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 高槻市役所ホームページをいろいろ見て回っていると、
 知らないことがたくさん出て来ます。
 例えば高槻市って京都市と境を接しているとか、
 市の歌があったこととか。
 
 以下すべての情報元は高槻市役所HPより引用です。
 
 **地理情報
 面積:
 105.31平方km(東西10.4km 南北22.7km)
 
 隣接:
 北 京都府亀岡市、京都市西京区 (北摂連山) 
 南 摂津市、寝屋川市 (淀川) 
 西 茨木市(安威川、平地) 
 東 島本町(山間部)、枚方市(淀川)
 
 市域の変遷:
 |S18年1月1日|市制施行|64.30|
 |S23年1月1日|阿武野村合併|…|
 |S25年11月1日|五領村合併|…|
 |S30年4月3日|三箇牧村合併|…|
 |S31年9月30日|富田町合併|86.83|
 |S33年4月1日|樫田村合併|104.51|
 |S34年4月1日|茨木市との境界変更|104.51|
 |S34年10月1日|茨木市との境界訂正|104.84|
 |S39年10月1日|摂津市との境界訂正|104.95|
 |S48年4月1日|島本町との境界変更|104.95|
 |S52年4月1日|摂津市との境界変更|104.95|
 |S63年10月1日|建設省国土地理院の改測による修正|105.31|
 ※資料:都市産業部都市政策室
 
 
 **市民憲章
 ■前    文
  わたくしたちのまち高槻は、北は景勝摂津峡をいだく北摂連山につつまれ、
 南は淀川の豊かな流れに臨み、平和な風土に恵まれています。
  わたくしたちのまち高槻は、祖先の心をしのばせる遺跡・史跡をはじめ、
 多くの文化財をもつ由緒のあるまちです。
  わたくしたちは、この地にあって、真に生きがいのある文教・福祉都市を建設し、
 子孫が誇りをもって「わが郷土・高槻」と語り継げるよう、明日への願いをこめて、
 ここに市民憲章を定めます。
 
 
 ■条    文
 1 高槻は わたくしたちの 自治のまち
   わたくしたちは、市民としての自覚と責任をもって、
   進んでまちづくりに参加します。
 2 高槻は 心と心を 結ぶまち
   わたくしたちは、信頼と愛情を深め、すべての差別をなくし、
   自由と公正を守ります。
 3 高槻は 住みよい環境 めざすまち
   わたくしたちは、あらゆる公害をなくし、生活の安全を守り、花と緑を育てます。
 4 高槻は 生きるよろこび 燃やすまち
   わたくしたちは、体を鍛え、仕事に励み、明るい家庭と社会を築きます。
 5 高槻は 文化の華を 咲かすまち
   わたくしたちは、人間性豊かな教養を高め、輝く市民の文化を創ります。
 (昭和52年12月5日制定)
 高槻市民憲章制定市民会議
 
 @市民憲章はいわば市民みんなで高槻の町をどういう風にしていくか、
 どういう町作りをしていくかというのを文章にまとめたもの。
 いわば市民としての心得であって、市民として町作りにかかわっていくという
 意志表示ともいえます。
 これは決めたその当時の人だけではなく、将来に渡って契約されるもので、
-「高槻市民」であると同時に承諾しているとみなされる。
+「高槻市民」であると同時に承諾しているとみなされると考えた方がいいと思う。
 
 
 
 **市章・市歌・市民の木・市民の花
 市章:
 大阪市と京都市の市章を組み合わせ、高槻の高をかたちどったもので、
 京阪両都のちょうど中間に位置し、大きな役割を果たしながら、
 両都とともに発展する本市の姿をあらわしています。
 
 市歌:
 1 東真澄める淀の水 西ははるかに妙見の
   眺めすがしき北摂に 誇る緑の健康地
   沃野の幸の満つところ おお田園の高槻市
   おお田園の高槻市
 2 南なにわの黒煙 北にゆかしき京の街
   のぞむも中に地をしめて 咲くや理想の新文化
   真理の塔のたつところ おお文教の高槻市
   おお文教の高槻市
 3 今ぞ自由の陽を仰ぎ 民主あかるき勤労の
   汗にこぞりてゆるぎなき 平和築かん大使命
   希望の槌のなるところ おお躍進の高槻市
   おお躍進の高槻市
 (昭和22年10月15日制定)作詞芳賀武 作曲西川得了
 
 市民の木:けやき
- 古名を「槻(つきの木)」「つきけやき(強い木の意味)」ともいい、
+古名を「槻(つきの木)」「つきけやき(強い木の意味)」ともいい、
 室町時代(1390年頃)この地に大きな「槻」の木があり、
 その高さは20丈(約60メートル)にもおよび、昼間も暗いほど繁茂していた
 ところから、地名も「高月」から「高槻」になったと伝えられています。
 
 市民の花:うのはな
 「うつぎ」ともいい、本市の史跡、玉川の里(西面(さいめ)地区に所在)に
 群生しています。古来、玉川の里は摂津の玉川として天下の6玉川の一つに数えられ、
 うのはなや月の名所として有名で、平安時代の歌道の隆盛に伴い、
 その歌枕として用いられました。