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病気氏」(2006/11/04 (土) 02:24:49) の最新版変更点

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例えばマラソン大会があったとして。 そこには自分が風になる快感と、 自分は努力しているのだという満足感と、 ゴールの達成感があるのだと思う。 どれか一つ欠けていたら、きっと楽しめない。 ** 私は泥臭い女の子だった。男子の幼馴染に囲まれるなかで育った。 「お前、男みたいに強いな!」 「うるさいわね!泣かされたいの!」 言葉で罵倒し、身体能力で圧倒した。 身長も高い方で、体育には自信があった。マラソンで一位をとったこともあった。 不思議なことにそういうものの積み重ねで、私の友人関係はできていった。 毎日が楽しかった。勉強はさっぱりだったけど。 *** 私がスカートを穿くと、母がはしたない思いをするというので、大抵ジーパンを穿いた。 「あんたももう少し女の子らしくしなさい」 母は私のクラスの、ある女子のことを褒め称えた。 その子はおしとやかで器量もよく、お嬢様のようだった。 世間一般ではああいう子が望まれることを知った。 私もああいう子になりたいと思った。 しかし泥臭い性格は捨てられず、いつも乱暴して男子を泣かせていた。 *** ある日倒れて、病院に運ばれた。 母が病室で、難しい漢字が並んだ単語を、3つ4つ見せた。 文字の意味はよくわからなかった。 だけどそれで私はとても思い病気にかかったのはわかった。 室内生活を強いられ、薬を飲む毎日が続いた。 体力は嘘のようにがた落ちした。5歩、走って息が切れた。 駆け回ることなどできそうもなかった。 *** しばらくマンガを読んですごした。 学校の友達の話を聞き、外界の出来事に心を馳せた。 体が治ったら、当然外を駆け回りたいと思っていた。 それから長い入院生活を送った。学校の友達も少なくなった。 入院生活は嫌でも染み付いた。 私は以前のように人を罵ることはしなくなった。 話す相手はほとんど大人の人だったから。生意気なのは怒られるから。 そのうち言葉を忘れ、体を使う方法を忘れていった。 *** お年寄りの方々から、お茶の汲みかたを教わった。 すると褒められた。それからというもの機会があれば、積極的にお茶を作った。 困っている人たちを助ける看護婦さんに憧れた。 私もそうしなきゃと思い、患者さんの体を拭くのを手伝ってあげた。 子供心ながらに、だんだんと他人の気持ちがわかるようになってきた。 人が泣いていなくても、悲しんでいることもあるのだと知った。 人が怒鳴り散らさなくても、内心怒っていることもあるのだ知った。 仮に私がそういう気持ちになったらいやだと思ったので、私は笑った。 笑えば何とかなると思った。実際なっていたと思う。 *** 病室の窓から、外の様子をうかがった。公園で子ども達が遊んでいた。 遠くから粋のいい声があがる。 「このスケベ!なにすんのよ!」 「お前女だったのかよ!」 私はスカートを見せてもいいから、あの輪に入りたいと思った。 それだけは思っていてもできないことだった。 私は世界の違いを感じた。 *** 当時の私は服を選んで遊ぶという概念がなかった。いつもパジャマだった。 それを見かねたという患者の人が、お古といってスカートとフリフリの服をくれた。 それを着ると、 患者「お嬢様みたい」 女「ホント……?」、 患者「そうよ。あなたはおしとやかで器量もいいし、なにより可愛いからね」 だそうだ。なんと私はあのお嬢様になれたらしい。 思っていたよりつまらないものだと悟った。 私はあの泥臭い思い出を捨てきれていなかった。 *** 絶えず微笑をし、他の患者を気遣い、毎日を変わりなく過ごす。 その方が人間関係を形成しやすいし、効率的だし、なにより楽だった。 いつものように老人方にお茶を汲み、ニュースの話題に相づちをうった。 よくわからない人の病気の説明を聞き、適度に同情した。 あれから大人になり、読書はマンガではなく、小説を読むようになった。 全てはそうせざるを得ない状況に、私は追い込まれていた。 *** 例えばマラソン大会があったとして。 時間無制限。走行距離無限大。ゴールはどこでもよし。 なんてルールがあったらどうするだろう。 今の私なら、それは普通のマラソンよりずっと楽しいのだと思う。 当てのない道をさまよい、探索し、発見し、また次のどこかへいく繰り返し。 ゴールをするのが惜しいくらい。 しかし今の私は、狭い病院の廊下数本を、ゆっくり無機的に歩くだけ。 随分と道のりは狭まり、少なくなった。 先日ゴールが決まった。余命一年だそうだ。 このまま狭い道を走り続けるのは、惜しい。 *** 私はいま、直線の道を歩いていた。 幼いころ、迷うほど分かれていた道の数々。 それらは運命に押しつぶされ、収縮し、今や一つとなり、 じきにゴールを迎えようとしていた。 わかりきった道のり、わかりきった結末を考えながら、 私は進む――そんなのは、 女「私はもっと色んな道を歩いていたかった!   子どもの時のように、誰からも縛られないで、」 1000メートルを直線で進むより、曲がりみちをぐねぐねいった方がいいと思った。 その方が早くついた気持ちになると思う。 そしてそれは楽しいと思う。 女「それなら……私は曲がってやる!   違う道を、歩きたい!」 *** 男「やあ、はじめまして」 また新しい患者が入ってきた。私と同じくらいの青年だった。 この人が死ねば、私の知人の死亡者の累計が、ちょうど40になるなと思っていた。 私とどっちが先だろうとも思っていた。 いつものように当たり障りのない自己紹介を……した。 いつものように?私はそれがもううんざりだった。 思い出すのは、泥臭くて男みたいだった、私。 私はもっと色んな道を楽しみたい。 *** 女「台所借りて作ったの。食べられる?」 男「蒸しケーキか……。うん。少しなら」 女「……」 男「ん!おいしい」 女「そ、そう……」 男「いやー嬉しいねー。   やっぱり可愛い女の子に作ってもらう料理は、質量以上のものがあるねー」 女「――ー」 男「どした?」 女「べ、別に――」 私は泥臭い女の子だった私を思い出した。 私は道を曲がった。 その方が、きっとこれから楽しくなれるような気がした。 女「あんたの為に作ったんじゃないんだからねー!」 男「えっ……えーっ!!なんでさ!これはなんだよ!」 女「っ、フン!あまり物のお裾分けよ。本命は別にいるの!」 男「そんなぁ。……誰だよー」 しまった。そこまで言い訳を考えていなかった。 これは一つしかない。彼の為に作ったもの。 なにか適当な嘘を……。 女「……お隣の病室のおじいさんよ!」 男「嘘だぁ!その口ぶり怪しいぞ!」 女「そんなことないわよっ。フンっ」 男は意外と口達者だった。それに負けじと私の方も立ち向かっていった。 ちいさいころ、男友達と遊んでいたあの勢いを思い出した。 新しい歩き方を知った。それにより、新しい道も芽生えたような気がした。 自分が風になる快感の質が変わり、 自分の努力の内容も変わった。 それにより、ゴールもまた違ってきた気がしてきた。 おわり? 病気
例えばマラソン大会があったとして。 そこには自分が風になる快感と、 自分は努力しているのだという満足感と、 ゴールの達成感があるのだと思う。 どれか一つ欠けていたら、きっと楽しめない。 ** 私は泥臭い女の子だった。男子の幼馴染に囲まれるなかで育った。 「お前、男みたいに強いな!」 「うるさいわね!泣かされたいの!」 言葉で罵倒し、身体能力で圧倒した。 身長も高い方で、体育には自信があった。マラソンで一位をとったこともあった。 不思議なことにそういうものの積み重ねで、私の友人関係はできていった。 毎日が楽しかった。勉強はさっぱりだったけど。 ** 私がスカートを穿くと、母がはしたない思いをするというので、大抵ジーパンを穿いた。 「あんたももう少し女の子らしくしなさい」 母は私のクラスの、ある女子のことを褒め称えた。 その子はおしとやかで器量もよく、お嬢様のようだった。 世間一般ではああいう子が望まれることを知った。 私もああいう子になりたいと思った。 しかし泥臭い性格は捨てられず、いつも乱暴して男子を泣かせていた。 ** ある日倒れて、病院に運ばれた。 母が病室で、難しい漢字が並んだ単語を、3つ4つ見せた。 文字の意味はよくわからなかった。 だけどそれで私はとても思い病気にかかったのはわかった。 室内生活を強いられ、薬を飲む毎日が続いた。 体力は嘘のようにがた落ちした。5歩、走って息が切れた。 駆け回ることなどできそうもなかった。 ** しばらくマンガを読んですごした。 学校の友達の話を聞き、外界の出来事に心を馳せた。 体が治ったら、当然外を駆け回りたいと思っていた。 それから長い入院生活を送った。学校の友達も少なくなった。 入院生活は嫌でも染み付いた。 私は以前のように人を罵ることはしなくなった。 話す相手はほとんど大人の人だったから。生意気なのは怒られるから。 そのうち言葉を忘れ、体を使う方法を忘れていった。 ** お年寄りの方々から、お茶の汲みかたを教わった。 すると褒められた。それからというもの機会があれば、積極的にお茶を作った。 困っている人たちを助ける看護婦さんに憧れた。 私もそうしなきゃと思い、患者さんの体を拭くのを手伝ってあげた。 子供心ながらに、だんだんと他人の気持ちがわかるようになってきた。 人が泣いていなくても、悲しんでいることもあるのだと知った。 人が怒鳴り散らさなくても、内心怒っていることもあるのだ知った。 仮に私がそういう気持ちになったらいやだと思ったので、私は笑った。 笑えば何とかなると思った。実際なっていたと思う。 ** 病室の窓から、外の様子をうかがった。公園で子ども達が遊んでいた。 遠くから粋のいい声があがる。 「このスケベ!なにすんのよ!」 「お前女だったのかよ!」 私はスカートを見せてもいいから、あの輪に入りたいと思った。 それだけは思っていてもできないことだった。 私は世界の違いを感じた。 ** 当時の私は服を選んで遊ぶという概念がなかった。いつもパジャマだった。 それを見かねたという患者の人が、お古といってスカートとフリフリの服をくれた。 それを着ると、 患者「お嬢様みたい」 女「ホント……?」、 患者「そうよ。あなたはおしとやかで器量もいいし、なにより可愛いからね」 だそうだ。なんと私はあのお嬢様になれたらしい。 思っていたよりつまらないものだと悟った。 私はあの泥臭い思い出を捨てきれていなかった。 ** 絶えず微笑をし、他の患者を気遣い、毎日を変わりなく過ごす。 その方が人間関係を形成しやすいし、効率的だし、なにより楽だった。 いつものように老人方にお茶を汲み、ニュースの話題に相づちをうった。 よくわからない人の病気の説明を聞き、適度に同情した。 あれから大人になり、読書はマンガではなく、小説を読むようになった。 全てはそうせざるを得ない状況に、私は追い込まれていた。 ** 例えばマラソン大会があったとして。 時間無制限。走行距離無限大。ゴールはどこでもよし。 なんてルールがあったらどうするだろう。 今の私なら、それは普通のマラソンよりずっと楽しいのだと思う。 当てのない道をさまよい、探索し、発見し、また次のどこかへいく繰り返し。 ゴールをするのが惜しいくらい。 しかし今の私は、狭い病院の廊下数本を、ゆっくり無機的に歩くだけ。 随分と道のりは狭まり、少なくなった。 先日ゴールが決まった。余命一年だそうだ。 このまま狭い道を走り続けるのは、惜しい。 ** 私はいま、直線の道を歩いていた。 幼いころ、迷うほど分かれていた道の数々。 それらは運命に押しつぶされ、収縮し、今や一つとなり、 じきにゴールを迎えようとしていた。 わかりきった道のり、わかりきった結末を考えながら、 私は進む――そんなのは、 女「私はもっと色んな道を歩いていたかった!   子どもの時のように、誰からも縛られないで、」 1000メートルを直線で進むより、曲がりみちをぐねぐねいった方がいいと思った。 その方が早くついた気持ちになると思う。 そしてそれは楽しいと思う。 女「それなら……私は曲がってやる!   違う道を、歩きたい!」 ** 男「やあ、はじめまして」 また新しい患者が入ってきた。私と同じくらいの青年だった。 この人が死ねば、私の知人の死亡者の累計が、ちょうど40になるなと思っていた。 私とどっちが先だろうとも思っていた。 いつものように当たり障りのない自己紹介を……した。 いつものように?私はそれがもううんざりだった。 思い出すのは、泥臭くて男みたいだった、私。 私はもっと色んな道を楽しみたい。 ** 女「台所借りて作ったの。食べられる?」 男「蒸しケーキか……。うん。少しなら」 女「……」 男「ん!おいしい」 女「そ、そう……」 男「いやー嬉しいねー。   やっぱり可愛い女の子に作ってもらう料理は、質量以上のものがあるねー」 女「――ー」 男「どした?」 女「べ、別に――」 私は泥臭い女の子だった私を思い出した。 私は道を曲がった。 その方が、きっとこれから楽しくなれるような気がした。 女「あんたの為に作ったんじゃないんだからねー!」 男「えっ……えーっ!!なんでさ!これはなんだよ!」 女「っ、フン!あまり物のお裾分けよ。本命は別にいるの!」 男「そんなぁ。……誰だよー」 しまった。そこまで言い訳を考えていなかった。 これは一つしかない。彼の為に作ったもの。 なにか適当な嘘を……。 女「……お隣の病室のおじいさんよ!」 男「嘘だぁ!その口ぶり怪しいぞ!」 女「そんなことないわよっ。フンっ」 男は意外と口達者だった。それに負けじと私の方も立ち向かっていった。 ちいさいころ、男友達と遊んでいたあの勢いを思い出した。 新しい歩き方を知った。それにより、新しい道も芽生えたような気がした。 自分が風になる快感の質が変わり、 自分の努力の内容も変わった。 それにより、ゴールもまた違ってきた気がしてきた。 おわり? 病気

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