ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第二十六話 『プリンス・オブ・ウェールズ』

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匿名ユーザー

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それはいつかの会話だった。
「ねえウェールズ様」
アンリエッタは居室の机に向き合って座るウェールズに言う。
「どうしたんだいアンリエッタ?」
「ニューカッスル城が貴族派の総攻撃を受けたって聞いたとき、わたくし、あなたがもう死んじゃたかと思って泣いてしまったの。
 だから今こうしてウェールズ様と向かい合ってはなせているのが不思議で・・・本当にもう二度と会えないと思っていたから、嬉しくて仕方ありませんの」
アンリエッタは感極まったように涙を流しながら笑っていた。ウェールズは席を立ちアンリエッタの前に立つとその震える肩を抱きしめた。細い、か弱い肩だった。
「すまなかったねアンリエッタ・・・僕にもっと力があれば君を悲しい目には遭わせないのに・・・どんなことからも守ってみせるのに・・・僕にはその力がない」
「ウェールズ様・・・・・・」
ウェールズの腕の力が強まる。悲しく震えている。
わかっているのだ。自分が生きていたとてアンリエッタの隣を歩いていくことができないことを。愛し合っていようと二人は王族で、国の象徴でしかない。
アンリエッタはしばし目を瞑ってから、ゆっくりとウェールズの肩を押した。二人は見つめ合う。



「ではウェールズ様。誓ってくださいまし」
アンリエッタが手を伸ばしウェールズの頬に触れる。小さく微笑んで笑いかけた。
「二度とどこにも行ってしまわないと・・・」
「アンリエッタ・・・」
「水の精霊にではなく、月にでもなく、わたくし自身に誓ってください。わたくしはその約束があればどんなところであろうと、どんな状況であろうと怖くはありません。あなたが側にいてくれるから」
冷たいものが頬に触れるアンリエッタの手に触れた。ウェールズは必死に嗚咽を抑えているようで、そんなウェールズをアンリエッタは愛おしく感じた。
「・・・アンリエッタ。誓うよ・・・ウェールズ・テューダーは、もう二度と君の前からいなくならない。君に誓う」
ウェールズはアンリエッタの手を握り、唇を近づける。
「ウェールズ様・・・」
二人の唇が重なる。それは、二度と離れることはないと強く誓うかのように。

第二十六話 『プリンス・オブ・ウェールズ』


生家の庭で、シエスタは幼い兄弟たちを抱きしめ不安げな表情で空を見つめる。先ほどラ・ロシェールの方から爆発音が聞こえてきた。
驚いて庭に出て空を見上げると、恐るべき光景が広がっていた。空から燃えさかる船がいくつも落ちてきて、山肌にぶつかり森に落ちていくのだ。
村は騒然とし始めた。村人たちがどうするべきかと迷っている間にも、雲と見まごうばかりの巨大な船が草原に錨を降ろし空中に停泊した。
さらに今度はそこから何匹ものドラゴンが飛び上がった。
「何が起こってるの?お姉ちゃん」
幼い弟妹が怯えてシエスタにしがみつく。
「大丈夫だからね、家に入ってましょう」
シエスタは内心の不安を弟妹に悟られないよう平静を装って家の中に促した。両親も心配そうに窓から外を窺っている。
「あれはアルビオンの艦隊じゃないか」
「いやだ・・・まさか戦争かい?」
「まさか。アルビオンとは不可侵条約を結んだと、この前領主様からお触れがあったばかりじゃないか」
「じゃあさっきの燃えて落ちてきた船はなんだい?」
その時一匹のドラゴンが村めがけて飛んできた。屋根すれすれを勢いよく飛ぶので家に振動が伝わり、窓が軋んだ。シエスタの父は慌てて家族を窓から遠ざける。
騎士を乗せたドラゴンは村の中心にやってくると旋回しながら上昇し、村一帯を眺めてから辺りに炎を吐きかけ始めた。
「きゃああああ!」
家に炎が吐きかけられ窓ガラスが室内に飛び散った。幸いケガはなかったが、村は赤く赤く燃えさかり、木が焼ける音と人々の怒号、悲鳴によって彩られていく。
シエスタは弟妹たちを抱きしめながら震えていたが父の声に気を取り直した。
「シエスタ!みんなを連れて南の森に逃げるんだ!」



大きな風竜に跨ったワルドはつまらなそうに燃えさかる村を見ていた。ワルドが跨る風竜はブレスは火竜に劣るがスピードで勝るので、指揮を執るならとあえて選んだ風竜であった。
竜騎士隊の任務は上陸部隊の露払い。そのために村を焼くのだ。広いこの平原は拠点にはもってこいだ。後方を向けば『レキシントン』号の甲板から先発部隊が降下を始めていた。
ここまでは任務は滞りなく行われている。しかし草原の向こうに自軍とは違う軍団を見つけた。
「近在の領主か。どれ、暇つぶし程度にはなるかな」
敵は百にも満たない数だ。それに対しこちらは天下無双を謳われるアルビオン竜騎士隊が二十騎。十分もかからないだろう。
ワルドは村に火を放っている者達に指示を出したが、調子に乗って隊から外れている者がいた。慌ててこちらに向かってくるが、隊に合流する前に火竜の翼が根本から切断され墜落していった。
「なにッ!今のは『エア・カッター』!」
ワルドがそれの発射された方を見れば、そこには三百騎ばかりを率いた隊がこちらに駆けてきていた。その先頭には――――
「ウェールズだとッ?・・・ふん、死にぞこなった男が死に場所を求めてきたか。だが・・・」
ワルドはハンドサインで部隊を半分に分けるとその半分を率いて上陸部隊の援護に回った。



ウェールズの部隊がタルブに到着したときにはすでに竜騎士たちによって村は焼かれていた。
「クソックソックソッ!村ごと燃やすだとッ?忌々しいぞッ!」
アニエスが珍しく取り乱したように怒りをあらわにしている。一人で竜騎士隊に向かって行きかねない勢いだ。ウェールズとて怒りはある。しかし隊を率いる者としてあくまで頭は冷静にしなければならない。燃やすのは心だ。
「冷静になれアニエス。全員聞けッ!恐らく逃れた村人が森に逃げているはずだ!これより部隊後列五十を切り離し、さらに二班にわける!
 一班は森に入り村人たちを救助、護衛せよッ!二班は森を迂回し安全な場所を探せ!探し次第一班に合流し援護しろ!残った者は私に続けッ!敵を村から引き離し領主の軍と合流するぞッ!」
馬上から手早く適格に隊に指示を出す。全員が緊張した面もちだが、ウェールズは優しく微笑んだ。
「大丈夫だ。皆で帰ろう」
たったそれだけで部隊の者達から緊張が緩んでいくのがわかり、アニエスはウェールズという人間の持つ人徳やカリスマの高さに感心した。ウェールズは手を上げ、
「かかれッ!」
振り下ろした。後列が本体から外れ森に向かう。本体はそのまま真っ直ぐ村に群がっている竜騎士たちに向かう。
恐らく隊長格だろう人物がこちらに気付き、隊をまとめ始めた。
ウェールズは機動力、火力で上回り制空権を有する竜騎士にまとまられては分が悪いと踏み、先制攻撃で流れを呼ぶべく杖をかざした。
狙いは一騎だけ隊から外れている者だ。
「デル・ウィンデ・・・」
呪文の完了とともに杖の先から風の刃が放たれた。不可視の刃は油断しきっていた竜騎士の竜の羽を切断し墜落させた。
隊から感嘆の声が上がる。竜騎士隊は部隊を半分にわけた。
「好機だッ!怯むな!」
ウェールズの部隊と竜騎士隊が激突した。




『レキシントン』号の後甲板でボーウッドは水兵たちが発する情報に耳を傾け的確な指示を与えていた。部隊の降下は四分の三が完了している。
どこぞの私兵軍隊が迫ってきているらしいが合流さえさせなければ問題はない。
そのための竜騎士隊だ。三千の部隊はあくまでトリステインの本隊にぶつけなければならない。
そこでボーウッドはちらりと隣を見やった。トリステイン侵攻軍総司令長官サー・ジョンストンはイズにふんぞり返っていた。
しかしその手は震えているのがまるわかりだ。
トップがこれではこの艦の士気もそう上がるまいとボーウッドは溜め息を吐いた。その時伝令が飛び込んできた。
「艦長!ワルド子爵が・・・」
「ワルド子爵?どうした!」
ボーウッドが振り返った時には入り口にワルドがすでに立っていた。それを見たボーウッドが口を開くより先にジョンストンがワルドに詰め寄る。
「子爵!君は竜騎士隊を率いるのが任務のハズだろう!敵に合流されては厄介なことになるぞ!こんな所で油を売っている場合かね!それともさては怖じ気づいたのかッ!」
怯えていたのは貴様だろう。人を責めるときだけは元気なヤツだ、とボーウッドは内心で毒づいた。


しかしワルドはあくまで笑顔のままジョンストンをなだめる。
「落ち着いてくだされ司令長官殿。私は逃げたわけではありません」
「ならば何用か?」
「閣下が『万一の場合』になったら使えとおっしゃっていたものを取りに来ただけですよ。いや、しかし閣下の先見の妙には驚かされますな。予想がドンピシャだ」
はっはっは、と笑いながらワルドはマントを翻して去っていった。
ジョンストンなどは「おお!さすがはクロムウェル様だ!」などとほざいているが、ボーウッドはワルドから発せられた冷えたオーラに身震いを憶えた。
シェフィールドの時と似た、裏がありそうな雰囲気だ。しかし戦場はボーウッドの不安をよそに動き続けていく。
「艦長!敵勢力が合流しました!」
「チッ、だから言わんことじゃない・・・」
そこにジョンストンが焦ったようにすがりついた。
「か、艦長!すぐに砲撃して蹴散らそう!」
「味方が近くにいるんですぞッ!」
ボーウッドは頭痛を憶えた。まったくもって雑音以外の何物でもない男だと思った。



「隊形は広く維持しろ!引きつけて・・・放てッ!」
ウェールズの号令とともにメイジ組が魔法を放つ。大半の竜騎士は距離を取ってかわすが、タイミングを変えて繰り返していくうちに一体に命中し落とした。
これでウェールズの分と合わせても三騎撃墜である。
元々自国の軍隊だから動きはわかっている上に、やはり隊長不在の中では統率が取りにくいようで、かなり押し返した。敵も警戒していったん距離を置いている。
「アニエス!被害報告!」
「ハッ!中央と右翼は軽傷者のみですが左翼でブレスを受け兵二十、メイジ六が重傷です」
「く・・・村人は?」
「それが依然連絡がつきません」
「・・・わかった。アニエスは左翼に回ってくれ」
「ハッ!」
アニエスが馬を駆り左翼の援護に向かう。そこへようやく領主の私兵団が合流した。中でも見栄えのする格好をした男がウェールズのもとにやってきた。
「わたしはタルブ領主をしておるアストンと申します。援軍感謝する」
「・・・私はウェールズ・テューダー」
途端にアストン伯が目を丸くした。
「なんとッ!亡命しておられたという噂は真だったか!では敵討ちというわけですな!」
アストン伯は根が軍人気質なのか、やおら燃え上がると感動したように拳を握り天を仰いだ。
「なんという運命かッ!自国を卑劣なる者共に奪われ、耐え難きを耐え忍び難きを忍んでおるのですな!それがし感動いたしました!なれば不肖このアストンがあなたの道を切り開きましょうッ!」
「いや、待って・・・」


しかしアストン伯は馬の腹を蹴りかけだしていってしまった。ウェールズが慌てて止めようとしたが、その必要もなくアストン伯は止まった。
慣性の法則を無視した不自然な止まり方で。
そしてゆっくりと横に倒れていき、ついにどう、と地面に倒れる。アストン伯がいた場所にはウェールズも知った人物が立っていた。
「貴様・・・ワルド!」
「そういうあなたはウェールズ皇太子ではありませんか。アルビオンの立場あるお方がこんな所で地べたを這い回って、どういうおつもりかな?」
「白々しいぞッ!」
ウェールズが杖を向けて怒鳴るがワルドは「おお怖い」とふざけきった態度で両手を広げた。
「人の上に立つお方がそう簡単にカリカリする者ではないですぞ」
「黙れッ!貴様こそ祖国を裏切ってあまつさえその領土を蹂躙して、なぜ平然としていられるのか!」
「祖国が己の帰るべき場所だと言うのであれば、私にとってトリステインは祖国ではない。そして私はその祖国を取り戻すためにここにいるのだよ」
「何を世迷い言を・・・」
「カリカリするなと言っただろう。祖国をなくしたお前にクロムウェル閣下から心づくしの贈り物だ。せめて気分だけでも祖国に帰りたまえと伝言もあるぞ」
ワルドはそれだけ言うと風竜を羽ばたかせ飛び立った。その向こうからは新手の地上部隊が迫ってきている。数はおよそ三百。ほぼ互角だ。
ウェールズはアストン伯が死んで浮き足立つ私兵団に指示を出し隊を整える。
「迎え撃つぞ!」
太陽はすでに真上に登っていた。




王宮の会議室には次々と報告が飛び込んでくる。
「アルビオン軍依然軍隊の降下作業を継続!」
「アルビオンに打診はしたのかッ!?」
「依然応答ありません!」
「タルブ村に停泊した『レキシントン』号からは!」
「ダメです!特使を乗せた竜も撃ち落とされましたッ!」
騒然となる会議室に偵察に向かっていた竜騎士隊の者が飛び込んできた。
「報告ッ!タルブ村領主アストン伯戦死!」
会議出席者たちはこぞって顔を見合わせ焦ったように話し合うが、その話しに打開策があるかは定かではない。マザリーニが報告を促す。
「現在ウェールズ皇太子が自分の隊とアストン伯の私兵をまとめて応戦中ですが分は悪いかと・・・」
その言葉に今まで椅子に座っていただけだったアンリエッタがハッとするがマザリーニに目で制されてしまった。
俯くアンリエッタをよそに議論が飛び交う。されど会議は一向に進む気配を見せない。
「ウェールズ皇太子に援軍を送らねばマズイですぞ!」
「何を言う!勝手に飛び出していったのだろう!そこまで面倒見切れるかッ!」
「しかし彼はタルブ村を救わんと・・・」
「あんな辺鄙な村の一つや二つで騒ぐな!」
「やはりゲルマニアに軍の派遣を要請しましょう!」
「そのように事を荒立てては・・・・・・」
「竜騎士隊全騎をもって上空から攻撃をしかせさせては?」
「残りの艦をかき集めろ!動くなら古かろうが小さかろうが全部!全部だッ!」
「ダメだ!そんなことをしたらそれこそ全面戦争だぞ!」
マザリーニでさえいまだ結論を出しかねていた。これがアルビオンの策略だと理解していながらも彼にとっては外交による解決こそが望ましいのだ。



怒号と思惑が飛び交う中、上座に座り眩いウェディングドレスに身を包んだアンリエッタは薬指に嵌めた『風』のルビーを見つめた。
ウェールズが渡してくれた、思いのこもった品。それに触れるとあの日の約束が鮮明に思い出される。そして勇気が湧いてくる。
「タルブの村、依然炎上中!」
その瞬間アンリエッタがテーブルを震わす程の勢いで叩いた。その衝撃に会議室は静まり返り、視線は一斉に王女に集まった。
アンリエッタは深呼吸をしてゆっくりと吐きながら立ち上がり、絞り出すように言い放った。
「あなたがたは、恥ずかしくないのですか」
「姫殿下?」
「国土が敵に侵されているんですよ?同盟だなんだ、特使がなんだ・・・騒ぐ前にすべきことがあるでしょう」
「しかし・・・姫殿下、これは誤解から生じた小競り合いですぞ」
「誤解?どこに誤解の余地があるというのですか?礼砲で艦が撃沈されたなどと言いがかりも甚だしいではありませんか」
「我らは不可侵条約を結んでおるのですぞ。事故です」
「結んで『いた』、でしょう?条約は紙より容易く破られたのですから。もとより守るつもりもなかったのでしょう。
時を稼ぎ、虚を突くための口実に過ぎません。アルビオンには・・・クロムウェルには明確に戦争の意思があってすべてを行っていたのです」
「しかしですな、たとえそうだとしてもたかが村一つ焼かれた程度で・・・」
アンリエッタはその瞬間握り拳でテーブルを叩き大声で叫んだ。
「わたくしたちがこうしている間にも民の血が流れているのです!たかが村一つと言いましたが、我々貴族はそのたかが村一つ一つの集まりの上に立っているのですよ!我らはなぜ貴族王族を名乗るのですか?
 このような危急の際に彼らを守るからこそ君臨を許されているのではないのですか?それこそが我らの真の務め、真の在り方ではないのですか?」
誰も何も言えなくなってしまった。アンリエッタはさらに冷ややかな声で続ける。
「あなた方は怖いのでしょう?なるほど、アルビオンは大国。反撃をくわえたとて勝ち目は薄い。敗戦後、責任を取らされるであろう反撃の計画者にはなりたくないというわけですね?ならばこのまま恭順して命を長らえようというわけですね?」



「姫殿下」
見かねたマザリーニがたしなめようとするが、今のアンリエッタには目でも声でも止まらない勢いがあった。
「よろしい。ならばあなた方はここで延々と会議をお続けなさるが良いわ。わたしくしが率います」
アンリエッタはそう言うと会議室を飛び出していった。マザリーニや何人もの貴族が唖然としていたが、ハッとしたようにアンリエッタを止めようと後を追いかける。
「姫殿下!お輿入れ前の大事なお体ですぞ!」
「ええい!走りにくい!」
アンリエッタはウェディングドレスの裾を掴むと、貴族たちが見ている前で豪快に引き裂いた。アンリエッタの細い足があらわになる。
そして引き裂いたその裾をマザリーニの顔に叩き付けた。
「あなた方が結婚なさればよろしいわ!」
宮廷の中庭に出たアンリエッタは大声で近衛の者と馬車を呼んだ。その声に中庭に控えていた魔法衛士隊が集まり、聖獣ユニコーンの引く馬車がやってきた。
集まった者を代表してマンティコア隊の隊長が尋ねる。
「お呼びでしょうか?」
アンリエッタは馬車からユニコーンを一頭外してひらりと跨った。そして下知を下す。
「これより全軍の指揮をわたくしが執ります!各連隊をすぐに集めなさい!」
それを聞いて隊長がにやりと笑った。アンリエッタが前を向けばすでに連隊はずらりと隊列を整え、出陣の命令を今か今かと待っているようだった。状況を知っていた魔法衛士隊の面々がすでに声をかけていたのだ。
「姫様ならば国の一大事に必ず動いてくださると思っておりましたれば、皆昂ぶっております」
「ありがとうございます隊長。では各々方、これより出陣いたします!」


全員が一斉に敬礼をする。アンリエッタはもう一度だけ『風』のルビーを見た。
『あの時』は自分では何も出来ず友に頼った。自分は愚かで無力だった。いや、自分でどうにかしようと試みようとさえしなかった。
だから今度は自分で動くのだ。ウェールズ様はきっと約束を守ってくれる。必ず戻ってきてくれる。けれど、待ってるだけなんてもうゴメンだわ。
「『国は守る』、『国民も守る』、『愛する人を迎えに行く』。全部やらなくっちゃいけないのが『恋する王女』のつらいところね」
でも『覚悟』は出来てるわ、やりきってみせる。誰にも聞こえない声で呟いてアンリエッタはユニコーンの腹を蹴った。
額の一角を誇らしげに陽光にきらめかせて、ユニコーンは駆けだした。その後を幻獣に騎乗した魔法衛士隊が口々に叫びながら続く。
「姫殿下に続けッ!」
「続けッ!駆けろ駆けろッ!後れをとっては家名が泣くぞォッ!」
「今こそ我らヒポグリフ隊の真の力を見せるときぞ!」
土埃の舞う中庭にぽつんと取り残されたマザリーニは天を仰いだ。
どんなに努力を払おうとも、いずれアルビオンと事を構えることはわかっていたはずだった。
だが、未だ国力は整わず、超然たる君主の存在のない状態では不満の声も高かろうと戦だけは避けたかった。
彼とて命を惜しんだわけではない。彼なりに国を憂い、民を思ってこその判断だった。小を切ろうとも負け戦だけはしたくなかった。
しかし姫の言うとおりであった。彼が傾注した外交努力はすでに水泡に帰していた。
もはや修復は不可能な状態だというのに、どこかで認めずにしがみついていたのだ。そんなことよりも、騒ぎ立てるよりも、やるべき事はあったのだ。
天を仰ぎ肩を震わせるマザリーニに、一人の高級貴族が近づき耳打ちした。
「枢機卿、特使の派遣の件ですが・・・・・・」
マザリーニはかぶっていた球帽をその貴族の顔面に叩き付けると、アンリエッタが自分に投げつけたドレスの裾を頭に巻いた。
「各々方!馬へ!姫殿下一人を行かせたとあっては、我ら末代までの恥ですぞッ!」




トリステイン魔法学院の門に、ウェザーとルイズは並んでもたれ掛かっていた。
アンリエッタの式に出席するルイズは今日からゲルマニアに向かうことになっており、本来ならば今頃は道中道半ば辺りで休憩を取って二人で昼食と洒落込んでいるはずなのだが――――
「・・・こないな、迎えの馬車」
「・・・そうね・・・」
ウェザーは空を見上げ、ルイズは始祖の祈祷書といまだに格闘しながら呟いた。
今朝早くには迎えの馬車が到着しているハズだというのにいっこうに迎えは来ない。すでに太陽は真上を通り過ぎて西に傾き始めている。完全に待ちぼうけだった。
「もうこれ、今日来ないんじゃないのか?」
「そんなはずないわよ。ちゃんと日時も確認したんだから」
「じゃ、お前が日時間違えたんだな」
「ちょっとなによそれ!」
「冗談だ、怒るなよ・・・っと、ようやく来たみたいだな」
ウェザーが壁から背を離して学院に伸びる道を見やった。ルイズも視線をやってみれば、確かに土埃が上がっているのが見えた。蹄の音も近づいてきている。
「でも、それにしては小さくない?本当に馬車かしら。なんか早駆けの馬って感じね・・・」
確かにルイズの言うとおり、それはお迎えと言うよりはかなり慌てた様子で駆けてきているようだった。
そして門前にやってきたそれは二人を迎える馬車ではなく、使者を運ぶ早馬だった。その背から降りた使者はかなり息せき切って二人に学院長室はどこかと尋ねると、全速力で駆けだしていてしまった。
「今のって王宮からの使者だろ?」
「そうね・・・何があったのかしら・・・・・・」
二人は顔を見合わせると使者の後を追った。


オスマンは式に出席するための用意で忙しかった。異臭感ほど学院を留守にするので様々な書類の整理に追われていたのだ。
「ふぅー・・・いかんのう、肩が凝って仕方ないわい。やっぱり秘書はいるかのう」
改めてミス・ロングビルもといフーケの事務処理能力の高さが惜しまれた。そこへいきなり扉が明け放れ誰かが飛び込んできた。
誰かと思い振り向くとどうやら王宮からの使者らしかった。そして使者は大声で口上を述べる。
「王宮からです!アルビオンがトリステインに宣戦布告!姫殿下の式は無期延期になりました!王軍が現在ラ・ロシェールに展開中!
したがって学院におかれましては、安全のために生徒及び職員の禁足令を願います!」
「宣戦布告とな?戦争かね?」
「いかにも!タルブの草原に敵軍は陣を敷きました!」
「アルビオンは強大だろうて・・・」
使者は悲しげに言った。
「敵艦は巨艦『レキシントン』号を筆頭に戦列艦が十数隻。上陸せし総兵力は三千と見積もられます。現在その上陸部隊はラ・ロシェールのトリステイン軍と睨み合っておりますが、我が軍の主力艦隊はすでに全滅、かき集めた兵力もわずか二千。
 未だ国内は戦の準備が整わず、緊急に配備できるのはこれが限度のようです。しかしそれよりも厄介なのが制空権を敵に奪われたことでしょう。敵軍は空から砲撃をくわえ、我が軍を難なく蹴散らすでしょう」
「現在の戦況は?」
「敵の竜騎士によってタルブ村は焼き払われたそうです・・・が、現在ウェールズ皇太子殿下を筆頭に近隣の領主が集結して村近辺で敵部隊と戦闘中とのことです」
「アルビオンの王子がか・・・して、同盟国は何をしているのか?」
「同盟に基づき、ゲルマニアへ軍の派遣を要請しましたが、先陣の到着には早くても三週間かかると・・・・・・」
オスマンは溜め息を吐いた。
「・・・・・・見捨てる気じゃな。敵はその間にトリステインの城下町をあっさり落として王宮に王手をかけるじゃろうて」




学院長室の扉に張り付き聞き耳を立てていたウェザーとルイズは顔を再び見合わせた。
戦争と聞いて、ルイズは蒼白になっていた。
タルブと聞いて、ウェザーは奥歯を噛み締めた。
そして、ウェールズと聞いたとき、二人は駆けだしていた。
ウェザーは真っ直ぐにコルベールのボロ小屋の扉を力強く開け放つと、何やら怪しげな色をした液体を凝視していたコルベールを呼んだ。
「おお、ウェザー君!今日からゲルマニアと聞いていたがどうしたのかね?」
「ガソリンはできてるのか!」
「ああ、樽五つ分だろう?それならほれ、そこに」
「じゃあそれを運んでくれ!今すぐッ!」
コルベールは最初こそ何事かと思ったが、ウェザーの剣幕にただならぬ事態だと察知してすぐに運んでくれた。
その道中でコルベールが事情を尋ねると、ウェザーは簡潔に説明した。
「なるほど・・・戦争か」
「ああ。そこに知り合いが二人もいるんでな・・・助けに行って来る」
「危険だよ」
「知ってるさ。でもそれ以上にあいつらが今危険なんだ」
そうか、と小さく呟いてコルベールは黙ってしまった。そしてゼロ戦の燃料タンクにガソリンを入れて貰い、ウェザーが操縦席に登るとルイズが座っていた。
「ルイズ!」「ミス・ヴァリエール!」
ウェザーとコルベールが驚きのユニゾンを奏でた。
「お前・・・追いつけなかったのかと思ったらここにいたのか」
「あたしも行くわよ」



「ままま待ちたまえミス・ヴァリエール!戦争だというのならば禁足令が出ていると言うことで、君は本学院の生徒である以上外に出すわけにはいかない!」
「ミスタ・コルベール。メイジは使い魔を従える者です。なのに、使い魔一人が戦場へ向かっていながらその主たるメイジが安全な場所でのうのうとしていられましょうか!いや、できるはずがありません!
 使い魔を従える以上、その眼に貴族の背中というものを焼き付けなければ貴族を名乗ることは出来ませんッ!」
ルイズの口調から譲る気がないのを察したコルベールはため息をついた。
「仕方ないですね。そこまでの覚悟があるのであれば、行きなさい。ただし、無事に戻ってくることが条件です」
ルイズはにわかに顔を明るくしたがウェザーはまだ納得してはいなかった。
「戦場に行くんだぜ?それもアルビオンの時とはワケが違う」
ウェザーはなんとか言い含めようとしたが、ルイズはいっこうに聞こうとしない。
「じゃあウェザーはわたしが邪魔だって言うわけ?」
「そこまでは言ってないが危険だってだけで・・・」
「だいたい卑怯じゃない!わたしにだけ自分が必要かどうか聞いて、アンタにはわたしは必要ないって言うの!」
「ルイズ・・・」
「わたしっていつも助けられてばっかりで、少しくらい力になりたいのよッ!」
口をへの字に曲げてルイズはそっぽを向いた。心なしか顔が赤い。
「べ、別にアンタに『必要だ』なんて言って欲しいんじゃなくて、純粋に姫様が心配なだけなんだからねッ!」
「ふぅ・・・わかったよ好きにしろ」
時間が惜しいウェザーはため息を漏らしてルイズを席の後のスペースに押しやった。
本来なら無線機が積んである場所だが、この世界では無用の長物でしかないので取り外していたのだ。
「だが、言ったからには文句は言うなよ」
「任せなさいよねッ!」
「何を任せるのかしら?」



二人のやり取りの間にコルベールのものでない第三者の声が割って入った。声の方を向けばキュルケとタバサが立っていた。
「あなたたち何でここに?」
「さっき走ってるルイズを見かけたのよ。ゲルマニアに行ってるはずのあなたが何でここにいるのか気になって後をついていったらダーリンが何やら慌ててるじゃない」
「話は聞こえた」
ウェザーは大きく溜め息を吐いた。自分一人で行くつもりだったのがルイズがついてきて、キュルケも事情を聞いたなら首を突っ込むだろう。
そうなればタバサも動くに違いない。
「来ないでくれなんて、言わないでねウェザー」
「勝手にしろ。死んでから文句言うなよ」
その言葉にキュルケは愉快そうに笑った。タバサの眼鏡が光る。命を懸けて戦いに赴く。
かつての仲間たちを思い出して涙腺が緩んだのをごまかすようにシエスタから譲り受けたゴーグルをかける。
ウェザーはエンジン始動の準備にかかり、前回のように風を起こしてプロペラを回しエンジンを始動させた。そして左手のルーンで各部計器を触り状態をチェックし、機銃も確認した。弾は入っている。翼の機関砲も問題ない。
『アウストリ』広場を滑走路に見立ててゼロ戦を移動させる。深呼吸を一つしてから操縦桿を握りスロットルに手を乗せ、スロットルを上げていく。
滑走路にしては距離が足りないが、足りない分は風で補う。正面から烈風が吹き荒びゼロ戦は加速する。スロットルが一気にマックスになり、機首を上げて大空に舞い上がった。そしてタルブめがけて風を裂いて駆け出す。
その光景を興奮した様子でコルベールは眺めていた。手に汗を握り目を輝かせる。
「おおおお!すばらしいッ!本当に空を!あの鉄の塊が空を飛んだッ!見たかね君たち・・・」
そう言ってコルベールが振り返った時にはもうすでにキュルケとタバサはシルフィードに乗っているところだった。



「・・・ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ。戦争という渦に飲まれないように気をしっかり持ちなさい。火が破壊し蹂躙するだけのものだなどと、思わないでくれ」
「・・・はい。いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけて」
その言葉を受けてタバサがシルフィードに合図を出す。翼を羽ばたいて体を浮かすとゼロ戦と同じように低空滑空をして広場を駆け抜けた。
その姿をしみじみと眺めていたコルベールの真横を風が駆け抜けた。
「タバサ、少し急ぎめで行きましょう。竜の羽衣に追いつかなきゃ」
キュルケに呼びかけられたタバサが振り向いたとき、視線がキュルケを越えて後方を捕らえた。
「・・・・・・キュルケ、振り返ってみて」
キュルケは不思議に思いながらも首を回した。そしてそこで見たものは、
「ギーシュッ!」
ハイウェイ・スターも真っ青なダッシュでシルフィードの後を追いかけるギーシュ・ド・グラモンだった。普段の優雅な表情はどこへ行ったのかというほど必死の形相である。
「キュルケェェェェェ!タバサァァァァァ!行くよッ!僕も行くッ!行くんだよォ――――――ッ!」
必死になって走るギーシュの姿を見てキュルケは微笑み、タバサもしっかりとギーシュを見た。
「僕に『来るな』と言わないでくれ――――ッ!僕も仲間なんだッ!僕だって――――ってあれー?加速してない!ちょっと!ねえってばッ!」


ギーシュの言うとおりシルフィードはどんどん離れていってしまっている。しかもその背の上でキュルケがうふふふ、と笑っているのだ。
「ちょ、ここは普通止まるでしょ?ねえ!Uターンするとかさあッ!常識的に考えてここで加速とかありえねーッ!」
そうこうしているうちにもシルフィードは壁を目の前にして離陸を始めていた。ここで逃したらマジで置いてけぼりな気がした。ていうか絶対戻ってこない。
ギーシュは急いで杖を取り出すと『練金』を唱えワルキューレを七体作り出した。そしてそのワルキューレたちが次々と肩車をしていき、ついにシルフィードの尻尾を掴んだ。
「きゅいきゅい―――ッ!(そこダメ―――ッ!)」
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!」
そして走った勢いをいかしてワルキューレの階段を駆け上がり、なんとかシルフィードの背に登ることに成功した。荒い息のままガッツポーズを取る。
「ッダーーーッ!」
「ダーじゃないわよ」
キュルケがギーシュの頭をひっぱたいた。
「あんたが邪魔するからダーリンたちを見失っちゃったじゃないのよ!どーしてくれるの?」
「へ?え?い、いや、そんなこと言ったって君たちが止まってくれないから実力行使に出ただけであってだねぇ・・・・・・」
しかしキュルケもタバサも責めるような視線で見てくるので徐々に萎縮してしまった。シルフィードまで視線をこっちに送ってくるのだ。
「え?あれ?ぼ、僕が悪い・・・の?いや、いやいや!騙されないぞッ!僕はちゃんと待ってくれと言って君たちだってリアクションしたのだからだね・・・・・・」
しかし視線は一層突き刺さる。
「あーあ、本当がっかりだわ。そうやって自分の非を素直に認められないから二股ばれて逆切れするのよね」
「はうッ!」
古傷を突っつかれてギーシュは隅っこで丸くなってしまった。
「ま、アレは放っておいてさっさと追いつきましょう」
シルフィードが力強く両翼を羽ばたいて風をつかみ加速する。目指す場所は、夕暮れの戦場。





烈風が人間を塵の如くに吹き飛ばし、土塊が人を易々と挽肉にして紅蓮の炎が肉を焦がしていく。夕日によって橙に染まった戦場で、戦闘は熾烈を極めていた。
ウェールズたちの前に現れた新手の部隊はそのほとんどをメイジで構成されておりその圧倒的な火力でもって迫ってきたのだ。メイジ不足のウェールズたちは苦戦を強いられたが――
「おおおお!」
ウェールズは杖を振るいメイジの首を打った。奇妙な音とともにメイジの首が弾けて回った。振動が手に伝わる。
それもそのハズで、敵はメイジなのに全身甲冑を着込んでいるのだ。確かに魔法があるから動かなくとも攻撃できるが、こちらの接近にはまるで対処できていなかった。
魔法による被害はあるがそれ以上の被害を相手に与えているのが現状だ。アニエスが身軽に敵の懐に潜り込み甲冑と兜の隙間、喉の部分に下から剣をぶち込み絶命させていた。しかし他のメイジが剣の射程外から魔法でアニエスを狙っている。
だがアニエスは焦ることなく腰から銃を引き抜くと杖を持つ手めがけて発砲した。動きの緩慢な甲冑メイジの指の骨をへし折り杖を落とさせると、そのまま間髪入れずに接近して脇の下の隙間に剣を差し込み中身をかき回す。
「メイジとは言え所詮は人間だッ!我らの剣で殺せるぞ!怯むなッ!」
アニエスの気迫のこもった声に押されて他の兵たちも敵に向かう。アニエスほど卓越した者は少ないがすでに数の利が出来始めている。
最低でも二対一を徹底させることで充分メイジにも対処できていた。
深追いさえしなければ問題はない。気がかりなのはいまだに村人の護衛班から連絡がないことだが・・・
状況を把握していたウェールズに向かって魔法が飛んできた。それを素早く『エア・ハンマー』でたたき落とすと、間髪入れずにその魔法の主に向かいエアカッターを放った。
敵メイジは甲冑を真っ二つに割られて体からも血を吹き上げて倒れた。
「よしッ!ここは我らで押せる!右翼はそのまま村び――――ッ?」
ウェールズは固まってしまった。今し方倒したはずのメイジが再び立ち上がったのだ。だけではない。甲冑のメイジ全員がまるで操り人形のように起きあがって来るではないか。そしてなによりウェールズが驚かされた事は、そのメイジの顔だった。
「父上・・・・・・バカな・・・」



それはかつて父と慕い、王として背を追いかけた者の姿だった。
顔面を裂かれ血を噴きだして力無く立つその姿でも、ウェールズのその身に流れる血が感じさせる親子の絆がこの異形を父だと訴えているのだ。
まさかと思い辺りを見渡せば倒れ兜を飛ばされた者達の顔にはどれも見覚えがあるものばかりであった。ともに歩み、ともに戦い、己に思いを託して逝った者達だ。
隊は動揺を隠しきれていない。倒したはずの敵がよみがえったのだから。甲冑をつけさせたのもただ単にこの自分の手でかつての家臣を殺させるためだけの趣向だろう。
そしてこんな悪趣味な事を考えついた男の張り付けたような笑みが脳裏によぎった。
「おのれ・・・おのれッ!我が祖国を蹂躙するだけでは飽きたらず、我が家臣の死まで愚弄するというのかッ!おのれ!おのれェッ!クロムウェル―――ッ!」
「なにを・・・叫んでおるのだ?我が息子よ」
力無く曲がった首から脳漿をこぼしたままの父王が息子に笑いかけた。優しく笑いかけた。
その瞬間、ウェールズは何かを叫んだ。だが声になっていたかはわからない。ただ、叫ばなければきっと自分は決断できなかった。父を再び殺すことの決断を。
ウェールズは歯を食いしばった。そして呪文を唱え杖を父だった者に向ける。放たれた風の刃は首を切り落とした。そして杖を掲げ叫ぶ。
「全軍うろたえるなッ!敵はクロムウェルの手によって操られているだけの者達だ!手を断ち首をはねれば魔法は使えぬ!」
そして手本を見せるかのように、死者の群に飛び込んでいった。



ラ・ロシェールの街に立てこもったトリステイン軍の前方五百メイル、タルブの草原より三色の『レコン・キスタ』の旗を掲げた軍勢が行進してくる。
その奥からは煙が上がり、ウェールズたちの戦闘の断片が窺える。
そして茜色の空を遮るようにアルビオン艦隊が居並び艦砲射撃をトリステイン軍に浴びせてきた。
着弾し爆発した轟音とともに岩と人馬が宙に舞い上がる。圧倒的な力を前に味方は浮き足立ち、士気はまるで去り際の嵐のように瞬く間に萎んでいってしまった。
生まれて初めて目の当たりにする戦場にアンリエッタは震えた。だがそれを周りに悟られるわけにはいかない。薬指のルビーを包み込むと気が落ち着ける。
近くにいたマザリーニが耳打ちをした。
「殿下が要です。あなたが取り乱せば軍は瞬く間に瓦解し潰走しますぞ。決して取り乱してはいけません」
そしてすばやく将軍たちと打ち合わせる。トリステインは小国ながら歴史のある国である。由緒正しい貴族がそろっている。兵力比におけるメイジの数は各国の中で一番多いくらいだ。
マザリーニの号令で貴族たちは空気の壁を空に作り出し砲弾を跳ね返し始めた。それでもいくつかは地に落ち多くの命を奪っていく。土埃と悲鳴が上がり、砕けた岩と鮮血が舞った。
「敵はこの砲撃が終わり次第一斉に突撃してくるでしょう。夜になってはそれこそ敵艦が猛威を振るいますぞ。とにかく迎え撃つしか手はありません」
「勝ち目はありますか?」
「・・・五分五分でしょうな」
悲痛そうにマザリーニは伝えた。
アンリエッタは前奏には疎いがそれでも目の前の現実がどういうことを意味するのかぐらいはわかっていた。それでもやらなければならない。己の責務と覚悟を果たさねばならないのだ。
アンリエッタは再び『風』のルビーを胸にそえた。その時、鈍い音とともにルビーの指輪の部分に亀裂がはしった。アンリエッタは迫り来る軍隊のさらに奥を見る。
「ウェールズ様・・・・・・」



ウェールズの隊は今危機に陥っていた。
ウェールズは四肢を断ち首をはねろといったが、それも甲冑に阻まれてしまいそれが難しい。
しかも相手はダメージを怖れないので無防備でも長い詠唱を唱え強力な呪文を使ってくる。
隊列は崩壊しかけており、崩れ出すのは時間の問題だろう。
ウェールズ自身も直撃こそ避けてはいるがいくつも傷を負っており、すでに馬を失っていた。精神力も切れかけて血を失い朦朧とする意識をつなぎ止めていたのは二つの誓いだった。
アルビオンから亡命する際にした、必ず祖国に『帰る』と言う約束。そしてアンリエッタと交わした、必ずそばに『帰る』と言う約束。その二つがウェールズの心臓だった。
必ず生き抜く。必ず生きて祖国に帰ると決めた。もう二度とどこにもいきはしないとアンリエッタに誓った。必ず帰ると約束した。
「おおおおおおおおおおおおッ!」
だから生き抜くのだ。
しかし現実はあまりにも無情。
「ウェールズ様ッ!」
アニエスの声に気づき振り返ったとき、すでに氷の矢が眼前に迫ってきていた。魔法も回避も間に合わない。
(アンリエッタ・・・・・・僕は・・・帰る・・・・・・)
何かが砕けるような音が戦場に紛れて消えた・・・

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