ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

サブ・ゼロの使い魔-43

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ニューカッスル城の礼拝堂に、凍えるような冷気と、それにも増して
冷たい殺気が吹き荒れていた。
「・・・・・・・先住魔法、か・・・?貴様・・・何者だ」
驚愕に眼を見開いたまま問うワルドを、ギアッチョは無表情に嘲笑う。
「今から死ぬ人間に説明する必要はねえな」
ズン!とギアッチョが一歩踏み出す。本能で危険を感じ取り、反射的に
ワルドは二歩飛び下がった。
「だが、ま・・・サービスだ 一つだけ教えといてやる」
ギアッチョが言い終えると同時に、ワルドは鉄をも断ち切る風の刃を
撃ち放つ。空気を切り裂きながら迫る歪みを睨んで、しかしギアッチョは
逃げもせずに片手を突き出した。

「ホワイト・アルバムッ!!」

咆哮の如き声が礼拝堂に轟いたその刹那、まさにギアッチョの全身を
切り刻まんとしていた風の刃が――動きを「止めた」。次の瞬間、
刃だったそれは銀の粉塵と化して空気に溶け消え・・・ワルドはそこで、
ようやく今起こったことを理解した。かざした片手を胸の前にスッと
戻して、ギアッチョは無慈悲な双眸にワルドを映す。
「そいつが、この力の名だ」
「・・・バカな・・・・・・」
体裁を繕うことも忘れて、ワルドは短く呻いた。
「どうした子爵様?取り除いてみなよ・・・この小石をよォォォ~~~」
白銀の魔人が吼える。その殺気に我知らずじりじりと後退していた
自分に気付き、ワルドは杖の先を床にガツンと打ち付けた。
閃光のワルドともあろう者が何を恐れている?風を極めた自分が、
ただの平民に遅れを取るとでも言うのか?
ぽたりと一つ冷や汗が落ち、そしてそれを最後にワルドは平静を
取り戻した。そうとも。こんな男にかかずらっている暇などない。
そして負けるはずもない。私にはその為の力が、技が、策がある。

「フッ・・・フハハハハハハ これは失礼・・・どうやら君を少しばかり
見くびっていたようだ ならばこちらも本気を出さねば礼を失すると
いうものだな」
「そいつは面白ェ それでこそ殺し甲斐もあるってやつだ」
漆黒のマントを翻して、ワルドは胸の前に垂直に杖を構える。
律儀に攻撃を止めるギアッチョを余裕を取り戻した眼で眺めながら、
ワルドは静かに詠唱を開始した。
「ユビキタス・デル・ウィンデ・・・」
「・・・・・・!」
呪文が完成した瞬間、ワルドの姿が残像のように左右にぶれ、
ぶれたそばから実体化を始めた。一つ二つと実体化が続き、
ワルドの周りを囲むようにして遂には四つのコピーが現れる。
「・・・これが、風が最強たる所以だ」
「・・・なるほどな 仮面の男だけが不可解だったが、そういうことか
分身の術たぁ笑えるぜ ニンジャ気取りかてめー」
「ただの分身などではない 遍在する風、そのものの顕現だ
この世界のいずこにも、風は遍く在る 故に、風が吹くところ
我が影は自在に現れる」
懐から取り出した仮面を投げ捨てて、ワルドは不敵な笑みを浮かべた。
「これが、『遍在』だ」
ギアッチョは己に注がれる五対の双眸を物ともせずに嘲る。
「解説ありがとうよ 説明書を読む手間が省けたぜ
で、その間抜け面した分身共にゃあ何が出来るんだ?」
「そう急くな 今から嫌と言う程理解することになる しかし・・・
そうだな 先ほどのお返しもある 一つ教えておいてやろう
『遍在』には、それぞれに自律した意志と力がある これが
素晴らしいところでね、間諜伝令思いのままというわけだ」

「ほー、そいつは素晴らしいな ところでもう一つ聞きたいんだが
よォォ~~ それが一体今どういう役に立つってんだ?ええオイ?」
「フッ・・・分からないか?」
スッと、ワルドが杖をギアッチョの喉に向ける。それを合図に、
四人の「遍在」が一斉にギアッチョへと飛び掛った。
「これは『遍在』なのだ 命じたことしか出来ぬ愚鈍なゴーレム等とは
訳が違うッ!」
その言葉を証明するかのように、右端の「遍在」がウィンド・ブレイクを
放つ。ひらりと飛び避けたところに二体目と三体目のワルドが迫り、
立て続けにエア・ハンマーを撃ち放った。
「チッ・・・」
五体の攻撃全てを受け止めていれば流石にパワーが持たない。
極力避けに徹するギアッチョだったが、

ドシュッ!!

「ガンダールヴ」の力が発動していない彼に、四体目の動きは把握
出来なかった。ギアッチョの脇腹に突き刺さったエア・ニードルを
眺めて、ワルドは凶悪な顔で勝ち誇る。
「理解出来たかな?どんな力を持っていようが今の君はただの人間
出来ることには自ずと限界があるというわけだ」
腹部を刺されて動きを止めたギアッチョに、キュルケ達は絶望の
表情を浮かべる。ワルドはそれを見て満足げに笑うが、その笑みは
直後響いた声に掻き消された。
「何の・・・ ・・・つもりだ?・・・え?」
痛みを全く感じさせないギアッチョの声に本能的に危険を感じて、
四体目の「遍在」はバッとギアッチョから飛びのく。エア・ニードルを
纏っていたその杖先には、一滴の血も付いてはいなかった。

「なんだと・・・・・・」
「これだけ手の内さらしてやったのによォォォ~~~~
まだ解らねーのか?ええ?オイ」
ギロリと、色をなくした双眸でワルドを睨む。
「そんななまっちょろい攻撃でよォォォォォーーーー!
このギアッチョの装甲を貫けるとでも思ってんのかァァァ!!」
バン!と音を立てて、ギアッチョは片手を床に押し付けた。

ビシビシビキビシィィッ!!

「何ィィィィィッ!?」
ワルドが驚愕の声を上げる。ギアッチョからワルド達に向かって、
床が扇状に信じられない速さで凍って行き――逃げ遅れた二体の
「遍在」の足首を、それはガッシリと固めてしまった。なんとか
フライの発動に成功した二体の後ろで、ワルドは宙に浮きながら
忌々しげに舌打ちする。
「なるほど・・・まだまだ見くびっていたというわけか」

「ギアッチョ!あなた大丈夫なの!?」
「遍在」達を油断なく睨むギアッチョに、キュルケは思わず叫んだ。
「『大丈夫』だァァ?おめー言う相手を間違えてるんじゃあねーのか?
『今のうちに逃げなくて大丈夫なんですか子爵様』ってなァァァァ」
嘲笑いながら、ギアッチョはゆっくりと逃げ遅れた「遍在」へ歩を進める。
「調子に乗るなよ、使い魔風情がッ!!」
ワルドの言葉と共にウィンド・ブレイクとエア・ハンマーが四方から
襲い掛かるが、ギアッチョに肉薄した瞬間それらは全て粉々に消え去る。
「まだ理解しねーのかッ!!てめーのどんな攻撃もオレには通じねー!!」
己の無力を宣告されて、しかしワルドはニヤリと口の端をつり上げた。
「ククク・・・ああ、理解してないさ ただし私ではなく、お前がだ」
どこか勝ち誇ったような響きでワルドが答えた瞬間、「きゃああっ!」と
いう悲鳴が上がった。

「ルイズッ!!」
「遍在」の一体に身体を掴まれたルイズに気付いて、ギーシュが叫ぶ。
しかし彼が薔薇の杖を抜き放つより早く、ルイズを強引に抱きかかえて
「遍在」は礼拝堂の扉に向かって身を翻していた。
「愚か者が・・・『遍在』にはそれぞれ独立した意志があると言った
だろう 私が一人に『遍在』が四体、なのに何故魔法が四発しか
飛んでこなかったのか――もっとよく考えるべきだったな」
「チッ!!」
ギアッチョは扉に向かって駆け出そうとするが、
「遅いッ!!」
無防備なギアッチョに向かってウィンド・ブレイクが続けざまに
四発撃ち放たれ、彼は扉とは反対側の壁に強かに叩きつけられた。
「がッ・・・ や・・・野郎・・・」
二体の「遍在」はその隙を逃さず氷を割って脱出する。同時に
ワルドは最後の「遍在」に向かって指示を出した。
「ルイズを追え」
マントをはためかせて扉へ走り出す「遍在」に焦ったように眼を
向けて、ギーシュはぎりりと造花の薔薇を握り締める。
「キュルケ・・・い、行くよ!」
「・・・ええ!」
「待てッ!!」
ギーシュ達の後ろから、大音量で怒声が響いた。

怒鳴ったのはギアッチョだった。後を追おうとする二人を、彼は
怒りに燃える眼で睨む。
「オレがなんとかする・・・てめーらは黙って見てろ」
「今回ばかりは納得出来ないわ!あなたじゃ間に合わないでしょう!」
「てめーらでスクウェア二体を相手に出来るってーのか!?ああ!?」
怒鳴り返そうとするキュルケを手で制して、ギーシュはギアッチョに
向き直った。
「・・・ああ、きっと勝てないだろうね 正直言って恐いよ・・・
震えが止まらない」
造花の杖を握り締めてぶるぶると震える片手からギアッチョに
眼を移して、ギーシュは「だけど」と呟く。

「目の前で友が危険に曝されているのを、黙って見ているバカが
どこにいるッ!!」

びりびりと、一転して空気の振動すら伝わる程の声で――彼は怒鳴った。
普段のギーシュからは想像も出来ない迫力に、キュルケやワルドは
おろかギアッチョまでが押し黙る。
「・・・僕は行くよ 倒すことは出来なくても、時間稼ぎは出来る
君が子爵本人を倒せば、『遍在』は消えるはずさ ・・・それに」
いつもの声に戻って、ギーシュはギアッチョを真っ向から見据えた。
「僕だって、一発ぐらいブン殴ってやらないと気が済まないんだ」
手も膝も、相変わらずみっともなく震えている。対峙すらしていない
にも関わらず、冷や汗まで流れている。しかし、彼の眼に宿る
「覚悟」の光、それだけは本物だった。ギーシュをジロリと睨み返して、
ギアッチョはフンと鼻を鳴らす。
「・・・あーそうかよ だったらとっとと行っちまえ オレがこいつを
殺す前に追いつけるようにな」
諦めたようにそう言って、ギアッチョは追い払うように手を振った。
こくりと一つ頷くと、ギーシュは脇目もふらずに走り出す。その後を、
迷いの無い表情でキュルケが追いかけた。

開け放しの扉を風のように走り抜ける二人を、ワルドは止めもしなかった。
彼らの消えた扉の奥を眺めて、薄っすらと笑みを浮かべる。
「クックック・・・友情の為に命を賭するとは、全く美しいことだ
もっとも、賭けになどなりはしないだろうがね」
「遍在」の身とはいえ、その力はオリジナルと比べて何ら遜色のある
ものではない。トライアングルとドット如きに負けるなどということは
万に一つも有り得ないのだ。負けるどころか、時間稼ぎにすらなりは
しないだろう。炎も土も、風の前では児戯に等しい。風を極めた己の
「遍在」に、ただの学生風情が挑もうとすること・・・それ自体が
あまりにも愚かな行為なのだ。
「黙れよ」
獣の如き眼光で、ギアッチョはワルドを貫く。
「とっとと始めようぜ ・・・いや」
「・・・・・・」
「とっとと、殺す」
気負う気配もなく無感動に吐き出すギアッチョに、ワルドはますます
面白そうに顔を歪めた。
「そいつは楽しみだ」

礼拝堂から続く長い回廊を、ギーシュとキュルケは荒い息を吐き
ながら駆け抜ける。間断なくディティクトマジックを使用して
いるのは、「遍在」を形成している魔力の痕跡から彼らの後を
追跡する為だ。そうして右へ左へと長い道を走り抜けて、二人は
一つの大きな扉に突き当たった。
「・・・開けるわよ」
「・・・ああ」
蹴破る程の勢いで、二人は扉を押し開く。その先に広がっていた
ものは、石畳の中庭だった。
「ルイズ!」
「来たか・・・行け、私よ」
ルイズとギーシュ達の間に立ちはだかった「遍在」が、ルイズを
抱えて今まさにフライで飛び去ろうとしている「遍在」に声をかける。
「不味いわ・・・ギーシュ!」
「分かってるッ!」
返しざま、ギーシュは後ろの「遍在」に向かって魔法を放った。
石畳を錬金して現れた巨大な掌が、既に一メイル程上昇を始めていた
「遍在」の足首を何とか掴んで引き戻す。
「くッ・・・」
「あ、危なかった・・・石畳にまで『固定化』がかかっていたら
どうしようかと・・・」
ほっと溜息をつくギーシュの肩を叩いて、キュルケは油断なく
「遍在」を監視する。
「終わりよければ何とやらよ ほら、油断しない」
「あ、ああ・・・」
怯えの中に強固な意志が見える瞳を二体のワルドに向けて、
ギーシュは造花の杖を構える。同じく優雅に杖を構えて、
実に洗練された仕草でキュルケが一礼した。
「不躾で申し訳ないのですけれど・・・素敵なジェントルマン、
私達と踊ってくださいませんこと?」
「フッ・・・よかろう せいぜい転ばぬように頑張ることだ」

未だ足首を掴んでいる石の拳を破砕しようとする「遍在」を、
前のワルドが止めた。
「やめておけ・・・どうせこの男はすぐに死ぬ この先不測の
事態が起こらぬとも限らんだろう 魔力は温存しておくべきだ」
その言葉に、後ろの遍在は杖をしまい直して傍観の構えを取る。
それを合図に対峙する三者がルーンを唱えるべく一斉に口を開いた時、

「やめてッ!!」

ルイズの声が中庭に響き渡った。
首を締め付けるワルドの腕を引き剥がそうともがきながら、ルイズは
ギーシュとキュルケに向けて怒鳴る。
「何で来たのよバカッ!分かってるの・・・?ワルドはスクウェア
なのよ!?あんた達が戦って勝てる相手じゃないわ!!」
早く逃げろ、とルイズは叫ぶ。一瞬浮かんだ複雑な表情をすぐに
小馬鹿にしたような笑みに変えて、キュルケは久しく使わなかった
呼び方でルイズに言葉を返した。
「お生憎様、ヴァリエールの言葉に従う義理なんてありゃしないわ」
言いながら、キュルケはこれではまるでフーケと戦った時のようだと
思う。自分の、タバサの再三の説得も聞かず一人フーケに無謀な
戦いを挑んだルイズを思い返して、しかしキュルケは首を振った。
今回は、違う。ワルドに勝とうなどと考えているわけではないのだ。
自分は、そしてギーシュは命を捨てに来たのではない。自分達に、
出来ることをしに来たのだと。
悲痛な顔で何事かを訴え続けているルイズの言葉にそれ以上耳を
貸さず、キュルケは朗々たる声で歌うように詠唱を始める。それが、
開戦の合図になった。

キュルケのファイヤーボールを、ワルドは魔法も使わず避ける。
お返しにウィンド・ブレイクをお見舞いして、ワルドの「遍在」は
侮蔑の色を含んだ声で笑った。
「これは驚いたな まさか本気で私に戦いを挑むつもりだとは
しかし、大人しくしていれば捨て置いてやろうと思ったが・・・
これでは死んでしまっても文句は言えぬな?」
問答無用で跳ね飛ばされた身体を無理やりに起こして、キュルケは
痛みに顔を歪めながらも不敵に笑いを返す。
「さあ、そんな難しいことはあなたを倒してから考えますわ」
「フッ・・・それでは永遠に考えることは出来ないな
もっとも、君の永遠は後数分で終わりを告げることになるが」
余裕の言葉を口にしてから、「遍在」はスッと身体を後ろへ逸らす。
次の瞬間、数サント手前をワルキューレの剣が唸りを上げて横切った。
片手で帽子を押さえると、ワルドはその格好のままワルキューレと
矢継ぎ早に剣戟を交わす。ワルキューレは人ならざるその身体を
駆使し、様々な体勢から攻撃を繰り出すが、「遍在」はまるで先が
見えているかのように易々とそれを捌き続けた。帽子の下の眼を
ちらりと騎士の背後に向けると、ワルドはやがて見計らって
いたかのようにワルキューレの剣を跳ね上げた。そのまま
ワルキューレの体勢が整わないうちに、その身体を杖でガンと
横によろめかせる。ギーシュがその意図を理解した瞬間、
青銅の女騎士はキュルケの火球で見事に溶け消えた。
「なッ・・・!」
ワルキューレを盾代わりにされたことに気付いて、キュルケは
グッと奥歯を噛み締める。
本気なのだ、この男は。この真剣な戦いの場で、本気で魔法を
節約しようとしている。自分達に対して、この上ない侮辱だった。

しかし、とキュルケは考える。逆に考えれば、それはこの
「遍在」達に大きな精神力は与えられていないということだ。
それはそうだ、己の精神力から生成した分身なのだから、大きく
見積もっても「遍在」四体の生成に使用した精神力、せいぜいその
四分の一程度しか扱えないはずだ。強力な魔法も一発程度なら
放てるかもしれないが――しかしその程度だろう。いくらワルド
本人が強大であろうとも、そしてその力を、知恵を継承して
いようとも。「遍在」の行動には、限界があるはずなのだ。
キュルケはギーシュに眼を向ける。どうやら同じことを考えて
いたらしい。冷や汗がだらだらと流れる顔で、彼はニッと笑った。
そうと分かれば攻めの一手だ。魔法を使わずに攻撃をかわし
続ければ、いつかは必ず隙が出来る。その時こそ勝機・・・!

キュルケは気付かない。時間稼ぎという目的が、いつの間にか
「遍在」の打倒に摩り替わってしまったことに。闇路に浮かぶ
光明には、誰もがすがりつきたくなるものだ。例えそれが――
誘蛾灯であったとしても。

次々と撃ち出される火球を、ワルドの「遍在」は正に踊るような
動きで避け続ける。今度は互いに注意しあって、その間隙を縫う
ように三体のワルキューレが剣を振るうが、それも全てワルドの
杖に受けられ、止められ、弾かれていた。
「ッ・・・埒が明かないわね!」
余りの手応えのなさに苛立ったキュルケは、一つ上級の魔法に
攻撃を切り替える。炎と炎、炎の二乗。ファイヤーボールより
一回り大きい灼熱の弾丸が、熱風を撒き散らしながら「遍在」に
襲い掛かった。

放たれたフレイム・ボールに気付き、「遍在」は一瞬動きを
止めた。
「今だ、ワルキューレッ!」
隙を逃さず、ギーシュの声でワルキューレが三方から剣を
振りかぶる。開いたもう一方からは、フレイム・ボールが
空を切り裂いて迫っていた。
――・・・勝った!
キュルケは内心で勝利を宣言する。四方を塞がれたワルドに
逃れる術はない・・・はずだった。
「バカめが」
敗北するはずの男が、興醒めだと言わんばかりに吐き捨てる。

ゴォアアァッ!!

次の瞬間、彼の前方から人ほどの高さの竜巻が発生し――
ワルドの周囲を高速で旋回すると、青銅の騎士達をまるで
粘土のように引き裂いた。
「なッ・・・!?」
絶句する二人を嘲笑うかのように、竜巻はフレイム・ボール
をも切り裂き散らす。それと同時に自身も掻き消えるように
消失し、後には舞い上がる土煙だけが残った。
そして「遍在」は、ついに反撃に出る。煙幕を突き破って
石畳を疾駆し、息もつかせぬ勢いでキュルケに肉薄した。
「しまッ・・・」
ドボン、と空気が跳ね。圧縮された空気の槌をモロに喰らって、
キュルケは何かが折れる嫌な音と共に、地面に叩きつけられた。

「・・・ぅ・・・あ・・・」
全身が麻痺してしまったように動かない。ギアッチョとの決闘で
使われたものとは比にならない、本物のスクウェアの力が
キュルケの身体を打ち砕いたのだ。この痛みは叩きつけられた
衝撃によるものか、それとも折れた肋骨によるものか。判然と
しない意識の中で、キュルケはかろうじて首だけを上に向ける。
冷然と己を見下ろすワルドが、そこにいた。
遠くでルイズが何かを叫ぶ声が聞こえる。しかしそれも、
麻痺した頭にははっきりと届かない。何とか杖を握ろうと
するが、掴むことすらままならなかった。
「もう少し、粘ってくれるかと思ったのだがね」
「・・・・・・っざ・・・けんじゃ・・・ないわよ・・・」
どうにか言葉を絞り出して、キュルケは両手で上体を起こそうと
する。しかし痺れた腕は、あっけなくその体重を支えることを
放棄した。
「おやおや・・・どれ、手助けしてあげよう」
片腕を滑らせてずるりと崩れ落ちたキュルケを実に憐れだと
言わんばかりに嘲笑って、ワルドはキュルケの胸倉を掴んで
引き上げる。それと同時に唱えられた呪文で、ワルドの杖は風の
レイピア・・・エア・ニードルと化した。
「天国行きの・・・な」
「・・・・・・ッ!」
「遍在」には、一片の躊躇もなかった。立ち上がらせたキュルケを、
軽く後ろに押し遣って手を離す。そこから無造作に杖を引くと、
キュルケの胸に向けて一気に突き出し――

・・・ズシュッ、と。肉を貫く音が聞こえた。

ぱたぱたと、己の身体に血がかかるのを感じて、キュルケは
閉じていた眼を開く。
「・・・・・・ギーシュ・・・ッ!!」
自分に背を向けて立っている男の名を、キュルケは思わず
叫んだ。どうして、自分と「遍在」の間に彼が立っているのか?
そんなことは、考えるまでもなく明白だった。
「・・・ぶ・・・無事かい キュルケ・・・」
「な、何言ってるのよ・・!あなた、それ・・・!!」
ギーシュの腹部を貫いたエア・ニードルの先端が、キュルケの
胸の手前で止まっている。血に塗れたそれから、雫がぼたぼたと
キュルケの服を染め続けていた。ギーシュはよろめきながらも
何とか姿勢を保っているが、杖が引き抜かれてしまえばすぐに
でも倒れてしまいそうだった。
「遍在」は呆気にとられたような顔をしていたが、やがて
弾かれたように笑い出した。笑いながら、杖をズブリと引き抜く。
「うぐッ・・!!」
血が飛び散る音にキュルケは耳を覆いたくなったが、ワルドは
そんなことなどお構いなしに笑う。
「フハハハハハハハッ!仲間を庇って身代わりになるなどという
話は物語ではお馴染みだが、まさかそれを実践するバカがいた
とはね!クッククク・・・会った時から愚かな男だとは思って
いたが、まさかここまでとは!こんな命を賭けた大芝居が
見れるとは、全く私は君を侮っていたようだ!ハハハハハハ
ハハハはぐおぉッ!!?」
くぐもった声を吐いて、ワルドは後ろに倒れ込んだ。
「・・・・・・ど・・・どうだい・・・」
蒼白な顔でニヤリと笑って、ギーシュは途切れ途切れに息を吐く。
「一発・・・ ブン・・・殴・・・って・・・・・・」
そこまでが限界だった。ギーシュはゆっくりと、頭から石畳に
倒れ落ち――後にはルイズとキュルケの叫びだけが響き続けた。

礼拝堂は、数分前までからは想像もつかない光景へと変じて
いた。床壁問わず手当たり次第に凍結され、さながら氷の
牢獄の様相を呈している。その中を縦横無尽に飛び回る影が
三つ。飛べない男を嘲笑うかのように、宙を自在に舞い遊び、
四方八方から魔法を放つ。しかしその顔は、皆一様に焦燥の
色を露にしていた。
「見苦しいぞギアッチョ!いつまでそうして逃げ続ける
つもりだッ!!」
ワルドの叫びと共に、三つの風の弾丸が唸りを上げて襲い
掛かるが、ギアッチョはその瞳に嘲りすら浮かべてそれを
回避する。スケートエッジのついた足で凍った床上を見事に
滑走するその軌跡上に、一瞬遅れて人間大のクレーターが
三つ姿を現した。
「見苦しい・・・?それはこっちのセリフだぜニンジャ野郎
効かねえ魔法でいつまで時間稼ぎをするつもりだ?」
「・・・・・・無敵か・・・化け物が・・・」
ぎりりと奥歯を噛み締めて、猛禽の如き双眸でワルドは
ギアッチョを射抜く。精神力への懸念からライトニング・
クラウドのような強大な魔法が使用出来ないことが、彼を
苛立たせていた。ここはもうすぐ戦場になる。いくら攻めて
来るのが味方の軍だとしても、自分が無事でいられる保障は
ないのだ。
ワルドはプライドを捨てて考える。エア・カッターも、
エア・ハンマーも、この男――いや、この妖魔には届かない。
一体どうやっているものか解らないが、魔法は奴の周りで
「止まる」。・・・しかし、一つだけ奴の装甲に喰い込んだ
魔法があったはずだ。
数秒の沈思黙考の後、ワルドは静かに呟いた。
――よかろう・・・だが、勝つのは私だ

二人のワルドが、左右からエア・ハンマーを叩きつける。
「まだ理解しねーのかッ!!『超低温』は触れればストップ
出来るッ!!」
ギアッチョが叫ぶ通り、自らを庇うように広げた両手の向こうで、
二つの空気の槌はあっさりと砕け散った。しかし二体のワルドは、
ギアッチョが次の行動に移る前にひらりとその射程範囲から
脱出する。
「チッ・・・!」
ギアッチョは忌々しげに舌打ちした。これではまずい。ルーンの
力の無い今の自分には、ワルドを捉えることが出来ないのだ。
デルフリンガーに頼るわけにはいかないが、しかし早くしなければ
三人が危ない。相反する二つの要因が、ギアッチョに焦りと
苛立ちを生んでいた。

バゴァアッ!!

怒りに任せて、ギアッチョは右の拳でブリミルの像を躊躇い無く
打ち砕く。
「オラァッ!!」
破片を二つ素早く掴むと、二体のワルドに守られるようにして
立っている最奥のワルドに全力で投げ込んだ。が、いくら
意表を突いた攻撃であろうと――女王の衛士隊長を務める程の
男にやすやすと命中するわけもない。するりと、まるで
人ごみを避けるかのような気安さでワルドはそれを回避した。
「貴様・・・焦ったな」
口角をつり上げて笑うワルドの杖が、いつの間にか切っ先
鋭い不可視の槍――エア・スピアーと化していた。
――風故に、貴様にこの槍は見えぬ エア・ニードルでは
足りなかったが、果たしてこれはどうか・・・試してみるのも
面白い

最奥のワルドがほくそ笑むと同時に、前を遮る二体のワルドが
同時に地を蹴り宙に舞った。
「何・・・?」
怪訝に見上げるギアッチョの頭上を一足に飛び越え、フライを
解除すると閃光の如く迅急にルーンを詠唱する。ギアッチョが
その半身を振り向かせると同時に、完成した魔法が二体の杖から
撃ち放たれた。圧縮された空気の槌が二つ、彼を圧し潰さん
ばかりに襲い掛かるが、
「くどいぜッ!!攻撃は何であろうと無駄だってのが
分からねーのか!!」
掴むように突き出された白銀の両手によって、エア・ハンマーは
またも消え去った。バッと後ろに飛びのいて、しかしワルド達は
ニヤリと笑う。
「いいや、無駄ではないさ・・・ 貴様の両手は、見事こちらに
向けられたのだからな」
「ああ・・・?」
「何だか分からんが、貴様はその両手で氷を・・・いや、温度を
自在に操る それは理解した・・・ だが、ならばその両手さえ
封じれば、貴様のスーツはただ少しばかり頑丈なだけの氷の鎧に
過ぎないのではないかね?」
「何ィ・・・!?」
ギアッチョはバッと背後を振り返る。杖を脇に構えた最後の
ワルドが、今正にギアッチョの胸部を貫こうとしていた。
「もう遅いッ!!風の槍を受けて死ね、ギアッチョッ!!」

ズシュゥッ!!

ギアッチョに「止められた」時とは違う、確かに物質を貫く
手ごたえを感じて、ワルドは満足げに言い放った。
「私の勝ちだ」

「・・・神像を壊した罪人に槍を向けるたぁ、何とも象徴的
じゃあねーか?ええ?・・・だが、遅いのはてめーのほうだ」
「何・・・ッ!?」
エア・ニードルの時と同じ、痛みの欠片も感じさせない
ギアッチョの声に、ワルドはハッと己のエア・スピアーを
見直す。その切っ先は、ほんの僅かスーツに突き刺さって
いるだけだった。そして槍身を阻むようにして、周囲に
きらきらと光る何かが無数に浮いている。
「何・・・だ これは・・・氷か・・・?」
事態を把握出来ないワルドを、今度はギアッチョが嘲笑う。
「知ってるか?凍るんだぜ・・・空気はな え?オイ
マイナス220度だ 空気はそこから『固体』になり始める」
「バ、バカな・・・!」
「ホワイト・アルバム ジェントリー・ウィープス!!
既に凍った空気の壁を作っていたぜ!!」
ワルドは弾かれたように槍を抜く。そのまま飛び退ろうと
するが、ギアッチョがそんなことを許すわけはなかった。
「そして、とらえたぜ・・・ワルド」
ワルドの左手がガッシリと掴まれ――そしてそこから、
凍結が徐々に全身に、まるで毒のように広がってゆく。
「終わりだ」
無慈悲に宣告するギアッチョに、ワルドは諦念も露に笑った。
「やれやれ・・・まるで鬼か悪魔だな 君の勝ちだ、ギアッチョ」
潔く口にするワルドに眼もくれず、ギアッチョは腕を握る
手に力を込める。
「待ってくれ、最後に三つだけ言わせてくれないか」
「・・・なんだ」
最期に、ワルドはそう懇願した。動きを止めている残り
二体のワルドに油断無く眼を向けながら、ギアッチョは
とっとと喋れと促す。

「・・・まず一つだが」
目深に被った帽子の下から、ワルドは低く声を出す。
「これは決闘ではない 己が意志を遂げることが目的だ
従って、必ずしも相手を打ち負かすことが勝利ではない」
「・・・ああ?」
ワルドの口から出た言葉は、命乞いでも懺悔でもなかった。
眉をひそめるギアッチョを気にも留めずに、ワルドは先を続ける。
「二つ目だが・・・さっき君の勝ちだと言ったこと、あれは嘘だ」
「何ィ・・・?」
ギアッチョは敏速に二体のワルドに目を移す。しかし彼らに
攻撃の気配はなかった。そんなギアッチョをワルドは薄く笑う。
「・・・そして三つ目」
ワルドはもう隠しもせずに、その顔に露骨に嘲りを浮かべた。
「残念ながら・・・私は『遍在』だ」
一時勢いを弱めていたギアッチョの怒りが、その言葉で再び
燃え上がる。衝動に任せて、ギアッチョはもはや一言も発する
ことなく「遍在」をブチ割った。――その瞬間。頭上で何かが
破砕するような轟音が鳴り響いた。
「何だとぉおおぉおッ!?」
礼拝堂を破壊する不敬者など想定していなかったのか、程度の低い
固定化がかけられていただけの天井は、スクウェアクラスの
ウィンド・ブレイク、その二乗で容易く崩壊した。
「てめえ・・・こんな・・・!うおおぉおおおおぉおおぉおおお!!」
完全に意表を突かれたギアッチョには落下する石壁を躱すことも、
ましてや「止める」ことなど出来るはずもなく――容赦なく降り注ぐ
石塊の雨に、彼の姿はあっさりと埋没した。
絶望の象徴たる瓦礫の山を眺めて、本物のワルドは羽根帽子を目深に
被りなおして笑う。
「認めよう・・・君は強い 確かに、この私では足元にも及ばない
らしい だが――私の勝ちだ」
マントを翻すと、ワルドは半壊した礼拝堂を一顧だにせず歩き去った。

「ギーシュ・・・!!返事をしなさいよ!!ギーシュッ!!」
両肩を掴んで揺さぶるが、ギーシュからの返事はない。キュルケは
唇をきつく噛み締めると、地面に横たわる彼からスッと手を離す。
死んではいない。いないが、この出血ではいつまで持つか分かった
ものではない。早急に手当てを行う必要があった。しかし、それも
「遍在」がいる限りは不可能だ。すぐにギアッチョが何とかして
くれると信じて、キュルケは己の杖を強く握り直す。
「・・・許さないわよ」
「ならばどうするね?」
どうでもよさげに返答する「遍在」を睨み、キュルケは脇腹を
庇いながらふらふらと立ち上がる。折れた肋骨が、想像を絶する
痛みを与えていた。まともに動けないどころか、呼吸をすること
さえ辛い。気を抜けば涙が出そうで、キュルケは歯を食いしばり
必死に「遍在」を睨みつける。
「こうするのよ・・・ッ!」
苦痛を無視して無理やりに掲げた杖の先で、火炎が急速に球を
形成してゆく。
「・・・・・・」
「遍在」は鼻白んだような眼でキュルケを見遣ると、横薙ぎに
杖を振った。巻き起こった風は炎を吹き消すだけでは飽き足らず、
キュルケの身体をも殴り飛ばす。
「うぐッ・・・!」
石畳の地面を跳ねて、彼女の身体はルイズの足元に転がった。

露出している肌には無数の擦過傷と打撲痕。口内を切った
ものか内臓が傷ついているのか、口には血が滲んでいる。
いつもの彼女からは考えられない惨めな姿で、それでも
よろよろと――キュルケは立ち上がった。
「・・・めて・・・」
ルイズの口から言葉がこぼれる。キュルケの、ギーシュの、
こんな痛々しい姿に耐えられるわけがなかった。
「・・・もうやめてよ・・・!」
しかしキュルケは、何も答えずルイズに背を向ける。再び
構えられた杖が、彼女の心を語っていた。キュルケに応える
ように杖を突き出すワルドに眼を移して、ルイズは悲痛な
声で訴える。
「ワルドッ!!もうやめて!!十分でしょう!?わたしが
必要ならいくらだって協力するわ!だからお願い、二人には
もう手を出さないでッ!!」
フッと笑って、ワルドは構えた杖で帽子のつばを押し上げる。
「・・・と、僕のルイズはこう言っているが どうするね?
彼女のたっての願いだ 君達が退くと言うのなら、こちらと
してもそれを許すにやぶさかではないが」
杖を構えたまま、キュルケは視線だけをルイズを捕えている
もう一人の「遍在」の足元に向けた。ギーシュに錬金された
巨大な掌は、未だ崩れずにワルドの足首を掴み続けている。
「・・・まだ諦めてない・・・ギーシュはまだ戦ってるわ
それを放って、この私が、微熱のキュルケが逃げるわけには
いかないでしょうがッ!!」
躊躇うことなく、キュルケは毅然として言い放った。そして
そのまま、キュルケは揺ぎ無い声でルーンの詠唱を開始する。

「キュルケ!?何言ってるのよバカッ!!やめなさいよ、ねえ!
どうしてそこまでするのよ・・!!もうやめてよ、お願い
だからぁ・・・ッ!!」
目尻に涙を浮かべて、ルイズは殆ど懇願に近い口調で叫ぶ。
しかしキュルケは振り向かない。ワルドを睨みつけたまま、
彼女はルイズの声を振り払うように火球を撃ち放った。
愚直に同じ攻撃を繰り返すキュルケに蔑視の眼を向けて、
ワルドは身体をスッと半身にずらす。だが、その瞬間ほんの
わずか火球の進路がずれたことを、彼は見逃さなかった。
大きく横に跳び避けると、火球はカーブを描いて追い縋る。
「ホーミング・・・これに気付かせない為に、ファイヤー
ボールを乱発したという訳かな?」
精悍な顔に失笑を浮かべると、ワルドは一歩飛び退って
ウィンド・ブレイクを放つ。巨大な空気の弾丸がキュルケの
火球をあっけなく消し飛ばし、その延長線上にいたキュルケ
自身をも容易く跳ね飛ばした。
「・・・・・・ッ!!」
ルイズの横をすり抜けて、キュルケはもはや言葉も無く
吹き飛んだ。何とか頭を庇って石畳に倒れたキュルケを
見下ろして、「遍在」はフッと笑顔を消す。
「・・・ナメるな」
酷薄に言い放って、もはや立ち上がる力すら残っていない
キュルケに「遍在」はゆっくりと歩を進める。逃れられない
死を片手に携えて迫り来る黒ずくめの男は、正に死神そのもの
だった。或いは、こう呼び変えてもいいだろう。――「運命」と。
キュルケを助けようとしているのか、もう一方の「遍在」の
腕の中でいっそ滑稽な程にもがき続けるルイズの姿が、その
言葉に非常な現実感を与えていた。

「さて、おしまいだ ミ・レイディ 機械仕掛けの神はいない」
口で嘲笑いながらも、「遍在」は油断なくキュルケに杖を向けて
いる。逃げ出す隙などどこにもなかった。両手を突いて辛うじて
上体を支えながら、キュルケは最後のプライドで「遍在」を
睨みつけるが――ワルドはそんな様子など歯牙にもかけず、
まるで談笑するかのような口調で彼女に問い掛けた。
「ところで・・・最後に一つ聞きたいことがある
何故、君は命をかけてまで仇敵のルイズを助けようとする?
そこまで君を奮い立たせるものが何なのか、差し支えなければ
教えて欲しいのだがね」
「遍在」の言葉に、ルイズが思わず動きを止める。二対の視線を
注がれて、キュルケは否応無く己の心と対峙することになった。
キュルケは顔を伏せて考える。本当に、自分はどうしてここまで
必死になっているのだろう。ルイズがいなくなったところで、
ただほんの少し魔法の学習に張り合いがなくなるだけのことでは
ないか。ルイズの不在が、自分に一体どんな不利益をもたらすと
言うのだろうか?そうだ、ルイズを助ける理由など自分には何一つ
ない。さっさと白旗を揚げて、降参してしまえばいいじゃないか。

『・・・ねえキュルケ そろそろ素直になるべきじゃないのかい?』

昨晩のギーシュの声が、キュルケの胸にこだました。困ったように
笑う彼の顔が、脳裏に浮かぶ。「何のことよ」と、キュルケは脳裏の
幻に問い掛けた。「私はいつでも自分に正直に生きてるわ」と
言い返すキュルケに、ぽつりと一言、「素直じゃない」と呟く声が
聞こえる。ギーシュの傍に、いつの間にかタバサが立っていた。
――・・・ああもう うるさいわよあなた達・・・
諦めたように独白して、数秒。閉じていた眼を――ゆっくりと開く。
「・・・わかった、わよ・・・」
自分だけに聞こえる声で、キュルケは一言呟いた。

軋む身体に、キュルケは徐々に力を入れてゆく。全身が
悲鳴を上げるが、苦痛に顔を歪めながらも彼女は耐える。
「・・・ああそうよ・・・認めてやるわよ・・・」
がくがくと力無く震える膝に手を掛けて、キュルケは
ゆっくりと身体を起こす。
「その通りよ・・・ 心配なのよ、その子が・・・!」
「・・・・・・・・・・え・・・?」
キュルケは――もう逃げない。呆然と自分を見つめるルイズに
真っ直ぐに視線を返して、彼女はよろよろとふらつきながら、
しかし力強く立ち上がった。
「・・・呆れる程に真っ直ぐで・・・魔法も使えないのに
学院の誰よりも正しい貴族の心を持ってて・・・物事を疑う
ことも知らない、バカ正直で危なっかしい・・・私の・・・
・・・・・・私の大事な友達なのよ・・・ッ!!」
キュルケは微塵の迷いも無く叫ぶ。血が滲んだ指で、三度
彼女は杖を構えた。
「・・・キュ・・・ルケ・・・・・・」
じわりと、ルイズは目頭が熱くなるのを感じた。そんな
彼女に、キュルケはくすりと笑いかける。
「もう少しだけ待ってなさいよ・・・泣き虫ルイズ・・・
これが片付いたら、一緒にピクニックにでも出掛けましょうよ
それとも、あなたは皆で勉強でもするほうが好きかしらね・・・?」
優しいその眼差しは、魔法を失敗する度にルイズに皮肉を言う
あの笑顔の中に、いつもあったものだった。ようやくそれに
気付いて――ルイズの涙は、ついに堰を切って溢れ出した。
「キュルケぇ・・・っ!わたし・・・わたし・・・・・・!」
涙声でしゃくりあげるルイズから眼を離して、キュルケは
「遍在」を睨む。このままルイズを見ていれば、自分まで
涙が出てきそうだった。

きっと、これが「覚悟」なのだとキュルケは思う。彼女は
今こそ、ギアッチョの、ルイズの、ギーシュの、そして
タバサの言うその意味が理解出来た。自分はもう逃げない。
もう諦めない。ルイズを救い、皆でトリステインへ帰る。
口元に薄く笑みを浮かべながらも、キュルケの瞳には確かに
旭日の如き「覚悟」の光が宿っていた。
「なるほど、もっと面白い理由を期待していたのだがね」
小馬鹿にしたような口調で言う「遍在」に、キュルケはもはや
怒りも怯えも感じなかった。静まり返った水鏡の如き瞳で、
キュルケは「遍在」を真っ直ぐに見据える。
「・・・あなた、さっき『機械仕掛けの神はいない』と
言ったけど・・・あれは少し違うわ」
「何・・・?」
「『いない』んじゃなくて、『いらない』のよ・・・お約束の
救世主なんてね」
さっきまでと一転して不敵に笑うキュルケが、ワルドは気に
入らなかった。僅かに眉をひそめながら、表面上は穏やかに
問い掛ける。
「ほう・・・それは何故かな」
「決まってるでしょう?運命は自分の手で切り開くから・・・
格好いいのよッ!!」
叫ぶや否や、キュルケは「遍在」に向かって、倒れるように
駆け出した。
「ッ!?」
思いもよらぬ行動に、ワルドは寸毫動きを止めた。狙った
わけではない。彼が動きを止めようが止めまいが、キュルケに
そんなことは関係なかった。道は既に出来ている。ならばそこを
渡るのに必要なものは唯一つ、「覚悟」だけだ。ほんの二メイル
程の距離を苦痛と戦いながら駆け抜け、キュルケは左の拳に
全身の力を込めて――ワルド目掛けて突き出した。


ガシィッ!!

キュルケの拳はあっけなく掴まれ、そのままぎりぎりと捻り
上げられた。
「・・・ッ!」
「死を跳ね除けるには――少々力不足のようだな?ミス
残念ながら、私は日に二度も殴られてやるつもりはない」
苦悶の表情を浮かべるキュルケを見下ろして嘲笑すると、
「遍在」は己の杖を彼女の胸に押し当てた。
「意表を突きたかったのならば、稚拙と言う他ないな
それとも、とうとう微熱すら起こせなくなったかね?」
「・・・・・・フフ 逆よ素敵なジェントルマン
あなたを倒すには、それで十分なのよ・・・私の微熱でね」
「何・・・!?」
「『遍在』だから感覚が鈍いのかしら?それとも、避けるのに
夢中で気がつかなかったのかしらね」
不敵に笑うキュルケに、「遍在」は本能的な危険を感じた。
キュルケが何かをする前に、閃光のようにルーンを詠唱するが――
「ウル・カーノッ!!」
「遍在」がエア・ニードルを唱え終わるより迅く、キュルケは
たったそれだけの短い呪文を叫ぶ。その瞬間、「遍在」の
全身は真紅の炎に包まれた。
「うおおぉおおおおおおおおおぉおおッ!?何だこれは・・・
ただの『発火』で・・・がああぁああああああぁああッ!!」
火達磨と化してのた打ち回る「遍在」からよろよろと身を離して、
キュルケはニヤリと笑った。
「あらあら 痛覚はちゃんとあるようね?」
「なんッ・・・ぐおぉおおおッ・・・!!」
キュルケ達の執念のように絡みつく炎に、「遍在」は石畳を無様に
転がり回った。

「あなたを倒したのはギーシュよ・・・ ワルキューレの剣、
彼はその刀身の表面を油に錬金してたわ あなたがナメきった
顔でワルキューレの攻撃を避けてる間も、振られた刀身から
飛んだ油はどんどんあなたに染み込んでいったのよ フリかと
思ったけど・・・どうやら、本当に気付いていなかった
みたいね」
「がッ・・・バカな・・・ぁあああぁぁ・・・ッ!!」
言いながら、キュルケは苦痛と疲労にとうとう耐え切れなく
なった。ガクリと膝を落として、両肩で荒い息を繰り返す。
「あなたの負けよ・・・驕りに塗れたまま燃え尽きなさい」
「ナメ・・・・るなよ・・・ッ 小娘が・・・!!
うぐッ・・・殺す・・・貴様は殺す・・・ッ!!」
「・・・!」
身体を燃えるに任せて、「遍在」は呪文の詠唱を開始する。
「ラ・・・グーズ・・・ウォータル・・・」
「くッ・・・!!」
不味い。キュルケは立ち上がって逃げようとするが、幾度も
痛めつけられた身体はもう限界だった。力なく震える膝には、
一歩を動く力すら残っていない。
「ぐばッ・・・イ・・・イス・・・イーサ・・・」
「やめてえぇぇえええッ!!」
ルイズが今度こそ声を限りに叫ぶ。だが復讐に眼を血走らせて
いる「遍在」に、彼女の声は届きすらしなかった。そして、
「・・・ウィンデ・・・!!」
ついに、詠唱は完了した。ウィンディ・アイシクル。それは
皮肉にも、彼女の親友が得手とする魔法であった。
逃げられないと理解したキュルケはルーンの詠唱へと動きを
転じていたが・・・それが完成するよりはやく、そして一切の
容赦無く。無数の氷の矢は、ついに撃ち放たれた。

――ただし、天空から。

天から降り注いだ氷の雨に撃ち貫かれて、「遍在」は断末魔も
上げずに消え去った。ハッと見上げれば、上空には青鱗鮮やかな
風竜が一体。その背中から、同じく青い髪の少女が飛び降りた。
目の前にふわりと降り立つ少女を見上げて、キュルケは右手で
両目を覆って笑う。
「・・・・・・遅いわよ タバサ」
「・・・ごめん」
呟くように口にして、タバサは身の丈より長大な己の杖を
真横に突き出した。
「ラナ・デル・ウィンデ」
その呪文と共に生じた空気の塊が、高速で飛来した風の弾丸を
叩き潰す。ウィンド・ブレイクを放ったもう一人の「遍在」に
そのまま杖を向けて、タバサは短く口笛を吹いた。
瞬間、ごうっという音と共に「遍在」に突風が吹きつける。
「きゃあっ!?」
ルイズだけを器用にくわえて、シルフィードはU字に空へと
舞い上がった。
「きゅいきゅい!」
涙でくしゃくしゃの顔を驚きの表情に歪めるルイズを器用に
自分の背中へ放り投げて、シルフィードは己が主人へ鳴き
掛けた。シルフィードに顔を向けてこくりと頷くと、タバサは
「遍在」へ向き直る。
「・・・これはこれは、やられたね」
いとも容易く奪い取られたルイズを見上げて、「遍在」は呟いた。
「どうやら遊び過ぎたようだ・・・『私』が無様な姿を見せて
しまったな」
タバサの鉄面皮に冷たい声で笑いかけながら、ワルドは魔法で
錬金の戒めを破壊する。
「身が入っていなければ、ゴミ掃除にも時間がかかってしまうものだ」
その言葉に、無表情なタバサの眉が――ピクリと動いた。

――少女の父は、暗殺された。
母は、心を壊された。
少女は、心を殺された。
己の全てを奪われて、彼女は異国へ追放された。父の温もりは、
もう二度と与えられることはない。母の慈しみは、毒に冒された
あの日に閉ざされた。苦しみを分かつ友など、もはやどこにも
居りはしなかった。我が身の痛みを、苦しみを、理解してくれる
者がいない。その辛さは、余人には想像もつかぬものだっただろう。
しかし少女は、それでいいと思っていた。全てを失くしたあの日
から、自分は復讐の為だけに生きているのだから。その為には、
身も心も鋭い刃にならねばならない。そこに不純物が混じれば、
己という処刑刀の刀身は鈍ってしまう。だから少女は、自ら進んで
心を閉ざした。自分がキュルケと一緒にいるのは、彼女が自分の
ことを詮索しないから。その上で、彼女が自分の友人を名乗ると
いうのならばそれは勝手にすればいい。その程度の、吹けば飛ぶ
ような淡白な関係であるつもりだった。
しかし、いつしか少女はキュルケに必要とされることに喜びと
安堵を感じている自分に気付いた。結局、自分は寂しかったのだ。
誰にも近寄られたくない一方で、少女の心の奥底には常に誰かに
理解されたいという、必要とされたいという欲求が潜んでいた。
決して口には出さないが、キュルケにとってそうであるように、
今や少女にとっても――キュルケは唯一無二の親友であった。
ギアッチョがルイズに味方して戦ったあの時、ルイズは恐らく
学院の誰もが知らない、心の底からの笑顔を見せた。彼女が自分と
「同じ」だということに、少女はそこで初めて気付いたのだ。
境遇こそは違えど、彼女の孤独は、彼女の痛みは、誰よりもこの
自分が解っている。だから少女は、キュルケとギーシュと、
ここまで来た。彼女達は、誰もが距離を置く自分をこともなげに
友人だと言ってのけた。友だと認められること。それは己を
必要としてくれるということだ。だから、少女はここまで来た。
今度は自分が――ルイズに手を差し伸べる番だと思ったから。

閉じていたまぶたを開いて、タバサは周囲に眼を向ける。自分の
心を溶かしてくれた親友は、傷だらけの身体で地に伏している。
自分を友だと言ってくれたギーシュは、血溜まりに倒れて動かない。
・・・そんな彼女達を見て――ルイズは、泣いている。
泣いているではないか。
・・・許さない。
絶対に、許さない。

「――後は任せて」
ぽつりと呟いて、タバサは蒼い瞳で「遍在」を射抜く。一見
無表情なままのタバサが灼熱の如き怒気を放っていることに
気付いていた者は、ただ一人キュルケのみであった。
「正気を疑うね 風のトライアングルが風のスクウェアに
一分一厘でも勝てる可能性があるのかどうか、他ならぬ君が
一番よく知っているだろう?」
ワルドは侮蔑を隠しもせずに笑うが、タバサは答えない。
激しい怒りが心の内奥を吹き荒れるに任せて、淡々と、しかし
厳然としてルーンを紡ぐ。
「・・・・・・ユビキタス・デル・ウィンデ・・・」
「・・・何だと・・・!?」
淀みなく詠唱を終えたタバサの身体が、映像のようにぶれる。
そして彼女の姿は左右に滲むように広がり――二つ、三つ、
四つの分身を作り出した。
「タバサ・・・あなた・・・」
誰もが気付く。その精神力は、どう考えてもトライアングルの
それではなかった。
「・・・友人をボロ雑巾にされて怒ったか?怒りが貴様を
スクウェアの世界へと押し上げたというわけか!」
紳士の仮面を捨てて吼える「遍在」に杖を向けて、オリジナルの
タバサは一言静かに、しかし無量の怒りを込めて呟いた。
「・・・・・・あなたは、許さない」

「遍在」は、我知らず後ずさっていた。如何に練達のスクウェアと
その世界に入門したばかりの子供と言えど、ただの分身に過ぎない
自分ではこの勝負に打ち勝てぬという恐怖。しかしそれにも増して
彼の心胆を寒からしめたものは――タバサの瞳であった。何も
映さぬ、何も宿さぬ虚ろなガラス玉。そのはずだった彼女の双眸に
今まごうことなく灯っている怒りという名の烈火に、「遍在」は
どうしようもなく恐怖していた。
――・・・クッ・・・ナメるなよガキが・・・・・・ッ!!
圧倒的優位にいたはずの自分が、年端もゆかぬ少女の眼光に怯えて
いるという屈辱。それを晴らす為には、こいつを殺すしかない。
殺してやる。八つ裂きにして殺してやる。
鋭い両眼で手負いの獣さながらにタバサを睨み返して、「遍在」は
閃光ひらめく如くにルーンを唱え――

ドスドスドスドスドスドスドスドスドスッ!!

「・・・お・・・・・・が・・・・・・ッ」
水の二乗と風の二乗。トライアングルのそれを遥かに凌駕する
威力のウィンディ・アイシクルが五つ、「遍在」の身体を正確
無比に貫いた。もはや人としての形すら為さず、「遍在」は
そのまま――惨めに吹き消えた。
「遍在」の消え去った地面にもう一瞥もくれず、タバサは
己の「遍在」を解除して空を見上げる。シルフィード上の
ルイズに向かって、いつもの無表情で言葉を投げかけた。
「・・・もう、大丈夫」
「・・・・・・タバサ・・・」
今のルイズには、理解出来る。キュルケとギーシュの為だけ
ではない。タバサは他でもない、この自分の為に怒り、そして
戦ってくれたのだと。

「・・・そうだ、薬っ・・・!!」
安心したのか、激痛の中保ち続けていた意識をようやく手放した
キュルケに気付いて、ルイズは大事なことを思い出した。
ごそごそとポケットをまさぐると、小さな缶をいくつか取り出す。
ギアッチョの為に、ここで新たに貰った魔法薬だった。死に尽くす
軍隊には要らぬものだと言って笑うウェールズが脳裏に浮かぶ。
再び溢れかけた涙を、唇を噛んで押し留めた。
「・・・シルフィード、降りて」
頭を撫でて呼びかけると、シルフィードはすぐに応じる。
シルフィードが下降を始めたその時、回廊へと通じる扉が軋んだ
音を立てた。
「・・・!ギアッ・・・」
思わず叫びかけたルイズの声を止めたものは――扉の向こうに姿を
現した二体のワルドだった。その姿を確認して、シルフィードが
再び空に舞い上がる。「遍在」を通して状況を把握していたのだろう、
ワルドは中庭に己の分身が見えないことに驚く様子も見せず笑う。
「我が二体の『遍在』を消し去るとは・・・少々読みが甘かった
らしいな」
「・・・そんな・・・ギアッチョは・・・?」
愕然とするルイズを眺めて、ワルドは面白そうに顔を歪めた。
「死んだよ」
「え・・・・・・?」
「いや・・・まだしつこく生きているかもしれんな もっとも、
あれだけの瓦礫に押し潰されては五体満足とはいかないだろうがね」
「嘘・・・!!」
ルイズは我を忘れて叫ぶ。そんな彼女をいよいよ愉快そうに見遣って、
ワルドは言葉を重ねた。
「何故奴ではなく私がここにいるか、分からぬ君ではあるまい?」
「・・・そ・・・んな・・・・・・」
綺麗な顔を蒼白に染めたルイズの呟きは、風に吹かれて空に消えた。

絶望に打ちのめされたルイズに更に追い討ちをかけるべく口を開く
ワルドに、突如氷の散弾が撃ち放たれた。それぞれ左右に飛び
避けて、二体のワルドはタバサにその杖を向ける。
「黙って」
吹き荒れる雪風の如き意志で、タバサが呟いた。そのまま彼女は、
次の魔法の詠唱に入る。生きてさえいれば、助けることも出来る
かもしれない。そう判断したならば、すべきことはただ一つ。
遮る者を排除する――それだけだ。
「やれやれ、不意打ちとは野蛮なことだな しかし私は紳士だ、
一対一で以て正々堂々とお相手仕ろう・・・我が『遍在』がね」
左のワルドが、完璧な作法で一礼する。同時に、右の「遍在」が
前へと進み出た。タバサは構わず、エア・カッターを発動する。
巨大な不可視の刃が「左の」ワルドへと疾駆するが、その進路上に
「遍在」は読んでいたかのように立ちふさがった。そのまま
エア・ハンマーを解放すると、槌と刃は撃ち付けあって相殺された。
「相手をするのは『遍在』だと言ったはずだが?ミス・タバサ
仕方が無い、よく理解させてさしあげろ」
ワルドの言葉に答えるように、「遍在」が詠唱を開始する。
その呪句に、無表情なタバサの顔に一瞬焦りが浮かんだ。
迅速にルーンを唱え、「遍在」のライトニング・クラウドが
完成するその瞬間に、タバサは間一髪フライで上空へと離脱した。
表面上は無感動な顔に戻りつつも、タバサは心中これはマズいと
考える。確かに、相手をするしかないらしい。「遍在」は
与えられた魔力を使い切るつもりだ。それで自分を倒すことが
出来たならばよし、例え出来なくとも体力と精神力にある程度の
損耗を与えられることは間違いない。そうなれば残った本体の
ワルドと自分、どちらが有利かは明白だ。強力な魔法を使い
続けるというわけにはいかない。

・・・しかし。
憤怒を隠す氷の双眼で、タバサは二体のワルドを射貫く。
抑えられるものか。ルイズの心を裏切り、ギーシュを瀕死に
追い遣り、キュルケをゴミのようにいたぶり、ギアッチョを
打ち倒して尚笑うこの男を前にして、怒りを抑えることなど
出来るものか。
ぎりりと杖を握り締めて、タバサは呪文の詠唱を開始する。
エア・ストーム。解き放たれた竜巻が、杖を剣のように構えて
地を駆ける「遍在」をその暴威で容赦無く吹き飛ばした。間髪
入れず、タバサは次の一手に移行する。スクウェアの力で形成
された巨大な風の刃が倒れ落ちた「遍在」を切り裂くべく襲い
掛かるが、「遍在」は素早く横転してそれを避けた。唱えていた
フライを発動して空を走り、「遍在」はそのまま反撃に転じる。
「・・・ッ」
反射的に後退し、一撃二撃とタバサは「遍在」の剣撃を避けるが、

ボグァッ!!

「うッ・・・!!」
直後放たれたエア・ハンマーを避けることまでは出来なかった。
華奢な身体を軋ませながら彼女は後方に吹き飛んだが、その
状態にあって尚タバサは詠唱を止めない。石畳に叩き付けられる
その瞬間、怒りという名の強靭な意志の下撃ち放たれた渾身の
ライトニング・クラウドが――「遍在」の身体を、跡形も無く
灼き尽くした。

パチパチと、手を叩く音が聴こえる。痛む身体に鞭打って
立ち上がったタバサの眼に、愉快そうな顔で拍手を続ける
ワルドの姿が映った。
「これはこれは・・・いや、見事だタバサ君 君達の力には
どうにも驚かされ続けるね」
そう言うワルドの顔に浮かぶものは、余裕以外の何物にも
見えなかった。極寒の視線で、タバサはワルドを射る。
この男だ。この男こそが、全ての元凶――・・・。
端正な顔を歪めて笑うワルドに、己の両親を陥れた男と、その
娘の顔が重なる。人の命を、まるでゲームのように弄ぶ親子と。
「・・・許さない・・・」
もう一度だけ、小さく、しかし激烈な怒りを込めて呟き――
タバサは身の丈よりも長い己の愛杖を、ワルドに突きつけた。
杖を構えようともしないワルドに構わず、全霊を込めて
魔力を練り上げる。衝動のままに一気に解放すると、唸りを
上げて荒れ狂う氷嵐が、ワルドを喰らい尽くさんとばかりに
襲い掛かった。間近に迫ったそれを見て、ワルドはようやく
ルーンを詠唱する。完成と同時に現れたのは、タバサのそれを
遥かに凌ぐ大きさのエア・ストームだった。
「見るがいい・・・真のスクウェア、その力を」

ゴォアアアァアアァァアアァアァアアアッ!!

轟然たる絶叫を上げながら、巨大な竜巻はタバサの氷嵐を
巻き込み、引き裂き、掻き消した。それはアイス・ストームを
打ち破って尚その勢いを止めず――タバサ自身をも呑み込むと、
その衣服を、肌を切り裂きながら上空高く吹き飛ばした。

「タバサっ!!」
ルイズは竜巻から逃げ惑う風竜にしがみつきながら叫ぶ。
きゅいきゅいと、主人に向かってシルフィードもまた悲鳴を
上げた。彼女達の声で、タバサは何とか意識を保ち続ける。
石畳の地面に衝突する寸前、ギリギリのところでフライを
発動した。
ふわりと地面に降り立つと、タバサは再び杖を構える。
無感動に見える彼女の双眸からは、一欠けらの闘志も
失われてはいなかった。
「・・・まだ戦う気力があるとはな ――だが、そろそろだ」
一瞬驚きの表情を見せたワルドを無視して、タバサは再び
呪文の詠唱に入る。
「・・・ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ・・・」
己の魔力を杖先に集め――解放しようとした、その瞬間。
ぷつりと、まるでマリオネットの糸が切れたかのように・・・
タバサは力無く地面に倒れ落ちた。
「・・・・・・な・・・っ」
全身から、どっと疲労が溢れ出す。立ち上がるどころか
呼吸すらも苦しい。指一本動かせずに、ただ地面に倒れて
荒い息を繰り返すタバサを見下ろして、ワルドは嘲笑する。
「突然偶発的に、そして無理矢理にスクウェアの世界へ
押し入った者がこのように力を行使すれば、身体にガタが
来るのは当然だ 分かるかね、タバサ君?今の君の身体は、
これ以上の負荷に耐えられない」
「・・・・・・っ!」
言い返す言葉も、喉からは出てこない。悔しさに歯を
食い縛る力すらない現実。痛みよりも疲労よりも、それが
何よりタバサの心に深く突き刺さった。

だが、ここで諦めるわけにはいかない。まだ手は残っている
はずだ。シルフィードとルイズがいる。まだ終わってはいない――

ドゴァッ!!

「う・・・ッ」
喋ることすらままならないタバサを、ワルドは空気の槌で
容赦なく殴り飛ばした。タバサが倒れた位置を確認して、
黒衣の背信者は酷薄な笑みを浮かべる。
「実にいい・・・その位置がな 捨て置いてもいいのだが、
わざわざ後に禍根を残すこともないだろう」
タバサは、キュルケとギーシュを結ぶ直線状に倒れていた。
範囲の大きな魔法で薙ぎ払うならば、三人は実に都合のいい
位置にいることだろう。ワルドはちらりと上空のシルフィードに
眼を向けた。タバサを人質としてルイズを奪おうかと考えたが、
そんなことをするまでもなく自分ならば簡単に奪い返せると
思い直して、ワルドはタバサ達に眼を戻した。グリフォンに
乗って追いかけ、エア・カッターで翼を切り裂いてやれば
いいだけの話だ。杖を構えて、ワルドは朗々と詠唱を始める。
その呪句は、知っている者であれば誰もが震え上がるであろう
凶悪無比なスクウェアスペル――カッター・トルネード。

ゴヒャアアアァァアァァアアアァァアアッ!!!

禍々しい轟音と共に、天を衝く巨大な竜巻がワルドの眼前に
現れた。石畳をバキバキと破壊しながら、ゆっくりとタバサ
達へ迫ってゆく。呑み込まれれば最後、四肢をバラバラに
引き裂かれてしまうだろう。
「・・・・・・ぅ・・・くッ・・・・・・!!」
進み来る死に、タバサは絶望の声を上げることすら出来なかった。

「きゅいっ!?」
頭上で、シルフィードの声が鳴り響く。数秒置いて、タバサの
目の前に――ルイズが殆ど倒れるように着地した。よろよろと
つんのめりながら、ルイズは荒れ狂う竜巻の前に立ちはだかる。
「――・・・!!」
タバサは形を成さない声を上げる。ルイズの行動はあまりにも
意外で、そして無謀だった。
「やめてワルドッ!!」
タバサ達を庇うように、ルイズは大きく両手を広げた。杖を
軽く振って、ワルドは竜巻の進行速度を落とす。
「どくんだ、ルイズ 彼女達はこうなると分かっていて
戦いを挑んで来た ここで死ぬのも本望だろうさ」
冷え切った声で答えるワルドに、ルイズは必死に懇願する。
「お願い、やめて・・・!!これを止めて!ワルド!!」
叫ぶルイズの声で、キュルケは意識を取り戻した。眼前の
光景に思わず上体を跳ね上げるが、肉体と精神、その両面の
極限の疲労で、彼女は再び地面に倒れ込む。
「・・・くっ・・・ルイズ・・・!何やってるのよ・・・
早く逃げなさい!」
「うるさいわよキュルケ・・・怪我人が大声出さないで」
振り返らずに、ルイズは答えた。石畳を微塵に砕きながら
じりじりと迫り来るカッター・トルネードに、ルイズの髪は
逃げるかのように後方へなびき始めている。
「ルイズ!!逃げろって言うのが分からないの!?
もういいわ、もういいから逃げなさい!!そんなことを
したってあれは止まらないし、ワルドも許しはしないわよ!」
「わたしがそう言った時、あんたは逃げなかったじゃない!!」
「――・・・ッ!!」
キュルケは絶句する。自分がルイズの言葉を無視し続けたあの
時と、これはまるで反対だった。

「・・・あんたも、タバサも、ギーシュも・・・揃いも揃って
バカじゃないの?勝てないなんて分かりきってるのに、こうなる
なんて分かりきってるのに・・・!こんなところを見せられて、
誰が黙って逃げられるのよ・・・ッ!!」
「・・・ルイズ・・・・・・」
肩を震わせながら言い放つルイズから、キュルケはゆっくりと
顔を背ける。このどうしようもなくバカ正直な少女は、きっと
何を言おうが動かない。短くない付き合いの中で、キュルケは
嫌という程理解していることだった。
「・・・もう一度言おう どくんだ」
猛禽を思わせる双眸で、ワルドは鋭くルイズを見据える。しかし
ルイズは怯むことなく口を開いた。その眼を一瞬たりとも
ワルドから離すことなく。
「お願い・・・ワルド、やめて・・・!!」
ワルドはぎりぎりと杖を握り締めた。美丈夫然としたその顔を、
苛立ちに歪めて怒鳴る。
「どけ!!」
「嫌よ!!」
刹那の躊躇もなく、ルイズは凛として拒絶する。ギアッチョは
きっと怒るだろう。だけどそれでも構わない。ただの一%でも、
彼女達が助かる可能性があるのなら。
――・・・喜んで、この身を差し出すわ・・・!
数秒、二人は退かず睨み合う。一つ溜息をつくと、ルイズから
視線を外してワルドは諦めたように首を振った。
「・・・もういい、よく解った」
「・・・・・・」
「よく解った・・・どうあろうと、君は私には従わないと
いうことがな」
激情を冷え切った殺意に変えて、ワルドは言い放った。
「飛ばぬ小鳥に用は無い」

野獣のようなワルドの殺意に曝されても、ルイズは一歩を
動くことすらしない。
「言い遺すことはあるかね」
ワルドの言葉に、たった一言口を開く。
「・・・哀れね、ワルド」
ただそれだけの短い言葉が、ワルドの怒りに触れたようだった。
その顔がまるで獣のような表情に歪む。
「もっと上手く生きるべきだったな・・・ルイズ!!」
吼えるワルドに、もはやルイズは何も答えなかった。
竜巻がルイズの命を刈り取るまで、あと数歩の距離もない。
砕けた床石の破片が、とうとうルイズにぶつかり始めた。
頬に、腕に、膝に、次々と切り傷がついてゆくが、それでも
ルイズは逃げない。死への恐怖に身体を震わせながらも、
キュルケ達を庇う両手を彼女は決して休めはしなかった。
「・・・では死ね」
己の婚約者にそう吐き捨てて、ワルドは杖を持ち直す。
カッター・トルネードの進行速度を元に戻した瞬間、ルイズと
死に損ないの三人は紙人形のように切り裂かれることだろう。
口元に酷薄な笑みすら浮かべて、怒りと共に杖を振りかぶった
――その時。

バガァアアァァァッ!!

回廊へ通じる扉が、轟音と共に弾け飛んだ。

「随分とよォォォォ~~~~~~~・・・やってくれたみてー
じゃあねーか・・・ ええ?オイ・・・」
それは、もう聞けないと思っていた声だった。
「・・・・・・ギ・・・アッチョ・・・?」
動ける者は、皆振り向いた。震える声で、ルイズは呟く。
そこにいたのは――紛れも無く、己の使い魔。誰よりも
頼りになる味方。そして何物にも代え難い――
「バカな・・・何故貴様がここにいる!!ギアッチョッ!!」
その姿は、一言で表すならば正しく瀕死であった。堅牢無比を
誇るスーツは解除され、全身からは夥しい量の出血。異国の
服はあちこちが破れ、そこから生々しい傷跡が覗いている。
血塗れの手に剣を携えててルイズ達の後ろから歩いてくるその
姿は、しかしワルドに恐怖を覚えさせるには十分に過ぎた。
ギアッチョは何も答えない。ギーシュの、キュルケの、タバサの
横を、彼は黙ったまま踏み締めるように通る。一瞬にして静寂に
満ちた中庭を、彼は遂にルイズの元へ辿り着いた。
「・・・ギアッチョ・・・っ!!」
もう一度、ルイズは潤んだ声で男の名を呼ぶ。いつもの仏頂面で
ルイズを見遣って、ギアッチョは彼女の頭をぽんと撫でた。
「・・・頑張ったじゃあねーか ガキ」
「え・・・」
眼を白黒させるルイズに、ギアッチョは片手に掴んだ魔剣を
突き出す。
「持てるか?」
「へ?・・・う、うん」
ルイズがデルフリンガーを受け取ったのを確認して、
ギアッチョは一歩ルイズと距離を開ける。そのままワルドに
向き直ると、ギアッチョはぽつりと呟いた。
「黙って見ているバカがどこにいる・・・か」
急激に吹き荒れ始めた冷気に身を任せて、彼は半身の名を呼ぶ。
「・・・ホワイト・アルバム」

ギアッチョの呪句で、ワルドは今が戦闘中だとようやく思い出した。
「チィッ・・・!!」
焦りを切り捨てるように杖を振る。その瞬間、刃の渦は再び
速度を増して走り始めた。
「ルイズ!!俺をあの竜巻にかざせッ!!」
デルフリンガーが叫ぶ。ルイズは殆ど反射的に、剣を前に
突き出した。同時に、再び白銀の鎧を纏ったギアッチョが
両手を虚空に押し出すようにかざす。
「待ってなワルド・・・綺麗にブチ砕いてやるぜ
ルイズ、オンボロ、『覚悟』を決めろッ!!」
叫んだ刹那、巨大な竜巻はついにギアッチョに重なった。
スーツに次々と裂傷を刻みながら、それは貪欲にルイズをも
呑み込まんと進み続ける。
「ホワイト・アルバム ジェントリー・ウィープスッ!!」
ギアッチョの周囲で、風の刃は次々と凍り、阻まれ、霧散してゆく。
しかしそれも、カッター・トルネードの進攻を停止させるには
至らない。渦巻く烈風が、その中心に向かってルイズを引き込み
始めた。
「・・・くッ・・・!!」
「オンボロ!!」
「おぉよッ!!すっかり忘れてた俺の真の姿、とくとその眼に
刻みやがれってんだ!!」
言うや否や、デルフリンガーの錆びた刀身が光を帯びる。帯びた
傍から、赤茶けた錆びはパキパキと音を立てて剥がれ出した。
「デルフ・・・?」
呆けたルイズの言葉に答えるように、一際大きく輝くと――
その光の中から、見惚れんばかりの名剣が姿を現した。
「いくぜルイズ!!力一杯踏ん張りなァ!!あの野郎のちゃちな
魔法は、このデルフリンガー様が一つ残らず吸い込んでやるぜ!!」

「有り得ん・・・こんなことは・・・!!」
ワルドは呆然と後ずさる。カッター・トルネードを構成する魔法の
風が、雄々しく輝くデルフリンガーの刀身に「喰われて」ゆく。
その光景は、この上なく禍々しく――そして神々しい。
「凄い・・・」
「気ィ抜くんじゃねーぞ!全部だ!この俺様が全部喰らい尽くす!!」
風が凍り、空気の壁に阻まれ、無数の粒に砕け消え、吸い込まれる。
凄絶にして荘厳なその現象に、誰もが魅入られていた。しかし、
竜巻の爪牙は未だ砕けない。
「ぐッ・・・!」
度重なる風の斬撃に、ホワイト・アルバムはついに欠損する。白銀の
鎧、その肩口に出来た傷口から血が吹き出した。
「ギアッチョ!!」
「黙って構えてろ!ここが正念場だぜ、ルイズッ!!」
「う、うん・・・!!」
デルフリンガーを両手で強く握り締め、ルイズは強く前を睨む。
ギアッチョの言葉は、自分に勇気を与えてくれる。身を裂き始めた
竜巻に、ルイズはもう何の恐怖も感じなかった。
「デルフ・・・お願い、力を貸して!」
「ッたりめーよ!!行くぜェェェェェ!!」
「おおおぉおぉぉぉおおおおおおぉおぉおおッ!!!」
魔剣と魔人は、声を一つに咆哮する。その瞬間、凍結と吸収は
更にその力を増し、

バシュゥウウウウゥウゥゥウウゥッ!!!

逆巻く竜は全てを奪われ――旋風一陣残さずに消失した。

「・・・カな・・・ そんな・・・バカな・・・・・・!!」
まるで壊れた蓄音機のように、ワルドはぶつぶつと繰り返す。
あの化け物に刃が届かないというなら解る。だが奴は、奴らは
この暴悪無比のスクウェアスペルを消滅させたのだ。消し尽くし、
喰らい尽くしたのだ。
「おい~~~~~~~~~~~・・・『覚悟』は
出来てんだろーなァァァァアーーーーーーーーー!!」
受け取ったデルフリンガーを、ギアッチョは静かに構える。
この男は――倒せない。ワルドは今、誤魔化しようも無く
それを認識していた。力も、策も尽きている。残る手段が
あるとすれば・・・それはただ一つ、逃走のみ。
ワルドは弾かれたように杖を構えた。
「イル・フル・デラ・ソ・・・」
「遅ェェェ!!!」
「ぐおァァッ!!」
ワルドは獣の如き呻きを上げる。光を放つ左腕に握られた
デルフリンガーが、ワルドの胸を袈裟斬りに切り裂いた。
吹き出す鮮血がかかるに構わず、ギアッチョは右手を突き出す。
「死んで詫びろッ!!」
が。
「ソ、ル・・・ウィンデ・・・!!」

ブォアッ!!

「何ッ!?」
ギアッチョの手は一髪の差で虚空を掴む。胸を裂かれながらも、
ワルドは驚嘆すべき気力でフライの詠唱を完了させていた。

「野郎・・・!」
ギアッチョが睨むその先で、ワルドは血の滴る胸を抑えて笑う。
「ククク・・・・・・ハァ・・・ハァ・・・ッ やはり最後は
私の勝ちらしいな・・・!ゴホッ・・・手紙とルイズの奪取は
成らなかったが・・・ウェールズを殺し切れただけでもよしとしよう」
「ワルド・・・ッ!」
悲しげに叫んで、ルイズは短くルーンを唱える。その杖がワルドの
周囲に爆発を巻き起こしたが、前触れ無く生じる爆風はルイズ自身の
疲労の為か目標にかすることさえしない。冷や汗にまみれた顔を
嘲りに歪めて、ワルドは二人を見下ろした。
「戦の炎はそろそろ城内に回り始めるだろう 杖に、剣に、爪に、
蹄に蹂躙されて死ぬがいい!」
「ワルド、どうして・・・!!」
ルイズの言葉に、ワルドは答えない。もはや何の興味も無いと
言わんばかりにルイズから視線を外すと――全てを捨てた男は
黒衣を翻して空へ消えた。

虚脱と忘我、怒りと悲しみ・・・溢れ絡まる幾多の感情を
鳶色の瞳に映して、ルイズは空を見上げ続ける。その耳に
突如届いた轟音で、彼女はようやく我に返った。それは大砲の
響きか火系統の爆発か、いずれにせよ賊軍が既にこの近くまで
押し寄せているという証左であった。
「・・・ど、どうしよう ギアッチョ・・・!!」
ルイズはパニックに陥った。非戦闘員を乗せた船などとうに
出港しているはずだ。折角助かったというのに、このままでは
ワルドの言葉が現実と化すまで数分とかからないだろう。
焦りを隠すことも忘れてギアッチョを振り返るが、
「慌てんじゃあねーぜ こんな展開は予想済みだ」
「・・・う、うん・・・」
一片の焦りも見せないギアッチョの言葉に、ルイズの動揺は
呆れる程容易く消え去ってしまった。

「タバサ、問題はねーな」
問い掛けながら、ギアッチョはタバサに首を向ける。未だ指
一本動かすことさえ困難な身体で、タバサは何とか頷いてみせた。
それに合わせるように、中庭にシルフィードが舞い降りる。
次の行動に移りながら、喋れないタバサの代わりにギアッチョが
口を開いた。
「タバサに頼んでた用事がこいつだ 万が一に備えて逃走経路の
偵察をさせておいた」
「あ・・・」
なるほど、確かにこうなってしまっては鍾乳洞の港へ向かうことも
出来ないだろう。より危険が少ないルートを知る必要があると、
ギアッチョは昨日の内から予測していたのだった。普段からは
想像もつかない彼の慧眼に、ルイズとキュルケは眼を丸くする。
「・・・さて」
ようやく氷の鎧を解除すると、ギアッチョはギーシュの元へ
歩を進めた。
「・・・・・・マンモーニ・・・たぁ言えねーな、ギーシュ」
そう呟いて、未だ意識を失ったままのギーシュを肩に担ぐ。
やはりかなりのダメージがあるのだろう、若干ふらつきながら
ギアッチョはシルフィードへと歩き出した。
手伝おうと駆け寄りかけたルイズは、その瞬間あることを
思い出す。ギアッチョの姿を数秒苦しげに見つめた後、
「・・・・・・っ」
それを振り切って、彼女は破壊された扉を踏み越えて回廊へと
駆け出して行った。

「血で汚れちまうが・・・ま、我慢してくれ」
その背にギーシュを座らせながら、ギアッチョはシルフィードに
一言詫びる。風竜がきゅいきゅいと鳴いたのを確認して、今度は
タバサを抱き上げる。ルイズよりも更に軽いその身体は、驚く程
簡単に持ち上がった。
「・・・が・・・とう・・・」
同じくシルフィードの背に横たえる瞬間、タバサは苦しげな
声で呟く。ギアッチョは一瞬見せた迷うような顔を隠すように
キュルケの方に向き直り、ややあって一言口にした。
「・・・そいつはこっちの台詞だ」
そのまま、見つめるタバサを振り返らずにキュルケの元へ歩いて
行く。両手を地面について何とか自力で立ち上がろうとしていた
キュルケは、ギアッチョに気付いて少し上擦った声を上げた。
「わ、私は自分で立てるわよ!あなたも怪我人なんだから、
はやくシルフィードに乗って・・・きゃあっ!?」
問答は面倒なだけだと判断して、ギアッチョは構わずキュルケを
抱え上げる。
「ちょ、ちょっと!いいって言ってるじゃない!私は自分で
歩けるわよ!聞いてるのギアッチョ!?」
「うるせーぞキュルケ 強がりは状況を選ぶもんだぜ
・・・第一、てめーらがこうなったのはオレのせいだろうが」
その言葉に、キュルケは渋々抵抗をやめる。少し恥ずかしげに
顔を背けて、呆れたように呟いた。
「あなた達って、揃って同じようなこと言うんだから」

身体のそこかしこが汚れた格好で、ルイズは回廊から戻って来た。
どこか翳りの見える顔で中庭を見渡すと、そこにはギアッチョに
抱えられてシルフィードに乗せられるキュルケの姿。
「・・・・・・」
「ああ?」
ぼーっと突っ立っているルイズに気付き、ギアッチョはそちらに
足を向けた。
「何やってんだ とっとと乗れ、時間がねーぜ」
その長身で自分を見下ろすギアッチョを見上げて、ルイズは
恐る恐るといった風に口を開く。
「えと・・・・・・わ、わたしも怪我してるんだけど・・・」
「してるな」
言わんとしているところが解らず、ギアッチョはそれが何だと
いう顔で返事をする。
「・・・だ、だから・・・!・・・・・・その・・・あの・・・」
あやふやな声を出す度に、ルイズは思わず言ってしまったことが
どんどん恥ずかしくなってゆく。顔を真っ赤に染めるルイズを
見て、一方のギアッチョは「またいつもの病気か」と納得した。
ルイズがこんな顔をする時、ギアッチョには大抵最後までその
理由は解らない。そんなわけで、ギアッチョは「いつもの病気」と
いうことで適当に納得して、さっさとこの場を収めることにした。
「なるほどよく解ったぜ 続きはここを出てから聞くからよォォーー」
「ぜ、全然解ってな・・・きゃあぁっ!?」
ギアッチョは面倒臭いとばかりに溜息をつくと、ルイズの腰に
片手を回して無造作に抱え上げた。
「ちょ、ちょっとギアッチョ!?なななな何してぇぇっ!?」
後ろ向きに抱えられて、ルイズは思わずわたわたと手足を動かす。
「やかましい 時間が勿体ねーんだよ」
悪態をつきながら、ギアッチョは問答無用で歩き出した。

「も、もうちょっと、だ・・・も、持ち方ってものがあるでしょ!
子供じゃないんだからっ!!」
「子供じゃねーか」
「ちがっ・・・!!」
抗議を続けるルイズを適当にあしらいながら、シルフィードの
背中に乗る。前回を考えて持つ場所は選んだのだが、当のルイズは
それに気付く余裕はないようだった。
「あ、あのねぇ!何か勘違いされてそうだから言っておくけど・・・」
背びれを挟んでギアッチョの隣に座りながら、ルイズは身を乗り出す。
「それは、その・・・確かに、見た目のせいでほんの少しだけ
小さく見られることはあるわよ?・・・ほんの少しだけ だけど、
わたしは子供じゃないの!もうれっきとしたじゅうろ・・・」
「ルイズ、おめーさっきから何を握ってんだァ?」
「・・・んだから!分かったらわたしを子供扱いしな・・・え?」
ギアッチョの視線は、強く握られたルイズの右手に向いていた。
「こいつだ」
その小さな手を、ギアッチョは無造作に掴む。
「ちょっ――!!」
「・・・こりゃあ・・・」
彼女の右手に大事に包まれていたものは、蒼古たる輝きを放つ
――風のルビー。半壊した礼拝堂の中で損なわれずに残っていた
ウェールズの遺体から、ルイズはそれをそっと抜いて来たのだった。
ふにゃりと真っ赤に崩れたルイズの顔が、悲しみのそれに変わる。
「・・・そうよ、殿下の遺品 せめてこれだけは、姫様に渡したくて」
沈んだ声を打ち払うように、「きゅい!」と一つ鳴き声が響く。
上昇を始めた風竜の背から半壊した礼拝堂を見下ろして、ルイズは
再びルビーを握り締めた。風に髪をなびかせながら、静かに呟く。
「・・・ごめんなさいウェールズ様・・・ あなたをここに
置いて行きます だけどこれだけは、必ず姫様に渡します 
あなたの遺志は、必ず姫様に伝えます・・・――」

「あィイッ!!!」
情けない悲鳴が、大空にこだました。
「ッだだだだだだだだだだだだだだ!!!もうちょっと優しく!
優しくゥゥゥゥゥゥ!!」
モンモランシーが聞けば失望しそうな声を上げているのは、
勿論ギーシュである。
「・・・・・・」
蹴落としたい気持ちを抑えて、ギアッチョはギーシュに薬を塗る。
信じられない回復力である。魔法薬の効果が出ているのかどうか、
門外漢のギアッチョには解らないが、あれだけ血を流しておいて
もう元気に悲鳴を上げているというのはやはり瞠目すべき生命力で
あるように思う。
以前メローネが「ギャグキャラは一コマで傷が治るもんだ」だの
なんだのと言っていたが、ようするにこいつもそういう類の
人間なのかと考えて、ギアッチョは妙に納得した。
ニューカッスルを離れて数刻。応急手当は大体が終了していた。
タバサは大分疲労が回復して来ていたし、ルイズは比較的軽症。
全身にダメージを負ったキュルケは、ルイズの手によって包帯
だらけの格好と化している。前述の通りギーシュはギアッチョが
手当てを務め、そのギアッチョの手当てはルイズが行った。今度は
最初から最後まで自分で手当て出来たので、ルイズはどこか満足げな
顔をしている。
奇跡的なことに、誰一人として命に別状はないらしい。全員の
様子を確認してから、ギアッチョは言いにくそうに口を開いた。
「・・・で、だ」
その声に、ルイズ達の注目がギアッチョに集まる。がしがしと
頭を掻いて――ギアッチョは彼女達を見返した。
「・・・・・・・・・悪かったな」

ルイズ達は皆、一様にきょとんとした顔をしている。
そんな彼女達を見渡して、ギアッチョは続けた。
「オレ一人でブッ倒すつもりが、まんまとやられた挙句に
てめーらまで巻き込んでこのザマだ 瓦礫ン中でなんとか
こいつに手が届いたからよかったがよォォー・・・」
ギアッチョはひょいとデルフリンガーを持ち上げて、苦々しげに
顔を歪めた。
「てめーらに怪我負わせたのはオレの責任だ・・・悪かった」
己の非によって近しい者が被害を受けたならば、然るべき筋を
通す。ギアッチョはそれが出来る男だった。らしくもなく
自責に駆られている様子のギアッチョに、場が静まり返る。
その静寂を切り裂いて、やがてギーシュが口を開いた。
「何を言ってるんだね君は 君がいたからこそ、僕達は皆無事に
ここにいることが出来るんじゃないか 君がいなければルイズは
あっさりさらわれて、僕達は今頃天国巡りの真っ最中だよ」
己のせいで重症を負ったはずの男は、まるでそんなことなど
無かったかのように笑う。
「感謝こそすれ、君を恨むような理由なんてあるわけないさ」
ギーシュの言葉に、キュルケとタバサは同時に頷いた。
「ま、一番被害の大きい人間にこう言われちゃあね」
キュルケもまた、冗談じみた言葉を返して笑う。いつの間にか
読書をしている程に回復したタバサは、顔を上げてもう一度
こくりと頷いた。
「・・・・・・」
ギアッチョは言葉無く彼らを見返す。ギアッチョの生きて来た
世界では考えられなかったことに、彼は返す言葉を見出せなかった。
「そうよ、ギアッチョがいなきゃどうにもならなかったわ」
使い魔の顔を覗き込んで、ルイズも言葉をかける。
「・・・・・・謝らなきゃいけないのは、わたしのほうよ」

ルイズは悄然として俯いた。キュルケ達の視線が、今度は
ルイズに集まる。
「ギアッチョのせいじゃないわ・・・ あんた達がそんなに
ボロボロになったのは全部わたしのせいよ わたしが何も
出来ないから、わたしがゼロだから・・・・・・」
彼女達の痛ましい姿を見て、ルイズはゆっくりと首を振った。
魔法が使えない自分には、抵抗することも出来なかった。
――無力。その言葉がルイズに重く圧し掛かる。命を救われたと
いうのに、自分は彼女達に何をしてやることも出来ない。
ルイズには、ただ愚直に謝ることしか出来ない。それが、
何より辛かった。
「・・・・・・だから ごめ――」
「ストーーーップ!」
「・・・?」
制止をかけたのはキュルケだった。呆れたように微笑んで、
ルイズに語りかける。
「あのね、これは私達がやりたくてやったことなのよ
それでいくら怪我を負おうが――たとえ死んでしまったと
しても、私達があなたを恨むわけがないでしょう?」
ルイズは言葉に詰まる。やや置いて「でも」と口を開き
かけた彼女を、今度はタバサが遮った。
「・・・友達」
友達。どれ程焦がれていたか分からないその言葉を、
ルイズは今再び投げかけられた。
「・・・・・・私、が・・・?」

魔法が使えない。ただそれだけで、周囲は彼女を遠ざける。笑い、
蔑み、拒絶する。それが、ルイズの人生だった。気丈な彼女は、
人前で弱みなど見せない。周囲の罵倒に、己の失敗に、逃げず
怯えず戦い続けた。しかし彼女は人間。どこにでもいる十六歳の、
ただの小さな少女なのだ。誰も入って来ない、小さな自室。ルイズが
己の心を曝け出せるのは、広い学院中で唯一そこだけだった。怒りで、
悔しさで、情けなさで、悲しさで、ルイズはただ独り、何度も何度も
泣いた。そしてその度に、彼女は己の無価値を思い知る。落ちこぼれの
自分に、無能な邪魔者の自分に友人など出来るわけがないと、まるで
終わることのない悪夢のように。
ルイズは、恐る恐るタバサを見る。その怯えを、不安を、孤独と
いう名の泥濘を、全て断ち切るかのように――タバサは小さく、
しかし、強くはっきりと頷いた。
「・・・・・・あ・・・」
こんな時、一体どんな顔をすればいいのだろうか。それが解らず、
ルイズはただ呆然とタバサを見る。だが、いつも通りの無表情に
見えるタバサの顔が、今確かに優しさを映していること――
それだけは、はっきりと理解出来た。
「そうさルイズ 僕らは友達だ 友の窮地を救うのに、傷の一つや
二つを厭う人間が一体どこにいるんだい?」
「・・・ギーシュ・・・」
底抜けの笑顔で言ってのけるギーシュに頷いて、若干恥ずかしげに
キュルケが後を継ぐ。
「そういうことよ 私達は・・・と、友達なんだから・・・
変な負い目も罪悪感も、あなたが感じる必要は――・・・って、
ちょ、ちょっと!何泣いてるのよ!!」
「だ・・・だって・・・・・・!」
止まらなかった。いつの間にかこぼれ始めた涙は、彼女の孤独を
洗い流すかのように、とめどなくぽろぽろと流れ続ける。ならば、
言うべきことは謝罪などではないはずだ。幾度もしゃくりあげながら、
ルイズはただ一言を返す。「ありがとう」と――それだけを。

友というものを、ギアッチョは今ようやく理解出来た気がした。
それは確かに他人の集まりだ。だが今、彼女達には決して消えない
絆がある。笑う気には――なれなかった。嘲る気には、なれなかった。
「・・・ギアッチョ」
ギアッチョの思考を切り裂いて、彼を呼ぶ声が聞こえる。
「何だ」と返して、ギーシュの方へと彼は顔を向けた。それを
確認して、ギーシュは柄にも無く真面目な顔で問い掛ける。
「君は・・・僕達の友人でいてくれるかい?」
「・・・・・・」
ギアッチョは沈黙する。ギーシュだけではない。それはこの場の
全員が問い掛けたかった言葉だった。彼らは直感的に気付いて
いるのだろう。ギアッチョがここと、ここではないどこかとの
間で苦悩していることを。
友でいてくれるかということ。それは傍にいてくれるのかと
いうことでもある。それは取りも直さず――イタリアか、
ハルケギニアか。どちらを選ぶかということだ。
引き延ばしにすることは出来る。流されるままに、運命に
従ってしまえばいい。しかしそれは、彼らの「覚悟」を蔑する
行為に他ならない。彼らは命を賭けて、その友情の真なることを
証明した。ならば己も、その行く末を賭けて決断しなければ
ならないはずだ。イタリアへ帰るか、ハルケギニアに留まるか。
ルイズの使い魔であり続けるか――彼女を捨てるか。
ギアッチョはちらりとルイズに視線を遣る。この上なく不安げな
顔で、自分を伺う彼女と眼が合った。
額に片手を当てて、ギアッチョは深く溜息をつく。決めろと
いうのなら決めるまでだ。・・・いや、どちらを取るか、そんな
ことはとっくに決まっていた。自分はそれと向き合うことを、
恐れていただけだ。
やれやれと独白して、彼は口を開いた。
「・・・・・・オレは――」

・・・見たこともない場所だった。規則正しく刈られた植え込みが、
まるで迷路のように続いている。赤く満ちた小さな月が、寄り添う
ように昇る大きな月と共に地上を照らしていた。周囲を遠く囲む
広大な館に気付いて、彼はここが中庭だと理解する。
どこか遠くで、すすり泣くような声が聞こえた。気付けば、彼の
足は自然にそちらへ向いていた。茂みを乱暴に掻き分けて、声の
主を探して歩く。やがて彼の行く手に、色とりどりに咲き乱れる
花々が姿を現した。百花繚乱たるそれらは、見渡すばかりに
広がる池を美しく囲んでいる。その中央に小さな島が一つ。ほとりに、
小舟が一艘浮かんでいた。どうやら声は、そこから聞こえて来る
らしかった。見ればそこには、肩に毛布をかけて幼い少女が座っている。
その目の前に立って、黒衣の男が手を差し伸べていた。優しげな声色で
少女慰めているようだったが、少女は身を硬くして怯えたように泣いて
いる。
・・・その光景に、彼は何故だか無性に腹が立った。岸から島まで
どこにも足場はなかったが、彼は問題無く氷の道を作る。その上を
慣れた様子で歩くと、あっという間に小舟へ辿り着いた。男の肩に
ぽんと手を乗せ、振り向いたその顔を力一杯殴り飛ばす。声も
立てずに、男は池に落ちて姿を消した。
詰まらなそうな顔で少女を見下ろして、彼は一つ溜息をつく。
「・・・いつまでも泣いてんじゃねーぞ クソガキが」
彼を見上げる少女は、いつの間にか十六歳の姿になっていた。
彼の主人であるところの少女は、ごしごしと涙をぬぐって微笑む。
「本当に、いつだって来てくれるのね・・・ギアッチョ」

「よーお 元気してっか?ギアッチョよォ~~」
突如聞こえた陽気な声で、ギアッチョとルイズは小島を振り向く。
そこにしつらえられた石のベンチに、数人の男が座っていた。
「・・・・・・てめーら・・・」
「クハハハハハハハ!何間抜けヅラしてんだよおめー、ええ?」
愉快そうに笑う男は――ホルマジオ。彼らは、紛れも無い
ギアッチョの仲間達であった。
「オレ達のことは知っていると思うがよーーー こいつが
初めましてってことになるわけか?ルイズ 少々奇妙だが」
そう言って、イルーゾォはひらひらと手を振る。ぽかんとして
いるルイズに、メローネが声を掛けた。
「そんなにディ・モールト驚くことはないさ・・・こいつは
ただの夢なんだからな そうだろう?相棒」
「・・・その人を食ったような性格は死んでも治らねーらしいな」
どうやら状況に慣れたらしい。ギアッチョは呆れたように笑う。
「一度死んだくらいで治る程育ちのいい野郎がオレ達の中に
いたか?」
ホルマジオの後ろに立つプロシュートが言うと、
「なるほど、そいつぁちげーねぇや!あいてッ!!」
「おまえに言われるとどーもムカつくぜ」
笑うペッシがホルマジオに殴られた。プロシュートの横に立つ
リゾットは、無表情に皆を制する。
「お前達、その辺にしておけ」
両手を上げるホルマジオの横で、ペッシは頭をさすりながら
「へい」と一言返事した。
「・・・しばらく見ねー間に、随分とフケたんじゃあねーのか?
ええ?オイ」
軽く悪態をつきながらも、ルイズにはギアッチョはどこか楽しそうに
見えた。

「さて・・・ギアッチョ」
「・・・何だ」
真紅の月に照らされて、ギアッチョはリゾットと真っ直ぐに
向かい合う。まるで心の奥底まで見通すような深い瞳で、リゾットは
ギアッチョを見据えた。
「お前の決断・・・迷いはないな?」
「・・・・・・」
ギアッチョは、すぐに答えない。ほんの数秒、しかし深く内省し。
「・・・ああ 迷いはねーぜ・・・一片もな」
はっきりと、そう答えた。それを聞いて、彼らはニヤリと笑う。
「そうか ・・・ならば、ギアッチョ」
小さな月のように紅い双眸で、リゾットはルイズを見遣った。
「・・・お前は振り向くな 過去に囚われるな」
「・・・・・」
「オレ達の影に――縛られるな」
ギアッチョはただ黙って聞いている。リゾットの後を、メローネが
静かに引き継いだ。
「出来ることならオレが変わってやりたいが、選ばれたのは
どうやらあんたらしい ディ・モールトうらやましいが・・・
守ってやれよ、その娘をな」
「ギアッチョ、オメーは物を深く考えすぎるからな・・・
オレ達が保障しておいてやるぜ その道は間違いじゃあねえ」
「クックック・・・まさかリゾットでもプロシュートでもなく、おまえが
こんな役回りになるとはなァ いいか、オレ達は死んだ だがなギアッチョ、
おまえは生きてる そこだぜ・・・大事なところはよ」
「きっと苦労するだろうけどよ、嬢ちゃんも頑張って・・・イデッ!」
「だからおめーが言うなっつーの ま、せいぜい生きろよギアッチョ
オレ達ゃ地獄の底から面白おかしく見物してっからよォ~~~」
ホルマジオが言い終えると同時に、世界は無情に、急速に白化を始めた。
ギアッチョが何かを口にしようと動くが、その声すらも白い霧に散る。
最後に一言、誰かが「じゃあな」と呟き――瞬間、世界はぷつりと消えた。

「・・・ん・・・ぅ・・・」
涼やかに頬を撫でる風で、ルイズは夢から醒めたことを知った。
――・・・あれは、夢・・・
夢、だったのだろうか。ギアッチョに去って欲しくない自分の、
あれは都合のいい幻想だったのだろうか?
「・・・・・・言うだけ言って消えやがって・・・バカ野郎共が・・・」
ぽつりと、独白するような声が頭上から聞こえる。
――・・・え?
ルイズは薄っすらと眼を開ける。視界に見えるのはキュルケ、
タバサ、そしてギーシュ。誰もが疲労で眠りこけていた。
隣にいるはずのギアッチョを確認しようとして、ルイズは
自分が何かに身体を預けていることに気付く。
――・・・・・・
霞む瞳を数回まばたかせたところで、
「~~~~~~~~~~っ!!?」
ルイズの心臓は飛び跳ねた。
――ちょ、こここ、これって・・・!!
声を漏らさなかったのが不思議なぐらいだった。頭を胸に、
自分は身体を殆どギアッチョにもたれさせていたのだから。
――・・・う・・・
跳ね起きようと考えたが、どうしても身体が力を入れようと
しない。己の気持ちを理解して――ルイズは何故だか、尚更
それを認めたくなくなった。
――ねね、眠くて動けないだけだもん ギアッチョなんて、
か、関係ないんだから!
耳まで真っ赤にして、ルイズは無理矢理言い訳を考える。
どうにもまだまだ、素直になれないようだった。

心臓の鼓動がうるさい。ギアッチョに気付かれるかと思うと、
それはますます大きく脈打ち始める。
――ああ、もぉ・・・!!
他のことを考えて落ち着けようと、ルイズは先程のことを振り返る。
ギーシュの問いに、結局ギアッチョは明確な返事をしなかった。
代わりに、彼は自分のことを話した。イタリアから来たこと、
暗殺者だったこと、スタンド能力のこと・・・。それは彼なりの、
不器用な信頼の証だった。
ギーシュ達は、誰も笑わなかった。ここまで一緒に戦い抜いてきた
仲間のことを、誰が疑うだろう。勿論、自分にとってそうである
ように、彼らにとっても信じられないような話ではあったようだが。
ギアッチョの心は、皆理解していた。あの瞬間、皆の心はきっと
一つだった。ルイズにはそれが――どうしようもなく喜ばしい。
今見た夢に、思いを馳せる。彼らはただの夢だったのか、それは誰
にも分からない。しかしルイズは、きっと彼らは本物だったと思う。
紛い物の幻想に、ギアッチョの笑顔など引き出せはしないはずだから。
「・・・生きてやるよ この世界でな・・・」
ぽつりと、ギアッチョが呟いた。どこか晴れ晴れとしたその声に、
ルイズの左手は思わず彼の服を掴む。自分を揺り起こそうとしない
ギアッチョが、ルイズは無性に嬉しかった。

ギアッチョの話を聞いた時のギーシュ達の笑顔を、自分は忘れない。
己を友達だと言ってくれたキュルケの、タバサの、ギーシュの言葉を、
自分は決して忘れない。ワルドが裏切り、ウェールズが死に、王国は
滅んだ。それらを思い出せば、この胸は張り裂けそうに痛む。
――だけど・・・わたしは忘れない
右手の中の風のルビーを、ルイズは強く握り締めた。
わたしは、決して忘れない。この日のことを、生涯忘れはしない。
ルイズの手の中の、風と水。友と友を、過去と未来を結びつけるかの
ように――二つのルビーは、美しい虹を作り出していた。

<==To Be Continued... 


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