「川上憲伸(11)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

川上憲伸(11)」(2007/05/04 (金) 19:50:21) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**川上憲伸 川上 憲伸(かわかみ けんしん、1975年6月22日 - )は、徳島県徳島市出身のプロ野球選手(中日ドラゴンズ投手)。右投げ右打ちで、背番号は11番。 経歴 * 1993年:徳島商で夏の甲子園にてベスト8 * 1997年:明治大学からドラフト1位で中日に入団 * 1998年:14勝6敗の成績で新人王に輝く * 1999年:シーズン成績こそ8勝9敗と精彩を欠いたが、日本シリーズではチーム唯一の勝ち星を挙げたことが評価され敢闘選手賞を受賞。 * 2000年:急性感音性難聴等により、不調に終わる。 * 2002年:調子を取り戻し、桑田真澄と激しい最優秀防御率争いを繰り広げる。8月1日の巨人戦でプロ野球史上70人目、81度目のノーヒットノーランを達成。当時エースの野口茂樹の故障と合わせ、エースと呼ばれるようになる。 * 2003年:快調な滑り出しも、右肩関節唇損傷により離脱。中日新聞上で、コンスタントに働けない投手をエースと呼ぶことの是非を問う論争が起こる。 * 2004年:最優秀選手(セントラル・リーグ)、沢村賞、など合計9つのタイトルを獲得し、チームの優勝に貢献。 * 2005年:5月20日の対千葉ロッテマリーンズ戦(交流戦)で8回途中まで完全試合のペースだったが、李承燁にホームランを打たれて逃した。結局、ヒットはこれ1本のみ、四死球なしで完投勝利した。球団初の完全試合は逃したが、スタメン全員から奪三振という珍しい記録を達成した。 * 2006年:6月6日のまたも千葉ロッテマリーンズ戦で7回2死までは完全試合(二死から福浦和也にフォアボール)、9回無死までノーヒットノーランペースだったが、代打のサブローにライト前ヒットを打たれ自身2度目の大記録を逃す。結局は9回1安打2四球での完封勝利となったが、相手監督のボビー・バレンタインを大いに唸らせた。偶然ながら二度の完全試合の可能性を二死から左投げ左打ちのバッターに止められている(2005年は李承燁にホームラン。2006年は福浦和也にフォアボール ) * 2006年:8月3日プロ野球史上120人目となる通算1000奪三振を記録した。 * 2006年:10月21日この日の日本シリーズ開幕戦で8回2失点で勝利投手となり、ナゴヤドームでは先発としては初の勝利投手となった。しかし第5戦では日本ハム打線の勢いを抑えきれずに敗戦投手となり、この敗戦によりチームはまたしても日本シリーズに敗れてしまった。しかしチーム唯一の勝ち星を挙げるなどの活躍が評価され自身2度目の敢闘選手賞を受賞。2006年は前半終了時点での防御率が1.47 と驚異的な成績だった。 略歴 * 身長・体重:179cm 90kg * 投打:右投右打 * 出身地:徳島県徳島市国府町 * 血液型:O型 * 球歴・入団経緯:国府中 - 徳島商高 - 明大 - 中日(1998年 - ) * プロ入り年度・ドラフト順位:1997年(1位・逆指名) * FA取得・行使:なし * 英語表記:KAWAKAMI * 背番号:11 * 守備位置:投手 * 推定年俸:3億4000万(2007年) タイトル * 最優秀バッテリー賞 2004年・2006年(相方は谷繁元信、セリーグ史上唯一の同一バッテリーの複数回受賞) * 新人王 1998年 * 最優秀選手 2004年 * JCB・MEP賞 2002年、2004年(最優秀JCB・MEP賞) * 最多奪三振 2006年(井川慶と同数。) * 最多勝利 2004年、2006年 * 最高勝率 2006年 * 沢村賞 2004年 * ベストナイン 2004年、2006年 * ゴールデングラブ賞 2004年、2006年 * 月間MVP 1998年7月、2002年8月、2003年4月、2004年5月・8月、2005年7月、2006年5月 * 敢闘賞(日本シリーズ) 1999年、2006年 [[引用元Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%86%B2%E4%BC%B8]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: