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[[冬馬611~620]] 621 ①二人を止める 「止めてよ二人共! どうして?」 二人の間に入り、首を大きく左右に振る。 「冬馬先輩も一郎くんも、研究所に居る主流派の人たちが悪いと思っているんだよね? だったら、なぜ協力しないの? ここで仲違いしている意味なんて無いよ」 目的が同じなら、手を取り合うべきなのに。 それなのに、一郎くんと修二くんは冬馬先輩に対して異常なまでに厳しい。 冬馬先輩もそんな二人に対して、歩み寄ろうとはしない。 すごく悲しくなるし、もどかしく感じてしまう。 「狙われて怖がる私を、二人とも心配してくれていたのは知ってたよ? こんな何も出来ない中途半端な私にも優しく接してくれる二人なのに、どうして? どうして協力できないの?」 冬馬先輩は何も言わず、黙って私を見ている。 一郎くんは少しだけ俯き、ため息を吐いた。 「君は№673の正体を見ていない。だからそんな甘い事が言えるんだ」 「№673って冬馬先輩の事……だよね」 「ああ、そうだ。この男は過去に――いや、よそう」 「一郎くん?」 「知らなければ知らない方が良い。ただ№673は信用に足る人物ではない、とだけは言っておく」 小さな頃に出会っている、そんな話を以前一郎くんから聞いていたのを思い出す。 もしかしたらその時に何かあったのかもしれない。 何かあったとしても、昔のことを引きずっているより今を変えていくほうがずっと良い。 「一郎くんは知らないだけで、冬馬先輩は信用できるよ」 「君がそう思うのは勝手だ。だが、同調はしかねる」 「過去は知らないけど、今の冬馬先輩は悪い人じゃないと思う」 「あの頃から見れば変わったのかもしれない。しかし、本質はたやすく変えられるものではないんだ」 「どういう事?」 「どれだけ時代が移り変わっても、剣の本分は破壊しかない」 「破壊……」 「そうだ。だから俺も修二も№673とは協力出来ない」 (どうして……) 私は黙ったままの冬馬先輩に視線を向ける。 冬馬先輩も一郎くんの話を聞いていたはずだ。 なのに無表情のままで、言い返すわけでもなく否定もしない。 ただ私と視線が合うと無言できびすを返し、一歩、二歩と私たちから静かに遠ざかってしまった。 私は…… ①一郎くんに話しかける ②冬馬先輩を追いかける ③考える 622 ②冬馬先輩を追いかける 「冬馬先輩、待って!」 「行くな、大堂!!」 一郎くんの鋭い声に、前に出た足が止まる。 「一郎くん……」 「あの男を追って、君はどうするつもりだ」 「春樹が居るはずの……研究所の場所を教えてもらうんだよ」 「研究所か。現在の高村研究所を№673は知っているんだな」 「そうだよ」 「………………」 「ごめん一郎くん。私、冬馬先輩と話さなくちゃいけないから」 話を切り上げるように、一郎くんに背を向けた。 その時。 「高村……春樹……」 (えっ?) 不意の一郎くんの呟きに、私は動けなくなる。 「君の弟、大堂春樹は高村博信の息子だったんだな」 「どうしてそれを……」 私はゆっくり一郎くんに視線を移す。 一郎くんは強張った顔をしたまま私を見ている。 「君の弟の素性を調べれば、容易に分ることだ」 「……………」 「正直驚いた。まさか高村の血筋だったとは」 一郎くんにとって高村は聞きたくも無いほど不吉な名前のはず。 一郎くんだけじゃない。 関わった人はみんな同じだろう。 「さっき君は弟を連れ戻したいと言っていたな」 「うん」 「だが軽率な行動は止めておくんだ。これは罠だ」 「罠……」 「そう、君を手に入れるために仕組んだ罠だ。 さっき君は弟を連れ戻すためなら何でもすると言っていたが、それこそが奴らの目的。 君の弟を盾にしてでも、高村博信は君の力を利用するだろう」 私は…… ①「そんな事わかってるよ」 ②「じゃあどうすれば……」 ③黙って冬馬先輩を追いかける 623 ①「そんな事わかってるよ」 一郎くんの言葉に、考える間も無くそう答えていた。一郎くんは驚いたようにこちらを見ている。 「大堂。君は何を言っているのか、自分でわかっているのか?」 「わかってるよ、もちろん。このタイミングで春樹がいなくなったっていうのはきっと一郎くんの いうとおり、そういうことだと思う」 そうだ。春樹が仮に自分の意思で出て行ったのだとしても、そこに主流派の意図が隠されていて 何ら不思議は無い。春樹の生い立ちや性格を知る人物なら、そうしむけることなどきっといともたやすくやってのけるのだろう。 「それでも、私は行きたい。こうしている間にも、春樹の身に危険が迫っているかもしれない。 私のせいで誰かがそんな目に会うなんて、そんなこと絶対に許しちゃいけない」 一郎くんはふっとため息をついて床に視線を落とした。興奮気味の私に対し、抑揚のない声で低く告げる。 「それは単なる感情論にすぎない。実際問題、君が今組織に乗り込んでいったとして一体何ができる?」 「それは…」 「一時の勢いに任せて思いつくまま行動したところで、それこそあちらの思う壺だ。仲良く姉弟で組織の手に落ちて万事休す、といったところだろう」 一郎くんの正論を前にしぼんでしまった勇気を奮い立たせるように、まっすぐに一郎くんを見据えて言葉を紡ぐ。 「そんなこと、やってみなければわからない。それに、今春樹を助けられるのは私だけでしょう? 一郎くんはもし修二くんが組織に捕まったら助けに行かないの?」 「……!」 「ごめんね。私、行ってくる」 小さく頭を下げて、なおも何か言おうとしている一郎くんをなるべく見ないように冬馬先輩の去っていった方向に駆け出した。 廊下をまがった所で前方に冬馬先輩の後姿を捉えた。 どうしよう? ①大きな声で冬馬先輩に呼びかける ②そのまま黙って走り寄る ③途中で修二くんに声をかけられる 624 ①大きな声で冬馬先輩に呼びかける 「冬馬先輩!」 先輩の背中に向かって大声で叫ぶ。 冬馬先輩は私の声に気づき、足を止めた。 「………愛菜」 「冬馬先輩、待ってください。一緒に行きます」 「……いいのですか?」 どういう意味で『いいのですか』と尋ねているのだろう。 ついて行くことへの覚悟を尋ねているのだろうか。 それとも一郎くんを振り切った事に後悔は無いのか、問いかけているのだろうか。 「いいんです」 「……そうですか。分りました」 私は春樹に会わなくてはなけない。 そして家に帰ってきてもらう。 一郎くんの言うように、私も春樹も研究所の手に落ちてしまうかもしれない。 だからといってただ待っているだけなんて出来ない。 協力してくれるという冬馬先輩を信じて、一緒に進むと決めたのだ。 冬馬先輩と私は人目の無い屋上にあがってきた。 屋上にある給水塔の下につくと、お互いが自然と向き合った。 「先輩。春樹の居場所がわかったって、朝に言ってましたよね」 「……はい」 「春樹は一体どこ? 研究所ってどこにあるんですか?」 冬馬先輩は無言でうなずく。 そしてゆっくりと指をさした。 眼下には、夕日に染まったジオラマみたいな街が広がっている。 私はその指の方向へ目で追っていく。 その指は、住み慣れた街を流れる大きな川を示していた。 「……川?」 「……はい」 「まさか川の中!?……じゃないよね」 「違います。この街を流れる川の遥か上流。そこに研究所はあります」 「遥か上流って、水源地に近いって事かな」 「はい。人里離れた山中に今の研究所はあるようです」 私は…… ①いつ助け出すのか聞く ②周防さん達について聞く ③冬馬先輩はいいのか聞く 625 ①いつ助け出すのか聞く (冬馬先輩のおかげで場所は特定できた。あとは……) 「それであの、春樹をいつ助け出すつもりなんですか?」 今日は無理にしても、明日だろうか明後日だろうか。 春樹の状態がわからない以上、できるだけ早いほうがいい。 「決行日は周防たちと相談します。ですから今お答えする事は出来ません」 「そうなんだ……」 「おそらく今週中には決行を考えていると思います」 (今週中か……) 今すぐにでも研究所へ飛んで行き、無事を確認したい。 気持ちばかりが焦るけれど、力の無い私は冬馬先輩たちを頼るほか無い。 「冬馬先輩、勝手なお願いだと思うんだけど……なるべく早くして欲しいんだ」 「周防たちに愛菜の希望は伝えておきます」 「うん、お願いします」 (今朝無理させたばかりなのに、また私は冬馬先輩に無理をさせようとしてる) 危険に巻き込みたくないと思いながら、冬馬先輩を頼らざるを得ない自分が歯がゆい。 一郎くんには助けると言い張ったけど、実際に助けるのは冬馬先輩たちなのだ。 口ばっかり達者なことを言っても、冬馬先輩に危険な事を押し付けている。 「私……ずるい。 本当は冬馬先輩に守ってもらう価値なんて無い……」 思わず、心の声が口から漏れる。 「ご、ごめん。今のは聞かなかったことにして!」 口をついて出た愚痴を取り消すように、あたふたと取り繕う。 こんな時に弱音なんて吐いてる場合じゃない。 今更になってまだ迷ってるなんて、冬馬先輩を困らせるだけだ。 「愛菜」 無機質な声に私は顔を上げる。 目の前の冬馬先輩が無表情な顔で私を見ていた。 「冬馬先輩……何?」 「今朝から顔色が優れないままです」 「色々考えちゃってるからかな。前に周防さんにも言われたけどね」 「周防にですか」 「うん。悪い癖なんだよね。疲れた顔の私を見かねて、ショッピングモールに誘ってくれたんだよ」 重い口調にならないように、なるべく明るい声で答える。 冬馬先輩は相変わらずの無表情で、何を考えているのか読み取りにくい。 分らないけど、心配してくれているのはなんとなく伝わってくる。 「わかりました。愛菜は気晴らしを必要としているという事ですね」 ①「もしかして冬馬先輩、私を誘ってくれるの?」 ②「えっ!」 ③「そんな暇ないよ」 626 ③「そんな暇ないよ」 文化祭の準備もあるし、何より春樹が居ないままだ。 そんな状態なのに、この前の日曜日のように遊んではいられない。 「文化祭の準備が忙しいのですか?」 「忙しいってほどでは無いかな」 クラスの方は仕上げの段階に入っていて、特に急ぐ必要は無いはずだ。 放送委員は一郎くんが居るから行き辛い。 「では、他に何か都合があるのですか?」 「それも無いよ。ただ……春樹のことがあるし」 「弟さんですか」 「うん」 「さきほど言ったように、すぐに弟さんを救出する事は不可能です」 「わかってるよ。ただこの前みたいなショッピングをしても楽しめる自信はないかな」 「それはなぜですか?」 「気持ちの問題なんだ。こんな時に遊んでいられないって思ってしまうよ」 私の言葉を聞いて、冬馬先輩は目を伏せた。 そしてピクリとも動かなくなる。 (もしかして悩んでるのかな……) 「気晴らしとは鬱屈した気持ちを発散させるものだと周防に聞きました。 有効な手段としては体を動かしたり、日常の生活圏から抜け出すことです」 突然始まった説明に私は頷くことしか出来ない。 「そして愛菜はショッピングのような手段は望んではいません」 「そ、そうだね」 「真面目なあなたが納得し、かつ体を動かしながら愛菜の生活圏から抜け出す方法……。 一番有効な手段は、三年生有志で行っている出店の手伝いだと思うのです」 「………え?」 「僕もこの間から少しずつ手伝っています。 愛菜が以前提案してくれたように楽しめているのかは分りません」 顔をあげた冬馬先輩は無表情だったけど、少しだけはにかんでいる様にも見える。 「ですが、それなりに有益な時間を過ごせています。 もしよければ明日の放課後、三年の教室へ来て欲しいのです」 (冬馬先輩……) ①「ごめん、無理だよ」 ②「うん。じゃあ手伝おうかな」 ③「なら先輩が私のクラスを手伝って」 627 ②「うん。じゃあ手伝おうかな」 (せっかくの先輩が気を使ってくれてるんだし… ちょっとくらいなら、いいよね) 私がそう答えると、冬馬先輩は かすかに微笑んでくれた…気がした。 「…ありがとうございます。 では、明日も同じように迎えにいきます」 そんな冬馬先輩の様子を見ていると、 申し出を受けてよかった…と改めて思った。 (でも、クラスの皆にはちゃんと言っておかなきゃ…) 準備のためには貴重といえる一日を 自分の都合で抜け出すのだ。 しかも、用事といった用事があるわけではなく、 自分に関係のない場所の手伝いをするんだし。 (まだ、皆残ってるかな…? 残ってるなら言ってきたほうがいいよね?) ①冬馬先輩と一緒に教室に戻る ②冬馬先輩には待っていてもらって教室へ行く ③明日言うことにして今日のところは帰る 628 ①冬馬先輩と一緒に教室に戻る 朝、体調があまり良くなかった冬馬先輩を一人にしておくのは不安だ。 それでなくても冬馬先輩はつらい事や苦しい事を我慢しているように思える。 今は顔色も良いけれど、いつまた不調になるかわからない。 (私と契約してることで、何かしらの負担になってることは間違いないし……) 私は冬馬先輩と一緒に教室に戻った。 「あ、愛菜!」 すると目ざとく香織ちゃんが私を見つけてやってくる。 「委員長の用事は終わったの……って」 香織ちゃんは私の後ろに立っていた冬馬先輩を見つけて目を丸くした。 そして有無を言わさず私の首に腕を回して引き寄せると、興奮気味にささやいてきた。 「ちょっとちょっと、あの人誰よ?見たところ先輩みたいだけど」 「あ、うん、御門冬馬先輩っていうの。あの、明日先輩の手伝いをしたいんだ。だから準備休んでもいいかな?」 「御門……先輩? あの人が?」 香織ちゃんは、ちょっとだけ顔を上げて冬馬先輩を見た。 「この人があの御門先輩、ね」 「香織ちゃん知ってるの?」 「知ってるというか、ちょっとした有名人だよ。半端な時期に転校してきた上に、編入試験もすごい点数良かったみたいよ」 「へぇ……」 「でも、あんまり良いうわさは聞かないのよね……」 「え……?」 「でもあくまでもうわさだから、愛菜はそんな顔しないの。で、えっとなんだっけ?明日先輩の手伝いするとか言った?」 私の顔を見て、香織ちゃんは軽く私のほっぺをつねると、気を取り直したように聞いてきた。 「う、うん、こっちも準備で忙しいと思うんだけど……」 「こっちはもうほとんど終わってるし気にしなくて良いよ。先輩の手伝いしてきな」 「ありがとう、香織ちゃん」 プロデューサーの香織ちゃんのOKがでてほっとしていると、再度声をひそめた香織ちゃんが意味ありげに笑った。 「進展したらちゃんと私に報告するのよ?」 「え?」 ①「……なんのこと?」 ②「誤解だよ!」 ③「う、うん……わかったよ」 ①「……なんのこと?」 「自覚なしか。まあ、当然だわね」 香織ちゃんはあっけらかんと答えた。 「自覚とか進展とか……香織ちゃん何言っているの?」 「いいのいいの、こっちの話だから。それより御門先輩って愛菜から見てどんな人なの?」 (どんな人って言われれば……) 「とってもいい人かな」 「それだけ?」 「あと頼りになるとか……」 「私にはあんまりいい人には見えないけど」 愛想無く廊下で待つ冬馬先輩をチラッと見ながら、香織ちゃんは呟く。 香織ちゃんらしいハッキリした意見だ。 「表情が乏しいんだよ。でも少しは笑ったり怒ったりもするんだよ」 「笑う……想像できないわね」 「それでも冬馬先輩にとっての精一杯の表現なんだと思うんだ」 「相変わらずなのか。もう少しにこやかにすればいいのにねぇ」 まるで御門先輩のことを昔から知っているような口ぶりだ。 「香織ちゃん、冬馬先輩と知り合いなの?」 「ううん。全くの初対面よ」 「まるで昔からの知ってるみたいな言い方だったよね」 「今回のあの人はね」 「??」 「と、とにかく良い噂を聞かないけど、愛菜の力になってくれる人に違いないわ」 香織ちゃんは誤魔化すように私の肩を叩いた。 「冬馬先輩には何度も助けてもらったんだ」 冬馬先輩は学校でも浮いた存在みたいだし、一郎くんも修二くんも嫌っている。 でも香織ちゃんは違うみたいで、ホッと胸をなでおろす。 「やっぱり良くない噂がたつくらいだし、誤解されやすいんでしょうね」 「うん……」 「誤解を訂正しようとも改善しようともしない感じだし」 「どうにかしてあげたいんだけどね」 「でもね、あんたが最後まで信じてあげていれば大丈夫なんじゃないかしら」 「……そうかな」 まるで香織ちゃんは全部知っているような言い方をした。 不思議ではあるけれど、今は冬馬先輩のことを肯定しくれる人が居ることが嬉しい。 「……って、全部私の勘だけどさ」 「香織ちゃん、ものすごく鋭い勘だね」 「ま、まぁね。それより早く行かなくて良いの? 御門先輩が待ってるんでしょ?」 「うん。クラスの出し物手伝えなくてゴメンね」 「いいのよ。じゃあ明日」 香織ちゃんが手を振ってくれるので、私も振り返す。 「先輩、お待たせしました」 廊下で待っていた冬馬先輩に話しかけた。 先輩は香織ちゃんをのドアの覗き窓から見ている。 もしかしたら私と話していたのが気になったのかもしれない。 「話し声、聞こえてましたか?」 「いいえ。ここまで届いてきませんでした」 「そっか。よかった」 冬馬先輩の事を話していたし、何より聞かれていたらなんだか恥ずかしい。 「あのね、さっきの子は親友の香織ちゃんっていうんです」 「…………」 「先輩?」 「カオリ……と言うのですか」 「小学校からの付き合いで、ずっと私を支えてくれてるんです」 「…………」 「あの……」 香織ちゃんの事を眺めるというより凝視している。 あまり他人に興味のない先輩にしては珍しい反応だ。 「…………」 「冬馬先輩」 「…………」 「あの冬馬先輩」 私が何度か声をかけるとようやく反応が返ってくる。 「……なんでもありません。愛菜を家まで送ります」 「あ、ありがとうございます」 (こういう所が誤解を生むのかも) 冬馬先輩との帰り道、なかなか話しかけることが出来なかった。 私の力の事、組織の事、冬馬先輩自身のことも。色々と謎だらけだ。 どこまで質問していいか分からないし、また無理だとはね付けられてしまうかもしれない。 冬馬先輩から会話を振ってくる事も無く、ひたすら無言で歩く。 長く伸びていく影だけ追っているうちに、家の前まで来ていた。 「わざわざ送ってもらって、ありがとうございました」 「…………」 「また明日学校で。気をつけて帰ってくださいね」 「……では」 隙の無い動きで踵を返すと私から離れていく。 遠ざかる背中を見ていると、何か言わなくちゃという気になってくる。 とにかく分からない事が多すぎる。知りたくない真実だとして何か一つでも知りたい。 それが解決の糸口になるかもしれないから。 (お母さんの事だって何も教えてもらっていないから) 「……先輩!」 私の声に反応して、冬馬先輩が振り向く。 「……どうしましたか」 「私を守ってくれているのは、お母さんとの約束だからでしたよね」 「……はい」 「お母さんはどこに住んでいるの? 生きているんですよね」 お母さんを語るとき冬馬先輩はすべて過去を振り返るように言っていた。 まるで故人を偲ぶように。 「…………」 「昨日、美波さんもお母さんの所在について何も語らなかったよ」 「そうですか」 「それは言えなかったからじゃないの」 「…………」 「黙っているという事はやっぱり死んでしまっているんですね」 先輩の表情は変わらない。 少しうつむいて、目を伏せただけ。 その小さな仕草だけで見当がついてしまう。 「なんとなく気付いてた。もうこの世に居ないんじゃないかって」 「…………」 「もしかしてお母さんは組織に……」 冬馬先輩は顔を上げ、左右に首を振った。 「それは違います。あなたのお母様は五年前、交通事故で亡くなったのです」 「……交通事故」 「道路に飛び出した子供を助けようとしたのです。当時の新聞にも載っているはずです」 「……全然知らなかった」 「子供は助かりましたが、お母様はその犠牲に」 「うん……」 「僕が傍にいながらあなたのお母様を死なせてしまいました」 冬馬先輩は拳を握り締めていた。 こんなに悔しさを表に出すのは珍しい。 「冬馬先輩のせいじゃないよ。人を助けて亡くなるなんて……お母さんらしいな」 私の覚えているお母さんは少し厳しくて、思いついたら一途だった。 (大らかで……厳しくて……でも優しい……) 死んでしまっていた事実は辛いけど、悲しいだけじゃないものが心に広がっていく。 「教えてくれて、ありがとう。冬馬先輩にとっても辛い出来事だったのに」 「愛菜……」 「でもお母さんなら、きっと後悔してないと思う。子供を助けられて満足じゃないかな」 「僕もそう思います」 「でも……ひと目会いたかったよ」 少し離れた所にいたはずの冬馬先輩が私のすぐ傍まで近寄ってきていた。 そして私に手を伸ばし、頬にそっと触れてきた。 「と、冬馬先輩……」 「涙が出ています」 「ご、ごめんなさい」 私は慌ててハンカチを取り出そうした。 次の瞬間、冬馬先輩にその手を引かれた。 制服の感触が頬に当たって、ようやく冬馬先輩に抱き寄せられたと気付く。 「せ、先輩」 「……また愛菜を泣かせてしまいました」 「冬馬先輩のせいじゃないよ」 「今の僕には胸を貸すことくらいしかできない」 驚きと恥ずかしさで私は身をよじる。 けれどぎゅっと抱きしめられて、動くことが出来なかった。 「わ、私……」 「嫌かもしれませんが、しばらくこのままで居させてください」 (……嫌じゃない) 暖かくて安心する。 それに少しドキドキする。 抵抗するのを止めて冬馬先輩に体を預ける。 「嫌じゃ……ないよ」 「よかったです」 「どうしてだろう。冬馬先輩と居るとすごく安心するんだ」 「……はい」 「会って間もないのにね。まるで昔から知っているみたい」 「……それは……」 「何?」 「いいえ、何でもありません」 口数は少ないけどいつもより話し方が穏やかな気がする。 淡々としていても言葉の端々に優しさを感じる。 「先輩は親切だよね」 「僕は親切ではありません」 「ううん。みんな気付かないだけだよ」 冬馬先輩を嫌っている人は多い。 私の知っている理解者といえば周防さんくらいじゃないだろうか。 お母さんも生きていた頃は数少ない理解者の一人だったに違いない。 「お母さんはきっと冬馬先輩のことが放って置けなかったんだね」 「僕はよくお母様に叱られていました」 「怒るとすごく怖いんだよ」 「それでもあの方と共に居られた日々は僕にとって特別なものでした」 冬馬先輩は一呼吸置いて、空を見上げていた。 オレンジに染まった夕焼けの中に欠け始めた月が薄く浮かんでいた。 「あなたのお母様は今でも……僕にとってかけがえの無い人です」 (かけがえの無い人……) 一瞬、じゃあ私は?という疑問が胸の中に湧き出る。 「愛菜はお母様によく似ています」 「お父さんにも何度も言われたよ」 「あなたも弱そうに見えるが芯は強い人だ」 「私はダメだよ。お母さんに比べてずっと弱虫だから」 「そんな事はありません」 「買いかぶりすぎたよ。いつも春樹や隆……冬馬先輩を頼ってしまうもん」 (そう。私はお母さんみたいに強くなれない) 「お母さんとは違うよ。違うから……」 冬馬先輩を両手で押しながら離れた。 「……愛菜?」 「せ、先輩のおかげで落ち着いたよ。ありがとう」 取り繕ってお礼を言った。 冬馬先輩もいつも通りの無表情に戻っている。 一線引いて接してきた今までのように。 「申し訳ありません。主に対して失礼でした」 「ううん。違うの」 冬馬先輩にとってお母さんは色々教えてくれた大切な人。 私にとってもお母さんは尊敬できる誇らしい人。 お母さんと似ていると言われてすごく嬉しいはずなのに。 私とお母さんをダブらせせるような冬馬先輩の発言に抵抗を覚える。 (少し胸が苦しい) 「では僕はこれで失礼します」 「さようなら先輩」 先輩の背中を見ることなく、真っ直ぐ玄関へ向かった。 心の中がズキンと痛む。 冬馬先輩はお母さんの最期のお願いを忠実に守ってくれている。 でももしその約束が無かったら……。 私も無関心なその他大勢の一人に過ぎないのかもしれない。 こんなに優しくも親切にもしてくれない。 これ以上甘えていると、もっと嫌な自分になりそうだった。 気を取り直し、鍵を開けて家の中に入る。 「ただいま」 家の中に人の気配は無い。 まだ隆は学校から帰ってきていないようだ。 「隆のために何か夕食作ってあげよう」 キッチンに向かおうとリビングで一枚の紙を見つける。 白紙だったチラシの裏に乱暴な字で伝言が書かれている。 『おばさんは今日は仕事で帰ってこられないらしい。 春樹が出て行ったのにお前と二人だけというのもマズイ気がする。 一応、愛菜も女だしな。 それで今日からは自分の家に帰ろうと思う。 何かあったら電話をくれ。 すぐ飛んでくるからな。    隆』 (隆……家に帰っちゃったんだ) チハルも動かないままで久しぶりの一人ぼっちだ。 エプロンを着けたばかりだったけど、腰紐を解いてテーブルに置く。 「一人ぼっちの食事じゃ、張り切ってもしょうがないよ」 着替えるためにとりあえず自室に戻った。 「チハル、ただいま」 呼びかけてもただのくまのぬいぐるみのように微動だにしない。 昨日ぬいぐるみに戻ったきり、動かなくなってしまった。 急に力が抜けて、ベッドにドサッと座り込む。 色々なことがあって気を張り通しだった。 (私、意外と疲れていたのかも) 春樹の事はすごく心配だ。 でも冬馬先輩はまだ行動しない方がいいと言っていた。 私単独では何も出来ない。 お義母さんに今帰ってきたとメールを入れて携帯を閉じる。 一人ぼっちだと食欲もわいてこない。 このままじゃ何もせず寝てしまいそうだ。 「溜まった宿題しなくちゃ」 久しぶりに机に向かって教科書を開く。 でも気がかりが多すぎて、字を追うだけで精一杯だった。 (頭に入ってこない。ダメだ) 特に苦手な数学では苦戦してしまう。 定規を取ろうと机の中を開けると、小さな紙袋を見つけた。 (この包み……周防さんにあげようとしていたサンストーンだっけ) (結局、あの日は渡せないままだったな) ショッピングモールに行った日。 色々あったけど、冬馬先輩や周防さんの事を知ることが出来た。 (楽しかったな。冬馬先輩の服も買ったんだっけ) ご飯を食べたり、ショッピングしたり。 あの時だけは普段と変わらない日常が戻ってきたみたいだった。 私は小さな紙袋を開けて、そのサンストーンを出してみる。 赤茶けている小さな石。 勾玉の形をしていて、ピカピカに磨かれている。 (綺麗……) 夕日にかざすと真紅のようにも見える。 指先におさまる、太陽のように輝く宝石。 その美しさにしばし魅入られる。 (忘レルナ……我……汝ノ中二……) 心臓が高鳴ると同時に、今朝見た夢の断片を思い出す。 黒くてドロッとしたものが私に放った言葉。 思い出そうとすると、頭がぼうっとしてくる。 指を動かすのも億劫なほど気だるく瞼も重くなってきた。 『愛菜』 頭の中で突然呼びかけられる。 さっきまで話していた、綺麗な知った声。 「冬馬先輩」 呼びかけに応えて、ようやく我に返る。 このやり取りは何度やっても慣れない。 (頭の中に声が響くって耳からよりずっと直接的なんだよね) 『答えてくれたということは、僕の声が届いているようですね』 「はい、一応。まだぼーっとしてますけど」 『では伝えます。それ以上鬼と同調してはいけません』 「おに……?」 『石を媒介にしてあなたの意識を乗っ取るつもりです』 「乗っ取るって。何?」 『お母様の暗示がもう解けかかっています』 「お母さんの暗示?」 『暗示に便乗して勾玉が掛けたであろう力の封印までも失う可能性があります』 (一体、何を言っているの?) まだ意識がはっきりせず、先輩の説明がよく理解できない。 『すぐにその石を放してください』 「……うん」 私は手に持っていた石を机に落とす。 小さな石はコロンと転がった。 「これでいいのかな」 『はい』 「さっき言っていたお母さんの暗示って何?」 (まただんまりなんだろうな) 「教えて欲しい。このままじゃ私、不安でたまらないよ」 『…………』 「春樹が出てってしまっても、結局私には何も出来なかった……」 『…………』 「私のせいでみんなが不幸になっていってる気がする」 『あなたのせいではありません』 「気休めは止めて。予知の能力のせいだって事くらい今の私でも分かるよ」 (もどかしくて、悔しい) 『わかりました』 「え?」 『僕の知り得ている事ならば教えます』 「本当に?」 『今からあなたの家へ伺います。しばらく待っていてください』 「は、はい。お願いします」 どういった心境の変化か分からない。 今まで何があっても余計な事を話さなかった先輩が教えてくれるという。 (よかった。これで少しは私でも出来る事が見つかるかもしれない) 私は一階に降りて、来客用の戸棚を開ける。 せっかく来てくれるのならお茶の準備くらいしておこう。 (そういえば冬馬先輩はコーヒー派なのかな。それとも紅茶派……やっぱり緑茶?) 今さらだけど冬馬先輩の事を私は何も知らない。 好みのお茶の種類一つだって分からない。 食器棚に並ぶ茶器の前で困惑する。 (できれば好きな飲み物出してあげたいよね) (他にももっと知りたいな、先輩のこと) 力のことや組織のこと、また今話した暗示のこと。 知りたい事は沢山ある。 そういう事ももちろんだけど冬馬先輩についても色々知りたい。 以前みたいな興味本位じゃない。 何かしてあげたいから知りたいという衝動にかられる。 最初に見かけたときから、なぜか怖いとは思わなかった。 だから突然持ちかけられた契約だってすんなり受け入れることが出来た。 (どうしてかな) 冬馬先輩といえば前は変な人という印象が強かった。 突然人前で脱ぎだしたりした時はどうしようかと思ったほどだ。 そのせいか一挙一動に引き付けられる所はあった。 どこか儚い雰囲気もなんだか気がかりだった。 (だけど今は……それだけじゃない気がする) ピンポーン 玄関まで小走りで向かう。 ドアを開けると制服姿のままの冬馬先輩が立っていた。 「いらっしゃい先輩」 「入ってもよろしいでしょうか」 「もちろん。どうぞ」 「……おじゃまします」 私は冬馬先輩を連れてリビングまで案内する。 先輩は黙ったまま私に従った。 「ソファーに座っていてください」 「失礼します」 冬馬先輩は一礼して座る。 なんだか面接を受けに来た人みたいに丁寧だ。 「ところで先輩は何を飲まれます?」 「僕にお気遣い無く」 「私も飲みたいから言っているんだよ」 「では愛菜と一緒のものでお願いします」 「紅茶でいいかな」 「はい」 「でもコーヒーもありますよ。緑茶も用意できますけど」 「……コーヒーでお願いします」 (冬馬先輩はコーヒー派なのね) キッチンに向かってコーヒーと紅茶をそれぞれ用意する。 しばらくして戻ると、冬馬先輩は姿勢を正したまま座っていた。 「もっと楽にしていいよ。この家には私しか居ないし」 「そのようです。他の気配は感じられません」 「さっそく本題に入りたいんだけどいいかな」 「はい」 飲み物を置いて私も座る。 私から尋ねなければきっと会話も成立しないだろう。 (何から聞こうかな……) 知りたい事が多すぎて整理がつかない。 「まず私の力は予知能力で……組織という所が狙っている。それで間違いありませんよね?」 「概ね合っています」 「概ねっていうことは全部正しい訳じゃないの?」 「はい」 「どこが違うの?」 「あなたの能力は予知能力だけではありません」 「えっ? そうなの?」 冬馬先輩の答えがはやくも予想外だった。 「じゃあ私の能力って何?」 「予知能力を超えた……未来実現能力と言い換えればいいでしょうか」 「未来実現能力?」 「あなたがすべての力を使い切れば、世界すらも一変してしまうでしょう」 「ど、どういうこと?」 開始早々、話が壮大すぎて頭がこんがらがっている。 「予知は知ることしか出来ません。しかしあなたの場合、それをはるかに超えた能力なのです。 世の理から外れた力、それを組織は狙っています」 「よ、よく分からないんだけど」 「予知だと思っているのはあなたが夢で見たことが実現したからです。 しかし見方を変えれば夢で見たことをあなたが実現させたともいえるのです」 「私が未来を変えたという事?」 「そうです。あなたが変えたのです」 (私が変えた……) 「そんな事、信じられない」 「今まで何度と無く信じられない力を目撃しているはずです」 「それはそうだけど」 「あなたにはその力が備わっています」 「本当に私にそんな力が……」 「力が封印されている限り、そこまでの力を発揮することは出来ません。 現状はごく弱い予知能力と変わりない程度しか使えないでしょう」 (力の封印……それも聞かなくちゃ) 「今のところ私の力は封印されているんですよね」 「その通りです。詳しく説明すればあなたの力は二重に鍵が掛かっている状態です」 「二重って?」 「一つ目は元々封印されているもの、二つ目はあなたが幼少の頃に封じられたものです」 「な、何?」 「前者の封印は神器が契約をして順次開放していきます。後者は何者かが愛菜に施したものです」 「何者かって一体、誰に?」 「暗示をかけたのはお母様、力を封じたのは恐らく勾玉です」 「ご、ごめん。一つずつ説明してもらっていいかな」 次々と新しい情報が出てくるから訳が分からない。 「では幼少の頃に力を封じた者のことからお話します」 「お、お願いします」 「残念ながらあなたの力を封じた者の事は僕には分かりません」 「どういう事?」 「特定できていないからです。ですがあなたの力を抑え込めるのは勾玉の他居ないと考えます」 (まがたま?) 「まがたまって……何?」 「巫女が使役していた神の力を持つ道具の一つです。その道具を総称して神器と呼びます。 過去僕は剣と呼ばれていたものでした。勾玉の他にも鏡が居ます。鏡はあなたの良く知っている宗像兄弟です」 「その道具が冬馬先輩達なの?」 「正確にはそれぞれの神器の力に支配され束縛されている魂を指します。 ですから何度器を替え転生しても僕はまた剣としての力を持って生まれてくるのです」 一郎くんと修二くんに能力があるのを何度も見ている。 冬馬先輩と同じような力があっても不思議ではない。 (あっ……) 今日、一郎くんに合わせ鏡について説明された。 (それはこの事を言っていたのね) 「その道具が冬馬先輩達なら使役していた巫女って……もしかして」 「遠い過去のあなたです」 「私が巫女なの?」 「正確には巫女の生まれ変わりです」 「はぁ……私が……」 雲を掴むような話だ。 いきなり巫女の生まれ変わりだと言われても困る。 「現在、勾玉は自らの力を完全に封じています。人と同化し特定できないのです。 ですから僕からお教えすることは出来ません」 私は紅茶を一口飲む。 でも冬馬先輩は全くコーヒーに口をつけていない。 「さっきお母さんが暗示、とか言っていたけど」 「次はお母様の暗示について説明します」 「お願いします」 「あなたは幼少の頃、力を自在にあやつることができていました。 それを危惧したお母様が能力そのものを忘れるよう、あなたに暗示をかけたのです」 「暗示で私が力を使っていた記憶を消したの?」 「そうです。その暗示に便乗して勾玉は能力そのものを封じ込めたのです」 「ええっとそれは……お母さんには力の記憶を、勾玉って人には力を封じられたって事?」 「その通りです」 (そういえば……) 以前お父さんがお母さんは心理学を学んでいたと話していた。 心理学の知識がある人なら、子供の記憶の一部だけ操作することも可能かもしれない。 「幼少期のあなたはお母様に僕のことを予言したそうです。 ですからお母様は僕に会う事を決心し、家を出たと言っていました」 「じゃあお母さんが出て行った理由は……」 「愛菜を助けるためです」 (お母さんが出て行ったのは……私が冬馬先輩のことを言ったから) お母さんが黙って出て行ったのは、言いたくても言えなかったから。 周りに私の能力が知られないようにの配慮なら説明がつく。 私を捨てた訳ではなく、私のために出て行った事。 その事実を知ることが出来ただけでも救われた気がする。 (昨日美波さんが言っていたのはやっぱり私の事だったんだ) 「実はこの話をする事はあなたのお母様から止められていました」 「じゃあ、どうして教えてくれたの?」 「わかりません。今までの僕なら絶対にあの人との約束を破ることはなかったのですが」 「ごめんなさい」 「いいのです。これ以上隠していてもあなたが苦しむだけです。お母様もそのような姿は望んでいないでしょう」 「……私、ずっと心のどこかで捨てられたかもしれないと思ってた。お母さんがそんな事するはずないのに」 「亡くなる寸前まであなたの事を気にかけてました。 僕が知る限り、お母様は愛菜のことを誰よりも愛してらっしゃったのではないでしょうか」 「……ありがとう、先輩」 「いいえ。僕は事実を伝えたに過ぎません。感謝すべきはお母様にでしょう」 また一口紅茶を飲んだ。 アールグレイ特有のベルガモットの香りが鼻をくすぐる。 冬馬先輩を見ると、まだコーヒーを飲んだ様子はない。 「先輩、コーヒーが冷めてしまいますよ」 「……では頂きます」 私に言われてようやくコーヒーを飲み始める。 しばらくお互い無言のまま飲み物を頂く。 「先輩、疲れていませんか?」 「大丈夫です」 「なら組織の事……春樹との接点について教えて」 どうして私を狙うのか。 どういった組織なのか。 春樹が出て行った理由もわかるかもしれない。 「どこからお話すればよろしいでしょうか」 「じゃあ、組織は高村という名前だって今朝言ってたよね」 「春樹さんの旧姓はご存知ですか?」 「えっと……もうお義母さんの姓を名乗っていたはずだけど……」 「春樹さんは高村春樹として生まれています。組織のトップ高村博信は春樹さんの実の父親です」 (桐原さんが高村春樹くんって言っていた事だよね) 「でもどうして……春樹の実の父親が」 「高村家は歴史の表舞台ではなく裏で権力を誇示し続けてきました。 その理由が巫女の力にあるようなのです」 「巫女ってさっき言っていた……」 「現在ではあなたの事です」 「じゃあ私の力を利用して何をしようとしているの?」 「……それは僕にも詳しくは分かりません。ただ能力者を非人道的に育成したりしていたのを鑑みると 何か良からぬ事を企てているのは間違いありません」 「具体的には分からないんだ」 「弱まりつつある高村の復権。いえ、それ以上の企てを考えているのかもしれないです」 「なんだか怖いな」 「春樹さんを囮にしてあなたの人知を超えた力を欲しがっているのは間違いないのです。 巫女の力がすべて解放されたという事例は今までありませんので予想すらつきません。 一つの時代に神器が一斉に会する機会などなかったからです」 (神器って……) 「神器ってさっき言っていた……」 「剣の僕や宗像兄弟の鏡、それに勾玉。巫女に使役されていた道具の事です」 「その……剣と鏡と勾玉が私の力を使うのに必要だって事なの?」 (整理しながら聞かないとすぐ分からなくなりそう) 「先日、僕が愛菜に施した契約をすべての神器が行なければ真の力を使うことは出来ません。 現在勾玉が見つかっていない以上、完全な形で力を使うことが出来ないのです」 「じゃあ、安全だね」 「そうとも言い切れません。不完全なままでも巫女の力を発動することは可能だからです」 「ならこれ以上契約しなければいいんじゃない? 私の力は弱いままだし」 「ですがあなたの力を解放できる別の方法、というものが存在しているのです」 「どういう事?」 「僕らの神器と似たようなもの。つまり代替になるもう一対の道具があるのです」 「……え?」 また新しい事柄が増えてくる。 冬馬先輩や一郎くん、修二くん達だけが私の力を発動させられる訳ではないと言う事だろうか。 「僕らは三種の神器と呼ばれています。そして代替になり得る道具を十種の神宝というのです」 「十種の神宝……」 「十種の神宝は三種の神器の対にあたる、陰の力を秘めた道具です」 「そんなものもあるんだ……」 「そして十種の神宝を……高村が手中に収めたというのです」 (だから私を手に入れようとしているの?) 今まで普通に生活できていたのに、ある日突然それが一変した。 それは組織が別の方法を手に入れたから狙われるようになったとすれば……。 確かに筋は通っている。 「どうすればいいんだろう」 「まずあなたを組織から守ることです。だから僕や周防は組織と戦う事にしました」 (でもそれじゃ……) 「私は守られているだけ? 私のすごい力っていうのでどうにか出来ないの?」 「力を解放すれば現状は打破できるでしょう。 けれどそれではあなたがあなたで無くなってしまうかもしれないのです」 「どういう事……?」 「今しがた自分の身に起こったこと、もうお忘れですか?」 自分が自分でなくなる感覚は何度も経験している。 さっきもサンストーンを見ていたら何かに取り込まれる感覚があった。 異質なものが私の中にずっと居る気配は強くなる一方だ。 私の中の誰かに少しずつ侵食されているのかもしれない。 「あれが私でなくなるって事なんだ」 「はい」 「最近、よく気を失ったりしているのもそのせいなのかな」 「間違いありません」 「特に二、三日前から頻繁になっている……」 「冷酷な言い方かも知れませんが、あなたもまた巫女の魂を持つ器でしかないのです」 (そういえば私は器だと言われていたっけ) 「ですから現状を維持し続けながら、組織と戦うことが最善だと考えます」 「一郎くんや修二くんに手伝ってもらえばいいよ。そうすれば少しは冬馬先輩達の負担が軽くなるはずだし」 (きっと同じ目的のはずだもん) 「彼らは彼らのやり方があるようです。相容ない関係なのでしょう」 「でも……」 「特に僕は嫌われてしまっているようですから」 (一郎くんも修二くんもどうにかならないのかな) 「このままじゃ絶対良くないよ」 「良い、良くないの問題ではありません。それよりあなたは自身の心配を一番にするべきです」 「私の心配?」 「お母様がかけた暗示はほぼ解けています」 (まだ小さい頃に使っていた力の事は思い出せないけどな) 「そのために勾玉が施した封印も弱まっています」 冬馬先輩は私を真っ直ぐ見つめる。 大切なことを伝えたいという気持ちが伝わってくる。 「あなたが自我を保つためには取り込まれないという強い意志が必要です」 「……うん」 「これ以上の力を欲してはいけない。これだけは絶対に忘れないでください」 「憶えておくよ」 多分、私に釘を刺すために色々話してくれたに違いない。 一番言いたかったのは、もっとしっかりしろって事だろう。 (力を欲してはいけない、か) 「先輩。最後にあと一つだけ、質問していいですか」 「はい」 ここ最近、急に私の中でくすぶっている疑問。 それを冬馬先輩に投げかける。 「冬馬先輩はどうして命を懸けてまで私を守ってくれるの?」 「それは何度もお話したはずです」 「亡くなったお母さんから頼まれたから……」 「はい、そうです」 「約束だけで……命まで懸けられるものなのかな?」 「はい。獣のような僕を変えてくれた恩はそれくらいでしか返すことはできません」 冬馬先輩は無表情のまま断言した。 いつもと変わりない淡々とした様子なのに、なぜか突き放されたような気持ちになる。 (やっぱりそうだよね……) お母さんから頼まれたからだと言い切った先輩。 心のどこかで期待していたものが崩れていく。 「へ、へんな事を聞いてごめんなさい」 「いいえ」 (私のため……そんな訳ないのに) 私のためだと言ってくれると淡い期待を抱いていた。 でも本当のところは守ってくれるのも親切にしてくれるのもすべて約束したから。 それ以上の感情なんて抱いてくれていない。 主だとかしずかれ、守られているうちに勘違いしてしまったみたいだ。 (馬鹿みたいだな、私) 命懸けで守ってくれているからと自惚れいてた。 ナイトに守られるお姫様気分で舞い上がっていたのだ。 「たくさんお話してくれてありがとうございました」 「愛菜にとって少しでも有益になればいいのですが」 「うん。色々わかったよ」 「それはよかったです。では僕はこれで失礼します」 「あっ……」 (一人だし一緒に夕食を……) そう思ったけれど言葉に出来ない。 「何かまだお話した方がよろしいですか」 「あ、ううん、何でもないよ。もう大丈夫」 「そうですか」 私は冬馬先輩を玄関まで送る。 「ありがとうございました」 「こちらこそお邪魔しました。失礼します」 冬馬先輩は抑揚の無い言葉で締めくくるとドアを閉めて帰っていった。 「行っちゃった……」 静まり返った家に私の声だけが響く。 本当は不安だからもう少し一緒に居て欲しかった。 (一緒に居て欲しいと言えば……居てくれたんだろうな) 冬馬先輩は私のお願いならなるべく叶えてくれようとしてくれる。 それが無茶な事でもだ。 だから面白くて無理なお願いを頼んだこともあった。 前ならもう少し一緒に居て欲しいなんて何のためらいも無く頼んでいただろう。 (なのに今は……言いたい事がどんどん言えなくなってる) 持て余し始めた自分の気持ちを切り替えるために、二階に戻って勉強の続きをする。 さっきの石は引き出しの中に閉まって、シャープペンに持ち替えた。 ゆっくり時間かけて何とか数学の課題をすべて終える。 両手を挙げて伸びをしながら外を見ると真っ暗だった。 「……もうこんな時間」 もう午後10時を過ぎていた。 食欲は無いけ少しでも何かお腹の中に入れておかないといけない。 キッチンに降りて戸棚にあった菓子パンを開ける。 大好きな生クリームが入っているのに、砂でもかんでいるように味気なかった。 「ごちそうさま。さて、次はお風呂に入らなくちゃ」 (少し肌寒いけど、シャワーでいいや) 一人だとものぐさになるのか、何でも簡単に済ませてしまう。 春樹に呆れられるほどの長風呂なのに一人だとお湯を入れるのすら億劫になる。 早々にシャワーを浴びて寝巻きに着替えた。 「昔はよく一人で留守番してたな」 お父さんの帰りが遅いとき、よく一人で留守番した。 両親が再婚してから春樹と一緒だったから一人ぼっちがほとんど無くなった。 久しぶりの留守番だからか、以前よりずっと寂しく感じる。 最後に火の元と戸締りを確認していく。 (もう寝ようかな) 自室に戻って、布団に入る。 「おやすみ、ちはる」 まだチハルはピクリとも動かない。 私はゆっくり瞼を閉じた。 徐々に意識が遠のいて、また闇の中に落ちていく。 ・ ・ ・ ここはどこだろう。 木で出来た大きな神殿の中に私は居る。 (奈良や京都の修学旅行でこんな建物を見たな) すると私の目の前に埴輪のような格好をした男の人が現れた。 「もう旅の準備はできたかな、壱与」 (この髪型、みづらって言うんだけっけ) 長い髪の毛を耳の所でぎゅっと結んだ独特の髪型が目を引く。 でも埴輪みたいにかわいければいいけど、目の前の男の人は髭のおじさんだ。 「壱与はいきたくありません」 鈴を鳴らしたようなかわいらしい声の女の子。 姿は見えないけどすぐ近くに居るようだ。 「そうごねるな」 「ごねてなどいません」 「これはすでに決まっていることなのだ。お前には何度も話しただろう」 「壱与が行かなければ……民が飢え死にしてしまうのでしょう」 「そうだ。先の川の氾濫で田畑は土砂に埋まってしまった。大和の国の援助無しでは大勢の犠牲が出る」 「だからといって、なぜ壱与が大和の国に行かなくてはなりませんの?」 「政とはそういうものなのだ」 ここまでの会話でようやくこの女の子の声が自分自身から発せられていることに気付く。 私の意志とは関係なく話が進んでいく。 意識だけは別にあって、まるで幽霊にでもなったみたいだ。 きっとまた変な夢の中に迷い込んでしまったんだろう。 「お父様ほどの方が人間ごときの言いなりにならないでください」 「壱与!」 「食べるものに困っているのであれば奪ってしまえばよいのでは? わたくしたちにはその力があるのですから」 「止めないか、壱与。安易に力を使えばまた人との軋轢を生むだけだ」 「ですが、お父様」 「我が祖先は人と共に暮らすことを選んだのだ。奪う方が簡単かもしれないがその後に禍根を残す。 遥か昔のように人を食らっていた頃とは違うのだ」 「でも!」 「そのような誤った考えはすぐに捨てなさい」 どうやら父と娘が言い争っている最中らしい。 私には止めることは出来ないようだし、このまま傍観し続ける。 「お父様は壱与が居なくなればいいとお思いなんだわ」 「何を言い出すのだ」 「だったらこのお話は無かったことにしてください」 「それは出来ない。もう決まったことなのだ」 「お父様!」 「まだお前は小さい。だがその肩にはすでに沢山の荷を負っている。それが王女というものだ」 「もういいです。壱与を嫌いになってしまわれたから、遠くに追い出すのですね」 目の前が滲んでいく。 きっと泣いているに違いない。 (お父さんの言いたい事が娘に伝わってないんだ) 話し方はしっかりとして大人びているけど、顔を覆う手のひらはまだ小さい。 私よりずっとずっと小さな子供だと分かる。 こんな小さい子には理解できない難しい話なのかもしれない。 「馬鹿者が。たった一人のかわいい娘を嫌いになどなるものか」 そう言うと、父親は娘をギュッと抱きしめる。 (く、苦しい) 頼りがいのある両腕で抱かれている感覚が女の子越しに伝わる。 そして同時に全身が暖かくなった。 力強い何かが体に流れ込んでくる。 「お父様……これは」 「私の力をお前に託そう」 「それではお父様が……」 「もし身の危険が迫った時はその力を使って生き延びるのだ。わかったな」 「……でも」 「遠くに行っても決してお前は一人ではない。寂しくなったら故郷を思い出すのだ」 「この出雲を……」 「与えられた責務を果たし、またここに帰って来なさい」 「わかりました」 「さぁ、顔を上げて胸を張るのだ。大和から迎えの者が来る前に卑女と旅の支度を済なくてはならないからな」 (もう大丈夫そうだね) 意識が浮上していく。 どうやら目覚めが近づいているようだ。 (よくわからない夢だったけど、女の子には頑張って欲しいな) 私はまばゆい白に包まれた。 自分の存在が掻き消えてしまほどの光の中に入っていく。 ・ ・ ・ 「ここは……自分の部屋だよね」 見慣れた天井をぐるっと見回す。 (何か夢を見ていたと思うんだけど) なぜか懐かしさだけが残っている。 でも綺麗さっぱり忘れてしまった。 (前まで夢を覚えていることが多かったのにな) 私はベッドから出て大きく伸びをする。 外からザーザーと音が聞こえる。 カーテンを開けると、重く暗い空が広がっていた。 (今日は雨か。……あれは) 雨の降りしきる中に人影を発見する。 電柱の影に傘もささないで誰かが立っている。 どしゃ降りのせいであまりよく見えない。 以前、組織の人達に襲われた事もあるし私はとっさに身を隠す。 視界の悪い中、窓の端から必死で目を凝らす。 (あの人は……) 見覚えのある制服と髪型。 昨日別れた後ととまったく同じ姿で電柱にもたれ掛ってジッとしいる人物。 (冬馬先輩だ) 私を迎えにきてくれたのだろうか。 先輩は傘もささないで制服のまま大雨の中にいる。 (って……あんな格好してたら濡れて風引いちゃう!) 私はパジャマのまま、階段を駆け下りていく。 傘だけ握り締めてサンダルを履き、外に飛び出す。 「先輩、冬馬先輩ですよね」 さっき見た場所に向かって走ると、私に気付いたのか人影がゆっくり動く。 近づいて確信する。 やっぱり冬馬先輩だ。 慌てている私とは対照的に先輩はいつも通り落ち着いていた。 「おはようございます、愛菜」 「挨拶は後です先輩。傘ささないと濡れちゃいますよ!」 「僕は大丈夫です」 (僕は大丈夫?) 意味が分からないまま、先輩に傘を渡す。 そしてようやく気付いた。 冬馬先輩の髪の毛も制服も全く濡れてない。 受け取った手や腕を見ても、乾いたままだった。 「濡れて……ない」 「僕の力は水を操ることです。雨も例外ではないので」 「そ、そうなんだ」 足元を見ると先輩を避けるように水溜りが歪んでいる。 (そういえば水竜の力だって言ってたっけ) 「それよりもあなたの方が大変な事になっています」 「私……?」 「愛菜がびしょ濡れです」 「……ハ、ハクシュン」 冷静になって急に寒さを覚えた。 焦っていたから自分の傘を忘れて出てきてしまったようだ。 「あはは……私って慌て者だね」 「愛菜、早く着替えないといけません」 「そ、そうだね」 (一人で焦って慌てて……何やってるんだろ、私) 冬馬先輩に連れられて家に戻る。 傘はずっと冬馬先輩が持っていたのに、それ以上濡れることはなかった。 きっと冬馬先輩の力で私も濡れないようにしてくれたんだろう。 玄関の中に入って、私は立ち止まる。 (このままじゃ、廊下が濡れちゃうな) 「先輩、悪いんですけどタオルを持ってきてもらっていいですか?」 「どちらにありますか?」 「あの扉が浴室と脱衣所です。入ってすぐの籠の中に入ってます」 「わかりました」 靴を脱いで上がると、扉の中に入っていく。 しばらくすると扉が開き、先輩が出てきた。 「こちらでよろしいですか?」 「うん、ありがとう」 先輩に数枚のタオルを手渡され体を拭く。 濡れたパジャマを着たままだから、なかなかうまく拭けない。 「僕が上手く力を使えればいいのですが、乾かす事は難しいのですみません」 「そうなの?」 「恐らく吹き飛ばせますが、水分を含んだ服まで粉々になってしまうかもしれません」 「そ、そうなんだ」 「ですから力を使うのは止めておきます」 「気にしなくていいよ。着替えれば済むだけだから」 「ですが愛菜が寒そうです」 「いいよ。私が勝手に濡れただけだもん」 「愛菜、少し震えています」 「これくらい平気だよ」 本当はすごく寒い。 けれど私が一人でドジしただけだから先輩を責めることなんてできない。 「愛菜、一つタオルを貸してもらっていいですか」 「どうぞ」 言われるまま私は持っていたタオルを一枚、先輩に渡した。 すると目の前に白いものがフサッと被さってきた。 タオル越しに優しく触れてくる指の感覚。 先輩が私の髪の毛をいたわるように拭き取ってくれている。 「あ、あの、先輩」 「お手伝いします。痛いようなら言ってください」 「い、痛くないよ」 「よかった。力を使えない僕にはこれくらいしかできないので」 「私、冬馬先輩にまた迷惑をかけちゃったかな」 「愛菜の事を迷惑だと思ったことはありません」 「ありがとう、先輩」 優しすぎる指先が少しくすぐったい。 そしてまたドキドキしてしまう。 「僕は愛菜の役に立てているのでしょうか」 「もちろんだよ」 先輩の顔をタオルの隙間から覗く。 いつもより穏やかな表情。 そう見えるのが気のせいじゃなければ嬉しいのだけど。 「あなたは自分の身を省みず僕を助けようとしてくれた。とても嬉しかったです」 「私って焦ると周りが見えなくなって。春樹や隆にいつもからかわれてばかりなんだよ」 「からかわれるのはきっと愛菜がかわいいからです」 「え……」 (今、私をかわいいって言ったよね) 「その人柄のせいでしょうか。僕も親しみを覚えたり、かわいいと感じてしまう」 「わ、私なんて平凡なばっかりだよ」 「少なくとも僕には愛らしいと思えます」 「……そ、そうかな」 「一人の女性としてもあなたは十分魅力的です」 「そんな事初めて言われたよ……」 「この濡れた髪一つとっても絹のように艶やかで美しいです」 先輩は私の濡れた髪をそっとすくい上げて呟く。 「僕自身よくわからない。何なのでしょうか、この感情は……」 「あ、あの……」 手を止めて考え込む先輩に私は何も言えなくなる。 体は冷え切っているけれど、顔だけは熱く火照ってきた。 「愛菜は神に選ばれた唯一無二の存在だと承知はしているのですが」 「そんな大げさなものじゃないよ」 「あなたに自覚が無いだけです」 「すごい人って言われても本当によくわからないから」 「僕も全霊をかけあなたを守ります。愛菜は自分らしさを失わないでください」 「は、はいっ」 「もう少しジッとしていてください。暴れられると拭けません」 「ご、ごめんなさい」 (なんだか……恥ずかしい) 消え入りたい気持ちになる。 言葉のまま素直に受け取ってしまうと、また自惚れてしまう。 ドキッとする事を真顔でいうからまた勘違してしまいそうだ。 「も、もう大丈夫です。ありがとうございました」 「わかりました」 「先輩は家の中に入っていてください」 居たたまれなくなって私は逃げるように家の中に入る。 これ以上一緒に居ると顔が赤いのが先輩に分かってしまう。 私は廊下をダッシュして浴室のある部屋のドアを勢いよく閉めて鍵をかける。 (はやくシャワー浴びよ) 水分で重くなったパジャマを脱いで、シャワーを浴びる。 いつもより熱いお湯を頭から被った。 (私、もしかして先輩のことが……) 先輩の事が気になるのも、がっかりしたり嬉しくなったりするのも。 胸が痛くなったり嬉しくなったりするのも。 この答えで全部説明できてしまう。 (でも先輩はお母さんとの約束を守っているだけ) 冬馬先輩ははっきり言った。 それはもう疑いようがない事実だ。 (今はあまり考えないようにしよう) 私はシャワーのコックを捻って止める。 体を拭き、置いてあった部屋着に着替えてドアを開ける。 「愛菜」 後ろから話しかけられて振り向くと、すぐ目の前に先輩が居た。 私は身構え半歩下がる。 「先輩。な、何かな」 「時間がありません」 「時間?」 「はい。このままでは遅刻してしまいます」 私は一番近くにある居間まで行って時計を確認する。 すぐに家を出ないと間に合いそうに無い。 「私、着替えてきます。先輩は一足先に行っててください」 二階に上がって大急ぎで制服に着替える。 携帯と鞄を持ってバタバタと階段を下りると、玄関で先輩が立っていた。 「冬馬先輩どうしてまだ居るの?」 「愛菜を待っていました」 「先に行っててよかったのに。先輩まで遅刻してしまうよ」 「急げば間に合います。行きましょう」 「うん」 先輩は何も持たずそのまま外に出ようとする。 「ちょっと待って、先輩」 「はい」 「振りだけでもいいので、これをさしてください」 お父さんが使っていた予備の傘を先輩に手渡す。 冬馬先輩は傘を暗い空に向かって広げた。 「これでよろしいですか」 「うん、大丈夫。雨の時は傘を差さないと変った人に見られてしまうからね」 「わかりました」 「じゃあ急ごう。猛ダッシュでね」 玄関の鍵を閉めるのを待っていたように、先輩が私の手を握る。 一瞬ドキッとしたのも束の間、冬馬先輩にズルズル引きずられる。 「せ、先輩」 「愛菜が言うように走らないと間に合いません」 「わかったよ」 (冬馬先輩についていかなくちゃ) 先輩のおかげで雨が勝手によけてくれるから大分走りやすい。 けど傘を差したままは晴れのようにはいかない。 すごく疲れるし、道が悪いせいか何度も足がもつれそうになる。 「この速度を維持すれば学校の始業に遅れないで済みます」 「結構、速いね」 段々息も上がってくる。 かなり走ったところで、赤信号に捕まった。 「はあ……はあ……」 「愛菜、苦しそうですが大丈夫ですか」 「うん……へい……き」 「そうですか。あと少しですのでがんばってください」 青になると先輩はまたすごい勢いで走り出す。 私は遅れないように必死で付いて行った。 「ここまで来れば大丈夫でしょう」 学校の少し前で先輩はようやく勢いを緩める。 相当走ったのに、息は全くといっていいほど上がっていない。 「あ……ありがとう。先輩の……おかげだよ」 私はすでにクタクタで学校までに体力を使い果たしてしまった。 「僕は何もしていません。愛菜の頑張りで間に合ったのです」 先輩はそう言うと、手を握ったまま歩き出す。 (あっ、この手……) 「あの先輩」 「何でしょうか」 「手を……」 「手ですか」 「手を離して……ほしい」 冬馬先輩は私とつないだ手をジッと見る。 そしてゆっくと手を離した。 「これでよろしいですか」 「うん」 私達は校門をくぐり校庭までやってきた。 「それじゃ冬馬先輩、ここで」 「はい」 「昨日約束したとおり、放課後は三年生の方へ手伝いに行きますから」 「ではあなたの教室まで迎えに行きます。待っていてください」 「うん。お願いします」 それぞれ別々の下駄箱へ歩き出す。 私は傘を持っていない方の手を見つめる。 (まだ先輩と握っていた感触が残ってる) 冬馬先輩はきっと何とも感じていないのだろう。 私だけが強く意識してしまっている。 (急ごう。ホームルームに間に合わなくなる) 私は急いで教室に向かった。 教室には隆も一郎くんも香織ちゃんもいる。 席についたと同時にチャイムが鳴った。 その後は普段どおりの授業を受けていく。 そして昼休みになった。 昨日から考えていたことを行動に起こす。 「少しいいかな、一郎くん」 皆がご飯を食べ終え、教室で談笑したりしている。 その中で一人本を読みふけっている一郎くんに話しかけた。 「どうした大堂」 「昨日、冬馬先輩から色々聞いたよ」 一郎くんは読みかけの本を机に置く。 ずいぶん難しそうな本だ。 「それで君はあいつと一体何を話した」 冬馬先輩の名前で一郎くんの眉間に皺が寄っている。 やっぱり相当嫌っているみたいだ。 「一郎くんと修二くんが鏡って呼ばれていること。私が巫女の生まれ変わりって事も話したよ」 「そうか」 「あと私の能力や組織の事も少し分かったよ」 「よかったな。ずっと知りたがっていた事だろう」 「私の力の封印を解くには鏡も必要だって教えてくれた」 「それであの男に封印を解いてもらえと促されたのか」 「ううん、逆。力を求めるなと釘を刺されたくらいだよ」 「そうか」 一郎くんの眉間が少し緩む。 「私が私でなくなる可能性があるからだって」 「その通りだ。神器が封印を解いていけば大堂は無事では済まないだろう」 「でもそれって大丈夫な可能性もあるってことだよね」 「確かに可能性はある。だが、俺も神器の封印を解く事は薦めない」 やっぱり冬馬先輩と一郎くん達は目的が一緒なのかもしれない。 「でもこのままじゃ……」 「それで大堂は俺に何を言いに来た。あいつと共闘しろというのか」 「ううん、違うよ。私に協力して欲しい。子供の頃に持っていたっていう力を元に戻したいんだ」 (守られるばかりじゃ嫌だから) 「元の力を戻すだけなら自我を失う可能性は低いが」 「だったらその方法を教えて」 「封じた勾玉の力が必要だ。だが俺も勾玉は誰だか特定できていない」 「そっか。もしかしたら一郎くん達なら知っているかもと思ったんだけど」 (残念だな) 「ただ方法が無いこともない」 「え? 本当に?」 「君の母親が記憶を消したように、大堂の記憶を探り出せば勾玉が特定できるかもしれない」 「それは……」 「子供の大堂は勾玉に会っているはずだ。その記憶を思い出せば誰だか分かるかもしれないな」 「なるほど。でもどうやって?」 「退行催眠、平たく言えば暗示の一つだ。上手くいくかは分からないがな」 (お母さんみたいに暗示をかけられる人か) キーンコーンカーンコーン 話の途中でチャイムが鳴る。 「少し希望が出てきたよ」 「そうか。これは忠告だがあの男に深入りするな」 「うん、ありがとう」 (やっぱり一郎くん達と冬馬先輩の溝は深そうだな) どうにか和解できればいいのだけど、今は無理そうだ。 私が間に入っても昨日のようになるだけだろう。 午後の授業が終わって片づけをする。 文化祭も間近に迫ってきたから、みんな慌しくしている。 「おい、愛菜」 教室のドアに居た隆が私を呼んだ。 「何?」 「お前にお客さんだと」 廊下には冬馬先輩が立っている。 約束どおり迎えに来てくれたようだ。 「ありがとう。今行く」 教科書を入れた鞄を持つと、教室を出る。 そこで腕を掴まれた。 「ちょっと待て、愛菜」 「どうしたの? 隆」 「春樹は戻ってきたのか?」 隆は小声で尋ねてくる。 「ううん、まだ。学校には風邪ってことにしてあるけど」 「アイツ、本当に行っちまったのか」 「わからない。けど昨日も戻ってこなかったよ」 「春樹の奴、昨日の電話からして本気なのかもな」 「心配だし早く帰ってきて欲しいんだけどね」 (隆も心配だよね) 隆はふぅとため息を吐く。 「まぁどうにかなるだろ。あれでしっかりした奴だからさ」 「うん」 「お前がそんなんでどうする。一応姉なんだろ」 私の顔を覗きながら、隆が苦笑する。 きっと今の私は笑ってしまうほど暗い顔をしているのだろう。 「何かあったらすぐに連絡するね」 「ああ、いい連絡待ってるぜ。それより御門先輩待たせてるんだろ」 「これから三年の手伝いに行くんだ」 「そうか。引き止めて悪かったな」 「ううん。ありがとうね、隆」 私は隆に手を振る。 すると冬馬先輩がゆっくり私に近づいてきた。 「隆さんとお話されていたのですね」 「うん、春樹のことを心配していたよ」 「春樹さんは必ず助け出します」 「よろしくお願いします。でも今は三年生のお手伝いでしたよね」 「はい。では行きましょう」 三年の有志による文化祭の出し物を手伝いに行くらしい。 冬馬先輩が気晴らしに提案してくれた。 後輩の私が三年生ばかりの場所に行くのは、正直気晴らしどころではない。 「ここです」 空き教室に先輩は入っていく。 私は小さくなりながら冬馬先輩の影に隠れて後を追う。 中には数人居て、生徒達が書類の整理をしていた。 その中の一人が冬馬先輩を見つけると近づいてきた。 「よう御門。手伝いの後輩を連れてくるって言っていたが、それがこの子か」 三年生の男子生徒が冬馬先輩に尋ねた。 「二年の大堂愛菜さんです」 「よ、よろしくお願いします」 私はお辞儀をして挨拶をする。 きちんと話したつもりだったのに声は蚊が鳴くように小さくなってしまった。 「そんなに緊張しなくていいさ」 「……はい」 「うちは進学校だから集まった三年はたったこれだけしか居ないんだよ」 教室全体を合わせても20人にも満たない。 「三年生の有志が集まったって教えてもらいました」 「推薦で内定もらってる奴や進学を諦めた奴、あとお祭り好きくらいだからな。まぁ暇人たち集まりだ。 まず書類の整理をした後、雨の中で申し訳ないけど御門と買出しに行ってくれるかな」 「わかりました」 プリントを一枚一枚取って冊子を作っている最中のようだ。 印刷には学年と組、そして出店の種類とメニューが書いてある。 「その紙はメニュー表だよ。うちはレストランをやるんだ」 「そうなんですか」 「といっても他所が出店したメニューをただデリバリーするだけなんだけどな」 さっきの男子生徒が教えてくれる。 きっと中心人物の人なのだろう。 「うちの文化祭には子供やお年寄りも来る。そういう人が休憩もできる場所も必要だからと思ってね」 「いい考えだと思います」 「50円頂いて代わりに買ってくるってシステムなんだ。 そして集めたお金は少ないかもしれないが学校の運営に使ってもらうつもりだ。君達後輩のためにね」 (三年生は春には卒業だもんね) 三年生の多くは受験のために冬には自由登校になる。 これから先、先輩達の姿を見ることは少なくなるだろう。 しばらく与えられた作業に没頭する。 そうしている内に中心で指揮をとっていた人が教室を出ていった。 「そういえば御門くん。今朝、連れて来た後輩の子と登校してなかった?」 そのタイミングを見計らっていたのか、ホチキス止めをしている女子生徒が冬馬先輩に話しかけてきた。 「はい。愛菜と登校しましたが何か」 「やっぱり? 手を繋いでたし、下の名前で呼ぶって言うことは……やっぱりそういう事?」 女子生徒は身を乗り出して冬馬先輩に尋ねている。 いかにも興味津々という感じだ。 「そういう事とはどういう事でしょう」 「そんなの彼氏と彼女、恋人同士に決まってるじゃない」 「だよねぇ」 別の女子生徒も加わって何だか盛り上がっている。 (冬馬先輩……大丈夫かな) 私は心配になりながら見守る。 「勘違いされているようですが、僕と愛菜はそのような関係ではありません」 「えーそうなの?」 「じゃあ二人はどんな関係?」 女子生徒からさらに追求されている。 このままでは話がややこしくなりそうだ。 「愛菜は僕の主です」 (と、冬馬先輩……) 嫌な予感が的中する。 どうすればいいのか判らず助け舟を出すことも出来ない。 「あるじ? 何それ」 「まさか執事とかがご主人様~っていうやつ?」 女子生徒達は顔を見合わせる。 そして大笑いする。 「御門くんってやっぱり変だよね」 「ウケる。その返し斬新すぎ」 私はホッと胸をなでおろす。 どうやら冗談だと受け取ったようだ。 「じゃあ後輩ちゃんに聞くだけだし。ええっと大堂さんだっけ」 「は、はい……」 「転校して間もない御門くんとどうやって知り合ったの?」 「二人はやっぱり付き合ってるんだよね」 冬馬先輩では話にならないと判断したのか、今度は私に話を振ってきた。 「ええっと……」 本当のことなど言えるはずもなく、私は口ごもる。 「教えてよ。ねぇねぇ」 「言うの嫌? 別に減るものじゃないしいいでしょ」 「隠すことないじゃん」 (ど、どうしよう) 「愛菜、行きましょう」 冬馬先輩が私の手を掴む。 「と、冬馬先輩」 「僕達は買出しに行ってきます」 そう言って冬馬先輩は教室を出て行こうとする。 「ちょっと待ってよ」 「まだ話が終わってないんだから」 女子生徒達が止めに入ろうとした瞬間、その内の一人が飲んでいた缶ジュースが倒れた。 飲みかけのジュースがみるみる机に広がっていく。 「わっ!」 「何やってんの。せっかくのパンフが濡れるじゃない」 「ごめん、早く雑巾貸して」 「もっと雑巾いるかも。バケツも持ってきて」 教室中がちょっとした騒ぎになってしまった。 「今のうちです」 「うん」 冬馬先輩に手を引かれ、教室を離れる。 しばらく走って、私は立ち止まった。 「ここまで来れば大丈夫かな」 「はい」 「あの騒ぎ……もしかして冬馬先輩の仕業なの?」 「そうです」 「やっぱり……」 倒れたとき、誰も缶には触れていなかった。 窓も閉まっていて風も無いのに勝手に倒れたのを見た。 冬馬先輩が力を使った以外、考えられなかった。 「缶の中に入っていたジュースに少し力を加えました」 「先輩の力って水以外もいいんだ」 「はい。液体なら大体いけると思います」 (私が困っていたのは確かだけど……) 「学校で力は使わないでください」 「周防にも以前同じことを言われました」 「周防さんは冬馬先輩が心配だから言ったんだと思うよ」 「はい」 「私も心配だよ。だから極力使わないって約束してください」 「わかりました」 「でも……助けてくれたのは嬉しかったよ。ありがとう、冬馬先輩」 (私のために使ってくれたんだもんね) 私達は靴を履き替え、校門で待ち合わせる。 お父さんが使っていた傘を差した冬馬先輩がやって来た。 「ここに預かった買出しリストがあります」 冬馬先輩は紙を私に見せる。 「ガムテープとメモ帳、紙コップと割り箸とパーティーモールと折り紙とクリアファイル。 100円ショップでいけそうだね。この道を抜けた大通りの先にあるよ」 店の場所を知っている私の先導で歩いていく。 先輩はすぐ横を歩いている。 「ところで先輩はどうして文化祭に参加しようと思ったんですか?」 あまり他人に興味のなさそうな先輩がわざわざ参加する理由がわからなかった。 三年生には全く参加しない人の方が多い。 性格的にもお祭り好きからはほど遠いのに。 「それは愛菜に言われたからです」 「私?」 (私、何か言ったっけ) 「この前、学校はいい所だから他人とも関わりを持ったほうがいいと教えてくれました」 (あっ、そういえば) 私がクラスの出し物の準備をしている時、冬馬先輩が手伝ってくれた。 その時に言った気がする。 「思い出したよ。それで参加することにしたの?」 「偶然同じクラスの者が参加者を募っていたので始めることにしました」 「さっき説明してくれた人?」 「はい」 「それでどう? 参加して良かった?」 冬馬先輩はしばらく考える。 「正直、参加して良かったのか分かりません」 「そうだよね。まだ準備だけだし」 「先ほどの女子のように文化祭とは関係の無い詮索をしてくる者もいます」 「色々な人がいるのが学校だから」 「ですが悪くないとも思えます」 「どういう風に悪くないのかな?」 私の質問にまた先輩は考える。 「文化祭が近づくにつれ学校全体が活気付いています。皆が成功させようと一つになっている」 「そうだね。私も成功させたいし」 「そういった空気も活動に参加していなければ気付かないままでした」 先輩なりに何か掴みかけているのかもしれない。 「うまくいくといいね、文化祭」 「はい」 「それにはまず買い物しないとね」 話しているうちに100円ショップに着いた。 私達は沢山並ぶ品物の中から必要な物を探していく。 店員さんに尋ねながらなんとか目当てのものを見つけていった。 「これで全部揃ったかな」 「はい」 冬馬先輩の両手のかごには品物が一杯入っている。 「結構な荷物になっちゃったね」 「お金は僕が預かっています。会計を済ませてしまいましょう」 「そうだね」 レジに行く途中、小物売り場で気になる髪留めを見つけた。 月と星の飾りのついたシンプルだけど素敵なヘアピンだ。 「これ、いいかも」 「気に入ったのですか?」 「うん。前髪が目に掛かるし、買っていこうかな」 「ではこれは僕が払います」 「いいよ。私のものだし100円くらい持ってるから」 「手伝って頂いている御礼です」 冬馬先輩は私が持っているヘアピンを取るとレジに向かってしまった。 私はその後を付いて行く。 文化祭に必要な物には領収書を書いてもらった。 私が買おうとしていたヘアピンは結局冬馬先輩が払ってしまった。 「お待たせしました。こちらが愛菜のです」 私は小さな袋を手渡される。 「本当にいいの?」 「贈るならばもっと上等なものでなくてはいけませんが」 「ううん、十分だよ」 誕生日でもない日のプレゼントなんて数えるほどしか貰ったことがない。 特別の日でないからこそ特別な感じがする。 (なんでだろう。すごくうれしいな) 店を出た軒下で、私は買ったばかりのヘアピンを髪につける。 「どうかな」 「少し曲がっています」 先輩の手が静かに伸びてくる。 長い指の綺麗な手がすぐ目の前にある。 「直りました」 「うん、ありがとう」 「愛菜自身が選んだだけあってよく似合っています」 「えへへ」 思わず照れ笑いをしてしまう。 先輩も心なしか満足そうだ。 「では行きましょう」 そう言った冬馬先輩は片手に傘をさし、もう片方の手にすごい量の買い物袋を持っている。 「ちょっと待って冬馬先輩」 「どうかされましたか」 「荷物たくさんあるし、半分持つよ」 「重いので僕が持ちます」 「二人でお使いに来たのも荷物を持つためだと思うよ」 「僕は平気です」 「でも……」 (持つって言っているのに……) 「あなたに荷物を持たせる訳にはいきません」 「気にしないで。私だってそれくらいなら持てるから」 「いいえ、駄目です」 (頑固だなぁ) 「じゃあ私の傘に冬馬先輩が入ってください。そうすれば両手が使えるから」 「愛菜の傘にですか?」 「うん。どうぞ」 私は先輩に向かって傘を差し出す。 すると先輩は素直に傘を閉じて私の方に入ってきた。 「ちょっと狭いかな」 「いいえ、大丈夫です」 「じゃあ行こうか」 冬馬先輩が力を使っているのか、濡れることはない。 歩幅が違うけれど、冬馬先輩が私に合わせてくれている。 「愛菜、腕が疲れませんか」 「平気だよ。私より冬馬先輩の方が大変だもん」 身長差がある分、私が腕を上げないと冬馬先輩が屈まなくてはいけなくなる。 そうならないよう気を使いながら歩いていく。 「今まで気づきませんでしたが、愛菜は小さいのですね」 「冬馬先輩は普通より背が高いしね」 「愛菜はもっと大きいと思っていました」 「そうかな? 私は平均的な身長だよ」 「神に選ばれた特別な存在だから実際よりも大きく感じていたのだと思います」 「私はごく普通の高校生だよ」 こうやって冬馬先輩がすぐそばに居るだけで緊張する。 すごい人だったらこんな些細な事で鼓動が早くなったりはしない。 「僕もただの高校生でいる事が許されるのでしょうか」 「制服を着て文化祭の準備もして、冬馬先輩はどこから見てもただの高校生だよ」 「見た目はそうですが」 「そうだ。冬馬先輩も普通の高校生になればいいんだよ」 「どういう事でしょう」 「力を使わなければいいんじゃないかな」 「でもそれでは愛菜が濡れてしまいます」 「構わないよ。傘も差してるし」 「本当に大丈夫でしょうか」 「一度頭を空っぽにして挑戦してみて」 「では失礼します」 先輩が言った途端、雨が私と冬馬先輩の肩を濡らし始める。 私が思っていた以上に、強い雨が降っていたようだ。 「つ、冷たい!」 「すべての力を解きました。これで僕はただの高校生です」 「ふふっ。少し冷たいけどこの方がいいよ」 「そうでしょうか」 「これが素の冬馬先輩なんだね。いいんじゃないかな」 「はい」 「冬馬先輩の肩、濡れてるよ。もっと傘に入らないと」 「愛菜も濡れています。僕の方へ寄ってください」 二人で身を寄せ合って、小さな傘に無理やり収まろうとする。 けれどお互い遠慮があるのか上手くいかない。 肩だけじゃなく足元にまで雨が染みてくる。 そんな状況なのに、不思議と不快には感じなかった。 「愛菜、楽しそうです」 「どうしてだろう。すごく楽しいんだ」 「僕も嫌ではないです」 「だよね。雨って案外いいものなのかも」 憂鬱で嫌いだった雨なのに傘を叩く音が心地いい。 お互い触れ合う場所は、その温かさまで伝わってきた。 子供の頃に感じたワクワクと先輩に対してのドキドキが一度にやってくる。 自然と笑いがこみ上げてきた。 「あははっ。こんな雨だし私達しか歩いてないよ」 「まるで僕達だけの世界のようです」 「本当だね」 「愛菜は特別な力など使わなくても、雨の鬱屈した世界まで一変させてしまうのですね」 「何か言った?」 「いいえ。もう少しで学校です、急ぎましょう」 「うん!」 私達は駆け足で学校へと戻っていった。
[[冬馬611~620]] 621 ①二人を止める 「止めてよ二人共! どうして?」 二人の間に入り、首を大きく左右に振る。 「冬馬先輩も一郎くんも、研究所に居る主流派の人たちが悪いと思っているんだよね? だったら、なぜ協力しないの? ここで仲違いしている意味なんて無いよ」 目的が同じなら、手を取り合うべきなのに。 それなのに、一郎くんと修二くんは冬馬先輩に対して異常なまでに厳しい。 冬馬先輩もそんな二人に対して、歩み寄ろうとはしない。 すごく悲しくなるし、もどかしく感じてしまう。 「狙われて怖がる私を、二人とも心配してくれていたのは知ってたよ? こんな何も出来ない中途半端な私にも優しく接してくれる二人なのに、どうして? どうして協力できないの?」 冬馬先輩は何も言わず、黙って私を見ている。 一郎くんは少しだけ俯き、ため息を吐いた。 「君は№673の正体を見ていない。だからそんな甘い事が言えるんだ」 「№673って冬馬先輩の事……だよね」 「ああ、そうだ。この男は過去に――いや、よそう」 「一郎くん?」 「知らなければ知らない方が良い。ただ№673は信用に足る人物ではない、とだけは言っておく」 小さな頃に出会っている、そんな話を以前一郎くんから聞いていたのを思い出す。 もしかしたらその時に何かあったのかもしれない。 何かあったとしても、昔のことを引きずっているより今を変えていくほうがずっと良い。 「一郎くんは知らないだけで、冬馬先輩は信用できるよ」 「君がそう思うのは勝手だ。だが、同調はしかねる」 「過去は知らないけど、今の冬馬先輩は悪い人じゃないと思う」 「あの頃から見れば変わったのかもしれない。しかし、本質はたやすく変えられるものではないんだ」 「どういう事?」 「どれだけ時代が移り変わっても、剣の本分は破壊しかない」 「破壊……」 「そうだ。だから俺も修二も№673とは協力出来ない」 (どうして……) 私は黙ったままの冬馬先輩に視線を向ける。 冬馬先輩も一郎くんの話を聞いていたはずだ。 なのに無表情のままで、言い返すわけでもなく否定もしない。 ただ私と視線が合うと無言できびすを返し、一歩、二歩と私たちから静かに遠ざかってしまった。 私は…… ①一郎くんに話しかける ②冬馬先輩を追いかける ③考える 622 ②冬馬先輩を追いかける 「冬馬先輩、待って!」 「行くな、大堂!!」 一郎くんの鋭い声に、前に出た足が止まる。 「一郎くん……」 「あの男を追って、君はどうするつもりだ」 「春樹が居るはずの……研究所の場所を教えてもらうんだよ」 「研究所か。現在の高村研究所を№673は知っているんだな」 「そうだよ」 「………………」 「ごめん一郎くん。私、冬馬先輩と話さなくちゃいけないから」 話を切り上げるように、一郎くんに背を向けた。 その時。 「高村……春樹……」 (えっ?) 不意の一郎くんの呟きに、私は動けなくなる。 「君の弟、大堂春樹は高村博信の息子だったんだな」 「どうしてそれを……」 私はゆっくり一郎くんに視線を移す。 一郎くんは強張った顔をしたまま私を見ている。 「君の弟の素性を調べれば、容易に分ることだ」 「……………」 「正直驚いた。まさか高村の血筋だったとは」 一郎くんにとって高村は聞きたくも無いほど不吉な名前のはず。 一郎くんだけじゃない。 関わった人はみんな同じだろう。 「さっき君は弟を連れ戻したいと言っていたな」 「うん」 「だが軽率な行動は止めておくんだ。これは罠だ」 「罠……」 「そう、君を手に入れるために仕組んだ罠だ。 さっき君は弟を連れ戻すためなら何でもすると言っていたが、それこそが奴らの目的。 君の弟を盾にしてでも、高村博信は君の力を利用するだろう」 私は…… ①「そんな事わかってるよ」 ②「じゃあどうすれば……」 ③黙って冬馬先輩を追いかける 623 ①「そんな事わかってるよ」 一郎くんの言葉に、考える間も無くそう答えていた。一郎くんは驚いたようにこちらを見ている。 「大堂。君は何を言っているのか、自分でわかっているのか?」 「わかってるよ、もちろん。このタイミングで春樹がいなくなったっていうのはきっと一郎くんの いうとおり、そういうことだと思う」 そうだ。春樹が仮に自分の意思で出て行ったのだとしても、そこに主流派の意図が隠されていて 何ら不思議は無い。春樹の生い立ちや性格を知る人物なら、そうしむけることなどきっといともたやすくやってのけるのだろう。 「それでも、私は行きたい。こうしている間にも、春樹の身に危険が迫っているかもしれない。 私のせいで誰かがそんな目に会うなんて、そんなこと絶対に許しちゃいけない」 一郎くんはふっとため息をついて床に視線を落とした。興奮気味の私に対し、抑揚のない声で低く告げる。 「それは単なる感情論にすぎない。実際問題、君が今組織に乗り込んでいったとして一体何ができる?」 「それは…」 「一時の勢いに任せて思いつくまま行動したところで、それこそあちらの思う壺だ。仲良く姉弟で組織の手に落ちて万事休す、といったところだろう」 一郎くんの正論を前にしぼんでしまった勇気を奮い立たせるように、まっすぐに一郎くんを見据えて言葉を紡ぐ。 「そんなこと、やってみなければわからない。それに、今春樹を助けられるのは私だけでしょう? 一郎くんはもし修二くんが組織に捕まったら助けに行かないの?」 「……!」 「ごめんね。私、行ってくる」 小さく頭を下げて、なおも何か言おうとしている一郎くんをなるべく見ないように冬馬先輩の去っていった方向に駆け出した。 廊下をまがった所で前方に冬馬先輩の後姿を捉えた。 どうしよう? ①大きな声で冬馬先輩に呼びかける ②そのまま黙って走り寄る ③途中で修二くんに声をかけられる 624 ①大きな声で冬馬先輩に呼びかける 「冬馬先輩!」 先輩の背中に向かって大声で叫ぶ。 冬馬先輩は私の声に気づき、足を止めた。 「………愛菜」 「冬馬先輩、待ってください。一緒に行きます」 「……いいのですか?」 どういう意味で『いいのですか』と尋ねているのだろう。 ついて行くことへの覚悟を尋ねているのだろうか。 それとも一郎くんを振り切った事に後悔は無いのか、問いかけているのだろうか。 「いいんです」 「……そうですか。分りました」 私は春樹に会わなくてはなけない。 そして家に帰ってきてもらう。 一郎くんの言うように、私も春樹も研究所の手に落ちてしまうかもしれない。 だからといってただ待っているだけなんて出来ない。 協力してくれるという冬馬先輩を信じて、一緒に進むと決めたのだ。 冬馬先輩と私は人目の無い屋上にあがってきた。 屋上にある給水塔の下につくと、お互いが自然と向き合った。 「先輩。春樹の居場所がわかったって、朝に言ってましたよね」 「……はい」 「春樹は一体どこ? 研究所ってどこにあるんですか?」 冬馬先輩は無言でうなずく。 そしてゆっくりと指をさした。 眼下には、夕日に染まったジオラマみたいな街が広がっている。 私はその指の方向へ目で追っていく。 その指は、住み慣れた街を流れる大きな川を示していた。 「……川?」 「……はい」 「まさか川の中!?……じゃないよね」 「違います。この街を流れる川の遥か上流。そこに研究所はあります」 「遥か上流って、水源地に近いって事かな」 「はい。人里離れた山中に今の研究所はあるようです」 私は…… ①いつ助け出すのか聞く ②周防さん達について聞く ③冬馬先輩はいいのか聞く 625 ①いつ助け出すのか聞く (冬馬先輩のおかげで場所は特定できた。あとは……) 「それであの、春樹をいつ助け出すつもりなんですか?」 今日は無理にしても、明日だろうか明後日だろうか。 春樹の状態がわからない以上、できるだけ早いほうがいい。 「決行日は周防たちと相談します。ですから今お答えする事は出来ません」 「そうなんだ……」 「おそらく今週中には決行を考えていると思います」 (今週中か……) 今すぐにでも研究所へ飛んで行き、無事を確認したい。 気持ちばかりが焦るけれど、力の無い私は冬馬先輩たちを頼るほか無い。 「冬馬先輩、勝手なお願いだと思うんだけど……なるべく早くして欲しいんだ」 「周防たちに愛菜の希望は伝えておきます」 「うん、お願いします」 (今朝無理させたばかりなのに、また私は冬馬先輩に無理をさせようとしてる) 危険に巻き込みたくないと思いながら、冬馬先輩を頼らざるを得ない自分が歯がゆい。 一郎くんには助けると言い張ったけど、実際に助けるのは冬馬先輩たちなのだ。 口ばっかり達者なことを言っても、冬馬先輩に危険な事を押し付けている。 「私……ずるい。 本当は冬馬先輩に守ってもらう価値なんて無い……」 思わず、心の声が口から漏れる。 「ご、ごめん。今のは聞かなかったことにして!」 口をついて出た愚痴を取り消すように、あたふたと取り繕う。 こんな時に弱音なんて吐いてる場合じゃない。 今更になってまだ迷ってるなんて、冬馬先輩を困らせるだけだ。 「愛菜」 無機質な声に私は顔を上げる。 目の前の冬馬先輩が無表情な顔で私を見ていた。 「冬馬先輩……何?」 「今朝から顔色が優れないままです」 「色々考えちゃってるからかな。前に周防さんにも言われたけどね」 「周防にですか」 「うん。悪い癖なんだよね。疲れた顔の私を見かねて、ショッピングモールに誘ってくれたんだよ」 重い口調にならないように、なるべく明るい声で答える。 冬馬先輩は相変わらずの無表情で、何を考えているのか読み取りにくい。 分らないけど、心配してくれているのはなんとなく伝わってくる。 「わかりました。愛菜は気晴らしを必要としているという事ですね」 ①「もしかして冬馬先輩、私を誘ってくれるの?」 ②「えっ!」 ③「そんな暇ないよ」 626 ③「そんな暇ないよ」 文化祭の準備もあるし、何より春樹が居ないままだ。 そんな状態なのに、この前の日曜日のように遊んではいられない。 「文化祭の準備が忙しいのですか?」 「忙しいってほどでは無いかな」 クラスの方は仕上げの段階に入っていて、特に急ぐ必要は無いはずだ。 放送委員は一郎くんが居るから行き辛い。 「では、他に何か都合があるのですか?」 「それも無いよ。ただ……春樹のことがあるし」 「弟さんですか」 「うん」 「さきほど言ったように、すぐに弟さんを救出する事は不可能です」 「わかってるよ。ただこの前みたいなショッピングをしても楽しめる自信はないかな」 「それはなぜですか?」 「気持ちの問題なんだ。こんな時に遊んでいられないって思ってしまうよ」 私の言葉を聞いて、冬馬先輩は目を伏せた。 そしてピクリとも動かなくなる。 (もしかして悩んでるのかな……) 「気晴らしとは鬱屈した気持ちを発散させるものだと周防に聞きました。 有効な手段としては体を動かしたり、日常の生活圏から抜け出すことです」 突然始まった説明に私は頷くことしか出来ない。 「そして愛菜はショッピングのような手段は望んではいません」 「そ、そうだね」 「真面目なあなたが納得し、かつ体を動かしながら愛菜の生活圏から抜け出す方法……。 一番有効な手段は、三年生有志で行っている出店の手伝いだと思うのです」 「………え?」 「僕もこの間から少しずつ手伝っています。 愛菜が以前提案してくれたように楽しめているのかは分りません」 顔をあげた冬馬先輩は無表情だったけど、少しだけはにかんでいる様にも見える。 「ですが、それなりに有益な時間を過ごせています。 もしよければ明日の放課後、三年の教室へ来て欲しいのです」 (冬馬先輩……) ①「ごめん、無理だよ」 ②「うん。じゃあ手伝おうかな」 ③「なら先輩が私のクラスを手伝って」 627 ②「うん。じゃあ手伝おうかな」 (せっかくの先輩が気を使ってくれてるんだし… ちょっとくらいなら、いいよね) 私がそう答えると、冬馬先輩は かすかに微笑んでくれた…気がした。 「…ありがとうございます。 では、明日も同じように迎えにいきます」 そんな冬馬先輩の様子を見ていると、 申し出を受けてよかった…と改めて思った。 (でも、クラスの皆にはちゃんと言っておかなきゃ…) 準備のためには貴重といえる一日を 自分の都合で抜け出すのだ。 しかも、用事といった用事があるわけではなく、 自分に関係のない場所の手伝いをするんだし。 (まだ、皆残ってるかな…? 残ってるなら言ってきたほうがいいよね?) ①冬馬先輩と一緒に教室に戻る ②冬馬先輩には待っていてもらって教室へ行く ③明日言うことにして今日のところは帰る 628 ①冬馬先輩と一緒に教室に戻る 朝、体調があまり良くなかった冬馬先輩を一人にしておくのは不安だ。 それでなくても冬馬先輩はつらい事や苦しい事を我慢しているように思える。 今は顔色も良いけれど、いつまた不調になるかわからない。 (私と契約してることで、何かしらの負担になってることは間違いないし……) 私は冬馬先輩と一緒に教室に戻った。 「あ、愛菜!」 すると目ざとく香織ちゃんが私を見つけてやってくる。 「委員長の用事は終わったの……って」 香織ちゃんは私の後ろに立っていた冬馬先輩を見つけて目を丸くした。 そして有無を言わさず私の首に腕を回して引き寄せると、興奮気味にささやいてきた。 「ちょっとちょっと、あの人誰よ?見たところ先輩みたいだけど」 「あ、うん、御門冬馬先輩っていうの。あの、明日先輩の手伝いをしたいんだ。だから準備休んでもいいかな?」 「御門……先輩? あの人が?」 香織ちゃんは、ちょっとだけ顔を上げて冬馬先輩を見た。 「この人があの御門先輩、ね」 「香織ちゃん知ってるの?」 「知ってるというか、ちょっとした有名人だよ。半端な時期に転校してきた上に、編入試験もすごい点数良かったみたいよ」 「へぇ……」 「でも、あんまり良いうわさは聞かないのよね……」 「え……?」 「でもあくまでもうわさだから、愛菜はそんな顔しないの。で、えっとなんだっけ?明日先輩の手伝いするとか言った?」 私の顔を見て、香織ちゃんは軽く私のほっぺをつねると、気を取り直したように聞いてきた。 「う、うん、こっちも準備で忙しいと思うんだけど……」 「こっちはもうほとんど終わってるし気にしなくて良いよ。先輩の手伝いしてきな」 「ありがとう、香織ちゃん」 プロデューサーの香織ちゃんのOKがでてほっとしていると、再度声をひそめた香織ちゃんが意味ありげに笑った。 「進展したらちゃんと私に報告するのよ?」 「え?」 ①「……なんのこと?」 ②「誤解だよ!」 ③「う、うん……わかったよ」 ①「……なんのこと?」 「自覚なしか。まあ、当然だわね」 香織ちゃんはあっけらかんと答えた。 「自覚とか進展とか……香織ちゃん何言っているの?」 「いいのいいの、こっちの話だから。それより御門先輩って愛菜から見てどんな人なの?」 (どんな人って言われれば……) 「とってもいい人かな」 「それだけ?」 「あと頼りになるとか……」 「私にはあんまりいい人には見えないけど」 愛想無く廊下で待つ冬馬先輩をチラッと見ながら、香織ちゃんは呟く。 香織ちゃんらしいハッキリした意見だ。 「表情が乏しいんだよ。でも少しは笑ったり怒ったりもするんだよ」 「笑う……想像できないわね」 「それでも冬馬先輩にとっての精一杯の表現なんだと思うんだ」 「相変わらずなのか。もう少しにこやかにすればいいのにねぇ」 まるで御門先輩のことを昔から知っているような口ぶりだ。 「香織ちゃん、冬馬先輩と知り合いなの?」 「ううん。全くの初対面よ」 「まるで昔からの知ってるみたいな言い方だったよね」 「今回のあの人はね」 「??」 「と、とにかく良い噂を聞かないけど、愛菜の力になってくれる人に違いないわ」 香織ちゃんは誤魔化すように私の肩を叩いた。 「冬馬先輩には何度も助けてもらったんだ」 冬馬先輩は学校でも浮いた存在みたいだし、一郎くんも修二くんも嫌っている。 でも香織ちゃんは違うみたいで、ホッと胸をなでおろす。 「やっぱり良くない噂がたつくらいだし、誤解されやすいんでしょうね」 「うん……」 「誤解を訂正しようとも改善しようともしない感じだし」 「どうにかしてあげたいんだけどね」 「でもね、あんたが最後まで信じてあげていれば大丈夫なんじゃないかしら」 「……そうかな」 まるで香織ちゃんは全部知っているような言い方をした。 不思議ではあるけれど、今は冬馬先輩のことを肯定しくれる人が居ることが嬉しい。 「……って、全部私の勘だけどさ」 「香織ちゃん、ものすごく鋭い勘だね」 「ま、まぁね。それより早く行かなくて良いの? 御門先輩が待ってるんでしょ?」 「うん。クラスの出し物手伝えなくてゴメンね」 「いいのよ。じゃあ明日」 香織ちゃんが手を振ってくれるので、私も振り返す。 「先輩、お待たせしました」 廊下で待っていた冬馬先輩に話しかけた。 先輩は香織ちゃんをのドアの覗き窓から見ている。 もしかしたら私と話していたのが気になったのかもしれない。 「話し声、聞こえてましたか?」 「いいえ。ここまで届いてきませんでした」 「そっか。よかった」 冬馬先輩の事を話していたし、何より聞かれていたらなんだか恥ずかしい。 「あのね、さっきの子は親友の香織ちゃんっていうんです」 「…………」 「先輩?」 「カオリ……と言うのですか」 「小学校からの付き合いで、ずっと私を支えてくれてるんです」 「…………」 「あの……」 香織ちゃんの事を眺めるというより凝視している。 あまり他人に興味のない先輩にしては珍しい反応だ。 「…………」 「冬馬先輩」 「…………」 「あの冬馬先輩」 私が何度か声をかけるとようやく反応が返ってくる。 「……なんでもありません。愛菜を家まで送ります」 「あ、ありがとうございます」 (こういう所が誤解を生むのかも) 冬馬先輩との帰り道、なかなか話しかけることが出来なかった。 私の力の事、組織の事、冬馬先輩自身のことも。色々と謎だらけだ。 どこまで質問していいか分からないし、また無理だとはね付けられてしまうかもしれない。 冬馬先輩から会話を振ってくる事も無く、ひたすら無言で歩く。 長く伸びていく影だけ追っているうちに、家の前まで来ていた。 「わざわざ送ってもらって、ありがとうございました」 「…………」 「また明日学校で。気をつけて帰ってくださいね」 「……では」 隙の無い動きで踵を返すと私から離れていく。 遠ざかる背中を見ていると、何か言わなくちゃという気になってくる。 とにかく分からない事が多すぎる。知りたくない真実だとして何か一つでも知りたい。 それが解決の糸口になるかもしれないから。 (お母さんの事だって何も教えてもらっていないから) 「……先輩!」 私の声に反応して、冬馬先輩が振り向く。 「……どうしましたか」 「私を守ってくれているのは、お母さんとの約束だからでしたよね」 「……はい」 「お母さんはどこに住んでいるの? 生きているんですよね」 お母さんを語るとき冬馬先輩はすべて過去を振り返るように言っていた。 まるで故人を偲ぶように。 「…………」 「昨日、美波さんもお母さんの所在について何も語らなかったよ」 「そうですか」 「それは言えなかったからじゃないの」 「…………」 「黙っているという事はやっぱり死んでしまっているんですね」 先輩の表情は変わらない。 少しうつむいて、目を伏せただけ。 その小さな仕草だけで見当がついてしまう。 「なんとなく気付いてた。もうこの世に居ないんじゃないかって」 「…………」 「もしかしてお母さんは組織に……」 冬馬先輩は顔を上げ、左右に首を振った。 「それは違います。あなたのお母様は五年前、交通事故で亡くなったのです」 「……交通事故」 「道路に飛び出した子供を助けようとしたのです。当時の新聞にも載っているはずです」 「……全然知らなかった」 「子供は助かりましたが、お母様はその犠牲に」 「うん……」 「僕が傍にいながらあなたのお母様を死なせてしまいました」 冬馬先輩は拳を握り締めていた。 こんなに悔しさを表に出すのは珍しい。 「冬馬先輩のせいじゃないよ。人を助けて亡くなるなんて……お母さんらしいな」 私の覚えているお母さんは少し厳しくて、思いついたら一途だった。 (大らかで……厳しくて……でも優しい……) 死んでしまっていた事実は辛いけど、悲しいだけじゃないものが心に広がっていく。 「教えてくれて、ありがとう。冬馬先輩にとっても辛い出来事だったのに」 「愛菜……」 「でもお母さんなら、きっと後悔してないと思う。子供を助けられて満足じゃないかな」 「僕もそう思います」 「でも……ひと目会いたかったよ」 少し離れた所にいたはずの冬馬先輩が私のすぐ傍まで近寄ってきていた。 そして私に手を伸ばし、頬にそっと触れてきた。 「と、冬馬先輩……」 「涙が出ています」 「ご、ごめんなさい」 私は慌ててハンカチを取り出そうした。 次の瞬間、冬馬先輩にその手を引かれた。 制服の感触が頬に当たって、ようやく冬馬先輩に抱き寄せられたと気付く。 「せ、先輩」 「……また愛菜を泣かせてしまいました」 「冬馬先輩のせいじゃないよ」 「今の僕には胸を貸すことくらいしかできない」 驚きと恥ずかしさで私は身をよじる。 けれどぎゅっと抱きしめられて、動くことが出来なかった。 「わ、私……」 「嫌かもしれませんが、しばらくこのままで居させてください」 (……嫌じゃない) 暖かくて安心する。 それに少しドキドキする。 抵抗するのを止めて冬馬先輩に体を預ける。 「嫌じゃ……ないよ」 「よかったです」 「どうしてだろう。冬馬先輩と居るとすごく安心するんだ」 「……はい」 「会って間もないのにね。まるで昔から知っているみたい」 「……それは……」 「何?」 「いいえ、何でもありません」 口数は少ないけどいつもより話し方が穏やかな気がする。 淡々としていても言葉の端々に優しさを感じる。 「先輩は親切だよね」 「僕は親切ではありません」 「ううん。みんな気付かないだけだよ」 冬馬先輩を嫌っている人は多い。 私の知っている理解者といえば周防さんくらいじゃないだろうか。 お母さんも生きていた頃は数少ない理解者の一人だったに違いない。 「お母さんはきっと冬馬先輩のことが放って置けなかったんだね」 「僕はよくお母様に叱られていました」 「怒るとすごく怖いんだよ」 「それでもあの方と共に居られた日々は僕にとって特別なものでした」 冬馬先輩は一呼吸置いて、空を見上げていた。 オレンジに染まった夕焼けの中に欠け始めた月が薄く浮かんでいた。 「あなたのお母様は今でも……僕にとってかけがえの無い人です」 (かけがえの無い人……) 一瞬、じゃあ私は?という疑問が胸の中に湧き出る。 「愛菜はお母様によく似ています」 「お父さんにも何度も言われたよ」 「あなたも弱そうに見えるが芯は強い人だ」 「私はダメだよ。お母さんに比べてずっと弱虫だから」 「そんな事はありません」 「買いかぶりすぎたよ。いつも春樹や隆……冬馬先輩を頼ってしまうもん」 (そう。私はお母さんみたいに強くなれない) 「お母さんとは違うよ。違うから……」 冬馬先輩を両手で押しながら離れた。 「……愛菜?」 「せ、先輩のおかげで落ち着いたよ。ありがとう」 取り繕ってお礼を言った。 冬馬先輩もいつも通りの無表情に戻っている。 一線引いて接してきた今までのように。 「申し訳ありません。主に対して失礼でした」 「ううん。違うの」 冬馬先輩にとってお母さんは色々教えてくれた大切な人。 私にとってもお母さんは尊敬できる誇らしい人。 お母さんと似ていると言われてすごく嬉しいはずなのに。 私とお母さんをダブらせせるような冬馬先輩の発言に抵抗を覚える。 (少し胸が苦しい) 「では僕はこれで失礼します」 「さようなら先輩」 先輩の背中を見ることなく、真っ直ぐ玄関へ向かった。 心の中がズキンと痛む。 冬馬先輩はお母さんの最期のお願いを忠実に守ってくれている。 でももしその約束が無かったら……。 私も無関心なその他大勢の一人に過ぎないのかもしれない。 こんなに優しくも親切にもしてくれない。 これ以上甘えていると、もっと嫌な自分になりそうだった。 気を取り直し、鍵を開けて家の中に入る。 「ただいま」 家の中に人の気配は無い。 まだ隆は学校から帰ってきていないようだ。 「隆のために何か夕食作ってあげよう」 キッチンに向かおうとリビングで一枚の紙を見つける。 白紙だったチラシの裏に乱暴な字で伝言が書かれている。 『おばさんは今日は仕事で帰ってこられないらしい。 春樹が出て行ったのにお前と二人だけというのもマズイ気がする。 一応、愛菜も女だしな。 それで今日からは自分の家に帰ろうと思う。 何かあったら電話をくれ。 すぐ飛んでくるからな。    隆』 (隆……家に帰っちゃったんだ) チハルも動かないままで久しぶりの一人ぼっちだ。 エプロンを着けたばかりだったけど、腰紐を解いてテーブルに置く。 「一人ぼっちの食事じゃ、張り切ってもしょうがないよ」 着替えるためにとりあえず自室に戻った。 「チハル、ただいま」 呼びかけてもただのくまのぬいぐるみのように微動だにしない。 昨日ぬいぐるみに戻ったきり、動かなくなってしまった。 急に力が抜けて、ベッドにドサッと座り込む。 色々なことがあって気を張り通しだった。 (私、意外と疲れていたのかも) 春樹の事はすごく心配だ。 でも冬馬先輩はまだ行動しない方がいいと言っていた。 私単独では何も出来ない。 お義母さんに今帰ってきたとメールを入れて携帯を閉じる。 一人ぼっちだと食欲もわいてこない。 このままじゃ何もせず寝てしまいそうだ。 「溜まった宿題しなくちゃ」 久しぶりに机に向かって教科書を開く。 でも気がかりが多すぎて、字を追うだけで精一杯だった。 (頭に入ってこない。ダメだ) 特に苦手な数学では苦戦してしまう。 定規を取ろうと机の中を開けると、小さな紙袋を見つけた。 (この包み……周防さんにあげようとしていたサンストーンだっけ) (結局、あの日は渡せないままだったな) ショッピングモールに行った日。 色々あったけど、冬馬先輩や周防さんの事を知ることが出来た。 (楽しかったな。冬馬先輩の服も買ったんだっけ) ご飯を食べたり、ショッピングしたり。 あの時だけは普段と変わらない日常が戻ってきたみたいだった。 私は小さな紙袋を開けて、そのサンストーンを出してみる。 赤茶けている小さな石。 勾玉の形をしていて、ピカピカに磨かれている。 (綺麗……) 夕日にかざすと真紅のようにも見える。 指先におさまる、太陽のように輝く宝石。 その美しさにしばし魅入られる。 (忘レルナ……我……汝ノ中二……) 心臓が高鳴ると同時に、今朝見た夢の断片を思い出す。 黒くてドロッとしたものが私に放った言葉。 思い出そうとすると、頭がぼうっとしてくる。 指を動かすのも億劫なほど気だるく瞼も重くなってきた。 『愛菜』 頭の中で突然呼びかけられる。 さっきまで話していた、綺麗な知った声。 「冬馬先輩」 呼びかけに応えて、ようやく我に返る。 このやり取りは何度やっても慣れない。 (頭の中に声が響くって耳からよりずっと直接的なんだよね) 『答えてくれたということは、僕の声が届いているようですね』 「はい、一応。まだぼーっとしてますけど」 『では伝えます。それ以上鬼と同調してはいけません』 「おに……?」 『石を媒介にしてあなたの意識を乗っ取るつもりです』 「乗っ取るって。何?」 『お母様の暗示がもう解けかかっています』 「お母さんの暗示?」 『暗示に便乗して勾玉が掛けたであろう力の封印までも失う可能性があります』 (一体、何を言っているの?) まだ意識がはっきりせず、先輩の説明がよく理解できない。 『すぐにその石を放してください』 「……うん」 私は手に持っていた石を机に落とす。 小さな石はコロンと転がった。 「これでいいのかな」 『はい』 「さっき言っていたお母さんの暗示って何?」 (まただんまりなんだろうな) 「教えて欲しい。このままじゃ私、不安でたまらないよ」 『…………』 「春樹が出てってしまっても、結局私には何も出来なかった……」 『…………』 「私のせいでみんなが不幸になっていってる気がする」 『あなたのせいではありません』 「気休めは止めて。予知の能力のせいだって事くらい今の私でも分かるよ」 (もどかしくて、悔しい) 『わかりました』 「え?」 『僕の知り得ている事ならば教えます』 「本当に?」 『今からあなたの家へ伺います。しばらく待っていてください』 「は、はい。お願いします」 どういった心境の変化か分からない。 今まで何があっても余計な事を話さなかった先輩が教えてくれるという。 (よかった。これで少しは私でも出来る事が見つかるかもしれない) 私は一階に降りて、来客用の戸棚を開ける。 せっかく来てくれるのならお茶の準備くらいしておこう。 (そういえば冬馬先輩はコーヒー派なのかな。それとも紅茶派……やっぱり緑茶?) 今さらだけど冬馬先輩の事を私は何も知らない。 好みのお茶の種類一つだって分からない。 食器棚に並ぶ茶器の前で困惑する。 (できれば好きな飲み物出してあげたいよね) (他にももっと知りたいな、先輩のこと) 力のことや組織のこと、また今話した暗示のこと。 知りたい事は沢山ある。 そういう事ももちろんだけど冬馬先輩についても色々知りたい。 以前みたいな興味本位じゃない。 何かしてあげたいから知りたいという衝動にかられる。 最初に見かけたときから、なぜか怖いとは思わなかった。 だから突然持ちかけられた契約だってすんなり受け入れることが出来た。 (どうしてかな) 冬馬先輩といえば前は変な人という印象が強かった。 突然人前で脱ぎだしたりした時はどうしようかと思ったほどだ。 そのせいか一挙一動に引き付けられる所はあった。 どこか儚い雰囲気もなんだか気がかりだった。 (だけど今は……それだけじゃない気がする) ピンポーン 玄関まで小走りで向かう。 ドアを開けると制服姿のままの冬馬先輩が立っていた。 「いらっしゃい先輩」 「入ってもよろしいでしょうか」 「もちろん。どうぞ」 「……おじゃまします」 私は冬馬先輩を連れてリビングまで案内する。 先輩は黙ったまま私に従った。 「ソファーに座っていてください」 「失礼します」 冬馬先輩は一礼して座る。 なんだか面接を受けに来た人みたいに丁寧だ。 「ところで先輩は何を飲まれます?」 「僕にお気遣い無く」 「私も飲みたいから言っているんだよ」 「では愛菜と一緒のものでお願いします」 「紅茶でいいかな」 「はい」 「でもコーヒーもありますよ。緑茶も用意できますけど」 「……コーヒーでお願いします」 (冬馬先輩はコーヒー派なのね) キッチンに向かってコーヒーと紅茶をそれぞれ用意する。 しばらくして戻ると、冬馬先輩は姿勢を正したまま座っていた。 「もっと楽にしていいよ。この家には私しか居ないし」 「そのようです。他の気配は感じられません」 「さっそく本題に入りたいんだけどいいかな」 「はい」 飲み物を置いて私も座る。 私から尋ねなければきっと会話も成立しないだろう。 (何から聞こうかな……) 知りたい事が多すぎて整理がつかない。 「まず私の力は予知能力で……組織という所が狙っている。それで間違いありませんよね?」 「概ね合っています」 「概ねっていうことは全部正しい訳じゃないの?」 「はい」 「どこが違うの?」 「あなたの能力は予知能力だけではありません」 「えっ? そうなの?」 冬馬先輩の答えがはやくも予想外だった。 「じゃあ私の能力って何?」 「予知能力を超えた……未来実現能力と言い換えればいいでしょうか」 「未来実現能力?」 「あなたがすべての力を使い切れば、世界すらも一変してしまうでしょう」 「ど、どういうこと?」 開始早々、話が壮大すぎて頭がこんがらがっている。 「予知は知ることしか出来ません。しかしあなたの場合、それをはるかに超えた能力なのです。 世の理から外れた力、それを組織は狙っています」 「よ、よく分からないんだけど」 「予知だと思っているのはあなたが夢で見たことが実現したからです。 しかし見方を変えれば夢で見たことをあなたが実現させたともいえるのです」 「私が未来を変えたという事?」 「そうです。あなたが変えたのです」 (私が変えた……) 「そんな事、信じられない」 「今まで何度と無く信じられない力を目撃しているはずです」 「それはそうだけど」 「あなたにはその力が備わっています」 「本当に私にそんな力が……」 「力が封印されている限り、そこまでの力を発揮することは出来ません。 現状はごく弱い予知能力と変わりない程度しか使えないでしょう」 (力の封印……それも聞かなくちゃ) 「今のところ私の力は封印されているんですよね」 「その通りです。詳しく説明すればあなたの力は二重に鍵が掛かっている状態です」 「二重って?」 「一つ目は元々封印されているもの、二つ目はあなたが幼少の頃に封じられたものです」 「な、何?」 「前者の封印は神器が契約をして順次開放していきます。後者は何者かが愛菜に施したものです」 「何者かって一体、誰に?」 「暗示をかけたのはお母様、力を封じたのは恐らく勾玉です」 「ご、ごめん。一つずつ説明してもらっていいかな」 次々と新しい情報が出てくるから訳が分からない。 「では幼少の頃に力を封じた者のことからお話します」 「お、お願いします」 「残念ながらあなたの力を封じた者の事は僕には分かりません」 「どういう事?」 「特定できていないからです。ですがあなたの力を抑え込めるのは勾玉の他居ないと考えます」 (まがたま?) 「まがたまって……何?」 「巫女が使役していた神の力を持つ道具の一つです。その道具を総称して神器と呼びます。 過去僕は剣と呼ばれていたものでした。勾玉の他にも鏡が居ます。鏡はあなたの良く知っている宗像兄弟です」 「その道具が冬馬先輩達なの?」 「正確にはそれぞれの神器の力に支配され束縛されている魂を指します。 ですから何度器を替え転生しても僕はまた剣としての力を持って生まれてくるのです」 一郎くんと修二くんに能力があるのを何度も見ている。 冬馬先輩と同じような力があっても不思議ではない。 (あっ……) 今日、一郎くんに合わせ鏡について説明された。 (それはこの事を言っていたのね) 「その道具が冬馬先輩達なら使役していた巫女って……もしかして」 「遠い過去のあなたです」 「私が巫女なの?」 「正確には巫女の生まれ変わりです」 「はぁ……私が……」 雲を掴むような話だ。 いきなり巫女の生まれ変わりだと言われても困る。 「現在、勾玉は自らの力を完全に封じています。人と同化し特定できないのです。 ですから僕からお教えすることは出来ません」 私は紅茶を一口飲む。 でも冬馬先輩は全くコーヒーに口をつけていない。 「さっきお母さんが暗示、とか言っていたけど」 「次はお母様の暗示について説明します」 「お願いします」 「あなたは幼少の頃、力を自在にあやつることができていました。 それを危惧したお母様が能力そのものを忘れるよう、あなたに暗示をかけたのです」 「暗示で私が力を使っていた記憶を消したの?」 「そうです。その暗示に便乗して勾玉は能力そのものを封じ込めたのです」 「ええっとそれは……お母さんには力の記憶を、勾玉って人には力を封じられたって事?」 「その通りです」 (そういえば……) 以前お父さんがお母さんは心理学を学んでいたと話していた。 心理学の知識がある人なら、子供の記憶の一部だけ操作することも可能かもしれない。 「幼少期のあなたはお母様に僕のことを予言したそうです。 ですからお母様は僕に会う事を決心し、家を出たと言っていました」 「じゃあお母さんが出て行った理由は……」 「愛菜を助けるためです」 (お母さんが出て行ったのは……私が冬馬先輩のことを言ったから) お母さんが黙って出て行ったのは、言いたくても言えなかったから。 周りに私の能力が知られないようにの配慮なら説明がつく。 私を捨てた訳ではなく、私のために出て行った事。 その事実を知ることが出来ただけでも救われた気がする。 (昨日美波さんが言っていたのはやっぱり私の事だったんだ) 「実はこの話をする事はあなたのお母様から止められていました」 「じゃあ、どうして教えてくれたの?」 「わかりません。今までの僕なら絶対にあの人との約束を破ることはなかったのですが」 「ごめんなさい」 「いいのです。これ以上隠していてもあなたが苦しむだけです。お母様もそのような姿は望んでいないでしょう」 「……私、ずっと心のどこかで捨てられたかもしれないと思ってた。お母さんがそんな事するはずないのに」 「亡くなる寸前まであなたの事を気にかけてました。 僕が知る限り、お母様は愛菜のことを誰よりも愛してらっしゃったのではないでしょうか」 「……ありがとう、先輩」 「いいえ。僕は事実を伝えたに過ぎません。感謝すべきはお母様にでしょう」 また一口紅茶を飲んだ。 アールグレイ特有のベルガモットの香りが鼻をくすぐる。 冬馬先輩を見ると、まだコーヒーを飲んだ様子はない。 「先輩、コーヒーが冷めてしまいますよ」 「……では頂きます」 私に言われてようやくコーヒーを飲み始める。 しばらくお互い無言のまま飲み物を頂く。 「先輩、疲れていませんか?」 「大丈夫です」 「なら組織の事……春樹との接点について教えて」 どうして私を狙うのか。 どういった組織なのか。 春樹が出て行った理由もわかるかもしれない。 「どこからお話すればよろしいでしょうか」 「じゃあ、組織は高村という名前だって今朝言ってたよね」 「春樹さんの旧姓はご存知ですか?」 「えっと……もうお義母さんの姓を名乗っていたはずだけど……」 「春樹さんは高村春樹として生まれています。組織のトップ高村博信は春樹さんの実の父親です」 (桐原さんが高村春樹くんって言っていた事だよね) 「でもどうして……春樹の実の父親が」 「高村家は歴史の表舞台ではなく裏で権力を誇示し続けてきました。 その理由が巫女の力にあるようなのです」 「巫女ってさっき言っていた……」 「現在ではあなたの事です」 「じゃあ私の力を利用して何をしようとしているの?」 「……それは僕にも詳しくは分かりません。ただ能力者を非人道的に育成したりしていたのを鑑みると 何か良からぬ事を企てているのは間違いありません」 「具体的には分からないんだ」 「弱まりつつある高村の復権。いえ、それ以上の企てを考えているのかもしれないです」 「なんだか怖いな」 「春樹さんを囮にしてあなたの人知を超えた力を欲しがっているのは間違いないのです。 巫女の力がすべて解放されたという事例は今までありませんので予想すらつきません。 一つの時代に神器が一斉に会する機会などなかったからです」 (神器って……) 「神器ってさっき言っていた……」 「剣の僕や宗像兄弟の鏡、それに勾玉。巫女に使役されていた道具の事です」 「その……剣と鏡と勾玉が私の力を使うのに必要だって事なの?」 (整理しながら聞かないとすぐ分からなくなりそう) 「先日、僕が愛菜に施した契約をすべての神器が行なければ真の力を使うことは出来ません。 現在勾玉が見つかっていない以上、完全な形で力を使うことが出来ないのです」 「じゃあ、安全だね」 「そうとも言い切れません。不完全なままでも巫女の力を発動することは可能だからです」 「ならこれ以上契約しなければいいんじゃない? 私の力は弱いままだし」 「ですがあなたの力を解放できる別の方法、というものが存在しているのです」 「どういう事?」 「僕らの神器と似たようなもの。つまり代替になるもう一対の道具があるのです」 「……え?」 また新しい事柄が増えてくる。 冬馬先輩や一郎くん、修二くん達だけが私の力を発動させられる訳ではないと言う事だろうか。 「僕らは三種の神器と呼ばれています。そして代替になり得る道具を十種の神宝というのです」 「十種の神宝……」 「十種の神宝は三種の神器の対にあたる、陰の力を秘めた道具です」 「そんなものもあるんだ……」 「そして十種の神宝を……高村が手中に収めたというのです」 (だから私を手に入れようとしているの?) 今まで普通に生活できていたのに、ある日突然それが一変した。 それは組織が別の方法を手に入れたから狙われるようになったとすれば……。 確かに筋は通っている。 「どうすればいいんだろう」 「まずあなたを組織から守ることです。だから僕や周防は組織と戦う事にしました」 (でもそれじゃ……) 「私は守られているだけ? 私のすごい力っていうのでどうにか出来ないの?」 「力を解放すれば現状は打破できるでしょう。 けれどそれではあなたがあなたで無くなってしまうかもしれないのです」 「どういう事……?」 「今しがた自分の身に起こったこと、もうお忘れですか?」 自分が自分でなくなる感覚は何度も経験している。 さっきもサンストーンを見ていたら何かに取り込まれる感覚があった。 異質なものが私の中にずっと居る気配は強くなる一方だ。 私の中の誰かに少しずつ侵食されているのかもしれない。 「あれが私でなくなるって事なんだ」 「はい」 「最近、よく気を失ったりしているのもそのせいなのかな」 「間違いありません」 「特に二、三日前から頻繁になっている……」 「冷酷な言い方かも知れませんが、あなたもまた巫女の魂を持つ器でしかないのです」 (そういえば私は器だと言われていたっけ) 「ですから現状を維持し続けながら、組織と戦うことが最善だと考えます」 「一郎くんや修二くんに手伝ってもらえばいいよ。そうすれば少しは冬馬先輩達の負担が軽くなるはずだし」 (きっと同じ目的のはずだもん) 「彼らは彼らのやり方があるようです。相容ない関係なのでしょう」 「でも……」 「特に僕は嫌われてしまっているようですから」 (一郎くんも修二くんもどうにかならないのかな) 「このままじゃ絶対良くないよ」 「良い、良くないの問題ではありません。それよりあなたは自身の心配を一番にするべきです」 「私の心配?」 「お母様がかけた暗示はほぼ解けています」 (まだ小さい頃に使っていた力の事は思い出せないけどな) 「そのために勾玉が施した封印も弱まっています」 冬馬先輩は私を真っ直ぐ見つめる。 大切なことを伝えたいという気持ちが伝わってくる。 「あなたが自我を保つためには取り込まれないという強い意志が必要です」 「……うん」 「これ以上の力を欲してはいけない。これだけは絶対に忘れないでください」 「憶えておくよ」 多分、私に釘を刺すために色々話してくれたに違いない。 一番言いたかったのは、もっとしっかりしろって事だろう。 (力を欲してはいけない、か) 「先輩。最後にあと一つだけ、質問していいですか」 「はい」 ここ最近、急に私の中でくすぶっている疑問。 それを冬馬先輩に投げかける。 「冬馬先輩はどうして命を懸けてまで私を守ってくれるの?」 「それは何度もお話したはずです」 「亡くなったお母さんから頼まれたから……」 「はい、そうです」 「約束だけで……命まで懸けられるものなのかな?」 「はい。獣のような僕を変えてくれた恩はそれくらいでしか返すことはできません」 冬馬先輩は無表情のまま断言した。 いつもと変わりない淡々とした様子なのに、なぜか突き放されたような気持ちになる。 (やっぱりそうだよね……) お母さんから頼まれたからだと言い切った先輩。 心のどこかで期待していたものが崩れていく。 「へ、へんな事を聞いてごめんなさい」 「いいえ」 (私のため……そんな訳ないのに) 私のためだと言ってくれると淡い期待を抱いていた。 でも本当のところは守ってくれるのも親切にしてくれるのもすべて約束したから。 それ以上の感情なんて抱いてくれていない。 主だとかしずかれ、守られているうちに勘違いしてしまったみたいだ。 (馬鹿みたいだな、私) 命懸けで守ってくれているからと自惚れいてた。 ナイトに守られるお姫様気分で舞い上がっていたのだ。 「たくさんお話してくれてありがとうございました」 「愛菜にとって少しでも有益になればいいのですが」 「うん。色々わかったよ」 「それはよかったです。では僕はこれで失礼します」 「あっ……」 (一人だし一緒に夕食を……) そう思ったけれど言葉に出来ない。 「何かまだお話した方がよろしいですか」 「あ、ううん、何でもないよ。もう大丈夫」 「そうですか」 私は冬馬先輩を玄関まで送る。 「ありがとうございました」 「こちらこそお邪魔しました。失礼します」 冬馬先輩は抑揚の無い言葉で締めくくるとドアを閉めて帰っていった。 「行っちゃった……」 静まり返った家に私の声だけが響く。 本当は不安だからもう少し一緒に居て欲しかった。 (一緒に居て欲しいと言えば……居てくれたんだろうな) 冬馬先輩は私のお願いならなるべく叶えてくれようとしてくれる。 それが無茶な事でもだ。 だから面白くて無理なお願いを頼んだこともあった。 前ならもう少し一緒に居て欲しいなんて何のためらいも無く頼んでいただろう。 (なのに今は……言いたい事がどんどん言えなくなってる) 持て余し始めた自分の気持ちを切り替えるために、二階に戻って勉強の続きをする。 さっきの石は引き出しの中に閉まって、シャープペンに持ち替えた。 ゆっくり時間かけて何とか数学の課題をすべて終える。 両手を挙げて伸びをしながら外を見ると真っ暗だった。 「……もうこんな時間」 もう午後10時を過ぎていた。 食欲は無いけ少しでも何かお腹の中に入れておかないといけない。 キッチンに降りて戸棚にあった菓子パンを開ける。 大好きな生クリームが入っているのに、砂でもかんでいるように味気なかった。 「ごちそうさま。さて、次はお風呂に入らなくちゃ」 (少し肌寒いけど、シャワーでいいや) 一人だとものぐさになるのか、何でも簡単に済ませてしまう。 春樹に呆れられるほどの長風呂なのに一人だとお湯を入れるのすら億劫になる。 早々にシャワーを浴びて寝巻きに着替えた。 「昔はよく一人で留守番してたな」 お父さんの帰りが遅いとき、よく一人で留守番した。 両親が再婚してから春樹と一緒だったから一人ぼっちがほとんど無くなった。 久しぶりの留守番だからか、以前よりずっと寂しく感じる。 最後に火の元と戸締りを確認していく。 (もう寝ようかな) 自室に戻って、布団に入る。 「おやすみ、ちはる」 まだチハルはピクリとも動かない。 私はゆっくり瞼を閉じた。 徐々に意識が遠のいて、また闇の中に落ちていく。 ・ ・ ・ ここはどこだろう。 木で出来た大きな神殿の中に私は居る。 (奈良や京都の修学旅行でこんな建物を見たな) すると私の目の前に埴輪のような格好をした男の人が現れた。 「もう旅の準備はできたかな、壱与」 (この髪型、みづらって言うんだけっけ) 長い髪の毛を耳の所でぎゅっと結んだ独特の髪型が目を引く。 でも埴輪みたいにかわいければいいけど、目の前の男の人は髭のおじさんだ。 「壱与はいきたくありません」 鈴を鳴らしたようなかわいらしい声の女の子。 姿は見えないけどすぐ近くに居るようだ。 「そうごねるな」 「ごねてなどいません」 「これはすでに決まっていることなのだ。お前には何度も話しただろう」 「壱与が行かなければ……民が飢え死にしてしまうのでしょう」 「そうだ。先の川の氾濫で田畑は土砂に埋まってしまった。大和の国の援助無しでは大勢の犠牲が出る」 「だからといって、なぜ壱与が大和の国に行かなくてはなりませんの?」 「政とはそういうものなのだ」 ここまでの会話でようやくこの女の子の声が自分自身から発せられていることに気付く。 私の意志とは関係なく話が進んでいく。 意識だけは別にあって、まるで幽霊にでもなったみたいだ。 きっとまた変な夢の中に迷い込んでしまったんだろう。 「お父様ほどの方が人間ごときの言いなりにならないでください」 「壱与!」 「食べるものに困っているのであれば奪ってしまえばよいのでは? わたくしたちにはその力があるのですから」 「止めないか、壱与。安易に力を使えばまた人との軋轢を生むだけだ」 「ですが、お父様」 「我が祖先は人と共に暮らすことを選んだのだ。奪う方が簡単かもしれないがその後に禍根を残す。 遥か昔のように人を食らっていた頃とは違うのだ」 「でも!」 「そのような誤った考えはすぐに捨てなさい」 どうやら父と娘が言い争っている最中らしい。 私には止めることは出来ないようだし、このまま傍観し続ける。 「お父様は壱与が居なくなればいいとお思いなんだわ」 「何を言い出すのだ」 「だったらこのお話は無かったことにしてください」 「それは出来ない。もう決まったことなのだ」 「お父様!」 「まだお前は小さい。だがその肩にはすでに沢山の荷を負っている。それが王女というものだ」 「もういいです。壱与を嫌いになってしまわれたから、遠くに追い出すのですね」 目の前が滲んでいく。 きっと泣いているに違いない。 (お父さんの言いたい事が娘に伝わってないんだ) 話し方はしっかりとして大人びているけど、顔を覆う手のひらはまだ小さい。 私よりずっとずっと小さな子供だと分かる。 こんな小さい子には理解できない難しい話なのかもしれない。 「馬鹿者が。たった一人のかわいい娘を嫌いになどなるものか」 そう言うと、父親は娘をギュッと抱きしめる。 (く、苦しい) 頼りがいのある両腕で抱かれている感覚が女の子越しに伝わる。 そして同時に全身が暖かくなった。 力強い何かが体に流れ込んでくる。 「お父様……これは」 「私の力をお前に託そう」 「それではお父様が……」 「もし身の危険が迫った時はその力を使って生き延びるのだ。わかったな」 「……でも」 「遠くに行っても決してお前は一人ではない。寂しくなったら故郷を思い出すのだ」 「この出雲を……」 「与えられた責務を果たし、またここに帰って来なさい」 「わかりました」 「さぁ、顔を上げて胸を張るのだ。大和から迎えの者が来る前に卑女と旅の支度を済なくてはならないからな」 (もう大丈夫そうだね) 意識が浮上していく。 どうやら目覚めが近づいているようだ。 (よくわからない夢だったけど、女の子には頑張って欲しいな) 私はまばゆい白に包まれた。 自分の存在が掻き消えてしまほどの光の中に入っていく。 ・ ・ ・ 「ここは……自分の部屋だよね」 見慣れた天井をぐるっと見回す。 (何か夢を見ていたと思うんだけど) なぜか懐かしさだけが残っている。 でも綺麗さっぱり忘れてしまった。 (前まで夢を覚えていることが多かったのにな) 私はベッドから出て大きく伸びをする。 外からザーザーと音が聞こえる。 カーテンを開けると、重く暗い空が広がっていた。 (今日は雨か。……あれは) 雨の降りしきる中に人影を発見する。 電柱の影に傘もささないで誰かが立っている。 どしゃ降りのせいであまりよく見えない。 以前、組織の人達に襲われた事もあるし私はとっさに身を隠す。 視界の悪い中、窓の端から必死で目を凝らす。 (あの人は……) 見覚えのある制服と髪型。 昨日別れた後ととまったく同じ姿で電柱にもたれ掛ってジッとしいる人物。 (冬馬先輩だ) 私を迎えにきてくれたのだろうか。 先輩は傘もささないで制服のまま大雨の中にいる。 (って……あんな格好してたら濡れて風引いちゃう!) 私はパジャマのまま、階段を駆け下りていく。 傘だけ握り締めてサンダルを履き、外に飛び出す。 「先輩、冬馬先輩ですよね」 さっき見た場所に向かって走ると、私に気付いたのか人影がゆっくり動く。 近づいて確信する。 やっぱり冬馬先輩だ。 慌てている私とは対照的に先輩はいつも通り落ち着いていた。 「おはようございます、愛菜」 「挨拶は後です先輩。傘ささないと濡れちゃいますよ!」 「僕は大丈夫です」 (僕は大丈夫?) 意味が分からないまま、先輩に傘を渡す。 そしてようやく気付いた。 冬馬先輩の髪の毛も制服も全く濡れてない。 受け取った手や腕を見ても、乾いたままだった。 「濡れて……ない」 「僕の力は水を操ることです。雨も例外ではないので」 「そ、そうなんだ」 足元を見ると先輩を避けるように水溜りが歪んでいる。 (そういえば水竜の力だって言ってたっけ) 「それよりもあなたの方が大変な事になっています」 「私……?」 「愛菜がびしょ濡れです」 「……ハ、ハクシュン」 冷静になって急に寒さを覚えた。 焦っていたから自分の傘を忘れて出てきてしまったようだ。 「あはは……私って慌て者だね」 「愛菜、早く着替えないといけません」 「そ、そうだね」 (一人で焦って慌てて……何やってるんだろ、私) 冬馬先輩に連れられて家に戻る。 傘はずっと冬馬先輩が持っていたのに、それ以上濡れることはなかった。 きっと冬馬先輩の力で私も濡れないようにしてくれたんだろう。 玄関の中に入って、私は立ち止まる。 (このままじゃ、廊下が濡れちゃうな) 「先輩、悪いんですけどタオルを持ってきてもらっていいですか?」 「どちらにありますか?」 「あの扉が浴室と脱衣所です。入ってすぐの籠の中に入ってます」 「わかりました」 靴を脱いで上がると、扉の中に入っていく。 しばらくすると扉が開き、先輩が出てきた。 「こちらでよろしいですか?」 「うん、ありがとう」 先輩に数枚のタオルを手渡され体を拭く。 濡れたパジャマを着たままだから、なかなかうまく拭けない。 「僕が上手く力を使えればいいのですが、乾かす事は難しいのですみません」 「そうなの?」 「恐らく吹き飛ばせますが、水分を含んだ服まで粉々になってしまうかもしれません」 「そ、そうなんだ」 「ですから力を使うのは止めておきます」 「気にしなくていいよ。着替えれば済むだけだから」 「ですが愛菜が寒そうです」 「いいよ。私が勝手に濡れただけだもん」 「愛菜、少し震えています」 「これくらい平気だよ」 本当はすごく寒い。 けれど私が一人でドジしただけだから先輩を責めることなんてできない。 「愛菜、一つタオルを貸してもらっていいですか」 「どうぞ」 言われるまま私は持っていたタオルを一枚、先輩に渡した。 すると目の前に白いものがフサッと被さってきた。 タオル越しに優しく触れてくる指の感覚。 先輩が私の髪の毛をいたわるように拭き取ってくれている。 「あ、あの、先輩」 「お手伝いします。痛いようなら言ってください」 「い、痛くないよ」 「よかった。力を使えない僕にはこれくらいしかできないので」 「私、冬馬先輩にまた迷惑をかけちゃったかな」 「愛菜の事を迷惑だと思ったことはありません」 「ありがとう、先輩」 優しすぎる指先が少しくすぐったい。 そしてまたドキドキしてしまう。 「僕は愛菜の役に立てているのでしょうか」 「もちろんだよ」 先輩の顔をタオルの隙間から覗く。 いつもより穏やかな表情。 そう見えるのが気のせいじゃなければ嬉しいのだけど。 「あなたは自分の身を省みず僕を助けようとしてくれた。とても嬉しかったです」 「私って焦ると周りが見えなくなって。春樹や隆にいつもからかわれてばかりなんだよ」 「からかわれるのはきっと愛菜がかわいいからです」 「え……」 (今、私をかわいいって言ったよね) 「その人柄のせいでしょうか。僕も親しみを覚えたり、かわいいと感じてしまう」 「わ、私なんて平凡なばっかりだよ」 「少なくとも僕には愛らしいと思えます」 「……そ、そうかな」 「一人の女性としてもあなたは十分魅力的です」 「そんな事初めて言われたよ……」 「この濡れた髪一つとっても絹のように艶やかで美しいです」 先輩は私の濡れた髪をそっとすくい上げて呟く。 「僕自身よくわからない。何なのでしょうか、この感情は……」 「あ、あの……」 手を止めて考え込む先輩に私は何も言えなくなる。 体は冷え切っているけれど、顔だけは熱く火照ってきた。 「愛菜は神に選ばれた唯一無二の存在だと承知はしているのですが」 「そんな大げさなものじゃないよ」 「あなたに自覚が無いだけです」 「すごい人って言われても本当によくわからないから」 「僕も全霊をかけあなたを守ります。愛菜は自分らしさを失わないでください」 「は、はいっ」 「もう少しジッとしていてください。暴れられると拭けません」 「ご、ごめんなさい」 (なんだか……恥ずかしい) 消え入りたい気持ちになる。 言葉のまま素直に受け取ってしまうと、また自惚れてしまう。 ドキッとする事を真顔でいうからまた勘違してしまいそうだ。 「も、もう大丈夫です。ありがとうございました」 「わかりました」 「先輩は家の中に入っていてください」 居たたまれなくなって私は逃げるように家の中に入る。 これ以上一緒に居ると顔が赤いのが先輩に分かってしまう。 私は廊下をダッシュして浴室のある部屋のドアを勢いよく閉めて鍵をかける。 (はやくシャワー浴びよ) 水分で重くなったパジャマを脱いで、シャワーを浴びる。 いつもより熱いお湯を頭から被った。 (私、もしかして先輩のことが……) 先輩の事が気になるのも、がっかりしたり嬉しくなったりするのも。 胸が痛くなったり嬉しくなったりするのも。 この答えで全部説明できてしまう。 (でも先輩はお母さんとの約束を守っているだけ) 冬馬先輩ははっきり言った。 それはもう疑いようがない事実だ。 (今はあまり考えないようにしよう) 私はシャワーのコックを捻って止める。 体を拭き、置いてあった部屋着に着替えてドアを開ける。 「愛菜」 後ろから話しかけられて振り向くと、すぐ目の前に先輩が居た。 私は身構え半歩下がる。 「先輩。な、何かな」 「時間がありません」 「時間?」 「はい。このままでは遅刻してしまいます」 私は一番近くにある居間まで行って時計を確認する。 すぐに家を出ないと間に合いそうに無い。 「私、着替えてきます。先輩は一足先に行っててください」 二階に上がって大急ぎで制服に着替える。 携帯と鞄を持ってバタバタと階段を下りると、玄関で先輩が立っていた。 「冬馬先輩どうしてまだ居るの?」 「愛菜を待っていました」 「先に行っててよかったのに。先輩まで遅刻してしまうよ」 「急げば間に合います。行きましょう」 「うん」 先輩は何も持たずそのまま外に出ようとする。 「ちょっと待って、先輩」 「はい」 「振りだけでもいいので、これをさしてください」 お父さんが使っていた予備の傘を先輩に手渡す。 冬馬先輩は傘を暗い空に向かって広げた。 「これでよろしいですか」 「うん、大丈夫。雨の時は傘を差さないと変った人に見られてしまうからね」 「わかりました」 「じゃあ急ごう。猛ダッシュでね」 玄関の鍵を閉めるのを待っていたように、先輩が私の手を握る。 一瞬ドキッとしたのも束の間、冬馬先輩にズルズル引きずられる。 「せ、先輩」 「愛菜が言うように走らないと間に合いません」 「わかったよ」 (冬馬先輩についていかなくちゃ) 先輩のおかげで雨が勝手によけてくれるから大分走りやすい。 けど傘を差したままは晴れのようにはいかない。 すごく疲れるし、道が悪いせいか何度も足がもつれそうになる。 「この速度を維持すれば学校の始業に遅れないで済みます」 「結構、速いね」 段々息も上がってくる。 かなり走ったところで、赤信号に捕まった。 「はあ……はあ……」 「愛菜、苦しそうですが大丈夫ですか」 「うん……へい……き」 「そうですか。あと少しですのでがんばってください」 青になると先輩はまたすごい勢いで走り出す。 私は遅れないように必死で付いて行った。 「ここまで来れば大丈夫でしょう」 学校の少し前で先輩はようやく勢いを緩める。 相当走ったのに、息は全くといっていいほど上がっていない。 「あ……ありがとう。先輩の……おかげだよ」 私はすでにクタクタで学校までに体力を使い果たしてしまった。 「僕は何もしていません。愛菜の頑張りで間に合ったのです」 先輩はそう言うと、手を握ったまま歩き出す。 (あっ、この手……) 「あの先輩」 「何でしょうか」 「手を……」 「手ですか」 「手を離して……ほしい」 冬馬先輩は私とつないだ手をジッと見る。 そしてゆっくと手を離した。 「これでよろしいですか」 「うん」 私達は校門をくぐり校庭までやってきた。 「それじゃ冬馬先輩、ここで」 「はい」 「昨日約束したとおり、放課後は三年生の方へ手伝いに行きますから」 「ではあなたの教室まで迎えに行きます。待っていてください」 「うん。お願いします」 それぞれ別々の下駄箱へ歩き出す。 私は傘を持っていない方の手を見つめる。 (まだ先輩と握っていた感触が残ってる) 冬馬先輩はきっと何とも感じていないのだろう。 私だけが強く意識してしまっている。 (急ごう。ホームルームに間に合わなくなる) 私は急いで教室に向かった。 教室には隆も一郎くんも香織ちゃんもいる。 席についたと同時にチャイムが鳴った。 その後は普段どおりの授業を受けていく。 そして昼休みになった。 昨日から考えていたことを行動に起こす。 「少しいいかな、一郎くん」 皆がご飯を食べ終え、教室で談笑したりしている。 その中で一人本を読みふけっている一郎くんに話しかけた。 「どうした大堂」 「昨日、冬馬先輩から色々聞いたよ」 一郎くんは読みかけの本を机に置く。 ずいぶん難しそうな本だ。 「それで君はあいつと一体何を話した」 冬馬先輩の名前で一郎くんの眉間に皺が寄っている。 やっぱり相当嫌っているみたいだ。 「一郎くんと修二くんが鏡って呼ばれていること。私が巫女の生まれ変わりって事も話したよ」 「そうか」 「あと私の能力や組織の事も少し分かったよ」 「よかったな。ずっと知りたがっていた事だろう」 「私の力の封印を解くには鏡も必要だって教えてくれた」 「それであの男に封印を解いてもらえと促されたのか」 「ううん、逆。力を求めるなと釘を刺されたくらいだよ」 「そうか」 一郎くんの眉間が少し緩む。 「私が私でなくなる可能性があるからだって」 「その通りだ。神器が封印を解いていけば大堂は無事では済まないだろう」 「でもそれって大丈夫な可能性もあるってことだよね」 「確かに可能性はある。だが、俺も神器の封印を解く事は薦めない」 やっぱり冬馬先輩と一郎くん達は目的が一緒なのかもしれない。 「でもこのままじゃ……」 「それで大堂は俺に何を言いに来た。あいつと共闘しろというのか」 「ううん、違うよ。私に協力して欲しい。子供の頃に持っていたっていう力を元に戻したいんだ」 (守られるばかりじゃ嫌だから) 「元の力を戻すだけなら自我を失う可能性は低いが」 「だったらその方法を教えて」 「封じた勾玉の力が必要だ。だが俺も勾玉は誰だか特定できていない」 「そっか。もしかしたら一郎くん達なら知っているかもと思ったんだけど」 (残念だな) 「ただ方法が無いこともない」 「え? 本当に?」 「君の母親が記憶を消したように、大堂の記憶を探り出せば勾玉が特定できるかもしれない」 「それは……」 「子供の大堂は勾玉に会っているはずだ。その記憶を思い出せば誰だか分かるかもしれないな」 「なるほど。でもどうやって?」 「退行催眠、平たく言えば暗示の一つだ。上手くいくかは分からないがな」 (お母さんみたいに暗示をかけられる人か) キーンコーンカーンコーン 話の途中でチャイムが鳴る。 「少し希望が出てきたよ」 「そうか。これは忠告だがあの男に深入りするな」 「うん、ありがとう」 (やっぱり一郎くん達と冬馬先輩の溝は深そうだな) どうにか和解できればいいのだけど、今は無理そうだ。 私が間に入っても昨日のようになるだけだろう。 午後の授業が終わって片づけをする。 文化祭も間近に迫ってきたから、みんな慌しくしている。 「おい、愛菜」 教室のドアに居た隆が私を呼んだ。 「何?」 「お前にお客さんだと」 廊下には冬馬先輩が立っている。 約束どおり迎えに来てくれたようだ。 「ありがとう。今行く」 教科書を入れた鞄を持つと、教室を出る。 そこで腕を掴まれた。 「ちょっと待て、愛菜」 「どうしたの? 隆」 「春樹は戻ってきたのか?」 隆は小声で尋ねてくる。 「ううん、まだ。学校には風邪ってことにしてあるけど」 「アイツ、本当に行っちまったのか」 「わからない。けど昨日も戻ってこなかったよ」 「春樹の奴、昨日の電話からして本気なのかもな」 「心配だし早く帰ってきて欲しいんだけどね」 (隆も心配だよね) 隆はふぅとため息を吐く。 「まぁどうにかなるだろ。あれでしっかりした奴だからさ」 「うん」 「お前がそんなんでどうする。一応姉なんだろ」 私の顔を覗きながら、隆が苦笑する。 きっと今の私は笑ってしまうほど暗い顔をしているのだろう。 「何かあったらすぐに連絡するね」 「ああ、いい連絡待ってるぜ。それより御門先輩待たせてるんだろ」 「これから三年の手伝いに行くんだ」 「そうか。引き止めて悪かったな」 「ううん。ありがとうね、隆」 私は隆に手を振る。 すると冬馬先輩がゆっくり私に近づいてきた。 「隆さんとお話されていたのですね」 「うん、春樹のことを心配していたよ」 「春樹さんは必ず助け出します」 「よろしくお願いします。でも今は三年生のお手伝いでしたよね」 「はい。では行きましょう」 三年の有志による文化祭の出し物を手伝いに行くらしい。 冬馬先輩が気晴らしに提案してくれた。 後輩の私が三年生ばかりの場所に行くのは、正直気晴らしどころではない。 「ここです」 空き教室に先輩は入っていく。 私は小さくなりながら冬馬先輩の影に隠れて後を追う。 中には数人居て、生徒達が書類の整理をしていた。 その中の一人が冬馬先輩を見つけると近づいてきた。 「よう御門。手伝いの後輩を連れてくるって言っていたが、それがこの子か」 三年生の男子生徒が冬馬先輩に尋ねた。 「二年の大堂愛菜さんです」 「よ、よろしくお願いします」 私はお辞儀をして挨拶をする。 きちんと話したつもりだったのに声は蚊が鳴くように小さくなってしまった。 「そんなに緊張しなくていいさ」 「……はい」 「うちは進学校だから集まった三年はたったこれだけしか居ないんだよ」 教室全体を合わせても20人にも満たない。 「三年生の有志が集まったって教えてもらいました」 「推薦で内定もらってる奴や進学を諦めた奴、あとお祭り好きくらいだからな。まぁ暇人たち集まりだ。 まず書類の整理をした後、雨の中で申し訳ないけど御門と買出しに行ってくれるかな」 「わかりました」 プリントを一枚一枚取って冊子を作っている最中のようだ。 印刷には学年と組、そして出店の種類とメニューが書いてある。 「その紙はメニュー表だよ。うちはレストランをやるんだ」 「そうなんですか」 「といっても他所が出店したメニューをただデリバリーするだけなんだけどな」 さっきの男子生徒が教えてくれる。 きっと中心人物の人なのだろう。 「うちの文化祭には子供やお年寄りも来る。そういう人が休憩もできる場所も必要だからと思ってね」 「いい考えだと思います」 「50円頂いて代わりに買ってくるってシステムなんだ。 そして集めたお金は少ないかもしれないが学校の運営に使ってもらうつもりだ。君達後輩のためにね」 (三年生は春には卒業だもんね) 三年生の多くは受験のために冬には自由登校になる。 これから先、先輩達の姿を見ることは少なくなるだろう。 しばらく与えられた作業に没頭する。 そうしている内に中心で指揮をとっていた人が教室を出ていった。 「そういえば御門くん。今朝、連れて来た後輩の子と登校してなかった?」 そのタイミングを見計らっていたのか、ホチキス止めをしている女子生徒が冬馬先輩に話しかけてきた。 「はい。愛菜と登校しましたが何か」 「やっぱり? 手を繋いでたし、下の名前で呼ぶって言うことは……やっぱりそういう事?」 女子生徒は身を乗り出して冬馬先輩に尋ねている。 いかにも興味津々という感じだ。 「そういう事とはどういう事でしょう」 「そんなの彼氏と彼女、恋人同士に決まってるじゃない」 「だよねぇ」 別の女子生徒も加わって何だか盛り上がっている。 (冬馬先輩……大丈夫かな) 私は心配になりながら見守る。 「勘違いされているようですが、僕と愛菜はそのような関係ではありません」 「えーそうなの?」 「じゃあ二人はどんな関係?」 女子生徒からさらに追求されている。 このままでは話がややこしくなりそうだ。 「愛菜は僕の主です」 (と、冬馬先輩……) 嫌な予感が的中する。 どうすればいいのか判らず助け舟を出すことも出来ない。 「あるじ? 何それ」 「まさか執事とかがご主人様~っていうやつ?」 女子生徒達は顔を見合わせる。 そして大笑いする。 「御門くんってやっぱり変だよね」 「ウケる。その返し斬新すぎ」 私はホッと胸をなでおろす。 どうやら冗談だと受け取ったようだ。 「じゃあ後輩ちゃんに聞くだけだし。ええっと大堂さんだっけ」 「は、はい……」 「転校して間もない御門くんとどうやって知り合ったの?」 「二人はやっぱり付き合ってるんだよね」 冬馬先輩では話にならないと判断したのか、今度は私に話を振ってきた。 「ええっと……」 本当のことなど言えるはずもなく、私は口ごもる。 「教えてよ。ねぇねぇ」 「言うの嫌? 別に減るものじゃないしいいでしょ」 「隠すことないじゃん」 (ど、どうしよう) 「愛菜、行きましょう」 冬馬先輩が私の手を掴む。 「と、冬馬先輩」 「僕達は買出しに行ってきます」 そう言って冬馬先輩は教室を出て行こうとする。 「ちょっと待ってよ」 「まだ話が終わってないんだから」 女子生徒達が止めに入ろうとした瞬間、その内の一人が飲んでいた缶ジュースが倒れた。 飲みかけのジュースがみるみる机に広がっていく。 「わっ!」 「何やってんの。せっかくのパンフが濡れるじゃない」 「ごめん、早く雑巾貸して」 「もっと雑巾いるかも。バケツも持ってきて」 教室中がちょっとした騒ぎになってしまった。 「今のうちです」 「うん」 冬馬先輩に手を引かれ、教室を離れる。 しばらく走って、私は立ち止まった。 「ここまで来れば大丈夫かな」 「はい」 「あの騒ぎ……もしかして冬馬先輩の仕業なの?」 「そうです」 「やっぱり……」 倒れたとき、誰も缶には触れていなかった。 窓も閉まっていて風も無いのに勝手に倒れたのを見た。 冬馬先輩が力を使った以外、考えられなかった。 「缶の中に入っていたジュースに少し力を加えました」 「先輩の力って水以外もいいんだ」 「はい。液体なら大体いけると思います」 (私が困っていたのは確かだけど……) 「学校で力は使わないでください」 「周防にも以前同じことを言われました」 「周防さんは冬馬先輩が心配だから言ったんだと思うよ」 「はい」 「私も心配だよ。だから極力使わないって約束してください」 「わかりました」 「でも……助けてくれたのは嬉しかったよ。ありがとう、冬馬先輩」 (私のために使ってくれたんだもんね) 私達は靴を履き替え、校門で待ち合わせる。 お父さんが使っていた傘を差した冬馬先輩がやって来た。 「ここに預かった買出しリストがあります」 冬馬先輩は紙を私に見せる。 「ガムテープとメモ帳、紙コップと割り箸とパーティーモールと折り紙とクリアファイル。 100円ショップでいけそうだね。この道を抜けた大通りの先にあるよ」 店の場所を知っている私の先導で歩いていく。 先輩はすぐ横を歩いている。 「ところで先輩はどうして文化祭に参加しようと思ったんですか?」 あまり他人に興味のなさそうな先輩がわざわざ参加する理由がわからなかった。 三年生には全く参加しない人の方が多い。 性格的にもお祭り好きからはほど遠いのに。 「それは愛菜に言われたからです」 「私?」 (私、何か言ったっけ) 「この前、学校はいい所だから他人とも関わりを持ったほうがいいと教えてくれました」 (あっ、そういえば) 私がクラスの出し物の準備をしている時、冬馬先輩が手伝ってくれた。 その時に言った気がする。 「思い出したよ。それで参加することにしたの?」 「偶然同じクラスの者が参加者を募っていたので始めることにしました」 「さっき説明してくれた人?」 「はい」 「それでどう? 参加して良かった?」 冬馬先輩はしばらく考える。 「正直、参加して良かったのか分かりません」 「そうだよね。まだ準備だけだし」 「先ほどの女子のように文化祭とは関係の無い詮索をしてくる者もいます」 「色々な人がいるのが学校だから」 「ですが悪くないとも思えます」 「どういう風に悪くないのかな?」 私の質問にまた先輩は考える。 「文化祭が近づくにつれ学校全体が活気付いています。皆が成功させようと一つになっている」 「そうだね。私も成功させたいし」 「そういった空気も活動に参加していなければ気付かないままでした」 先輩なりに何か掴みかけているのかもしれない。 「うまくいくといいね、文化祭」 「はい」 「それにはまず買い物しないとね」 話しているうちに100円ショップに着いた。 私達は沢山並ぶ品物の中から必要な物を探していく。 店員さんに尋ねながらなんとか目当てのものを見つけていった。 「これで全部揃ったかな」 「はい」 冬馬先輩の両手のかごには品物が一杯入っている。 「結構な荷物になっちゃったね」 「お金は僕が預かっています。会計を済ませてしまいましょう」 「そうだね」 レジに行く途中、小物売り場で気になる髪留めを見つけた。 月と星の飾りのついたシンプルだけど素敵なヘアピンだ。 「これ、いいかも」 「気に入ったのですか?」 「うん。前髪が目に掛かるし、買っていこうかな」 「ではこれは僕が払います」 「いいよ。私のものだし100円くらい持ってるから」 「手伝って頂いている御礼です」 冬馬先輩は私が持っているヘアピンを取るとレジに向かってしまった。 私はその後を付いて行く。 文化祭に必要な物には領収書を書いてもらった。 私が買おうとしていたヘアピンは結局冬馬先輩が払ってしまった。 「お待たせしました。こちらが愛菜のです」 私は小さな袋を手渡される。 「本当にいいの?」 「贈るならばもっと上等なものでなくてはいけませんが」 「ううん、十分だよ」 誕生日でもない日のプレゼントなんて数えるほどしか貰ったことがない。 特別の日でないからこそ特別な感じがする。 (なんでだろう。すごくうれしいな) 店を出た軒下で、私は買ったばかりのヘアピンを髪につける。 「どうかな」 「少し曲がっています」 先輩の手が静かに伸びてくる。 長い指の綺麗な手がすぐ目の前にある。 「直りました」 「うん、ありがとう」 「愛菜自身が選んだだけあってよく似合っています」 「えへへ」 思わず照れ笑いをしてしまう。 先輩も心なしか満足そうだ。 「では行きましょう」 そう言った冬馬先輩は片手に傘をさし、もう片方の手にすごい量の買い物袋を持っている。 「ちょっと待って冬馬先輩」 「どうかされましたか」 「荷物たくさんあるし、半分持つよ」 「重いので僕が持ちます」 「二人でお使いに来たのも荷物を持つためだと思うよ」 「僕は平気です」 「でも……」 (持つって言っているのに……) 「あなたに荷物を持たせる訳にはいきません」 「気にしないで。私だってそれくらいなら持てるから」 「いいえ、駄目です」 (頑固だなぁ) 「じゃあ私の傘に冬馬先輩が入ってください。そうすれば両手が使えるから」 「愛菜の傘にですか?」 「うん。どうぞ」 私は先輩に向かって傘を差し出す。 すると先輩は素直に傘を閉じて私の方に入ってきた。 「ちょっと狭いかな」 「いいえ、大丈夫です」 「じゃあ行こうか」 冬馬先輩が力を使っているのか、濡れることはない。 歩幅が違うけれど、冬馬先輩が私に合わせてくれている。 「愛菜、腕が疲れませんか」 「平気だよ。私より冬馬先輩の方が大変だもん」 身長差がある分、私が腕を上げないと冬馬先輩が屈まなくてはいけなくなる。 そうならないよう気を使いながら歩いていく。 「今まで気づきませんでしたが、愛菜は小さいのですね」 「冬馬先輩は普通より背が高いしね」 「愛菜はもっと大きいと思っていました」 「そうかな? 私は平均的な身長だよ」 「神に選ばれた特別な存在だから実際よりも大きく感じていたのだと思います」 「私はごく普通の高校生だよ」 こうやって冬馬先輩がすぐそばに居るだけで緊張する。 すごい人だったらこんな些細な事で鼓動が早くなったりはしない。 「僕もただの高校生でいる事が許されるのでしょうか」 「制服を着て文化祭の準備もして、冬馬先輩はどこから見てもただの高校生だよ」 「見た目はそうですが」 「そうだ。冬馬先輩も普通の高校生になればいいんだよ」 「どういう事でしょう」 「力を使わなければいいんじゃないかな」 「でもそれでは愛菜が濡れてしまいます」 「構わないよ。傘も差してるし」 「本当に大丈夫でしょうか」 「一度頭を空っぽにして挑戦してみて」 「では失礼します」 先輩が言った途端、雨が私と冬馬先輩の肩を濡らし始める。 私が思っていた以上に、強い雨が降っていたようだ。 「つ、冷たい!」 「すべての力を解きました。これで僕はただの高校生です」 「ふふっ。少し冷たいけどこの方がいいよ」 「そうでしょうか」 「これが素の冬馬先輩なんだね。いいんじゃないかな」 「はい」 「冬馬先輩の肩、濡れてるよ。もっと傘に入らないと」 「愛菜も濡れています。僕の方へ寄ってください」 二人で身を寄せ合って、小さな傘に無理やり収まろうとする。 けれどお互い遠慮があるのか上手くいかない。 肩だけじゃなく足元にまで雨が染みてくる。 そんな状況なのに、不思議と不快には感じなかった。 「愛菜、楽しそうです」 「どうしてだろう。すごく楽しいんだ」 「僕も嫌ではないです」 「だよね。雨って案外いいものなのかも」 憂鬱で嫌いだった雨なのに傘を叩く音が心地いい。 お互い触れ合う場所は、その温かさまで伝わってきた。 子供の頃に感じたワクワクと先輩に対してのドキドキが一度にやってくる。 自然と笑いがこみ上げてきた。 「ふふっ。こんな雨だし私達しか歩いてないよ」 「まるで僕達だけの世界のようです」 「本当だね」 「愛菜は特別な力など使わなくても、雨の鬱屈した世界まで一変させてしまうのですね」 「何か言った?」 「いいえ。もう少しで学校です、急ぎましょう」 「うん!」 私達は駆け足で学校へと戻っていった。 次へ[[冬馬631~640]]

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