ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-32

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だれでも歓迎! 編集
その日、ガリア国境は俄かに騒然となった。
トリステイン王国の勅使が入国を求めてきたのだ。
それも事前の通達もなく、突然にだ。
トリステインへの確認を取るべきか、
それとも本国の指示を仰ぐべきか、
久しく直面しなかった事態に混乱が起きる。
容易に国内に入れては責任問題になりかねない。
しかし相手が一国の勅使である以上、足止めなど出来る筈も無い。

「モット伯爵、この度はどのような御用向きで?」
「……………」
「事と次第によっては入国を許可する事は出来ません。
それだけの権限を私は本国より与えられています」
沈黙を保つモットに入国管理官は真意を問い質す。
何をしに来たのかさえ分かれば手の打ちようはある。
虚言を弄そうとすればそれを逆手に入国を拒否するつもりだった。
しかしモットは平然と答えた。
「では問おう。ラグドリアン湖の氾濫についてだ」
「っ……!」
ぎろりと睨みつけるモット伯の視線に管理官がたじろぐ。
今まで数え切れないほど関を抜けようとした者達を見破り、
不審な人物を残らず捕縛した彼であったがモット伯の威に気圧される。
「あの湖の精霊と我がトリステイン王国は盟約を結んでいる。
ならば事態の解決の為、我が国に交渉を持ちかけるのが筋であろう」
「ですが…それは…」
「自国のみで解決しようというならそれも良いだろう。
だが依然として氾濫は続き、ガリアの民は苦しんでいると聞く。
それなのに未だに連絡一つ寄越さないとはどういう事か!?」
モット伯の怒号に管理官の膝が震える。
伯爵ともなれば国が違えども自分の首を飛ばすぐらいは容易い。
彼を怒らせる事は破滅に繋がるのだ。
「かくなる上は直接ラグドリアン湖に赴き、湖の精霊と対話するのみ!
それを妨げるというのであれば、その行為を以ってガリア王国の正式な回答とする!」
その一言で管理官の背筋が凍った。
もし、自分が彼を入国させなければそれが国の総意となるのだ。
下手をすれば国際問題に発展しかねない。
男にそこまでの責任を取る度胸はなかった。
「わ……分かりました。ガリア王国は謹んで貴方様の入国を歓迎します」
「よろしい」
満足そうに笑みを浮かべるとモットは御者に馬車を進めるよう促す。
馬車は悠然と未だに騒ぎの止まぬ国境を通り抜け、一路ラグドリアン湖を目指す。


「…しかしアンタもヒデェ事やるよな」
「何を言う。権力は振りかざしてこそ価値のある物だ」
ぴょこんと鞘から刃を覗かせるデルフにモットが返す。
ほとんど強行突破同然に関を抜けたルイズが安堵の溜息を漏らす。
相手に考える時間も機会も与えぬ一方的な叱責。
もし、あの場で足止めを食ったなら入国は不可能になっていただろう。
「随分と口が達者よね。どこで学んだか教えて欲しいわ」
「弁の立たぬ勅使などおらんよ。ましてや宮廷で狸共の相手をしていればな」
そもそも彼女に学ぶ必要はないだろう。
“ヴァリエールの三女”として一言発せばそれで大抵は片付く。
小細工や腹芸など私のような小物がやるべき事だ。
彼女は威風堂々と振舞えばいい、それでこそ付き従う者もいる。
ふと思う、もしアンリエッタ姫殿下の代わりに彼女がいたら…?
それはきっと楽しい事になるだろう、居並ぶ重臣が慌てふためく姿が目に浮かぶ。
(まあ、今より苦労する事になるだろうが…)
しかしそれも遠い日ではない。
彼女とていつかは姫の臣下として王宮に馳せ参じる。
その日を心待ちにして彼は風を感じていた。
それは馬車の窓より吹き込む風ではなく、
体制に固執するトリステインに吹く新しき風だった。


呼吸器が壊れたような荒い呼吸。
疲労のせいで視界がぼやける。
流れ落ちた汗を拭いながら再び湖面へと少女は向かう。
その横で彼はただ戦いに赴くタバサを見守る事しか出来なかった。

最後の任務は困難を極めた。
“ラグドリアン湖を氾濫させる水の精霊を退治せよ”
精霊を殺す事自体、禁忌に当たるというのに、
ラグドリアン湖に住む精霊はトリステイン王国と契約している。
公になれば国際問題となる完全な汚れ役だった。
しかしタバサに断れる訳が無い。
命令に従い、湖の精霊に攻撃を仕掛けた。
だが、いかに魔法に秀でていようとも人の身で精霊に挑むのは無謀。
そしてバオーが今持つ能力では精霊を傷付ける事は出来ない。
単身で挑むタバサが疲弊していくのも無理はない。
湖中を自在に移動する為の空気の球。
更に、それを維持しながら攻撃しなければならないのだ。
彼女の魔力にも限界がある。
せめて他にメイジが居たならば形勢は変わっていたかもしれない。
しかし、極秘裏に行わなければならない任務に救援などない。


襲撃から戻ったタバサが一息つく。
一度に倒すのは不可能、今夜はここまで。
この調子で何度か繰り返せばいずれは倒せる。
それだけの手応えを彼女は感じていた。
彼女達が引き返そうとした瞬間、湖面に巨大な水柱が上がった。
それは降り注ぐ水の槍と化し二人に襲い掛かる。
二人を分かつように間に突き刺さる水の槍。
咄嗟に左右に飛んだ二人に次々と槍が降り掛かる。
それをタバサは旋風の守りで防ぎ切る。
(狙われているのは私。このまま離れていれば危害は及ばない)
そう思っていた彼女の眼が驚愕に開かれる。
逃げ回る彼を次々と貫く水の刃。
その足元に血溜りが広がり彼の体を赤く染めていく。
水の精霊に人間の常識など当てはまらない。
たとえ攻撃したのがタバサだけだとしても関係ない。
仲間ならば同罪であると容赦なく彼を血の海に沈めていく。
自分の甘い考えを呪いながら彼女は詠唱を開始する。
瞬間、ざわりとタバサの背筋に冷たいものが走った。
視線の先には毛を逆立たせ変身していく彼の姿。
既に何度も目にした光景。
しかし彼女の嫌な気配は増していく。
この感覚には覚えがあった。
それは初めて彼の変身する姿を目にした時だ。
敵対する者その全てを悉く滅ぼす異形の怪物。
彼はそれに変貌しようとしていた。

「……ダメ」
旋風の守りを解き、タバサが彼の下へと走る。
彼女は予感していた、ここで彼を変身させたら帰って来れなくなる。
ルイズを好きな、ルイズが好きな彼にはもう戻れない。
大切な人を失ったタバサだからこそ分かる辛さ。
あれを二度と繰り返させはしない。
誰にも経験させたくない。
その一念で彼女は飛び出した。


咆哮を上げ湖そのものともいえる精霊に宣戦布告する。
敵が何であろうとバオーは滅ぼす、たとえそれが世界そのものであろうとも。
降り注ぐ水の矢を避けようと体を踊りだそうとした瞬間、誰かに抱き留められた。
それはタバサだった。
彼女は振り返る事無く杖を振るうと旋風で盾を作る。
何故、こんな事をするのか困惑する彼にタバサは繰り返す。
「……ダメ」
何が駄目だというのか、自分を脅かす敵を倒すのが悪い事なのか。
生き残る為に最善を尽くすのが間違っているのか。
彼女の言う事は辻褄が合わない。
薬の所為でおかしくなっているのだと納得し振り剥がそうとした。

でも、出来なかった。
少女の力なんて障害にすらならない。
しかし体が動かせない。
内より湧いてくる“力”とは別の温かい感覚。
彼を繋ぎ止めていたのはルーンという鎖だけではない。
それは自分と彼女の間にある確かな絆。
タバサは身を張って自分にそれを思い出せてくれたのだ。
そしてもう一つ、彼は思い出した事がある。

弱まった旋風の守りを突破し迫る水の槍。
自分にしがみ付いたタバサを連れ、彼が宙を舞う。
野生の獣をも上回る速度でバオーが駆ける。
それに遅れて水が通り抜けた後を貫いていく。
“タバサの事、お願いね”
ルイズと交わした大切な約束。
忘れるつもりなど無かった。
しかし、いつの間にか見失っていた。
陽の光で星が見えなくなってしまうように殺意に塗り潰されていた。
だけど、二度と忘れない。
自分を守ってくれた二人を笑顔で再会させる。
それがルイズの願いであり、自分の願い。

攻撃を避けながら彼は異変に気付いた。
自分に掴まるタバサの力が弱まっている。
恐らくは魔力を使い果たして気を失ったのか。
このままではいずれ彼女を振り落としてしまう。
迎え撃つしかないと彼は覚悟を決めた。
倒れた彼女を背後にそっと寝かせ、湖に向き合う。
向かってくる水を瞬時に蒸発させる程の炎は作り出せない。
どんな『武器』ならば凶器と化した水を防げるのか?
いや、迷う必要など無い。


彼へと降り注ぐ水の槍。
それを、彼は黙って受け入れた。
強力な水圧で撃ち出されたそれはバオーのプロテクターをも貫く。
ぽたりぽたりと水滴のように落ちる血。
足を踏ん張り彼はその場に立ち尽くす。
そこに容赦なく次の攻撃が襲い掛かる。
水が次々とバオーの体を撃ち抜いていく。
それでも彼は動かない。
『不死身の肉体』それこそが彼に残された最後の武器だった。
自分を盾にしてタバサを守る。
いくら傷付こうとも自分は再生する。
その間にタバサが目覚めてくれればここから脱出できる。
命は捨てない、この命を使ってタバサを守ってみせる…。

幾度も撃たれながらも彼は倒れない。
降り注ぐ攻撃を雨のように受け止める。
流れ落ちた血が乾く間もなく新たな鮮血が彩る。
そんな一方的な攻防が展開されてしばらく経った時だった。
突如、攻撃の手が止んだ。
諦めたのか、それとも許してくれたのか。
そんな希望的な観測を打ち破るようにそれは現れた。
湖面に立つ一際大きい水柱。
先程までの攻撃の比ではない。
一度放たれれば、さながら砲弾の雨と化すだろう。
アレを防ぎ切るのは不可能だ。
自分だけではない、タバサも守れない。
約束も、何も守れない。

堰を切ったように放たれる水。
まるで宙を押し潰す津波。
それを前にしたバオーが吼えた。
自身の内に秘めた力に吼えた。
殺す事しか出来ない力なら殺してみろ。
この全てを押し流す水流さえも殺して見せろ。
自然の摂理さえも捻じ曲げて生存を果たせ。
しかし願いも虚しく押し寄せる水にバオーは飲み込まれた。


その刹那、爆発するように水が弾け飛んだ。
バオーの体から立ち上る蒸気。
押し寄せた水は完全に蒸発していた。
体が高熱を発したのか。いや、それは有り得ない。
そんな熱を放出して体が無事で済む筈が無い。
彼自身も何が起きたのか理解できない。
我に返ったバオーが背後を見やる。
そこには生命の匂いを放つタバサの姿。
それに安堵し再び湖へと向き直る。
再び彼を襲う水流。
だが、それは彼に届きさえしなかった。
上空から降り注ぐ炎が水を蹴散らしていく。
見上げればそこには天空を舞う雄々しき竜の姿。
見間違える筈が無い、彼女の使い魔であり自分の友である者を。
「ダーリン、大丈夫!?」
(お姉さまー!!)
バオーに声を掛けながらキュルケは警戒を怠らない。
飛来する水の槍をフレイムと共に次々と撃墜していく。
その間に着陸したシルフィードはタバサを背負い宙へと逃れる。

炎を扱うキュルケとフレイムの参戦は攻守を逆転させた。
あれが最後の力だったのか、次第に精霊の抵抗が弱まっていく。
このまま倒せるとキュルケが一気呵成に攻め立てようとした時、
湖畔に一台の馬車が突っ込んできた。
「待ちたまえ! 精霊を倒してはならん!」
馬車から降りて出てきたのはモット伯だった。
事情を知らないキュルケ達が目を丸くする。
いかにも“どうしてここに居るの?”と言いたげな視線で彼を見つめる。
ラグドリアン湖に向かう途中、彼はとんでもない物を目にしていた。
それは水柱が上がるわ、炎は降り注ぐわ、戦場さながらの光景。
大慌てで彼は湖畔へと急がせたのだ。
精霊を倒してしまっては『水の精霊の涙』は手に入らない。
それどころか二度と国内に入ってこなくなる。
その損失はどれほど大きな物か、彼はキュルケに丁寧に説明した。
「…そういう事ね。よく分かったわ」
「おお、分かってくれたか!」
魔法薬で正気を失っているので理解してくれるか疑問だったが、
さすがはミス・ツェルプストー。
惚れ薬程度で判断を誤るような理性ではないという事か。
「解除薬が無くてもダーリンへの愛は変わらないわ!
それに私、ゲルマニアの人間だから何の問題も無し!」
…悲しいほどに全然理解してない。
そういえばミス・ツェルプストーって惚れたら盲目的に一直線だった。
「ダーリンだってやる気になってるんだから止め…」
「いいかげんにしなさい! この色ボケ女!」
キュルケの言葉を遮る声。
見ればモット伯の馬車からもう一人誰かが降りていた。
被った帽子を取った瞬間、月明かりを受けて輝く桃色の髪。
それは彼が待ち焦がれていた人。
「……ただいま」
何の変哲も無い一言。
しかし、その言葉は今まで聞いたどの言葉より温かく力強かった。


そのしばらく後、彼女等は湖畔近くで勢揃いしていた。
手には杖も持たず、彼も元の姿へと戻っている。
互いの事情を確認したタバサは他に方法があるならと攻撃を中断した。
やる気十分だったキュルケは“ダーリンがそう言うなら”とあっさりと停戦に応じた。
シルフィードも同様に目覚めたタバサに止められた。
“水の精霊の涙”を手に入れるには精霊の協力が不可欠。
そこでモット伯の提案で一向は説得を試みる事になった。
いざとなれば実力行使も辞さない方向で。
(…それは説得じゃなくて脅迫というのだが)
言った所で通じないと判断したモットが水の精霊に呼び掛ける。
ほどなくしてモットの姿を模した水の精霊が現れた。
こちらに攻撃する意思が無い事を確認するとキュルケが告げる。
「貴方は完全に包囲されたわ! 無駄な抵抗は止め大人しく投降……むぐ!」
「…頼むからこれ以上、事態を混乱させないでくれ」
居丈高に水の精霊に降伏勧告をする彼女の口を抑え、
恐る恐るモット伯が伺いを立てる。
「私はジュール・ド・モット、かつて貴公と盟約を交わせし者の一人。
無礼を承知で問う。何故、湖を広げ罪なき民を苦しめるのか? 
その真意を是非聞かせて頂きたい」
「…いいだろう。単なる者よ」
返答も無しに攻撃してくる事も予想していたが、
無益な戦いを避ける為か僅かな沈黙の後、精霊は語りだした。
それによると精霊と長き時間を共に過ごした秘宝が何者かによって奪われ、
湖から身動きできない精霊はそれを取り返す為に水を増大させた。
いずれ大地の全てを覆えばその秘宝も戻ってくる、そう考えての行動だと言う。
随分と気の長い話だ、ミス・ヴァリエールなど三分も待てないというのに。
「その奪われた秘宝というのは?」
「アンドバリの指輪と呼ばれている物だ」
「……!」
自分の何気ない質問に対し、返ってきた答えは驚愕の事実だった。
その可能性を全く考えていなかった訳ではない。
しかし最悪とも思える返答に気が遠くなってくる。
水の力を宿した秘宝『アンドバリの指輪』
死に至る傷を癒し、死者に偽りの魂を与える力に留まらず人の心をも操るマジックアイテム。
手にした人間の使い方次第では国一つ滅ぼす事さえ可能だ。
どの道、放置しておくには危険すぎる。
「では水の精霊よ。その秘宝は我がトリステイン王国が総力を挙げて奪い返す。
だから今は水を引き、我等が誓いを果たすのを待って欲しい」
「…………」
しかし水の精霊は反応を示さない。
代わりに周囲からは驚きの声が上がる。
「ちょっと…! そんな事、約束して大丈夫なの!?」
「もはや一個人の問題ではない。水の精霊の協力は我が国には不可欠。
それに『アンドバリの指輪』が悪用される事態となれば、どれほどの災厄を招くか…」
ミス・ヴァリエールの反論を抑え、事の重大さを説く。
しかし重臣達を説得できるかどうかは甚だ疑問ではあった。
それを見越してか水の精霊は拒否を示した。
「断る。単なる者よ、お前を信じるに足る理由が無い」
「っ……!」
否定されたか、まさか水の精霊まで私の人望の無さを聞き及んでいる事はないだろう。
要は信じるだけの証を見せればいいのか。
まさか生け贄や人質を出せとでも言う気か?


「私も探すのを手伝うわ、だからもう止めなさい」
「そう、じゃあ私も手伝うわ。ルイズに抜け駆けされたくないから」
「……私も」
三人が一斉に誓いを立てる。
しかし、それでも水の精霊は反応を示さない。
信用できない人間が何人来ても同じという事か。
「わんっ!」
「相棒も約束するってよ」
本来の主の下に戻った二人も誓いを立てる。
しかし人でもダメなのに犬じゃあ…。
「単なる者よ。お前に一つだけ尋ねたい」
無反応だった水の精霊が彼に興味を示した。
何故だ、ひょっとして犬以下の信用なのか、私は!? 
それともデルフの異常な交渉力の賜物なのか!?
困惑するモットを置き去りにして精霊は続ける。

「お前は背後にいた単なる者を身を挺して守った。
お前一人ならば逃げる事も出来た筈。何故そうしなかった?」
問われるまでもない。タバサは大事な仲間だ。
そして彼女を守る事はルイズとの約束でもあった。
それをデルフを通じ精霊へと伝える。
「いいだろう、単なる者よ。
お前は身を以って単なる者との誓約を果たしてみせた。
我は誓約を守る者をこそ信じる。
お前とお前のルーンを信じ、お前達の命が尽きるまで待ち続けよう」
その言葉に一同が沸き上がる。
ラグドリアン湖の氾濫はこれで終わりだ。
タバサも仕事を終え学院に戻る事が出来る。
しかしまだ一つだけ問題が残されていた。
それを解決せんとデルフが動く。
「じゃあ、そのついでと言っちゃなんだが。
アンタの体の一部も分けてくれねえか?
この調子じゃ相棒も自由に動けないからよ」
「……心得た」
彼を抱きしめて頬擦りするキュルケを一瞥し、
納得したように精霊は自らの一部を渡す。
上手いものだと感心しながらルイズは問う。
「しかし何か犯人に繋がる手掛かりのような物はありませんか?」
「盗んだ者が何者かは分からぬ。ただ個体の一人が『クロムウェル』と呼ばれていた」
「クロムウェル…!? もしやアルビオンのオリヴァー・クロムウェル司教の事か!?」
精霊の口にした名に心当たりがあったのか、モットの顔が蒼白になる。
彼の想像は最悪の形の実現していた。
突如として起こったアルビオンの内乱。
圧倒的優位な立場にあった筈の王党派の壊滅。
虚無の力と触れ回るクロムウェルの魔法。
次々と嵌まっていくパズルのピース。
もし事実だとすれば危機にあるのはアルビオンだけではない。
至急、本国に帰還し対策を練らなければ…。
即座に馬車に乗り込み、御者に指示を飛ばす。
しかし、彼の襟をルイズが掴み逃がさない。
「どこ行くのよ!? アンタにはまだ解除薬の調合って仕事があるでしょ!」
「は、離せ! 事は急を要するのだ! トリステインの存亡に関わる…」
「はいはい。誓約の湖でいいかげんな事言ってると舌引っこ抜かれるわよ」
弁明など一切聞く耳を持たない。
止むを得ず馬車はモット伯の屋敷へ針路変更を余儀なくされた。


揺れる馬車の中、彼はルイズと顔を付き合わせていた。
互いの横には頭を悩ませるモット伯と、疲れ果てうつらうつら舟を漕ぐタバサ。
密入国のキュルケはフレイムと共にシルフィードでの帰国となった。
言葉も無く見つめ合う二人。
たった数日の事だというのになんだか大分離れていた気がする。
ルイズの唇が声を出そうと動く。
「このバカ犬っ!」
突然の叱責に目を丸くする。
何を怒られたのか判らずオロオロとうろたえる。
その彼に続けてルイズの言葉が投げ掛けられる。
「タバサを守ろうとしたのは分かるけど…だけど!
それでアンタが死んだら…意味ないじゃない!」
怒鳴りながらポロポロと零れる大粒の涙。
それは彼が無事である事を安堵すると共に、
命が失われてしまうかもしれなかった悲しみでもあった。
ああ、そうか。精霊との話で知られてしまったんだ。
出来れば彼女を悲しませたくはないし涙も見たくない。
それなのに心のどこかでは、その姿を見て救われた自分がいた。
自分の為に涙を流してくる人、それがいる限り自分は怪物などにはならない。
そう心から実感できるのだ。

「ばか、ばかっ!」
それでもポカポカ殴られるのは痛いし彼女に泣き顔は似合わない。
何とか彼女を宥める良い方法を模索する。
自分とていつまでも無知ではない。
デルフとのお喋りで色々と学んでいるのだ。
そう、女の子を機嫌を取るにはどんな事を言えばいいのかも知っている。
「わんっ!」
彼はその一つを実践した。
断っておくが彼に悪気はなかった。
悪意があったのは、どういう結果になるのか判って通訳したデルフである。
「何て言ったの?」
「ん? ああ…“その格好、よく似合ってる”ってよ」
「……!!」
次の瞬間、激しい衝撃に馬車が大きく弾んだ。
キャンキャンと逃げ回る彼の悲鳴と、それを追い回す彼女の言葉にならない怒号。
それを耳にしながらモット伯は騒ぎに目を覚ました対面の女性に話しかける。
「私も似合ってると思うんだがね」
「……同感」
しかし言わぬが花であると、目前の光景を眺めながら二人は口を噤んだ。

屋敷に戻ったモットは休む間もなく解除薬の調合に取り掛かった。
イライラと出来上がりを待てぬルイズと、彼を抱き寄せて愛の言葉を囁くキュルケ。
タバサは疲れきったのか本を読みながらウトウトしていた。
以前の倍に当たる妨害を受けながらも彼は薬を完成させた。
そして即座に待機させていた馬車に飛び乗り王宮へと走る。
恐らく彼にとって生涯で一番良く働いた時間だったろう。


三人が学院に着く頃には既に学生達も里帰りから戻ってきていた。
となると、もはや一刻の猶予も無い。
成分のついでに匂いまで凝縮したような異臭を放つそれをキュルケへと手渡す。
タバサはもうすっかり薬が抜けていた、後はキュルケだけである。
「飲んだって別に変わらないわよ」
「じゃあ飲んでそれを証明して。
そしたら私も二人の結婚を祝福するから」
「そう? じゃあそうさせて貰うわ」
秘薬の匂いには慣れているのか、キュルケは一息にそれを飲み干す。
しかし別段変わった様子は見られない。
“モットの奴、調合失敗して逃げたわね”
そうルイズが解釈する横でタバサがキュルケに歩み寄る。
「……新郎」
「あ、あはははは…」
ぐいとキュルケに手渡すように彼を持ち上げる。
それを目にしたキュルケの顔に乾いた笑いが浮かぶ。
どうやら今までの事を思い出して恥ずかしがっていたが、
私に気付かれたくなくて取り繕っていたようだ。
全く意地張りなヤツと笑みが零れる。
思いがけず大冒険に発展したが、これにて一件落着。
またいつもの日常が帰ってくる。
それはきっと平凡で、それなのに楽しくて仕方がない日々。
そんなのが続いていくのを幸せというのだろう。

「あら? ルイズにキュルケ、それにタバサまでどうしたの?」
突然、掛けられた声に振り向く。
そして戻ってくる学生の中に見覚えのある顔を見つけた。
「モンモランシーじゃない。貴方も帰省してたの?」
「ええ、そうよ。貴方達も今戻ってきた所なの?」
レビテーションで浮かせている大荷物を見れば一目瞭然か。
しかし彼女の顔には旅の疲れは出ておらず、
どこか学院に戻ってくるのを心待ちにしていたような雰囲気が感じられる。

「ところでギーシュを見かけなかった?」
きょろきょろと辺りを見回しながらモンモランシーが尋ねる。
その後ろ手に包装された何かを隠しながら。
恐らくはギーシュへのプレゼントだろう。
何とも微笑ましい光景に思わずキュルケもにやけてしまう。
そういえばギーシュの姿を見かけない。
…というか何か大事な事を忘れている気がする。
当の本人が現れたのは、その違和感にルイズが気付いた瞬間だった。
「あぁ! 会いたかったよ愛しの君!
この張り裂けんばかりの切ない想い、その胸の中で癒してくれ!」
飛び出てくるなり彼に抱きつき頬擦りをするギーシュ。
しかもモンモランシーを前にしても気にも留めず、愛の囁きを繰り返す。
カランと落ちた包みの中から香水の瓶が転がり落ちる。
家から取ってきたのか、それとも向こうで調合した物かは分からない。
その香水の持ち主は顔を蒼くしながら信じられない物を見る目でギーシュを見つめる。
僅かに顔を振りながら現実を受け入れるのを拒む。
しかし、目の前の光景は何一つとして変わらない。
「い…嫌ぁぁぁーーー!! 不潔ーーー!!」
叫びながら脱兎の如く走り去るモンモランシー。
誰も呼び止める事が出来ずに立ち尽くす。
あの誤解を解くのは大変だとルイズは他人事のように思った。
ギーシュがいつもの日常に戻れるのはまだ先の話みたいだ。

後に才人とギーシュを因縁付ける事になる香水は、
何も知らず取り残されて地面に横たわったままであった。


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