ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

見えない使い魔-19

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アルビオンが消えてから数日、フーケはワルドが雇ったがあっさり死んでしまった傭兵の金で適当に町を回っていた。
しばらくは休暇、というつもりだったがそんなわけにはいかない。彼女には彼女の、盗賊行為をしなければならなかった理由があるのだ。
しかし、派手に動き回っていたらまた討伐されるかもしれないのでもっと大人しい方法で金を手に入れなければならない。
そんなわけで、彼女がとった手段は、実に真っ当な怪物退治だった。
ハルケギニアには人間、動物、それと亜人と呼ばれるものがいる。
この最後のものは知能は低いが人間より力が強く、徒党を組み、時には小さな村を滅ぼしたりする種族もいるので非常に迷惑な存在なのだ。
通常は領主が自腹を切って兵隊を出すのだが、ケチはいる。
いつか出すといっていつになっても出さず、村人が逃げ出すしかならなくなったりするのだ。そのため賞金を出してでも、近くに住み始めた亜人を倒してもらう町や村があったりする。
ちなみにどこが困ってるのかはお触れが出ているので簡単に知られる。
ある日の朝、フーケは宿屋の食堂で軽い食事を取ったあと、壁の張り紙を見た。
近隣の森でオーク鬼が住み着いている。そんなものがいくつもあった。彼女はそのうち、謝礼金が一番高いものに目を付けた。二、三人の子供がすでに食われているらしい。危急。
フーケは店員からペンを借りてその張り紙に丸印を付けた。こうすることでダブルブッキングを防ぐのだ。あとはこの村に向かい、村長などの代表と話をつける。
失敗した場合はまた新しい張り紙が張られるという仕組みになっている。
どこぞより失敬してきた馬を駆り、フーケはその村に向かった。


到着したのは正午過ぎ、被害はまだ甚大ではなく、家屋は綺麗なままだった。
だが、村は太陽の輝かしい光でも払い去ることのできない重苦しい雰囲気に包まれていた。もうこれだけでも災厄に襲われたというのがわかる。その上、村の人々はみな自分の家に隠れこんでいて誰一人出てこない。
フーケはため息をつきながら馬で村の中を進んでいき、代表者の住居らしい、一番大きな家屋の前で止まった。馬を降り、扉を叩く。
「ノックしてもしも~し。村長さ~ん、いる?」
少しして、扉が静かに開いた。中にはやつれた老婆がいた。警戒心丸出しで扉に手を掛けたままだ。
「なにようですか? 近くにオーク鬼が住み着いてますんでお嬢さんみたいなのはとっとと逃げたほうがよろしいですよ」
「そういうわけにはいかないんだよね。そのうっとおしいのを退治しにきたんだから」
フーケは懐から杖を取り出し、ひょいひょいっとまわした。メイジであるとの表現。
これで普通の平民ならばひれ伏すのだ。目の前の老婆もえらくすばやい動きで頭を下げた。フーケは彼女に尋ねた。
「それで、どこにいるの? そのオークどもは」
「はあ。この村から東に行ったら山がありまして、そのふもとにある泉の近くにきゃつらは住み着きました。ですが、その、」
「なに? どうしたんだい?」
「いえ、あなたさまはお一人で来られたのですか?」
それは、予想をしていた質問だった。オークというものは人間よりはるかに力が強く、頑強な身体を持っている。
メイジであれば一対一であればまず負けることはないが、相手の数は二桁を越えているとの話だ。詠唱中に攻撃をされるか、魔力切れにでもなればそこで終わりである。
「そんなに不安かしら」
「いえ、そうではないんです」
あれ? フーケは疑問に思った。
「さきほど、剣士さまがオークどもの住処を尋ねてきたのです。その方のお仲間だと思ったのですが、違うのですね」
「……ええ。まあ、違うわね。にしても、剣士なんだね?」
「はい。腰に剣を差していたので違いないかと」
「ふーん。ま、行ってみるさ」
フーケは老婆と別れ、その住処に向かった。


泉に着くと、フーケは周りを探った。醜悪な外見をしているオーク鬼の姿はないが、嗅ぎなれた匂いが鼻腔をくすぐった。それは血と脂が混ざり合った匂いだ。
死体を見たり作ったりしたことは何度もある。だから瞬時にそうだとわかるのだが、妙だと彼女は思った。
フライで空に浮かび、ぐるーっと森を上空から探索する。と、すぐに大きく広がっている血だまりを発見した。
それが一つであれば、老婆の言っていた剣士のものだと当たりがつくが、驚くことに二桁はあった。若干高度を下げると、豚の顔によく似た頭部も転がっている。
間違いなくオーク鬼のものだった。
これは、とんでもない腕前のやつがいるもんだねと感心していたが、もう一つ奇妙なことに気づいた。オーク鬼の体の断面が、切ってできるものではないのだ。
なんというか、潰したというのがしっくりとくる。滅茶苦茶切れ味が悪ければこうなるのもわかるが、そんな鈍らを持ち歩くような腕とは思えない。
一体何者だろうか、彼女が推理をしているとオーク鬼の鳴き声が聞こえてきた。フーケはすぐさま呪文を唱えて再び空に舞い上がり、声のした方向へ向かった。
そして、彼女が見た光景はこれまで見てきたものよりも不可思議なものだった。
まず彼女は剣士を見つけた。黒い眼鏡をかけ、深緑色のコートを羽織り、腰には剣を差している。しかし、抜いてはいない。手ぶらのままだ。
彼の前方にはオークが三体いる。だが、うち傷だらけの一体、A、は背を向け、仲間B、Cと対面している。そして、Aは手に持っていた棍棒でBに殴りかかったではないか。
Bは肉体からは想像のできない俊敏な動きでそれを避けるが、それにも勝る動きでAは追いすがり、再度棍棒を振るった。しかし、背後からCに攻撃を食らいばったりと倒れてしまった。
そこからはBとCのたこ殴り。Aはすぐさまミンチにされ、息絶えた。

BとCは興奮していたために気づいていなかった。Aが攻撃された際、口からひも状の何かがずるりと抜けていったことに。二体のオーク鬼は息を荒くして剣士を睨んだ。
Aにこういう行動を取らせたのがそいつだとわかっているからであろう。フーケは、いよいよ抜くのか、と、期待したが、男は一切剣に手を触れることはなかった。
ポケットからさくらんぼを出して、レロレロと舌の上で転がし始めた。挑発しているのだった。
オークたちは激昂し、男に走っていった。しかし、目の前に奇妙な人のようなものが浮かび上がり足を止めてしまった。
それは緑色のなにか、人の形ではあるが、人間ではない。
質感からしてゴーレムでもない。得体の知れない何か、若干透けていることから像とも呼べる。
フーケは興味の視線をそこに向けていた。
これから何が起こるのか、子供みたいにわくわくしていたのだ。
緑の何かが手を胸の前で合わせた。その中央に、宝石のようなものが出現する。
そして、打ち出した。
オーク鬼たちはその銃弾のようなものを無数に食らい、背後に吹っ飛んだ。だが威力はさほど大きくはないようで、血だらけになりながらもオーク鬼は起き上がった。
加勢してやろうかしら、そうフーケが考えたがその必要はなかった。またしても宝石をその緑の何かは打ち出したのだ。
今度は頭に集中的に食らい、脳漿を巻き散らかして死亡した。もう一体も同じ末路をたどる。
なんともあっけないことに、剣士は村人を苦しめていたオーク鬼を一掃してしまったのだった。
フーケは迷ったが、男の目前に降りた。文句もあることなので話をしてみる。


「あんた、ちょっといいかい?」
「ああ。いいよ。なにかなメイジの人」
男はさして動揺した様子はなかった。フーケが覗いていたことに気づいていたのだろう。
「さっき、オークになにをやったんだい? 緑色の何かが宝石みたいなものを打ち出していたけど」
「まあ、ちょっとした技みたいなものかな。魔法ではないよ。あれは僕の使い魔というか友達みたいなものだけどね」
「ふーん」
フーケはじろじろと男を舐めるように見つめた。上から下、どこをみても杖を持ってはいない。となると、メイジではないということだ。
詠唱を唱えていなかったことからもそう推測できる。
「念のために確かめるけど、村の依頼でこいつらを片付けに来たんだよね」
「そうですが?」
「あんた、マナーを知らないの? 印をつけてなさいよ。被っちゃったじゃない」
「それはすみません。なにぶん、最近こういうことを始めたもので。文字はなんとか読めるようになったんですが」
フーケは考える。最近始めたというのはどうでもいい。それよりも文字をなんとか読めるようになった、この点だ。
体格や顔つきからして青年、二十を越えていると思われる。それなのに、文字を読めなかったとはどういうことだ。まともな教育を受けていなければそういうこともあるが、彼の服装やたたずまいからしてそこらの農家の息子とは考えられない。それに身にまとう雰囲気、物静かではあるが奥に潜む気高さは隠せない。貴族ではなく戦士だ。
「ま、いいわ。とりあえず村に戻ったら? オーク鬼も片付けたんだから」
「いや、まだ終わってはいない。親分が残っています」
「親分?」


男は緑色の人を出した。
「このオーク鬼どもも、風雨を凌ぐ必要がある。洞窟。そこにまだ何体か残っています」
「へえ。まあそうだわね。んじゃあそこへ行くか。案内しておくれ」
「あなたも来るんですか?」
「そりゃあね。このままあんたに任せてもいいけど、それだとここまで来た意味がなくなっちまうんだよ。誰かさんが決まりごとを守ってくれなかったんでね」
フーケの言い分を男は聞き入れ、案内を始めた。距離はそうなく、すぐに二人はその洞窟にたどり着いた。中からは独特の腐臭が漂ってきている。
獲物をここで食い散らかし、死骸をほったらかしにしているのだろう。
フーケは脳裏に、子供が食われている場面を想像して胸糞悪くなった。
そりゃあ、こいつらだって生物なのだ。生きるためには飯を食わなければならない。
それがたまたま人間だっただけ。自然の摂理といえばそこまでだが、それでも嫌なものは嫌なのだ。
「そんじゃあ退治を始めようじゃないか。あたしがやってもいいかい?」
「どうぞ。油断をしないように」
「わかってる。女だてらに経験はあるんだ」
フーケはまず、人間大のゴーレムを作り出して中へ向かわせた。戦えば簡単にやられてしまうだろう。案の定、フーケはゴーレムが破壊されたことをすぐさま察した。
しかし、これで目的は達せられた。
あとは、仕上げだけだ。


中から豚に似た鳴き声とともにオーク鬼がやってきた。複数、ゴーレムをけしかけてきたメイジをぶち殺すため。だが、彼らの目の前には広い空間があるだけだった。
メイジはいない。どこだ、と、彼らが首を回し探し始めていると、大きな拳で叩き潰された。
赤と黒と透明な液体が飛び散った。即死。
地響きを聞き、さらに奥からオーク鬼がやってくる。それらも続々とゴーレムの拳に圧殺されていった。

フーケは、オーク鬼がやってこなくなったので、最後に洞窟を埋めることにした。最初からこれをやってもよかったのだが、馬鹿力を使って掘削作業を始めることもある。数をだいぶ減らす必要があったのだ。
「見事。あなたはメイジでもなかなかの実力者のようですね」
「まあね。これでもトライアングルなんだよ」
「トライアングル?」
「強さの基準だよ。ドット、ライン、トライアングル、スクウェア、その順番だ。あんたはそんなのも知らないの?」
男は肯定した。
本当に奇妙な男だ。魔法と縁も所縁もなければ知らなくても当然ではあるが、彼は妙に戦いなれている。これほどの力があれば傭兵になったりしたこともあるのではないか。彼女はそう思っている。
「まあ、とにかく村に戻るかい。金を払ってもらう必要があるからね」
「分け前はどうします?」
「五分五分ってことにしたいけどほとんどあんたがやってくれたからねえ。六:四でいいさ」


村に戻り、フーケと男は金銭を受け取り、それだけでなく瑞々しい果実も渡された。
お礼の気持ちだと、オーク鬼に息子を殺された夫婦からのものだった。旅をしていると保存食料ばかりになるので、こういうものは非常にありがたい。
男と分け合い、お互い馬に乗って村を離れていった。
「あんた、これからどうするんだい?」
フーケがさくらんぼを食べている男に尋ねた。どうやら好物らしく、レロレロと舌の上で転ばせていた。
「ん……そうだな、特になにもありません。目的はあっても、当てはないんです」
「目的?」
「帰郷です。僕は、信じられないでしょうけどこことは違う世界から来たんです」
男は空を見上げた。青い空に、薄っすらと白い二つの月があった。
「ふーん。じゃあ、どうやってこの世界に来たんだい。まさか知らないのかい?」
「知りませんね。気づいたらここにいたんです。最初はあの世とさえ思ったものです。なにせ、死ぬほどの怪我をしていましたから」
「あんたが? まだ戦いなれていなかったとかで?」
「いえ、相手が強力すぎました。時間を止める能力を持っていたもので」
フーケは信じられない、といった視線で男を見つめた。彼もそれに気づいた、
と、再び緑色の人型をした像を出現させた。
「これはスタンド。名前は『法王の緑―ハイエロファント・グリーン』です。あなたも見たでしょうが、さっきの宝石を撃ちだす技や身体をひも状にして生物の体内に潜り込むことができます。
仲間には考えを読み取ることができる人、炎を操る人、尋常ならざるパワーとスピードをもったやつ、様々です」


なんと荒唐無稽な話だろうか、とはフーケは思わなかった。
世の中には人知を超えたやつがいる。それに彼の話に出てきた、炎を操る人物が気になった。そんなやつがいるのなら、逆の場合もありえるのではないか?
「あんたさ、戦った連中はその時間を止めることができるやつだけなの?」
「いや、違います。その男にはたくさんの部下がいました。夢を操るやつ、ギャンブルをして敗北者から魂を抜き取るやつと。中でも一番印象深かったのは、水を操る男でしたね」
フーケは心臓が飛び跳ねてしまいそうだった。やはり、そうなのだろうか。
二人は面識があるというのか。
「どうして、印象深かったんだい?」
「誇り高かったからと、それと、」
男は黒のメガネを外した。両目に複数の傷があった。
「こんなものを残してくれましたから。仲間がいなかったら、僕は殺されていたでしょう」
「へえ。そいつってどんな名前だったの?」
「たしか、ンドゥール」
やはり、そうだった。人差し指を奪ったあの使い魔とこの男とは繋がりがあった。

フーケは考える。ンドゥールのことはもう憎んではいない。かといって忘れ去ることができたわけではない。
どういうわけか別れてから日増しに彼の顔を思い出す回数が増えてきていた。できたらもう一度顔を合わせてみたい。
なぜそんなことを思うのか、おそらくそうすることで自身の感情に気づくことができる。とはいえ、学院に出向いてしまえば捕まってしまう。
お尋ね者なのだから。
そこに現れたこの男、こいつとンドゥールには因縁がある。その、運命ともいうべきものに身を任せていたらいつか、また、相まみえることができるかもしれない。
「ねえ、ちょっと話があんだけどさ」
「なにかな?」
「あんたさ、あたしと一緒に仕事してみないかい? 地理とか詳しくないんだろ?」
男はメガネを掛け直し、尋ねた。
「それはありがたいことですが、理由がわからない。あなたにとってメリットがないように思えます」
「そんなことはないさ。あんたのその、スタンド。それのことを知りたいのさ。詳しくね。ま、好奇心さ」
「好奇心は猫を殺す、とも言いますが。まあいいでしょう。これからよろしくお願いします。それで、なんと呼べばいいんですか? メイジの人」
「そうだねえ」
フーケ、と呼ばれるわけにはいかない。ロングビルも偽名として使っていたことで知っているやつはいる。ならば、一つしかない。
「マチルダ。そう呼びな。で、あんたの名前は?」
「花京院。花京院典明」
「それじゃあ、ノリアキ。これからよろしく頼むわね」


フーケ、もといマチルダが花京院という旅の仲間を得てから数日が経った。
短い間だが、彼女は彼を信用できる人物だと評価した。ワルドのように、己のためだけに行動する悪人ではない。直感といわれればその通りではあったが、それでも経験という裏打ちがある。マチルダはアルビオンを追い出され、ある理由で金を稼ぐことをしていた。
最初はそれこそ食堂や酒場の給仕だったがそんなものではとても足りず、そのため盗賊に身をやつしていた。どこぞの屋敷に潜伏することもあった。
そこでは身体を求めてくる男もいた。偶然自分がメイジだと知った人物は、あくどい取引を持ちかけてきたりもした。ひどい目に遭ったことは一度や二度ではない。
そのたび意地と誇りで乗り越えてきた。
だから、わかる。花京院は悪人とは程遠い性質の男だと。なおかつそこらにいる高慢な貴族とも、卑屈な平民とも違う。理不尽が存在する世界と対等に戦おうとする高潔な精神を持っている。
それがゆえに、恐ろしいとも感じた。
死ぬときはあっさり死ぬのだこういうやつは。
「飲まないんですか?」
「いいや、飲むさ。ただ考え事をしていただけだよ」
マチルダは目の前のジョッキを煽った。度数のきつい酒を一気に嚥下する。
大きくゲップをする。
「あんたこそ飲まないのかい?」
「僕は遠慮しておきますよ。故郷だと二十にならないと酒はだめでしたので」
「なんだいつまらないね。ま、あたしもへべれけになって食われちゃたまらないから程ほどにしとくけど」
そう言ってジョッキを下ろし、店員につまみを頼んだ。盛況なため時間は掛かる。
来るまでゆっくり待とうと彼女が背筋を伸ばしたとき、食堂の扉がけたたましく開かれた。


客も店員も扉を見た。入ってきたのは、まだ年端もいかない男の子だった。少年は店内を見回し、ぴたりとマチルダの席で視線を止めた。
「なんだろうね」
マチルダが花京院に尋ねる。
「わかりませんよ」
花京院が答える。
少年は荒い息のまま二人に近づいてきた。そして、両手をテーブルにたたきつけた。
「なんだい坊や」
「あ~……あなたた、ちい~………」
花京院が水を出した。少年はそれをぐっぐと飲み干し、二人を睨むほど目を尖らせて言った。
「あの、あなたたちに、是非ともお願いがあるんです! 聞いてください!」
「……そうだね。言ってみなよ」
そう尋ねると、少年は周囲を見回した。
「ここではちょっと、その、できません」
「ふうん」
マチルダは立ち上がり、店員に金貨を放った。
「ま、部屋で話そうじゃないか。ノリアキ、行くよ」
「はい」
少年は瞳を子供らしく、らんらんと輝かせた。


マチルダの部屋に着くと、少年がまずどこから来たのか尋ねた。なんでも、彼は以前亜人を退治した村の一人であるらしい。小声で用件を話し始める。
「俺の村、実は亜人が住み始めたとき、すぐに領主になんとかしてくれって請願したんだ。だけど、あの領主は金がもったいないからって、兵隊なんか送っちゃこなかった。それで、もう逃げるしかないって時に、あなたたちが倒してくれたおかげで、生活に不安はなくなったんだ。けど、」
「けど?」
「その、亜人がいなくなってから、領主のやつがやってきたんだ。
よくわからないけど、視察だとかいってた」
マチルダは、なんとなく彼が抱えていることに気づいた。
それでも最後まで聞く。
「あいつは、領主は一通り村の中を回った後、俺の家に来て、姉ちゃんを差し出せっていったんだ」
「正確に言えば、奉公に来いっていったんだろ?」
「うん。でも、俺、聞いちまったんだ。あの領主のところにいった女の人は、誰一人帰ってこないって。だから、」
「だから、あたしたちにその領主から姉ちゃんを助け出してくれ。こういいたいのかい?」
少年は大きくうなずいた。マチルダは、しゃがみこんで少年と視線を合わせた。
「いいかい。仮にその領主の話が本当で、あんたの姉さんが二度と帰ってこないとする。
それで、なんであたしらが行かなくちゃならないんだ」
「お金なら払う! あいつが、姉ちゃんと引き換えに置いていった金貨があるから!」
「いくらだい?」
「エキュー金貨で十枚!」
「足りやしないよ。全然足りやしない」
少年の瞳が潤み出した。水が流れる。
「いいかい坊や。この国でメイジに逆らうってことがどうなるか、わからないほど馬鹿じゃないだろ。大体その領主の館だって警備はしっかりしてるから命の危険だってある。
仮に成功して、上手く逃げおおせてもあたしらはお尋ね者になって国を追われちまう。
もうここじゃあ生きていけない」
「な、なんでもする! 俺が全部けしかけたんだって言えば――」
「馬鹿言ってんじゃないよ!」
マチルダの一喝で空気が震えた。
「あんたみたいな子供の言い分なんか誰が聞くもんかね。笑われるのがオチさ。
それにね、なんでもするって言ったね。あんた、なんにもできないからあたしらに頼みにきたんだろ。大事な姉さんを助けることができないから、自分が無力だから、ガキだから!」
「マチルダ」
花京院が肩を叩いた。彼女はようやく興奮していたことに気づき、少年の顔を見た。
涙と悔しさ、無力さでくしゃくしゃになっていた。
懐からハンカチを取り出し顔を拭いてやる。
「あのね、坊や。あたしらは正義の味方でもなんでもないんだよ。世の中にはそんなのいやしない。救いが欲しかったら、自分が救わなくちゃならないんだ」
そう言って、マチルダは少年の手を握った。真っ黒に日焼けしてまだ幼いのに関節は節くれだち、肉刺もつぶれている。ところどころ皮もはげていた。
彼は、いや、彼が住む村の人々は毎日毎日懸命に生きていただけだろう。
気まぐれな天気に悩まされ、虫に果実を食われないように注意をする。
大収穫の年もあれば不作の年もあっただろう。飢饉だってあっただろう。それでもひたすら生きるために農耕に精を出していた。それだけなのに、亜人の恐怖に曝され、絶対的上位に位置するくそ貴族に家族を奪われていく。
まじめに、ただまじめに生きていただけなのに、不幸は襲ってくる。
世界は理不尽だ。
くそったれだ。
「坊や。お家に帰りな」
「そんな――」
「帰るんだよ。残念だけど、あたしらはなんの力にもなれやしないんだ」

少年が宿を去ってしばらくしてから、マチルダは部屋を抜け出した。代金を布団に置き、地上にレビテーションで降り立つ。そして音を出さないように厩舎に入って自分の馬を連れ出し、町を出た。
空を見上げると二つの月が輝いていた。昔、彼女が少女だったころ、助けをあれに求めたことがあった。もちろんなんの返事も返ってこなかった。
残酷な現実が襲ってきたのだ。
「なにしんみりしてんのかしらね。あたしは」
馬を走らせながらぼやいた。誰に言うでもない。自分に向けての質問だったのだが、答えが真後ろから返ってきた。
「わかりません」
マチルダはぎょっとして後ろを振り向いた。半馬身ほど遅れて花京院が走ってきていたのだった。考え事に集中していたあまりに蹄の音に気づけなかったとは。
馬の速度を少しずつ落とし、花京院に尋ねる。
「あんた、あたしがこれからどこへ行くかわかってんのかい?」
「ええ。わかっています。領主の館に向かうのでしょう?」
「……そうだよ」
舌打ちをした。なぜ数時間悩みまくった答えを見抜かれているんだか、はなはだ不可解なことだった。
「悔しそうな顔をしてましたからね。あんな顔をするのはいい人ですよ」
悔しくなるほど嬉しそうに笑っていた。マチルダはぷいと顔を逸らす。
「あたしゃ、結構悪いことしてるんだけど」
「悪いことをするから悪人ではないでしょう。罪人ではありますけど。僕の友達に教師を脅かしたり食い逃げしたりするやつがいましたけど、そいつはいいやつでした」
「いまからするのはそんなもんじゃないんだけどね」

夜明け近くになると二人は森に入り、休息を取った。別にそのまま走り続けていてもよかったのだが、先に馬のほうが限界になった。睡眠中をたたき起こされたので疲労がたまっているのだ。
マチルダは適当なところにマントを敷き、その上にごろんと寝転がった。さっきまでは存在してなかった睡魔がにじり寄ってきている。
寝ると決めればすぐに眠れるようになったのは便利なことだった。もういい年だからこれは重要なこと。
滲む視界の端に花京院がいる。寝付く前にたずねることにした。
「あんた、抵抗ないの? これからするのは押し込み強盗みたいなもんなんだよ?」
「常識的には許されることじゃない。けども、圧倒的強者が弱者を踏みにじることも許されることじゃないでしょう。僕の友達なら、むしろ進んで殴りこみにいきますね。
僕も一緒にいきますが」
「ぶっ飛んでるわね」
「同感です」
花京院の笑いを耳にし、マチルダは眠った。
古い夢を見る。いまだアルビオンの貴族であった夢。
母に甘えていただけの夢。蝶を追いかけ回していた夢。
それを、一歩引いた視線で見ている。
このときは想像もしていなかった。全てが変わるとは。


目覚めたとき、まだ太陽は真上にあった。マチルダは身体を起こし、固まった筋肉をほぐした。首を回すと花京院がスープを作っていた。
彼女が目を擦り、近づいて中身を見ると野菜や肉が詰め込まれている。
「なんだいこれ?」
「寄せ鍋です。そこらに生えていた野草と、ウサギの肉を煮込んだだけ。調味料は入ってますけどね」
「毒草はないよね」
「ありません」
器に盛ってもらい、マチルダは受け取った。食べてみると珍しい味だが、まずくはない。むしろ美味かった。マチルダが野宿で料理をせずにすんだのは初めての経験。誰かとともに旅をするというのも初めてか。
食べ終えた後に水を飲み、腹をこなすと馬に乗り、二人して領主の館に出発した。

絢爛豪華な館、門柱も立派なものだ。細かい銀細工が施されている。よく磨かれており、夕日の赤い光がきらきらと反射していた。
そこへ、一台の馬車がやってきた。二頭の白馬に引かれ、手綱を握っているのは黒尽くめの御者だ。窓はあるが、カーテンが引かれているため中のものが外を覗けないようになっていた。
鉄門が開かれ、馬車は敷地に入っていった。マチルダと花京院はその様子を物陰に隠れて見ていた。
「いつ行動を起こしましょうか」
「夜だね。別にあそこにいる子だけを助けるのならいまでもいいんだけど、たぶん被害者はまだ館の中に残ってる。全員を助けないと意味がないからそれまでは調査だね」
マチルダは杖を振り、地面から小さなゴーレムを生み出した。手の平サイズのそれはとことこと塀に近づき、見掛けからは想像できない握力で上っていった。そして、中に入るが、
「チッ」
「どうしました?」
「犬型のガーゴイルがいるね。生物か魔力をこめられたものを自動的に襲っているみたいだ。
これじゃあ調査ができないよ」
「なら、僕がやりましょう」
花京院は『法王の緑』を出現させた。
「あんた聞いてなかったのかい? 魔力に感知するんだからそれでも結果は同じだよ」
「いえ、これは魔法じゃないんです。だから大丈夫だと思いますよ。それにいざ狙われたら消せばすむことです」
そう言って彼はスタンドを向かわせた。
ひゅるひゅるとひも状になり、物陰から中に入っていった。花京院の推測は当たっていた
ようで、ガーゴイルの足音は聞こえてこない。少し時間が経過すると、花京院はスタンドを消した。
「どうだい?」
「……衛兵は数名いますが、むしろガーゴイルというやつの数が多いです。射程距離の問題で深く潜ることができなくて、すいません」
「かまわないさ。で、女の姿はあったかい?」
「……ありません。キッチンにも潜り込ませましたが、それも男でした」


なるほどね。マチルダは奥歯をかみ締めた。多くの奉公人を集めておきながら女性は誰一人見えなくなっているということはどこぞに監禁されている可能性が高い。おそらく人目につかない地下。
「ノリアキ、やりかたは決まったよ」
マチルダは杖を一振り。地面に穴を開けて花京院ともぐる。
「なるほど。ガーゴイルもモグラなんかにまで反応するわけにはいきませんからね」
「そう。抜け穴ってのはあるもんなのさ」
マチルダは崩落が起こらないように天井を鉄に変えて補強していく。そうしてゆっくりと館の真下に近づいていった。
やがて、二人の目前に大理石の壁が現れた。マチルダは耳を当て、拳でドン、と、叩く。
音の響きで中が空洞か、それとも違うかを調べるのだ。
まるであの男みたいだ、と、マチルダは思った。
「ここ、なんかの部屋だわね。入るよ」
「わかった」
花京院がスタンドを出現させたことを確認し、魔法を唱えた。たちまち壁の一部が砂になり、人が一人通れるほどの穴が開いた。と、二人の鼻に吐き気をもよおす悪臭が漂ってきたではないか。
マチルダは、次に現れる光景を想像しながら、歩み入った。まさしく、予想していた通りだった。
そこにあったのは、人の群れ。一人ではなく、十を越えている。それも全て裸の女。やせ細り、瞳はくぼみ、唇や髪からは水分が失われていた。
無傷のものは一人もおらず、細かな傷が幾重にもつけられていた。何度も責め苦を与えられていたのだろう。心はとうに擦り切れ、意識はあるものの彼女らに視線を向けるものはほとんどいない。
生かされているだけ、殺しはしていない。
コレクションだ。
マチルダの心は震えた。表と裏、国に尽くし、平民を守ろうとするものがいれば逆のものもいる。
世界各国、こういう連中はどこにでもいる。特別なことではない。特別なことではないからこそ、腸が煮えくり返る。なぜ悪が栄える。なぜ善が虐げられる。
「花京院……頼むわ。この子達を外に連れ出して」
「わかった。あなたはどうする?」
「ここで、報いを受けさせる」
マチルダの声は静かだった。静かであるからこそ、その怒りは空気中によく浸透した。
土の系統でありながら、心は燃えていた。地獄の業火が暴れていた。


音のよく響く地下の廊下を男、モット伯が歩んでいる。肥え太った身体。
服は着ておらず、杖を差した黒光りしているパンツだけを身に着けている。
おかげで白豚のような肉体が露になっていた。
彼の後ろには、一人の少女が付き従っていた。彼女は衣服、下着すら身に付けていない。しかし、彼女はかわいらしい顔に華やかな笑みを浮かべていた。もちろん喜んでいるわけではない。『魅了』をかけられているのだ。
そのため彼女は恥辱を感じることなく、透き通るような肌や淡い茂み、膨らみ始めた柔らかな胸を晒していられるのだ。
「ここだ」
モット伯は廊下の行き止まりにある扉を開いた。後ろの少女を中に入るように促し、自身も一緒に入った。中は彼に痛めつけられ、張り裂けんばかりの悲鳴を上げていた女性の成れの果てがいる。反応をしなくなれば、その都度彼は新たに女性を花のように摘んでくる。殺していないのは常人であれば鼻を曲げたくなる悪臭、この男にとってはどのような香水にも勝る甘美な香りのもとである排泄物を出させるためだ。
男は杖を抜き取り『魅了』を解く。少女の顔は寝起きのようにぼんやりとしていたが、ゆっくりと目の前のモット伯に焦点を合わせた。
そしてすぐに一糸纏わぬ己の姿に気づく。
「―――イヤアアア!」
両腕で自身を抱きしめてしゃがみこむ。次に悪臭に気づき、周りの女たちを目にした。
かわいらしい顔が恐怖に歪む。モット伯は下品な笑みを浮かべていた。
「どうした。先輩たちにあいさつをしないといけないだろ」
「そ、そんな、こんなのって………」
声が震えていた。周りの女たちが心を破壊されているのは一目瞭然だった。虚ろな視線を向けるもの、ピクリとも動かないもの、死人ではないだけ。
「さあ、私のために泣いておくれ。心を奮わせる歌を歌ってくれ」
彼が腕を掲げた。


モット伯は詠唱を始めた。目の前の可憐な少女からの叫びを心から期待し、いざ魔法を使おうとした。が、杖がひょいっと奪われてしまった。
「ああ?」
背後を見た。そこに、見知らぬ女がいた。
彼は疑問に思う。自分はこんな女を買ってはいない。好みは成長期に入りかけた年頃なのだ。こんなすでに熟してしまった女は必要ない。まて、それよりもなんでこの女は服を着てるんだ。
「貴族様。あたしはさあ、別に正義の味方ってわけじゃないんだよ」
突如女が語りだした。いきなりなんなんだ。
「でもさあ、こんなくそったれな悪行を見過ごせるほど人でなしでもないんだよ」
女は歩み寄り、股間を蹴り上げた。モット伯は激痛に悶え、地面を転げまわった。
少女はこの豹変した事態を喜べばいいのか、わからなくなっていた。
「これを羽織っておきな」
女はマントを少女に渡し、ゆるりと無表情のままモット伯に近づき、顔を蹴っ飛ばした。歯が飛んだ。
「さて、耳が腐るような悲鳴を上げられて気分を害しちまったね。黙りな」
喉仏を爪先で潰す。余計大きな悲鳴が上がった。彼は一方的に与えていた恐怖を、逆に与えられる立場となった。
「醜いったらありゃしないね。あとは、あんたたちがやっちまいな」

あんたたちとは誰のことだ。モット伯は痛みに苦しみながらも考えることができた。
考え、考え、答えは出なかった。それでも知ることはできた。女の言うあんたたちに殴られたからだ。
ひい、と怯えて周りを見るとなんと自分がとことん破壊した女どもがこちらへ虚ろな眼球を向けているではないか。
使い物にならなくなったというのに、なぜこんな気力がある。
彼の首が後ろから締め付けられる。それを振りほどくも、今度は前から左右から女の手が伸びてくる。鈍重な動きであることが余計に恐怖を掻きたてた。
まるでアンデッドだ。
女のような悲鳴をあげ、彼は必死の形相で部屋を飛び出していった。赤絨毯の廊下を犬のように四足で這っていく。やがて階段に着き、必死で登ったら金で雇った衛士を見つけることができた。息も絶え絶えに彼はそいつに今起こったことを話して地下に向かえと命令したが、動こうとはしなかった。顔を向けず、じっと外を見ていた。モット伯が激昂して掴みかかろうとした瞬間、二の腕に鋭い痛みを加えられた。
ナイフで切られたのだ。
いま、彼の目の前に衛士の顔が映った。
黄土色の粘土でこねられた顔だった。
「ゴゴ、ゴーレムか!」
「その通りだよ」
けつを蹴られた。

モット伯は強烈な痛みに飛び上がり、尻を押さえながら振り向いた。女がいた。
己の杖を取り上げた女が。よくよく目を凝らすと、どこぞで見たような顔だった。
というよりも、誰かの特徴と一致しているのだ。モット伯は思考を巡らし、ようやく彼女の右の人差し指が欠損していることに気づいた。
それは絶望を意味していた。
「つつ、つつつ、『土くれ』のフーケ!?」
「大正解だよ!」
女、フーケは衛士の服を着たゴーレムからナイフを奪い、モット伯の足に投げつけた。太腿に深く刺さる。
「痛いいいい! なんで、どうして!?」
「言ったはずだよ。あたしゃ、正義の味方でもなんでもないけど、人でなしでもないってね」
フーケの瞳には炎と氷があった。焼き尽くされてしまいそうな炎の怒り、覆ることはない、絶対零度の意思。明確な殺意。
モット伯は理解する。己の死が間近に迫っていることを。
「ガガ、ガーゴイル!」
叫んでも返事はない。青銅の犬の足音は聞こえてこない。
「あたしの仲間がやっておいてくれたよ。さあ、仕上げだ」
フーケはパチン、と、指を鳴らした。
途端、館が火に包まれた。外の塀も中庭も、赤一色の世界が出来上がった。
「ここ、こんなことをして、一体お前になんの利益があるんだ! お前は盗賊だろ!」
「少なくとも、腹の虫は治まるね」
そう言って杖を振るうと、彼女のゴーレムがモット伯を抱え上げ、歩き出した。
行く先は地下である。
「よ、よせ! 助けてくれ! 金を払う! 二度とこんなこともしない! だから、だから、命だけは!」
「駄目だね。どんだけ詫びてもあの子達の心は戻ってこない。だから、」
フーケは恐ろしく冷たい声で命令した。
「地獄で詫び続けな」
「待て! 待って! まってくれ! たすけて! いのちだけは――」
モット伯の声は止んだ。
轟々と燃え盛る館の中、フーケ、マチルダはため息をついた。


一夜明けた朝、マチルダと花京院は館に勤めていた衛士、それと料理人などに向けてこう脅した。
「この子達を元々住んでいた村に戻しな。もし、どっかで売ったり捨てたりして家に帰れなかったら、あんたたちを殺しに行くからね。それもただ殺すだけじゃない。
指を潰し、腕を潰し、足を潰し、性器を切り取って亜人に食わせてやるからね。肝に銘じな」
全員がその言葉にはい、と、うなずいた。
なにしろ相手は大盗賊である『土くれ』のフーケ。逆らおうはずもなかった。
幽閉されていた女子たちは館に連れてこられたときの服を着込み、予め盗んでいた馬車三台にバラバラに乗り込んだ。足も弱っており、精神も壊されていたためそれだけでさえ難儀なことだった。
「じゃあいきな。くれぐれも、事故を起こすんじゃないよ」
「はい!」
馬車が順に出発していった。マチルダと花京院がそれを眺めていると、一番後方の馬車の窓が開き、少女が顔を出した。彼女はなにがしかの言葉を大きな声で言い、頭を下げた。マチルダは小さく手を振った。
彼らの視線の先にあるものが広い草原だけになってから、マチルダは花京院に尋ねた。
「あんた、これでよかったと思うかい?」
「と、言うと?」
「あの子達、村に戻ったところでどうにもなんないわ。同情はされるだろうけどすぐに厄介者扱いにされるかもしれない。そうでなくても心がまともになるのにどれだけかかるかわかったもんじゃないわ」
殺してやったほうが、あの子達のためだったかもしれない。世の中はまこと理不尽でくそったれ。
マチルダは髪をかきあげた。風になびいた。左手の薬指にあるルビーが朝日を反射する。
「ねえ、ノリアキ。どうなの?」
花京院は答えた。
「わかりません」
「ずるいわね」
「ですが、彼女たちには無数の選択肢が生まれました。これから生きていくのは困難でしょうが、それでも未来があります。それを与えたあなたは、立派なことをしたと僕は思いますよ」
マチルダは小さく笑い、言ってやった。
「あんたもでしょ。それは」

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