ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

5 策謀の代償 中編

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 太陽が少しずつ赤く染まり始めた時間。
 窓を完全に閉め切り、ランプの明かりで照らされた部屋のベッドで、ホル・ホースとエルザは一通の手紙を眺め見ていた。
 ハルケギニアに明確な住所は存在しない。手紙の送り方は、実際に届け先を知っている人間に任せるか、この世界特有の高い知能を持つ調教された鳥に預けるかだろう。
 ホル・ホースたちが見ている手紙は、どうやら前者のようである。
 小さな箱に数枚の羊皮紙と金貨の入った袋が添えられている。重さを考えると、鳥にはとても運べそうに無い。
 手紙は、遠い故郷に居る妹と養っている子供達に宛てた物らしい。
 内容は手紙を受け取った人間への気遣いを感じさせるものだった。何度も相手の状況を知ろうとする言葉が綴られて、文の終わりには相談事があるならいつでも言うようにと書かれている。
「そんなに心配なら、一緒に居ればいいじゃねえか」
 まったく理解できない、といった顔でホル・ホースは手紙に文句を言った。
 手紙などという面倒くさいものに縁の無いホル・ホースにとって、手紙を出すという行為自体が無意味にしか思えないのだ。
 ホル・ホースの上に寝転がったエルザが、手紙から視線を外して苦笑する。
「それが出来ない理由があるんでしょ。察してあげなよ」
 そう言って、隣のベッドに視線を移す。
 白いシーツの上で、フーケがうんうん唸りながら眠っていた。
 あまり夢見は良くないようである。
 ここはトリステインはブルドンネ街の一角にある比較的小さな宿の一室だ。

 二人部屋は朝食と夕食が付いて一泊1エキュー。高いか安いかは良く分からないが、先日借りたチクトンネ街のボロ宿は20スゥだったから、それなりに高いのかもしれない。
 エルザの先住魔法でフーケを眠らせた二人は、フーケの持っていた金を借りて食事を済ませ、放置するのも可哀相だからと宿に運んだのだ。
 もちろん、運んでいる間に寄り道をして、目的としていたイーヴァルディの勇者を購入したのは言うまでもない。
 路銀は手に入った。しかし、今からでは学院に行くにも夜になってしまう。自分達のような部外者が学院に泊まるわけにも行かないだろうし、夜中の訪問などしたら余計にシャルロットの機嫌を損なう恐れがある。そのため、シャルロットに会うのは明日に繰り越して暇つぶしがてらフーケの私物を漁っていたのだ。
 実に迷惑極まりない行動だった。
 そして見つけた一通の手紙。
 手紙の端に書かれた日付は今日を示していることから、“跳ね兎”亭へフーケが現れた理由は、この手紙を送るためだったようだ。
 “跳ね兎”亭のような酒場を利用するのは、なにも傭兵ばかりではない。裏の人間の生活を支えるような雑用を請け負う人間も少なくない。そういった人間に、フーケはこの手紙を預ける予定だったのだろう。
 まあ、そのツテもなくなってしまったようだが。
「しかし、こんな大金どうすんのかねえ」
 ホル・ホースが手紙を横において、金貨の詰まった袋を手に取る。
 中身は既に確認済みだ。エキュー金貨と新金貨が混ざっているが、合計でおよそ150エキューもの金が入っている。
 故郷に何人子供が居るかは知らないが、十人前後なら、二ヶ月か三ヶ月は生活できる金額だ。節制を心がければ、半年持つかもしれない。
 手紙を出す頻度は手紙の内容をから想像して、月に一度。もしも、手紙を出すたびにこの金額を送っているとしたら、相手は相当な金持ちになっていることだろう。
 それ以外にも、フーケの財布の中には、かなりの額が納められていた。
 貴族相手の盗みを生業にしているだけあって、その額は1000エキュー近い。まだどこかに隠し持っている可能性もあるが、それは本人に聞かなければ分からないだろう。
「盗みも毎回成功するってわけでもないでしょうに、随分と羽振りがいいわね」
 エルザはホル・ホースから袋を受け取り、中を覗き込む。

 金色の輝きが目に映った。
 コレを稼ぐのに、一体どれだけの労力を割いたのか。フーケが自分の名前が知られていないことを憤るのも無理は無いかもしれない。
 そう考えている間に、隣のベッドの動きが変化した。
「う、ううん?」
 のそりと体を起こして、寝惚け眼で部屋の中を見回すフーケに、エルザが手を振る。
「こんな時間に言うのもなんだけど。おはよう、お姉ちゃん」
 エルザの言葉で目が覚めたのか、フーケがベッドから飛び起きてホル・ホースとエルザを凝視した。
 すぐに懐に手を伸ばして杖を探すが、見当たらない。
 そんなフーケの様子を見て、エルザが意地の悪い笑みと共にホル・ホースの腰に手を伸ばして目的の物を手にした。
「お姉ちゃんの探し物は、コレ?」
 ホル・ホースのベルトに挟まれていた杖を軽く振って、エルザが笑みを深める。
 悔しげに歯を食い縛るフーケを見て、ホル・ホースはヒヒと笑った。
「フーケの姐さんよ。逆らわないほうが身のためだぜ。この嬢ちゃん、見た目に反して性格が捻じ曲がってるからな」
「あら、酷い言い草ね。わたしは誰かさんと違って、人の持ち物を漁ったりしないのに」
 そう言って、エルザはホル・ホースを真似てヒヒと笑った。
 ホル・ホースとエルザの寝るベッドの上に散乱する自分の持ち物を見て、フーケの表情が歪んだ。
 有り金を全て奪われ、大切な家族に宛てた手紙まで持っていかれている。杖も無いとなると、逆らうのは不可能に近いだろう。
 首を横に振って、憤りを残した息を吐く。
 少しの深呼吸の後、フーケは自分の調子を無理矢理取り戻して鼻を鳴らした。
「まさか、嬢ちゃんが吸血鬼だったとはね。ということは、メイジ殺しは嬢ちゃんで、あんたは屍人鬼ってわけかい?」
 フーケの視線がホル・ホースに向けられる。
 相手の油断を誘うために偽装していたのか。そう言いたいらしい。
 エルザが頬を膨らませて否定した。

「違うわよ。メイジ殺しは間違いなくお兄ちゃんだし、屍人鬼も別に居るわ」
 ホル・ホースの首に腕を絡ませ、頬を摺り寄せる。幼い顔に、妖艶な色が混ざっていた。
 そういう関係か。と勘繰るフーケに、それを察したホル・ホースがエルザの頭を乱暴に撫で付けて苦笑いを浮かべた。
「おいおいおいおい、勘違いするんじゃねえよ。オレ達の関係は、あくまでも仕事上の相棒だぜ。オレはロリコンでも無けりゃペドフィリアでもねえ」
「あら、それは残念ねえ」
 ホル・ホースの手の感触を楽しみながらエルザが呟く。小さな手が、ホル・ホースの胸を服越しに抓った。
 そんな二人の様子を見て、フーケが疑わしげに目を細める。
「確かに、吸血鬼とのコンビならメイジ相手にだって戦えるだろうさ。でもね、食う側と食われる側が協力関係を築くなんて、そうあっさり信じられると思ってんのかい」
 食物連鎖は基本的に一方通行だ。意思疎通が図れたとしても、食う側が食われる側を襲わなくなるということは無い。話し合いで腹は膨らまないのだ。
 随分と疑り深い姉ちゃんだ、と呟いて、ホル・ホースは自分の首を指差してエルザに声をかけた。
「吸っていいぞ。……ちょっとだけな」
 その言葉にエルザの表情が輝く。
「わーい。いただきまーす」
 嬉しそうな声を上げてホル・ホースの首筋に顔を埋め、まだ以前の噛み後が完治していない部分目掛けて歯をつき立てる。
 ホル・ホースが痛みに顔を歪めるのも気にせず、エルザは舌の上に流れ込む暖かい血液をゆっくりと味わいながら飲み始めた。
 首に回した手を時折組み替え、何かを求めるようにホル・ホースの顎の周りを小さな指先が這い回り、筋肉に覆われた胸板に柔らかい体を摺り寄せて熱い息を洩らす。
 幼い少女の姿で扇情的に血を吸うエルザを見て、フーケが顔を赤らめた。
「どうだ、コレでわかったか?オレがもし屍人鬼なら、エルザは血を吸うことはできねえ筈だぜ。死人に血は流れねえからな」
 ホル・ホースが確認するように尋ねると、フーケも首を縦に振って両手で顔を覆った。
 啄ばむように肌を吸う音が何度も部屋に響く。少し水っぽく、ぴちゃ、ぴちゃ、と舐め取るように舌で唾液に濡れた肌を舐める音も、重ねて耳に届いた。

「って、エルザ!テメエ、なにやってやがる!」
「ふぇ?」
 首筋に顔を埋めていたエルザが息を洩らして顔を上げた。
 小さな口から伸びた舌でホル・ホースの首を舐めていたらしい。いつの間にか、エルザもホル・ホースも、服が乱れて半裸になっていた。
 それに気が付いて慌てて服を直すホル・ホースを見たエルザが、つまらなさそうに舌打ちした。
「ちぇっ」
「なにが、ちぇっ、だ!?ふざけるなコラ!さっきも言ったが、オレはロリコンでもなければペドフィリアでもねえ!!お前の貧相な体に欲情したりはしねえんだよ!」
 エルザの頬を両手で抓りあげて抗議するホル・ホースに、手を払ったエルザも抗議の声を返した。
「なによ。いいじゃない、ちょっとくらい。わたしにだって、性的欲求くらいあるんだからね。気に入った男の首筋に四六時中抱きついていて平気でいられるほど、わたしは不感症じゃないもの。当然の行動よ」
 その発言に、ホル・ホースは全身から冷たい汗が浮き上がるのを感じた。
 中身はどうあれ、外見は幼女だ。いろいろと問題はあるし、ホル・ホースにも少女を愛玩するような趣味はない。
 抓られて赤くなった頬を両手で挟んだエルザは、ホル・ホースの上にちょこんと座って恥ずかしそうにに顔を逸らした。
「もう、わたしも我慢の限界だし。そろそろ新しい趣味に目覚めてもらういい機会だと思うの。都合良くベッドの上だし。襲っちゃおっかな、なんて。キャ、言っちゃった!」
 告白するかのように身悶えしての発言に、ホル・ホースの顔が真っ青に染まる。
「な、なにが、きゃあ言っちゃった、だ!冗談じゃねえ!普段からそんなアブねえことを考えてやがったのか!バカかテメー!!もう、止めだ!二度とテメエなんて抱き上げねえからな!!」
 腕に抱えるのは子供相手と思っての行為だったが、腕の中では幼女ながらにピンク色の妄想に耽っていたらしい。

 よくよく考えてみれば、出会った日の夜も、この少女は色香のようなものを身につけていたし、その後も度々身を摺り寄せてきたことを思い出す。その時は外見に釣られて子供の甘えのようなものだと思ったが、その実、欲情していたらしい。
 外見に見合わない早熟とも取れる行動だが、中身は30代だということを考えると、なんとなく納得できなくもないところが更に現実味を帯びさせた。
 相棒関係、見直そうかな。
 真剣な顔つきで考え始めるホル・ホースに、エルザが慌てて両手を振り、自分の言葉を否定した。
「じょ、冗談よ!そんな真剣に考えないで!こんな体でそんなこと、できるわけ無いじゃないの!それに、見た目よりも長く生きてるからって、こんな小さな体にそんな欲求が生まれるわけ無いでしょ?ちょっとした悪戯じゃないの。笑って許して。ね?」
 性的欲求というものは、他の原始的な欲求と違い、ある程度身体が出来上がらなければ発生しない。普通に考えれば、吸血鬼という種族の中ではまだ子供も子供なエルザに、そんな感覚が生まれるわけがないのだが。
 それでも疑わしげな視線を投げかけるホル・ホースに、エルザはこめかみに流れる冷や汗を感じつつ、可愛らしく笑って許しを請う。
「本当に、冗談だろうな?オレはこんなことが原因で牢に入りたくはねえぜ」
 エルザの首が激しく縦に振られた。
 まだ信じきれないのか、目に疑惑の念を篭めてエルザの頬に手を伸ばす。
 ホル・ホースの指先に、上質の絹のような肌触りと今にも壊れてしまいそうなくらいの柔らかさが伝わった。強くもなく、弱くも無い弾力を感じつつ、桜色の薄い唇を人差し指で刺激するようになぞる。
 ぱくり、とエルザが指を銜え、指先に舌を這わせた。
「やっぱりウソじゃねえか!」
 エルザの口から指を引き抜いて叫び声を上げる。
「卑怯よ!人が我慢してるのに、誘うようなことするなんて!!」
 引き抜かれた指を名残惜しそうに目で追ったエルザも声を上げた。
 不信感を強め続けるホル・ホースと必死に食らいつくエルザの掛け合いを傍で見ていたフーケは、あまりの疎外感に深く溜息をついた。
 完全に放置されているだけでなく、わけの分からない痴態にまで付き合わされる。これは一体、どんな拷問なのだろうか。

 あたし、こんな二人に負けたの?
 杖を突きつけた状態だったにも係わらず眠らされたのは、たとえ不意打ちだったとしても敗北以外の何者でもない。
 情けなくて涙が出そうだった。
 しかし、妙な痴話喧嘩に何時までも付き合ってはいられない。
 フーケがワザとらしく大きな咳をすると、噛み付こうと掴み掛かるエルザとそれを阻止しようと手を伸ばしていたホル・ホースが、思い出したかのようにフーケに視線を向けた。
「あたしを、無視しないでもらえるかい」
 ドスを利かせた声に、ホル・ホースとエルザがベッドから降りて姿勢を正した。
 直立不動である。一応、少しは反省しているらしい。
「とにかく、杖と手紙を返してもらえないかい。あと、金も。半分はくれやるからさ。あたしは早く帰らないといけないんだよ」
 手を出して急かすフーケに、ホル・ホースとエルザが顔を見合わせた。
 どうしようか、というアイコンタクトだ。
 ここで杖を返せばまた暴れられる可能性がある。金も返すいわれは無い。フーケは二人を殺そうとしたのだ。命を助けてやっただけでもありがたいと思ってもらわなければ。
 手紙くらいは返してやるつもりだが、他は諦めてもらおうと頷きあう二人だったが、ふとフーケの言葉を思い返した。
「寝床はトリスタニアにあるんだろう?ガキじゃあるまいし、そんなに急ぐことはねえだろうが」
 日が暮れ始めているとは言え、まだ外は明るい。盗賊家業のフーケが活動する時間はこれからとも言える。なにか用事でもあるのだろうか。
 そう思っての問いかけだったが、フーケは小さく舌打ちして顔を背けるだけで、答える様子はなかった。
 聞かれたくない部分だったようだ。
「お姉ちゃん。やっぱりどこかで特別な場所で働いてるの?」
 出会い頭に感じた、平民生活には似合わない髪の艶と香水の匂い。それは、エルザもガリアの宮殿に寝泊りするようになってから手に入れたものだ。
 同じ女として、ある程度目には付く。
 フーケの眉が片方、ピクリと動いた。

 これも聞かれたくない部分だったようだ。帰る場所にも関連していると思われる。
「そんなこと聞いて、どうすんだい」
 逸らした顔を戻して睨みつけるフーケに、エルザは笑みを浮かべた。
「聞いてるのはこっちよ。それに、あなたに拒否権があると思ってるの?」
 声の質こそ子供のものだが、それにしては威圧感が異常だった。
 杖もなければ退路も無い。メイジ殺しと吸血鬼の二人を前に、強情を張るのも長続きはしないだろう。
 痛い思いをしていないだけ、まだマシかもしれない。メイジ殺しはともかく、吸血鬼にとってはフーケなど、食料に過ぎないのだ。下手に煙に巻こうとすれば、干乾びるまで血を吸われる恐れもある。
 諦めたように肩を竦めたフーケは、まだ懐に残っていたメガネをかけた。
「学院だよ。トリステイン魔法学院。そこで学院長の秘書をやってる。学院長がエロジジイでね、それを利用して潜り込んだのさ」
 学院長付きの秘書なら、相当な高給取りだろう。大金を持っていても不思議ではない。
 エルザが納得している間にも、フーケは言葉を続ける。
「狙いは、宝物庫にある破壊の杖。何ヶ月も前から仕込みをしてるんだけど、なかなか警戒が厳重でね。そろそろ動こうと思ってるんだけど……」
 ちらり、とホル・ホースの顔を見て、フーケが言った。
「あんた達、手伝う気はないかい?学院はメイジの宝庫だからね。つるむのは好きじゃないが、人手が欲しいとは思ってたんだ。もちろん、報酬は出すよ」
 どうだい。と聞くフーケに、ホル・ホースとエルザはすぐに首を振った。
 横に。
「ハッ!冗談じゃねえ。断るぜ。あの学院にはオレ達の天敵が居るからな」
「ええ。これ以上怒りを買ったら、私たち、本当に殺されるかもしれないもの」
 二人の脳裏に、青い髪の少女の姿が浮かんだ。
 イメージの中のシャルロットは殺気を存分に孕んだ目をして、背後に炎を背負っていた。
 一見して、ボスキャラ風。どうやっても勝利のイメージが湧かない構図だ。
 あっさり断られて少し呆気に取られたフーケが、やれやれと長い髪を撫で付けて溜息をついた。
 仲間に引き込んで返してもらえるものは返してもらおうという作戦だったが、思うようには行かないらしい。

「まあ、それはそれとして。学院に戻るなら、俺たちも一緒に行くぜ」
 ホル・ホースが荷物を纏め始め、フーケの財布から金貨を一握りとってポケットに詰め込んだ。
「俺たちはその天敵に会わなきゃならん理由があってな。今からだと夜になりそうだから明日にするつもりだったんだが、ちょうどいい。金は返すから、学院に寝床を用意してくれねえか。そのほうがイロイロと都合がいい」
 大して量の多くない荷物はすぐに纏まり、フーケの私物だけがベッドに残った。手紙も小箱も、金の入った袋も、そのまま置かれている。
 布を纏ったエルザがホル・ホースに両手を伸ばして抱っこをせがんだ。
 顔にホル・ホースの指が伸びて、乾いた音が響いた。
「さっきも言ったが、抱き上げる気はねえぞ。もうちょっと頭の中をガキに戻してから頼むんだな」
「やん、お兄ちゃんのケチ!」
 額を指で弾かれたエルザが両手でひりひりと痛む部分を押さえて、頬を膨らませた。
「なんで、あたしがあんた達の為にそんなことをしなきゃならないんだい」
 二人のやり取りを邪魔臭そうに見た後、胸の前で腕を組んだフーケが文句を垂れた。
 ホル・ホースの手に杖が握られて、そっとフーケの首を指す。
「エルザ、久々の女の血だ。吸っちまえ」
「え、いいの?やったー」
 多少演技臭いやり取りだが、口元に長い犬歯が見え隠れするエルザが嬉々として近づいてきたために、フーケは頬を引き攣らせた。
「ちょ、ちょっと待った!分かった、分かったから!!そういう質の悪い冗談は勘弁してちょうだい!」
 手を振って必死にエルザを追い払うフーケに、ホル・ホースが笑みを浮かべる。
「OK。商談成立だな」
 これのどこが商談さ、と言い返したくなるのを我慢して、フーケは溜息をついた。

 フーケの馬車に乗ってホル・ホースとエルザの二人がトリステイン魔法学院に到着した
のは、大方の予想通り、日が完全に暮れてからだった。

 首都トリスタニアから馬で三時間。あまり近いとも遠いとも言い切れない距離にある学院は、六つの塔によって構成されている。
 中心の本塔を囲うように等間隔で配置された五つの少し背の低い塔は、それぞれに魔法の系統の名称が与えられ、生徒達の寮や授業用、客室などの役割をもっている。
 五つの塔と本塔を結ぶ廊下は城壁のように高く聳え、中庭を五つに区切っていた。
 正門から入った三人は、人気の無い中庭を横切って馬を厩舎に戻し、本塔の階段に足を向けた。フーケが学院長に帰還の報告をすると共に、客室の使用許可を貰うためだ。
 ここでのホル・ホースの立場は、町で暴漢に襲われていたフーケを助けた子連れの傭兵という役柄である。路銀の少なさから宿を失っていたため、助けてもらったフーケが恩返しに一晩の寝床を提供する。という筋書きである。
 身元が怪しい人間というのは、こうして適当な設定を作らなければ生き辛いものなのだ。
 螺旋階段の多い塔の階段を上り、最上階にたった一つだけある扉の前で、フーケが足を止めて振り返った。
「いいかい。ここじゃ、あたしはロングビルって名乗ってるんだ。あんた達も、それなりの態度を取ってボロを出すんじゃないよ」
 小声での言葉に、ホル・ホースとエルザが首を縦に振る。
 よろしい、と言葉を残して、フーケが髪や衣服の乱れを整えた。
 息を整えて扉をノックする。
「開いておるよ」
 老人の声が届いた。
 失礼します、と声をかけて、フーケが扉を開ける。それに続いて、ホル・ホースとエルザも部屋の中へ足を踏み入れた。
 部屋の中は幾つもの本棚や少しのクローゼット、それに机が二つある。
 大きく立派な机を前にして椅子に腰掛けている老人が学院長なら、もう一つの机は秘書を務めているフーケの執務机だろう。
 老人がフーケを笑顔で出迎え、ホル・ホースとエルザに好奇の視線を向けた。
「帰りが遅かったから心配しておったぞ、ミス・ロングビル。それと、そちらのお二方はどこのどなたかな」
「申し訳ありません、オールド・オスマン。町に出ているときに、暴漢に襲われてしまいまして。こちらの方々に助けていただいたのです」

 オスマンの言葉に、フーケが昼間の刺々しい口調が信じられないくらい優しげな声で返した。
 ヒヒ、と笑ったホル・ホースが帽子を脱いで小さくお辞儀をする。それに倣ってエルザも頭を少しだけ下げた。
「ホル・ホースさんと、エルザさんです。今夜の宿が無いそうですので、助けていただいたお礼を兼ねて、今晩学院の客室にお泊めしたいと思うのですが」
 よろしいですか。と聞く前に、オスマンが目を見開いて手を打った。
「おお、おお!ホル・ホース君か。そうか、君が噂のガリアの騎士じゃな?平民でありながら騎士となったという話は、このトリステインまで届いておるよ。うむ、非常に珍しい話じゃからのう。王宮では所々に噂が囁かれて、ワシの耳にもつい先日届いたのじゃよ」
 ジロリ、とフーケの視線がホル・ホースとエルザに突き刺さった。
 そんなに有名人だったのね。と言いたそうな目だ。
 ホル・ホースにそんな自覚は無いのだが、確かに、平民が貴族の仲間入りを果たすというのは、トリステインと肩を並べるメイジ至上主義のガリアでは目に付く話題だったようである。噂話が隣国に零れ落ちても、不思議は無いだろう。
 予想外の事態だが、コレはこれで話が早くなりそうだと、ホル・ホースが口を開いた。
「なら、いちいち細かい説明はしなくても良さそうだな。すまねえが、部屋を一つ貸してもらえるか?なに、一晩だけだ。明日には出て行くからよ」
 オスマンは少し考えた様子を見せた後、首を縦に振った。
「よかろう。一晩と言わず、好きなだけ泊まっていくといい。大国ガリアに恩を売るまたとない機会じゃからのう」
「オールド・オスマン。そういうことは、思っていても口にするものではありません」
 フーケに窘められたオスマンが愉快そうに笑った。
「とにかく、許可をもらえればそれでいい。ロングビルの姐さん、エルザを部屋に案内してやってくれねえか」
「え?」
 ホル・ホースの言葉に、フーケの動きが一瞬停止した。
 にっこりと微笑むエルザが手招きをしてるのを見て、頬を冷たい汗が流れる。
 吸血鬼と二人きりになれというのか、この男は。と、思わず叫びだしたくなるのを堪えて、愛想笑いで恐る恐る手を差し出す。

「行こう、お姉ちゃん」
 子供らしい、少し舌足らずの高い声でフーケの手を取って、エルザが無邪気に笑った。
「え、ええ。そうね。行きましょうか」
 オスマンの目がある場所で不審に思われる行動を取るわけにも行かないと、勇気を振り絞ったフーケは、口元に笑みを残したまま部屋を出て行く。エルザが、わざとらしく笑い声を上げた。
 帽子を振ってそれを見送ったホル・ホースが、二人の気配がなくなった頃合を見てオスマンに顔を向けた。
 帽子を被り直し、腰に手を当てる。
「で、本当の理由のほうを聞こうか」
 なんのことじゃ。と惚けた様子で椅子に深く腰を落としたオスマンが首を捻った。
「誤魔化すなよ。もっともらしい理由を先に話して、真意を隠す。交渉の基本だぜ。何か狙いがあるんだろう?でなけりゃ、こんな貴族のガキが沢山いる場所に、他国の人間を泊めたりはしねえだろ」
 ハルケギニアのほぼ全ての国でメイジが国の基礎を支えている以上、その子供達を預かる学院の重要性は国の中でもトップクラスの要所となるはずだ。外交関係に詳しくないホル・ホースにだって、他国の人間を入れていい場所といけない場所くらいの判別はつく。
 すこし驚いたように目を開いたオスマンは、ゆっくりと首を縦に振った。
「ふむ。なかなかどうして、察しが良いのう。流石、平民でありながら騎士となっただけはある」
 ふぉっふぉっふぉ、と笑って髭を撫で付けるオスマンに、ホル・ホースはフーケの執務机から椅子を引っ張り出して乱暴に座り込んだ。
「長話をする気はねえが、事情くらいは話せよ。面倒ごとは御免だがな」
 帽子を深く被って背凭れに身体を預ける。人の話を聞く態度ではないが、それを気に留めるオスマンでもない。
 机の横に置かれた水タバコに口をつけて、煙を吐く。ホル・ホースが少しだけ羨ましそうにそれを見た。
 タバコの煙を見るのは、約一年ぶりだった。
「君を学院に泊めるのは、ガリアに恩を売るというのが本音の五割。後の五割は、今の学院にある問題じゃな」


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