……始まりは、単なる意地の張り合いだったのかも知れない。
少なくとも、国民に害は及ばないと思っていた。
しかしそれは、平和ボケした俺達の勝手な妄想だった。
…兄貴は、翌年に戦地に送り出された。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
1
「ギコ起きろーっ!」
けたたましく鳴り響く目覚ましの音。兄の怒鳴り声。
「るせーな、もうちょい寝かせろ」
「何だその言葉遣い」
「他人の睡眠を妨害する奴にはこれで十分だ」
「…ほほーう」
フサの関節が鳴る。
「あ、ごめ…ギャアアアア」
その声は、お隣のしぃにも聞こえた。
「また兄弟ゲンカかしら」
彼女は笑って、窓を開けた。
「ギコ君おはよう」
「よっ、しぃ」
頭を両手で押さえたギコが、あいさつを返す。
「朝から元気ね」
「いやー、鬼のような兄貴がうっとーしいの何のって」
その時ギコは、頭の後ろにバキリゴキリという音を聞いた。
振り向くと、そこで目を光らせていたのは…
「あ、兄貴?今うっとーしいって言ったの俺じゃねえぞ?俺の口を借りて悪魔
が…ギャアアアアアア」
ギコの頭の上のタンコブは、二段構えになった。
ここはモナ国。
隣国のモラ国とのゴタゴタは日常茶飯事だが、緑豊かでほのぼのしたいい国だ。
ギコの家はその郊外にある。
「早く朝メシ食えよー」
先程のグーパンチの事など忘れたかのように、ギコの兄、フサは声をかけた。
「人を殴ってもすぐ忘れる酷い奴、それが俺の兄であり魔王である」
「ギコ、何か言った?」
「いっ、いや何も言ってねえ」
1月生まれのフサ(19歳)は、かなりの地獄耳である。
何の気無しにギコはラジオのスイッチを入れ、牛乳とコップに手を伸ばした。
「では続いて政治です」
ギコはコップに牛乳を注ぐ。
「我が国とモラ国の国境の上にある金鉱から、モラ国が勝手に金を掘りだしているという事実が発覚しました」
耳を傾けながらも、政治に対してギコは無関心だ。政治なんかよりも今は牛乳の方に神経が行っている。
「この事実に対してモラ国は、シラを切り通す方針をとっており、モナー大統領は『立ち退かない場合は武力で排除する事も視野に入れているモナ。戦争に発展するかもしれないモナよ』とコメントしました」
「ぶっ!!!」
ギコは牛乳を吹き出した。
「な…何だってェ!?」
朝から物騒な事を言うラジオである。
「どうしたギ…何じゃこりゃあ!」
運悪く、吹きこぼした牛乳をフサに発見されてしまった。
「あ、ちょっと待て!これには伊豆海溝よりも深ーいわけが…」
「問答無用っ!」
「待て!落ち着k…ギャアアアア」
今日3回目の叫び声が、ご近所にこだました。
ここで少しモナ国について説明しておこう。
モナ国の男の子は、たいがい剣術や武術を習っている(中には銃の使い方を習っている子や、稀に女の子もいる)。
家の跡継ぎには女子が多い。
昼になった。
朝が遅かったギコは、まだ空腹感を感じていなかったので、とりあえずそこら辺をふらついて腹が減るまで過ごす事にした。
足をふらつくがままにさせていると、いつの間にかギコは懐かしい原っぱへ来ていた。
「…もう何年も来てなかったなあ、ここ」
辺りを見回すと、次々と目に留まる思い出の物。
その中の木を見て、ギコは1つの思い出を思い出した。
* *
「待てクマー」
「へっ、追いつけるもんなら追いついてみやがれ」
「は、速いよギコ君~」
後ろから走ってくるいじめっ子。息を切らせながらも何とかギコと並んで逃げるしぃ。
「しぃ、あの木に登るぞ」
「わ、私もうそんな体力残ってないよ」
「そんだけ喋れてたら大丈夫だって。ほら、そこの瘤を足がかりにしたら登れるだろ」
ダウン寸前のしぃを何とか促して、ギコは木に飛びついた。しぃもその後に続いて木に登る。
2人は一番上の枝に到着した。
「そんなんで逃げられると思ったら甘いクマー」
とうとう木の所にまで追いついたクマーが、勝ち誇ったように声を張り上げる。
しぃがモウダメポと思った、その時。
「こらー、いつまで遊んでるの!」
クマーの母の怒鳴り声が飛んできた。
「あ、ちょっ…待ったクマー」
「さっさと帰って宿題しなさい!」
「ちっ、今日は勘弁しといてやるクマー」
「ちょっと!『ちっ』て何よ」
「え!?な、何でもない…クマアァアア」
クマーは、母にひきずられながら帰っていった。
「へへっ、作戦大成功」
ギコは満足げに笑う。
「こないだアイツん家の前通った時に、宿題やってなくて怒られてるのが聞こえたんだ」
「さっすがあ、ギコ君」
しぃはほっと胸をなでおろすと同時に、ギコの事をまた、ちょっぴり頼もしく思った。ギコの活躍のお陰で、クマーの驚異をかいくぐって無事に生還できた回数は、今までを含めると数え切れない。
「じゃ、そろそろ帰るか」
そう言うとギコは、するすると木を降り始めた。
しかし、しぃは降りてこない。
「どうした、しぃ?」
「うっ…ギコ君…」
しぃは泣きそうな声で言った。
「降りるの怖い…」
* *
あの事件(?)からもう10年が経って、2人とも16歳になった。
「あーあ、もう10年かあ…」
ギコは大きく伸びをした。
同時に、大音響でお腹が鳴った。
「…じゃ、そろそろ帰るか」
ギコは帰り道を歩き始めた。
「モナ国の分まで採ってんの?金を、モラ国が?」
「そうらしいぞ」
「やばいじゃんそれ。戦争起こるかもしんねーんだろ?」
フサと2人の、昼の食卓。話題は朝のニュースだ。
「もし戦争でも始められようもんなら、俺来年には徴兵されるな」
やってらんねーといった顔つきで、フサは溜め息をついた。たった1人の家族である父親を、記憶もうつろな昔の国境戦で、兵隊に取られて失った彼は、大の軍人嫌いだからだ。
「いつだったっけ?その国境戦があったの」
「今から14年前。お前が2歳の時だから、覚えてないだろ、父さんの顔」
「うん。じゃ、ごちそーさま」
ギコは空になった皿を持って席を立った。
「俺が洗うから早く食ってよ」
「へいへい」
そう言いながらも、フサは別に急ぐ様子も無く、ゆっくりと口を動かしている。
「早く食えって言ってんだけど」
「ゆっくり食わせろよ」
「仕方無えな…」
今度はギコが溜め息をついた。
+ +
_モラ国都心_
とある酒場。
たくさんの大人に混じって、子供が2人居た。
その片方の青い男の子は、携帯電話のようなもので何やら話し合っている。
程なく電話を切ったその子は、少し離れた所でくつろいでいた赤い女の子に向かってこう言った。
「仕事が入ったぞ、つー」
「ドンナシゴトダ?」
「戦争だってさ」
2
その日の夕方。
「こちらからの警告にも耳を貸さず、金鉱を掘り続けているモラ国に対して、モナー大統領はただ1言『マジギレだモナ』とコメントし、モラ国との戦争を始める事はすでに決定済みのようです」
ラジオは信じられない事実を伝えた。
「マジかよ…っ、畜生!」
ギコは、テーブルに拳を叩きつけた。
どうしてこんな酷い事を、お偉いさんはそう簡単に決められるんだろう。
大統領に対する怒りと、来年には兄も徴兵されてしまうという絶望とが、彼の心の底でもやもやとしたものになり、ギコは息苦しさを感じた。
夕食。
いつもは食欲旺盛なギコだが、今日は箸が進まない。
それもそのはず。
14年前の悲劇がまた繰り返されると思うと、ギコはやるせない気持ちになった。
「どうしたんだギコ」
弟の気持ちを敏感に感じ取ったフサは、少し心配になって尋ねる。
今日のメニューはギコの大好きなカレーなのに、10分経ってもまだ半分しか食べていない。
「何でもない…」
フサも夕方に報道されたニュースは知っている。
ギコが食欲不振になっている理由ぐらい、分かっていた。
だから努めて明るく振る舞おうとしていたのだ。
「本当に何でもないのか?」
「…分かってるくせに」
フサは笑った。
でも無理して笑っているように見えた。
「大丈夫だって。戦争なんかで死ぬわけないだろ」
「……」
「…まあ、来年までに戦争が終わればいい話だけどな」
そう言うとフサは、ごちそうさまも言わずに部屋を出ていった。
「…畜生」
ベッドの上に座り込んだフサは、口の中で呟いた。
また戦争が始まるのか。
父の命を奪った、あの憎い戦争が。
俺が死んだら、ギコはどうなるだろう。
彼は、そんな事まで考え始めていた。
あいつも徴兵されてしまうかも知れない。
さっさと戦争が終わればいいんだけど。
心配だ…
「…もう欲しくねえや」
ギコはカレーがまだ残っている皿の中に、スプーンを放り込んだ。
腹が減っているようには感じない。
かと言って、腹がいっぱいになったようにも感じない。
食べるだけ時間が無駄だと思った。
ギコは皿にラップをかけると、部屋の電気を消した。
今は5月だから、電気を消しても真っ暗にはならない。
それでもギコは、何だか暗いような気がした。
翌日。
ギコはすることがなく、ボーっと外を見ていた。
どこからか、国軍の勇ましい歌が聞こえてくる。
…そういえば国境線を始めたんだっけ。
家の前を通り過ぎていく軍隊を、何の気なしに見ていたギコは、その中に見覚えのある顔を見つけた。
「あ…クマー!」
急いで外に飛び出したギコは、旧友の所に駆け寄った。昔こそいじめっ子であったが、ギコと同じ剣術の塾に通い始めてからは、クマーとは友達だ。
「あ、ギコ」
「よっ、久しぶりだな。で、お前何でここにいるんだ?徴兵は20歳からだ ろ?」
「志願したクマー」
「ふーん…」
志願してまでなるものなんだろうか、とギコは思った。
自分から死にに行くようなもんだ。
どうして、そこまで…
そこまで考えた時、ギコの頭の中に、1つの言葉が浮かんだ。
“自分は死ぬのが怖いんじゃないか”
その通りだった。
自分は…
死ぬのが、怖い…
「…、ギコ?」
「え?あ、何だ?」
ボーっとしていたらしい。
クマーに呼ばれた。
「一応行ってくるクマー」
「おう」
…一応?
緊張感が無いな、とギコは思った。
自分も、あいつぐらい軽く気を持った方がいいだろうか。
……うん。そうした方がいいだろう。
ギコはクマーの敬礼に手を振って答えると、家に帰った。
++
「…あれ?おかしいな……」
同時刻のしぃ。
彼女は今、昔の歴史書を調べていた。
それは…モラ国の歴史。
さっきから同時代の本ばかりを見ているのだが、やはりおかしい。
これらの本によると、あの金鉱は…
「モラ国の所有物」とされている。
最終更新:2007年05月12日 05:08