ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第十三話 『魂を蝕む毒』後編

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ギーシュの奇妙な決闘 第十三話 『魂を蝕む毒』


 オスマンとズォースイ。二人の貴族から事情を聞かされ、問題のワインを手渡されて。
 厨房の責任者であるマルトーが発した答えは、意外なものだった。

「……多分、そういうのは無理ですね」
「なんじゃと?」
「……どういう事だ」

 いぶかしむ二人に対して、マルトーは肩をすくめて見せた。
 貴族嫌いで知られているマルトーだったが、貴族全部が嫌いというわけではない。学院長とズォースイは、彼が認める数少ない例外の貴族だ。
 それ故にオスマンとズォースイもその人物性を信頼して、全ての事情を話したのだが、返事は芳しくない。

「どうしたもこうしたもありませんよ。うちのワインセラーは人の出入りが自由すぎますし、高級ワイン用のセラーも、貴族の悪餓鬼がアンロックで鍵外して持って行っちまう事がよくあるんです。
 こういう危険物を置いておくのには、一寸向きませんよ」
「……それは本当か?」
「ええ。シャトーオーブリオンの白なんて、置ける環境じゃありません」
「やれやれ、貴族の餓鬼共は本当に手が負えんのう」

 やれやれと肩を竦めるオスマンだった。貴族の子弟のマナーが悪い事は前々から問題になっていたが、まさか学内でこんな事をやらかすとは思っても見なかった。
 大方、自分達の学費で買ったものだから、自分達のものだとでも考えているんだろうが……

「そんなに凄いもんなら、いっその事宝物庫にでも入れたらどうです?」
「それもそうじゃが、そうすると価値が下がる……ものがものだけに、少しもったいなさ過ぎるし……」
「教師が個人で借りられるセラーがあったはずだが」
「そっちはもっと駄目だぜズォースイさん」

 ふと、就職時に説明された事を思い出したズォースイに、マルトーは頭を振って、

「あそこは教師専用とはいえ、人の出入りはもっとラフだ。管理状態も個人の良心に任せてるような杜撰なもんだし、これほどのもんとなると」
「つい出来心で手が伸びるかも知れんなぁ……んーむ、難しい話じゃて」
「……どうしたもんですかねえ」
「…………」

 三人寄れば文殊の知恵と言うが、今この場合において、文殊の知恵を出すことは難しそうだった。

「とりあえず、当面は高級ワイン用のセラーに入れて、交代で見張らせるってのはどうです?」
「致し方あるまい……しっかし、相手も何を考えてこんな危険なもの送って来たんかのぉ」

(それは、俺の方が聞きたい)

 ぼやくオスマンの言葉に、ズォースイは内心で答えてから、天を仰いだ。


(どーしてこんな事になったんだろう)

 一体、何度目となるのか。
 才人は、顔を真っ赤にしながら自問自答し、ここに至る経緯を思い出していた。
 デルフリンガーがシエスタを促して、シエスタが何故かノリノリで服を脱ぎだして……一糸纏わぬ妙齢の少女と、湯船を共にすると言う美味しすぎるシチュエーションが実現したわけで。

「はぁー、気持ちいいですねー」

 隣で湯船に浸るシエスタの挙動は、堂々としたものだった。
 最初のもじもじした態度は何処へやら……一旦開き直ってしまうととことんまで開き直ってしまう性質らしく、混浴が当たり前とばかりに湯船を堪能している。
 無残な事になったメイド服は、焚き火の周りで乾燥中だ。泥のほうはどうしようもないが、そちらは何とかしてみるとの事。

 濡れたシエスタの肢体から発せられる色気にドギマギしながら、才人は空を見上げる……夕焼けが空を石楠花に染めて、中々幻想的だったが今の才人に楽しむ余裕は無い。
 しょーじきぶっちゃけ、空なんかより余程魅力的な芸術品が目の前にあるわけだし。
 脱いだら凄いんですなおっぱいとか、柔らかいオッパイとか、白くてたわわなOPPAIとか。

 全部同じじゃんと言うなかれ。状況が状況だし、思春期の野郎の脳みその中身なんざ、大体こんなもんである。

 いかに欲望の後押しがあるとはいえ、そんなものをまじまじと鑑賞するわけにも行かず、才人は理性を総動員してその芸術作品から視線をそらしていた。
 遅い時間帯とはいえ、まだ夕焼けが眩しいぐらいなのだから、見ようとすればそれこそR指定なポイントまで見えてしまう状況だ。
 理性が欲望に勝っている事が奇跡的といえる。

(た、耐えろ! 耐えるんだ俺! ここで彼女に手を出したら、俺はご主人様から吹っ飛ばされるぞ! 恐怖の爆発14連鎖だ! れ、連鎖を数えるんだ! 連鎖は俺に事実が連なっている事を教えてくれる!
 ふぁいやーあいすすとーむだいあきゅーとぶれいんだむどじゅげむばよえーんばよえーんばよえーんばよえーんばよえーん)

 落ち着け才人。思考がオチゲーになってるぞ。

「あ、あの……才人さん」
「ひゃ、ひゃいっ。なんでしょう!」

 理性の綱引きの最中に声をかけられ、素っ頓狂な声を上げてしまう才人。ガチガチに固まった才人の様子を見て、シエスタはクスリと笑う。

「そんなに照れないでください……私も照れちゃうじゃないですか」
「け、けど……」
「大丈夫ですよ。大事なところはちゃんと隠しますから」

 ああ理性のなんと脆い事よ。
 他ならぬシエスタ本人からのGOサインに、才人は欲望に忠実かつ勢いに乗ってシエスタの方角を向いた。FODやガンダールヴ状態も真っ青の高速振り向きだ!
 開き直ってしまえば、最早裸云々でドギマギする事もないのだが……シエスタの姿を直視した才人は、今度は別の理由で息を呑む。

 ……間近で見たシエスタの相貌はとても可愛らしいものだった。
 ルイズがもつ可憐さとも、ジョリーンの持つ野生的な魅力とも違う、可愛らしさ……くりくりとした目と、健康的な肌、水に濡れた黒髪が、才人の心臓を加速させる。
 シエスタは才人に真正面から向かいあった状態から口を開く。


「才人さんって、何で最近あんなに一生懸命なんですか?」
「え?」

 先程は出せなかった問いが、驚くほど自然に口から滑り出した。

「……だって、最近の才人さんって、何かに追い詰められてるみたいで……」
「…………えっと」

 ズバリ言い切られて、才人は戸惑った。
 言われて始めて考えてみると、特訓を繰り返す自分の心境は、どこか追い詰められた部分があったように思える。
 『黄の節制』のような輩が日常的に自分を襲撃する可能性を教えられてから、その恐怖を振り払うように体を動かしてきた……現代日本人である才人が受けた事の無い、圧倒的な害意は、たった一度の接触だけで才人の神経を削り取っていたのだ。

 考えても見て欲しい。才人のように、得体の知れない場所で得体の知れない組織から、ストーカーのようにまとわりつかれる……シエスタは、そんな才人の深層心理を見抜いたのだろうか。

「あ……うん。一寸、事情があるんだよ」
「事情、ですか?」
「ああ」

 一体何処まで話せばいいのか……そのボーダーラインを引くことが出来ない才人は、それ以上語ることが出来なかった。

(どうする? シエスタに話して、巻き込んだら……)
(……やっぱり、聞いちゃいけなかったのかな)

 沈黙する才人に、シエスタの方も罪悪感を感じて沈黙してしまい……気まずい静寂が続く。そん中、この状況を作り出した悪魔は、かかかと笑った。

『まぁー、相棒にも色々あるんだよ、メイドの嬢ちゃん』
「……え?」
「デルフ!?」
『ほれ、相棒はここんとこトラブルに巻き込まれっぱなしだったろ? そのせいで、強くならなきゃならねえって思い込んじまってな!』

 驚いた事に、デルフが入れた横槍は絶妙なフォローとなって二人の気まずさを打ち払ってしまったのだ。
 才人は心の中でその機転に喝采を浴びせながら、うんうんと頷いた。

『それで特訓なんて始めて、医務室のおっさんに止められたって訳だ』
「そ、そうなんですか?」
「い、いやあ……そうなんだよ。けど、恥ずかしくってさあ」
『お嬢ちゃんも相棒に言ってやってくんねえかな? 少しは休めって』

 二人の演技の介あって、先程までの才人の様子を、羞恥から言えなかったのだとシエスタは都合よく誤解してくれた。
 くすりと、今度はなんら暗い感情を持たない笑顔を浮かべると、

「それじゃあ、お風呂から上がったらすぐに寝なきゃいけませんね♪」
「え、あ、そうしたいなぁーって、思ってるんだけど」
「そういう事なら……お風呂から上がったら、冷たいワインをお持ちしましょうか?」
「え? いいの!?」
「はい。マルトーさんにお願いしてみますね」

 にっこりと笑うシエスタに、才人も吊られて笑顔が浮かぶ。
 夕焼けに照らされた露天風呂を、二人の和やかな空気が包みこんでいた。


「場所がないじゃと?」
「ええ」

 高級ワイン用のセラー、その厳重な扉の前で、マルトーは済まなそうに頭を下げた。
 開け放たれた扉の向こう、かび臭い空気と共に鎮座する棚の中では、無数のワインが雁首を並べ……見た限りでは、空白が一つも見当たらなかったのである。

「つい昨日ワイン仕入れたのを、すっかり忘れちまってて……すいません」
「……ふむ。
 なんとか、スペースが開けられんかのぉ」
「流石に、捨てるわけにも……ああ、けど丁度処分しなきゃならないのがあったんで、そいつと入れ替えましょう」
「処分とな?」
「ええ、こいつと入れ替えるのに、ぴったりな奴があるんですよ」

 相談真っ最中の二人をよそに、ズォースイは無言でセラーの中に入り、並べられたワインを検分していた。
 問題のワインはマルトーに預けてあるため、気楽なものである。
 フーケが『根こそぎ盗んでくりゃ良かった』と言って後悔した学院のワインがどれ程のものか、確かめたかったのだ。
 確かに、酒飲みが涎を垂らして欲しがるヴィンテージばかりだが……

(これだけの量のワインを、全部飲むつもりだったのか?)

 フーケがワインを盗むのは、金に変えるためではなく自分で飲み干すためだ。少なくとも今まで盗んだワインの中で、彼女の胃袋に納まらなかったワインはない。
 これ全部盗み出して、全部飲み干すつもりだったのかと思うと、頭の痛い話だった。むしろ、盗まないでよかったとすら思えてしまう。

(いつからああなってしまったんだろうな……)

 少なくとも、出会ったばかりの頃はあんな飲兵衛ではなかった。
 純真無垢という言葉が似合う愛らしい女の子だったのに、それが今じゃあ大の男数人がかりで挑んでも勝てない大酒豪。
 自分たちの影響とはいえ……気分は不良になってしまった娘のパパである。一人静かに黄昏るズォースイだったが、すぐに現実に引き戻された。

「マルトー料理長!」
「ん? シエスタか……」

 小さな足音と、気配。振り返ると、大柄なマルトーに話しかけるメイドの姿が見えた。
 名前は確かシエスタといったか……ハルケギニアには珍しい黒髪と瞳のため、印象に残っていた。
 今の彼女は少し汚れたメイド服を来て、その特徴である黒髪から湯気を発していた。頬は上気し、今の今まで入浴中であったことが伺える。

「おお、風呂上がりかな……色っぽいのお」
「……オールド・オスマン、自重してください」

 仲間と同じようなセクハラ発言ブチかます上司に、思わず同じ勢いで突っ込んでしまうズォースイだった。
 よくよく考えたら、平民である彼女が浴場に踏み入れるはずはないのだが……

「どーしたおめー、その格好は」
「ええ、一寸転んじゃいまして……」
「いや、服もそうなんだが……風呂にでも入ってきたのか?」
「はい! 才人さんの作ったお風呂に!」
「我らが剣の……? おお! あいつ、あの鍋を風呂にしたのか!」

 何故か嬉しそうに即答するシエスタに、マルトーは一瞬の間をおいて手を打った。自分の譲った大なべが彼の役に立った事が嬉しく、豪快に笑ってみせる。
 鍋、風呂という単語を聞いて、リゾットとオスマンも納得した。少し想像力を働かせれば分かる事である。



「なーるほど! 流石我らが剣だ!」
「あ、あの! その才人さんの事でお願いがあるんですけど……」
「ん? なんだ言ってみろシエスタ! 我らが剣のためなら、どんな事でも聞いてやるぞ!」
「いや、どんな事でも聞かれたら困るんだが」

 なんか、問題のシャトーオーブリオンをプレゼントしかねないような豪快な勢いに押され、ズォースイは素で突っ込んだ。
 後ろから水を刺されたマルトーは不快な顔もせずに、肩越しに振り返って分かっているとばかりにウインクをしてみせる。

「はい。才人さん、お疲れみたいだから、お風呂上りにワインをご馳走したいなって……」
「おおー! なんだそんな事か! 丁度いいなこりゃ」
『?』

 丁度いい。
 いかにもな物言いに、マルトー以外の三人は各々反応は違うものの、疑問の意を抱いた。
 シエスタは可愛らしく首をかしげ、オスマンはふむと髭をなで上げ、ズォースイは無言で視線を向ける。
 三対の視線に晒されたマルトーは、にやりと野太い笑みを浮かべ、

「何。今、ちょいとした理由でワインを一本処分しなきゃならねーんだがな。
 そいつをやろう」
「え!? 処分って……ここのですか!」

 シエスタは耳を疑った。オスマンとズォースイの二人とこんな場所に居たという事実から、処分するべきワインがここの高級ワインセラーのものだという事は、容易に想像がつく。
 学院にいる人間なら、ここのワインがどれ程の価値があるかぐらい誰でも知っている。
 就職する際に、『ここのワインを一本でもだめにしたら、一生借金苦に苦しむと思え』と、教育を担当したメイドから忠告を受けた程なのだ。
 一番安い奴を給金から差っぴいてもらおうと思っていたのに、タナボタどころの騒ぎではない。

 驚いて心臓が止まりそうなシエスタに、マルトーはからから笑ってその驚愕を解しにかかる。

「なぁに心配すんあ。言っただろ? 処分しなきゃならねえって。
 捨てるぐらいなら、我らが剣に飲んでもらったほうがワインも幸せだろうよ」
「け、けど……」
「一寸待ってろ」

 わたわたと動揺するシエスタを置いてけぼりにして、マルトーはワインセラーに足を踏み入れた。
 問題の『シャトー・オーブリオン』を腋の下に挟み、リゾットの正面にあった棚からおもむろに一本のワインを取り出す。

「ほれ、こいつだ」

 暗がりから見せられたラベルを見て、シエスタは気絶しそうになった。
 蝋燭の明かりが頼りとはいえ、そこにはこう書かれていたのである。

 シャトーオーブリオン ロゼ 85年

 平民のシエスタでも知っている超高級ワインの伝説の代物である。
 とてもじゃあないが、シエスタの給金で払えるようなもんじゃない
 今にも倒れそうなほど衝撃を受けるシエスタに、マルトーは苦笑を浮かべてフォローを入れた。


「安心しろシエスタ。こいつは立派な贋もんだよ」
「――へ?」
「確かに」

 シエスタの素っ頓狂な声をバックミュージックに、ズォースイは顎に手を当てて、

「俺の記憶する限り、シャトー・オーブリオンがロゼワインを作ったという話は聞かないな」
「そういう事。こいつは俺が若いころ掴まされたもんでな。
 当時、なけなしの金で買ったのが贋物ときたもんでが悔しくってなあ……そのときの悔しさを忘れねえために、自戒のつもりでとっといたんだが。
 シャトー・オーブリオンより安いとはいえ、中身はそこそこの高級ワインだぜ」

 とんとんと、コルクの先端をたたきながら、ウインクしてみせるマルトー。ズォースイはほうと感嘆の声を上げた。

「わかるのか?」
「ああ、口にしたからな……多分、シャトー・トモロ辺りだとは思うが」
「十分いいワインだと思うがのう」
「けど、桁が2つ近く違いますぜ……まあ、そういう事だ。
 偽者だし、他ならぬ我らが剣のため……何より、元々俺のワインだったんだ。気にせず持ってけシエスタ」
「あ、あの……御代は……」
「んなもん、無料でいいに決まってんだろ!」

 言いにくそうに放たれた問いを一刀両断にしてみせるマルトー。その姿にシエスタは表情を明るくして、

「は、はい! ありがとうございます!」
「ついでに迫って、既成事実作っちまえ!」
「え、えええええ!?」

 一瞬で顔を真っ赤にするシエスタに、マルトーは豪快に笑って見せてから、ワインをシエスタに渡そうとして……

「とっ――!?」

 手を、滑らせた。その拍子に脇の拘束までもが緩んで、問題のワインまでも地面に向かって落下していく。
 オスマンはとっさに呪文を唱えて、二本のワインボトルの落下を食い止めた。

「ま、マルトー!」
「す、すいません!」
「マルトーさん! 大丈夫ですか!」

 叱り飛ばすオスマンと頭を下げるマルトー、心配するシエスタ……まるでコントのような情景に、ズォースイは肩をすくめて視線をワイン棚に戻す。
 ……これがいけなかった。

 シエスタは宙に浮いたワインを持ち上げると、そのラベルを見て、間違いなく自分に譲られたものである事を確認する。

「ありがとうございます! マルトーさん!」
「いいって事よシエスタ」

 ワインを大事そうに抱えてその身を翻し、走り出すメイドの少女を、ほほえましく見送る年長者二人だった。
 ただの恩人にワインを届ける顔ではなかった……あれは、好きな人にプレゼントを届ける、恋する乙女の顔だ。
 その旨を去来しているであろう甘酸っぱい感触を、二人はとうの昔に忘れてしまったけれども。それに全てをささげる気持ちは理解できた。

「若いってのはいいもんですねえ」
「確かにのう」

 苦笑を浮かべあい、二人は改めてワインセラーに踏み込んだ。

「おーい! ズォースイ先生! 保管場所教えるから覚えてくれ!」
「わかった」



 興味深げにワイン棚を覗き込んでいたズォースイは、声をかけられると同時に意識を問題の品物へと戻す。
 三人は、ワイン棚の空白へと視線を集中させて、

「ここの番号を覚えててくださいよ? 12の……」

 マルトーの手から、ワンがその棚に差し込まれる。そうして彼らの目に映るのは、ラベルではなくワインの先端。コルクに焼かれた紋章だ。
 自然と、一同はコルクの先端へと視線を集中させ……

『は?』

 マルトーとオスマン、二人の眼が点になる。
 コルクの先端、本来なら無傷であるはずの場所に……一つの穴が開いていた。今の彼らの目玉と同じような、穴が。これは、ワインが開封された痕跡である。
 勿論、『本物』にそんな痕跡があるわけがない。

「……」

 一人平静を保っていたズォースイが、無言で差し込まれたワインを手に取り、ラベルを確認する。
 そこにはこう書かれていた。

 シャトーオーブリオン ロゼ 85年

 ……どう見ても偽者のほうです本当にありがとうございました。

「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」

 長い。
 とても長い沈黙が、三人の間に横たわって……

「い、いっかぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!!」
「し、シエスタぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 悲劇の、幕が開く。
 阿鼻叫喚の、悲劇の幕が。



「ただいまー」

 才人がルイズの部屋に帰ってきたのは、ワインセラーで絶叫が上がって程なくのことだった。
 手にした氷水を入れたワインクーラーには、ででんとワインが鎮座している。逆の手にはワイングラスが一つ。
 ようやく帰ってきた己の使い魔の姿を、ルイズは仏頂面で迎える……どうも、使い魔が手にしたワインが気に入らないようだった。
 頬を膨らませたルイズに才人は眉を潜めて、

「何仏頂面してんだよ」
「別に」

 よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、老医師の発言を考慮して自重した。つれない態度に首を傾げつつ、才人はテーブルの上にグラスを置く。

「ちょっと」
「なんだよ」
「……なんでアンタがワインなんて持ってるのよ」
「……シエスタが用意してくれたんだよ」

 仏頂面のルイズにつられるように不機嫌になりながら、才人はそのワインの事を口にする。

「確か、シャトー・オーブリオン、85年物」

 ぶぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?

「の、贋物だって……何噴出してんだよ」

 不意打ち気味のボディーブローとなったワインの銘柄に噴出したルイズを、才人はいぶかしげに眺めやる。

「び、びっくりさせないでよ!」
「シエスタも言ってたけど……そんなにすげーのか? その、シャトー・オーブリオンって」
「ヴァリエール公爵家でも、年に一回飲めるかどうかっていう代物よ!」

 ヴァリエール公爵家を知る者ならば、この上なく正確かつ、わかりやすい表現なのだが、才人にはいまいちぴんとこなかった。

「ワインの銘柄って言うのはわかるんだけどさ……」
「確かに、シャトーオーブリオンは有名なブランドだけど、それは別格よ。85年物ともなると、数が少ないしね」
「なんでだよ」



 四人は、走る。
 オスマンとマルトー、イカシュミ、そして合流し事情を聞いたシエスタ。
 先の二人は血相を変えて、イカシュミは歯噛みして、シエスタはぽろぽろと泣きながら、それぞれの面相で寮の廊下を駆け抜ける。
 一刻も早く、才人に手渡されたというワインを取り上げるために。

(私のせいだ……! 私のせいで!!)

 シエスタは、泣きながら己の不注意を責めた。オスマン達から教えられた話の内容は、状況を楽観視させてはくれない。
 むしろ、悲観しか抱かせてくれないような凶悪なものであった。


 ルイズは述べる。85年の伝説を。

「一寸した伝説があるから。
 そのワインが作られた年に、オーブリオンのワイン倉庫に泥棒が入ったのよ。盗み出すのが目的じゃなくて、盗んだ品物を隠すのが目的でね……問題は、その盗んだ品物がご禁制の魔法薬で、その中身が漏れ出してたってこと。事が発覚した時には、ワイン樽の中に流れた薬が染み込んじゃってて、大半のワインが駄目になっちゃったらしくて」
「それで数が少ないのか?」
「ええ。事の真相は兎も角、85年産のワインがほんの僅かしか出回ってない上に、その味が絶妙だって言われているのは確かよ……他の年代ものなら飲んだことがあるけど、85年物は私のお父様も飲んだ事がないんじゃないかしら」
「ほへー」

 貴族の当主すら飲んだ経験がない……只でさえ現代日本とはスケールが違う世界なのに、更にスケールの違う表現をされては、才人の認識力が追いつくはずもなく。
 とくとくと注がれるワインの色を見て……ルイズはああと納得した。
 白ワインにあるまじき、朱色の色合いである。

「成る程、これは贋物ね」
「分かるのかよ」
「わかるわよ。シャトー・オーブリオンがロゼワインを作ったなんて、聞いたこともないわ。多分、何も知らない奴が作ったレベルの低い贋物でしょ」

 肩をすくめるルイズに、才人はいたずらっ子の笑みを浮かべて、

「……なあ、これってひょっとして……」
「?」
「お前が言ってた、魔法薬の色とかだったりして」
「……馬鹿犬。そんなわけないでしょ。
 さっきも言ったとおり、シャトー・オーブリオンは問題のワインを全部処分したのよ。出回るはずがないわ」
「夢ぐらい見させてくれよ……」

 ぶつぶつ言いながら、才人は並々とワインの注がれたグラスを手に取る。

「なあルイズ、お前も飲まないか?」
「はあ?」
「いや、話の種にさ……」
「何の種なんだか」

 ルイズは子供みたいな様子の才人に呆れた。昼間自分が抱いていた変なコンプレックスも、この阿呆面を眺めていると馬鹿馬鹿しくなってくる。
 軽くなった気持ちあ表すかのように、ルイズは髪を書き上げて、

「まぁ、せっかく使い魔が献上してくれたのを、無碍に断るのもなんだしねえ」
「……飲むんだな」

 えらそうな物言いにげっそりしつつも、棚からもう一つグラスを取り出し、同じようにワインで満たす。

「ほら」
「ん……ふーん、においは悪くないじゃない」

 手渡されたそれを覗き込み、その価値を図るルイズ。

「わかるのか?」
「勿論、このくらいは貴族のたしなみよ……けど、やっぱり一寸変なにおいがするわね」
「変って……そうか??」
「多分、混ぜ物入りの贋物なんだと思うわ。時々そういうのがあるのよ。凄いのになると、プロでも引っかかるんだけど……まあ、物は試しね」
「黙って飲めよ」

 ルイズのほうは心なしか機嫌よさ下だった。才人は、損なルイズに対して不機嫌だった。それぞれが異なる感情を胸に向かい合い……

「なあ、これ本物だったらどうなるんだ?」
「……薬品成分が発酵してどんな事になってるかわからないから、多分本物だったら即死するわね」

 グラスの中身を、煽った。

 毒が、巡る。
 それは魂を犯す毒。全てを凌辱しつくす毒。

『……ッ!?』

 巡った毒が脳と魂を多い尽くして。
 この瞬間……ルイズと才人は死んだ。



(才人さん……! お願いです! 無事でいてください!)

 シエスタの後悔は深かった。
 当然といえば当然かもしれない。彼女の犯したミスは、マルトーの恩情を踏みにじり、想い人の命を奪いかねない、文字通り、『命』に『至』るそんなとてつもないものだったのだから。
 例え世界中の人間が許したとしても、彼女自身が許せない。そんな類のミスである。

 ご禁制の薬品入りのワイン……しかも、何十年という醸造でその毒がどんな風に変質しているのか分からない。
 何せ、もともとの薬品すら分からないのだから、口に含んだが最後、治療の当てすらないと言う。

 そんなものを、彼女は才人に手渡したのだ。
 もし、アレを才人が飲んで、死に至ったとしたら……!

 それを考えると、嗚咽と涙が止まらない。

「才人さん……っ!」

 それでも、シエスタは走るのをやめようとしない。
 やめるわけにはいかないのだ。自分が原因となったのならば、それを途中で投げ出すなど出来るはずがない。恋とはかくも女の子を強くするものなのだ。

 泣きながら走るシエスタに、他の三人は何も言わない。彼女の気持ちは理解できるし、彼女自身に悪意がないだけに余計に痛ましい。

 一同がルイズの部屋の前に辿り着いた時、そこには既に先客がいた。
 柔らかい金髪の向こうに包帯の見えるその男は……

「……ミスタ・グラモン!」
「!? お、おーるど・おすまん!!」

 オスマンの上げた声に振り向いたギーシュは、ぎょっと眼をひん剥いた。場所は夜間男子の出入りを禁じる女子寮であり、場所は女子の部屋の前。
 どう見ても雷は免れない状況だけに、真っ青になって言い訳を開始する。

「い、いやこれはですね! 才人に明日からの特訓の日程を伝えようと……」

 実際は、モンモランシーのところに夜這いに来て追い出され、それを愚痴りにきたのだが。

「そんな事はどうでもいい……! 非常事態だ」

 並べ立てられた言葉を切り捨てて、リゾットはギーシュを押しのけて、まず扉を叩く。

「才人……聞こえるか才人。聞こえたら返事をしろ!」
「才人に用事なんですか?」
「うむ。平たく言うと、彼の命の危機じゃ」

 状況がつかめないギーシュが間の抜けた質問を発し、オスマンが律儀に答えてから小さく呪文を紡いだ。
 アンロック。本来ならば禁止されている呪文だが、非常事態である。かきんと高い音がして、鍵は外されたが……扉が空くことはなかった。

「――っ! マルトー、手伝ってくれ。何かが扉を塞いでいる」
「わかった!」

 リゾットに請われて、マルトーは腕まくりをして……

「その必要はありません」
「!?」
「離れていてください」

 変わりに踏み出したギーシュに、その動きを静止される。

「『フェンス・オブ・ディフェンス』」

 扉の前に立つギーシュの姿、正確には、その隣に現れた影を見て、オスマンとズォースイは扉から離れた……自分たちが束になってかかるより、早く扉を破壊できるとふんだのである。
 状況は分からなかったが、友が命の危機にあると聞かされて、黙っていられるギーシュではなかった。

「シャラララァッ!!!!」

 続けざまに高速でぶち込まれたFODの拳は、頑丈に作られた女子寮の扉凹ませ歪ませ……数瞬の間をおいてふっとばした。

「……才人! 無事かい!?」
「才人さん!」

 ギーシュ、ついでシエスタが破壊された扉を踏み越えて室内に踏み込む。
 無事でいてくれ、そんな願い抱いて。
 ……願いは、現実の前には無力である。
 この法則が、この場合は完全に合致するだろう。
 無事でいてくれという二人の願いも空しく……視界に飛び込んできたのは、変わり果てた二人の姿だったのである。



「才人ぉ……」
「んー? なんだルイズ」
「えっとね、んっとね……もう一度、して?」
「いやー、聞こえないなあ」
「……意地悪しちゃやだぁ」
「悪い悪い。ルイズったら可愛いから、つい苛めたくなっちゃうんだよ」
「本当?」
「本当だってば」

『…………』

 部屋に飛び込んだ体制のまま硬直する、二人の眼前で。
 才人とルイズは、その代わり果てた姿を晒している。

 ベッドの上で、腰掛けた才人の股の間に、ルイズが座り込んで。
 いちゃついていらっしゃった。
 才人は何故か上半身裸だし、ルイズに至ってはいつも寝る時に着るネグリジェ姿だ。
 ルイズはその潤んだ瞳で才人を見上げて、すねたように頬を膨らませている。

「いぢわる。才人なんかきらい」
「……可愛いよ、ルイズ」
「……知らないっ。意地悪する才人なんかしらないもんっ」
「…………やれやれ」

 ぷぅっと頬を膨らませるルイズに、才人は肩をすくめて、手にしたワインを口に含む。問題の、シャトーオーブリオンの85年物だった。
 才人は、それをめい一杯口に含むと……そのまま、ルイズに口付けた。

「……っ!」

 一瞬、驚いたように目を見開くルイズだったが、すぐに目つきを緩め、とろりとした光を瞳に宿らせる。
 キスされた瞬間に力が入っていた全身も、同時にだらりと弛緩させて、全てを才人に委ねきっていた。
 ……喉が鳴っていることからすると、口移しで飲ませていらっしゃるらすぃ。

 二人の喉がなる事数回。お互いの口の中にアルコールが残っていない事を舌で確認し合い、唇を離す。
 二人の舌と舌の間に唾液の橋がかかって、名残惜しそうに切れた。

「旨かったかルイズ。俺は旨かった」
「ううううう……さいとのいぢわるぅ」
「嫌いか?」
「……嫌いなわけないよぉ……おねがいだからいぢわるしないで」
「それは無理。だってルイズ死ぬほど可愛いし、今だって食べちゃいたいくらい可愛い」
「ほんと?」
「ほんとほんと。だから一杯いぢわるしちゃう」
「ちょ、ま……ぁん」

 たべちゃう! とばかりに、才人の唇がルイズの鎖骨に吸い付き、あえぎ声を上げさせる……アルコールの酔いのせいなのか、乱入してきたギーシュ達には気付いていらっしゃらないようで。

 おいおい、それ以上は避難所でもやばいんでないかい? そんなやり取りを、ギーシュは固まったまま全身を紅潮させ、滝汗流しながら眺めていた。

「さ、さいと……いつのまに、そんな大人の階段を……僕も、モンモランシーとあんな事したいぃぃ」

 一寸うかつな発言を華麗にスルーして、ズォースイは落ち着いた口調でつぶやく。

「オールド・オスマン」
「何かね?」
「少なくとも、伝説にあるご禁制の薬とやらが、何なのかは分かりましたね」
「惚れ薬じゃな。それも、保存されとるうちに相当強力になっておるようじゃのー」
「えっと、それはどういう……」
「命の危険はなかったちゅー事じゃな。なんにせよ、良かった良かった」

 目の前で巻き起こっている濡れ場から必死で眼を逸らしつつ、オスマンはカカと笑う。まるで、その一言で全ての幕を下ろそうとするかのように。



 どっこいそうは問屋がおろさない。



『まぁー、今から命の危険に晒されそうなんだけどなー』
「へ?」

 聞きなれた声にギーシュが振り向くと、そこには……

「…………」

 般若がいらっしゃりました。

 ギーシュの気付かぬうちに、シエスタは放り出されていたデルフリンガーを抜き放ち、空気を鳴動させていた。

┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨と。


 前髪で隠れたその瞳から、どんよりとした光が漏れていてなんともシュール。
 異様なプレッシャーを放ちながら、シエスタはデルフをてにどかどかと才人に歩み寄ると、その手から瓶を強奪する。

 酔っ払った才人は気付けないのか、ルイズ以外の全てがどうでもいいのか……兎も角、シエスタはそれを据わった眼で見据えて、

「才人さん……



 今、その女狐から助け出してあげます……」



 後日、ギーシュはモンモランシーに語った。
 『あの時のメイドの目は本気だった』と。



「ちょ、一寸待てシエスタぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「お、落ち着きたまぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
「放してくださいぃぃぃぃっ!!!! 世の中は略奪愛なんです!! 冷酷非情なんです!! 私の才人さんを取り返すんですぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」
「こ、こういう時、敗者は黙って引き下がるものでは――」
「あなたなんかに言われたくありませぇぇぇん! 才人さああああああああんっ!!」
「――君ホントは僕のこと嫌いだろ!?」

 ワイン飲んで同じ状態になろうとするシエスタを、慌てて止めにかかるギーシュとマルトー。何気にシエスタが本音炸裂させていた。

「やぁん……食べちゃやだぁ」
「だが断る! だってかわいいんだもん♪」

 そんな事は異世界の出来事です、とばかりにいちゃつく才人とルイズ。アルコールの力も借りて、そのバカップルぶりは倍率ドンだ。

 正直、こんなカオスな室内の状況を、どうすれば収拾できるのか?

 しばし。
 しばし、部屋の前でたたずんだ後、オスマンはおもむろ口を開く。

「ミス・ロングヒルや。飯はまだかいのぉ」
「現実から逃げないで下さいオールド・オスマン」

 呆けた振りして現実から逃げようとしたオスマンに、ズォースイの律儀な突込みが決まった。




 今日この日……
 アカデミーの手によって、ルイズと才人の二人は死を迎えた。
 いろんな意味で。

 二人が口にしたのは、魂を犯し蝕む毒だった。
 いろんな意味で。

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