ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

仮面のルイズ-32

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かつては、白の国アルビオンの象徴とうたわれたニューカッスルの城。
城壁は砲撃と魔法による攻撃で瓦礫と化し、焼け焦げて腐りかけた死体がそこかしこに転がっている。

アルビオン貴族派であり、反乱軍でもあった『レコン・キスタ』は、一応の勝利を収めたものの、この戦闘で尋常ならざる被害を被っていた。

王党派の戦死者は約二百人、生き残りはゼロだった。
しかし、レコン・キスタの戦死者数は約二千、怪我人も合わせれば四千を超える甚大な被害だった。
ニューカッスルの城は アルビオンの岬の突端に位置しており、歩兵は地続きの場所から攻めることしかできない。
密集したレコン・キスタの兵達は、城壁を飛び越えて現れた一頭の馬に、文字通り踏みつぶされた。
まるで草原の草を踏みしめるが如く、街道の土を跳ね上げるが如く、兵達を踏みつぶし、弾き、蹂躙したその馬は、兵士達の目には巨大に見えた。

いつしかその話は噂となり、膨らみ、10メイルを超える巨大な馬があらわれたと、噂で語られることになった。

城壁に残った王党派の兵士達も、残り少ない火の秘薬を使って応戦していた。
だが、城壁の内側へと侵入されてしまう頃には、秘薬も精神力も付きてしまい、王軍のメイジたちは貴族派の雑兵に討ち取られて、命を散らせていった。

ニューカッスルの戦いは、伝説となった。
自軍の十倍以上の損害を与えながらも、文字通り全滅した王党派の戦い。

この戦いは敵味方関係なく、軽んじられる事無く、伝説となった。

戦闘が終わった、その翌日、死体と瓦礫が入り混じるニューカッスルの城内を見聞する貴族の姿があった。
羽のついた帽子に、トリステインの魔法衛士隊の制服を着た男、裏切り者のワルドだった。
周囲では、レコン・キスタの兵士達が死体に群がり、身ぐるみを剥がし、金目の物を探している。
元は傭兵だったのであろう下品な男達もまた、メイジの杖を回収しては「何人殺したか」などの話をしている。
ワルドは、その様子を見て、あることを思い出して舌打ちをした。

ルイズは、土くれのフーケと戦って死んだ。
ワルドとルイズは、双方の親が決めた許嫁であったが、ワルドはそのことにあまり強い関心を持っていなかった。
公爵家の令嬢と結婚し、位を上げるという意識はあったが、ルイズに対しては強く執心していなかった。

婚約を決めた母が、無念の死を遂げてしまってから、ワルドは一心不乱に魔法の腕を磨き、魔法衛士隊に入隊した。
権力欲にとりつかれたわけではない、亡き母のために、ラ・ヴァリエール家の『烈風カリン』に少しでも認められようとしたのだ。
だが、魔法衛士隊に入り、隊長にまで上り詰めたワルドが見たものは、トリステイン貴族達の腐敗した実体だった。
自分の利権だけを考え、名目をつけて国庫の金をかすめ取ろうとする、そんな貴族達がワルドよりより高い位を持っていたのだ。
母から理想的な貴族としての教育を受けてきたワルドは、その現実から目を逸らそうとして、反らせなかった。


ワルドがレコン・キスタからの誘いを受けたのは、それだけが理由ではない。
胸に下げたロケットを右手に取り、親指で開くと、そこには母の絵が納められている。
亡き母の面影を思い出そうとすると、自然にもう一人…ルイズの姿も一緒になって思い浮かぶ。

母が死んだ後で、許嫁まで死んだと聞かされたワルドは、久しく会っていない許嫁の少女を思い出して、泣いた。

どうでも良いと思っていた相手だが、思い返してみると、ルイズと会っていた頃は楽しかった。
今となってはかなわぬ夢を思い浮かべ、目を細めたワルドに、後ろから何者かが声をかけてきた。

「子爵! ワルド君! 件の手紙は見つかったかね?」
ワルドは無言で首を左右に振った、そして、声をかけた男に振り返る。
「閣下。どうやら、手紙は巨馬を操る男に持ち去られたようです。私のミスです。申し訳ありません。なんなりと罰をお与えください」
「何を言うか!いや子爵、きみはよくやってくれた、王党の者は三百はいたと聞いている、そのうち百は君が排除したのだろう、それに火薬庫を上手く破壊して戦力を削いだとな!」
「もったいないお言葉です。ですが私めは手紙を奪取する任務に失敗致しました」
「なに、子爵、確かにそれは重大な責任ではある、しかしあのような傭兵がいるとは君ですら判らなかったろう。余が、いまだ『虚無』の一部しか手にしていないようにな」
クロムウェルはにかっと笑うと、身ぐるみを剥がされて転がっている王党派の兵士に杖を向けた。
小声での詠唱がクロムウェルの口から漏れる、詠唱が完成すると、クロムウェルは周囲に水を振りまくかのように杖を振り下ろした。
「うあああああああああ!」
「ひいいいいいいい!」
周囲から悲鳴が聞こえる、ワルドは声のした方に振り向いた。
すると、そこには死体となっていた兵士達が立ち上がっていたのだ。
それを見て驚いたのか、先ほどまで死体の身ぐるみを剥いでいたレコン・キスタの兵士達が、腰を抜かしている。
腐りかけたもの、死斑の浮き出たものすら、生気を取り戻して生前のように顔が明るくなる。
彼らの瞳が開かれ、そして、クロムウェルへと一礼した。
「やあ、おはよう。余の同胞達よ」
クロムウェルがつぶやくと、よみがえった兵士達は顔を上げて、一様に微笑み返した。
「大司教猊下、お久しゅうございます」
「おや、すまぬな、この服装では『僧』に見えるか、今では皇帝なのだよ」
「失礼致しました。閣下」
ひとり、またひとりと兵士達が蘇り、クロムウェルへと跪いた。
「どうだねワルド君、生前は敵であったが、死んでしまえばみなともだちなのだ、友達となったからには、余が『虚無』にて生を与えねばな」
「…はっ」

裏切り者のワルド、そして死体の兵士達は、レコン・キスタの皇帝を囲うようにして歩いていった。

ワルドは、生き返った死者の姿を見ながら、ルイズを母を思い出していた。

それから数日後のこと。
半ば無理矢理タバサの実家へと連れて行かれたシエスタが学院に帰ると、早速ロングビルに呼び出された。
オールド・オスマンからの叱責が待っているのだろう。
シエスタは学院長室で、タバサに連れて行かれた時の事情を説明した。
「ミス・タバサの実家で何を頼まれたのか話して貰うぞ」
「はい…」
「判っておるよ、口外はせん…すまんがミス・ロングビル、しばらく席を外してくれんかね」

「判りました。…ミス・シエスタ、セクハラされたら全力で殴って構いませんわ」
ログビルが部屋を出た後、オールド・オスマンはほっほっほ、と気まずそうに笑った。
よく見るとオールド・オスマンの服にはロングビルの足跡が付いている気がしたが、気にしないことにした。
オールド・オスマンがディティクト・マジックで周囲を確認し、サイレントで音を遮断する。
そしてシエスタは、タバサの実家で起こった出来事を、事細かに話した。
「なんという無茶をしたんじゃ、深仙脈疾走を使うとは…。ほれ、おでこにちょこっと白髪が覗いておるぞ」
「えっ、え?」
シエスタが白髪と聞いて、少し慌てた様子を見せる。
事実、昨日から今朝にかけて伸びた髪の毛は、色素を失って所々白くなっている。
タバサが水の魔法でシエスタの身体を整え、波紋の呼吸をすぐに再開したので目立つことはないが、シエスタの頬は少しこけており疲労の色が見えていた。
「深仙脈疾走は二度と使ってはならんぞ、よく覚えて起きなさい。それにしても深仙脈疾走でも治せないとは、難しいのう」
「波紋を使って毒を押し出そうと思ったんですが、毒を押し出そうとすると毒が増えた気がするんです」
「ほう?詳しく説明してくれんか」
オールド・オスマンがテーブルに肘を突き、身を乗り出すかのように身体を前屈みにした。
「この間、水の秘薬を用いた毒を解毒したのですが…」
「ギーシュ・ド・グラモンの件かの?」
「ご、ご存じだったんですか!?」
シエスタが慌てた、ご禁制の品が学院内で使われていたと知っていながら、なぜオールド・オスマンが何も言わなかったのか、不思議に思った。

「ほっほっほ、まあ、若いうちに痛い目にあっておくべきじゃ、いい経験になるじゃろうと思って、黙っていたんじゃよ。それで水の秘薬がどうしたと?」
「はい、水の秘薬はラグドリアン湖に棲む『水の精霊』の身体の一部だと授業で聞きました。他の毒と違って、精霊の身体の一部を使っているせいか、毒自体に意志がある気がするんです」
「意志…ふむ、言い得て妙じゃな」
「毒を押し出そうとすると、後から後から毒が作られてしまいます。毒を作る原因を取り除こうとすると、今度は毒が身体に回ってしまう…そんな気がしました」
「それほどの毒はワシでも知らんな、フェニアのライブラリーに資料があるかもしれんが…期待はできんな」
「私、貴族の人は、綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、いいなぁって思ってました。でも、タバサさんを見て、楽なだけじゃないと…思ったんです」
「立場には責任がある、これは望むと望まざるとじゃ、シエスタもそうなんじゃぞ?」
「はい…」
顔を俯かせたシエスタ、それを見たオールド・オスマンは、ふと机に置かれている小さな水盆に視線を移した。
水の上には針が浮かべられており、それが時刻を指している、よく見ると昼食の時間が迫っていた。
「……あの」
「ん?なんじゃ?」
「罰則とか…」
「ほうほう、罰則とな、補習がお望みかの」
「いえ!決してそういうわけでは」
「ふぉっほっほ、まあ気にするでないわ。ま、今度から遠出するときはワシにちゃんと言ってからにしなさい」
「…ありがとう、ございます」

シエスタは、オールド・オスマンの心遣いに感謝した。
礼をして学院長室を出ると、オールド・オスマンの部屋は静かになる。

使い魔のハツカネズミ、モートソグニルがちょこんと机の上に飛び乗ると、オールド・オスマンを心配そうに見上げた。
「おお、モートソグニル。ワシを心配してくれるのかの?すまんの、ほれ、お前の好きなチーズをやろう」
机の中から高級そうな包みに入ったチーズを取り出すと、小さく千切ってモートソグニルに食べさせた。
「ふう…深仙脈疾走か…予想以上に成長が早いの」
オールド・オスマンは、机の中から『太陽の書』を取り出して、何も書かれていないページを開いた。
精神を統一して集中力を高め、波紋の呼吸で精神力を高め、ゆっくりと、力強く杖を振り下ろした。

その日の晩、ルイズはアンリエッタの私室で、椅子に座って月夜を見上げていた。
ルイズは、アンリエッタから渡されたナイトドレスを着ており、白を基調としたナイトドレスは、ルイズの肩から膝までを隠している。
上質な繊維がつやつやと月明かりに照らされて、輝いていた。
髪の毛はアンリエッタと同じ色に染められ、月明かりに照らされた髪がマゼンタの色を表していた。
ルイズは、アンリエッタの影武者になっていたのだ。

これまでのことを思い出すと、思わずため息が漏れる。

ついこの間、トリステイン王国王女アンリエッタと、帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との婚姻が正式に発表された。
式は発表から一ヵ月後に行われる予定だが、それに先だって軍事同盟が正式に結ばれることになった。
ゲルマニアの首府ヴィンドボナで行われた同盟の締結式(ていけつしき)には、トリステインからの大使として宰相のマザリーニ枢機卿が出席した。

その翌日、アルビオンでは、王党派を討ち滅ぼした反乱軍『レコン・キスタ』が、新政府樹立を公布した。
アルビオン帝国の初代皇帝として、クロムウェルはすぐに特使をトリステインとゲルマニアに派遣し、不可侵条約の結ぶと伝えた。

アルビオンの空軍は強大であり、トリステインとゲルマニアが同盟を結んだとしても対抗しきれるものではない。
同盟を結び、軍備を増強することで抑止力としての形を整えようとしているのだ。
トリステインとゲルマニアは、不可侵条約を結ぶことに賛成し、表向きは平和な日々が訪れた。


だが、王宮の内情を見たルイズは、とても今が平和だとは思えなかった。
アンリエッタは、ウェールズの影響で王族としての心がけ、心の有り様を磨いてはいるものの、今までが悪すぎた。
マザリーニ枢機卿の顔も見たくない、そう思っていたことも少なくはない、自分の知らぬ所で政治が行われ、自分の知らぬ所で法律が決まり、自分の知らぬ所で国が動いていく。
『王女様』として育てられたアンリエッタは、王族はその絶対的な王権を以て恐怖を与えねばならないと知っている。
アンリエッタの祖父、名君とうたわれるフィリップ三世の治下では、その威厳が貴族と平民に恐怖を与えていたが、王として愛されていた。

だが、アンリエッタは愛されるという部分だけ増長させて教育されていた、誰の責任かと問われれば、誰の責任とも答えられないだろう。
フィリップ三世は名君だった、だが、名君であるが故に、彼の跡を継ぐ者が彼と比較されたのだ。
不満は侮蔑へ変わり、侮蔑は陰謀を生み…アンリエッタをを取り巻く環境は、徐々に混沌としていった。
その陰謀からアンリエッタを守ろうとした王妃によって、アンリエッタは、過剰に庇護されて育ったのかも知れない。
それが原因で、アンリエッタはトリステインを実質的に動かしているマザリーニを好んでいなかったのだ。


ルイズは、アンリエッタのベッドに寝そべり、再度ため息を漏らす。
トリステインと、アンリエッタを取り巻く現状を考えると、ため息の一つや二つでは収まらない。


ゲルマニアとの婚姻が発表された時、アンリエッタは泣いた、ウェールズが声をかけても、それを払いのけてベッドにしがみつくほど取り乱し、泣いた。

ルイズはその姿に一抹の不安を覚えた。
吸血鬼であるルイズの能力と、ウェールズという恋人に依存しすぎて、王女としての立場を放棄してしまうのではないかと不安になった。
もしかしたら、自分がここに顔を出したのは失敗だったのかも知れないと思うほど、不安になっていた。

ガチャリと扉が開かれて、アンリエッタが入ってきた。
アンリエッタは式の日取り、ゲルマニアとの軍事同盟について等、説明を受けていたはずだ。

だが、なぜかアンリエッタは、泣きはらしたように目を充血させていた。


「アン…」
「ルイズ、大丈夫、私は大丈夫…」
アンリエッタは、ルイズの隣に座ると、ルイズに寄りかかった。
今のルイズの身長はアンリエッタより高い、だが、それは手足に埋め込んだ骨のせいであって、座高は変化していない。
骨をいじれば座高も変えられるが、手間がかかるため、そこまでは手を入れていない。

アンリエッタは、ルイズに身体を預けたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ウェールズ様に、怒られちゃった」
「え?」
「私、甘えてばかりだって、自分を叱ってくれる人がいなくなるのが、どんなに不安なことか知らないんだって、言われたの」
「………そっか、怒られちゃったんだ」
「…私、逃げてきちゃった、ウェールズ様には判らないのです…って言って、それから、気づいたの」
ルイズは、アンリエッタの肩に手を回して、抱きしめた。
ロングビルに抱かれて眠ったときのように、アンリエッタを優しく、そして強く抱きしめた。
「ウェールズ様…もう、叱ってくれる人も、国も、何もかも失ったのに、私…ウェールズ様にひどいこと…言ってしまったの…」
アンリエッタの言葉に嗚咽が混じる、それを聞いてルイズは、母が子供の背を撫でるように、アンリエッタの背中をさすった。

静かな室内に、少女の泣き声だけが響いていた。

やがて、アンリエッタは泣き疲れたのか、そのまま眠ってしまった。
ルイズは、何かを確かめるようにアンリエッタの頭を撫で、ある一点を見つけ出した。
しゅるしゅると音がして、ルイズの髪の毛が固まり、やがて針のようなものが作り出された…。



アンリエッタが眠ったのを確認すると、ルイズはナイトドレスを脱いだ。

裸になり、姿見の前に立って、身体の骨格を調節する。
念入りに左右の長さを調節してから、ローブ姿に着替えた。
もっとも、このローブは今まで使っていた物とは違い、黄土色に染められた高級なもの。
みすぼらしいローブでも良かったのだが、それではアンリエッタや城内の者達への印象が悪いので、城内にいる限りはこれを着けることにしている。


アンリエッタの私室を出ると、部屋の前にいた衛兵が訝しげにルイズを見る。
ルイズは、顔の特徴を見られないためにも、城の中でもフードを深く被っていた。
いかに影武者とはいえこのような姿をしていれば怪しまれるのも無理はないしかも出自の不明なのだ。
しかし、この正体不明の影武者に、アンリエッタが信頼を置いているのは端から見ても理解できる。

「姫様はお眠りあそばされました、失礼致します」
体裁を整えるため、ルイズは衛兵に一礼して、その場を去っていった。
「………」
衛兵は無言で頷き、廊下の奥に消えたルイズを見送った。
「何者なんだ」
彼女の後ろ姿は、姿形こそアンリエッタだったが、もっと別の誰かに似ている気がした。

ルイズが向かった先は、ゲストルームの一つであるが、そこは今ウェールズの部屋として使われている。
扉をノックをすると、相手の返事を待たずにルイズは部屋に入り込んだ。
「ああ、君だったのか」
ソファに座っていたウェールズが、テーブルに広げられた沢山の書類を前にしていた。
「夜分遅く、失礼致しますわ。ウェールズ・テューダー閣下」
「よしてくれ、アルビオンで新政府が樹立した今、私はただの逃亡者だよ」
「その台詞、アルビオンで圧政を強いられてる民が聞いたら、さぞかし残念に思うでしょうね」
「……そうだな、いや、こんな冗談は言うべきではなかった、すまない」
真剣に悩むようなその姿がおかしくて、ルイズはクスリと笑みを漏らした。
「ま、それはそうと……アンが泣きついてきたわよ。ウェールズ様に酷いことを言っちゃった。ですって」
「ああ、そのことか、僕は気にしていないよ、彼女と僕とでは立場が違うのだからね」
「…アンは、貴方がことあるごとに厳しく注意するから、それがご不満みたいよ」
「それだけどね、いや、昨日も太后マリアンヌ様に、侍女を通じて言われたばかりなんだ」
「太后様に?」
「ああ”夢はいずれさめます”とね」

ルイズは、ふぅん、と鼻を鳴らして、ウェールズと向かい合わせのソファに座った。
「夢、ねえ…どんな意味かしら」

「僕が現実に存在していては、邪魔なのだろう。けれども、それほど不快には感じていない…僕を心底から邪魔だと思っているなら、直接的に僕とアンを引き離すさ」
「アンがゲルマニアに嫁ぐ前に、夢を見させてあげて欲しい、そんな意味もあるのかしら」
「さあね、そこまでは判らない…でも、僕はただ夢の中の人物のように、陽炎となって消えるつもりはない。」
思わず、ルイズは自分の母を思い出した。
その厳しくて力強い姿を思い出すと、どこか悲しくなる。
「…僕は、陽炎のようになるのならば、いっそアンリエッタの礎になりたい。アンリエッタに、もう少しだけ”覚悟”を知って欲しい…」
ウェールズの言う「別れ」とは、ゲルマニアとの婚姻のことであろう。
ゲルマニアとの婚姻が正式に発表された今、アンリエッタはゲルマニアに嫁ぐことが決定したようなものなのだから。
ルイズは、懐からワインを取り出すと、テーブルの上に置いた。
ソファから立ち上がりゲストルームに備え付けられている戸棚を探し、そこから足の長いワイングラスを取り出した。
「一本くすねてきたわ、貴方もいかが?」
「そうだな、僕も丁度、そろそろ飲みたいと思った所なんだ」
ルイズはワイングラスをテーブルに置くと、ローブの中で髪の毛を何本かつまみ、長く引き延ばした。
触手のように伸びた髪の毛が、半開きの扉から廊下へと出て、センサーのように働いた。
ウェールズが、グラスにワインを注ぐと、二人はそれを手にとって、互いのグラスを軽く触れさせた。
「ウェールズ様お手ずから注いで頂いたワイン、光栄ですわ」
「そう言って貰えるとありがたい。…アンリエッタのために」
「アンリエッタのために、乾杯」
ワインが喉を通り、身体の中へと入っていく。
久々のアルコールで、ウェールズは顔が熱くなった気がした。
「ねえ、折角だから、アンとの馴れ初めを教えて頂けないかしら。アンったら、恥ずかしがって喋らないのよ」
「それを僕に聞くのかい?参ったな…だが、まあ、いいか…私とアンリエッタはラグドリアン湖でね…」

ウェールズは、アンリエッタとの出会いを語り始めた。

三年前、ガリアとの国境沿いにあるラグドリアン湖で、太后マリアンヌの誕生日を祝う園遊会でのこと…。

ハルケギニア中より招かれた貴族や王族が招待され、湖畔に設けられた会場で社交と贅の限りをつくしたパーティが開かれたという。
二週間にも及ぶ園遊会が、丁度中日を迎えた頃だろうか、当時十四歳のアンリエッタは従者の目をかいくぐって会場を抜け出し、一人で湖にいたそうだ。

おそらく、連日の豪勢な園遊会に嫌気が差したのだろうと、ウェールズは語った。
「そこでね、僕は湖で泳ぐ彼女の姿を見てしまったんだ、月明かりに照らされて…そう、妖精かと思うほど、綺麗だった」
「のぞき? もう、オールド・オスマンじゃあるまいし」
「はは、まさか夜中に王女様が泳いでいるとは思わないだろう、だが見とれていたのは事実だ。否定はしないよ。」

ラグドリアン湖畔を散歩していたウェールズは、湖で泳ぐアンリエッタを偶然見つけ、そこで二人は語り合ったらしい。
二人は、自由に恋愛できる立場ではないと知っておきながら、恋に落ちた。
「アンリエッタは、影武者を使って、夜を抜け出したそうだ。…君は今アンリエッタと同じ色に染めているが、地毛は桃色がかったブロンドだったね」
「…まさか、あの園遊会で影武者を頼まれたのは、ウェールズ様との逢い引きのためかしら」
「驚いたな!まさか影武者本人だったとは、いや、奇妙な運命の悪戯というのは、本当にあるのだな」
「あの一件があったから、私とアンも仲が良かったのよ。…ここは貴方に感謝すべきかしらね?」
「はは…そうかもしれないな」

ウェールズは機嫌良く笑うと、話を続けた。

アンリエッタに、好きだと告白したときのこと。
ラグドリアン湖の精霊に、愛を誓ったこと。

退屈だった園遊会は、アンリエッタとウェールズにとって、かけがえのない時間に変わっていった。

その頃、ベッドで眠っていたアンリエッタは、鏡に反射する月明かりで目が覚めた。
「…ルイズ?」
傍らには誰もいない。
ここのところ、アンリエッタはルイズと一緒に寝ていた。
ルイズが身長を変えられると知って、影武者を頼んでいたのだが、同じベッドで寝るのは少々やりすぎだろう。
アンリエッタは、ルイズに依存しているのだ。
足首までを包むマントを羽織ると、アンリエッタは徐に部屋の扉を開けた。
「ル…私の『影』は?」
アンリエッタが出てくると、衛兵はすかさずひざまずき、質問に答えた。
「先ほど、出て行かれました」
「そう…アニエスを呼んで頂戴」
「…はっ」
アニエスと聞いて、衛兵の返事は心なしか歯切れの悪いものに変わっていた。




ウェールズの部屋では、ルイズが年頃の少女らしく、心を躍らせながら話を聞いていた。
「そう、それでキスは…どんな感じだったの?」
「おいおい、根掘り葉掘り聞くのは止めてくれよ、いや、確かに柔らかかったよ」
酔っているのか、ウェールズは心中をさらけ出していた。
ウェールズは年の近い友人には恵まれなかったが、目の前にいるルイズは戦友であり、数少ない気を許せる仲間だった。
それが彼を饒舌にさせていたのだろうか。
「それでね、僕は帰ってから…」
ウェールズの話を聞いていたルイズだったが、ふと、廊下にまで伸ばした髪の毛に、違和感を感じた。
床に接触した髪の毛が、僅かな振動を感じさせる。
二人組の女性のもので、一人は靴の音から考えてアンリエッタだと予測できる。
「ねえ、話は変わるけど、アンリエッタに何故辛く当たるのか…それを教えてくれないかしら」
少し大きな声で、ルイズが言い放つ。
すると半開きになった扉の前で、足音が立ち止まったまま動かなくなった。
ルイズは、廊下にまで伸びた髪を、廊下にいる人物にも、ウェールズにも気づかれぬように巻き戻していった。

「…僕は、アンリエッタを愛している」
ウェールズはワイングラスをテーブルに置き、膝の上に肘をついて、俯いたまま語り始めた。
「アンリエッタを生み育てた、このトリステインも、言わば僕はアンリエッタに繋がる全てを愛している」
「…大きく、出たわね」
「ニューカッスルの城で死ぬつもりだったのは、そのためさ。戦乱の渦を広めぬ為にも、僕は死ぬと判って戦う決心をしたんだ」

ウェールズは、いつになく饒舌だった。
彼の口から、様々な言葉が飛び交い、そして消えていく。
言葉は扉の前で立っている二人組にも聞こえていることだろう。

ウェールズはトリステインに亡命したが、実際は人質と変わらない立場にいた。
だがそれでも構わない、アルビオンに戻れなくても仕方がないと言った。
今のウェールズは、アルビオンの王子としてではなく、アンリエッタの恋人としての責任感の方が強かったのだ。

「アンリエッタは、君が『土くれのフーケ』と戦って死んだと聞いて、酷く憔悴したそうだね。
 僕の父、ジェームズ一世は厳格だった。昔はそれも行き過ぎて、血を分けた兄弟である大公を、何らかの理由で粛正したこともあったよ。
 その時、僕の教育係だった人と、乳母は巻き添えになったのだ、僕はそれが今でも許せない。
 だが、友人を、愛する人を失ったからと言って、取り乱してはいられないのだ、生き残った人間でなければ教訓は生かせない。
 悲劇を繰り返さぬように努力するのは、いつでも生きた人間なのだ、悲しみを捨てることは出来ずとも、乗り越えることは出来る、それが人間の賛歌なんだ!
 親しい人を亡くすという経験は、誰にでもつきものだ、ありふれている。ありふれているからこそ苦しいのだ、ありふれているからこそ、それを乗り越えて欲しい。
 僕はアンリエッタに辛く当たっている訳じゃないんだ…僕だって、アンリエッタを欲しいと思っている。
 今の僕は亡霊だ、アンリエッタのために、礎になろうと決心したのだよ、だから言葉もきつくなってしまうんだ…」

一通り喋ると、ウェールズはソファの背もたれに寄りかかって、背を伸ばす。
「アンリエッタ…」
天井を見上げて、ウェールズが呟いた。

その呟きにどれほどの思いが込められていたのか、ルイズには判らなかった。

だが、ギィ、と音を立てて半開きの扉が開かれ、何者かが入室してきた時、これから起こるであろう出来事は想像できた。

「ウェールズ、様…」
突然聞こえてきた声に驚き、ウェールズが声の方を振り向く。
すると、そこにはアンリエッタが佇んでおり、うるんだ瞳でウェールズを見つめていた。「…アンリエッタ?」
ウェールズは驚き、ソファから立ち上がろうとしたが、酔いが回ってしまったのか足下がおぼつかなかった。
「私…私、ウェールズ様が…そんな風にお考えだとは知らなくて…私、ウェールズ様に愛想を尽かされたかと…思って…」
ぼろぼろと涙を流すアンリエッタ、その肩を、いつの間にかアンリエッタの背後に回っていたルイズが、軽く押した。
ルイズに促されて、アンリエッタはウェールズに近寄ると、大胆にもそのまま抱きついた。
ウェールズは、優しくアンリエッタを抱き留めると、泣きじゃくるアンリエッタの頭をそっと撫でた。


空気を読んだのか、廊下に出たルイズは、アンリエッタを護衛していたのであろう金髪の女騎士と目があった。
「貴公の話は姫殿下から聞いている、私は銃騎士隊のアニエス」
そう言って、新式のマスケット銃と、剣を下げた騎士、アニエスは、胸の前で剣を捧げる仕草をした。
「貴公なんて呼び方をしなくても良いわよ。私は『石仮面』、宮中では『影武者』とでも呼んで頂戴」
ルイズもまた、自己紹介する。
アニエスという人物のことは、あらかじめアンリエッタから聞いている。
アニエスは、ルイズが『ラ・ヴァリエール』であることは知らないが、『石仮面』と名乗る『吸血鬼』であることは知らされていた。
「お手並みを拝見させて貰った」
アニエスがにやりと笑う、その笑顔が何を意味しているのか察したが、ルイズはあえてとぼけることにした。
「何の事かしら?」
「扉を半開きにしておいたのは、わざとだろう。姫様がここに来るのも予見していたようだしな」
「あら、知ってたなら、盗み聞きなんていけませんよと教えて差し上げれば良かったのに」
「教育係であればそうなのかもしれないが、私は騎士、姫殿下の卑しきしもべに過ぎない。姫殿下の行動には口出しできないさ」

「…ま、アルビオンに出かける前の置きみやげよ。友達としてのね」
そう言って室内を覗く。
よく見ると、アンリエッタはソファに座って、ウェールズを膝枕していた。
ウェールズは眠ってしまったらしく、アンリエッタはその髪の毛をそっと撫でていた。

ルイズの手には、アンリエッタの肩を押したときに、アンリエッタの頭から抜き出した『ルイズの髪の毛』が握られていた。
これはアンリエッタの脳に作用し、寂しさを増長させる元になっていたのだ。
アニエスもこれには気づいては居ない。
アンリエッタが”覚悟”を決められるようにと、ルイズも策を弄していたのだ。

そっと扉を閉じると、アニエスは周囲に人がいないのを確認してから、ルイズに近寄って耳打ちした。
「その、貴公は…吸血鬼だと聞いたが、本当なのか?」
ルイズは静かに首を縦に振った。
「長命に蓄えられた知識で、私の質問に答えて欲しい」
そう言うと、一枚の紙を取り出し、ルイズに手渡す。そこには『ダングルテールの大虐殺』と書かれていた。
「ごめんなさい、心当たりはないわ」
紙をアニエスに返すと、アニエスは訝しげに…しかし真剣に、ルイズを見据えた。
ルイズはその視線になにか陰があると察したが、あえて何も言わなかった。
「…失礼した、人よりも長く生きる知恵者なら、存じているかと思ったのだ、不快に思わないで欲しい」
「失礼ね、あたしまだ16よ」
「…!?」

凛々しいアニエスの表情が、崩れる。
驚いたと言うよりは、呆れているといった感じだ。
口を半開きにして、今にも「はあ?」とか言い出しそうだった。

それを見たルイズも、プッ、と吹き出して、くすくすと笑った。
拗ねるようなアニエスの表情が可愛くて、ルイズはまた今度からかってあげようと、心に決めたのだった。





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