ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

8 銃は杖よりも強し

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8 銃は杖よりも強し
 ガリアの人口はおよそ千五百万。それはハルケギニアにおいて最大の国であることを示しており、魔法先進国であるガリアの首都リュティスもまた、世界最大である。
 リュティスは大洋に流れるシレ川に沿うように旧市街と呼ばれる大きな中州を挟んで発展しているが、政治の中心はそこから少し外れて、川からやや左寄り、町外れともいえる位置にあるヴェルサルテイル宮殿にあった。
 宮殿というより、複雑な庭園ともいえるこのヴェルサルテイル宮殿は、今もなお、建築家や園芸家の手によって拡大を続けている。
 その中で最も大きな建物。王族の象徴でもある青い髪にちなんで、青いレンガで組まれたグラン・トロワ宮殿の一室。そこに、ガリアの頂点に立つ男が退屈そうにチェスの盤面を見詰めていた。
 数日前からそのままになっているそれは、黒のナイトとクイーンを除けば、全てが白の駒で埋め尽くされている。
 黒の陣にキングは無い。駒の殲滅を持って勝利と成すのが、ジョゼフがつい先日思いついた新しいルールである。ただし、白だけは、キングを取られた時点で敗北となる。
 しかし、勝ちは見えていた。駒の数は圧倒的に白が多く、黒の駒がどのように動いても勝利は変わらない。
 故に、ジョセフはどのように止めを刺そうかと悩み続けていた。
 クイーンを殺してからナイトを殺すか、ナイトを殺してからクイーンを殺すか。
 たったそれだけで、数日が過ぎている。
 暗い部屋の中で一人、腕を組むジョゼフがあまり長くない顎鬚を撫でた。
 そろそろ、たった二つしかない選択の局面に終止符を打つ時期だ。こうして考え続けるのにも、いささか飽きてきた。
 二つの駒に重なる人物を思い描いて、ジョゼフは小さく呟く。
「さて……」
 サイコロの目で決めてもよいとは思うが、それも風情に欠ける気がした。せめて、最後は自分の手と頭で用意してやりたい。
 少しの間を置いてやっと考えが纏まったのか、その手がチェスボードに伸びる。
 触れたのはポーンだった。
 兵士を意味するその駒を持ち上げて、一つ前に進める。
「チェック」
 誰も聞くことの無い言葉が響く。
 兵士の駒が置かれた位置は、クイーンの斜め前。ポーンは斜め前の駒を取ることが出来るため、次の行動の時にはクイーンの駒を奪うことが出来るだろう。クイーンに動ける場所は無い。自分の首を狙う兵士を撃退しても、そこは死地だ。移動した先で別の駒に首を取られることになる。
 唯一、微かに希望を残したナイトが幾つかのマスを飛ばして移動する。奇妙な動きをするそれが、後一歩でキングの喉下に迫ろうとしていた。
 しかし、それがキングに届く前に、クイーンは倒れるだろう。そして、後一歩及ばずにナイトも野垂れ死にする。
 考えるまでも無く見えてくる結末だ。初めからチェックメイトが成されたゲームに、可能性など無い。
 退屈そうに溜息をついて、ジョゼフは椅子にどっしりと座り込んだ。
「つまらぬ」
 たった二択しかないゲームを面白いと感じられるほど、ジョゼフも酔狂ではない。考えている間こそ有意義に思えたが、それも過ぎてしまえば今更だ。
 クイーンを先に取ることを決めてしまった今、興味は完全に失われていた。
 少し早まったかもしれぬ。
 胸に去来する虚しさに、ジョゼフは最愛の弟の妻とその娘のことを思う。
 復讐に身を焦がす姪が駒を手に入れてチェス盤を囲んだのをいいことに、その場の気分で事を進めてしまった。絶望の淵に堕ち行く姪の姿は興に入るには十分ではあったが、それ以上でもそれ以下でもない。
 もっと希望に満ちた状況を作り出し、あの娘が笑顔をみせるようになってから、と考えていたのだが。あの砂色の暗殺者が動き出すのは止めたかった。
 かつて感じた右耳の痛みが、恐怖を煽っているのか。
 死など恐ろしくはないと思っていたが、存外、自分という存在は臆病らしい。
 しかし、それは自分が求める感情ではない。肉体の痛みから来る恐怖ではなく、心が打ち震える感動こそが、あの日から常に求め続けてきたものなのだ。
 シャルルを失った時を境に得られることの無くなった、心の痛み。それが、この身を焦がす日は訪れるのだろうか。
 カーテンの引かれた暗い部屋に射し込む、絹糸のような光の筋。その線を追って、視線が窓の向こうに引き寄せられた。
 大きな影が通り過ぎて射し込む光がちらついた。一つや二つではない、五十を超える竜騎兵の大部隊だ。それが、窓の向こうを横切っていた。
 ゆっくりと椅子から立ち上がり、ジョゼフはカーテンを開く。
 暗い部屋に慣れた目に走る痛みに瞼が重くなる。それに耐えて、真っ青な空を眺めた。
 ガリアが誇る竜騎兵たちが、空を覆わんばかりに広がっている。太陽の光を遮って生まれた影が、暗雲のように繋がって威容を示していた。
 ヴェルサルテイル宮殿の周辺に常駐する全ての竜騎兵がそこに集まっている。その数はゆうに300を超え、一軍と言い表しても差し支えは無い。
 武装した竜騎兵が殺気を漂わせ、今にも戦争を起こそうとしているかのようにも見える。
 しかし、対する敵軍の姿などどこにも無かった。
 騎士達の顔が向けられた先には、太陽だけが、いや、太陽を背にした青い鱗の竜が飛んでいるだけだ。
 それに乗っている人物の薄っぺらい笑みを脳裏に思い描いて、ジョゼフは少しだけ退屈が紛れるだろうと予測した。
 チェスの盤面をチラリと見る。
 どうやら、自分の予想の通りとは行かないようだ。ナイトは思いの他、早く自分の下に辿り着いた。クイーンを追っている駒は間に合わないだろう。
 しかし、迎え撃つ準備は万全。予定の順番が少々入れ替わった程度の差でしかない。
 包囲された青い竜とその騎手がどのように舞うのか、それだけが今の楽しみだ。
「さあ、踊れ。暗殺者よ。余の耳を削った罪は重いぞ」
 一部が欠けた右の耳に指を這わせて、ジョゼフは高らかに笑った。

「きゅいきゅい!なんだかいっぱい出てきたのね!危ないのね!絶体絶命なのね!」
 眼下を埋め尽くすように集まった竜騎兵達と向けられる杖を見て、シルフィードが悲鳴を上げた。ギラギラとした視線には強い殺気が篭められ、今にも竦みあがってしまいそうになる。
 圧倒的多数である彼らは、全てが敵だ。一人とて味方は居ない。戦いが始まれば、一分と経たずに殺されてしまうだろう。
 完全に包囲されて後退することもままならない状況でありながら、青い鱗の上で仁王立ちするホル・ホースの口元には、普段と変わらない笑みが浮かんでいた。
 無数の竜騎兵たちを眺め、ヒヒと笑っている。
「おーおー、奴さん、やる気らしいなあ」
「元気があるのはいいことよね」
 ホル・ホースとエルザの呑気な口調にシルフィードが抗議するように鳴き声を上げた。
 どうしてそんな気楽でいられるのか、理解できない。
 傍らに控えている金髪のエルフ、地下水に操られたビダーシャルの口からも、この状況に対する不安や困惑といった感情が漏れている。
「どうするんだ、旦那。このエルフの魔力は馬鹿みたいにでかいが、幾らなんでもこの数を相手にするには分が悪いぞ」
 地下水に身体を奪われた時点で、既にビダーシャルの身体からは精霊の守りは失われていた。先住魔法の仕組みなどさっぱり分からない地下水に、精霊の守りを得る手段はない。
 無敵とも思えたビダーシャルの力は、今は地下水という媒体を通してしか発揮することが出来ないために、その真価が発揮されることはないだろう。意識化に置かれてなお、ビダーシャルはホル・ホース達に協力する様子を見せていないのだ。
 敗北したからといって隷従する理由は無い。そう言いたいのかもしれない。
「安心しろよ。今回ばかりは負ける気がしねえ」
 胸を張って自信を見せるホル・ホースをエルザが布に包まれた手を叩いて囃し立てるが、シルフィードは首を動かして不審な視線を向けていた。
 信用していないらしい。
「大丈夫なのね?本当に、痛くしない?シルフィ、ちょっと不安なのね」
 ヴェルサルテイル宮殿にいるジョゼフに主人の安全の保証を取り付けなければならないとは分かっていても、自分より一回り大きい竜たちに囲まれてはしり込みしてしまう。
 この包囲を破り、ジョゼフの下にホル・ホースを送り届ける。その役割は自分には荷が重いとしか思えなかった。
 しかし、信頼されているのか、ただ能天気なだけなのか。ホル・ホースは緊張に身を硬くするシルフィードにすら不安を抱いた様子は無い。
「テメエは宮殿から離れすぎないように、適当に逃げ回ってりゃいい。チョロチョロと飛びまわる蝿はオレが叩き落としてやるからよ」
 そう言って、ホル・ホースは右手を太陽に向けた。
 拳に奇妙な形の銃が握られて、日の光に金属の光沢を返した。
 皇帝の名を冠した、精神の具現。今のホル・ホースの気分を映しているのか、普段よりも力強く見える。
 それを見ることの出来ない地下水やシルフィードは首を傾げ、同じように見えていないエルザは特に気にする様子も無く応援などしている。
 ホル・ホースの自信がいったいどこから来るのか。地上が竜騎士達の姿で覆い隠された光景には絶望しかないように思える。なのに、この男にだけは、それが餌を運ぶ蟻の群れにでも見えているかのようだった。
「んんー、いい天気だ。まるで、オレの勝利を女神が称えているかのようだぜ。最高にハイってヤツだ!」
 両手を広げて高らかに叫ぶホル・ホースに、地下水とシルフィードが哀れみの眼差しを向けた。
「ヤバイぞ。旦那がおかしくなってる」
「やっぱり逃げるのね。そこらの風竜が昇れないくらい高いところへ行けば、なんとか逃げ切れるのね」
 笑うホル・ホースの足元で、シルフィードと地下水が顔を寄せ合って密談を交わす。
 下に目を向ければ、ゆっくりと旋回しながらこちらの様子を窺っている竜騎士達の姿が見える。少しでも動けば、相手も行動を開始するだろう。
 シルフィードが言うような高度まで辿り着く前に、果たして生き延びられるのか。
 不安は多々あるが、頭のおかしくなった人間に付き合っても居られない。僅かな希望に縋ってでも生き延びられる選択をするべきだ。
 ジョゼフが必ずしもシャルロットを追うとは限らないのだし。それに、いざとなれば逃げて逃げて逃げまくればいい。命を投げ出すよりはいくらかマシだろう。
 こくり、と頷き合い、逃げに入ろうとする二人をエルザが見咎めた。
「何の相談よ」
 身体をびくりと震わせたシルフィードと地下水が慌てて弁明のために口を開こうとすると、それを待っていたかのように炎や氷、風が襲い掛かって来た。
 僅かな動きの変化に、敵が反応したようだ。竜騎兵たちが勢いを増して近づいてくるのが見える。
 行動が遅れた以上、もう逃げる暇は無い。
 自信満々な頭がおかしくなったリーダーを視界に入れて、縋り付くように地下水は問い質した。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
 その言葉に、ホル・ホースはヒヒと笑って帽子の位置を直す。
「ああ、モチロンだぜ。死にたくなけりゃ、頭を下げて引っ込んでな。スタンド使いの恐ろしさってやつを見せてやるからよ」
 敵の竜騎兵の攻撃を回避するために速度を上げたシルフィードの上で、雄叫びを上げる。
 群れを成して襲い来る竜騎兵たちを後方に、ホル・ホースは右手を掲げた。
「行くぞオラッ!しっかり逃げ回れよ、シルフィード!!」
「分かってるのね!シルフィだって、まだ死にたくないんだから!」
 怒鳴りつけるようなホル・ホースの言葉に、シルフィードも声を大きくして返す。
 身体の近くを竜騎兵たちが放つ魔法や竜自体が吐く炎が通り過ぎる度、地下水は悲鳴を上げた。隣に居るエルザの堂々とした態度が対照的だ。この差はいったいなんのか、なんて考えている暇も無い。
 雨のように降り注ぐ魔法の弾幕に視線を這わせて、ビクビクと身体を震わせて呟くように泣き言を洩らす。
「ああもう、どうでもいいから、さっさと終わってくれよお」
 炎に炙られ、氷に冷やされ、風に打ち付けられる。そんな未来を予感して、地下水は弱気になり続けていた。

 青い竜を追って無数の竜騎兵が空を飛びまわり、各々に魔法を放つ。
 敵がたった1頭の竜に跨った傭兵でなければ、戦場と呼び変えてもいいだろう光景。炎が作り出す赤や、氷が生み出す青、大気を歪める風、放たれる土、それらが花火のように空を彩っている。
 遠目にはパレードの始まりを祝う祝砲にでも見えるかもしれない。アクロバット飛行をする多くの竜騎兵と赤と青の光が散る光景は、派手やかな賑わいを感じさせる。
 進行方向を急転させながら逃げ回る青い竜の姿をもっと近くで見ようと、屋上に上ったガリアの王は愉快そうに笑い声を上げていた。
「いいぞ!素晴らしい!!余の騎士団が、たった一匹の竜を相手に右往左往している!ははは、なんという有様だ!たかが竜一匹に醜態を晒しおって!」
 責める様な言葉が混ぜられても、そこに本気で騎士達を叱り付ける様な感情は篭められてはいない。むしろ、褒めているかのようだった。
 実際、竜騎兵たちの動きは見事なものだ。
 列を乱さないことで、空中衝突を可能な限り避けている。時に即席で分隊を作り出しては青い竜を挟撃し、それをかわされた後は速やかに列が元の形に戻っている。
 まるで巨大な生き物のようだった。数え切れないほど繰り返された訓練が、数百の竜騎兵たちの動きを一つの大きな生き物に変えているのだ。
 だというのに、青い竜が落とされる気配は無い。
 竜騎兵の黒い影がヘビがのたうつ様に空で蠢き、シルフィードを絡め獲ろうとその身体を捻っている。大きく開かれた顎が青い影を飲み込もうとするたび、何かがその牙を圧し折っていた。
 一つ、また一つ。
 屋上を掠めるように墜ちて行く騎兵の姿に、ジョゼフは両腕を広げた。
「おお、なんということか。竜一匹捕らえられぬどころか、余の竜騎兵たちは次々と討ち取られているではないか!」
 牙が折られる度に、人が1人落ちてくる。
 竜騎兵たちによって形作られた巨大なヘビが、少しずつ、ほんの少しずつ身体を小さくしている。目に見えない速度だ。良く見ていなければ、気が付くことも無いだろう。
 ジョゼフの足元、眼下に広がるリュティスの町並みの中でも、無数の竜騎兵が1頭に翻弄されている姿を見詰める人々の姿がある。その目には嘲笑や哀れみといった、無謀な挑戦者に向けられる冷たい色が宿っていた。
 王の評判は良くない。それはリュティスに生きる全ての人々が理解している。弟シャルルこそがガリアの王に相応しいと思う人間の数は、少なくは無いのだ。それを理由に王に牙を向く者もまた、確実に存在している。
 だが、王に辿り着いたものはいない。
 たとえジョゼフが王に相応しくなくとも、既に戴冠の儀式は成された。正式な儀式の下に王となったジョゼフを否定するということは、ガリアの王権そのものを否定することになる。
 故に、貴族達は王に忠誠を誓い、騎士達は杖を捧げる。
 王が王である限り、ガリアがハルケギニア最強である限り、ジョゼフが倒れることは無いのだ。
 しかし、青い竜は落ちない。
 炎が、水が、風が、土が、その存在を否定しようと飛び交っても、青い竜は王の姿を現すような黒いヘビを嘲笑うようにリュティスの空を悠然と飛び続けている。
 いかなる奇跡か。人々が顔に驚愕の色を浮かべ、その姿に畏怖と敬意を抱き始める。
 時折低空を飛んで無傷の青い鱗を人々の目に晒すと、あちこちで歓声が上がるほどだ。
 才能ある弟を嫉妬して暗殺した愚かな王。無能でありながらハルケギニアに君臨する大国ガリアの王位に居座る簒奪者。そんな考えが、人々の心根にあったのだろう。
 それが今、はっきりと表に姿を見せていた。
 ヴェルサルテイル宮殿の上空を横切った青い竜の背後を追っていた竜騎兵が、突然何かに弾かれて乗っていた竜から転がり落ちる。
 既に数十もの竜騎兵たちを葬り去った謎の力にやられたのだろう。風の魔法のようにも思えるが、魔力の動きに敏感に反応できる騎士達がこれほどあっさり打ち負かされるというのは、普通に考えればありえないことだ。
 鎧に包まれた身体がジョゼフの居る屋上に墜落し、弾ける様に赤い花を咲かせた。
 もはや、生きては居ないだろう。
 好奇心でその姿を覗き込んだジョゼフは、死体の額に不自然に開いた穴に目を向けた。
 欠けた左耳の傷跡に良く似た、丸い穴。原形を殆ど止めていない死体にあるそれが、騎士を殺したのだと、すぐにジョゼフは理解した。
「これは……銃か?」
 いつか見た、新しい平民の武器を思い出して呟く。
 自分の耳では理解できなかったが、こうしてはっきりと傷跡を見ることが出来れば、その正体に辿り着くことが出来た。
 しかし、銃など魔法に比べれば脆弱な武器に過ぎない。5メイルも離れれば的にすら当たらなくなり、その威力は薄い鎧を貫けるかどうかといった程度だ。それに、使えても一発限り。もう一度使いたければ、火薬と弾を詰め直さなければならない。
 竜と竜との戦いにおいて、5メイルなど目と鼻の先。そんなにも近づくことなどありえない。最低でも30メイルから50メイルは離れて戦うのが常識だ。確実な命中を狙うには20メイルが理想といわれているが、そこまで近づくのは愚か者のすることだろう。例えそれを実行したとしても、銃の射程の範囲には入らない。
 だが、もしも、それほどの距離を届かせる銃があったなら。もしも、正確な狙いを付けられる銃があったなら。それが、何度も使用できるものだったなら。
 この状況は、理解できるものなのかもしれない。
 絶対にありえないと思える強力な銃を、空を舞う青い竜の乗り手に重ねる。
 ヘビの牙がまた一つ折られ、騎士が落下した。
「……なるほど」
 ジョゼフは思わず呟いた。
 青い竜から一定の距離。その範囲に入った竜騎兵が悉く落とされている。その範囲こそが、あの砂色の傭兵が誇る射程なのだろう。
 およそ100メイル。
 徹底的に逃げ回る竜を相手に魔法を当てるには、少々難しい距離だ。あの竜の動きはそれを計算に入れてのことだろう。竜騎兵と戦い慣れているようにも見える。
 魔法を当てれない距離から一方的に攻撃する手段。それが傭兵の力なのだとしたら、メイジには成す術も無い。まさに、メイジ殺しの名が相応しい存在だ。
 笑いが込み上げてくる。
「く、ははははは。余は、あの暗殺者を過小評価していたようだ」
 未知の力を持っていることは分かっていた。だが、まさかこれほどとは。
 視界の端で、また竜騎兵が撃ち落された。宮殿を汚す死体の数が、そろそろ百を超えようとしている。
 これ以上やっても、被害が増えるだけだろう。そうなれば、ジョゼフ自身の権威も失墜する恐れがある。元々信頼できる部下などいないが、反乱の芽を育てる必要も無い。
 人をやって竜騎兵たちを引き上げさせようと踵を返したジョゼフは、正面から突っ込んでくる青い影に気が付いた。
 シルフィードが竜騎兵たちを引き連れて近づいて来ている。
 青い鱗の上には人影が三つ。背後に右手を向けているホル・ホースと幼い少女の顔が覗く布の塊。そして、ジョゼフの部下となったはずのビダーシャルだ。
「……生きていたのか」
 姪を守りきれずに死んだと思っていたエルフに対する呟きが、屋上を掠めるように飛び去ったシルフィードの生み出す風によって掻き消された。
 全身を叩きつけるように襲い来る風に飛ばされまいと、ジョゼフは身体を屈める。続いて、シルフィードを追う数百の竜騎兵たちが屋上の傍を通り過ぎていった。
 竜巻に呑まれたのではないかと思うほどの風に叩きつけられて、ジョゼフが屋上を無様に転がった。足元の死体から垂れ流される血に衣服が汚れ、全身が赤く染まる。
 騎兵をやられて制御を失った竜が他の竜騎兵を巻き込んで屋上の壁に衝突した。幾つものレンガが破壊されて宙を舞い、その一つが死体に折り重なるように倒れるジョゼフの額を打ち付けた。
 意識が僅かに飛ぶ。
 眼前が黒く染まったことに気が付いて慌てて目を開いたとき、ジョゼフは目の前に差し出された手に気が付いた。
 誰かが屋上にいる自分の姿に気が付いて、こんなところまで来ていたのだろうか。
 額の痛みと揺れる頭を手で支え、差し伸べられた手を払おうとする。だが、手はそれを避けてジョゼフの額に突きつけられていた。
 ごり。と、音を立てて、硬い何かが前髪の生え際の辺りに押し付けられている。
 ジョゼフの背筋に、冷たい何かが走り抜けた。
「チェックメイトだぜ、ジョゼフのオッサン」
 軽薄な口調の声に、下を向いていた目をゆっくりと上に動かす。
 見慣れない革靴。砂色のズボン。奇妙なデザインの服の上に乗る、薄っぺらい笑み。
 擦れ違いの一瞬で屋上に飛び移ったホル・ホースが、何かを握っている右手を自分の頭に伸ばしていた。
 騎士の頭を撃ち貫いた何かが、その手に握られているはずだ。この距離では、それを避ける時間も無ければ、杖を握る暇さえないだろう。
 太陽を背にするホル・ホースの背後で、まだ青い竜を竜騎兵たちが追っている姿が微かに見える。こちらに気が付いた様子は無い。ある程度の距離に入れば殺されると分かったのか、竜騎兵たちの動きは目に見えて鈍くなっていた。
 ヒヒと引き攣った笑い方をするホル・ホースに合わせて、ジョゼフも笑いを洩らした。 助けは無く、自分も抵抗手段は無い。
 あっけなさ過ぎる幕引きだ。自身の終わりはもっと壮絶なものと考えていたが、暗殺者以外に誰に見取られることも無く命を散らすことになるとは、想像していなかった。
 人生とは、案外そんなものなのかもしれない。
「くくく……ははははははははっ!」
 久しく訪れることの無かった、爽快な気分になる。口を大きく開いて腹の底から笑うなど、どれだけぶりのことか。
 ホル・ホースの視線を受けながら、肩を揺らし、腹を抱えて笑い続けるジョゼフが唐突に口を閉じて空を見上げた。
 ガリアの王族の髪のように、真っ青な空。思い出の中にだけ浮かぶ、最愛の弟の髪に良く似たこの広大な空に、ジョゼフは呟いた。
「待たせたな、シャルル。今、余もそこへ行くぞ」


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