ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

忘れえぬ未来への遺産-2

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匿名ユーザー

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「よおワルドの旦那。暫く見ない内に随分とまァ男前になったモンだね」
「ハッハッハ。ジョースター先生も人のことは言えないんじゃないのかな」
 微妙に変形したお互いの顔面を見据えながら、椅子に座った男二人が暢気に笑う。
 あの後、気が付けば備え付けの簡素なベッドに寝かされていた私は、我に返ると共に問答無用で大男に向けてとびっきりの魔法を叩き込んでやった。
 そのおかげで、少しは気分も晴れた。当面の怒りは収まったと言えるだろう。
 まだ男の全てを許した訳ではなかったが、いつまでも先程のように怒り続けている訳にもいくまい。
 一応、気を失った私を介抱してくれたらしい娘に対しての礼もある。
 目を覚ました時には一通り片付けられていた室内も、きっと彼女が泣きながら掃除したのだろう。
 今は大人しく、彼――ジョセフ・ジョースターと名乗った男の『治療』とやらを見せて貰うとしよう。
「とりあえず今は腕の怪我を治して欲しいな。顔はともかく、腕がこれでは任務に差し障る」
「あいよ。すまねぇけど包帯を取らせて貰うぜ。ジェシカ、手伝ってくれ」
「はいはい、お任せあれ」
 ジョセフと娘は慣れた様子で、てきぱきとワルド子爵の右腕に捲かれた包帯を解いて行く。
「うわあ、痛そう……」
 顔を顰めて、娘が呻く。確かにあまり直視したい代物では無かった。
 露になった彼の腕には、ざっくりと何かに切り裂かれたような傷跡が残っていた。
 未だに出血は収まりきっておらず、その傷口も生々しく広がったままだ。
 彼の言う任務とやらの中で、如何に激しい戦いが繰り広げられたのかが窺える。
 だが当のワルド子爵はさして気にした風でもなく、左肩のみを竦ませて彼女に向けて言う。
「何、名誉の負傷という奴さ。戦に臨む貴族にとっては寧ろ誉れだよ。先生、お願いするよ」
「おう、待ってな」
 答えて、ジョセフはワルド子爵の腕に手を当てながら、先程と同様に深く息を吸い込み始める。

 コォォォォォ…と言う独特の呼吸音も全く一緒だ。
 先程は頭に血が上っていたせいもあって、彼が何を仕掛けて来たのかは全くわからなかったが、
二度目の今ならばそれをじっくりと観察する余裕もあった。
 私は注意深く、彼の様子を見つめる。そして彼が目一杯に息を吸い込みきった時に、それは起きた。
「波紋疾走(オーバードライブ)!」
 まただ。彼の掌に生み出された光が、その手を通じてワルド子爵の右腕へと流される。
 先程は私の体から自由を奪ったその光は、今度は何事も無く右腕全体に広がって行き、やがて消える。
「……おお。やはり何度見ても素晴らしい」
 感嘆の溜息を付くワルド子爵と同様に、私も驚きを隠せずに目を見開いてその様子を見ていた。
 ジョセフの流した光が消滅した頃には、かなりの深手に見えた筈のワルド子爵の傷が
塞がっていたのだ。無論、完全に癒えた訳では無いのだが、少なくとも傷口から滲んでいた血は
完全に止まっていたし、下手をすればこのまま傷口が化膿して、腕ごと腐り落ちてしまうのでは無いかと
思えるような不安感も、今では随分と霧消していた。
 すごい。魔法を使っている訳では無いのに、ここまでのことが出来るとは。
 先程ジョセフから受けた仕打ちが気にならなくなる程、私はその光景に衝撃と興奮を覚えていた。

「これで良し。後は暫くの間しっかりと包帯を捲いて、薬とかもキチンと飲んでりゃ平気だと思うぜ」
「いや助かったよ。本当にありがとう、ジョースター先生。
 どうだろう先生、君のこの力、我がトリステインの誇る魔法衛士隊に預けては貰えないかね?
 我が愛する祖国トリステインを守る為に、君の力を借りたいんだよ」
「そうは言ってもなァー、俺は別にトリステインの人間じゃねーもんなァ。
 困ってる人間を助ける分には構わねーし、軍人が嫌いってワケでもねーんだが……
 やっぱ軍隊に協力すんのは気が進まねーな。ワリィけど、この話は無かったことにしてくれや」
「そうか……やはり駄目かね。そいつは残念だ」
「しっかし、アンタも相当しつこい男だね。良くもまあ懲りもせず同じことを言い続けられるもんだぜ」
「私は諦めないぞ、いつか必ず君を我がグリフォン隊に引き入れてみせるよ」
「ウゲッ。そーゆー愛の告白みてぇな言葉は、ダンナみてーなヒゲ面の男よりも
 どうかキレーなおネーちゃんに言って貰いたいモンだぜ!」
「そうですよワルド様。あたしを差し置いてジョジョを口説くなんて百年早いのよ?
 お店の女の子達とも、誰が一番最初にジョジョを落とせるかどうか競争してるんだから」
「ホゥ……そうだったのか。これは手強い相手だ、私も負けてはいられないな。
 いやしかし、相変わらず大勢の女性に好かれていらっしゃるようで羨ましい限りですな、先生」
「ニョホホ。いやもー最高にハイ!ってカンジぃ?俺の人生薔薇色ってヤツだね!
 あーそうそう、時に美しいジェシカお嬢様?
 タイヘン申し訳無いのですが、ワルドの旦那に新しい包帯をば捲いてやってはくれませんかね?」
「はいはい。ここはおだてに乗らせて頂きましょう、ジョースター先生」
 丁寧な動作で娘がワルド子爵の右腕に新しい包帯を捲いて行くのを端で見ながら、私は一人考え込んでいた。

 この男の持つ『力』は物凄く興味深い。
 人格的には到底受け付けられる物では無いが、この『力』は是非とも詳しく調べてみたい。
 ひょっとしたら、彼の『力』と、今までハルケギニアの先人達が積み重ねて来た魔法の知識を組み合わせることで、新しい医療技術の誕生が望めるかもしれない。
 一人のメイジとして、トリステイン王国が誇るアカデミーに所属する研究者として、私の中の好奇心がむくむくと鎌首をもたげて来る。

「そういやあ、そちらの姐さんは一体どんな用で来たんだい?」
 ジョセフ当人の言葉に皆の視線がこちらに集中し、私の思考もそれによって中断される。
「怪我をしてるようには見えねーし、かと言って病気ってワケでも無さそうだよなァ」
 さっきもあれだけ暴れ回ったんだしな、と余計な一言を付け加えてくる。
 ええい、一体誰のせいだと思っているのよ。思い返すだけでも忌々しい。
 一旦鎮まった筈の怒りが再び胸の内に湧き上がって来るが、それでは同じことの繰り返しだ。
 私はかなり無理矢理に自分の怒りを飲み干しながら、再び考えを巡らせる。
 一応、彼がどのような手段で患者を治療しているかという当初の目的だけは確認することが出来た。
 しかし、このまま大人しく引き下がるのはあまりにも惜しい。
 何か口実は無いだろうか。この男の能力を、もっと近くで詳しく観察する為の口実は――
「……そうだわ」
 あった。一つだけ、医者であるこの男と私が堂々と会う為の口実が。
「ジョースター……と言ったわね、貴方」
「ああ、ジョセフ・ジョースターだ。ジョジョって呼ばれることもあるけどな」
「貴方のその『力』で、病気の人間は治せるのかしら?生まれつき体の弱い病人を健康にすることは?」
「フム、病気か…」
 私の問い掛けに少し考え込む仕草を見せてから、やがてジョセフはゆっくりと口を開く。
「そうだな。単なる風邪とかなら、一時的に体を動かせるようにしたり、あるいは回復が早くなるようにするコトも出来るとは思うんだが……生まれつきの体質となると、ちっとばかし難しいかもしれねーな。
 少なくとも、本人の様子を見てみなきゃ何とも言えねーよ」
「………そう」

 どこか申し訳無さそうに答える彼の言葉は、ある意味、予想通りの内容ではあった。
 だが「必ず治る」などと安請け合いされるよりは遥かにいい。
 私は気を取り直して、ジョセフに向けて本題を切り出す。
「では、本人の様子を見れば、治る見込みも見つかるかもしれないのね?」
「ま、そうなるが……ってオイ、ちょっと待て。っつーことは、アンタもしかして……」
「ええ。この私、エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールが貴方に依頼するわ。
 我が家に是非とも診察して頂きたい患者がいるの。
 どうかその者の様子を看に来て下さいませんこと、ジョセフ・ジョースター先生?」
「オーノー!やっぱりそーゆーコトかよ!?」
 大袈裟にショックの表情を作り上げる彼に向けて、私は極上の笑顔を浮かべて言ってやった。

「ねえジョジョ……どうするの?」
 不安げな様子で、今までの話を聞いていた娘がジョセフの服を引っ張って聞いて来る。
 結果的にとは言え、先程まで散々彼女を脅かしてしまったせいで、必要以上に私に対して怯えたような態度を取ってしまうのだろう。
 だがそういう姿勢も、貴族には礼節を支払うべしという殊勝な心掛けがあってのこと。
 相手が積極的にそうした態度を見せるならば、私とてそう簡単に怒鳴り散らすつもりは無い。
 問題なのは、肝心のジョセフが全く悪びれた様子を見せていないということなのだが。
「どーするって、そりゃあお前……どーしましょおか?」
 気の無い返事を返すジョセフに対して、娘はこっそりと彼に向けて耳打ちをする。
「あたしは行った方がいいと思うな。
 だってジョジョってば、あの人に対してとんでもないコトをしちゃったんだよ?
 お詫びの気持ち、ってワケじゃないけどさ。
 それでちょっとでもあの人の印象が良くなるなら、絶対に行った方がいいって」
「まァ行く行かないは別としてもよォー、たかがシタ入れてキスする程度がそんなとんでもねーコトか?」
「とんでもないわよ!女の子にとってはね、キスってゆーのは物すんっごく大切なコトなの!
 まして、平民の側から貴族の人と無理矢理やっちゃうなんて、考えるまでもなく切腹モノよ!?
 ……あ、だけど、考えようによっちゃあなんかズルイわ!思い出したら腹が立って来た。
 あたしだって、まだジョジョとキスしたことなんて無いのにぃ!」
「うわ、やめろ落ち着けよジェシカ!つーかお前、なんで切腹なんて言葉知ってんの?
 あれって確か日本の言葉だろ?サムライ、サムラーイ、ブシドーってゆーヤツ」
「死んじゃったお祖父ちゃんが聞かせてくれた話の中にそーゆー言葉があったのよ!」
「……エレオノールお嬢様」
 侃々諤々の体を示して来た平民二人を今は無視して、ワルド子爵がこちらの方を向き直る。
「お嬢様。貴女はもしや、彼にカトレアお嬢様のことを?」
「ええ……そういうこと」
 頷いて、私はワルド子爵の言葉を肯定する。
 そう。私には一つだけ、このジョセフ・ジョースターに対して客として頼めることがあるのだ。

 生まれつき病弱で、満足に外も歩くことも出来ない、私の可愛い妹カトレア。
 出来るならば、あの子の思うがままに外の世界を歩けるようにしてやりたい。
 アカデミーで研究を続ける傍ら、私は今までずっとあの子が元気になれる方法を探し続けて来た。
 だけど駄目だった。どれほど過去の文献を読み解いても、どんな手段を試してみても、私はカトレアを救ってやることは出来なかった。
 あの子はもう立派な大人になったのに、未だに外の世界を満足に知らずにいる。

 それに末の妹のルイズだって、満足に魔法が使えないことを幼い頃からずっと気にしていた。
 私とて何度となくあの子がきちんと魔法が使えるように手ほどきをして来たし、何故ルイズが魔法を上手く使えないのかという理由も調べ続けてはいるのだが、その成果はまだ実ってはいない。

 それがとても悔しかった。
 生まれた頃からずっと悩み、苦しんでいるあの子達に、私は姉として何をしてやれたのだろう?
 結局私は、今なお愛する妹達を満足に救うことが出来ないでいる。
 あの子達を助けたいと願っても、自分にはその力が無いという現実に、私はまるでこの身を焼かれるような焦燥感を覚える。
 そのことに対する無念と絶望に苛まれた経験も、一度や二度では無かった。
 そして、そんな時には決まって、カトレアは私に向かって優しく言うのだ。


「姉様のお気持ちは私には充分に伝わっています。それだけで私は、とっても幸せですわ」


 ヴァリエールの家の中にあって、誰よりも心優しく、誰からも愛されている私のカトレア。
 今、そんなカトレアの存在を利用してしまったことに対して、私は少しだけ罪悪感を覚える。
 ジョセフ・ジョースターの『力』を詳しく知りたいと言うこの気持ちにも、嘘は吐けない。
 病弱な妹を口実に使って、自らの探究心を満たそうとしている私は、薄汚い人間なのかもしれない。
 しかしその一方で、妹の為に彼の持つ『力』に縋り付きたいという想いも、また真実だった。
 理由はどうあれ、今の私がジョセフ・ジョースターと言う男の存在を必要としていることは間違い無い。


「……わかったよ姐さん。あんたの言う通り、その患者ってヤツの所まで行ってやってもいい」
 やがて娘との大騒ぎにも一区切りが付いた頃、ジョセフは勿体付けるような口調で口を開いて来た。
「だがその前に、こっちの出す条件を幾つか聞いて貰いてぇんだ。それでも構わねーか?」
「いいわ。言って御覧なさい」
 条件と来たか。平民の分際で、貴族と対等に交渉しようとはいい度胸だ。
 しかし今更、この男にまともな平民としての対応を期待しても無駄と言うものだろう。
 だから私もそんなことはいちいち気にしたりせずに、静かに頷いて彼の次の言葉を促した。

 彼が提示した条件は、それ程大袈裟なものでは無かった。
 まず、今日はまだ外で並んでいる診察客が大勢いるので、日程を先延ばしにして欲しいということ。
 また彼がヴァリエールの屋敷にまで出張する形になる以上、一日分休業しなくてはならなくなるのでそれを事前に告知する為の時間も欲しいとも言って来た。
 協議の結果、彼がヴァリエールの屋敷に診察へ来るのは、今から三日後と言うことで話は纏まった。
 そしてもう一つの条件は何のことは無い、道案内の為の迎えを寄越して欲しいということだった。
 それは寧ろこちらも最初から考えていたことだったので、問題なく承諾することにした。

「それでは三日後、改めて使いの者を出すわ。それで宜しいかしら?」
「おう、構わねーぜ」
「どうやら決まりのようですな」
 最後にそう締め括ったのは、先程まで黙ってこちらの話を聞いていたワルド子爵だった。
「カトレアお嬢様ならば私にとっても知らない仲では無い。
 あの方のご病気が治ると言うならば、それはとても喜ばしいことだ。
 私からもどうか宜しくお願いするよ、ジョースター先生」
「オッケー、任せろ!このジョセフ様に掛かりゃあ、どんな病気もバッチリよ!
 ……とは言いたい所だが、流石にこいつぁ100パー治せるかどうかは断言出来ねーな。
 しかしお嬢様ねぇ。楽しみっちゃあ楽しみだが、この姐さんみたいにキッツイんじゃなきゃイイけど」
「いやいや。カトレアお嬢様はとても穏やかでお優しい方だよ。その容姿も大変お美しい。
 正直、胸が大きすぎて僕の好みでは無いのだが……やはり僕はルイズが一番で」
「ウッソ、マジィ!?美人で優しくて、その上ぼいんぼいんなんて、カーズ以上の究極生物じゃねーか!?
 いやー、もォ俄然ヤル気が出てきたぜ!あーあ、早く三日後になんねーかなァ!ニヒヒヒヒ」
「もうっ!ジョジョってば!」
「しかしカトレアお嬢様の雰囲気は、どこか亡くなられた母上を思い出すな……。
 だが恋人としてお付き合いさせて頂くには、いささか成長され過ぎているのが問題だな。
 そうだ、やはり僕にはルイズしかいないのだ。ああルイズ、僕の愛しき人よ。
 どうか今の君が、僕の知るあの小さなルイズのままでありますように」
「……前から思っていたんだけど、ワルド様って、もしかして……」
「オーノーだズラ。この男、どう見てもロリコンだズラ。しかも完璧にムッツリスケベだズラ」

 これで話は決まった。
 だが、ジョセフの医者としての腕とは全く関係の無い所で、私の胸に不安感が湧き上がって来るのは何故なのだろう?
 これは何としてでも、カトレアの診察の際には私も同伴する必要があるようだ。
 そしてそれ以上に、今は遠い魔法学院に通うルイズのことが急激に心配になって来た。
 今度、カトレアと一緒に手紙の一つでも送ることにしようか。
 ついでにあの子の為のお見合いの話でも振っておいてやろうと、私は密かに決心していた。


 ジョセフ・ジョースターと三日後の再会を約束し、私は治療の済んだワルド子爵と共に病院を出て、待たせておいた馬車の許へと引き返す。
 その場で留守番をしていた御者は、私の姿を確認すると共に
すかさず私に向けて一礼した後、極めて丁寧な動作で馬車の扉を開き、中に入るよう促して来る。
「それではエレオノールお嬢様。私もこの辺りで失礼させて頂きます」
 そして、ここまで私にひっ付いて来たワルド子爵が、私に向けて軽く一礼する。
 付いて来る必要など無いとは言ったのだが、顔見知りの女性を一人で歩かせる訳にはいかないなどと強硬に主張するものだから、仕方なしにここまでの同行を許可したのだった。
「しかし、珍しい話もある物ですな」
「何のことかしら?」
 苦笑いを浮かべながら、ワルド子爵はどこか意地の悪さの感じられる口調で言って来る。
「まさか、エレオノールお嬢様があれほど平民の男に入れ込むとは思いませんでしたよ。
 あのジェシカという娘の言葉ではありませんが、普段のお嬢様でしたら
 あのような真似をする男など、その場で打ち首にしてもおかしくは無いでしょうに」
「へえ……?」
 ワルド子爵のその言葉に、私はピクリと眉根を吊り上げる。
「つまり貴方は、私に対してそのような印象を抱いていらしたと言うの?」
「あ、いや……これは失礼致しました。決してそのような意味では」
 そんな私の様子を見て、彼は慌てて頭を横に振って否定の意志を示そうとする。
 しかし、どう見ても完全に否定し切れてはいない。
 そんな大嘘が吐けるものかと、彼の中の無意識部位がそう主張しているかのようだった。
「……まあいいわ」
 私とて、自分が気の短い性質であることは自覚している。
 それを他人から指摘されると腹立たしいが、かと言ってこれ以上この男を苛める必要もあるまい。
 私は馬車に乗り込むべく、御者の手によって開かれた扉を潜って、タラップに自分の足を乗せる。
「今日は久しぶりにお会い出来て楽しかったわ、ワルド子爵。腕のお怪我、どうぞお大事に」
「あ、はい。エレオノールお嬢様もどうかお元気で。公爵閣下や奥方様、カトレアお嬢様にもよろしくとお伝え下さい」
 そして私は、ワルド子爵をその場に残したまま、御者に命じて馬車を屋敷に向けて走らせた。

 御者の操る馬車の振動に揺られながら、私は今日一日の出来事を思い返す。
 まだ日は沈んでおらず、空にはようやく日暮れ時を告げる赤みが射して来たばかり。
 一日はまだ終わってはいない筈なのに色々なことがあり過ぎて、何だか凄く疲れてしまった。

 まず最初に思い返されるのは、今日出会った色々な人達のこと。
 久しぶりに会ったはいいが、相変わらずルイズのことで頭が一杯のワルド子爵。
 あの豊かな胸は腹立たしい物の、平民ながら中々に気の利くジェシカとかいう娘。
 そして不思議な『力』で人々を治療して回る片腕の青年、ジョセフ・ジョースター。

 そう、ジョセフ・ジョースターだ。私に散々無礼な態度を取り続けたあの男。
 医者としての腕は認める所だが、あの性格だけは到底受け入れられるものでは無い。
 お調子者で騒がしくて、貴族である私にも全然敬意を払わない無礼者。
 だが、彼の持つ『力』と言い、どこか普通の平民とは違う雰囲気を持っている気がする。

 何とも不思議な男だ。
 本当は憎たらしくて仕方が無い筈なのに、今でも彼の顔が頭に焼き付いて離れなかった。
 それと共に、彼が私に対してしでかしたあの行為の記憶が、頭の中で鮮明に蘇って来る。

 私は彼によって奪われた自分の唇を、そっと指で撫でる。
 あの深いキスの感触が、今でも私の口元に深く残っているようだった。
 男性の方からあんなに激しく口付けを求められたのは、初めての経験では無かったか――



「……ッ!?わ、私は一体何を思い出しているのよッ!?」


 ふと我に返って、私は慌ててあの時の記憶を振り払う。
 別れ際にワルド子爵が言っていた通り、彼のことを意識しているとでも言うのか?
 いいや、そんな筈は無い。そんな筈があってたまるものか。
 だったらまだ、婚約を解消されたせいで欲求不満に陥っていると言われた方がましと言うものだ。 
 平民にキスされたことがあまりにショックで、思い返したらまた改めて動揺しているに過ぎないのだ!

 そうやって無理矢理自分を納得させた後で、改めて私は彼と交わした約束について考える。
 三日後、あのジョセフ・ジョースターはカトレアの治療の為にやって来る。
 帰ったらまず、そのことを両親やあの子に対して伝えねばならない。
 それにジョセフの使った『力』について気付いたことを、今日の内に纏めておく必要もあるだろう。
 ああ、そういえば近々アカデミーに提出しなければならない書類も何枚か残っていたんだっけ。

 それに、今度の治療も手く行かなかったらどうしよう?
 次にあのジョセフともう一度顔を合わせた時、私は一体どんな顔をすれば良いのだろう。
 これからやらねばならないことと共に、様々な不安も私の頭の中に浮かんで来る。
 考え出せばきりが無い。それはまた、その時になったら改めて考えることにしよう。
 私は馬車の中に設えられたソファにその身を委ねながら、ぼんやりと妹達の姿を頭に浮かべる。


 ――本当にカトレアが元気になればいいのにな。ルイズは今頃元気でやっているかしら?


 それからヴァリエールの屋敷に辿り着くまでの時間を、私はずっと妹達のことを考えながら過ごした。

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