「ここは負の気が多くて気分が悪いしさ。俺と一緒に森へ戻ろうぜ」
「駄目。守屋さんと約束したんだから」
私は光輝の手を振り解いて言った。
だけど、光輝は相変わらず腑に落ちないという顔をしていた。
「宴会のことにしたって、守屋が一方的に決めた事じゃないか」
「たしかにそうなんだけど……」
「俺も守屋のことはそんなに嫌いじゃないが、やっている事は許せないんだ。
それなのに、お前がほいほい言いなりになってるのが余計に腹立つんだよ」
「言いなりになんて……なってないもん」
「さっき言いなりになって、死にそうな兵士の治癒をしていただろうが」
(光輝、寝てると思ってたのに気づいてたんだ)
「この戦で、俺の森は穢されたんだ。そんな奴らの味方なんて止めちまえって」
「でも……怪我をした人を放っておけないよ」
たしかに、光輝にとってここの兵士は森を穢す悪い人達だろう。
けれど私は、苦しんでいる人がいるなら、少しでも何かしてあげたいと思っている。
仲間を一人でも多く助けたいと思って、守屋さんも私を頼ったはずだ。
その結果で、光輝の森がもっと穢されてしまうかもしれない。
(わからない。どうすればいいんだろう……)
「悩むなよ」
光輝はまた私をギュッと抱きしめてきた。
「悩むよ。だって、わからないから……」
「大体、どんな理由があろうと戦なんてくだらない事だろ。お前の鬼の力でこの陣を壊しちまおうぜ」
「本気で言ってるの?」
「もちろんだ。俺は分かってるんだからな。お前は誰よりも強い。本気を出せば、この陣だって壊せるはずだ」
「壊す力は……使わないようにしてきたからよく分からないよ」
『程度を超えた力は災いしか生みません』
『その力をどうか、破壊する力ではなく、生かす力として使ってください』
(以前、冬馬先輩が言っていたこと……)
黙った私を覗き込むと、光輝は真面目な顔をする。
そして、ポツリと告白するように話し出した。
「正直に言うとさ。守屋と一緒にいれば、またお前に会える気がしていたんだ。俺は……お前を待っていたんだよ」
「光輝……」
「今の俺じゃどうする事も出来ない。けど、お前には変える力があるんだ」
「でも……」
「胸に手を当ててよく考えてみろよ。お前自身はどうしたいんだ? 戦なんて終わらせて、俺と森に帰ろうぜ」
「壊さない。」
私の言葉は決まっている。
「なぜだ……。」
光輝に聞き返されようがこれはできない。
未来にいるはずの私が過去の世界を変えるわけにはいかない。
今思えば、ここの人たちを回復させることですら未来が変わっているのかもしれない。
きっとここを潰してしまえば未来は大きく変わる、そんな気がした。
「何を言われてもできないわ……。」
歯がゆそうに光輝の顔が強張る。
「偽善だと思ってる?それは違うよ、光輝に大切な物があるように私にも大切な物があるの。」
「……大切な物。」
「私の世界。ここを潰したら私の世界がなくなっちゃう。
光輝の世界が森であるように私の世界もあるの。」
「俺にはわからない、お前は俺と一緒にいて、俺の世界の住人になればいいじゃないか。」
「ごめんね、それはできない。私は自己中だよね、私の為に光輝の世界を犠牲にしてる。」
私の大事な帰る場所、春樹やお父さん、お義母さんの待つ家、香織ちゃん達と学ぶ学校。
きっと私はあの場所を守る為ならどんな力でも使う。
「私が壊す力を使うとしたら、あの場所を壊そうとするモノ。
きっと私はその為なら躊躇いなく自分の力使えると思う。ほんと、私って自分の為ばっかり……。」
「……。」
光輝の悲しそうな顔を見て私はもう一度ゴメンと頭を下げた。
私はここに関わりすぎてるのかもしれない、
もしかしてこのままだと本当に未来が変わるかも。
でも……彼らの行く末も気になる。
(未来に影響を及ぼしてしまう可能性……)
私の夢でタイムパラドックスが起きるのか、全くわからない。
まず、ここが本当に過去なのかも曖昧なのままだ。
夢ということ以外、わからないことだらけの過去かもしれない世界。
(でも可能性があるなら、やっぱり出来ない)
私は現実から逃げ出してきた。
それは、春樹や隆、決別したままの修二くんのことから目を背けてきた結果だ。
すべて解決しなければいけないことばかりだ。
そのためにも、早く自分の居場所に帰らなくてはいけない。
「お前の世界か。……たしか未来から来たって言っていたな」
「光輝、私の言うことをやっと信じてくれたんだ?」
「いや、全然信じてない」
(あらら……)
光輝は、頭をカリカリと掻きながら口を開いた。
「陣は壊さないのか。まぁ、お前が嫌なら仕方がないよな」
「ごめん」
私は光輝を覗き込むと、視線がぶつかった。
その視線は、いろんな感情が入り混じっているようだった。
「愛菜の出した答えなら、謝る必要は無いさ。たとえ森が滅びても、天命だったってことだ」
「光輝……」
「守屋も自陣が陥落するのは分かってるんだ。ずっと凌いできたみたいだったけど、大和が新たな軍を送り込んできたらしいしさ」
「どうして光輝がそんなことを知っているの?」
「守屋自身が言っていた事だし、みんな知ってるよ。ただ、簡単にやられてくれりゃいいのに、踏ん張るから森がよけいに穢されてんだ。
兵力の違いは明らかだし、この戦はじきに終わるだろう。お前が手を下してたら、すぐに早く終わっただろうけどな」
「投降は? そうすれば森もこれ以上穢されず、守屋さん達が生き残る可能性だって……」
「それは無いだろうな」
私からゆっくり身体を離すと、光輝はよろけながら立ち上がった。
「俺は森に帰るぜ。これ以上、空気の悪いところに居られない」
私は出て行く光輝を陣の入口まで見送ることにする。
「じゃあ、そこまで送るよ」
「……好きにすればいいさ」
光輝は私をチラリと見ると先に立って歩き出した。
(もう光輝には会えない気がする……)
ここで分かれたらきっとこの予感は当る。
光輝は立ち上りこそふらついたものの、思ったよりもしっかりした足取りで陣を横切っていく。
「……じゃあ、な」
「うん……」
光輝は『またな』とは言わない。きっと光輝も何か感じているのかもしれない。
光輝は二、三歩進んで、ふと思い出したように振り返った。
「なぁお前、何の舞を舞うか悩んでるって言ってたよな」
「え……、うん」
「じゃあさ、再生の舞を舞ってくれないか?」
「再生の、舞?」
私は壱与の記憶をたどる。確かにそんな舞はあった。
「ダメ、か?」
「ダメじゃないけど……」
「安心しろ、再生の舞はめでたい舞だ。宴席で舞って嫌がられることはないぞ」
「そうなんだ?」
「ああ、頼んだぜ?」
光輝は私の返事も聞かずにさっさと歩いて行ってしまった。
(再生の舞、か……)
穢れてしまったと言う光輝の森の再生を願ってほしいと言うことが一番なのだろう。
「撫子の君?」
「あ、守屋さん……」
ぼんやりしているといつの間にか守屋さんが背後に立っていた。
「光輝が出て行ったようだな」
「はい、ここは空気が良くないから森に戻るって……」
「……光輝についていかなくて良かったのか?」
「舞を舞う約束をしたから……」
「そうだったな……」
守屋さんは、少し笑うと私を促して歩き出す。
「宴の用意ができたので、呼びに来たのだった。
皆、あなたの芸を楽しみにしている。ところで何の芸をみせてくれるのだ?」
(光輝のお願いでもあるし、これしかないよね)
「再生の舞にしようかと思います」
「そうか。今から楽しみだ」
「期待しないでください。出来ないかもしれませんし」
「そうなのか?」
「私、まったく舞台慣れしていないんです」
「確認の為にもう一度問いたいが、撫子の君はほんとうに遊行女婦なのか?」
「それは……」
守屋さんはまたしても私に尋ねるように言った。
何度も尋ねられると、嘘が余計に心苦しくなってくる。
「大和の密偵などでは無いと信じたいんだ。君は……私の命の恩人たからね」
「密偵? ち、違いますよ」
私は慌てて否定する。
守屋さんは私を密偵かもしれないと疑っていたようだ。
「では、ただの遊行女婦で間違いないのだな」
「あの……」
(光輝は信じてくれなかったけど……)
「あの、私が出雲の姫様の生まれ変わった姿だと言ったら、信じてくれますか?」
「どういうことだい?」
「壱与が転生して私になったんです。私は未来から来ました」
「生まれ変わり? 輪廻転生のことか……大陸の教えだな」
篝火で明るく照らされた陣の広場に着き、私は守屋さんの隣に腰を下ろす。
もう宴会は始まってていて、酒も入りみんな上機嫌だった。
私は目の前にある葡萄のジュースを一口二口飲む。
横顔の守屋さんを伺い見ると、少し浮かない顔をしていた。
「浮かない顔ですけど、どうかしたんですか?」
「誰から吹き込まれたのかは知らないが、大陸の教えを信じるのは止めなさい」
「大陸の教え?」
「輪廻転生のことだ。人は死ぬと、敵、味方と関係なく黄泉へ行く。そして、祭祀で穢れを浄化しながら、祖霊となる。
別の人間に生まれ変わりはしないのだよ」
「でも……私は不思議な夢を何度もみてきました」
私は今までの予知夢を守屋さんに聞いてもらった。
最初は盃を持ったまま考え込んでいたけれど、ようやく口を開いた。
「黄泉は夜見(ヨミ)、すなわち夢を指すこともある。
夢を見ることは霊魂の放浪と言われているから……黄泉と縁の深い鬼の力をもってすれば過去や未来を覗き見ることも可能かもしれない」
そう言って、守屋さんは濁ったお酒の入った盃を一気に飲み干していた。
(……予知夢も鬼の力だったって事?)
「黄泉と縁の深い鬼の力ってどういうことですか?」
「鬼なのに、君は何も知らないのだな」
守屋さんは少しだけ笑うと、話を続けた。
「元々、鬼は地下の世界である黄泉に住んでいる者達だったのだ。
太古に黄泉から逃げ出した神を追ってそのまま中津国、いわゆる人間の住む地上世界に居ついた。
それが我らの祖先だと言われているのだよ」
「じゃあ、私の予知夢は鬼の力の影響かもしれないということですか?」
「出雲の鬼道師には予知に秀でた者もいたという話だからな」
(使えない予知夢は鬼の力だったんだね)
「あの……話を戻しますけど、守屋さんは生まれ変わりを信じていないんですよね?」
「無論だ」
「即答ですか……」
「ここに集う者達が信じるのは国神だけだ。国神に背いて大陸の他神を敬うなど、たとえ帝であっても許せるものではない」
「帝、ですか?」
「そうだ。帝は大陸の政や文化、宗教をこの国に取り入れようとしている」
「それが許せないんですか?」
「もちろんだ。この国そのものが失われてしまうかもしれない大変な事態だ」
「でも未来では、そうでもないですよ?」
「……一体、どういうことかな」
「私たちの世界では、一年の終わりにお寺に行って、一年の始まりに神社に行ったりします」
「な、なんだそれは……」
守屋さんは信じられないという顔で、私を見る。
お酒を飲んでいるせいか、どことなく頬が赤い。
「何かヘンですか?」
「それで神々はお怒りにならないのか」
「多分……」
守屋さんは黙り込むと、焼いた川魚に齧り付いて、またお酒を飲んでいた。
私は空になった盃に、お酒を注いだ。
そして、酒が入って上機嫌の兵士の人達を見ながら小さく呟くように言った。
「君の話が本当だったとしても……。今更、これだけの人々を巻き込んだ戦を止める訳にはいかないだろうな」
「それは、大和と戦い続けるということですか?」
「鬼の血族を根絶やしにし、愚弄した帝は……やはり倒すべき相手なのだ。
たとえ私を慕い、ついてきてくれるこの者達を利用しても果たさなければならない」
決意の言葉とは裏腹に、守屋さんの横顔は暗く沈んでいる。
私はその顔を覗き見ながら、葡萄のジュースをまた一口、二口飲む。
なんだか身体が少し熱くなってきたような気がする。
(もしかして、守屋さんは……)
「私の勘違いかもしれないんですけど、守屋さんは後悔してませんか?」
「後悔か……」
そう言いながら、守屋さんは私の空になった器にジュースを入れてくれた。
癖のある飲み物だけど、意外と美味しい。
私はお礼を言って、また飲みはじめる。
「撫子の君の言うように、私は後悔しているのかもな」
「やっぱり……戦をしてしまったことですか?」
「私怨を廃仏という大義名分にすり替え、大和国に内乱を起こしたが……そのことに後悔はない。
森を荒らして、光輝には随分嫌われてしまったがな」
「じゃあ、何に後悔しているんですか?」
「何も知らずに付いて来てくれる者達を、騙して利用してしまったことに後悔しているのだろう。
ここに集う人間も含め、大和の民はすべて、同属を滅ぼした悪しき民族のはずなのにな」
(詳しくはわからないけど……)
「鬼を滅ぼした民族でも……守屋さんは後悔しているんですよね。
それって……ここにいる人達が守屋さんにとって大切な仲間だからじゃないですか?」
守屋さんは相変わらず、宴会の様子を眺めている。
広場の中央では誰かが楽しそうに踊っていた。
そして、宴会の喧騒にも聞き入っているようだった。
「ここに集う者達は私の仲間か……」
「そうだと思います」
「尾張、駿河、甲斐、信濃……。確かに東征の時も、長い時間を一緒に戦ってきたな。
共に戦場を駆けている時が、生きている実感を一番得られた気もする。
だが、私は鬼で彼らは人間。相容れない存在だ」
「ずっと一緒だった仲間なのに?」
「ああ。人間はみな鬼を恐れてきたし、鬼は人間を蔑んでいた。
出雲国王も和平を望んだのに、大和がそれを裏切った。やはり相容れなかった証拠だよ」
「でも……」
「鬼だと知ったら、ここに集う者達もきっと私の元から離れてしまうさ。
今は何も知らずに共に戦ってくれているがな」
「私はこだわっているのだろうか」
「とてもこだわっている様に見えます」
時々、心がひとつのことに囚われすぎて、周りが見えなくなってしまうことがある。
たとえば、家の中だけで何日も過ごしていると、その箱庭がすべてのように感じてしまう。
けれど私の家も、遠くから見渡せば街明かりの一つに過ぎない。
守屋さんも復讐に囚われすぎていて、光輝のことなんてまるで気にも留めていない。
兵士の人達にだって家族や恋人や友達だっているはずなのに。
複雑な事情がありそうだし同情はするけれど、それ以上に段々腹が立ってきた。
(身勝手ですごくムカツク……)
喉がカラカラに渇いて、私はまた葡萄のジュースを飲み干した。
今日は熱帯夜なのか、身体がすごく熱い。
空になった器を手で弄びながら、守屋さんに視線を向ける。
「守屋さん」
「何かな。撫子の君」
「私を……抱きしめてくれませんか?」
「えっ。今、ここでか?」
「はい」
私を見つめる守屋さんの目は潤んで、顔も赤い。きっと、かなり酔っている。
さっきから饒舌に自分の考え方を語ってくれるのも、お酒の力だろう。
「本気なのか?」
「もちろんです」
「やはりここではまずい。私の衾でいいだろうか」
(フスマ……?)
「どこでもいいです。舞いを披露しなければいけませんし、早くしてください」
「わかった」
足が痺れたのか、ふらついて思わず倒れそうになる。
守屋さんは私の腰に手をまわし、ゆっくり立たせてくれた。
「飲みすぎじゃないのか?」
「ジュースなんて、少々飲みすぎても大丈夫です」
「じゅうす? まぁいい。歩けるのか?」
「平気です。ちゃんと歩けますから」
「そうか。では行こう」
そう言って、守屋さんは私の手を引いて歩き出した。
手を引かれるまま、私は黙って後をついていく。
案内されたのは、陣で一番大きなかやぶき屋根の陣屋だった。
「さぁ、入ってくれ」
私は言われるまま、黙ってその中に足を踏み入れる。
そして、たどり着いた場所には麻の布団だけが敷かれていた。
「……これって……」
「衾だが? ここは私の寝所だよ」
「フスマって……布団……?」
「まさか君から、まぐわいに誘ってくるとは思わなかったな」
「なにを……」
「訳あって出雲で育った私には……君の鬼の気配すらも、懐かしく感じていたのだ」
そう言うと、守屋さんの大きな手が私の髪を顔から払うように撫で梳く。
髪から、耳、頬、唇へとその指先が移動していった。
火照った私の顔に、守屋さんの顔が近づいてくる。
「きゃっ、あの……」
「そんなに緊張しなくてもいい」
「ま、待って……」
「やはり君は撫子のように可憐な女人だな」
「ちょっ……えっと……」
「命を助けられた時から、ずっと君のことが忘れられなかった」
大きな守屋さんに組み敷かれ、私は布団に倒れ込んだ。
潤んだ目をした守屋さんと、間近で目が合う。
守屋さんは微笑みながら、私の額に口付けをした。
「うわぁ、待ってください。…守屋さん、少し落ち着いて……」
「怖くない。心配は無用だ」
「あっ、あの……お願いがあるんです」
「どうしたのだ」
「少しの間、私を抱きしめるようにして、目を閉じてくれませんか?」
「……それが君の望みなのか?」
「はい」
「わかった。それで君が落ち着くのなら、言うとおりにしよう」
守屋さんは私を優しく抱きしめると、目を閉じてくれた。
(力の封印、私にできるのかな)
幼い頃、私は力を捨て去るために自らの力を封印した。だから、きっと今回も出来るはずだ。
私は祈りを込めて、守屋さんにしがみ付く。
(お願い……)
どんな複雑な理由があっても、多くの犠牲を払う復讐なんてしちやいけない。
守屋さんが鬼だという事にとらわれているなら、その力を失くしてしまった方が冷静になれる気がする。
本人の了解も無しに勝手な封印することは、いけない事だろう。
けれど、私はどうしても守屋さんの考え方が許せなかったし、納得できなかった。
(成功して……!)
926~929
目を開けると目の前に呆然と座りこんでいる男の人が居た。
(守屋さん?)
なぜか自分はこの男の人を知っている。
夢なのだから、なぜ知っているのかなんて気にしても仕方ないのだけれど……。
「な、撫子の君……な、なにを……、何をしたんだ!」
守屋さんはどこか不安げに私を見て来る。
私は守屋さんの鬼の力を封じたのだ。
「これから先、鬼の力は必要のない世界になるんだよ」
「君も鬼ではないか!」
「……」
守屋さんの言葉に、私は何も言えずに黙り込む。
(そう、私は鬼だ)
夢の中の私は困ったように守屋さんを見つめ、守屋さんから逃げるように出口へ向かう。
「再生の舞を、舞って来ます(全てを再生させる。光輝の森も、壊してしまった鏡も……)」
守屋さんへは伝えられなかった言葉を胸の中で呟いた私は、陣の中心へ向かう。
割れた鏡がまだ存在しているこの世界なら、鏡を元に戻すことが出来る。
全ての神器と契約を交わし、神宝の力も内にある今なら労せずできるだろう。
(壱与の代わりに私が神器を再生させて、全てを元通りにする)
神器によって一族を殺された壱与には、神器を復活させる意思はない。
けれど、元通りになった神器を再度壊すような事はきっとしない。。
幸い私は神器との契約が済んでいるから鏡を元通りに戻し、力を元の器へ戻るように誘導させれば、神器は以前の姿に戻る。
神器が元に戻れば、対となる神宝も自然と元の姿に戻る。
そこまで考えて、私はハタと足をとめた。
(あ、守屋さんのもってる神宝……)
あれに力がもどったら、せっかく鬼の力を封印したのに刀の力で封印をとかれてしまう可能性がある。
神器を元に戻したからといって、即座に神宝にも力が戻るわけではない。
ある程度の時間はかかるだろうけれど……。
神器は壱与がいるから問題はない。
修復された神器に疑問を覚えるだろうが、神器が元通りになれば、壱与は以前と同じように神子として神器を守っていくだろう。
だが、神宝はどうなるのか?
そもそも八握剣以外の神宝がいまどうなっているのか分からない。
とりあえず再生の舞を舞いに行く
(私が……やらなくちゃ……)
すべての元凶は鏡を割ってしまった罪から始まっている。
でも今の私なら、手にした力で再生させることができる。
神器も神宝も大昔のこの世界なら、本来の器がまだどこかにあるはずだ。
陣の中心にあるかがり火の光に吸い寄せられるように、私はゆっくり歩みを進める。
「撫子の君! 待ってくれ!」
守屋さんが私に駆け寄ってきた。
その手には、薄桃色のキラキラと光る薄くて細長い布が握られている。
「それは?」
守屋さんが手に持っている布を見ながら、私は問いかける。
「これは比礼だ。身に着けた者の穢れを払い、難から逃れる呪力を持っている」
「これを私に……?」
「そうだ。兵の皆のために舞を披露する君にこそ相応しい」
手渡された比礼という布は透けるほど薄いけれど、魅入られるほど美しかった。
まるで昔話に出てくる天女が纏っていた、天の羽衣みたいだ。
「でも……これは守屋さんの大切なものなんじゃないですか?」
「ああ。本当は出雲の姫……壱与に贈るつもりだった物だ」
「壱与……」
守屋さんと壱与はどういった関係だったのだろう。
私の中にある壱与の記憶に、守屋さんは居ない。
私の頭に浮かんだ疑問を見透かしたように、守屋さんは薄く笑った。
「幼少の頃、私は壱与に振られていているんだよ。また再挑戦するつもりだったが、今となってはそれも叶いそうに無い」
「振られる? 壱与にですか?」
「残念ながらな。石見国の王族だった私は……出雲国王に招かれたのだよ。政略結婚の相手としてね」
「政略結婚?」
「ああ。だが壱与はその事を知らない。おそらく壱与にとって私など、ただの幼馴染でしかないはずだろうな」
「もしかして……あなたは『弓削(ゆげ)』?」
「!!……どうしてただの遊行女婦である君が……私の幼名を知っている!?」
目を見開いて驚いている守屋さんと記憶の中の弓削が、ようやくひとつに繋がる。
『弓削』という名の弱虫で泣き虫な男の子と遊んだ楽しい記憶。
いつも壱与が連れまわしていて、そんな壱与に必死で付いていくような男の子だった。
そんな楽しかった頃の記憶が、巫女の修行に明け暮れていた頃の壱与にとって唯一の慰めだったのだ。
「その答えは少し前に言ったと思いますけど……壱与が転生して、私になったって」
「……」
私の言葉に、守屋さんは顔をしかめて私を見た。
私はそんな守屋さんから視線をはずして、受け取った比礼を身に付ける。
「じゃあ私、舞って来ますね」
以前ここに来た自分は、この夢で起きるタイムパラドックスを畏れていた。
今はもう畏れても、迷って居もない。
再生の舞を舞い、鏡を再生させることで起きるタイムパラドックスは予想が付かない。
けれど、神器と神宝の力は人が宿すには強すぎる。この力は人が宿してはいけないものなのだ。
(それに、約束したもの……私の望む世界を見せるって)
この舞いを舞い終わった瞬間に、自分は消えてしまうかもしれない。
それでも神宝の力に翻弄され心の闇にとらわれていく高村の人たちが、そしてそんな高村に利用されて傷つく人たちが居なくなれば良いと思う。
そしてこの力で誰も傷つかない世界になってほしい。
舞台の前に立った私に、陣にいる人たちの視線が集中する。
守屋さんが用意してくれた鈴を手に取り、舞台に立つ。
深呼吸して心を落ち着けて……鈴を鳴らし、大地を踏み鳴らす。
記憶にある舞を舞いながら、内に宿る力を少しずつ開放していく。
穢された大地を浄化させる力を乗せて、森の再生を願う
散らされた命の苦しみが和らぐよう祈りを乗せて、魂の再生を願う
あらゆる物の再生を願い舞っていると、ふわりと意識に何かが触れた。
(これは、神器)
契約者である私の舞いに惹かれて来たのだろう。
三種の神器の力が集まってくる。
(元の依り代をここへ……)
神器の力へ向けて願うと、それに答えて依り代であった剣と勾玉、そして割れた鏡が頭上に現れる。
周りが騒然としているけれど、気にしている余裕はない。
力を開放しながらの舞は思った以上に大変な事だった。徐々に体が重くなっていく。
気力を振り絞って割れた鏡へ手を伸ばし、神宝の力を借りて鏡の再生を願う。
神器の鏡はそれに応えてもとの姿に戻った。
(三種の神器……もとの依り代に戻って……そして壱与の所へ帰ってあげて)
契約者の願いに力が依り代にもどると、徐々にその輪郭が薄れて消えた。壱与の所へ戻ったのだろう。
(これでもう大丈夫だね……)
私はホッとしてタンと大地を踏み鳴らした。
舞が終わり、動きを止めても私は消えては居なかった。
けれど頭が重い。力の使いすぎだろうか。
座りこみそうになるのを何とかこらえる。
神器の再生は終わった。次は、守屋さんのもつ剣をなんとかしなくてはいけない。
守屋さんの姿を探して陣を見回し、ふと異様に陣内が静かな事に気付いた。
それが徐々にざわめきだす。
「……見たか、さっきの」
「なんだったんだアレは?」
「実はすごい舞手なんじゃないのか?」
ところどころ、聞こえてくる内容に目立ちすぎただろうかと不安になる。
(もしかして……私すごく目立ってる?)
ぐるりと見渡すと、ざわめきが更に大きくなっていく。
「ネェちゃん! すごい芸じゃないか!」
「綺麗だったぞ! 思わず見入っちまった!」
「やるねぇ、さすが大将が見込んだ女だ!」
「俺にも酒の酌してくれ!」
「女だ! 久しぶりの女が居る!」
「こっちへ来いや。かわいがってやるからよ!」
賛辞とも冷やかしともつかないざわめきは止むどころか、どんどん大きくなっていく。
舞を披露しているときは集中していて周りが見えていなかったけれど、こんなにも大勢の人たちに見られていた。
状況を把握した途端、手が震えて持った鈴を落としてしまった。
段々恥ずかしくなって、顔が熱くなる。
(無理。たくさんの視線に晒されるのはやっぱり無理無理無理無理無理)
私はダッシュで宴会場の中心から逃げだす。
何人かの兵士達は私を追いかけようと立ち上がった。
けれど立ち上がったのは酔っ払いばかりで、フラフラの千鳥足だった。
(よし、これなら私にも撒けるかも)
そう思って走っていたけれど、さすが百戦錬磨の屈強な兵士の人たち。
私との距離が少しずつ縮まっている気がする。
とにかく無我夢中で走り続ける。
(やだ、やだ!もう追ってこないでってば!)
(酔っ払いの相手なんて絶対嫌だよ!)
(近寄るな! ケダモノ! ヘンタイ!)
932~936
「……っ、撫子の君!」
どこかで呼ばれているのを感じて、目を開けると何かの木の横に立っていた。
当りは真っ暗だが少しはなれた所では火が焚かれていて、たくさんの人の気配がする。
「撫子の君!」
その明かりを背にして人が近づいてくる。
逆光で顔は見えないが、こんなふうに呼ぶのは一人しか居ない。
「守屋さん?」
「撫子の君、急に走って行ったかとおもったら、目の前で消えてしまったから、また会えなくなるかと……」
守屋さんの言葉に、舞を舞って、舞台から逃げ出した直後なのだと分かった。
追いかけてきた武士の中に守屋さんも混じっていたのだろう。
「ごめんなさい……やっぱり人前は苦手で」
「いや、それはいいんだ。……それにしても、素晴らしい舞だった」
「そうですか……?」
私が舞うのは初めてだし、自分で舞を見られるわけでもないので自分で自分の舞を評価する事は出来ない。
「ああ、素晴らしかった。皆も見入っていた」
「ありがとうございます」
「ところで……」
「はい?」
「舞の最中に君の頭上に現れたあれは……もしかして」
私の反応をうかがうように、守屋さんは言葉を切った。
「たぶん、守屋さんの考えている通りのものだと思います」
「やはり……だが、なぜ君が?」
「何でって言われると……、私がそうしたかったから、です」
私の願いのために。と、心の中でつぶやいて、ちょっと笑う。
「でも、思った以上に大変でした……見てください」
「これは……!?」
私は手を守屋さんへ向ける。指先が透けて向こう側が見えている。
「きっと、鬼の私は消えるんだと思います。 鏡を元通りにしたから」
「どういうことだ?」
「鏡が壊れて力が消え、他の人と契約が出来なくなってしまって、神器の契約はずっと壱与の魂に刻まれていたんです。「鬼の姫であった壱与」との契約」
「それが……?」
「だから、私は転生しても鬼のままだった。他の鬼たちは人に転生しているのに」
全ての神器と再度契約を交わして、私は悟った。
「その神器が元に戻った。壱与は次の巫女を選び、その巫女は神器と契約を結ぶ。そうなれば、壱与に……私に刻まれていた契約は消えるんです」
「だから君も消えると言うのか!?」
「そうです。だって、私は未来に居るはずのない鬼ですから。だから鬼の私は、消えます」
うすうすは分かっていた事だ。
もしかしたら、という可能性も考えたが、こうやって消えていこうとしている指先を見ると、それは期待出来ないということなのだろう。
「君はそれで良いのか? 消えてしまっても良いと言うのか!?」
守屋さんが私の肩を掴んで揺さぶる。
「……良くはないです」
(本当は消えたくない。薄々わかっていたけど……やっぱり怖いよ)
喉がつっかえて、ほとんど声にならなかった。
守屋さんの真っ直ぐな視線から逃げるように目をそらす。
そんな私の姿を見て、守屋さんの掴む力がさらに強くなった。
「なぜ望まないことをするんだ! なぜそんな辛そうな顔をする!」
「私の望む未来を見せるって……ある人と約束したからです」
修二くんと契約の時に約束を交わした。
綺麗事にしか聞こえない、私の望む未来を見せて欲しいと言われたんだ。
「君が犠牲になることを、その人物が望んでいるとでも言うのか!」
「多分……約束した人は……私が消えることを望んでいないと思います」
「ではなぜ!?」
修二くんは私が消えることなんて望んでいないだろう。
修二くんは修二くんのやり方で、私をいつも心配してくれていた。
私の知っている修二くんならやっぱり止めるだろう。
(だけど……)
「私が望む未来がその先にあるから……です」
「君が望む未来?」
「はい。だから未来を私の手で変えなくちゃいけないんです。そのためには仕方の無い事なんです」
私の言葉を聞いて守屋さんは黙り込む。
そして何か感づいたのか、目を見開いて叫んだ。
「まさか!? 撫子の君が消えた先に、その望む未来があるのか!?
だから君自身が犠牲になると、そういうことなのか!」
顔を上げ、守屋さんの目を見ながら私は静かに頷く。
鏡を元通りにした先、力の無い世界こそが私の望む未来の姿だ。
守屋さんは決意の固い私の姿を見て、掴んでいた手を力なく落とした。
「じゃあ、逆に聞こう。君の元いた世は……変えなくてはならないほど酷いものだったのか?」
(酷い……)
私は自問自答する。
守屋さんの言うとおり、変えなくてはならないほど酷い世界だったのか。
力に翻弄される人、利用され苦しむ人が大勢いた。
お母さんが失踪して、香織ちゃんと友達になって、新しい家族が増えた。
春樹のご飯を食べ、隆と冗談を言い合い、一郎くんと委員会に取り組み、修二くんの軽口をあしらう……そんな日常があった。
騒動に巻き込まれて、周防さんや美波さん、チハルに出会った。
そんな私を取り巻いてきたすべてを否定しなくてはならないほど、元の世界は酷かったんだろうか。
目覚めた私はこの夢を覚えていることは出来ないけれど、ここに居る私はどちらも覚えている。
組織の手によって作られた修二くんと冬馬先輩は、この先の未来では消えていた。
けれどそれは悪いことではないはずだ。
冬馬先輩だってちゃんと言っていた。違う形で会うことがあるかもしれないと。
それなら私だって大堂愛菜ではなく、ちゃんと人として転生して別の形に生まれ変わるのだ。
「酷いかと聞かれたら、そんなことはないって答えます」
「ならば……!」
「でも、約束した人はこうも言ったんです。ほしい物はほしいって言ったほうが良い、私は少しわがままなくらいが良いんだって。
これは私のわがままなんです」
修二くんや冬馬先輩が消えてしまったとしても、その魂は別の形で転生していると信じる。
消える事には恐怖を覚えるけれど、生まれ変わること自体はどちらかと言うと楽しみでもある。
それに生まれ変わった後の私は、この恐怖を覚えては居ないだろう。
恐怖を覚えるのは今だけ、だ。
転生論を否定している守屋さんには、納得出来ないことだろうけれど…。
「私は消えます。でも、別の私が生まれるんです。
鬼じゃない私、人の私です。私が一番ほしいのは、人である私です」
力のない世界で、鬼ではなく人として。
たとえ、今の大堂愛菜が消えてしまっても。別の名前になったとしても。
「そんなに鬼である事が嫌なのか?」
「嫌って言うわけではないですけど……でも、人の世界に立った一人だけの鬼なんて、寂しいですよ?」
「ならば、私が鬼の国を再建しよう。君が寂しがらないように」
「だめです!」
「何故だ!」
永きに渡る高村の悲願、国の再興を果たす、と言った秋人さんの言葉を思い出す。
(まさか……、まさか未来を変えようとしても結局は同じ結果になるの?
で、でも今回は神器はちゃんと元に戻ったし、私が転生しても鬼じゃない。
転生を繰り返す私を使って鬼の血を残すことは出来ないはず……。
それに、修二くんと冬馬先輩はあの世界にはいなかったんだから……)
考えて、きっと再建は出来ないだろうと予想する。
けれど、気になる事もある。私は守屋さんの腰にある剣を見る。
封印を剣で破られたら、もしかしたら……。
「……いえ、好きにしてください」
私は不安を黙殺して笑ってみせる。
自分の指先を見るとやはり消えかけている。
これはどんなに守屋さんが足掻いても鬼の国が再建できない証拠に他ならない。
「現に私はこうして消えようとしています。
この先守屋さんが鬼の国を再建しようとしても、私が消えることには変わりないです」
三種の神器が元通りになった今、壱与が次の巫女を選ぶ前に再度神器が壊されない限り、消える運命は変わらない。
「ただ、お願いです。これ以上血が流れるようなことはしないで下さい。
もし鬼の国を再建させるのだとしても、人との共存を目指してください。
精霊や人を食料とする私たちには辛いことかもしれないけれど……人の食事だけでも何とかなるものですし」
そう、鬼の力を乱用しない限り人の食事で事足りるのだ。
壱与がそうであるように。
(それにしても、頭が重いな……)
これも、消えていく前兆だろうか?
「撫子の君…?」
「……え、あ、はい?」
どうやらぼんやりしていたらしい、守屋さんが心配そうに顔をのぞき込んできた。
「大丈夫か?」
「はい、ちょっと頭が重い感じですけど、痛いとかそういうことはないです」
守屋さんは顔をしかめて、私の手を取った。
「休んだほうが良い」
手を引かれるままに歩き出す。
だんだん何かを考えることすら面倒になってきている。
連れてこられたのは、守屋さんの寝所だった。
「横になると良い。少しは楽になるかもしれない」
そう言って守屋さんは私を寝かせようとする。
促されるまま横になる。
けれど目を閉じる気にはならなくて、ぼんやりと部屋の中に視線をさまよわせた。
「本当に何も出来ないのか……?」
守屋さんは私の側に腰を下ろして、見下ろしてきた。
その目の奥に、焦りのようなものが見える。
「……じゃあ、守屋さん。私が居たことを覚えていてください」
「?」
「私が消えれば、私自身鬼だったことを覚えている事が出来ません。だから、守屋さんが覚えていてください」
「それが何になる?」
「少なくとも守屋さんが覚えているかぎり、鬼の私は守屋さんの中で生きている事になります」
ドラマだったか、小説だったか忘れたが誰かがそんなことを言っていた。
「忘れられない限り、消滅ではないんです。誰か一人でも覚えていてくれれば」
「……わかった、それが撫子の君の願いなら。私は君を忘れない」
「ありがとうございます」
「君の言うとおり生まれ変わりがあり、私自身生まれ変わっても、生れ落ちたその時には忘れていても、絶対に君の事は思い出す」
「そこまでしなくても……」
苦笑して、ふと思い出す。
そう春樹は覚えていた。私のことを。
(まさか……?)
「春樹?」
「どうかしたか? 撫子の君?」
八握剣を持っているのは守屋さん、そしてその力を持っていた春樹。
一致するといえば一致する。
(あぁ、ダメだもう何も考えられない)
だんだん思考があいまいになってきて、目を開けているのも億劫になってきた。
目を閉じて、ため息を突く。
「撫子の君? 眠ったのか?」
守屋さんの声がどこか遠くで聞こえた。