ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第十五話 『三つのタバサ』(後編)

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匿名ユーザー

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「この先の街道は通れないから、迂回してください」
「どういう事?」

 ガリアの関所でそう注意を受け、キュルケは眉をひそめた。馬車の入り口から顔を突っ込んで手形を改めていた衛士は、槍が馬車を傷つけないように注意しながら、

「ラグドリアン湖が増水してまして……それで、街道が水没してしまったんですよ」

 ラグドリアン湖といえば、トリステインとガリアの国境にある、ハルケギニアの名所である。観光名所としての美しさはもちろん、水をつかさどる水の精霊の住まう場所としても有名だ。
 そんな場所が増水とは、何かがあったのだろうか?
 疑問に首をかしげながら街道をしばらく進むと……衛士の言葉を肉眼で確かめることができた。緩やかな丘の上から見渡すラグドリアン湖は、浜は見えず木々が申し訳程度に頭を出し、家の屋根と見られるものまで見えた。いっておくが、全て湖の中での事。
 さすがのタバサも本を閉じ、馬車の窓から見える光景に見入っている。

「水の精霊に何かあったのかしら……」
「…………」

 キュルケのつぶやきに、タバサは無言である。反応を惜しんだわけではなく、正直に見当がつかないのだった。


 男は、本を読んでいた。
 分厚い、装飾の施された一冊の歴史書だ。歴史書といっても男のいた場所とは大きく異なる世界……ハルケギニアのガリア王国について記されたものだ。聞くところによれば、世の中に五冊とありはしない貴重な書物だという。
 その貴重な書物のページ。規則的に並ぶ美しい文字の羅列の中に、たどたどしいミミズののたくったような、しかし小さくもかわいらしい文字が寄り添っている。
 子供が聖書に刻み込んだ、ルビだった。ご丁寧に全てのページの全ての難しいスペルに振ってある。これでは書物としての価値は0だろう。

「…………」

 一ページ一ページ、懐かしむようにめくっていく……男は実際に、過去を懐かしんでいた。二度と到達することのできない、過去である。
 『前の世界』にいた頃の幸せと絶望、『この世界』に来てからの幸せと絶望。双方に思いをはせて、ただ沈黙を守る。日に一時間、書物にこもってこの歴史書を読むのは、男の日課だった。この時間だけは、彼は驚くほど無防備になる……部屋に入ってきた執事に、声をかけられるまで気づかないほどに。

「――『タバサ』様」
「ペルスランさん、ですか」

 タバサ、そう呼ばれた男は、同僚である老僕にちらりと視線を流し、書物を閉じた。とたんに、彼の体を緊張感が押し包む。それは、下手な騎士では太刀打ちできないほどの張り詰めた感覚……その瞳に油断はなく、歴戦の戦士を思わせた。

「シャルロットお嬢様が、もうすぐお戻りになられます」
「そうですか……わかりました、すぐに向かいます」
「やはり……その覆面を?」

 苦いものを含んだかのような表情で問いかけてくる老僕に、男は苦笑をひらめかせた。この老人は、未だに自分と彼女の間に横たわる壁に、気を揉んでいるらしい。
 まったく、全ては自分の自業自得だというのに……!

「当たり前ですよ。これは私の義務なのですから」
「……わかりました」

 長い執事生活で、敬語が染み付いているのだろう。同僚にさえ主のように接する老僕は、一礼して書斎を出て行く。それを確認してから、男は手にした本を本棚に納め……懐から、布の塊を取り出した。
 それは、死刑執行を執り行う人間がかぶる、覆面だった。目のところに二つだけ穴が開いた、覆面である。『あの日』から、男がかぶり続けている覆面だった。男がこれを脱ぐのは、この書斎で過去を懐かしむときだけである。

(それにしても)

 ふと。
 ペルスランの口調から連想が浮かび、男は苦笑を閃かせた。

(私も、ずいぶんと執事の口調が身についたものだ)


 ラグドリアン湖畔を見渡す丘から、タバサの実家までの道中は、キュルケにとって驚きの連続だった。
 まず、タバサの実家が『直轄領』だったという事。直轄領とは、王族が直接収める土地のことで、そこが実家という事は、彼女はガリアの王族という事になる。
 次に驚かされたのは、タバサの屋敷、その門に刻み込まれた紋章だ。交差した二本の杖と『さらに先へ』という銘。見間違うはずもない、ガリア王家の紋章である……問題なのは、その紋章に、バッテンの傷がつけられていたという事。
 不名誉印……それはすなわち、その家系のものが王族でありながら王族の権利全てを剥奪されたという事実を示すものだった。
 主に、王位継承の際の派閥闘争で、勝利した側が敗者の側の再起を封じるために振るわれるものなのだが、めったに見られるものではない。王族の権利を剥奪するという事は、それ相応の反発があり、行使すれば内乱の勃発を覚悟しなければならないだろう。
 キュルケの故国ゲルマニアの現皇帝も、凄絶なお家騒動の末に親族政敵全てを塔に幽閉し、平民以下の扱いで冷遇している……それでも、不名誉印だけは使わなかった。
 つまりは、そういう類のものである。
 不名誉印を押されたことを差し引いても、その屋敷は立派なものだった。古くはあるが決して朽ちてはおらずむしろ古風な美しさがあり、名邸といって差し支えはない。この手の建物は、放置しておくとすぐ朽ちてしまうものなのだが、手入れが完璧なまでに行き届いている証拠だ。

「――お帰りなさいませ。シャルロットお嬢様」

 馬車が玄関の前に止まると、控えていた老僕の手によって、扉がゆっくりと開け放たれる。
 無言のタバサに続き、キュルケは馬車を降りて……
 そこで、三度目の驚愕に襲われた。
 原因は、老僕の横で、老僕と同じように恭しく頭を下げる一人の男だった。
 ……がっしりとした体格から男だとわかるが、ひょっとしたら大柄な女性かもしれない。何せ、その人影は顔が見えなかった。死刑執行人がかぶる覆面で顔全体を覆い、服装も全て黒ずくめ。、肌の色すら判別できない有様だ。
 異装であった。

「――お帰りなさいませ、お嬢様」
「…………」

 老僕と同じように、恭しく一礼する男(声は男のものだった)……その男の傍らを、タバサは通り過ぎた。

(え?)

 違和感があった。
 その黒ずくめの傍らを通り過ぎたタバサの態度に、大きな違和感が。

(あの子、今……)

 タバサは馬車から降りるとき、ちらりと老僕の目を見て頷いた。それが彼女なりの労いだという事を、キュルケは知っている。全てに無関心に見えるタバサだが、自分に対する温情にまで無関心でいられるほど、冷たくはない。
 なのに……

(見なかった?)

 見なかったというより、タバサはその黒ずくめの存在そのものを無視してのけたのだ。常日頃のタバサなら、こんな態度は絶対にとらない。
 そんなタバサの態度に気づいたのだろう。老僕は表情を痛ましくゆがませた。が、黒ずくめの方は違った。表情すら見えないが、動揺しているようには見えなかった。
 自らを無視したタバサを追い、流れるような動作で玄関を開ける。
 タバサはやはり無言でその玄関をくぐったが……やはり、黒ずくめの存在を直視することはなかった。
 老僕と黒ずくめ、二人の人間に連れられて、キュルケはタバサと共に客間に通された。屋敷の外観と同じように、古式豊かで綺麗な客間である……客間に通されるまでに見た限りでは、それは、屋敷全て言える事のようだった。
 丁寧で、それでいて繊細な手入れが、隅々までいきわたっていた。窓枠に指を走らせたとしても、誇り一粒見つからないだろう。が、キュルケはこの屋敷の内部に、寒々しさを感じずに入られなかった。
 屋敷の内装の、ところどころを彩る黒……それらが指し示す事象はただ一つ。この屋敷全体が、喪に服しているという事だった。
 ちらりと、ドアの傍らにたたずむ黒ずくめに視線を流し、キュルケはなるほどと、納得した。

(喪服なのね。あれは)

 誰かが死んだのだろうか?
 そこまで考えて、キュルケは自分の服装を思い出した。今の彼女は学院の征服をいつも通り色気過剰に着崩しており、喪中の屋敷を訪問する服装ではありえない。

「ねえ、タバサ……私の服……」
「――心配しなくてもいい。これは、私たちの自己満足だから。
 ここで待ってて」

 タバサは答えてから、客間を出て行こうと扉に向かって歩き出す。
 黒ずくめがそれをいち早く察知して、先回りして扉を開け……タバサは玄関のときと同じように、無言でその傍らを通り過ぎる。
 男はその身を部屋の外側に滑り込ませると、文句のつけようのない完璧な動作で扉を閉めて、タバサの後を追った。
 本当に、驚かされ続けのキュルケだった。答えたのはいいが、あのタバサがあんなにも長く言葉を話すとは。
 入れ替わるようにして老僕が客間に入ってきて、ワインと茶菓子をキュルケの目の前に置く。キュルケはそれには手をつけず、老僕の目を見て問うた。

「このお屋敷、随分と由緒正しいみたいだけど……あなたと今出て行った人以外、誰もいないみたいね」

 喪中というのもあったが……ここにくるまでに目にした屋敷の内装は、それ以上に人の気配を感じさせなかった。物音も一切せず静かなものである。

「――このオルレアン家の執事をさせていただいております、ペルスランと申します。
 恐れながら、シャルロットお嬢様のお友達でいらっしゃりますか」
「友達じゃあないわ」

 きっぱり切り捨てられて、老僕の体が凍りついたのを見て、キュルケは笑った。

「親友よ。私たちは」
「え、あ、な……」

 あっけにとられるペルスランに、彼女はくすくす笑いながら、

「ごめんなさいね。ここに来てからあたし、自分のペースがぜんぜんつかめなかったものだから」
「…………」
「驚かされてばっかりよ。
 あの子がガリアの出だったっていうのもそうだけど……」

 キュルケの褐色の、あでやかな指が広げられてペルスランに向けられる。

「不名誉印、ガリア王家の紋章、人のいないお屋敷……って、今気づいたんだけど、オルレアンって、王弟家じゃない。本当に驚かされ通しだわ。
 極めつけは、あの喪服の男」
「――!」
「格好もそうだけど……あの子、あの喪服の男の方を見ようともしないんですもの。確かにタバサは無口な子だけど、あの男に対する態度はおかしいわ」
「……確かに、あなたはシャルロットお嬢様のご親友であらせられるようですな」

 傍目には同じ無言だったというのに、細かい動作の違いを見抜く……キュルケの見せた観察眼とタバサへの理解に、ペルスランは改めて一礼すると、口を開いた。

「お見受け致します所、外国のお方であると存じますが……お許しいただければ、お名前を……」
「ゲルマニアの、フォン・ツェルプストーよ」
「先ほどから『タバサ』という名前を口にしていらっしゃいますが、それは、お嬢様が名乗っておられる……」
「ええ……あの子、本当に何も話してくれないのよ」
「そう、ですか……」

 ペルスランは、自分自身が痛みを感じているような表情を浮かべて、切なげに嘆息した。
 そして、語り始める。

「シャルロットお嬢様は、継承争いの犠牲者なのです」
「敬称争いの犠牲者?」
「そうで御座います。今を去ること五年前……先王が崩御されました。先王が残された王子は御二人……長男であり現国王であるジョゼフ様と、シャルロットお嬢様のお父上であられたオルレアン公の御二人です」
「タバサのお父様の事はわからないけど……現国王のことは知ってるわ。有名だもの。
 ……あの子、王族だったのね」

 『ガリアの無能王』……巷で囁かれる風聞が口の端に上りかけたところで、キュルケはかろうじてそれを飲み込むことができた。いくらなんでも、ガリアの人間、それも王弟家の人間に聞かせる言葉ではない。

「そう……有名なのです。『無能王』と評判になるほどに」

 せっかくキュルケが飲み込んだ言葉を、ペルスランはためらう事無く口にした。

「ご長男のジョゼフ様は、有名な程に暗愚でいらっしゃられる。そして不幸な事に……オルレアン公はその正反対なお方でありました。
 才能と人望にあふれ、ジョゼフ様よりもずっと王としてふさわしいお方でした。
 それ故に、オルレアン公を王座にすえようという動きが持ち上がったのは、当然の成り行きといえます。結果、オルレアン公は忙殺されました……この国の誰よりも高潔なお方が、下賎な毒矢で暗殺されたのです」
「毒矢?」
「はい。狩猟会の最中に……しかし、ご不幸はそれにとどまりませんでした。
 オルレアン公を暗殺した者共は、恥知らずにもお嬢様も狙ったのです……将来の禍根を断つために、10の子供を!
 連中はお嬢様と奥様を宮廷に呼び出し、もてなしました。贅を尽くした料理に、毒を入れていたのです。
 しかも、その毒は……心を狂わせる水の秘薬です。やつらは、お嬢様を殺すのではなく、あえて心を狂わせようとしたのです。
 ……奥様はそれを知り、お嬢様をかばってかわりにその毒入りの料理を口にしました。以来、奥様は心を病まれてしまいました。それ以来、この屋敷はずっと喪に服しております」

 ――キュルケは言葉を失っていた。
 なんと言う凄惨な過去だろう。父を亡くし、母は己の身代わりになり……それも、母親が狂ったのはタバサの目の前でのことなのだ。

「それで、あの子は……」
「はい……快活で明るかったお嬢様が、言葉と表情を失ったのは、其の時でございます。その上、奴らは……お嬢様のお命をあきらめなかった。直接狙うのではなく、実に姑息な手口で、お嬢様のお命を狙い始めたのです」
「姑息ってねぇ……今まで聴いた話も、十分すぎるほど下種だと思うけど?」
「汚れ仕事ですよ。フォン・ツェルプストー様。
 宮廷の者達は、厄介な問題が持ち上がるたびにお嬢様に押し付けているのです。達成困難な仕事ばかりを……」
「……! 成る程ね……」

 キュルケは言われずとも理解した……タバサが請け負ってきた任務というのが、いったいどんな種類のものであるかを。
 恐らく……命を失う虞のある、危険なものばかりなのだろう。同じ殺すならば、せいぜい利用してやろうという魂胆だ。

「お嬢様は、己のお命と奥方様の心を取り戻すため、それらの命に逆らうことができませんでした。お嬢様の立てた手柄は、領地を賜っていなければおかしいぐらいのものです。にも拘らず、宮廷がお嬢様に与えたのは、シュヴァリエの称号のみ。
 挙句の果てに、お嬢様をトリステインへ留学させ、奥方様はこのお屋敷に静養……いえ、言葉を飾っても無意味でしょう」
「実際は幽閉みたいなもの……成る程。厄介払いってわけね」
「そして、その状況は終わっていません。
 解決困難な厄介ごとが持ち上がる度に、今日のように呼びつけるのです……!」

 悔しげに唇をかむペルスランを見て、キュルケは息を吐いた。
 重い、余りにも重い『事情』だった。タバサの沈黙とシュヴァリエの称号に、そんな由来があるとは思わなかったのだ。あの年にして、異様に場慣れしていた理由も、これで氷解した。

「……お嬢様は、タバサと名乗っておられる、そうおっしゃいましたね?」
「ええ」
「この屋敷に、その名前を持つものはお嬢様を含めて2人と一体あります」
「二人と……一体?」
「一つは、人形でございます。
 忙しさのせいでお嬢様と遊んでやれぬ奥様が、さびしくないようにと、自らお買いになられ、お嬢様に与えられた人形でして……それをいただいたときのお嬢様の喜びようといったら、まぶたに浮かぶほどでございました。
 ……心を病まれた奥方様は、その人形をお嬢様だと思い込んでおいでなのです。その人形に、お嬢様がお付けになった名前が――タバサ」

 あとの一人は誰なのか……考えるまでもなかった。
 消去法である……残っているのは、あの黒ずくめの男のみ。

「先ほどあなたがおっしゃった喪服のお方……あの方の名前も、『タバサ』と申します」


 タバサと男は、屋敷の一番奥の部屋から、キュルケ達の待つ客間に向かって歩いていた。
 そこに言葉はなく、視線が交わされることもない。ただ、沈黙のみを友として、歩を進めていく。

「――シャルロット。あの子は、友達なのか?」

 長い沈黙を打ち破ったのは、喪服の男のほうだった。一歩前を進むタバサの背中に、穏やかな口調で言葉を投げかける。執事が主に向ける言葉ではなく、兄が妹に投げかけるような言葉であった。
 タバサは、無言。それを肯定ととったのか、男は本当にうれしそうに、

「お前が、友達を連れてくるなんて何年ぶりだろうな……本当に久しぶりだ」
「…………」
「トリステインでいじめられてやしないかって、心配してたんだが、無駄な心配だったみたいだな」
「…………」
「ああ、そうだ。そろそろ裏庭のぶどうが実る頃なんだ。
 覚えていないか? 昔、お前はあそこで……」
「うるさい」

 沈黙を打ち破った、一方的なトークをタバサの冷たい一言が打ち消した。
 怒りも憎しみも何もない。ただ、無機質なだけの言葉……それだけに耳に残り、男の声帯を否応無しに停止させてしまう。

「あなたには……関係ない……」
「…………」

 かみ締めるように吐き出された拒絶の言葉を、男は黙って聞いていた。
 そして、どこか納得したように、頷いた。

「申し訳ありません。お嬢様」


「彼がこの屋敷にやってきたのは、もう10年以上前になりますか……
 ラグドリアン湖の湖畔で、死に掛けていたところをオルレアン公に拾われてきたのです」
「王族が、けが人を拾った?」
「ええ。湖畔を馬で走っていたところを見つけたそうで……その時、あの方は記憶をなくされておいででした」

 キュルケの故郷では考えられないことに、思わず声が出た。
 王族が馬を走らせる場所といえば、普通は直轄領だったり、厳重な警護がしかれたりする。そんな場所で死に掛けているなど、どう考えても怪しいわけありである。記憶喪失というのも本当かどうか。
 ゲルマニアの皇帝陛下に限らず、真っ当な王族なら、拾わず見殺ししにしそうなものだが……

「オルレアン公はしがらみより目の前の命を大切になさるお方でしたから……本当に、生きているのが不思議なほどの重症だったのを、公と奥方の御二人自らが治療なされました。
 怪我が直ったあと行く当てがないというあの方を、公は近衛兵という名目で雇われました」
「いきなり近衛兵って……」
「とてつもなく強いお方です……怪我の治療が行われる間、あの方は公のお近くにいらっしゃったのですが、その間に何度となく暗殺犯を撃退しておりますから。一度など、公を暗殺しようとするスクウェアメイジを相手に、無傷で勝利なされたことがあった程で。
 上げた功績と示した実力の確かさから、すぐに公の直営と抜擢されました」
「…………」

 いくらなんでも、できすぎた話である。
 素性の不確かな人間が、いきなり王族の近衛に抜擢されるなど、絵物語ですら成り立ちようのない致命的な矛盾である。
 そんなキュルケの表情から疑問を察したのか、ペルスランは苦笑して、

「『傍らに立つ使い魔(スタンド)』というものをご存知で?」
「!
 ……ええ」

 知っているどころか、級友にスタンド能力者が一人いるのである。

「ご存知ならば、話は早い」
「そして、納得できたわ……あの人、『スタンド使い』なのね?」
「はい」

 スタンド能力……先ほど絵物語でもありえないといった男の近衛選抜も、彼がこれを保有しているのならば、話は違ってくる。キュルケが知るスタンドは、リンゴォの『マンダム』ギーシュのFOD、『灯の悪魔』、『黄の節制』……どれも強力極まりない能力ばかりだった。

「どういう能力なの?」
「……存じません。恐らく、公と奥方様しか、あの方の能力は知らないでしょう。
 私も五年以上共にいますが、一度も目撃しておりませんので。聞いても、『昔いろいろあって』としか。
 しかし、その能力を持って挑んだ戦闘で、敗北したことがないことだけは、確かでした。そうして、シュヴァリエを賜るまでになった。
 強く、いつも自分たちを守ってくれる……そんなあの方に、お嬢様はたいそう懐かれたものです。忙しいご両親に代わって遊んでくれる、やさしくて強い兄に。
 先ほど話したお人形を左手に、右手にあのお方の手をとって……それこそ、公が嫉妬するほどに仲のいい、兄妹のようなお二人でした。今、あのお方が名乗っているお名前の、『タバサ』も、お嬢様がお与えになられたものです」

 お気に入りの人形と同じ名前。タバサなりに、精一杯の親愛をこめて名づけたのだろう。その子供っぽい感情表現を連想することは、ぎすぎすした話題続きのこの場において、一つの清涼剤だった。

「あの方は本当に、オルレアン家の家族の一員となっていました……公の暗殺は、そんなあの方の留守中に行われました」
「…………」
「いえ、正確には……公暗殺から奥様の服毒にいたるまで、あの方は国外へ任務という名目で追い出されていたのです。
 帰ってきてからあの方が目にしたのは、公の墓と、壊れた奥様……そして、全てを失ったお嬢様でした。
 それに伴い、シュヴァリエを剥奪され、近衛を追い出されたのですが……そんなものなど、その後の悲劇に比べれば……」
「悲劇って……まだ何かあったの?」
「はい。
 あの方は、シュヴァリエを剥奪された事よりも近衛を免職されたことよりも、公と奥方様を守り切れなかった事を嘆かれておいででした。
 あの方はシャルロット様だけは守り通そうと、壊れた奥方様に仕えるため、執事としての道をお選びになりました。悲嘆にくれる毎日の中で、それでもあの方は酒に逃げることを良しとしませんでした。たった、一日を除いて。
 その日、私とあの方は、晩餐を共にしていました。そう、忘れるはずもない、オルレアン公の一周忌です。悔しさから酔わねば眠れそうになかった私達は、安ワインをあおっていました。その時、あの方はこう漏らしたのです。
 『私はまた同じことを繰り返した』と」
「またって事は……記憶喪失は嘘だったのね」
「本人は、つい最近思い出したといっておりましたが……そんな事はどうでもよかった。記憶があろうとなかろうと、あの方はあの方ですから」

 きっと、この老僕は『タバサ』に二心がないといいたいのだろう。キュルケもそう思う。そうでなければ、不名誉印を刻まれた王弟家に使え続ける理由などないのだから。

「酒の助けがあったのでしょう。あの方は、その言葉の意味を教えてくださいました。
 あの方には、妹がいたのだそうです。そして、死んだ。
 私が知っているのは、それだけです。何故死んだのか、など教えてはくれませんでした。
 ……問題なのは、私たちの会話を、お嬢様が聞いていらっしゃったという事です。
 遅くまで起きていた私たちの様子を見に来てくださったのでしょう……そして、お嬢様はこう思われたのでしょう。自分は妹の代わりだったのだと。
 母が人形を自分だと思ったように、彼にとって、自分は妹の代用品に過ぎないのだと。
 無論の事、それは大いなる誤解です……確かに、多少は重ね合わせていたかもしれませんが、あの方にとってお嬢様は妹の代用品などでは決して無い。
 それからです。お嬢様が、あの方をことさら遠ざけるようになられたのは……あんなに仲の良かったお二人が今では目線を合わせることすら出来ないでいるのです……!
 しかも、王室の者どもはあの方に、お嬢様へ協力することすら許さなかったのです。協力すれば、お嬢様を処刑すると……
 それ以来、あの方は全てを捨てられました。
 仮面を被って顔を捨て、タバサを名乗り名前を捨てて……ようやく思い出したという『目的』すらも捨て去って、ここにいらっしゃられます。せめて、奥様だけは完璧にお守りしようと……!」
「……目的?」
「少なくとも、妹様が関わっているのは確かなようですが……詳しい事は私にも分かりかねます」
「…………」

 キュルケが黙るのと、タバサが部屋に張ってきたのとは、ほぼ同時だった。喪服の男を引き連れたタバサに、まずはペルスランが一礼し、懐から一通の書状を取り出した。筒に入れられたそれを取り出し、恭しくタバサに手渡す。

「王家からの書状にございます」
「…………」

 タバサは受け取った書状を開いて、その内容を読み始める。そして、黙って頷いた。

「いつ頃取り掛かられますか?」
「明日」
「――かしこまりました。使者にはそのように」

 ペルスランは静かに一礼してから、喪服の男に視線を走らせた。男は、その視線の意味を了解し、部屋を出て行く。
 タバサはキュルケのほうを向いた……出て行った男の方を見ようとはしなかった。
 改めて、キュルケは思った。タバサは、かなり無理をしていると。

「ここで待ってて」

 ――ふざけるんじゃないわよ。

 タバサのその発言に、キュルケは言いようの無い怒りを感じた。実にふざけた話だ。
 あんな話を聞いて、こんなに無理をしている親友を見て、ほいほい引くなどツェルプストーの名折れである。胸に灯る怒りは、タバサ以外の全て……彼女を追い詰めたすべての人間に対する激情だった。

「……そこの人に全部聞いちゃったの。だから、あたしもついていくわ」
「危険」
「だからこそ、よ。そんな所に、親友を一人で行かせられるもんですか」

 放って置けるはずがないのだ。下手をすれば命にかかわる事はわかっている……それでも放っておけるはずが無い。
 キュルケは、そういう女なのだから。

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