ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

3 認識の境界線 前編

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3 認識の境界線
 ザビエラ村は山間部に位置する人口350人ほどの小さな村だ。
 林業と狩りで生計を立てる、典型的な寒村といえる。畑もあるにはあるが、あまり収穫は多くなく、村で全て消費してしまう程度だ。
 しかし、山越えをする旅人にとっては都合の良い宿場になるため、完全に寂れるわけでも極度に発展するわけでもない、特徴の無い状態になっている。
 事件は村の生活を支える森の入り口で起こった。
 血を抜かれて乾いた少女の死体。首筋に残る噛まれた跡。そして、魔力の反応。
 犠牲者が数人出た時点で、やっとそれが吸血鬼の仕業だと判明した。
 これ以上の犠牲者が出る前にと、村の人間達はすぐに領主に直談判を行い、討伐隊の編成を頼んだ。
 しかし、派遣された火の系統を得意とするトライアングルクラスの騎士は、村の中央で見るも無残な死体になって発見される。
 並みのメイジでは対処は不可能。
 そう判断されたため、ガリアの抱える騎士団の中でも、特に荒事を得意としている北花壇騎士団にお呼びがかかったのだ。
 一望すれば村の端から端まで見える場所を選んで、村人達から姿を隠すように木々の陰に降り立ったシャルロットとホル・ホースは、首都からここまで運んでくれた美しい青い鱗の韻竜、シルフィードに手持ちの肉を与えて労っていた。
 吸血鬼は狡猾で残忍な種族だ。
 特にその外見から人に紛れた行動を可能とし、己の下僕として1人だけ屍人鬼を作ることが出来る。
 吸血鬼は先住魔法を使うことが出来るが、魔力は強くなく、それ自体はそれほど驚異的なものではない。それなりに腕のあるメイジなら対処は難しくないだろう。
 だが、屍人鬼は別だ。
 吸血鬼の僕となった屍人鬼は、普通の人間として生活している。吸血鬼の下僕にされる際に出来てしまう吸血痕を除けば、完全に人間なのだ。
 そのため、吸血鬼退治を行うときはこの屍人鬼に背後を取られないよう、最初に屍人鬼を退治してから吸血鬼を仕留めるのが通例となっている。
 今回の吸血鬼はメイジとの戦いに長けているらしく、屍人鬼を発見されるよりも早く討伐に現れた騎士を殺している。



 恐らく、次に派遣されてくるメイジに対しても罠を張りながら待っている事だろう。
「で、作戦はどうするんだ?」
 シャルロットが今回の事件と吸血鬼の知識を一通り説明した後、ホル・ホースが足元に転がる小枝を物色しながら尋ねた。
 村の手前に下りて姿を隠しているのは、吸血鬼にこちらの存在を知られる前にある程度の作戦を立てておくためだった。
 ホル・ホースの立案はない。ここに来る途中で、シャルロットの作戦で行動することが既に決まっていたからだ。
「相手の油断を誘う。相手はメイジにだけ警戒をおいているはず」
 ハルケギニアにおいて最も強大な戦力はメイジの魔法だ。それ以外は剣や弓を主体に戦う傭兵達だが、その戦力は最低クラスのメイジであるドットにすら劣る。
 例外は、メイジ殺しと呼ばれるような、対メイジに特化した人間くらいだ。
 吸血鬼のような妖魔を打倒するには、やはりメイジの存在が不可欠。それがハルケギニアの常識と言っても過言ではない。
「じゃあ、メイジであることを隠すのか」
「そう……でも」
 少し大き目の枝を手にとって立ち上がったホル・ホースを足先から頭まで観察したシャルロットは、はあ、と溜息をついた。
「出来れば、あなたにメイジのフリをして欲しかった」
 遠まわしにホル・ホースには無理だと言っている。
 そんなシャルロットに、ホル・ホースは自分の格好を見て、ヒヒと笑った。
「まあ、マント一つ着けちゃいねえしな。オレを見てメイジだっていうやつはいねえだろうよ」
 ホル・ホースの格好は砂漠にいた頃からウェスタンスタイルだ。ハルケギニアでは奇妙な分類に入るだろう。
 控えめに言っても、変人か特殊な趣味の人にしか見えない。
「……マントを着けていてもメイジには見えない」
 シャルロットの言葉に、シルフィードが同意するように小さく鳴いた。
 口をへの字に曲げたホル・ホースは、肩を竦めて手の中の枝をクルクルと振るう。
 否定はしなかった。



「ま、それはそれとしてよ。じゃあ、どうするんだ?オレたち二人しかいねえんだ。他に変装できるヤツなんていねえぜ?」
 この竜にマントでも着せるか、と言って笑い始めたホル・ホースに、シャルロットはそれもアリかもしれないと思った。
「できなくはない。シルフィードは先住魔法で人の姿に化けることもできる」
 ほう、と感嘆の息を漏らしたホル・ホースの視線が、シルフィードに向けられる。
「きゅい!嫌よ!人間の形って動きにくいんだもの!それに、布を身に着けなきゃいけないんでしょ?そんなの、シルフィ耐えられないのね!」
 首をグイグイ動かして拒否反応を示すシルフィードが後退りした。
 追う様にシャルロットが前に出て、その体に杖を向ける。
「化けて」
 口調は頼むのような形だが、そこに篭められたものは命令の意思だ。
 主従関係にあるシャルロットとシルフィードだが、必ずしも命令に絶対性があるわけではない。メイジと使い魔の関係は、一方的なものではないのだ。
 それでもシルフィードは、この小さな主に頼まれるとなぜだか逆らえなかった。
 しかし、今日は違う。なぜなら、そこにホル・ホースが居るからだ。
「横暴なのね!嫌がらせなのね!そうやって、シルフィが逆らえないのを良い事に好き放題するのね!助けて欲しいのね!!」
 人間の何倍もある体で地面を走り、ホル・ホースの後ろに回ると、その体を盾にして威嚇するような唸り声を上げた。
 使い魔の反乱に少しだけ表情を固めたシャルロットが、杖の先端を強く地面に打ち付けて必殺の言葉を口にする。
「ご飯抜き」
 シルフィードが鳴き声を上げた。
「ほら!この小娘ったら、言うこと聞かないとこうやってご飯を人質にするのね!ちっこい癖に酷い悪党なのね!シルフィを奴隷か何かと勘違いしてるんじゃないかしら!」
 なにか溜まっているの物でもあるのだろうか。抗議の声は強く、シャルロットの言葉も届きそうになかった。
 そんな二人の間に挟まれたホル・ホースは、腰からナイフを抜いて木の枝に刃を入れていく。



 数度、ナイフを振るうと、そこには一本の先端が尖った棒が出来上がっていた。
「よし。これでまあ、見かけだけは誤魔化せるだろ」
 なにをしているのかと、抗議をやめたシルフィードがホル・ホースの手元を覗き込む。
「それは、杖?……なんだか不恰好なのね」
「やかましい。杖に見えりゃなんだっていいんだよ」
 傍で見ると荒く削ったタダの木の枝だが、遠目に見れば杖に見えなくもない。
 ナイフを腰の皮ベルトにしまったホル・ホースは、手にある歪な杖を軽く振って感触を確かめると、シルフィードを睨みつけていたシャルロットに声をかけた。
「竜に頼るのは、今回は無しだ。嬢ちゃん個人の実力でなんとかしてみようじゃねえか」
 そう言って、懐から干し肉の塊を取り出して乱暴に齧り付く。
 シルフィードが首を激しく縦に振っていた。
「きゅい!良いこと言ったのね!偶にはシルフィに頼らないで、1人でなんとかしてみるのね!」
 ホル・ホースの肩口で騒ぐシルフィードに、シャルロットが少しだけ悔しそうに眉を顔を俯かせた。
「いや、一人でやれとは言ってねえよ」
「きゅ!?」
 食べ欠けの干し肉を突っ込まれて、シルフィードの口が塞がれた。
「これは相棒としての試験だからな。嬢ちゃん個人の能力を知るためにも、こいつの存在はちと邪魔になる」
 即席の杖を腰にさし、ホル・ホースは俯くシャルロットの頭を乱暴に撫でた。
 シャルロットの顔がゆっくりと上がって、ホル・ホースに向けられる。
「……使い魔とメイジは一心同体」
 ホル・ホースがシルフィードの味方についたのが気に入らないのか、少し口調が刺々しかった。
 本来、主人に逆らう使い魔はそうはいない。なぜなら、主従の契約を行ったメイジと使い魔は、ある種の一体感を感じるからだ。
 しかし、稀に、元々高い知性を持った生き物が使い魔になると、シルフィードのように反抗的な態度を取るときがある。



 これは、メイジと使い魔がそれぞれ確立された意思をもっているからで、けしてメイジの力量不足ということはない。むしろ、契約の効果に逆らえるほどの使い魔をもったこと
はメイジの実力が高い証なのだ。
 それでも、反抗されれば腹が立つのが人間というもので、シャルロットの機嫌が悪くなるのは当然のことだった。
「そうは言うがよ、暗殺の時にあんな騒がしい竜を連れて歩けるか?」
 ホル・ホースの言葉に、シャルロットは口の中の干し肉を美味しそうに食べているシルフィードをじっと見つめて、首を横に振る。
 どう考えても無理そうだ。
「だろ?即効で見つかって、暗殺どころじゃねえぜ」
 コクリと首を縦に振って同意したシャルロットを見て、ホル・ホースはヒヒと笑った。

 村長の家は段々畑が連なる村の、一番上にあった。
 ホル・ホースを先頭に後を歩くシャルロットたちが通されたのは、飾り気のない一階の居間だ。
 上座に腰掛けたのはシャルロットだが、大人のホル・ホースと子供のシャルロット、どちらに挨拶をすればいいのか迷った白髪の人の良さそうな村長は、最終的に貴族らしい格
好をしているシャルロットに深々と頭を下げた。
「ようこそ、いらっしゃいました。騎士様」
 顔を上げた村長に、シャルロットが自己紹介を行う。
「北花壇騎士、七号。こっちは、わたしの警護兼教育係。今回はサポートとしてついてきてもらった」
 その言葉に、ホル・ホースが帽子を脱ぐ。
「コードネームはねえから本名を言うぜ。ホル・ホースだ。サポートなんて言ったが、実際はただの付き添いでね。嬢ちゃんの仕事ぶりを見に来ただけだ」
 そう言いつつ、腰にある即席の杖に手をかける。
 とても貴族には見えないホル・ホースに、長老は怪訝な目を向けた。
 何者だろうかと探るような目だ。
 それをシャルロットが杖で床を叩いて遮る。
「事件の詳細を話して」
 機嫌を損ねたのかと慌てた長老が頭を上げて口を開く。



 身振り手振りを加えて行われた説明は、前もって知らされていた情報と大差はなかった。
 2ヶ月前に12歳の少女が犠牲になったのを皮切りに、これまでに九人の犠牲者が出た。
 二人目の犠牲者が出てからは村人は外に出なくなったものの、吸血鬼は夜中家に忍び込んで血を吸うらしい。玄関や窓を締め切っていても、だ。
「犠牲者の家族が朝に最初に見るのは、ベッドの上で血を座れ、変わり果てた姿になった親兄弟の姿なんですじゃ」
 体を震わせ、悲しげな顔になった長老が嗚咽を漏らす。
「村を下ったところにある寺院で聞いたのです。吸血鬼は屍人鬼を作ると。血を吸った人間を1人だけ、己の意のままに操るのです。もしかしたら、村の住人の誰かが屍人鬼にされて吸血鬼の手引きをしているのではないかと、誰もが疑心暗鬼になっております」
 シャルロットの足に縋り付くように体を寄せた長老は、早急に何とかして欲しいと涙目に懇願した。
 情の強い人間なのか、すでに近親者が吸血鬼の犠牲になっているのか。長老の表情にはあまり余裕は見て取れない。
「屍人鬼には血を吸われた後があるはず」
「それも調べました。しかし……」
 そう言って首を横に振る。
「こんな田舎の村ですからの。虫や蛭に刺される者も少なくないのです。首に傷がある者だけでも七人もおりまして……特に山ビルは首を狙ってきますからの」
 それはつまり、体を検分して屍人鬼を見つけるのはほぼ不可能と言うことだ。
 その事実に、ホル・ホースはホッと息を吐いて帽子を被りなおした。
 女性の体ならともかく、男の体など隅々まで見たくはないからだ。
「となると、屍人鬼を見つけるのは至難の業ってことか。これなら、直接吸血鬼を探したほうがが早そうだな」
 ホル・ホースの言葉にシャルロットが少し考えた後、頷く。
 人間に溶け込むなら、いっそのこと放置するということだ。定石とは外れるが、無為に時間をかけるよりも有益だろう。
 吸血鬼さえ倒せば屍人鬼も死ぬ。無理に見つけて戦う必要はない。
 背後を取られる恐れもあるが、こちらは二人組み。問題は無いだろう。



「しかし、吸血鬼は森におります。このあたりの山は人の手が入っておりますが、それでも遭難する者が後を断ちません。探索に向かうのは危険すぎるのでは」
 長老がホル・ホースの意見に口を挟んだ。
 その言葉に、シャルロットは目を閉じてふっと息を吐く。
 危険だが、やらないわけにはいかないだろう。
「山道に詳しい人間を紹介して。明日、周辺の探索を行う」
「わかりました、村の人間に知らせておきましょう。滞在中は我が家にお泊りを……」
 そこまで言ったところで、長老が扉の隙間から顔を覗かせている人物に気がついた。
 5才くらいの美しい金髪の少女だ。
「エルザ。まだ騎士様とのお話は終わっておらんのじゃ。お部屋にお帰り」
 目に少しだけ怯えの光を宿したエルザと呼ばれた少女が、すっと姿を消した。
 軽い足音が遠ざかっていく。
 シャルロットとホル・ホースの視線が扉に向けられていることに気づいて、長老がまた頭を下げた。
「申し訳ありません。部屋にいるようにと、言いつけておいたのですが。騎士様と聞いて気になったのでしょう。まさか、顔を出すとは」
 額に汗を浮かばせた長老に、シャルロットは視線を合わせる。
「誰?」
「1年ほど前、寺院に捨てられていた子供です。聞くところによると、メイジに両親を殺されて、ここまで逃げてきたとのことで。恐らく、行商の旅人がなんらかの理由で無礼討ちにされたか、メイジの盗賊に襲われたか……。連れあいも早くに亡くなり、子供もおらんわしが、引き取って育てることにしたんですじゃ」
 遠い目になる長老に、ホル・ホースが帽子を深く被って息を吐いた。
 珍しい話ではないが、あまり気分の良い話でもない。
「わしはあの子の笑顔を見たことがないのですじゃ。体も弱くて、あまり外で遊ばせることもさせられん。一度でいいからあの子の笑顔を見てみたいと思っておるのですが、それ
なのに村では吸血鬼騒ぎ。あの子の笑顔を見る日は遠そうですじゃ」
 老人の長話が始まった。そう言いたそうな表情を浮かべたホル・ホースとシャルロットは、じっと長老の様子を観察し、思い出話が出てきた頃を見計らって部屋を後にした。
「あの子を見ていると、若い頃の連れ合いを思い出しましての。あの頃は……」
 聞いている人間が既にいないことにも気付かず、長老はそれから日が暮れるまで独白を続けていた。




 村の中央にある広場に出たシャルロットとホル・ホースは、周囲の様子を見ながら声を潜めて相談を始めた。
 山の探索に出るとは言ったが、村の中を何一つ調査しないで出て行くほど馬鹿ではない。
 屍人鬼の痕跡や締め切ってあるはずの家へ進入した方法。それに目撃者探しなど、やることは山ほどある。
「屍人鬼はどうにもならんとして、まずは被害者の家の調査だな」
 シャルロットが首を縦に振ったのを確認して、ホル・ホースは村の入り口に向かう。
 ぽつぽつと立ち並ぶ小さな家の一つに、少し背の高い建物があった。
 村に一つだけある酒場と宿を兼業する店、“地図にない路地”亭だ。
 腰に当たる小さな扉を押し開いて中に入ると、数人の男女がテーブルで向かい合って少量の酒を分け合っていた。
「ちと聞きたいことがあるんだが……」
 じろりと、ホル・ホースに視線が突き刺さる。
 懐疑的な暗い色のめだ。
 だが、それも後からシャルロットが入ってくると、突然に霧散した。
「なんだ。派遣されてきた騎士様か」
 酒を飲んでいた1人が、立ち上がって礼をした。
 酔っ払った様子はない。酒を飲み始めてそれほど時間が経っていないのだろうか。
 危なげない足取りで空いたテーブルの椅子を引くと、そこへ促すように手を差し出した。
「どうぞ。貴族様に出せるような上等なものはありませんが、良ければなにか持ってきますよ」
 その申し出に笑みを浮かべたホル・ホースだが、すぐにシャルロットが首を横に振ったために、不貞腐れてテーブルに顔を寝かせた。
 せっかくただ酒が飲めると思ったのに。
 小さく舌打ちをして、ホル・ホースはだらりと体の力を抜いた。
「吸血鬼に関して、なにか情報があれば聞かせて」
 杖を傍らに置いたシャルロットが集まっていた人々に声をかける。



 酒に酔っていないのは、立ち上がった男1人だけではなかった。この場にいる全員だ。
 酒瓶に水を足すことでアルコールを薄めて飲んでいるらしい。
「推測でも構いませんか?」
 シャルロットたちをテーブルに案内した男が、床に転がる空の酒瓶を拾いながら尋ねた。
 推測しか語れないということは、彼らも特にこれといった情報は持っていないらしい。
 それでも、なにかのヒントになるかもしれないと、シャルロットが小さく頷く。
「村外れのあばら家にマゼンダって占い師の婆さんがいるんです。三ヶ月前に息子と一緒にこの村に療養するために来たんですがね。この婆さんは占いもろくにせず、肌に悪いからと外にも出ねえ。そんなんだから、村の連中はみんな、あの婆さんが吸血鬼じゃないかと疑っているんですよ」
 男の言葉に、テーブルについていた数人の人間も同意するように頷いた。
「ああ、間違いねえ。時期も間違っちゃいねえし、閉じ切った家に入れるのはあの婆さんだけだ。療養なんて言っているが、まさにその通りで、人間の血を吸って元気になろうとしているんだろうよ!」
 テーブルに拳が叩きつけられる。
 村人達の中では、犯人はすでに確定されているらしい。推測の域を出ていない拙い推理だが、すでに何人も犠牲者を出している彼らにしてみれば、恐怖の原因を断ち切りたくてしかたがないのだろう。
 だが、シャルロットたちが動くには情報が足りない。
「家に入れるというのは?」
 発言の中にあった気になる部分に質問を投げかける。
 推理に自信があるのか、まだ半分ほど入っていたワインを浴びるように飲んでいた男が立ち上がって身を乗り出した。
「聞いてくれ騎士様!締め切った家の中にも、出入り口はあるんだ!煙突さ!煙突なら外から中に入れる!あの婆さん、小柄で骨と皮だけみたいな体をしてるからな。アレなら煙突の狭い穴だって出入りできるはずだ!」
 声を大にして自分の考えを発する男に、周りで酒を飲んでいた連中が同調して歓声を上げた。
 疑わしきは罰せよ。なんて言葉が飛び出しそうな勢いだ。
「でもさ、吸血鬼って蝙蝠に変身するんだろ?なら、誰だって煙突に出入りできちまうんゃないかねえ」



 1人、盛り上がりの欠けていた女が反論した。
 確かに、シルフィードも先住魔法で姿を変えられる。なら、もしかしたら吸血鬼も変身できるかもしれない。
 となると、吸血鬼を見つけるのは殆ど不可能なんじゃないのだろうか。
 そんなことを思って、シャルロットは頭を小さく振った。
 まだ吸血鬼退治は始まったばかりだ。こんなところで躓くわけには行かない。
「じゃ、じゃあ、あの婆さんは吸血鬼じゃないって言うのかよ」
「いや、そうは言ってないだろ。あたしも、あの婆さんは怪しいと思うさ」
 女の意見も結局は同じ。
 犠牲者は派遣された騎士を含めればちょうど10人だ。次の犠牲が出る前に結論を出して不安を払拭したいという気持ちは分からなくもないが、それをそのままにしておくわけにもいかない。
「推論ばかりで証拠がない。先走りはしないで」
 杖を手にとって床を軽く叩いたシャルロットは、酒場の人間全てに警告を残す。
 マゼンダという人物に会う必要がありそうだ。
 シャルロットの一言で萎縮した人々に、マゼンダのいる場所を尋ねて立ち上がる。
 もしも、本当に吸血鬼なら、その息子というのは屍人鬼か、もしかしたら同じ吸血鬼の可能性もある。吸血鬼が1人とは限らないのだから。
 準備は万全にしておいたほうがいいだろうと、密かに緊張感を感じたところで、シャルロットの目が自分の座っていたテーブルに向いた。
 ホル・ホースが不貞腐れたまま顔を上げていない。
 お気に入りらしい帽子が頭の上にかかっているために表情は伺い知れないが、規則正しい呼吸から、その中身はなんとなく予想がついた。
 杖を振り上げる。
「寝るな」
「んごっ!?」
 鈍い音が店内に響いて、ホル・ホースが飛び起きた。
「なんだ!何が起きた!敵か!?」
 椅子を蹴り飛ばし、テーブルを倒してその陰に隠れると、何かを握るように掲げた手を左右に落ち着き無く動かして辺りを見回す。



 だが、当然敵なんてどこにもいないので、そのうち視線を彷徨わせて自分がどういう状況に置かれているかを察した。
 身も凍るような冷たい視線を投げかけてくるシャルロットから逃れるように顔を背けると、ホル・ホースはごほごほと咳をしてテーブルと椅子を元に戻した。
「よし、敵の奇襲に対する訓練終わり。さあ、行こうか嬢ちゃん!」
 何事もなかったように帽子を被り直して、さっさと店を出て行ったホル・ホースに、先程まで吸血鬼に関して話をしていた村の住人が疑わしい視線をシャルロットに向けた。
 視線に篭められた意思はたった一つ。
 こんな奴らに任せて大丈夫なのか?
 ただ、それだけだ。
 自分が悪いわけでもないのに居た堪れない雰囲気に晒されることになったシャルロットは、肩を小さくして小走りで店を出て行った。
 せっかく釘を刺したのに、これでは意味が無い。
 あんな頼りない連中に頼るくらいなら、村の住人だけでなんとかしたほうがいいんじゃないのか。騎士なんて言っていたが、本当は偽者なんじゃないのか。あの変な格好の男は村に何しに来たんだ。なんて話が背後から聞こえてくる。
 シャルロットは店の外で誤魔化すように笑いながら手を揉んでいるホル・ホースを見つけて、肺の中の空気が全部抜けてしまいそうなほど大きな溜息を吐いた。
 この男は、本当にやる気があるのだろうか。
 見ていて自信が不安になってくる。
 この村に来る間にした覚悟は一体なんだったのかと、シャルロットは遠い目で空を見上げた。

 マゼンダの家は聞いた通り、村の外れにあったが、それほど遠くは無かった。
 少しずつ赤みを帯び始めた太陽を背にしてポツリと建った家は、外から見ても分かる細い骨組みのせいで僅かに歪んでいて、強い風が吹けば倒れてしまうのではないかと思わせ
る外見をしている。
 家の周囲では、村人が何人も集まって小石を投げたり、誹謗中傷を交えた怒鳴り声を上げていた。
 酒場でもそうだったが、もう村の住人達はマゼンダが吸血鬼だと断定しているようだ。



 ここまで来る途中、シャルロットは隣で平謝りするホル・ホースを無視しつつ、犠牲者の家族の話を聞いて回りながら、今まで集まった情報を頭の中で纏めていた。
 事件はマゼンダ親子が村に来てから一月後に起こっている。村長の説明で吸血鬼が森の中に居ると言っていた根拠は、最初の犠牲者が森の入り口に倒れていたことに起因してい
る。しかし、その後の犠牲者の発見場所は一定していない。ただし、夜間、戸締りをしたことで外からの出入りが出来なくなってからは、犠牲者は決まってベッドの上だ。
 吸血鬼対策として、夜眠らないという方法も試したがそうだが、どうしても眠ってしまうらしい。酒を薄めていたのは、酔い潰れて眠ってしまわないためのようだ。 
 シャルロットたちメイジが使う魔法にも、スリーピング・クラウドという相手を眠らせる効果を持ったものがある。先住魔法を使う吸血鬼も、これを使用している可能性が高い。
 煙突も確認したが、穴は小さく、小柄なシャルロットでも出入りは難しい。しかし、煙突の壁に不自然な傷があったことから、出入り口が煙突であることは間違いないらしい。
 以上のことから分かるのは、吸血鬼か屍人鬼が村の中の、それも情報を収集し易い立場にある人間として溶け込んでいる。ただ、それだけだ。
 マゼンダという人物が吸血鬼である、確たる証拠は一つもなかった。
「出て来い、吸血鬼!」
 あばら家を取り囲む男達の1人が声を張り上げた。
「誰が吸血鬼だ!失礼なことを言うんじゃねえ!」
 家の扉が開いて、40歳前後の屈強な大男が姿を現して大声で怒鳴った。
「アレキサンドル!お前が一番怪しいんだよ!よそ者が!早く吸血鬼を出せ!」
「吸血鬼なんていねえよ!」
「いるだろうが!昼だっつうのにベッドから出てこないババアが!」
「おっかぁを捕まえて吸血鬼とはどういうこった!病気で寝てるだけ……?」
 青筋を浮かべて口汚く言い合いをする男達の間に、シャルロットが杖を高く掲げながら割って入った。
 メイジの象徴である杖を前に黙った男達を一瞥してから、アレキサンドルに向き直る。
「北花壇騎士。吸血鬼退治のために調査をしている」
 凛と言い放つ小さな少女に、体の大きなアレキサンドルが頭を低くした。
「こ、これは騎士様。ご苦労様です。あ、その、ええっと、村の連中にはこうして疑われてますが、家には吸血鬼はいません!信じて下せえ!」



 シャルロットとアレキサンドルの身長の差は、まさに大人と子供だが、大人のほうが縋り付くように地面に膝をついて懇願する姿は、どこか滑稽だ。
 その光景に、口に手を当てて低く笑っているガンマンがいたが、無視しておく。
「違うという確証が得られれば問題は無い。調べさせて」
「あ、う、うう」
 信じてもらえないことに戸惑いと不満の混じった声を漏らしたアレキサンドルだが、吸血鬼ではないという証明ができるならと、家の扉を開いてシャルロットたちを招いた。
 シャルロットに続いて村の住人達も家に入り、扉が締められる。
 家の中も外見通り、あまり綺麗ではなかった。
 床板はいまにも抜けそうだし、壁も朽ちている。隙間風があちらこちらで吹いている家は、病人には辛い環境だろう。
 たった一部屋しかない土間の奥に粗末なベッドが見えた。そこに眠っているのが、件のマゼンタだろう。
 村人達の足音に、寝ていた老婆が身を起こした。
 村人の1人が前に出ようとするのをシャルロットが杖で押し留める。
「おっかぁ、騎士様がお見えになった。村を騒がせとる吸血鬼を探しとるそうだ」
 アレキサンドルの言葉に、老婆が布団を退けてところどころ穴の開いたボロボロの寝巻き姿を晒した。
 枯れ木のように細い痩せこけた体を曲げてお辞儀をする。
 背後に並ぶ村人達を冷たく流し見て動きを抑えると、シャルロットはゆっくりと老婆に近づいた。呪文を口ずさみながら。
 吸血鬼であった場合、即座に対処できるようにという保険だ。
 老婆の前に立ったシャルロットは、杖を前に出していつでも魔法を使えるように準備を整えてから話しかけた。
「あなたに吸血鬼の容疑がかかっている。嫌疑を晴らすためにも、調べさせて」
 そう言って老婆の口元に手を伸ばしたシャルロットは、口を開けるように指示をした。
 大人しく言うことに従った老婆が、無数の深い皺の入った口を開く。
「おっかぁは牙どころか、歯だって一本もねえ。食べられるものと言や、具が溶けるまで煮込んだシチューかスープくらいだ」
 悲しそうに言うアレキサンドルを見て、シャルロットは老婆にもういいと言って口を閉じさせる。



 村人達は不満そうに抗議の声を上げているが、シャルロットが一睨みするとすぐに噤んで小さくなる。
 感情だけが先行している。暴走に繋がりかねない、危険な兆候だ。
 すぐに視線をアレキサンドルに戻して、シャルロットは告げる。
「吸血鬼は、血を吸う寸前まで牙を隠しておける。あなたの母親の嫌疑が完全に晴れたわけではない」
「そんな!?」
 アレクサンドルが小さく悲鳴を上げた。
 わざわざ家の中にまで招待したのにと、床に崩れ落ちて嘆くアレクサンドルを見下ろして、シャルロットは申し訳無さそうにその姿を見つめる。
 そんなとき、場違いな声が家の中に響いた。
「おーい」
 シャルロットやアレキサンドル、それに村人達も、首をあちこちに向けて声のする場所を探す。
 それに最初に気づいたのは、ベッドに横になった老婆だった。
「……何をしてるの?」
 老婆が震える手を伸ばした先には、壁の穴から家の中を覗き込んでいるホル・ホースの姿があった。
 またこの男はふざけているのかと杖を構えるシャルロットだったが、ふと、ある事実に気づいて老婆を見る。
 何でこんな簡単なことに気づかなかったのか。壁の隙間を通り抜けるのは、なにも風ばかりではないのに。
「気づいたか、嬢ちゃん」
 ホル・ホースが珍しく真剣な口調で声をかけた。
 その言葉の意味を理解して、シャルロットは頷く。
 村人達やアレキサンドルは目をぱちぱちとさせて、何の話かと首を傾げた。
「この老婆は吸血鬼ではない。今、確証が得られた」
 シャルロットの言葉に村人達が驚きの声をあげ、続いて抗議を始めた。
「何が分かったって言うんだ!」



「ババアが吸血鬼じゃないって証拠がどこにある!!」
 声を荒げる男達にシャルロットは指を壁に向けて説明を始めた。
 壁にあるのは、今しがたホル・ホースが覗き込んでいた穴がある。
「この壁の穴はそれなりの大きさがある。家の中に風を吹き込ませているけど、それ以外に吸血鬼が最も嫌う、日光が差し込んできている」
 村人とアレキサンドルが声を上げた。
「日が高いときならともかく、夕方には太陽の光はベッドの上を照らすことになる。吸血鬼なら、こんな場所にベッドなんて置かないはず」
 そう言っている間にも外では日が沈み始めていて、太陽の光が老婆の眠るベッドを赤く照らしていた。
 シャルロットは老婆の手を取り、埃に反射して空中に浮かぶ光の筋に重ねる。
 老婆の手が夕日の色で明るく染まった。
「日光は吸血鬼の肌を焼く。でも、この人はなんともない。つまり、吸血鬼ではないということ」
 シャルロットがそう宣言すると、アレキサンドルが深く溜息をつき、村人達はざわざわと騒がしくなった。
「じゃあ誰が吸血鬼なんだ?」
「他に怪しいやつなんていないぞ!」
 目星をつけていた相手が無実だったことを知って戸惑う村人に、アレキサンドルが立ち上がって大声を出した。
「おっかぁの容疑は晴れた!不安だったことは俺にも分かるから、今回のことをどうこう言うつもりはねえ。だが、ここは俺とおっかぁの家だ!さっさと出てけ!」
 村人達の横暴に腹に据え兼ねるものがあったのだろう。鬼のような形相を浮かべたアレキサンドルの怒声に、慌てて村人たちが玄関に向かって走り出した。
 最後の1人が家を出たのを確認して、アレキサンドルは老婆の隣に立つシャルロットに向かい、床に両手をついて頭を下げた。
「ありがとうございます、騎士様。ここんところずっと村の連中に苛められていて、もう村を出て行こうかと考えていたところで。ほんとに、ほんとにありがとうございます」
 床に額を擦りつけて感謝の言葉を述べるアレキサンドルに、シャルロットは少しだけ表情を緩めて、次の瞬間にはまた普段のように目に冷たい色を浮かべた。



 アレキサンドルの横を通って玄関に向かい、扉の手前で立ち止まる。
「……まだ、安心するのは早い。吸血鬼の疑惑はなくなっても、屍人鬼でない確証が得られていない。一方的になにかを言われることは無いかもしれない。けど、危険が去ったわけではないということは、覚えておいて」
 それだけ言うと、シャルロットは扉を開けて外の景色に目を細めた。
 近くの木陰では、ホル・ホースが広場に集まって話し合いをしている村の住民たちを暇そうに見ている。
 時々、ヒヒと厭らしく笑っているのを見て、シャルロットは以前にも感じた疲れに肩を落とした。
「騎士様」
 シャルロットの背に声がかかる。
 振り返ったシャルロットは、玄関の扉を少しだけ開けて手招きをしているアレキサンドルに気が付いて、顔を寄せた。
 少し言い難そうに口の中をもごもごと動かした後、アレキサンドルが切り出した。
「吸血鬼は、村の中にいます。俺は山の中に何度も入ってるから分かるんだ。木も、動物達も、森の中に危ないものは隠れてねえって言ってる。だからきっと、吸血鬼も屍人鬼も村の中にいるはずだ。言いたくはねえが、村の連中に隙を見せちゃなんねえよ」
 最後に、気をつけて、と言って、アレキサンドルは扉を閉めた。
 貴重な情報だ。これで、闇雲に山の中を探すことなく、吸血鬼の居場所を絞り込むことが出来る。
 シャルロットは礼を言うように扉の前で目を閉じると、踵を返してホル・ホースに合流した。
 少しずれた帽子を直してシャルロットに向き直るホルホースが、ヒヒと笑う。
「あなたは最初から気づいていたの」
 老婆が吸血鬼ではないという確証を、ホル・ホースは持っていたのだろうか。
 シャルロットの質問に肩を竦めてまた笑う。
「さあて、どうだろうねえ」
 意地の悪い態度だ。
 しかし、それに文句を言うでもなく、シャルロットは広場へと足を向ける。
 少しずつだが、真実に近づいている気がした。




 村長の家に戻ったシャルロットとホル・ホースは、マゼンダに関する騒動について村長と話をした後、用意された食事に舌鼓を打っていた。
 広場に集まっていた村人たちは、日が沈む頃には解散している。ただ、今までマゼンダに疑いをかけることで不安の矛先を変えていたものの、当人の疑惑が晴れてしまったために、かえって村人たちの不安は強くなっているようだ。
 村長の家の食卓には村長とエルザ、シャルロットやホル・ホース以外にも意志の強い村の人間が集まって、吸血鬼の対策を練りながらパンを食べている。
 対応として、今の所決まったのは一点だけだ。
 吸血鬼が若い女の血を好むことから、村の若い女性達を村長の家に集めてシャルロットや体力に自信のある男が警護に当たることで、犠牲者の発生を防ぐというもの。
 夜に動くのは逆に混乱を生み、吸血鬼の付け入る隙を作るということから、作戦は明朝から決行されることになっている。
 完全に受身の作戦だが、無いよりはマシだろう。
 他にも行うべき対策は無いものかと、食卓の上でああだこうだと騒がしく話し続けているが、あまり実を結びそうに無い。
 テーブルの上は喋りながらの食事の為に食べ物が幾つも転がって、見るも無残な酷い有様になっていた。
 片付けても片付けても次から次へと汚すために、放置されているのだ。お陰で、食卓惨状は悪化の一途を辿っている。
 熱くなっている村人達と違って、シャルロットは食べることに集中し、ホル・ホースは料理に目もくれず出されたワインをずっと呷っていた。
 酒好きの人間には、酒を飲む際に大量に食事をするタイプとまったく食事をしないタイプの人間がいるが、ホル・ホースはどちらかというと前者で、目の前にあるものはとりあえず食うタイプの人間だ。
 それがワインばかり飲んでいるのには理由があった。
「ぶはっ!うええぇっ!まだ苦味が残ってやがる!なんなんだ、このムラサキヨモギってのはよおぉぉっ!!」
 空になったワイン瓶を置いて、ホル・ホースは叫びながら口の中に指を突っ込んで舌を指で掻いた。



 視線の先にはテーブルの一つに紫色の葉を乗せたサラダがある。シャルロットが美味しそうに食べているのを見て釣られて手を出したのだが、これが苦いのなんの。気が遠くなりそうな異常な苦さに、ホル・ホースは食事もそっちのけで口の中をワインで洗い流していたのだ。
「まあ、そう言わず。数少ない村の名物じゃし、体にはいいですからの。食べておいて損はありませんぞ」
 そう言ってサラダの皿を押し出してくるのをホル・ホースは全力で止めて、村長を睨み付けた。
「バカ言うんじゃねえよ。こんな舌がおかしくなるもの食って、損がねえだとお?ワインの味がわからねえんだぞ!オレの味覚を損なってるじゃねえか!コラ!」
「はっはっは、慣れれば大丈夫じゃよ。味覚に幅が広がって、いろいろな味が楽しめるようになるからのう」
 サラダの皿を押し合う不思議な状況に、それを見ていたエルザが目を丸くする。
「多少の味の悪さは大抵我慢するオレだが、これだけは我慢ならねえ!そんなに言うならオマエが食え!村長だろうがよお!」
「いやいやいやいや。お客人の為にご用意した食事をわしが食べるわけには……」
 吸血鬼対策の真面目な話を傍でしているというのに、ここだけは空気が違っていた。
 紫色の植物の葉を相手に食べさせんと全力を尽くす、二人の大人の虚しい争いだ。
 じっとそれを見つめていたエルザの前を白い肌が横切り、ホル・ホースと村長の間にあるサラダの皿を奪い取った。
「……おいしい」
 もしゃもしゃと口の中に詰め込まれた紫色の葉を見て、ホル・ホースは口の中に再現される苦味を感じてその場で悶えた。
 あっという間に空になった皿を見て、村長も驚きを隠せない様子でシャルロットを見つめている。
「これを普通に食べられる方がおられるとは。いやはや、世界は広いのう」
 しみじみと呟く村長の背後で、ホル・ホースが憤怒の表情を浮かべて立ち上がった。
「やっぱ食えねえんじゃねえか!そんなもん、食卓に出すんじゃねえ!!」
 村長の頭を両手を拳にして挟み込み、押し付けながら捻る。
 頭蓋に走る痛みに、村長は悲鳴を上げた。



 そんな奇行を呆然と見て、エルザが食事を続けているシャルロットに視線を向けた。
「お姉ちゃん。あの人は、いつもあんな感じなの?」
 エルザの指が差した先にはホル・ホースの姿がある。長老ではない。
 シャルロットはすぐに一つ頷くと、口の中に残ったものを飲み込んでエルザに目を合わせた。
 エルザの体がぴくりと震える。
 視線が逸らされて、少しだけ椅子の距離が離れた。
 村長が言っていた、エルザはメイジに恐怖心を抱いているという話を記憶の中から呼び起こし、シャルロットはテーブルに立て替えられていた杖を壁際に移動させた。
 それだけで、エルザの体にあった緊張感が薄まる。
「ジジイ、てめえ!まだ隠し持ってたのか!!」
「ほっほっほ。ムラサキヨモギは村の名物。まだまだ沢山ありますぞ」
 手に掴んだ紫の葉っぱをお互いの口に押し当てている二人を横目に、シャルロットは何かを言いたそうにしているエルザに目線を合わせた。
「なに?」
 エルザは殺伐とムラサキヨモギを食べさせ合うホル・ホースと長老を一度見て、シャルロットに子供らしい質問を始めた。
「ねえ、おねえちゃん。野菜も生きてるんだよね?スープに入っているお肉も、焼いた鳥も、テーブルに散らかっているものも、嫌われてるムラサキヨモギも」
「うん」
 首を縦に振って答えたシャルロットに、エルザは質問を続ける。
「全部、殺して食べるんだよね。どうして?どうしてそんなことするの?」
 短くシャルロットは答えた。
「生きるため」
「それは違うぜ!腹を満たすためだ!」
 村長の口を紫色に染めたホル・ホースが口を挟んできた。
 きょとんとした声でエルザが首を傾ける。
「なにか違うの?」
 シャルロットも違いがわからないという表情でホル・ホースを見つめた。



 痙攣を始めた村長の手からムラサキヨモギを奪い取ってひらひらと動かし、もう片方の手でテーブルにあった程好く焼けた鶏肉を掴み取る。
 二つをエルザとシャルロットの前に並べて、ホル・ホースは顔を近づけた。
「人間ってヤツはな、別に肉を食わなくても死にはしねえ。実は、草ばっかり食ってる動物や肉ばっかり食ってる動物も、栄養ってヤツさえ補給できれば何食ってもいいんだ」
 でもな。と続けて、両手にあるものをエルザの前に突き出す。
「誰だって美味いものが食いたい。そう思ってるはずだぜ。生きるために飯を食うんじゃねえ。腹が減るから飯を食うんだ。飯が美味いと感じるから、食うんだ。でなけりゃ、誰
も飯を食わねえし、料理って技術も生まれやしねえ」
 まだ何を言っているのか分からない様子の二人に、ホル・ホースは鶏肉を口に入れてヒヒと笑った。
「より美味いものを求めたから、鳥だろうが豚だろうが殺して食うのさ。まあ、中にはそこの青髪の嬢ちゃんみてえに好みが違うやつもいるからな。こうしてムラサキヨモギなんて不味いものも食卓に上がるわけだ」
 ムラサキヨモギをシャルロットの皿に置いて、自分はワインの瓶に手を伸ばした。
「オレは酒が好きだ!タバコも好きだ!女も好きだ!ああ、断言してやる。好きだからこうして生きているし、好きだから二日酔いも恐れずに酒を飲む!吸血鬼だってそうじゃねえのかい?若いねーちゃんの血を吸うのは、好みの問題だろ。違うか?」
 どっかとテーブルに腰を下ろして、浴びるようにワインを喉に流し込んでいく。
 一瓶をあっという間に空にしたホル・ホースが、物足りないと次の瓶に手を伸ばした。
「まあ、ようするにだ!何を食おうが好きにしろってことだな!」
 そして、またワインを喉に流し込んだ。
 少しの沈黙の後に、シャルロットは皿の上のムラサキヨモギを見つめてフォークを手に取った。
 追加で出されたサラダの山から、ムラサキヨモギを大量に掴み取って自分の皿に映す。
 少しだけ、シャルロットは楽しそうな雰囲気を見せていた。
 酔っ払って笑い始めたホル・ホースをぽかんと見つめたエルザの口元に、小さな笑み浮かぶ。
 五歳の少女とは思えない、大人びた微笑だった。
「ふぅん。そういう見方もあるんだ」
 小さな呟きは、食卓の騒音に掻き消されて誰の耳にも止まらない。
 エルザは席を立って、軽い足取りで自分の部屋へと戻って行った。

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