ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第十二話 『香水の乙女の誇りに賭けて』前編

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ギーシュの奇妙な決闘 第十二話 『香水の乙女の誇りに賭けて』前編

「……?」

 扉の向こうから聞こえ始めた喧騒に対する承太郎の反応は早かった。
 ギーシュ達を片手で制して会話を切り上げ、ジョリーンと共にソファから立ち上がってオフィスの外へ出る。
 呼ぶまでもなく隊員の一人がすっ飛んできて、承太郎達の前で敬礼した。

「何があった?」
「隊長! ミスタ・ポワチエが、来客と共に逃走しました!」

 来客。という事は、ギーシュの連れの誰かという事か……クラウダ・ド・ポワチエは犯人でこそないが、犯人逮捕の為に必要不可欠な人間だ。
 それに苦もなく逃げられると言う大失態は、普通ならば叱責すべき事態だ。
 だが、承太郎はそんな事をしようとは思わなかった。彼は自分の部下たちを信用していたから、何か理由があると感づいたのである。

「客を人質にでも取られたのか?」
「いえ……ケビンの話では、来客の少女が取調室に乱入し、その隙を突かれたようです。ただ、そのときの言動から予め内通していた可能性は少なく、ミスタ・ポワチエがトラブルを利用して脱走したと考えられます」
「連れて行かれた客は?」
「……モンモラシ家のご息女だそうです。
 我々も何とか止めようとしたのですが、元々待機人数が少なかった上に、ミスタ・ポワチエの眼暗ましでかく乱されてしまい……申し訳ありません」
「いや。謝罪はいい……それより、ケビンをつれてきてくれ。詳しい話が聞きたい。
 ジョリーン、お前は彼らを連れてミスタ・ポワチエを追ってくれ。俺達もすぐに行く」
「あいよ」

 手短に指示を出す承太郎に、ジョリーンは軽い返事に重い意思を乗せて動き出した。隊員も敬礼を返した後に走り出し、その場からいなくなる。
 オフィスの扉の前で一人……承太郎は、取り出したタバコを咥え、火をつける。

「だ、そうだ」

 短く背後の扉……その向こうで聞き耳を立てている気配に告げてから、紫煙を胸いっぱいに満たす。
『スタープラチナ』を発現させて、背中合わせになるように扉の前に立ちはだからせた。
 予想通り、扉が開くと同時にギーシュが勢いよく飛び出してきた。スタープラチナでその体を押さえつけると紫煙を吐き出して、

「は、放してくださいッ!」
「落ち着け、ギーシュ……」
「落ち着いていられるはずがないでしょう! モンモランシーに何かあったら……!」
「今、俺の部下で詳しい事情を知っている奴がやってくる。そいつの話を聞いてからでも遅くはない……今飛び出して言っても、相手がどこにいるかわからんだろう」
「わかるっ!」
「?」

 即答するギーシュの声に、承太郎は片眉を跳ね上げた。勢いで反論したように聞こえる台詞だが、言い放ったギーシュの表情には一切の迷いがなかったのだ。

「僕には、今モンモランシーの居る場所がわかる! 確実に!」


☆★☆★


 ……運がいいのか悪いのか。なりふり構わず全力疾走しながら、クラウダは目の前に転がり込んできたチャンスの性質を決めあぐねていた。
 『星屑騎士団』から逃走できたのはいいが、その際に独占した情報を漏らしてしまった。
 確かにあのまま拘束されていたら相手に逃げられたかもしれないが……果してそれは、情報面での優位を放棄する価値があるのか。
 しかも、『星屑騎士団』が両右手の男を探して動き回ったら、敵は地下に潜ってしまうかもしれない。
 敵が多く用心深いあの男を殺すには、あくまで隠密に事を運ばねばならなかったのだ。

 チャンスの運び手の名前はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ……彼の弟の婚約者、その姪であり、彼自身も一度顔を合わせている少女である。
 最初にあった時はそんなに強い印象を抱かなかったが……先程垣間見た怒りと姪を思う涙で潤んだ瞳は、驚くほど強烈に彼の心に焼き付いている。

(まさか、彼女も同じ目的で?)

 弾けるように駆け出していった彼女が、自分と同じ目的を抱いたのかどうかはわからなかったが……たとえそうだとしても、譲るつもりは毛頭無い。
 所詮は学生の身分……裏の世界でも名の知れた『両右手の男』を見つけ出せるとは思えない。放っておいても大丈夫だろうと判断する。

 思考にふけろうとしている自分に気付き、思いなおす。情報的優位を失ってしまった以上、彼の目的を達成するには行動の迅速さが重要……考えている余裕があるのなら、そのエネルギーを足の回転に回すべきだ。
 まずは、待ち合わせている傭兵達と合流。使い魔のフェレットを使い、ピエモンの薬屋一帯を探索し、見つけ出し次第襲撃する……本当ならもっと入念な計画を立てていたのだが、時間がない以上白紙に戻して、行き当たりばったりの計画に変更せざるをえなかった。

 全力疾走する貴族と言う珍しい光景に、道行く平民たちが揃って視線を送ってくるのを感じながら、クラウダは走る。

 ……合流予定の酒場の近くにやってきた時、クラウダは自分の見通しが、はちみつ漬けのチョコレート並に甘かった事を思い知らされた。

(ッ!?)

 見えてきた酒場の入り口を、大勢の人間が遠巻きに囲んでいた。風に乗って鼻腔に香る葉、濃厚な血の匂い。
 酒場自体は普段なら閑古鳥が鳴くような場末屋だ。常ならばありえぬ状態に、立ち止まったクラウダの背筋を悪寒が駆け抜け、衝動的に酒場へと走り出す。

「ちょ……ちょっとどいてくれ!」
「おい! ここは立ち入り――」
「私は軍の者だ! 衛士風情が口出しするな!」

 人の壁を掻き分け、制止する衛士の声を権力で黙らせて。
 やっとの事で垣間見る事のできた、酒場内の光景は……血の海だった。


☆★☆★


 復讐。
 そんな行動を自分がとることはないだろうと、モンモランシーは漠然と思っていた。
 だが……そんな思い込みや漠然とした予想など、現実の前には何の意味もないのだと思い知らされる。
 彼女は今……見たこともない犯人に復讐するために、杖を握っていた。

 ピエモンの薬屋は、モンモランシーの行きつけの店の一つだ。
 町に香水を売りに出る時もその付近の店を仲介しているため、地理構造ならば下手な住民よりも余程詳しい……横道、抜け道全て知っている。
 そんな抜け道の一つを駆け抜けながら、モンモランシーの脳裏に浮かぶのは死んだという姪の事。

 信じたくなかった。姪が下衆の妄想のような事件に巻き込まれた挙句に自殺したなど。
 けれど、クラウダの言葉は騎士団の取調室で吐き出された者であり、審議の対象としてすら扱われず、取り調べていた騎士もその事実を否定しなかった。
 クラウダと姪の婚約者は二人っきりの兄弟……人違いと言う可能性の芽は、最初っから生えてすらいない。

 姪は死んだ。
 この世に絶望して自殺した……第三者の悪意が原因でだ!

 その加害者を、許せるはずがない!
 モンモランシーを突き動かしている動機の中に、平民に対する差別意識がなかったといえば、嘘になるだろう。
 だが、それ以上に彼女の動機の主成分は、憎しみと悲しみが大半を占めていた。
 そして思うのだ。かつて、『銀の戦車』を象徴するスタンド使いが、妹の墓前で誓ったように。
 妹のように一緒に育ってきた姪の魂の尊厳を、自分の手で取り戻す!
 昔の彼女ならば、敵を憎みつつも相手を殺そうなどとは思いもしなかったに違いない。
 敵討ちなどと言う行為をするほどには激しい正確ではないし、魔法も戦闘向きとはいえないのだから。
 なんだかんだと自分に言い聞かせて、耐える……そういう少女だったのだ。彼女は。

 だが……

『恋人が殺されてから呪文を唱えやがって! そこはオレの銃の射程の外だっ! 汚 ら わ し い ぞ っ ! 』

 かつて、ゼロの使い魔に言い放たれた言葉。
 ギーシュに成長へのきっかけを与え、ルイズと才人をめぐり合わせたあの男の存在は、モンモランシーの精神にも色濃い影を落とした。
 ギーシュのように心の奥底に憧れたわけではない。だが、『汚らわしい』とまで言われて反論できないのは、貴族の恥であり、名誉を汚す行為である。
 リンゴォと言う男に対する反感が、モンモランシーの心をほんの少しだけ変質させていた。否……正確には、全ての『言い訳』を封じていたのだった。


☆★☆★


 メイジ殺し。
 貴族からそう呼ばれ恐れられるほどの使い手達が、十数名……己が流した血の海に横たわり、狭い店内にひしめくように事切れている光景は、何も知らぬ者に恐怖を、知る者に戦慄を与える。

(ば、馬鹿なッ!?)

 彼らの実力を最もよく知る、雇い主であるクラウダからすれば悪夢のような光景だった。静止する衛士の声をスルーして、躊躇わず店内に踏み入った。
 ……その足運びに気遣いはなく、一歩進むごとに踏み出した足が血溜まりに沈み、血が跳ねて真紅のシミがズボンを彩る。
 惨劇の場のど真ん中に着いたときには、二度と外出に使えないような有様になっていたが、クラウダは構わなかった。

 彼の意識の焦点は、完全に血の海を作り出した存在……傭兵達の死体に向いている。
 全員が全員、喉を切り裂かれて事切れており、ズボンにしみこむ血はまだ生暖かく、傷口からは湯気が立っている……文字通り死にたてのほやほやのようだった。
 屈みこんで傷口を指でなぞり、その鋭利さを観察する、喉を切り裂いたその切り口は、剣の素人であるクラウダから見ても見事としか言いようがなかった。

 剣、斧、槍……各々の獲物でトライアングルやスクウェアと対等に渡り合うようなバケモノ達が、これほど大勢集まっていながら何が起こったのか。
 せめてそれを知ろうと辺りを調べていたクラウダは、そのうち恐ろしい事に気が付いた。
 テーブルやカウンターが血に染まり、ワイングラスにはワインの代わりに並々と血が注がれている……が、テーブルや椅子などの備品には、破壊の痕跡が一切見当たらなかった。何処を見回しても戦闘が行われたような痕跡を見つけ出せず、クラウダは愕然とする。

(て……抵抗も出来ずに、一方的に殺されたと言うのか!? こいつらが!)

 これほどの惨劇だと言うのに!
 歴戦の勇者として知られるメイジ殺しが! まるで巨象の前の蟻のようにあしらわれたと言う事実がそこに転がっていた!

(い、一体誰が……!?)

 愚問だった。
 彼が調べた敵の情報と、彼らの死に方……集めた情報をかき集めれば辿り着く結論はたった一つ。
 犯人は両右手の男。
 こちらの行動を完全に察知し、行動に移る前に奇襲を仕掛けてきたのだ……!

(ルーパ! ルーパ!)

 使い魔と使役者の絆を介し、クラウダは己が使い魔に呼びかけた。先行して付近の路地裏を駆け回っているはずの、己が分身を。
 目を閉じ、視覚聴覚をリンクさせようと試みるも、繋がらない。
 ノイズが走るとか妨害されているとかそういうレベルではなかった。
 そもそも……使い魔との繋がり事態が感じられないのだ。そして、ラインが消滅するなど使い魔が死にでもしない限りありえない。

「……ルーパに気づいていたと言うわけか」

 己の使い魔が既にこの世にいないことを確信し、自嘲の笑みを浮かべる。
 使い魔がばれたから計画が察知されたのか、計画が察知されたから使い魔がばれたのか……兎も角、自分が保有していると信じていた情報上の優位など、まやかしだったわけだから。
 敵はクラウダの使い魔の存在を察知し、それを消した。ならば、ここで自分一人の事を知らないと考えるのは愚の骨頂である。
 自分の事……それこそ、動機に至るまで知られていると思わなければならない。

「――ッ!」

 敵が自分からやってきてくれるのならば、話は早い。たとえ囮が自分の命だったとしても、クラウダはそこに好機を見出した。
 今重要なのは、死体がまだ暖かいという事……犯行から早々時間がたっていないという事だ。今から探せば見つけられる可能性が高いし、クラウダが敵の立場ならば……

(何処かから、この酒場を見張る!)

「ちょ、ちょっと! 困りますよ!」

 わたわたと血の池にビビリながら声をかけてくる衛士をぎろりと睨むクラウダ。貴族から睨まれると言う心臓に悪い事態に硬直する衛士に、質問が飛んだ。

「おい。この事件の目撃者はいるのか?」
「は?」
「この事件の目撃者はいるのかと、聞いているんだ」
「い、いえ……酒場のマスターも、事切れてましたし、従業員は一人もいませんから……そもそも、私がここに来たのも、私自身が悲鳴を聞いて駆けつけたからでして……」

 衛士の指差す先、転がった死体の一つは、確かにこの酒場の経営者のものだった。
 謎だとされている敵の戦闘手段の手がかりでも手に入ればと思ったのだが……思い通りに行かない現実に舌打ちし、クラウダは店の外へと飛び出した。
 途端に、周りの野次馬から悲鳴が上がる。当たり前だ……ズボンは勿論の事、傷口を検分した際に上着にも血液が付着しており、クラウダの全身は赤くない場所のほうが少ないような有様だった。殺人鬼当人かと言う外見のまま、クラウダは辺りを見回し、探す。

 そして――見つけた。
 人垣の奥の億、路地裏の入り口。
 ニヤニヤ笑いながらこちらに手を振る男。
 振られた左手は……『右手』だった。

(あいつが……!)

 クラウダの憎悪に染まった視線を受けると、男は更に笑みを深めて、路地裏に飛び込む。
 意図的に姿を現した上に、誘うような仕草……罠以外の推測が困難な状況に、クラウダは躊躇いなく飛び込むことを選ぶ。
 己の身の心配など、怒りと憎しみの炎に焼き尽くされて残っていない。

「待てッ!」

 弟を殺した男。弟に絶望を与えた男。
 駆け出しながら……憎い敵の名をクラウダは叫んだ。

「『J・ガイル』ッ!!!!」


☆★☆★


 もうすぐ目的地である薬屋に出る、と言うタイミングだった。
 駆けていたモンモランシーの右足に、衝撃が走った。

「痛っ!?」

 どさぁっ!

 ゴミ捨て場から突き出した木材に躓き、走っていた勢いのまま無様に倒れこむ。しかも路地に溜まっていた汚い水溜りのど真ん中に飛び込む形になった。
 水がはねてその顔を化粧して、高級品である学院の制服にしみこみ汚す。悲惨な姿になってしまったが、モンモランシーはショックを受けたりはしなかった。

「このっ……程度ッ!!」

 歯を食いしばり、服が更に汚れると言うのに、躊躇わずに水溜りに手を突いて立ち上がる。
 今、彼女を突き動かしているのは、姪を穢し自殺に追いやった犯人に対する憎しみと怒りであり、些細な事に気をかけている余裕はない。
 何処にいるのかも分からない。
 探し出せる保証もない。
 倒せるかどうかも分からない。
 ないない尽くしで冷静になれば自嘲を心がけるような状態だと言うのに。
 止まれなかった……止まりたくなかった。

 服を染める汚らしい彩色にちらりと視線を向けるだけで、走り出そうとしたが、そこで異常なことに気が付いた。

「……?」

 両目を瞬かせ、改めて自分の服とそれを染める色彩を眺める……視界に移った汚いシミは、眼にも鮮やかな赤色だった。
 勿論、路地裏の水溜りがこんなに鮮やかな色をしているわけはない。
 そして、鼻腔を刺激する鉄錆のような匂いは……!!

(血!?)

 一瞬、転んだ時に怪我でもしたのかとあわてたが、それにしてはおかしい。
 一瞬でこれほどの出血があるような怪我を負ったのならば、何らかの痛みがあるはずなのに、神経は何の痛みも伝えてこない。
 慌てて自分が転んだ水溜りに視線を凝らせば……

「――ッ!?」

 彼女が突っ込んだそれは、水溜りなどではなかった。血溜りですらない。
 ……血と、肉と、内臓がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた、ミックスジュースのような代物だった。それが水溜りのように地面にわだかまっていただけだったのだ。
 唯一の幸いは、それが人間のそれではなく、明らかに小動物のものだったという事か。
 間一髪で胃からこみ上げてくるモノをこらえられたのは、彼女を突き動かす感情の賜物か。

 血の泥濘の中にぽつぽつ沈む体毛や形を残した四肢で、それが元々は小動物であったことが分かる……鼠か何かが人に踏み潰されたのかという、出来立ての予測はたった一つの奇妙な点によって打ち消される事になった。
 何処を探しても目玉や髭と言った、『顔』を象徴する部分が無いのである。普通に踏み潰されたのなら、その残滓くらいは残っていても良いのに。

「これって一体……?」

 敵を追い求めているところに、変死した動物の死骸……モンモランシーはどうしても無関係には思えずに、考え込んでしまった。



 彼女のこの行動から発生した結果は、幸か、不幸か、どちらだったのだろうか?
 敵を捜し求めると言う目的からすれば幸運であり、自身の安全と言う意味では不運だった。


 彼女の思考は、道の先から聞こえてきた足音によって、強制的に中断を余儀なくされた。

 誰かが来るのか。
 このままここにいたら、この惨状の犯人扱いされないか。
 まさか、両右手の男なのか。

 様々な思惑が、一瞬にして彼女の脳裏を駆け抜けて……最後の一つだけが、的を射た結果となった。

 モンモランシーの視線の先、道の奥の角から飛び出して、自分に向かって走ってくる人影。
 自然と視線の集中したその人物の左手は……『右手』だった。
 己を支配する感情に従い、彼女は両方の手が右手の形をした不気味な男に向かい、手にした杖を構えた。

「止まりなさいッ!」

 一喝するも、相手はとまる気配すら見せず、それどころか加速してこちらへ向かってきている。
 メイジ相手に杖を片手に恫喝されて、動揺すらしないなど明らかにおかしい。
 そして、男の更に後ろからは、聞き覚えのある男……クラウダの怒声が響いてきていて。
 決定的だった。間違いない。
 この男が……クラウダの話していた、『両右手の男』!

 自分が見た相手が、目的の男だと気が付いた瞬間、モンモランシーの全てが灼熱した。
 脳裏を姪との愉しい思い出の全てが刹那のうちに駆け抜けて、次いで火花が散りそうな程の激情がその体を満たす。

(こいつがっ! あの子を!!!!)

「止まれといっているのが聞こえないの!?」

 感情の赴くまま、命じるままにモンモランシーは詠唱を開始した。
 唱えるのは、彼女が唯一覚えている攻撃呪文……ウォーターキャノンという、高水圧で噴出した水で相手を打ち据える魔法である。
 魔力の強い者ならダイアモンドでも打ち砕く事ができる呪文で、魔力が低くても気軽に扱えるため、水属性のメイジに護身用として愛用されている。
 未熟なモンモランシーが撃ったとしても骨にヒビを入れる程度の威力はある。

 そして、彼女は手加減するつもりなど毛頭無かった。
 殺意すらあったと言っていい。苛烈な意思をルーンに変えて紡ぎ、編み上げられた魔法を解き放とうと杖を振るって……その動きが、止まった。

「か……はっ!?」

 呼吸が出来ない。まるで、見えない何かに締め付けられるような感覚が、モンモランシーを襲う。
 紡がれていた呪文が途切れ、手にした杖も取り落とす。自由になった両手を喉に当ててかきむしるも、抵抗の甲斐なく意識を手放すことになった。
 不可思議な事に、彼女が意識を失ってもなお、彼女の体はその場に立ったまま……否、『吊るされた』状態になる。
 その細い喉は……『見えない手』に絞められているかのような形に歪んでいた。


☆★☆★


「――あれは!?」

 J・ガイルを追っていたクラウダは、曲がり角を曲がったところで信じがたい物を見た。
 相手が角を曲がってから、自分が曲がるまでのほんの僅かの間に、いつの間にか相手が、見覚えのある金髪の少女を担いでいたのだ。

「モンモラシ家の……! クソッ!」

 いきなりの事に混乱するクラウダだったが、仇敵を追う足が止まる事はない。
 何故彼女がこんな場所にいたのか、何故敵に捕まっているのか……それらの疑問も全て後回しにして、クラウダは走る。
 途中にあった血と肉の水溜りを見て……彼はそれだけで、その主成分が何なのか、生前はどんな姿だったのかまで想像する事が出来た。

(ルーパ!)

 分からないはずがない。
 それは、彼が学生時代から親しんできた、己の使い魔……その、成れの果てだったのだから。

(挑発のつもりか、J・ガイル……)

 わざわざその場にそれを仕掛けたであろう目の前の逃走者に対し、クラウダは歯をかみ締める。

(そんな事をする必要はないぞ……私は、貴様の姿を見た瞬間から、これ以上ないほどに『キ』てるんだっ!)

 彼の精神もまた、モンモランシーと同じ状態にある。
 体を突き動かすのは激情であり、その心を染めるのは怒りであり、理性を封じるのは憎しみであり……総じて復讐心と呼ばれるモノだった。

 彼は弟を愛していたし、弟も彼を愛していた。彼にとって弟の恋人は将来の妹であり、本当の妹のような気持ちで接していた。
 弟とケーキの大きさで喧嘩をしたのも、勇者ごっこでどちらが勇者をやるか争ったのも、母親にダッコをせがむ弟を叱り飛ばしたのも……皆、昨日の事のように思い出せるいい思い出だ。
 その思い出の暖かさが、彼の復讐心に油を注ぐ。

(貴様は……弟の今までの人生を! 誇りを! 名誉を汚した!!
 私の命と引き換えにしてでも償わせてやる!)

 その滾る復讐心の対象が、横に並ぶ廃屋の一つに飛び込んだ。
 ここが終着点という事か。一体奥に何が仕掛けられているのか……あんな殺戮を平然とやる男の罠となると、かなりぞっとしないが、クラウダはそれでも止まらない。
 後を追うようにして廃屋に飛び込み、絶句した。


☆★☆★


「これは……?」

 そこは、奇妙な空間だった。
 元々はかなり裕福だったのだろう。入り口の正面に巨大なバルコニー、正面には壁際まで延びてから左右に分かれる形の大きな階段。
 左右には豪華な部屋が立ち並び、絵画や装飾品があった……『だろう場所』。
 それらは全て過去形で語られるべきものであり、現在の屋内は荒れ果てたの一言では表現できない惨状であった。

 絨毯や貴金属と言った高級品は一切無く、むき出しでボロボロの床と朽ち果てた壁面。
 二階へと繋がっていたであろう階段は既に崩壊しており、瓦礫の山が目の前に立ちはだかる……そして、何故かそれらの場所にぶちまけられた、無数の『鏡』。
 挙句の果てに、天井はすべて崩れ落ちており、降り注ぐ光とそれを反射する大量の鏡は、いっその事神秘的であった。

 呆気に取られたのは一瞬だった。クラウダは気を取り直して、館の中に踏み込み声を張り上げる。
 何処を探しても相手の姿が見えないという事は……ここが、敵にとっての終着点なのだろう。
 いつ攻撃が始まってもおかしくない状況に、周囲を最大限に警戒しながら歩を進める。
 瓦礫の山の上に、飾り付けられるようにしておかれた自分の使い魔の生首を見つけ、憎しみが一掃深まった。
 不穏な気配があれば、すぐにでも魔法を打ち込んで沈黙させるつもりだった。ただでさえ、J・ガイルの戦闘方法は謎に包まれているのだ……警戒するに越した事はない。

「……出て来い! ここにいるのは分かっているんだ!」

 放たれた怒声は、しかし室内を反響するだけで返答がえられる事はなかった。只でさえ怒りの境地に合ったクラウダは、更に言い募ろうとして……

「自分で誘っておいてだんまりか。この『水蛇のクラウダ』に恐れを――!?」

 それは偶然だった。

 目の前に垂れ下がっていた蜘蛛の巣を、避けるように上体を傾かせた瞬間に、わき腹に灼熱感を感じた。次いで鋭い痛みと服をぬらす感触。
 患部に手を当てれば、ぬるりとした感触と共に、掌が真赤な鮮血に染められる。

(ッ!? 馬鹿な!)

 切り裂かれた服の奥からあふれる血と、そこにある傷口にクラウドは目を見開いた。見回せど見回せど周囲に敵の影はなく、何者かがいた形跡すらない。
 彼は全力で辺りを警戒していたのだ。敵が近くにいれば気が付くし、飛び道具であればはじき落とす自身もあったのに……それらの気配一切なしに、切り裂かれた。
 蜘蛛の巣という偶然が無ければ、彼は死んでいただろう位置だ。

 一体何処から、どうやって攻撃を仕掛けてきたのか。

 敵の攻撃の正体が分からなかったが、一つだけ明らかなことがある。
 既に、攻撃が始まりを察知して対応するような状況ではない!

(……奴の攻撃は! 既に始まっているのか!?)

 相変わらず、静まり返った廃屋の中。目に映るのは、鏡に映る無数の己の姿ばかり……異様なほどの静寂に包まれながら、クラウダは背筋を駆け抜ける悪寒をとめることができなかった。


☆★☆★


「ちっ……運のいい奴だ」

(……?)

 モンモランシーの意識は、第三者の舌打ちと共に現実へと引き戻された。
 そして首を傾げる。何故、自分はこんな冷たい石畳の上で横たわっているのか、と。
 不鮮明だった意識のもやが晴れるにしたがって、少しずつ少しずつ意識を失う前の状況を思い出し……上がりそうになった悲鳴を間一髪で堪える事に成功した。

(まさか……!?)

 慌てて辺りを見回すと……いた。
 自分のすぐ目の前で、明かりの漏れる小窓を覗き込む人影……窓の淵にかけられた左手は、右手だった。
 暗い闇の中で、その人相までは分からなかったがそれだけ分かれば十分すぎる。

(両右手の男……!)

 憎しみにと怒りが暴走しそうになるのを、必死に堪えながらモンモランシーは相手を睨みつける。両右手の男は覗き窓から視線を外す様子はない。
 モンモランシーが目覚めた事に気付いていないのか、歯牙にすらかけていないのか……その油断を後悔させてやろうと、呪文を叩き込もうとして、彼女は相手の無関心が後者から来る者である事を悟った。

(杖が……ない)

 何処を探しても、杖がなかった。襲われた時に落としたのか、目の前の敵に拾われたのか……どちらにしろ、今の彼女には両右手の男を打ちのめす力などない。拘束すらされていないという事は、そういう事なのだ。
 さっと、顔から血の気が引く。杖を持たず魔法が使えない時点で、メイジは無力と化す……今、自分は何の力も持たないひ弱な小娘だ。
 いかに自尊心の高い彼女とはいえ、そのくらいの自覚はあった。

 今、あの男が振り向いて自分に向かってきたら、彼女には抗うすべがない、辺りを見回して武器になりそうな者を探すが、この暗がりではあまり意味がなかった。

 このまま、自分は苦もなく犯されてしまうのだろうか? 姪と同じように……モンモランシーは服を纏っていなかった。
 汚れた服は全て剥ぎ取られ、光が差し込めば白い裸体があらわになるだろう。幸い、まだ最後までは致されていないようだが……

「くそっ、こっちはさっさと楽しみてぇんだ。とっととくたばりやがれ」

 男が漏らした言葉を聞く限りでは、時間の問題だった。
 ぐらりと、モンモランシーの世界が歪む。目の前に迫った死と陵辱に、復讐心とプライドが悲鳴を上げる……泣きそうになるのを必死に堪えながら、彼女は思わず少年の名前をつぶやいた。

「……ギーシュ……」

 彼に協力を仰いでいれば、少しは違ったのだろうか?
 否、それだけは絶対にしてはならない事だった。

 最近のギーシュは、よく死にかける。
 リンゴォの決闘に、モット伯の一軒に、灯の悪魔に、黄の節制に……殺されかけては重傷を負うような有様だった……モット伯の一件を除いて、死んでいないのが不思議なくらいの状況だったし、灯の悪魔の一軒に至っては、自分の身代わりになって死に掛けることになった。
 単刀直入に言ってしまうと、モンモランシーは嫌だったのだ。これ以上、自分の恋人が傷ついて苦しむのを見るのは。
 助けを求めたが最後、今度は本当に死んでしまう……そんな予感があったから。

 一体どうすればいいのか? 恐怖と恐慌の狭間で、モンモランシーはそれでも復讐を諦めず、憎しみをこめて両右手の男をにらみつける。

「ラチがあかねえな……揺さぶるか」

 ――両右手の男が正真正銘の右手を懐に差し入れたのは、その時だった。


☆★☆★


 ……一方的に狩られる隊場だったはずの男は、意外な事にまだ生きていた。

 クラウダの全身を、水の塊が覆っている。顔から何から何まで全てをカバーする水の鎧は、全身につけられた傷から流れる血と、服に付着した傭兵の血でピンク色に染まっていた。
 そのスライム状の鎧は、今のクラウダを生かす生命線であった。水の塊はクラウダ自身の神経と接続されていて、彼に微細な変化を知らせるのだ。

 その神経が、又異常を受けてクラウダの神経に電流を流す。
 水の中を、鋭い何かが突き刺さる感覚……とっさに体をひねって交わすも、その鋭い何かはクラウダの皮膚を浅く削り、流れた血が水の色彩をより濃いモノにする。

(くそっ!)

 間一髪で回避しながら、クラウダは歯噛みする。
 敵の攻撃を認識できない事から考え付いた、簡易の対応装置だった。
 こうやって纏った水の鎧へ攻撃が加われば、それが肌に達する前に回避できるだろうと考え実行したのだ。
 上手くいったとはいえ、敵の居場所も分からない、回避に専念するしかない……状況は完全に八方塞である。

 それにこの呪文……『アクアブリガンディ』には、致命的な欠陥があった。
 人間には、呼吸が必要だ。
 メイジであってもそれは変わらないし、『アクアブリガンディ』の呪文にも、空気穴があるのだが……その大きさは、激しく運動する人間に十分な酸素を供給出来うる大きさではない。
 魔力の消費が馬鹿高く、水の鎧自体を動かすのは術者の筋力頼りであるため、持続力の全くない魔法なのだ。
 そもそもからして、その使いにくさから忘れ去られた魔法である。
 その回避すら完璧には行かず、浅いとはいえ皮膚には傷が刻まれて、流れる血が着実に体力を奪う。

 状況は、明らかにクラウダに不利だった。一方的な攻撃が始まってから十分少々しか立っていないと言うのに、彼の体力は既に限界に近い。

「……どうした……? その程度かJ・ガイル……俺はまだ、生きているぞ」

 返事は、ない。
 ないが、必ず近くにいるはずだった。攻撃の正確さは相手の位置を把握していなければ到底出来るものではない。
 攻撃の正体を把握し、敵の居場所を見つける。
 困難なことだが、今のクラウダは両方をやらなければならなかった。

 怒りが彼の脳裏を占めているのに、その意識はあくまで冷静だった。不思議な感覚である。その冷静な感覚で、クラウダは辺りの光景を余すことなく観察した。

 無数にきらめく鏡と瓦礫……瓦礫の隙間からのぞく鏡に映るのは、水を纏ったクラウダ一人。

(この鏡、何か深い意味があるのか?)

 ふとそんな考えが頭をよぎったが、首を振って自分自身で否定した。
 鏡を介して相手を傷つける方法など聞いたことがない……第一、両右手の男はメイジではないという確かな情報がある。
 この攻撃は、何らかのトリックがあるはずだった。
 おそらく、鏡自体は単なる眼くらましだろう。

 念のため、何枚か破壊しておこうと、足を踏み出した……その瞬間。

『やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 くぐもった、しかし懐かしい声が、廃屋の静寂を切り裂いた。


『イヤァァァァァァァッ!! たすけてっ! だれかぁぁぁぁぁっ!』
『ひひゃはははははははっ! やめるわけねーだろっ!』

 布を切り裂く音、泣き叫ぶ少女の声、慟哭する少年の声、下種な男の声……不協和音を奏でる、耳障りなそれは、クラウダとモンモランシーの記憶を刺激する。

 クラウダにとっては、弟の声と、その婚約者の声。モンモランシーにとっては、姪の声と、その婚約者の声だった。
 絶望と、恐怖に彩られたそれをバックミュージックに、聞き覚えのない声がホールに反響する。

「いい悲鳴だろ? そそるよなぁ……特にこのお譲ちゃんの声なんてよぉ~……この声がたまんねーなぁ。鳴くの上手いもんだっ!」

 げたげたと言う笑い。下種な笑い。これも反響を繰り返しているのか、何処から聞こえるのかがわからない。

「いやぁーちっさい割にいい『締り』してたぜぇ。顔もかわいかったしよぉ。あんまりいい体だったもんだから、もう一度犯してやろうかとか考えてたんだが、自殺しちまっただろ? だから、俺ぁこいつで日々自分の体を慰めてんだよ」

 重複する、悲鳴、慟哭、悲鳴、慟哭……

「てめーの弟も馬鹿だよなあ。やめろなんて叫んでも、やめるわけがねーだろーが!
 あんな具合のいい体をよぉー! あの時の野郎の面と女の面思い出す度に、股間がビンビンきやがるんだッ!
 危険日だっつーから中で出してやった時なんて、最高だったぜぇー!」

 ああこれは……『事件』の時の音だ。

「あんまり具合が良かったから、次は兄弟か親戚でもって思って調べてたんだが……このお嬢ちゃん自分から飛び込んできやがった! おかげで手間が省けたぜ!!!!」

 J・ガイルは、それを録音していたのだ。己の欲望のためだけに。まるで、子供が己の偉業を飾るかのように。あまつさえ、それを嘲笑い、見下して己の欲望を満たしている……!

 クラウダは、自分が逆上しきっていると思っていた。これ以上逆上する事など、絶対にありえないとも思っていた。だが、そんな思い込みは間違いだった。

「 が ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ッ ! ! ! ! 」

 廃屋に、凌辱の音を掻き消すほどの咆哮が轟いた。今まで抱いていた怒りなど鼻で笑いたくなるような、激しい感情が胸の中に沸き立つ。烈火のごとく。
 人間の者とは思えぬ怒声を迸らせながら、クラウダは杖を天に向けると、己の纏った水をその先に集める。
 鎧の水が全て引き、巨大な球体を作った瞬間に、別の魔法を発動させた。

「 ウ ォ ー タ ー バ イ ン ド ! ! 」

 クラウダの二つ名『水蛇』の由来となった呪文だった。水を杖にまとわせ強大な鞭とする呪文である。
 水の玉は巨大な一匹の水の蛇へと姿を変えて、その体をのた打ち回らせる。己の精神力の全てを込めたその蛇を、杖と共に打ち下ろした。

「 ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ッ ! ! ! ! 」

 杖の軌道に沿って振り回される蛇が、壁を、床を、瓦礫を、鏡を、打ち据え砕く。
 その攻撃に理性は欠片も存在せず、ただ怒りと激情の命じるままに、クラウダは鞭を振るった。
 彼は、今の行き過ぎた怒りと憎しみを言葉にする術を持たなかった。ただひたすらに叫ぶしかなかったのだ。

 その怒りが、彼にうかつな行動を取らせてしまった。

 ど す っ 

 水の鎧を持たず、怒りに身を任せたクラウダに、両右手の男の攻撃を回避する術などあろう筈も無く。
 わき腹に深々と突き刺さる刃は、クラウダの内臓を傷つけ、その口内に血を逆流させる。
 水の蛇は流れる水へと変わり、地面に流れ落ちて廃屋の中央に巨大な池を作り出した。


☆★☆★


 勇気が、湧き上がってきた。
 皮肉な事だった。
 失われつつあったモンモランシーの勇気を、両右手の男自身が復活させてしまった……消えかけていた篝火に、相手が水だと思って放り込んだのは、大量の油だった。

 死してなお、凌辱を受け続ける姪。
 苦しかっただろう、辛かっただろう。絶望もしただろう……その上に、死後も汚らわしい欲望の餌食とされている!
 許せない。許せるはずがない!

 彼女は、目の前でメモリーオーブを操作する外道に踊りかかったりはしなかった。
 冷静に、辺りの地面を手探りで凶器を探すことから始めて……あるものを見つけた。
 両右手の男が覗き込む窓から飛び込んできた一筋の光が、それに突き刺さったのである。

「たっく、ようやくくたばりやがった」

 それは、砕けたガラスの破片だった。
 鋭利な角度を見せるそれを、己の手が切り裂けるのを気にせず握り締め――異様なものをみた。

(え?)

 握り締めた鏡の中。鏡を伝う血の向こう側に写る自分と……そこに移る、包帯を巻いた醜い男の姿。
 男が鏡の中の彼女の腕を掴むと、実際の腕が掴まれたかのような痛みが走る。

 鏡の中にいる男が、自分を拘束している?

(まさか……スタンド!?)

「さてと……次はこっちか。
 ようやく、楽しめそうだぜ」

 メイジにとってもありえない事態に混乱するモンモランシーに、両右手の男の言葉が突き刺さった。

 リピートされ続けていた凌辱の放送が終わり、変わりに新しい音が聞こえる。

「さぁーって、お楽しみタイムと行くぜぇ」
「なっ!?」

 自らの作り出した水たまりに横たわったクラウダの鼓膜を、J・ガイルの哄笑とモンモランシーの悲鳴が揺らす。
 杖を手にして、精神力の残量を確かめる……辛うじて、低出力のウォーターキャノンを一発だけ打てそうなと言う程度の精神力が残っていた。
 相手の居場所を探し出して助けなければならない……そう思い、必死で辺りを見回すも、どこにもそれらしい姿はない。

 立ち上がることも出来ないクラウダを、J・ガイルは更に嘲笑った。

「おめーはそこで横になって聞いてな。この女が犯されるのをよぉ! 兄弟揃っておおマヌケってなぁっ! クククククッ!
 俺のこと放っときゃあいいのによぉー!」

(この、外道……まさか)

 これが、目的だったと言うのか。
 兄弟揃って同じように、目の前で女を犯し嘲笑う事が目的だったと言うのか。
 あくまで趣味の為に! 今からあの少女を穢そうと言うのか! 幼い頃、自分に対して無垢な憧れを示してくれた、あの少女を!

「ふ、ふざけないで! 誰がアナタなんかに……ぁぅっ!?」
「関係ねーんだよテメーの意思なんてよぉーっ!
 おめーの姪は、鳴くのが最高に上手かったが……おめーはどうなんだろうなぁぁぁっ!」
「かっ……はっ!」

 奥歯を噛み砕き、クラウダは立ち上がろうともがいた。
 体を動かすたびに手足に痺れが奔り、傷口が広がって水面に赤い彩が加えられる……

「無駄だっつってんだろ!? テメーといいあのガキといい、悪あがきが好きだなおい!」

(悪あがき、か)

 吐き捨てられたその言葉に、クラウダは苦笑を浮かべた。
 そうか。
 弟は、自分が死にそうな怪我を負っても、ギリギリのギリギリまで足掻いたのか。
 今の自分と同じように、みっともなくとも最後まで足掻こうとしたのか。

 彼が『星屑騎士団』の屯所で吐いた言葉は彼の本心ではない……あれは、彼の父親が吐き捨てた言葉だ。
 出世以外の全てに興味がない父親は、この一件で元帥杖が更に遠ざかったと言うだけで、何一つ弟を慰める言葉を口にしなかった。
 そして、弟の存在を不名誉なものとして、一族全員に弔う事すら禁じたのだ。
 今まで尊敬していた父の醜い姿に、クラウダは失望と絶望をいっぺんに味わう事となった。

 クラウダを突き動かしている怒りの原動力。
 それは、弟への想いだった。
 お前は間違ってなかったのだと。お前は確かに貴族なのだと。お前は確かに正しい事をなしたのだと。届かなかっただけで、行動は間違ってなかったのだと。
 弔う事すらできない弟を慰めるため、彼は杖を取るのだ。

「くそっ……たれ」

 クラウダは貴族にあるまじき言葉を吐き捨てて、獣のような荒い吐息で立ち上がろうともがくも、無様に転倒してしまう。
 と、その時。

「ん、なんだぁ??」
「ハァ……ハァ……」

 声に、戸惑いが浮かんだ。他ならぬ、J・ガイルの声に。同時に背後で聞こえたのは、革靴が小石を踏みしめる音。

「――この場合、口にすべき言葉は、そうではありませんよ。ミスタ・ポワチエ。 ハァ……ハァ……そして……間に合って、よかった」
「……?」

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