ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

7 夜を行く者達 前編

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匿名ユーザー

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7 夜を行く者達
 夜の中を歩くはずの吸血鬼は、昼の空に青い竜を飛ばしてその姿を監視していた。
 ガリアの首都リュティスの中心を飾るヴェルサルテイル宮殿。そこから出て行く小数の軍隊に囲まれるように移動する馬車。そこに、見慣れた青い髪の少女の姿があった。
 母親と共に何処かへと連れられて行く光景に、助けに行こうと暴れるシルフィードを抑えて、エルザはじっと辛抱強く見守る。
 兵の数は少数とは言え、その数は100を超える。竜1匹と吸血鬼1人では、とても突破はできそうに無い。しかも、馬車の御者を務めているのはエルフだった。
 これでは迂闊に近づけば、命は無いだろう。
 数日前の旧オルレアン公邸。ホル・ホースに待機を命じられた場所でシャルロットを抱えて出て行くエルフを見たとき、エルザはホル・ホースが敗北したことを悟った。
 ジョゼフの命令に素直に従うホル・ホースではない。だが、そんなことはジョゼフも理解しているだろう。念のため、とエルフを一歩遅れて派遣し、命令に抗うようなら排除するようにとでも命令していたのかもしれない。
 勝手な想像で、それが早合点の可能性も考えたが、逃がしたくも無い。急いで鞄を開けて、地下水とスキルニルを取り出したのはいいが、白いシャツを赤く汚したシャルロットの姿を見てシルフィードが暴れだしたために、エルフを相手にするどころでは無くなってしまった。
 迎えに来ていた竜騎兵の竜に跨って去っていくエルフの姿をシルフィードに説教をしつつ見送ったエルザは、僅かな路銀を手にシャルロットを追うことを決めた。
 もし、ここで見失ってシャルロットの居場所が分からなくなったら、それこそどうすることも出来なくなる。
 ホル・ホースの状況は気になったが、少なくとも死んではいないだろう。殺しても死なない男だ。その点だけは心配していない。
 ただ、書置きも無く黙って動いたことを怒っていないかどうか。それだけが心配だった。
「この先って、たしか砂漠だったよね」
「きゅいきゅい!そうなのね。砂ばっかりでなんにもない、熱いところ。砂漠は喉が渇くから、シルフィはあんまり好きじゃないのね」
「喉が渇くくらいで文句を言わない。私なんて、下手したら死ぬわよ?ただでさえ日光に弱いのに」
 吸血鬼に砂漠は地獄である。完全に居る場所を間違っているとしか言いようが無い。
 身体を覆う布も、どれだけ頑張ってくれるか心配になる。砂の照り返しで死んだりしないだろうか。雪原地帯で雪が日光を反射してもマズイのだろうか。水も日光を反射するのだが、それは大丈夫なのか。心配事が多過ぎるが、実験する気にもなれない。
 弱弱しいにも程がある。脆すぎやしないか。
 眼下に並ぶ軍列の様子を見つつ、エルザは自分が日光に弱い吸血鬼という種族であることを心底憎んだ。
 軍の進行速度に合わせて飛ぶシルフィードは、時折進みすぎた距離を調整するために軽く旋回を繰り返す。おそらく、その姿は地上からでも確認できていることだろう。
 監視が常に張り付いていることで、兵士達は地味に消耗しているはずだ。どれほど邪魔に思おうとも、この高さではエルフの魔法だって届きはしない。
 せこい戦法だが、戦いにルールなど無い。監視されるようなことをしている奴らが悪いのだ。竜騎兵を一騎でも護衛につけていれば、こんなことにはならなかっただろうに。
 あまりにも一方的過ぎて調子に乗ったエルザが、時々、手持ちの布袋から金貨を一枚だけ落とす。すると、空から降ってきた金を巡って兵士達が喧嘩を始めるのだ。懐を痛める嫌がらせだが、これはこれで中々楽しいものがある。道中の退屈しのぎには十分な効果が得られた。
 シルフィードはシルフィードで、飛び続けることに飽きると無意味に急降下などをしてみたりする。その場合、兵士達はあれこれと武器を持って構え、メイジは魔法を使う。そんな姿をからかうように、すぐに上昇して高度を保つのだ。
 明らかに狙われている動きに無視をすることも出来ない兵士達は、この道中に激しく疲労を溜め込むことだろう。目的地に着くまで緩めることの出来ない緊張に、リタイア続出間違い無しである。
 やり口が汚過ぎて、馬車に乗っていたビダーシャルも頭痛を覚えたくらいだ。
 エルザとシルフィードの悪戯のために本来の予定を大幅に遅らせて目的地に到着した軍列は、オアシスに隣接した廃城アーハンブラに入城していった。
 アーハンブラ城は、砂漠の小高い丘に建てられたエルフの城砦だ。千年近く前、ハルケギニア聖地回復連合軍が奪取し、この先に国境線を制定した。
 砂漠に暮らすエルフに、国境という概念は無い。だが、人間という生き物が国境を定めなければどこまでも貪欲に土地を切り取るものだと知ってからは、渋々それを認めることにしたのだ。

 この城は、幾度と無く戦乱の中心となった。エルフの土地への侵攻の拠点となったためにエルフの攻撃を幾度となく受けたのだ。延々と取ったり取られたりを繰り返し、数百年前にやっと人間側の領地として落ち着いた。しかし、城砦の規模が小さいために軍事拠点から外されてからは、廃城となった城自体が観光名所として、傍にあるオアシスの宿場町を発展させる要因となった。
 造ったのがエルフであるだけあって、城の出来栄えは見事なものだ。城壁には幾何学模様の細かい彫刻が彩られ、夜には双月に照らされて白く光る。その幻想的な光景は、多くの旅人の心を掴んで放さなかった。
 緑に溢れているわけでもなく、人が住みやすいわけでもない。そんな場所もオアシスという水の供給源と見る者を感動させる芸術があれば、これほどまでに町は発展するのかと人々は関心するだろう。
 そんな砂漠との連絡地として交易を盛んにする宿場町の端に、日が沈むのを待って隠れるように降り立ったシルフィードは、エルザの要請から使いたくない無い魔法を無理矢理使わされようとしていた。
「イヤなのね、イヤなのね!シルフィ、人の姿は歩きにくくて嫌いなのね!」
「我が侭言わないの!ただでさえ、アナタの身体は目立つんだから。少しでも姿を誤魔化さないといけないって、何度も言ってるでしょ!」
 日が落ちて適度に冷えた砂漠の砂の上で駄々をこねるシルフィードを、身体の小さなエルザが叱り飛ばしている。事情を知らない人が見たら酷く珍妙な光景に映る事だろう。
 先住魔法の一つに、姿を変えるものがある。エルザはそれを韻竜であるシルフィードに強制しているところだった。
 この場所に至るまでの間に散々嫌がらせを受けた兵士達は、今頃殺気立ってエルザたちの姿を探していることだろう。そんな連中から姿を隠すには、シルフィードの身体は大き過ぎるのだ。
「さっさとしなさい!このダメ韻竜!」
 6メートルにも及ぶシルフィードの額を10センチ前後の手の平がぺちぺちと叩く。
 見た目だけならあまり痛く無さそうに見えるが、大人顔負けのパワーを持つエルザの平手はその実、シャルロットの杖振り落とし攻撃にも匹敵する威力がある。
 痺れるような痛みを受けて涙目になったシルフィードが、渋々呪文を唱え始めた。
「我を纏いし風よー。我の姿を変えよー」
 やる気の無い口調で唱えられても、呪文は呪文。風が巻き起こり、シルフィードの身体を包み込む。
 青い風の渦が消えると、シルフィードの姿が掻き消えて、二十歳前後の若い女の姿が現れた。
 “変化”と呼ばれる先住魔法の一つだ。詠唱者の姿形を変える事ができるが、強い魔力とある種の才能を必要とする。古代種の風韻竜であるシルフィードだから使える魔法だ。
 シャルロットを元気にして髪の長くさせ、成長させたような姿。恐らく、モチーフもそれを想像してのものだろう。
 元々服を着ていないために素肌を晒すシルフィードの豊満な乳房とボリュームのあるお尻、くびれた腰を見て、エルザが物欲しそうな視線を向けた。
「これ、いいなあ。わたしも使いたい……」
 この魔法を使えば、子供だからと相手にしてくれないホル・ホースを誘惑できるかもしれない。日々溜め込む欲求不満も解消できそうな感じだ。
 そんな視線に耐えかねて、シルフィードが恥ずかしそうに両手で身体を隠す。
「なんか、なんでか、恥ずかしいのね。きゅいぃ」
 竜の姿の時は裸であるために、人の形をとっても裸体に羞恥心など感じないはずのシルフィードが身を悶えさせる。好奇の視線はあまり慣れていないようだった。
 つん、とエルザがそのつついて、弾力を確かめる。
 人のものとしか思えない、完璧な変身だ。肉感もさることながら、肌の滑らかも完璧と言ってもいい。細く伸びた手足に柔らかな曲線。流石、意図したものに変化することができるだけあって、その姿形は人としての理想像に近い。
 エルザの心に嫉妬の炎が灯った。
「こ、ここ、これを寄越しなさい!今すぐ、わたしに!」
「無茶言わないで欲しいのね!“変化”は自分にしか使えないんだから!って、変なところ触っちゃダメなのね!」
 エルザに全身を撫で回されるシルフィードが悲鳴を上げた。
 身体を捩って逃げるシルフィードの身体の隙間に手を入れて、エルザは容赦なく攻め立てる。やっていることはエロオヤジみたいだが、本人はどうしようもないくらい怒りと嫉妬に燃えている。
 なによ、この乳は!なによ、この尻は!こ、こここ、このハレンチ韻竜め!人を馬鹿にするのも大概にしなさいよ!そのうち痛い目に遭わせてやるんだから!だから!
 すっかりハイになってWRYYYYYYY!!とか叫びだしそうなエルザの猛攻にシルフィードが半泣きになった頃、完全に忘れ去られていた地下水がエルザの腰元で苦情の声を上げた。
「あんたら、なんなんだ!?大事な仲間を助けるために行動してるんじゃねえのか!もうちょっと緊張感ってものを持てよ!」 
 至極もっともな意見に、エルザのテンションがガタ落ちする。
 はあ、と溜息を吐いて地下水を手に取ると、その刀身を指で弾いてエルザは言った。
「わたしはね、このちんちくりんな身体が嫌いなの。いい?大事なことだから、もう一度言うわよ。わたしは、この身体が嫌いなの。OK?」
 言い含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐエルザに、妙な迫力を感じた地下水がカタカタと刀身を揺らす。
「緊張感?ええ、あるに決まってるじゃない。お姉ちゃんを助けることは重要な事よ。蔑ろには出来ないわ。でもね」
 言葉を止めて、エルザは地下水を地面に向けた。砂色の岩肌に銀色の刀剣が見事に突き刺さる。
 柄の部分を足蹴にして、小さな手をギュッと握ったエルザが宣言するように声を上げた。
「それと同じかそれ以上に、わたしは“変化”の魔法を欲しているのよ!」
 荒々しく大胆な爆発音に似た擬音語を背後に浮かべるエルザに、シルフィードと地下水が愕然とした。
 ホル・ホースと一緒にいた間に、なにか大切なものを落っことしてしまったのかもしれない。恥じらいとか、プライドとか、いろんなものを。
 とりあえず、暴走する幼女をなんとかしようと、シルフィードは地面に突き立った地下水を引き抜いて、その柄をエルザに手渡した。
「なんか、疲れるから。暫く黙ってて欲しいのね」
 ちょ、ちょっと!?
 悲鳴を上げる間も無く体を乗っ取られたエルザの声が、地下水の意識下に響く。それを無視して、地下水は身体を覆う布を脱いでシルフィードに差し出した。
「ほら、身体に巻いておけ。そんな格好で町をうろつく訳にはいかねえからな」
 日が落ちているため、日光を遮る布は今は必要が無い。裸のシルフィードをそのままにするわけにはいかないという配慮だったが、シルフィードは不満そうに声を洩らした。
「えー?イヤなのね。ごわごわして、動き辛いんだもん。このままでもいいのね」
 竜に服を着る習慣など無いのだ、余計なものを身につけることを嫌がるのも無理は無いだろう。その辺りはナイフである地下水にも分からないでもない気持ちだったが、それを許すわけにもいかない。
「いいわけねえだろ。後で、もうちょっとまともな服も買うからよ。とにかく、これで身体を隠しておけって」
「いや!布なんて身体につけたくない!そんなのつけるくらいなら、シルフィは元の姿で空でも飛んでるのね!!」
 シルフィードがバタバタと手足を動かして暴れる。
『わたしも解放しなさい!女の身体を好き放題に動かすなんて、この変態ナイフ!幼女好き!ペドフィリア!海に沈めて錆びさせてやるんだから!』
 意識化でもエルザが好き勝手に喚くのが聞こえた。
 それぞれの行動が自由すぎて、収集がつかなくなる。
 我が侭放題の子供の面倒を見ている気がしてきて、地下水はエルザの身体で深く溜息をついた。
「本当にやる気があるのか?こいつら」
 かなり強引にでも主導権をとっていたホル・ホースとシャルロットが、なんだか凄い人物に見えてくる。
 人外三体によるシャルロット救出作戦は、初期段階から暗礁に乗り上げようとしていた。

 夜は更け、赤と青の月が少しだけ重なった姿が空に浮かぶ。
 アーハンブラのオアシスを囲う宿場町が賑わうのは、これからの時間だ。昼中には暑くて何もする気が起こらないが、夜の涼しさはそれを忘れさせて人々の気分を軽くさせる。
 幾つもある酒場に明かりが灯り、ひっきりなしに人が出入りしている。男も女も、年の差に関係なく、この町に訪れた人々は同様に酒の杯を交し合っていた。
 地下水の説得を受けて何とか布を身に纏い、その足で衣服を調達したシルフィードも周囲と同じようにワインの入ったコップに口をつけていた。長机の一角にエルザと共に並んで座り、人々の賑わいを眺め見る。
 幸いにして金の心配をする必要もなく普段口煩い主人の姿も無いとあって、遠慮なく注文した肉料理の数々は、容赦なく切り取られて胃の中に収められていた。
 若々しい女性の身体のどこにそれだけの食料が納められているのだろうかと、店員や客達が好奇の視線を投げかけてくるが、それを気にせずにレアステーキの塊に齧り付く。零れる肉汁をエルザが甲斐甲斐しく布で拭いて、呆れたように呟いた。
「ちょっと食べ過ぎよ。注目の的になってるじゃない」
 そんな忠告に耳を貸す様子も無く、シルフィードの食欲は増すばかり。
 量だけを見れば、五人分を軽く超える。それが次々と妙齢の美女の腹に収められていくのだから、酒の追加を持ってきたウェイトレスも驚きに目を見開いていた。
 大食の女を見物に酒場の客足は増え、酒を酌み交わそうと誘いをかけてくる男も出てきている。あまりの食べっぷり飲みっぷりに、奢りで追加注文を始めるやつまで現れてシルフィードの機嫌がどんどん良くなっていく。
 その姿に影響を受けたのか、あっちで飲み比べが始まり、こっちでは大食い勝負。その流れに巻き込まれるも、実質6メートルの巨体を隠し持つシルフィードが敗北するはずもなく、宴会騒ぎは最高潮に達しつつあった。
 収集がつかなくなった状況にキレた幼女が酒豪へとクラスチェンジして、夜の“ヨーゼフ親父の砂漠の扉”亭は開店以来の大賑わいとなっている。
 そんな光景を見て、町の巡回を行っていた兵士の身体を乗っ取った地下水が、店の前で頭を抱えて蹲っていた。
「ほんとに、やる気を見せてくれよお」
 わざわざ敵情視察までしてきたというのに、帰って来て見れば相変わらず暴走しっ放しのお仲間。泣き言くらいは神様も許してくれそうな状況だ。
 シャルロット救出部隊の最大の利点は、敵に見つかってもあまり問題が無い点だろう。
 “変化”で姿を変えたシルフィードの本性を当てられるのはエルフのビダーシャルくらいだし、地下水に至っては刀剣。ヴェルサルテイル宮殿で有名なエルザも、布の塊という認識しか受けていないのだから見つかりようが無い。
 揃って人外なのに、人間の中に当たり前に溶け込めるという利点は、潜入任務において最強とも思える効果を発揮していた。
 生き物ですらないナイフが一番常識人だというのは問題だが。
 変な連中に引っかかってしまって苦労性の特性を手に入れてしまった地下水を、ワインボトル片手に泥酔したエルザが見つけ、からからと笑いながら声をかけた。
「なにやってんのよ、変態ナイフ。あんたも、こっち来て飲め!飲みやがれ!」
 見事に出来上がっていらっしゃられるご様子のエルザが、店の前で蹲っていた地下水の手を取って引っ張った。
「アハハハハ、マスター、客追加よ!この店で一番高い酒を飲ませちゃえー!」
「よっしゃ、任せとけ!」
 旅から旅へと渡り歩いて、ここに居酒屋を構えることになった苦労人の店主が、普段見せない高揚した様子で腕まくりをして楽しげに笑った。
 背後に並ぶ棚から細かい意匠の施されたガラス瓶を取り出し、まだ開いていない封を指で抉じ開けて、エルザに連れてこられた地下水の口に突っ込んだ。
 もちろん、実際に飲んでいるのは地下水が操っている兵士だ。操られている人間が寝ていようが酔っていようが、地下水自身には何の影響も無い。
 その様子から、こいつも酒豪かと判断した店主は、店の奥からアルコール度数の高い酒を山ほど抱えて戻ってくる。
「よーし、飲め!飲みまくれ!今日は秘蔵の酒もバンバン出すぜ!!オレの店がこんなに賑わった記念だ!パーッといくぞお!!」
 そんな声に、あまり広くない店内に詰め込まれた客達が盛大に答えた。
「オラ、もっと飲め兄ちゃん!若いんだから遠慮なんてするんじゃねえよ!」
「や、やめろって、俺はやることがぼぼぼぼぼ」
 気の良さそうなオッサンがボトルを一瓶空けた地下水の口にワイン瓶を追加で投入した。
 逆らう暇も無く酒漬けにされる地下水を見て、エルザが頷いた。
「うん、中々良い飲みっぷりじゃない。その調子でガンガンいけー!」
 酔いどれ親父達に囲まれた地下水を、大きく腕を振って応援する。
 次々と注ぎ込まれるワインに溺れる兵士の身体から力が抜けて、手に握られたナイフが放れて床に転がった。
 それを拾い上げ、エルザは店主に酔い覚ましに外の風に当たってくると告げる。
 アレだけの酒を飲まされれば、あの兵士は翌朝まで目を覚ますことは無いだろう。
「表はピリピリしてやがる。気をつけろよ」
「うん。大丈夫よ。店の前にいるから」
 店主に手を振って、店の扉を開けて夜風に火照った身体を晒す。
 オレンジ色の明かりがあちこちで灯って、とても夜とは思えない明るさを見せる細い通りをガリアの兵隊が右へ左へと歩き回っている。
 エルザたちを探している兵達だろう。目印にしているのは、恐らくシルフィードの巨体だろうから、見つかる心配は殆ど無いはずだ。
 普段着の白いドレスの中に地下水を隠して、エルザは店の玄関の横にしゃがみ込む。酒の量が多く、アルコールが身体に回って立っているのが辛かった。
「飲みすぎだ。これからは、身体に合った量にするんだな」
「ん。そうする」
 背後の壁越しに、未だ食べ続けるシルフィードを持て囃す声を聞きながら、エルザが小さく頷いた。
 その様子からは、先程までの酔っ払った様子は見られない。
 酒場の熱気に合わせて騒いでいただけで、本当はアルコールで気分を悪くしていた。純粋に酒に酔えるほど、エルザの身体は出来上がっていないのだ。
「で、どうだった」
 悪酔い状態のエルザが、搾り出すように地下水に尋ねる。
 言葉は酒場の騒音に掻き消されて、道を歩いている兵士達には届くことは無い。
 聞かれたくない会話をするには、絶好の環境だった。
「ああ、まあ今日と明日は止めて置いた方がいいだろう。道中の邪魔で奴ら苛立ってやがるからな。警戒が厳しすぎる。実際に疲れが出るのはこれからだろ」
 地下水が、城の中の様子から感じたことを告げる。
 町の様子からも分かるように、相手はエルザたちの急襲を予感して神経を尖らせているようだった。城の中では完全装備の兵士達が巡回を小まめに行っているらしい。
 正面突破は、初めから無理な話だと諦めている。そうなると奇襲しかないのだが、現在の敵の様子ではそれも難しそうだ。
「おねえちゃんの居場所はわかった?」
「いいや。エルフの野郎が歩き回っていて近づけねえ。城の上のほうだってことまでは分かったんだが、正確な位置は一般兵じゃ見つけられそうにねえな」
 その言葉に、エルザは道の先で月明かりに白く浮かぶアーハンブラの城を見上げた。
 シャルロットのことを考えれば、早急に手を打つ必要がある。出来ることなら、今すぐにでも突入して助け出したいのが本音だ。
 しかし、一度でも失敗すれば警戒は一層に強くなるだろうし、その時点で生きて帰れる保証も無い。
 実行するなら、一度で成功させることが条件。当たり前のことだが、それを忘れてしまえば行動に油断が生まれてしまう。
 改めてそのことを自覚して、エルザは少しだけ冷えてきた身体を抱きしめた。
「しかし、ちゃんと考えて行動してたんだなあ」
 地下水が口調を崩して話し始めた。
「最初は能天気なだけかと思ったが、キチンと要点は抑えてるみたいだし。いやあ、心配した心配した」
 地下水を偵察に送り出すことを発案したのは、エルザだ。シャルロットを助けようと暴走しかけたシルフィードを押さえ、慎重に行動する必要性を説いたのも。酒場に連れてきたのは、暫く救出作戦からシルフィードの目を背けるためだった。
 刀身をカタカタと鳴らして笑う地下水に、少しだけ目を丸くしたエルザはすっと薄く笑みを浮かべた。
「あら。そうでもないわよ。意外と、適当に行動していたら偶々上手く行っただけかもしれないじゃない?それに、ここに来るまでにやってた嫌がらせは、本当にただの退屈凌ぎだったもの」
「……お嬢ちゃんはアレだな。女狐ってやつ?言ってることがどこまで本気か、ほんとわからねえよ」
 力なく呟く地下水に、エルザが忍び笑いを洩らした。
 酒場の扉が開いて、店主が顔を覗かせる。
「……お嬢ちゃん、大丈夫か?」
「え?」
 心配そうなその声に、はっとなったエルザが周囲を見回す。
 敵であるはずの兵士達や、道を歩く人々が可哀相なものを見るような目で見つめていた。
 酒場の前でしゃがみ込んで独り言を呟く幼女の姿がどれほど奇妙な光景か。そのことにやっと気が着いたエルザは、顔を真っ赤にして誤魔化すように店主の身体に抱きついた。
「え、ええっと、その、ちょっと飲みすぎちゃったみたい。あはははは」
「おお、そうか。そうだよな。うん」
 乾いた笑い声を上げるエルザを困ったように抱きとめた店主は、店の中の騒動も少しずつ鎮静化しているのをみて、その頭を撫でて言う。
「今日はアレだ、店の二階に泊まりな。ウチは宿はやってねえんだが、この際しょうがねえ。保護者の姉ちゃんも、さっき潰れちまったみたいだしな」
 その言葉に激しく頷いて、エルザはさっさと店の中に入っていった。
 服の中に隠れた地下水がカタカタと刀身を揺らした。
「男を落とすには、まだまだ経験が足りなさそうだなあ」
 笑うように言う地下水の口を、エルザは服の上から叩いて黙らせる。
 頬の熱が取れるのは、少し時間がかかりそうだった。


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