ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-66

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匿名ユーザー

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「では貴君は今回の行動に関して弁明する事は何一つないと?
後詰としての任務を放棄したという抗命罪の嫌疑が掛かっていますが」
「部下の証言は既にお聞き及びでしょう? ならば言う事は何もありませんな」

年老いた貴族の士官が悪びれる様子もなくしれっと答える。
その飄々とした態度に歳若い高級士官は完全に手玉に取られていた。
戦争の経験も無い若造には負けんと言わんばかりに鼻を鳴らす。
それを見てボーウッドは愉快そうに笑みを浮かべた。
かつて同じ釜の飯を食った同僚は、あの頃と変わらぬままだった。

しばらく経ってから老士官とボーウッドは肩を並べて部屋を後にした。
窮屈な態勢に痛む腰を擦りながら彼は上官に親しげに語り掛けた。

「随分と早く終わったな。君が手回してくれたのか?」
「ああ。責任の所在などと言った所で他人の粗探しに過ぎん。
そんな事に貴重な時間を割くのは無駄だからな」
「大した出世振りだな。もっとも君の実力からすれば当然の評価か」

それに比べて自分は何と出世から遠い事か。
一番の出世頭だったボーウッドを例外にしても他の連中にさえ追い越されていく。
自身の性格故と判っていてもそう簡単に変えられるものではない。
ふとボーウッドの言葉に違和感を感じた老士官が問い掛ける。

「しかし君も妙な事を言うな。これでアルビオンの内戦は終結したではないか。
行動を起こすとしても戦後の処理か残党狩り程度だろう?
外敵がいなくなった今、何をそんなに焦る必要があるというんだ」
「……だが議長は新たに敵を作る気でいる」
「もしや他国へ侵攻を始めるというのか!?
まだ国内の混乱は続いたままだぞ! 無謀にも程がある!」
「税の大半を軍に注ぎ込んでいるのだ。
国民を納得させる成果が必要なのは理解できるがね」

そう言うボーウッドの顔は苦みばしり、その言葉が額面通りではない事を伝えていた。
確かにアルビオンの軍事力は比類なき物だと自覚している。
しかし狂ったように戦争に終始する国家体制は歪以外の何物でもない。
破滅への道を歩んでいると分かっていても国の決定には従わなければならない。
それが軍人であろうとする彼等の訓示であり誇りだった。

「となると侵攻先はトリステインか」

前王が死去して以来、王宮の腐敗は留まる所がないと聞く。
加えてワルド子爵という内情に通じた人間もいる。
更には婚礼を前にアンリエッタ姫殿下の恋文が公表された事で、
アルブレヒト三世との婚姻を前提としたゲルマニアとの軍事同盟も解消されたという。
偶然にしては出来すぎている、恐らくは内戦中から準備をしていたのだろう。

「ああ。その際、地上部隊を君に指揮して貰いたい」
「は…?」
「まだ決定した訳ではないが、そうなるように手筈は付けている
無論、それに相応しい階級も与えられるだろう」

きょとんとしたままボーウッドの言葉を聞き流す。
せいぜい大隊を指揮するのが関の山の士官がアルビオン地上部隊の指揮官?
戦時任官だとしても有り得ない昇進により歓喜も驚愕も浮かばない。
ようやく言葉の意味を理解した彼がボーウッドに聞き返す。

「何で私なんかが…」
「決まっている。他にやりたがる者がいないからだ」

キッパリと断言するボーウッドに、彼は項垂れるように肩を落とした。
アルビオンの戦闘の花形は竜騎士隊と大艦隊を擁する空軍だ。
地上部隊に期待されるのは残敵の掃討と拠点の制圧ぐらいなもの。
それでも手柄を立てようと名乗り出る者は後を絶たないだろう。

しかし、今度の攻城戦に参加した士官数名が死亡。
残った者達も臆病風に吹かれて指揮官の任命を拒んでいる。
その原因は“ニューカッスル城の怪物”と噂される蒼き獣の存在だ。
そのたった一匹の獣に城内の傭兵達は悉く殺され、竜騎士隊を含む正規軍さえも壊走した。
俄かには信じがたいが生存者から証言が得られた以上、信じる他あるまい。

そして、その混乱を収めるべく議長が怪物の正体を軍上層部にのみ明かした。
“アレはトリステイン王国が世界を支配せんが為に作り出した生物兵器である”と。
それは次の戦いにも、あの怪物が出現するかも知れない事を意味する。
侵略戦争を正当化する為のただの大義名分なのかもしれないが、
命を賭してそれを確かめようとする奇特な人間はいないだろう。
かくして死んでも大した損害にならない老士官へと白羽の矢が立ったのだ。
最悪、侵攻に失敗した際に全ての汚名を被せる事も視野に入れての判断だった。

勿論、ボーウッドも使い捨ての駒として彼を指名した訳ではない。
歳を食っても口の減らない人物だが、戦闘経験はアルビオンの中でも随一だろう。
軍事の才能こそ無いものの、どうすれば兵を生き残らせる事が出来るかを知っている。
それに、かつての同僚として引退前に花を持たせてやりたいとも思っていた。
僅かに考えた後、老士官は口を開いた。

「承諾するに当たって二つほど条件があるんだが」
「良かろう。言ってみたまえ」
「まず一つ目。この戦が終わったら引退しても構わんかね?」
「ああ。希望するのであれば士官学校の教員としての席も用意しよう」
「ありがたい話だが遠慮しておくよ、座りっぱなしは腰に響くのでな。
もう一つ、軍から支給される年金の話なんだが…」
「当然、退任時の階級に合わせて支払われる予定だ」

今の階級と比較して数倍に達するだろう高額の年金。
それを前にして老士官は本気で迷っていた。
彼の人生において、ここまで美味い話は一度としてなかった。
父からも口癖のように“美味すぎる話には飛びつくな”と警告された。
ギャンブルも大負けした事はあっても大勝ちした事はない。
かといって、ここでボーウッドの誘いを断ればまた査問委員会に掛けられるかもしれない。
悩み続ける彼に、ボーウッドは懐から一枚の金貨を取り出した。

「運を天に任せて、こいつで決めるというのはどうかな」

その誘いに彼も頷く。
それならば断るにしても角が立たなくて済むからだ。
彼の了承と同時に、親指で弾かれた金貨が宙を舞う。
回転を繰り返しながら落ちてきたコインを受け止めて手の甲に乗せる。
開かれた手から出て来たのはアルビオン王国の紋章が描かれた表面。
それを目にしたボーウッドが笑いを浮かべて口に出す。

「決まりだな」
「ああ。どうやらそのようだ」

こんな方法で上官を決められてしまう部下達を哀れに思いながら、
老士官は自分の身に圧し掛かる苦労を想像して溜息をついた。
そんな彼の表情は実年齢以上に老けて見える。
しかし、ボーウッドには、まだ彼に告げねばならぬ事実があった。
事前に伝えなかったのは断られるのが目に見えていたからだ。

「艦隊を含めて三千に上る戦力が投入される予定だが、
先の戦闘で恐れを生した傭兵達の穴埋めに別の傭兵部隊が編入される」
「それがどうかしたのか? 別に珍しい話でもあるまい」
「そいつ等が曰く付きの連中でなければな」
「まさか…! その傭兵というのは、あの狂人の!?」

言葉を濁したボーウッドに老士官が詰め寄る。
しかし、それに答えを返したのは彼ではなかった。
突如、響いた靴音に二人の視線が音のした方へ向けられる。

「これは、これは。随分な言われようですな」

その声には不満を感じられない。
むしろ、その評価こそが相応しいと誇るかの如く
噂の張本人は愉しげに自らその場へと姿を現した。
メイジというよりはトロール鬼を思わせる巨体が二人の行く手を塞ぐ。
明らかに嫌悪するかのようにボーウッドは彼に反論する。

「確かに功績だけを見れば君は優秀な兵だよ。
尤もこちらが被った被害に眼を瞑ればの話だがね」

彼の戦い振りを直接目にした事はない。
だが、それは僥倖と言うべきだろう。
報告書に目を通しただけで吐き気が込み上げてくる。
王党派の協力者を探し出して始末する名目で街一つを焼き討ちにし、
森に敵兵が逃げ込めばその周辺の村落ごと森を焼き払う。
彼にとって全てを焼き尽くす事こそが目的。
傭兵をしているのもその手段に過ぎない。
そう思わせるほど彼は道徳と呼ぶべき物が欠落していた。

「これは異な事を。火の特性は分け隔てなく全てを燃やし尽くす事。
私はただ、その在り様に忠実に従っているに過ぎません」
「だが火を弄ぶ者は往々にして自らの炎で焼かれる運命を辿るものだ」

光を失ったという傭兵の眼が静かに二人を見下ろす。
何も見えないはずなのに『何か』を見通すのにも似た不気味な視線。
怖気走るのを堪えてボーウッドは彼に忠告した。

「それもまた本望。炎が我が身を欲するというのであれば、
喜んで魂さえも焼べてご覧に入れましょう」

だが男は厳かな表情を浮かべてそう答えた。
決して冗談で口走った言葉ではない。
まるで始祖に祈りを捧げるかのように、
彼は炎に命を捧げる事さえ厭わない事を宣言したのだ。

この瞬間、ボーウッドは男を理解した。
否。正確には『理解できない事を理解した』のだ。
この男は自分達とは違う生き物、それこそ化け物と呼ぶべき存在。
誰にも理解されずに、誰も理解せずに周囲を破壊するだけの暴力の塊。
それを人間の尺度に当て嵌める事こそ間違っているのだ。

「では、これで失礼させて頂く。
部下達にも準備させておく必要があるのでね」

ゆらりと陽炎が蠢くように男の巨体が二人の横を通り抜けていく。
その後姿を彼等は呆然と見送った。
しかし、ふと思い出したかのように男は振り返り告げた。

「ミスタ・ボーウッド。
貴殿の焼ける匂いはさぞや芳しいものでしょうな」

それは彼なりの褒め言葉だったのかもしれない。
だが、その言葉に感じる物は悪寒でしかない。
吐き捨てるようにボーウッドは言い放つ。

「……狂人め」

それは『白炎』の二つ名を持つ彼、メンヌヴィルに対するボーウッドの正当な評価だった。
彼が去った後も忌々しく廊下を睨むボーウッドに老士官が口を挟む。

「条件をもう一つ加えて良いかな。
頼むからアイツと同じ艦にだけはしないでくれ」
「当然だ。『レキシントン』にも乗せる気もない。
奴は後詰めとして後方の艦に待機させておくつもりだ」

奴を投入すれば敵味方問わずに被害は甚大なものとなるだろう。
怪物には怪物というつもりか、どちらにせよ出番が来ない事を祈るしかあるまい。
だが気掛かりなのはメンヌヴィルだけではない。
彼の脳裏には、トリステインから来たもう一人の怪物の姿が浮かんでいた。


男はその光景を悪夢としか認識出来なかった。
自身の両脇を固めているのは、自分の部下となる筈だった竜騎士隊隊員。
そして抵抗できない自分に抗命罪や敵前逃亡などの罪状が次々と読み上げられていく。
その自分を見下ろすのはワルドの感情の見えない視線。

直属竜騎士隊と交戦し命からがら『レキシントン』に帰還した彼を待っていたもの。
それはワルドの指示による身柄の拘束だった。
独房に監禁されようとも何かしらの手違いと信じて止まなかった。
だが、その事実はここに到ろうとも変わらない。

「よって釈明の余地なく死罪を申し渡す」

そして判決は下った。
処刑人の代わりに彼へと歩み寄ったのはワルドだった。
しかし、その姿は何よりも恐ろしい存在だった。
周囲を見渡しても彼に手を差し伸べる者はいない。
彼とワルドを取り巻く竜騎士隊も、ただ黙って事の成り行きを不動の姿勢で見つめる。

「た、隊長。私はただ…」
「釈明は無用だ」

狼狽する彼の言葉をワルドは遮った。
そして彼を抑えていた部下達を下がらせ、手に持った杖を彼へと放り投げる。
床に転がった杖へと視線が向けられる。
それは拘束時に押収された自分の杖だった。
何故、杖を返すのか疑問に思いながらワルドを見上げる。
男の視線に応えるようにワルドは口を開いた。

「杖を取れ。もし僕を殺せたならば無罪放免だ」

ワルドの声に身を震わせながら杖へと手を伸ばす。
だが、その直前で彼の手は止まった。
あるいは自分の忠誠を試す罠ではないかと疑ったのだ。
しかし手を引こうとした彼にワルドが冷徹に言い放った。

「何かを手にしようと思うならば自らの手で奪うしかない。
僕の命を奪えば、お前は自分の命と隊長の座を手に出来る。
その力も意思も無いというのならただ奪われるだけだ」

ぞくりと男の背筋がその一言に震えた。
ワルドの射抜くような視線が本気である事を告げていた。
何もしなければ間違いなく彼は自分を殺す。
どの道、殺されるのならば抵抗した方がまだ可能性はある。

落ちていた杖を力強く握り締める。
直属竜騎士隊に劣っていたのは空戦能力だけの筈だ。
魔法の腕は誰にも負けないという自負がある。
ワルドに悟られぬように小声で詠唱を終える。
全ての準備を終えた後で再びワルドを見上げる。
その手は杖に掛かっておらず詠唱さえもしていない。
勝利を確信して男の口元は歪んだ。

刹那。ワルドへと振り上げられた杖は宙を舞っていた。
血飛沫を撒き散らす自分の腕と共に。

「……え?」

腕を斬られた事に男が気付いたのは、彼の腕が地面に落ちた後だった。
痛みなど感じる間もなく突き付けられるワルドの杖。
斬られた腕を抑えながら男は悲鳴を上げた。
しかし何も感じぬままワルドはその口内に杖を押し込んだ。
エア・ニードルを帯びたそれは頭蓋を穿ち、男の脳髄を突き刺し抉った。
ワイン樽に空けられた穴の様に、男の頭部から夥しい血が零れ落ちる。
その惨状を前にしても竜騎士隊は目を背けずにワルドの言葉を待つ。

「よく見ておけ。これが任務を果たせぬ者、敗れた者の末路だ。
奪われたくなければ奪うしかない、例えそれが何であろうともだ」

杖を引き抜き、両の手を血に染めながらワルドは言葉を紡ぐ。
それは彼自身が導き出した、この世界の真理だった。
狂気に満ちた彼の姿を目の当たりにしたシェフィールドの顔に愉悦が浮かぶ。
自らの実力を示して信頼を得ると共に、その恐怖によって鉄の規律を布く。
それがこの公開処刑を行ったワルドの思惑だったのだろう。
確かに、これで竜騎士隊は文字通り彼の手足となって働く筈だ。
だけど以前の彼であれば、このような手段は取らなかった。
無為に味方に犠牲者を出す事を嫌い、反論していたワルドはもういない。
ここまでの豹変を遂げた彼には『進化』という言葉こそ相応しい。
ならばこそバオーの相手に相応しいのかもしれない。

バオーについて、主から下された命は“ワルドに全て任せよ”それだけだった。
捕獲とも処分とも明確な指示はなく、その言葉にシェフィールドは困惑を示した。
バオーにさして興味を感じなかったのか、それともバオーに世界を滅ぼされる事を是としなかったのか。
理由こそ判別が付かなかったものの、どちらに転んでもいいように彼女は手を尽くす。
軍上層部にバオーの正体をトリステインの生物兵器と伝えたのも、その一手。
最悪、トリステインがバオーの存在を他国に隠匿していた事実も、
バオーの屍と資料さえあれば世界に納得させる事が出来る。
そして、それはトリステインという国の危険性へと挿げ替えられる。
アルビオンだけではなくハルケギニア全ての敵として認識されるだろう。
一番恐れるべきは事前にバオーが処分される事だけ。
しかし、それとてトリステインの総力を上げても出来るかどうか。
あるいはアルビオンの侵攻を待たずに滅びるかもしれない。

「さてマザリーニ枢機卿のお手並みを拝見させて頂きましょうか」

まるで自分の手番が終わった棋士のように、
シェフィールドは対戦相手の思慮する姿に思い馳せていた。


火竜が森の上空を滑空するように飛ぶ。
周囲は霞掛かり、目視で索敵する事は不可能。
戦闘空域を離れて相当な距離を飛んでいた筈だが、
自分が何処を飛んでいるのかさえも皆目見当が付かない。

「霧が深いな。まだ追撃してくる敵はいるか?」
(……いや、敵どころか味方の姿も見えないな)

隊長の言葉に、彼の使い魔である火竜が返答する。
最初は彼が何を言っているのか理解出来なかった。
視界を覆う程の霧など森の何処にも掛かっていない。
もし自分の視界を共有されていたら、気付かれていただろう。
霞んでいるのは、彼の眼に映る景色だけだという事に。
火竜は知った。もう彼と共に戦場を駆ける事は出来ないのだと…。

「連中なら大丈夫だ。きっと命令を守って生き延びるさ。
全く、隊長の俺だけが命令を果たせんとは不甲斐ないな」

赤黒く染まった脇腹に添えられた手。
その指の隙間から湧き水の如く血が溢れ出る。
艦隊から放たれた散弾は確実に彼の身を抉っていた。
それを押して尚、彼は部下に悟られぬまま指示を出したのだ。
誰にも知られる事も語られる事もなき武勇。
それを彼の騎竜として心より誇りに思う。

傷だらけとなった火竜の翼に彼の手が添えられる。
新たに付けられた傷の下にも数多くの古傷が残されている。
それは共に戦場を駆け抜けた二人だけの勲章。
その一つ一つを彼は昨日の事のように思い出す。

今もなお褪せる事なく彼の目蓋の裏に浮かぶ一匹の竜との出会い。
その出会いは、英雄を夢見た彼の行く末を決定付けた。

「今までありがとう我が生涯の友よ」
(何を礼を述べる事がある?
感謝すべきは私の方だ、我が主にして無二の友よ)

臆面もなく使い魔は主に感謝を告げた。
奇跡とも呼べる確率で彼は主人と出会った。
その日から、彼はその眼で主の成長を見届けた。
少年が青年に、青年が遂に英雄となる姿に立ち会ったのだ。
それも傍観者ではなく彼の相棒としてだ。
そのような幸運に恵まれる竜が、どれ程いるというのか。

「俺は、あの背中に追いつけたのか…?」
(勿論だとも。お前以上の英雄など五人と居るまい。
いや、どの様な者がいようとも私の英雄はお前一人だ)

世辞でも誤魔化しでもなく火竜はそう確信していた。
アルビオンを発った者達は決して彼の事を忘れないだろう。
孫の、その孫の世代に渡ろうとも彼等の活躍は語り継がれる。
その命が尽きようともアルビオンの魂と共に存在し続ける。
そして、いつの日か彼の背を追い英雄を目指す者が現れるだろう。

「それは、光栄だな」

不意に手綱に掛かる力が緩む。
意識さえも朦朧としているのか、落ちそうになる主を必死に支える。
眼下に広がるのは一面の森。
街であれば即座に憲兵へと引き渡されるだろうが、
ここならば身を隠すには都合が良い。
火竜が急降下して森へと不時着する。
翼を切り裂く枝にも構う事なく、彼をその場へと降ろした。

息も絶え絶えに、彼の目は色彩は失っていた。
火竜にも、もう助からない事は判っていた。
ならばこそ心静かに終焉を遂げさせたかったのだ。

もう何も映さなくなった瞳。
その代わりに走馬灯のように浮かぶ過去の記憶。
目指した道を突き進み、何物にも変えがたい戦友達を得て、
騎士の誉れとすべき主君達と巡り合えた。
そして、最後に果たすべき務めを終えた今、心残りなど何もない。
何もないというのに……。

「やっぱり、死ぬのは怖いなあ」

気が付けば、当たり前の事を彼は最期に口にしていた。
力を失い、緩やかに途切れた呼吸。
その亡骸に寄り添うように火竜は身を伏せた。
共に死ぬという約束、それだけが火竜に残された最後の支え。
この程度の手傷で死に至る事はないだろうが、いずれは飢えて死ぬだろう。

直後、火竜は身を起こした。
彼の感覚が此処に近付く人間の足音を感知したのだ。
それも一人ではない。少なく見積もっても四、五人はいるだろう。
樵や猟師がそんな徒党を組み筈が無い。
何処に落ちたかは知らないが残党狩りの手が及んでいたのか。
此処で退けば主の屍は晒され、敵兵に辱められるだろう。
何よりも主の下に旅発つ事に何の恐れがあろうか。

火竜の上げた咆哮が森を揺るがす。
近付く者を威嚇する雄叫びは、亡き主への嘆きの声にも似ていた…。


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