ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

6 価値の無い選択 後編

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匿名ユーザー

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 任務の帰り道、空腹を訴えて食事の必要性を叫ぶシルフィードに無理矢理言うことを聞かせたシャルロットは、言い知れぬ焦燥感に駆られて、任務完了の報告よりも先に実家に寄る事を優先していた。
 いつか感じた、大切なものを失う感覚。それが、シャルロットの全身を支配している。
 シャルロットの心情を使い魔であるシルフィードも感じ取ったのか、空腹から動かしていた口を閉ざして、早く目的地へと辿り着けるようにと必死に翼を動かしていた。
 雨雲よりも高い位置を飛ぶシルフィードの翼の下を首都リュティスが通り過ぎ、トリステインとの国境近くにある旧オルレアン公邸へと飛び続ける。
 ハルケギニアでも最高の速さを誇るシルフィードの翼でも、まだ旧オルレアン公邸に着くには数時間かかる。
 いつもなら本を呼んでいる間に過ぎ行く移動時間も、今だけはもどかしいほどにゆっくりに感じていた。
 気持ちだけが逸り、シャルロットの声が無意識に荒くなる。

「もっと速く」
「やってます!いくらシルフィでも、これ以上速くは飛べないのね。きゅいきゅい!」
 風を切り、いくら翼を羽ばたかせても、速度には限界というものがある。
 シルフィードが出せる速度は、シャルロットが背びれに掴まって風に飛ばされないギリギリ程度だ。時速に直せば、100キロメートルを超えるか超えないかと言った所。
 厚い雨雲の絨毯を眼下に見下ろし、雲の切れ端からシャルロットが自身の家の姿を見つけたとき、頭上に輝いていた太陽は雲の海の向こうに消えかけていた。
 高度を下げると、雲の切れ目から赤い日の光が射しこんでいるのが見える。世界が夜の闇に包まれる時間が訪れようとしていた。
 シルフィードが地上に着地するよりも早く、その背中から浮遊の魔法も使わずに飛び降りたシャルロットは、通り過ぎた雨の跡に残る水溜りを踏んで駆け出した。
 屋敷の門の前にあるガリア王家の紋章には、十字が引かれて辱められている。王の名の下に、シャルロットの名前にあるオルレアンの名前が取り上げられていることを意味している。
 門を開ける動作に合わせて振り返り、心配そうに見つめるシルフィードにいつもと同じ指示を下す。
「空で待っていて」
 シルフィードを移動手段とするシャルロットは、戦いにシルフィードを参加させようとはしない。
 万が一、任務先から帰る手段がなくなっては困る。というのが表向きの理由だが、本当は私情による危険な行為でシルフィードを傷つけたくないからだ。
 シャルロットの様子からただ事ではないと感じているシルフィードは、少しだけ迷った後、大人しく翼を動かして空に舞い上がった。
 主人の身に危険が迫っていることを、シルフィードは良く分かっていた。しかし、同時に主人が全力で戦えるように、自分が帰るための道とならなければならないのだということも、しっかりと理解していた。
 屋敷の上空で旋回するシルフィードを確認して、シャルロットが小さく微笑む。
 最高の使い魔を持ったと、自信を持って言える。背中を支えてくれる存在が居てくれる事はこれほどまでに心強い。


 脳裏に、妙に能天気な傭兵と吸血鬼の姿が過ぎったが、彼らもまた自分に力を貸してくれているのかもしれない。
 出来の悪い兄と妹を持ったような気分にさせてくれた。ほんの僅かな間だが、悪くない日々だと思える。
 少しだけ勇気が沸いてきて、杖を握る手に力が篭もった。
 数度深呼吸をして、体ごと屋敷に向き直ると、肌を刺すようなピリピリとした感覚が襲い掛かってくる。
 まるで自分の知っている場所ではないような雰囲気を感じ取って、シャルロットは喉を鳴らした。
 不穏な空気が戦いを予感させている。ここはもう、シャルロットにとって懐かしい思い出の場所ではないようだ。
 戦いに対する覚悟を決めて、石畳で舗装された道を歩く。
 近くに誰かが潜んでいる気配は無い。使用人たちの手入れが行き届いた庭園は、春の花が咲き乱れ、雨露を太陽の光に反射させてキラキラと輝かせている。
 少なくとも、屋敷の異変は近い間に起きたもののようだった。
 手が玄関の扉にかかる。
 シャルロットの背丈の倍はあろうかという両開きの扉が、蝶番の軋みを上げて開いた。
 いつもなら、ここで執事のペルスランが出迎えに姿を現すのだが、そんな様子は一向にない。それどころか、何人かいるはずの使用人達の気配すら感じられなかった。
 節くれ立った大きな杖を強く握り、周囲を見回す。
 荒らされた形跡はないが、何かがいる気配を感じる。どこかに巧妙に隠れているらしい。
 慎重に歩を進め、屋敷奥にある母の居室に向かう。この屋敷の中で、シャルロットが真に守りたいと思うものは、そこに居る心を狂わせた母1人だけ。
 母の無事が確認できれば、母を連れてシルフィードで全力で逃げる。それだけが頭の中で繰り返されていた。
 警戒を続けながらの前進が、止まる。
 長い廊下を前にして、シャルロットは魔法の詠唱を始めた。廊下の両側に並ぶ扉の向こうに、何かの気配を感じるのだ。それも、一つや二つではない。
 妙に勘が鋭い。五感ではなく、第六感というような、曖昧な感覚だ。
 ホル・ホースと出会ってから、この感覚が時折感じられるようになった。彼の使う不思議な力にも関係するのかもしれない。
 詠唱を終えたシャルロットは、ゆっくりと足を前に出して、扉の向こうにいる不審者への警戒を強める。



 廊下の中ほどにまで進んだとき、予想した通りに廊下に並ぶ扉が一斉に開かれた。同時に矢がシャルロットに向かって飛んでくる。
 冷静に、務めて冷静に、シャルロットは魔法を発動させて、生み出した氷の矢を自身の周囲で高速回転させる。
 無数の矢が竜巻のように回転する氷の壁に弾かれて床に散らばった。立て続けに、扉の向こうから剣を構えた兵士が姿を現して襲い掛かってくる。
 杖を振るい、壁としていた氷の矢を正確に兵士の胸に突き立てた。
 悲鳴も上げずに矢と同じように床に転がった兵を見て、シャルロットはその正体に気が着いた。
 兵士の正体は、意思を付与された魔法人形のガーゴイルだ。使用者の命令を忠実に実行する、便利な道具としてガリアでは広く普及している。
 どうやら、屋敷を訪ねた無粋な客人は、このガーゴイルたちらしい。
 人でないのなら容赦は要らないと、シャルロットは杖を床に打ちつけた。
 それを合図に、残った氷の矢が未だ扉の向こうに隠れるガーゴイルたちに壁を打ち抜いて襲い掛かる。
 回避する間も無く巨大な氷の弾丸に瞬間的に凍り付けにされ、さらに受けた衝撃でバラバラになる。破損した手足が廊下に散らばって絨毯を汚した。
 今のシャルロットの力は、トライアングルの中でもトップクラスだろう。あと一つ、何かきっかけがあれば、スクウェアクラスにまで成長するというところまで来ていた。
 シャルロットの聖域とも言えるこの家を襲った敵に対する怒りで、魔力が強まっているのだ。
 数十体の死を恐れぬ兵士たちを瞬く間に葬り去ったシャルロットは、短く息を吐いて再び魔法の詠唱を始める。
 敵はこれで終わりということはないはずだ。ガーゴイルは、単独行動が出来るくらいに高性能だが、闇討ちを仕掛けられるほど頭は良くない。
 恐らく、近くにガーゴイルの使役者となる人間がいるはずだった。
 しかし、この分では、母は既に敵の手に落ちている。姿の見えない使用人達も、恐らくは始末されているのだろう。
 ふつふつと湧き上がる怒りで全身から魔力を迸らせたシャルロットは、自身の周囲に氷の矢を浮かばせて前に進む。


 長い廊下を抜けて母の居室の前に立ち、扉の取っ手に手をかける。
 じわり、と手の平に汗が浮かぶのを感じた。
 心臓が痛いくらいに鼓動を早めている。
 開けてはいけない。そう、誰かに警告されている気がする。
 しかし、母の安否を確認しなければ逃げることなど出来ないと、シャルロットは意を決して手に力を篭めた。
 鍵のかかっていない扉を引いて、部屋の中を確認する。
 ベッドと小机、それに本棚。引かれたカーテンから射し込む赤い光で、ベッドが夕焼け色に染まっていた。
 母の姿が無い。代わりに、ベッドの前に見慣れた背中が立っていた。
 全身の血が下りるのを感じて、杖に寄りかかる。
 そこに居たのは、申し訳無さそうに深く帽子を被ったホル・ホースだった。
 傍らに、自分よりも長く生きた幼い少女の姿は無い。
「ここで、なにがあったの」
 震える声で、シャルロットは問いかけた。
 姿の無い母と傭兵としてジョゼフに雇われている青年。この状況を見れば、一目瞭然だろう。それでも、心のどこかで信じたい気持ちが消えないでいる。
 血の匂いが、少しだけ漂っていた。
「最初にその台詞か。真っ先に疑ってくれりゃあ、こっちも気が軽かったんだがなあ」
 振り向いたホル・ホースがいつもの軽い口調で声を発した。
 シャルロットの心臓が悲鳴を上げる。
 手が震えて、足に力が入らなくなっていった。
 疑念は確信へと変わろうとしている。
 それ以上喋らないで欲しい。聞きたくない。言って欲しくない。やめて、やめて。
 現実に心が拒否を示し、耐え難い苦痛が胸を引き裂こうとしていた。
 杖を手放して耳を塞いだシャルロットの周囲に、展開されていた氷の矢が転がる。
 意識が暗くなり、目を開くのが苦痛になった。
「悪いな、嬢ちゃん。ジョゼフの野郎に依頼されちまったんでね。オレには、他に選択肢はなかった」


 すまねえ、と小声で謝るホル・ホースに、シャルロットは頭を激しく横に振った。
 声にいつもの明るさが無い。平坦で、耳障りの悪い、不快な音だ。
 こんなのは、自分の知る男の声ではない。
 それでも、目の前にいる人物が本人であることが分かってしまうために、シャルロット
は叫ぶように声を上げた。
「嘘!違う、あなたはそんなことをする人じゃない」
「オレは暗殺者だって、最初から言ってるはずだぜ。嬢ちゃんもそれを利用しようとしたはずだ。オレが善人だなんて勘違いは、嬢ちゃんの勝手な妄想に過ぎねえ」
 語気を強めるホル・ホースに、シャルロットはさらに頭を振って、違う、と呟いた。
 父を失い、母が心を失ってから、心を閉ざして復讐だけの為に生きてきたシャルロットが見つけた、数少ない希望。頭を撫でてくれたときに感じた温もり。王族でも、タバサでもない自分を見てくれた、たった一人の男性。
 その姿にどこか父親に似たものすら感じていたというのに、その人物が、目の前で今までの努力の全てを否定しようとしている。
 現実を受け入れきれない心と頭の痛みに、シャルロットは悲鳴を上げた。
「いや、いやあ……」
 何時しか、本音を聞かされたときにも感じた幼子のような声。それが、今ここで現実にホル・ホースの鼓膜を叩いている。
 全身に浮かび上がる嫌な汗が、最悪な気分に引きずり込んでいくようだった。
 これだから、イヤだったんだ。
 心の中で悪態をついて、ホル・ホースはシャルロットから逃げるように顔を逸らした。
 扉の開く音が響いて、部屋の中に生温い風が入る。
「話は、終わったのか」
 シャルロットの背後からビダーシャルが姿を現した。本を一冊抱えているようだが、そのタイトルまでは読むことが出来ない。
 とっさに振り向いたシャルロットの目に、長い耳が映る。
 ハルケギニアの東方に広がる砂漠に暮らす長命の種族にして、人間の何倍もの歴史と文明を誇る種族。強力な先住魔法の使い手にして、恐るべき戦士。
 エルフという種族を目の前にして、シャルロットは床に落とした杖を手に取って魔法の詠唱を始めた。


 すぐに氷の矢が周囲に浮かび、戦闘の準備が整う。
「アナタが……!母はどこにいるの」
 激情がシャルロットの声を荒くさせたが、長い時間心を閉ざし続けてきた精神力がそれを押さえ込む。
 いつの間にか、心の中に生まれていたホル・ホースに対する不信感が消えていた。
 ホル・ホースは脅されて仕方なくここに居た。自分を裏切ったわけではない。目の前にいるエルフが、彼を脅したのだ。
 確信を篭めて、シャルロットは心の中で叫ぶ。
 許さない、と。
 母の心を狂わせた薬が先住民族のものだということは、ほぼ特定している。エルフが目の前に現れたことによって、それが確定的となった。
 ジョセフとエルフには、なにか繋がりがあるのだろう。だが、そんなことは関係ない。いずれ、砂漠へ直接赴いて母の薬を手に入れれば良いだけの話だ。
 ビダーシャルが、ホル・ホースにチラリと視線を送って、シャルロットの質問に答える。
「お前の母は、先程リュティスに送られた。お前とは入れ違いに、な」
 ならば、シルフィードで追えば間に合うかもしれない。
 聞くべきことを聞けた以上、長居は無用だと、シャルロットは杖を振るった。
 暴風ともに氷の矢が打ち出される。
 嵐のように襲い来るそれを涼しい顔で見るビダーシャルが、少しだけ表情を変えた。
 遠慮か哀れみ。とにかく、敵にかけるような視線ではないそれを、シャルロットに向けたのだ。
 途端、何かに阻まれるように勢いを失った氷の矢が、反転してシャルロットの身体に襲い掛かる。
 驚く時間など無いと、瞬時にフライの魔法を詠唱して避けようとしたシャルロットの手から、杖がなにかに弾き飛ばされた。
 視界の端で、右手を前に出すホル・ホースの姿が見える。
 あの不思議な力を使って、自分の杖を弾いたらしい。
 何故。
 そう声を出す間も無く、シャルロットは自身の作り出した氷の嵐に飲み込まれて意識を失った。



 床に血が零れ、少女の身体に痛々しく氷の破片が突き刺さっている。
 破れた服は赤く染まり、もう見る影も無かった。
 いつかのように足元に転がった杖を手にしたホル・ホースは、帽子を深く被ると右手を倒れるシャルロットの頭に向けた。
 シンプルな形のスタンド像が浮かび上がる。
 銃の姿をしたそれを握り、引き金に力を篭めた。 
 吐き出された弾丸がシャルロットの頭部に吸い込まれていく。
 だが、それが何かを貫くことは無かった。
「テメエ、なんでオレの邪魔をする」
 勢いを失った銃弾が床に転がり消えていくのを見て、ホル・ホースは声を低くして邪魔者を睨み付けた。
 弾丸の進路に足を差し出したビダーシャルが、ホル・ホースに視線を合わせることなくシャルロットの首筋に指を乗せた。
 指先に確かな脈動が伝わる。だが、それも徐々に勢いを失いつつあった。
 放っておけば、そう時間を待たずに失血死することだろう。小さな身体に残る命の灯火はあまりにも儚い。
「この者の身体に流れる水よ……」
 朗々とビダーシャルが呪文を唱え始めた。
 一般に先住魔法と呼ばれるそれは、先住民族たちには精霊の力と呼ばれている。
 エルフが使うその力は特に強大で、さっきのようにシャルロットの魔法を反射し、ホル・ホースのスタンドすらも防いでいる。人々が恐れる、エルフの魔力だ。
 絵筆で塗りつぶされるように、シャルロットの身体に刻まれていた傷が消えていく。盛り上がる肉に氷の破片が押し出されて床に転がり、溶けていった。
 瞬く間に、元の美しい白い肌を取り戻したシャルロットを抱え上げて、ビダーシャルはエンペラーを構えて睨み続けるホル・ホースを見た。
 引き金は、何度も、何度も引かれている。
 照準はシャルロットの頭部に合わせられていた。
 しかし、弾丸がシャルロットの頭に到達することは無い。
 やがて諦めたホル・ホースは、スタンドを解除して傍らのベッドを蹴り付けた。


 どれほどの力が篭められていたのか。小さくは無いベッドが、蹴られた勢いでひっくり返って床の上に逆さに落ちる。
 ホル・ホースの心を支配していたのは、僅かな怒りと無力感だった。
 その姿に、ビダーシャルは頭を振って言った。
「この娘の母を前に、与えられた使命を拒絶したのはお前だったはずだ」
「そんなことは分かってんだよ!」
 声を荒げたホル・ホースが、ビダーシャルの胸倉を掴みあげようとして弾き飛ばされた。
 床に背中を打ちつけ、激しく咳き込む。
 乱れた呼吸のまま立ち上がり、もう一度エンペラーを発現させてビダーシャルを睨み付けた。
「その嬢ちゃんは、ここで死なせてやるべきだ。事故でもなんでも言い訳は出来る。なにがなんでも、あのクソッタレのジョゼフのいい様にはさせるワケにはいかねえんだよ」
 引き金を引かれたエンペラーが弾丸を吐き出して、ビダーシャルが抱えるシャルロットの頭部に襲い掛かる。
 やはり、弾丸は何かに阻まれて床に落ちていった
 それでも足りないと、ホル・ホースは引き金を引き続ける。
「母の姿に同情したか」
 エンペラーの銃口がビダーシャルの顔に向けられた。
「ああ、そうだ。テメエも見ただろう。目は落ち窪んで、酷く痩せ細ってやがる。髪にも艶はねえし、人形を娘と勘違いしてずっと愛でてるんだぜ。美人さんだっただろうに、今じゃ地獄の亡者みてえだ」
 ベッドの上でずっと、小さな人形を抱えて優しい言葉をかけ続けているシャルロットの母の姿を思い出す。
 ホル・ホースが部屋に入ったとき、彼女は化け物でも見るかのように怯えて、小刻みに震える身体で人形を必死に守ろうとしていた。
 シャルロットへの愛情の深さが強く感じられる分、余計に痛々しい。
 あの女性は、心を狂わせた今でも、シャルロットを守り続けている気になっているのだ。
「嬢ちゃんをあんな状態にさせるわけにはいかねえ。オレに出来るせめてもの情けは、ここで嬢ちゃんを殺してやることだけだ」
 気を狂わせて生かされ続けるのは、屈辱以外の何者でもないだろう。それだけは防がなければならないと、ホル・ホースは自分でも信じられないくらいの使命感を抱いていた。


 解毒薬の入手は不可能。それはほぼ確信できていた。恐らく、ジョセフは自分を更に裏切らせるために、使う予定も無い解毒薬をビダーシャルに作らせたのだろう。
 玩具にされているのは、ホル・ホースも同じなのだ。
 それに引っかかってやる気は無い。どうせ、あの薬は今頃どこかに棄てられている。
「ふむ。私が、新たに解毒薬を作るとは思わないのか」
 毒も薬も、ビダーシャルが作ったものだ。なら、本人に新しく作らせれば良い。
 そんなことは、ホル・ホースも最初に考えていた。
 だが、ゆっくりと首を振る。
「思わねえな。たとえ作ったとしても、またジョゼフの野郎が毒を飲ませるだけだ。堂々巡りになる。……楽にさせるなら、今しかねえんだよ」
 ホル・ホースがエンペラーの銃口を、もう一度シャルロットの頭部に向けた。
「ならば、この娘の母を殺さなかった理由はなんだ」
 ビダーシャルの言葉に、引き絞った指が止まった。
「私が行動を起こしたのは、お前がこの娘の母を殺そうとしなかったからだ。それ以前に母を殺し、この少女もさっさと殺せばよかった。お前にはそれが出来たはずだ」
 言葉が胸に突き刺さる。
 命じられた使命を土壇場で破棄したのはホル・ホース自身だ。それが、今更になって殺すなど、欠片も説得力が無い。
 シャルロットとその母、エルフの毒で苦しんでいるのはどちらも変わりはない。母だけを生かしてシャルロットを殺す理由など、どこにも無いのだ。
 大きな矛盾を指摘するビダーシャルに、ホル・ホースは返す言葉を持たなかった。
「精霊よ……」
 ビダーシャルが呪文を唱える。短い詠唱だ。
 一息置いて、シャルロットの身体を床に横たえると、その姿を指してホル・ホースに命令するように言った。
「お前の力で、この少女を殺してみろ。今なら、精霊の守りはない」
 一歩下がったビダーシャルを見て、ホル・ホースは戸惑うようにシャルロットに視線を向けた。
 血で赤く染まった服が無ければ、ただ眠っているだけにしか見えない。メガネの端が欠けて、衣服もボロボロだが、そこには健康なシャルロットの姿がある。

 目を覚ませば、またあの無愛想な少女の姿を見ることが出来るだろう。
 震える右手を持ち上げてスタンドを発現させる。
 照準がシャルロットの額に合わせられた。
 引き金にかけられた指に少しずつ力を篭めていく。
 息が荒くなり、全身から汗が噴出しているのを感じて、ホル・ホースは喉を鳴らした。
 これまでに何人も殺してきたはずじゃないか。いまさら、何を戸惑うことがあるのか。
 今ここで引き金を引くだけで、シャルロットは母のような狂気を抱えながら生きなくて済むようになる。
 それは、救いではないのか。彼女のことを思うなら、こうするべきではないのか。
 虫の息で助からないと分かっていたときには簡単に引けた引き金が、今は重く感じる。
「ハァー、ハァ、ハァ」
 呼吸が乱れ、指先が震える。
 心なしか、エンペラーの姿もぼやけて見えた。
 シャルロットの姿を視界に入れ続けている間に、ホル・ホースは唐突に思った。思ってしまった。
 子供を殺すのは、初めてかもしれない。と。
 手が動き、照準が金髪のエルフに向けられた。
 汗が引いて震えが止まる。
 引き金が引かれた。
「くたばれ耳長野郎!!」
 精霊の守りの無い今なら、ビダーシャルは無防備。
 ジョゼフには逆らえない。だが、シャルロットと逃げるくらいは出来る。シルフィードの翼があれば、大抵の追っては振り切れるのだ。
 その障害となるのは、ここに居るエルフただ1人。ジョゼフの私室で衛士たちに囲まれた状況とは違うのだ。
 銃口から弾丸が飛び出して、一直線にビダーシャルの額に飛び込んでいった。
 シャルロットに向けられた哀れみの目が、ホル・ホースにも向けられた。
「……ん、なっ!?」
 弾丸が空中で何かに阻まれて勢いを失い、床に転がった。
 呆然とそれを見つめて、ホル・ホースは言葉を失くす。

 ビダーシャルの言葉はハッタリだった。
 精霊の守りは解かれてなどいない。ビダーシャルの周囲に存在する力は、変わらず存在していたのだ。
 しかし、シャルロットを撃てば、間違いなく弾丸は届いただろう。精霊の守りはビダーシャルの周囲に張り巡らされているものであって、シャルロットを守っているわけではないからだ。少し離れてしまえば、その恩恵は受けられなくなる。
 少し考えれば分かることだ。
 ホル・ホースが嵌められたことを理解したとき、既にビダーシャルはシャルロットを抱え上げて部屋を出て行こうとしていた。
 その顔には落胆の色がある。
「結局、お前の内にある迷いが消えることはなかったようだな」
 そう言い残して去っていくビダーシャルの後姿を見送って、ホル・ホースは力なく床に膝をついた。
 敗北感に打ちのめされて、震える身体に膝に爪を立てる。
 心の中を見透かされ、試すような真似をされた。自分という存在を、価値観の天秤にかけたのだ。
 そして、見下した。
 殺意と怒りがホル・ホースの腹の奥に重く湧き始める。
「ちくしょう、あの野郎……いつか絶対にぶっ殺してやる」
 いちいち小物臭い台詞だが、ホル・ホースの心に、DIOを相手にした時ほどの絶望感は無い。それが、再起の意思に繋がっていた。
 今回は自分の躊躇いが生んだ敗北だ。素直に受け入れよう。
 だが、次は必ず。
 そう言い聞かせて、ホル・ホースは立ち上がった。

 夜の闇に包まれ、人の居なくなった屋敷が不気味な雰囲気を醸し出している。
 旧オルレアン公邸に残っていた最後の人間であるホル・ホースは、その玄関前で周囲に向かってエルザの名前を呼んでいた。
 ここに訪れたとき、ホル・ホースがシャルロットの相手をしている間、シルフィードを抑えているように指示をしておいたのだが、姿がまったく見えない。


 屋敷の周囲を一周したが、野犬が時々現れるくらいで、人の気配はまるで無かった。
 空を見上げても、青い鱗の竜の姿は確認出来ない。
 二人して一体どこへ消えたのか。
 ふと、最悪の展開を予想する。
 シャルロットを抱えるビダーシャルを見つけて襲い掛かるシルフィード。それに便乗して暴れるエルザ。しかし、手も足も出ずに敗北して拘束され、連れて行かれる。
 そこまで考えて、ホル・ホースは帽子を押さえて軽快に笑った。そして、本当にありそうな想像に、思わず叫んだ。
「冗談じゃねえぞ!」
 玄関から伸びる石畳を駆け抜けて両開きの立派な門を通り越す。赤と青の大きな月の光のお陰でまったく見えないということは無いが、争った形跡などを探すのは難しそうだ。
 丹念に辺りを調べて林の中に足を踏み入れると、ホル・ホースは茂みに隠れるように置かれた二つの鞄を見つけた。
 自分の旅行鞄と、金貨の入れられた鞄だ。しかも、開いている。
「お、おいおいおいおい!」
 慌てて中身を確認すると、金貨の詰まっていた袋の一つが少し軽くなっている。旅行鞄の中からは、地下水とスキルニルの姿が消えていた。
 最悪の可能性が更に濃くなっている。
 まさか、無茶はしないだろう。エルザはああ見えて30過ぎだし、シルフィードはその十倍以上生きている。人生経験はそれなりに豊富なはずだ。
 そうは思っても、目の前で開かれた鞄を見ると、まったく安心出来ない。
 どちらも精神年齢は子供だったような。なんて思い始めると、余計に不安が募っていく。
 どうやら、今日は選択の余地が無い状況に恵まれた一日らしい。
 相棒を見捨てるわけにも、シャルロットをそのままにするわけにもいかない。ついでにシルフィードも何とかしてやる必要があるだろう。
 厄介事の嫌いな自分が進んでそういうものを引き受けている気がして、ホル・ホースは力なくヒヒと笑った。というより、笑うしかなかった。
 はあ、と息を吐いて、夜空に右手を掲げる。
 エンペラーのスタンドが姿を現して、月の光に金属の光沢を照り返した。
 氷の魔法に切り裂かれるシャルロットの姿を思い出す。


 あの少女は、母の居室に居た自分に何を思ったのだろう。
 それなりに好意を向けられていたことは知っている。それが、家族愛に近いものだということも。
 やはり、裏切りだろうか。だが、自分はシャルロットを裏切ることも、味方することも出来なかった。
 下手に悩んだ挙句に、殺すという選択肢を選んだくらいだ。それも、実行に移せなかったが。
 何時に無く感情的な少女が、氷の嵐に飲まれる瞬間に自分に求めたものはなんだったのだろう。
 悲しそうな目が印象に強く残っているが、それが何を悲しんでいるのかまでは分からない。
 自分の裏切り。目的を達せずに終わること。母の安否。それとも、迷いを抱え続ける自分への哀れみだろうか。
 どれだけ悩んでも、答えは出そうに無かった。
 もう一度息を吐いて、面倒くさそうに開いた鞄の蓋を閉じる。
 今回の一件で、ホル・ホースのプライドが傷つけられた。しかし、命は惜しい。
 ジョゼフに逆らうということは、あのビダーシャルともう一度戦うということだ。エンペラーの攻撃が一切効かなかったことを考えると、気が重くなる。
 準備が必要だ。エルザを助けるにしても、シャルロットを助けるにしても。
 場合によっては、新しい相棒を見つける必要があるのかもしれない。
 そう思って、ホル・ホースは両手に鞄を抱えて歩き出した。

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