ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第二十三章 惚れ薬、その終結

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第二十三章 惚れ薬、その終結

 授業が終わった後の風の塔の踊り場にルイズの声が響いた。
「見つからないってどういうことよ!」
「言葉通りの意味だよ。解除薬は見つからなかった」
 フーケは少し億劫そうな声で答えた。トリスタニア中の闇魔法屋を回ったため、疲れたのだ。
「念のため、材料についても探してみたんだけどね。どうしても必要な水の精霊の涙が入荷されなくなってるらしいよ。何でも、ラグドリアン湖に住んでる水の精霊たちと最近、連絡がとれなくなっているって話でね」
「何で?」
「さあ、そこまではわかんないね。でも、入荷は絶望的らしいよ」
 人一倍真面目に知識を蓄えてきたルイズは水の精霊の涙についても知っていた。水の精霊の涙と言うのは、実際には涙ではなく、水の精霊の身体の一部である。
「それじゃ、タバサを元に戻せないじゃない……」
 ルイズは肩を落とした。リゾットの前で「解除薬を手に入れておく」と言った手前、彼が戻るまでに薬を手に入れておかないのはルイズの主人としての沽券に関わる。何より、本人は認めたくないが、タバサがあんな調子では精神的なストレスがたまってしょうがない。
「まあ、そう気を落とす必要はないよ。魔法屋の一つで水の精霊の涙を買った客を聞き出すことができたんだけど、どうやらこの学院の生徒らしい」
「本当に!? だ、誰?」
「ちょっと待ちなよ……」
 フーケは興奮して身を乗り出したルイズを片手で制しながら、メモを取り出して読み上げる。
「女性。黒いマントを着用……あんたと同学年だね。金髪碧眼。ツリ眼。体系は痩せ型。胸がない」
 気忙しく貧乏ゆすりしていたルイズの身体がぴたりと停止した。
「さ、さささ最後の情報は何? 私へのあ、あてつけ?」
「秘薬を作るってことはまあ、水のメイジだろうね……。って、は?」
 怪訝な顔でフーケがメモから顔をあげると、ルイズはこめかみをひくつかせてこちらを凝視していた。笑顔だが、何故かその笑顔が怖い。
 ルイズはまじまじとフーケの胸を見た。今まで気にしていなかったため、分からなかったが、よく見ると大きい部類のようだ。
 否、はっきりと大きい。オスマンとコルベールをして「けしからん」と言わしめたフーケに、ルイズは圧倒された。
(て、敵……。敵だわ……)
 ルイズが内心で悶えている間、フーケもまたルイズの胸を見た。なるほど、こちらもあまり気にしていなかったが、ちゃんと見ると、服の上からでもはっきりと分かる。平原だ。大規模な野戦にちょうどいい地形だろう。
(同じ年頃でもこうまで差が出るとはね……)
 アルビオンで暮らす家族同然に思っている少女の胸と比較し、フーケは思わず哀れみの眼でルイズを見た。胸の大きさが女性の全てだとは思わないが、流石に平原ではコンプレックスにもなろう。
「……」
 二人の間に気まずい沈黙が降りる。重い空気にフーケはつい口を滑らせた。
「……始祖ブリミルも残酷なことをなさるわね……」
 次の瞬間、ルイズはフーケに虚無を放った。

「……まあ、私からの情報はそんなところなんだけど、誰か心当りはある?」
 フーケは服に積もった埃を払いながら尋ねた。ほとんど詠唱せずに放たれたからか、爆発は大した威力ではなかったが、フーケの髪は爆風で乱れ、服は埃まみれになっていた。
(やれやれ、こりゃあリゾットも大変なご主人様を持ったもんだね)
 そんなことを考えながら髪や服を整えるフーケをまだ少し不機嫌そうに睨みながら、ルイズは考えを巡らせた。この学院には沢山の人がいるが、学年や系統、さらに髪や眼の色、体型まで分かっているなら相手を特定することはさして難しくない。
「モンモランシーかしら。彼女は香水とか、秘薬作りが趣味だったはずだわ」


 『香水』のモンモランシーはルイズと同じ二年に所属する水系統のメイジで、ギーシュの恋人であり、リゾットとギーシュが決闘する際、ギーシュに絶縁宣言を突きつけた一人である。
「ああ、彼女か……。それじゃ、彼女に頼んで、譲ってもらうなり、解除薬を作ってもらうなりするんだね。もう使われてたらどうしようもないけど」
「確かにそうね…。今から急いでモンモランシーの部屋に行ってみるわ」
「行ってらっしゃい。私はここで待ってるから、あとで首尾を聞かせて」
 フーケの返事を聞くのもそこそこに、ルイズは寮塔に向かって走り出した。

 さて、その頃、モンモランシーの部屋では、ギーシュが部屋の主にして恋人を一生懸命、口説き落としていた。この二人、年中くっついたり別れたりしており、今はその瀬戸際なのだ。
 と言っても、実はこの手の言い合いは二人にとって年中行事である。今回の場合、そもそもの原因はギーシュが下級生に色目を使ったことに端を発する。
ギーシュにとって『ちょっと念入りに挨拶する』程度のことがモンモランシーの気に障るのだから、衝突は避けようがないのだ。
 ギーシュはモンモランシーの機嫌をとるため、部屋の中を行ったり来たりしつつ、薔薇やら水の精霊やら星やら黄金の草原やら、とにかく思いつく限りの美の対象を引き合いに出しながら、既に歌劇一本分ぐらいの台詞を吐き出していた。
 流石にモンモランシーもギーシュが可哀想になってくる。モンモランシーとて、ギーシュの気持ちを本当に疑っているわけではない。
 何しろ命をかけて秘境から財宝を取ってきて、それを自分にプレゼントするくらいだ。だが、それはそれとして他の女を見るのは気に食わないし、腹も立つ。
 どうしようかとしばらく考えていたが、その時、モンモランシーの頭に閃光のように名案が浮かんだ。
 すっと、後ろを向いたままギーシュに左手を差し出す。ああ、とギーシュは感嘆の呻きを漏らし、その手に口付ける。
「ああ、僕のモンモランシー……。もう僕は君以外目に入らない……」
 続いてギーシュは唇を近づけようとしたが、すっと指で刺された。
「その前に、ワインで乾杯しましょうよ。せっかく持ってきたんだから」
「そ、そうだね!」
 テーブルの上には、花瓶に入った花とワインの壜と陶器のグラスが二つ置いてあった。ギーシュはそれらを携えて、モンモランシーを訪れたのである。
 ギーシュは慌てて、ワインをグラスについだ。すると、モンモランシーはいきなり窓の外を指差した。
「あら? 窓の外に裸のお姫様が飛んでる!」
「え? どこ! どこどこ!」
 ギーシュは目を丸くして、窓の外を食い入るように見つめている。
(なーにーが! 『君以外の女性は目に入らない』よ。やっぱりコレを使わなきゃダメね! 全く、使わなきゃ使わないで済ませたのに……)
 そう思いながら、モンモランシーは袖に隠した小瓶の中身を、ギーシュの杯にそっと垂らした。透明な液体がワインに溶けていく。
 香水のモンモランシーが腕によりをかけて密かに作り出したそれは、早い話が惚れ薬だった。
 完全に液体がワインに溶けるのを見計らって、モンモランシーはにっこりと笑った。
「嘘よ。さあ、乾杯しましょ」
「やだなあ、びっくりさせないでくれ」
 ギーシュはおどけながらも杯を手に取った。二人の杯が触れ合い、その中身が両者の喉を降りていく。
 杯が空になったその時、大きな音を立てて部屋の扉が開き、ルイズが入って来た。
「モンモランシー、話があるんだけど!」
 中に居た二人は思わずルイズに視線をやった。そう、ギーシュもである。


「ノックくらいはしたまえ、ルイズ! ………ん?」
「あ!」
 モンモランシーが声を上げたが、既に遅かった。ギーシュの中で、ルイズへの好意が急速に膨れ上がっていく。元々ギーシュは女性には好意的であるが、その好意は桁違いだった。
「ああ、ルイズ……、君はなんて美しいんだ……。君に比べればこの世のどんなバラの美しさも霞んでしまうよ……」
 そういってルイズの手を取り、その甲にキスをする。
「へ? と、ととと突然、何よ、ギーシュ! 気持ち悪いわね」
 不意打ちで自分への賛美を聞かされ、ルイズは思わず照れて、手を引っ込めた。みると、モンモランシーが頭を抱えている。その様子でピンと来た。
「モンモランシー、あんた……まさかと思うけど、惚れ薬をギーシュに飲ませたんじゃないでしょうね?」
 途端にモンモランシーの身体がぎくりと跳ねた。
「な、何で分かったの!?」
「やっぱり……。遅かったわ……」
 がくりと肩を落とすルイズだったが、ギーシュはその肩を抱き寄せる。
「どうしたんだい、僕の愛しいルイズ? 君にそんな顔は似合わないよ。笑っておくれ。そうだ、元気が出るおまじないをしてあげよう」
 そう言ってルイズの頬に唇を寄せる。次の瞬間、モンモランシーとルイズは双子もかくや、というコンビネーションを発揮し、あっという間にギーシュを縛り上げ、床に転がした。
「な、何をするんだね、二人とも。ああ、もしやそういう趣向なのかい? ルイズがしたいなら僕は構わないよ」
 などと見当違いのことをいうギーシュを、モンモランシーは怒りに肩を震わせて睨んだ。
「な、何がおまじないよ…! 惚れ薬を飲んだとはいえ、私の前でよくもそんなことを……!」
 低く呟く。よくもも何も自分が惚れ薬を飲ませたせいなのだが、感情は時に論理を超越するのである。
「モンモランシー、解除薬を作って!」
 詰め寄るルイズに、モンモランシーは気まずそうに答える。
「無理よ。もう材料を使い切っちゃったし。買い直すにしてもお金なんてないもの……」
 貧乏な貴族、というと奇妙な印象を受けるかもしれないが、世の中、ルイズの実家、ヴァリエール家のように豊かな貴族ばかりではない。
 むしろ、貧乏な貴族というのが世の貴族の半分を占めている。
 そもそも貴族が何より大切にする体面を保つのには存外、金がかかる。
 例えば、ギーシュの実家のグラモン家は元帥職も輩出している武門の名家であるから、戦争のある度に、見栄を張って多大な出費を繰り返している。
 また、屋敷や領地というものは維持するだけでも結構な費用がかかる。貴族は基本的に世襲制であるので、代々の当主が経営の才に恵まれているとは限らない。
 領地経営を失敗すればあっという間に貧乏へと転落する。
 干拓に失敗して領地を保つのにやっと、という状態になったモンモランシーの実家、モンモランシ家はこちらの部類に入る。
 今回の惚れ薬の材料にしても、モンモランシーが得意の香水を調合しては売り払い、こつこつ貯めたお金で購入したものなのだ。もう一度材料をそろえるのにはどれほど掛かるか……。
 が、金はとりあえず問題ではない。リゾットはフーケに資金を預けていったため、出そうと思えば出せる。問題はその前だ。
「……使い切っちゃった? 材料を?」
「ええ……」
 その言葉と同時にがくり、とルイズが膝から崩れ落ちた。市場にないものはいくら金を出しても買えない。それでは解除薬が作れず、解除できないのでは使い魔をタバサから取り戻せないし、薬の力でギーシュに好かれたところで迷惑でしかない。
 二重の意味で打ちひしがれているルイズを尻目に、モンモランシーも考え込む。何だかんだいっても彼女だってギーシュがこのままでは精神衛生上、とてもよくない。何とかして解除しなくてはならない。


 そうこうしているうちにルイズが決然と顔を上げ、宣言した。
「こうなったら水の精霊に会いに、ラグドリアン湖へ行きましょう!」
「本気? 学校はどうすんの? それにルイズ。あんた、水の精霊が何か、知らないわけじゃないでしょうね?」
「分かってるわよ。滅多に人前に姿を現さないし、怒らせでもしたら大変なんでしょう? でも、一ヶ月も一年もギーシュがこのままでもいいわけ?」
「それは……」
 モンモランシーは言葉に詰まった。しばらく唸りながらギーシュやルイズに視線をさまよわせた挙句、遂に音をあげた。
「あー、もう! 分かったわよ。仕方ないわね! 手伝ってあげるわよ!」
「最初から素直にそういえばいいのよ」
 満足げに笑うルイズと対象的にモンモランシーは不満げに鼻を鳴らした。
「勘違いしないで。ギーシュが心配ってわけじゃないわ。お付き合いなんて遊びみたいなものだけど、薬のせいとはいえ、浮気されるのが嫌なだけよ」
「そう。まあ、それならそれでいいわ。貴方が素直じゃないのはわかったし」
 ちょっと肩をすくめながら、どこかでこういう光景を見たことがあるな、とルイズは思った。普段の自分自身なのだが、自分のことほど理解しにくいものなのである。
「はあ、サボりなんて初めてだわ」
「大丈夫だよ、モンモランシー。僕なんか今学年は半分も授業に出てないし、僕のルイズはもっとだ。まあ、僕のルイズのためなら授業なんて一つもでなくても後悔しないけどね! あっはっはっ!」
 ギーシュは底抜けに明るく笑い、次の瞬間、二人の少女に同時に殴られた。
ぐったりしたギーシュを尻目に、ふと、モンモランシーはルイズに訊いてみた。
「ところで、貴方の使い魔はどうしたの?」
 ルイズはその質問に少し声を詰まらせた。平静を装ってそっけなく答える。
「……別に。ちょっと使いに出してるだけよ」
「そうなの……」
 モンモランシーはほっとしたように息をついた。モンモランシーはルイズの使い魔が苦手だった。特に目立つわけでも乱暴を働くわけでもないが、何となく不気味なのだ。 素手でギーシュとの決闘に勝ったという事実がその雰囲気を助長していた。当のギーシュはリゾットにそんなに悪い印象を抱いているわけではないのが不思議だったが。
「じゃ、明日の朝一で出発ね! それまで、ギーシュの面倒みておいてよ!」
 ルイズがそういって出て行った。残されたモンモランシーは気絶しているギーシュを見て、一人、憂鬱そうにため息を吐いた。


 ルイズたち三人は馬を使い、ラグドリアン湖までやって来た。道中、ギーシュはルイズを自分の立派な葦毛の馬の前に乗せたかったようだが、ルイズに拒絶され、モンモランシーに凄まじい形相で睨み付けられ、それは諦めた。
 丘から見下ろすラグドリアン湖の青い水面は、陽光を反射し、キラキラと宝石のように輝いていた。
「これが音に聞こえたラグドリアン湖か! いやあ、なんとも綺麗な湖だな!ここに水の精霊がいるのか! 感激だ!」
 はしゃぐギーシュとは対照的に、ルイズは懐かしい目でラグドリアン湖を見渡していた。前に一度来たときはアンリエッタのお供だった。その当時のアンリエッタは園遊会の後、夜毎にルイズをベッドの中に影武者として寝かせ、自分は夜な夜な抜け出していた。あれは今は亡きウェールズに逢っていたのだな、と、今、成長したルイズならば理解できるが、当時は不思議だったものだ。
 思い出から戻り、ふと気付くと、ギーシュは馬を回り込ませ、ルイズの後ろから湖を見ていた。そのまま薔薇を咥えて悩ましげに眉を寄せている。
「……何してるの?」
 何となく嫌な予感を覚えながらルイズが尋ねると、ギーシュは盛大にため息をついた。
「いや、今、感激したばかりだが、こうして一緒にみるとラグドリアン湖の美しさなど、ルイズには遠く及ばないね。霞んでしまうよ」
「なっ!?」
 歯が浮くような台詞を言われ、ルイズは赤面した。その途端、ギーシュの馬が急に湖に向かって走り出す。
「うわっ!?」
 波打ち際まで全力で走った馬は、水を怖がり、急停止した。慣性の法則で、ギーシュは馬上から投げ出され、湖に頭から落ちる。
「背が立たない! 背が! 背ぇええええがぁあああああッ!」
 ばしゃばしゃとギーシュは必死の形相で助けを求めている。どうやら泳げないらしい。
「ふん、なによ! ルイズルイズって馬鹿みたい!」
 ギーシュの馬に鞭を入れた張本人、モンモランシーは不機嫌そうに呟き、自らも波打ち際まで馬を進める。
 ギーシュがルイズに付きっ切りなため、彼女は道中、ずっとこの調子だ。
「ま、まあ、薬のせいだし。解除薬を飲めばすぐ治るわよ」
 ルイズがフォローを入れながら後に続く。水の精霊との連絡には『水』のメイジであるモンモランシーが必要不可欠なため、彼女がいつ機嫌を損ねて帰ると言い出すかと、ルイズは内心ひやひやしていた。
 必死の犬掻きで岸に辿り着いたギーシュは、息を整えると、薔薇を咥えなおして精一杯格好をつけた。
「ちょっと格好悪いところをお見せしてしまったかな?」
 そんなギーシュに女性二人が顔を見合わせ、がっくりとうな垂れていると、遠くから一頭の馬に跨った金髪の女性が近づいてきた。二人の側に来ると馬を降り、ルイズに向かって礼をする。
「お嬢様、お待ちしておりました。無事に到着されて何よりです」
「ええ。頼んでいたことは調べてくれた?」
「はい。まだ付近住人に聞き込んだ程度ですが」
 誰? と目線で尋ねてくるモンモランシーに、ルイズは答える。
「ええと、うちの実家の使用人のラ・ポルト。ほら、夏期休暇に入ったら実家に帰るから、その準備のために来てくれたんだけど、ラグドリアン湖の水の精霊がおかしいって話だから、先に行って調べてもらっていたの」
 ルイズは覚えた『設定』を一気にまくし立てる。ふぅん、と特に疑った様子もなく、モンモランシーは聞いていた。
「さすがラ・ヴァリエール家のご令嬢ね……」
「よろしくお願いします。ミス……」
「モンモランシよ。モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ」
「僕はギーシュ・ド・グラモンだ」
「よろしくお願いします、ミス・モンモランシ、ミスタ・グラモン」
 そういってラ・ポルトは頭を下げた。護衛をかねているのか、杖を下げている。そんな彼女を見て、モンモランシーは何か引っかかるものを覚えた。
「ねえ、貴方……どこかで会った事、ある?」


「いいえ、初対面です」
「そう……。きっと他人の空似よね」
 モンモランシーは首を傾げた。どこかで会ったことがあるような気がしたのである。
 それもそのはずで、このラ・ポルトという女性はフーケの変装である。
 元々、フーケは学院長の秘書という、生徒と直接には関係ない職についていたので、そもそもフーケがミス・ロングビルを名乗っていた頃の顔をはっきり覚えている生徒は少ない。髪を染め、化粧の仕方を変え、眼鏡を野暮ったいものに変えるだけで、十分に変装になっていた。
 ちなみに偽名のラ・ポルトというのは、ルイズがアンリエッタと過ごした少女時代によく叱られた侍従の名前である。
「まあ、そんなことより、どうなの? 何かわかった?」
 ルイズが本題を切り出す。フーケは頷いて喋りだした。
 フーケの調査によると、二年ほど前からラグドリアン湖の水位が上昇し始めたのだという。徐々にではあるが、確実に増水は進んでいるようで、湖を見渡すと、確かに屋敷の屋根らしきものがかろうじて水面に出ている。湖面を覗き込むと、畑の名残らしきものも湖底に見て取れた。もちろん自然現象ではありえない増水の仕方である。
「付近の住民によると、水の精霊の仕業だとか」
「……そうね。水の精霊は怒ってるみたい」
 話を聞きながらじっと湖面を見つめていたモンモランシーが呟いた。『水』のモンモランシ家は代々、トリステイン王家と水の精霊の盟約の橋渡しをして来た家柄である。今は交替してしまったとはいえ、その一員であるモンモランシーも、何か感じ取れるのだろう。
「領主はどうしたの? 自分の領地がこんなことになっているのに」
「訴えはあるようですが、どうやらまだ大した問題にしていないようですね。
元々、ここの領主は宮廷での付き合いに夢中なようですし、今は戦争の準備があります。関わっていられないのでしょう」
「ふぅむ……戦争は国家の一大事だし、貴族同士の付き合いも面子がかかっているところがあるからねえ……」
 服を乾かしていたギーシュがそういうのを、貴族嫌いのフーケは冷ややかな目で見ていた。貴族から追放された身だからこそ分かることもある。貴族は領民がいるから生活できるのだ。それが苦労しているのに放置するというのは本末転倒だ。
「ギーシュ、ふざけたことを言わないで。自分の領地と領民も守る責任を果たしてこその貴族なのよ」
 だから、ルイズがそういってギーシュを睨み付けたときは、ルイズを見直すような気持ちになった。
「ああ、ごめんよ、僕のルイズ。そんなつもりで言ったんじゃないんだ」
 慌てて弁解するギーシュに、そっぽを向いたルイズは、フーケの視線に気付いた。
「何よ?」
「いいえ、お嬢様がご立派になられたことに感激しただけでございます」
 そういってフーケは心からの微笑を浮かべた。
「ふ、ふん。別に当たり前よ、このくらい。それより、モンモランシー。水の精霊は呼び出せるの?」
 そういってモンモランシーを見る。次の瞬間、そこにいた生物を見て悲鳴をあげた。
「か、カエル!?」
 鮮やかな黄色に所々黒い斑点のついたカエルが、モンモランシーの手の平の上にちょこんと乗っかり、主人を見つめていた。
 驚いたルイズとカエルの間にギーシュが割り込む。
「大丈夫だよ、ルイズ。あれはモンモランシーの使い魔なんだ」
「そうよ。あんまり嫌がらないでちょうだい。大事なパートナーなんだから」
 憮然として言うと、モンモランシーは指を立て、カエルに命令した。
「いいこと? ロビン。貴方の古いお友だちと、連絡が取りたいの」
 モンモランシーはポケットから針を取り出すと、それで指の先を突き、血を一滴、カエルに垂らした。


 すぐに呪文を唱えて傷を治療すると、顔を近づけ、カエルに言い聞かせる。
「これで覚えていれば相手は私のことがわかるわ。お願いね、ロビン。水の精霊に、盟約の持ち主の一人が話をしたいと伝えてちょうだい。わかった?」
 ロビンは頭を下げると、水の中へと入っていった。
「さ、後は待つとしましょう」
「水の精霊ってどんな姿なの?」
 ルイズが興味本位で訊いて見た。知識として知っているが、実際にその姿を見たことはない。ギーシュも相槌を打った。
「僕も見たことないなあ」
「う~ん……生きている水って言えばいいのかしらね。私も小さい頃、一度だけしか見たことないわ。領地の干拓をするときについてきてもらったの。大きなガラスの容器の中に入ってもらって来たんだけど……。その姿を例えるなら……」
 その時、岸辺から三十メイルほど離れた湖面が光を放った。
「っと、来てくれたみたい。私が説明するより、見た方が早いわ」
 餅が膨らむようにして湖面が盛り上がったと思うと、何か見えない手にこねられているように形を変えながら水が盛り上がった。形を変える水、それその物が水の精霊なのだ。
 湖から戻ってきたカエルを自分の懐にしまいながら、モンモランシーは両手を広げ、水の精霊に語りかけた。
「私はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。古き盟約の一員、その末裔よ。貴方が私を覚えていたら、私たちにも分かるやりかたと言葉で応えてちょうだい」
 その声に反応するかのように、水の精霊はぐにゃぐにゃと形を変え、一糸纏わぬモンモランシーそっくりの形になった。日の光が反射し、それはまるで宝石が動いているようだった。その美しさに思わずルイズとフーケはため息をつく。ギーシュは水の精霊ではなく、ルイズの横顔にため息をついていた。
 水の精霊は形を整えると、身体を震わせてモンモランシーに返事をした。
「覚えている。単なる者よ。貴様の身体に流れる液体を、我は覚えている。貴様に最後に出会ってから、月が五十二回交差した」
「よかった。水の精霊よ。お願いがあるの。あつかましいとは思うけど、貴方の身体の一部を分けて欲しいの」
 水の精霊が怒っている理由も多少、気になるが、まずは自分たちの目的から頼んでみる。
 その願いを聞くと、水の精霊はにこりと笑った。
「断る。単なる者よ」
 表情とは裏腹に、精霊はそう言ってにべもなく断った。
「そういわずに、お願いするわ。私たちにはそれが必要なの。何らかの形でお礼はするわ」
 粘り強く交渉しようとするモンモランシーを押しのけて、ルイズが水の精霊に懇願した。
「お願い! それがないととても困るの! ほんのちょっとでいいから、私たちに貴方の一部を分けてちょうだい!」
 ルイズが頼み込んでいるのを見て、ギーシュも水の精霊に頭を下げた。
「水の精霊よ。僕からもお願いするよ。どうか貴方の一部を分けてくれないかい?」
「ギーシュ……」
 モンモランシーが呟くと、ギーシュはちらっとモンモランシーを見た。
「何に使うか知らないが、女性二人が、しかもルイズとモンモランシーが望んでいることを、この僕が手伝わないわけにもいかないだろう?」
 水の精霊は三人に懇願され、考えるように形をぐにぐにと変えていたが、またモンモランシーの姿を取ると、返事をした。
「よかろう。単なる者たちよ。我のいう条件と引き換えに、我の一部を譲り渡そう」
 そして水の精霊はその条件を語り始めた。条件を聞いていくうちに、一同の表情が渋くなっていく。はっきりいって苦手な依頼だ。しかし、断るという選択肢はない。
(フーケに相談するしかないわね)
 ルイズは心の中でそう思っていた。


 タバサに命じられた任務は、ラグドリアン湖を増水させている水の精霊の退治だった。水の精霊は盟約を結んだ人間としか交渉に応じないらしく、盟約を結んでいるのはトリステイン王国であるため、ガリア王国側からは交渉をできない。ならばトリステインを経由して交渉すればいいようなものだが、そこに何か思惑があるのか、それともそれを口実にしてタバサを消したいのか、どちらなのかは指令から読み取ることはできなかった。
 どちらにしてもタバサたちに拒否権はない。タバサ、キュルケ、リゾットの三人は、その夜も任務に取りかかるため、ラグドリアン湖の岸辺にきていた。
ことが明らかになれば国際問題に発展する可能性すらあるため、人目につかないよう、三人とも漆黒のローブを身に纏い、フードを目深に被っている。
 タバサが杖を掲げ、呪文を唱え始める。
 タバサが風の魔法で空気の球を作りだし、湖底にいる水の精霊をキュルケの炎とリゾットの武器で攻撃するのだ。水そのもののような水の精霊も、液状の身体を蒸発させたり分解したりすればダメージがある。もちろん、相手からの抵抗もあるが、水が届かない限り、相手からの影響は受けない。
 こう書くと簡単なように思えるが、逆に言えば少しでもタバサが動揺したり集中を切らしたりして、湖の水が入ってくれば三人とも一瞬で殺されるということでもある。
 従って、任務の間、リゾットとキュルケは極力口を利かないようにしていた。二人が会話すると、それだけで惚れ薬の影響下にあるタバサが動揺する可能性があるからだ。
 タバサの詠唱が終わる頃を見計らって、リゾットも用意した武器を握る。手袋の下のルーンが発動し、身体が軽くなる。と、何か違和感を感じた。
 次の瞬間、突然地面が盛り上がり、大きな手のように広がると、三人を捕縛しようと絡みつく。同時に背後の茂みから七人の武装した人影が飛び出してくる。
 だが、三人の反応は素早かった。即座にキュルケが呪文の詠唱を開始し、リゾットは飛び出してきた敵に対応するため、跳躍して土の手を回避する。
 キュルケが杖から出した炎で土の戒めを焼き払う。その魔法を放った隙を狙うかのうようにラグドリアン湖の水面が盛り上がり、水柱となってタバサたちに襲い掛かる。
 だが、水柱はキュルケと少し時間をずらして呪文を詠唱したタバサの放つ風の槌に粉々に散らされた。と、思ったらまた地面が隆起し、牙を剥く。
 相手も二人で組んでいるらしく、土と水が交互に襲い掛かり、キュルケとタバサの火と風とぶつかり合う。
 一方、リゾットは武器を先頭の人影に叩きつける。火花が散り、人影が吹っ飛んだ。
「ゴーレムか」
 倒れたときの金属音と自分の手に伝わってきた感触からそう判断すると、空いている手でデルフリンガーを抜き、二体目のゴーレムを切り裂く。
「なんでぇ、相棒。今回、俺の出番はねーんじゃなかったのか?」
「あっちはゴーレムには役に立たないからな」
 いじけたように呟くデルフリンガーに言葉を返しつつ、リゾットは加速してゴーレムを切り伏せ、同時にそれを操るメイジを探す。
 木陰に杖を持った複数の人影を見つけると、リゾットは他の二人に視線を投げかける。その意図を瞬時に理解したキュルケとタバサは落ちてきた水柱を二手に分かれて回避すると、それぞれ炎と、氷の矢を放った。
 だが、それに対応するように一人が杖を振る。タバサたちと人影の間の土が盛り上がったと思うと、瞬時に鋼鉄へと変化し、二人の魔法を弾く。
「よし! ……え!?」
 相手のメイジが短く歓喜の声を上げるが、その声は次の瞬間、驚きの声に変わった。二人の魔法に隠れるようにして接近したリゾットが壁を回りこんで飛び込んできたからだ。
 眼前のメイジを切り捨てようとした瞬間、リゾットは聞き覚えのある詠唱を耳にした。
「待て!」
 リゾットの制止も間に合わず、その最後の一人は延々と唱えていた詠唱を中断し、杖を振る。光の球が突如、空間に出現した。
 リゾットはデルフを構えて背後に跳ぶが、それでもなお襲ってきた爆発の衝撃によって地面に叩きつけられた。


「相棒、大丈夫か!?」
「大丈夫だ。心配させて悪いな、デルフ……」
 即座に立ち上がると、杖を構えるメイジたちを手で制す。
「待て、ルイズ」
 フードを外すと襲ってきた四人の一人が声を上げた。
「え……リゾット!? ということは……」
 後方にいたキュルケとタバサもリゾットの様子に気付いてフードを取り去った。暗闇に潜んでいたギーシュとモンモランシーが叫ぶ。
「キュルケ! タバサ!」
「何であんたたちがこんなところにいるの!?」
「それはこっちの台詞よ!」
 一同が困惑する中、リゾットはルイズの隣の変装したフーケに気付いた。
「なるほど。素人じゃないなと思ったが、お前がいたのか……」
 フーケは無言で肩をすくめてみせた。

 合流した七人は、ラグドリアン湖のほとりで焚き火を囲みながらお互いの事情を教え合うことにした。
 キュルケたちは夕食がまだだったこともあり、自然と宴会のような様相を呈している。ギーシュはルイズにワインを勧められ、酔っ払って眠り込んでいた。
「つまり解除薬に必要な水の精霊の身体の一部を分けてもらうため、襲撃者である俺たちを倒してくれ、と依頼されたのか」
 リゾットが話をまとめる。ルイズの『エクスプロージョン』を受ける瞬間、デルフリンガーを掲げたため、リゾットは比較的軽傷で済んでいた。
 治癒をかけるなら水系統のモンモランシーが適任なのだが、タバサが譲らなかったため、今、リゾットはおとなしくタバサの治療を受けている。
「最初は断られたんだけどね」
 まさか解除薬に水の精霊が必要だったとは思わなかったリゾットは、あのまま水の精霊を倒した場合を考えて少しひやっとした。
「それにしても、まさか別に惚れ薬の問題が持ち上がっているとは思わなかったな……」
「こっちも驚いたわよ。ルイズから使いに出されたとは聞いていたけど、タバサたちに付き添ってたのね」
 事情を聞かされたモンモランシーは興味深げにタバサをみていた。タバサは甲斐甲斐しくリゾットの治療を続けている。
「なるほどね……」
「まあ、タバサのことはおいといて、何で惚れ薬なんて作ったの?」
 キュルケがモンモランシーに尋ねる。
「つ、作ってみたくなっただけよ。深い意味なんてないわ」
 何となく悔しそうに呟くモンモランシーの視線の先には酔っ払って寝ているギーシュがいる。それだけでキュルケにはぴんと来たようで、苦笑した。
「全く、自分に魅力がないからって薬に頼らなくってもいいじゃない」
「うるさいわね! 元はといえば、ギーシュが浮気ばっかりするのがいけないのよ! 惚れ薬でも飲まなきゃ治らないの! それなのに……」
 言葉の途中で涙声になり、モンモランシーは俯いてしまった。憎からず思っている相手が別の女性にかかりっきりというこの状況はやはり心身に堪えるらしい。
「それくらいにしてあげて。私にもちょっとは責任があるから」
 ルイズが言うと、キュルケは肩をすくめた。
「でも、どうするの? 解除薬は手に入れなきゃタバサとギーシュは治らないけど、水の精霊は倒さなきゃいけない」
「俺たちの攻撃だと水の精霊を消滅させることはできても切り取ることはできないからな……」
「そういえば、ミス・ツェルプストーはともかく、リゾットさんはどうやって水の精霊に攻撃していたのですか?」
 今まで使用人らしく、黙って肉を焼いていたフーケが不意に訊いて来た。その質問に、リゾットは長さ1メイルほどの鉄の棒を取り出す。棒には銅線がびっしりと巻きつけられ、柄に当たる部分にはゴムが巻かれていた。
「これに磁力を通すと、電撃が発生する」
 リゾットはメタリカを発動させつつ、鉄棒を握り、薪の一つに押し付ける。
火花が散って、薪が弾けとんだ。いうなればスタンガンのようなものである。


 科学的には電磁誘導と言った現象にあたるのだが、リゾット自身、磁力をコイルに通すと電気が発生する、といったことを知っているだけで、それがどの程度の電圧がでるかなどといった詳細は知らない。そもそもリゾットの発生させる磁力は酸化した鉄分をも操作することが可能であり、通常の磁力とは性質を異にする。
スタンド能力にとって重要なのは「出来て当然」と思うことであり、科学知識はその思い込みを補強する要素に過ぎないのだ。
「電撃は水を分解する。これで水の精霊を攻撃していた」
「色んなことができるのね、それ」
 ルイズの珍しく感心したような呟きに、リゾットは首を振った。
「だが、今必要なのは、相手の身体を切り取る能力だ。少し……難しいな」
「……私はもう少しこのままでもいい」
 治療を終え、リゾットの隣で黙々とはしばみ草のサラダと肉を食べていたタバサが、不意に呟いた。
「そういうわけにはいかないだろう」
 リゾットがタバサに言うと、ルイズもそれに同意する。
「そうよ。そんなのダメよ! タバサが実家に帰る度に使い魔がいなくなってたら、使い魔の意味がないじゃない!」
 食ってかかるルイズに、タバサは僅かに首を傾げた。
「嫉妬?」
「しっ……だ、だだだ、誰が! そんなわけないでしょ!?」
「本当に?」
 じっと、青い眼でルイズを見つめる。しばらくして、呟いた。
「嘘吐き」
「う、嘘なんか吐いてないわ! 私はただ……」
 そこでルイズは絶句した。タバサの視線に、ルイズは思わず視線を逸らす。
「そ、そんなことより。どうして貴方たちは水の精霊を襲ってたの?」
「それは……ええっと……水の精霊が湖を増水させているから、タバサの実家でも被害に会ってるらしいの。それであたしたちが退治を頼まれたってわけ」
 キュルケがタバサの家の事情を伏せて説明する。それを聞いて、一人、フーケは怪訝な顔をしていた。
(確かこの近くはガリア王の直轄領だったはずだけど……)
 リゾットに視線を送ると、僅かに首を振った。何か事情があるのだろうと察して、とりあえず納得する。調べようと思えばすぐに分かるだろう。
「では、こうしたらいかがでしょうか? ミス・モンモランシーに仲介していただき、水の精霊から増水させている理由を聞き出すのです。理由が聞き出せれば交渉の余地もあるかと」
「確かに。水が引けば退治する理由もなくなるな……。それでいいか?」
 リゾットの問いに、タバサは頷いた。
「よし、決まり! それじゃ、明日、早速交渉しましょう」
 キュルケが宣言し、その夜は過ぎていった。

 翌日、朝靄の中から現れた水の精霊に襲撃者を撃退したことを伝えると、水の精霊は自らの一部を分け与えた。
 湖底に戻ろうとしていた水の精霊を、ルイズが慌てて呼び止める。
「もう一つ、聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
 湖底に戻ろうとしていた水の精霊は再び湖面に浮上した。
「どうして貴方はこの湖の水を増水させているの? この辺りの人たちは皆、増水に困ってるわ。今回の襲撃者もそれが原因で来たみたいなの。多分、貴方がこのまま水かさを増やし続ければ、誰か別の襲撃者がやってくるわ。 何か目的があるなら私たちも協力するから、話して」
 水の精霊はまた考えるように形を変形させていたが、やがてモンモランシーの姿に戻り、口を開いた。
「よかろう、単なる者よ。我は約定を守る者を信じる」
 そういってまた姿をいくつか変えた後、元に戻って語り始めた。
「我が目的は我が長き時をともに過ごした『アンドバリの指輪』を取り戻すことにある。そのために我の領域である水を増やした」
 その名前を聞いて、モンモランシーが記憶を探るようにしばし考え込んだ。
「聞いたことあるわね。確か、偽りの生命を死者に与える、『水』系統の伝説のマジックアイテムね」


「そうだ。誰が作ったのか、何故作られたか、我は知らぬ。だが、お前たちがこの地にやってきたときには既に存在していた。死を恐れるお前たちには偽りとはいえ、命を与える指輪は魅力に思えるかも知れぬ」
 それを聞いて、フーケはピンときた。似たものを見たことがあるし、リゾットが不在の間に耳にしたある噂を思い出したからだ。
「先住魔法によって作られた物かもしれませんね。そういう品があると、耳にしたことがあります」
「ん、先住魔法?」
 不意にデルフリンガーが声を出した。
「ええ、何かお心当たりが?」
「んー、いや、なんだっけなあ。何か今、思い出しそうになったんだが……」
「またか。土壇場にならないとお前は思い出さないのか?」
 リゾットが呆れたようにいうと、デルフリンガーは仕方ないだろ、昔のことなんだから、と呟いて、黙り込んでしまった。時折、何かを思い出そうとうんうん唸っている。
 デルフリンガーがそれ以上思い出しそうにないことを見取ると、フーケは前に出た。
「水の精霊様、お尋ねしたいことがあります。『アンドバリの指輪』を盗んだ賊は、アルビオンの手の者ではございませんでしたか?」
 至極丁重な口調で言う。地を知るルイズやキュルケは、よくもまあ、こんなに雰囲気を変えられるものだ、と感心してそれを見ていた。
「どこの者かは分からぬ。だが、我が住処に来た数個体の一人がこう呼ばれていた。『クロムウェル』と」
「アルビオンの新皇帝の名前じゃない」
 キュルケの呟きに、フーケは頷いた。
「ええ。恐らく、間違いないかと」
「どういうことだ?」
 リゾットが全員を代表して疑問を述べる。最近、聞いた話なのですが、と前置きして、フーケは話し出した。
「クロムウェルは死者を蘇らせることができるらしいのです。本人はそれを伝説の『虚無』の力と喧伝しているそうですが、今の話を聞く限り、アンドバリの指輪のせいと考えた方がよさそうですね」
 それを聞いて、ルイズは何かに納得したように手を打った。
「そっか……。何でアルビオン王家が簡単に裏切られたかと思ってたけど、その宣伝の効果もあったんだわ。死んでも生き返らせてもらえると思えば、普段は日和見している貴族も貴族派につくもの」
 始祖ブリミルは信仰の対象になるほどハルケギニアの人間の心に根を下ろしている。そもそも、現存する王家自体が始祖の血を受け継ぐものたちが作ったものなのだ。
 その始祖の力が使える、と臭わせるだけでも効果は十分だっただろう。
「だが、単なる者よ。重ねて言うが、『アンドバリの指輪』によって得られる命は偽りの命。それを使って蘇らせた者は使用者に従う人形に過ぎぬ」
「悪趣味ね。死人を意のままに操るなんて」
 水の精霊の言葉に顔をしかめながら、キュルケは内心、頭をひねっていた。
何か引っかかるものを感じていたのだが、うまく思い出せない。まあ、今は水の精霊と交渉するのが先か、と髪をかきあげて思い出すのを諦めた。
「アンドバリの指輪というのは死者を操ることしかできないのか?」
 リゾットの質問に、水の精霊はしばらく間をおいて答えた。
「いいや、水の力そのものを凝縮したものであるが故、その使い方は一つに留まらぬ」
「なるほどな……。外付けの精神力みたいなもので、どう使うかは使い手次第ってわけか……。で、どうする、ルイズ?」
 ルイズはしばらく悩んでいたが、リゾットの問いかけに、決心したように頷いた。受けるのだろう。
「いいのか?」
「仕方ないじゃない。タバサだって実家の手前があるし……。それより、あんたは私の使い魔なんだから、手伝うのよ! 分かってる!?」
「ああ……。もちろんだ」
「ん、分かってるならいいわ」
 笑顔で頷くと、ルイズは大声で水の精霊に叫んだ。


「このまま水を増やしたところで、空の上のアルビオンには届かないわ! 私たちがクロムウェルから指輪を取り戻すから、今は水を引いて!」
 水の精霊は震えると、言葉を発した。
「分かった。お前たちを信用しよう。お前たちの寿命が尽きるまで、我はここで待ち続けるとする」
 そう言って再び湖底に沈もうとした水の精霊を、それまでの会話中は興味がなさそうにしていたタバサが呼び止めた。
「貴方に訊きたい事がある。貴方は人間に『誓約』の精霊と呼ばれている。それはなぜ?」
「単なる者よ。我とお前達では存在の根底が違う故に、お前たちの考えを理解できぬ。だが、思うに我は形は不定なれど、存在は変わらぬ。月が幾度交差しようともこの水とともに在った。変わらぬ我の前ゆえ、お前たちは変わらぬ何かを祈りたくなるのだろう」
 タバサは頷いた。跪くと、眼を閉じ、手を合わせた。キュルケはその肩に優しく手を置いた。
 それをみてギーシュは何か思いついたように薔薇を掲げた。
「ふむ……じゃあ、僕もルイズに永遠の」
 そこまで言ったところでギーシュは水柱の中に閉じ込められた。
「ごぼぼ!? ごぼ!?」
「全く……早く薬を作らなくちゃ……」
 誰が魔法を使ったなどはもはや書くのも野暮であろう。モンモランシーは不機嫌そうに横を向いていた。
 タバサは祈った後、何かを期待するような眼でじっとリゾットを見上げた。
その表情から何を求めているか、察することは可能だったが、リゾットはあえて尋ねる。
「……何だ?」
 タバサはしばらく黙って見上げていたが、やがて首を振った。
「何でもない」
 呟いてリゾットに寄り添い、シルフィードを呼び出す。
「……悪いな。期待に答えられなくて」
 リゾットが呟くと、タバサも僅かに頷いた。
「いい。無理を言った」
 平坦に、しかしどこか寂しそうに、そう呟いた。

 学院に戻ると、モンモランシーはすぐに解除薬の調合に取り掛かった。
「出来たわ! ふう! しっかし、やたらと苦労したわねー!」
 額の汗をぬぐいながら、テーブルのるつぼから小瓶に液体を取り分ける。小瓶をタバサに、るつぼをギーシュに手渡した。
「はい、二人とも、そのまま飲んで」
 ギーシュはそれに鼻を近づけると、顔を離した。
「何だか凄い臭いがするね。でもルイズ、僕はこれを飲んだところで、君への思いは変わらないと思うよ?」
 臆面もなくそう言い放つギーシュに、ルイズは苦笑を浮かべる。
「そうね……。そうだったら私ももう少し真剣に考えるんだけど。でもそうじゃないわ」
「じゃあ、僕はこれを飲んで確かめてみよう」
 言い放つと、ぐいっと飲み干した。一同の視線がギーシュに集まる。
 味が残るのか、飲み干したギーシュは顔をしかめていたが、やがて憑き物が落ちたように表情に冷静さが戻ってきた。が、次の瞬間、焦りに満ちた表情に変わる。
「ご、ごごごごごめんよ、モンモランシー!」
 ガンダールヴもかくやという速さで振り向くと、いきなりモンモランシーに土下座をした。
「僕ともあろうものが、君を一瞬でも邪険に扱ってしまうなんて、なんて謝ればいいんだ!」
 必死で謝るギーシュだが、モンモランシーは背を向けた。
「ふ、ふん。何よ、今更謝ったって遅いわ!」
 惚れ薬を飲ませたのはそもそも彼女なのだから、許すのはやぶさかではないが、簡単に許すのはプライドにかかわる。そんな想いから、思わずすげなくしてしまう。
 そんなモンモランシーの態度にギーシュはがっくりと肩を落とす。


「ああ、そうだね。許してくれるには僕は罪を重ねすぎた。お詫びにここで果てるとしよう」
 杖を振ってナイフを錬金する。ぎょっとしてルイズが止めに入った。
「ちょ、ちょっとギーシュ! 止めなさいよ!」
「いいんだ、ルイズ。君にも迷惑かけてしまったね。本当にすまない」
 などといいながらナイフを喉に押し当てようとする。
「もう! リゾット、ギーシュを止めて!」
「ああ……」
 本当につきたてるようには見えないが、恋愛というのは意識的にしろ、無意識的にしろ、駆け引きも必要である。何より、丸く収まるならそれに越したことはない。ギーシュの芝居に乗り、リゾットはギーシュの手を押さえる。
 その間に、ルイズがモンモランシーを説得にかかった。
「モンモランシー、反省してるんだから、いいでしょう? そもそもあんたが惚れ薬を作ったんだし、許してあげなさいよ!」
「そもそも自分の彼氏くらい自分で繋ぎとめておきなさいよ」
 呆れたようにキュルケが言う。フーケもギーシュを哀れんで、一言述べる。
「殿方には時に飴も必要かと」
「な、何よ。まるで私が悪いみたいじゃない」
 モンモランシーが呟くと、リゾットが冷静にツッコミを入れた。
「根底の原因はギーシュにあるかもしれないが、今回の件に限って言えば、お前にも責任があるだろう」
 苛立ちをあらわすように爪を噛んでいたが、諦めたように両手を広げて降参の意を表した。
「……もう、しょうがないわね。許してあげるわ!」
「ああ、モンモランシー……。君は女神のように慈愛に溢れているね」
 感極まってモンモランシーによろよろと近寄るが、彼女はギーシュを手で押し留めた。
「その代わり! もう金輪際、浮気しないこと! 私と付き合ってる間は私だけを愛すると誓いなさい」
「もちろんだよ、モンモランシー!」
 勢い込んで答えるギーシュは、モンモランシーの眼に光るものをみつけて驚いたように硬直した。
 モンモランシー自身も無自覚だったようで、ギーシュの驚いた顔をみてからそれに気付き、自分の目元を慌てて拭うと、照れ隠しのように横を向いた。
「次はないからね!」
「分かったよ、モンモランシー……」
 ギーシュが神妙に呟き、優しくモンモランシーを抱きしめた。
 その光景を見て、ルイズは安心したように呟く。
「やっと元の鞘に納まったわね」
「男に言い寄られるなんてあんたにはないだろうし、いい経験だったんじゃないの?」
 キュルケが笑みを浮かべてからかうと、一息ついたような表情のルイズはスカートの裾をいじりながら、つまらなさそうに返した。
「別に……。好きでもないのに言い寄られても迷惑よ……」
 割と真剣にそういったので、キュルケはそれ以上の追求は避けた。
「そう。まあ、とにかく、次はタバサね。……どうしたの?」
 タバサはじっと瓶に入った液体を見ていた。キュルケに声を掛けられると、ルイズに視線を移す。
「な、何よ。まさか飲むのが嫌とかいうんじゃないわよね?」
 その言葉に軽く首を振ると、タバサは呟くようにルイズへ告げた。
「しばらく、彼と二人にして欲しい」
「え……な、何で?」
「お願い。これが最後」
 重ねてタバサはルイズに頼み込んだ。


 先を歩くタバサについて、リゾットは火の搭の屋上に来ていた。円形の搭の屋上は、階下に通じる階段に続く穴以外、何もなく、胸ほどの高さの石の塀がぐるりと搭を囲んでいる。
 屋上に着くと、リゾットは夕日のまぶしさに一瞬、眼を細めた。タバサは塀まで歩き、杖を抱えて夕日に眼をやっていた。赤い日がタバサの青い髪を照らし、いつもとは違った色合いにしている。特に何も言わずに黙っていたため、リゾットもタバサの横でじっと夕日を見ていた。何もかもが異質な異世界で、太陽の輝きだけは地球と変わらない。
 じりじりと落ちていく夕日を、二人で並んでしばらく眺めていたが、沈黙を破ったのはタバサだった。
「……私の世界に色はなかった」
 リゾットは一瞬、タバサに眼をやったが、黙っていた。タバサが続ける。
「母様がああなってから、私の眼に映る世界は灰色で、何もかも冷たく感じた。
どんな景色も、この夕陽でさえ、寒々しい光景にしか見えなかった」
 タバサはじっと夕陽を見つめながら、一言一言を噛み締める様にして言葉を紡ぐ。
「しばらくして、キュルケやシルフィード、それに貴方と出会って、私の世界は少しだけ色を取り戻した。だけど……貴方と過ごしたこの数日間ほど、世界が輝いていたことはない。私はこの光景を一生覚えていると思う」
 リゾットが買った銀細工のしおりを取り出すと、それを愛しそうに撫で、リゾットに向き直る。
「ありがとう。貴方のお陰で私は世界が冷たくないことを思い出せた」
「……薬の効果だ」
「そうだとしても、貴方は私を不必要に忌避しなかった。貴方に冷たくされていたら、私はきっと耐えられなかったと思う。だから、感謝を」
「改まって礼を言うことでもない……。お前には……色々助けられている」
 リゾットはタバサから視線を逸らしてそういった。暗殺稼業から離れ、大分経つが、改まって礼など言われることには未だに慣れない。
「それに……。あまり一生、なんて言葉はこの場合は使うな。お前の母親を治して、目的さえ果たせば、お前はいつだって色のついた世界を見られるようになる。この景色が普通になるさ」
「…………」
 不意にタバサはリゾットに抱きついた。精一杯の力を込めてリゾットを抱きしめる。
「おい……? どうした?」
 タバサは答えない。表情は見えなかったが、悲しんでいるようにも喜んでいるようにも見えた。リゾットはどう対応すればいいのか困惑していたが、しばらく躊躇した後、どうにも出来ずに夕日に目をやったまま、突っ立っていた。
 そのまましばらく二人はじっとしていた。太陽が地平線から僅かにその頂点を覗かせるのみとなった頃、ようやくタバサはリゾットから離れた。
「これで、終わり……」
 名残惜しげに呟くと、タバサはポケットから解除薬を取り出した。
「今のこの『私』にとって、貴方は全て。だから、これを飲んでその想いが消えるなら、『私』も同時に消える。でも、それが貴方の、そして私のため。……せめて、見送って欲しい、他の誰でもない、貴方に。貴方だけに」
 瞳に僅かに不安をにじませ、タバサはそう懇願した。
「……分かった。だが、そう深刻に考えるな。惚れ薬の効果があろうがなかろうが、俺たちが仲間だということに変わりはない。そうだろう?」
 そういうことではないのだが、タバサは無表情に頷く。寂しさはまだあったが、その心の中には確かに暖かいものがあった。
 そしてタバサは薬を口に運ぶ。味に関してはタバサは少し変わった味覚をしているため、特に抵抗はない。そのまま飲み干した。
「……治ったか?」
 しばらくしてからのリゾットの問いかけに、タバサは頷くと、リゾットに背を向けた。
「どうした?」
「…………解除されても記憶は残る」
 ああ、とリゾットは納得した。
「照れてるのか」
 ほんの僅かにタバサは頷いた。


「そうか。じゃあ、元に戻れるような話をしよう。お前の母親だが……。水の先住魔法で心の均衡を失っているのだったな?」
 タバサがまた頷いた。
「なら、アンドバリの指輪で治せるんじゃないか?」
 リゾットがそういうと、タバサは振り向いた。その顔にはほんの僅かだが驚愕の表情が浮かんでいる。
「やはり、あのときの話をあまり聞いていなかったか。アンドバリの指輪は先住魔法の水の力の結晶らしい。なら、治療に使えないか? どう思う?」
 タバサはしばらく考え、やがて頷いた。
「可能性はある」
「そうか……。希望が出てきたな。だけど、焦るなよ」
「大丈夫」
 タバサの所属するガリア王国はアルビオンに対して中立を宣言している。そんな国の皇帝に対して下手な行動を起こせば、人質同然の身のタバサの母親に危害が及ぶのは想像に難くない。そこはタバサも分かっていた。
「私もアンドバリの指輪について調べてみる」
 気がつくと、周囲はすっかり暗くなっていた。夜の訪れと同時に気温も下がり始めている。
「タバサ、中へ戻るぞ。遅くなった」
 リゾットに続いて階下へ向かいながら、タバサは胸の辺りを押さえ、空を見上げた。夜空には赤と白の月が輝き、タバサを優しく照らしていた。

 騒動の終結を報告しようと、二人が寮搭の三階まで来ると、廊下で待っていたルイズがじろりと視線を投げかける。
「……遅かったじゃない」
「悪いな。……どうして外に?」
 ルイズの顔が途端に赤くなった。
「いや、何かその……ギーシュとモンモランシーが盛り上がってたから、邪魔しちゃ悪いかなって……」
 どうやらギーシュとモンモランシーは上手く和解できたようだ。
「それで外で帰りを待っててくれたのか。気を使わせて悪いな」
「べ、別にあんたたちのためじゃないわ……。キュルケとフーケも待ってるから、さっさと中に入るわよ!」
 ルイズが自室の扉を開けると、中でフーケとキュルケが待っていた。キュルケはサラマンダーのフレイムに餌をやっていたが、中に入ってきたタバサに笑いかけ、手を止める。
「おかえり、タバサ。どう? ダーリンとの仲は進展した?」
「別に……」
 興味津々のキュルケにそっけなく答え、椅子に座ると、本を広げる。代わってリゾットが口を開く。
「解除薬は飲んだ。これで……今回の一件は落着だ。フーケ、これが今回の報酬だ。ご苦労だった」
 金貨の入った袋を受け取ると、フーケは大きく伸びをした。
「これで終わりですか。それでは、『お嬢様』。私はこれで失礼いたします。
ミス・モンモランシには、急用ができて実家に先に戻ったとでも言い繕っておいてください」
「うん、わかった。一応、その……お疲れ様」
「いいえ、仕事ですので。それに……」
 眼鏡を本来のものに取り抱え、ルイズににやりと笑みを返す。
「私は楽しかったよ。あんたにもいいところがあるって分かったしね。威張り散らすだけの我が儘娘って評価は改めておくよ。貴族の義務って奴も心得てるようだし、友達思いのところもあるじゃないか」
 そういってフーケがルイズの頭を撫でまわすと、ルイズは顔を真っ赤にした。
「ちょ、ちょっとやめてよ!? 髪が乱れるじゃない! それにあんた、私をそんな目でみてたわけ!?」
 う、と呻いてフーケは視線を逸らす。
「ところでリゾット」
「答えなさいよ!?」
 キュルケに何があったのか問い詰められていたリゾットが振り返った。
「何だ?」

「明日からしばらく休み取らせてもらいたいんだけど。ちょっと遠出して、耳にした変な噂を調べてみようと思ってさ」
「変な噂って何?」
 好奇心の強いキュルケが尋ねる。誤魔化された形になったルイズは不満げだったが、次のフーケの一言でその不満は吹き飛んだ。
「アルビオンのプリンス・オブ・ウェールズが生きてるんだってさ。しかも、皇帝クロムウェルと行動をともにしてたって話でね」
「ウェールズ皇太子が?」
 思わずルイズは呟き、リゾットと顔を見合わせる。二人ともウェールズが死んだ瞬間を見たわけではない。だが、あの状況からの脱出が絶望的だったことは明らかだ。何より、ウェールズ自身があの場で死ぬことを決めていた。降伏も逃亡も捕縛もよしとしないはずだ。
 そのとき、キュルケが大声を上げた。
「そうよ! 思い出したわ! そのウェールズ皇太子よ! あたしも見たわ!」
 キュルケはゲルマニアの皇帝が就任したとき、その顔を見たことがあった。
彼はそのとき国賓席で高貴で魅力的な笑みを振り撒いていた。今まで綺麗さっぱり忘れていたのだが、名前が出たことで思い出したのだ。
「どこで見た?」
「タバサの実家へ向かう道の途中ですれ違ったわ。タバサとダーリンは絵本を読んでたから気付かなかったけど、確かそこの剣は一緒にみたわよね? 戦死されたって公布が出てたけど、生きてらっしゃったのね」
「そういえばそうだったな。ありゃあウェールズだった」
 デルフリンガーも思い出し、キュルケに同意する。だが、ルイズは力なく首を振った。
「……生きてた? そんなわけ……ないわ。まして、クロムウェルと一緒にいるなんて……」
「アンドバリの指輪」
 タバサが本を広げたまま呟く。
「なるほど。死体を操ってるってわけか……。もしくは本当に生きているなら洗脳されているか……」
 スタンド使いの中にはそういう能力がある者もいる。魔法でも似たようなことができる可能性はあった。
「大変! リゾット、行くわよ!」
「え? ちょ、ちょっと!?」
 ルイズはフーケの言葉が終わらないうちに走り出す。トリステインからガリアへの道ですれ違ったということは行く先はトリステインなのだろう。
 狙いがアンリエッタであることは明白だった。本当に生きていたとしても、クロムウェルと行動を共にしていたという噂が本当なら、やはりアンリエッタは危険だ。
「待って! どういうこと!?」
「姫様が危ないわ!」
 リゾットとルイズを除く三人はアンリエッタとウェールズの関係について知識がないため、ルイズのいう危険について理解ができない。
 部屋から飛び出そうとしたルイズだったが、その足が宙を蹴る。『レビテーション』の魔法だった。
「ちょっと、邪魔しないでよ、タバサ!」
「私も行く。こっちの方が速い」
 タバサは本を閉じ、窓を指し示した。いつの間に呼び寄せたのか、窓からシルフィードが顔をのぞかせている。タバサがシルフィードの背に乗り、ルイズとリゾットもそれに続く。
 出発しようとすると、キュルケとフーケも乗り込んできた。
「お前ら……。危険だと……」
 警告しようとしたリゾットの唇に指を当て、キュルケは微笑んだ。
「今更そういうことを言うのは野暮よ、ダーリン。あたしも行くわ……。でも事情は説明してよね」
 一方、フーケは何か思いつめたようにぼそぼそと呟いた。
「まあ……、ウェールズにはちょっとばかり、因縁があるんでね。これは仕事じゃなくて、個人的な行動ってことで頼むよ……」
 そういわれてはそれ以上、リゾットも何も言わない。タバサがシルフィードに声をかけ、夜空に風竜が舞い上がった。

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