや地下水も身を引く。
 だが、その言葉にもっと強烈に反応した人物が居た。
 あらら、という呟きを店の奥で溢すキュルケの横、朝食を取ろうと階段を下りてきていたルイズだ。
 自分の身体を見下ろして、そこに広がる大平原に身体を小刻みに震わせ、ポロリと涙を溢す。
 誰がどう見ても、その身体は成熟した女性とは言い難い。道行く人を無作為に選んで聞いて回れば、十人中十人が幼女体型と答えるだろう。本当に成熟した女性なんかは哀れみの目を向けてくるかもしれない。
 昨晩のプロポーズの言葉は嘘だったのか。急がない、自分の気持ちが動いてくれるのを待ち続ける。そう言ったのはその場の勢いだったのか。
 あの時に感じた恥じらいや嬉しさ、戸惑いといった感情が反転して、一気に裏切られた気持ちがルイズの胸いっぱいに広がる。
「ワルド様の嘘吐き!!」
 階段を駆け上がり、自分の部屋へと戻っていくルイズの背中に手を伸ばして、ワルドは全身をプルプルと震わせた。
 イロイロと積み重ねたものが一瞬にして粉々になっていく音が聞こえた気がして、その場に蹲る。人生設計に大きなヒビが入ったらしい。
「あ、へこんでる。凄いへこんでるよ、お兄ちゃん」
「そっとしとけ。女に振られた男はいつだって惨めなもんさ」
 生暖かい目を向けるホル・ホースと興味深く見詰めるエルザとシャルロットの視線を一身に浴びながら、ワルドは唐突に立ち上がる。
 何かが吹っ切れた顔をしている。悟りの境地にでも達したような、感情の無い目だ。
 いや、瞳の奥には確かな怒りの炎が渦巻いていた。表現できないほどの怒りが、まるで無表情であるかのように見せているのだ。
 すっと振り返り、ワルドは食事を再開して頬を膨らませたタバサに向かって、腰に下げているレイピアを模した杖を握り、その先を突きつけた。
「決闘だ。人をロリコンだのペドフィリアだの。侮辱にも程がある。女性に杖を向けるのは趣味ではないが、名誉を傷つけられて泣き寝入りをしては、魔法衛士隊隊長としての面目まで潰れてしまうからね。法を考えれば許される行為ではないが、今回ばかりは王女殿下もお許し下さるだろう」
 そう言って、ワルドはちらりとエルザにも視線を送る。
「後で、君にもしっかりとお仕置きをさせてもらうよ。教育というのは、幼い内に徹底しておくべきだ。君もそう思うだろう、ミス・タバサ」
 眼前にある杖の先端に目を向けて、食事の手を休めたシャルロットが無言で頷いた。
 殺気のようなものが漂い始めたのを感じ取って、ホル・ホースはバスケットに入れられた硬いパンに歯を立て、ヒヒと笑う。
「シャルロットの嬢ちゃん対魔法衛士隊の隊長か。なかなか面白そうじゃねえか」
 退屈な日常に訪れる刺激に気を良くしつつ、ホル・ホースは自分の小皿から料理を掬い取って口に詰め込む。柑橘類で酸味を利かせた鶏肉の油が、程好く舌を刺激した。
「わたし、ペドのオッサンに10エキュー」
「じゃあ俺も、ペドのオッサンに5エキュー」
 エルザと地下水がそれぞれ食事を続けながらも、懐から金貨を取り出してテーブルに乗せた。決闘をだしに賭けをするつもりらしい。
 完全にペド扱いされていることに青筋を浮かべているワルドを無視して、ホル・ホースも財布の中から金貨を取り出した。
「なんだ。シャルロットの嬢ちゃんには賭けねえのか」
 てっきり全員シャルロットを選ぶかと思ったホル・ホースは、15エキューをテーブルに乗せてシャルロットの勝利にベットする。
 青い髪の少女の耳がピクリと動いた。
「ちょーっと事情があるのよ」
「おうさ。本当に応援するのは姐さんのほうだけどな」
 そんなことを言って、二人は顔を向き合わせて含み笑いを溢す。
 何のことかと疑問を浮かべるホル・ホースの横で、ワルドは勝手に賭けの対象にされていることを憤りつつ、杖を腰に戻して親指で店の奥を指した。
「来たまえ。奥にちょうど良い場所がある」
 ふ、と鼻で笑い、ワルドは身を翻して店の奥へと足を向けた。
 階段の上を気にするキュルケの横を通って店を出るワルドの背中を見送り、テーブルに立てかけた杖を手にしてシャルロットが立ち上がる。
「相手はペド野郎だ。かまわねえから、思いっきりぶちのめしてやれ!」
 ヒヒ、と笑いながら向けられた拳に自分の拳を当てて、シャルロットは頷いた。
 まだ少し口の中に残っている食べ残しを飲み込んで、杖をぎゅっと握り締める。
「がんばる」
 いつになく、シャルロットには気合が入っているようだった。


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