壱与の時代の夢の抜粋  光輝・守屋への出会いへ

 

670 ~677
私は掠れた声を絞り出して、一郎くんに伝える。
意識の向こうから浮かんできたシルエットが女の人のものだった。
(ううん、ちょっと違う。これは女の子だ……。私より少し年下くらいの……) 

「それは、どこだか分かるか? 見えたという女性の特徴も教えて欲しい」
一郎君の声が頭上から降り注いだ。

 

(どこだろう……日本だと思うけど)
まるでピントの合っていない写真のように、すべてがはっきりしない。
だけど、この場所がそんなに遠く離れた場所でないことは、直感で分かった。

 

「日本、かな。でも、全然わからない。よく見えないよ」
ぼやけた映像がスライドショーのように、途切れ途切れに切り替わっていく。
時にはフィルムの擦り切れた映画のように観えることもあった。
でもやっぱり、どれが映し出されても、かろうじて輪郭がわかる程度のものばかりだった。

 

「最初から前世退行させたのは、さすがに無理があったようだな。今日はもういいだろう。俺が次に指を鳴らすと同時に……」
「ちょっと待って、何か……聞こえる……」
一郎くんの言葉をさえぎって、私は意識を集中させる。
最初は曖昧だった言葉が、少しずつはっきりと聞こえだした。

 

「――草薙剣、八咫鏡を賜ひし我が霊代を以って、天に明かり照らし御神に仕え奉らくと申す」

 

(神様に祈ってる? そっか……これ祝詞だ)

 

なぜだろう。私はこの祝詞をよく知っていた。
まるで身体に染み付いた言葉のように懐かしくすら感じる。
聞き覚えの無い女の子の声で奉読しているけれど、とても他人とは思えなかった。

 

(だけど……)

 

心に小さな引っかかりを覚えた。
大切な何かを忘れているような気がする。
思い出さなきゃいけないのに出てこないような、ザラッとした違和感がある。

 

なぜか八尺瓊勾玉だけを聞き取ることが出来なかった。
でも、私の知っている祝詞は三種の神器がすべて揃っていたはずだった。

 

(幼い私が力を捨ててしまった時のように……勾玉も心の枷になってるという事?)

 

剣と鏡と勾玉はご神体だった。
私は巫女として祝詞を奉読したり、神楽を舞ったりしていたのだ。
そして、神託を帝に……。

 

「私は……巫女として…神様の声を…神託を告げる役目だったよ」

 

声に出して認めた瞬間、ぼやけた映像が鮮明に変わっていった。
まばゆい光に包まれて、意識が吸い込まれる感覚に襲われた。

 

――ずっとずっと昔、人々がまだ八百万の神々だけを信じ、祈りを捧げていた時代。
日本がようやく一つの国として成り立ち始めた頃、私は生まれた。
でも、混乱した時代はまだ続いていた。内乱は収まらず、国の存在もまだ強固なものではなかったのだ。

 

先代の巫女から選ばれ、帝の元で私は託宣の巫女として生きていくことになった。
豪族の娘だった私は故郷を離れ、神殿に幽閉され、日々を泣いて過ごしていた。
まだ子供で、巫女としても未熟だった私には、味方になってくれる者がだれも居なかったからだ。
そんな時、一人の少年と出会ったのだった。

 

ガタッという物音を聞き、私は身をすくめた。
「こんな遅くに……だれ?」
怖くなった私は女官を呼ぼうとして闇に目をこらす。すると、一人の少年が立っていた。
「君こそだれ? ここはだれも入っちゃいけないはずだよ」
少年は質問を質問で返してくると、私の傍まで歩いて来た。
「……まだ童だね。この神殿にいるっていうことは、君は巫女かな」
闇の中、ジッと探るような視線で見られている事に、沸々と怒りが湧いてくる。
「あのねぇ……あなたもまだ童でしょ。それに、女性の寝所に入ってくるなんて、失礼よ」
「あっ、ごめんっ」
ようやく気付いたとばかりに驚くと、少年は膝を折り、丁寧に頭を下げてから再び口を開いた。
「数々の非礼をお許しください、姫君」
少年はうやうやしく詫びてきた。
その仕草から、この男の子は下賎の者ではない、と思う。
「じゃあ、ここからすぐに出て頂けるかしら」
私は突き放すように少年に向って言った。
「わかったよ。だけど、一つだけ質問していいかな?」
「いいよ。何?」
「君……泣いてたよね。何か辛い事でもあったの?」

 

「辛いというより、少し寂しいのかも。だけど……こんな名誉な事は無いって父様も母様も喜んでくれたのよ。
私のような者でも、お仕えさせて頂くことができるんだもの」

 

大役を任されたからには、精一杯尽くさなくてはいけない。

 

「君って偉いね。感心しちゃったな」
「そ、そんな事ないよ」
私は恥ずかしくなって、俯いてしまう。
「あのさ、もう一つだけ質問。君の名前……聞いてもいいかな?」
少年は照れたような笑顔を向け、私に尋ねてきた。
人さらいや賊の類ではなさそうだと安心し、私は口を開く。
「私の名前は壱与。壱与って呼んでくれていいわ。あなたのお名前も教えて?」
「君が…出雲の大豪族からの人質……」
「どうしたの??」
「……あぁ! そういえば、君に出て行くように言われてたよね。ごめん、すっかり忘れてたよ」
そう言って少年は立ち上がろうとする。
私はそれを慌てて止めた。
「ま、待って」
「どうしたの?」
「私ね。もう少しだけ、あなたとお話ししていたい……」
「いいの? 泣き声が聞こえてきて迷い込んだだけだし、僕が居たら迷惑じゃない?」
「とっても故郷が懐かしくなっちゃったんだ。お願いだよ、もう少しだけ……」
「わかったよ、壱与。君の故郷の話、たくさん聞かせて?」
「うん。あのね……」

 

少年は私の語る故郷の話を楽しそうに、興味深く聞いてくれた。
久しぶりの楽しい会話に、心が弾む。

 

「でね、手習いも沢山あって。難しくって、すごく苦手だったんだよ」
「僕も手習いは嫌いだな。やっぱり僕たちって、似てるね」
二人とも顔を見合わせて笑い合う。
クスクスと声を抑えて、口うるさい大人に見つからない様にするのがとっても楽しい。

 

「……僕、そろそろ戻らなきゃ」
「そっか、もう遅いもんね。また来てくれるかな……えっと」
まだ名前を聞いていない事を思い出す。
少年は胸元をゴソゴソと探り、首にかけていた翡翠の勾玉を取り出した。
「これは僕の宝物なんだ。次に会う時まで預かってて」
私の手に、深緑の宝石が握られる。
月光を浴びてキラキラと光って、綺麗で、この勾玉は少年みたいだな、と思った。
「じゃあね、壱与。さよなら」

 

私は少年の背中を見送り、寝床に戻る。
(いい子だったな。でも、名前は教えてくれなかったよね…)
上手くはぐらかされてしまった気がする。
少し残念だったけど、宝物を預けてくれたということはまた会えるということだ。
私は翡翠の勾玉を握り締め、目を閉じた。

 

(そうだ……でもあの子には結局しばらく会えなくて……)
私の手元には少年が残した勾玉だけがあった。
それだけが、あの夜のことが現実にあったことだと教えてくれる唯一のものだった。
私は少年に預った勾玉をいつも懐に忍ばせていた。
首にかければ大人に見つかって取り上げられるかもしれなかったからだ。
それでもこの地へきて唯一楽しかった記憶は、私に少しの強さをくれた。
次に少年に会ったときに笑顔でいたいという思いが、泣き暮らしていた私から涙を消し去った。

 

「壱与は最近明るくなったわね、よかったわ」
先代の巫女は優しい人で、私の母のようでも姉のようでもあった。
私と同じように前の巫女に選ばれ、神殿へ入った人だ。
私と違うのは帝の血縁者ということくらい。
先代の巫女の下、いろいろな儀式や占い、舞を覚えていく日々。

 

「壱与は本当に力が強いわね。私なんか足元にも及ばないわ」
「そんなことは……」
「ふふ、謙遜ししないの。あなたを選んだ私の目に狂いはなかったってことでもあるのだから」
「……はい」
「それに、これなら私もなにも思い残すことなく安心して巫女を降りられるわ」
「え!?」
唐突な言葉に、私は驚く。

 

「驚くことではないでしょう?代替わりの為に次の巫女を選ぶのだから」
「そう……ですよね」
「これからはあなたが帝の為に、神託をうけるのよ。あなたなら大丈夫」
「はい……」
それから、ほどなくして巫女の代替わりの儀式の日取りが決められた。

 

そして儀式の前夜、私は眠れずぼんやりと勾玉を見つめていた。

 

「壱与」
唐突に名前を呼ばれハッと顔を上げると、勾玉をくれた少年がたっていた。
あの日からほぼ一年近い時が流れていたけれど、私が彼を間違えるはずが無かった。
それくらい、少年の印象は色あせることなく私に残っていたのだ。

 

「あなた……!」
「久しぶりだね壱与。元気にしていた?」
驚く私に少年は微笑んだ。

 

「なぜ今まで会いに来てくれなかったの? ずっと待ってたんだよ!」

 

何度も思い描いた出会いの光景なのに、想像のように可愛く振舞えなかった。
会ったら笑って迎えようと思っていたのに、不意に出たのが恨み言だなんて子供過ぎる。

 

「あの……違うの、これは、えっと……」

 

どうにか取り繕おうとする私の傍らに、少年は微笑んだまま腰を下ろした。
その横顔は記憶していた少年より、幾分大人びている印象だった。
一年の間に、背も伸びて、体つきも男の子らしくなっていた。

 

「待たせて、ごめん。少し大和から離れていたから、会えなかったんだ」
「離れてたって……」
「これは僕からのお祝いだよ。壱与にとっての宝物になったら嬉しいけど……」
そう言って手渡してくれたのは、メノウの勾玉だった。

 

(このメノウ……もしかして……)

 

「出雲のメノウだよ。これで壱与が元気になってくれたらいいな」
「ど、どうして! 出雲だと知って……」
「故郷の話をしてくれた時に、もしかしてと思っていたからね。
壱与が一番喜んでくれる物は何かなって、これでも、随分考えたんだよ」

 

私は受け取ったメノウの勾玉をギュッと握り締める。
王国だった故郷も、この大和王権に下って十数年。今はただの一豪族に過ぎない。
メノウは王国として栄えていた故郷の誇りと、懐かしい潮の香り、なにより父と母の笑顔を運んでくれた気がした。

 

「ありがとう……。ずっと、ずっと大切にするから!」
「そう言ってもらえて、僕も嬉しいよ。貸して、つけてあげるから」
手が首元にまわされ、紐が結ばれる。くすぐったくて、思わず肩をすくめた。
「ごめん。嫌だった?」
「ち、違うの。続けて」
つけ終わったのを確認して、私はずっと預かっていた少年の勾玉を返した。
少し寂しいけれど、私には少年から貰った新しい宝物がある。

 

それから、私たちは自然とお互いの出来事を話し始める。
一年間を埋めるように、夜通し語り合った。

 

「あっ! 僕、もう行かなきゃ……。もっと壱与と話していたかったな」
「私も。でも、もう私は……」
(託宣の巫女になったら、簡単には会えないよね)
「そんな顔しないで。すぐにまた会えるから。それじゃ」

 

(あっ、行っちゃった。そういえば、また名前を聞けなかったな)

 

メノウにはたくさんの色があるけれど、青メノウは出雲でしか産出しない。だから、青メノウは出雲石ともよばれている。
けれど出雲の民は青メノウのほかに大事にしている色があった。
それは、彼が持ってきた赤いメノウだった。
通常より大きなつくりの勾玉は、昔、玉祖命が出雲のメノウを使って作った八尺瓊勾玉を模したものだろう。

 

(偶然かもしれないけれど、もしそうならうれしいな)
出雲の民にとって、出雲で産出したメノウが大伸に献上されたことは誇りだ。

 

(あれ?)
そう思って首にかけられた勾玉をぎゅっと握ると、懐かしい故郷の波動とは違う、けれど不思議と安らぐ波動が感じられた。
巫女としての修行を積んできた私だから感じられる波動。
巫女に選ばれる前の私なら気付かなかっただろう。
どこまでも穏やかで、静かな……そう、月のような。

 

(本当に八尺瓊勾玉を忠実に再現したのかな……?)
八尺瓊勾玉は陰、つまり月をあらわしているといわれている。
まだ正式な巫女ではない私は本物の八尺瓊勾玉を見たことはないけれど、きっとこの勾玉に近いのではないだろうか?
私はそっと勾玉から手を離し、床につく。

 

(あしたは大事な儀式だもの、ちゃんとやすまなくちゃ)
目を閉じてしばらくすると、ふと身体が浮き上がるような感覚に襲われる。

 

(あ、また……?)
(そうだ、私はずっと前から夢を見ることが多かった)
巫女に選ばれる前から、不思議な夢を見続けていた。
巫女に選ばれ、修行をするにつれはっきりとした夢を見るようになった。

 

(今度はどんな夢だろう……)
(この夢は……だめ、見てはいけない……!)
過去の私と現在の私の意識が交じり合う。

 

(この夢は……駄目……!)
それは私が封印しておきたい、最も思い出したくない過去だった。
月の波動に導かれるまま、押し込めていたはずの記憶が再生されていった。

 

八咫鏡には、変わり果てた故郷の様子が映し出されている。
「な、なんで……こんな事に……出雲が…」
身体が震えて、涙が溢れてくる。
真実を見通す鏡が映し出したのは、大和の兵が出雲の村々を焼き払っているところだった。
収穫間近の稲田も、家もすべて炎に包まれている。
たくさんの人々は戦火に逃げ惑い、無残に殺されていた。

 

「壱与。とうとう視てしまったんだね」
振り向くと、そこには冷たい表情をした少年が立っていた。
私は立ち上がり、少年に掴みかかると叫ぶ。
「帝……あなたがやったの!!」
少年は観念したように肩をすくめると、溜息を漏らした。
「そうだよ。八尺瓊勾玉を模して作ったものでも、君の力を抑えることはできなかったんだね。
できれば何も知らないまま済ませたかったんだけど……巫女としての才がこれほど秀でているのは誤算だったな」
帝は悲しげな顔をすると、私から視線を逸らすように胸元にある赤い勾玉を見た。
そして、さらに言葉を続ける。
「出雲は元々は根の国だ。民草でさえ怪しげな鬼の力を使いこなす。
とくに王族は君も含め、優秀な鬼道の使い手ばかりだ。
今は大和に支配されていても、その強い力は必ず仇となる。だから、滅ぼすんだ。この国を守るためにね」

 

(そんな……)
父は争いを避け、無血で王の座を退いた。
託宣の巫女も、名ばかりの人質に過ぎなかった事だと最近の夢見で知った。
それでもここで暮らした日々や、先代の巫女、何より帝を信じていたかった。
すべて無駄だったというなら、いっそ大和国と戦って散った方がマシだったとさえ思う。

 

「……父様、母様も殺したの? もう私の故郷は無いというの?」
密かに抱いていた恋心や尊敬の念は吹き飛んで、憎悪だけが心を埋め尽くしていく。
どす黒い感情のせいで、ひどく吐き気がした。

 

「僕に話してくれた沢山の出雲での出来事、兵をさし向けるのにとても役に立ったよ。
残念だけど、君の親や親戚の鬼はすべて殺した。だけど、壱与だけは僕の大切な宝物だ。
この翡翠よりずっと美しい鬼の姫君。伊勢に宮を用意させてあるんだ。そちらで……」

 

ドンッ

 

「触らないで!」
抱きしめようとする帝を突き飛ばすと、奉ってある神器の一つ、八咫鏡を地面に思い切り叩きつける。
青銅の鏡は真っ二つに割れて、転がった。
(信じるものすべて、無意味だった……嘘で塗り固められていた……)
そして、草薙剣を手に取る。

 

ずしりとした剣の重さと、柄のひやりとした冷たさに私は我に返る。

 

(私は、今何を……)
剣先を帝に向けたまま呆然と立ち尽くす。
そんな私を帝は静かに見ていた。
それから再度私にゆっくり近づいてくる。

 

「壱与、君に人を傷つけることは出来ない……。君は僕とは違う。優しい人だから」
「……父様だって優しい方だったわ」
「……壱与の親なら、優しい人だっただろうね」
「そうよ、争いを好まない優しい人だった……」
「そうだね……だけど、君の父上が亡くなったら?他の王族は反旗を翻さないと言い切れるかい?」
言われて私は言葉に詰まる。

 

(言い切れない……)
私は父様の弟を思い出す。
父様と違い、大和と徹底的に争う姿勢を示していた。
手から力が抜け、剣が足元に落ちる。

 

「僕には大和の民を、大地を守る義務がある」
(私はこの地と民を守ることが役目だ)
帝の言葉と父様の言葉が重なる。
私にだって分かっているのだ、国を治めるためには時に非情にならなければならないことを。
胸の内の憎悪が見る見るしぼんでいく。

 

「壱与、僕とおいで。君だけは僕が守るから」
私は差し出された手をぼんやりとみつめる。

 

 

756~761

「壱与、何か食べないと体が持たない。少しでいいから何か口にしてくれないか?」
人影が私の横に立つ。
私はぼんやりと空を見上げたまま、その言葉を黙殺する。
故郷がなくなった事を知ったあの日の激情のあと、私は抜け殻のように過ごしていた。

 

今は、何も考えたくない。

 

三種の神器は解放されたけれど、その力は契約を結んだ私の近くにとどまっている。
考えてしまったら、力を使ってこの悲しみをこの世界へぶつけてしまいそうだった。
そんなことはできない。
この世界には多くの人が住んでいる。
人だけじゃない、他の生き物もたくさん暮らしている。
私の悲しみですべてを終わらせていいものではない。

 

だから、私は何も考えない。隣に居るのが誰かも知る必要はない。
……もっと冷静になれるまで。

 

「壱与……、お願いだ僕を見てくれないか?」
声の意味を考えてはいけない。

 

「……………いて」
「壱与?」
「放っておいて、私は世界を壊したくない。まだ……早いの」
「壱与……」
そっとぬくもりに包まれる。

 

「すべて僕の責任だ。恨むなら僕を恨んでくれてかまわないから……だから、お願いだ、少しでいい、何か食べてくれ」
懇願する声にふと意識が向く。

 

だめ、見てはいけない。
本能がそれ以上意識を向けることをとめる。

 

もう何日も食べ物を口にしていない。
飢えと乾きは、とっくに限界を超えていた。
けれど、何も考えない。考えてはいけない。

 

「このままでは、君が死んでしまう。お願いだから、食べてくれ」

 

この声に、耳を貸してはいけない。

 

「こんなに細くなってしまって……」

 

私を包むぬくもりが強くなる。
この匂いに包まれていると、何もかもが馬鹿らしくなってくる。
……もっと欲しいと願う。

 

「ほら、口をあけて食べてごらん」

 

口許に穀物が差し出される。
けれど、こんなもので私は満たされない。

 

「どうして口を開けてくれない。本当に死ぬつもりなのか」

 

保っていた理性が沈殿する。
心を埋めていた悲しみが、本能に塗り替えられていく。

 

「間違ったことをしたとは思わない。けれど……君を失いたくない」

 

前も感じたことのある、どす黒い何かが心を埋める。

 

「君の望む事だったらなんでもしよう。だから、お願いだ。食べてくれ……」
「たべる……」

 

懇願する声が耳に届き、私の中で何かが弾けた。
私は包んでいたぬくもりを、優しく解いていく。
折箸が床に落ちて、乾いた音を立てた。

 

「とてもおいしそう。あなた」
「なっ!」

 

抵抗できないように、ゆっくり組み敷いた。
首元に舌を這わせて、味を確かめる。

 

「……くぅ」
「おいしい。もっとちょうだい」
「何を……まさか……!」
「そう。たべるの……あなたを……」

 

私は獲物の肩に犬歯を立てた。

だめ、いけない……。

 

(だめだよ!壱与!)
私は必死に壱与に呼びかける。

 

(お願い、やめて! 私の声を聞いて!)
壱与の犬歯が皮膚を少し食い破ったのか、ほんの少し血の香りが辺りに漂う。

 

(そのまま本物の鬼になったらだめ! 元の壱与にもどって、お願い!)
「……だれ? 懐かしい、あなただれ?」
「壱与……?」
私の呼びかけに壱与が動きを止める。
唐突につぶやいて動きを止めた壱与に帝が心配そうな声をかけた。
自分を食べようとした壱与の変化に帝は戸惑っている。
どうやら壱与が本当の鬼になってしまう事に驚きこそすれ、壱与を畏れているわけではないらしい。

 

「懐かしい、お父様と同じ力……お父様?」
(同じ力……あ、神宝の力のことかな?)
壱与は私を探して視線をさまよわせる。
部屋の上のあたりから様子を見ていた私に、壱与が気づいた。
不思議そうに私を見る。

 

「いち、よ?」
帝には私が見えていない、急に宙を見据えて動かなくなった壱与を心配そうに見ている。

 

「ねえ、だれ? お父様と同じ力を持つあなた、懐かしい……」
壱与はまだ完全に自分を取り戻していないようだ。
たどたどしい言葉遣いでたずねてくる。

 

壱与が私の存在を父親だと勘違いしているなら、その方がいい。
壱与は失ったものの大きさに負けているだけだ。
私は壱与の父親であった出雲国王の口調を思い出しながら、ゆっくり語りかける。

 

(壱与……。私だ……壱与)
「お父様。やっぱりお父様なのね!」
(ああ、そうだ。よくお聞き、壱与)
「お父様……壱与もお父様と一緒にそちらへ行きます……。お願いです。黄泉へ連れて行ってください……」

 

涙を流しながら懇願する壱与が、小さな頃の自分と重なる。
お母さんに捨てられたと、泣き腫らした日々をフッと思い出した。

 

(来てはならない。お前にはまだやるべき事が残っている)
「やるべき……こと?」
(お前はもう、大和の者だ。すべての民の幸せを祈り、巫女としての役目を果すのだ)
「出雲を滅ぼした国のために、祈ることなんて出来ません」
(憎しみや恨み、復讐からは何も生まれない。お前はそれらの心の闇に打ち勝たなければならないのだ)
「無理です。だから、一緒に連れて行って……」

 

「壱与……」
心配そうに見つめながら、帝は血に濡れた肩を押さえている。
私はその姿を見ながら、壱与に再び語りかける。

 

(すべてに感謝する心、愛しむ心を忘れず、生きていきなさい)
「私一人では出来ません。お父様が居ないと、壱与は何もできません。だから、私の前に姿を現してください!」
(お前はもう一人ではない。お前を想い、支える者がすぐ傍らにいる……)

 

その言葉で、壱与ははじめて帝を見る。
壱与は私自身でもある。だから、憎みきれていない事も、密かに想っている事も知っている。

 

(壱与。その者と手を携え、役目を果たすのだ。私は…いつでもお前を見守っているよ……)
「待って! お父様、行かないで!」

 

私は壱与と意識を閉ざすと、溜息をつく。
(はぁ……疲れた。お姫様に向って、説教しちゃったよ……)
お母さんが私につけてくれた「愛菜」という意味を冬馬先輩から聞いておいてよかった。
かなり適当に言ったけれど、壱与は信じてくれているようだ。
これも壱与が父親を尊敬しているからこそ、素直に信じたのだろう。

 

(私なんかで良かったのかな……。壱与、ちゃんと立ち直ってくれるよね……)

 

(大丈夫かな……)
私は壱与に入り込むと、壱与自身になりながら傍観し始める――。

 

目の前には、傷ついた帝の姿があった。
口内に広がる鉄の味が、すべてを物語っている。

 

「わ、私……あの……」
「壱与……」

 

帝は肩を押さえながら、私の名前を呼んだ。
そして、一歩、また一歩と近づいて来る。
私は帝から逃れるように、壁を伝いながら後ずさりをしていく。

 

「壱与。さっき君は父親と話しをしていたんだね? よかったら、内容を僕に教えてくれないか。
すっかり嫌われてしまったけれど、せめて罪を償わせて欲しいんだ」
「来ないで……お願い」
「どうして!? もう、僕を見るのも嫌なのか」
「違う。違う……」

 

(見られてしまった。一番知られたくない人だったのに……)

 

私の中の本性、人喰い鬼の姿を帝に知られてしまった。
美しいと賞賛される外見は、人を食べるための罠。
人間を誘惑し、喰らっていた頃の名残に過ぎない。

 

(お父様は帝と生きていくようにと、遺言を残された。だけど……それも叶わない)

 

「なぜ、なぜ僕から逃げる!」
「知られてしまった……。もう、一緒に居ることは出来ないの」
「何を怯えているんだ。僕はここに居るだろう」

 

(とても憎い人。大嫌いだけど、こんなに心が痛いのは、強く強く惹かれているから……)

 

部屋の端まで追い詰められて、もう逃げ場がなくなってしまった。
帝は私の腕を掴むと、ぐいと引き寄せる。
帝の身体に勢いよくぶつかると、苦しいくらいに抱きしめられる。

 

「嫌われているとわかっていても、君を求めずにはいられない。
君の国を滅ぼした酷い男だが、必ず君を大切にすることを誓うよ」
「離して……」
「離さない。納得できる理由を教えてくれるまでは」
「私は……。私は……」
「僕を喰らいたいのなら、今、ここで片腕を君に差し出してもいい」
「何を……言って……」
「もし全身を欲しいというのなら、少しだけ待って欲しい。
今は死ねないけど、この国に平穏が訪れた時、この命を必ず君に差し出そう。
それが罪を償うことになるのなら、僕は……喜んでその罰を受けるつもりだ」

 

(壱与。どうするつもりなの?)

 

「私は……あなたは……」

 

壱与は混乱している。
なぜ帝がこんなことを言っているのか分かっていない。
(壱与……帝はあなたを畏れていないのよ。ただあなたを求めてるだけなの)

 

「私は、あなたに……あの姿を知られたくなかった……知ったらすべてが壊れてしまう」
「なぜ?」
「私は鬼だから……人ではないから……」
「鬼でも人でも魔でも壱与は壱与だ、関係ない。いったい何が壊れるというんだ」
「……私が、怖くないの?」
「壱与が? なぜ僕が壱与を怖がるんだ?」
帝は心底分からないというように、首をかしげ壱与を覗き込む。

 

「僕が壱与を怖がることはない。こんなに愛しいのに」
そういって帝はさらに強く壱与を抱きしめる。
それを聞いた壱与の頬を新たな涙が伝う。

 

「本当に?」
「今まで君にはたくさんの嘘をついたけれど、これだけは本当だ。壱与、君が好きだよ」
「…………」
「だから、この国が平和になったら、君にこの命をあげるよ」
「いらない」
「壱与……そこまで僕は嫌われてしまったのか……」
「命はいらない……おねがいずっとそばに居て。もう一人にしないで……」
「壱与……本当に? 僕の都合のいいように解釈してしまうよ?」

 

(……もうこの二人は大丈夫ね)
私は壱与の体から抜け出す。
最後にふれた壱与の想いは、帝と同じもののはずだ。

 

 

772~799

あれから、私たちはお互いの気持ちを封印し、強い信頼関係を築いていった。
けれど、三種の神器はその拠り所を失い、力を弱めていく一方だった。
人間に与えられた祝福だったけれど、私が壊してしまったのが原因だ。
託宣も最近は得られず、巫女としての使命に限界を感じ始めていた。

 

「壱与!」
「帝……!」

 

久しぶりに現れた帝は、少しやつれ気味だった。
天災続きで、政にも影響が出ているのだろう。

 

「今日は面白いものを持ってきた。見てくれないか」

 

顔色とは裏腹に、帝は子供のようにはしゃぎながら私にある竹簡をみせる。

 

「これはなんでしょう?」
「大陸から贈られたものだ。しかし、文字というのは難しいな……」
「えーっと……これは経典ですね」
「なぜ分かる? まさか、君は大陸の文字が読めるのか!?」
「ええ。出雲と楽浪郡は貿易が盛んでしたので……」
「すごいぞ! 頼む、僕に文字を教えてくれないか」

 

(教えてしまってもいいのかしら……)

 

「いいですよ」
「本当か!? ありがたい」

 

これを期に、私は帝に文字を教えることになった。
大和が大陸と本格的に貿易を始めたのが、最近だという話だった。
帝は要領がいいのか、砂が水を吸うように文字を覚えていく。
そして、数ヶ月もしない内にほとんどの文字が読めるようになっていた。

 

「この仏教というのは、興味深い教えだな」

 

帝はしみじみと竹簡を見ながら、呟いている。

 

「どういった内容なんですか?」
「うーん。色々なことが書いてあるな」
「色々……」
「一言でいうと、心の在り方を説いている……というところだ」
「心の在り方?」
「個である意識の問題かな。たとえば、思うようにならない苦しみがあるだろう?」
「はい」

 

(災厄に疫病……思うようにならないことばかり)

 

「なぜ苦しむのか。それは、比べているんだ。思い通りになった自分と。そして嘆く」
「なんとなく……わかります」
「苦しむことも嘆くことも比べる事自体が無意味なんだ。自分自身も原因と結果の一つに過ぎないのだから。
その大きな流れの中で自分は生かされている。けれど、自分の行いもまた原因を作り結果を生む。
だから、身の丈にあった出来ることを精一杯すればいい。要約すればそんな感じだろうな」
「難しいですね」
「まあな。僕は絶対者である神の系譜だ。だが、この教えは絶対神を否定している」
「神であることに、疲れているのですか?」
「そうだな……。きっと、そうなのだろうな」
「でも……」

 

そう言いながら、私は言葉を続ける。

 

「でも……すべての中に神はいます。小川のせせらぎの中にも。風の中にも。
たとえ祝福がなくなってしまったとしても、人はその美しい声を聞くことが出来るはずです」

 

「そうか。やはり君は:…気高く…強いな……」
帝は私を見ながら、穏やかに笑った。

 

(二人が何を言っているのか全然わからなかった……)

 

二人が何を言っているのかは分からなかったけれど、壱与の言った言葉は私も知っていることだ。

 

(すべての中には神がいる……)
壱与が言っている神には精霊も含まれているのだろう。
チハルは、精霊は力が強くなると神に昇格すると言っていた。
つまり、すべてのものは神になれる可能性を秘めているのだ。
壱与にとってそれは当たり前で、帝がなぜそんな事を言うのか不思議に思っている。
私はふと、壱与のいるこの時代の風景を見たくなった。
大和に来てから壱与の記憶はほとんどが神殿の室内で、外の景色はその窓から見える範囲に限られていた。
(ちょっと見て見たいな……)
ふとそう思うと、不意に視界が変わった。

 

@@@@

(ここは……?)
どうやら森のなからしい。
現代の日本では限られた場所でしか感じることが出来ない濃い緑の香り。
重さを感じてしまうくらい濃密な空気。
そして、そこここに感じる力の気配。

 

(この力の一つ一つが精霊なのかな? ……あれ?)
澄んだ力の気配とは異質な気配を感じて私はそちらに意識を向けた。

 

(なんだろう……懐かしい感じもするのに、嫌な感じもする……)
確認したいけれど、かすかに感じる嫌な気配にためらってしまう。

 

(せっかく来たんだしね)

 

私は湿り気を帯びた空気を吸いながら、深い森をさらに進んでいく。
すると、鏡のように澄んだ池が見えてきた。

 

「お前は……誰だ」

 

うしろから声がして私は振り向く。
すると、隆が立っていた。

 

「隆!!」
「……人間じゃないな。何者だ」
「隆……なんでこんな所に? 迎えに来てくれたの?」
「タカシ? それはどんな食べ物だ。うまいのか?」
「何言ってるの? それに……そんな裸みたいな格好してたらお腹痛くなるよ」
「貴様……よく見ると鬼だな」

 

隆はそういうと、途端に敵意むき出しにして私を睨む。
(ヘンな隆……)
それに……格好だけじゃなくて、いつもの隆とは決定的に違っているものがあった。

 

「耳……だ」
「鬼め。ここの精霊たちを喰いにきたのだろううが、そうはいかないからな」
「よく出来てる耳。隆が作ったの?」
「この土地を守護する者として貴様を倒す!」
「何の変装…わかった! お化け屋敷のだ」

 

私はその良く出来た耳をギュッと触る。
すると生きているみたいに暖かくて、ピクンと動いた。

 

「わ! 本当に生えてるみたい」
「気安く触るな!」
「狼男のつもり? だけど、香織ちゃんから聞いてるでしょ。うちクラスは和風だよ」
「俺の話も完全に無視とは……大した度胸だ。死んでから後悔するんだな!」

 

そう言うと、隆は私に掴みかかってきた。

 

私はとっさにぎゅっと目を瞑り、顔の前で手を交差して頭をかばう。
けれど、衝撃は来なかった。

 

(あれ?)
不思議に思って、おそるおそる目を開ける。
目の前に隆はいなかった。
あわてて周りを確認すると、私の後で呆然と立っている隆がいた。

 

「すり抜けた? ……貴様、普通の鬼でもない、のか?」
悔しそうに唇をかみしめる隆に、私はふと疑問を覚える。

 

(そういえば隆に、私が鬼になったこと言ってないよね……? 何で知ってるの?)
春樹が隆に言ったのだろうか?
いや、春樹がわざわざそういうことを言うとは思えない。
それにあの耳も、温かくて血が通っているようだった。

 

「何者だ……その強い力……」
敵意をむき出しにしたまま、警戒するように隆は幾分腰を落として私を見ている。
いつでも飛びかかれるような態勢だ。
それに、すり抜けたってどういうことだろう?
私はさっき普通に触ることが出来た。

 

「ね、ちょっと聞いていい? あなた隆じゃないの?」
「だからそれはなんだ?」
「そっか、違うのか……」
けれど、見れば見るほどそっくりだ。

 

(耳だけは違うけどね……そういえばさっき……)
ここを守護するものとか、精霊を喰いにきたとか言っていたような?

 

「ちょ、ちょっと、もしかして私が精霊を食べるとでも思ってるの!?」
「食べないとでも言うのか? 貴様鬼だろう……ちょっと変わってるが」
「食べるわけ無いじゃない!」
そりゃあ、野菜なんかにも精霊がいるのだからそういう意味では食べてると言えるけど……。

 

「野菜とか果物とかは食べるけど、それにも精霊がいるんだろうけど……むやみに食べたりしないわよ」
私の言葉に、隆のそっくりさんはぴくっと耳を動かした。
けれどそれは私の言葉に反応した分けでは無いらしい、私もすぐに異変に気付く。

 

「なに、この嫌な感じ……」
さっき感じた嫌な感じがこちらに近づいて来る。

 

「敵が来る」
「え?」
「お前の仲間だろう」
「……鬼ってこと? でも、鬼の一族は壱与以外……まさか、高村の一族?」
力の弱くなった鬼、それが高村の一族だといっていた。

 

突然空気が震える。まるで、何かが引き裂かれたかのような感じがした。

 

「な、なに!?」
「くそっ、鬼めっ」
隆のそっくりさんが、ものすごい勢いで嫌な感じがする方へと走って行く。

 

「隆! 待ってよ!!」
私は急いでその背中を追いかけた。

 

(足、早すぎ……)

 

「見つけた……手負いの鬼だ」
隆のそっくりさんが草むらに隠れる。
私もそれにならった。

 

陰から覗いたその姿は、それなりの地位を持っているであろう男性だった。
小川の脇、大木に座り込んでその身を隠している。
身体から止めどなく血が流れ、酷い怪我をしていた。

 

(助けなきゃ……)
「おい、お前!ちょっと待てって!!」
そっくりさんの制止を振り切り、草むらから飛び出すと男性の前に立つ。
「大丈夫ですか? すぐに祈祷を……名前を教えてもらっていいですか?」
祈りを捧げるためには対象者の名前が必要だった。
「……守…屋」
「わかりました。それ以上はしゃべらないでください」
私はその男性の身体に触れ、祈り始める。

 

「見つけたぞ! こっちだ!!」
その時、男性を追ってきた兵のひとりに見つかってしまった。
(どうしよう……このままじゃ、この人死んじゃうよ)

 

もぞもぞと草むらが動いて、隆のそっくりさんが現れる。
そして男性を背負うと、私に向かって口を開いた。
「こっちこい。見つからないとこまで走れ!」

 

私はあわてて隆のそっくりさんについていく。
人を一人背負っているとは思えない速さで走って行く彼に、付いて行くのが精一杯だ。

 

「おい、お前たち侵入者だ、かく乱しろ」
そっくりさんは走りながら周りに向かって声をかけている。
その声に反応するように、精霊のものと思われる力が幻影を作り出していく。

 

「すごい……」
振り返って見ると、幻影に惑わされた兵士が別の方向へ走って行く。
しばらく走り、繁みに囲まれて隠れるのによさそうな木の根元で、そっくりさんは守屋さんを降ろした。

 

「ここまでくれば平気だろ」
「………っ」
「! すぐに癒します」
私はあわてて傷の上で手をかざす。
守屋さんの名前を唱え、神に祈る。
身の内にある、神宝の力が守屋さんを癒していく。
鬼ということもあるのか、力はすぐに守屋さんの傷を塞ぐ。
流れた血はさすがに戻せないけれど、これで命に危険は無くなったはずだ。
守屋さんはぐったりとしていて、まだ話す元気は無いようだ。

 

「あんた、その力……巫女? いや、だが間違いなく鬼の気配が……」
隆のそっくりさんがぶつぶつと言っているのに気付いて、私は振り変える。

 

「私は鬼だけど、巫女でもあるの……昔ね」
「昔?」
「うーん、なんて説明すればいいのかな? 前世?」
「ふーん……?」
そっくりさんは納得したのかしないのか、あいまいに返事をする。
とりあえず、このそっくりさんに名前を聞いてみようと、私は立ち上がってむきあう。

 

「私、愛菜っていうの。あなたは?」
「アイナ? 変な名前だな……。 俺は……」
そっくりさんはそこで言葉を濁し、視線をさまよわせふと一点で視線を止めた。
そちらをみると、木の枝が風で揺れ葉に光が反射してている。

 

「俺のことは光輝とでも呼べばいい」
「コウキ?」
「そうだ」
「ていうか、いま思いついたみたいな答えなんだけど?」
「あたりまえだ、良く知りもしない相手に本名を教える精霊がいるわけ無いだろう」
いわれて、記憶がよみがえる。
そういえば、真名とはとても大切なものだった。
現代でこそ普通に名乗りあっているが、この時代では真名を握られると言う事は命を握られるのと同意だった。

 

(普通に名前教えちゃったよ……ま、いいか)
光輝が私の真名をしって、何かするとは思えない。

とりあえず……

 

(守屋さん。大丈夫かな……)

 

守屋さんの身なりは、ちゃんとしていた。
材料の乏しいこの時代でも、上等なものはすぐにわかる。

 

(若く見えるけど……この人、身分が高い)

 

だけど、なぜ追われていたんだろう。
あの兵は、たぶん大和も者だ。

 

(ということは……出雲の民……?)

 

大和の兵に追われている鬼ならば、逃げ延びた出雲の民に違いない。
けれど壱与の記憶を遡ってみても、王族で思い出すことは出来なかった。
(身分は高いけど、きっと王族じゃないんだ……)

 

その時、守屋さんの口から意外に名前が漏れる。

 

「おやめ……くだ……さ…い…帝…」

 

「え?」
驚いた私を見て、光輝が振り向く。
「どうした。何を驚いているんだ?」
「この守屋さんが、今、おやめください帝って……。まるで…家臣みたいに…」
それを聞いて、光輝が腕を組んで首を振った。

 

「あんたの聞き間違いだろ。鬼と大和の帝といえば、いくさで殺しあった国同士だ。
森の中に住んでる俺でも知ってる事だぜ」
「うん。そうだね……」

 

(でも、たしかにそう聞こえたんだけどな)

 

「ところで……鬼の女」
私が考え込んでいると、光輝が声をかけてきた。
「あのさー。鬼じゃなくって、愛菜って呼んで欲しいんだけどな」
光輝はキョトンとした顔で私を見て、鼻の頭を掻いている。

 

「どうしたの?」
「あ、いや……。なんでもない……」

 

「それにしても、隆にそっくりだね」

鼻の頭を掻く仕草もそっくりだ。
もしかしたら、隆と同じで照れてるのかもしれない。

 

「そのタカシってのはなんだ?」
「私の幼馴染だよ」
「じゃあ鬼なのか」
途端不機嫌そうに、光輝は顔を顰める。

 

「違うよ。人間。精霊と話をすることが出来るけど、鬼じゃないよ」
「なんで鬼に人間の幼馴染なんているんだよ」
「なんでといわれても……私が鬼になったのだって最近だし……」
「はぁ? 元々はお前も人間だったって言うのかよ」
意味が分からないと言うように、光輝は首をかしげる。

 

「うん、そうだよ。三種の神器と契約しちゃったから、鬼として目覚めたんだって」
「わけわかんね。大体、神器は大和が管理してるだろ。最近はその力もやけに弱くなってるが……。
 それに、お前の中にあるのは神器じゃないだろう」
「分かるの?」
「あのなあ……俺はこの地を任されてるんだ。 それなりに地位が高いんだよ。
 これくらい分からないでどうする」
「へぇ……光輝ってえらいんだ」
隆と同じ顔だからあまりそういう感じはしないけれど、そういえばさっき周りの精霊に命令していた。

 

「当たり前だろ? まったく礼儀を知らない奴だな」
「ご、ごめんね」
そうだ、隆とそっくりだけど光輝は隆じゃない。
地位の高い精霊みたいだし、隆と同じ感じで話していたらすごい失礼なことなのかもしれない。

 

(って、あれ? ……これって夢、だよね?)
これは過去の私の夢ではないのか?
けれどここに壱与はいない。壱与はあの神殿から出られない。
そして壱与の記憶のどこにも光輝のことは無かった。守屋さんのことも。

 

(壱与から抜け出して、過去に来てるのかな……)

 

よくわからない。
でも、今までの夢から現実での謎が解けてきている。
だったら、今回もこの夢に意味があるのかもしれない。

 

「くっ……ここは…」
どうやら守屋さんが目覚めたみたいだ。
私は守屋さんの傍まで、急いで駆け寄る。

 

「…一体…どこ…なん…だ…」
「ここは……えっと光輝。ここはどこ?」

 

光輝は「はぁ?」という顔をして、仕方なさそうに口を開く。

 

「ここは穴虫峠の外れだ」
「……そうか、俺は……君らに助けられたのか……」
「怪我をしていたので、治療しておきました」
「……すま…ない」

 

そして、守屋さんはまた目を閉じてしまった。
ジッと睨みつけるように見ていた光輝に、私は顔を向ける。

 

「どうしたの怖い顔して?」
「……鬼の女、この守屋ってヤツの手を見てみろよ」
光輝に言われて、私は守屋さんの手を見る。

 

二十五歳過ぎくらいに見える年齢のわりにゴツゴツとしていて、無骨な手をしている。
マメやタコの跡らしきものもあって、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

 

「それ、剣ダコだぜ。きっと、かなりの使い手のはずだ」
「剣ダコ?」
「剣の握りのことに出来るタコだよ。んなことも知らないのか?」
「知らないよ……」

 

「うぅ……」
守屋さんが微かな唸り声を上げている。
傷口は塞いでも、痛みまで取り除くことは出来ない。

 

(壱与に比べると鬼の力は弱い……けど、さすがに鬼だ…)

 

普通の人間だったら、私が治療しても間に合わなかっただろう。
特に失血が酷かったのか顔色は青白く、身体が小刻みに震えている。
きっと、体温が下がっているのだろう。

 

(とにかく暖めなくちゃ……)
私はとりあえず自分の着ている服を見下ろす。
今まで気にしていなかったけれど、私は制服を着ていた。

 

(これじゃあ暖められないよ……)
せめてコートとか来ていれば毛布代わりになったと思うが、無い物はしかたない。
火をおこすことも考えたけれど、追っ手がいる今煙なんて見えたらこちらの場所がばれてしまう。

 

(どうしよう……こういうとき使えそうな術とかなかったかな……)
私は必死に記憶を探る。
火を操る術ばかりが頭をよぎる。

 

(だから、火じゃ駄目なんだってば……)
結局何も思い浮かばす、私は原始的な方法を取ることにする。

 

「?」
不思議そうな顔をする光輝を尻目に守屋さんの手を取る。

 

「うわ、冷たい……」
血が足りないのだろう。すっかり体温が下がっている。
私はあわてて守屋さんの手をさする。
手の皮が厚くごつごつとしていて、ところどころささくれている為、さすっていると私の手も痛くなってきたが気にしていられない。

 

「……おい」
「なによ」
「放って置けよ。鬼なんだ、そんな簡単に死にやしない」
「分かってるけど、でも何か出来るならしたいじゃないの」
背後からかけられる光輝の声は、不機嫌そうだったがこの状態の守屋さんをただ見ているだけなんて出来ない。

 

(どうしよう……ぜんぜん暖かくならないし、なんだかさっきよりつらそう?)
「なんでそんなに必死になるんだ? 同じ鬼だからか?」
光輝が私の横に立つ。

 

なぜって……

 

「ケガ人だもの」

「手負いの獣は放っておくのが普通だろう。変わってるな」
「そうなの?」
「そうさ。下手に助けたら、今度は自分がやられちまうからな」
「確かに……私も危なかったもんね」

 

そこでふと思う。
大和の兵に見つかったとき、なぜ光輝は助けてくれたんだろうか。

 

「じゃあ、光輝は…なぜ私と守屋さんを助けようと思ったの? 普通だったら、助けないんだよね」
「普通だったらな」
「普通じゃなかったってこと??」
「そりゃ……お前を死なせるのが……急に惜しくなったんだよ」

 

光輝はそう言うと、私の横に静かに座った。

 

「鬼のくせに……いい匂いだったからさ……」
「えっ…」
「ホワホワするっていうか……」

 

そして、私の髪の間に指を絡ませる。
裸みたいな隆が、私の髪の匂いを嗅いで目を細めている。

 

(ななななな、なに!?)

 

私は混乱して、光輝を思い切り突き飛ばした。
光輝は勢いよく転がり、後ろにあった倒木に頭をぶつけていた。

 

「いってぇー!!」
「だ、大丈夫?」
「大丈夫なわけあるか! この暴力鬼!!」
「ごめんね。本当にびっくりしただけなんだ」

 

(ゴンって、すごい音してたし……)

 

私が何度も謝ると、光輝はようやく許してくれた。
「ちっ、仕方ねェな。二度とすんなよ」
「ほんと、ごめん……」

 

その後も、私はしつこいくらいに守屋さんを暖め続けた。
けれど、顔色は一向に良くならない。
「おい……」
「何?」
「そんなに、鬼の男を助けたいのか」
「うん」
「まったく、仕方ねぇな……」
光輝は守屋さんを背負うと、ぶっきら棒に言葉を続ける。

 

「付いて来い。俺のねぐらはここより暖かいからな」

 

「ありがとう、光輝」
守屋さんを背負って前を歩いていく光輝にお礼を言う。

 

「なんで、お前が礼を言うんだよ?」
「だって、この人を助けてくれたもの」
「だから、なんでお前が礼をいうんだ? こいつはお前とまったく関係ない鬼なんだろう?」
「でも、私が助けたいって言ったから助けてくれるんでしょ?」
「……気が向いただけだ」
そういう光輝の顔が赤い。

 

(なんか、こういう素直じゃない反応もそっくりだよね、本当に隆を相手にしてるみたい……)
光輝のねぐらという場所はさっきの場所からそれほど離れていなかった。
けれど……

 

「ちょっと、光輝、これがねぐら、なの?」
「おう」
光輝は短く答える。私は呆然とそれを見た。

 

(おっきい……)
神社でみるような御神木よりもはるかに大きな木だ。
いったい何百年、いやもしかしたら千年以上生きているのかもしれない。
光輝はその木の枝をひょいひょいとジャンプして上へ上へと登っていく。

 

「ちょ、ちょっと!」
あっという間に姿の見えなくなった光輝に、私は呆然と立ち尽くす。
けれどすぐに光輝が戻ってきた。守屋さんはもう背負っていない。

 

「なんだ、登れないのか? 仕方ないな」
光輝は立ち尽くす私を見て肩をすくめると、掬うように私を抱き上げる。
いわゆるお姫様抱っこだ。

 

「ちょ、ちょっと!?」
「登れないんだろ? おとなしくしてろ」
私よりも重い守屋さんを軽々運んでいただけあって、まるでなんでもないことのように再度ひょいひょいと木を登っていく。
思わず下を見てしまった私は、思わず光輝の首にしがみついて目を閉じた。

 

「た、高い高いっ!」
「うあ、急に首を締めるな! びっくりするだろ!? ……ほら、ついたぞ」
言われてなるべく下を見ないように恐る恐る目を開く。

 

「わぁ……」
この木は回りの木よりも大きいため、そこから見える景色は緑色のじゅうたんのようだった。
思わず感嘆の声を上げ、ふと思い出す。

 

「ここに住んでるの?」

「さっきから、ねぐらだって言ってるだろ……」

 

呆れたように言いながら、光輝はゆっくり下ろしてくれた。
喜んでいる私を見つめながら、呆れながらも満足そうに鼻の頭を掻いている。

 

「柔らかい……踏んでも平気なんだよね」
「ああ」

 

私は緑色のじゅうたんを踏みしめながら、先に歩いていく。

 

「ちょっと待て!」
「な、なに……うわぁ!」

 

緑のじゅうたんの底が抜けて、片足が落ちそうになる。
光輝が咄嗟に私の手を掴んでくれた。

 

「危ないだろ! よく見て歩けよ」
「あ、ありがとう。気付かなかったよ……」

 

敷き詰められた緑の中に、ところどころ黄色や、茶色になっている場所がある。
葉が腐って落ちてしまった場所もあるようだった。

 

「葉っぱ、腐ってたんだね」
「この大木は特に土地の恩恵を受けているんだ。けど、酷い有様だろ」
「どういうこと?」
「最近、ここの土地もすっかり痩せちまってんのさ」

 

光輝はそれだけ言うと、私を守屋さんのところまで黙って案内してくれた。

 

(なんのことだろ……)

 

「ほら、鬼の男だ」
「うわぁ……ここは……」
「ここなら、身体の回復も早いだろう」

 

(世の中に満ちるエナジー。一郎くんや武くんが言ってたのはこれだったんだ……)

 

蛍のような光が渦巻く場所に、守屋さんは寝かされていた。
その薄緑色の光は数千、数万という膨大な数だった。
光の塊が渦を巻いたり広がったりしながら、守屋さんの周りを漂っている。

 

守屋さんの横に座って、顔を見ると先ほどより少しは顔色が良く見える。
この場所のおかげなのだろう。

 

「よかった……」
試しにその手を触ってみる。けれど体温は相変わらず低い。
私はさっきと同様その手をさする。
後から光輝が近づいてきて、私の横に胡坐を掻いて座る。

 

「……なに?」
その手が伸びてきて私の髪を触ってくる。
守屋さんの手をさすりながら、顔だけ光輝に向ける。

 

「……気にするな」
「気にするなって……気になるに決まってるじゃない」
「そうか、だけど本当に気にしなくていいぞ。
 お前に触ってると力が回復する気がする。ほわほわして気持ちいいし、不思議な奴だな」
言いながら髪に触ってくる。けれどそれ以上近づいてこないのは、さっきのことを警戒しているのかもしれない。

 

(そういえば、チハルもそんなこと言ってるよね。やっぱり光輝も精霊だから感じるのかな?)
私の中の何がそんなに精霊に心地いい物なのか分からない。

 

(でも、隆と同じ姿って言うのがちょっとねぇ……そういえば)
「ねえ、光輝。もしかして子供の姿になれたりする?」
「ん? まあな」
どうしてそんなことを聞くのかと、首を傾げる光輝に私は……

 

「それじゃ、毛布とかにも変われるよね」

「モウフ? それは美味いのか?」
「違うよ。食べ物じゃなくて、寝てる人に掛けたりする物なんだけど」

 

私が説明に困っていると、光輝が閃いたようにポンと手を叩く。

 

「わかった。ムシロの事だな」
「ムシロって言うんだね。光輝お願い、それに変わってもらって守屋さんを……」
「ヤダ」
「どうして? いいじゃない」

 

はっきりと断る光輝に対して、私は言い募る。
でも、光輝は「嫌だ」の一点張りだ。

 

「寒そうにしてて、可哀想だよ」
「ムシロに変身してても、男と一緒に寝るなんてごめんだ。諦めるんだな」
「変身してくれないの?」
「当たり前だ」

 

そう言うと、光輝は不機嫌に立ち上がる。

 

「助けたのはお前がいい匂だったからだ。鬼の男がどうなろうと俺には関係ない」
「じゃあ、守屋さんが辛そうでもいいって事?」
「手負いの獣が死ぬのは天命だしな」
「そんな……」
「同属同士なんだ。お前がこの男を暖めればいいだろ」
「でも……」
「俺がしてやるのはここまでだ。これ以上はお前でどうにかしろ」
「お願い。今頼れるのは、光輝しか居ないんだよ」
「じゃあ、俺の女になれ」

 

(……へ?)

 

「鬼だが、お前は気持ちいい。女になるのならこの男を助けてやる」

 

な、なんだって―!!

 

(光輝って以外にプレイボーイ……?)
隆に似た外見のため、つい右手で拳をつくってしまう。

 

「それ、本気でいってるわけ?」
「な、なんだよ……」
一瞬光輝はひるんだが、すぐにぷいっとそっぽを向く。

 

「嫌ならいいんだ。さっきも言ったように別に俺はこの鬼がどうなろうと、しったこっちゃないからな」
隆なら私が少し怒った様子を見せれば妥協案を提示してくるけれど、さすがに光輝だとそうはいかない。

 

「……ちなみに光輝の女になるってどう言う事?」
光輝は精霊だ、女になるっていう意味ももしかしたら人とは違うかもしれない。

 

「なんだ、その気になったのか? 俺の女になるって言うのはずっとそばに居るってことだ」
「そ、そっか……」
(あいまいすぎて、深い意味があるのかどうかわからないよ……でも……)
今は過去に来ているのかもしれないが、いつ目が覚めるか分からない。
ずっとという約束は出来ないのだ。

 

「ごめん、ずっと一緒にいる約束はできないや」
「どうしてだ?」
「だって、私ここにずっといられないもの。たぶん急にもとの場所に戻されるだろうし」
「なんだよそれ?」
「うまく説明出来ないけど、元の所に戻らなくちゃいけないの」
「誰かに無理やり、連れて行かれるってことか?」

「違うよ、私は本来ここにいない人だから」

「じゃあ、本来はどこに居るんだ?」

 

当然の質問だ。
私だって同じことを尋ねるだろう。

 

「未来……ずっと未来から来たんだよ」

 

光輝はキョトンと目を丸くした後、段々不機嫌な顔になっていく。

 

「嘘にしても、もっと上手い嘘つけよ……」
「本当なんだよ」
「俺のこと、バカにしてるんだな」
「バカになんてしてないってば」
「なら、ふざけてんのか? 鬼だからって、精霊の俺を見下してんだろ」
「質問してきたから答えただけなのに、なんで怒られなくちゃいけないの?」
「くだらねぇ。もうお前だけでどうにかしろ。俺は知らないからな」
光輝はプイと私から背けて歩き出す。
そして、この場所から黙って去ってしまった。

 

(怒らせちゃった……)

 

残ったのは、私と青白い顔をした守屋さん。
守屋さんの手をさすりながら、自分のブレザーを身体に掛ける。
だけど私のブレザーでは、大きさが全然足りない。

 

「どうしよう……」
独り言を呟いていても、助言はない。
自分でどうにかしないと、守屋さんが辛そうだ。

 

(火を使ったら、この木が燃えちゃうよね……)

 

今、ここには私しか居ない。
傷は治したけど、低体温での命の危険も十分あり得る。
私が諦めてしまったら、守屋さんが死んでしまうかもしれない。

 

(ごめんね。少し摘ませて)

 

私は黄色や茶色になった木の葉をしゃがみ込んで千切っていく。
あちこちの別の場所に散らばった枯れ葉を拾い集めるのは大変だ。
水分の少ない葉を出来るだけ沢山にしないと、身体が湿ってしまっては逆に体温が奪われてしまう。

 

(こ、腰が……)

 

小山が出来るほど貯める頃には、腰が痛くなってしまった。
私は守屋さんの着ている服をなるべく緩める。
そして、大量の枯れ葉を守屋さんの上に掛けていった。

 

(よし。これでオッケーかな)

 

守屋さんの身体は枯れ葉にすっぽり覆われた。
毛布とまではいかないけど、まったく無いよりはいいはずだ。

 

(やっぱり、するしかない。よしっ、決めた)

 

私はリボンを解いて、ブラウスを脱ぐ。
キャミソールは……最後の防衛線なのでさすがに脱げなかった。
とりあえずブラウスも枯れ葉の上に乗せてみる。

 

(変態みたいだけど……失礼します)

 

枯れ葉のベッドにモゾモゾと潜り込む。
そして、素肌がなるべく触れ合うように身体を密着させた。

 

(こんな格好で男の人にくっついたことなんて、初めてだよ)

 

泣きたくなるけど、目の前で守屋さんが亡くなってしまうのは絶対に嫌だ。
私はチハルがするみたいに、しっかりと守屋さんに抱きついた。

 

守屋さん。はやく元気になってください

祈りながら、少しずつ鬼の力も送る。
すると、熱に反応したのか鬼の力に反応したのか守屋さんは身じろぎすると、私をぎゅっと抱きしめてきた。
守屋さんの冷たい身体に私の体温が奪われ、思わず身震いする。
その目は堅く閉ざされたままだ。

 

(無意識、なのかな?)
きっと本能がそうさせたんだろう。 
自分で熱を生むことが出来ない身体が、近くにある熱を欲するのは自然のことだ。
私は守屋さんの顔を見る。こころもちさっきより顔色がいいように見えた。

 

(この場所のおかげでもあるかな?)
さっきまで眉間に刻まれていた皺も、いまは無く呼吸も少し穏やかになっている。
と、守屋さんの瞼がピクリと動いた。
それからゆっくりと目が開いて、守屋さんを見ていた私と視線が合う。
守屋さんは、どこかぼんやりした感じで瞬きをすると少し首をかしげた。

 

「……ひ、め?」
「え?(ひめ、って姫のことよね……壱与と間違えてる?)」
守屋さんは鬼なのだから、私が知らなくても壱与を知っている可能性はある。
私が鬼の力を分けているから、意識がまだはっきりしていない守屋さんは勘違いしているのかもしれない。

 

「姫、申し訳、ありません、王をお守り、できず…………生き恥を……さらし……」
やはり私を壱与と間違えているようだ。

 

「……人間と偽り姫を……お助け……と………鬼の国を………お慕い……」
途切れ途切れにの言葉にが、だんだんと小さくなっていく。
最後の方の言葉はほとんど聞こえず、何を言っているのかわからなかった。
そして開いていた目もまたゆっくりと閉じられる。

 

(出雲の王様を守っていた人、なのかな?)
光輝の言葉を思い出す。
守屋さんの手は剣を扱う手だと。かなりの使い手であろうとも。
それに、少し気になる言葉を言っていた。

 

人間と偽って、鬼の守屋さんは何をしていたというか。
姫がもし壱与なら、やっぱり出雲の人なのだろう。
壱与の記憶には居ない人だけど、人間と偽って壱与を助けようとしていたのかもしれない。

 

(でも、出雲国王の側近だったら、わかるはずなんだけどな)

 

目の前の守屋さんは出雲国の王族でもなければ、側近だという覚えもない。
仮に出雲以外の鬼、例えば石見国出身である高村の血筋だとすると助ける動機がわからなくなる。
動機も素性も謎は深まるばかりだ。

 

ずっと抱きしめ続けていると、守屋さんの足元にある硬い物体に気づいた。
金属のような冷たさがある。

 

(何だろ……重い……)

 

引っ張り出してみると、守屋さんが下げていた剣だった。
きっと守屋さんが扱っている剣なのだろう。

 

(あれ……この剣に見覚えがある……)

 

青銅の剣に、赤いメノウがはめ込まれていた。
握り拳八個分の長さをもった――。

 

(これ……八握剣だ!!)

 

赤い光こそなかったけれど、これは間違いなく八握剣だった。
大きさも形も、春樹の手にあったものと全く同じだ。
十種の神宝を持っているということは、この人は……。

 

「命を救ってくれた事に感謝する。だが、その剣には触れないで頂きたい……」

 

私が顔を上げると、目覚めた守屋さんが私を見ている。
まだ顔色は青白く、唇の色も悪い。

 

「ごめんなさい。すごく立派な剣だったから」

 

私は急いで、守屋さんに剣を返した。

(混乱する。何がどうなっているの?)

 

「まだ無理をしないで寝ていてください」
「いや、私は行かなくては……」
「だめです」
起き上がろうとする守屋さんを、私は抱きつくことで阻止する。

 

「離していただけませんか」
「嫌です。このまま行かせたら駄目って気がします」
私は守屋さんに返した八握剣を見る。
この剣は確かに八握剣だった。そう、過去形だ。
この剣はすでに抜け殻。力のない、ただの剣だ。
神器が開放されたときに、神宝の力も解放されているのを私は知っている。
八握剣に力が残っているなら、守屋さんに出会ったときに私が気付いていただろう。

 

「この剣がなにか?」
私の視線が剣に向いていることに気付いた守屋さんが、剣を私の視界から消すように隠す。

 

「守屋さんはその剣が何か知っていて持っているんですか?」
「なぜそんなことを聞く……」
守屋さんの声が一段低くなる。

 

「私はその剣を知っています」
「……まさか」
守屋さんはいま始めて気付いたというように、私を見る。

 

「はい、私も鬼です」
私はとりあえず頷き、止めていた鬼の力を守屋さんへ送る。
基本的に鬼と人を外見で見分ける方法はない。
力を隠し生活していれば、鬼と気付かれることもほとんどない。
鬼はその性質上人間よりも容姿が優れていることが多い。
だが、それだって王族以外の鬼は人より少し整っているという程度だ。
人間に紛れ込むのもそう難しいことではない。

 

「一族以外にまだ生き残りがいたとは……剣を知っていると言う事は出雲の出身だろうか?」
私はそれにあいまいに頷く。
壱与の生まれ変わりなのだから、出雲の出身の鬼というのは嘘にはならないだろう。

 

「そうか、ならば私が剣を持っているのを不思議に思うのも道理だ」
守屋さんは置きあがろうとするのをとりあえず止めてくれた。
身体の力を抜いて、私を見る。

 

(守屋さんは、王以外神宝のことを良く知らないって、知らないんだ……)
「だが、出雲の鬼は姫以外……ああ、すまない」
「いえ……」
「だが、姫以外にも生き残りがいたことは喜ぶべきこと」
守屋さんは素直に喜んでいるようだ。

 

「あの、どうして剣を持っているんですか?」

「託されたのだ。だから私は……。
しかし、あの方の墓前で勝利を誓ったにもかかわらず、敗走を強いられている。
すべて私が至らなかった結果だ」

 

守屋さんは私の質問に答えると、辛そうに息を吐く。
その様子から、戦況がかなり不利に動いているのだろうと想像できた。

 

(あの方って……)

 

「あの方というのは、出雲国王のことですか?」
「君は出雲の生き残りだったな。そうだ。私は亡き出雲国王に神宝を託された。
いや、託されたというより返還されたと言うべきかもしれない」

 

(返還ってことはやっぱり……)
「あなたは石見国の出身ですね」
「……君は一体、何者だ」

 

守屋さんの顔が険しくなった。
私は何も言えず黙っていると、ふと額に手が置かれた。

 

「済まない。君は命の恩人だったな。無礼を許して欲しい」
「いいえ……」
(そうだ。なぜ守屋さんは戦っているのだろう)

 

「守屋さんはなぜ戦をしているんですか?」
「表向きは大和における国家祭祀の対立による戦ということになっている」
「表向き?」

 

私は意味が分からないまま、おうむ返しで尋ねる。

 

「私のような鬼が人間と偽り、大連にまで上りつめ、謀反を起こそうとしていたのだ。
それが他国に知られては、統一国家への妨げになるだろうからな」
(よく分からないけど、守屋さんは大和の偉い人なのかな)
私が考えていると、守屋さんは言葉を続ける。

 

「私は……この八握剣で大和に抗うことが、
無念のまま亡くなっていった同属達への弔いとなる考えているのだよ」

 

守屋さんは剣に触れ、一瞬、苦渋に耐えるような顔をしていた。

 

(守屋さん……)

 

声が聞こえた

「……!」
名前を呼ばれた気がして、耳を澄ます。
すると、とんとんと軽い音が下の方からだんだんとこちらに近づいて来る。

 

(まさか、光輝?)
怒ってどこかへ行ってしまったと思っていたが、戻ってきたらしい。
そうおもって私は我にかえる。
私はあわてて枯れ草の上にかけてあったブラウスを取ると、急いで身に付ける。
最後のボタンをあわてて止めたところに、光輝がひょっこりと顔をのぞかせた。

 

「おい、愛菜!」
ぶっきらぼうに、名前を呼ばれる。
そういえば、光輝に名前を呼ばれるのはこれが初めてかもしれないと思いつつ私は平静を装って、返事をする。
緊急事態だったとはいえ、男の人と寝ていたことを知られるのは恥ずかしい。

 

「な、なに?」
「………」
光輝は無言でずかずかと近づいてきた。
その手には、藁のような物を抱えている。

 

「この声は助けて…………だが……精霊……?」
「あ、あの………」
「なんだ、鬼、目が覚めたのか」
光輝は守屋さん見て、その上に乗せられた枯れ草に一瞬眉をひょいと上げる。
それからふんっと、鼻をならすと無造作に守屋さんの上に持ってきた藁をかけた。
守屋さんはというと、信じられないと言うように光輝を見ている。

 

「光輝……、わざわざ探してきてくれたの?」
「……なんだよ」
「ありがとう!」
私はうれしくなってお礼を言う。光輝は心持赤くなりながら、少しだけ視線を逸らし言う。

 

「礼を言われる筋合いは無いな! これは交換条件だ」
「交換条件?」
「そうだ。 今日一日お前は俺の言う事をきけよ」
「え?」
言うや否や私の後にどさりとすわると、背後から私をひょいと抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。
そして後から抱き締める様に手を回すと、仕上げとばかりに私の肩にアゴをのせる。

 

「え? ちょっ?」
「やっぱりお前は気持ち良いな、今日一日はこうしてるからな」
「精霊が……鬼を……?」
光輝が満足そうに息をつく。光輝の息が顔に当ってくすぐったい。
守屋さんは、半ば起き掛けの姿勢で信じられないものを見たと言う顔で、私たちを見ている。

 

「ちょっと光輝!?」

私は光輝の腕から逃れようともがく。
だけど、光輝はがっちりと私に手を回しているのか体が動かない。

 

「逃げんな」
「で、でも……」
「交換条件だろ。大人しくしてろって」
「交換条件って……そんな約束した憶えはないよ」
「これでも妥協してんだぞ。お前がずっと一緒にはいられないっていうから、
今日一日だけで我慢してやったんだからな」
「ちょっと、光輝……離して」

(チハルだと平気なのに……) 

やっぱり、隆に似すぎているというのがいけない。
チハルというより、やっぱり隆に思えてしまう。

 

「精霊よ。命を助けてくれたことには感謝する。
だが、嫌がっている女性を無理やりというのは良くない。
離してあげるべきだろう」

 

守屋さんは光輝に向って、はっきりと言った。

 

「邪魔すんな。死にかけの鬼は黙ってろ」

 

光輝は私の体を抱いたまま、凄む。
私にまわされた腕の力が、より強くなった。

 

「怪我をしていても、鬼の私が精霊ごときに討たれはしない。
その娘は我が身を捧げるように私を温めてくれたのだ……」

 

腕で体を支えながらなんとか中腰になると、守屋さんはただの剣になった八握剣を持つ。
そして、言葉を続けた。

 

「その可憐に咲く撫子の花を無理に手折るのであれば、黙って見過ごすわけにはいかない」

 

ちょ、ちょっと……

 

ナデシコの花って……まさか私のこと?

あまりの言葉に思考が停止する。
自分はごくごく平凡で、花にたとえられるほど美人でも可愛くもない自覚がある。

 

「なに言ってるんだ、おまえバカだろう? コイツは花なんかじゃない」
心底バカにしたような光輝の言葉に、私は内心一緒に頷づく。

 

(そ、そうだよ、私がナデシコだなんて……)
「コイツは俺にとっては太陽に等しい」
「え!?」
光輝の爆弾発言に、思わず顔を光輝に向ける。
光輝は驚いて振り向いた私にうれしそうに頬ずりしてくる。

 

(な、な、なにいってるの? 光輝っ!?)
「本当は誰にも渡したくないけど、こいつは太陽だからな。
 俺だけの物に出来ないんだ。だから今日一日だけで我慢する」
少し前に俺の女になれと言った事を棚に上げて、光輝は言う。

 

「一日も何も、嫌がっているのだから放せと言っている」
「断る。それに鬼、アンタじゃ俺を倒せないぜ? 俺との力の差を見切れないようじゃまだまだ甘いな」
光輝は、余裕たっぷりに言うと。気持ちよさそうに目を細める。

 

(光輝って本当に強い精霊なんだ……)
とりあえず、守屋さんや光輝の問題発言は意図的に頭から追い出す。
そうでもしないと恥ずかしすぎていたたまれない。

 

「それに鬼、お前よりも断然こっちの女の方が力が強いんだぜ? お前分かってないみたいだけどな」
楽しそうに光輝が言うと、守屋さんはまじまじと私を見てそれから悔しそうに顔を顰めた。
私はだんだん守屋さんが可愛そうになってきた。
守屋さんは、石見国では力の強い鬼なのかもしれないが、それでも出雲の鬼の子供よりも弱い力しか持ち合わせていないのが分かる。

 

(石見国の鬼の力は本当に弱くなっていってるんだ……それにしても)
「光輝、あまりひどいこと言わないで。 怪我人なんだからもっと優しく……」
「あのなあ、お前ほんっっっっっっとうに、変わった奴だな」
「な、何よ、そんなに力いっぱい言わなくても……」
「鬼は精霊の天敵なんだぜ? 鬼は精霊を喰うもんなんだ」
「え?」
私は思わず、守屋さんを見る。 守屋さんは私の視線にその通りだと言うように頷いた。

 

「だから、精霊が鬼に優しくしてやるなんてありえねーんだよ。 お前の願いだから叶えてやったんじゃないか」
ありがたく思え、と光輝はえらそうに言う。

 

「……私が光輝を食べるとはおもわないの?」 

「どうだろ。考えて無かったな」
「でも、私は天敵なんでしょ?」
「そうだなー。もしも、愛菜に喰われそうになったら……とりあえず逃げてみるかな。捕まったら、殴るけど」
「私を?」
「そうだ。お前は太陽みたいだけど、俺もまだ死にたくないからな」
「考えただけで痛そうだね……」
「だから、俺を喰おうなんて思うなよ」

 

鬼の私は天敵のはずなのに、光輝は相変わらずぴったりとくっついてくる。
自分の強さに自信があるのだろうか。

 

「じゃあ、守屋さんは精霊を食べちゃうんですか?」
「もちろんだ」
「そ、そうなんですか」
(あっさり肯定されちゃった……)

 

光輝も守屋さんも、ワイルドというか野性的な人達だ。
自分が飼いならされた現代人だと痛感させられる。
よく考えてみたら、電気も通っていないし、水も汲んでこなければ飲めないのだ。

 

守屋さんは荒く息を吐き、剣を下ろしていた。
少し無理をしたのか、また顔色が悪くなっている。

 

「守屋さん。すごく顔色が悪いですよ」
「だが、この精霊が君に悪さをしようとしている。放っては置けない」
「そんなに俺は低俗な精霊じゃないぞ」
「信じられん。撫子の君を離せ」
「ヤダ。コイツは今日一日俺のものなんだ」

(よく聞くとおもちゃを取り合う子供の喧嘩みたい……)

 

「なんか面倒になってきちゃった……戻ろうかな……?」
ぽつりと呟くと、私にべったりくっついていた光輝が反応した。

 

「おいダメだぞ、今日一日はお前は俺のもんだからな」
「でも、もう帰らないと、みんな心配してるかも……」
現実に一体どれくらいの時間が過ぎているのか分からないけれど、いつもより夢を見ている時間が長い気がする。

 

「皆? 皆とは、まさかまだ鬼の生き残りが!?」
光輝に続き、守屋さんも私の言葉に反応して必死の形相で私を見る。

 

「いいえ……、私以外に鬼の生き残りはいません」
高村の一族も鬼としての力は無く、能力者と呼ばれる人たちもすべて人間だ。

 

「では、貴女はどちらへ戻られると言うのですか?」
「……私を待ってる人の所へ」
未来といっても、さっきの光輝のように信じてくれないような気がした。

 

「おまえ……!」
不意に光輝の驚く声が聞こえた。

 

(あ……)
光輝を振り向こうとして、身体が自由になっていることに気付く。
私の身体は確かにそこに存在しているのに、光輝の腕は私を捉えることが出来ない。
私は立ち上がる。

 

(そういえば、最初に光輝にあった時も……)
あのときも、光輝は私に触れることが出来なかった。

 

「撫子の君!」
守屋さんも顔を顰めながら私に手を伸ばすが、やはりその手は私を捕まえることが出来なかった。

 

「まてよ!」
「お待ちくださいっ!」
二人の声が耳に届く。けれど私の身体は目が覚めるときと同じように何かに引っ張られるように、上昇する。
二人の驚く顔を見ながら、私はふと浮かんだ心配事を口にする。

 

「あ、そうだ。守屋さん、光輝を食べないでくださいね。
 光輝も、守屋さんの傷が治るまでここに置いてあげて」
引っ張られるごとに視界は靄のようなものに阻まれて、周りが全く見えなくなる。

 

「愛菜!」
最後に光輝の叫びだけが耳に届き、ふっと身体に感覚が戻ってくる。

 

 

814~832

「いくら大連だったあなたでも、現人神に逆えば天罰が下ろうぞ」
「その帝が大陸の教えを信奉し、国神である自らの存在を否定していることに……矛盾を感じないのか」
「現人神の意思ならば従うまで」
「それが最期の言葉か」

 

目の前には手足に傷を負った大和の兵士と、血に塗れて立つ守屋さんの姿だった。
守屋さんも兵士も会話をしていて、私の存在に気づいていない。
そして、守屋さんの八握剣がゆっくり振り上げられる。

 

「見るな! 女のお前が見るものじゃない」

 

視界が閉ざされ、隆そっくりの声が降り注ぐ。

 

(光輝……)
「離して。あの大和の兵士さんが酷い怪我を……早く行ってあげなくちゃ」
「……駄目だ」
「けど間に合わなくなるよ!」
「行くな。もう遅い」
「どういうこと……?」
「あの鬼は戦いに魅入られちまってるのさ」

 

光輝は私の目を塞いだまま、吐き捨てるように言った。

 

「は、離してよ。光輝!」
「もう遅いって。あの兵士は守屋が殺しちまったからな」
「そんな……」
「殺しあうのは当たり前だろ。あいつら、戦してんだから」
「あの兵士さんは負傷していたんだよ。もう戦えなかったのに……」
「確かに死にかけてたな。だからこそアイツは、楽に死なせてやったんだろ」

 

光輝はまるで守屋さんを庇うような発言をした。

 

「楽に死なせるって何? 守屋さんは酷いことをしたのに……」
「酷いのは守屋の軍も大和の軍もみんな一緒だ。感じないか、この空気」
「空気?」
「そうだよ。すっげー生臭い死の匂いさ」

 

目が塞がれていて、何も見えない。
すぐ傍で感じる光輝の呼吸を真似るように、深く息を吸い込んでみた。

 

(何も見えないけど……わかる)

 

鬼になってしまって、嗅覚が敏感になったのか沢山の生臭い匂いを感じる。
辺りに充満していたのは、死臭だ。
この場所だけでも、何十という死の匂いがしていた。

 

(気持ち、悪い……)

 

「……酷い匂い」
「だろ? 守屋だけじゃない。みんな戦に魅入られてんのさ」

 

光輝は目を塞いだまま、私を抱き上げると「守屋」と名前を叫んだ。
足音がして、守屋さんが近づいているのがわかる。

 

「あなたは……撫子の君」
「陽も沈むし、俺は愛菜を連れてねぐらへ戻るぜ」
「待て。私が陣を構える稲城へ連れて行こう。お前も来るか光輝」
「イナギ?」

 

聞きなれない言葉に、おうむ返しで私は尋ねる。

 

「稲城っていったら、稲を積み上げて作った城とか、敵の矢や石を防ぐ防壁とかだろ。
お前、本当に未来から来たみたいに何にも知らないんだな」

 

光輝はそう言って、楽しそうに笑った。
こんな酷い場所でも、光輝も守屋さんも平然と話しをしている。

 

私は当りに漂う死の匂いに眉を顰めながら迷う。

 

(それにしても……光輝と守屋さんが一緒に居る理由って何……?)
光輝はあの森を守護する立場に居ると言っていたのに……。
こちらへ来た途端に戦で、周りの風景をきちんと確認していないけれど、ここは森ではない。
守護する場を離れてなぜここに居るのか?
それにこんなに負の感情があふれる場所に居ることは、精霊である光輝にはつらい事のはずだ。

 

「大丈夫か、愛菜? おい、とりあえずここから離れるぞ。ここは死の匂いがきつすぎる」
「……わかった」
考え込んで返事をしない私を具合が悪くなったと勘違いしたのか、光輝が私を抱えたまま歩き出すのを感じる。
その後を守屋さんの足音がついてくる。
しばらくすると、空気が変わったのを感じた。
耳に入ってくるのは木々の葉が風に揺れる音だけだ。

 

「ここまで来ればだいぶいいだろ」
その声とともに、視界が明るくなる。夕焼けの赤い光がまぶしくて何度も瞬きして、視界が戻るのを待った。
視界が回復して、私は辺りを見回す。
どうやら、さっきの場所は森のすぐ側だったらしい。
木々がまばらになっていてここが森の外に近い場所なのだと分かる。
そのとき、ふうっと、光輝がため息をついた。
どこかホッとしたようなそのため息は、やはりあの場所は光輝にとってつらい場所だったのだと知るのに充分の重さをもっていた。
そして私はふとまだ光輝に抱き上げられたままなのに気付いてあわてる。

 

「こ、光輝もう降ろしてくれる?」
「いやだ。少しこうさせろ」
そう言う光輝の顔色は、ものすごく悪い。
思わず光輝の顔に手を当てる。

 

「大丈夫? すごい具合が悪そう……光輝、精霊なんだからあんな場所に居たらつらいのに……」
「しかたないさ、このバカ共が戦を止めない限りこの森も危険なんだ」
光輝は憎憎しげに守屋さんをにらむ。
守屋さんはその視線をただ受け止める。
光輝は再度ため息をつくと、私の顔をのぞきこんできた。

 

「とりあえず俺はつかれた。ねぐらにもどる。お前も一緒に行くよな?」

「私、守屋さんと行くよ。戦をする理由を詳しく聞いてみたいんだ」
「一緒に来ないのか。じゃあ勝手にしろ」
「あ……」
「ん? なんだよ」
「な、なんでもないよ」

 

隆そっくりの光輝は、ぶっきら棒だけど頼れる存在だった。
出来れば一緒に行動して欲しいけど、顔色を見たら無理は言えない。

 

(仕方ないか……)

 

「そんな顔するなって。やっぱり、俺についてきて欲しいんだろ?」
「無理くていいよ。ねぐらでゆっくり休んでね」
「お前がどうしてもって言うなら考えてやってもいいぞ」
「辛そうだし、本当にいいよ」
「だからさ。お前がどうしても付いて来て欲しいってんなら、行ってやるって」
「別に無理しなくてもいいって言ってるのに」
「一緒に来て欲しいんだろ。ハッキリ言えよ。可愛くないな」

 

私と光輝の会話を黙って聞いていた守屋さんが、痺れを切らしたように話し出す。

 

「では……私の陣まで案内しようか。光輝はどうする?」
「ちぇっ、仕方ない。コイツのために俺も行ってやるかな」
「本当にいいの?」
「平気だ。さっきの所よりはマシだろうからな」
(光輝、ありがと)
「陣まで少し歩いてもらうが構わないだろうか」
「はい、大丈夫です」
「早くいこうぜ」

 

太陽はほぼ沈んで、薄暗い中を私たちは歩いていた。
時期が夏だというせいもあるのか、ひぐらしが鳴いている。
森を沿うように進むと丘陵があり、稲を高く積んだ防壁の中に陣があった。

 

「あの樫の木の奥だ」

 

守屋さんに案内されたのは、思ったよりも立派な陣屋だった。
土間のような室内に入り、藁の座布団に私たちは腰を下ろした。

 

「ところで、光輝。身体は平気?」
「ん……ああ」

 

私にぺったりとくっつくと、光輝は小さく頷く。
話すことすら億劫なのか、私に抱きついたまま目を閉じてしまった。
未だに抱きつかれるのは慣れないけれど、光輝の体力が少しでも回復するのなら仕方がないと諦める。

 

「あの……守屋さん」
「わかっている。戦について知りたいからここまで来たのだろう?」
「はい」

 

守屋さんは黙ったまま、あぐらをかき直して私を見る。
上から下まで、私をじっくり観察でもしているようだった。

 

「な、なんですか。そんなに見られると恥ずかしいんですけど」
「改めて見ると……君は変わった格好をしているな」
「これは制服っていうんです」
「セイフクか。出雲の生き残りにしても、やはり得体が知れないな。
鬼の力がいくら強くても、音も無く消えたり、深手の傷を一瞬で癒すなんて聞いた事が無い。
命の恩人を悪くいうつもりは無いが、まず君の素性を教えてくれないか」

 

(どうしよう。未来から来たなんて信じてくれないよね)

 

私は何も言えなくなってしまった。
未来から来たなんて言ったら、光輝みたいに怒ってしまうかもしれない。

 

「素性は言えないのか。不躾で申し訳ないが、君は遊行女婦なのか?」
「ウカレメ?」
「旅をしながら歌や舞で宴席に興を添える女だ。不可思議な芸といい、おかしな格好といい……遊行女婦ならば合点がいく」

 

(よくわからないけど、舞は出来るよね……)

 

「はぁ……」
私はあいまいに返事をして、守屋さんの様子を伺う。
やっと納得したのか、表情の硬さが和らいだ。

 

「そうか。では今宵は宴を催そう。君の芸を皆の前でみせてもらうぞ」
「えぇ!?」
「士気も上がるというものだ」
「ちょ、ちょっと……」
「では、楽しみにしているぞ」

 

そう言って、守屋さんは建物から出て行ってしまった。
いつの間にか、私の背中にくっついる光輝は寝息を立てている。

 

(なんだか、変なことになっちゃった)

 

多分、ウカレメっていうのは旅をする芸人みたいなものだろう。
突然現れる私を旅の芸人だと勘違いしたのかもしれない。

 

(でも……)

 

光輝に無理をさせてまでここまできたのに、逃げ出すわけにはいかない。
私は眠った光輝を見つめる。

 

(光輝、しんどそうだったもんね)

 

今夜の宴は自分でなんとかしないといけない。
確か、守屋さんは舞とか歌とか言っていた。

 

(歌っていわれても……困った)

 

ポップスとか、ロックとか、童謡とか歌えばいいんだろうか。
昔だし、和歌とか難しいのを言えっていわれてもわからない。

 

外からは、兵士が噂する言葉まで聞こえてくる。

 

「守屋様が遊行女婦を連れてきた。今宵は宴があるらしい」
「ところで、遊行女婦は美人なのか?」
「見たところ、そうでもなかったぞ」
「なんだつまらんな」
「お前では無理だろう。守屋様のお手つきだろうさ」
「しかし、女気のない守屋様が……遊行女婦とは意外なことだな」
「明日は弓が降るかもしれん」
「……それは、冗談にならんぞ」

 

(なんだか噂されてるし。くじけそうだよ……)

 

その時、私を呼ぶ声が聞こえた。

 

「済まないな。少しいいだろうか」

 

守屋さんは私を手まねきして呼び寄せる。

 

「なんですか?」
「今宵の宴には参加できない怪我人を診てくれないか。勝手な願いとは思ったのだが、やはり君の手を借りたい」
「怪我をした人を祈祷すればいいですか?」
「ああ。協力してもらえるだろうか」
「わかりました」

 

(今の私の出来ることって、これくらいだしね)

 

案内された場所は、怪我人ばかりが集まる簡素な藁ぶきの建物だった。
その中に、数十人という傷ついた兵士が横たわっている。

 

(これは……)

 

治る見込みのある人は半分といったところだった。
もう半分の人は衛生的とは言いがたいところに居るせいで、私ではどうしようもないほどになっている。
この場所にも、死の匂いが満ちていた。

 

「あの……」
「言わなくてもいい。治る見込みのある者だけでいいんだ」
「わかりました」
「……ちょっと待ってくれないか」
「何ですか?」
「治らない者も真似だけでいい。せめて安らぎを与えてやって欲しい」
「痛みを取ることは出来ませんけど、どうしますか?」
「では、眠りを……。一時の安らかな眠りを与えることは出来るか」
「……やってみます」

 

私は守屋さんに言われるまま、一人ずつに力を使っていく。
たった六、七人を治したところで、私もフラフラになってしまった。

 

「無理をさせて済まなかった」
「……いいえ。もう少し頑張れるかなと思ったんですけど」
「いや、本当にありがとう。宴までの間、少し休んでくれ」
「やっぱり宴に出なきゃ駄目ですか?」
「宴の後、戦をする理由について語ることを約束しよう。
君が……素性の言えない様な遊行女婦だろうと、撫子の花ように美しく可憐な女人に変わりは無いからな」

 

そう言って、守屋さんは優しく私の手を取る。
(真顔でまた恥ずかしい言葉を……すごく痒いよ……)

 

守屋さんと一緒に建物に戻る時、今晩の宴の準備の様子を目にした。
この陣も戦場なんだけど、思ったよりも雰囲気は明るくて、少しだけ安心する。

 

宴の準備を黙って見ていた守屋さんの横顔を、そっと覗き込む。
血を浴び、戦場で敵の命を絶っていた人と同一人物とは思えなかった。

 

「私、守屋さんってもっと怖い人かと思ってました」
「そうなのか?」
「この陣の雰囲気と一緒で、見た目に騙されてたのかもしれません」
「君には、この陣はどう映ったのかな」
「気のせいかもしれませんけど、守屋さんも兵士の人も……少しだけ楽しそうに見えちゃうんですよね」

 

守屋さんがすごく怖い人なら、この陣の中がもっと殺伐としているはずだ。
顔をあわせる兵士はみんなは守屋さんに敬意を払っている。
怪我人を診ている時にも、強い絆みたいなものを感じていた事だった。

 

「楽しそうか。確かに、ここの者達は私についてくる変人ばかりだからな」
「変人ですか?」
「ああ。過酷だった東国への征討の時も、この負け戦にも文句ひとつ漏らさない変わり者ばかりだ。何を考えているのか、さっぱり分からない」
「……守屋さんでも分からないんですか?」
「私を含めて全員、戦場でしか己の居場所を見つけられない無頼漢の集団だからな。常識は通じないのさ」

 

(戦はよくない事のはずなのに……なんだろう)

 

文化祭と一緒にするのも変だけど、連帯感みたいなのは似ている気がする。
命を懸けるほどの重い戦いだけど、この陣の雰囲気は辛いものだけじゃないのは分かった。

 

(こんな考え方、きっと光輝に怒られちゃう。あっ、そういえば……)

 

「あの、守屋さん」
「何だろうか」
「さっき光輝と一緒いた時、兵の人達の噂を聞いてしまったんですけど……私って守屋さんのお手つきらしいんです」
「なっ……なんだ、それは!」
「あの、お手つきってどういう意味ですか?」
(カルタにしては話の前後が合わないし……)

「君は本当に遊行女婦で間違いないのだろう?」
「まぁ……」

(なんで確認するのかな……)
「君も相当変わった女人だな」
「嬉しくないけど、よく言われます」
「私も若くないのだし……実らぬ想いに整理をつける時期なのかもしれないな」
「守屋さんが言っている人って、出雲の姫様のことですね」
「撫子の君は、心まで見透かす力があるのかな?」
「いいえ。守屋さんの隣で寝言を聞いてしまったので」
「これは……参ったな」

 

真剣に顔を赤くしている守屋さんを見ていると、少し可笑しくて笑ってしまった。

けれどのんきに笑っている場合でもない。
まだ宴で何をやるか決めていない。

 

(うーん、守屋さんは歌や舞って言ってたよね……)
となると、その二つのどちらかをやればいいのだと思うけれど、生憎舞は舞えても、この時代の歌がどういうものか分からないので、歌は歌えない。
そうなると、もう舞を舞うしかないのだけれど……。

 

(壱与の舞って、宴席で舞っていいような舞なのかな……?)
私が舞える舞は、主に儀式に使うもので宴席で舞うようなものではない。
絶対に舞ってはいけないというものでも無いだろうが、宴席に水を差すことになるのは嫌だ。

 

(あ……そういえば……)
儀式の舞といえば儀式の舞なのだが、どちらかと言うと祈願する意味合いが強い舞もあった。
平和を願う舞、勝利を祈願する舞などがそれだ。
そういう舞ならば、宴席でも問題ないだろう。

 

「では、私はすこし片付けなければ行けない仕事があるので失礼する」
「あ、はい」
守屋さんは私を光輝が寝ている部屋の前まで送るとそう言ってまたどこかへ行ってしまった。
室内に入ると、光輝はまだ眠っていた。
相変わらず顔色が悪い。

 

(やっぱり、この場所も光輝にはつらいのかな……)
光輝のすぐ横に座って、青白い顔に手を伸ばす。
すると、気配に気付いたのか光輝がうっすらと目を開いた。

 

「光輝、大丈夫?」
「……あぁ」
半分寝ぼけたような声で、光輝は返事をするともそもそと動く。

 

「こ、光輝?」
光輝は座っている私の膝に頭を乗せて、片方の腕を私の腰にまわすと再度寝入ってしまった。
その様子は怪我をした守屋さんと同じような仕草だ。

 

(こ、これもきっと無意識だよね……)
きっと身体が辛いのだろう。
しばらくそのままで居ると、明らかに光輝の顔色がよくなっていく。
足が痺れてそろそろ辛くなってきた頃、大分顔色のよくなった光輝が目を開けた。

 

「……ん?」
「おはよう、光輝」
一瞬ここがどこだか分からなかったのか、ぱちぱちと瞬きをした光輝は私の声に顔を上げる。

 

「あー、おはよう」
小さくあくびをした光輝はのっそりと起き上がる。
けれど、私からはなれる気は無いのか私の背後に回ると、以前のようにべったりと抱きついてくる。
まだ、完全に回復はしていないのだろう。
私の肩にあごを乗せると、光輝が聞いてくる。

 

「そういや、守屋に頼まれて芸を披露するんだろ? なにやるんだ?」
具合が悪そうにぐったりしていたけれど、話はきちんと聞いていたらしい。

 

(兵のみんなが喜ぶのがいいけど……平和の舞、勝利の舞か。他の舞は無いのかな)

 

私は困り果てて、うーんと唸った。
その様子を、光輝が不思議そうに見ていた。

 

「愛菜。もしかして、困ってるのか?」
「みんなが喜ぶような舞を披露したいけど、よくわからなくって。実は私、すごく人前が苦手なんだよね」
「遊行女婦なのに人前が苦手なのかよ。でもさ、たしか以前の説明では巫女だって言ってなかったか?」

 

肩にあごを載せたまま、光輝は視線を向けてきた。
私は仕方なく、怒られない程度に本当の事を話す事にした。

 

「本当はね……私は高校生なんだ」
「コウコウセイ? 聞いたことない言葉だな」
「だからね、私はウカレメって旅芸人じゃないから、喜ばれる芸なんて分からないんだよ。
けど、せっかくの宴会に水を差すような真似はしたくないから困ってるんだよね」

 

小学校の学年演劇や文化祭では、私はいつも裏方の仕事に逃げてしまっていた。
今にして思えば、少しでも舞台慣れしておけばよかったと思う。

 

そういえば、春樹は五年生の時にも白雪姫の王子様役をしていたっけ。
演技も他の子より堂に入っていて、あの後に春樹はラブレターとか結構もらっていた。
何をしても地味な私には、舞台の上での春樹が本当に眩しく見えた。
そんな立派な弟を持てた事が誇らしかったと同時に、少しだけ寂しい気持ちになったのを思い出す。

 

(舞の話から、春樹のことに考えが変わってるし……)

 

春樹から逃げるようにして眠ったのに、私は何をやっているのだろう。
家族になった五年前から、春樹について考えている事が多かった。
それなのに、春樹が私を異性として好きかもしれないと、そう考えるだけですごく怖くなってしまう。
どこまでも逃げ出したくなる。

 

(私って、わがままなのかな……)

 

自分がズルイような、情けない人間に思えて、大きなため息が漏れた。
大体、精霊とはいえ光輝に抱きしめられている今の状態で、春樹のことを考えるなんてどうかしている。
溜息の意味を勘違いしたのか、光輝は私を覗き込んできた。

 

「お前、守屋より鬼の力が強いんだから、あいつの言うことなんて聞く必要ないだろ。
困ってるのなら、いっそ宴会に出る必要ないんじゃないのか?」

 

さっきよりも私を抱きしめる力を強くして、甘えの混じった口調で言葉を続けた。

 

「ここは負の気が多くて気分が悪いしさ。俺と一緒に森へ戻ろうぜ」

「駄目。守屋さんと約束したんだから」

 

私は光輝の手を振り解いて言った。
だけど、光輝は相変わらず腑に落ちないという顔をしていた。

 

「宴会のことにしたって、守屋が一方的に決めた事じゃないか」
「たしかにそうなんだけど……」
「俺も守屋のことはそんなに嫌いじゃないが、やっている事は許せないんだ。
それなのに、お前がほいほい言いなりになってるのが余計に腹立つんだよ」
「言いなりになんて……なってないもん」
「さっき言いなりになって、死にそうな兵士の治癒をしていただろうが」

 

(光輝、寝てると思ってたのに気づいてたんだ)

 

「この戦で、俺の森は穢されたんだ。そんな奴らの味方なんて止めちまえって」
「でも……怪我をした人を放っておけないよ」

 

たしかに、光輝にとってここの兵士は森を穢す悪い人達だろう。
けれど私は、苦しんでいる人がいるなら、少しでも何かしてあげたいと思っている。
仲間を一人でも多く助けたいと思って、守屋さんも私を頼ったはずだ。
その結果で、光輝の森がもっと穢されてしまうかもしれない。

 

(わからない。どうすればいいんだろう……)

 

「悩むなよ」

 

光輝はまた私をギュッと抱きしめてきた。

 

「悩むよ。だって、わからないから……」
「大体、どんな理由があろうと戦なんてくだらない事だろ。お前の鬼の力でこの陣を壊しちまおうぜ」
「本気で言ってるの?」
「もちろんだ。俺は分かってるんだからな。お前は誰よりも強い。本気を出せば、この陣だって壊せるはずだ」
「壊す力は……使わないようにしてきたからよく分からないよ」

 

『程度を超えた力は災いしか生みません』
『その力をどうか、破壊する力ではなく、生かす力として使ってください』
(以前、冬馬先輩が言っていたこと……)

 

黙った私を覗き込むと、光輝は真面目な顔をする。
そして、ポツリと告白するように話し出した。

 

「正直に言うとさ。守屋と一緒にいれば、またお前に会える気がしていたんだ。俺は……お前を待っていたんだよ」
「光輝……」
「今の俺じゃどうする事も出来ない。けど、お前には変える力があるんだ」
「でも……」
「胸に手を当ててよく考えてみろよ。お前自身はどうしたいんだ? 戦なんて終わらせて、俺と森に帰ろうぜ」
「壊さない。」
私の言葉は決まっている。
「なぜだ……。」
光輝に聞き返されようがこれはできない。
未来にいるはずの私が過去の世界を変えるわけにはいかない。
今思えば、ここの人たちを回復させることですら未来が変わっているのかもしれない。
きっとここを潰してしまえば未来は大きく変わる、そんな気がした。
「何を言われてもできないわ……。」

 

歯がゆそうに光輝の顔が強張る。
「偽善だと思ってる?それは違うよ、光輝に大切な物があるように私にも大切な物があるの。」
「……大切な物。」
「私の世界。ここを潰したら私の世界がなくなっちゃう。
光輝の世界が森であるように私の世界もあるの。」
「俺にはわからない、お前は俺と一緒にいて、俺の世界の住人になればいいじゃないか。」
「ごめんね、それはできない。私は自己中だよね、私の為に光輝の世界を犠牲にしてる。」
私の大事な帰る場所、春樹やお父さん、お義母さんの待つ家、香織ちゃん達と学ぶ学校。

 

きっと私はあの場所を守る為ならどんな力でも使う。

 

「私が壊す力を使うとしたら、あの場所を壊そうとするモノ。
きっと私はその為なら躊躇いなく自分の力使えると思う。ほんと、私って自分の為ばっかり……。」
「……。」
光輝の悲しそうな顔を見て私はもう一度ゴメンと頭を下げた。

 

私はここに関わりすぎてるのかもしれない、
もしかしてこのままだと本当に未来が変わるかも。
でも……彼らの行く末も気になる。

 

(未来に影響を及ぼしてしまう可能性……)

 

私の夢でタイムパラドックスが起きるのか、全くわからない。
まず、ここが本当に過去なのかも曖昧なのままだ。
夢ということ以外、わからないことだらけの過去かもしれない世界。

 

(でも可能性があるなら、やっぱり出来ない)

 

私は現実から逃げ出してきた。
それは、春樹や隆、決別したままの修二くんのことから目を背けてきた結果だ。
すべて解決しなければいけないことばかりだ。
そのためにも、早く自分の居場所に帰らなくてはいけない。

 

「お前の世界か。……たしか未来から来たって言っていたな」
「光輝、私の言うことをやっと信じてくれたんだ?」
「いや、全然信じてない」

 

(あらら……)

 

光輝は、頭をカリカリと掻きながら口を開いた。

 

「陣は壊さないのか。まぁ、お前が嫌なら仕方がないよな」
「ごめん」

 

私は光輝を覗き込むと、視線がぶつかった。
その視線は、いろんな感情が入り混じっているようだった。

 

「愛菜の出した答えなら、謝る必要は無いさ。たとえ森が滅びても、天命だったってことだ」
「光輝……」
「守屋も自陣が陥落するのは分かってるんだ。ずっと凌いできたみたいだったけど、大和が新たな軍を送り込んできたらしいしさ」
「どうして光輝がそんなことを知っているの?」
「守屋自身が言っていた事だし、みんな知ってるよ。ただ、簡単にやられてくれりゃいいのに、踏ん張るから森がよけいに穢されてんだ。
兵力の違いは明らかだし、この戦はじきに終わるだろう。お前が手を下してたら、すぐに早く終わっただろうけどな」
「投降は? そうすれば森もこれ以上穢されず、守屋さん達が生き残る可能性だって……」
「それは無いだろうな」

 

私からゆっくり身体を離すと、光輝はよろけながら立ち上がった。

 

「俺は森に帰るぜ。これ以上、空気の悪いところに居られない」

 

私は出て行く光輝を陣の入口まで見送ることにする。

 

「じゃあ、そこまで送るよ」
「……好きにすればいいさ」
光輝は私をチラリと見ると先に立って歩き出した。

 

(もう光輝には会えない気がする……)
ここで分かれたらきっとこの予感は当る。
光輝は立ち上りこそふらついたものの、思ったよりもしっかりした足取りで陣を横切っていく。

 

「……じゃあ、な」
「うん……」
光輝は『またな』とは言わない。きっと光輝も何か感じているのかもしれない。
光輝は二、三歩進んで、ふと思い出したように振り返った。

 

「なぁお前、何の舞を舞うか悩んでるって言ってたよな」
「え……、うん」
「じゃあさ、再生の舞を舞ってくれないか?」
「再生の、舞?」
私は壱与の記憶をたどる。確かにそんな舞はあった。

 

「ダメ、か?」
「ダメじゃないけど……」
「安心しろ、再生の舞はめでたい舞だ。宴席で舞って嫌がられることはないぞ」
「そうなんだ?」
「ああ、頼んだぜ?」
光輝は私の返事も聞かずにさっさと歩いて行ってしまった。

 

(再生の舞、か……)
穢れてしまったと言う光輝の森の再生を願ってほしいと言うことが一番なのだろう。

 

「撫子の君?」
「あ、守屋さん……」
ぼんやりしているといつの間にか守屋さんが背後に立っていた。

 

「光輝が出て行ったようだな」
「はい、ここは空気が良くないから森に戻るって……」
「……光輝についていかなくて良かったのか?」
「舞を舞う約束をしたから……」
「そうだったな……」
守屋さんは、少し笑うと私を促して歩き出す。

 

「宴の用意ができたので、呼びに来たのだった。
 皆、あなたの芸を楽しみにしている。ところで何の芸をみせてくれるのだ?」

 

(光輝のお願いでもあるし、これしかないよね)

 

「再生の舞にしようかと思います」
「そうか。今から楽しみだ」
「期待しないでください。出来ないかもしれませんし」
「そうなのか?」
「私、まったく舞台慣れしていないんです」
「確認の為にもう一度問いたいが、撫子の君はほんとうに遊行女婦なのか?」
「それは……」

 

守屋さんはまたしても私に尋ねるように言った。
何度も尋ねられると、嘘が余計に心苦しくなってくる。

 

「大和の密偵などでは無いと信じたいんだ。君は……私の命の恩人たからね」
「密偵? ち、違いますよ」

 

私は慌てて否定する。
守屋さんは私を密偵かもしれないと疑っていたようだ。

 

「では、ただの遊行女婦で間違いないのだな」
「あの……」

 

(光輝は信じてくれなかったけど……)

 

「あの、私が出雲の姫様の生まれ変わった姿だと言ったら、信じてくれますか?」
「どういうことだい?」
「壱与が転生して私になったんです。私は未来から来ました」
「生まれ変わり? 輪廻転生のことか……大陸の教えだな」

 

篝火で明るく照らされた陣の広場に着き、私は守屋さんの隣に腰を下ろす。
もう宴会は始まってていて、酒も入りみんな上機嫌だった。
私は目の前にある葡萄のジュースを一口二口飲む。
横顔の守屋さんを伺い見ると、少し浮かない顔をしていた。

 

「浮かない顔ですけど、どうかしたんですか?」
「誰から吹き込まれたのかは知らないが、大陸の教えを信じるのは止めなさい」
「大陸の教え?」
「輪廻転生のことだ。人は死ぬと、敵、味方と関係なく黄泉へ行く。そして、祭祀で穢れを浄化しながら、祖霊となる。
別の人間に生まれ変わりはしないのだよ」
「でも……私は不思議な夢を何度もみてきました」

 

私は今までの予知夢を守屋さんに聞いてもらった。
最初は盃を持ったまま考え込んでいたけれど、ようやく口を開いた。

 

「黄泉は夜見(ヨミ)、すなわち夢を指すこともある。
夢を見ることは霊魂の放浪と言われているから……黄泉と縁の深い鬼の力をもってすれば過去や未来を覗き見ることも可能かもしれない」

 

そう言って、守屋さんは濁ったお酒の入った盃を一気に飲み干していた。

 

(……予知夢も鬼の力だったって事?)
「黄泉と縁の深い鬼の力ってどういうことですか?」
「鬼なのに、君は何も知らないのだな」

 

守屋さんは少しだけ笑うと、話を続けた。

 

「元々、鬼は地下の世界である黄泉に住んでいる者達だったのだ。
太古に黄泉から逃げ出した神を追ってそのまま中津国、いわゆる人間の住む地上世界に居ついた。
それが我らの祖先だと言われているのだよ」
「じゃあ、私の予知夢は鬼の力の影響かもしれないということですか?」
「出雲の鬼道師には予知に秀でた者もいたという話だからな」

 

(使えない予知夢は鬼の力だったんだね)

 

「あの……話を戻しますけど、守屋さんは生まれ変わりを信じていないんですよね?」
「無論だ」
「即答ですか……」
「ここに集う者達が信じるのは国神だけだ。国神に背いて大陸の他神を敬うなど、たとえ帝であっても許せるものではない」
「帝、ですか?」
「そうだ。帝は大陸の政や文化、宗教をこの国に取り入れようとしている」
「それが許せないんですか?」
「もちろんだ。この国そのものが失われてしまうかもしれない大変な事態だ」
「でも未来では、そうでもないですよ?」
「……一体、どういうことかな」
「私たちの世界では、一年の終わりにお寺に行って、一年の始まりに神社に行ったりします」
「な、なんだそれは……」

 

守屋さんは信じられないという顔で、私を見る。
お酒を飲んでいるせいか、どことなく頬が赤い。

 

「何かヘンですか?」
「それで神々はお怒りにならないのか」
「多分……」

 

守屋さんは黙り込むと、焼いた川魚に齧り付いて、またお酒を飲んでいた。
私は空になった盃に、お酒を注いだ。
そして、酒が入って上機嫌の兵士の人達を見ながら小さく呟くように言った。

 

「君の話が本当だったとしても……。今更、これだけの人々を巻き込んだ戦を止める訳にはいかないだろうな」
「それは、大和と戦い続けるということですか?」
「鬼の血族を根絶やしにし、愚弄した帝は……やはり倒すべき相手なのだ。
たとえ私を慕い、ついてきてくれるこの者達を利用しても果たさなければならない」

 

決意の言葉とは裏腹に、守屋さんの横顔は暗く沈んでいる。
私はその顔を覗き見ながら、葡萄のジュースをまた一口、二口飲む。
なんだか身体が少し熱くなってきたような気がする。

 

(もしかして、守屋さんは……)

 

「私の勘違いかもしれないんですけど、守屋さんは後悔してませんか?」
「後悔か……」

 

そう言いながら、守屋さんは私の空になった器にジュースを入れてくれた。
癖のある飲み物だけど、意外と美味しい。
私はお礼を言って、また飲みはじめる。

 

「撫子の君の言うように、私は後悔しているのかもな」
「やっぱり……戦をしてしまったことですか?」
「私怨を廃仏という大義名分にすり替え、大和国に内乱を起こしたが……そのことに後悔はない。
森を荒らして、光輝には随分嫌われてしまったがな」
「じゃあ、何に後悔しているんですか?」
「何も知らずに付いて来てくれる者達を、騙して利用してしまったことに後悔しているのだろう。
ここに集う人間も含め、大和の民はすべて、同属を滅ぼした悪しき民族のはずなのにな」

 

(詳しくはわからないけど……)

 

「鬼を滅ぼした民族でも……守屋さんは後悔しているんですよね。
それって……ここにいる人達が守屋さんにとって大切な仲間だからじゃないですか?」

 

守屋さんは相変わらず、宴会の様子を眺めている。
広場の中央では誰かが楽しそうに踊っていた。
そして、宴会の喧騒にも聞き入っているようだった。

 

「ここに集う者達は私の仲間か……」
「そうだと思います」
「尾張、駿河、甲斐、信濃……。確かに東征の時も、長い時間を一緒に戦ってきたな。
共に戦場を駆けている時が、生きている実感を一番得られた気もする。
だが、私は鬼で彼らは人間。相容れない存在だ」
「ずっと一緒だった仲間なのに?」
「ああ。人間はみな鬼を恐れてきたし、鬼は人間を蔑んでいた。
出雲国王も和平を望んだのに、大和がそれを裏切った。やはり相容れなかった証拠だよ」
「でも……」
「鬼だと知ったら、ここに集う者達もきっと私の元から離れてしまうさ。
今は何も知らずに共に戦ってくれているがな」

 

「私はこだわっているのだろうか」
「とてもこだわっている様に見えます」

 

時々、心がひとつのことに囚われすぎて、周りが見えなくなってしまうことがある。
たとえば、家の中だけで何日も過ごしていると、その箱庭がすべてのように感じてしまう。
けれど私の家も、遠くから見渡せば街明かりの一つに過ぎない。

 

守屋さんも復讐に囚われすぎていて、光輝のことなんてまるで気にも留めていない。
兵士の人達にだって家族や恋人や友達だっているはずなのに。
複雑な事情がありそうだし同情はするけれど、それ以上に段々腹が立ってきた。

 

(身勝手ですごくムカツク……)
喉がカラカラに渇いて、私はまた葡萄のジュースを飲み干した。
今日は熱帯夜なのか、身体がすごく熱い。
空になった器を手で弄びながら、守屋さんに視線を向ける。

 

「守屋さん」
「何かな。撫子の君」
「私を……抱きしめてくれませんか?」
「えっ。今、ここでか?」
「はい」

 

私を見つめる守屋さんの目は潤んで、顔も赤い。きっと、かなり酔っている。
さっきから饒舌に自分の考え方を語ってくれるのも、お酒の力だろう。

 

「本気なのか?」
「もちろんです」
「やはりここではまずい。私の衾でいいだろうか」

 

(フスマ……?)

 

「どこでもいいです。舞いを披露しなければいけませんし、早くしてください」
「わかった」

 

足が痺れたのか、ふらついて思わず倒れそうになる。
守屋さんは私の腰に手をまわし、ゆっくり立たせてくれた。

 

「飲みすぎじゃないのか?」
「ジュースなんて、少々飲みすぎても大丈夫です」
「じゅうす? まぁいい。歩けるのか?」
「平気です。ちゃんと歩けますから」
「そうか。では行こう」

 

そう言って、守屋さんは私の手を引いて歩き出した。

 

手を引かれるまま、私は黙って後をついていく。
案内されたのは、陣で一番大きなかやぶき屋根の陣屋だった。

 

「さぁ、入ってくれ」

 

私は言われるまま、黙ってその中に足を踏み入れる。
そして、たどり着いた場所には麻の布団だけが敷かれていた。

 

「……これって……」
「衾だが? ここは私の寝所だよ」
「フスマって……布団……?」
「まさか君から、まぐわいに誘ってくるとは思わなかったな」
「なにを……」
「訳あって出雲で育った私には……君の鬼の気配すらも、懐かしく感じていたのだ」

 

そう言うと、守屋さんの大きな手が私の髪を顔から払うように撫で梳く。
髪から、耳、頬、唇へとその指先が移動していった。
火照った私の顔に、守屋さんの顔が近づいてくる。

 

「きゃっ、あの……」
「そんなに緊張しなくてもいい」
「ま、待って……」
「やはり君は撫子のように可憐な女人だな」
「ちょっ……えっと……」
「命を助けられた時から、ずっと君のことが忘れられなかった」

 

大きな守屋さんに組み敷かれ、私は布団に倒れ込んだ。
潤んだ目をした守屋さんと、間近で目が合う。
守屋さんは微笑みながら、私の額に口付けをした。

 

「うわぁ、待ってください。…守屋さん、少し落ち着いて……」
「怖くない。心配は無用だ」
「あっ、あの……お願いがあるんです」
「どうしたのだ」
「少しの間、私を抱きしめるようにして、目を閉じてくれませんか?」
「……それが君の望みなのか?」
「はい」
「わかった。それで君が落ち着くのなら、言うとおりにしよう」

 

守屋さんは私を優しく抱きしめると、目を閉じてくれた。
(力の封印、私にできるのかな)

 

幼い頃、私は力を捨て去るために自らの力を封印した。だから、きっと今回も出来るはずだ。
私は祈りを込めて、守屋さんにしがみ付く。

 

(お願い……)

 

どんな複雑な理由があっても、多くの犠牲を払う復讐なんてしちやいけない。
守屋さんが鬼だという事にとらわれているなら、その力を失くしてしまった方が冷静になれる気がする。
本人の了解も無しに勝手な封印することは、いけない事だろう。
けれど、私はどうしても守屋さんの考え方が許せなかったし、納得できなかった。

 

(成功して……!)

 

926~929

 

目を開けると目の前に呆然と座りこんでいる男の人が居た。
(守屋さん?)
なぜか自分はこの男の人を知っている。
夢なのだから、なぜ知っているのかなんて気にしても仕方ないのだけれど……。

 

「な、撫子の君……な、なにを……、何をしたんだ!」
守屋さんはどこか不安げに私を見て来る。
私は守屋さんの鬼の力を封じたのだ。
「これから先、鬼の力は必要のない世界になるんだよ」
「君も鬼ではないか!」
「……」
守屋さんの言葉に、私は何も言えずに黙り込む。
(そう、私は鬼だ)
夢の中の私は困ったように守屋さんを見つめ、守屋さんから逃げるように出口へ向かう。

 

「再生の舞を、舞って来ます(全てを再生させる。光輝の森も、壊してしまった鏡も……)」
守屋さんへは伝えられなかった言葉を胸の中で呟いた私は、陣の中心へ向かう。
割れた鏡がまだ存在しているこの世界なら、鏡を元に戻すことが出来る。
全ての神器と契約を交わし、神宝の力も内にある今なら労せずできるだろう。

 

(壱与の代わりに私が神器を再生させて、全てを元通りにする)
神器によって一族を殺された壱与には、神器を復活させる意思はない。
けれど、元通りになった神器を再度壊すような事はきっとしない。。
幸い私は神器との契約が済んでいるから鏡を元通りに戻し、力を元の器へ戻るように誘導させれば、神器は以前の姿に戻る。
神器が元に戻れば、対となる神宝も自然と元の姿に戻る。
そこまで考えて、私はハタと足をとめた。
(あ、守屋さんのもってる神宝……)
あれに力がもどったら、せっかく鬼の力を封印したのに刀の力で封印をとかれてしまう可能性がある。

 

神器を元に戻したからといって、即座に神宝にも力が戻るわけではない。
ある程度の時間はかかるだろうけれど……。
神器は壱与がいるから問題はない。
修復された神器に疑問を覚えるだろうが、神器が元通りになれば、壱与は以前と同じように神子として神器を守っていくだろう。
だが、神宝はどうなるのか?
そもそも八握剣以外の神宝がいまどうなっているのか分からない。

 

とりあえず再生の舞を舞いに行く

(私が……やらなくちゃ……)

 

すべての元凶は鏡を割ってしまった罪から始まっている。
でも今の私なら、手にした力で再生させることができる。

 

神器も神宝も大昔のこの世界なら、本来の器がまだどこかにあるはずだ。
陣の中心にあるかがり火の光に吸い寄せられるように、私はゆっくり歩みを進める。

 

「撫子の君! 待ってくれ!」

 

守屋さんが私に駆け寄ってきた。
その手には、薄桃色のキラキラと光る薄くて細長い布が握られている。

 

「それは?」

 

守屋さんが手に持っている布を見ながら、私は問いかける。

 

「これは比礼だ。身に着けた者の穢れを払い、難から逃れる呪力を持っている」
「これを私に……?」
「そうだ。兵の皆のために舞を披露する君にこそ相応しい」

 

手渡された比礼という布は透けるほど薄いけれど、魅入られるほど美しかった。
まるで昔話に出てくる天女が纏っていた、天の羽衣みたいだ。

 

「でも……これは守屋さんの大切なものなんじゃないですか?」
「ああ。本当は出雲の姫……壱与に贈るつもりだった物だ」
「壱与……」

 

守屋さんと壱与はどういった関係だったのだろう。
私の中にある壱与の記憶に、守屋さんは居ない。
私の頭に浮かんだ疑問を見透かしたように、守屋さんは薄く笑った。

 

「幼少の頃、私は壱与に振られていているんだよ。また再挑戦するつもりだったが、今となってはそれも叶いそうに無い」
「振られる? 壱与にですか?」
「残念ながらな。石見国の王族だった私は……出雲国王に招かれたのだよ。政略結婚の相手としてね」
「政略結婚?」
「ああ。だが壱与はその事を知らない。おそらく壱与にとって私など、ただの幼馴染でしかないはずだろうな」
「もしかして……あなたは『弓削(ゆげ)』?」
「!!……どうしてただの遊行女婦である君が……私の幼名を知っている!?」

 

目を見開いて驚いている守屋さんと記憶の中の弓削が、ようやくひとつに繋がる。
『弓削』という名の弱虫で泣き虫な男の子と遊んだ楽しい記憶。
いつも壱与が連れまわしていて、そんな壱与に必死で付いていくような男の子だった。
そんな楽しかった頃の記憶が、巫女の修行に明け暮れていた頃の壱与にとって唯一の慰めだったのだ。

 

「その答えは少し前に言ったと思いますけど……壱与が転生して、私になったって」
「……」
私の言葉に、守屋さんは顔をしかめて私を見た。
私はそんな守屋さんから視線をはずして、受け取った比礼を身に付ける。

 

「じゃあ私、舞って来ますね」
以前ここに来た自分は、この夢で起きるタイムパラドックスを畏れていた。
今はもう畏れても、迷って居もない。
再生の舞を舞い、鏡を再生させることで起きるタイムパラドックスは予想が付かない。
けれど、神器と神宝の力は人が宿すには強すぎる。この力は人が宿してはいけないものなのだ。

 

(それに、約束したもの……私の望む世界を見せるって)
この舞いを舞い終わった瞬間に、自分は消えてしまうかもしれない。
それでも神宝の力に翻弄され心の闇にとらわれていく高村の人たちが、そしてそんな高村に利用されて傷つく人たちが居なくなれば良いと思う。
そしてこの力で誰も傷つかない世界になってほしい。

 

舞台の前に立った私に、陣にいる人たちの視線が集中する。
守屋さんが用意してくれた鈴を手に取り、舞台に立つ。
深呼吸して心を落ち着けて……鈴を鳴らし、大地を踏み鳴らす。
記憶にある舞を舞いながら、内に宿る力を少しずつ開放していく。

 

穢された大地を浄化させる力を乗せて、森の再生を願う
散らされた命の苦しみが和らぐよう祈りを乗せて、魂の再生を願う

 

あらゆる物の再生を願い舞っていると、ふわりと意識に何かが触れた。
(これは、神器)
契約者である私の舞いに惹かれて来たのだろう。
三種の神器の力が集まってくる。

 

(元の依り代をここへ……)
神器の力へ向けて願うと、それに答えて依り代であった剣と勾玉、そして割れた鏡が頭上に現れる。
周りが騒然としているけれど、気にしている余裕はない。
力を開放しながらの舞は思った以上に大変な事だった。徐々に体が重くなっていく。
気力を振り絞って割れた鏡へ手を伸ばし、神宝の力を借りて鏡の再生を願う。
神器の鏡はそれに応えてもとの姿に戻った。

 

(三種の神器……もとの依り代に戻って……そして壱与の所へ帰ってあげて)
契約者の願いに力が依り代にもどると、徐々にその輪郭が薄れて消えた。壱与の所へ戻ったのだろう。

 

(これでもう大丈夫だね……)
私はホッとしてタンと大地を踏み鳴らした。
舞が終わり、動きを止めても私は消えては居なかった。
けれど頭が重い。力の使いすぎだろうか。
座りこみそうになるのを何とかこらえる。
神器の再生は終わった。次は、守屋さんのもつ剣をなんとかしなくてはいけない。
守屋さんの姿を探して陣を見回し、ふと異様に陣内が静かな事に気付いた。
それが徐々にざわめきだす。

 

「……見たか、さっきの」
「なんだったんだアレは?」
「実はすごい舞手なんじゃないのか?」
ところどころ、聞こえてくる内容に目立ちすぎただろうかと不安になる。

 

(もしかして……私すごく目立ってる?)

 

ぐるりと見渡すと、ざわめきが更に大きくなっていく。

 

「ネェちゃん! すごい芸じゃないか!」
「綺麗だったぞ! 思わず見入っちまった!」
「やるねぇ、さすが大将が見込んだ女だ!」
「俺にも酒の酌してくれ!」
「女だ! 久しぶりの女が居る!」
「こっちへ来いや。かわいがってやるからよ!」

 

賛辞とも冷やかしともつかないざわめきは止むどころか、どんどん大きくなっていく。
舞を披露しているときは集中していて周りが見えていなかったけれど、こんなにも大勢の人たちに見られていた。
状況を把握した途端、手が震えて持った鈴を落としてしまった。
段々恥ずかしくなって、顔が熱くなる。

 

(無理。たくさんの視線に晒されるのはやっぱり無理無理無理無理無理)
私はダッシュで宴会場の中心から逃げだす。
何人かの兵士達は私を追いかけようと立ち上がった。
けれど立ち上がったのは酔っ払いばかりで、フラフラの千鳥足だった。

 

(よし、これなら私にも撒けるかも)

 

そう思って走っていたけれど、さすが百戦錬磨の屈強な兵士の人たち。
私との距離が少しずつ縮まっている気がする。
とにかく無我夢中で走り続ける。

 

(やだ、やだ!もう追ってこないでってば!)
(酔っ払いの相手なんて絶対嫌だよ!)
(近寄るな! ケダモノ! ヘンタイ!)

 

932~936

 

「……っ、撫子の君!」
どこかで呼ばれているのを感じて、目を開けると何かの木の横に立っていた。
当りは真っ暗だが少しはなれた所では火が焚かれていて、たくさんの人の気配がする。

 

「撫子の君!」
その明かりを背にして人が近づいてくる。
逆光で顔は見えないが、こんなふうに呼ぶのは一人しか居ない。

 

「守屋さん?」
「撫子の君、急に走って行ったかとおもったら、目の前で消えてしまったから、また会えなくなるかと……」
守屋さんの言葉に、舞を舞って、舞台から逃げ出した直後なのだと分かった。
追いかけてきた武士の中に守屋さんも混じっていたのだろう。

 

「ごめんなさい……やっぱり人前は苦手で」
「いや、それはいいんだ。……それにしても、素晴らしい舞だった」
「そうですか……?」
私が舞うのは初めてだし、自分で舞を見られるわけでもないので自分で自分の舞を評価する事は出来ない。

 

「ああ、素晴らしかった。皆も見入っていた」
「ありがとうございます」
「ところで……」
「はい?」
「舞の最中に君の頭上に現れたあれは……もしかして」
私の反応をうかがうように、守屋さんは言葉を切った。

 

「たぶん、守屋さんの考えている通りのものだと思います」
「やはり……だが、なぜ君が?」
「何でって言われると……、私がそうしたかったから、です」
私の願いのために。と、心の中でつぶやいて、ちょっと笑う。

 

「でも、思った以上に大変でした……見てください」
「これは……!?」
私は手を守屋さんへ向ける。指先が透けて向こう側が見えている。

 

「きっと、鬼の私は消えるんだと思います。 鏡を元通りにしたから」
「どういうことだ?」
「鏡が壊れて力が消え、他の人と契約が出来なくなってしまって、神器の契約はずっと壱与の魂に刻まれていたんです。「鬼の姫であった壱与」との契約」
「それが……?」
「だから、私は転生しても鬼のままだった。他の鬼たちは人に転生しているのに」
全ての神器と再度契約を交わして、私は悟った。

 

「その神器が元に戻った。壱与は次の巫女を選び、その巫女は神器と契約を結ぶ。そうなれば、壱与に……私に刻まれていた契約は消えるんです」
「だから君も消えると言うのか!?」
「そうです。だって、私は未来に居るはずのない鬼ですから。だから鬼の私は、消えます」
うすうすは分かっていた事だ。
もしかしたら、という可能性も考えたが、こうやって消えていこうとしている指先を見ると、それは期待出来ないということなのだろう。

 

「君はそれで良いのか? 消えてしまっても良いと言うのか!?」
守屋さんが私の肩を掴んで揺さぶる。

 

「……良くはないです」
(本当は消えたくない。薄々わかっていたけど……やっぱり怖いよ) 

喉がつっかえて、ほとんど声にならなかった。
守屋さんの真っ直ぐな視線から逃げるように目をそらす。
そんな私の姿を見て、守屋さんの掴む力がさらに強くなった。

 

「なぜ望まないことをするんだ! なぜそんな辛そうな顔をする!」
「私の望む未来を見せるって……ある人と約束したからです」

 

修二くんと契約の時に約束を交わした。
綺麗事にしか聞こえない、私の望む未来を見せて欲しいと言われたんだ。

 

「君が犠牲になることを、その人物が望んでいるとでも言うのか!」
「多分……約束した人は……私が消えることを望んでいないと思います」
「ではなぜ!?」 

 

修二くんは私が消えることなんて望んでいないだろう。
修二くんは修二くんのやり方で、私をいつも心配してくれていた。
私の知っている修二くんならやっぱり止めるだろう。

 

(だけど……)
「私が望む未来がその先にあるから……です」
「君が望む未来?」
「はい。だから未来を私の手で変えなくちゃいけないんです。そのためには仕方の無い事なんです」

 

私の言葉を聞いて守屋さんは黙り込む。
そして何か感づいたのか、目を見開いて叫んだ。

 

「まさか!? 撫子の君が消えた先に、その望む未来があるのか!?
だから君自身が犠牲になると、そういうことなのか!」

 

顔を上げ、守屋さんの目を見ながら私は静かに頷く。
鏡を元通りにした先、力の無い世界こそが私の望む未来の姿だ。
守屋さんは決意の固い私の姿を見て、掴んでいた手を力なく落とした。

 

「じゃあ、逆に聞こう。君の元いた世は……変えなくてはならないほど酷いものだったのか?」
(酷い……)

私は自問自答する。
守屋さんの言うとおり、変えなくてはならないほど酷い世界だったのか。
力に翻弄される人、利用され苦しむ人が大勢いた。
お母さんが失踪して、香織ちゃんと友達になって、新しい家族が増えた。
春樹のご飯を食べ、隆と冗談を言い合い、一郎くんと委員会に取り組み、修二くんの軽口をあしらう……そんな日常があった。
騒動に巻き込まれて、周防さんや美波さん、チハルに出会った。
そんな私を取り巻いてきたすべてを否定しなくてはならないほど、元の世界は酷かったんだろうか。

目覚めた私はこの夢を覚えていることは出来ないけれど、ここに居る私はどちらも覚えている。
組織の手によって作られた修二くんと冬馬先輩は、この先の未来では消えていた。
けれどそれは悪いことではないはずだ。
冬馬先輩だってちゃんと言っていた。違う形で会うことがあるかもしれないと。
それなら私だって大堂愛菜ではなく、ちゃんと人として転生して別の形に生まれ変わるのだ。

 

「酷いかと聞かれたら、そんなことはないって答えます」
「ならば……!」
「でも、約束した人はこうも言ったんです。ほしい物はほしいって言ったほうが良い、私は少しわがままなくらいが良いんだって。
 これは私のわがままなんです」
修二くんや冬馬先輩が消えてしまったとしても、その魂は別の形で転生していると信じる。
消える事には恐怖を覚えるけれど、生まれ変わること自体はどちらかと言うと楽しみでもある。
それに生まれ変わった後の私は、この恐怖を覚えては居ないだろう。
恐怖を覚えるのは今だけ、だ。
転生論を否定している守屋さんには、納得出来ないことだろうけれど…。

 

「私は消えます。でも、別の私が生まれるんです。
 鬼じゃない私、人の私です。私が一番ほしいのは、人である私です」
力のない世界で、鬼ではなく人として。
たとえ、今の大堂愛菜が消えてしまっても。別の名前になったとしても。

 

「そんなに鬼である事が嫌なのか?」
「嫌って言うわけではないですけど……でも、人の世界に立った一人だけの鬼なんて、寂しいですよ?」
「ならば、私が鬼の国を再建しよう。君が寂しがらないように」
「だめです!」
「何故だ!」
永きに渡る高村の悲願、国の再興を果たす、と言った秋人さんの言葉を思い出す。

 

(まさか……、まさか未来を変えようとしても結局は同じ結果になるの?
 で、でも今回は神器はちゃんと元に戻ったし、私が転生しても鬼じゃない。
 転生を繰り返す私を使って鬼の血を残すことは出来ないはず……。
 それに、修二くんと冬馬先輩はあの世界にはいなかったんだから……)
考えて、きっと再建は出来ないだろうと予想する。
けれど、気になる事もある。私は守屋さんの腰にある剣を見る。
封印を剣で破られたら、もしかしたら……。

 

「……いえ、好きにしてください」
私は不安を黙殺して笑ってみせる。
自分の指先を見るとやはり消えかけている。
これはどんなに守屋さんが足掻いても鬼の国が再建できない証拠に他ならない。

 

「現に私はこうして消えようとしています。
この先守屋さんが鬼の国を再建しようとしても、私が消えることには変わりないです」
三種の神器が元通りになった今、壱与が次の巫女を選ぶ前に再度神器が壊されない限り、消える運命は変わらない。

 

「ただ、お願いです。これ以上血が流れるようなことはしないで下さい。
もし鬼の国を再建させるのだとしても、人との共存を目指してください。
精霊や人を食料とする私たちには辛いことかもしれないけれど……人の食事だけでも何とかなるものですし」
そう、鬼の力を乱用しない限り人の食事で事足りるのだ。
壱与がそうであるように。
(それにしても、頭が重いな……)
これも、消えていく前兆だろうか?

 

「撫子の君…?」
「……え、あ、はい?」
どうやらぼんやりしていたらしい、守屋さんが心配そうに顔をのぞき込んできた。

 

「大丈夫か?」
「はい、ちょっと頭が重い感じですけど、痛いとかそういうことはないです」
守屋さんは顔をしかめて、私の手を取った。

 

「休んだほうが良い」
手を引かれるままに歩き出す。
だんだん何かを考えることすら面倒になってきている。
連れてこられたのは、守屋さんの寝所だった。

 

「横になると良い。少しは楽になるかもしれない」
そう言って守屋さんは私を寝かせようとする。

 

促されるまま横になる。
けれど目を閉じる気にはならなくて、ぼんやりと部屋の中に視線をさまよわせた。

 

「本当に何も出来ないのか……?」
守屋さんは私の側に腰を下ろして、見下ろしてきた。
その目の奥に、焦りのようなものが見える。

 

「……じゃあ、守屋さん。私が居たことを覚えていてください」
「?」
「私が消えれば、私自身鬼だったことを覚えている事が出来ません。だから、守屋さんが覚えていてください」
「それが何になる?」
「少なくとも守屋さんが覚えているかぎり、鬼の私は守屋さんの中で生きている事になります」
ドラマだったか、小説だったか忘れたが誰かがそんなことを言っていた。

 

「忘れられない限り、消滅ではないんです。誰か一人でも覚えていてくれれば」
「……わかった、それが撫子の君の願いなら。私は君を忘れない」
「ありがとうございます」
「君の言うとおり生まれ変わりがあり、私自身生まれ変わっても、生れ落ちたその時には忘れていても、絶対に君の事は思い出す」
「そこまでしなくても……」
苦笑して、ふと思い出す。
そう春樹は覚えていた。私のことを。

 

(まさか……?)
「春樹?」
「どうかしたか? 撫子の君?」
八握剣を持っているのは守屋さん、そしてその力を持っていた春樹。
一致するといえば一致する。

 

(あぁ、ダメだもう何も考えられない)
だんだん思考があいまいになってきて、目を開けているのも億劫になってきた。
目を閉じて、ため息を突く。

 

「撫子の君? 眠ったのか?」
守屋さんの声がどこか遠くで聞こえた。

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最終更新:2009年04月13日 14:06