ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

忘れえぬ未来への遺産-4 後編

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匿名ユーザー

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「フフフ……」
 それまでずっと私とカトレアのやりとりを見つめていたジョセフが、不意に笑い声を漏らした。
「やっぱりエレオノールの姐さんは俺の言った通りのキャラだったな。
 いや、こーゆー時の俺の予想って絶対に外れたコトが無いんだよネ。
 相手が次に何を言うのか全部わかっちゃう俺ってば、ひょっとして超能力者なのか・も」
「……ふん。何を他人事みたいに言っているの。まだまだ貴方にもその力を貸して貰いますからね。
 これからもたっぷりとこき使ってやるんだから、覚悟しておきなさいな」
「わかってるさ。お美しいカトレアお嬢様の為ともなれば、このJOJO、幾らでもお手伝いさせて頂きますともさ」
「その言葉…努々忘れないで頂きたいものね」
 迷いの無い口調で頷くジョセフに向けて、それでも私はいつになく強い口調で念を押しておく。

 今、カトレアを本当の意味で治療してやれるのは彼が操る波紋法の技術だけだ。
 彼自身の人間性や、それに対する私の個人的な心情等を別とすれば、私の医者としてのジョセフ・ジョースターに対する信頼は極めて深い。
 私達にはジョセフの存在が必要であり、妹のことで彼に頼りたいという気持ちは依然として変わらない。
 先程口にした通り、私が彼のことを評価しているという言葉も、決して嘘では無いのだ。

 彼の操る波紋の技術は本当に素晴らしい物だと思うし、実際そのおかげで僅かばかりではあるがカトレアの体調が回復に向かっていることも事実だ。
 最初の内は得体の知れない術を使う平民の医者ということで、ジョセフにカトレアの容態を診て貰うことには両親からも強く反対されたものだ。
 それでも、私の必死の説得によって何とか彼による初回の診察が許可されたのだ。
 そしてその結果、彼は波紋を用いた治療がカトレアの回復に繋がる可能性を見事に提示してくれた。
 そのおかげで、今ではすっかりこのヴァリエール公爵家で暮らす者全員がジョセフによるカトレアの診察を待ち詫びるようになっていた。

 今まではどんなに優秀な『水』系統のメイジを招聘した所で、病魔に冒されたカトレアの体を癒すことは出来なかった。
 しかし、波紋という不思議な術を操るこのジョセフ・ジョースターという男は、例えほんの僅かと言えども初めてカトレアの体調を好転させることに成功した人物だった。

 あまり素直に言葉に出せてはいないが、私はジョセフには本当に感謝している。
 そしてまだまだ、彼をこのヴァリエール公爵家に繋ぎ止めておきたいとも思う。
 せめてカトレアの体が完治するその日までは、彼には私達に付き合って欲しい。
 私達にとって、その願いを実現させ得る可能性を持ったジョセフの存在は、まさしく希望その物なのだから。

「……これで減らず口さえ叩かなければ、もっと素直に褒めてあげてもいいんだけれど」
「ンー?何か言ったかい、エレオノールの姐さん。
 幾ら俺様が頼り甲斐のあるイイ男だからって、俺へのラブコールに遠慮なんて要らないぜ?
 マ、ちぃとばっかしトウが立ってる気もするが、姐さん程の美人ならいつでも大歓迎なんだな、これが」
「そんな訳があるか!何をどう解釈したらそういう結論に辿り着くのよ!?それに誰のトウが立っているですってぇぇぇ!?
 もう一度その口で言ってみなさいな、この愚か者がぁーッ!!」
 少しでも褒めてやろうと思うとすぐこれだ。まったく、本当に何度言われても懲りない男だ。

 確かに、平民の分際で頭の回転も速く、カトレアにも引けを取らぬ程の見事な洞察力だとは思う。
 私よりも年下の癖に、妙に老成した空気すら感じる程だ。
 以前聞いた通り、遠い国から旅をして来て、その道中で様々な怪物と戦って来たという話も嘘では無いのかもしれない。
 ただそれでも許し難いのは、今はその能力を人をおちょくる為だけに使っていることなのだが。

「おーコワっ…妹さんにはあんなに優しかったっつーのに、何だか俺だけ差別されてるカンジ。
 なあカトレアお嬢様よ、今更こんなことを言うのも何なんだが、やっぱあんたの姉貴はおっかねー人だったわ」
「うふふ…そうですね、確かにエレオノール姉様は厳格な方ですが…
 だけど先生も御存知の通り、本当はとってもお優しくて頼りになる、私の自慢のお姉様なんですよ」
「まッ、俺もあんた達が実はかなり似た者同士の姉妹だっつーコトは色々な意味で良~くわかったがね。
 でもなー、だったら俺にだってもーちっとばかし優しくしてくれてもイイんじゃねーかなァ。
 俺ってばこーんなにカワイイ年下の男の子なのに、エレオノールの姐さんも見る目が無いぜ」
「やかましい!いい加減に年齢の話から離れなさいな!人が気にしていることをいちいちいちいち……貴方にはデリカシーと言う物が無いと言うの!?」 
 先程まで泣きそうな顔をしていたカトレアが、再び呑気に微笑んでくれるようになってくれたのは素直に嬉しい。
 しかし、それ以上にジョセフの言葉がいちいち癇に障って仕方が無かった。

 認めたくは無かったが、確かに最近は鏡を前にしているとお肌の具合があれこれと気になってばかりだったし、体からも何だか全体的に柔軟さが無くなって来ている感じがする。
 先程もジョセフに言ってやった通り、これでも色々と美容には気を使っているつもりなのだが、いい加減に小手先の美容法だけでは間に合わない時期に差し掛かっているのかもしれない。
 この歳にもなって、未だに結婚すら満足出来ていないという現実が目の前に立ち塞がっている以上、私はカトレアの件とは全く別の意味で、胸に広がる激しい焦燥感と共にその向こう側にある絶望の影に怯えて過ごす日々が続いて久しかった。

「フム。それじゃあ、さっきの話に戻るが姐さんも俺の波紋を受けてみるかい?
 波紋っつーのは怪我や病気の治療だけじゃなくて美容にもイイんだぜ、いやホントの話」
「まあ、それは素敵なお話。でも、どうして…その、波紋が美容に宜しいんですの?」
「……ある程度の想像は付くわね」
 首を傾げるカトレアよりも、寧ろ私は得意気に話すジョセフに向かって言葉を続ける。
「波紋の呼吸によって発生した生命エネルギーを体内に蓄積しておけば、当然肉体は活性化され、代謝能力も向上する。
 老化を体内の老廃物を排出する機能の劣化と捉えれば、代謝機能を底上げすることによって肉体の老化を抑止、あるいは大幅に遅らせることも出来る……違うかしら?」
「ほぉー」
 感心したように呟くジョセフの足元に、カトレアが部屋の中で飼っている子犬が一匹近付いて来る。
 片手でそのおチビを摘み上げて膝の上に乗せながら、ジョセフはこちらの顔を窺いながら言葉を続ける。
「姐さんってば随分とインテリなんだな。つーか良く新陳代謝の話なんて知ってるな?」
「仕事柄、ね。そういう話には敏感なのよ」
 正確にはカトレアの治療の為に学んだことだったが、アカデミーでの研究に必要な知識であるという点はどちらでも同じだ。
 それにジョセフの操る波紋の技術、その仕組みについても、彼から聞き出せるだけの話は聞いておいて、それに対する私自身の独自の解釈も色々と試みている。

 元はと言えば、私が噂話で聞いたジョセフの治療法を詳しく研究・調査したいと思って接近したのが始まりだったのだ。
 私個人の好奇心を満たす為に、彼やカトレアや利用してしまっているのでは無いかという負い目は未だ完全に消え失せてはいない。
 カトレアの体力が少しずつ回復してくれていることは確かに嬉しい。
 だが、この私が素直にそれを喜んでも良いのか――まだ、迷いがあった。

「マ、詳しい理屈は姐さんが今言った通りで間違ってねーだろう。
 重要なのは、俺の波紋を流し続ければただでさえ美人のあんた達が更に美しくなっちまうっつー、そっちの方の話だネ。
 俺が本格的に波紋を習った先生なんかも、見てくれは姐さんと大して変わらないのに本当は五十歳のばばあだったしな。
 案外、俺も見た目よりずっとジジイなのかもしんねーぞ?なーんちゃってネ」
「あら、それではジョースター先生の診察を受けさせて頂いている私も、もっと綺麗になれるのかしら?」
「難しいねー。何しろ妹さんは今の段階で絶世の美人!挙句の果てにナイスバディで性格もサイコーと来てるもんなァ。
 流石の俺も、これ以上どうイジったら妹さんをグレードアップ出来んのか想像も付かねー」
「ふふ、いやですわ。ジョースター先生ったらお上手なんですから」
「いやいやホントの話よ。まさかこんな所でカーズを上回る究極生命体の姿を拝めるなんて想像もしてなかったぜ。
 …あーだが、妹さんにゃ関係ねーんだが、エレオノールの姐さんに言っとかないとならねー話があるな。
 ウム、これは姐さんにとってはかなり重要かつシビアな話なんだが」
 やおら真剣な表情を作りながら、ジョセフは私の顔を真正面から見つめて来る。

 こうして見ると、彼がつくづく均整な顔立ちと適度に引き締まった肉体を持った美男子なのかが良くわかってしまう。
 一瞬、そんな男性に視線を送られているという事実に、私は気恥ずかしさを覚えそうになるが――

 そんな恥じらいの感情も、次のこの男の一言によって完膚無きまでに打ち砕かれる羽目になった。

「幾ら俺の波紋でも胸まではでっかく出来ねーからな。その辺は悪ぃけど諦めてくれよな、エレオノールの姐さん」

 ある意味、予想通りの言葉ではあった。
 私に対する哀れみと申し訳無さが心の底より滲み出ました、とでも言う風な表情を浮かべるジョセフに向けて、私は一旦にっこりと微笑んでやる。
 案外、哀れな罪人を裁く際の処刑人の気持ちとはこういう物なのかもしれない。
 一種独特の爽快感すら覚えながら、私は一度浮かべた笑顔を崩して、そして心の底から怒りと憎しみを絞り出すようにして咆哮する。

「こ・ん・の・ぉ――無礼者がぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」

 それと共に、自分でも惚れ惚れするくらいのスピードで再び愛用の鞭を取り出して、そのまま目の前で椅子に座ったままのジョセフに向かって握り締めた鞭を全力で叩き込んでやる。
「HOLY SHIT(やっばァーい)!!」
 彼の体の正中線上を狙った私の一撃も、どうやらこちらの行動を予測していたらしいジョセフに避けられてしまう。
 再びこのカトレアの自室の中に張り詰めた緊張感が走る。
 目を丸くして私達の様子を窺うカトレアや、部屋の中にいる動物達の困惑の視線が集まって来るのを感じる中で、私はジョセフを威嚇するように中空に向かってもう一度鞭を振るっておく。
「ウホッ、相変わらずいい音……」
 ジョセフの言う通り、我が相棒が風を切る音はどこまでも鋭い。まったく以って頼もしい限りである。
「まったく、貴方という人は少しでも褒めるとすぐ調子に乗るようねぇ!?
 カトレアの治療を続けて貰っている手前、多少のことは大目に見ていたつもりだけれど……
 やっぱり貴方にはもう一度、貴族と平民の違いという物を思い知らせておくべきのようだわねぇッ!!」
 私の怒声に反応して、カトレアのペット達が再びビクリと体を震わせる。
 特に、先程からジョセフの膝の上に乗りながら、彼の大きな手で撫で回されている子犬などは完全に怯えきった視線をこちらに向けて来るが、ジョセフに対する怒りの感情に支配された今の私はそんなことなど気にも留めない。
「あ、あの……エレオノール姉様?」
「カトレア、貴女は下がっていなさい。そこにいると危ないわよ」
 幾らジョセフが許し難い妄言を吐いたとは言え、万が一にもこんな馬鹿馬鹿しいことでカトレアを傷付ける訳にはいかない。
 戸惑いの表情を浮かべて私の顔を見上げるカトレアに釘を刺しつつ、私はそのまま鞭を振り回してもこの子に当たらないような位置へと陣取って行く。

 とは言え、カトレアのことはそれで良いとするにしても、今もジョセフの膝の上で恐怖に震え上がっている子犬についてはあまり身の安全は保障出来ないかもしれない。
 ジョセフに対する哀れみなどは欠片も感じないが、何の罪もないおチビを傷付けてしまうのは幾ら何でも気が引ける。
 しかし確実にジョセフを仕留めるということを第一に考えている今の私には、ここで退転するという考えも思い付かなかった。

 万が一怪我でもしてしまったら、せめてこのおチビにだけはヒーリングの魔法を掛けてやろう。
 そう決意を新たにして、私は未だに椅子に座ったままのジョセフに向かって一歩を踏み出す。

「さぁ~て?覚悟は宜しいかしら、ジョセフ・ジョースター先生……
 言い残すことがあるなら今の内にどうぞ。誰の耳にも届けず、私が墓場まで持って行って差し上げますので」
「ちょっと待ってくれ姐さん。それってよーするに、俺の話を聞く気はぜェーんぜんねぇってコトだよな?」
「ウフフフフ。理解出来ているなら話は早いわぁ。もっともそれがわかった所で、貴方の死期が近付くだけの話だけれどねぇ?」
「オーノー!相変わらずこのネーチャンってば、こっちの聞く耳なんざ全然持っちゃいねーのな!
 ったく、そんな風にいっつもピリピリしてばっかだから、フィアンセの男にも逃げられちまったんじゃネーノ?」
「殺す。殺すわ。絶対殺す。今すぐ殺す。何が何でも殺してやる」
 私にとっての怒りの琴線、その全てに触れた遺言というのも、実にこの男らしいとは言える。
 まるで死者の魂を運ぶ死神のような心持ちで、私はそのままゆっくりと鞭を振り上げる。
「――だから!とっととこの場で死んでしまえぇぇぇ!!ジョセフ・ジョースタァァァァッ!!!」
 そして咆哮と共に、私は全力を込めた必殺の一撃を目の前の愚か者に向かって叩き込んでやる。
「おっとォ!」
「む!?」
「まあ」
 手応えは無かった。私は手加減した訳でもなければ、慈悲を掛けてやったつもりも無い。
 完璧な殺意で以って振るわれた私の鞭を、ジョセフ・ジョースターはあろうことか座ったままの姿勢で、膝だけの力を使って後方に跳躍することであっさりと避けて見せたのだ。
 常人に出来る芸当では無かったが、さりとてこの男がまともな人間でないこともまた事実。
 恐らくは波紋法の呼吸によって体内に蓄えられた生命エネルギーが、ジョセフの身体能力を大幅に強化しているが故に出来た技なのだろう。
「ヘッヘ~ン!残念だったなエレオノールさんよォ!毎度毎度、バカ正直にあんたの鞭に打たれてやるほど、このジョセフ・ジョースター様は大人しくもなけりゃあソッチ方面の趣味もねーんだぜ!」
 腹が立つほど爽やかな笑顔を浮かべながら空中を舞うジョセフは、そのまま全身をくるりと半回転させて完璧な姿勢で床へと着地する。

「よっと――これで勝負は仕切り直しってヤツかな、エレオノールの姐さん」
「フフフ…中々面白い真似をしてくれるわね。けど、まだ躾の悪い野良犬への仕置きは終わっていなくてよ?
 今日という今日は、貴方に引導を渡してあげるわ……覚悟しなさいな」
 今の跳躍は確かに予想外だったが、理屈さえわかっていれば必要以上に驚くことも無い。
 そもそもこの男の存在自体が、今までの私の常識で推し量れる相手では無いのだ。
 どんな非常識な真似をしでかした所で、現実をありのままに受け入れてやればいい。
 後はそれを許せるか否かであって、勿論私は先程のジョセフの発言を許すつもりなど毛頭無かった。
 両手で鞭の端を引っ張りつつ、ふてぶてしい笑みを向けて来るジョセフの顔を力一杯に睨み付けてやる。
 ギシギシと鞭の軋む音が未だ収まらぬ私の怒りを代弁してくれているようで実に心強い。
「オーノー、いつもながら本ッ当に物騒なネーチャンだぜ…だが、そーでなくちゃあ今の俺としても困っちまうんだよネ。
 ――姐さん!あんたはこれから『このエレオノール、容赦せん!』と言う!」
「このエレオノール・ド・ラ・ヴァリエール!容赦はしないわ……ハッ!?」
 自身満面に宣言するジョセフの言う通りに、私は彼の言葉をそのまま復唱してしまう。

 何か物凄く嫌な予感がする。
 この男がこういう物言いをする時は、まず間違いなくこちらの行動を先読みして、その対処を完璧に終えている場合だった。
 それも、決して相手に自分の打った布石を悟らせない方法によって、だ。
 私が気付いていないだけで、彼は既にこちらに対する反撃を完了している。
 それは間違いないと考えていいだろう。
 そう、例えるならばルイズが魔法を使ったら爆発が生じ、あるいはヴァリエール公爵こと私の父様が決して母様に頭が上がらず、そして悲しきかな、如何なる手段を講じても終ぞ私の胸が膨れることが無かったと言うくらい、確実に。

 だが、どうやって?一体どのような手段を用いて、ジョセフはそれを行ったのだ?
 先程椅子に座った状態から跳躍する間の何処に、そんな暇があったと言うのだろう。
 私は目を凝らしてジョセフの姿を見つめる。何か見落としていることは無いか、おかしな動きはしていないか、先程と変わっている所は無いか…
 ほんの僅かな違いすら見逃さないようにしっかりと彼の姿を観察する。

 しかしそれでもジョセフ自身に変わった所は見受けられない。
 強いて言うならば、以前とある事故がきっかけで失われたという片手が目立つ程度で――

「う………ッ!?」
 その時、急に右腕に異様な重さを感じて、私は思わず手にしていた鞭を取り落としてしまう。

 片手。そうだ、そう言えば一つだけ変わっていると言える箇所があった。
 先程ジョセフが残された右手だけで撫で回していた子犬の姿が、今は何処にも見えないではないか。
 ジョセフ・ジョースターの操る波紋、彼の手元からいなくなった子犬、重さを感じる私の右腕。

 これらの符号から導き出される答えはただ一つ。私は視線を自分の右腕に送る。
 そこには果たして、私の予想通りにジョセフが撫で回していたあのおチビがしがみ付いていた。

「くっ」
 何とか引き離そうと思っても、四本の足でしっかりと自分の体を固定している子犬はびくともしない。
 こんな小さな体の何処にここまでの筋力があるのか信じられないくらいの、物凄い力だった。
「まあまあ、なんてこと。この子ったら一体どうしてしまったのかしら」
 そんなおチビの様子を見て取ったカトレアが、首を傾げつつ椅子から立ち上がる。
 この子ってば普段はとても大人しいのに、と呟いてカトレアは子犬の頭を優しく撫でた。
 そのままおチビに対して私から離れるよう促してくれているが、問題の子犬は主人であるカトレアの指示などまるで意に介さずに、私の右腕にぴったりとしがみ付いたまま離れようとしない。
「無駄よ、カトレア」
「ですがエレオノール姉さま」
「詳しい説明だったら後で其処の不埒千万なお医者様がして下さるでしょうよ。
 少なくとも私が言えるのは、今このおチビに何かを言った所で聞く耳なんて持たない、いいえ、持てないようにされているということだけよ」
「ありゃま、どーやら手品の種はバレバレみたいネ。もーちっとばっかし驚いてくれると思ったんだケド」
「わからいでか。私が貴方の側で波紋の観察を始めてから、一体どれだけの時間が経ったとお思い?
 波紋が生じる理屈と実際の効果さえ判明していれば、ある程度の推測は立てられるものよ。
 第一、この種の波紋は初めて会った時に貴方が私に流した物と同じ――って、ぅわぁぅっ!?」
 何時の間にか、ジョセフは足音一つ立てずに私とカトレアのすぐ側にまで近付いて来ていた。
 いきなり彼の顔が大写しとなって眼前に飛び込んで来たせいで、私は思わず驚愕の悲鳴を上げてしまう。
 驚きと、そこから生じる焦りのせいで、思考が上手く働かない。
 おかげで私はそのまま彼が無造作に伸ばして来る手を振り払うことも出来ぬまま、唯一自由に動かせた筈の左腕も掴まれてしまい、今や完全に身動きが取れなくなってしまっていた。

「ウケケケ。これでチェックメイトってヤツだな、エレオノールの姐さん」
「あ……くぅっ…」
 相変わらずの人を喰ったような、意地の悪さが滲み出たジョセフのその表情が、私は苦手だ。
 お調子者で礼儀知らずで、誰もが畏れるヴァリエール公爵家の長女たるこの私に対しても、身分の差なんてお構いなしに堂々と自然体で接してのけるこの男の存在を――幾度となく心の中から追い出そうと思っても、逆にそれは私の中で大きく膨れ上がって行く一方だった。
 満足に彼の顔を見られなくて、私は必死に顔を逸らそうとする。

 だが、それも出来なかった。
 あろうことか、彼の方からその顔を近付けて来て、私の視界を自分の姿で塞いでしまったのだ。
 目の前に彼の顔が大写しになって、心臓の鼓動が張り裂けそうなまでに高まっている。

 もう限界だ、と思った矢先、やはりこの男は私の予想を遥かに上回る行動を起こして来た。
 手首から先の無い左腕を不器用に操って、私の前髪を跳ね上げて。
 そして、剥き出しになった私の額に、軽く口付けをしたのだ。

「……~~~~っ!?」

 全身に痺れるような衝撃が走る。その感覚は決して私の気のせいでは無い。
 ジョセフが私の左腕を掴む手を離して、一歩その体を引いたのを確認しても、私の体は指先一つ満足に動かせなかった。
「フッフッフ~ン。幾ら本気で俺をブッ飛ばそうとしてるとは言え、姐さんには普段から世話になってるからなァ~。
 あんま手荒な真似もしたく無かったし、とりあえず俺の熱~い感謝の気持ちを波紋入りのキッスで送らせて貰ったぜ。
 まッ、体の自由が利かないのは、王子様のキスでお姫様の目を覚ますっつーアレの逆バージョンだわな。
 あんま強い波紋じゃねーし、どうせもう暫くしたらそっちのチビと一緒にすぐ解けるだろうし」
 悪戯が成功した子供のように無邪気に笑いながら、右腕に子犬をしがみ付けたまま立ち竦んでいる私から離れるべく、ジョセフは更に二歩、三歩と距離を取って行く。
「んじゃ!エレオノールの姐さんがもう一度プッツンする前に、俺はここらでオサラバするぜ!
 このままこーしていたら、またこのおっかねェネーチャンに何されるかわかったモンじゃねーしな!
 妹さんもお大事になァ~!万が一何かあっても、呼んでくれりゃあこのJOJOはすぐ駆け付けるからノープロブレムだぜ!」
 やがて勢い良く手を上げて私とカトレアに会釈した後、ジョセフは全速力で部屋から駆け出して行った。

「あ、ジョースター先生!その、今日は本当にありがとうございました!」
 呆気に取られた様子でジョセフの姿を見詰めていたカトレアが、そこでようやく思い出したかのように、あっと言う間に私達の視界から消え去ったジョセフに向かって別れの挨拶を投げ掛けた。
 そして、そのままカトレアは困惑した表情を浮かべたまま、微動だにしない私の方へと向き直る。
「……あの、その。エレオノール姉様……」
「許さない……」
「え」
 何か言い掛けたカトレアの言葉を遮るように、怒りと憎しみに彩られた私の声がこのカトレアの自室に響き渡って行く。
 それと共に私は、やがて自分を束縛する目に見えぬ力が少しずつ弱まって行き、再び自分の身体が自由を取り戻して行く感触を実感していた。
「おぉのれぇジョセフ・ジョースタァァァッ!いつもいつもいつもいつも私をコケにしおってぇぇぇ!!
 許さん!ぜぇーったいに許すものですか!地の果てまでも追い詰めてくびり殺してくれるわぁぁぁッ!!」
「あ、え、エレオノール姉様…?」

 どこまでも私の心を惑わせて、からかって、おちょくって、弄び続けるジョセフに対する怒りが、再び私の中で燃え上がる。
 やはり、あんな男は嫌いだ。今の出来事でそれが良くわかった。
 私とあの男は、決して交わることの無い不倶戴天の運命にあるのだ!

 私は無理矢理自分の身体を動かして、自分の右腕にしがみ付いたままの子犬の身体を掴んでやる。
 まだ身体を動かすのは少し億劫ではあったが、激情に駆られた今の私はそんなことなどいちいち気する暇も無かった。

 自分と同様に、既に波紋の効力が弱まりつつあった子犬の身体を強引に引き離し、一体何が起こったのかわからないとでも言う風に目を白黒させているおチビを半ば強制的にカトレアに押し付けるように渡してやる。
 そして改めて右手に鞭、左手に魔法の杖を構えて、私は今度こそ完璧な戦闘態勢を取った
「絶ぇッ対に逃すものですか!今日こそあの変態医者に引導を渡してくれるわ!
 待ってなさいなジョセフ・ジョースター、貴様が生きてこのヴァリエール公爵家から出られるなどと思わないことねぇぇぇぇッ!!」
 既にこの場から逃げ去ったジョセフに対する呪いの言葉を吐きながら、私も全速力で彼の後を追う。
 後に残されたのは、胸におチビを抱いたままのカトレアと、怯えを通り越して最早諦めの境地に達した視線をこちらに向けて来る大勢のペット達だけだった。


「……ふぅ。やっぱり、エレオノール姉様とジョースター先生ったら、仲がお宜しいんですから。
 でも――うふふっ。なんだか私は、そのことがとっても嬉しいわ。
 私の自慢のエレオノール姉様が、先生の前ではあんなに生き生きとしていらっしゃるんですもの。
 それに、本当にお二人のやりとりを見ていると、もうおかしくって……
 ふふふ…ははっ、あらいやだ、でも何だか止まらないわ…うふふふふ、あはははははっ」

 心の奥底から、カトレアは笑う。
 それは普段の彼女が浮かべることのない、どこまでも清々しくて爽やかな笑顔。
 彼女に命を救われた動物達だけが、カトレアが今日、本当の意味で笑ったことを知っていた。



 ――しかし、と自分はいつもそこで思うのだ。
 何故こうも己自身の未来を、自分が背負うべき運命の存在を断言することが出来る?
 今、こうして見知らぬ土地で暮らすという行為に、どうしてここまで違和感を覚えるのだ?

 自分がその疑惑を抱く時、必ず脳裏に浮かんで来る光景がある。
 ともすれば、これまで自分が重ねて来た記憶を全て押し潰してしまいそうな程の圧倒的な量だ。
 これもまた記憶なのかもしれない。
 ただし、自分が知る由も無い、自分では無い誰かの記憶だ。
 当然だろう。何故ならば、これまでの人生でそんな体験などした筈が無いのだから。
 体験したことの無い記憶など、思い出せる筈が無いではないか。

『フフフ、そうね。病気になるとみんなスゴク優しいんだもん。たまにはカゼもいいかもね』

『じじいは…決して逆上するなと言った……
 しかし…それは…無理ってもんだッ!こんなこと見せられて頭に来ねえヤツはいねえッ!』

『もらっとくぜーッ!父親ならよォー、息子にお小遣いくれてくもんよねェ~ッ!
 それにお袋の写真家に持って帰ったら、またバアちゃんともめちゃうぜ~!元気でなあ~ッ!』

 それでも自分は、自分の中にある光景を否定出来ない。
 何処かでこれらの記憶を体験し、その人達に出会っている人間がいることを、自分は知っているからだ。
 この記憶の淵を辿って行く時、最後はいつも同じ光景が目の前に現れる。
 それが自らが知り得ない筈の記憶の終着点であり、またこの眠りから醒める時の合図でもあった。


『世界ノ終焉ガ訪レル前ニ、私ハ自ラノ能力ニヨッテ、私ノ主人ト私自身ヲ守ラ無ケレバナラナイ!
 時ノ加速ノ果テニ、イズレ我々ガ再ビ遭ウソノ時マデ、オ前自身ニ定メラレタ『本当の運命』ニ到達スルコトは決シテ無イダロウ。
 『終わりが無いのが終わり』……ソレコソガ、コノ私、『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』ノ能力ダ』


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