ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

Epilogue 青い髪の少女

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匿名ユーザー

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Epilogue 青い髪の少女

 銃声が鳴った。
 後ろを振り返ったシャルロットは、青い空を見上げて心臓の音に耳を傾ける。
 何かが終わりを迎えた。そんな気がしたのだ。
 僅かに高鳴る鼓動が心地よく、大昔から感じることの出来なくなった感情が胸を満たしていくのを自覚する。
 誰かの温もりの中に抱いた、安心という感情。
 父を喪い、母が毒に心を病んでから、ずっと失くしたと思っていたそれを、今、唐突に思い出せるようになっていた。
「お嬢様、いかがなさいました」
 老人の声が、シャルロットの耳に届いた。
 懇々と眠り続ける母のベッドを挟むように椅子に腰掛けているのは、オルレアン家に長く使えてきた老執事のペルスランだ。
 アーハンブラ城から救い出されたシャルロットが目を覚ましたとき、既に母と共にトリステインのタルブ村にある“緑の苔”亭に匿われていた。
 ペルスランから事情を聞き、あの砂色の傭兵とシャルル派であるカステルモールに救われたことを知った後、女店主の勧めで村の一角に身を寄せることとなったのだ。
 今居るこの場所は、“緑の苔”亭の裏手にある小さな家の一室。以前に住んでいた者は村を離れており、使う人間が居ないためにタルブ村の村長の許しを得て、ここに滞在することとなった。
 村の人々には追われていることまでは話していないが、その辺りは“緑の苔”亭の店主が話を付けてくれることになっている。
 迷惑をかけることになるだろう。それは間違いない。だから、村が戦火に包まれそうなら、すぐに出て行くつもりでいた。
「……なんでもない」
 空から顔逸らしてペルスランと向き合うと、シャルロットは手元にある羊皮紙の文字に視線を這わせた。
 旧オルレアン公邸に置かれていた調度品を売却して出来た金額と、シャルロットを支援すると申し出たガリアの貴族達の名前が連なっている。書かれている名前は、シャルル派と呼ばれる、反ジョゼフを掲げている派閥の者が殆どだ。
 シャルロットを頭に据えて、王位の入れ替えでもするつもりなのだろう。そして、まだ若いシャルロットを影から操って利権を毟り取る。そこにあるのは、善意や愛国心などではないし、シャルロットや母を思う気持ちなんてものも存在しない。
 会って話したことも無い相手に縋りつくつもりは無いと、シャルロットは名前が書かれた羊皮紙をペルスランに返した。
「よろしいのですか?」
 羊皮紙を受け取りながら尋ねるペルスランに、小さく頷く。
 支援を受け入れないということは、自分の身は自分で守るということだ。ジョゼフの下から逃げ出した以上、容赦なく敵は攻撃を仕掛けてくるだろう。
 今までのような、陰湿なやり方ではない、直接的な方法で、だ。
 長く一所に止まることは出来なくなる。もしかすれば、他の国にも掛け合ってお尋ね者にされるかもしれない。そうなれば、人里から離れての隠匿生活が待っている。命を狙われながらの日々は、心地よいものとは程遠いことだろう。
 しかし、誰かの玩具にされるのは、もう沢山だった。
 出来ることなら、心配性の老執事に暇を出して安全な場所に逃がしてやりたいが、本人は屋敷を襲撃されたときに何も出来なかったことを嘆いて、今後は死んでもついて行くと宣言している。置いていっても勝手に追いかけてきそうなので、もう逃がすのは諦めた。
 いつまでこの村に居られるかも分からないが、旅立つ準備は進めておいていいだろう。
 幸いにして、お金には困っていない。
 東花壇騎士達が集めてくれた旧オルレアン公邸の調度品を売り払ったお金は、相当なものだ。生きていくのには十分過ぎる。それに、部屋の片隅に置かれた簡素な鞄の中には、一万エキュー近い金貨が納まっている。
 ホル・ホースに渡した、ジョゼフ暗殺の依頼料。それが、ここにあった。
 東花壇騎士の一人が、ホル・ホースから受け取ったらしい。中身が少し減っていたことを考えると、単純に付き返されたわけでもないようだ。意図までは、推測しきれない。
 今頃、どうしているのだろうか。
 あの騒がしい人たちは、アーハンブラ城を無事に逃げ出せたのだろうか。帰ってこない自分の使い魔のことを思うと、少し不安になる。
 自分と母を助けてくれた礼もまだ言っていない。
 もう一度会いたい。会って、話がしたい。
 想いを募らせて、もう一度青い空を見上げようと振り返る。
 輝く太陽を抱いた真っ青な空。聞こえてくる村の人々の声に、まだ、ここは平和なのだと感じさせられる。
 ガリア国内ではないため、すぐにジョゼフの追っ手が来るとは思えない。だが、迷惑をかける前に立ち去るべきだろう。この長閑な田舎町に戦火は似合わない。
 シャルロットがそう思ったとき、穏やかだった人々の声が乱れた。
 悲鳴や驚愕といった、何か恐ろしいものを見つけたときのような叫びだ。
 もうジョゼフが動いたのかと、荷物を纏め始めるペルスランを背後に窓際に駆け寄る。
 翼が空気を叩く音。強い風が土埃を巻き上げ、視界を覆う。
 その先に、青い空に溶け込むような鮮やかな青い鱗が見えたとき、シャルロットは息を呑んだ。
 高い鳴き声の後に聞こえる、数日振りの声。
「お姉さま、ただいま!」
 村人達の驚きの声を受けながら、シルフィードが陽気に挨拶をした。
 人か感じる不安など気にする様子も無い、いつもの元気な口調が、今は嬉しい。
 窓枠を乗り越えて、その大きな身体にシャルロットは駆け駆け寄った。
「お帰りなさい」
 自然に顔が綻んで、顔を寄せるシルフィードの鼻先をそっと撫でる。
 シルフィードが無事に帰ってきたということは、ホル・ホースも、エルザも、みんな無事ということだろう。
 もしかしたら、その背に乗っているのかもしれないと、視線を上に向ける。
 太陽を背にした小さな身体が、ぴょんと飛び上がった。
 自分の身体にぶつかる様に飛び込んでくる白いドレス姿の少女を抱き止める。あまり長くない金髪と悪戯が好きそうな顔は、見覚えがあった。
「やっほー、おねえちゃん。元気だった?寂しかった?夜、枕を濡らしてたりしない?だめよー、年頃のレディが一人で盛んになってちゃ」
 びっくりするほど軽いエルザの身体を抱いて、シャルロットはその頬を抓る。
「……下品」
「痛い痛い痛い、ごめんなひゃーい」
 つい最近まで近くで見ていたはずなのに、酷く懐かしく感じるやり取りに嬉しくなる。
 涙目で抓られて赤くなった頬を撫でる幼女を尻目に、シャルロットの視線はシルフィードの背中に向けられた。
 6メートルの巨体には、他に誰かが隠れている様子は無い。
 エルザと常に一緒に居た、あの砂色の傭兵はどこへ行ったのだろうか。
 腕の中にいるエルザに質問しようとしたシャルロットは、そこにおかしな点を見つけてエルザの身体から腕を放した。
 真っ白なドレスと白い肌が日光に晒されている。金髪がキラキラと風に揺れるたびに輝いているが、それは正常な姿ではない。
 吸血鬼であるエルザが日光の下にいる。それは、異常なことだった。
「あなた……偽者?」
 部屋の中に杖を取りに行かなければ。
 警戒心を強めて後ずさるシャルロットに、エルザは笑みを向けたままコクリと頷いた。
「うん、わたしは偽者よ。本物だったら、こんなふうにお日様の下になんていられないものね」
 その場でクルリと回転して、白いドレスを翻す。
 まったく同じ存在を作り出す魔法人形に心当たりのあったシャルロットは、飛び出すようにして部屋の窓枠を乗り越えようとする。
 自分の友人を使うなんて卑劣な手段を使うジョゼフに、内心はらわたが煮えくり返る。
 その背中に慌てたように声がかけられた。
「あ、待って待って!敵じゃないの!前におねえちゃんに貰ったスキルニルを使ってるだけなのよ!」
 片足を上げた状態で動きを止めたシャルロットが、振り返ってエルザに目を向けた。
 苦笑いを浮かべている姿は、特に敵意があるようには見えない。
 それでも、警戒を緩めないようにと、ある程度状況を把握したペルスランから杖を受け取ってエルザの傍に戻る。
 魔法の詠唱を行うのも、忘れはしない。
 エルザはそんなシャルロットに、それでこそおねえちゃんよ、と言って、本題に移った。
「わたしが来たのは、おねえちゃんに渡すものがあるからなの。あと、言伝みたいなものかな。お兄ちゃんやわたしの本体は、今頃、砂漠越えの準備で忙しいだろうから」
 砂漠を越える?何故、そんなことをするのだろうか。
 シャルロットが疑問を挟む前に、エルザがポケットから奇妙な色の液体が入った小瓶を差し出した。
「エルフの毒。これをお兄ちゃんが、おねえちゃんに渡せってさ。学院長のオスマンに渡して解析させれば、症状を緩和する薬くらいは作れるかもしれないからだって。解毒薬が手に入ればよかったんだけど、ジョゼフはもう棄てちゃったみたいだから」
 申し訳無さそうに言うエルザに、シャルロットは震える手でその小瓶を受け取った。
 これが母の心を砕いた毒。
 腹の底から憎しみが湧き上がる。こんなちっぽけなものに、母も自分も翻弄されてきたというのか。
 地面に叩きつけて踏み潰してやりたい感情に襲われる。だが、これが母を癒す道標になるのかと思うと、感情に任せるわけにもいかない。
 これは、希望なのだ。そう自分に言い聞かせて、大切に小瓶をスカートのポケットにしまう。
 その様子に笑みを浮かべて、エルザは口を開く。
「あとね、お兄ちゃんから伝言。『ジョゼフはもう追ってこねえから、安心して寝こけてやがれ』だってさ」
 ヒヒ、という笑いまで真似るエルザに、シャルロットは身を震わせた。
「ジョゼフは、死んだの?」
 自分を追わないということは、そういうことではないのか。
 そんな問いに、エルザは首を振った。
「生きてるよ。ピンピンしてる。まあ、左耳も右耳と同じ虫食いみたいになっちゃったけどね。そのうちパレードかなにかやるときに見に行ってみたら?滑稽で笑えるかもよ」
 そう言って、エルザがもう一度、ヒヒと笑った。
 復讐は果たされていないのかと、シャルロットは肩を落とす。
 ホル・ホースは、ジョゼフの命を取らない代わりに一つの約束を交わした。
 二度とシャルロットとその母親に係わらないこと。
 そんなことをしなくとも、ジョゼフを殺してしまえばいいように思えるが、王位争いなんてものが始まっては面倒臭くなるだろうと嫌がったホル・ホースは、ジョゼフを殺すことを選ばなかった。シャルロットには王位争いをする気がないのだと、もう結論付けていたのだ。この約束には、シャルロットの依頼のキャンセル料も含まれている。
 とはいえ、ジョゼフが必ずしも約束を守るとは限らない。もしかしたら、シャルロットにまた危害を加えに来る可能性もある。
 だが、その時はまた宮殿に乗り込み、ホル・ホースは今度こそジョゼフの頭を吹き飛ばすだろう。一度出来たことを、もう一度行うだけの話だ。
「困ったことがあったら遠慮なく来い。報酬付きでなら大抵のことはやってやるぜ」
 エルザが言葉を止めて、寂しそうに微笑んだ。
「以上、伝言終了」
 これで終わりだと言うエルザに、シャルロットも寂しそうに微笑んだ。
 逃げ隠れをする必要は、もう無い。だが、ホル・ホースが去ったということは、ジョゼフへの復讐の機会が遠退くということだ。
 しかし、シャルロットはそれでも構わないと思った。
 母の治療を先にしよう。それからでも、遅くは無い。
 全てが振り出しに戻っただけだが、気持ちだけは前に進んだ気がする。
 もっと、もっと強くなるのだ。あのエルフに負けないくらい。ホル・ホースに頼らなくても目的を果たせるくらい。強く。
「ゴメンね。何も言わずに勝手に行っちゃって」
「いい。元々、わたしは貴方達の仲間というわけではないから」
 嘘が、自然と口から出る。
 出来ることなら、傍にいて欲しいと思っている。一緒に行きたいと思っている。あの騒がしい中にいる間だけは、自分はただの少女で居られる。子供の頃のように無邪気でいられる。自分の居場所が、あそこにはある。
 でも、それは我が侭だ。
 ホル・ホースにはホル・ホースの行動理由があるし、自分には母のことがある。
 一緒に居れば、何かを犠牲にしなければならなくなる。
 覚悟を決めているかのように、しっかりとエルザを見るシャルロットの瞳から力強さを感じたエルザは、肩を竦めて首を振った。
「そう。ならいいわ。ライバルは少ないほうがいいしね」
 小さくエルザが笑う。
 何のライバルなのか。なんてことを聞く必要は無いだろう。エルザの気持ちは随分前からホル・ホースに向いている。そのことを考えれば、言葉の意味からシャルロットを恋の好敵手として見ていたことも窺い知れる。
 しかし、それは勘違いというものだ。
 シャルロットは、一度としてホル・ホースをそんな目で見たことはない。彼を慕っているのは確かだが、それは兄や友人としてだ。恋心には結びつかないと断言できる。
 勘違いを正そうかと思って口を開いたシャルロットは、声を発する前に、幼い吸血鬼の小さな変化に気が付いた。
「髪、少し伸びた?」
 始めて会った時は、女の子にしては随分と短い髪をしていた。だが、目の前の、本物をそっくり写し取ったスキルニルの髪は、もうすぐ肩口に届こうとしている。
 そのことに気付いてもらえたのが嬉しいのか、エルザは恥ずかしそうに笑って自分の髪を指でクルクルと巻いた。
「うん。お兄ちゃん、長い髪が好きみたいだから。ちょっと伸ばそうかなって」
 サビエラ村で見た何かに怯える吸血鬼の姿は、そこには無い。幸せそうに微笑む少女が居るだけだ。
 その事に、当時は退治する事しか頭に無かった自分が恥ずかしくなる。いや、あの男の行動や価値観が異質だったから、たまたまエルザを救えただけの話だ。吸血鬼という存在が人間の敵で、退治すべき敵であることが変わったわけではない。
 なんとなく、エルザの頭を撫でて、シャルロットはその身体を抱き寄せた。
 偽者であったことに対する警戒など、とうの昔に消えている。
 何も言わずに受け入れるエルザから感じる柔らかい感触と暖かさが、言いようもない程愛おしくなった。
 ずっとこの感触を感じていたい。そう思っても、時間はそれを許さない。
「そろそろお別れみたい。スキルニルの魔力が尽きちゃう」
 その言葉に寂しさが強くなって、強くエルザの身体を抱きしめた。
 風が吹く。
 村人達がまた、声を大きくして悲鳴を上げている。
 こんなとき、敵がまた来たのだろうか。
 視線を向けると、すぐに緊張も解かれた。現れたのは、シルフィードよりも少し身体の大きい風竜に乗ったカステルモールだったのだ。
「シャルロット様!このカステルモール。王の怒りを買って国外追放の処断を受け、行き場を失いました。故に、貴女様と貴女様の母君の身を守るため、この地に滞在したく思います!お許しを!」
 ゆっくりとシルフィードに並ぶように竜を着地させたカステルモールが、竜の背を下りて近づいてくる。
 騎士としての制服やメイジを示すマントはない。地味で目立たない、平民向けの服を身につけていた。田舎町に溶け込むための準備は出来ているらしい。ここで断っても、ペルスランと同じように、勝手に居座りそうだった。
 これで竜が目立ち過ぎていなければ、素直に受け入れられるのに。
 笑いそうになるのを堪えて、思う。
 ペルスランといい、このカステルモールといい。父は相当に慕われていたのだろう。偉大な父だからこそ、偉大すぎたからこそ、あのジョゼフを敵に回すことになったのは皮肉なことだ。
 返事を待つカステルモールに頷いて返すと、腕の中で小さな声が響いた。
「バイバイ、おねえちゃん」
 気を逸らした間に時間を迎えてしまったエルザが、腕の中で元の人形の姿に変わる。
 柔らかさも、暖かさも失われたちっぽけな魔法人形からは、先程までの愛しい気持ちなど湧いてこない。それでも、ずっと、もっと強くなった寂しいという気持ちに負けて、もう少女の姿すら保っていない人形を抱き締める。
 父のような、永遠の別れではない。そう考えれば、この別れは一時的なものだ。寂しがる必要なんてないのだろう。
 いつかまた再会できる日が来る。そのときは、自分の気持ちを正直に伝えて、また、楽しい日々を過ごしたい。
 変な笑い方をする兄と、髪の伸びたませた妹。そして、毒から立ち直った母を囲んだ未来がいつかやってくる。そんな気がして、シャルロットの心は温かくなる。
 シルフィードとカステルモール、ペルスラン、そして、いつの間にか起きてこちらを静かに見詰める母を目に入れて、シャルロットは自分の短い前髪を弄くった。

 少しだけ、昔のように髪を伸ばしてみようか。

 いつか再び会う砂色の傭兵の驚く姿を夢見て、青い髪の少女は楽しそうに笑った。


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