ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

5 策謀の代償 後編

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匿名ユーザー

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 オスマンの話が続いた。
 トリステイン魔法学院は国の要所だ。しかし、それにしては教師陣の認識は甘く、生徒達も自覚が足らない。務める衛兵達も昼間から欠伸をしている始末。
 こうなった原因は、メイジの一点集中にある。
 メイジは国力であると同時に、戦力だ。現代で言えば、軍事基地。戦車や歩兵が大量に闊歩している中心点だ。そのために、戦争でもなければこんな場所に攻撃を仕掛ける馬鹿など1人もいないだろうという、下らない妄想が蔓延しているのだ。
 宿直の教員など、当たり前のように部屋で酒を飲んだ挙句、高鼾で寝床についている。
 これでは、いざというときに学院の生徒達が危険に晒されることだろう。守られる対象である生徒達も外の世界を知らずに育つためか、血の気ばかりが多く、問題を起こすことが多い。
 意識改革の必要性を、オスマンはホル・ホースに向けて説いていた。
「ついこの間も、生徒が決闘騒ぎなどを起こしおった。人死にが出なかっただけ良かったと思いたいところじゃが、いつまた同じ過ちを犯すか分からぬ」
 嘆かわしい、と首を振るオスマンを眺め見つつ、、ホル・ホースは退屈そうに小指で耳掃除を始めた。爪に大きな垢が引っかかり、息と共に宙を舞った。
「で、恥を他国の騎士の目に晒して、大人しくさせようって話か?」
 ホル・ホースの言葉に、オスマンは一度頷いたかと思うと、すぐに横に振り直した。
「最初はそう思ったんじゃが、それでは根本的な解決にはならんじゃろう。そこで、一つ頼まれてくれんかのう」
「話によるぜ。ヤバイ内容なら、すぐにここを出て行く」
 オスマンが笑い声を上げた。
「なあに、君にとっては大した問題ではないじゃろう」

 螺旋階段に二人分の足音が鳴り響く。
 手を繋いだエルザとフーケだ。
 エルザはニコニコと笑みを浮かべ、フーケは手を離したいと必死に願い続けていた。
 何度か手を離そうと努力はしたのだ。しかし、さすがは吸血鬼と言うべきか。外見こそ幼いが、女性であるフーケよりもその手の力はいくらか強く、今も振り解くことが出来ないでいた。

 そんなフーケに、エルザが視線を向けた。
「お姉ちゃん、わたしと手を繋ぐの、イヤ?」
 エルザが首を傾けて、本当の子供のように不安そうな顔でフーケを見つめる。
 ああ、イヤだね!
 と全力で否定したかったが、エルザに掴まれた手の骨が悲鳴を上げている。逆らうのは難しそうだった。
 ガックリと肩を落として、泣く泣く首を横に振るフーケに、エルザが楽しそうに笑う。
 そんな姿を、学院で教鞭をとる教師の1人、コルベールが見つけた。
 頭頂部の寂しい中年男性であるこの細身の男は、明らかにロングビルに気がある様子で話しかけた。そして、短い挨拶を交わした後、エルザに視線を落として一言こう言った。
「お子さんですかな?」
 昏倒したコルベールを置いてエルザとフーケが螺旋階段を下りていく。すると、次に学院では比較的若い部類に入る教師、ギトーが姿を現した。
 彼もコルベールと同じように短い挨拶を交わして、エルザに視線を落として言った。
「可愛いお子さんですな」
 首が変な方向に曲がった男を置いて更に階段を下りると、宿直室からふくよかな体格の女性教員のシュヴルーズが姿を現して、フーケと挨拶を交わす。
 そして、やはり言った。
「あら、可愛いお嬢ちゃん。いつ生んだの?」
 とりあえず階段に三人ほど転がったところで、フーケは叫んだ。
「あたしはそんなに子持ちに見えるのか!!」
 まだ23なのにと嘆くフーケだが、世間一般では5才前後の子供が居てもおかしくない年齢であることは確かなので、エルザは何も言わなかった。
 フーケの顔は、どこか気苦労を感じさせるものだ。盗賊家業に身を窶すというのは、それなりに苦労の多い人生を歩んできた証拠だろう。
 可愛らしくニコニコと笑う少女と手を繋いで歩いていれば、その関係を親子ではないかと勘繰るのも仕方のないことだ。
 でも、納得できるものではない。それに、エルザの笑顔は、吸血鬼である自分を恐れて微妙に身体を震わせているフーケを面白がってのことである。
 そんな状況下に置かれているのだから、一回くらい叫んでも怒られはしないだろう。

「頑張れ、お姉ちゃん!」
「誰のせいだ!!」
 心の篭っていない言葉をかけて笑うエルザに怒鳴りつけるように言い放って、フーケは肩を落とした。義理の妹が住んでいるであろう緑に囲まれた小さな村を思い起こして、望郷の念に苛まれる。
 なんでこんな思いをしなければならないのだろう。金はそれなりにあるのだから、故郷に帰って細々と暮らそうか。
 そんな思いに捕らわれ始めて、フーケは視線を窓に向けた。
 日が落ちた夜の空は、満天の星空を湛えている。廊下を照らす松明の光が無粋に思えるほど美しく、じっと見つめていれば落ち込んだ気持ちも少し持ち直しそうだった。
 お姉ちゃん、もうすぐ帰るからね。
 遠い故郷に居る妹に、心の中で形の無い手紙を送る。
 ストレスが溜まり過ぎて感傷的になっているフーケだった。
 だが、それもすぐに邪魔が入る。
 爆音だ。それも、かなり近い。
「な、なに!?なによ!!」
 戸惑うエルザに構わず、フーケが窓から身を乗り出して中庭に目を向ける。
 遠目にピンク色の髪の少女と赤い髪の少女が見える。片方は笑い、もう片方は何かを見つめて呆然としている。
 突然、窓の横から叫び声が聞こえた。
「殺す気か!」
 少年の声にフーケが視線を向けると、ロープに縛られた奇妙な格好の人物が目に留まる。
 最近噂になっている、ギーシュという生徒と決闘騒ぎを起こした少年だと、フーケはすぐに気が付いた。特徴的な黒い髪と主人であるミス・ヴァリエールとの掛け合いは、忘れたくても忘れられない強い印象がある。
 赤い髪の少女が、杖から炎を生み出して、少年を支えているロープにぶつけた。
 ロープが焼き切られて、少年の姿が地面に吸い込まれていく。だが、誰かが浮遊の魔法を使ったのか、その身体は地面に激突することなく、ゆっくりと着地した。
 赤い髪の少女の笑い声に続いて、ピンク色の髪の少女が蹲って草むしりを始めるのが見える。

「こんな時間に子供が遊んでるの?って、壁がボロボロじゃない」
 フーケと同じように窓から身体を乗り出したエルザが、本塔の壁を見て呆れるように呟いた。
 壁面に走る大きな亀裂は、もう少し力を加えれば、そのまま崩れてしまいそうなくらいに深く刻まれている。
 フーケが口元に笑みを浮かべ、慌てた様子でエルザに詰め寄った。
「杖だ!あたしの杖を返しな!チャンスが来たんだ!あのクソ頑丈な宝物庫の壁が壊れそうなんだよ!!今を逃したら、次は何時になるか分からないじゃないか!」
 焦るフーケはエルザの了解も取らず、身体を覆っている布の中に手を突っ込んであちこちを撫で回した。
「ちょっと、勝手に人の身体を……あ、そこは!こら!止めなさいって!杖なんてどこを探してもないわよ!」
「え、ない?ないの!?じゃあ、どこにあるって言うんだい!」
 荒い息をつくエルザに更に詰め寄ったフーケが声を荒げて周囲を見回す。当然、杖など転がっては居ない。転がっているのは、階段の辺りにある三人の教師の姿だけだ。
 自分の服の中も探し始めたフーケだが、もちろん、そんなところにも杖は無い。
「あなたの杖を持ってるのは、お兄ちゃんよ。欲しいなら、取りに行かなきゃ」
 気楽に言うエルザだが、実際にはそんな簡単なことではない。
 エルザを部屋に案内する途中で杖を取りに戻るなど、少々不自然と言えなくも無い。それに加えて、なぜホル・ホースがフーケの杖を持っているのかという話も出てきてしまう。
 疑われるわけにはいかないフーケが、このタイミングで学院長室に戻るという選択肢は限りなくゼロに近かった。
 頭を抱えるフーケにエルザが哀れみの視線を向けたとき、へらへらと軽薄な笑みを浮かべたホル・ホースが螺旋階段を下りてくるのが見えた。
 転がっている教師達を見て大袈裟に驚いては、恐る恐るつま先でつつく。ピクリとも動かないのを確認して、ほっと胸を撫で下ろし、フーケとエルザに視線を合わせた。
「よう。まだ部屋に行ってなかったのか?」
 呑気に声をかけるホル・ホースに、フーケが飛び掛かった。
「杖を返しな!今すぐ!!」
 恐るべき勢いと形相に悲鳴を上げそうになるのを抑えて、ホル・ホースはベルトに挟んだ杖を大人しく差し出した。

 あっさり戻ってきた杖を手に握って自分のものであることを確認したフーケは、そのまま二人を置いて何処かへ走って消えていった。
「なんだあ、ありゃ」
「さあ。よく分からないけど、お仕事みたいよ?チャンスが来たとか何とか」
 顔を見合わせるホル・ホースとエルザが、揃って首を傾げる。
 フーケの様子から考えると、かなり時間に追われている状況のようだった。
 その原因の一端が外の状況にあるのだろうかと、エルザが視線を窓に向けると、先程のピンク髪の少女と赤い髪の少女が言い合いをしている現場が見えた。
 会話の内容までは聞こえてこないが、ピンク髪の少女は赤髪の少女にからかわれて怒りを露にしているらしい。
「なにか見えるのか?」
 ホル・ホースがエルザの視線を追って外の様子を見る。それとほぼ同時に、小さな地震が二人を襲った。
 天井から落ちる砂埃が床に転がる教師達の身体に降りかかり、壁が歪な音を立てる。
「何が起きてやがる!」
 ホル・ホースが状況を把握しようと叫びながら辺りに視線を走らせたとき、強い衝撃が本塔を揺らした。足が一瞬、床から離れた。
 窓の向こうにある巨大な土人形の姿に気づいたのは、エルザだった。
「ちょっと、なによアレ!」
 その声にホル・ホースも視線を向けて驚愕に口を大きく開いた。
 学院を覆う城壁よりも大きい、ビルのような大きさのゴーレムだ。それが、本塔の壁を殴りつけている。
 一撃、二撃と巨大な拳をぶつけるたびに、ホル・ホースとエルザの身体が宙に浮く。床に転がっている教師陣は身を守る術がないために床に何度も頭を打ち付けていた。
「お兄ちゃん、ゴーレムの肩を見て!フーケが居るわ!」
「なにィ!?」
 エルザの声にホル・ホースがゴーレムの肩に視線を向けた、
 確かに、背格好の良く似た人物が立っている。しかも、特徴的な長い緑色の髪まで見えていた。見る人が見れば、ロングビルとフーケが同一人物だと分かってしまいそうだ。姿を隠す気があるのだろうか。

「どうする?捕まえる?」
 衝撃で宙に浮くことに慣れてきたのか、エルザが余裕のある表情でホル・ホースの顔を見上げる。
 それを手で待つように制して、ホル・ホースは顎に手を当てた。
 学院長の話を思い出し、現状に照らし合わせていく。
 規則的に並べられたパズルのピースが、一つずつ嵌まっていく感覚がした。
「よし、付いて来いエルザ。小遣い稼ぎをするぜ!」
 ホル・ホースが、ヒヒと楽しげに笑った。

 暗い森の中を1頭の馬が走る。
 伸びた枝が騎手の身体を打ち、葉が視界を隠すが、それでも目的地を見失うことなく騎手は馬を走らせ続けていた。
 大きな箱を抱えながらの馬捌きは少々ぎこちないものとなっているが、馬は背に乗る主の意思に従って森の奥へ奥へと駆け抜ける。
 やがて開けた場所に出ると、騎手は手綱を引いて馬の足を止めた。
 力加減を誤ったのか、馬が嘶き、前足を高く上げて倒れそうになる。
 背中の上でバランスを取って落馬を防ぎ、馬の首筋を撫でて落ち着かせると、騎手は軽い動きで馬の背を下りて箱を地面に下ろした。
 背の低い草が絨毯となって箱を優しく抱き止める。箱はそれほど重くないのか、草を完全に押し潰す事はなかった。
 懐から取り出した短い木の棒をふるって小声で呪文を唱えると、口を閉ざしていた箱が音を立てて開く。中にはくすんだ茶色の筒が、綿をタップリと詰めた赤い絹の台座に乗せられていた。
 ハルケギニアでは見られない不思議な材質の金属で作られたその筒こそ、使用者に強大な力を与えるといわれる、破壊の杖だった。
 全身を覆うローブのフードを取ったフーケが、それを手にとって月明かりに照らした。
 金属の光沢に見慣れない模様が刻まれている。インクに似ているが、黒くは無い。見たことない染料で文字が書かれているようだった。
 見た目よりもずっと軽いが、片手で持つには少し重い。しかし、メイジが扱うための杖だというのなら、片手で使わざるを得ないだろう。

 とにかく、物は試しだ。
 フーケは破壊の杖を右手に握り、傍にあった枯れ木に向けて“発火”の魔法を使用した。
「……?」
 確かめるように、もう一度。呪文と共に破壊の杖を振る。
 しかし、何も起きなかった。
「……マジックアイテムの類じゃないのかい」
 破壊の杖を傍らに置いて、フーケは自分の杖を取り出した。
 短い詠唱によって杖からキラキラと光る粒が破壊の杖に降りかかる。
 ディテスト・マジックという、魔法の力を探知する魔法だ。
 破壊の杖にかけられた光の粉が、地面に溶け込むように消えていく。なにも反応は得られなかった。
「ということは、別に使い方があるってことだね」
 ぐるぐると回しながら破壊の杖の造りを観察し、それっぽい部分を適当に触る。
 すると、ポロリと何かが外れた。
 それに気づくことなく、フーケは杖を触り続ける。
 リアカバーが引き出され、チューブがスライドし、安全装置が外れた。
 そこでフーケも気づく。何かがおかしい、と。
「壊れちまった、とかじゃないよねえ」
 最初の外見から多少変形している破壊の杖に、首を傾げる。
 使い方が分からない場合は説明を誰かに聞かずに自分で弄くってみるタイプの人間であるフーケは、それを使い方が分かる寸前の兆候だと捉えた。
「もうちょっとで、なにかが分かりそうな気が……」
 筒の中を覗き込み、筒の上部にあるトリガーに手がかかる。
 森の茂みが揺れた。
「誰だ!!」
 重い破裂音が響いて、何かが茂みの向こうに飛んでいく。
 あまりに早くてそれがなんなのか分からなかったフーケだが、次の瞬間、森の中に起きた惨事に破壊の杖の力が発揮されたことを知った。
 爆音。そして、吹き上がる炎。生み出された爆風がフーケの体を打ちつけ、火の粉を全身に浴びせかけた。

 一瞬で森が炎に包まれるのを見て、破壊の杖の力をフーケは思い知る。
「す、凄いじゃないかい!なんで動いたか知らないけど、これなら確かに破壊の杖って名前も頷けるねえ」
 もう二度と弾を吐き出すことの無いM72LAWという名前のロケットランチャー型魔法の杖を抱いて、フーケはその場で飛び上がるほどに喜んだ。
 苦労の甲斐があるというものだ。これなら、間違いなく高値で売れるだろう。ムカつく貴族のガキやセクハラジジイともお別れだ。いや、いっそのこと、コレを武器にして貴族共を脅すのも悪くない。
 そんなことを思って破壊の杖を箱に戻そうとしたフーケは、茂みの中から這いずる様に現れた人物を見つけて呆れたように声をかけた。
「アンタ、そんなところでなにやってんだい」
「て、てめえぇえぇ……」
 匍匐前進で姿を現したのはホル・ホースだった。顔中に汗がびっしりと浮かび、心なしか青褪めている。片腕に抱かれて目を回しているのはエルザらしい。
 強い怒りの秘められた目で睨みつけてくるホル・ホースと徐々に火の勢いが増している森を交互に見て、フーケはなぜそんな目で見られているかという理由に気が付いた。
「ああ、さっき茂みに居たのはアンタだったのかい」
 しれっと言い捨てるフーケに、ホル・ホースのこめかみに青筋が浮いた。
「軽く言ってるんじゃねえ!こっちは死ぬかと思ったんだぞ!!」
 ロケットランチャーの弾頭が頭上数十センチを通過する恐怖。そして、背中から遅い来る爆風。
 フーケの行動があまりにも自然すぎて、スタンドを発動させる暇も無かった。発動させたところでどうにかなる問題でもないのだが。
「おい、エルザ!起きろ!寝たら死ぬぞ!いや、死なねえか……とにかく起きろ!」
 体中の力が抜けて頭をぐるぐる回しているエルザの頬を叩いて声をかける。頬を何度か叩かれた後、耳元での呼びかけに何とか意識を取り戻したのか、エルザがまだ頭をふらふらとさせながら呟く。
「耳が、きーんてするぅ。頭が痛いぃ」
「我慢しろ。というか、引っ付くなエロガキ」

 ホル・ホースの首に手を回して頬を擦り付けてくるエルザの頭に手刀を落として強制的に目を覚まさせる。エルザが小さく悲鳴を上げた。
 涙目で頭を押させる幼女を置いてホル・ホースは立ち上がり、背後に広がる火の海に目を向ける。
 さっきまで隠れていた茂みが火に包まれ、焼けて倒れた木に押し潰されるのが見えた。
「ロケットランチャーってやつは、爆風が強すぎて火がつき難いって話をどこかで聞いた気がするんだが、気のせいだったか?」
 森の燃焼状態は悪化の一途を辿っている。火の勢いで夜の草原が昼のように明るく見えるほどだ。これでは学院に戻ることもままならないだろう。
「ぽけっとらんち?なんだい、それ」
 森が燃えることは特に気にしていないのか、箱の中に破壊の杖をしまったフーケが馬の背中に箱を括りつけながら尋ねる。
「ポケットランチじゃねえ、ロケットランチャーだ。お前達が破壊の杖って呼んでるやつのことだよ。戦車やら建物ごと敵を打ち抜くために作られた、イカれた兵器だな」
「なんだい、知ってるなら早く教えてくれればいいじゃないさ」
 そしたら馬鹿みたいに弄くる必要も無かったのに。と呟いて、フーケは馬に跨った。 
 破壊の杖が本物であることが確かめられた以上、学院の近くに長居する必要も無い。それに、居場所を知らせるかのように炎が上がっているのだ。追撃が来る前にこの場所を離れたい。
 逸る気持ちにフーケが馬の手綱に手を伸ばす。
「まあ、教える前に使っちまったからな。いまさら、ってやつだ」
 少し熱くなってきたのを感じて、ホル・ホースが服の胸元に指を引っ掛けて自分の帽子
で風を送った。
 炎の勢いを見るに、この分では森全体を焼くまで勢いが収まることは無いだろう。空は晴れていて雨が降る様子も無い。消火される可能性も低そうだった。
「それより、フーケの姐さんよ」
 手綱を振って馬を走らせようとしたフーケに、ホル・ホースが声をかける。
「ガラクタになったロケットランチャーなんて、売れるのかい?」
「……なんだって?」
 聞き流せない発言だ。

 必死になって手に入れた破壊の杖が、ガラクタ?何を言っているのか。ガラクタどころか、こうして森を焼いてしまうほどの力を見せてくれたじゃないか。
 徐々に頭に血が上っていくのを感じて、フーケは馬に括り付けた箱を開いて中身を取り出した。
 チューブをスライドさせて、ホル・ホースに向ける。
 正確な使い方はまだわからないが、なんとなく上にある出っ張りを押せば動きそうな気がした。
「コレのどこがガラクタだって言うのさ。あんまり下らないことを言うと、あんたにもこいつの力を味わわせてやるよ」
 フーケの言葉にホル・ホースが肩を竦めて笑う。
「無駄だぜ。そいつは単発式で、使い捨てなんだよ。分かるか?使い捨て。一回使ったらもう使えないってことだぜ。OK?」
 ホル・ホースの舐めきった態度に、フーケは破壊の杖の上についた変な出っ張りを押し込んでみる。
 反応が無い。
 使い方が悪かったのかもしれないと弄り始めるフーケを見て、ホル・ホースは帽子を被り直して溜息をついた。
「だから何度も言ってるだろ。もう、使えねえんだよ。いい加減諦めろって」
 少し哀れみの篭った声に、フーケが視線を鋭くした。
「う、煩いよ!二度と使えないかどうかなんて、わかんないじゃないか!認めないよ!それを認めたら、セクハラに耐え続けてきたあたしの数ヶ月が否定されるじゃないか!」
 じわりと目元に涙を浮かべて必死に破壊の杖を弄り回す妙齢の美女の姿に、なにかがツボに入って、ホル・ホースが噴出して盛大に笑い始めた。頭を抑えていたエルザも哀れみの視線を向けている。
 森を焼き尽くさんばかりに燃え盛っていた炎も、情けない姿を晒す土くれのフーケを嘲笑うかのように、少しずつ勢いを弱めていた。
「笑うんじゃないよ!このっ!このっ!!」
「痛てっ!悪かった、悪かったって!笑ったのは謝るからよ!ヒヒ」
「まだ笑ってるじゃないか!!」

 鼻を啜りながらガラクタと化した破壊の杖で殴りつけてくるフーケに、ホル・ホースは謝りながらも笑い声を溢す。フーケの目元が真っ赤になって、今にも泣き出しそうな状態になっていた。
 そんな二人を呆れてみていたエルザが、ふと、身体に感じる寒気に身体を震わせた。
 冷たい氷の結晶が、空に散っている。
 いつの間にか森を焼いていた炎が消えていて、焼け焦げた樹木が姿を晒している。
 背筋を走る寒気に、エルザが星と月の明かりだけになった夜空を見上げると、そこには今一番見たくない影が星の瞬きを隠すように映っていた。
「お、おお、お兄ちゃん。あれ」
 ホル・ホースの袖を引っ張って、空を指差す。
 本格的に泣き始めたフーケを慰めようとしていたホル・ホースが顔を空に向けると、なにかが大きく翼を広げているのが見える。
「しゃ、シャルロットの嬢ちゃん……!?」
 ゆっくりと翼を広げて飛ぶシルフィードの背中に立ち、こちらを冷たい目で見下ろしているシャルロットの姿が、森にまだ少しだけ残っていた炎に照らされて浮かび上がった。
 案の定、まだ怒っていらっしゃられた。
 シルフィードが空を旋回して草原の中央に降り立つと、その背中からシャルロットのほかにピンク色の髪の女生徒や赤い髪の女生徒、それに黒髪の少年も姿を現した。
「つ、土くれのフーケ!大人しく宝物庫から奪ったものを渡して、投降しな……さい?」
 ピンク色の髪の少女が杖を構えながら震える声で訴えかけてくるが、言葉が尻すぼみになった。同じように杖を構えていた赤い髪の少女も、首を傾げる。
「っていうか、ミス・ロングビルじゃありませんか。先行してフーケと戦われていたのですか?というか、なんで泣いてるのよ」
「俺が知るはず無いだろ」
 赤い髪の少女と黒髪の少年が揃って頭上にクエスチョンマークを浮かべている横で、ピンク色の髪の少女が構えた杖を少し横に逸らした。
「えっと、そ、そっちは誰よ。フーケの仲間?あ、でも小さい子供もいるし、通りすがりの平民かしら?なんでミス・ロングビルと一緒にいるの?」
 この少女もやはり頭上にクエスチョンマークを浮かべた。
 そんな少年少女を置いて、シャルロットが冷や汗をたっぷりと流しているホル・ホースとエルザに歩み寄った。

 鼻を啜り、次々と零れる涙を袖で拭っているフーケを横目にチラリと見て、小さく息を吐く。そして、ホル・ホースを冷たく見上げると、杖を振り上げた。
 鈍い音が二回、夜空に響いた。
「痛ってえ!地味に痛てえぞ、それ!なんだ!?中に何が入ってやがる!何か硬いものを仕込んでるだろ!」
「もうちょっと手加減しなさいよ!頭の骨が変形したらどうするのよ!!」
 ホル・ホースとエルザが目を水っぽくさせて抗議の声を上げる。
 それを無視して、シャルロットはもう一度杖を振り上げた。
 鈍い音が更に二回、夜空に響く。見ていたピンク髪の少女や黒髪の少年が驚き、赤い髪の少女は生暖かい視線を向けていた。
「OK。嬢ちゃんの怒りは良く理解した」
「うん。そうね。もう叩かれるのは勘弁だわ」
 頭頂部を襲う鈍痛に耐えつつ、二人は姿勢を正した。シャルロットを正面にして腰のベルトに挟んであった今日買ってばかりの品を差し出す。
 イーヴァルディの勇者だ。幸いにして、ロケットランチャーの爆風で傷つくようなことは無かったらしい。
「今回の件は俺たちが全面的に悪かった。反省してる。だからよ」
「お詫びというか、代わりというか……わたし達の気持ちってことで、受け取ってもらえないかな」
 本当に済まなそうな顔で差し出された本を前に、シャルロットはそっと手を伸ばした。
 厚い表紙と書かれた文字は寸分の違いもなく、思い出の品と同じイーヴァルディの勇者の本だった。ガリアではもう、どこへ行っても手に入らない、貴重なものだ。
 二度と目にすることは無い。そう諦めていたシャルロットは、愛おしそうに表紙を掌で撫でる。子供騙しとも言える勇者の姿絵が笑顔を向けていた。
「許して、くれるか?」
 シャルロットの顔を覗きこむようにして言うホル・ホースに、頷いて返す。
「よおーし、コレで逃げ隠れしなくて済むぜ!」
「調子に乗るな」
 拳を振り上げて喜びを表現するホル・ホースの頭に節くれ立った杖が振り下ろされた。
 先程よりも力が篭められた一撃に、頭を抑えて草原を転がるホル・ホースを、エルザが心配そうに見つめる。

「タバサ。この二人、あなたの知り合い?」
 シャルロットの隣に立った赤い髪の少女が、地面を転がっているホル・ホースとエルザを見て尋ねた。
「そう」
 小さく言って、声と同じくらい小さく頷いた。
 ふっと笑みを浮かべた赤い髪の少女がシャルロットの頭を抱いて、その豊満な胸に包み込む。
「最近あなたが明るくなったのは、この二人のお陰みたいね」
「かもしれない」
 赤い髪の少女のなすままにして、シャルロットはもう一度小さく頷いた。
「だーかーら!フーケはどこよ!!」
「俺に聞くなって!先にここに居たロングビルって人とか、そっちの変なオッサンに聞けばいいだろ!!」
「テメエ、今の聞こえたぞコラ!誰がオッサンだ!」
 ピンク髪の少女と黒髪の少年の会話を聞き取ったホル・ホースが頭の痛みに耐えながら起き上がり、シルフィードの足元に居る二人にのっしのっしと歩み寄る。
 少年の襟首を掴み上げて睨みつけ、帽子の先端をワザと目に当たるように嫌がらせをするホル・ホースにピンク髪の少女が抗議の声を上げていた。
 フーケがいつの間にか泣き止み、賑やかになっている周囲に目を向けて鼻を啜る。その横に並んだエルザが、小さく微笑んで話しかけた。
「ま、逃げ場は無いみたいだし。大人しく学院に戻りましょう?都合良く、この子達もあなたがフーケだってことには気付いてないみたいだし」
 その言葉に深く溜息をついたフーケは、肩を落として力なく笑った。
「もう、好きにしなよ」

 学院に戻ったホル・ホースとエルザは、フーケやシャルロットたちと共に学院長室で事の仔細を報告していた。
 事件の発端は、ルイズというピンク髪の少女の使い魔、才人という少年へのプレゼントに関して喧嘩になったことから始まる。

 主人であるルイズの買った剣か、才人に粉をかけていたキュルケという赤い髪の少女が買った剣か。どちらを少年の持ち物にするかで賭けを行い、本塔の壁に少年をロープで吊るして、魔法を使用して先にロープを切れるかどうかで勝負をしたのだ。
 ルイズは優等生だが、魔法の一点に関しては落ち零れだった。どんな魔法を使っても爆発させる。そのことから、魔法成功率ゼロという意味で、”ゼロのルイズ”とからかわれていた。
 その勝負においてもやはり魔法が失敗し、見当違いの場所を爆発させて宝物庫の壁を破損させてしまったという。
 後は単純だ。近くに潜んでいた土くれのフーケが奇襲をかけ、宝物庫の壁を巨大ゴーレムで破壊して破壊の杖を盗んでいった。一度は撃退しようとしたルイズたちはゴーレムに足止めされてフーケを見失い、シャルロットの使い魔のシルフィードに乗って周辺を捜索していたら、火事を見つけて駆けつけたということだ。
 そして、既に破壊の杖を奪還したホル・ホースたちと合流を果たした。
 森の火事はフーケとの戦いの余波で、ロングビルが泣いていたのは、戦いが終わって緊張の糸が切れたからという理由にしてある。
 話を聞き終えたオスマンは、大きく頷いてミス・ロングビルを褒めると同時に、フーケに対して勇敢に立ち向かった少女達に賞賛の言葉を送った。
「うむ。良くやってくれた。フーケを取り逃したのは残念じゃが、破壊の杖はこうして学院に戻り、1人の犠牲者も出すことなく事件を終えることが出来た」
 ちらり、とオスマンは肩身を狭くしている三人の教師に視線を向けた。
「事情はなんであれ、勇敢に立ち向かう者、臆病に引っ込んでいる者、そもそも騒動に気付かなかった馬鹿者など、様々じゃ。誰が悪いなどとは問わぬ。今回の一件を胸に刻んで今後の糧とし、二度と賊などに遅れを取らぬよう精進してもらいたいと思う」
 意図的に馬鹿という言葉を強調したために、教師達が更に小さくなった。
 教師陣は今回、これといって落ち度は無いのだが、あれだけの騒動の近くに居ながら何も出来なかったことに変わりはない。暫くの間は、今回の件を話題に出されて心苦しい思いをすることになるだろう。
「ミス・ロングビルにはシュヴァリエの爵位申請を宮廷に出そうかと思ったが、本人に拒否されてしまったからのう。まあ、代わりに、次回のボーナスを弾むこととしよう。もちろん、フーケ撃退の為に尽力してくれた皆にもなにか褒賞を用意したいと思う。そして」

 視線がホル・ホースとエルザに向けられた。
「ガリアの騎士殿には、宮廷を介してガリアに謝礼を送り……」
「待った」
 オスマンの言葉を止めて、ホル・ホースが前に出た。
 いつもの軽薄な笑みを浮かべてオスマンの正面に立ち、指を一本突きつけて言う。
「謝礼なんてもんはいらねえ。代わりに一つ、頼みを聞いてもらえねえか」
 ヒヒと笑うホル・ホースに、オスマンは少しだけ不信そうに目を細めた。
「無茶な頼みは聞けんぞい」
「安心しろよ。簡単な頼みだ。なんなら、オレの頼みが実行できるかどうかをこの場に居る全員に判断してもらってもいいぜ。満場一致じゃなけりゃ、礼も頼みも無しでかまわねえよ」
 ぐるりと部屋の中を見渡して、部屋の中にいる全員に聞こえるように声を大きくする。
 それだけ自信があるくらい、単純明快な頼み事のようだ。
 それならば、とオスマンは了承して話を促した。
「言ってみなさい」
「OK。耳の穴を、よぉーくかっぽじって聞きやがれ」
 部屋に居る全員の視線を集めて、ホル・ホースは帽子に手をかけて厭らしい笑みを浮かべた。
「オレの頼みは、テメエがセクハラを止めることだ!」
 夜の学院長室に雷鳴が鳴り響いた。いや、正確にはオスマンの頭の中にだけだ。
 顎を大きく開いて死に掛けの老人のように全身を小刻みに震わせたオスマンを見て、ホル・ホースが腹を抱えて笑い始める。
 たしかに、不可能な頼みではないし、満場一致の同意も得られるだろう。事実、生徒達やロングビルだけでなく、さっきまで小さくなっていた教師達も首を縦に振ってオスマンのセクハラの酷さを語り始めている。
 歴代の学院長秘書はオスマンのセクハラに耐え切れなくなって辞めているし、生徒達にも被害者が何人も出ている。そろそろこのエロジジイに引導を渡してもいい頃だと、被害者の筆頭であるロングビルが声高に宣言していた。
「や、やめてよー!お願いじゃからー!こんな年寄りを苛めて何が楽しいんじゃー!」
 涙と鼻水を垂れ流して懇願するオスマンだが、彼に視線を合わせる人物は部屋の中には居なかった。たった一人を除いては。

「人望ねえな、ジジイ!普段の行いが悪いからだぜ!!ヒ、ヒッヒヒヒ!」
「お、お主、なんという……悪魔じゃ!悪魔がおるー!!始祖ブリミルよ、敬虔なる信者であるこのワシを助けてくだされー!!」
 背後にある窓の向こうに手を伸ばすオスマンを見て、ホル・ホースは笑い声を一層大きくした。
 そうしている間にも、反対意見が一つも出ない話し合いは続き、やがてオスマンの口から壊れたラジオのような雑音が垂れ流される。泣き言なのか、命乞いなのか。あるいは両方かもしれない。オスマンにとって、セクハラは人生そのものだったのだ。
 10分にも満たない話し合いが終わり、学院長室にいる全員の意見を纏めたロングビルが、オスマンに総意を伝えた。
「オールド・オスマン学院長。本日、現時刻をもって、アナタの女性に対するセクハラを禁止させていただきます。というか、今までやっていた間に捕まらなかっただけ、ありがたいと思ってください」
 オスマンの頭が机の上に盛大にぶつかり、口から泡が吹き出した。
「ま、当然の結果だな。オレをこき使おうとした罰だ。身をもって思い知りやがれ」
 ピクリとも動かなくなったオスマンを楽しげに見て、ホル・ホースは帽子を深く被った。

「で、オスマンのジジイはあんたに何を頼んだのさ?」
 騒動の翌朝。学院の前に集まっていたホル・ホースとエルザの元に、フーケが現れた。
 メガネをかけたままの優しげなロングビルの容貌をそのままに、口だけ粗暴に話す姿には違和感を感じる。しかし、学院内では他の生徒の目に止まる可能性がある以上、外見を繕うのを止めるわけにもいかないようだ。
 朝霧に包まれる学院内は、やっと使用人たちが起き始めた頃。人の気配は少なく、ガリアに送ってくれるはずのシャルロットも姿が見えない。生活習慣を変えたために、夜眠る吸血鬼のエルザは、ホル・ホースの背中でこくりこくりと舟を漕いでいた。
 最も嫌っていたセクハラが無くなった事で割のいい秘書業を続けることになったフーケがここに居るのは、早朝にホル・ホースが学院を発つと聞いて、一言別れの挨拶をするつもりだったからだ。
 とはいえ、一言のつもりが予定した時間を過ぎても送ってくれるはずの人物が来ないので、今は仕方なく世間話をしていたりするのだが。

 下らない笑い話を終えたところで、唐突に投げかけられた質問は、ホル・ホースに苦笑いを浮かべさせるものだった。
 フーケにその話をした覚えは無い。だが、昨日のホル・ホースとオスマンの会話などから察したのだろう。何か妙な取引をしている、と。
「んー、簡潔に言えば、あんたを始末しろってことだな」
 その言葉に、フーケの頬が引き攣った。
 オスマンはロングビルの正体だけでなく、ホル・ホースの前職も良く知っていた。
 平民上がりのガリアの騎士は、十分な報酬を払えば、国王すら暗殺対象にする。そういう噂が、裏業界には流れているらしい。
 オスマンは多額の報酬を支払う代わりに、ホル・ホースに学院内に潜入している盗賊の暗殺を依頼した。ただし、最低一度は犯行に至らせること。それが条件だ。
 学院の人間達に危機感を覚えさせるいい機会だと考えていたのだろう。
 しかし、ホル・ホースは断った。面倒臭いにも程があるし、女を手にかけるなんて御免だからだ。
 それでも金は欲しい。成功報酬に提示された金額は、2000エキュー。信条を理由に断るのにはあまりにも惜しかった。
 そして、交渉したのだ。盗まれたものは取り返す。ただし、盗賊は放置しろ。と。
 オスマンは高く笑って了承した。
 そして、今回の事件。発端こそ予定外だが、流れはそのものは、ほぼ想定通りだ。
 つまるところ、今回の事件は予定調和だったということである。
 それを聞いて、フーケのこめかみに青筋が浮かぶ。
「てことは、なにかい。あたしはあんたらの掌で踊ってたってのかい」
 フーケが杖の先端をホル・ホースの頬に押し付けてぐりぐりと押し込んだ。
「いや、まさかこんなに早く行動するとは思ってなかったぜ。その辺はオスマンのジジイ
も驚いてたはずだ」
「だとしても、あたしが遊ばれてたことに変わりはないじゃないか!」
 杖に入れる力を強めて、フーケがちょっと涙目になって怒った。
 セクハラに道化。自負していた一流の盗賊としてのプライドがズタズタだ。
 情けないにも程がある。

「いや、オレもそう思ったからよ。何か役得がねえと可哀相かなって。だから報酬断ってまで、オスマンのジジイにセクハラ禁止令を出したんだぜ」
「同情するんじゃないよ!って、そこの吸血鬼!可哀相な人を見るような目であたしを見るな!!」
 いつの間にか目を覚ましていたエルザが、目を細めてフーケを見つめていた。それに震える声で怒鳴りつけて、フーケはおもむろに蹲る。
 ぶちぶちと草むしりを始めた。
「クソッ!クソッ!なんなんだい!あたしは土くれのフーケだよ!貴族共が震え上がる大盗賊じゃなかったのかい!それなのに、それなのに……」
 誰に言うでもない独り言の合間に鼻水を啜る音が聞こえてくる。
 ホル・ホースは帽子を深く被ってヒヒと笑った。
「だから笑うんじゃないよ!アンタたちに会ってからというもの、碌な事がありゃしないんだから!この疫病神!死ね!死ね!」
「痛てえっ!いや、待て!悪かったよ!っていうか、何だこのやり取り!何回目だ!」
「抵抗するんじゃないよ!大人しく殴られな!」
 拾い上げた石を手に殴りかかるフーケとそれを抑えようとするホル・ホース。背中のエルザは再び寝息を立て始め、朝日は少しずつ高く昇っていく。
 鳥の鳴き声に混じって上がる悲鳴を聞き届ける者はなく、世界は新しい一日を迎えようとしていた。
 学院に人の気配が増え始め、霧が晴れた頃にやってきたシャルロットが見たのは、血塗れの石を手に息を荒げるロングビルと、血溜まりに沈むホル・ホース、そして、流れ出る血をもったいないと舐め取るエルザの姿だった。
 ホル・ホースが実際に学院を発ったのは、それから一週間後のことである。


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