ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

サブ・ゼロの使い魔-46

最終更新:

familiar_spirit

- view
だれでも歓迎! 編集
「なるほど、事態は把握したよ」
シルフィードの背中、身元を隠す黒いローブの下でギーシュは頷いた。
その隣で、同じくタバサが頷く。双月の光が降り注ぐ夜空を、ルイズ達は
モット伯の屋敷へと飛んでいた。
「だけどどうするんだい?」
「止めるの」
「・・・止める?何をだね?」
「ギアッチョをよ」
「・・・何だって?」
意味がよく分からず、ギーシュはぽかんとした顔でルイズを見る。
少し俯いた顔で、ルイズは話し始めた。

「・・・そういうことなら、協力しないわけにはいかないね」
ルイズの説明に、ギーシュは納得したという顔で答える。
それを受けて、しかしルイズは「だけど」と返した。
「今回のことは冗談じゃ済まないわ 最悪の場合、あんた達の
家名にまで係わることになる・・・無理をする必要は、」
ルイズの言葉を遮って、彼女の頭にぽんと掌が乗せられる。
「それで、私達が帰ると思ってるわけ?」
「・・・キュルケ」
ルイズの頭をぐりぐりと撫でながら、キュルケは一見皮肉めいた
笑みを見せる。
「あなた達を助けるって『覚悟』してるから皆ここにいるんでしょう?
いらない思量はしなくていいの」
ギーシュとタバサは片や鷹揚に、片や静かに頷いた。ルイズはそれを見て、
「・・・・・・うん」
少し恥ずかしげに――しかし満面の笑みを浮かべた。
――あ・・・
キュルケは気付く。この少女は、こんなにも綺麗に笑うことが出来たの
だと。もう二度と、この子の笑顔を裏切りはしない。言葉にこそしないが
――それはキュルケだけではない、この場の全員の決意であった。

地図を頼りに森を行くギアッチョの眼前に、大きな屋敷が姿を現した。
「おう、旦那 どうやらここみてーだぜ」
「ほぉ こりゃまた大層なお屋敷じゃあねーか」
夢に出てきたあの屋敷よりは幾分小さいが、と心の中でどうでもいい
ことを付け足すギアッチョにデルフリンガーは一つ疑問を投げかける。
「しかし旦那、具体的にはどうするんだ?嬢ちゃん掻っ攫ってとんずら
っつーわけにもいくめぇ この警備じゃあよ」
木陰から伺えば、確かに門前と庭内には数人の衛兵。そして彼らと
共に、蝙蝠のような翼を生やした犬という悪魔合体の産物の如き
生き物が数体庭を闊歩している。それらをちらりと一瞥して、
ギアッチョは詰まらなさそうに息を吐いた。
「奴らを排除してモットの野郎を殺す それで仕舞いだ」
「・・・そうかい ま、俺ァ人殺しの道具だ とやかくは言わねーよ」
「・・・とやかく言いたいことがあるってわけか?」
「いんや、俺ァ旦那の相棒だかんな ――ただ、ま・・・
ルイズは悲しむんじゃねーかと思ってよ」
「・・・・・・」
呟くようなデルフの声で――ギアッチョの口は数秒動きを止めた。
「チッ・・・」
何故か脳裏をよぎったルイズの泣き顔を掻き消そうと一つ舌打ちして、
ギアッチョは無理矢理に言葉を吐いた。
「・・・それだけか?言いたいことはよォォーー」
人の身であったならば溜息の一つもついただろう。それが敵わぬ
デルフリンガーは、ただ淡々と質問を続ける。
「いや、もう一つ スタンド・・・だったよな そいつを使う力、
もう殆ど残ってねぇんだろ?大丈夫なのかと思ってよ」
そう。確かに自分のスタンドパワーは今にも底をつこうとしている。
誰にも言いはしないが、少しでも気を緩めようものならがくりと
膝を落としてしまいそうだった。彼の心身は、今それ程までに
疲弊しているのである。しかし、
「問題はねえ」
ギアッチョがそれ以外の言葉を口にすることなど有り得なかった。
「旦那・・・」
納得し兼ねるといった声を出すデルフに目を向けて、ギアッチョは
面倒臭そうに言葉を継ぐ。
「オレの目的はあくまでシエスタとモットだ 雑魚共をいちいち
相手にしてる程暇じゃあねーぜ ・・・そもそもだ、わざわざ
スタンドを出すまでもなくこっちにはてめーがいるんだからな」
「へ?・・・お、おおよ」
いきなりの不意打ちに、デルフリンガーは少々上擦った声を上げた。
考えてみれば、ギアッチョが己への信頼をこうして言葉にしたのは
初めてのことなのである。力の化身のようなこの男が口にした
信頼の言葉に、デルフリンガーは密かに感動していた。
喋れるように鞘から少し露出させていた刀身をすらりと引き抜いて、
ギアッチョはその心中も知らず彼を無造作に肩に担ぐ。隠れていた
木陰から数歩歩み出て、不機嫌そうな顔のまま口を開いた。
「行くぜオンボロ」
「任しとけ・・・ってうぉい!結局オンボロ呼ばわりかよ!」

それは、彼女のような平民は眼にしたこともないような巨大な
浴場だった。モット伯の邸内に設けられたそこに、シエスタはもう
随分長く浸かっている。身体が茹だってゆくにも構わず、彼女は
その最後の安息地から腰を上げることを頑なに拒んでいた。
「・・・どうして・・・」
震える肩を抱きながら、シエスタは一人呟いた。呟いてから、その
先に何を続けたかったのかを考えて自己嫌悪に陥る。どうして
こんな目に遭わなければならないのか、どうして自分なのか、
どうしてこれが許されるのか――考えれば考える程に出てくる
それらは、まるで己の卑小さを嘲る刃のようにシエスタ自身に
突き刺さった。
「そうよね・・・」
シエスタはその口に、諦念混じりの自嘲を浮かべる。そうだ、
恨み言をいくら吐こうが何も変わりはしない。この世界は
「そういうもの」なのだから。平民にとってメイジは天災。それは
比喩ではなく、正しく言葉通りの意味でそうなのだ。平民如きが
何をどう足掻こうが覆らない災禍。洪水や嵐と違うのは――彼らが
意思を持っているということだけだ。そしてそれ故に、メイジは
時として災害よりも凶悪な存在にすらなる。
だから。そういうものだと割り切るしかないのだ。例え彼らに
襲われようが、奪われようが、そして殺されようが・・・それは
仕方の無いことなのだと。メイジとは、貴族とは、そういうもの
なのだから。

…ぽたりと。伏せた瞳からこぼれた一滴の雫が、水面を震わせる。
心を抑えることは出来ても――涙を抑えることまでは出来なかった。
我知らず漏れていた嗚咽と共に、シエスタの綺麗な瞳からは次々と
涙がこぼれ落ちる。
「お金なんていらない・・・ 皆と仕事をして、マルトーさんや
ギアッチョさん達と色んな話をして、たまに故郷へ帰って・・・
それでよかったのに・・・ それで幸せだったのに・・・」
止めようとして止まるものではなかった。何も変わらないと
知りながら、シエスタは静かに泣き続ける。

最後の安息、その終焉を告げたのは、シエスタと同じくこの館で
働く侍女の一人だった。浴場の入り口から一言、「伯爵が寝室で
お待ちです」そう淡々と伝えると、老境の侍女はそのまま立ち去った。
「・・・・・・」
永遠にも思える時間を、シエスタは祈るように沈黙した。それが
無駄だということは、誰より己が解っている。それでも、何かに
祈らずには居られなかった。
そうして数秒、震える両肩から手を離し、彼女は静かに閉じていた
眼を開く。
「・・・最後に、ギアッチョさんにお別れを言いたかったな・・・」
もはや叶わぬことを呟くと、シエスタはごしごしと涙を拭い――
諦観に染まった表情で、ゆっくりと湯船から立ち上がった。

「うぐっ」
「あがっ」
屋敷の門外、高い塀の向こうからからくぐもった声が二つ続けざまに響き、
庭内を巡回していた三人の衛兵は不審げに顔を見合わせた。視線の先、
格子状の門の外には何者の姿も見えない。静かに目配せし合うと、彼らは
その手の槍を素早く構えて門へと駆け出した。

一分後。塀に身を隠すギアッチョの目の前に、合わせて五人の衛兵達は
折り重なって倒れていた。
「とりあえずは、こいつらで全部だな」
「意外だね、気絶でとどめるたぁ」
左手の先で笑うデルフリンガーに、ギアッチョはいつもの仏頂面で答える。
「オレは別に殺人鬼じゃあねー」
デルフリンガーは、そう言いながら自分を鞘に戻そうとするギアッチョに
向けて早口に口を開いた。
「旦那、あの犬コロ共はどうすんだ?あいつらァすばしっこい上に空を飛ぶ
相手してる間に騒ぎに気付いた衛兵連中が集まってくるぜ」
「・・・問題はねえ」
対するギアッチョの反応は、実に淡々としたものだった。そのままデルフを
鞘に納めて、彼は開きっ放しの門から躊躇無く庭内へと侵入する。
「ぐるるルるる・・・」
一歩足を踏み入れたその途端、六匹の怪物犬は唸りを上げながらギアッチョ
目掛けて走り出した。そう訓練されているものか、彼らは一瞬にして
ギアッチョの周囲を逃げ場無く取り囲む。翼の生えた黒い犬が血走った
眼で獲物を囲んでいるその光景は、正に地獄の様相と言うに相応しかった。
常人ならば失神してもおかしくないそれを、ギアッチョはただ面倒臭げに
一瞥する。自分達に恐怖を感じていないその様子が気に入らないのか、
黒い獣達は一斉に刃のような牙を剥き出した。そのまま怒りに任せて獲物を
引き裂かんとするその瞬間、
「ああ?」
ギロリと。圧倒的な怒気と殺意を宿すギアッチョの凶眼に刺し貫かれて、
六匹の魔物はまるで石像のように硬直した。
「・・・ぐ・・・ぐるるる・・・」
怯えるはずの人間に、今恐怖を感じているのは紛れも無い彼らだった。
直接ギアッチョの双眸と対峙していない後方のニ匹でさえ、ギアッチョの
放つ極寒の炎の如き殺意に身動き一つ取れなかった。
魔眼の巨人や魔除けの籠目を例に出すまでもなく、古来より「眼」に
ある種の力を認める類の譚話は世界中に散見するが――今、彼ら六匹の
魔犬は正にそれを実演するかのように停止していた。
それを何でもないような様子で確認して、ギアッチョは一言低く、
「行け」
と呟く。その瞬間、彼らはきゃんきゃんと喚きながら我先に空へと
逃げ出していった。
「・・・すげーな、旦那」
呆けたような声を出すデルフリンガーに、ギアッチョは無感動に答える。
「急ぐぞ」

ルーンの刻まれた左手ですらりと魔剣を抜き放つと、邪魔者のいなくなった
前庭を、ギアッチョは眼にも留まらぬ速さで駆け抜けた。
「何だきさ・・・はぐぉッ!!」
右の拳で玄関の番人の一人を問答無用で殴り飛ばし、同時に左手の剣は
もう一人の喉元へ流れるように突きつける。
「なッ・・・!?」
「ちょっと訊きたいんだがよォォォ~~~ モット伯とか言う野郎はどこだ」
突然の状況に眼を白黒させている番兵を、ギアッチョは静かに問い詰めた。
「き、貴様・・・何のつもりだ こんな狼藉が許されると――」
言い終わらない内に、ギアッチョはデルフリンガーの刀身を番兵の喉に
軽く触れさせる。
「ぐッ・・・」
「聞こえなかったっつーわけか?ええ、おい?」
ギアッチョは、「三度目はねぇぜ」と低く呟いて繰り返した。
「モット伯はどこだ」
「・・・・・・は、伯爵は・・・」
諦めたように口を開く男の右手の動きを、ギアッチョは見逃さなかった。
虚を突いて繰り出された槍の穂先をデルフリンガーがまるでバターを
切るように両断すると、右手で男の首を掴んでそのまま館の壁に叩きつける。
「ぐッ・・・!」
「いい返事だ 下衆野郎に殉じな・・・」
ここまで倒して来た衛兵達と違い、この男にははっきりと顔を見られている。
首を掴む右手にぎりぎりと力を込めるが、苦しげにもがくだけで何かを
喋ろうともしない。この様子では懐柔も難しいだろう。
「大した根性じゃあねーか・・・そいつに敬意を表して一瞬で終わらせてやる」
そう言いながら、しかし躊躇なく剣を構える。胸に狙いを定め、一気に
貫こうとしたその時、

「待って!!」

上空から聞きなれた声が響き――同時に放たれた風がデルフリンガーを
弾き飛ばした。
「・・・何のつもりだ」
気絶させた番兵から手を離すと、デルフを拾いながらギアッチョは
シルフィードを見上げる。返事の代わりに、ルイズ達はひらりと地上に
飛び降りた。ルイズはそこから一歩を進み出て、曇りの無い瞳で
ギアッチョを見つめる。小さく息を整えて、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ギアッチョ・・・もう誰も殺さないで」

「・・・ああ?」
見ようによっては恫喝的にも感じられるギアッチョの視線に、
ルイズは臆さず向かい合った。
「もう十分よ・・・お願い、これ以上殺さないで」
「今更だな 何人殺そうが何百人殺そうが、オレには同じことだぜ」
「・・・違うわギアッチョ あんたが殺してるのは――自分の心よ」
「・・・・・・」
かぶりを振ってそう言うルイズに、ギアッチョはわずか絶句した。
「ギアッチョ、もういいのよ もう誰も殺さなくていいの 今の
あんたは暗殺者なんかじゃないんだから」
「・・・御主人様らしく命令でもするってか?」
「――命令することは簡単だわ だけどそれはわたしの意志
それじゃ何の意味もないのよ わたしじゃない、ギアッチョ自身の
意志でそうして欲しいの!だからギアッチョ、お願い・・・もう
誰も殺さないで!」
ルイズの懇願に眩暈のような錯覚を覚えて、ギアッチョは思わず壁に
片手をついた。それ程までに、ルイズの言葉は今のギアッチョには
眩しすぎた。
「・・・今更、オレにどう生きろっつーんだ」
「人生」、表現を変えればそれは個人の歴史と言えるだろう。歴史とは
即ち記憶――ならば人生もまた、記憶の集積であるはずだ。そして
ギアッチョは、真っ当な人間であった頃の記憶など、とうの昔に捨てて
いた。彼の記憶は暗殺者の記憶、彼の人生は暗殺者の人生。それは
殺人を生業とする異常極まりない世界で自己を保ち続ける為の手段で
あった。異常な世界で生きるには、それを異常だと感じる原因を
抹消してしまえばいい。ギアッチョはそうして、身も心もその全てを
殺戮に染めていた。
存在する理由を、手段を失くした時、人には何も出来なくなる。
正に暗殺という二文字で成立していたギアッチョの自己同一性は、
今届かぬ蜃気楼のようにその姿を揺らめかせていた。
「・・・オレは暗殺者だ 人殺しだからオレなんだよ」
「それは違うわ!!」
ルイズは怒ったように否定する。
「何が違う?暗殺者っつー事実だけがオレの全てだ オレは殺す為に
生まれ、殺す為に生きてんだ そいつを取り上げりゃあよォォーー
オレにゃあ何も残りはしねえ」
「違う・・・そんなことない!!」
吐き捨てるギアッチョに、ルイズは更に語気を強めて遮った。
何かを言おうと同時に口を開いていたギーシュ達は、互いに顔を
見合わせて言葉を飲み込む。今はギアッチョの主に全てを任せて
おくべきであろうと思われた。
「そんなことない・・・!ギアッチョはいつもわたしを助けてくれた、
わたし達を導いてくれた・・・あんたが何を否定しても、それだけは
変わらない事実だわ!」
「ハッ・・・そんなもんはおめーら他人が作り上げたただの幻だろーが」
話にならないとばかりに笑い捨てるギアッチョから、ルイズは尚も
眼を逸らさずに言い放った。
「幻で何が悪いのよッ!!」

双眸の深奥まで深く見通すようなルイズの眼差しに、ギアッチョは
再び言葉を失った。
「・・・貴族が、どうして平民の上に立っているか分かる?
魔法が使えるからよ 力ある者は、敵に背を向けてはいけないの
天に授かったその力で、身を挺して弱者を守る者・・・それが
本当の貴族なのよ」
「・・・・・・」
「・・・だけど、わたしは魔法を使えない ねえギアッチョ、
あんた今『殺す為』って言ったわよね それは自分に生きる理由が
あるってことでしょう?・・・わたしにはそれがなかった
魔法の使えない貴族に、存在価値なんてない・・・わたしは
ずっと叱られ、疎まれ、蔑まれてきたわ ゼロのルイズとは
よく言ったものよね・・・誰の役にも立たない、貴族の務めも
果たせない、誰にも必要とされない、生きる理由も意味もない
――わたしは何もかもがゼロだったわ」
凛として己を見つめながらそんなことを言うルイズに、ギアッチョは
眉をひそめる。ルイズの口から、ギアッチョは後ろ向きな言葉など
聞きたくはなかった。半ば話を中断させるように、その口を開く。
「・・・一体何が言いた――」
「だけどッ!!」
それすらも遮って、ルイズはギアッチョに言葉を投げかけた。
「だけどこんなわたしを友達と呼んでくれてる人がいるの!!
彼女達がわたしに抱いている感情は幻だわ、だけどキュルケ達は
その為に命を賭けてくれた!!それが悪いことなの!?違うわ、
絶対に違うッ!!」
「・・・ッ」
「・・・ねえギアッチョ わたしを必要としてくれてる人がいる
ように、わたしにもあんたが必要なの 暗殺者なんかじゃない、
使い魔でもない・・・ギアッチョという一人の人間が必要なのよ!」
ルイズの叫びは、ギアッチョの心に激しく響き渡った。彼女の言葉、
そのどこにも偽りはないのだろう。だからこそ、ルイズ達はここへ
やってきたのだから。だがそれでも、ギアッチョは言葉を返せない。
己に向けられた幾多の信頼に、友愛に応えるべきだとギアッチョは
今そう思えていた。しかし、それでもその口からは言葉が出ない。
暗殺者であることを辞めることは、リゾット達への裏切りではないかと
いう思いが、彼の心を縛していた。

『・・・お前は振り向くな 過去に囚われるな』

ルイズの声の残響に合わせるかのように突如リゾットの声が聞こえ、
ギアッチョはハッとして顔を上げる。

『オレ達の影に――縛られるな』

――・・・そうだったな
誰にも聞こえない声で、ギアッチョは静かに呟いた。
――迷わねーと誓ったばかりじゃあねーか・・・オレはよォォーー
夢中に聞いたリゾットの言葉は、ギアッチョの迷いを容易く打ち砕いた。
口角を皮肉めかせてつり上げると、ギアッチョはがしがしと頭を掻いて
ルイズに向き直る。
「・・・勘当されてもしらねーぞ」
「わたしには家柄なんかより――ギアッチョのほうがよっぽど大切だわ」
応えてくれたギアッチョに向けて、ルイズは吹っ切れたように笑った。

「――で、どうする気なんだおめーら」
静かな玄関前で、彼らは額を寄せ合って会話を交わす。当然の疑問を
発したギアッチョに、代表してキュルケが返答した。
「別に殺すことだけが口封じの手段じゃないわよ?」
キュルケは意味ありげに笑うと、ギアッチョに作戦内容を開陳した。

数分後。全てを聞き終えて、ギアッチョは凶相を面白そうに歪めた。
「おめーらもよォォ~~ 中々えげつねーこと考えるじゃあねーか ええ?」
「だ、だってそれしか手段がないってキュルケが・・・」
渋々といった顔のルイズに眼を向けて、キュルケはしれっと言い放つ。
「あら、他に策がないこともないわよ だけどあんな下衆にはこれで
丁度いいわ」
「ま、違いねーな」
ギアッチョとキュルケは互いを見合わせてニヤリと笑う。不安げな表情の
中に「オラわくわくしてきたぞ」という心境が見て取れるギーシュと
本に眼を落としながらもどこか楽しそうなタバサを見遣って、ルイズは
「もうどうにでもなれ」とばかりに溜息をついた。

ギイと音を立てて、軋んだ扉が開く。打ち合わせもそこそこに、
ギアッチョ達は邸内へと侵入した。その瞬間、
「貴様ら何者だ!」
警備兵の野太い声が響いた。黒装束に身を隠した人間が勝手に侵入して
来たのである。それを見咎めない者などいようはずもなかった。
心臓が飛び出る程に驚いたルイズやギーシュを制して、キュルケは
平然と口を開く。
「あなた、モット伯から何も聞いていないのかしら?私達は"アレ"を
届けに来たのだけれど」
「・・・納入は来週だと聞いているが」
「予定より早く用意出来たのよ 納品は早ければ早い方が、伯爵も
お喜びになるでしょう?」
「・・・そういうことなら、こっちだ」
キュルケの言葉をあっさり信じ込み、警備の男はモット伯の部屋へと
先頭に立って歩き始めた。
"アレ"が何かなど、キュルケは勿論知る由も無い。モット伯のような
男ならば、口に出すのも憚られるような禁制の品を取引していたと
しても何もおかしくはないと読んでカマをかけたのだった。そんな
品物の配達人なら、身元を隠す姿をしていることに何の問題もない。
そこまでの判断を一瞬の内にやってのけるキュルケに、ルイズ達は
舌を巻いた。

扉の向こう、廊下の方で「ぶがッ!?」という間抜けな声が聞こえ、
一拍置いて何かが倒れるような音。部屋の主には聞こえなかったらしい
それら小さな音の後に、今度は扉がコンコンと大きく音を立てる。
モット伯は鬱陶しげに眉をひそめて、やって来たばかりのシエスタに
ぶっきらぼうに手を振った。
「出なさい」
「・・・はい」
シエスタはいつもの快活さからは想像出来ない緩慢さで扉へ向かう。
がちゃりと扉を開けて、
「何用ですか?」
言い終わったと同時に、驚きで固まった。
「帰るぞ」
あちこちに巻かれた包帯の上からでもはっきりと分かる、無愛想な
顔の男がそこにいた。
一目会いたかった人が、自分を救いに来てくれた。それが――どれ程
残酷なことか。ここでギアッチョに縋ってしまえば、逃げてしまえば。
彼はきっとモット伯への罪で処断されてしまうだろう。シエスタに
そんな選択が出来るわけはなかった。ギアッチョの眼を見ないように
俯いて、シエスタは冷たい声で言い放った。
「・・・お引き取りください」

拒絶の意志を表したシエスタを、ギアッチョもまた冷厳と見下ろす。
彼女の細い肩がか弱く震えていることに気付かないギアッチョでは
なかった。
「断る」
「・・・っ」
シエスタは一瞬見せた泣きそうな顔をすぐに正して、ドアの握りを持つ
手に力を込める。
「・・・お引取り、ください」
そう言いながら扉を閉めようとするが、

ガンッ!

ギアッチョは素早く片足を滑り込ませてそれを止める。
「断る、って言ってんだろーが」
ギアッチョの断固たる声に、シエスタは半ば諦めたように顔を上げた。
「・・・ダメです、それじゃギアッチョさんが」
「問題はねー オレを信用しな」
「・・・だけど」
尚も抵抗するシエスタを読めない瞳で見つめて一つ溜息をつくと、
ギアッチョは身体を半身にずらした。その後ろに見えた数人の顔に、
シエスタはハッと息を呑む。
「・・・オレで足りねーなら――こいつらの分の信用も足してくれ」
ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストー、ミスタ・グラモンに
ミス・タバサまでがそこにいた。ここに来ることがどれだけ危険か、
彼女達が知らぬわけがない。家名にまで累が及ぶ危険を冒して、
彼女達は自分を助けに来てくれたのだ。それは彼女達の誠実さを、
何よりも雄弁に物語っていた。
「・・・・・・はい」
シエスタはおずおずと頷いた。貴族であっても、彼女達は信じられる。
彼女達の瞳、そのどこにも欺瞞の色などなかったから。

「何だ貴様ら・・・何をしている!!」

突如聞こえた怒号に、ギアッチョ達の視線はシエスタの背後に集まる。
不機嫌さを隠しもせずに、モット伯がそこに立っていた。
「・・・シエスタを頼んだぜ、おめーら」
シエスタの肩を抱いて、ギアッチョは彼女をルイズ達へ押しやった。
そのまま一歩進み出し、黒装束の下の顔を暴かんとするモット伯の
視線を身体で遮る。一連の流れで、モット伯には大体の事情が掴めた
ようだった。怒りに顔を歪ませて、モット伯は手元の呼び鈴を乱暴に
鳴らした。
「許さんぞシエスタ・・・ 衛兵!!何をしている、はやくこやつらを
捕えよ!!私は置物に金を払っているつもりはないぞッ!!」
その瞬間聞こえ始めたどたどたという多数の足音に軽く舌打ちして、
ギアッチョはルイズ達に追い払うように手を振った。
「行け」
答える代わりに、タバサはシエスタに向けて何事か呟いた。それを
理解したシエスタとタバサが先頭に立ち、ギーシュを引き連れて
長大な廊下を走り出す。それを追いかけようとするルイズを、
ギアッチョは何の気なしに皮肉った。
「今日はいつもみてーにしつこく念押ししなくていいのか?ええ?」
ギアッチョの背中を向けながら、ルイズは肩越しに顔を覗かせる。
「・・・必要ないもの わたしはあんたを信じてるわ」
そう言い切って刹那笑うと、彼女は今度こそタバサ達を追って走り去った。
「・・・調子が狂うぜ 全くよォォォ」
ギアッチョは頭を掻きながら、ぎゃあぎゃあと何かを怒鳴り散らす
モット伯へとキュルケと共に向き直った。

「このような夜更けに・・・薄汚い平民風情がよくも我が楽しみを
邪魔してくれたな」
嗜虐に満ちた表情で、モット伯は呼び鈴を投げ捨てる。
「貴族の前で剣を抜いた平民は、殺されて文句は言えぬ 覚悟は
出来ているのだろうな?」
「剣?オレはそんなもんを持った覚えはねーぜ」
ひょいと両手を上げて、ギアッチョは無手をアピールする。彼の
身体のどこにも、デルフリンガーの姿は見当たらなかった。しかし
モット伯はそんなことはどうでもいいといったように哂う。
「分からんか?『どうとでもなる』ということだ・・・特に貴様らの
ような身元も知れぬ平民の場合はな 女共なら再利用してやるが、
男に用は無い・・・ここで死ね」
「・・・身も心も腐り切ってるっつーわけか?やれやれ、これで
無くなったな・・・仏心を出してやる理由はよォォォ~~~」
この場にデルフがいれば「ハナっから許す気なんざさらさらねーだろ」と
でも突っ込まれそうなセリフを吐いてポキポキと拳を鳴らすギアッチョに、
モット伯は心底愉快そうに下卑た笑いを上げた。
「ぬはははははははッ!!これは面白い!トライアングルの私に、この
波濤のモットに素手で挑もうと言うのかね!ふふふははははは!
こんなところで命を賭けた寸劇が見られるとは思わなかったぞ!!
もっとも、平民風情がいくら矢弾を持ってこようがこの私に傷一つ
つけられはせぬがな!」
「波濤だか佐藤だかしらねーが・・・ごちゃごちゃ抜かしてねーで
とっととかかってきなよ ええ?おい オレは出来てるんだぜ・・・
『覚悟』はいつでもな」
余裕の挑発にピクリと眉を上げかけるが、モット伯は口よりも魔法で
黙らせることを選んで杖を構えた。キュルケが数歩後退すると同時に、
モット伯は杖で空を切る。飾られた花瓶がコトリと倒れ、注がれていた
水が赤い絨毯にぶちまけられた。続けてルーンを唱えると、こぼれた
水は映像を巻き戻すように宙に浮かぶ。細長い水の鞭と化したそれは、
杖の動きに合わせてギアッチョに襲い掛かった。
「便利な魔法じゃあねーか 寝たきりになっても自分で水が飲めるぜ」
「寝るのは貴様よ、ただし土の中でだが・・・なッ!!」
言葉尻に篭った気合と共に、水鞭はギアッチョの右手を打たんと
飛来する。ひょいと手を上げてそれを回避するが、凶器と化した水は
生き物のようにくねり、しつこく右手を追いかける。身体を捻って
避ければ次は左手に襲い掛かり、飛び避ければ今度は右。次は左手、
また左手、右手、左手、右、右、右。水の蛇は執拗にギアッチョの手を
狙い続ける。
「いい趣味してやがるぜ」
モット伯の意図を理解して、ギアッチョは悪鬼の如き表情で笑った。
まずは両手を壊し、次は恐らく両足を狙う。そうして敵を無抵抗に
しておいて、後はたっぷり嬲るつもりなのだろう。
「どうやらしっかり教えてやる必要があるらしいな ええ?」
まるでダンスのようなステップで攻撃を躱しながら、喉の奥で笑う。
「てめーが戦ってんのは一体誰なのかを、な・・・」
ギアッチョの纏う空気が――鋭く冷たい刀剣のようなそれに変じた。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー