ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

7 夜を行く者達 後編

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匿名ユーザー

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 宴会の夜から二日が過ぎた。
 地下水の話が真実なら、城に居る兵達の疲労はもう限界を迎える頃合だ。
 無駄に時間を過ごすことを嫌って何度か地下水を城に潜入させたが、シャルロットの居場所は未だに掴めていない。軍を取りまとめるミスコール男爵がその場所を知っているそうだが、彼はエルフに強い恐怖心を抱いており、その口を割らせるのは容易くは無いようだった。
 たった一つ、救いのある情報があるとすれば、シャルロットの身が未だ無事であるかもしれないことが確認できたことだろう。
 食事係の人間の証言から、城に監禁されている人物に渡される料理に少し歯応えのあるものが混じっていることが分かった。心を狂わされた人間が食べるには、硬い食物は不向きと思える。
 それも、希望的観測と言われれば、それでお仕舞いなのだが。
「早く!早く行くのね!お姉さまを助けなきゃ!きゅい!」
 宴会の翌日は二日酔いで倒れていたシルフィードもすっかり元気になり、元の竜の姿でエルザと地下水を急かしている。
 この竜が二日間、1人で行動しなかったのは奇跡に近い。二日酔いが治る前からシャルロットを助けに行こうと騒ぐことはあっても、暴れるようなことは無かった。
 シルフィードもシャルロットを本当に助けたいからこそ、我慢するべきところを我慢しているのだろう。
 “ヨーゼフ親父の砂漠の扉”亭に二泊したエルザたちは、奇襲のために町が眠りに包まれる時間を町の外の小高い丘に隠れて待っていた。
 日は既に沈み、宿場町の明かりが一つ、また一つと消えていく。
 気のいい酒場の店主には、路銀として持ってきた金貨を全て置いてきた。匿ってくれた謝礼には十分だろう。彼自身には覚えの無い恩なのだろうが。
 退屈を紛らわせるために、エルザは星の瞬く空に視線を向ける。
 星座、というものがあるらしい。ホル・ホースの話だから、あまり当てにはならないが。
 動物や人の姿を、星と星の間を線で結んで空に絵を描くのだ。
 指を伸ばして、満天の星空をキャンバスに、エルザは強い星の輝きに指を這わせた。
 帽子、そこから垂れる紐。長い顔に割れた顎、どこか情けない目に、へらへらと笑うような口をつければ、どことなくホル・ホースの姿に見える。
 隣に、鏡で見た自分の姿を描いてみると、妙なくすぐったさを感じた。
 思わず笑いが零れたエルザを見て、シルフィードが首を傾げた。
 それになんでもないと伝えると、エルザは町の様子を確認する。
 宿場町の明かりは、もう数える程度しか灯っていない。そろそろ、頃合だろう。
 地下水を手に、シルフィードの背中に飛び乗る。
「行くの?行くのね!?よーし、シルフィ、張り切っちゃうのね!」
「よし。傭兵地下水の力を見せてやるぜ!」
 気合十分な仲間達に目を向けて、エルザは握り拳をアーハンブラの頭上に向けた。
 双子の月に白く浮かび上がる廃城の上。何も無い星空。
 先程描いた自分とホル・ホースの姿にシルフィードや地下水を入れても、何か物足りないものを感じる。やはり、シャルロットの姿が欲しいと思った。
 さあ、大切なものを取り戻しに行こう。
「おねえちゃん救出部隊。突撃ー!!」
 一匹と一本が雄たけびを上げて、翼が風を生み出した。
 シルフィードの巨体が上昇し、宙に浮かび上がると、翼の動きを絶妙に変化させて前進する。目指すは、アーハンブラ城の遥か頭上。シルフィードが敵の目から宵闇に隠れるほど高度だ。
 旋回しつつ上昇をし続けるシルフィードの背中で、エルザはアーハンブラ城の様子を確認する。
 松明や魔法の明かりがはっきりと見える。警戒は未だ厳重だが、この距離なら竜の姿を確認するのは難しいだろう。少なくとも、いきなり見つかるということは無いはずだ。
 順調に上昇し、薄い雲を突き抜けたシルフィードが身体を水平にして移動を始める。
 城が点にしか見えない。警戒のために焚かれた明かりが無ければ、町の一部としてしか認識できないくらいにちっぽけに見えた。
 十分な高さと位置を確保できたことを、空を良く知るシルフィードが鳴き声で知らせた。
「行くわよ、地下水」
 手に握るナイフがカタリと揺れた。
 シルフィードの背中を蹴って、エルザが夜の空に身を投げ出す。
 頭を下に、重力に任せて自由落下する。冷たい風が肌を打ちつけ、浮遊感による内臓への負担に歯を食い縛る。
 耳に空気を切る音が延々と続き、自分の鼓動も聞こえ無い状態が数十秒続く。一気に近づいてくる地表に、身体の向きを変えて少しだけ落下位置を調節する。
 見張りが一人だけ居るアーハンブラ城の屋上を視界に入れて、エルザは地下水に声をかけた。
「地下水!」
「まかせろ」
 地下水が魔法の詠唱を行う。
 短い呪文によってレビテーションの魔法が発動した。
 急速にエルザの落下速度が緩和され、慣性を吸収しきれずに身体に重い衝撃が走る。
 肺の空気が飛び出すのを腹に力を入れて耐え、足を下に入れ替えて着地の衝撃に備える。
 重い振動が屋上に響いた。
 魔法で相殺しきれなかった速度を全身のバネを使って耐え抜き、落下してきた子供の姿に驚いた兵士に間髪居れずに飛びかかる。
 ナイフが喉笛を切り裂き、兵士の喉から空気が漏れた。
 冷たい石の床に倒れる兵士の姿を確認して、エルザはその場に伏せて少しだけ時間が過ぎるのを待つ。
 着地の振動を聞きつけて別の兵士が現れる様子は無い。
 計画の第一段階は成功したようだった。
 息を吐いて、痺れるように痛む足を手で押さえる。
「痛いいいいい!」
 想像していた以上に着地の衝撃が強く、吸血鬼の身体でも支えきれなかったらしい。身体が軽いからと、少し無茶をし過ぎたようだ。
「悪い。ちょっと遅れたか?」
「う、ううん、予定通り。でも、痛いものは痛いの……」
 着地がゆっくりでは敵に対応する時間を与えてしまう。速度を殺しきらずに着地することは、エルザも承知済みのことだった。
 覚悟は出来ていたが、やはり痛みは実際に感じてみないと分からない。想像したよりもずっと強い痛みに、エルザはちょっと涙が出てきていた。
「ほら、ちょうど風も無いみたいだぜ。やるなら今しかねえだろ。急げ急げ!」
「わかってるわよぉ」
 急かす地下水に、涙目のエルザが痛みを我慢して立ち上がる。
 両手を広げ、祈るように目を閉じた。
 全身の魔力を走らせ、空気の中に浸透させていく。
 大気に宿る精霊を感じて、その力に自らの意思を伝える。
「眠りを導く風よ……」
 先住魔法による眠りを誘う風が生み出され、城の表面を伝わるように地表に向かって染み渡っていく。城の最上階からの眠りの魔法。エルザが持つ全ての魔力を篭めたそれこそが、圧倒的多数であるガリアの兵士達を無力化させる切り札だった。
 眼下にある中庭で待機している兵士達が1人、また1人と倒れ、異変に気付いた者達も残らず眠りについていく。
 城に居る人間を全て眠らせるなどという無茶な方法が成功する確立は低かったが、何とか成功したらしい。
 ホッと一息ついて、エルザは瞼の重みを感じた。魔力の枯渇によって身体が休眠を欲しているようだ。
 自分が眠ることも予定通り。後は、地下水がエルザの身体を使ってシャルロットの位置を探り出す。侵入を第一段階、兵士を眠らせることを第二段階とするなら、ここからが最も重要な第三段階に当たる。
「後は俺に任せて、お嬢ちゃんはゆっくり眠ってな」
 エルザの身体の主導権を手に入れた地下水が、意識を薄れさせていくエルザに告げる。 強い眠気に敗北する前に、エルザが言葉を言い残した。
「気をつけて。エルフが、いる。精霊、が、あいつの、味方を……」
 全て言い切るよりも早く、エルザの意識が閉じた。
 眠りの魔法を使用する際に、精霊の声を感じ取ったのか。先住民族にしか分からない何かで情報を手に入れたエルザの忠告に、地下水はカタカタと刀身を鳴らした。
「おい!不吉なこと言い残して寝るなよぉぉぉお!」
 これから動き出すというのに、わざわざ嫌なことを思い出させるエルザに、地下水は文句を言わずには居られなかった。

「客人のようだ」
 唐突な言葉に、シャルロットは怪訝な視線を向けた。
 母と共に監禁されたアーハンブラ城の貴人室。廃城であるにも係わらず、整理された部屋の中には豪華な調度品が無意味に飾られている。
 嫌味のつもりなのか、本気なのか。
 天蓋つきのベッドや今シャルロットの身を包んでいる上等の寝巻き、部屋に常備された紅茶の葉も並みの貴族では手に入らないような高級品ばかり。ただの眼鏡立てですら、宝石に彩られている。
 身の回りを世話する人間こそいないが、監禁というには過剰な環境だ。
 そんな場所でぼうっと自身を見つめる母に愛読の本を読んで聞かせていたところを、静かに童話の本を読んでいたビダーシャルの言葉が割って入った。
 シャルロットの視線に答えることなく、ビダーシャルが部屋の扉を開けて出て行く。無防備にすら見えるその背中は、恐らく、先住の魔法で完全に守られているのだろう。
 たとえそれが無かったとしても、杖すらない自分にはどうすることも出来ない。
 客人が誰かなんて分からないが、あと数日もすれば、あのエルフは母を狂わせたものと同じ毒を自分に飲ませるだろう。調合が終わるまでの時間が、私という人格に残された寿命なのだ。
 なんの反応も示さない母を見つめて、少しだけ微笑む。
 毒を飲んだ後の自分が、苦しいという感覚を感じるのかどうかは分からない。でも、出来ることなら、このまま終わりを迎えられればいいと思う。
 ビダーシャルが語った、ホル・ホースの判断。毒を飲む前に自分を殺そうとしたその行為に、少しだけ感謝する。でも、とても辛そうな彼の表情を思い出すと、それも申し訳なく思えた。
 彼が決断をしなかったことは、むしろ良かったのかもしれない。あの陽気な人物に悲しみを残すのは、なんだか心苦しい。
 手の中の本に目を移し、そこに走る文字を追う。
 ホル・ホースとエルザがプレゼントしてくれた、イーヴァルディの勇者の本。そこに描かれたような勇者は、結局存在しなかった。それだけが、少し悲しいが、現実とはそんなものなのだろう。
 人生とはあっけないもの。それは、父の死で既に悟ったものだ。
 何度繰り返し読んだか分からない文字の並びに、シャルロットは指を這わせた。
「母さま、今、シャルロットがご本を読んで差し上げます」
 子供の頃に夢中になって読み続けた、勧善懲悪の単純明快なストーリー。ホル・ホースたちがインクで汚すまで忘れかけていた、母の子守唄。
 今は逆の立場で、シャルロットはその物語を朗読した。
 少しずつ強くなる眠気に意識を失うまで。

 階段を下りる足音が響く。薄手の靴が乾いた音を鳴らし、細かく吐息が漏れた。
 エルザの身体を扱う地下水が、最上階から一部屋ずつ、シャルロットの姿を探して走り回っているのだ。
 おおよその位置しか掴めていない以上、虱潰しに探さざるを得ない。エルフという脅威が城の中にあるため、それも迅速な行動が求められた。
 エルフに遭遇する前にシャルロット達の居場所を見つける。それが、作戦の第三段階の要となる。
 無謀とも思えるが、それ以外に選択肢がなかったのだから仕方がない。
 だというのに、調査は一向に進まない。部屋の数が妙に多いのだ。
 エルフの建築方法がこうなのか、まだ何階も下りていないのに開けた部屋の扉は10を超えようとしている。
 城というものは存外広いものではない。石造りであるために、強度を保つにはそれなりに柱の太さや壁の厚さが求められる。そうすると、どうしても部屋の数は少なく、また狭くなるはずなのだ。
 なのに、この城ときたら、無意味に部屋数ばかりが多い。
 部屋の広さはそれほどでもない。ガリアに用意されたホル・ホースの部屋を一回り大きくした程度だ。王侯貴族が使用するには貧相ともいえる。
 エルフの文化には、必要以上の贅沢を嫌う傾向でもあるのかもしれない。お偉方にもその考えが浸透していて、結果的に部屋数ばかりが多くなった可能性もある。
 無意味な推測だが、扉の開け閉めばかりを繰り返していたら、時にはそんなことを考えたくなるのだ。
 小さな身体を一生懸命に動かして次の階に辿り着いた地下水は、また扉の開け閉めをしなければならないのかと憂鬱になる。
 しかし、そんな心配は無用だった。
「確か、あの男の……」
 広い廊下の中央に仁王立ちしたエルフが、地下水を持つエルザの姿を見て興味深そうな目を向けている。小脇に小さな本を挟み、金色の長い髪を廊下に流れる僅かな風に素直に乗せていた。
 この時点で、扉の開け閉めの中断が決定した。
 一番会いたくない相手に会ってしまった地下水は、ここで逃げるわけにも行かないだろうと、仕方なく自身の本体を構えて戦闘準備を整える。
 魔法の詠唱を行い、いつでも発動させられる状態を作り出して、相手の出方を窺う。
 多くのメイジと対峙してきた地下水だが、エルフを相手にするのは初めてのことだ。
 だが、自分よりも強いシャルロットを打ち破った相手に、自分が勝てるとは思えない。
 なんとかやり過ごす方法を考える地下水に視線を合わせたまま、ビダーシャルは手の平を向けて口を開いた。
「去れ、夜を生きる者よ。そして、剣に宿る精霊よ。我は戦いを好まぬ」
 地下水がこのまま大人しく城を出て行けば、攻撃されることはないらしい。
 いきなり襲い掛かられないことにホッとしつつ、一目で正体を看破されたことに地下水は驚きを隠せなかった。
「そうしたいのは山々なんだが、こっちにも引けない理由が……」
 地下水は、そこでふと思った。
 良く考えたら、自分にはこうして無理に戦う理由が無い。エルザやシルフィードの意見に流されて、いつの間にか戦うことになっていたが、そもそも自分はただの雇われ兵だ。
 雇い主であるシャルロットは報酬を払える状態ではないし、その辺りの交渉が出来そうなホル・ホースもこの場には居ない。口煩そうなエルザも、今は眠りの底だ。
 なんだ、戦う必要など無いではないか。
 エルフを前に張り詰めていた緊張が切れる。
「よし。交渉成立だ。俺はこのまま帰るよ」
 構えを解いて全身の力を抜いた地下水に、ビダーシャルが少し肩透かしを食らったように切れ長の目を開いた。
「良いのか?」
「ああ、良いさ。シャルロットの姐さんには少しばかり恩はあるが、それだけだ。命を張るほどじゃない。出来ることなら助けてやろうってぐらいの気持ちはあるけどな」
 肩を竦めて首を振る地下水に、ビダーシャルが目を閉じて道を譲り渡す。
 下りの階段は廊下の先にあった。
「ならば、そのまま城を抜けてゆけ。精霊が誘った眠りから兵達が目を覚ますのは、まだ先のことだろう」
 エルザが使った魔法の効果は想像以上に強力だったようだ。
 幼い身体に秘められた魔力に感心しつつ、ビダーシャルが考えを変える前にと。地下水はその横を通り過ぎた。
「それじゃ、遠慮なく帰らせてもらうぜ」
 廊下の向こうにある階段へと歩く地下水の背中を見送って、ビダーシャルは読み掛けの本を開いた。
 多種多様な物語を紡ぐイーヴァルディの勇者の本の一つだ。旧オルレアン公邸で見かけて持ってきた物である。
 エルフの伝承にも似たような存在があり、その名を聖者アヌビスという。このことをスタンド使いのガンマンが聞けば、耳を疑うだろう。
 文章は稚拙で、およそ文学とは呼べないお粗末なものだが、エルフの文献には史実や知識を淡々と綴ったものしか存在しないため、新鮮で面白味がある。
 毒の調合の合間に少しずつ読み進めているそれに目を向けて、ビダーシャルは本の上を覆い隠す影に気が付いた。
「そんなの許さないのね!」
 廊下の片側に並ぶ窓の向こうで青い鱗の竜が口を大きく開けて叫んだ。
 言語を発している。その時点で、それが韻竜だと気がついたとき、ビダーシャルと逃げようとしていた地下水に石の雨が降り注いだ。
 シルフィードが壁に体当たりを仕掛けたのだ。
「うぎゃあああ!?」
 幼い容姿には似つかわしくない悲鳴を上げて、地下水が破壊された石壁の破片に飲み込まれていく。精霊の力に守られたビダーシャルは、それを涼しげに見つめた。
 全身を石に打ちつけられたエルザが倒れる。幸いにして、大怪我を負った様子は無い。
 ビダーシャルはぽっかりと明いた壁の向こうで双月を背負う風韻竜に、先程地下水にしたように右手を上げた。
「韻竜よ。お前と争うつもりは無い。“大いなる意思”はお前と私が戦うことを望んではいない」
 大いなる意思とは、先住民族と呼ばれる者達にとって神に等しい存在だ。その概念は宗教の様相を呈し、行動を決定付ける価値観ともなっている。
 しかし、その名前を前に出されても、シルフィードは戦意を失うことはなった。
 自らの信仰よりも、大切なものを取り戻したいという気持ちのほうが強かったのだ。
 震える身体を鼓舞するように雄たけびを上げるシルフィードを、ビダーシャルは哀れむように見て呟いた。
「なるほど。蛮人の契約に縛られているのか。使い魔とは、悲しい存在だな」
 その言葉にシルフィードが怒りに燃える。
 シャルロットは愛想も悪く、話し相手にもなってくれない。だが、時々美味しいお肉を食べさせてくれるし、辛い境遇にも耐えてずっと頑張ってきている。自分を危険な目に合わせまいと、常に前に立っていたことも知っている。
 そんなシャルロットを、シルフィードは尊敬しているのだ。慕っているのだ。
 あの主人の使い魔であることを誇りに思っているというのに、哀れみの目を向けられたことが、シルフィードには許せなかった。
 翼を動かし、少しだけビダーシャルと距離を取ると、一気に前方へ向けて加速する。
 決死の体当たりだ。
 しかし、ビダーシャルは顔色一つ変えることなく、右手をそのままに待ち構えた。
 6メートルに及ぶ青い巨体が、空中で動きを止める。見えないなにかに阻まれていた。
 細い身体が巨大な竜の身体を止める異様な光景。
 シルフィードは周囲の精霊に身体を押さえつけられる感覚を覚えて、必死に身体を動かした。だが、ピクリとも動けない。
 その額に、ビダーシャルの手が伸びると、シルフィードの意識は暗闇に落ちていった。
 破壊された壁の端に引っかかるように青い巨体が倒れ、眠りにつく。
「“大いなる意思”よ、このような下らぬことに精霊の力を行使したことを、赦し給え」
 祈るように目を閉じて、ビダーシャルが呟いた。
 少しの間を置き、周囲を見回す。
 綺麗に整理されていた廊下は散々たる様子だ。
 シルフィードによって破壊された石壁の破片は、対面の壁にめり込み、時に砕かれて床の上に散らばっている。その中に無造作に倒れている幼い少女の姿が、悲惨な戦いが行われたかのように見せていた。
 実際には仲間割れによる自業自得なのだが。
 地下水を握っていた幼い少女が吸血鬼であり、見た目ほど幼くは無いことはビダーシャルにも分かっている。しかし、エルフも吸血鬼に負けず長寿だ。ビダーシャルとエルザの年齢の差は、比率だけは人間同様、見た目どおりに離れている。
 それ故に、ビダーシャルにとって、エルザは間違いなく幼い少女だった。
 それが頭から血を流し、石に全身を打ちつけられて倒れている姿は痛々しく感じる。
 少し頭を振って、ビダーシャルはエルザの身体に触れた。
 脈は強く、死に至る様子は無い。さすがは吸血鬼と言ったところだろう。
 その身体を抱き上げて、どこか開いた部屋に移そうと歩き出す。流石に、シルフィードの巨体まで同時に動かすのは難しそうだった。
 とりあえず、仮の寝床を与えて兵達が目を覚ますのを待とう。
 そうビダーシャルが考えたとき、階下で大きな破砕音が響いた。
 城が僅かに揺れ、足元がふら付く。
 取り落としそうになるエルザの身体を強く抱いて、ビダーシャルは額に冷たい汗を浮かべた。
「襲撃者がまだ居たか」
 強烈な存在感を放つ吸血鬼と韻竜の影に隠れて、他の存在に気がつけなかったことを恥じる。同時に、振動の源が青い髪の母子が眠っている部屋の辺りであることを悟って、危機感を覚えた。
 迂闊に部屋から離れ過ぎた。
 後悔するのは後回しにして、ビダーシャルは階下に向かって駆け出す。
 広い階段を駆け下り、廊下に出て目的の部屋の前に走った。
 こういうとき、エルフの細い身体は扱い難い。他の生き物に比べて、体力に劣るのだ。
 もどかしいほど遅い足が自分のものであるために文句を言うこともできず、やっとのことで部屋の扉を開けると、部屋の奥の壁が完全に崩れているのが見えた。
 壁があったはずの場所の向こうに滞空する風竜と、それに跨る若い騎士。そして、砂色の不思議な服装の男。
 砂色の帽子の下に張り付いた軽薄な笑みに、ビダーシャルはその人物の名前を叫んだ。
「ホル・ホース!」
 眠る親子を風竜の背に乗せていたホル・ホースが、ゆっくりと振り返ってビダーシャルの姿を見た。
 帽子を押さえて、楽しそうにヒヒと笑う。
「よう。耳長野郎。元気だったか?」
 前に見たときのような切羽詰った様子は無い。余裕が溢れ、今にも歌いだしそうなようにさえ見える。
 ビダーシャルは無理に動いて激しくなった動悸を呼吸と共に少しずつ押さえ、いつものように涼しげな視線を向けた。
「その者達を返してもらいたい。私は、ジョゼフにその者達を守れと命じられたのだ。手荒な真似はしたくない」
 シャルロットとその母を乗せた風竜が悲鳴を上げた。
 精霊の力が働いているらしい。跨っていた騎士が杖を振るって風を操り、墜落しそうになるのを必死に防ぐ。
 その姿をちらりと見たホル・ホースは、笑みを一層深くさせて右手を構えた。
 ビダーシャルにも仕組みの分からない不思議な力。その存在がホル・ホースの右手にあることは既に承知している。そして、それが精霊の力を打ち破る力が無いことも。
 ビダーシャルは表情を変えることなく、警告した。
「お前の力は私には届かぬ。それは、既に証明されたはずだ。大人しく親子を渡せ。さもなくば、それなりの対応をせねばならん」
 最終警告のつもりなのか、足を一歩前に踏み出して、ビダーシャルは威圧を強めた。
 その姿にホル・ホースはヒヒと笑い、右手を下げる。
「ああ、よーっく分かってるぜ。確かに、俺のエンペラーじゃ、テメーの変な壁はブチ破れねえ」
 だがよ。と言葉を続けて、ホル・ホースは楽しそうに腹を抱えて笑い始めた。
 何をそんなに笑っているのか。その真意に気付かず、ビダーシャルは眉を顰める。
「ホル・ホース!こちらはもう持たないぞ!」
 風竜に跨った騎士が、ホル・ホースに声をかけた。
「分かってるさ、カステルモールの兄ちゃん。もうちょっと耐えてろ。いいもの見せてやるからよ」
 手をヒラヒラと振って余裕ぶるホル・ホースだが、カステルモールのほうは気が気でないようだった。風竜の動きが悪く、その背にのるシャルロット達が落ちそうになっているのだ。
「さあ、早く親子を返せ。その風竜も、もう長くは飛んでいられまい」
「黙れよ」
 ビダーシャルの言葉を遮るように、ホル・ホースがさっと右手を出して引き金を引いた。
 エンペラーから弾丸が放たれ、ビダーシャルの額に向かう。
 その動きから攻撃されたのだと理解したビダーシャルは、それを無視して目を閉じる。
 所詮、蛮人か。
 心の中で小さく呟いて、ビダーシャルは全てを終わらせようと更に一歩、踏み出す。
「その余裕がダメなんだぜ、耳長野郎。勝ったと確信しているヤツってのは、一番気をつけなきゃいけねえところを見逃しちまう」
 引き金は幾度も引かれ、その度にエンペラーは弾丸を吐き出している。
 しかし、ホル・ホースの目はその弾丸が何かに遮られて床に転がるのをしっかりと捉えていた。
 やはり、自分のスタンドでは突破できない。
 単純に力不足なのか、相性が悪いだけなのか。細かい部分まではわからないが、確認作業はもう十分だろう。
 やれやれと首を振り、スタンドを解除してその言葉を口にした。
「乗っ取れ、地下水」
 その言葉に、ビダーシャルは自分が抱える少女の姿を見た。
「アイ・アイ・サー」
 その言葉がナイフから発せられたとき、既にビダーシャルは指一本動かすことが出来なかった。魔法を使うための声も封じられている。
 このナイフに宿る精霊に、身体の自由を奪われたのだ。
「その変な壁も、自分から近づいたものには効果がねえみてえだな。ヒヒ。最初は見つかり次第逃げようかと思ってたが、地下水の刀身が腕に触れてるのを見たときは笑いが止まらなかったぜ」
 地下水に操られたビダーシャルの手が、エルザの手から地下水の身体を取ってしっかりと握る。強く抱きとめられていたエルザの手は、力なくビダーシャルの腕に触れていた。
「エルフとは言え、俺の能力までは見破れないか。まあ、最初から敵対する様子は見せなかったからな。警戒が緩んだんだろ」
 刀身をカタカタと鳴らして笑う地下水に、意識下に抑えられてしまったビダーシャルは歯噛みした。この状態では、最早抵抗は無意味だ。
 若い騎士の乗る風竜が精霊の拘束を逃れ、元の安定した動きを取り戻す。
 その様子を確認して、ホル・ホースはカステルモールに向けて帽子を振った。
「シャルロットの嬢ちゃんを頼むぜ。トリステインのタルブ村、そこにある“緑の苔”亭の女店主にオレの名前を出せば、暫く匿ってくれるはずだ。口も態度も悪いが、肝の据わり方は飛びっきりだからな」
 田舎町に酒場を構える態度の悪い女性を思い出して、ホル・ホースは苦笑いを浮かべる。
 荒れた部屋の中に立つホル・ホースと地下水に身体を乗っ取られたビダーシャルを交互に見て、カステルモールは頭に被っていた羽帽子を脱いだ。
「感謝する。我が忠誠と、ガリアの未来に尽力してくれたことを、私は決して忘れないだろう。いつかジョゼフを打ち倒した暁には、またこの国に訪れてもらいたい。我が東花壇騎士が総出で歓迎しよう」
「その時は美人の姉ちゃんも宜しく頼むぜ」
 ホル・ホースの軽口に、ふっと笑い、善処しよう、とカステルモールが答えた。
 竜の手綱を引き、翼が強く羽ばたく。出発の合図だった。
「また会おう!」
 風竜の身体が上昇し、少しずつ遠ざかっていく。やがて、それが西の空に向かって移動を始めた。
 徐々に小さくなるその姿を見送って、ホル・ホースは小さく溜息をついた。
「とりあえず、一息ついたか」
「シルフィードが上で眠ってるがね」
 ホル・ホースの呟きに、地下水がビダーシャルの口を使って水を差した。
 それにヒヒと笑い、ビダーシャルの腕に抱かれたエルザの姿を視界に納める。
 まだ、目を覚ます様子は無かった。
「無鉄砲に突っ込んだことは、まあ、この際かまわねえか。結果として耳長野郎に一泡吹かせてやれたんだしな」
 地下水に歩み寄り、両腕を差し出す。その腕に、地下水は眠ったままのエルザを乗せた。
「行き当たりばったりの偶然、か」
 小さな呟きに、ホル・ホースが目を向ける。
 地下水がビダーシャルの身体で首を振り、肩を竦めた。
「いや、ついこの間の話なんだが、そのお嬢ちゃんが言ってたのさ。考えたとおりに動いているように見えて、実際は流れに任せて適当にやっているだけだ、ってな」
 その言葉に思うところがあるのか、ホル・ホースが笑みを浮かべたまま帽子を深く被り直す。腕の中で寝息を立てるエルザは、一緒に行動している間にホル・ホースの考えにいつの間にか染まっているようだった。
 柄ではないが、自分に良く似た娘をもった気がして、ホル・ホースは少しだけ照れくささのようなものを感じる。この幼女が年上であることも忘れて。
 途端、首筋に痛みが走った。
「痛ってえ!なんだ!起きたのか!?」
 エルザがホル・ホースの首筋に噛み付き、流れ出る血に吸い付いている。しかし、目は閉じられ、特に呼吸が乱れる様子も無い。
 まだ、夢の中にいるようだった。
「おいおいおいおい、この色ボケ幼女は眠ってるときでも血を吸うのかよ」
 首筋から血液が抜かれていくのを感じて、呆れるように溜息を吐く。
 油断も隙もねえな。と呟くホル・ホースに地下水は刀身をカタカタと鳴らした。
「旦那の体温を覚えているのかも知れないな。信じてはいたんだろうが、旦那の安否も確認せずに飛び出したから、心細さはあっただろうしね」
 町に着いた夜に無理に酒を飲んだのも、そんな寂しさを紛らわすためだったのかもしれない。
 そんなことを思って、地下水はまた刀身を揺らした。
「しかし、旦那。なんで、あのカステルモールと一緒に居たんだ?シャルル派の筆頭ってくらいに姐さんに心酔してるのは知ってるが、旦那との繋がりがいまいちなあ」
 地下水は、かつてカステルモールの身体を使ってシャルロットと戦った経験がある。そのことをカステルモール自身は記憶を操作されて忘れているが、当時の経験で地下水は彼がジョゼフ側に忠誠を誓う振りをして、決起の下準備まで行っている人物だということを知っていた。
 同時に、相当な堅物であることも。
 ホル・ホースのような人物とは、反りが合わないだろうと思えるのだ。
「ん。ああ、あいつ、東?なんとか騎士団だとかで、シャルロットの暗殺依頼をジョゼフが俺にした現場に居たんだよ。で、居ても立っても居られなくなって、嬢ちゃんの家に竜に乗って飛んできやがった」
 そこで相棒に先走られた自分と合流したのだ、と語る。
 元々、カステルモールはシャルロットを助ける気で来ていたらしく、途中まで東花壇騎士の面々を引き連れていた。あわよくば、このまま決起に繋げるつもりだったようだ。
 その場で一戦交えて勝利を収めたホル・ホースは、おおよその目的が一致していることを確認して、無駄に多い人数を散らし、情報収集に走らせた。
 アーハンブラ城にシャルロットたちが捕らわれていることを突き止めてからは、一直線に突撃である。到着早々、窓を一つ一つ覗き込んでの確認作業。居場所を突き止めたら即座に壁を破壊して救出に当たった。
 作戦など欠片も無い、力押しである。
 ほんの僅かにタイミングがずれていれば、エルザの眠りの魔法か、ビダーシャルに発見されていたと思うと、地下水はちょっと恐ろしいものを感じた。
 これも“大いなる意思”の思し召しか。
 意識の下で黙り込んでいたビダーシャルの声が地下水に届く。この結果を、ビダーシャルは受け入れるつもりのようだった。
「んなことはどうでもいいから、さっさとずらかるぜ。兵士達が集まってくる前にな」
 首筋に顔を埋めたままのエルザをしっかり抱きかかえて、地下水を急かす。
 城の兵がエルザの魔法で眠らされていることをホル・ホースは知らない。だが、あまりのんびりしていられないのも確かだと、地下水は急かされるままに動き出した。
 上の階に眠る大きな荷物を叩き起こして、逃げ出すとしよう。お互いの近況を確認するのは、それからでも遅くは無い。
「気を抜くなよ。まだ、やることはあるんだぜ」
 部屋を出て廊下を走るホル・ホースが、楽しげにヒヒと笑っている。
 どうやら、落ち着いて話ができるようになるのは、まだ先のことらしい。
 寿命の無い身体に有り余る時間。その退屈凌ぎに始めた傭兵家業は、どうやらこれからが面白くなるようだと、地下水は思った。
 その証拠に、エルザに血を吸われすぎたホル・ホースの足元が危うくなっている。敵陣のど真ん中で早速トラブルだ。気を抜いているのは一体どっちの話なのか。
 少々苦労は多そうだが、この男と共にいる間は、退屈だけはしなさそうだった。


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