ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

4 土色の愛情 前編

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4 土色の愛情

 ガリアの宮殿に一つの名物が生まれたのは、つい最近のことである。
 王に気に入られて騎士となった異国の傭兵ホル・ホースと、布で姿を隠す少女エルザのコンビだ。
 日がな一日、やることも無くぶらぶらと王宮を徘徊するこの二人は、厨房に入り込んでつまみ食いをしたかと思えば、書庫で片っ端から読み漁った本を散らかし、中庭で過酷な訓練を行っている軍人達の近くで酒盛りをして喧嘩を売った後、当然のように逃げ出して追っ手を振り払い、追跡を諦めた頃を見計らって馬鹿にするように闇討ちを仕掛ける。
 まるで子供のような勝手気侭振りに、最初こそ退屈な王宮の日々に刺激が生まれて喜んでいた人々も、雇い主のジョゼフに抗議の声を上げるようになっていた。
 ホル・ホースとエルザの行動は、間接的に行っているジョゼフに対する嫌がらせだ。
 臣下の忠誠心を下げ、反乱の芽を増やし、その上で隠し通路を含めた城の中の正確な地図を手に入れる。
 実に綿密な計画に、シャルロットも驚きだった。
 だが、特に効果があるわけでない。
 元々無能王と罵られてきたジョゼフに対する不信感は、ホル・ホースたちが何をしようと変化するようなものではないのだ。
 政敵は多く、反乱が起きるならとっくの昔に起きているし、地図だって城の書庫に行けば何時だって手に入る。
 つまるところ、本音はただの暇つぶしであった。
 そう。ホル・ホースとエルザはとにかく暇だったのだ。
 前回の任務でエルザを雇い入れたホル・ホースだったが、それからというもの、特に何も言い渡されることも無く数日を過ごしている。相棒であるエルザも同じだ。
 放っておいてもなにか用事を言い付けてきそうなイザベラは留守。アルトーワ伯とかいう貴族の誕生を祝う園遊会に招待されているらしく、もう二日ほど姿を見ていない。
 シャルロットは普段トリステインという国の学院に通っているし、今回はイザベラに同行しているため、顔を合わせられるのはイザベラが帰ってきてからだ。
 そんなわけで、やることと言えば、自室のベッドの上でシャルロットに借りた有名な童話を綴った本を眺め見つつ、欠伸をすることくらいなのである。
「……退屈だあ」
 何度繰り返したか分からない言葉をもう一度口にして、ホル・ホースは勇者イーヴァルディの冒険と題された本を閉じた。
 本の内容は良くある創作の英雄譚だ。
 普通の少年の心を持ったイーヴァルディが剣を手に困難に立ち向かっていく。たったそれだけのお話。
 特に感慨も浮かばない。あまりにも定番な内容に、奇抜な絵柄だったボインゴの予言漫画でも読んでいたほうがマシかと思うくらいだ。
 だが、そんな本でもシャルロットのお気に入りらしい。
 子供の頃から読んでいた愛読書で、何百回も繰り返し読んでいるために、本が無くても内容を一から話せるくらいだという。
 まだ心を病んでいない頃の母親と読んだ、思い出の本らしい。
 だからといって、その趣味に付き合う理由も無いのだが、暇つぶしにはなるだろうと何冊か借りて読んでいたのだ。
 そして、つい先程、飽きた。
「何か面白いことねえかなあ」
 本をベッドの横にある小棚の上に置いて、窓から見える空を見上げる。
 雲ひとつ無い快晴だ。
 太陽は高く、ガラス窓を通って暖かい光が全身に降り注いでいる。
 このままベッドの上に寝転んでいたらそのまま眠ってしまいそうな陽気に、帽子を顔の上に乗せたホル・ホースは、また一つ大きな欠伸をした。
「あはははは!お兄ちゃん、凄いよ!またあだ名が増えてる!」
 まどろみに身を委ね様としたホル・ホースの耳に、最近よく聞くようになった少女の笑い声が届いた。
 部屋の扉を開けて入ってきたのは、布の塊。ではない、エルザだ。
 直射日光を体に浴びないように、夜以外は常に体中を布で覆っている。ホル・ホースと一緒に悪戯三昧をしている間に見慣れたのか、もう城の人間は歩く布の塊を見たら中身はエルザだと思い込んでいる。最近では、幽霊の正体はエルザだという公式まで出来た。
 この小さな少女が吸血鬼であることを知らないのは、幸せなことかもしれない。
 手に持っている羊皮紙に小さな手で握ったペンを走らせているエルザに顔を向けて、ホル・ホースは呆れるように溜息を吐いた。
「なんだあ?エルザお前、まだそんなことしてたのか」
 最近嵌まっているエルザの趣味に、ホル・ホースは眉根を寄せて嫌がる様子を見せる。「いいじゃない。それに、いまさらのことよ」
 羊皮紙をひらひらと動かして、エルザがホル・ホースのベッドの端に腰を下ろした。
 テンガロンハットを奪い取って自分の頭に載せたエルザは、ペンを棚の上において羊皮紙をホル・ホースの顔の上に置いた。
「んで、増えたあだ名ってのはなんだ?」
 顔に乗せられた羊皮紙を手にとって書かれている内容に目を通したホル・ホースが、また力なく溜息を吐いた。
「昨日は色情王で、今日は絶倫皇帝。オレ、いつの間にか帝国の頂点か。偉くなったもんだな、おい」
 皮肉にもスタンドの名前にまでかかっている。
「色男の証よ。胸を張りなさいな」
 見た目幼女に言われても嬉しくは無いと呟いて、ホル・ホースは紙をエルザに返した。 最初に付けられたあだ名は熟女キラーだが、次はロリコン、そして、幼女マスター、下半身ブレインと続いたところで、なぜか爵位を捩った名称がつけられるようになった。
 エロシュヴァリエ、セクハラ男爵、種馬子爵、寝取り伯爵、絶頂侯爵、孕ませ公爵、ケダモノ大公。そして、いまホル・ホースの口から出た、絶倫王と色情皇帝だ。
 酷いネーミングセンスもそうだが、人を完全に性犯罪者としか見ていないような名前の付け方である。
「オレ、なんでこんな目に遭ってるんだ?まだ、誰にも手はつけてねえぞ」
 ガリア王宮に来てから最初のナンパで熟女キラーの称号が与えられ、ストーカーに追われる様になったホル・ホースには、誰かに手を出す余裕など無い。
 完全な言い掛かりであった。
「いいじゃない。そのお陰で、悩まされてたストーカーもいなくなったんだし」
 エルザの言うとおり、確かにホル・ホースの部屋を訪問する女の数は減った。
 部屋に入れば手篭めにされて一生辱められて生きていくことになる、なんて噂まで流れているのだ。だれが近づくものか。
 それでも、訪問者はゼロではない。奇特な趣味の持ち主や、それでもいいから結婚してくれと死にそうな顔で迫ってくる女性が居るのだ。
 必死の説得で追い返すこと、既に十件。
 子供の悪戯みたいなことをして憂さを晴らしたくもなる。
「その代わりに男の相談が増えてるじゃねえか。オレはカウンセラーじゃねえんだぞ」
 嫌そうに呟いて、ホル・ホースはエルザの頭から自分の帽子を取り返した。
 女性にモテる、などという誤った情報が散乱したために、ホル・ホースの部屋は毎晩モ
テない男達が集まるむさ苦しい集会所に様変わりする。
 モテるようにはどうすればいい。という、本人達には切実な相談事だ。
 貴族、軍人、使用人、行商人。貴賎を問わず、訪れる男達は後を断たない。
 そろそろ扉に釘を打ち付けて、誰も出入りできないようにしてやろうかと思っているところである。
「ちょうど良い暇つぶしだと思えば?」
 軽く言うエルザを力なく見てから、ホル・ホースはベッドの上に転がって顔を背けた。
 放っておいてくれ、という意思表示だ。
「人をこんなところに連れ込んでおいて、その態度は無いんじゃない?……暇なのよ。構いなさいよ。無視するなー!」
 エルザがホル・ホースの体に馬乗りになって騒ぎ立てる。
 小さな体を揺すってホル・ホースにちょっかいをかけ続けるのだが、いかんせん、体重が無さ過ぎて眠りの邪魔をすることも出来ない。
 まったく無反応のホル・ホースに頬を膨らませたエルザは、諦めて何か無いものかと部屋の中を見回した。。
 用意されたものをそのまま使っている殺風景な部屋には、暇を潰せるようなものは一つも見当たらない。最近、エルザの趣味で持ち込んだ小さな猫のヌイグルミがあるくらいだ。
 はあ、と溜息を吐いたエルザは、隣の自分の部屋に戻ろうと立ち上がったところで視界の端にある黒い物体に気が付いた。
「あれ、ペンのインクが漏れてる」
 小棚の上に置いた羽ペンの先端から大量の黒いインクが漏れて、棚の上を汚している。
 インクの補充回数を減らすために羽の芯にインクを溜めておける構造になっているのだが、今回はそれが仇になったようだ。
 棚の上は真っ黒に染まり、置かれていた一冊の本の表紙も黒く滲んでいた。
 本を手にとって状態を確かめると、インクは中にまで染み込んでしまったらしく、本の内容が殆ど読めなくなっている。
「んー、これはもうダメね」
 先住魔法にインクで汚れた本を復元するなどという、庶民的な使い方をするものはない。
 本の端を指で摘んでゴミ箱へと棄てようとしたエルザは、その前に本の持ち主であるホル・ホースに一言謝罪しておこうと、ベッドの奥へと回り込んだ。
「ちょっと、お兄ちゃん。これ見て、これ」
 ホル・ホースの頬を手で叩いて呼ぶと、薄く目を開けたのを確認して黒くなった本をその前で軽く振った。
「ごめんね。インクが零れてこんなになっちゃった。もう読めないから、棄てていい?」
「……ああ、好きにしろよ」
 まだ眠いのか、ごろりと反対側に体を転がしたホル・ホースが小さな声で言う。
 寝ぼけているかもしれないが、一応許可は取ったということで、エルザは手にある本を四角い木の箱に放り込んだ。
 朝晩に一回ずつ、箱に棄てられたものを使用人が回収に来る。本は夜のうちに燃やされて、朝日が上る頃には灰になっているだろう。
 さて、と呟いて、エルザは真っ黒な小棚に目を向ける。
 こればかりは普通に掃除しなければならない。
 インクで汚れた棚を綺麗にするなどという先住魔法も存在しないからだ。
 さて雑巾はどこだろう、と考え始めたところで、ここが王宮で自分達が使用人の世話を受けられる立場であることを思い出す。
 自分で掃除をする必要は無いのだ。
「お兄ちゃん、ちょっとお掃除してくれる人探してくるね」
 ホル・ホースに一言残して、一応起きていたらしいホル・ホースの手がヒラヒラと振られるのを確認したエルザは、部屋を出て行こうとする。
 その後ろで、夢の世界に足を一歩踏み入れていた男が飛び起きた。
「ほ、本!?本が汚れただとお!」
 叫び声を上げて起き上がったホル・ホースが、慌てた様子でゴミ箱の中に飛びついて中に手を突っ込んだ。
 あまり中身の無いゴミ箱からすぐにインクで黒く染まった本を持ち上げると、顔を青褪めさせて全身を小刻みに震わせる。
「や、ヤバイぜ。これは、マジでヤバイかも知れねえ……!」
 この世の終わりを見ているかのように絶望で表情を固めるホル・ホースに、エルザは怪訝な顔で近寄った。
「なに、その本、大事なものだったの?」
 顔を寄せて尋ねてくるエルザに視線を向けたホル・ホースは、布に包まれた体を両腕で掴み上げて、顔を突き合わせるように引き寄せた。
「て、てめえぇぇ!なんてことしてくれたんだ!!こ、この本はなあ、シャルロットの私物なんだぞ!しかも、思い出の品とか言っていた、大事な本なんだ!!それをお前、こんなアブドゥルの眉毛みてえに黒くしやがって!」
「は!?アブドゥルって誰!?っていうか、そんな大事なものなら、ちゃんと管理してなさいよ!」
「やかましい!汚したのはテメエだろうが!責任取りやがれ!」
「借りたのはアナタでしょ!連帯責任よ、連帯責任!!」
 鼻の先を突き合わせてお互いの顔に唾をぶちまけながら行われるの怒鳴り合いに、終焉は見えない。
 あまりにも近くで大声を出しているために、他の音に気付かなかったのだろう。
 部屋の扉が小さく開いたのも気づかず怒鳴りあう二人は、青い髪の少女の冷たい目が覗き込んでいることに気づくのが遅れた
「ふざけんな!オレは悪くね、え……ぞ?」
「わたしだって、事故だった……」
 背筋が凍りつきそうな悪寒に表情を固めたホル・ホースとエルザが、ほぼ同時に首を動かして扉に目を向ける。
 そこに、鬼が居た。
 心の中で断末魔の悲鳴を上げて意識を失ったエルザから手を離し、カチカチとなる歯をどうにか押さえ込んだホル・ホースは、少しだけ開いた扉の向こうで視線をぶつけてくるシャルロットに尋ねた。
「どこから、聞いてた?」
「……ヤバイって、あなたが叫んだときから」
 おおよその内容は掴んでいるということらしい。
 どっと全身から汗が流れ出るのを感じたホル・ホースは、エルザの胸倉を掴むために放り出した本を拾って、両手で捧げるようにそっとシャルロットに差し出した。
 扉が大きく開かれる。
 足音を立てずに部屋に入ったシャルロットは、後ろ手に扉を閉めてホル・ホースの眼前に立った。
 差し出された本を手に取り、ぱらぱらとページを捲って中身が真っ黒なことを確認してから、静かに閉じる。
 ホル・ホースは部屋の温度が下がった気がした。
 ザビエラ村でもそうだったが、なんで自分がまたこんな目を向けられるのか。
 日頃の行いが悪い人間には神様がそれなりの罰を与えると、子供の頃に聞かされた覚えはある。しかし、罰ばかりで救いなんて一つも無いじゃないか。
 考えてみればつい最近、散々城の中で悪戯をしたなあと思い直し、ホル・ホースは自業自得かと肩を落として自身の運命を諦めた。
 シャルロットの杖の先端が床を叩いた。
 布の塊がビクリと跳ねるように動き、隙間から金髪の少女が様子を見るように顔を覗かせる。
 視線が合った。
「ヒィ!」
 シャルロットは布団子になってガタガタ震える塊を見下ろして、もう一度、杖を床に打ち付ける。
 隠れてないで、前に出ろ。
 そう言っている様だった。
 恐怖に震える体を動かしてホル・ホースの横に並んだエルザは、胸の前で手を組み祈るように頭を垂れた。
「ごめんなさい、おねえちゃん。でも、わたしは悪くないのよ。悪いのは、借り物なのに小棚の上に放置してたおにいちゃんだもの」
 エルザが布の中から手を出して隣のホル・ホースを指で示す。
「なんだと、コラ!エルザ、てめえ1人だけ助かろうってのか!?さっき、連帯責任って言ってたじゃねえか!汚えぞ!!」
「ふーんだ。こんな小さな女の子に責任押し付けるお兄ちゃんなんて、知らないもん。おねえちゃんにお仕置きされちゃえばいいんだから」
 掴み掛かるホル・ホースに、つんと顔を逸らして子供のフリをするエルザ。
 中身は三十代でも外見は立派な幼女。使える武器はいつでも使うのだ。
 しかし、そんなことは怒れるシャルロットには関係の無い話だった。
「エア・ブレイク」
 シャルロットが杖を一振りすると、ホル・ホースとエルザの前で風が弾けて壁際まで吹き飛ばす。
 二人して壁に頭をぶつけると、両手で頭部を押さえて蹲った。
「痛てええ!ちょ、ちょっと待て。シャルロットさん、本気で怒ってらっしゃる?」
「くうぅぅ、そ、そうみたいね。これは不味いわ。あの子、ああ見えて感情的なところがあるから、洒落にならないかも」
 頭を抑えたまま小声で言葉を交わしたホル・ホースとエルザは、視線をちらりとシャルロットに向けて怒りの度合いを確認すると、お互いにアイコンタクトを交わしてコクリと頷いた。
 よし、逃げよう。
 悪戯をしている間に息を合わせた二人の行動は、あまりにも素早かった。
 エルザの体を小脇に抱えたホル・ホースが背後の窓に向かって飛び出し、遥か下方に見える地上に向けてダイブする。
 それを追うシャルロットが、詠唱を開始。
 窓際に寄って落下中のホル・ホースとエルザに杖を向けると、中空に氷の矢を作り出して詠唱を完了させた。
 数十本の氷の矢を飛ばす、ウィンディ・アイシクルの魔法だ。
 風を切って容赦なく降り注ぐ氷の矢を予測していたのか、ホル・ホースは空中で体勢を入れ替えて空を見上げると、右手を前に出して己の能力を発現させた。
「頼むぜ、相棒!」
 脇に抱えた小さな少女に声をかけて、引き金を引く。
 見えない弾丸が氷の矢を砕いてくれることを確信しているエルザが、意識を集中して吸血鬼の持つ魔力を空気に溶け込ませた。
「分かってるわよ!風よ、空に漂う空気よ。柔らかい塊となりて、我らを捕らえよ!」
 エルザの持つ、風を操る先住の魔法だ。
 大気が揺らめき、ホル・ホースとエルザの足元で風船のような空気の塊が作られて二人の落下速度を殺していく。
 雪のように降り注ぐ氷の矢の残骸を浴びながら、ホル・ホースは地上に着地すると、一度頭上を確認した。
 自分達が飛び降りた位置は、ここから大体三十メートルの高さ。ホル・ホース1人では脱出できない場所だったが、エルザがいれば話は別。
 これがコンビを組むということだぜ。と、考えたところで、開かれた窓から口笛と共に青い髪の少女が飛び出すのが見えた。
「ヤバいぜ!追ってきやがる!」
「走って、走って!」
 布の中で叫ぶエルザに、言われなくてもと答えて、ホル・ホースは駆け出した。
 追撃とばかりに頭上から氷の矢が降ってくる。
「右から来る!いや、左に避けてよ!ちょっと、目の前通ったわよ!しっかり避けないと危ないじゃない!!」
 必死に逃げるホル・ホースの代わりに目となったエルザが指示を出して、降り注ぐ矢を回避していく。
 完全とはいえないが、ウィンディ・アイシクルの魔法が作り出す氷の矢は二人を直撃することは無かった。
 その間にも、飛翔の魔法を使わずに攻撃を行ったシャルロットの体は地面に急速に近づいている。今更魔法の詠唱は間に合わない。
 激突する。見ていたエルザがそう確信したところで、青い鱗の竜がシャルロットのマントを口に銜えた。
 空に飛び上がっていくシルフィードを見送って、エルザは頬を引き攣らせた。
「相当頭にキてるみたいねえ。あの子、いまのでシルフィに捕まえて貰えなかったら死んでたんじゃないかしら」
 命を懸けてホル・ホースたちを追ってくるその執念に、いかに本を大切にしていたかを思い知らされる。だが、大人しく罰を受けたら死んでしまうかもしれない以上、止まってもいられない。
「それだけマジってことか!?クソッ!テメエのせいだからな!何とかシャルロットの機嫌を直す方法考えとけよ!」
「それは後で考ね。それよりも、今はとにかく逃げないと。どう謝るにしても、暫く間を置いて、あの子の頭が冷えるのを待つ必要があるわ」
 空にはシャルロットを乗せたシルフィードが旋回して、こちらの様子を窺っている。
 城の中庭は空からは丸見えの格好で、ホル・ホースが無様に逃げ回る姿がよく見えるのだろう。
 メガネに隠れた冷たい視線が地上を見つめたかと思うと、次の瞬間には人の胴ほどもある氷の塊がホル・ホースに向けて砲弾のように飛んでいった。
 洗濯物を干している使用人や訓練中の軍人達の近くを意図的に通ることでシャルロットの攻撃の手を止めようとするホル・ホースだったが、相手の狙いが正確すぎてまったく意味を成さない。
 もっと、もっと人の多い場所。それこそ、自分達の姿も分からなくなるくらいの人込みはないものか。
 そう考えたホル・ホースは、視線を門の外、城外に向けた。
 ガリアの首都リュティスの人口はハルケギニア一だ。昼中の大通りは人で溢れ、雑多に人々が行き交っている。
「エルザ!しっかり捕まってろ!」
 布越しの小さな手が服を掴むのを感じて、ホル・ホースは城の住人達の傍を離れ、城門へと一目散に駆け出した。
 目前に落ちる一層大きくなった氷の塊に悲鳴を上げても、足は止めない。
 飛び込むように門を転がり出て、ホル・ホースの姿が町の中へと溶け込んでいった。
 走る姿を追うシャルロットの目から二人の姿が消えると、シルフィードは高く鳴いて高度を下げる。
 リュティスの大通りには横道が多い。ハルケギニア全体に言える事だが、昔から戦争と隣り合わせの歴史が、都市計画を破綻させるのだ。
 一度姿を見失えば、見つけることは難しい。
 それを理解していたシャルロットは、地上を一瞥して二人を完全に見失ったことを確認すると、杖を振り上げて覚えたての呪文を口にした。
「ユビキタス・デル・ウィンデ……」
 シャルロットの体がシルフィードの上で揺らぐと、次の瞬間にはまったく同じ姿をした三人の少女が現れていた。
 風の遍在。自らとまったく同じ能力を持った分身を作り出す魔法だ。
 三人のシャルロットたちは、お互いの姿を見合わせて小さく頷くと、シルフィードから飛び降りて町の中へと潜り込んでいった。
 範囲指定なし。制限時間、シャルロットの気が済むまで。罰ゲーム、死刑。
 二人の人物の命を懸けた、恐るべき鬼ごっこの始まりだった。

 追う追われるの関係は、どちらかというと追う方が有利である。
 人は見て、聞いて、触れて、考える生き物だ。
 手に入れた情報から相手の心理を推測し、過去から現在までの行動をパターンとして認識することで無数の未来を可能性として分類し、その中から厳選する。。
 追うべき対象が動物である場合、ほぼ確実に人間はその動物を見つけ、捕らえることができるだろう。なぜなら、動物には人間がどのように物を考えて行動するかは理解できないからだ。
 それと同じように動物が人間を追う場合も、生まれ持った能力の違いからどのように敵をかく乱すればいいのか分からなくなる。
 そして、人間対人間の場合、お互いの意図を理解している限り、追われる人間は追う人間の考えの裏をかき、追う人間は追われる人間のさらに裏をかく。
 純粋な頭脳戦だが、ここで最も重要な役割を果たすのが、時間である。
 行動すれば、そこに居た痕跡が生まれる。
 時間がどれだけあるかによって、追われる人間はより多く自らの痕跡を消すことが出来るし、追う人間は相手の存在した痕跡を解析することが出来る。
 そう。スタート地点が同じなら、追う者は時間という最大のアドバンテージを初めから手に入れていることになるのだ。
 その意味において、追う側は追われる側よりも有利となる。
 だが、追う側であるシャルロットは、この時間という最大の武器を失いつつあった。
 首都リュティスが見せる輝かしい発展の証である中央通りと相反する、陰の領域。
 日の光を一身に浴びるヴェルサルテイル宮殿の影に隠れるようにひっそりと存在する貧困街の一角で、シャルロットが1人の老婆から敵の情報を手に入れたのは、追跡劇の始まりから丸一日が経ってからだった。
「布の塊抱えたお兄さんなら、地下道さね。大昔の王様が作った、逃走路さ」
 情報屋と呼ばれる、町の出来事の殆どを知る老婆の言葉に、シャルロットは内心で舌打ちした。
 あのジョゼフを襲ったとき、ホル・ホースが逃げるために使用した隠し通路だ。
 一番最初に疑わなければならない逃走経路に気が付かなかった時点で、シャルロットの負けは決まったようなものだった。
 一日あれば、ホル・ホースたちはリュティスを抜けて別の町か森の中にでも逃げ込んでいるだろう。
 幾らシルフィードの飛行速度が速くても、ガリア中を飛び回らせるわけにはいかない。
 シャルロットは老婆に袋詰めのエキュー金貨を握らせて二人の行方に関する情報の収集を頼むと、集中を解いた。
 シャルロットの姿が煙のように消えていく。
 目の前にあった少女の姿が消えたことに老婆は驚きで目を剥くと、慌てて自分の手の中を覗き込んだ。
 金貨の入った皮袋は消えては居ない。こちらは本物だったらしい。
 ほっと一息ついてから、老婆はシャルロットの姿が消えた理由に気が付いて、追われる二人に哀れに思って両手を胸の前で組んだ。
「はああ、アレが遍在ってやつかい。相当な実力の貴族さまみたいだねえ」
 これは死んだな。と老婆は確信を篭めて、いずれ天へ上る魂に祝福がありますようにと始祖ブリミルに祈りを捧げた。

 背筋を這う寒気にホル・ホースが身を震わせた。
「おっおおっ、なんだあ!?」
 木々や藪の間を掻き分けての登山だが、寒さを感じるような気温ではない。
 腹の底に不安を溜め込むような震えに、ホル・ホースは思わず隣を歩くエルザの体を持ち上げて、その体温で暖をった。
「あー、あったけえ」
 布で全身を覆うエルザの体は、幼いために体温自体が高いのか、肌にしっかりと熱を伝えてくる。
 突然人を持ち上げて頬を寄せてくるホル・ホースの顔を両手で押しのけて、眉を顰めたエルザが抗議の声を上げた。
「こら。わたし、お兄ちゃんの防寒具じゃないんだから、離しなさい」
「あ、待て。もうちょっと……」
 放そうとしないホル・ホースの手を払って地面に足をつけたエルザは、そのまま小走りに距離をとって頬を膨らませた。
「もう。お兄ちゃんったら、さっきから何度も何度も。乙女の体を気軽に触らないでくれないかしら」
 失礼しちゃうわ。と両腕を組んでそっぽを向くエルザに、ホル・ホースはヒヒと笑って手をヒラヒラと振った。
「悪い悪い。なんか、さっきから悪寒が止まらなくてなあ。こりゃあ、もしかするとシャルロットの嬢ちゃんが呪いでもかけてんじゃないかねえ」
 本一冊のために呪いをかけられるなんてご免だとは思うが、実際にはどうすることも出来ないのだから、大人しく呪いをかけられるしかない。
 やれやれと帽子を深く被るホル・ホースの正面で、今度はエルザが体を震わせた。
 さっと顔が青褪めて、辺りに視線を這わせる。
「こ、これね?わたしにも今、来たわ。確かに、シャレにならないくらい寒くなるわね」
 カチカチと奥歯を噛み鳴らしたエルザが、震える手でホル・ホースの腰の辺りに抱きついた。
 二人が居るのは、ガリアの北。ゲルマニアとの国境線付近だ。 
 シルフィードの翼ならガリアの殆どを探索できるし、国内にはジョゼフ排斥論を唱えてシャルロットの信奉者となる人物も少なくない。
 ガリアに居るのは不味いと、リュティスの地下道から出た二人は辻馬車に乗り込んで国外に逃げることにしたのだ。
 とは言え、正規の方法で国境を出ることは難しい。
 国の出入りには本来、国が発行する証明書が必要となる。
 身分、目的、滞在時間などが記載された、所謂パスポートだ。
 だが、ホル・ホースもエルザもそんなものは持っていない。だからこそ、国境越えに山道を歩いていたのだった。
 検問は戦時でもない限り、基本的には街道に置かれている。山道を探索するまでの人員を割いていたら、人が幾ら居ても足りないのだ。
 日が沈んでからの決行を計画して、国境手前の山頂付近に陣取った二人が行動を開始したのは4時間前。山を一つ越えたあたりで迷子になったことに気づいたのは、大体2時間前だった。
 とにかく山を下ろうと何度も坂道を下に下にと移動しているのだが、気づくと何故か坂を上っている。
 二人は、典型的な遭難状態に陥っていた。
「な?だからよ、ほれ、意地張らないで抱かれてろって」
 寒気を感じる頻度は圧倒的にホル・ホースが上なのに、まるでエルザが寒がっているかのような物言いだった。
 それでも納得はしたのか、両手を伸ばしたエルザに、ホル・ホースは両脇に手を通して持ち上げると、そのまま胸に抱き込んだ。
 少しだけ、エルザの耳が赤く染まる。
「むう。年下に子ども扱いされるのは、なんか気に入らないわね」
 また頬を膨らませてホル・ホースの首に顔を埋めたエルザが、小さくぼやいた。
 ヒヒと笑って帽子を被り直したホル・ホースは、抱いたまま手でエルザの頭を布越しに撫で回す。
「吸血鬼の中じゃあ、まだ子供なんだろ?だったら、大人しく子ども扱いされてろって」
 年齢がどうあっても、その見た目のせいで子ども扱い以外が出来ないのだ。
 普段からホル・ホースをお兄ちゃんと呼ぶあたり、エルザもそのあたりは良く理解しているのだろう。
 それでも悔しいのか、顔を埋めたまま口を開いて、ホル・ホースの首筋に噛み付いた。
「痛てっ!?あっ、テメエ!血を吸うんじゃねえ!昨日吸ったばかりじゃねえか!!」
「うるひゃいわね!子供がお腹を空かせてるんだから、保護者は大人しく血を吸われてなさい!」
 首筋から抜けていく体温に足元をふらつかせたホル・ホースが慌ててエルザを引き剥がそうとするが、がっしりと首筋に腕を回してしがみ付くエルザは簡単には剥がれない。
 ああ言ったらこう言う。こう言ったら、ああ言う。
 はあ、と息を吐いたホル・ホースは、完全に子供の行動をとるエルザに呆れて、止む無く気の済むまで血を吸わせることにした。
 日は沈んでいる。
 空を見上げれば星空が見えるが、そこにあるのは見ず知らずの星座ばかりで、馴染みのある光景ではない。
 赤と青の月に目を向けて方角を確認したホル・ホースは、首筋でチュウチュウと音を立てている幼女を抱いたまま、山道を歩き続けた。
 少なくとも、北に向いて歩いていることは確か。地図があれば、正確な位置が分かるのだが、持ち出すことも、途中で買う余裕も無かった。
 暫く歩けばそのうち何処かの村にでも辿り着くだろうと、楽観的な考えを持って足を進める。
 夜行性の鳥の鳴き声をBGMに、ホル・ホースが血液不足で眠りについたのは、それから二分ほど経ってからだった。
「ごめーん、加減するの忘れてたわ」
 まったく悪びれる様子の無いエルザの言葉に、薄れいく意識の中、ホル・ホースは一発脳天ぶち抜いてやろうかと本気で思うのだった。


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