ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第十五話 『三つのタバサ』(前編)

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ギーシュの奇妙な決闘 第十五話 『三つのタバサ』

「…………」

 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール……
 ヴァリエール家の長女にしてアカデミーの優れた研究者でもある彼女の前で、狂気の沙汰は繰り返されていた。

 それはまさに、狂気の具現。
 始祖ブリミルをも恐れぬ大逆。音に聞いたアカデミー実験小隊のそれよりもなお非道!

「才人……やぁ! そこ触っちゃやだぁ……!」
「んー? 聞こえないなぁー」

 半裸で馬鹿のようにいちゃつく、二人の男女。この空間における、狂気の体現者。
 女の方は、男の膝の上で顔を赤くし、情愛に蕩けきった目で男を見る。
 男の方は、女の反応が愉しくてしょうがないという風に、その手で女の体中を弄っていた。

 ――ルイズと才人。
 惚れ薬によって、痴情絶賛放映中な、バカップル共である。
 普通に考えれば非道だの何だのと言われるようなやり取りではないのだが、嫁き遅れであるエレオノールにとっては、靴でスープを飲むよりも屈辱を、拷問ダンスよりも苦痛を与えられるやり取りだ。

「…………」

 エレオノールは、無言で腕を組み、二人を凝視する……時間は真夜中。少しでも目を逸らしてしまえば、このバカップル共は一瞬で互いの服を全てひん剥き、取り返しのつかない領域に踏み込むだろう。

 瞼を閉じれば思い浮かぶ。
 見つめあう二人。才人がルイズを押し倒し、ルイズは才人を受け入れて、暗転した画面にでかでかと浮かぶ、ピンクのハートと『 合 体 』の二文字。バックミュージックはサキソフォンとギシギシアンアン。

 そんなふしだらで貴族としての面子を穢す真似を認めるわけにはいかなかった。その情愛の原点となっているのが、惚れ薬ならばなおさらである。

(私でさえまだなのに、チビルイズに先を越されてなるもんですか!)

 ……ちょっぴり本音が漏れ出ている、エレオノール姉さまであった。



 オールド・オスマンから事情は聞いていた。

 妹とその使い魔が惚れ薬を飲んだのは完全な事故だ……学院のワインセラーに『シャトーオーブリオン85年もの、伝説の本物』が存在し、それを知らずに呑んでしまった結果だという。
 解析に回されたというワインを見せてもらったが、あれでは間違うのも無理は無い。薬品の色がついたのか、色合いがロゼワインそのものだったのだ。
 シャトーオーブリオンは白しか作らない……ワインに精通したものの間では常識であり、ルイズもそれを熟知していた。
 シャトーオーブリオンのロゼなどあるわけが無い。しかも85年物といえば公爵家でも手の出しにくい高級品……偽者意外に考えようが無い。その常識が、彼女に毒を服用させたのだ。
 ものが真っ赤な偽者だと判断した二人は、話の種にとばかりに一気にあおり……この有様だ。

 それにしても。
 すぐさま二人を監禁したオールド・オスマンの判断力には頭が下がると、エレオノールは思った。こんな状態のルイズを他人に見られては取り返しのつかない事態になっていただろう。
 家の恥、くらいならまだいい。魔法の得手不得手関係無しに、ルイズはヴァリエール家の一員であり、愛すべき家族である。恥ぐらいならば甘んじて受けよう。
 だが、下手をすれば、ルイズの嫁ぎ先がなくなってしまうという事もありえたのだ。平民のお手つきを貰いたがる貴族など、ハルケギニア中探しても見つからないに決まっている。

「才人……駄目! お姉さまが見てる!」
「そんなの関係ねぇよ。
 それに、見られてるとなんか燃えねぇ?」
「そこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
「ぶげらっ!?」

 なにやらアブノーマルな領域に踏み込もうとした才人に向かって、エレオノールの拳が光って唸る。顔面にストレートぶち込まれ、才人はそのまま仰向けになって倒れこんだ。

 人間は、自身や火事などの危機的状況に陥ると、信じられない力を発揮するという!
 俗に言う『火事場の馬鹿力』なのだが、今のエレオノールがまさにその状態なのだ!
 彼女は怒りによって発生したアドレナリンによって、120%のパワーを完璧に制御しきっているッ! そして、怒りの対象に天誅を加えるべく、動き出すのである!
 これがッ! 『嫁き遅れ武装化現象(アームド・フェノメノン)』だッ!
 『嫁き遅れ』のパワーは! ガンダールヴをも凌駕するッ!

「ちょ……お姉さま! 才人に乱暴しないで!」
「やかましぃわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 食って掛かるルイズに、貴族の礼状らしくないはしたない雄叫びを返す姉さま……散々妹のバカップル振りを見せ付けられたせいで、やたらと気が短くなっている。
 その白魚のような指がルイズの顔に伸ばされ、その頬を力の限り引っ張り上げる!

「チビルイズぅぅぅっ! あなた惚れ薬で貴族としてのマナーすら忘れてしまったようねぇー!?」
「い、いひゃいいひゃい~!」
「人目のある場所で! まるで下賎な娼婦の如き浅ましい振る舞い! ヴァリエール家の人間としての品位まで失うなんて!
 ……お父様やお母様が見たら何て言うか!」

 ルイズの頬を開放し、エレオノールはほっと一息ついた。
 自分で言っておいてなんだが、両親は今のルイズの状況を知ったとしても、嘆くような事はしないだろう。別に、ルイズ自身に責があるわけでもないのだから。
 眠らせてしまえば話は早いのだが……魔法に反応して、薬効が毒性に変わったらアウトである。惚れ薬をさらに詳しく解析しないことには、どうにもならない。

 この成層圏の彼方を『考えるのを~』レベルでぶっ飛んだ行動の数々は、惚れ薬の影響である。専門分野からははなれているが、惚れ薬の効能やその凶悪さは熟知している……しかもそれが、アルコールと混ぜ合わされ得体の知れない変化をもたらしていたともなれば、こうでなければおかしい。
 むしろ、薬効の変化がこの程度ですんでラッキーだったと思うべきだろう。下手をすれば薬効が毒性に変質し、死んでいてもおかしくはない。
 そう。今狂態を見せている二人に、責任は全く無いのだ。全ては、不幸な偶然が重なり合っただけの事……!

(落ち着きなさい私……悪いのは全部惚れ薬なんだから……)

 今にも暴れだしそうな激情を、必死で押さえつける27歳嫁き遅れ……そして開放されたルイズはというと。

「……さっきのお姉さまのお言葉のほうが、余程品位が……」

 惚れ薬の恋で沸いた脳みそで、現状を把握しないまま、ぶつくさと愚痴っていた。

「……そんなだから婚約破棄されるのよお姉さま……」




 エレオノールは、ルイズの発する哀れみの匂いを感じた……彼女は、その匂いが大嫌いだった。召使や他の貴族の子女、動力が時折自分に向けるのと、全く同じ匂い!
 エレオノールは思った。

(チビルイズのにおいを消してやるッ!)

 エレオノールの逆鱗、『婚約関連の単語』! それを聞いた時、彼女はぶち切れるッ!!
 そして! 今のルイズの言葉は! 致命的な地雷であった!
 蠢く美しいブロンド! 漲る怒気! 眼鏡越しに輝く血走った瞳!

 これが――

「……」

 これが――!

「・・・・ 何 か 言 っ た か し ら ? 」

 こ れ が 『 嫁 き 遅 れ 』 だ ッ !

 地雷(それ)に触れる事は死を意味するッッ!!!!

「ちびぃるぅいぃずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!
 生意気な事を言うのはこの口かッ! この口かッ! この口かぁぁぁぁぁっ!!!!」
「ふ、ふひぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 喧々囂々。
 姉妹の間で交わされるやり取りを前に、共に見張り役を押し付けられたジョリーンは嘆息する。
 エレオノールがルイズを、ジョリーンが才人を、それぞれ押さえつける為の組み合わせなのだが……ジョリーンの方は見張りを始めてから、一度も動いていないのである。
 エレオノール一人で才人もルイズも押さえ込んでいるのだ。恐るべし、嫁き遅れ!

「……これ、あたしいなくてもいいんじゃないか?」

 ばるばるばるばるばるばるばるぅぅぅぅぅっ!!!!

 紡ぎだされた言葉は、『嫁き遅れ』の咆哮に掻き消され、他者の耳に入る事はなかった。




 ――『端末』から伝わってくる狂騒に、FFはやれやれと肩を竦めた。
 小さな鼠の姿だというのに、その姿は逐一人間臭く、愛嬌がある……モートソグニルと並んでいると、つがいに見えないことも無い。本人が聞いたら全力で否定するだろうが。

「どうかしたかね? FF君」
「いや、向こうがやたらと騒がしいと思ってさ……」
「ほうほう。騒がしいだけかの」
「ああ。最後の一線は何とか守りきってるぜ」

 オスマンに答えてから、FFは意識を本体のほうへ引き戻した。
 そしてふと思うのだ。今関係者の中で一番楽をしているのは、間違いなくジョリーンだろうと。

(まぁ、タナボタみたいなもんだけどなぁ)

 役割分担が決められた時には、二人の見張りが一番消耗が激しいだろうと予想されていた。ジョリーン自身もそういう覚悟を持って見張り役を買って出たのだが……蓋を開けてみれば嫁き遅れの独壇場である。肩透かしもいいところだろうと、FFは戦友の心境を思った。

 うらやましい話である。ジョリーン以外の関係者は、一人の例外も無くてんてこ舞いで、楽をしている人間など一人もいないのだ。

 モンモランシーはエレオノールの助手の人と解除薬の調合と、惚れ薬の成分分析を平行して行っているし、御者の団員とズォースイは王都へ買いだしに向かい、こんな真夜中になっても帰ってこない。FFはもし何があったときのための外部への連絡役として、マルトーとシエスタは調合組や見張り組みの夜食を作るため、それぞれ徹夜が確定していた。

 ギーシュに至っては、全身包帯グルグル巻きで医務室に放り込まれている始末……付き添いすらないのには同情するが、本当に医務室に縁のある男だ。

 そして、今この場学院長室にいるオスマンは……更に現実的な問題で頭を痛めている。ありとあらゆるものに先立つ品物、すなわち金だ。


「で? ポケットマネーは足りそうなのか?」
「難しいの」

 からかうような口調で問いかけるFFだったが、意外なほどに生真面目な返事に面食らった。オスマンの正確から行って、てっきり冗談交じりに答えると思ったのだが。

「おいおい。そんなに安月給なのかよ」
「んー、ワシの財布が厳しいんじゃのーて、品の値段が厳しいんじゃよ」

 個人的に『土くれ』の情報をかき集めているせいで、本当は財布の中身がかなり寒くなっているのだが、口の端にすら上らせない。
 オスマンの指が、とんとんとデスクに置かれた羊皮紙を叩く――モンモランシーと助手の人がまとめた、解除薬を作るのに必要な薬剤のリストだった。見るものが見れば、悲鳴を上げたくなるような高価な薬剤が、その名を連ねている。

「固定薬っちゅーのは、元々人間が呑むようにできておらんからのぉ……かなりの力技にならざるをえんのじゃよ」
「力技ねぇ」
「飛び切り高級な秘薬を使うしかない、っちゅー事じゃよ。
 ミス・ヴァリエールの姉君は、アカデミーでも知られた才媛。その助手じゃから、腕のほうに問題は無かろう」

 余談だがその助手、この難しい仕事を前にしても嫌な顔一つせず実にいい笑顔で仕事に取り掛かった。
 何故にそんなに嬉しそうなのかというモンモンの問いに、助手は輝かんばかりの笑顔で答えた。

 『そりゃあもう! エレオノール様と離れられますから!』

 ああ、この人本っ当に苦労してるなぁ。
 彼のその表情を見た一同は、全く同じ見解を抱くこととなった。

「……今回の惚れ薬を解除するには、まず固定薬の効果を打ち消す薬品を投与してから、改めて惚れ薬の解除薬を飲ませなければならん」
「固定の解除薬がネックだよなぁ」

 オスマンの言わんとすることを了解し、FFは鼠の姿のままため息を漏らした。固定を解除するのには、二つの大きな問題がある。

 一つは、法的な問題。
 固定解除薬は、その使用や精製に関しては王宮の正式な許可が無ければ扱えないようになっている。当然だろう……学院の宝物庫を初めとして、重要な施設にはあらかた固定化が仕掛けられており、その解除薬が出回った日には悪用される事請け合いだからだ。

 もう一つは……生命的な問題。
 先程もオスマンが言ったように、固定薬は『人間が飲むように出来ていない』。同じように、固定解除薬も『人間が飲むように出来ていない』……それも、固定薬なんか目じゃないレベルでだ。
 口にした瞬間に血反吐撒き散らして倒れる、そんな類の猛毒なのである。

 前者に関しては材料を入手して一から作り上げればいい。後者はなんとか人間が飲めるレベルまで毒性を緩和すればいい。双方とも対策は立ててあるが……それでも肩の荷は下りない。

「毒性抑えたままで固定薬解除しようとすると、どうしても余計な薬品が要るようでなぁ」

 それで、値段が跳ね上がってしまっているわけだ。

 オスマンが直々に仕掛けたサイレントの甲斐あって、ルイズの狂態は外部に一切漏れていない。エレオノールの訪問も、毒の性質を考えれば幸いだったと言って良いだろう。
 状況は、不気味なほど都合良く回っている。だというのに……やるべき事のなんと多い事か。

(ミス・ツェルプストーが留守で、本当に良かったのぉ)

 ルイズの隣人であり、サイトに横恋慕している微熱の少女。
 オスマンは彼女の不在を、心のそこから始祖ブリミルに感謝した。




 ……さて。前回の物語を見られた読者諸氏は、こんな疑問を抱いているだろう。
 キュルケは何処に行ったのだ? と。

 ヴァリエール家と因縁あふれる、ツエルプストー家の子女。『微熱』の二つ名を持つ恋多き女性……キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。
 これだけの大騒ぎを起こせば、隣の部屋に住む彼女が気付かぬ彼女ではあるまい。流石にアプローチは自重するだろうが、全く関わろうとしないというのは不自然である……もしも彼女がいたら、状況は更に混沌としたものになっていただろう。
 その彼女が一切登場しないのは、実に簡単な理由からだった。

 彼女は今学院にいない。いない人間がリアクションなど取れるはずが無いのだ。普通に考えれば、平日の昼間に学生であるキュルケが学園からいなくなるなど、あってはならない事なのだが……オスマンはそれを黙認していた。

 事の起こりは、ルイズとサイトがえらいことになる前日。
 キュルケの手元に届いた、一通の書状が原因だった。
 決して派手ではない、しかし地味でもない装飾が施された封筒は、それだけでもかなりの高級品。キュルケの実家、フォン・ツェルプストー家からの書状である。

 普段禄に連絡もよこさない父親からの頼りに、何事かと目をむいていたキュルケは、すぐさま部屋に戻り封を開けた。

 記されていた内容は……
 『チチキトク スグカエレ チチヨリ』との事。

 あまりにアホ臭い文面に、キュルケはそれまでの緊張感もあって冗談抜きに机に突っ伏した。チチキトクなのに何でチチヨリとか、肝心の用件はどうしたとか、突込みどころありすぎである。
 一体なんでこんな滅茶苦茶な手紙をわざわざ届けさせたのか。
 自分がここにいる理由や、父親の性格を考えれば、推論はあまりにも容易だった。というか、この魔法学院に転向して以来、その用件以外で実家に呼び戻されたことはないのである。

 すなわち、『お見合い』……もっとダイレクトに、『婚約の強制』である。

 彼女の両親は、よくも悪くも一般的な貴族であり、政略結婚と言う行為になんらの疑問も抱いていない類の人間だった。ゲルマニアの魔法学院にいられなくなった彼女に、『外聞が悪いから』ととっとと政略結婚を仕組んだくらいだ。そもそも彼女が学院にやってきたのも、その時に老人に嫁がされそうになったところを逃げてきたからだった。

 何故こんな素っ頓狂な文面を送りつけてきたのかは知らないが、今回の呼び出しも大方見合い関連だろう。
 性質の悪い事に、今回はキュルケへの手紙に先んじてオールド・オスマン宛に書状が出されていた。彼女が『なれない環境でストレスがたまったので息抜きのために』実家に帰省する旨と学院への休暇願い……そして、当日に馬車で迎えに行く旨がつらつらと記されていた。キュルケがどうあがこうとも実家に連れ帰す気満々というわけだ。

 オスマンが不審に思ってキュルケに事情を聞いたからこそ発覚したことだ。それがなければ、キュルケは何一つ知らぬままに、ゲルマニアへと連れて行かれていただろう。

 冗談ではなかった。彼女は典型的なゲルマニアの女性であり、恋に燃える女……燃える炎もなにもない婚約など真っ平ごめんだ。
 それすら許されないというのなら、勘当されてもかまわない……キュルケはそう考える女性だった。
 リンゴォにとって『男の世界』が至上の価値を持っていたように、キュルケにとっては情熱の世界に至高にして究極の価値があるのだ。それがない人生は、死んだ人生……『死人の人生』である。そこに価値などありはしない。
 進んで勘当されたいわけではないが、そんな人生を歩むぐらいなら、勘当されたほうがまだましである。キュルケはそう考える女だった。


 ――そこからの彼女の行動は早かった。
 両親の出した休暇願いを逆手にとって、実家の迎えよりも早く学院から抜け出してしまったのである。無論、ただ抜け出しただけではなく、オスマンにあらかじめその旨を知らせ、同じように学外に用事があったタバサの馬車に便乗したのだ。名目上は、『なれない環境でストレスがたまったので息抜きのために』学外に出る、というものである。普段のキュルケを知っている人間なら、あごが外れそうになるあほらしい大法螺だったが、それらは全て手紙の書き写し。実家の人間が、内容を保障してくれているようなものだった。

 オスマンは迎えに来た者に『彼女は実家のものに迷惑をかけるに及ばんと、自分で息抜きに学外に出ました』と応じてくれるだろう。それを聞いた使いのものが後を追ったとしても、キュルケはタバサ……他国の人間の馬車に乗っているのだ。まさか、見合いから逃げ出した娘を探すために、他国の貴族の馬車を改められるはずもない。んな事したら外交問題、戦争に発展しようものなら、末代末までの恥である。
 事情を知ったオスマンとタバサは快く協力してくれた……オスマンは元々政略結婚の類が嫌いな性質だったし、追い詰めるようなキュルケの両親のやり口に反感を抱いていた。タバサにいたっては親友の危機を助けるという健気な理由だ。

 馬鹿馬鹿しい騙し手には、同じように馬鹿馬鹿しい騙し手で。
 実にキュルケらしい、人を食った手口である。




 そんな理由で……彼女は今、トリステイン街道を馬車に揺られている。
 エメラルドグリーンの草原に、ポツリポツリと浮かぶ白黒の斑点。街道のそばにある牧場で、牛たちが草を食んでいるという、ごくありふれた風景なのだが……実家からの逃避行、それも下手を打てば勘当ものというスリルのある状況もあって、キュルケは子供のようにはしゃいでいた。

「タバサ! ほら見て!! 牛よ!」

 馬車の窓を見て一喜一憂するキュルケとは対照的に、タバサは物静かだった。いつものように本を読んで、いつものように無口無表情。窓のほうに見向きもせず本ばかり凝視……あまりにもいつも通りの親友に、キュルケは嘆息した。

「タバサぁ……せっかく学校をサボって帰省するんだから、もう少しはしゃいだらどうなの?」
(そういうあなたはもう少し慎んだほうがいいのね。きゅいきゅい)

 思考のリンクを解して流れ込んできた使い間のコメントに、タバサは確かにそのとおりだと、内心頷く。楽観できる状況ではないというのに、この明るさはどこから来るのか。




「二人とも、署名入りの休暇届は出した。サボりじゃない」
「……あたしのは、両親が無理やり申請したんだけどね」

 はぁ、と嘆息するキュルケの表情を見て、タバサはぼんやり思う。
 多分、自分は今のキュルケの抱いている感情を理解することがないだろうと。そもそも育った環境が違うのだ……話を聞く限り、キュルケの両親は典型的な貴族で親子の情よりも貴族の驕りを優先する人種だろう。誇りではないのがポイントだ。本当に誇りのある貴族なら、あんな姑息な手を使ってお見合いなどさせはしない。
 自分の両親はその真逆にある人物である。客観的に見て、『親』というカテゴリに対する見方が違うのは当然のこと。
 ギーシュの両親は普通に馬鹿親みたいだし、ルイズの両親は厳しくとも優しさがある気がする。モンモランシーの両親は情報不足で不明、ルイズの使い魔のあの少年は……どうなのだろう?

 この頃、タバサは自分と他人の両親観の差異について考えることが多かった。
 きっかけとなったのは、先日の『吊られた男』の一件での、クラウダ・ド・ポワチエの行動だろう。
 タバサはクラウダと直接面識があるわけではない。それどころか、顔も知らないし、クラウダのほうではタバサの存在自体認識していないだろう。何せ、タバサはあの事件の間、ずっと気絶してた訳だし。
 衝撃的だったのは、事件の最中よりも事件の後の事……否、タバサの主観で言うならば、そちらの方こそが『事件』だったといえるだろう。

 クラウダが、左遷させられる際に父親の旧悪をばらした。
 そんな話をキュルケから聞いたとき、タバサは本当に一瞬、目を点にしたものだ。
 クラウダの左遷先は家柄に見合わぬ職だというし、ポワチエ将軍はクラウダの暴露のせいで、元帥杖への道を失った上に、将軍位の剥奪や、爵位の降下、領地の削減すら検討されているという。

 親子が憎み合う……そういう関係もありえると理屈としては理解していたつもりだった。だが、それが実際に目のまで引き起こされるとなると話は違う。実の息子を左遷する親も、親の旧悪をばらして仕返しをする息子も、双方がタバサの理解の外だった。

 きっと、クラウダと自分の親子観は大きく異なるのだろう。タバサはそう思った。その思考こそが、きっかけだった。

「あなたのお国がトリステインじゃなくて、ガリアだなんて始めて知ったわ」

 キュルケの言葉は、もはや届かない深さまで、タバサの思考は沈んでいる。
 そして、深い思考の行き着く先は、いつも同じだった。

(彼女なら……)

 キュルケなら、ルイズなら、ギーシュなら、モンモランシーなら、クラウダなら。そして、サイトなら……

(私と同じ立場に立ったら、どうするのだろう)

 その視線は本に縫い付けられているが、文字を見てはいない。自分の想像の中、予想すらできないIFの世界を見つめている。




 なぜトリステインに留学してきたのか、それを聞こうとして……キュルケは出しかけた言葉を飲み込んだ。
 タバサの手元で広げられた一冊の本。学院を出てからずっと手にしていた本が、一ページも進んでいないことに気づいたからだった。
 キュルケはそれ以上訪ねるのをやめた……よくよく考えれば、国境を越えてトリステインにやってきたのだから、並々ならぬ理由があって当然なのだ。
 事情があるのならば、いつか話してくれるだろう。今は踏み込むべきときではない。
 キュルケは口を閉じて、黙った。

 馬車の中を沈黙が被い、自然の音だけが残る。小鳥のさえずり、牛の鳴き声、風の音、馬のいななき……
 タバサは無言で本を見つめ、キュルケはゆっくりと流れる風景を見つめる。
 不自然な沈黙はあれど、それは決して悪い雰囲気ではなかった。

 ……それから二日という時間をのんびり費やし、二人はタバサの実家へと帰りついたのだが、結局、タバサの手にした本のページがめくられることはなかった。




 二人の馬車が、タバサの実家にたどり着こうとした丁度その頃……
 トリステイン魔法学院の学院長室では一人の老人が頭の痛くなる議題に直面していた。

「解除薬が作れない、じゃと?」
「……はい」

 ズォースイは直立不動で応えた。
 徹夜のせいで服も髪もよれよれなオスマンとは対照的に、ズォースイは全身きっちりと整ったものだった。徹夜したという条件は変わらないというのに……傭兵という前職を考えれば、徹夜ぐらいは何てことはないのかもしれない。

「秘薬の材料のうち、『固定解除薬』の原料はそろいましたが、『ほれ薬の解除薬』の材料がそろいませんでした」
「金がたりんかったのか」

 恐るべき可能性に思い至り、オスマンは、恐る恐るといった風情で問いただした。限界も限界、それこそへそくりまで総動員して資金を捻出したのだ。それで足が出たら手の打ちようがない。

「いえ」

 しかし、ズォースイは首を横に振って、

「足りなかったのは金ではなく、物でした」
「……? 売り切れたっちゅー事かのぉ」
「その上、入荷が絶望的だそうです」
「……詳しい話を聞かせてくれんかの」

 オスマンの目がスイィっと細くなり、ズォースイを見据える。先ほどまでの怠惰な雰囲気は霧散し、張り詰めた空気がオスマンを包んでいた。

「はい。
 足りなかったのは、『水の精霊の涙』でして……店の人間の話では、その精霊と、最近連絡が取れなくなったとの事で」
「……ふむ、成る程」

 よりにもよって水の精霊の涙……頭の痛い話だと、オスマンは思った。
 水の精霊というのは、めったに人前に姿を現さない上に、気難しく機嫌を損ねたらえらいことになる。この一件に協力しているモンモランシーの実家などは、それが原因で領地の開拓に失敗してしまったのだ。
 第一、直接交渉しようにも、精霊と人間の感覚の差から、成功する場合が極端に少ないのである。驚くほど簡単な条件で分けてくれる事もあれば、頑として譲ってくれないこともある……女心よりもなおわかりにくい。

「ガリアとの国境にある、ラグドリアン湖に住んでおる、精霊の欠片……んーーーーーむ。
 ズォースイ君、君の昔取った杵柄でどうにかならんか?」
「無理でしょう」
「じゃろうなあ」

 即答するズォースイに、オスマンはがっくりとうなだれる。聞く前からわかりきっていたことだ……傭兵がそんな馬鹿高いものに縁があるわけがない。

「ミス・ヴァリエールの姉に訴えて、アカデミーからまわしてもらったらどうでしょう」
「いや、わしも最初はそれを考えたんじゃがな……」

 どころか、秘薬の代金とかいろいろ折半して、なんていうせこいことも考えたのだが、エレオノールの返事は芳しくなかった。薬剤管理部が認めないというのである。
 そもそもアカデミーの使う薬品はその大半が超高級品で、売れば一財産というものばかりなのだ。それこそ、一生をアカデミーで働いて稼ぐよりも、2つ3つ薬を横流しした方が儲かる位だ。
 そんなアカデミーにあって、薬剤管理部の歴史は、横流し犯との戦いの歴史でもあった。

「たとえ全ての理由を正直に話したとしても……横流しと同じことになるそうじゃ。私事で王室から賜った薬剤を使用する事あたわず、とな」

 かと言って、エレオノールの実家に話を通すのも論外である。確かに揃う事は揃うだろうが、んなことした日にゃ物理的にサイトの首が飛ぶ事請け合いだ。

「なるほど……それで、今二人は?」
「眠っておるよ」

 スリープクラウドをたっぷりと吸い込んで、二人一緒にすぴょすぴょ睡眠中である。
 惚れ薬の成分が判明したからこそ可能な処置だ。そうでなければ、今日も嫁き遅れの咆哮が天を揺るがしていただろう。

「少なくとも、睡眠系統の魔法で変質することはないそうじゃ。とりあえず、夜の間は一安心じゃが……」
「まだ何か」
「うむ。ほれ、なんというか、その。あの二人、惚れ薬のせいで興奮しっぱなしじゃろ? そのせいでちと効きが悪くてのぉ」
「…………あぁ」

 ズォースイにしてはかなり間が空いた反応だった。ルイズのほうは知らないが、確かにサイトは興奮しっぱなしだった。主に股間のほうが。

「一日中眠らせておくのは不可能だそうじゃ。それに……教師や生徒の中に不審に思うものが出てきておるしな」

 いきなり姿を見なくなったと思ったら、部屋の中に教師や部外者が出入りする……そんなルイズの状況が怪しまれないわけがない。
 現に今日の昼間も、口やかましい教師の何人かが、ルイズの欠席についてオスマンに質問してきている。シエスタの話では、生徒の中にルイズの部屋を伺っているものがいたという。ルイズの状況がばれるのも、時間の問題だった。

「では」
「うむ。直接ラグドリアン湖に行って、精霊と交渉するしかあるまい」


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