ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

5 策謀の代償 前編

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5 策謀の代償
 ハルケギニアの本は高い。
 印刷技術の問題もあれば、紙そのものの値段も相当なものなのである。
 手の平に乗る程度の小さな本が銀貨で50枚ということも少なくない。平民の一ヶ月の生活費がエキュー金貨で10枚程度。スゥ銀貨は100枚で1エキューと同等の価値があることから、本を一冊買うと生活費の20分の1が消えるということだ。
 そんな出費をすれば、食卓からおかずが一品消えることは間違いない。
 トリスタニアの書店を利用するのは、本の高価さも関係して貴族が殆どである。中にはどうしても欲しい本を求めて、平民がお金を出し合って購入するということもあるが、基本的に、平民の半分以上が文字の読み書きが出来ないため、そういった例は貴重と言えるだろう。
 本は高いものである。それは、世界の常識なのだ。
「はあぁあ!?こんなガキの読むような本が、5エキューもするだと!?」
 看板に王宮御用達などという言葉が添えられている本屋の店員に、ホル・ホースが一冊の本を手にして詰め寄っていた。
 手にしている本のタイトルはイーヴァルディの勇者。シャルロットが大切にしていたものと同じ本である。
 シャルロットへの謝罪の意味を篭めてプレゼントを用意しようと考えていたのだが、厚く丈夫な装丁で飾られた大きな児童書は、その内容の稚拙さにも係わらず、財布を容赦なく攻め立てる高額さを誇っていた。
 頭の禿げた細身の店主は、納得がいかないといった様子のホル・ホースに冷や汗を流しつつ、本が高額である理由を語る。
「実はですね、このイーヴァルディの勇者という本は、二年前に一度中身を改訂しておりまして、古いほうは絶版になっておるのですよ。お客さんが求めておられる本は貴重なもので、在庫にある数点を残せば、もう手に入らないものなのです」
 希少なものは高い。その内容がなんであろうと。需要を満たせない供給は、必然的に高くなるものなのだ。
 ぐぬぬ、と歯を食い縛ったホル・ホースは、本を店員に持たせると、ポケットから取り出した自分の財布の中身を見て、ガックリと肩を落とす。
 ”緑の苔”亭の女主人から貰った駄賃は、銀貨60枚。随分と太っ腹な額を持たしてくれたが、”魅惑の妖精”亭の飲食代と昨日の宿賃を払ってしまうと、残ったのは銅貨が数枚だけ。

 正直に言えば、今日の昼食にも困っている。
「ああ、クソ!しょうがねえ。店員さんよ、あとでその本を必ず買いに来るから、他の客に売るんじゃねえぞ!」
「ええ、はい。またのお越しをお待ちしております」
 吐き捨てるように言って店を出て行くホル・ホースの背中に、店員がマニュアル通りの挨拶を送った。
 それほど大きくない店の中には本棚に沢山の商品が並べられている。特に高額なものはガラスケースに入れられて、店員の許可がなければ手に取ることは出来なくなっているようだ。庶民向けの低俗とされるものは比較的店の外に近く、その一角で若い女性達がひそひそと相談事をしていた。
 その様子を横目に見つつ店の外に出ると、布で全身を覆っているエルザが退屈そうに欠伸をしているのを発見した。
「よう、終わったぜ」
 ホル・ホースの姿を見つけてぱっと表情を輝かせたエルザが小走りに駆け寄り、両手を伸ばして抱っこを要求した。ホル・ホースの腕の中は、もうエルザの特等席なのだ。
 小さな体の両脇に手を入れて抱き上げたホル・ホースは、帽子をエルザの頭に被せて結果を報告した。
「ダメだな。今のオレには逆立ちしても買えそうにねえや」
 その言葉に、エルザは予想していたことのように苦笑いをしてホル・ホースの首に抱きついた。
 春を迎えて少し時間が経ったせいか、日差しが強くなっているのを感じる。
 往来を行く人々も薄着が目立つようになっていた。ハルケギニアの夏は過ごしやすいものだと聞いていたが、この分ではあまり当てになりそうにはない。
 熱いのは勘弁して欲しい。
 かつて横断した砂漠を思い出して、溜息をつく。
 ホル・ホースは自分の帽子をエルザに被せると、さて、と呟いて足を動かした。
 本来ならガリアに戻る予定だった二人だが、そういえば、と思い出したのがトリステインにある魔法学院の存在だ。
 シャルロットは普段、学院で寮生活を送っている。自分達を追うためにまだガリアに居る可能性はあるが、そう何日も滞在してもいられないはずだ。学院に戻っている可能性は高いだろう。

 なら、徒歩でガリアに戻るよりも近い場所にある学院へ足を運び、シャルロットに謝罪するついでにシルフィードで送ってもらえばいい。
 そう考えて未だにトリステインにいるのだが、学院に赴くにしても手土産の一つもなければシャルロットの機嫌も簡単には直らないだろうと、こうしてトリスタニアの書店をに足を向けているのだ。
 実のところ、入った書店はこれで三軒目。店の主人が言うように、確かに貴重な本らしい。改訂された薄い本ばかりが並んでいて、肝心の厚手の羊皮紙で書かれた古いものはここにしかなかったのだ。
 やっとのことで見つけても、超がつくほどの高級品。
 肩透かしを受けた気分だった。
「まあ、こうしてても仕方がねえ。ちょいと一仕事見つけてくるか」
 ホル・ホースはそう呟いて、胸のポケットにしまった一枚の紙を取り出した。
 “魅惑の妖精亭”のジェシカから聞いた、傭兵達が集まる酒場がメモされている。血生臭いことを専門に扱う職業斡旋所も兼ねていて、新参者でもなにかしら仕事が手に入るだろうと紹介された場所だ。
 なんでそんな場所を知っているのかと疑問に思ったが、そこは蛇の道は蛇。同じ酒場の関係でどこがどういう役割を担っているのかを、歓楽街に住む人間達は良く理解しているらしい。
 一概に酒場と言っても裏ではイロイロあるのだなあ、と感心しつつ、トリスタニアの外周に近いチクトンネ街の端に向けて歩き出す。
「やっとまともに仕事するの?」
「ああ、そういえば、お前とコンビを組んでからは何もしてなかったなあ」
 エルザと出会って、そろそろ二週間。いい加減、コンビとしての力を確認しておいたほうがいいだろう。
 仕事と言えるような仕事を新参者が貰えるかどうかは、別の話だが。
「ここを、右か」
 人通りの多いブルドンネ街を横道に逸れて一つ奥に入ると、すぐにチクトンネ街が見えてくる。左手に“魅惑の妖精”亭を確認して、ホル・ホースは進路を右に向けた。
 首都の構造は至って単純。中心にある王城付近が最も発展しており、外周に近づくに連れて金の匂いが少ない平民達の家が広がっていく。この辺りはトリステインもガリアもあまり変わらない。

 トリスタニアの入り口から王城までの道を歩く間、比較的見栄えのいい建物が多く見えるのは、国外の客を迎える場合などを考慮して意図的に手を加えているのだろう。表の大通りであるブルドンネ街と裏の大通りであるチクトンネ街を歩き比べてみると、それが良く分かる。
 町の外に向かって建物の背が低くなり、道行く人々にも変化が見られた。貧困層とまでは言わないが、あまり身なりが良いとは言えない人間の割合が増えていくのだ。
 紙切れを片手に歩くホル・ホースが一つだけ妙に大きい酒場に辿り着いたとき、エルザが不快そうに眉を寄せた。
「鉄臭い」
 血中に含まれる鉄分の臭いが、錆び付いた異臭を放っているようだ。ホル・ホースには分からなくとも、吸血鬼であるエルザにははっきりと認識できるらしい。
 なるほど、とホル・ホースが呟いて、店の看板を見上げた。
 “跳ね兎”亭。名前に似合わない、飢えた狼さんが沢山いそうな雰囲気である。
 どこの酒場にもある羽扉をいつものように開いて、店内に足を踏み入れたホル・ホース
は予想外の光景に戸惑った。
 客がいないのだ。いや、それどころか、店員すら居ない。
 木造の広いフロアには丸いテーブルがいくつもあるが、それも床に倒れ、椅子と一緒に散乱している。一見争った後のようにも見えるが、それにしては壁や床の傷が少ない点が不自然だった。
 カウンターの奥に目を向けると、大抵の酒場でボトルやワインの瓶が並んでいるはずの壁掛けの棚には、それらしいものは一つも見当たらない。商売自体をやっていないようだ。
 床やテーブルに埃が積もっていないということは、つい最近まで掃除がされていた証拠だろう。
 閉店したのか、それとも店を間違えたのか。
 もう一度看板を確認しようと振り返るホル・ホースに、全身を覆うローブで姿を隠した人物がぶつかってきた。
「邪魔だよ。どきな」
 自分でぶつかっておきながらキツイ言い方をする人物だ。
 揉め事を起こす気も無いホル・ホースが道を譲ると、そのまま店の中へと入っていく。
 客か店員か、どちらにしてもあまり良い印象ではない。

「なんだい、これは」
 足を止めてフードを取ると、緑色の長い髪を晒したメガネの女が顔を見せ、その場で呆然と呟いた。
 目尻が尖り、瞳には少し暗い色を湛えている。真っ当な仕事をしているようには見えない人種だ。となると、ホル・ホースと同じように、裏家業と呼ばれるような事を生業としているのだろう。
 そんなことよりも、ホル・ホースにとってはもっと重要な点があった。
 スッと筋の通った鼻に薄く血色のいい唇、流れるような眉。少し気の強さを感じさせるが、女は上物の美人だったのだ。
 マントの上からでも分かるボリュームのある胸、丸い尻はいわずもがな、顎のラインを考えれば、体全体は脂肪の少ない細身であることも推測できる。
 しっかりと手入れがされた髪が艶を持っているということは、貴族か、あるいはその周囲で重要な位置にいる人間のはずだ。
 ハルケギニアの平民達が身を清めるために使う入浴施設は、サウナ風呂か水浴びくらいのもので、髪の手入れなど濡れた布で拭くくらいに過ぎない。それでは、彼女のような艶のある髪にはならないはずだ。
 それだけではない。身体から少し甘い香りがするのだ。香水か、入浴剤を使っている証拠だろう。それだけで、女が裕福であることを確信させる。
 見た目だけなら、良い女であることに間違いはない。こんな曰くつきの酒場に用のある人間でなければ、すぐにでも口説いていただろう。
「姐さん、こんなところに何の用だい?」
 ホル・ホースの声に振り向いた女は、胡散臭そうなものを見る目で鼻を鳴らした。
「誰かになにかを聞くときは、自己紹介くらいするもんだよ」
 世間話程度の質問でも簡単には答える気は無いらしい。
 警戒心の強さに感心しつつ、ホル・ホースは店内の日陰に寄ってヒヒと笑った。
「そりゃ、失礼。オレはホル・ホース。こっちは、エルザだ」
 エルザの頭に被せられた自分の帽子を取って、布に包まれた少女の姿を晒す。
 前にも同じようなやり取りをしたためか、エルザも心得た様子でホル・ホースの腕の中で小さくお辞儀の真似をした。

「エルザです。よろしくね、お姉ちゃん」
 今回は毒舌は無いらしい。
 内心でホッとするホル・ホースを余所に、女が感嘆の息を吐いた。
「へえ。ホル・ホースと言えば、最近噂になってるメイジ殺しじゃないかい。子連れって話は聞いてないけどねえ」
 ホル・ホースのつま先から頭頂部まで値踏みするように見る女に、ホル・ホースは首を傾げる。
 子連れは誤解を受けることも以前にあったが、メイジ殺しというのは聞きなれない呼び名だった。不名誉極まりない名前を幾つも付けられた覚えはあっても、そんな、どことなくカッコイイ呼び名には覚えが無い。
 それが自分のことかどうか判断が付かないホル・ホースに、女は人を間違えたのかと眉を顰める。
「ああ、なるほど。そう呼ばれてもおかしくないか」
 二人を眺め見ていたエルザが、納得したように手をポンと叩いた。
「なんだそりゃ?」
 まったく心当たりの無い様子のホル・ホースに、得意げに胸を反らしたエルザが解説を始める。
「メイジ殺しっていうのはね、一対一でメイジを殺せる技能を持った平民のことを指して言う言葉なのよ。お兄ちゃん、以前に暗殺請け負いしてたって言ってたじゃない。そのときの標的の中にメイジも混じってたんだと思うわ」
 ああ、と声を洩らして、記憶の中で仕留めた目標を思い出す。
 杖を持っている相手が何人か居た気がする。敵を前にブツブツ言っていたのは、後で魔法の詠唱をしているのだと知ったが、その時は頭のおかしい人間かと思って気にしていなかった。あれを仕留めたから、メイジ殺しなどという二つ名がついたらしい。
 しかし、不思議に思う。
「メイジなんて、魔法を使う前に殺っちまえば雑魚じゃねえか」
 ホル・ホースの能力は銃だ。見えず、聞こえず、発射された弾丸はホル・ホースの意思によって弾道に変化すら与えられる。
 メイジも遠距離による攻撃を可能としているとはいえ、普通に考えれば詠唱の時間が致命的となる。特に、瞬き一回分の時間があれば銃の引き金を引けるホル・ホースにとっては、まさに敵ではない。

 しかし、まだ銃というものが発明されて間もないハルケギニアでは、平民がメイジを打倒するには、やはり剣や弓に頼るしかないのだ。銃は、その能力を信用するにはまだ精度が低すぎる。
 そこまで理解していないホル・ホースにとって、メイジが脅威などという感覚は理解の範疇から外れたものだった。
「お兄ちゃんは特別なの!もう、実力のあるメイジにそんなこと言ったら怒られるよ?」
「そういうもんかねえ」
 呆れたようにエルザが言うが、やはりホル・ホースには実感がわかなかった。
 メイジ殺しがメイジを殺した凄さを理解していない。そんな事実に女も呆れている様子で深く溜息を吐いていた。
「まあいいさ。そっちが話した以上、こっちも名前くらいは名乗ろうかね」
 面倒くさそうに肩を竦めて、女は度の入っていないメガネを取った。
「フーケ。アンタたちも、名前くらいは聞いたことがあるだろう?貴族専門の盗賊、土くれのフーケってのは、あたしのことさ」
 ふ、と鼻で笑うフーケに、ホル・ホースとエルザが首を傾げた。
 元々近い顔を更に近づけて、お互いに尋ねる。
「エルザ、知ってるか?」
「ううん。知らない。ガリアじゃ聞いたこと無いよ」
 ぼそぼそと小声でやり取りをする二人に、フーケのこめかみに青筋が浮かんだ。
「し、知らないのかい?トリステインやアルビオンじゃ、盗賊と言えばあたしの名前が最初に挙がるくらい有名なのに?ガリアにだって噂くらい届いてるだろう!?」
 少しずつ語気を強めていくフーケを見て、ホル・ホースとエルザは申し合わせたかのように同時に首を横に振った。
 元々噂話になど興味の無い二人だ。外国の犯罪者の名前など、気にしたことも無い。噂話に係わったことと言えば、エルザがヴェルサルテイル宮殿でホル・ホースのあだ名に関しての話を集めたときくらいだろう。
 思った反応を得られなかったフーケが、小さく舌打ちして顔を逸らした。
「おかしい。なんであたしの噂が広がってないのさ。今までに襲った数は20は下らないはずだよ。ああ、でも、相手にした貴族が小物過ぎたか。もしかして、やり口が地味?いまいち土じゃぱっとのしないのかねえ。もっと派手にやるべきか……」

 小声で独り言を始めるフーケを気味悪く思い、この場を離れようとするホル・ホースを止めてエルザが口を開いた。
「それよりも、お姉ちゃん。このお店に何の用だったの?」
 ぴくり、と肩を震わせたフーケが顔を上げてエルザを見る。
「そうだよ。酒場に来ただけなのに、なんであたしが落ち込まなきゃなんないのさ」
 頭を振って意識を切り替えたフーケは、店内を見渡して小さく息を吐いた。
 見渡す限り、目に付くようなものは何も無い。人が存在していた痕跡はあるが、それもかなり時間が経っているように思える。
 店の前でエルザが感じた鉄の臭いは、恐らく建物自体に付いているもので、誰かの体から感じたものではないのだろう。
 店の住人がどこへ行ったのか、それが今の問題だ。
 フーケが店の中を歩き出し、視線を彷徨わせる。
「あんたたちはこの店の事情か何か、聞いてないかい」
「いや。知らねえな」
 カウンターの中や店の奥を覗きながら尋ねてくるフーケに、ホル・ホースは否定の言葉を返した。
 事情も何も、今日初めて店の存在を知って、今日初めて来たのだ。知るはずが無い。
 ホル・ホースもフーケ同じように店の中を歩き回ってみるが、コレといったものは見つからなかった。
 一つ分かったことがあるといえば、金目のものが一つもないということくらいか。
 棚の板に指を滑らせて、指先に付いた少量の埃を、フッと息を吐いて吹き飛ばす。
「これは……夜逃げかも知れねえな」
「夜逃げ?」
 ホル・ホースの呟きに、隣に並んで店の中を見ていたフーケが聞き返す。
「ああ。経営不振かなんかじゃねえか?立地条件も良いとは言えねえし、最近は客の数も少なかったみたいだしな」
「なんで、そんなこと分かるの?」
 エルザが首を傾げた。

「臭いだ。酒場なのに酒の匂いがしねえ。客が入っていれば、もう少しアルコールの匂いがあってもいいはずだ。それに、血の臭いらしい臭いもしねえ。てことは、だ。近い間に血生臭いことは起きていないってことになる。でも、埃はあまり積もっちゃいねえ」
 人の居た気配が最近まであるのに、争った形跡が無い。それはつまり、店の人間が自主的に出て行った、と考えてもおかしくは無い。
 そう説明するホル・ホースに、フーケが感嘆の息を洩らした。
「へえ。さっきは冴えない男かと思ったけど、なかなか頭が回るじゃないさ」
 そんな言葉にホル・ホースは自慢げにヒヒと笑う。
 同じように笑いを洩らしたフーケが、おもむろに懐に手を伸ばした。
 ホル・ホースの鼻先に短い木の棒が突きつけられる。
 フーケの杖だ。
 目を寄せてそれを見るホル・ホースに、フーケが胡散臭そうなものを見るようにして口元を歪めた。
「ただの馬鹿なら見逃そうかと思ったけど。そうじゃないなら、あたしの正体を知ってそのまま帰すわけには行かないねえ」
 殺気を帯びたフーケの目に、ホル・ホースが頬を引き攣らせた。
 なんで、ハルケギニアで会う女はどいつもこいつも……!
 女難の相でも出ているのではないかと思うくらい、碌な女に出会わない。今まで自分に一度として敵意を向けてこなかったのは、イザベラや”緑の苔”亭の店主など、関係の薄い人間ばかり。少し興味を持って近づくと、これだ。
 もしかしたら、これがハルケギニアの標準的な女なのかもしれない。エギンハイム村に
居た翼人のアイーシャは貴重な例外だったが、あれは例外なのだろう。
 本気でそう思い始めるホル・ホースを余所に、エルザがにっこりとフーケに微笑んだ。
「お姉ちゃん」
「ん?命乞いかい、お嬢ちゃん。悪いけど、あたしはガキでも容赦しないよ」
 構わず魔法の詠唱を始めるフーケに、エルザが笑みに黒さを混ぜて首を横に振った。
「ううん、違うの。詠唱はわたしのほうが早かった、って言いたかったの」
 ふいに、フーケの意識が朦朧とする。
 鼻につく空気が妙に甘い。頭の中が真っ白に染まり、手から杖が零れ落ちた。
 やられた。眠りの魔法か。
 気づいた時にはもう遅く、全身から力が抜けていた。

 崩れ落ちるフーケに目を向けて、エルザがクスクスと笑った。
「見た目に騙されちゃダメよ、お姉ちゃん。これで、一つ賢くなったでしょう?」
 強制的に閉じられる瞼の向こうで、少女の口元に浮かぶ妙に長い犬歯を見つける。
 帽子を深く被ってヒヒと軽薄に笑うホル・ホースとエルザに、フーケは残った意識を向けて舌打ちをした。
「ま、さか……吸血……鬼だった、とは……ね」


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