ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

2 眠れる森の王女 前編

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 ガリアはもちろん、ハルケギニアにある殆どの国は、王を権威の頂点に据えた貴族社会で構成されている。
 経済の基盤は主に平民達が生産する農作物や鉱山から産出される貴金属だ。しかし、その産業を支えているのは、魔法の担い手である貴族である。
 未開の地を切り開くのも、田畑を作るのに適した土地を見極めるのも、土の状態を良好に保つのも、作物を害虫や病気から守るのも、山を切り崩すのも、鉱石の位置を調べるのも、硬い岩盤を砕くのも、深い坑道に空気を送るのも、全て貴族の力、即ち魔法の力が根底にあってのことだ。
 人の生活は、貴族が居なければ成り立たないわけである。
 ハルケギニアにおいて、それは揺るぎも無い事実であり、それこそが、貴族と平民の間に過剰なまでの身分の差を感じさせている原因となっていると言えるだろう。
 しかし、それが必ずしも悪いわけではない。
 差別。という点にだけ目を瞑れば、平民達は自分達だけでは達成できない多くの収穫や収入を得られるし、貴族達も自分達の仕事を最小限にして優雅な暮らしを満喫できる。
 平民が貴族の傲慢さに、貴族が平民の卑しさに、それぞれが我慢して協調を保っていけるかどうかは、指導者たる王の資質が問われる。
 その点で言えば、人口や財力、そして軍事力において、ハルケギニア最強を誇るはずのガリアの王は、他の追随を許さないほど最低の評価が与えられるだろう。
 政治に一切手を出さず、ただ自堕落に生き続けていると言われている愚かな王。
 それが、無能王ジョゼフである。

 ガリア王宮。その中でも、一部のものにしか入ることの許されない、王族専用の食堂。
 使用する人間は片手で数えるほどしか居ないにも係わらず、部屋の中央に置かれたテーブルは向こう岸が霞んで見えるほど長い。たった一枚でそれを覆うテーブルクロスも相当なものだ。
 等間隔で置かれた金銀の燭台は、どれもまったく同じ形で背の高い五つの蝋燭を乗せている。そこには当然のように、メイジの象徴である五芒星が描かれていた。
 銀のナイフと銀のフォークが過剰に細工の施された皿の上で肉を切り分ける。
 湯気は立っていない。それは、作られてからそれなりの時間が経っている証拠だろう。
 食卓についている人物はたったの1人で、その隣に妙齢の美しい女性が控え、一歩離れた場所に制服姿の若い男女が順番を待っているかのように並んでいた。
 肉を切り分けているのは、傍らの女性だ。
 丁寧に、一口で食べられる大きさに揃えて切られた肉の破片を一つ、小皿に取り分ける。
 それを見て、列の前に並んでいた男が前に出た。
 女性から小皿を受け取ると、自前のフォークでそれを取り、口に運ぶ。
 後方に並んでいた男女が、不安そうに顔に影を作った。
「……う、ごぅ、ぐ」
 肉を飲み込んで十秒も立たないうちに、男がうめき声と共に倒れる。
 全身を痙攣させて口から泡を吐き出す。ぴくぴくと動く瞼の下で瞳が裏返っていた。
「連れて行きなさい」
 女の声に列とは別に控えていた執事服の男が、未だ痙攣を続けている男の襟首を持って引き摺って行った。
 暫くして、テーブルの向こうにある大きな木の扉が開閉する音がした。
「ふむ。今月はこれで三人か」
 肉の乗った皿を横に移動させて、食卓についていた男が呟いた。
 女は別の皿に手を伸ばして、同じように食べ易いように切り分け、その一つを列の前に居る女に食べさせる。
 咀嚼して飲み込んだあと、一分待つ。
 ほっと、誰かが息を吐いた。
「大丈夫のようです」
 女性の声に、食卓の男は鼻を鳴らして無事の確認された皿に手を出す。
 小さな肉片が、男の口に入る。
 さして噛みもせずにそれを飲み込んだ男は、ちらりと横に視線を向けて、そこに居る人物に声をかけた。
「お前も食べるか?」
「いいや、遠慮するぜ。冷めた飯ほど不味いものはねえからな」
 両肩を分厚い装甲で身を包んだ兵士に押さえつけられ、無理矢理大理石の床へと跪かされたホル・ホースが、その誘いを間髪を入れずに断った。
 後ろに回された両手は鉄の枷が嵌められ、足には重石付きの鎖が括りつけてある。
 腫れ上がった頬と左瞼は、ここに連れて来られる間にかなりの暴行を受けた証だった。
「そうか。余は暖かいものを食した経験が無いからな。不味いかどうかはわからぬのだ」
 そう言って、また皿の肉をフォークで突き刺した。
 その間にも、隣では毒見が続けられている。殆どは毒らしいものは入れられていないようだが、時々、毒見役の人間が胃の中の物をバケツに吐き出している様子が見られる。
 数は数えられていない。
「余にも油断があった。暗殺の警戒は見ての通りだが、まさか、正面から命を狙ってくる者がおるとは思っていなかったのだ」
 そう言って、食べ飽きた皿を脇に寄せ、安全の確認された次の皿を手に取る。
「余は、殺すには惜しいと思っている。王の命を狙えるほどの腕利きの命を、そう易々と奪っては面白みに欠けるからだ」
 サラダの上に転がる小さなトマトをフォークで突き刺し、それをそのままホル・ホースに向けた。
「報酬は弾もう。余の耳を傷つけた罪も問わぬ。望むのならば爵位とて用意しよう」
 フォークのトマトを口に運び、二度噛んだだけで飲み込んだ。
「どうだ、余の駒にならぬか」
 男の言葉にホル・ホースは口元を引き攣らせて、眉根を寄せた。
「アンタを狙った男を、雇うって言うのか」
「そうだ」
 当然のように返す男に、ホル・ホースは額からじっとりとした汗が浮かび上がるのを感じた。
 こいつ、頭がイかれてる。
 他人の駒になることには特に抵抗の無いホル・ホースだったが、頭のネジが外れた人間にホイホイ雇われるほど危機感がないわけではない。
 以前の雇い主の異常性を考えれば、同じ轍は踏みたくないと思うものだ。
 既に完治しているはずの額の傷がジクジクと痛み始めるのを感じて、ホル・ホースは考えを巡らせる。
 もし、ここで断ったらどうなるか。
 目の前に居るのはガリアの王だ。自分が耳たぶをブチ抜いた、お偉いさんだ。
 単純に考えれば、首と胴がアディオスする。
 おいおいおいおいいぃぃぃ!?いくらなんでも、それは不味いぜ!オレはまだ死にたくねえ!却下だ却下!
 じゃあ、誘いを受けたらどうなるか。
 思い起こすのは前の雇い主を倒すために遠路遥々やってきた、スタンド使いの一行だ。
 散々痛い目に会わされ、化け物中の化け物だと思っていた依頼主を殺した、さらに化け物の集団。
 そんなのとまた戦う羽目になるかもしれない。
 そう思うと、受けても受けなくても結局辿る末路は同じではないかと嘆きたくなった。
 なら、残っているのは第三の選択肢だ。
 ホル・ホースは返答を待っている男にチラリと視線を向けて、一つ質問を投げかけた。
「それは良いが、ジョゼフさんよ。もしも、オレがもう一度アンタを殺そうとしたら、どうするつもりなんだ」
 ホル・ホースの言葉に、ジョゼフは顎に手を当てて、ふむ、と息を漏らした。
 傍らの女性は毒見を進める手を止めて、殺気混じりの視線をホル・ホースに向けている。
 ジョゼフの反応次第では、この女はホル・ホースを殺しに来るだろう
 だが、ジョゼフは顔に薄っすらと笑みを浮かべて、良い、と呟いた。
「うむ。面白そうだ。雇った傭兵に命を狙われるのも一興かもしれぬ。それも、余を一度殺しかけた相手だ。緊張感のある毎日が送れそうではないか」
 マジで言ってるのか、このオッサン。
 ホル・ホースの中で、ジョゼフに極度のマゾヒストの烙印が押された瞬間だった。
 そんなジョゼフに心酔した目を向けている女も、ほぼ同レベルの変人として位置付けしておく。変態コンビだ。
 ホル・ホースは以後、二人の周囲三メートル以内には近づかない決意を固めた。
「まあ、なんだ。アンタの性癖をどうこう言う気はねえけど、とりあえず腕についてるのとか外してくれねえか」
 性癖。という言葉に首を傾げたジョゼフだったが、それを気にせず顎でホル・ホースを抑えている兵士に合図を送ると、金属音が鳴る。
 重量感を感じさせる重い振動が、床に響いた。
「ふい~、やっと楽になれたぜ。もう少しあのままだったら、新しい趣味に目覚めるトコロだった」
 手首や足首についた枷の跡を撫でて立ち上がるホル・ホースに、ジョゼフは握っていたナイフとフォークをテーブルに置いて席を立った。
「契約成立かな」
「いいや」
 手を差し伸べたジョゼフに、ホル・ホースは不恰好に乗った帽子を被り直して、ヒヒと笑った。
 まさか。と女が声を上げたのも束の間。ホル・ホースは足先を食堂の出口に向けて、駆け出していた。
「誰も雇われるなんて言ってねえよ、バーカ!!」
 小物臭い台詞を吐き棄てて走るホル・ホースを、ポカーンと呆けた顔で見ていたジョゼフは、はっとなって周囲に指示を出す。
「捕まえろ。生死は問わぬ」
「あなた達も、行きなさい!」
 ジョゼフの言葉に続いて、女も毒見役の人間達を動かす。
 無駄に長いテーブルの向こうに見える大人三人が並んで出入りできそうな大きな扉に向かって、大人たちの慌しい鬼ごっこが始まった。
 ホル・ホースの前には壁際に控えていた無数の使用人たちが立ちはだかり、近づけば体当たりを繰り出して体ごと止めにかかってくる。
 右に、左に、時に足元を潜り、屈んだ相手を飛び越え、ホル・ホースは徐々に扉へと接近する。
 広大な食堂の天井を支えている数十本の柱にそれぞれ1人ずつ並ぶ鎧姿の兵達が、槍を振りかざし、その首を切り取ろうと宙を薙いだ。
 空を切る音。完全に殺気が籠もっている。
 ホル・ホースは体ごと槍を回避してテーブルの上に飛び乗ると、その上で体勢を整えて再び駆け出した。
「ヒヒヒ、このホル・ホース様を捕まえようなんて、100年早いぜ!」
 つい数時間前に包囲されて降参したのは記憶に無いらしい。
 両サイドから飛びかかってくる使用人や兵達は足蹴にして適当にあしらい、テーブルに飛び乗って待つ相手には燭台を蹴り上げて撃退する。
 この食堂に、身の軽さでホル・ホースの右に出る者は居なかった。
「よっしゃあ!出口だぜ!!」
 ここを出てしまえば、迷宮のような城内が待っている。
 内部構造には詳しくないが、鎧か使用人の服を奪ってしまえば逃げ切れるだろう。木を隠すなら森の中だ。
 そんな考えが頭の中を巡り、思わず笑みが零れた。
 テーブルの先端から飛び降り、追いかけてくる使用人達に椅子を投げつけて僅かな時間を稼ぐと、大きな扉に手をかける。
 鍵は、掛かっていない。
「勝った!」
 両手が金属の取っ手を握り、足と背筋が熱を帯びて筋肉を伸縮させる。
 重い扉が錆びた音を立てて開き、向こう側の光景を曝け出した。
 荒い息遣いと、重苦しい金属の重なる音。
「……ま、マジか?」
 開かれた扉の向こうで廊下を埋め尽くすように群がる鎧姿の兵隊を見て、ホル・ホースは顎が外れそうなほど口を大きく開けた。
 兵達が同時に床を踏みしめる衝撃で、ホル・ホースの体が揺れた。
 一歩、また一歩と近づいてくる兵隊達にそっと扉を閉めたホル・ホースは、くるりとその場で体の向きを変えて、山のように待ち構えている使用人たちに引きつった笑みを浮かべた。
「お、OKOK!引き受けたぜ、ジョゼフさんよ!今からアンタは、オレの雇い主だ!」
 乱れたテーブルクロスと薙ぎ倒された椅子の向こうで、恥かし気も無く声を張り上げるホル・ホースに、女は溜息を漏らし、ジョゼフは心底楽しそうに笑い声を上げた。

 春が訪れた。
 木々は緑を取り戻し、眠りについていた動物達が目を覚ます。小川のせせらぎは勢いを増して、空から降り注ぐ日の光をキラキラと照り返している。
 しかし、そんな光景など一辺も見えない王宮の奥にある一室で、かれこれ三週間。何の音沙汰も無い雇い主に暇を持て余したホル・ホースは、部屋の窓から見える城下町を見下ろして目の保養をしていた。
 ガンマンたるもの、目は良くなければならない。
 何処かの部族のように昼の空に人工衛星を見つけることは無理だが、数百メートル離れた場所から道を歩く女性の良し悪しを判別するくらいはなんとかなる。
 ホル・ホースが好む女性の年齢層は、18から35まで。無難といえば無難だが、相手によっては上下したりもするので、あくまで目安だ。
 しかし、ハルケギニアでは20を少しを過ぎると、嫁き遅れの烙印を押されるらしい。
 つまり、ホル・ホースはハルケギニアでは熟女好きになるということだ。
 つい一週間ほど前の話である。
 城の中で凛とした雰囲気の色っぽい女性に声をかけたら、あっという間に熟女ハンターの噂が流れ始めた。言うまでもなく、ホル・ホースのことだ。
 声をかけた女性は独身で、30も近いのに結婚できないことで肩身の狭い思いをしていたのか、声をかけた日からずっとホル・ホースの周囲を付きまとい、隙あらば嫁に貰ってくれと訴えてくる。
 ホル・ホースの身分がただの平民なら、城で働く人間達はこんな反応は返ってこないだろう。
 しかし、ジョゼフに雇われたホル・ホースには、なにかと都合が良いという理由で騎士の称号が与えられている。でっち上げた功績と頭のおかしい王様の独断だ。それでも、騎士は騎士。端っことはいえ、貴族の仲間であることに変わりはない。
 そして、熟女ハンターの噂。
 こうなると、ストーカーは1人では済まなかった。
 嫁ぎ遅れた女性達がこぞってホル・ホースの気を引こうと部屋を訪ね、夜には忍び込んでくる。
 部屋を出たら出たで、ホル・ホースの周囲には見る目麗しい年頃の女性からどう見ても婆さんだろうと言う様な女性まで、実に多くの女に囲まれるのだ。
 これでは、下手につまみ食いなどしたら即座に結婚させられてしまう。
 男性であるホル・ホースとしては、適度に発散しないとイロイロと溜まってしまうものもあるわけで、かと言って手を出せる相手が居るわけでもなく。
 そんな状態だからこそ、こうして寂しく窓の外を見つめているのである。
 あの子が可愛い。この子が良いなあ。そんなことを頭の中で繰り返しつつ、ちょっとやつれた顔で視線を空に向ける。
「……オレ、なにやってんだろ」
 もう、いろいろと限界だった。
 そんなホル・ホースの部屋の扉がノックされた。木製の扉の向こうに人の気配を感じる。
 また誰か、オレを狙って部屋を訪ねてきたのかな?モテる男は辛いぜ。
 などと現実逃避をしながら、ホル・ホースは扉の向こうで返事を待っている人物に声をかけた。
「開いてるぜ」
 部屋に鍵がかかっていないことを伝える。
 しかし、扉の向こうに居るはずの人物は部屋に入ろうとはせずに、その場で用件を切り出した。
「イザベラ様が御呼びです。プチ・トロワに至急馳せ参じるように、とのことです」
 それだけ言うと、扉の向こうから気配が消える。
 ジョゼフに雇われたホル・ホースは、一般的には特殊部隊の1人として換算されている。
 役割は護衛、諜報、暗殺の三つだ。
 しかし、実際にはすでに前任者が居るし、人手も足りている。それが暇を持て余している要因だ。
 そんなときに声をかけたのが、、北花壇騎士団を率いる王女イザベラだった。
 風の噂でジョゼフが傭兵を雇ったと聞いて、興味を持ったのだろう。
 暇なときに北花壇騎士団の任務の手伝いをさせる。
 そんなことを父ジョゼフに掛け合って承諾を得たイザベラは、晴れてホル・ホースをこき使う権限を手に入れたのである。
「やっと仕事かよ。早く呼べっての」
 まだ一度として会った事のない上司に悪態をつきつつ、腰を上げたホル・ホースはノロノロと歩いて部屋の扉に手をかけた。
 任務となれば、しばらく城を抜けられるかもしれない。そんな淡い期待がホル・ホースの胸を満たしている。
 だが、さしあたっての問題は、イザベラの待つプチ・トロワに辿り着くまでの行程だ。
 最近はストーカー同士の取り決めなのか、部屋を訪ねてくる女性の数が朝昼晩に一回ずつになっている。だが、それも部屋の外に出れば話が変わり、容赦のない攻めが待ち構えているのだ。
 不安で高鳴る胸を押さえつつ、そっと扉を開いて外の様子を窺うホル・ホースは、顔だけを出して、右左に続く廊下に目を向けた。
 人影は無い。
 昼食にはまだ早い時間だ。使用人たちは食堂の準備で忙しいはずだし、午前中は午後に比べて若干ではあるが、仕事に集中している人間が多い。
 動くなら、今をおいて他にはないだろう。というか、呼び出されているのだからさっさと行かないと不味い。
 音を立てないように扉を開いて滑るように部屋を出たホル・ホースは、もう一度周囲を確認してつま先立ちになり、そろりそろりと歩き出した。
 見つかりませんように。見つかりませんように。
 神様にはこの間裏切られたので、今度は仏様に祈っておく。
 頼むぜ、仏さんよお。オレに幸運を授けてくれえぇぇ。
 だが、仏教徒ではないホル・ホースに、仏様は情けをかけてはくれないらしい。
「ホル・ホース様!」
 廊下の曲がり角から姿を現した妙齢をすこし通り過ぎた侍女が、ホル・ホースの姿を見つけて声を上げた。それに釣られるように、別の場所も騒がしくなる。
 コレは不味い。非常に、不味い。
 一本道の廊下には逃げ場所は無い。部屋の中に逃げ込めば、襲われることは無いだろうが、今日はもう二度と部屋の外に出ることは出来ないだろう。
 前と後ろで聞こえる足音に怯えながら、ホル・ホースはチラリと廊下に並ぶ大きな窓に視線を向けた。
 確か、窓の外にはバルコニーがある。ここからは二階分ほど高さがあるが、飛び降りても死にはしないはずだ。
 そうと決まれば、行動は早かった。
 最初の発見者がホル・ホースの真後ろにまで接近して手を伸ばした気配を察し、一気に両足に力を篭める。
 窓ガラスを派手に破って、ホル・ホースの体が宙を舞った。
 よせばいいのに、わざわざ棄て台詞を吐いて。
「悪いが、今日は急ぎの用があるんだ!また会おう、我が麗しのお嬢様方!」

「だーかーらっ!悪かったって言ってるだろーが!」
 プチ・トロワの通路を歩く二人の男女。片方はホル・ホースで、もう1人は背の低い青髪の少女だった。
 自分の背ほどもある杖を抱えて物静かに歩く少女に、一方のホル・ホースは帽子を脱いで必死に言い訳を繰り返している。
「オレだって必死だったんだ!そりゃあ、嬢ちゃんの竜の上に落ちたのは悪かったさ。でも、そうしなけりゃ俺の命、って言うか人生が危なかったのよ?分かる?」
「……わからない」
 冷たく言い返す少女に、ホル・ホースは苦虫を噛み潰したような表情で情けなく息を吐いた。
 廊下の窓から飛び出したまでは良かったのだ。ストーカーたちを完全に上回る行動力のお陰で見事に追っ手を撒く事が出来た。
 しかし、落っこちた先に、まさか隣国トリステインから長旅を終えてばかりの少女と竜の姿があるとは、流石のホル・ホースも予想していなかった。
 竜の背中に落ちたお陰でホル・ホースの体に怪我はなかったが、下敷きにされた竜は驚きと痛みで少女チックな悲鳴を上げたし、まだ竜の上にいた少女に至っては、その衝撃でバランスを崩してバルコニーをコロコロと転がり、出迎えていた騎士達の前でパンツが丸出しになってしまったのだ。
 それからというもの、少女は完全にヘソを曲げた様子で冷たい視線を投げかけ、廊下の曲がり角を通過する度に事故を装い、隣を歩くホル・ホースの顎やつま先を抱えた杖の先端で攻撃するのだ。
 あと二つも廊下を曲がれば、イザベラの待っている部屋に到着するのだが、それまでにホル・ホースの弁解が聞き入れられる可能性は限りなく低い。
「ほら、前にオレを捕まえたのって、嬢ちゃんだろ?それと今回ので、チャラってことにしようぜ。な。な?」
 廊下の曲がり角に差し掛かり、杖が揺れる。
 ホル・ホースの顎で鈍い音が響いた。
「んごっ!?……本気で怒ってらっしゃるのね」
「当然」
 杖をぎゅっと握って、少女は乙女の尊厳を穢した男に抗議するような態度を取る。
 生半可なことでは許しては貰えそうになかった。
「っかー、可愛くねえなあ!いいじゃねえか、お子ちゃまパンツをちょっと見られたくらい。なんなら、お返しにオレのパンツでも見とくか。ん?」
 ズボンのベルトを緩め始めたホル・ホースに、少女がさっと顔を赤らめる。
 杖がホル・ホースの脛を打ち付けた。
「んぎゃ!」
 痛みに震えるホル・ホースを置いて、少女が廊下の角を曲がって目的の扉の前に立った。
 ガーゴイルと呼ばれる人形が両脇に立ち、その手に持った杖で扉を塞いでいる。
 ガリアでは意思を持った魔法像、ガーゴイルの使用が盛んだ。同じような魔法像にゴーレムがあるが、単調な行動しかできないゴーレムに比べて、ガーゴイルは自己の意思でかなり融通の利いた命令を実行できる。
 これも、魔法技術の発達したガリアならではの文化だ。
 扉の前に立った少女を感知して、ガーゴイルが扉を塞いでいる交差した杖を解除して道を明けた。
「痛てて……ああ、ちょっと待て、置いていくなって!」
 扉を開けて部屋に入る少女を追って、脛を押さえたホル・ホースがついて行く。
「まったく、シャレのわかんねえ嬢ちゃんだなあ。子供にパンツ見せびらかす趣味なんてオレは持ってねえんだからさ。そう警戒するなよ」
 少女の肩を掴んで愛想笑いを浮かべるホル・ホースを無視して、少女はその場に立ち止まり、スッと息を吸った。
 雰囲気が変わる。
 元々無表情で口数の少ない少女だったが、今は人間味を感じさせない無機質な気配を身に纏っていた。
「ん、なんだ。どうした。なんかあんのか?」
 目の前に垂れ下がる分厚い生地のカーテンの向こうには、多くの人間がいる気配は感じるものの、殺気などがあるわけではない。
 自分に感じない何かを感じ取っているのかと、ホル・ホースは少しだけ身構えて、カーテンに手をかけた。
 空気を切る音が、ホル・ホースの耳に届く。
 瞬間、特定の人間にしか聞こえない銃声が立て続けに響いた。
「……へ」
 空中で粉々になったなにかを呆然と見つめて、カーテンの向こうに居た女が喉から空気を漏らした。
「ああん?なんだこりゃ、卵か」
 黄身や白身、殻、それに泥のような物が粉々になって床に落ちていく。
 それが部屋の隅にかけられたカーテンに済まなそうに隠れている侍女たちが投げつけたものだということに気付くまで、そう時間はかからなかった。
「おいおいおい。オレっていつのまにこんなに恨みを買ったわけ?こう見えても、品行方正に生きてるつもりなんだがなあ」
 床に散らばった汚物を踏まないように歩を進めたホル・ホースは、革張りのソファーに座る青い髪の女に近づくと、周囲を見回して女の耳元に口を寄せた。
「オレってそんなに嫌われてるの?なんか悪いことした?ここに来てから、特に何もしてないはずなんだけど、なんか原因知らない?」
 相談事だった。
 ホル・ホースの言葉に最初は不機嫌そうな表情を浮かべる女だったが、次第に口元を歪めて下品な笑みを浮かべると、手でホル・ホースの顎を掴んで無理矢理後ろを向かせた。
「狙ったのはアンタじゃなくて、あっちのガキだよ」
 女の視線の先には、ホル・ホースと一緒に部屋に入った少女の姿がある。
「王位争いに負けたシャルルの娘。シャルロット・エレーヌ・オルレアン。認めたかないが、この王女イザベラ様の従姉妹さ」
 忌々しそうに言うイザベラは、その場に立ち上がってホル・ホースの顔を引っ叩いた。
「何時まで近づいてんだい。王女の御前だよ。頭が高いっての」
 叩かれた頬を押さえたホル・ホースは、すごすごとシャルロットの横に並んで頭を掻く。
 頬を汗が一滴流れていた。
「あー、なんだ。そんな大層な血筋の方とは露知らず、パンツ丸出しにしちゃってすまねえな」
 まったく悪びれた様子は無いが、一応緊張しているのか、シャルロットの顔も見ずに震える声で謝罪する。
 頭の中にあるのは、打ち首になって野に晒された自分の頭だ。
 ガリアの王位継承権を保有していると思われる相手に、無礼千万なことをしてしまったのだ。打ち首も覚悟しないといけないかもしれない。まあ、いざとなったら逃げるが。
 内心ビクビクしているホル・ホースだったが、先程までは執拗に人を攻撃してきたシャルロットが何も反応しないことに首を傾げる。
「ガーゴイルに話しかけても無駄だよ。そいつに感情なんて在りはしないんだからね」
 そう言うイザベラに、ホル・ホースはじっとシャルロットの顔を見て鼻を鳴らした。
「なるほどね」
 テンガロンハットを目深に被り直して、尻のポケットに手を突っ込む。
 なにが感情なんてない、だ。さっきまで人を散々小突いてくる激情家の嬢ちゃんじゃねえか。
 部屋に入る前に呼吸を整えていたのは、この女のせいらしい。なにか特殊な事情でもあるのだろう。
 適当にシャルロットの内心を察したホル・ホースは、イザベラにここに呼んだ用件について話すように促した。
「オレを呼び出した用件ってのを聞かせてもらおうか」
「ああ、そうだったね。……ほら、コレだよ」
 ホル・ホースの言葉で本来の目的を思い出したイザベラは、床に転がった書簡を放り投げてホル・ホースに渡す。
「北花壇騎士の仕事さ。本当はそこの七号の役割だけど、今回は父上の指示でね。アンタと人形娘の二人で何とかしてこいってさ」
 ホル・ホースがその場で書簡を広げると、そこにはザビエラ村という土地に妖魔が現れたが領主には対応できないため、行って退治するようにと、簡素な分が綴られていた。
 妖魔とは、人間に害をなす存在の総称である。
 これといった厳密な定義は存在しないが、単純に凶暴な生き物というよりも、人間に害意があるものを特に指す場合が多い。
 妖魔の活動は頻発的に起きる。その被害報告は各地で数多く上げられ、途絶えることは無い。しかし、その全てに対処することは出来ないし、柵や城壁を作るだけで被害を抑えられるケースも少なくない。特に、縄張りを作るようなタイプは、その範囲に入りさえしなければ特に問題にはならないのだ。
 今回は、村自体が妖魔の縄張りにされてしまったらしく、早急な解決が求められているらしい。
 そして、その妖魔がどのような存在かを記した項目に目を向けたとき、ホル・ホースは体中の血が冷たくなるのを感じた。
「き、きき、吸血鬼だとおおおおぉぉぉぉ!?」
 ホル・ホースの叫びに愉快そうな笑い声を上げたのは、イザベラだった。
「あははははっ!父上に認められるほどの傭兵でも、吸血鬼は恐いみたいだねえ」
 腹を抱えてホル・ホースの慌てぶりを嘲笑うイザベラに、ホル・ホースは厚手のカーテンに体を包み込んでガタガタと震え始める。
「じょ、冗談じゃねえぞ!誰が吸血鬼退治なんて行くか!DIOみたいなヤツともう一度対峙しろって、オレに死ねって言ってんのか!ふざけんじゃねえぞテメー!!」
 カーテンに包まっての抗議ではまったく迫力は無いが、それだけ怯えているという証拠だろう。
 愉悦に表情を歪ませたイザベラは、ホル・ホースに指を突きつけた。
「そのでぃおってのが誰か知らないけど、アンタに課せられた任務なんだから、行って貰わなきゃ困るんだよ。それともなにかい、父上との契約を破棄して牢にぶち込まれるほうがいいってのかい」
 大人しく行くか牢獄か、二択を迫ったつもりのイザベラだったが、答は予想以上に早く返って来た。
「当たり前だ!DIOにもう一度会うくらいなら、オレは牢屋を選ぶ!そして、そこから二度と出ねえぞ!頼まれたって出てやるか!!」
 天井から垂れ下がるカーテンを引き千切って布の塊になったホル・ホースに、イザベラは呆れた様子でシャルロットに視線を移す。
「あんたは恐くないのかい?」
 ホル・ホースが投げ出した書簡を拾い上げて目を通しているシャルロットは、イザベラの言葉に反応を示さずに書簡を丸めて視線をホル・ホースに向けた。
 幽霊に怯える子供のように、体を小刻みに震わせる大の大人。
 シャルロットは一度も吸血鬼と対峙したことはない。しかし、吸血鬼を知っていると思われるホル・ホースの怯えようを見るに、想像以上に危険な相手であることは感じ取れた。
「退治した記録はある。打倒できない相手じゃない」
「ふん、自信満々じゃないか。珍しいね、ガーゴイルのくせに」
 シャルロットの呟きを聞き取ったイザベラが、聞こえるように皮肉を言う。
 いつものやり取りだが、部屋の隅のカーテンに隠れた侍女達はそのやり取りに戦々恐々として肩を震わせるていた。
「……ん、倒した?」
 同じようにカーテンに隠れて震えていたはずの男が、すっと立ち上がった。
 イザベラとシャルロットの顔を交互に見るその顔には、信じられないといった表情が浮かんでいる。
「ウソだろ?吸血鬼って、アレだよな?体のどっからでも血を吸って、脳を完全に破壊しない限りすぐに再生して、部屋の中にびっしり張った蜘蛛の巣を一つも壊さずに一瞬で人の背後に立つようなやつ」
 なにか思い出しながら形を表現しているのか、両手をうねうねと動かして少し体格の良い人間の姿を空中に描いている。
 それを見て首を傾げたイザベラは、ソファーに深くもたれかかって両腕を組んだ。
「確かに血も吸うけど、体のどこからでもってのは聞いたこと無いねえ」
「脳だけでなく、心臓や体の重要器官を破壊しても死ぬ。単純な生命力なら狼男やトロル鬼のようが上のはず。先住魔法を使うから、蜘蛛の巣を操る可能性はある。でも、瞬間的に移動するかどうかはわからない」
 どうにも知識に違いがあるらしく、イザベラとシャルロットの言葉にホル・ホースは首を傾げて話を続けた。
「肉の芽を植えつけて大量の人間を操ったり、太陽の光で灰になるってのは?」
 その言葉にイザベラとシャルロットはお互いの顔を見合わせ、はっとなって逸らした後に首を横に振った。
「肉の芽ってのが何か知らないけど、人を操るのは確かだよ。でも、1人だけさ。灰になるってのも噂だけで、実際には肌を火傷するだけらしいね」
 前もって知識を仕入れていたのか、イザベラは一つ一つ思い出すよう視線を彷徨わせた後、ゆっくりとホル・ホースの問いに答えた。
 どうやら、知識の違いというよりは、ホル・ホースの知っている吸血鬼とは別のものだと考えたほうが良さそうだった。
 弱点らしい弱点は無いが、あの吸血鬼よりもずっと貧弱だ。
 コレなら勝てる。
 そうとわかると、さっきまでの怯えもどこ吹く風で、その場でせっせと足踏みをして意気込みを全身で表した。
「んっんっー、そうか、うん。ならいいんだ。OK、行こうじゃないか吸血鬼退治。太陽の下を引きずり回して豚の餌にしてやるぜ!ハッハァー!」
 突然態度を変えたホル・ホースに、疲れが全身を駆け巡るのを感じて、イザベラとシャルロットは肩の力が抜けてガックリとその場で項垂れた。


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