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■聖戦1 -カンタベリーの戦い---ブリタニア暦627年

「進め! 我らは<薔薇の騎士団(Knights of the Rose)>だ」

………………

 
 この年、野心の完遂を半ば目前に控えたフランドル国王キルデベルト六世は、国号を神聖フランドル帝国とした。
 ブリタニア風に言えば"the Holy Flandre Empire"。 皇帝・聖キルデベルト六世が、特定宗教の教皇から加冠されたのか、自らを神格化したのかは不明だが、このあたりから、彼らの行動が急に宗教がかってきているのは確かだ。
 神聖帝国による侵略は、これ以降「聖戦」という美称をあたえられ、地上における神権の代理執行という趣をみせている。十字架を持たぬ十字軍、といったところであろうか。
「邪教の使徒は 根絶やしにしろ」
 と口々に唱える「神の兵」は、あらゆる蛮行を正義として肯定され、行く先々で凄惨な虐殺を行った。
 この場合、邪教とは、彼らの宗教と異なる信仰全てであろうから、たとえばイスラム教のような異文化異宗教だけではなく、素朴な土着信仰や神話伝説の類も、弾圧の対象となったに違いない。
 その「聖戦」の、最初にして最後の標的は、洋上に屹立するアヴァロン朝ブリタニア王国だ。

    
 

 ガリア本土と大ブリテン島を分かつドーバー(カレー)海峡は、幅せいぜい40キロ程度の狭い水道であり、当時の帆船であっても、天候次第で数時間もあれば通行可能な距離だ。
 神聖フランドル帝国軍は、水面を埋め尽くすほどの大船団を仕立てて、一挙にドーバー海峡を押し渡ったに違いない。
 対岸で上陸戦が展開されたかどうかはわからないが、 続々とブリテン島の橋頭堡に集結するフランドル帝国軍第一陣に対し、最初の一撃を加えたのは、Parsifal(パーシファル)率いるブリタニア軍第四騎士団である。
 両軍は、ドーバーの北約30キロに広がるカンタベリー平原で会戦した。

 少なくとも六個ある騎士団のうち、パーシファルの第四騎士団が邀撃の先鋒を賜ったのは、彼の領地が付近にあったためか、彼と彼の騎士たちが特に勇猛であったためかはわからない。
 が、いずれにしてもパーシファルは、女王の期待どおりの勇戦を見せたに違いない。

「死をも恐れぬ 薔薇の騎士達は 彼に続く」
「緋い戦場を駈け廻る 一条の雷 パーシファルのスピア…」

 「薔薇の騎士」の一節として読み上げられるほどに、パーシファルの勇名は群を抜いていたのだろう。後にアルヴァレスが戦列に加わることによって、印象は薄くなるであろうが、彼は「薔薇の騎士」の象徴として、ブリタニア騎士すべての師表と仰がれていたと思われる。
 
 ………

 それほどの彼の武勇をもってしても、雲霞の如く攻め寄せる敵を防ぎきれなかったのであろうか。
 同年のうちに、ブリタニアの女王ローザは、鉄壁の王城を捨て、遙か北方へと遁走している。この時点で城はなお健在であったと思われるが、いずれは敵の重囲に遭って孤立すると判断したのだろう。
 素早く安全圏である北方へ政権を亡命させたのは、賢明と言えば賢明だ。

 ところで神聖フランドル帝国軍は、年内になんと第三陣に及ぶ軍旅を催している。大陸中の国家を併合した帝国は、兵数的には底無しであると考えた方がよい。
 この第三陣は別動隊だが、正面ドーバーからの攻め口を担当したと思われる第一陣、第二陣は、どの程度頑張ったのだろうか。
 「薔薇の騎士団」の士気の高さを見る限り、カンタベリー平原での会戦で、フランドル帝国軍第一陣はかなりの損害を出したに違いない。
 第一陣はドーバーを死守しつつ第二陣の到着を待ち、 両軍とも物量にものを言わせて制圧前進を進めたのではないか。
 当時のアヴァロン朝の王城がもしロンドンにあったとすれば、カンタベリとは目と鼻の先であり、女王が危惧して脱出するのは当然だ。

 が、矢継ぎ早に第三陣までが送り出されたのを見ると、 おそらく第二陣もパーシファルの第四騎士団に相当手こずったのだろう。
 あるいは、最初から三分進合撃の大戦略であったかもしれないが、それにしては第三陣の上陸地点が離れすぎている。第一陣・第二陣と連携した策戦と言うよりは、全く別の企図で動いていると見るべきだろう。

 神聖フランドル帝国軍は大ブリテン島南部ではやくも足踏みし、「聖戦」は早速頓挫する。この焦りが聖キルデベルト六世に、ジョーカー投入の決断を促したのではなかろうか。

 

 

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